RIETI

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オリーブオイルは凝りだすとキリがない。
スーパーマーケットの棚に並んでいるオリーブオイルたちは固より本来の賞味期限をすぎた「死んだオリーブオイル」たちで問題にならない。
たしか日本にも量り売りでオリーブオイルを売るヨーロッパのチェーンの支店があったと思うが、ああいうものは序の口で病膏肓に至るとイタリアの農家から農家へ、天にも昇る、というかあの微妙な甘みとかるみのあるうまみを求めて徘徊すること、うまいワインを求めてフランスのヴィンヤードからヴィンヤードを徘徊するひとびとと軌を一にしている。

リエティはイタリアのなかでもうまいオリーブオイルがあるので有名な土地柄でオリーブオイルを買うのに寄った。
アッシジの聖フランシスというが聖フランシスは(わしの記憶が間違っていなければ)アッシジよりもリエティの田舎に住んでいた時期のほうが説教をぶって歩いた回数が多いはずである。
日本で言えば佐久市というか、イタリアのおへそにあたる真ん中にある町で海からも遠い内陸の町である。

わしはヨーロッパの田舎を旅行してあるくときは、めんどくさいので予約したりしない。
食事の準備とかいろいろあるので、ほんとうはそういう態度の悪い旅行者は困るが、「食事の準備がなければ食事はなくてもいいよん」と述べて、目で見てよさそうなところに泊まる。イタリアにもagritourismoなどと名前がついて、田舎のあちこちに膨大な数の宿屋があるが、中世からあるボローイホテルでもベッド&ブレックファストでもよろしい、要は農家でもなんでも泊まるところはたくさんあるので、少し早めに、というのはイタリア人は午後8時くらいから夕食であるという考えが強いので、午後6時くらいまでには訪ねていって、今日、泊まるところがありますか?と訊いて歩く。

辛いトマトソースと苦いオリブの実がはいったTagliatelleとオリーブオイルがいっぱいかかったチキンの無茶苦茶うまい夕飯を食べていたら、3人連れのアメリカ人の女びとたちがはいってきた。

ボスニアに住んでいる。
クルマでローマへ行く途中である。
このふたりはマイアミから来た。
わたしはボスニアに4年間住んでいる。
この世界にボスニアほど美しい町並みのある国はないから行ってみるのはいい考えだと思う。
町はとても安全で、夜中に女ひとりで歩いても少しも危なくない。

だんだん話していると、どうやらアメリカ軍で軍役についてから大学に行って語学を勉強した3人組のようで、ひとりはアラビア語、他のふたりは東欧諸語に堪能であるようだった。

フレミシュの音楽家のカップルもいて、フランス語やイタリア語、英語に流暢なのはいいが、モニにはフランス語、わしには英語、カップルのふたりのあいだではフレミシュ、イタリア人たちとはイタリア語で話すので忙しくて、モニさんはフレミシュ人に対する偏見を隠すのに苦労しているのが横でみていてわかって、くっくっくっ、な感じがした。

海外で会う、少人数で旅行しているアメリカ人たちは、わしの偏見に反して、たいていちゃんとしている。
欧州人に較べても、なんというかおとなであって、態度がきちんとしている。
オバマが国をふたつに割ってしまった。
こういうことはアメリカの歴史を通じてかつてないことだった。
アメリカではルイジアナが最も住みやすいと思う。
フロリダから州境を越えると、まるで別の世界でいつでもほっとする。
やわらかいクレオールの響きのように、人間性も柔らかくて、なめらかであたたかい。

話しているあいだじゅう背筋がぴんと伸びている感じがする。
話し方がすっきりしていて、無駄がなくて、知性的である。
dignityという言葉を思い出す。

部屋に戻って日本語インターネットをのぞいてみたら、アメリカの沖縄駐留軍を異常性欲者集団扱いしてアメリカ人たちを激怒させた大阪市長が今度は「他国の女性の人権も守るような発信をやっていく」と述べたそうで読んでいるほうはごく自然に頼まれもしないのに八紘一宇を唱道して「白人の鬼畜ぶり」に対して「アジア人の代表として人種差別と戦う」ために中国に上陸して南京や上海で「正義の戦い」を戦った過去の日本人の聖戦士ぶりを思い出してしまう。
日本人ほど外国に対して正義の民族としての義務をはたすことに熱心な民族はいないと思うが、なぜそれほど他国人を正義に導くのに熱心なのか見ているほうは単純に不思議の感に打たれてしまう。

ここにくる途中の村にも日本の人がいて、イタリア半島におけるローマ人の先住者であるエトルリア人の研究をしているドイツ人の旦那さんと一緒に地域になじんで生活している様子だった。
イタリアと日本は相性が良い国同士であるようで日本の人が大都市でないところにもたくさん住んでいるという。
都市はどんな国でも外国人にも住みやすいが田舎となると国との相性と文化程度が拮抗するのでないとなかなか住めるものではない。
日本という国に対しての知識はあまりなくても、イタリア人たちは地域地域に溶け込んで生活している日本人たちを観察して日本人たちの文明の高さを知っている。

ところがほとんどニューズにはならないといっても、折に触れて報道される日本の外国に対する態度は居丈高というか傲慢をきわめるというかで、これが隣人として一緒に暮らしている日本のひとたちが出身した国と同じ国なのだろうかと訝る気持ちになる。

日本語の体系と深く結びついて日本の社会には強烈なゼノフォビアが絡みついている。それはほとんど日本語で考えているかぎり脱出できないほどの深刻さであるようにみえることがある。

日本の社会はもっと日本人個人ひとりひとりをそっとしておいてやるわけにはいかないだろうか。
奇妙なことを言う、とおもうだろうが、これまでインターネットを通して眺めてきたかぎりでは個と個の対話ではふつうにしていられる日本のひとたちが「公」を意識し「社会」を意識した発言を始めた途端に、まるで発狂したような、日本以外の社会では到底まともな人間の発言とは考えてもらえない「意見」を述べだすのを見てきた。

いまの状態の日本社会に向かって言っても誰にも聞く耳がないのを承知の上で書くと、「橋下大阪市長の慰安婦発言はとんでもないがアメリカ軍の性犯罪が多いのは事実なので、それを指摘していくことは大事なことだ」「殺し合いを目的とする軍隊の構成員なのだからなんらかのはけ口を与えなければ兵士が強姦を働くのは当然」というような意見はもっともらしく聞こえるのかも知れないが、実際には空想的なくらい無責任を極める意見であると思う。

ツイッタで
「この橋下市長という人の滑稽な点はアメリカ人たちに「性的サービスを買う」ことを奨めることによって「妻子を裏切れ」と唆したのだという最も重要な点をいまだに理解していないことであると思う。それが判らないままジタバタするので日本の外ではだんだん話題として大きくなり規模も拡大しつつある」と書いたら、
「でも沖縄のアメリカ兵は妻帯者とは限らないのではないか」
「女性兵士もいるのだから、この意見はおかしいと思う」という人達がわらわらと現れて、わしを喜ばせたが、想定できる限りの条件を場合分けして、それについていちいち他人が納得しそうな説明をくわえておかないと、というのはこの場合ならば、

「この橋下市長という人の滑稽な点はアメリカ人たちに「性的サービスを買う」ことを奨めることによって1:妻帯している軍人や兵士については「妻子を裏切れ」と唆した2:独身でガールフレンドがいる兵士についてはガールフレンドを裏切れと唆した 3:独身でまだガールフレンドがいない男兵士にとっては将来(自分がこれまでやってきたことは細大もらさず相手に告白してふたりのあいだに「秘密」というものがなにもない状態にする英語人社会の決まりにしたがって)のガールフレンドを裏切れと唆した 4:女性兵士にとっては自分がoathを立てて参加した集団が非人間的な集団である示唆した、のだという最も重要な点をいまだに理解していないことであると思う。それが判らないままジタバタするので日本の外ではだんだん話題として大きくなり規模も拡大しつつある」と書くべきだということになるが、些末主義訓詁主義的な試験の答案ではあるまいし、人間の言葉がそんなに網羅的に表現されなければ意味することが伝えられないと考えるのは、頭のなかの言語が頽廃しているので、そういうことも日本語で「公」に向かってなにごとか述べることを困難にしている。
だが、この一見「公」と「個」の日本語の分解と関係がないように見える言語表現への不思議な些末主義も実は本質的には日本語に内在する同じ根から岐れてきた問題なのだと考えられる。

日本語における「公の言葉」と「個の言葉」の乖離は、文明度の上昇につれて人間として生きたいと願いだした日本人個々の欲求と、国家社会主義経済の要求から激しく個人を抑圧しようとする社会の後進性との乖離をそのまま反映している。
そうしてイタリアの田舎でみかける日本のひとたちの穏やかで知的な顔つきを見ると、どちらの方角へ日本語が収束してゆくのが日本人全体にとって幸福なことなのか明瞭なことであるように思えます。

裸の王様

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福島第一事故の後で日本人を最もがっかりさせたのは学者と知識人だった。
当時の枝野官房長官をはじめとした政治家の対応も(外国人の目から見れば)酷いもので、2chやはてなのようなインターネットコミュニティはわざわざ「さん」づけをして、いつもの悪態や嫌味に満ちた態度とはえらい違いだったが、インターネット以外の(というのはインターネットをめんどくさがって使わないタイプのおじさんたち)コミュニティでは初めから「詐欺師みたいなことを言う奴だな」という反応だったのをおぼえている。
ぼくは「トーダイおじさん」のひとりが枝野長官が寝不足の目をしばたたせながら目の下に隈をつくって談話を述べているときに「日本もここまで落ちたか」と予測しなかった厳しい口調で政府の「猿芝居」を罵倒するようなeメールを送ってきたのが不思議だったので、その好対照に驚いたりしていた。

外から見ていて、自分の専門ですらない放射線の害について恐れるひとびとの知識のなさをあげつらって「危ないわけがない」と冷笑する日本人「科学者」たちの尊大な姿の滑稽さは極めて日本的な光景に見えたが、そのために逃げ損なった被災地のひとびと、取り分け子供達のことを考えれば、日本の社会の途方もない非人間性がうかがわれて、「大学教師」とさえ名前がついていれば物理学教師の説く痔の直し方でさえありがたがって拝聴しそうな「試験に勝ったものがえらい」社会の後進性を笑ってばかりいるわけにはいかない。

時間が経っていくにつれて、日本のひとびとにも何が起こったかが明らかになって、「放射能などはたいしたことはない」と言い募った学者達の大半は自分達を「学者階級」とでも呼べそうな架空の「他人よりも頭がよい階級人」と思いなして、三々五々、適当なことを言い散らしていただけなのが判ってきた。
いくら権威に弱くても、考えてみれば、船乗りに飛行機の飛ばし方を聞くマヌケはいない。
漁師にクマの撃ち方を訊いていた、というか、ただ「大学で教えている」というだけのことをありがたがって、彼らの言説をいちいち科学的な発言だと信じ込んでいた自分達の錯覚に気付いたのは最近のことでした。

この頃になってインターネットのあちこちにtumblr などの「認識共有サイト」を通して「今度のことで学者という人種がいかに頭が悪くて人間的に低劣な人間が多いかよくわかった」と書かれているが、実は、これは戦後初めての発見ではなくて二度目です。

東京大学安田講堂の攻防戦をクライマックスとする全共闘運動は、集結した機動隊員の上にガソリンを撒いてから火をつけたり、重さ十二キロの舗道の縁石を落としたり(この結果石敷きだった東京の舗道から平石が消えてアスファルトに変わった)、硫酸や塩酸の瓶を機動隊員の顔めがけて投げつけたりで、60年安保反対運動時と打って変わった学生側の戦術の暴力化で有名になった。

簡単に説明すると国際コミンフォルムの指令を受け入れた日本共産党と朝鮮総連が1950年の朝鮮戦争に呼応して「火炎瓶闘争」を繰り広げ破壊活動防止法違反の指定を受ける(いまも指定団体のはず)と、1955年には日本共産党は路線を修正して平和革命路線をとる。
その結果、この平和革命路線を「日和見主義」と非難する暴力革命路線の反代々木系と代々木系に全学連は分裂する。
「代々木」はなぜかというと、ここに日本共産党の本部があるからです。

代々木系・反代々木系を問わず想定した最終決戦は1970年6月23日の「日米安保改定」阻止のための決戦で、1967年10月8日の「第一次羽田闘争」を皮切りに1970年6月23日に日米安保条約が自動延長されてしまうまでが戦後日本の動乱の時代だった。

いま沖縄の問題を云々するひとたちの議論がなんだか奇妙な甘えた子供のようになって「安保で国は守ってもらいたいが沖縄の米軍という名の強姦集団はいなくなってもらいたい」というようなアメリカ人達が聞いたら恥辱で顔を真っ青にするようなことを平然と言うのは、一に沖縄はすなわち日本であるということを忘れて他者化して話すことの無責任さに気が付いておらず、二には当時の広汎な数の日本人がもっていた「安保は廃棄すべきだ」という決意がなんだかおとぎ話じみたものに感じられるようになったせいでしょう。

図式は「安保反対闘争」だったが、見ていて面白いのは実際に学生達が憤激していたのは、この頃から大量に学生をうけいれるようになって「大衆化」の道を歩き出していた大学の腐敗で、「反対闘争」の標的は、あるいはこのころから凄まじい勢いであがりだした授業料であり、無給医制度、大学経営陣の運営金の着服、といった学内の身近な問題で、情緒的には眼前の具体的な学内問題のほうが本来の「政治目標」である「70年安保闘争」よりも重要であったように見えることで、無理もない、というか、かえってそれゆえに一般学生の支持もあったのだろーなあーと想像されることです。

900日を越える学生運動のあいだに警察側と全共闘学生側の両方から失望され軽蔑された存在が大学教師たちだった。
日本の研究者・学者達の人格の低劣さは大学を占拠してバリケードをつくって立てこもっていた学生側と、そのバリケードを破壊して死者・負傷者を出しながら、なぜか最後まで銃器を使わずに放水と微弱(CN)催涙ガス、大楯と警棒に頼っていっせい検挙をめざした警察側双方の無数の証言がある。

ついこのあいだまで防犯パトロールの警官が構内に立ち入っただけで「学園の自治を冒すものだ」と述べていた同じ大学人が自分達が学生に胸ぐらをつかまれる事態になると掌を返したように「この度警視庁のきついお達しにより、大学構内は立ち入り禁止とします」という看板を構内に立てて「警察側の」抗議によって看板を撤去せざるをえなくなったり、安田講堂ではカメラを持ってぞろぞろと集まり学生が巨大な体格の機動隊員に組み敷かれて血を流しながら連行されるのをみて拍手喝采して写真に撮り、あまつさえ「やっちまえ」「ざまーみろ」というような野次をとばして機動隊員たちの顰蹙を買ったりした。
上智大学では機動隊に両側から腕を取られた女の学生を後ろから蹴った大学教師兼業神父もいたそうで、機動隊員もびっくりしていたそうだが、目撃した一般学生のひとりであったおばちゃんは「わたし、あれでカトリックやめたんだもの」と教えてくれた。

173時間に渡ってただひとり学生達に軟禁されながら学生達のやっていることを民主主義のルールから外れ、礼儀にも悖ることだとして一歩も譲らず、逆に全共闘学生達から尊敬をうけ、警察が苦労して隠密裡に手渡した救出手順をしるした秘密のメモに「わたしの救出は必要ない。ただいま学生達を教育中」と返事を書いて警察人を感動させた林健太郎文学部教授をほとんどゆいいつの例外として、あるいは権力にこびへつらい、あるいは「大学を出ていない機動隊員」が大学構内にはいることに不快を示して、ある種の大学人はおもうぞんぶんアカデミックの世界に生きる人間の低劣な本性をさらけだして日本国中の軽蔑をかったものだった。
書き連ねても気分が悪くような醜態ばかりなので、ここではこの辺でやめておくがインターネット上に情報が少なく忘れ去られているだけでいろいろな形で活字にも残っていることなので「出典キボンヌ病」のひとたちも、一般の人間にアクセス可能な資料ばかりなのだから、怠け者の夜郎自大を捨てて、自分の力で本にあたってみれば、警察側と学生側の両方から炙り出しのように当時の「学者」たちの目を覆うばかりの人格崩壊者ぶりを目の当たりに出来ると思う。

福島第一原子力発電所事故後のひとりひとりの科学者の名を挙げて、その発言と行動の欺瞞ぶりを述べることも出来るが、いまの状態では、それは英語のような言語に譲った方が実効的であると思うので、ここでは述べない。
この短いブログ記事の目的は、学者たちが人間としてすぐれているわけではない、どちらかと言えば、蓋をあけてみれば、一般の水準よりも遙かに低劣な性格の人間のほうが多かったという単純な事実が学生紛争終熄後にはあっという間に忘れられてしまって、また「学者」たちが社会の人間の忘却に乗じて、またしても自分の専門とはほぼ無関係に「社会知の代表」としてふるまいだしたことのくだらなさについて話しておきたかっただけであると思う。

ある社会が信頼性をもった民主主義社会であるためには自分が「この人の言う事は信用できる」と考えた人間の言う事を妄信して、ぞろぞろ後ろをついて歩くのではなくて、自分の頭でものが考えられなければならない。
ここで重要なのは事象ごとに個人が十全な知識と情報をもっていることなどは有り得ないので「歴然として正しい」ことが何もない状態で自分なりの決定をくだし判断を下していくという難しい知的な作業を個々人に可能にしてゆく社会が個人を助けるものとして存在しなければいけないということだと思う。

放射性物質が安全だと説く情報統計学者の話に「相手が学者である」というダジャレに近い理由でとびついて、安全だと自分を言いくるめてしまうのではシャーマンの託宣を絶対のものとして、それを肯んじない部族の構成員を槍で殺しに出かける未開な人間たちと寸毫も変わらない。

日本の社会は歴とした国会議員が難訓の漢字を書いたカードボードを掲げて首相に「この字が読めるか」とマジメな顔で嵩にかかって質問するほどの些末知識偏重社会だが、ろくに英語の綴りが書けなかったジャクソン大統領が面白い奴だということになって、いまだに歴代のなかで人気のある大統領であるアメリカと自分の国を較べて、どちらがより健全な民主主義国家に近いかを考えてみることはよい事であると思う。

社会が成熟を迎えていれば権威の意匠を身にまとってもったいぶって物事を述べる人間は、その「お前達には判らないだろう」という尊大な態度の滑稽さによって「一般大衆」の哄笑の対象になるか、少なくとも警戒の対象にならなければならないはずだが、民主主義が根付かない社会では、逆に、自分を権威と仮想的に同一化して意匠でもよいから権威に連なろうとする人間が大量に出現する。
富国強兵の必要から上意下達の形に社会を歪めていけば社会はごく自然にそういう形になる。
その結果出現する社会は少数の「社会の意思の企画者」たちの思惑がそのまま社会全体の意志となる極めて脆弱な社会で、現代史上のドイツや日本、あるいはシンガポールや中国のような全体主義国家が民主主義国家よりも遙かに素晴らしい速い速度で成長するのも、前二者、ドイツと日本が破滅に向かって進み出したときに呆気なく加速がつくようにして徹底的な破滅にまで至ったのも、等しく同じ理由によっている。

前にも述べたことがあるが大学人などは学問という阿片に中毒した阿片窟の住人と言えばいいか、人間の能力のうち思考力という最も生産性が低くバランスを欠いた能力に自分の全存在を特化させた(言葉がひどいが)畸形的人格であると言えばいいのか、要するに研究者として優秀であればあるほど「社会一般に知性の代表として蒙を啓く」には最も向かないひとびとの集まりで、なかには学長という管理職になった者もいるが、殆どは研究者として配偶者に三行半をつきつけられたり学問に熱中したあまり家族生活を顧みずに娘に愛想をつかされて口を利いてもらえなくなったりしている「学者」が家系にぞろぞろ存在する人間が言う事なのだから聞いてもらわねば困る。
言葉を変えて言えば学者が述べることは自分の学問領域について専門学問の方法を直截に適用する場合のみ正確である可能性をもつので、学問上の方法から一歩でも離れれば、(あたりまえだが)学者の意見でもなんでもなくて、その辺にいるアマチュア学者よりも自分の知力への自負が強い分だけ妄信も激しく頑迷で、通常は有害である。

大学紛争の時代は学者にとっても社会にとっても「学問に秀でた者が社会的判断においても秀でている」という合理性のない考えに囚われていたことによって双方に不幸な結果をもたらした。
日本の大学群が荒廃するおおきな歴史的理由のひとつをつくってしまった。
いまも専門外の科学分野について得々と述べている「研究者」は日本にはたくさん存在して、見ていて傷ましい感じがするが、おおかたのひとが、どうやら目の前でしたり顔で「正しい科学的知見」を述べているおやじはいい気になっているだけで何もほんとうには知らないことを、ただ「大学教員」というこれまでの人生でならば「おや、頭がいいんですねえ」という素朴な反応で暖かく迎えられたタクシーの後部座席や定食屋のカウンタ越しに受け取った感触だけをよすがに、ほんとうは身につけていない煌びやかな知の衣装が見えないと曰うおまえはバカなのだと述べているにすぎないことに気が付きだしたことは良いことであると考える。

しかし裸であった王様の衣装を見えるふりをした頃の自分の惨めさを忘れてしまってはまた元の黙阿弥になる。
元の黙阿弥だけならば良いが、それによって危険にさらされる子供達の将来を考えれば近代の寓話から何も学ばなかったことへの支払いとしては高すぎる代償であるようにも思えるのです。

空飛ぶ会社たち

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「180度にはなりませんが178度くらいまでにはなります」というので笑ってしまった。

ニュージーランドから欧州まではどういうルートを通ってもだいたい24時間かかる。
現行の旅客機でもっとも長距離を一気に飛行するのはシンガポールからニューヨークまで20時間弱をとぶ燃料タンクを特別に増設したA380であるはずで、これから考えてわかるとおり、どうやって飛んでも1回どこかで乗り換えなければならない。

むかしはどうしていたかというと成田かシンガポールで乗り換えていた。
成田で乗り換えれば鎌倉ばーちゃんの家に寄っていく楽しみがあったし、シンガポール政府は「ストップオーバー観光事業」にむかしから熱心で、たしか11泊までだと思ったが欧州からシンガポールに寄って周辺国に乗り継いでいくひとに、街の主だったホテルと空港をむすぶただのシャトルを運行して、その上ホテルの料金を半額以下にしている。
この政府が補助金を出して行っている観光事業は大成功で、シンガポールのようにもともと日本のような国に較べれば観光資源に極端に乏しい国が観光大国になっていったのは、このシンガポール政府が推し進めた「ストップオーバー・プラン」のせいだと思う。
いつごろからやっているのか知らないが、わしが物心ついたころはもうやっていたから、90年代の初頭からは確実にやっていたことになる。

他にはエミレットでドバイ経由で往復する、というのも人気があって、エミレットはシンガポール航空と並んで飛行機が新しいので有名な上に自社のラウンジが豪華なので名前が売れている。
ビジネスクラス以上だとエミレットのクルマが家まで迎えに来てくれるので、時間を心配していらいらしながら空港タクシーを待たなくてもよい、という点でも人気がある。
欧州へは距離が遠いニュージーランドからドバイまでがビジネスクラスでドバイから欧州各国まではエコノミークラスという「混合クラス」のパッケージがあったりしてマーケティングが柔軟なのも、この会社の特徴であると思う。

他に香港経由のキャセイ航空や、台北経由の中華航空、韓国を経由する大韓航空というのもあるが、羽田から台北までの短い距離を乗った中華航空の他は自分でも乗ったことがないし友達にも乗ったことがある人がないのでわからない。
欧州系のエアバスの操縦系統が動きの軽いジョイスティックだった頃には「アジア系のパイロットは失敗したときにパニックに陥ってスティックをおおきく引いてしまうので危ない」とまことしやかに言われていた。
名古屋で着陸直前に墜落した旅客機の原因はそれだ、副操縦士がパニクってジョイスティックをおおきく引いたので失速したのだと言われていたが、失速墜落は事実でも、話の真贋は判らない。

台湾の中華航空も羽田から出て便利だと言うので子供の頃の日本滞在中に台北のコンピュータショーを観に行ったことがあったが、復路にやたらと英語が上手な日本人の商社社員のおじちゃんが隣に座っていて、「そろそろなんだよねえ」という。
「なにが『そろそろ』なんですか?」と聞くと
「この会社の飛行機は定期的に墜落するんだけど、だいたいまた落ちるころなんだよね」というので閉口したことがある。
なんだか、楽しそうな口調だったのは、いっちょう外国人のガキを脅かしてやれ、というつもりだったのだろう。
しかし、このおっちゃんは羽田でパスポートコントロールの列にならぶときに、
「おい、外国人はそっちの列じゃない」と言いながら、空港セキュリティのじいちゃんが、なにをおもったかわしの肩を突き飛ばしたのを見とがめて、子供に向かってなんてことをするんだ、おまえはそれでも人間か、第一、日本人として恥ずかしいとおもわないのか、と猛烈に抗議してくれた。
いまでも激昂して、制服の、多分元警官かなにかではなかろーか、妙に威張りくさった警備じーさんを大声で叱責していたおっちゃんのカッコイイ姿を思い出す。

航空会社はおもしろいもので、会社の性格もあるが「お国柄」というべきものがあらわれる。
わしはむかしから、どうやら欧州人や日本人に限らず当のアメリカ人自身にもたいそう評判が悪いらしいユナイテッドやデルタというようなアメリカの航空会社の、投げやりというか、「安い給料で、この仕事やってんだから、くだらないことをガタガタ言うんじゃねーよ」スタイルの、どういえばいいか、サンダル履きでやっている感じのアメリカの航空会社の乗務員が好きで、スーパーマーケットの店員というか、やってられんわこんなの、という内心の声がひしひしと聞こえる割には、親切で、海外線で酒ばかり飲んでいたらめんどくさがって、これ残ってるの全部だからみんなまとめて置いていくわ、と述べてウイスキーのミニチュアボトルを大量にくれたり、サンドイッチがファーストクラスの3分の1しかないなあー、エコノミーはわびしいのお、と思っていると、食べたあとでもお腹が空いているのが明然と顔に出ていたのか、ファーストクラスの余ったサンドイッチをもってきてくれたりして、いやしいわしとしては、主に大学生時代に集中したこの種の厚意を忘れるわけにはいかない。

ニュージーランド航空は飛行機に乗り込むといきなりそこはニュージーランドで、北島や南島の訛のニュージーランド英語が飛び交って、ニュージーランド人特有の「無茶苦茶元気」な感じが飛行機のなかに充満している。
ニュージーランド航空の座席は、フルフラットになるシートにはオットマンが付いているが、ひとりで乗っていると、忙しい仕事のあいまに、わし席にやってきてオットマンに腰掛けて、ジムはどこに行ってるんだとか、タマキドライブはジョギングするのに気持ちいいよね、とか、「友達ぽい」という表現がぴったりのリラックスしたサービスの態度で、大好きである。
福島事故があったりして、放射能が怖いのと、乗客がどんどん少なくなるにつれてボーイング777のようなフルフラットシートがある機種は他の中国線やなんかに配置替えになって、どこで飛ばしてたんだこんなの、と言いたくなるような古い767になって、シートもビジネスクラス(ニュージーランド航空はファーストクラスはない便がほとんど)でも、フルフラットシートはおろか、半分くらいしかリクライニングしない「ただのでかいエコノミーシート」で、食事も何もすべて格下げになった上に、聞くところによると、最近では到頭名古屋線と成田線、関西線と成田線が統合されて、名古屋からニュージーランドに向かおうと思っても直行便はなくなって成田までいったんいかなければならないし、成田から乗るといちど関西空港に連れて行かれると言う人もいた。
日本とニュージーランドのあいだは廃線寸前にも思えて、残念な感じがする。

わしは身体がでかいので、というか、縦に長いので、ビンボ学生の頃からいざ飛行機に乗り込むと、エコノミーの航空券でも空いていればビジネスクラスに替わらせてもらって、「ニセビジネス客」に化けおおせることが多かった。
そうでなければ非常口の横にある席で、この席は前がどおおおーんと空いているので、楽である。
いま書いていて思いだしたが、旧型のジャンボジェットは、この席の横にキッチンがあるつくりで、ワゴンをスチュワーデスばーちゃんが押し出した途端に飛行機が300メートル落下したとかで、どおおおーんと落ちて、食べ物のはいったワゴンがジャンプしてとびかかってきたことがあった。
わしは身体がでかい割にリスのように敏捷であるから両足をあげてワゴンを空中で撃退してことなきをえたが、ばーちゃんは、何を思っていたのかいまでも不明で、なんとなく不服そうな顔だった。
あるいはワカモノが自分の生命を犠牲にして食べ物のはいったワゴンを守るどころか、あろうことか、自分が怪我をしないために食べ物を足蹴にしたのが不満だったのかもしれません(^^;

冒頭の「180度にはなりませんが178度くらいまでにはなります」は、タイ航空のひとの自社のシートに対する説明で、欧州にもどるついでにバンコクに用事があるので、寄っていきたいが、そういう要件があるときにたいてい使うシンガポール航空の適当な便がシドニー経由しかなくて、すると、オークランド→シドニー→シンガポール→バンコク→シンガポール→ローマというチョーややこしい乗り換えになる上に、航空料金が高くてケチをもって南海になりひびくわしの神経に障る、シンガポール航空はファーストクラスとビジネスクラスを厳重に区別する航空会社のひとつで、いつも黙ってにこにこしてビジネスクラスに文句をいわずに乗ってくれているとは言っても、子供の時からチャーターで借り上げたジェット機かファーストクラスしか乗ったことがないモニさんに気の毒な感じがする上に、このあいだあったときのようにモニかーちゃんに「モニもあなたと結婚してからは世間のことに詳しくなったようだ」とこわいことを言われた直後でもあって、そうするとファーストクラスが存在しないオークランド・シドニー間以外はファーストクラスになるが、今回の旅行ではコモ湖で他のひとびとと合流するまでモニとわしと小さい人と小さい人の面倒を見てくれる人の最小編成の旅行だとは言っても、ぐわあああああああな出費で、調べてみるとタイ航空ならローマに着いてミラノから帰ってこられるうえにシンガポール航空に較べて全然安いので、タイ航空でくることにした。

タイ航空は前に2回乗ったことがあって、一度はたしか東京遠征中に成田からチェンマイに行き、もう一度はたしかシンガポールからのサイドトリップでプーケに行ったのだと思う。
予約するときにカレーが選べるのでマサマンカレーにしたら美味かった、というのがいつもいやしいわしの第一印象で、あと、タイの人の国民性で、「ものが頼みやすい」というか、こっちで「頼みたいなあ」と思った瞬間にはもう気配を察して横に立っているというお庭番のごとき鋭い察知能力で、こんなに女のひとびとが他人の気配を察するのに長けているとタイ人の男はみな、すべからくダメダメダメなのではあるまいか、そうゆえば年長の友人である古茶(@kochasaeng)の奥さんはタイの上流社会出身だったなああ、そーか、ふふふ、と余計なことを考えてしまう。

欠点は出発が遅れることだが、わしはなにしろおぼえているだけで4回飛行機がわしを置いていってしまうという航空会社の暴戻に遭遇しているので、30分や40分の遅れなどかえって好都合である。
第一、パキスタン人のHの帰省の話を聴いていたら、パキスタン航空などは「四日遅れる」と言って、たいした遅れじゃないけど、ちょっと遅れすぎるよなあ、と嘆いていたが30分程度遅れるくらいは誤差の範囲というべきか、どうでもいいことである。
他に欠点と言えばラウンジがボロイ(タイ航空の人ごめんなさい)ことと機内のワインの種類がとっても少ない、備え付けのヘッドフォンがノイズキャンセリングでない、というようなマイナーなことばかりで、再び言うとタイの人の国民性で、快適だったのを思い出してタイ航空でくることにした。

航空会社は競争が厳しいのでさまざまな工夫を凝らして、わしガキの頃に較べると飛躍的にサービスが向上した業界と思う。
ヴァージンなどは航空業界に、おおげさに言えば革命をもたらしたので、本人がブリストル405を好んで運転するブランソンのセンスを発揮して、というのは冗談だが、機体などは思い切り古い中古機体にして、その代わり、食事やサービスにたくさんカネをかけることにした。
わしが大好きな、LEDリーディングライトがあり座席がフルフラットになって眠るときには半個室のようになるチョー賢いデザインのニュージーランド航空のシートは、もともとはヴァージンがデザインしたものである。

ヴァージン航空のラウンジは本格的なレストランがついた常識を打ち破る体(てい)のラウンジで、カッチョイイ制服で決めたにーちゃんやねーちゃんがテーブルのあいだを敏捷に歩き回っておる。
メニューの載っているコースやアラカルトはどれも街のレストランの水準を上回っている。

なんだかずらずらと長くなってしまったのでこの辺で止すが、日本語で書いているのだから日本の航空会社について慌てて述べると、JALは不思議な会社で、わしガキの頃は日本以外の国で買うと、当時、大幅に領空を侵犯してロシアの戦闘機に撃墜された事件をまだみながおぼえていた頃の大韓航空と並んで最も料金が安いのに、日本で航空券を買うと最も料金が高かった。
悪い言い方をすると、いかにも自社のある国の国民から「ぼって」いる感じで嫌な感じがしたが、たとえばサービスが好きな会社を乗客に挙げてもらうと、日本人客は「最もサービスが良い会社」がJALで最悪がニュージーランド航空、逆にニュージーランド人はニュージーランド航空が最良でJALが最悪、好対照をなしていたのをおぼえてもいて、JALが好むと好まざるとに関わらず日本人乗客の特殊な嗜好にあわせたサービスを提供して日本人はそれに見合った代価を払っていた、ということに過ぎないのかも知れません。

JALは、ニュージーランド航空との共同運航便が多いので、それでも十回くらいは乗ったことがある。
ニュージーランドで航空券を買うと、同じ便でもJALティケットはたしか400ドル以上も安くて、同じ便なのだからとJALティケットを買うと同じ便でも、あんまり具体的に書くと悪いから書かないが、いかにも何もかにも杓子定規で融通が利かないので閉口した。

ANAは行きたい町が多いので世界一周航空券で買ったほうが安い年が何回かあって、航空会社のグループの関係で成田とロンドンのあいだを行き来するのに何回か乗ったことがあったと思う。
JALほどではないが、なんだかしゃっちょこばったロボットぽいサービスで、もうひとつJALと共通しているのはファーストクラスの乗客が「狂ったように」と言いたくなるほど威張り狂っているひとが多くて、なんだか近くで目にするのも感じが悪くて嫌になってしまった。

航空会社は国民性が出る、と言ったが、日本の航空会社の客と乗務員の関係は悪く言うと主人と下僕で、サービスする側も客も「同じ人間ですから」の社会と厳然として明瞭な階級のある社会にふたまたをかけて育ったわしとしては、日本の航空会社の飛行機の客室内は両方のタイプの社会の悪い所だけをとった小社会にも見えて居心地が悪かった。

真冬のオヘア空港で、泊まっていた空港ビルの上に乗っかっている形のヒルトンから夜中の空港をかーちゃんと妹と連れだって夜更けに散歩したことがある。
オヘアは言わずとしれたユナイテッド航空のハブだが、濃い青い月の光の下、雪のなかに蹲った見渡す限りの視界をびっしり埋める数のジェット機たちは生き物のようで、なんだか恐竜の島かなにかで眠りについた空飛ぶ怪物たちの秘密のねぐらに迷い込んだようだった。

ファーストクラスはチャーター小型ジェットの航続距離が伸び、料金が安くなったことによって市場が縮小したし、エコノミークラスは更に安い「格安ジェット航空」に市場を奪われて、こちらも縮小している。
記事の初めのほうに挙げたシンガポール航空のA380のニューヨーク・シンガポール間のノンストップ便は実はエコノミークラスが一席もない。
だんだん中途半端な一般航空会社のエコノミークラスは割があわなくなってきているからで、将来の見通しでは有名会社のエコノミークラスは消滅するのではないか、ということになっている。

もっともロンドンからパリまで、「話によく聞くライアン航空」で行ってみた上流階級・大金持ち英国人を絵に描いたような、モニとわしの友達カップルの抱腹絶倒の報告によると、「そもそも出発空港に行くタクシーで航空料金の半分くらいかかるんだよ」で始まって、後の壁のベニヤ板の継ぎ目から「よく見ると我が国の誇るmeadowの緑色の輝きが見えている」チェックインカウンタ、不便なのといろいろな有料サービスを足していくと結局は「大手のセール価格より高い」のとで「あんなの長くつづくわけがない」という実態で、エコノミークラスは(ビジネスクラスの乗客数が減る)不景気と共に生き延びるのだ、という意見もある。

飛行機を滑走路に着陸させるときに逆立ちさせかけたことのあるヘタッピパイロットのわしとしてはB747-400のようなチョーでかい飛行機を飛行機を「トン」と落とすことさえせずに、すうううっと着陸させるパイロットの腕前をみると、いつもすごいなああと単純に感動してしまう。

わしガキの頃、ちょうど1990年代の初頭くらいまでは滑走路にうまくランディングが決まると客室からいっせいに拍手が起きたものだったが、いまはもうそういうこともなくなった。
飛行機がどんなひとの日常においても生活の一部になった証拠で、世界がだんだん狭こしく均一で退屈になるわけだ、と飛行機に乗るたびに思いもする。
でも子供の頃から終始一貫変わらない、それがエコノミークラスのクソ小さいシートであるにしろ、チャータージェットの対面に向き合った座席であるにしろ、座席につく瞬間の、あのなんだか浮き浮きとして楽しい、ジェットエンジンなんかなくてもどかに飛んでいってしまえそうな愉快な気持ちは、やっぱし人間が発明した最もヘンな機械、「空飛ぶバス」だけが感じさせるものであるのかも知れません。

(画像はタイ航空の朝ご飯。プチトマトをそのまま炒めるのは意表を衝いていて、しかも美味かった。
タイのホテルもそーだが、タイのひとはなぜか洋式朝食を作るのがうまい。なぜだろう?)

でかけるまえに

paris56

人間の一生などは運であると思う。
そう言うと年長の友人たちは「ガメはヘンな奴だ。人間には2種類しかいない。
愚か者と賢明な人間だ。人間の一生には『運』などというものはない。他人よりも優れた人間が勝ち残るというだけのことではないか」という。

こういうおっちゃんたちには、実際、「おれは知恵で勝ったのだ」というだけの実績があって、投資先で予測できなかった戦争が起ころうが、地震があろうが、投資上の巨人たちが動き出して市場が滅茶苦茶になろうが、大混乱のなかから姿を現したときにはちゃんと成果を手にしている。

自分はどうかというと、なんだかいつもテキトーで、大本教の出口なおみたいなことばかり言っていて、自分のために仕事をしてくれるひとたちを戸惑わせたり、混乱させたりする。

自慢すると、わしの仕事上の「武器」は想像力である。
自分には「相手の考えていることが手にとるように判る」という特殊な才能があるようだ、と考えるようになったのは、ある香港人のおっちゃんを相手に仕事上の争闘をしたときだった。
詳しいことは下品だから書かないが、このおっちゃんはたちの悪いひとに首根っこを掴まれていた。
ビジネスや投資の世界ではよくあることで、ビジネスなどはどうしても人間と人間ががやることなので相手の人格が大事になる。
だからチョーひきこもりのガメ・オベールといえど、えっこらせ、と出かけていって相手を観察する。
「多少、人間に問題があっても優秀なんだからいいや」というのは墓穴を掘る早道であって、たいてい思わぬ齟齬が出袋して事業ごと、たか転びに転ぶ。
途中になって「自分の取り分が少ない」とか奇妙なことを言い出したり、利益がおおきいので自分だけで独占したい、と考え出す。

だから人間に問題がありそうな相手とは初めから何もしないのがいちばんいい。
こんなのとやってもしょうがないな、と考えた相手は、そのときは羽振りが良くても、3年くらい経って、「あのひとはどうしてるかなあー」と思って調べると、たいてい、ヘンな人と付き合っている。
ビジネスや投資は面白いもので、時間が経ってゆくと、似たもの同士、というか、狡い人は狡い人同士、人格が低劣な人は低劣な人同士、悪党は悪党同士で、肩を寄せ合うように、ならばいいが、お互いに牙をむきあって、しかし、それでも同じ共同体のなかでキャリアを全うするもののよーである(^^

ところが悪党というものは悪いことをすることにかけては、どこまでも頭がよく回るもので、判りやすい例に翻訳すれば、人柄がよく、仕事が出来て、実際ある程度まではうまくいって「業界」での信用を獲得した社長たちを借金でくびがまわらないようにさせて、このひとたちを使う。
なんだか演歌みたい、というか、こういう人格にすぐれた社長たちは「心の中で詫びながら」騙しにかかる人間たちの「看板」になるので、人間の良し悪しの観察などはいくらやっても、なにしろ後ろに立ってるのが悪魔そのもののような人間なので、ムダなのです。

シアワセなひと、というのはどこにでもいて、「それは零細なビジネスの世界をいっているので、一流企業というのはそんなことはありませんよ」などと言ってすましているが、それは、平たく言ってしまえば会社の経営に預からない「あんまし偉くないひと」だから、そういう平和な考えで生活していけるので、世の中の表面に出てきたものを、いま咄嗟に思い浮かべて述べれば、たとえばフォルクスワーゲンがロールスロイスを買収したときには、クルマ業界人は、その隠密裡に交渉をすすめてまとめあげた鮮やかな手並みに喝采をしたものだった。
ところが世の中には不思議なことがあるもので、そのしばらく後に、今度はフォルクスワーゲンと買収競争をして負けたはずのBMWがロールスロイスの買収を発表した。

タネを明かせば、フォルクスワーゲンはロールスロイスの、長い間投資されておらず、古色蒼然、いまでは使い途がなくなっていたロールスロイス社の自動車部門の「実質」を買わされていたので、なんとロールスロイス社は自動車部門の「実質」と名前を分離する、という手品のような契約書をつくって、実質よりは遙かに価値があるロールスロイスのエンブレムや名前はBMWに売っていたのだった。
その後表面を糊塗するために両者は話しあって表面上はなんとなくまともな取引にみえるように事実を改竄することになったが、
言うまでもなくフォルクスワーゲン社は大損害で、体面もなにもない大恥だった。
そのくらいのことはビジネスの世界ではいくらでもある。

投資の世界になると、当然というか、お話はもっとすごくなって、30階建てのビルの売買契約書をよく読むとリフト(エレベータ)の使用権が別売りになっている(^^;
ビルを取り巻いているプロムナードの使用権が他の投資会社に売られている。
終いにはビルの高さが実測値と異なったりする。

なんだか子供のだましあいのようだが、子供のだましあいはチョコレートがかかっているのに過ぎないが、いいとしこいた子供のだましあいのほうは、数十億円、数百億円がかかっているので、滑稽は滑稽でも、だまされて笑ってすます、というわけにはいかない点が異なる。

相手になりきって「こういうときに、あの手の悪党のおっちゃんなら何を考えて、どういう手を打ってくるだろうか」と考えてみれば、しかし、そこが悪党というもののマヌケなところで、欲に駆られているぶんだけやることが見え透いているので、次にやってくると判っている路地に立って、「そんなことを考えてもムダだよ」と伝えてやることが出来る。
どんなに相手が知恵をしぼっても、先回りして相手がやってくるところに立っていられるのは当たり前で、冷菜凍死家の才能とはそういうものである。

せめて、そのくらい才能がないと、やっていても面白くないし、第一オカネがなくなって破滅してしまうが、しかし、そんなことも些事にすぎないには違いなくて、人間の一生を全体として眺めれば、やはり運なのではないかと思う。

自分が結婚した相手で、いつも側にいるのに、こういうことを言うのはヘンな人だが、モニさんはこれを書いている言語をまったく読めないので、なんとなく言ってしまっても良いことにすると、モニのようにものすごい美人に生まれてしまうと、それだけで普通の一生とはだいぶん異なってしまうのではなかろうか。
モニと結婚して面白かったのは、みなが見ていないふりをしながらちらちらこちらを見ていることが多かったことで、なんだか無暗にでかくて、ぬぼおー、として間の抜けたにーちゃんを見ても面白いわけはないから、やはり皆がモニを盗みみているのである。

はなはだしきに至っては、キッチンのできあがった料理をならべるカウンタから、こっそりレストランのシェフがカメラでモニの写真を撮っている。
気が付いて、「ぶ」という顔をして睨むマネをすると、バツが悪そうににっこり笑って手をふっている。
パーティで不用意にモニにあったひとは、いいとしこいて、声が上ずってしまって、大慌てで自分が有名な大学の教授であることを述べて、奥さんを紹介するのもすっかりぶち忘れて、紹介すらされないまま横に立っている奥さんに、すごい顔でにらまれているのに、まったく気がつきもしないで、自分の知性と社会的地位の宣伝を「それとなく」していたりする。

横で見ていて美人に生まれるというのは、なんというくたびれることだろう、と考えるが、本人はなれたもので、ふつうにしている。
美人ばかりがちやほやされて不公平といえば不公平だが、しかし、世の中というものは不公平なものなのである。

木に触りながら言うと、わしは生まれてからずっと運がよかった。
それを認めなければ神様とゆえどぶちむくれて、「きみはヨブの話を聞いたことがある?」とか怖いことを言い出しそうなので、慌てて神様にお礼を述べておく。

難病や大病を患ったひとは、一般に「自分にどこか悪いところがあったから病気になったのだ」と考える。
犯罪では強姦被害が典型的で、人間がまだ無明の深い時代に生きていた頃は周囲ですら「夜中に男の欲情を刺激するような恰好で歩いていたおまえがわるい」ということすらあった。
深刻な話題なのに軽口を言うと、そんなら、世の中の女びとがみんな灰色の、ロシアの収容所服みたいな服を着ていればいいことになるが、そんな世の中に住むのは願い下げであると思う。
女びとの美しさで眩しいような燦めくような午後があるから、男どもも町の通りに出て闊達な気持ちになるので、そういうことに経済効果を算出してみせたひとはいないが、
やってみると、案外と何千億円、という経済効果があるのではないだろうか。
冗談だが。

大病にかかることと病気になってしまったひとの行いとに関係などあるわけはないが、それほど簡単なことさえ、人間は不運に陥れば混乱して確信がもてなくなってしまう。
すべてが自分によってコントロールされている、などというのは、人間がもちやすい他愛ない妄想で、ほんとうであるわけがない。
病気になるのも意味性など微塵もないただの「運」で日頃の行いとは何の関係もあるわけはないが、人間には「意味性」を血眼になって探すという病気があるので、
病気になったときすら、そこに「意味」をみいだそうとする。

自分よりも年長で、巨大な成功を収めたひとびとであるといっても、「人間の一生は運に左右されているにしかすぎない」という意見を変えたいとは思わない。
幸いおっちゃんたちも、「いったい何を言いだすんだ」と怒り出すことはなくて、
「ガメはヘンな奴だ」ですむので、そのくらいの見解の相違は我慢してもらえばいいや、と思います。

去年1年は「小さい人」の理由で10日と数週間の旅行に二回でかけただけだったが、今年から、元の生活に戻る。
このブログを長い間読んでくれているひとにはお馴染みの「移動モード」になるので、妙に短い記事や、「尻切れトンボ」の記事、唐突に終わったかとおもえば、いつのまにか記事が書き足されている。あるいは何日も放擲されているかとおもえば、一日にいくつもの短い記事が載る、というふうに乱調であると思う。
「山の家」(イタリアのコモ湖というところにあります)に着いてしまえば、「定住モード」になって、元に戻るが、ひさしぶりに戻る欧州なので1ヶ月ほどうろうろして歩きたい。(まだどこをうろうろするか決めてないが、だいたいクルマで小さな町や村にでかけて、そこで空いているところに泊まるので、いつもと同じ、予定などは最後まで立たないのだと思われる)
「ノマド」というヘンな言葉が発明されてしまう前は「ノーマッド日記」という名前だったりしたが、日本語の意味が変えられてしまったので、もう使うわけにはいかないよーです。
あとで読んでそれとわかるように、適当な名前をつけまする。

でわ。

(画像はシャンゼリゼの乞食たち。組織化されていて産業を成しておる)

沃野としての世界_1

nz102

10年前、妙に縦にながくて、コロンバスサークルの、いまはAOLビルが立っている側に立って、のおんびり道行く人を眺めている、深い緑色のポークパイハットをかぶった、顎髭のある、縦縞のシャツを着た、足が細くて二の腕が奇妙なつりあいで太い、肩がおおきな、胸が厚い、全体にバランスが悪いような、昼間からアルコール入りの、従ってときどき左右に揺れている、酔っ払っているときには普段かくしている強いイギリス式アクセントまるだしの英語を話す、見るからに世界の役に立たなさそうな青年をきみが見たとしたら、それはぼくである。

いままでは、いろいろにごまかしてきたが、あんまり長い間日本語ブログを書いているので、ときどきぺろっと話してしまったりして、もう隠しても仕方がないのでばらしてしまうと、ぼくは富裕な家に生まれた。
のみならず、ぼくが生まれた社会はヘンな社会で、人間をムーディーズみたいに格付けするが、生まれによって決まる、そのベラボーな格付けも、いっちゃん上のほうだった。
日本のひとは不思議な種族で、こういうと必ず、「脳内お花畑」とか「設定ではセレブ」と言って、現実は逆だろう、と想像する習慣をもつが、それはそれで、アメリカ人たちのようにフェースブックの世界ではみんなが幸福で充足した笑みを浮かべている文字通りのお花畑もあれば、日本のインターネット世界のように「他人が幸福で恵まれているわけはない」という必勝の信念に燃えている人で充満している世界もあるわけで、あまり関係もない社会の知らない人がどう思おうが、ぼくは一向に構わない。
めんどくさいので怒ったふりをすることはあっても、実際のところ、へえ、と思って、変わってんだな、と考えるだけだしね。
気持ちが、うまく言えないけど。

人間の一生が競争であるという意見には賛成しないが、競走みたいな面もなくはないとすると、みなが100メートルの競走に臨もうとするのに、ぼくはゴールのわずか5メートル手前から走り出したようなもので、その点では運が良かったと思っている。
ラスベガスで一文無しになって、赤い砂漠の岩の上に寝転がって、明日からどうするんだ、と焦慮したり、メキシコでカネを使い果たして、海辺の国道で行き倒れになって、しまいには妹が欧州から病院に駆けつけなければならなくなったりして、なんだかいつもどーしよーもないバカモノであったが、ちょービンボなときも、それが(ほんとうは真剣に困窮すれば両親や祖父母たちが放っておかない、というような意味において)真のビンボでないのはわかっていたし、かーちゃんととーちゃんはと言えば、むかしから周りの人が呆れかえるような溺愛ぶりだったので、そもそも子供のときから「将来を心配する」という感覚に欠けていたのではないかと思う。

イギリスという国は、ある条件下では教育制度がええ加減を極めている、というか、ほんとうに近代国家なのか、というようなところがある国で、それをいいことに、ぼくは子供時代の自由を楽しんだ。
いつも時間が豊富にあって、ありとあらゆることをやって遊んだ。妹をぐるにして遊びたかったが、小市民的というか、妹はマジメで、学校ばかり行くので、良い友達にはなれなかった。
わからないことはHALのようになんでも理解している家庭教師のおっちゃんに聞けば、たいてい用が足りた。

世界と和解しようと決心した人間がいるとして、和解の手がかりはなんだろうか、とよく考える。

むかしなら「神」というものがあった。
神は定義上言語の外にあるので、こういうときには便利だと思う。
神について考えているあいだだけは論理に縛られなくてもよい。
情緒に溺れるなり、論理の呪いを逃れて徹底的に放縦なふるまいを許された直感の快楽に身をまかせるなり、なにをやっても「自分の内なる言葉」に咎められることはない。

ところが21世紀になってから科学の訓練を受けた人間にとっては、率直に言って「神」を仮定としてうけいれるのはたいへんな困難が伴う。
科学に対しても神に対しても浅い知識しかもたない(それでいいわけだが)人は「科学的事実は神の手のひらの上にある真理にしかすぎない」というが、それはどちらかというと数学をさして「電卓のほうが便利だ」と述べているのと同じで、どう答えればいいか、返答につまる体(てい)の考えであると思う。
たとえば「宇宙の起源」にしても、宇宙の始まりを説明するのに若干の細部に神を仮定しなければならなかった時代を通り越して、神を仮定すると説明が返って複雑になるところまで来てしまった。

言語が触れることができない「絶対」としての神ですら「困難な仮定」になっているので、伝統的なイメージの意匠をまとった神は、というのはたとえばキリスト教の神は、噴飯物、と言っては酷すぎるが、人間とあの程度しか知能に差がない知性が宇宙をつかさどっているのでは、明日の宇宙の存続が危ぶまれる、というようないけないことを考えてしまう。

ムスリムは盛期を迎えているし、仏教はルネッサンス期が近いようにみえるが、それはまた別の記事にゆずるとして、神様自体はいろいろな点で魅力のない仮説になってしまっているようにみえる。

長いあいだ英語人をやっていると「英語世界」の軽薄さにうんざりしてしまうことがある。なんというか、底が浅いというか、聖書と不動産契約書の区別がつかないような文明全体のタッキー(tacky)さに嫌気がさしてくる。

昨日、一緒にツイッタの井戸端で遊んでいたひとたちは一緒に観ていたことになるが、アメリカやイギリスのポップスを聴いたあとで、スペインのポップスを聴くと茫然としてしまう。

スペイン語人たちが見ている世界の「深み」に嫉妬の気持ちが起こって、コンピュータをぶん投げたくなるが、ここでぶん投げると、またマーケティング上手の「ぼく環境問題に関心があるんですよねー」なケーハクセールスマンのようなAppleを不必要に儲けさせることになるので、ぐっと思いとどまって、気を落ち着けてビデオを見直すと、声の出し方といい、身体の動かしかたといい、「細部への情熱」が桁違いなのが見てとれる。
「パッと見」はどうでもいいと思っているのが手にとるように判る。
「あっ、かっこいい」と思っているときに見ている視線の先にあるものが英語人とはまるで異なるところにある。

もうなにしろ30歳のジイジイになってしまったので、年をとっただけなのかも知れないが、結局、文明なんちゅうものはイタリアとスペインと、あとはせいぜいフランスとトルコと、そのくらいにしか存在しないのではないかと思ってタメイキをつくことが多くなった。
レオン

http://ja.wikipedia.org/wiki/カスティーリャ・イ・レオン州

の田舎の砂漠のまんなかの食堂で、この世のものとはおもえないくらいおいしいタコのカルパッチョが出てきたのは前にも何度か書いたことがある。
そのときに、なんか食後酒でおいしいものはないかなあーと考えて聞いてみたら、
「これ、この辺でつくるリキュールなんだけど、飲んでみない? おごるよ」
ともってきた黄色のリキュールを飲んだら死ぬほどうまかった。

海から遠く離れた赤い砂が延々と続く砂漠のまんなかでおいしいタコのカルパッチョが出てくるのもヘンだが、都会の喧噪から軽く800キロは離れた町のなかにすらない(何度も繰り返して悪いが)ド砂漠のまんなかで、どうして、こんな洗練された味のリキュールが出てくるのだろう、と考えて頭が混乱した。

大陸南部の欧州の人間にとって、世界と和解するのは簡単なことなのであると思う。
自分が20歳でも60歳でも、事情はあまり変わらない。
どんな場合でも、たとえ自分が80歳でも40歳以下であろうとするアメリカ人とは、そもそも「人間」というものについてもっている思想が異なっている。
(そのアメリカ思想の非人間性をハリウッド女優の立場から描いたRosanna Arquetteの「Searching for Debra Winger」

http://en.wikipedia.org/wiki/Searching_for_Debra_Winger

は、素晴らしいドキュメンタリだった)

土曜日の夜に、人混みがだんだん濃くなってくる夜更けの街の通りで、ヴァイオリンやチェロや、アコーディオン、ギター、思い思いの楽器を手にとって演奏しているひとたちの前に、ひとり、ふたり、と現れてしばらく足拍子や手拍子で調子をとってから踊り出す。
やがてそれが十数人の群舞になって、夜っぴいて踊る。
そうして、夜空に消える歌声や、地面を蹴って身体に伝わる振動が魂をつきあげたあとでは、彼女あるいは彼は、すでに世界と和解しているのであると思う。

「滅亡」という言葉の意味が、ハリウッドの特撮映画のように、世界が氷に閉ざされたり、巨大な隕石が衝突したり、あるいは致死的なウイルスのパンデミックが起こって、人類が死に絶えたりすることならば、地球の「滅亡」を考えるのは難しい。
7万年前のトバ噴火を生き延びて以来

http://en.wikipedia.org/wiki/Toba_catastrophe_theory

人間は破局的危機に遭うと、知的生産性の爆発というか、ふだんのどちらかと云えばゆるやかなブレークスルーの産みだし方とはまったく異なる、「危機モード」のようなものを持っていると考えられるからである。

しかし人間はすでに「人間と呼びうるものとしては破滅してしまっているのではないか」という意見は常にある。
欧州で言えば「人間の世界は1918年に終焉を迎えたのだ」と普通に感じている人間がいくらでもいる。
残っているものは生存競争の強い必要から卑しい「強さ」を追求するだけのティラノサウルスに似た、どんなものでも生存のために噛み砕いてみせる「オオアゴ文明」なのではないか、という。

ちょっと前に書いたように、いまの世界の人間が「食物」だと思って口にしているものは外形だけが伝統的な食べ物に似ている「栄養も補給できて味覚に訴えることもできる食べ物に似た何か」にしか過ぎない。

身近なものでいえばマクドナルドのチキンナゲットが半分だけが鶏肉であることは有名だし、2つ(日本の数え方で言えば4斤)で二ドルのパンなど、説明がなくてもどういう代物か想像がつくが、そういう食物の事情を離れてみても、社会は個人が個人として自足した精神でいられるためのサポートシステムから個人を部品として使おうとする日本や中国や韓国のような行き方と、個人同士が競争するためのルールが網羅されていて、ルールにさえ従えばなんでもありのサバイバルゲームのグラウンドになりはてたアメリカや欧州の国々のような行き方と、いずれにしろ、世界は、収穫が終わって刈り入れのあとが剥き出しになった荒野に似ている。

冒頭に自分の生い立ちについて(必要と思われるぶんだけ)述べたのは、きみの好奇心を満足させるためであるよりは、自分がこの、いまの世界という地獄を通行しなかったことを自白するためであると思う。
だから「自分がラッキーだったからって好きなこと言いやがって」という非難は甘んじて受けることにしよう。

だが、(たった)5万年前アフリカの小さな村に集住していたと考えられるいまの人類全体の共通の祖先は、かつては緑の沃野だった村が再び褐色の荒野に変わってゆくのを見て、たちあがって、細くかすかに途切れながら続く「緑の道」をたどって世界中に広がっていった。
かつて彼等を人間たらしめていた「沃野」の記憶だけを支えに氷に閉ざされたピレネーを越え、当時の筏とも言えない筏で海を渡ってインドネシア、さらにはオーストラリアに向かいさえして、人間は人間であることを取り戻そうとした。

人間には意匠として悲観的なもの言いをしたほうが知的にみえるという可笑しな癖がある。
だから世界中の賢げな人間たちが悲観的な未来を述べたがるのはあたりまえだが、現実の人間はいつも「賢い人間たち」の予測を裏切っていきのびてきた。

こういうと、きみは大笑いするだろうが、ぼくは、それは人間に「自分が幸福になりたい」という途方もなく強い欲求があるからだと思う。
この記事は日本語で書かれるはずで、日本は個人が幸福を願う本能を社会的訓練と習慣化されたサディズムによって圧殺することに長けた、「個人の部分化」が最もすすんだ社会をもっている。

だが社会というものは個人に較べて回復力をもたないということに気が付いているだろうか。
個人はどれほど痛めつけられても、たったひとつのチューンによって力を取り返し、世界と和解することを決意し、また立ち上がって緑の道をたどって沃野に至ろうとする能力をもつ。
社会は通常いったんシステムが固まってしまえば、そのシステムが環境に適応できなくなっても、現実から目をそらし、生起したことすら起こらなかったことにして、嘘に嘘を重ねて、ますます硬化して内部への圧力を強めてゆく。

顔をあげて沃野をめざす決心ができるのは、ひとりひとりの人間の5万年の向こうにある勇気だけであると思う。
個人に帰らなければ、この世界に沃野が存在することすら信じる機会をもたずに一生を終わってしまうだろうと思うのです。

グローバリズム(1)

rr2

グローバリズム、はいま世界の半分で進行していることへの下手な命名、あんまりうまく呼べていなくて、そのせいで定義も常に曖昧になってしまう不細工な命名であると思う。
多分、そのうちに違う言葉で呼ばれるようになるだろう。
いまは「ひとが『グローバリズム』という名前で呼ぼうとしている世界的な傾向」のことを、曖昧な習慣にあわせて模糊として「グローバリズム」と呼ぶことにしよう。
グローバライゼイションも慣習によって出来た区別はあまり気にしない。
日本語で「グローバリズム」と言うときにはMundializationへの指向も含むように見えることもあるが、そんなことまで言っていると何が「グローバリズム」なのかさっぱり判らなくなってしまうので、これはまた別に項を立てるべきと思う。

移民に門戸を開くまでは、イギリスなどはまだチョーチョー、チョーx5なくらい退屈な国で、歩いている人間は色が白い奴ばっかし、話す英語のアクセントも(内部バラエティはあっても)同じ、食べるものに至っては普通の収入の人間なら即死するような金額を支払わなければならないレストラン以外は、きみ、これ、水煮したままどっか遊びにいって忘れてたんでしょう?ちゅうようなぐったりして口に含むと舌の上でとろけるような温野菜とか、表層が2ミリの厚さでチャーコールになっているステーキとか、いろいろに冒険的な食べ物を食べることになっていた。
いまでもイギリスには「ステーキは表面のおこげが好きである」という40代以上のおっちゃんがたくさんいるが、それは国全体が白かったころの悲しい食生活の習慣に基づいている、とみなすことが出来る。

アメリカはアメリカで、1982年、初めのうち全然(ただなのに)読んでもらえなかった USA TODAY

http://www.usatoday.com/

が発行されるまで日本の読売・朝日のような「大衆向け全国紙」というものは存在しなかった。
大多数のアメリカ人にとっては「満タンのクルマで行ける範囲」が世界であって、ときどき火星に旅行するようにしてニューヨークやサンフランシスコに出かけたりした。
「火星に旅行」がオーバーなら (オーバーだが) お伊勢参り、でもいいです。

英語人の生活は最近までものすごく狭い範囲に限られたものだった。
わしガキの頃、90年代の初めでもまだそうで、その頃の町の様子や、ペンザンスのような町のにぎわいを考えると、なんだか別の国のことを考えているような気がする。

初めてニュージーランドに行ったのは、多分6歳のときなので、1989年だと思うが、
クライストチャーチのカテドラルスクエアの真ん前にある「ミルク・バー」に連れて行ってもらったら、ミルクシェークが錫のカップに入って出てきた(^^;
ばーちゃんの話で聞いたことはあっても現物をみるのは初めてなので、おお、すげえ、というか、2万キロを移動するとアインシュタイン効果かなんかでタイムスリップするのかと考えた。

その頃は開店したばかりのマクドナルドがミラベルとリッカートンにあって、兄弟みたいな国のオーストラリア資本をのぞけば、ニュージーランドの外からやってきた会社はマクドナルドくらいのものだった。
あとはせいぜいフォード、ジョンディア、というような会社の製品を製品輸入していただけだったと思います。

日本は対照的に常に世界のものを取り入れようとしてきた国で、上等舶来という言葉さえむかしはあった、西洋の文物は上等だという長い時期を脱して、ちょうど当のその西洋の国国とは逆に、「日本のもののほうがいい」「洋モノはしっくりこない」という思潮が強く出てきたのが1990年代半ばくらいで、「国の門戸を開いていかねば生きていけない」と欧州やオーストレイジアの国々が思い詰めはじめたのとちょうど逆の方向に思い詰めはじめた頃に「グローバリズム」というものが姿を見せ始めたことになる。

あの「ミルク・バー」があった場所は、いまは地震の瓦礫で、背よりも高いネットが張り巡らされて立ち入り禁止になっているが、地震があるまでは「スターバックス」があって、そこによく「グローバリズム反対」の運動家たちがなだれこんだりしていた。
ニュージーランドで、そういう反対運動が頻繁に起こるようになったのは2000年くらいからのことで、それまでは切迫した語彙ではなかった「グローバリズム」が自分の生活に密接に関係があるものとして、多くの場合否定的に語られるようになったのは、そのくらいの頃からだったと思う。

メキシコのクエルナバカという内陸の、メキシコのなかでは裕福な町に行くと、むかしメキシコから休暇に来た大金持ちたちの生活を偲ばせるカシノの跡があって、いまはコスコ(Costco)になっている。
2003年、このコスコが進出するときには、地元のメキシコ人たちは激しく反対して、そのうちの数十人は道路を封鎖するところまでいった。
コスコのすぐそばに経緯をしるした碑(?)が立っている。

http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=20030131&slug=costco31

わしはコスコが出来てしまってからのクエルナバカでぶらぶらして過ごしていたが、地元の人たちのコスコに対する反感は強くて、あんなものがやってきてしまっては、おれはどうやって生きていけばいいんだ、と叩きつけるような口調で述べる食料品店主にであったりした。

グローバリズムがソビエトロシアの崩壊とともに世界を覆い始めたのは、もちろん偶然ではない。
共産主義が強固な幻想として壁の向こう側で君臨していた頃には資本主義側には「やりすぎると必ず共産主義にその「やりすぎ」を衝かれて育てた市場をねこそぎもっていかれてしまう」という恐怖心があった。
ラッキー・ルチアーノが一生の最後の夢を見たバチスタのキューバはサトウキビ畑から姿を現したフィデルの軍隊にカシノからホテル、クラブまで綺麗にもっていかれてしまったし、メキシコも社会主義を標榜してことあるごとに「東側」寄りの発言をする。
ドイツでも日本でも共産主義は正義感の強い若い人間を惹きつけ続けて、日本では自民党政権への失望が少しでも強まると共産党が躍進した。
イタリアでもフランスでもスペインでも、「資本主義の豚」に反撥した国民が共産主義になだれをうって参加してしまう、というのは現実的な脅威だった。

「東欧の自由主義運動を弾圧するために派遣する戦車の燃料が買えない」ところまでソビエトロシア経済がおちぶれて、プラハに真実の春が訪れ、共産主義の理想が姿を変えた全体主義の幻想に他ならないことが白日にさらされると「資本主義の豚」たちのほうは歯止めがなくなってしまった。

流れている「We shall overcome」は同じだが、歌っているのは、今度は資本家たちなのである 
(歌詞を考えてみればよい)

共産主義なきあと、資本家たちにとっては「国権主義国家」ほど腹が立つものはない。
資本の論理で見つめる世界は、ちょうど部族の力関係と支配領域をまったく無視してひかれたアフリカ大陸の国境と同じで、市場としてみればひとまとまりに当然なっていなければならない地域に「国境」というくだらない線が引いてあるばっかりに関税を払わねばならないし、第一、仕切りの右と左で世帯収入から何から政治という経済にとっては往々にして邪魔なだけの代物のせいで性格がまったく異なるマーケットになってしまっている。
本来8000万人規模の同一マーケットであって当然の南北朝鮮が良い例である。

よほど不健康な政商もどきの商売をしている人でないかぎり、ビジネスや投資をする人間にとっては「国」などは邪魔なだけで、さっさとなくなって欲しいものの代表である。

ビジネスにとっての理想的な地球とは、全員が同じ言語をもち、収入も同じで、同一の嗜好をもつ世界であって、そこで一個「Roundup」ならRoundupが大受けしてくれれば、巨大な利益をあげることができる。
ユニクロの柳井正などは世界71億人の人間が全員自分であればどんなにいいだろう、とアンディ・ウォホールのようなことを考えているに違いない。
なにしろみんな柳井正なのだから自分の言ったことが誤解されずに直ぐ伝わる。
第一、作る服のサイズがひとつですむ。

日本ではそれほど発達しているとは言えないが、西洋諸国、特に英語国では「モール」が全盛を極めている。
何千台というオーダーの駐車場があり、シネマコンプレックスがあり、スーパーマーケットが両翼にふたつあって、巨大な建物のなかに商店街がつくってある。
冬がむちゃくちゃ寒いシカゴや、夏がクソ暑いテキサス、あるいは雨が降るとやることが徹底的に何もないニュージーランドのようなところではよく発達している。

わしはこの「モール」というものが嫌いであって、理由は簡単、「退屈だから」です。どこに行っても同じ店:「Banana Republic」「Body Shop」「Vodafone」「Sony Shop」…. 怖ろしいことにロンドン、ダラス、ニューヨーク、シドニー…どこに行っても同じ店があってうんざりしてしまう。
ビジネスにおけるグローバリズムの限界は、要するに「モール限界」で、リテールとマスメディアの違いはあっても、テレビの普及と産業のグローバリズムはたいへんよく似た事象をなしている。
より多く広汎な人間の嗜好に対応しなければならないので、必然的に供給されるものの工芸的美的質は低くなる。
質が高いものは何によらず受け手の側に質の高さに感応するための訓練を要求するので、99%の人間が、そういう「めんどくさい」ものにオカネを払う必要を認めないのは理の当然でもある。

企業のグローバライゼーションは経済の法則に従って規模を追究するために起きる結果なので、「良い悪い」を論じることにはまったく意味がない。
「悪い」と企業に告げても「そうですか」と答えて企業は世界中に工場や支店を開きつづけてゆく。
あるいは国民全員で連れ立って選挙を利用して政府や立法府に「悪い」と告げに行けば、今度は政府がおおよろこびで規制にのりだして、ビジネスにはおよそ向かない頭で「絵に描いた餅」をたくさん描いて国内のすべての経済を破滅に導くだろう。

そうやって考えてみると、真剣に企業の「グローバライゼーション」を止めたい、世界がド退屈で画一的では困るのだとおもえば、明日から「コスコ」にも「ユニクロ」にも「マクドナルド」にも行かないですませる以外には方法がない。
どれほど微々たる効果にみえても、実はそれがいちばん効果がある。
いや、それしか効果がない。
他の効果がありそうに見える方法は副作用が強すぎて服用すると頓死する危険すらある。

ところで、こうやって書いていくと気が付いた人がいると思うが、グローバリズムにはおのずから限界がある。
簡単に言えば日本人はアメリカ人になりうるか、という問題がある。
なれる、という人もいるかも知れなくて、ま、字義通りならパスポートをとるだけなのでたいていの人間にはやれるが、そうではなくて帰属する文明という意味において日本人はアメリカ人になりうるかと言えば、なりうる訳もないし、なりたいというひとも少ないであろうと思われる。
世界にはいろいろなひとびとがいるので、例外もあるだろうが、少なくともわしが知っている人のなかにはアメリカ人のように眺めているぶんには面白いが自分であれになるのはかなわん、という人しかいないよーだ。

日本語はすでに1990年代のどこかで地方語に転落して世界を考えるには不適切な言葉になっていると思うが、日本人が炬燵にあたる団欒のときまで英語で話すというのは考えられない。
日本人が日本語を捨てる、ということは、起こらないように思える。

しつこいが、これも「良い悪い」を論じても意味がないことで、ただ「起きない」というだけのことです。

皮肉なことだが、実はもともとは急激な国内のグローバライゼーションを最も性急に推し進めて、しかもまがりなりにも成功したのは世界中で日本という国だけで、いま最も先進国中でグローバリズムに抵抗している日本人という国民は、なんのことはない、明治以来、国を守るためだと教えられた必死の「グローバリズム許容」を自分たちの魂と身体に強いてきた結果の、抑圧はされているが強烈な痛みの記憶を思い返して、「もうあんなことは嫌だ」「おれは、あのとき苦しくてたまらなかったんだ。口に出して言えなかっただけだ」と叫んでいるのにしかすぎない。

これから世界中の人間が経験していくだろう痛みを、世界のひとびとに先駆けて全身で経験した国民の拒否反応なのではないかと思います。

わしはどう思っているかと言えば、グローバリズムが浸潤していくのは避けられないと思っている。
何度も繰り返すように、評価したり、「良い悪い」を述べてどうにかなるものでもなければ逃れようと思って逃れられるのは、ごく一握りの大金持ちだけで、その他の人間にとってグローバリズムについて思いを巡らして何か変化があるとは考えるのが難しい。

それはなぜかといえばグローバリズム以外に爆発的に増加する人口を支える方法が見あたらないからで、これから中国の退潮、大混乱期、インドの一時的な興隆を経て、2050年代にはアフリカ人に経済と地球人口を支えるだけの生産性のバトンをうまく渡していかねばならない地球人の文明のロードマップのなかで、ゆいいつ生産性の点でなんとか辻褄があう可能性があるのはグローバリズムだけである。

中国人全体が日本の60年代の生活レベルで暮らすためには地球がまるまるもう一個必要であることを忘れるわけにはいかない。
ヘンなことを言うと、うなぎの蒲焼きを食べるのをやめてサーモンの照り焼きに買えれば市場規模の生み出す生産性によってアフリカ人の子供が10人助かるのならば、野田岩も竹葉亭も尾花もぐっとこらえて、サーモンを食べなければいけない時期にさしかかっているのかも知れないのです。

なるべく具体的に書いていこうと思ったら、なんだかヘンなことになってしまったが、次回このテーマでもどってくるときには、思想的な面に焦点をあてて、そもそもグローバリズムが誰によってどんな目的で夢見られたものかについて書こうと思う。

相も変わらず「次回」が6ヶ月後かも知れないけど。
いつも怠けもので、ごみんち。

でわ

逮捕する

como91

2011年の春に出版されたルーシー・ブラックマン事件についてのすぐれたノンフィクション、「People Who Eat Darkness: The Fate of Lucie Blackman」(Richard Lloyde Parry)

http://www.guardian.co.uk/books/2011/feb/27/people-who-eat-darkness-lucie-blackman-review

には、ルーシー・ブラックマンの父親が日本の警察を訪れて、警察官たちが働く部屋のなかにコンピュータスクリーンが見あたらないのを見て、「こんな原始的な警察に捜査ができるだろうか?」と不安に陥るところがでてくる。

結局、言を左右にして捜査をさぼり続ける日本の警察に失望した父親は、たまたま日本に来日した、当時の連合王国の首相トニー・ブレアに直接面会して日本の警察に捜査を始めるように圧力をかけてもらうように懇願し、話の内容に呆れかえったブレア首相は、異例どころの話ではないが、日本の森首相に要望を申し入れ、森首相は警察トップを呼んで厳重に捜査を申し渡したもののよーである。
時代劇ならば、ここで警察官僚は恐れ入って大布陣を張って捜査を開始するところだが、現実の日本警察はシブイ役所なので、それでもああだこうだと言ってマジメに仕事をしない。
「お偉いさんには現場はわからん」という反抗心があるのでしょう。

トニー・ブレアは、イギリス本国でも事件がおおきなニュースになってきたのを見て、日本の警察に仕事をしてくれるように懇願するために高官を派遣する。
しまいには顔を真っ赤にして怒る高官を前にしても、シブイというか、プロいというか、日本の警察幹部は、まあ、がんばりますから、という調子で全然仕事をしようとしない。

日本にいたときに最も驚かされたのは警察のありかたで、中国の警察どころかミャンマーの警察よりも、もっと酷いのではないか、と考えることがおおかった。
わかりにくいこともたくさんあった。
「職務質問」というものがあったが、なぜこれで犯罪を防げるのか理解するのが難しかった。
誤解されると困るので慌てて説明する。

街頭で道行く人を見ていて、「長年の経験」から「挙動不審者」を発見して尋問する、というのは群衆にまぎれている犯罪者を発見するには良い方法なのである。
警察官の側に立って想像してみれば、それはほとんど「当たり前」のことに属するだろうと思われる。
あるいは顔をおぼえてさえいる「地元のごろつき」を職務質問して軽く恫喝をくわえるというのは、犯罪で「食っている」箸にも棒にもかからないおっちゃんたちを抑止するには極めて有効であるだろう。

だが職務質問を端緒にして犯罪者を逮捕できるというのは、法治社会ではありえないことである。
なぜ?って、だって職務質問は違法でんねん。
(こう書くと日本のひとは必ず「これこれこういう場合は違法ではないから一概に言い切ることは出来ない」と憤慨の面持ちで言ってくるが、悪い事はいわぬ、そんな「正しさ」は自分の虫かごにでもいれて、帰って寝なさい。おかーさんに添い寝してもらえば、蒸し暑い夜でもよく眠れるであろう)
捜査のどの過程でも違法な手続きがあれば容疑者が無罪になるのは法治社会の常識で、のっけから「あんた悪いことやってんじゃないの?」から始まって、たまたま見つけた犯罪など裁判で有罪になりようがない。
ところが日本では有罪になるものであるらしい。
恫喝も、相手が「悪い人」なら全然OKです。

いや、それはですね、大陸法が法治主義で英米法は法支配で、とかゆわないよーに。
わしは、そういう話をしているのではない。

職務質問で、「ちょっと来い、おまえ」をされた元国家公安委員長のブログ記事

http://www.liberal-shirakawa.net/dissertation/policestate.html

を読むと、日本の警察では遵法精神が退廃して「法律なんかどうでもいい」という気分が充満しているのが看てとれる。
警察が法律を守らないのでは悪い皮肉で書かれたSFの社会のようだが、日本ではそれが現実であるらしい。

もう何度も書いたが日本語ではまったく報道されないが日本にいる外国人のあいだではあまねく知れ渡っていた事件に、新宿で、「紀伊國屋書店はどこにあるか?」と道を訊きに交番へはいってきた74歳のアメリカ人観光客に唐突に「ナイフをもっているか?」と尋ねて、アメリカ人じーちゃんが小さなポケットナイフをみせたら、いきなり留置所にぶちこまれた、という(日本にいる外国人のあいだでは)有名な事件があった。

http://www.japantimes.co.jp/community/2009/07/28/voices/pocket-knife-lands-tourist-74-in-lockup-2/#.UYrVM-AoP8s

あるいは、こっちは日本社会からは見えないようにするために閉じたコミュニティの内部のフォーラムなので具体的な内容を明かすわけにはいかないが、まだなれない日本で夫が十日間も行方不明になってパニックに陥ったアメリカ人の妻が、大使館に通報し、アメリカ大使館が手をつくして調べたら、夫は日本の警察に拘束されていて、家族との連絡を禁じられている状態であることがわかった、という出来事があった。
「日本では当たり前のことです」という警察の説明に、日本はすげえ、とみなでぶっくらこいたものだった。

またあるいは、これは日本の社会でも話題になったので、おぼえているひともたくさんいると思うが阪南大学の下地真樹が、大阪駅前で瓦礫搬入に抗議していたら逮捕されていきなり勾留された。
逮捕した警察の理屈を読むと、大阪府警の前に立って「あほー、おたんこなす、大阪府警、法律がんばろー(註)」とか述べると逮捕されてしまう、というすごい立件の仕方だった。

法律に従わない警察を「警察」と呼ぶのは難しい。
普通に考えて、それは政府が設立したただの無法集団だろう。
日本語のyoutubeを観ていたら警官たちに違法職務質問されたチンピラやくざたちが、110番して警察を呼ぶところが出てきて可笑しかったが、あれは理屈としては正しい。
自分たちが何であるつもりであっても遵法精神を失った警察は単なる暴力組織で、「警察」とは呼び得ないなにものかであるにすぎない。
犯罪者をつかまえてみたところで、自警団と同じで、「自分達が正しい」と何らかの理由で信じている集団が自分達が「悪だと何らかの理由で信じている当該人間を制圧」しているだけで、警察行動とは本質的に異なるという以外には言いようがない。

日本の政府が発表している犯罪統計など、よほどおめでたい人間でも信じる人はいないだろう。
身の回りにいくらでも転がっている「性的被害にあったが、『身のためにならない』と言われて、ほんとうに調書をつくりますか? 自分の将来のことを考えたほうがいいと思う」と言われたという話や、「夫婦げんかは、おうちのなかのことですから、ご夫婦でよく話しあわれてください」や、「喧嘩は両成敗って、いいますよね、なぐられたあなたのほうにも悪いところがあったのではないですか」をぐるっと見渡して、それでも日本の犯罪統計が現実を反映していると考える人はおめでたいのを通り越して犯罪者的な愚か者であると思う。
犯罪者的、というのは、そういう「悪いことはないことにする」という幼児的態度は社会の角膜を白濁させていって、ついにはものを見ること自体を出来なくさせてしまうからです。

オークランドでインド人のタクシー運転手が中国人留学生にいきなりナイフで刺殺されたことがあった。
防犯カメラに映っていた画像から、犯人が手配されたが、この留学生は清掃婦の奥さんと子供をふたり残して死んだインド人を刺してからすぐに逃げる支度にかかって、ニュージーランド警察が手配したときには、もう中国本土に姿をくらませていた。
けちんぼで有名な国民がなんべんも警察予算の増大に「ダメ」と言い募るせいでチョービンボで人員も気が遠くなるくらい少ないニュージーランドの警察は、それでもふたりの刑事を中国に派遣した。
驚くべし。
中国の警察は、あの広大な中国から犯人の大学生を探し出して、あっというまに捕まえてみせたのだった。

「海外の不良中国人は中国自身の恥という気持ちがあって、中国警察はだいたいいつも非常に協力的なんです」と警察幹部のおっちゃんは述べていた。
ニュージーランドにいたらつかまらなかったかもしれないのに、中国に逃げるなんてバカなやつだ、と危ない冗談までかましていた(^^ 

ここまで読んで「ありっ?」と思ったひとがいるのに違いない。
ニュージーランドの警察の話に出てくる中国警察と、日本の警察が示唆する「暗黒大陸中国警察」の印象が違いすぎるからで、「いったん犯人に逃げ込まれたら、それで終わり」の非協力的な中国警察は、どこに行ってしまったのだろうか。

さんざん大騒ぎをして、2ちゃんねるの管理人は許せんということになって、N村ひろゆきさんを絶対につかまえてやる、と意気込んでみせたのに、「会社がシンガポールにあります」と言われると、「そーですか」で思考停止状態に陥り、かつての歴史をみると三浦和義に「日本の警察って海外ではなにもやらないから」と鼻で笑われた伝統は、いまでも生きているのではなかろうか。

むかし義理叔父が鎌倉に住んでいた頃、花見の季節になると決まって門の「なか」にクルマを駐めてゆく観光客が続出した。
警察に電話してみると「門のなかだと私有地なので手がだせないんですよねー」
と言う。
じゃあ、どうするんだ、と聞くと、「お互いに話しあってなんとかしてください」というのだそーでした(^^; 

話を聞いたわしが、「そんなクルマ、ガソリンかけて燃やしちゃえばよかったんちゃうの?」と言うと、そんなことをやったら警察がとんできて捕まってしまう、という。
なんだか、よく判らない話だのお、と思ったのをおぼえている。

日本語インターネットの世界では、日本の警察は世界一で、おかげで犯罪発生率が最小で、性犯罪もなく、ほとんど無犯罪世界に向かって着々と社会が歩んでいるのは日本の勤勉な警察のおかげだ、ということになっているのはよく知っている。
いつかもスウェーデンスウェーデンというが強姦発生率は世界一で、あの国はスカンジナビアのコリアと言われているんだ、という「スウェーデン在住歴があってスウェーデン人の友達がたくさんいる」日本の人がいたが、スウェーデンの「強姦」の定義を知っていますか、というときょとんとしていた。
スウェーデンでは夫が妻の合意を得て性交して、もういちど性交したいときには、もういちど尋ねないと強姦罪が成立する。

日本の「アダルトビデオ」で「いやああああー」という日本の女の人の性交時の叫び声が有名になって、成田空港で風に帽子をとばされた日本の若い女びとが「いやああああー!」と叫んだら、そばにいた中国の団体のおっちゃんたちがいっせいに赤面した、という有名な冗談があるが、スウェーデンでは冗談ではなくて、そんな叫び声をあげている女びとと性行為を継続すればまっすぐに刑務所行きである。
実際には合意であったかどうかは関係がない。

Jurian Assange

https://en.wikipedia.org/wiki/Julian_Assange

が「自分はワナにかかったのだ」と考えたのも、それが理由だった。

警察の現場での方針を考えると、レイプキットさえもたない日本の警察が「強姦」を立件するのは、よほどのこと、という表現ではすまないほどの条件の重なりが必要で、また、性犯罪者たちがそれを熟知しているからこそ日本は名だたる性犯罪王国で、英語世界では渡航先として「旅行者が女である場合はたいへん危険な国だ」ということが常識になっているのだと思う。

こーゆー記事を書いてしまうと、また、(そこが日本の人の頭のいいところだが)全然ちがうことにからめて集団で攻撃してくるのが見えているが、ちょっと理由があったので日本語で日本の警察のことを書いてみることにした。

義理叔父は第5回サミットのとき、大学生だか大学院生だかで四谷の迎賓館のすぐそばに住んでいた。(迎賓館は通常「赤坂迎賓館」と書かれるが、実質的には四谷にある)
サミット直前は毎日豪雨だったそうで、その豪雨のなかに、若い、東北からやってきた(ライオットポリスだと思うが)若い警察官たちがじっと濡れそぼって警戒に立っている。
あらゆる裏通りの十メートルおきだかなんだかにひとり、立っていたのだそーです。
初めは黙って通り過ぎていた近所のひとたちが、毎日濡れ鼠になって警戒する警察官たちにやがて「ご苦労様」とねぎらいの言葉をかけて通り過ぎるようになる。
そのうちに、ことわってもことわっても、お茶やコーヒーや弁当までもってひとびとがやってくるようになって「雨に打たれて、ばれなくて助かったが、冷たいと聞いていた東京の人の気持ちの暖かさに触れて涙がとまらなくなって困った」そーでした。

わしは「マッポ」という俗語を義理叔父から教わったが、義理叔父は警察が大嫌いで、マッポの野郎がふざけやがって、というような「いけない日本語」で警官を平然と罵るひとである。

「でも、おっさんも、ほんとうはコーヒーもっていってやったんちゃうの?」と、わしが言うと、「バカ、ウイスキーだよ」と小さい声で言う。
ガメ、ヒトに言うなよ、カッコワルイから。

あるいは「官邸前のデモ」の動画だったと思うが、なんだかえーかげんぽいにーちゃんが警官に顔をくっつけるようにして、「あんただって、フクシマの子供がかわいそうだと思ってるだろ? 人間の気持ちがないのかよ」と怒鳴っている。
歯を食いしばって、いまにも涙があふれそうな顔で警備線を保っている若い警官の顔が映っている。

いまの日本の警察では人間でいようとおもえば良い警官ではいられないが、警官になろうと思う若い衆には、単純で、世故に長けた人間が聞けば噴きだすに違いない正義感に燃えて職業につく人がたくさんいる。
そのひとびとに「警官は警察の一員であるよりも人間であることのほうが大事なのだ」と教えるのが政府の役割であると思う。
日本の人には気の毒だが、日本の警察は世界でも指折りの悪名たかい組織になりはてている。でも、あの歯をくいしばって自分自身のやさしい心、人間らしい気持ちと戦っていた警官の顔を思い出せば希望はここでも若いひとびとのなかに十分な量で存在する。

祈っている。
なにを、と言われても、困るけど。

(註:小学校などの教育機関において、通知表での低評価(5段階評価で言うと2・1など)を表す婉曲表現_wikipediaより)