ヒロシマ

January 25, 2012

2005 年に製作されたBBCの「ヒロシマ」
http://en.wikipedia.org/wiki/Hiroshima:_BBC_History_of_World_War_II
は、恐ろしい番組だった。
描写がリアルすぎて、夢に出てきそうです。
なかでも、一家がそろって朝食を食べているときに原爆が爆発して家が瓦礫と化してしまう家族の話は、爆風で両親が家屋の外に吹き飛ばされ、子供だけが崩壊した家の下敷きに
なってしまう。
意識をとりもどして家屋のほうへ這い戻った母親に瓦礫の下の子供が「おかあさん、助けて、はやく助けて」と叫ぶ。
母親は瓦礫をどけようと必死になるが炎があたり一面から襲ってくる。
「息が出来ない。おかあさん、熱い。はやく出して。おかあさん 足が痛い」
「おかあさん、足が燃えてる 足が燃えてる。熱い。助けて、行かないで、おかあさん、行かないで。足が痛い」
結局、母親は、あきらめて、炎のなかを、昏倒した夫をひきずって川へ逃げてゆく。
どうして一緒に焼け死んであげられなかったのだろうという悔恨のなかで戦後の長い時間を生きてゆきます。

書いてしまうと、怖さがぬけおちてしまうが、わしはこんなに恐ろしいドキュメンタリを初めてみました。

戦後カナダ人の配偶者をもったせいでカナダに移住し、被爆者健康手帳をもらうために訪問した日本で海外に在住するヒロシマ被爆者にはがんとして手当を払おうとしない日本政府の冷淡な態度に衝撃を受けて、人前で話をすることに最後まで抵抗を感じながらそれでも「ヒロシマ」を講演しつづけた絹子ラスキーや、急病の子供の往診で夜中に揺り起こされて爆心地から6キロ離れた村まででかけていたせいで助かった、福島第一事故後ヒロシマを経験した医師として発言している肥田舜太郞も証言者として出てきます。

この番組のなかで最も恐ろしいシーンは、多分、海軍の艦船でおおぜいの若い士官たちと談笑しながら食事を摂っていた合衆国大統領ハリー・トルーマンが「ヒロシマ原爆投下成功」の電報をうけとって、「諸君、広島は一瞬で破壊された」と立ち上がって読み上げると、部屋いっぱいの若い士官たちが歓声を挙げ、抱き合って喜びあうところで、36万人の広島市人口のうち14万人を殺したウラニウム235の爆発とそれが引き起こした殺戮の報告を聞いて、みなが底抜けの歓喜に包まれてしまう。

集団的サディズムはそれによって引き起こされたより大きな集団的サディズムによって復讐される、というのは、歴史の常識であって、それをよく知っていたから、ローマ人たちは、完膚無きまでに破壊したカルタゴの瓦礫をどけて更地にして、その上に耕作ができないように大量の塩をまいて、カルタゴ人がどんなにあがいても復讐できないようにした。

トルーマンと若い海軍士官たちが「サディスト集団」日本人の大殺戮の成功を祝っているころ、16歳の志願看護婦絹子ラスキーは、動かなくなった下半身をひきずって、匍匐して病院の階段にたどりつく、そこで幸運にも知り合いの医師の手術で体中に埋め込まれてしまった大小のガラスの破片を取り除いてもらうと、立ち上がれない身体のまま這って(とすら言えない腕でにじりすすむやりかたで)駅へ行く。
そこで「隣の駅からでなければ電車は出ない」と聞かされると、この驚くべきひとは、数キロ離れた次の駅まで線路上を腕だけで匍匐していきます。
「ときどき気絶してしまうんです」と絹子ラスキーは言っている。
意識が戻って空をみると、青い明るい空が見えたり、真っ暗な空が見えたり、そのときどきで違う空が見えた。
何度も気絶しながら、線路のあいだをはって、隣の駅まで行きました。

そうやって這いながら、絹子ラスキーは親の家にたどりつく。
6ヶ月、病床につくが、両親の必死の看病で、恢復していきます。

原爆を投下したエノラ・ゲイの機長Paul Tibbets
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Tibbets
は、大佐でありながらこの重大なミッションを自分の手で行うべく機長として飛ぶことを志願した。
死ぬまで自分が命令を遂行したことによって、たくさんの日本人とアメリカ人の生命を救ったことに誇りをもっていました。
原爆投下の決定をくだしたスタッフルームの最後の生き残りだった中尉も、「ヒロシマの責任は最終通告をうけいれなかった日本人にある」と明快に述べている。
日本では違うニュアンスになっているのにわしは気が付いたが、アメリカ側では、アメリカの最後通告が日本軍の解体を条件にして日本全体の解体を述べていなかったことをもって、「アメリカが日本側の勇戦で瓦解寸前になり弱気になっている」と誤解した傲慢に原爆投下の直接の責任を求めるのが普通の解釈になっている。

だから、やむをえず、原爆を投下した。

このBBCの番組のなかで、この見解に異議を唱えるのは肥田舜太郞医師ただひとりで、柔和な眼で微笑しながら、「アメリカは人体実験のために原爆を落としたんです。われわれには戦闘能力などもうないのは明らかだったことをアメリカは知っていたはずです。アメリカは原爆が人体に対して放射性物質がどういう影響をもつか、どうしても知りたかった。だから、広島に爆弾を落としたんですよ」と臆することなく述べている。

いま日本語wikiを見ると、
「広島に検査だけして治療はしない病院(原爆傷害調査委員会:ABCC)がつくられるとの噂から、依頼を受けて、治療もするようにと厚生大臣や連合国軍総司令部と交渉。結局断られ、理不尽な占領軍の傲慢さに憤って、アメリカの無法と闘うため占領権力に真正面から立ち向っていた日本共産党に入ろう、と決心し入党した」
と書いてあります。

若い医師だった肥田舜太郞は、村からキノコ雲を見て広島市内に自転車で急ぐ途中、
「真っ黒焦げに炭化した人間の形をしたもの」が自分に向かって歩いてくるのを目撃した瞬間から、66年という長い時間を放射線被害と格闘する人生を生きてきたことになる。

記録フィルムのなかで、もうひとつ示唆的なのは、関係する人間がみな緊張に包まれて、しかも離陸滑走中の爆発をおそれて飛行中の空中で最終組み立てを行うという慎重さで行われた緊迫した広島への原爆投下に較べて長崎への投下は緊張感がなくなっていたことが判ることで、プルトニウム239爆弾である「ファットマン」に、みなが笑いながら日本人に対する落書をするところがフィルムに残っている。
京都や東京に原爆を落としていって、日本全体を更地にするのだろう、と憶測していた爆撃隊員たちの、原爆投下が早くもルーティン化した、やや気楽な気持ちが見てとれる。
長崎の原爆投下は実は失敗で、目標から3キロも外れたところに投下してしまうが、この失敗の理由には伝えられる天候だけが理由ではなくて、他の理由もありそうです。

実は、わしは広島や長崎の原爆投下に興味をもったことはなかった。
理由というようなことはなくて、なんとなく、興味をひかれたことがなかっただけです。
iTunesで、なんかオモロソーなテレビ番組をダウンロードしてみてみるべと考えて、あんまり面白そうなものがないので、前後編にわかれたこのビデオをダウンロードしただけでした。

しかし、一度見始めると最後まで釘付けになってしまった。
いまさらなにを、といわれるだろうが、核分裂の力を解放してしまったときの破壊力のすさまじさは人間の感覚が想像する「破壊」というものの概念を遙かに越えている。

爆発の半径500メートルでは、あるひとは階段に影だけを残して肉体の全組織が蒸発してしまい。
ほとんどのひとは一瞬で炭化して人間の形をした炭になってしまう。
丘陵を隔てた6キロ離れた村にいた肥田医師も、爆風で家の反対側まで吹き飛ばされた、と証言しています。

よく知られているように、広島に落とされた原子爆弾は、50キログラムのウラニウム235を使った原始的なもので、いま世界中にばらまかれつつある核兵器とは世代も破壊力も桁が異なっている。

もっと切迫した問題である福島第一原子力発電所の事故と向き合っている日本のひとびととは違って、英語世界では、フクシマへの日本政府と日本社会の反応がもたらしたふたつの事柄への危惧が小さなサークルのなかでひそひそと話し合われている。
ひとつは、「日本人が事故後もたいしたことがなかった、と言っているのだから、原子力をこれまでと同じにチョー危険であると見なすのはやめて、汚くないエネルギーとしてもっと推進したらどうか」というひとびとが力をもちつつあることであり、もうひとつは、更に深刻で、日本人がつくった「放射線被曝の新基準」が仮に認められるとすると核兵器使用の心理的な障壁がなくなって、タブーではなくなってしまう。
いままでは核兵器を使用することは、そのまま(放射線被曝の二次被害によって)人類の終わりと意識されていたのが、そうでもないのだということになると核兵器を使用する大統領なら大統領の個人の決心の閾値が低くなってしまう。
ただの破壊力のおおきな通常兵器だというように意識されてしまえば、少なくとも局地的な核兵器の使用は実際に頻発してゆくかもしれません。

もともと核分裂反応による発電は技術として筋がわるいのは常識なので、1番目の危惧は、たいしたインパクトをもてずに終わりそうだが、2番目のほうは、結局は人類全体を滅ぼすことになるかもしれない。
地球上の核兵器管理全体が歴史上はじめて、というレベルで緩くなってしまっている現状では、もう案外と切迫した問題になってしまっているのかもしれません。

ちょうど、(特に増殖炉において)きわめて原子力発電の現状が危険な状態であるのを知りながら、それを放置していた自分達の「慣れ」による無責任が、今度は核兵器において追究されることになるのだろうか。

考えると、ユーウツな気分になります。

Follow

Get every new post delivered to your Inbox.