「死の世界」へのドアを閉ざす
October 29, 2011
1
子供のときは、いろいろなことを考える。
わしは、15歳の頃は、神様というのは数学的な存在だと思っていた。
確率空間を歪ませたり、あるひとつの属性のあるもの、という言い方であまりに判りにくければたとえば素数は分布の仕方が均等ではなくて存在に偏りがあるが、そういう素数なら素数というような特徴をもったものを、恣意的に偏差をもたせて存在させているように見えたからです。
特に「確率空間を歪ませる」というのは、どこの国の、どのような神について書かれた本にも出てくるので、「絶対そうだな」と思っていた。
いまは思っていないか、というとそーでもない。
PCやXBOXやPS3のゲームとか、ギターの練習とか、最近こりまくっているシルクスクリーンプリントを作ることとか、なにしろ遊ぶのにいつも忙しいので、神様のほうはどうでもよくなってうっちゃっているだけです。
でも神様自体をどーでもいいや、と思っているわけではないので、神様、誤解しないでね。
おもいがけず死んで仕舞った場合には、そこのところ、ひとつ、どーぞよろしく
2
災害について、天罰、なんちて人間がむかしは戦いたりしたような頃は、地球の変動期にあたっていることが多かった。
たとえば日本の歴史をぼつぼつと勉強しはじめた頃、誰でもすぐに気がつくことにわしも気がついたのであって、義経が走り込んで、最後には、死ぬまで童貞であった弁慶をおったたせたまま果ててしまったという藤原王国は金だけでなく米も豊富に取れたというが、地図を見ると、すげー北にある「王国」であって、寒さの夏におろおろ歩いていた農業技師宮沢賢治が住んでいたところよりもずっと寒い土地にある。
600年の長きにわたって自分達の主要な食物の品種をだんだん改悪するマヌケな民族はいないから、これはいったいどうなってるんだ、と思って本やウエブをうろうろしてみると、太陽の活動が弱まるにしたがって、戦国期からだんだん日本は寒くなっていって、江戸時代にも、無茶苦茶寒かった。
太陽は日本に所属しているわけではないので、当然、世界中が寒くて、山容がかっこいいので日本にいるときには、わしが大好きな山であった(わしはいまでも浅間山のほうが富士山よか百倍くらいかっこいいと思っておる)浅間山がぶっとんだ天明の頃は、欧州でも滅茶さむだったので、穀物がとれず、パンが暴騰したので頭に来たパリの女達は激高して、男達をしたがえてバスティーユを襲い、終いには鋤やなんかに衛兵どもの生首をさして、ヴェルサイユ宮殿に行進することになります。
太陽の気まぐれで首をちょん切られてしまった衛兵は哀れである。
いま日本やニュージーランドで起きている地震は、どうも太平洋プレートが西北に向かって動いているのではないか、と話によく出てくる。
ひっぱられている側で小さな地震が起きて、押されている側で巨大な地震が起きる。
クライストチャーチは2つの地震の、特に二度目の2月の地震でCBDが壊滅してしまったが、あれは地震としては意外なくらい小さな地震で、それなのに震央が丁度クライストチャーチの真下で浅かったのと、この2度目の地震よりも大きかった初めの地震で大半の建物が大きなダメージを受けていたところに、いわばダメ押しのひと突きだったので、ひとたまりもなく壊れてしまった。
地震のエネルギーとしては、たいへん小さいものです。
地球全体で見れば、一箇月のあいだに何回も起きている程度のものである。
しかし、本来地震がないはずのブリスベンで起きた地震とあわせて考えてみると、わしのような地震のどしろーとにも、プレートが移動することによって側面がひきつれて起きているように見える。
ただし、この「見える」というのは科学の世界では有名な陥穽で、ノーベル平和賞を受けるきっかけになった「不都合な真実」のなかでアル・ゴアが大気中の二酸化炭素の増減を描いたグラフを地球の気温の変化のグラフと重ね合わせて、「ほーらね」をすると、観ているほうは「おおおおー」なんちゃっておるが、そんなもん、なんの気休めにもならない、というか、グラフがぴったり重なることは「ではもしかすると二酸化炭素と地球の気温の上昇に関係があるのではないか」と考えることの出発点にはなっても、傍証になるわけはないのは、高校の科学同好会のガキでも知っている理屈であると思う。
あんなんで満場の人間をうならせようとするなんて、ひどい奴だ。
というわけで、なにしろ地震学者などは予算がもらえない科学の筆頭のひとつなので、いろいろゆって騒ぎたいのはやまやま、実際、日本とかはすごくやばいに違いないと確信してもいるので、もっと言いたいが言えないのです。
でもそれにしても、プレートが西北に動いている、という考えは、たくさんのことを説明しているようには見える。
仮にそうだとすると、普通の感覚をしていれば、あといくつ地震があるところに原発があるか勘定してみたくなるのは理がおもむくところで、浜岡原発とかは、とめるだけでなくて是が非でもたたまないとやっぱしやばいのではなかろーか。
3
「母なる地球」というが、地球は「神のご意志」でも「確率分布の歪み」でも、もっとくだらない偶然でもかまわないが、表面で有機体が形成され、あるいは宇宙のどこかかからふってきて、やがて自律的な系をもち、GADV仮説があっていてもちがくても、生命が生じて、やがて意識をもつに至った生命の体系を育んだがその一方で、あたりまえだが、歴然と宇宙の一部です。
たとえばシドニーからシンガポールに飛ぶと、初めは延々と続く、火星の表面じみた赤い荒れ地の無限におもえる広がりがあり、やがてインドネシアの上空に至ると、水蒸気が液滴化して出来た壮大な積乱雲の列柱が見えてくる。
それは地球というようなやさしげな名前よりも「太陽系第三惑星」という名前のほうがふさわしい光景であって、あらためて地球上に働く力は、大気層オゾン層を超えて、バンアレン帯の向こうの宇宙と直接つながっているのだと実感する。
人間の感覚の勝手で、そう思うだけで、宇宙というのは「夢がある」というような言葉がふさわしい場所ではなくて、人間が地表での生活に用いている語彙を適用すれば、極めて暴力的な、一瞬で生命を奪う破滅の力に満ちた、死の世界である。
強烈な宇宙線に満たされ、太陽の光があたれば焼き尽くされ、光のない部分では何者の生存も許さない低温がある。
地球のイメージというのは、おおはばに端折ってイメージ化すると、要するに外側の宇宙の理屈に直接つながっている惑星体としての地球と、それが位置する巨大な宇宙という死の世界のあいだに、わずかな大気の層があって、それをとりまく薄いバンアレン帯があって、その二重なかぼそい環境のなかで人間はかろうじて生存の空間をみいだしている。
母なる地球、どころか、地球そのものは、宇宙の力に属しているので、ひとふるい、ぶるっと身体を震わすと、人間などはあっというまに絶滅してしまう。
しかも、人類が死滅するには、ハリウッド映画のように劇的な隕石の衝突や、はっはっは、オゾン層がなくなっちったぜ、な、電子レンジ的な死を迎える破滅の必要すらなくて、たとえば地球を覆っている雲の雲量の総和はどの時点をとっても多分一定だが、これが1%増えれば寒冷化が極端にすすんで人間の生存は許されなくなり、1%低下すれば干ばつが続発して住めなくなる。
ほーんのちっと地球の気が変わっただけで、われわれはあえない最後を遂げることになるものだと思われる。
4
「核の力」が直感的にスパイキーでイガイガした観じがするのは、それがバンアレン帯の向こうの「宇宙」に直接つらなる力だからでしょう。
死の世界に属した力を、人間は取り出せるようになってしまった。
取り出せるようにはなったが、(内緒だけど)、消す方法は知らないのです。
うまく弱火にしておくだけでも、ぐじゃぐじゃな巨大システムをつくって、いわば屋上に屋を架した、ごまかしにごまかしを重ねた装置をつくってやっとの制御である。
ツイッタでも書いたが、原子力に自分たちの社会の未来を託そうというひとびとは、たとえば原子力発電の熱効率が、半世紀を経てもなお30%内外をうろうろしていることの意味を、どう思っているのだろう?
なぜ、そうなるか、考えてみたことがないのではないだろうか。
いま「原子力を推進すべきだ」「いや、反対だ」と口角泡をためて述べているひとたちは、当然初歩の量子力学くらいは、遠い学生の頃、勉強しただろうが、数式のなかの、あの人間の直感とは全然相容れない量子のふるまいをどう思って眺めただろう。
わしは人間はまだ、いまくらいの知識レベルでは、人間の直感になじみがある有機体由来のエネルギーにしがみついていたほうが良いと思っています。
核のエネルギーをコントロールできるようになるのは、遙かに先のことで、それは核融合の形をとって具体化されるはずのものだと思う。
いまの原始的というのもおろかしい程度の人間の知識で、うまく飼い慣らされてくれるほど、宇宙の荒々しい死の力は御しやすいものではない。
しかも原子力という「火」が人間にはまだ消せない「火」であって、それどころか、遅延化させる、というのはいわば「弱い火」にすることすら、小手先のくるしまぎれの一連の制御しかできないという事実を、いったん事故が起これば被害を被る社会の構成員ひとりひとりが認識できていない、いわばまだ未開な世界でエネルギーの柱として採用するというのは冒険主義的で、無責任であると思う。
フクシマダイイチの事故以来、「核エネルギーの利用」なる考えが、「利用」どころではなくて、あの原子炉というものが実は、宇宙の、人間の手には到底おえない圧倒的な死の力の地上への入り口であることが、実感されてきた。
バンアレン帯が遮ってきた力を、人間の浅薄で投機的な自己の科学知識への過信が原子炉という形で自分達の生活の場へ導きいれてしまった。
60年代のフランス知識人たちくらいを最後にして核の力が人間の生活に及ぼす影響は検討されなくなっていたが、いまはまた原子力についての議論が活発になったことは、
(そういう言い方がふさわしいかどうかは判らないが)フクシマダイイチが、世界にもたらした良い影響のひとつだと思います。
これから、次の段階でわしらが目指せねばならないことは、世界中でへんてこな徳利から水蒸気をふきあげている「宇宙の死の力へ通じている穴」をふさいでいくことだと思っています。
(画像は上高地だずら。なつかすい。T国ホテルのテラスの階段に腰掛けて、暗くなるまで天使の絵を描いたのを思い出します)
わたしゃ十六香港娘
October 26, 2011
日本で初めてフィールズ賞をもらった小平邦彦がグランドキャニオンに行ったときのことを書いている。朝永振一郎と湯川秀樹と、3人でクルマに乗ってでかけた。
小平邦彦の運転するクルマで展望台に着くと湯川秀樹博士が「小平くん、きみ、ちょっと見てこいよ」という。朝永博士も同調して「そうだよ、きみ、見に行ってきたまえ。ぼくらはここにいるから」とゆった。
別に、ふたりのノーベル賞学者のどちらも、以前にグランドキャニオンに来たことがある、というわけではありません。
小平先生は偉い先生ふたりが言うことなので、ひとりでクルマを出て、駐車場を歩いて横切ると、目の前に、雄大というのも愚かしい文字通り「息ができなくなる」ような巨大な渓谷がひろがっていた。
「それは私の人生観を根底から変えてしまうような景色だった」と小平先生は書いてます。
小平邦彦は、急いでクルマに戻ると湯川朝永両博士に「すごい景観ですよ。聞きしにまさるものです」と告げる。
「それは実によかった。」と湯川博士が言います。
「では、帰ろう。小平君、また運転を頼むよ」と朝永振一郎。
「うん。帰ろう」と湯川博士もいう。
えっ、ごらんにならないんですか?
めんどーくさいんだよ。
小平先生は、偉い学者ともなると、普通の人間とは違うものだなあとおもった、と自分もとんでもない大学者なのに、このひとらしく簡単に述べている。
森繁久弥という最近になって死んだ俳優の作品のなかでは、わしは「社長シリーズ」がいちばん好きです。
日本にいるとき「ツタヤ」で借りて病みつきになった。
ここに出てくるひとびとは徹底的にテキトーで、見方によっては虚無的なくらい「本質」に興味をもっていない。
世の中の真実なんて、どーでもいいのさ。一円でも多く給料ください、という態度です。
今日が楽しければ、それが全部だし、という享楽に終始しています。
ゴマをすり、上司の歓心を買うために「女の世話」をすることもためらわず、半分裸になって、「あら、えっさっさー!」と踊り狂う。
あるいは、植木等の「無責任男」シリーズでは、主人公の素性怪しいサラリーマンは、「歩く」ということすら出来ません。
歩くかわりに、踊っている。
空に向かって哄笑し、「今度、大金はいることになってるからさ、こないだの借金返すのもうちょっと待ってね」という。
相手の肩をばんばんと叩いて、「そのうちなんとかなるだろおー」と叫んでます。
大庭亀夫みたいなひとである。
日本人が「マジメ」を売り物にするようになったのは、いつ頃からのことだろう。
まるで現代日本人に何事かを告げたかったのでもあるように、奇跡のように、発見された江戸時代の経理サラリーマンの日記に出てくる江戸時代の勤め人生活は、朝、呑みすぎた酒を上司に悟られないために下を向いて仕事をしている「ふり」をし、まわりのテキトーに調子をあわせて、自分のやりたい生活をやってくらせればいいや、という態度であったことを伝えている。
軍人ですら、自分達の数倍のロシア軍の猛攻を受けながら国を救った将軍は、酒でも飲まんとこんな戦闘やっとれるかと従卒に申し渡して、泥酔に近い状態で指揮をとった。
あとでは原宿で神様になった東郷平八郎という人は、博奕とさぼりの名人で有名なひとでした。
士官学校の席次も悪く、第一、当時舞鶴鎮守府に左遷されていたこの提督が日本の「興廃を賭けた」海戦の指揮をまかされたのは「抜群に運が強かったから」だった。
勤務成績や明晰さとは異なる理由を聞いて明治天皇もやや安堵したという。
そうやって、歴史を指でたどりながら、眺めて行くと初めに「マジメが絶対」になるのは、超マジメハゲの東条英機が大好きであった昭和天皇のあたりからなよーだ。
多分、当時、腐敗乱脈を極めていた陸軍高級将校への日頃の反発からだろうが、昭和天皇は戦争が進んでゆくにつれて絶対の「マジメ」を希求するようになっていきます。
本田宗一郎はホンダ英国工場で、自分達だけの豪華なメニューで、しかもわざわざ一段高くしつらえたステージのような場所で、貧しい食べ物で空腹をみたすだけの食事をとる工員たちに見せつけるように昼食を摂る習慣だった連合王国人の役員たちの姿を見て情けなさのあまり泣いて怒ったというが、昭和天皇が後ろから殴りかかるようにして戦争を挑んだ国の首相だったウインストン・チャーチルは、マジメニンゲンの昭和天皇とは対照的にUボートによる食料供給遮断から飢餓におちいりかける国民を尻目に、シャンパンと葉巻と美食のなかから、言葉によってヒットラーとルフトバッフェに強烈な打撃を与え続ける。
人種差別主義者らしい気楽な信念から、結局のところ自分達の友人であると思い込んでいたチャーチルから、ラジオを通して
「We shall go on to the end, we shall fight in France, we shall fight on the seas and oceans, we shall fight with growing confidence and growing strength in the air, we shall defend our Island, whatever the cost may be, we shall fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds, we shall fight in the fields and in the streets, we shall fight in the hills; we shall never surrender,」
という言葉を伝えられたヒトラーは、そのとき初めて英国人たちの「聴き取りにくい声」を聞き取って、理解して、ひどく狼狽するが、それも潔癖な性格で、誰にも親切な菜食主義者であったヒトラーの「マジメさ」が彼を盲目にしていたのではないだろーか、とわしは皮肉な気持ちで考えることがある。
冗談として、聞いてもらうのがいちばんよいが、日独伊三国同盟というのは「マジメ人間同盟」と言い換えていいような体のもので、社会正義を思い詰める小学校教師として人生のスタートを切ったムッソリーニも含めて、偏執的なマジメさにこだわった3人の国家指導者によって、あの悪魔的な同盟は出来上がった。
日本では、そのマジメさは、特に1944年と1945年において大量に自国の国民を殺すことになるが、ふつーの反応、というべきか、戦争に負けたあとでは、戦争中のマジメ運動への反動で、アプレゲール、という流行語がある、光クラブ事件、逮捕されたときに「オー・ミステーク」と叫んだ、とかっちゅう日大ギャング事件、法廷で「ただナット・ギルティを主張するだけです」とノではなくてナであるところが、かっこよさの鍵であると信ぜられていたのだと思われる陳述をした、一連の「アプレゲール事件」の掉尾を飾る「バー・メッカ殺人事件」と続く、ケーハクの氷をスケートで滑るよーな、おもろい世の中になってゆく。
日本という国ではニューヨーク・ヤンキースでさえ「ヤ軍」なんちて軍隊にされてしまう。
超弩級、すなわち超ドレッドノート巡洋艦級の「パソコン」があったりする興味深い国です。
植木等演じるスチャラカ社員や「わたしゃ十六香港娘」と踊りまくる三木のり平が消えて、「われわれわああー、だんこおー、権力を勝ち取るぞおおおー」の全共闘のマジメな勇ましさがそれにとって代わるのに時間はかからなかった。世代的には、この最後の「われわれわあ」のひとたちが、いま権力の中枢にいるひとたちである。
いや、人間、マジメなほーがいいんだすけどね。
別に特別にいいたてるほどの文章の目的もない。
無責任な客席に腰掛ける外国人としては、セクハラでパワハラでチャンスさえあれば何のハラでもやっちゃるぞで、すさまじい内容だけれども、
ほお紅をつけて、シナをつくって踊り狂う三木のり平を観ていると、こーゆー日本は、いまどこにいったのかなあー、それとも、もうほんとうに棺のなかにはいってしまったのかしら。
日本はマジメがすべてさ、文書様式の美をなんとこころえる、の、マジメ万歳国家になりはててしまったのか、誰か教えてくれんかな、というただそれだけのことなんです。
ガメ・オベールからの手紙_2
October 24, 2011
わしは金持ちの家に生まれて、何不自由なく育った。
徹底的に甘やかされていたうえに、長じては起きては遊ぶ毎日で、今夜もはめはめな、とんでもない下品な週末を含めて、ろくでもない高校生活を送りながら、しかしスカでない大学に行って、なあーんとなくむかしからオベンキョーのひとだったような顔をして、知性が人間の肉体を借りて歩いているようなカシコイ友人もたくさんできた。
わしのブログがだいたいにおいて面白くないのは、そーゆー実生活のせいであると思われる。
なにもかもうまくいってるやつのブログなんて、読むやついねーよ。
ほんまをいうと、両親の家を例にとれば、家というよりは会社みたいなものであって、家を宰領するおじちゃんがいて、家の面倒をみるために働いているひとびとがいて、「家」とゆってもなんだか人間がいっぱいいるのです。
かーちゃんがイングランドのクソ冬には、ニュージーランドにいるのがよい、と思いついたのは、溺愛する長男(わしのことね)が、可愛かったからだと思われる。
わしと同じ環境のバカ息子によくいるモンスターになると、かわいくなくなって困る、と思ったのかもしれません(^^)
夏でも、まだ太陽さんが大空で楽しげにルンルンしている、8時には絶対にベッドにはいってなくてはならず、どうかすると6時にベッドに行けといわれる。
ちゃんとお行儀良く座りなさい。
あなたは、挨拶の仕方がなってないではありませんか。
そんな物腰では大叔母さんが悲しみますよ。
わしの社会特有の躾は、厳しいのを通り越して、かーちゃんととーちゃんはサディストカップルかしら、児童福祉所に手紙を書いていーつけてやる、と考えたが、
しかし、両親がわしを溺愛しているのはよく知っていた。
おとなしい、もの静かな子だったからだと思います。
(笑うな、ばかもの)
こんなことで、いーわけがない、と思い立ったのは、いまを去ること9年前、19歳の夏の日であった。
前の日の晩の夢で、乱れた不純異性交遊(なんという美しい日本語だろう)のあまりちんちんが腐って、壊疽っぽく黒くなって、ぼとっと取れて落ちてしまう、えそっぷ物語(註1)な光景を視たからではありません。
こんな切実味に根本から欠けたぱちもんのハーレクイン小説みたいな生活を送っていると、将来の就職先がブティックのマネキン人形しかなくなってしまう、と思ったからでもない。
「なんだか、これじゃ、ダメだな」と思ったからです。
どーも、ダメだ。
なにが?
それがわからないから、ダメなのよ。
いったい、おれは何を考えてるんだ。
そーゆーわけで、わしはミニホーローをしようと思いついたようだ。
放浪という言葉が嫌いだし、チョイワルおやじ、という、吐き気がしそうな、惨めったらしい、というか、そんな卑怯な姿勢で人生をわたっていいとおもっとるのか小心ハゲ、というか、だいたいてめーはこそこそ大学卒業したりしておいて、生活が安定しちゃったわ、とかいう薄汚い満足が浮かんだ顔をさらしているだけでもくだらないのに不良のふりだけするなんて、ぶち殺したろーか、このクソデブ、というか、
そーゆー感じのする言葉も日本語には存在するよーだが、
それとあまり変わりませんね。
恥ずかしいことだ。
でも、自覚はあったのよ。
ビンボななりをして、「家畜クラス」と異名をとるエコノミ席にのって旅行をする。
だから、なんだよ。
尾羽打ち枯らしても、家までたどりつけばカネモチの暮らしやん。
インチキでしょう。
そんなプラスティキィな発想で、いったい何が学べるというのだろう。
しかし、わしは、やってみたかった。
なんで、という理由はありません。
別に「違う自分」なんか探していたわけでもない。
ただ、なんでもかんでも完備されているクソ生活に飽きただけです。
子供の時からニュージーランドにいるあいだは、お手伝いのひとはひとりいるだけだったので、皿洗いや芝刈りはわしの仕事だった。
馬の世話やでかいものはヘリコプターの羽根をぶんぶんまわして一挙に蔓を破壊する「雑草とり」のおっちゃんに頼むが、細々した雑草とりもわしの仕事なら、いま思い出しても、かーちゃんが先生になって、妹と3人で並んでする壁のペンキ塗りも大好きな「仕事」のひとつだった。
料理はもともと好きだったので、だいたい家事は自分でやれた。
人間にもっとも必要な能力は、男にとっても女にとっても、要するに「家事」という言葉でくくられる能力で、それさえあれば世の中を渡っているのに苦労はないと思われる。
そーゆーわけで、わしは、19歳の夏、前年に5枚10ドルで買った「I♥NY」のニコちゃんTシャツの胸をおもいきり反らしかえって飛行機の後方のどんづまりからにこにこしくるいながらパスポートコントロールを抜けて、自信と希望に満ちてJFKに降りたったのだった。
それからどうなったかを書いてないところが、このブログですのい。
いちばんオモシロそうなところの前で終わっていて、60年代のアメリカのテレビドラマみたい。
たいていおとーさんだけが黒い色の髪をした、パツキンの家族が、青い眼を見開いて、「まあー、素敵だわ」をする缶スープのコマーシャルが出てきそうです。
Oooooh ! That’s my girl!
のやつね。
よく見ると、家族が全員、おとーさんにライフルで惨殺されて、墓のなかで幸福な夢を視てるんちゃうか、と思うに至る、あれみたい。
わしがマンハッタンで行った十全外人第一の事業たる冒険や、アフリカンアメリカンたちとの友情や、マンハッタンで再会したモニとの恋物語は、わしの大事な宝ものなので、ここではきみたちにはおせーてあげません。
この先もおしえてあげないかもしれない。
ケチなんだよ、わし。
それに、こーゆーことは、他人に話すと自分の魂が少しづつ減ってゆくよーな気がする。
ミニホーローを繰り返した結果、わしはホーロー鍋になった。
誰も、生まれてから大半の「こーゆーもんだすねん」だった素わしを知らない毎日のなかで、わしは(あたりまえだが)学校でよりも遙かに遙かに多くのことを学習した。
どんな人間を信じるべきか。どんな人間を信用してはいけないか。
信用できない人間でも信用しなければいけないのはどんなときか。
信用できる人間でも信用してはいけないのはどんな場合か。
人間が本来できるはずのない意思疎通を思わずしてしまう奇跡のような瞬間や、
受け入れてやりたいものを、どうしても受け入れてやることが出来ない悲しい瞬間を学習した。
教室では、わしはわれわれの無知を学んだが、通りでは、人間が神にすぐれた価値を学んだ。
人間の神に勝れた価値?
そんなもん、あるわけねーじゃん、ときみは言うかもしれん。
でも、あるのよ。
人間の愚かさ、人間が一刻一刻に全霊をそれに投企する、
人間の愚かしさのことをわしはゆっているのです。
愚かであることは神を驚かす。
今度は、それを話しにもどってくると思う。
(つづく)
註1:「壊疽(えそ)っぷ」「イソップ」のだじゃれでごんす
英国岬から帰ってきた
October 18, 2011
1
空からふってくるはずだった恐怖の大魔王も革命もやってこなかったので、きみは今日も横須賀線に乗って東京駅で降りる。
地獄の底のように地下の奥深くにあるプラットホームからエスカレータに乗って丸の内口に出るだろう。
きみの肩にはホームローンやカーローンや教育ローンが、ろーんろーんと囁きながら乗っていて、びっくりするほど安い所得税とびっくりするほど高い年金と保険料をひかれると20万円しかない、きみの長い労働時間から考えれば冗談じみた金額の給料のことを考えてためいきをつく。
駅のトイレに駆け込んで、ちょっと嘔いた。
昨日、新橋で飲み過ぎたからじゃない。
なんだか、この頃、ときどき嘔いてしまうのだ。
つわりじゃないんだぜ、ときみは鏡を見つめながらつぶやいてみる。
なんてくだらない冗談だろう。
ぼくは、昔から冗談が下手なんだよ。
可笑しいかどうか考えているうちに、みんなの話題が変わってチャンスを逃してしまう。
ぼくの人生の他のいろいろなことに似ている。
せめて、ダイレンアイ、なんてあればなあー。
でも、このデコじゃ。
ああ、この耳たぼでは、
小恋愛もできやしない。
また、にやにや笑いを浮かべながら見合いの席にでも座るか。
税金に年金に料金に積立金で、ピンをはねられ、さやをとられ、
はてしなく働いて、日野暮らしの頃、いつか予算編成の頃に二日間の徹夜のあとにタクシーに乗ったら、
日野までですか?
そりゃあ、ありがたい。
あんた達役人は、若いのにいいご身分でうらやましい、と言いやがった。
つかれはてて、おんぼろの、風で道路を横切る布きれみたいにぼろぼろになって、
3月の町を歩き回った。
急に泣きたくなって、寒い部屋に帰ってテレビをつけたら、
ちょうど原発事故のニュースをやっていた。
それから、あのヘンなニュージーランド人から一週間毎日メールが来た。
いろいろな大使館の非常時用のいっせいメール。
隠すように東電が発表したデータのPDF。
返事をださないでいたら、そのうちに何も言ってこなくなった。
ちゃんと税金払ってるのに、電気代だって払ってるのに、今度は放射能なのか、
なんだって、この国の政府は、ぼくの足をひっぱることしかしないのだろう。
役人たちは、いったい何を考えているんだ。
…あ、役人て、ぼくのことか。
ぼくは、何も考えてやしないのさ。
もう、考えられなくなったんだ。
ただ、ときどき吐き気がするだけなんだよ。
そうして、夜、寝床にはいるときには、とてもとても泣きたくなる。
2
医科研前の銀杏並木を、きみはぶらぶらと歩いてのぼってゆく。
歴史の本には、みな違う話が載っているが、地元のばーちゃんたちは、この通りは爆撃で出来たと言い張るのだ。
木の枝という枝には、人間の手や、足がひっかかっていて、焼け焦げた死体が転がる三光町の坂をのぼっていったら、向こうに海が見えた、という。
伝研と言った、ロックフェラーが寄贈した建物だけは綺麗に残って無傷だった。
焼け野原になった白金のがれきを片付けながら、みながその堂々たる石造りの建物を見上げた。
なんで、こんな戦争を始めたのだろう。
いったい息子はいつ帰ってくるのだろう。
戦争のことばかり考えるのは、フクシマダイイチのあとの日本が、段々、戦争の頃の日本に似てきたからだ。
サイパンが陥落したあと、日本は「負けない国」になった。
空中から現れた架空な帝国の陸軍と海軍は、架空な上陸軍や架空な敵機動艦隊と、架空な決戦をして、どんな場合でも「赫赫たる戦果」を挙げることになった。
日本はどんどん現実を失っていって、感情だけが残っていった。
「戦地の兵隊さんの気持ちを考えなさい」
「死んだ英霊に対して恥じよ」
「いったい、どうしたら、負けるなどと非国民じみたことがいえるのか」
だから8月15日が感情までもっていってしまったあとでは、日本人には何もなくなってしまったのさ。
昨日まで神国だった日本はただの瓦礫がはてしなく続く貧しい国にもどってしまい、
天皇ですら神様を廃業して人間にもどってしまった。
まるで芝居がはねてドーランを落とした田舎芝居の俳優たちのように、観念がはがれてしまえば、疲れ果てた、しなびた顔がそこここに並んでいるだけだった。
ガメ、聞いてくれ。
福島を救えるわけは、ないんだ。
きみは、むかし、青山の裏通りの広い階段の上にあるバーで、福島の美しい水田と、
空と足下の水田とを流れる、「二枚の空に流れてゆく積雲の軍勢」の話をしていたが、
あの美しい福島の自然を思い出せば、「除染」なんて、ただの言葉遊びにしかすぎないのがきみにも判るはずです。
一度でも福島の山野を歩いたことがある人には、殆ど自明だと思う。
福島は、福島に住む、福島を愛するひとびとが、どんなに希っても、もう死んでしまった。おれたち福島の人間は、ただ「自分達の土地」が死んでしまった、
決して起きてはいけないことが起きてしまったという事実を受け入れられないでいるだけです。
ちょうど、子供が母親の亡骸にすがって、泣きわめくように、おれたちは福島にとりすがって、生き返ってくれ、またおれたちを膝の上で遊ばせてくれと地面を叩いて願うが、死んだものは生き返りはしない。
わかっているんだ。
でも、このおれたちの悔しさだけは、誰にも理解しているとは言わせない。
おれは、「福島は、もうダメだ」という人間も絶対に許さない。
理屈なんて知らない。
絶対に許さない。
このあいだは、会津の人間たちがやってきて、ごく遠回しに「同じ県だというだけで会津も浜通りも同じなようなことを言われて困っている」というようなことを言っていった。
人間の冷淡さには底がない。
人間には、ほんとうには「恥」なんて気持ちはないに違いない。
3
昨日は「村上さん」というひとがツイッタのなかで話しかけてきて、面白かったので、ワインを開けてコンピュータで遊んでいたら、飲み過ぎてしまった。
起き上がったら宿酔いで、世界が傾いているので、海岸を走ってきた。
今日の朝、9時頃、セントヘリオスからパーネルにかけて、顔を真っ赤にして、全速力で走っていたばかでかいヒゲ男を見て呆れたきみ、あれは、わしである。
いつもはジョギングだが、今日は飲み過ぎたので懲罰のために、全力疾走にしたのね。
だ、だめだ、くるしい、心臓が止まる、明日はプレースメーカーに替えの心臓を買いにいかなくては、と考えながらクルマに乗り込んで、私書箱に手紙の束を取りに行ったら、
日本の友達から、手紙が来ていた。
便せんを展げてみて、なぜ友達たちがeメールでなくて紙の手紙を選んだかわかるような気がしました。
読んで、おまえには感想はないのかって?
ねっす。
解答はある。
解答は、わしはやはり諦めないで日本の事をもっと知ろうと思っています。
そうして、まだしつこく日本語を書くだろう。
いくら「下手だ」とゆわれても、もうどうでもいい気がする。
ニセガイジンでも70歳おやじでもウソツキでもおちこぼれでも、なんだっていいよ、もう。
勝手に悪口をあちこちで、ぶちまいてくれればよい。
好きにしてくれ。
誰も日本のことを書かなくなってしまうのは、わしにとっては自明のことだから、わしがこのサーバの隅っこのところに、書き残しておこう、というだけのことです。
かつては垂直に屹立する書き方で書かれていた、きみの言葉で。
ニッポンカケタカ
October 14, 2011
人間がとってもケーハクなので、わしはとっくのむかしにガイガーカウンタを買ってもっておる。RD1706っちゅう奴です。
そ、ガイガーミューラ計数管が2本あるやつね。
買うときに日本の「放射能サイト」を眺めていたら、「あんな安物で測っても仕方がない」という憎まれ口を利いているひとびとがいたが、その「ダメ」というひとびとの言葉が薄汚くて唇の形の下品さまで思い浮かぶようなクソ日本語だったので、かえって製品が良く見えて、これでいーや、ということになった。
シンチレータも買っちゃったもんね。
こっちは日本製です。
ところが、このブログを読んでくれていたり、不明な理由で年中発言が消されているツイッタ(とゆっても犯人だけははっきりしていてスラッシュやスペクターの工作員などではなくてわしだが)を読んで、「あ、あのバカ、また消しよった」とぶつぶつゆっているひとびとは良く知っているハナマルな理由で、今年及び来年はニュージーランドから出ないことになったので、測るものが何もない。
もう行けないと決まったのに置いておくともったいないというケチぶりを発揮して日本から送ってもらったクルマは、着いた途端に、呆れかえっている検査おじさんたちを尻目に、ワイパーの根元やドアの角、窓のゴム部分、と欣喜雀躍、あっ、いや厳粛に測りまくったが、全然ダメどした。
多分、ずっと車庫にいれっぱなしだったせいで2台とも健全だった。
シンチレータも、海苔やなんかを使う食べ物のテイクアウェイを買ったときに使おうと思うが、ここのところアジア系の食べ物はカレーとタンドリ料理くらいしか食べてないので、まだ使い途がない。
前にオーストラリア人友達が香港製「出前一丁」を箱で買ったら、スープの袋に日本語が書いてあって、いきなりひと箱ぶち捨ててしまったことがあったが、あのときシンチレータがあれば、うまくすればラーメンが1箱ただだったのに、と思います。
それとも、豪州ラーメン男の過剰な恐怖心が過剰ではなくて、真実であったりすることがあるだろうか。
日本語サイトを見ていたら世田谷で高放射線騒ぎがあったというが、記事を読んだだけで、「こりゃフクシマとカンケーがねーな」と直ぐ判る手のもので、実際、日本の放射性物質について警告を出し続けているひとびとも「これはフクシマと関係なさそうだ」と述べていたが、随分、奇妙な報道で、ゲンパツ反対のひとのなかには、「仕組まれた報道ではないか」と疑ったひとまでいたよーです。
「仕組まれた報道だ」とは思わないが、日本の「一般紙」新聞の超人的ケーハクさには、感銘をうけてしまった。
フクシマのせいでないと判り切っている「路地で発見された高放射能」を仰々しく報道することに、どんな意味があるのだろう?
東京にいる頃にも自分に興味がある事件や当事者の「プレスランチ」には、(あのクラブは食べ物がおいしいせいもあって)ときどき出かけたので、日本の新聞記者たちの不勉強と厚顔をつくしたバカっぷりは熟知しているつもりだったが、日本のNHKや読売というような新聞に較べればテレグラフ紙など初めから「真実を報道しない」という報道姿勢を明瞭にしているだけ知的である。
人間の生活の場では「賢げにふるまいたがるバカ」というのは、それよりももっと頭の悪い賢げな口ぶりをまねる能力すらないバカが崇拝してぞろぞろついて歩くだけで、普通の人間にとっては最も軽蔑されるべき対象だが、日本の新聞やテレビ報道は、口調だけがまともで中身は「いかれている」としかいいようのないそれら「張り子賢者」にとても似ている。
日本にいるとき、「どーして、あんなヘンな報道するんすか?」と訊くと、
「だって観ている人達は質が悪くて、程度をちょっとでもあげると、うけないんだよ」と答えるマスメディア人がいたが、相手の程度にあわせてバカ番組をつくっているうちに、自分がバカたれになってしまったのではなかろーか。
計測してみた砂場の砂がなんとかシーベルトであって、それが危ないとか危なくない、とか甚だしきに至っては、危ないというのは風評を広める準犯罪行為だとか、額に汗して農作業をしたことがない人間が、自分でやっていることの意味が判らない程度にものを考えることになれていないだけで純粋無垢で天使みたいなお百姓さんたちの、綺麗な心を踏みにじるのか、とか喧喧諤諤学研で福武書店な論議が繰り広げられているが、落ち着いて考えてみれば、これだけ拡散して放射性物質が環境化してしまった社会で、柏の砂場や三郷の校庭で「高い放射線」が検出された話をすることにどのくらいの意味があるだろう。
リチャード・ファインマンを殺したのではないかと疑われているデーモン・コアのようなものが対象で、実験室や教室の閉ざされた空間で放射線の高い低いを述べるのにシーベルトやグレイ、という単位は有効だが、見渡す限り放射性物質がうっすらと積もっている東京のような場所でシーベルトのような単位をもちだして、それが「基準以下」か「基準以上」かというようなクソ議論に誘導するのは、それ自体一種の詐術である。
放射能が「論理的な帰結としての予想」としてそれほど危険でない、と述べている物理学者たちは、それ以前で、その空想的なほどの軽薄さを、ただ「学者」だからという理由で野放しにしている日本という社会の正気が疑われるほどのことだが、それよりは程度がマシだとしても、やはり、間違っているものは間違っている。
つい、コーフンしてほんとうのことをゆってしまった。
最近の日本の様子を遠くから眺めていると、怒り、というような感情は起きなくて、失望というか失笑というか、日本のひとにはとても見せたり述べたりできない感情が起きてきてしまう。
一瞬だけだけど、ね。
東電幹部が福島県に「お詫び行脚」に現れて、そのクソ会社のクソ幹部に対して、
福島県のひとびとが「土下座しろ」とゆって土下座させている。
日本のひとびとが大好きな「美人すぎる」20代の東電社長だったら、会場の男たちみんなで「おわびにイッパツやらせろ」と迫るのではなかろーか。
原子力発電のようなイモ技術を見込みがなくなったあとでも、続けようとすることは社会の「卑しさ」だが、このゲンパツに反対のひとびとは、自分達がゲンパツを推進しているひとびととまったく質的に同じ卑しさを共有していることを全身で表現している。
やりきれない、という言葉以外に、こういう事象を表現できる日本語があるのだろうか。
自分がいかに日本文明というものに過大な期待をもっていたかを、これでもかこれでもかと毎日思い知らされて、げんなりしてしまいます。
日本て、ほんとうに、こんな国だったのだろうか、と日本語サイトを見る度に思う。
わしの友達のすべりひゆの訳では、
Non m’importa più. だが、
英語では、 No longer I care という。
日本語の訳は、きっと、
もう、どうだっていいのさ、
という訳がいちばんあっていると思います。
岡田隆彦は奥さんにふられて離婚したとき、勤め先の学校も休んで、
ニューオータニの部屋にサントリーの「角瓶」の木箱と一緒にこもって、ひたすらのんだくれて何日も精神の闇を墜落していたそーだが、
日本のことを考えると、その安ウイスキーの饐えたにおいがしてきそうな闇に触れてしまったような気になります。
たまらん。
太陽を待つ
October 13, 2011
嵐が来そうなので、わしは船をみな艇庫にいれるように言いにいった。
案外、明日も低い空が垂れ込めるだけで嵐は来ないかもしれないが、文句をいう奴はいません。
素人バンドのようにして始めたのに、いつのまにか、お互いに言葉が通じるようになってしまった。
いまでは、あんまり説明しなくても、考えていることを共有できるようになった。
世界中の経済が破綻の危機に瀕しているのは誰の目にももう明らかになった。
余剰の金を持つひとびとから欲望を募集して、それを「運営」して幾許かの利益を常に出し続けなければならないファンドマネージャーたちや金融家たちは別だが、わしのような零細な投資家は、(自前なので)手綱をひいて、郎党どもと家に帰るだけである。
モニさんは、まるで神が宿ったような集中力で、自分の身体のなかで育ってゆく未来を見つめている。
風が冷たいからやめておく、といって暖かい家のなかにいます。
ばかたれなわしは、相変わらずTシャツ一枚で、うろうろしているが、ゆるやかな芝生の傾斜を降りて、ガゼボのテーブルに紅茶をおいて、午後の雲のむこうの小さな太陽を眺めている。
自分は、ほんとうに、あの日本という国に行ったことがあるのかしら、と考える。
前にブログに書いた頃、あのときには場所の名前を書かなかったが、ニューオータニ・ホテルのてっぺんのバーでモニとふたりで、頬杖をつきながら、東京の夜景を観ていた。
「ガメが、この国を好きなのはなぜだろう?」
とモニが言う。
モニの目の前には、鮮やかな緑色のグラスホッパー。
「別に、好きじゃないよ」というと、
モニが、あの5歳児みたいな、無垢のなかできらきらと輝いているような笑顔を浮かべて、おもしろそうに笑っている。
前に「純粋」ということについて書いたことがあった
http://gamayauber1001.wordpress.com/2009/10/01/%E3%80%8C%E7%B4%94%E7%B2%8B%E3%81%95%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/
が、モニのようなひとの純粋さは、そういうものとは、また違うもののよーである。
いや、やっぱりおんなじものかしら、と思っていると、
モニの国の言葉から英語に切り替わって、「頑固だな」という。
You’re so stubborn.
そーですか。
自分では、そう思ったことはないけどね。
チビガキのときから、そーゆわれる。
一度、心を閉ざしてしまうと、ガチガチに頑固で、中央銀行の地下の金庫の扉のよーだ。
神様の言う事だって聞きやしない。
もちろん、そーです。
この世のなかで、わしに声が聞こえているのは、モニだけである。
そのモニにまで、頑固、とゆわれる。
そーゆえば、東京のどこかで頑固寿司、っちゅう看板を見たことがあったな。
2
中国のひとには、自分達を遠くから見つめる能力がある。
「中国人は」とゆって、一般化する能力ももっている。
日本のひとが、「日本人」と言って批判されると、「わたしは日本人だが、わたしは違う。同じ日本人だからと言って、『日本人』と言って一緒くたにされるのは不愉快だ」と必ずいうのと、好対照をなしている。
前に住んでいたパーネルの近所に、一日中、電動鋸で自分の家の庭の木を切り倒している中国人の夫婦がいた。
この夫婦は、パジャマで、ドライブウエイを歩いておりてきて新聞をとってゆくのでも近所中で有名だった。
わしらは、というのは近所のひとびとは、バーベキューをしながら、この夫婦の話をすることがときどきあったが、この夫婦から、少し離れたところに住んでいる別の中国人夫婦が、「中国人には、どうしても、アジア的な、公共心の欠如というものがあるよーだ」などと言っていた。
こっちの夫婦は、「公共心の欠如」からほど遠いひとたちで、ある家の壁に落書きされたときにも、近所のひとびとをまとめてネイバーフッドウォッチを作って、バカガキの集団に対抗したりした。
わしは、そのとき海外にいて居合わせなかったが、もっとも緊迫したときには、銃をかまえて、遠くからやってきて近所の不良息子につけいっていたガキどもを追っ払ったりしていたそーです。
首相の家もある、あの辺りの住宅では異常なことだったので、みなが事件をおぼえていて、この夫婦に尊敬心をもっている。
中国のひと同士のあいだでは、長く国外に住んでいる中国人に対して、ほんの少し妙なアクセントで中国語を話すだけで激しい侮蔑を示したり、外国人と結婚した中国人を売春婦のように軽蔑したりするひとがいまでも多い、というようなことは、このひとたちから初めて聞いたのだった。
だから、わたしは、香港に戻ると、街では中国語で話さないことがあるの、という。
英語なら、いいんですか?
そういうと、可笑しそうに笑って、そう、英語で話した方が、ずっと待遇が良い。
中国人には、そういうところがあるんです。
日本人にはすぐれた点が多いと中国人は皆しっている、ということや、しかし、それを日本人たちには言いたくない、という事情や、さまざまな「中国人の気持ち」について話をしていて飽きる、ということがないのは、
少し遠くから自分達を眺める、という能力に恵まれているからのようでした。
気を付けていると、この夫婦だけではなくて、中国の人たちというのは、殆どの人が
「自分達を可笑しがる」能力に恵まれている。
それは当然、自分達について深刻な反省をもつ能力でもあって、中国のひとと日本のひとには似ているところがいっぱいある、とゆっても、そこは相容れなくて、中国のひとが
日本のひとにしつこくしつこく南京虐殺などをもちだして迫るのは、政治的な駆け引き、という面とは別に、全然、自分達を一般化した形で見つめ直すということをしてくれない隣人に苛立っている、という面もあるのかもしれません。
日本人の最もダメなところは現実を直視できないことです、と言い切る中国人はよくいる。
あのひとたちは、歴史を通じて、それで失敗してきた。
それから、可笑しそうな顔をして、だけどね、われわれ中国人の悪いところは、現実を直視しすぎることだね、という。
どうも、頭のなかが現実だけで、他にはなんにもありゃしない。
街や店で、わしは中国人たちの不作法に頭にくることがおおいが、しかし、それでもなお、東アジアを統率してゆくのは中国だろう、と考えるのは、中国人が自分達を一般化して思考の対象とする能力に恵まれているからです。
もうひとつは、たとえば日本が戦争にボロ負けに負けたとき、日本人が置き去りにしていった子供達を「狩り」にくる中国人たちの一団があちこちに現れた。
あるいは、おとなと一緒だと殺されるに決まっている、と考えて、万が一つの確率に賭けて、わざと子供を置き去りにした親も多かっただろう、と思います。
そういう子供が相手でもしかし、復讐の念に燃える中国人たちは容赦しなかった。
そういうときに、自分達の子供だけでも育てるのが精一杯であるのに、誰もが日本人の子であることを知っている子供を覆うように抱きかかえて、「これは自分の子供だ」といいぬいて文字通り身体をはって守り抜いた中国人たちがたくさんいた。
中国人は、あの有名な利己主義の底に、ゆるぐことのない、暖かい、人間性というものへの絶対の信頼をもっている。
中国のひとの魂は、「自分」というものを自分達が信じる普遍的な価値や文明というものに向かいあえばゼロに近いものだ、と感じることになれていて、あっというまに、びっくりするような無造作さで、自分を捨ててしまうことがある。
天安門の戦車の前に、なんだか、うんざりしたような様子で、素手で立ちふさがった中国人がいたが、ああいうことは、どうも、中国人にしかマネができないのではないかしら、と思う事があります。
3
嵐になるはずだったのに、意外と静かな外の暗闇を眺めながら、冷蔵庫を開けて、マスタードときゅうりとシャンピニオンハムとスプレッドで、サンドイッチをつくって食べる。
わしが偏愛する小さなプライパンで目玉焼きもつくります。
ふたつ卵をいれて、ふたをして、白身がしろくなったところで電気ストーブ(コンロ?}のスイッチを止めると、ちょうど半熟の、形がまんまるでハンサムな目玉焼きが焼ける。
なんだかヘンな組み合わせだが、トレイに載せて、テーブルに運んで、科学雑誌を読みながら食べていると、しみじみと幸せになります。
ときどきホールをひたひたと歩いていって、モニがすやすやと眠っている寝顔を見に行く。
テレビのあるラウンジへでかけて、ごろんちょと横になって、このあいだボックスセットで全エピソードを買ってきた1958年版のトワイライトゾーン、(多分、日本でミステリーゾーンと呼んでいたのと同じ番組)を観る。
飽きると、またすたすたと歩いていって、「XBOXの部屋」に行って、プロジェクタでゲームをやって遊ぶ。
区別するのにメンドクサイので「XBOXの部屋」とマイクロソフトが喜びそうな名前で呼んでいるが、ブルーレイプレーヤーとしても使っているのでテレビキャビネットに衛星テレビのチューナーやアンプリファイア、Apple_TVとMac_miniと一緒にテレビキャビネットのなかでおとなしくしているPS3以外のゲーム機とゲームPCは、この部屋にあります。
いまは「zoom」という便利なものがあるが、キネクトが出たばかりの頃は最低2.5m離れていないと使えなかったので、部屋ごとゲームにあてることになってしまった。
このあいだ、キネクトスポーツのスクリーンを見つめながら、跳んだり太ももがアゴにあたりそうなくらい、うーんと、あーゆー動作はなんというんだ、その場に静止したまま全力疾走をするという不思議なことをしていたら、窓べに座った近所の猫がバカにしきったような冷ややかな目つきで、わしを眺めている。
人間みたいに長生きしないので、身体を動かして運動するということの重要性が猫には判らないのです。
疲れると、自分の部屋に戻ってまたカウチに寝転がって本を読む。
いしいひさいちの、忍者が寝室に忍び込んで、もぬけの殻になった蒲団に手をいれて、「まだ、暖かいぞ」「敵は遠くにいってはおらん」とつぶやいてから「ちょっと寝よ」と言う、いつもの胸のすく忍者物語を読んで血湧き肉躍らせます。
この天才漫画家も病気だそーだが、どーしてあの年代のひとは長寿の国のひとびとであるのに、早くから病気になったり早死にしたりするひとが多いのだろう。
窓のそばに立って、外を見ると、どうやら明日も静かな日のようだ。
モニと一緒にモールにでも行こうか、いまはフルが流行っているというから、やめたほうがいいかな、とぼんやり考える。
いまは、モニとわしの生活のことを考えると、新しい船が建造台から水に滑り出してゆくときのようだ。
どうやら、とても新しいものが、この先にあるようです。
わしのことだから、頑張りはしないが、ぐっすり眠って太陽とともに目覚めたひとのように、柄にもあらず力がみなぎってくるのは、新しい生活がすぐそこまでやってきているからなのかもしれません。
まどろむ、エウクレイデス
October 9, 2011
ユークリッド幾何学のスタティックな、均整のとれた美しさに魅入られてしまった少年は、「微分」という動的な、始終ものごとがダイナミックに運動する体系を目にして、だいたいの場合、嫌悪感にとらわれる、という。
わしのサンスーの教育はたいへん特殊なもので、個人でサンスーを教えてくれていたおじちゃんが、ガキわしの頃にいまでは考古学に近い、あの5つの公理から始めて、定理に定理を重ねて世界全体を説明するに至る、古色蒼然とした学問を教えてくれたのでした。
わしはユークリッドの幾何学を殆ど溺愛していて、というよりも、それ以上で、おおげさに言えば「世界が確かに存在するのだ」ということを、あの静的な幾何の体系によって知ったのだとゆってもよい。
13歳のときに微分を、また違う先生が手書きで書いた自習書、というよりも手紙みたいなヘンテコな書き物、を頼りに学習しだしたときには、微分というものが、あまりに「美」を欠いているので失望してしまった。
ふりかえってみれば、要するに頭が悪かったのでものごとの動的な美ということが理解できなくて、ユークリッドの「わかりやすい」静かな美しさと時間にしがみついていただけのことだが、それでも、たいへんに失望したのを憶えています。
IT革命、というチョーカッコワルイ名前がついたパラダイムシフトが起きたあと、激しい勢いで変化しだした世界に直面している、いまの人間の気持ちを考えると、この、
ユークリッドの幾何学から微分に移行していったときの、自分の精神状態のことを思い出す。
嫌悪感に悩まされながらも、結局、ユークリッドの居心地のよい世界を捨てて、微分やベクトルの世界に移動していったのは、結局、そのほうが効率的であったからで、なんの理屈の後ろ盾もなく、勘に従って、すっ、とひいてみた補助線を使って証明するのはこの上ない快感ではあっても、同じくらいの問題なら、殆ど何の考えもなく、一定の手順に従って、すこっ、とあっけなく解決できてしまうベクトルや微分のほうが遙かに遙かに生産的だった。
人間は効率がよいものには、弱いものであって、当時の自分の気持ちに従っていえば自堕落な気持ちで、自分の数学的知性を現代化してしまったのでした。
前にもちょっと書いたが、義理叔父の祖父の頃は、日本の「サラリーマン」というのは、午後5時には下僚のために退庁あるいは退社すべきものであって、まだ陽の高いうちに風呂敷包みを抱えて家路に着く。
小腹がすくと、鰻屋に立ち寄って、ビールで白焼き、一杯機嫌で横須賀線に揺られながら岩波を読んで、家に着く頃でもまだ陽があったので、縁側に座って庭を眺めながら夕飯までのビールを飲む、という毎日の暮らしだったそーです。
年収は、30歳代の管理職で、話から受ける印象では、いまの貨幣価値でゆって3000万円くらいだったよーだ。
なんだか、とてものんびりしていて、戦前の日本人は、サラリーマンと云えども静かな様式美の世界を生きていたよーである。
その頃のサラリーマンが、いまの社会を見れば、自分が地獄に来てしまったのだ、と思うでしょう。
わしが日本にいるあいだに、人間にとっては、これはこっちのほうが英語国よりいいな、と考えたことのひとつに「競争の少なさ」があります。
日本という国は、観察していると、12歳のときと、18歳のときの二回、与えられた課題を、うまく定石を組み合わせて解決させる、というなかなか知的に出来ている問題を150分というような時間の枠組みのなかで解答してゆく、という競争に勝てば、それであとはだいたいテキトーに暮らしていればダイジョーブだ、ということになっていて、皮肉ではなくて、毎日、朝から晩まで、同じ「8時間労働」と言っても、どうやらほんとうに集中して生産性を発揮しているのは午後の二時間程度であるように見える日本のホワイトカラーと異なって、8時間びっちし集中して仕事をしなければ、あっというまに社会の敗北者にされてしまう英語世界人に較べれば、天国のようなものだとゆってもよい。
わしは、なんでかバルセロナの台所の椅子に座って東京大学の入試問題を解いてみたことがあるが、
http://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/09/東京大学入試問題を解いて考えたこと/
(いま見ると問題のリンク先は、違う年度の問題に変わってしまっているので、ここの問題についての感想は話があわなくなってしまっておる)
そういろいろなひとが言うようなほど「詰め込み」だとかというような印象ではなかった。
たとえばアメリカ人の試験問題が「バカをふりおとす」ための試験であるのに較べて、
「賢い人間を選択」するための試験だという気がしました。
(エラソーを言うと、あの試験で入ってくるのならば日本の大学に新入してくるガキどもの程度はかなり高いはずで、どうも大学教育に相当な問題があるよーだ)
ヘンなことをいうと、いわば日本のひとはいまだにユークリッド幾何学の世界で調和的な夢を見ながらまどろんでいるので、外の世界の動的で荒々しい競争の世界への嫌悪感にとらわれながら、しだいしだいに競争力を失ってきたのだと思います。
共産主義国は社会が無慈悲な競争に陥るのを嫌って人間的な環境を保とうとした結果、競争主義に官僚主義がとってかわって、その最後期には経済活動を函数にたとえると、函に入力したものの商品価値を100とすると函から出力される製品の価値が90や80に低下してしまうところまで落ちぶれていった。
しかし、ロシア人たちと話していると、共産主義時代をなつかしむ声はたくさんあります。
たとえば、きみが数学に秀でていたとする。
その場合、モスクワ大学のすぐそばに自分の住居を与えられたきみは、学費というようなものはもちろんタダで、家賃も生活費も国家が支給してくれるので、きみはただ数学に専念していればそれでいい、という夢の生活を送ることになる。
わしは台北で、自由化後のモスクワ大学で、(他に選択肢がまったくないので)売春をしながら 研究をつづけた、と、あっさりとした感じで教えてくれた、わしがいまでも尊敬している、聡明で美しいロシア人の女のひとと一緒に食事をしたことがあるが、あのひとの知性が「自分が共産主義の時代に生まれていれば」とは言わせなかったが、辛い夜のあとで、冷え切った部屋で机に向かいながら、きっと心のなかでは、何度もそれを考えたでしょう。
日常的に嵐が吹き荒んでいるような、西洋型の世界にやがては日本も移行していかざるをえないだろう、と思うのは、だから、生産性を回復するためには、動的で物事が始終変化しつづけている社会に変わってゆくしかないだろう、と思っているからです。
あらゆる「静的調和的な制度」、おもいつくままに挙げると、年金、固定給、著作権、年次制雇用、というようなものは、良い悪い、という問題とは別に、すべて消滅していくだろう。
年次制雇用、と書いたのは、終身雇用を極端な例として、たとえば30歳で入社して55歳まで会社にいる、ということが「たまたま同じ会社に25年もいることになった」という社会になるだろう、という意味です。
いまはプロジェクトチームのメンバーとしての社員、というようなイメージがわかりやすいと思うが、ひとつの事業の達成のためのチームの集合として会社がある。
自分の人生を組み立てる場所としてドッカリと存在する、旧来の「会社」というようなものは、すでに過去のものになりつつあると思います。
人間には魂の休息が必要なので、あまりに苛烈になった競争にさらされると、森のなかに週末をすごす小さな家が欲しいと考えたり、海辺で午後をすごせる家を買いたいと思ったりするようになる。
あるいは、もっと個々の成員が近しい、小さな共同体に基づいたイメージで言えばややアーミッシュ風の生活に近づけたい、と願うひとが出てくると思われるが、それが本質的な解決に至るとは到底おもえない。
人間の社会が先進国で言えば日本のような国を除いて、過酷な社会に変貌してしまったのは、「繁栄のための競争」に参加する競技者の数が増えてしまったせいで、これまでとは桁違いの生産性が求められるようになってしまった結果です。
特に中国のひとびとのような大集団が「おれも幸福になりたい」と言い出したのは将来に至るまで決定的な要素だが、これからあとも、インド、ブラジル、ロシア、南米諸国、アフリカと、いまは貧困のなかにあっても将来に繁栄を求める人間の集団は陸続とつづいて列をなしている。
むかし、アレクサンドリアの町の喧噪が遠くに聞こえる高窓の下で、横顔を夕日に照らされながら、円から少し離れたところに、そっとひいてみた補助線を使った、ため息が出るほど典雅で、神様の吐息が部屋のなかの、すぐそばで聞こえてきそうな証明に見入りながら、ユークリッドがついていた幸福のため息は、もう人間の唇からもれてくることはないに違いない。
世界のすべてが立ち上がって、さまざまな運動を起こすような世界に、新しい世界は変貌してゆくのだろう、と思います。
そこで人間に通常のスタンダードとして求められるのは、ありとあらゆる判断に確率上の有利さの裏付けがある迅速さであり、長時間にわたって途切れなくつづく集中力であり、自分が有効な参加の仕方が出来ないゲームには、まったく参加しない割り切りである。
こうやって書いていても、まったく嫌な感じがする世の中だが、しかし、世界全体が生き延びてゆこうと思えば、ひきづられるようにしてでも、生産性をあげてゆかなければ仕方がない。
文化の上でも、一片の軽やかなペイストリに載った繊細な味のケーキよりも、千人に行き渡るビスケットだけが生き残るのをわしらは目撃してきた。
静かな部屋に座って、一瞬の調和と静寂を楽しむ余裕は、もういまの世界からは失われてしまいつつある。
あるいは、それは、いまの世界からは、「失われるべきもの」であるのかも知れません。
(考えるだけでも、うんざりだが)
「怪獣王ゴジラ」
October 8, 2011
机のうえにゴジラ映画のボックスセット「The Godzilla Collection」が載っておる。
「ゴジラ」(オリジナル第一作のやつね)「ゴジラの逆襲」「モスラ対ゴジラ」
「メカゴジラの逆襲」「オール怪獣大進撃」「キングギドラ対ゴジラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」がそれぞれ日本版と英語版ではいっていて、合計14の映画が全部で
1694円(US$21.99)どした。
アメリカのアマゾンで買った。
英語版は編集も吹き替えも観ていてカッとなるくらいひどいのを過去の経験によって承知しているので日本語のほうしか観やしないが、それでも日本で同じ日本版を買うよりも圧倒的というもおろかしいくらい安いので、英語版のほうは死蔵になっても、いーんです。
(いま、ちょっと思いついて調べて見ると、 日本アマゾンでは古典「ゴジラ」一作だけで、3712円ですのい。たけー。なんじゃこりゃ)
ゴジラは生物の歴史上、ゆいいつ放射線を大量に浴びても生存できた生き物だった。
(司馬遼太郎の小説を読んで幕末の志士を気取ってしまったり明治時代に憧れてしまうタイプのひとびとのために申し述べておくと、ほんまはゴジラは架空の生き物ですねん。
そういうタイプのひとにとっては信じられないことなのは判っているし、真実を知るというのは辛いことだが、ゴジラという生き物はほんとうに生きていたわけではないのです。
ビキニのヤモリが水爆に当たってゴジラになってヤンキースと契約した、という説は歴史的にゆって誤りである)
ついでに言うと最初の襲来から30年後、昭和59年版のゴジラが襲う、あの原子力発電所は浜岡原発です。
ゴジラ考証学における基礎知識である。
生物がながいあいだ海水深くに潜んでいたのは、宇宙からの放射線を怖れてのことだった。
きっと、その頃にもシンカイアメーバモドキのダイガクキョージュがいて、「放射線っちゅうのはさ、怖がるからいけないんで、あたってみれば結構健康にいいのだぞ」なんちて、それを真に受けた気のいいシンカイアメーバモドキの若い衆が地球磁場もろくすぽ形成されてない陸上にあがって、あえない最期を遂げていたりしたに違いない。
そうこうしているうちに地球は、地球磁場を形成しオゾン層をつくりだして宇宙という放射線で埋め尽くされた死の世界から遮断されて生命が繁栄を謳歌する小世界として、広大で無慈悲で死がすべてを支配する宇宙という過酷な世界から独立した。
やがて人間の大脳という形で意識を獲得するに至る、この気が遠くなるほど美しい輝く青色の惑星は、自己を放射線から守り隔離することによって成立したのでした。
人間が直感的に放射能を危険なものとして怖れてきたのは、それが人間にコントロールできない死の世界である宇宙の象徴、言い換えれば非人間的なものの象徴だからだと思います。
かつて長い間、陸上にはいあがろうとする生物の進化を阻み続け、宇宙の法則に隷属を強いていたのは、いままさに人間の浅薄さによって穿たれたフクシマダイイチという宇宙と直結した穴から日本のひとびとを脅かし、いまはもう体内に少しづつ入り込んで、今度は内側から生命を破壊しようとしている放射線そのものだった。
波長の長さに由来して、もっとも死の力が弱い放射線である紫外線ですら人間にとっては強敵だった。
今度は、「わし、安全だかんね」と競馬の予想屋ふうな気楽さで科学印のお札を売りさばく学者たちのお墨付きをもらって、すましているだけのことで、その正体は、要するに生命の敵であったあの宇宙からの放射線、磁場が形成されるまでは生命を深海の牢獄に閉じ込めていた力そのものです。
アメリカiTunesストアにあがっているゴジラ映画とかは吹き替えがマヌケすぎて死ぬが、
ガメラ3は日本語音声英語字幕なので、モニとわしはラウンジのテレビで肩をならべたり、交互に寝転がっていちゃいちゃしたりしながら観ることにした。
すげー、おもろいんだよ、あれ。
最後のほうが、安物の学芸会脚本みたいでガックシだが、それまでは、なかなかの大迫力であって、特に2045年のリカちゃんハウスみたいな、けったいなデザインの京都駅がむちゃくちゃにぶちこわれる所なんかでは、おもわず立ち上がって、「いけ!ガメ!ち○ぽこ京都タワーもいてまえ、宮刑じゃ宮刑、チ○チンくらいなくなってもコンジョがあれば歴史家として大成するし、と司馬遷もゆっておるぞ。京阪電鉄がなんぼのもんじゃい!
陰陽道の聖地に品の悪いもんぶちたてよってからに」とゆってコーフンしてしまいます。
ところが、始まりからずっと浮かない顔で画面を眺めていたモニは映画なかばで、すっと立ち上がって「わたし、観たくない」といって自分のスタジオに行ってしまった。
ガメラが出現して、両親が死に、引き取られた奈良の町で学校中からイジメにあう子供の姿や、巨大な災厄のなかで必死に生き延びようとする日本人たちの姿が、どうしてもフクシマダイイチの事故と重なって見えて、映画が重すぎてみられないのだという。
イギリスじーちゃんの黄金おやつ、ソルトアンドビネガーのポテチをがりがり囓りながら、ガメラって、あんなにくるくるまわって飛んじって、目え回んないのかしらとか、しあわせなことを考えながら映画にコーフンしていた鈍感なわしと違って、モニはガメラ映画のなかで苦闘する日本社会を観てショックを受けてしまったもののようである。
そーゆえば、ゴジラも、マジにつくったやつは、ちょっと、そーゆー感じがすることあるよな。
バカなものをみせてしまった。
いや、映画はバカじゃないんだけどね。
これでは凄惨なドキュメンタリを観せてしまったのと同じやん。
60年代の日本の歌には、たとえば山之口漠の「鮪と鰯」を歌にした
鮪の刺身を食いたくなったと
人間みたいなことを女房が言った
言われてみるとついぼくも人間めいて
鮪の刺身を夢みかけるのだが
死んでもよければ勝手に食えと
ぼくは腹だちまぎれに言ったのだ
女房はぷいと横にむいてしまったのだが
亭主も女房も互いに鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅かされて
腹立まぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ。
…ちゅうような高田渡の歌があったりして、社会自体が放射能が危険であるという直感をもっていた。社会としての「常識」を他の国の社会と分け持っていた、といってもいいかも知れません。
昭和29年に、第五福竜丸という漁船の無線長だった久保山愛吉がそれによって殺された、アメリカによるビキニ環礁の水爆実験への怒りを胸に、当時の映画人が想像力をつくして作り上げた初代ゴジラは、宇宙を支配する死の体現者、現代の人間の手によって地上に復元された放射能の具現化、人間世界とまったく相容れない絶対暴力の象徴としての巨大生物で、たとえ、特撮で映る船舶がちゃちでも、物語がやや紙芝居風でつじつまがあわなくても、
わしは日本人が核への抗議としてゴジラという怪獣をつくりあげた、というただそれだけでもう50年代の日本人を尊敬してしまう。
その当時は、いまの状況と真逆で、日本人だけが核の絶対暴力性を見抜いていた。
わしは、たとえば「西側」欧州の知識人たちがアメリカの核は悪だがソビエトの核は人類の進歩のために許容されうる、というふうに常に核の、人間の言葉を無力化する絶対性を相対化して理解する傾向があったのに、日本人だけが知識人や支配層に限らず、国民のすべて、といいたくなるほどの広汎な層が、核が絶対の暴力であって、一度は磁場やオゾン層が締め出した宇宙の死の力をいったん地上に招き入れてしまえば、その時点で人間の文明などはそもそも成り立ちはしない、その後に生き延びる文明は、最早、核に隷属する言葉で構築された「以前には人間の文明であった何か」であって、核の存在は人間の思考を真の意味においては無力化してしまうのだ、と訴え続けたことを、日本人という民族集団の栄光であったと考えています。
ひょっとして、このひとたちは核ミサイルを「いちばん つおい ミサイル」
原子力発電所を「いちばん かっこいい 発電技術」くらいに思っているのではなかろーか、と疑いをもってしまうような最近の何人かの日本人の言説を聞いていて、
いったい、「怪獣なら、いくら水爆実験への抗議でもアメリカさんも文句ゆえねだろ」という練達の映画屋らしい深い読みで、初代ゴジラに、核戦争とそれに続く放射能が環境化された世界のなかで生きていかねばならないかも知れない未来を作り出した愚かな支配者に怒りをぶつける知恵さえもっていた、あの日本人の栄光は、どこへ行ってしまったのだろう、
結局はかつてのあの光に満ちた言辞も、少女売春を援助交際と言い換え、軍隊を自衛隊と言い換えて、そのうちには自殺をすら「転世」とかち言い換えだしかねないのと同じ言葉遊び、「建前」という「恥知らずな嘘」のひとつだったのか、と、
だんだん疑いは強まってきてしまうのでした。
ギャオオオオーン!
(「怪獣王」というのは、ゴジラ公開時に当方宣伝部が考えた文句であったよーです。
かっけえので、タイトルにもいれもした)
莫大な闇が覆う夜
October 7, 2011

はっはっは。
とーとーロシア人だという事にされてしまった。
一方、日本では主にはてな市民の方々の努力によって日本人であるということになっている。
わしが元砲兵としての戦争記録を書いたひととしてのみ認識している山本七平というひとと同じ、ということだそーだ。
友よ、しこうして、わしはロシア人にして日本人である。
大鵬ですのい。
征露丸あらため正露丸です。
あれは大鵬でなくて大幸薬品だっち。
スペイン語でもブログを書いていて、それなのに、誰も「お前はほんとうはスペイン人のくせにエゲレス者のふりをしているのであろう」と、ゆってくれない。
文法を間違えてばかりいるからです。
単語の用法の間違いもだいたい一記事に5つくらいもあるという。
くやしい。
スペイン人、かっこいいのに。
もっとも世の中にこんな自然なロシア語が書ける外国人がいるわけがない、という、よく考えてみればムフフな理屈でひた押しに押してフォーラムごと盛り上がったロシア人たちとは異なって、日本人だ、ということにされたほうは、
「こんな下手な英作文しか書けない英語人がいるわけがない」という、こいつの日本語は読むに耐えないほど下手だが英語は達人のおれさまの英語とは問題にならないほど下手だ、という日本人らしい理屈であって、この話をわしから聞いた妹は、抱腹絶倒、という言葉そのままに椅子からこけやがった。
いまでも友達にわしを紹介するときに「日本人にバカにされるほど英語が下手な」という枕詞でわしを紹介しよります(^^;)
妙なことにばかりバカ知恵がまわる、あの下品を極めるひとたちは、さぞかし本望であるだろう。
どうでもいいけどね。
いまでも英語の記事はブログのどこかにいくつか埋もれているはずなので、お知り合いの英語人(母語のひとに限る)にお見せになればよろしい。
みんな「英語人が書いたものです」というであろう。
あたりまえです。
わしの母国語じゃけんね。
言い訳みたいに聞こえるとかっこわるいからいままでゆったことはないが、わしは日本の人は自分で妄想しているよりも全然エーゴが判らないのを、わしは日本のひとびととの長いつきあいでよく知っておる。
だから、超平易に、へーいーいー、に書いたんだけどね。
それでも、いろにはでにけりわが里は、という。
どんな書き方をしても外国人が書いた英語というのは英語で暮らしている人間にはアホでも判ります。
その証拠に、だいじょーぶ、われわれには母国語の英語ってわかるからね、という慰めのお手紙を英語国民のみなさんからは、いっぱいもらった。
くだらない友達をつくって、地獄行きが決定してもうたので絶交したマルクス博士という日本人も慰めてくれた。
むかしはまだ化け猫になりきっていなくて人間の心が残っておったのだな、あのじーちゃんも。
恨み言を述べるために、この件を蒸し返しているのではありません。
金持ちは喧嘩せず、という諺は誤伝であって、あれはほんとうは、ち、と、は、のあいだに、とが抜けておる。
金持ちとは喧嘩せず、というのです。
金持ちと喧嘩する、金持ちをマジで怒らせると、とんでもないことになるから金持ちを挑発してはいけません、という諺なんです。
忌野清志郎先生も「この世は金さ」と学説を立てて述べておられた。
そうではなくて、このわしがある目的をもって書いた「こんにゃく」に派生した出来事のなりゆきは、日本における「事実」のありかたを明示している。
さっきも、オダキンという新しい友達のゆっていることを学習しよう、と思って眺めていたら、わしはすっかり「山本七平の再来」ということになっておるよーだ。
「砲兵山本七平の思い出」が好きであった、わしは喜んじったけどね。
しかし、「はてな」という極めて日本的な村媒体に書き込まれたことどもは、「事実化」してしまうのね。
いまは早川由起夫という、フクシマを巡る、この困難な状況のなかで正気を保っている火山学者が同じ目にあっているよーだが、日本語ネット人の際限もない知恵によって、
「元から札付きの虚言癖があるトンデモ学者」ということにされつつある。
「人間性」というものに不案内な社会では「書いてしまったものの勝ち」なんですのい。
そうやって、国防婦人会の派閥争い風の些末だがなかなか人間の心理の機微をついた知恵をつくして、書いてしまうことによって、日本という社会は全体として外国人にはまったく信用されない言論世界というラベルを勝ち取ってしまった。
まさか、誰も面と向かっていいやしないが、日本人についての、世界のなかでのもっとも普及している印象は「あんまり真実に対して敬意をもっていないひとびと」という印象です。
日本のひとにとっては、日本のひとがチベットなどを巡る問題について中国人に対してもっているイメージをそのままガイジンどもは日本人のイメージとして持っているのだ、と言ったほうが判りやすいだろーか。
わしは日本語に熟達して、そのあたりの事情がだいぶんわかってしまった。
一部なのか大部なのか知らないが、あのときの「はてな市民」たちが、それを証明している。
自分達の「知恵」が定評を勝ち得たのです。
ひとは身の丈にあった住まいにしか住めないという。
残念なことだが、日本の人の決して直視されることもなく、従って変えることが難しいが絶対に変えなければならない習性と思います。
わしがフクシマの前に日本に執着をもつのをやめて、十分な距離をもって遠くから眺めることにしたのも、要するにそういうことだった。
のみならず、いまフクシマダイイチの誰も現実だとは思いたくない悲惨な現実を巡って、出口もなければ救済もない堂々めぐりの論議を続けていることのおおきな理由であると思います。
わし自身は、これからは、これに味をしめて、山本八平、という名前にすべえか、と思ってますけど。
日本の人たちが考える「正しさ」は、どう考えても焦点がずれている。
対象を詳細に観察するための焦点であるよりは、相手を太陽の力を借りて焼き尽くして、苦しめ、あわよくば自分が嘲笑う対象にしたい一心で焦点を結ばせた「正しさ」であるように見えます。
そんなバカ情熱に浮かれた「言論世界」をもつに至った国の「原子力発電所」などはツナミがなくても大崩壊するのが必然で、これからもまだ崩壊する発電所が出るのはあたりまえなことだと思う、というようなことを考えることを「常識」という。
対策には何が有効かといえば、日本のひと自身が答えを出している。
たとえば大庭亀夫ニセガイジンにしても、このひとが書く英語が正真正銘の母語だと慌ててコメント欄やなんかに書いてくれたのは30年40年という長い時間を英語国ですごしてきた日本のひとたちだった。
でもね。
ここから先は、わしの想像だが、この日本のひとびとにしても、梅淋病、ではなかったバイリンガルであることの可能性を捨てているわけではないと思います。
実際、ふたを開けてみれば、わしは顔が日本人であるかも知れず、アフリカ人の肩をもちすぎるところをみればアフリカ人かも知れず、もしかしたら、いまでもすべりひゆが疑っているごとく女であるかも知れないし、本人がこれから主張してみよーかしら、と思っているように、ジョンタイターであるかもしれない。
もっと話をおもしろくしたければ、こうやって庭のテーブルにMBPをのっけて人間の言葉でブログを書いているわしの背中では巨大な夜の闇のなかでも輝く白い羽がゆっくり羽ばたいているかもしれず、うまく地口が決まったりすると、バサバサと、庭のツグミたちを脅かすほどの音を立てて欣喜雀躍しているのであるかもしれません。
あるいは、しっぽが生えていて、中世のひとびとが「疑いようのない知識として知っていた」ごとく、氷のように冷たいペニスをもっているのがわしかもしれない。
でも、バカ猫博士も含めて、あのひとたちが何も言わないのはね、そんなことを詮索することになんの意味もないから、なんです。
そんな詮索に意味がある、という考えはわしを心から驚かせる。
なんという歪んだ探求心だろう。
念の為にゆっておくと、わしは自分のブログにすでに自分の写真を載せているし、また、載せるでしょう。
それは自己証明のためではなくて、インターネット上で出来た友達たちに、こっそり挨拶するためです。
でも、そーゆーことで「正義」とか言い出すのは、異常なのよ。
本人たちには、何度、どんな言い方しても判らないには違いないが、フクシマの経過を見ていて、わしにはこれから日本を滅ぼしてゆくものの正体が判ってしまったような気がするのです。
フクシマが起きたとき、きみには判らない感情だと思うが、わしはどれほど日本人であったら良かったのに、と思ったことだろう。
わしは、きみと一緒に被曝し、きみと一緒に怒り、きみと一緒に絶望して、やり場のない怒りに身体をふるわせ、肩を抱いて、泣き明かしたかったことだろう。
そんなこと、あるはずがない、という日本のひとの考え方はよく知っている。
そういう、人間の自然な感情はみな「偽善」なのよね、日本語の世界では。
でも英語の世界ではふつーのことです。
わしらは自分が正しいかどうかには殆ど関心がない。
「comfortable」でいたいだけです。
目の前に、自分が熟知した言葉で世界を呪っているひとがいるのに、まして、そのひとびとのうちの何人かは友達ですらあるのに、平静でなんかいられない。
そーゆーときに距離をとった感情反応を起こす、という器用さはわしはもっていない。
夜中に「ふたりの小さな子供がいるナスはどんな気持ちでいるだろう」と考えたり、仙台に帰っていった「三人の博士」のひとりは、どうしているだろう、と思ったり、飛び抜けて知性的な「とら」が東北の町で考えていることを想像すると胸がしめつけられるような気がしていてもたってもいられなくなる。
ところが、我に返ってみると、わしは広々とした芝生の上に出したテーブルでコンピュータの画面に向かっているだけのことで、モニが、昼ご飯だぞガメ、と呼びに来て、頭がフランス語なり英語なりにギアがはいってしまうと、「日本」そのものがたちまち頭から消えてしまう。
ひどい、とおもうかもしれないが、ナスもすべりひゆもとらも世界から存在しなくなって、夢のなかで会った見知らぬひとに似てくる。
わしは山本七平二世でないことを残念だと思っています。
でも、この気持ちが日本社会で培われた日本語人のきみには決してわからないことも知っている。
「外国語なんて懸命に勉強する人間は愚か者である」とわしのガッコーのハゲがいっていたのを、思い出します。
なんだか、泣きてえ。
小さな太陽のある午後
October 6, 2011
あんまり観る気がしないので観なかったが昨日はニュージーランドのテレビ局が日本の東北大震災の特集をやっていたもののよーです。
日本語の友達に失望される、あるいは悲しませてしまうかもしれないが、自分の心のなかを覗いてみると、目下、焦眉の急、と意識されているのは世界の「どひゃっ」になりつつある経済のほうで、やりとりするメールも電話もスカイプもテキスト・メッセージも、殆どクソ経済についてであって、日本の「に」も出ては来ない。
ギリシャのオカネモチたちがいよいよオバカ反応で煮詰まってきたので、もうものすごく危なくなってきた。
ここの一角が崩れてしまうというと、隣のイタリアもワッハッハになって、スペインもダイジョーブだダイジョーブだ、と叫びながら救急車で搬送されることになって、ガリシア語を見れば判る、仲良しブラザースのポルトガルも寂静となって、翻って眺むれば、アメリカ合衆国の大統領は、とっくのむかしに左前になっていた経済の再建よりも先に、どうしてもやってみたかった国民保険制度に手をつける、という、どーゆープライオリティ感覚をしとるんじゃ、の経済音痴っちバラク・オバマであり、そのままずうううーと、視線を移していって太平洋を横断すると、いまや本人たちがバブルの大崩壊を予測してありとあらゆる手をつくして海外に資産を逃避させ続けている中国人たちの、殆ど夜中の3時のマカオのカシノ化した経済が爆発寸前の中国がある。
はっはっは。
すごい、スリル。
まるで戦艦陸奥の火薬庫で、夜中にこっそり煙草を喫いながら博奕にふけっていた旧帝国海軍の古参水兵のような生活ですけん。
合衆国や欧州のような「巨大な船」が沈没してしまうと、ニュージーランドのようにちっぽけな船も、もちろん巻き込まれてしまう。
前回のクレジットクランチのときも、ニュージーランドの金融システムがオーストラリアの金融システムの部分に過ぎない、ということが理解できない(相変わらず)頭の悪いアメリカ人の金融アナリストたちによって「アイスランドの次はニュージーランドだ」と言われたが、オーストラリアが中国にやや依存しすぎな今回の状況では、前回よりは影響がおおきいに決まっている。
ここから先は、日本語のヘンなブログで話していても仕方がないので、英語や欧州語のフォーラムで話したほうが良いが、つまり、オーストラリアとニュージーランドでもてーへんだべな、ということです。
今年の年末と来年はモニとわしの特殊な、考えるだけでほっぺがゆるんでしまう事情によって、予定していた旅行はすべてキャンセルになって、珍しくもニュージーランドにずっといることになった。
家の手伝いをしてくれるひとたちも増員して、もうすぐモニかーちゃんとモニかーちゃんの一座のひとびともやってくるものだと思われる。
あまりにやってきて滞在するひとが増えそうなので、モニとわしの家は、ラミュエラという、比較的大きな家が多いこの辺りのなかでも、大きな家であると思うが、パーネルの家に加えて、ちょうどいい機会だから、もう一軒家を買おうかと思っておる。
相変わらず、ほとんど行きもしないロンドンに機能の中心がある冷菜凍死のオークランドの事務所も拡張して、そんなにながいあいだニュージーランドにいるんだったら、冷菜凍死以外のショーバイも、一個、でっちあげちゃるか、と思ったりする。
「ギリシャ崩れ」とか「オバマ崩れ」と名前がついてしまいそうな経済の大崩壊がほんとうに起こるものなら、あらゆるビジネスにとっては大チャンス、とゆって悪ければ、自分が思いついたアイデアを試すには最もよいタイミングだからです。
モニとふたりでコヒマラマの浜辺のベンチに座って、砂浜で遊んでいる子供たちや、マンガ的なくらい目つきの悪いカモメたちが、お互いに牽制しあっているのを見ている。
街灯の上に留まっているカモメを追い落として自分がその街灯に立ってあたりを睥睨したいカモメが、しばらく闘争を繰り返して、ついにはカモメの上にカモメがのっかって立つ、というカメラをもってこなかったのを心から後悔させられるような「大事件」も起きます。
風も、弱まって、暖かくなってきた。
コートを着ているひとたちに混じって、キャミソルにショーツの夏のいでたちの女の子たちが歩いている。
コーヒーすら飲まないで我慢しているモニさんと、ほっぺを寄せ合って、デコをくっつけて、どうしてわしらはふたりに分かれていて、ひとりではないのだろう、と訝る。
午後があっというまに過ぎていって、ノースショアの向こうへ駈けくだった太陽が、北半球の人口が稠密な地域では考えられない強烈な光線を芝に反射させている。
なにがなし、もっとオトナになれ、と催促されているような気になって、わしは、
そろそろ、もっといろいろなものを捨てなければ、新しいところには行けないようだ、と考えている。
2
わしの大好きなAna Torrojaの「Letras de sal」
http://www.youtube.com/watch?v=DPf0uOMIulE
は、
Sólo quería verte feliz todo el resto me daba igual
と話しだすところで始まるが、これは
「あなたが幸せでいるのを見たかっただけで、あとはどうでもよかった」
ちゅうような意味です。
そんなふうに言うのは照れくさくてカッコワルイが、しかし、わしが日本語ブログを書き出したときに考えたことは、要するにそういうことだった。
やってきてみると、なんだか、いつも難しい顔をして、自分達お互いを苦しめるためだけに刻苦精励しているように見えた日本のひとに、「もっと気楽にやればいいじゃん。テキトーでええやん」と言いたかったのだと思います。
そのうちに、なんだか訳のわからない理由で、ほぼ全身憎悪と敵意だけで出来ているようなひとびとが現れて、しかも彼らの卑劣でマヌケな攻撃努力の理由が「もっと認められてよいはずの自分の赫赫たる自己の存在を示したい」というだけのことで、そんなんで他人をいくらでも殴りつけてよい、と思っているだけだというのを発見して、温厚で成熟したオトナであるわしと雖もうんざりしてしまったので、だんだん日本が嫌いになってしまったりしたが、しかし、遠征が終わって、「こちら側」の世界に帰ってくると、こういうとドナルドキーン先生は怒るだろうが、あの日本という途方もなく特殊な世界で起きたことには何も現実感がなくて、
楽しかったことだけしか記憶に残らない。
おまえの読むに堪えない日本語なんかチラシの裏にでも書いてろ、とか、日本語が気持ち悪い、と言ってくるひとは年中あっても、ほめてくれる人はほぼいないので、ある人が賞めてくれたのが嬉しくて、わざわざ日本からそのひとの本を買ってしまった。
ところがこのひとは「いじめ」の専門の人だったので、おー、わしが日本で遭遇したあれは「いじめ」だったのか、と、マヌケにも、そのとき初めて気がついたのでした。
なにしろ、現実の世界では、わしをいじめる、というのは、イメージとしてはゴジラをいじめるというのと何も変わらないので、ほぼ修辞的矛盾といってもよいくらいありえない。
あれは、いじめだったのか、と発見して、(集団でいじめにやってきた、あのひとやかのひとには悪いが)にんまりしてしまった。
これから後の人生で、「わしはイジメにあったことがあるのだぞ」と友達に言いふらして歩けるからです。
どーせ、聞いたやつは信じないだろーが、友よ、コンジョワルの日本のひとびとに聞いてみたまえ。
ほんまだから。
フクシマダイイチの事故は、日本のひとに「個人に帰れ」「全体の一部でいてはいけない」「部分は全体の一部なのではない」と告げている。
急いで個人に帰らなければ、日本人全体が民族として破滅するだろう、と警告している。
もうすぐ出かけなければならないので、長大になるに決まっている、日本的ないじめの特殊や他のことが示唆する日本人が部品として訓練されることになれていて、個人であることを自分自身の心理状態から閉め出していることやなんかを、いまは書かないが、
ひとつだけ、いま考えていることをメモとして書きとめておくと、日本人が個人を捨て去ったことについては
わしには、いつかナマハゲ作家とその郎党が集団で襲ってきたときにも述べた、日本近代の出発における「誤訳された欧州文明」が大きな契機になっていると思っています。
以前に、「欧州文明の誤訳」と書いたら、「大学で研鑽をつんだ猛烈に勉強した学者が精魂をこめて訳した訳文にそんなに間違いがあるわけがないではないか」と猛烈に抗議してきたひとがいたが(^^) あのね、そーゆーことではなくてね、わしが「誤訳」という言葉でゆっているのは、カタカナのスプーンはもうspoonとはちゃうねんで、別物であって、まったく同じスプーンでも、スペイン語世界のテーブルに置かれているそれと英語世界テーブルに置かれているそれはすでにして異なるもので、(物理的には同じスプーンでも)日本語世界のテーブルに置いてあるそれに至っては、欧州語世界のなかに置かれたspoonでもよろしい、cucharaでも構わない、cucchiaioでもложкаでも、そーゆーものとは、まったく異なったものである、と言っているのです。
少なくとも中世の日本人は、普遍的で欧州人が瞥見してもすぐに認知できる「個人」だった。
あの「武士」という名前の農場主たちは、数は少なかったかもしれないが、そういう言い方をすれば自分のことしか考えなかったし、彼らが知っていた「公」は個人の内側のほうに視点があって、どんな場合でもそれに照らして検証されなければならないものでした。
禅のような、厳しい内省的な宗教の奥深くまで当時の日本人の魂がはいってゆけたのも、そのせいでしょう。
そういうほぼ普遍的な「わしはわしだかんね」の時代が16世紀の終わりまで続いたもののようである。
怪しくなってきたのは、「武士」というものに憧れた佐賀藩の軟弱なサラリーマンが頭でっかちの観念ででっちあげた「葉隠」くらいからで、クリスチャニティと出会って西洋には「思想」ちゅうものがあるではないかとパニクった新渡戸稲造がこの退廃的な思想を「西洋思想」の対抗馬として担ぎ出したあたりで日本人は観念のなかで空転する宿命をもった民族に変容していったように見えます。
太平洋戦争で完全にたたきのめされるまで、近代を通じて、一貫して経済に対するまともな理解力をもたなかった日本の支配層は、内地法を適用しない変形したモノカルチャ型で経営のスタートを後藤新平がうまい具合に生産性の高い形につくった台湾を除いて西洋から形だけ借りた植民地の「経営」ですさまじい赤字を垂れ流しながら、常に経済不振の解決を戦争による他国の侵略に求めてきた。
それは「領地が増えれば自然と入金が増えるんちゃうの?」というに等しいうえに、まるで現地の人間の反逆心を奨励するかのように残虐であったのに経済上の徹底的な収奪は伴わない、というまるでただ憎まれるためにだけやっているような不思議な植民地獲得だったが、その空想的な感じのする野心を乏しい国力で実現するために、日本は軍事を頼みにしてきました。
国全体を教育を通じて兵営化しようとした日本の努力は「おかみ」にはポーツマス講和条約後の日比谷暴動を最期に常に忠実だった近代日本人の国民性が手伝って、国家をまるごと軍隊化してしまうというアクロバットを成功させてしまう。
そういうあざとい国家の運営は欧州をあるいは無理解からあるいは恣意でもって誤訳することによって輸入されたさまざまな考えによって達成されたが、これは国家の運営としては極めて賢明な方法で、ちょうど西洋でいえば、ドイツ人が何かの弾みで、天国の実在をすっかり信じてしまって、ドイツ国が天国(銀座の「てんくに」でなくて神様がヒマをこいているほうね)に派遣した留学生が口を揃えて「神様がユダヤ人を殺せば、おまえたちの血は清められて千年の栄光と繁栄を約束されるであろう」と言った、というのと同じことで、社会で起きうるすべての出来事に「正解」が書いてある教科書としての架空な「西洋」を機能させることによって、国家のおもいどおりに国民を傀儡することも出来れば、さらに大事なことは国民に自分の頭脳で考える事を停止させることに成功した。
そこからあとは、国民自身が思考だと信じているものは実は社会によって用意された選択肢から選ばせられているだけのことなので、言い出すことに予測もつけば、どういうふうにでも対応もできたのだ、というふうに見えます。
日本にいるあいだ、わしは、本来のびやかないいかげんさをもっていた日本というクールなマイクロ文明をまじめまぬけの軍隊に矮小化しようとする、そういったことのすべてが気に入らなかったが、いまフクシマダイイチによって不安の淵にたたきこまれた日本のひとびとは、「自らの将来の死」をぐっと間近に見ることによって、放射性物質が結果において有害でも、たとえ無害でも、その不安によって、「社会の部分ではない自分」ということを真剣におもいつめはじめたように見える。
自分が人間として幸福になるしか自分達の社会をよくする方法はないのだ、と気がつき始めたように見える。
いまの日本の状況は希望と呼ぶには悲惨にすぎるかも知れないが、それでも、わしは敢えてその無残な姿をした焦慮に満ちた社会とそのなかに閉じ込められた唇をかみしめた大勢の人びとの魂を「希望」と呼んでも良いのではないかと思っています。
Kia kaha Japan!









