痛み

沖縄のひとは、「魂を落とす」という。
落とすと、わるいことが起きる。
気持ちが落ち着かなくなったり、ぼんやりしていたり、体調が悪くなったりする。
落としてしまったら、魂を落とした場所へ行って
「まぶやー、まぶやー、うーてぃくよおー」
とゆって魂を呼び戻すそーです。

現代では心へのアクセスを失ってしまうひとが多い。
自分の心や感情がどこか遠くにあって、ときどき帰りつこうとしても、もう自分の魂の住所がわからなくなっている。
他人の苦しみは文字通り「他人事(ひとごと)」で、なんとも思わない、というよりも、どうにも思えない。
他人の苦しみを思って泣く、などという人間は偽善者に違いない、と思い込んでいるひとまでいる。
もっと酷くなれば、実際に、自分の苦しみでさえ「他人事」になってしまうひともいるよーである。

人間にとっての最大の不幸は自分自身にアクセスできなくなってしまうことであると思う。
ヘンな例を挙げるなら、ちょうど自分のオンラインの銀行アカウントにアクセスできなくなったひとと同じで、パスワードもIDもちゃんとおぼえているのに、いざやってみると自分に見慣れた心象はあらわれないで、なんだかのっぺらした、自分のまわりにいくらでもある表情と顔にでくわしてしまう。
自分はいったいどんな人間だったかが思い出せなくなる。

シリアルキラー(連続殺人犯)に同じ問題を抱えたひとが多いのはよく知られている。
ベトナム以来、戦場で苛酷な戦いに曝されると、やはり同じ問題を引き起こすことも知られるようになった。
実際、海兵隊で、気の良い、やや単純な若者を殺人機械に変えるための訓練は、言葉を言い換えると自分の心に鍵をかけて自分自身から隔離するための訓練そのものです。
そういう眼で見直すと旧日本陸軍の習慣と訓練もやはり自分の心を虐殺することに特化されていた。
集団強姦や無抵抗な民間人を射殺するのが通常の軍隊生活の一部であった日本陸軍の軍紀の弛緩は、ようするに最低限の人間性まで兵士達から奪い取ったことの結果であるように思える。

中世の武士はびっくりするほどよく泣いたという。
感激してはおいおい泣き、友達が喧嘩して去ると悔しがって号泣した。
いまの日本人からは想像もつかないひとたちであったよーです。

わしがもつ、自由闊達で自分の心が自分自身に向かっていつもドアを開けっ放しであるような日本人のイメージは、どうやら俊頼髄脳と並んでわしが大好きな古典である「平家物語」から来ているらしい。何でも書いて自分でも飽きたが生田神社で箙に花の枝をさして戦場にかけもどる景季の後ろ姿は、わしが歴史のなかでなんども見送った日本人そのものの姿でもある。

日本は、空恐ろしいほど貧しい国だった。
豊かな濃尾平野で国をなした織田信長でさえ、多分、(印象では)軍事費が国費の半分をかるくこえていて、農民や商人は、くうやくわずに近い状態だったと思われる。
卓越したデザインセンスに彩られた鎧甲や兵器の美しさは別にして、戦国時代の争闘などは庶人の目からはいまのアフリカの内戦と同じようなものだったのかも知れません。
その程度の生産性しかなかったはずである。

江戸時代になっても貧しさが変わらなかったのは、一般に印象される中期までというようなことではなくて、現代の感覚からすると「ボロをまとっている」としか形容できない幕末の写真に残っている庶人の姿をみれば、文字通り一目瞭然、江戸時代もまたいまの常識では理解できないほどの貧しい時代だったでしょう。
明治時代にやってきたフランス人は、日本という国の貧しさに息をのんで、「この国には、しかも資源と呼べるものがなにもない。人糞だけがゆいいつの資源で、日本人という民族は人糞を畑にまいて食べた結果の人糞を畑に戻す、ただ人糞の循環だけで生きながらえている」と書いている。

周りからは海で隔てられ、十分な資源といえば石灰岩くらいしかなく少しの鉄と質の悪い石炭が採れるくらいの農業国に温暖なモンスーン気候が災いして人口ばかりが巨大に膨れあがった近代日本は、世界のなかでは、町外れによそ者として住み着いた貧乏な大家族に似ていた。
最も近い半島人から見れば文明の最低の基礎である礼儀すらわからない最低の隣人であり、中国にとっては、ほんとうに国として扱ったほうがいいのかどうかも判然としない島の集合にしかすぎなかった。

日本に個人主義が育たなかった理由を訝る本はたくさんあるよーだが、あんなに貧しい土地にあんなに人間がたくさんいて個人主義が発達したら、それこそ怪奇というべきで、日本が取りえた道はふたつで、強固な階級社会を形成して頂点の階級において個人主義らしいものを形成するか、乏しい富をわけあって、一種の情緒的な全体主義社会を形成するか、どちらかしかなかったでしょう。

近代日本は、革命の原動力が底辺の武士であった、という特徴をもつ。
後に支配層になったひとびとも、いまで言えばテロリストの、乱暴なだけで他に取り柄がないようなひとびとです。
いまの日本は江戸時代の薩摩藩にありようが似ていると思う事があるが、
人間性を弱さの証拠として否定し集団によるイジメが社会のなかで慣習化されていた薩摩藩の社会を、高度成長期からバブル時代の拝金主義に対するアンチテーゼのようにして徹底的に讃美したのは司馬遼太郎というひとでした。
大阪のひとだったので、ちょうど正反対と言えなくもない薩摩の「議を言うな」文化がひどく好もしいものに見えたのかもしれません。

薩摩は極端な全体主義国家だった。
軍事に特化したような「戦士の国」で、明治時代の最大の幸運はこの「戦士の国」の最後の戦士達が生きているときにロシアが侵略を決心したことだったでしょう。
他のタイミングならひとたまりもなかった。
薩摩人たちは日本という国の守護神のように戦って、勝ったとは到底言えないが玄関からクビを突っ込んできた巨大な熊の鼻面におもいきりかみついて、這々の体で逃げ帰させることに成功した。

この日露戦争はしかしふたつの大厄災を日本にもたらしたように見えます。
ひとつは会戦主義だった当時では常識として「戦争に勝つ」ということは勝ったほうの文明度のほうが高い、ということをあらわしていた。
その結果、日本は国民レベルで「ロシア=欧州」と肩をならべたという実感をもった。
日本がたとえばせめてトルコの位置にあれば、比較する気にもならないほど富も文明の成熟度も違う当時の欧州と同等の「列強」になったとは思おうにも思えなかったでしょうが、日本は遙かに遠い国で、「日本は一流国になった」というメディアと政府の宣伝を信じないというほうが不思議だった。
よく考えてみれば、つい昨日まで白米が食べられれば大贅沢で、つぎだらけの粗末な衣服を着て、隙間だらけの西洋の基準では建物とさえ呼べないほどの貧しいつくりの家に住んで、今日は突然文明国になるわけはないが、とにもかくにも、日本のひとは自分達が世界の帝王のひとりになったつもりで国家的な傲慢という悪い病気を育てていった。

もうひとつは、日露戦争後の講和条約を日本が大勝した結果のロシアの命乞い条約だとメディアや帝国大学の教授たちを始めとする知識人たちの演説で思い込まされていた国民が、条約の何もぶったくれなかった内容に憤激して、巨大な暴動を起こしたことで、この暴動は日本政府のトラウマになったよーでした。
燃えさかる建物を見ながら、日本の支配層は「主張する民衆」というものの暴力性を見て戦慄したに違いない。
これでは自分達がつくったちっぽけな出来たての「近代国家」などひとたまりもない、と考えただろうと思います。

歴史を眺めると、それ以来、日本の政府がやってきたことは同じことの繰り返しだった。
臆面もない嘘をつき、マスメディアを通じて、それを正当化してきた。
日本のマスメディアは記者クラブという管制装置をもっており、そこに詰める記者達は長いあいだ政治家や官僚と同じ階層から出て、トップは同じトーダイの顔見知りである、という不思議な状態だった。

国の体面が民主主義でも全体主義でも、そんなものはただの意匠で、シャツを着替える気楽さで着替えるだけの、機能自体はどっちの場合でも精確に同じ、という日本式に巧妙な中枢装置は、いまは日本だけ出なくて半島や中国、香港、シンガポールというような国にも受け継がれているが、この支配層からみればものすごくよく出来た社会の管制装置はしかし、一方ではどれほど権力の内部で腐敗を亢進させるものであるかは、いまのいま、日本のひとが自分自身の身で首相が言うようには決して分かち合えたりはしない、個々別々の強烈な痛みとして経験していることで、外国人であるわしが、云々するに忍びない。

サバイバルのために始まった日本社会の特殊な試みは、しかし、もっと意外なところで個々人に深刻な影響を与えた。

自分の心にアクセスできなくなった大量のひとびとの存在がそれで、日本語ウィキペディアを見ると日本語では性的な嗜好の意味でしか使わないようなので語彙として使うのが難しいが、社会の明瞭な傾向としてサディズムが蔓延していることのおおきな理由もそれであると、わしには思われる。
西洋語のアパシーとは決定的に異なる、自分と自分の魂との乖離は日本人を徹底的に苦しめている。
自分の心や情緒と乖離してアクセスを失ってしまうことは、そのまま他者に対していくらでも残虐になれる、ということに他ならないからです。
おもいつきの整合性があるように見える理屈さえたてば、狂った獣の群れのように集団で個人を攻撃する攻撃的な狂気は直截にはそこから来ているように見えました。

痛みをわかちあう、という野田首相の言葉を聞いたときに、その語彙の選択の、いかにも心根の貧しい品の悪さとともに、わしは、なんという皮肉な標語だろう、と考えた。
「痛み」こそは日本人から奪われた感覚の代表で、他人の痛みを感じられないばかりか、自分の痛みさえ見失って自殺におもむく、自国の人間たちから自分達支配層が歴史を通じて奪い続けてきたものを、いまは分かちあえという。
しばらく呆気にとられてしまったが、そうか、このひとも「痛み」というものをもてない、自分の心から締め出されてしまった人のひとりなのだと考えて、納得とはいわないが、そーゆーこともあるのか、と不思議の感覚に打たれたりしたものでした。

幸福ということ

あと1年で30歳なのかあー、と考えると、なんだか面白い気がする。
自分が年をとってゆく、ということくらいヘンなことはない。
人間の肉体は人間の意識の精細度が把握できる限界値よりもずっとゆっくり老いるので、人間はいつも「ある日、気が付くと年をとっている」というふうにしか年をとることができないが、精神のほうはもっと機能の低下が機能の変化と一緒に起きるので、両者がからみあって、ますます判りにくい、ということもある。

子供のときから、「将来は○○になりたい」というようなことを考えたことはなかった。
周りのオトナにも訊かれたことがなかったからだと思う。
考えてみればまだ十分に情報が頭のなかに出揃っていないチビガキに「オトナになったら何になりたいか?」と訊くくらいバカな質問もないので、オトナの暇つぶしあるいは悪趣味にしかすぎない。
オトナどもに分別があった、というべきなのかもしれません。

砂漠の英雄サラディンやジュリアス・シーザー、アレクサンダーのようなひとびとやもう少し大きくなるとガロアやディラン・トマスというようなひとびとに惹かれたが、ただ惹かれるだけで、特に劇的な一生を送ろうと思ったこともなかった。

昼間は運動ばかりしていて、朝と夜は机に向かっていることが多かった。
朝まで数学の問題を考えていて、いつのまにか外が明るくなって、鳥たちの声が聞こえる、というのが好きであって、夜更かしをしてもいいときには、いつでもそうしていた。
夢中になると時間は一瞬に過ぎて、楽しい時間ほどあっというまなのは不公平であると考えた。

新しい本よりも古い本のほうが圧倒的に好きだったので、ガリア戦記やプルターク英雄伝、ホメロスやヘロドトスを夢中になって読むことも多かった。
面白い本を手に取ると読み出してすぐにわかる。
わかると、なるべくゆっくり読もうとする。
わしの読書の欠点は「速読」をしなくても読むスピードが他人の何倍、というくらい速いことで、酒をがぶ飲みするひとと同じで燃費がわるい、というか、大量の本が必要になってしまう。
もったいないので、ゆーっくり、ゆーっくり読みます。
ところが夢中になりだすと、いつのまにかものすごいスピードで読み出していてあっというまに終わってしまう。
もう一回読んだり、途中の面白かったところを改めて拾い読みしたりすると、いやしいひとが皿に残ったソースを指ですくってなめているようで、われながらいじましい感じがしたりしたものだった。

先祖から親に受け継がれた財産で食べなくてもよいことになったのは良かった。
「発明」で稼いだときに、かーちゃんととーちゃんはガメらしいとゆって大笑いして祝ってくれたが、妹は、わたしはおにーちゃんは拾ったロットーが当たるとか、そーゆー稼ぎ方をすると思っていたがやや外れた、というようなことを言った。
そのうちに自分のもっている数学の知識がリスクの軽減やその他内緒なことに多少は役に立ちそうなことがわかったので投資ということに興味をもちはじめた。
カネモーケというような下品なことをくだくだしく述べても仕方がないが、オカネを稼ぐというのはいまの価値の日本円で言えば初めの1億円を稼ぐのが大変でゼロから始めて(余剰)1億円という金額が出来るまでの幸運と努力の総量は1億円から10億円に至る道程の4倍くらいであると感じる。
10億円から100億円は、もうちょっと楽である。
オカネの世界では何をするにも「適切なかたまり」という考えが大切で、たとえば住居用の不動産投資、というようなことを考えると、ニュージーランドではオークランドのような密集地の4つのアパートが1タイトル(タイトルは、多分日本の「一筆」というのと同じ)のブロックで70万ドル(5000万円)くらいから始まる。
4タイトルに分かれていれば90万ドル(6300万円)くらいからと思う。
20万ドルというかたまりで不動産投資を考えるのはポケットに30円しかないのにおいしいチョコをスーパーの棚に見いだそうとしているのと同じで、全然なくはないだろうが、無駄であることのほうが遙かに多い。
もっとアグレッシブな株式への投資のほうが安全であるはずです。

年齢とは直截関係がないが、世界の経済がどんどんどんどん危なっかしくなってゆく最中だったので、アグレッシブな投資から利益がうまれるたびにチョーコンサーバティブなほうへオカネを移し替えて行く事が多くなっていった。
気が付いたひともいたが、このブログ記事を見ると、あちこちうろうろしてばかりいるのには投資上はそういう意味があった。
いまニュージーランドとブログ記事には移動しても、なあああーんとなくごまかしているので出てこないがオーストラリアにいることが多いのも、下品な理由がないとはいえない。

家の、日本にはない、不思議な開け方をするドアを開けて、なだらかな傾斜になっている芝を横切ってモニがそこで本を読むのが好きなガゼボまで歩いていく。
手には紅茶とビスケットが載ったトレイをもっておる。
記事には書きにくいが、オトナになってしまったので、わしの家にも両親の家と同じに家の手伝いをするひとが増えた。
子供が生まれる前後からは、小さな会社みたい、と自分で考えて可笑しくなることがあります。
でもこの家は、こういう事態になったときのために考慮して改造してあるのでたとえば台所もふたつある。
小さいがチョー機能的な台所のほうはモニとわしが自分たちでデザインしたもので、使いやすい。

ビスケットをひと口たべたモニが眼をまるくして「うまいな、これ」という。
ガメが、自分でつくったのか?
そーですねん、と、わし。
小麦粉を変えてみたのね。
あと、秋になって気温が下がって空気が乾いてきたのもカンケーがあるよーだ。

人間が幸福になるには、いろいろなやりかたがあるに違いない。
別にオカネがなくても幸福になれるのも、あたりまえだと思います。
いろいろな幸福のなかでも自分がいちばんのんびりした気持ちになれるものを選ぶ。
仕事に生き甲斐をみいだす、というのはよくあるが、結婚したとすると相手の女びとや男は、往々にして結婚相手の生き甲斐のために自分の時間の質の低下を忍耐しなければならなくなるので、結婚という価値を求めているカップルではたいてい離婚になるよーだ。
仕事が中心の幸福は家庭とは両立しないので、結婚・家庭という伝統的な枠組みの外側で新意匠の「幸福な生活」を設計しなければならないところが、ちょっとたいへんであるよーにみえる。

なんどもこのブログ記事に出てくるアイザック・ニュートンのように、おもわず無茶苦茶な大事業を達成してしまうひともいれば、ウインストン・チャーチルのように子供の頃の兵隊人形を使った戦争ごっこがそのまま生業になって自分の国をおもわず救ってしまうひともいる。

どのような場合でも起きて寝るまでのあいだにいちばん自分にとって良さそうな事をやっていった毎日の結果が連続していって「おもわず」達成してしまっただけで、宇宙の謎と解き明かすべく物理学者になるニュートンや故国の英雄となるべく同級生をプールにつきおとして校長に叱責されたチャーチルがいたわけではないよーです。

ロスアラモスの頃からしばらく科学者たちのあいだには「核反応軍事利用の研究を禁止すべきだ」という声があった。
核科学の研究自体の禁止を主張するひともあったようでした。
あるいは遺伝子工学の研究を危惧するひとはたくさんいる。
わし自身、遺伝子工学のほうは、すげーあぶねーよな、と横目でみながら思っている。

「だが、手は動く」という。
日本語で、やむにやまれぬ、という。
頭が計画し企画しているわけではなくて、手が数式を書き、図になったメモをつくり、
実験を繰り返す。
いまは科学者の時間的競争も盛んなので、わけもわからないまま研究だけがものすごい勢いですすんでゆく。

定向進化的、というべきか、人間の知恵はそうやってほぼ自動的に爆走してどこかへ人間の世界を運んでいこうとしている。

面白いのは 定向進化的な人類の躍進に寄与するひとは独身のひとが多いことで結婚しないで一生を終えるひとが異様な人間とみなされた時代ですらかなりの数のひとが独身です。もちろん子供がいるひとはもっと少ない。

彼等の「幸福」は自分の一生のなかで次第に明瞭な形をとっていって、やがては彼等の全存在をひっつかまえて引きずっていったひとつのおおきなベクトルのなかで生きることで、通常の人間の幸福とは異なっていた。

大きなベクトルをもった人生は若い頭にもわかりやすいので、その種類の人生を「価値の高い人生だ」と考えるに至るのはわかりやすいが、やはり皮肉な言い方をすれば子供の頭が考えることだと言えなくもない。

人間の幸福はもっと遙かに多様で、あるひとにとっては天井から札束がどさどさと降ってくるのが幸福であり、ほかのひとにとっては楕円曲線が例外なくモジュラーであることを発見することが息が止まるほどの幸福である。

黒澤明の「生きる」の主人公は達成が幸福であると考えて泥沼のような役所仕事の悪意のなかをキチガイじみた勇気で推し進んでスラムの悪臭を放つ汚水だまりの上に小公園をつくり、その小さな達成に満足して死ぬ。
小津安二郎の「お茶漬けの味」の夫婦は、結婚以来いちども得られなかった夫婦の一体の感情を、家事など縁がなかった妻が夜中の台所でやっと見つけ出したお櫃から装った冷たいご飯にお茶をかけた夜食をふたりで食べることによって「幸福」というものを発見する。
大きな幸福や小さな幸福、というようなこともなくて、そこには人間それぞれの幸福があるだけのことである。

ところで30歳をすぎるようなオトナにとっては自分が幸福になることは、おおげさではなくて社会への義務とみなすこともできる。
自分が幸福でなければ他人を幸福にすることなど出来るはずがないからで、理屈としては飛行機の緊急時に子供と一緒の乗客はまず自分が酸素マスクを着用しなければいけないと厳しく定められているのとまったく同じだと思います。

「幸福など求めない。そんなものは、なくてもよい」というのは、だから、子供の理屈であると思う。

幸福という得体のしれないものにたどりつかなければならないのは、要するに自分が幸福になることだけが社会への貢献の第一歩であるからで、どうあがいても人間が社会との作用と反作用のなかでしか生活していけない以上、言葉の響きがどんなに嫌でも自分を幸福にするのは人間の最低の義務であると思われる。

30歳かあー、とわしはため息をつく。
年齢がすすむと可能性は減少する。
ほんとうはモニがいれば、それだけで、きゃっ きゃっ きゃっと喜びたくなるくらい嬉しくて幸福だが、わしがそれだけでへらへらしているとモニが不幸であるような気がする(^^)

また次の部屋へドアを開けて、新しい部屋へはいってゆかねばならないが、今度はどんなドアを選べばいいかなあー、と思うのです。

のおんびりした時計

ニュージーランドと日本という国の最もおおきな違いは「時間」であると思う。
ニュージーランドは言わずと知れた英語国でもチョーのんびりで有名な国で、テキトーなのとのんびりなので、アメリカ人たちなどは毎日気が狂いそうにしている(^^)

でも「時間」が違うというときの違いは実は速さではなくて時間のまとまり、というか、時間の扱い方が最も違うよーです。
のんびりと海辺のベンチに腰掛けて海を見る。
もってきたクリームバン
http://www.flickr.com/photos/41187064@N03/3805465086/
をほっぺにクリームをくっつけながら食べて、カモメというのはどうしてあんなに眼付きが悪いのだろうと考える。
カモメが街灯の上にとまろうとして争っている。
見ていると終いにはカモメの上にカモメが重なって立ったのでコーヒーをふきだしてしまいそうになる。

明るい生姜色の髪の毛のチビガキ娘がでっかいラブラドールと一緒に波のなかへ走ってゆく。
「きゅわあああああーい!」と叫んで波から走り出てくると、犬さんとふたりではあはあしておる。

ランギトトの島は、やさしくて、たおやかで、不思議な事にどの方角から見ても似たような山容である。

ベンチの後ろに小さくついているプレートには、「サカグチ」さんという日本人の寄贈者の名前がついていて、1996年になくなったと書いてある。
どんなひとだったんだろうなあー。
きっと会社を退職して、ニュージーランドにやってきて、いつもこの浜辺を散歩していたのではあるまいか、としんみりしたりする。

ニュージーランド人の時間には「余計な時間」がいっぱいあって、ベンチに座っている、という時間のかたまりでも1時間くらいある。
そのくらいは座っていないと、なんだか落ち着かない感じがする。
15分で立っていってしまうと、おいしいお菓子を大切に食べていたのに半分欠けて道におっこちてしまったような、中途半端でやりきれない気持ちになってしまう。

日本にいたときはペースが速い、というよりも時間のひとかたまりが何だか中途半端に短くて、つんのめるような感じだったのを思い出す。
食事というようなものを考えると、日本のひとは食べるのが超人的に速いが、それを別にして、店の閉店が10時であると、10時になればもう日本人の友達は腰が浮いている。
ガメ、もう10時だぞ、という。
わしは、そーだね、とかマヌケな返事をしてます。
せっかくおいしいものを食べたのだから、ちびちびとポルトを飲みながらのんびり話をしたいと思うが、店のひとに悪い、と思うのでしょう、お友達はもう上の空である。

クライストチャーチのミラベルという所にある、いまはもうなくなったレストランで、
友達8人で食事をしたことがあった。
友達の誕生日だったので、シャンパンやワインがどんどん空いて、午後6時にみなでやってきたのに、楽しくて、11時頃まできゃあきゃあゆって笑い転げながら遊んでしまった。
閉店は10時半です。
店のマネージャーの女びとがやってきて、レジをもう締めて鍵をかけてしまったので、お支払いを受け付けられなくなりました、という。
じゃ、どうしますか?と訊くと、店のおごりですね、と笑っています。

もちろん、わしらは、その店が大好きになって、ことあるごとにそこへ出かけた。
マネージャーが、今日はタダじゃないぞ、とビルを払うたびに冗談を言ったりしていた。

マンハッタンでも無論、のんびり客のモニとわしが時間のかたまりを最後まで味わいつくして、どおりゃ、ほんじゃまあ、バーにでも向かうとするか、アメリカ人は「Check,Please!」という不思議な英語を使う、「お勘定」に呼ぶまで、片付けものをしたり、あるいはもっと高級なところなら壁際にじっと立って、待っていてくれる。
ビレッジの小さなレストランなら、店がひけたあとに自分のデートの約束があれば、
「今日は、ガールフレンドとデートの約束してるんだ。もう閉めるしたくしてもいいかい?」と訊きにくるだろう。「バーを片付けるから、あと30分くらい」という。
そーゆーときは、もちろん、心の準備をして30分しないうちに帰る。

日本という国では、なんだかみんなが慌てている。
子供のときは妹とふたりで見ていていつも可笑しがった。
横断歩道を渡るのにも小走りに渡る。歩き方も、ちょちょことしたオモシロイ歩き方で、忍者の影響だろーか、と考えたりした。
あとでトーダイおじさんたちに聞いた知識によるとお侍は右手と右足を一緒にだす、というもっと超絶不思議な歩き方をしていたそうで、重い刀を二本差しにすれば他の歩き方は出来ないという解説だった。
だとすると、あの日本のひと特有で、ミルピタス
http://gamayauber1001.wordpress.com/2009/01/27/milpitas-ミルピタス)/
のようないろいろな国のアジア人がたくさんいる町にいても一目で「日本のひとだ」と区別がつく歩き方は近代以降、もしかしたら兵隊の歩き方なのかもしれません。

塾の帰りらしい子供がふたりで、なにごとか忙しく話しながら歩いてきたと思ったら、わしを追い越して下りのエスカレータに乗る、乗った、と思ったらあっというまにステップに腰掛けて、腰掛けるのと同時に鞄からDSを出してちょこちょこっとふたりでゲームをやって、また仕舞って、すっと立ち上がってすたすたと歩いてゆく。
流れるような動きで、観察してるチョーのんびりのわしのほうは、意識の流れの速度が文化によって絶対に違うのであるな、という訳のわかないことを考えたりしていた。

もっとくだらないことを述べると、ニュージーランドでは国営放送にもコマーシャルがあるが、2分枠で、連続ドラマ仕立てになっているコマーシャルは本編よりも面白かったりすることがある。

書いていておもいだしたが、美しい女びとがシャツにニッカーズの素足でキッチンの電子レンジになにかをいれている。
寝室にいくと、そこにはハンサムなにーちゃんがいて、ふたりは情熱的な抱擁をかわし、女びとは絶頂に達し、にーちゃんは体勢を立て直しておおいかぶさってイッパツやります。
手のひらと手のひらを握り合わせて、ファンファーレが鳴りそーなくらい本格の盛大な情交である。

そこで「チーン」という音がして、電子レンジからとりだしたインスタントパスタを男のもとへもっていく女びと、嬉しそうにうけとるにーちゃん。
電子レンジのタイマーに点滅するオレンジ色の「02:00」(2分間)の表示(^^)
というユーメイで、なんらかの理由により男達に特に安堵と慰藉を与えたイギリスのコマーシャルもそれ自体2分間のコマーシャルだった。

なにかを始めようとする
対象を観察してじっと考える
じゃ、こーゆーふーにやってみればいいかと思って、ゆっくりとりかかる
かかってからも、だいたい日本のひとの倍くらいの時間をかけてゆっくりやります。

考えてみれば、こういう英語人の時間の流れの感覚は牧畜から来ているのかもしれなくて、なんで、いまそんなヘンなことを考えたかというと、羊や牛は周りのものが突然動くのを嫌うからです。
羊などは、ゆっくりで滑らかでない動きのものをみると跳び上がって逃げる。

そんなことゆったって、きみがトロいだけでしょう、というひともいるに違いなくて、実際わしは英語人の社会でも「のんびりすぎて調子が狂う」とよくゆわれる。
わしとテニスをすると最悪で、あれ?打ち返さないのかなあー?と思っていると突然ラケットをふってボールがヘンタイみたいなタイミングで飛んでくるので、やってられない、とよく友達にぶつくさゆわれる。
会話でも、わしの返事をするのがあまりに遅いので、何事か話しかけて答えが返ってくるまで黙っているわしの超々のおーんびりタイミングに慣れるまで大変な修養が必要であるそーです。

しかし、ですね。
日本の社会のタイミングにはどこか「壊れている」ようなところがあると思う。
急いでいるのに上滑りしている、とでもいうような言葉にしにくい、名状しがたい「落ち着いていられない」感じがする。
それはもしかしたら子供のときに自然に接する時間が少なすぎて自然から「時間」を学べなかったのかもしれないし、学校、特に初等教育での時間単位のつくりかたが不自然なかたまりをなしているのかもしれない。
わしは日本のテレビを観なかったのであてずっぽうもいいところだが、テレビの番組のひとつながりが気ぜわしいものなのかもわからない。
レストランでの時間の扱い方の違いを考えたりすると、個人の時間よりも全体の時間が優先されるということかなあー、と思ったりもする。

理由はもちろんわからなくて、それを、これから考えてみよーかなあー、と思っているのです。

Lost In Paradise


宇宙が想像を遙かに超えて美しい存在であるのは別に宇宙船に乗ってでかけてゆかなくても自分の知っている調和的な数式を思い出してお温習いに証明してみればわかる。
数学という言語に縁がなければピアノの鍵盤の蓋を上げて、なるべく簡単な音階の組み合わせで出来たチューンを弾いてみるだけでも、どんなひとにも、この宇宙それ自体が一個の美でなければ、そもそも存在するはずがない旋律であるとわかるだろう。
その音楽はどんな人が耳を澄ませても地上のどこかから聞こえているのではなくて、天上から聞こえてくるものだからです。

人間という存在の傷ましさは一個の巨大な美にすぎない宇宙のなかに生まれ落ちながら、肝心の美を発見することを拒絶したまま、ありもしない意味を求めて自分に与えられた「一生」という名前の時間を浪費してしまうことにある。

咲き乱れる花の下で、輝かしい夏の太陽に反射する芝の緑の上で、この世界に存在するどんな愛撫よりも巧妙なやりかたで肌にそっとふれてゆく、暖かいそよ風が吹き抜ける午後に、宇宙にまっすぐ連絡する透き通った青空をみあげてきみは、Breathless、という言葉を思い出す。

人間の一生に意味や価値を求めるのは、壁のしみに見知らぬひとの顔の形をみいだすのに似ている。
天国も地獄も、あるいは現世の正義も、人間が「意味」の泥沼であがきまわって夢にみた、ありもしない空想であることはわかりきっているのに、ただ生まれて死ぬということが、ただそのままのものとして受け取ることが出来ないばかりに、この世界には「正しさ」があるはずだと思いつめて、その正しさにたどりつくための知恵を求めて、きっと届かない叡知に必死に手をのばしてみる。
ところが宇宙は、そうしている人間にはまるで無関心なまま、人間が意味への渇望を捨てるまでは決して見ることができない巨大で圧倒的な美の調和の具現として立っている。
その壮麗な、ただ美としてある現存は、人間の意識に幽かな灯明がともると、すっ、と姿を消してしまう。
音楽の場合でも科学でも、宇宙の姿にたどりつけるのは人間の意志を越えた手の動きだけであるのは、たくさんの人が経験して知っていることであると思う。

友人の仕事場をたずねて、腐敗してウジ虫がわいた屍体が解体されてゆくのを見つめていた午後がある。
それまでに見なれた死体とは異なって、激しい腐臭を放って崩壊してゆく過程の腐敗死体は、あの解剖学教室の死体特有の「なつかしさ」あるいは「親愛」のようなものを失って、どんな形でも「敬意」のようなものをもちえない何かに変わっていた。
人間には魂の死だけではなくて、形の死、とでもいうべきものがある。
そして、その形象が魂に優位していないとどうして言えるだろう。

保存された死体がもっている慎ましさは意味と価値の追究をあきらめて、そっと横たわっているのに、腐敗がおこると、また意味を鼻先につきつけて勝ち誇り始める。
崩壊する肉体は生きている人間などより遙かに雄弁に沈黙を侮蔑する。
腐敗した肉体はむきだしの憎悪に似ている。

宇宙が想像を遙かに越えて美しい存在であるのは別に数式をながめてみなくてもわかる。
ほんとうは、心の片隅にうずくまっている、小さな「沈黙」に気が付けばよいだけである。
何者かによって生かされているのだ、というような心を落ち着けはするが虚しい考えをやめて、自分の意志で生きてゆけばいいだけのことである。
自分の足で歩いて、大気をかきわけて、他人や自分の意識に由来する意味を拒絶して、筋肉の運動と感覚器に起こる電気信号に依存して時間を過ごせば良いだけのことである。
もちろん、この宇宙には神などはなく、天国も地獄も、正しさも価値の体系もありはしない。
須臾といい永劫というが、どちらも同じだろう。
でかけていってみるしかないのだから。
心の奥の薄暗い片隅にある、あの「沈黙」めざして。

decency

英語でdecencyという。
いまオンラインの研究社 新英和中辞典
http://ejje.weblio.jp/content/decency

を開いてみると、

1 「(社会的基準からみて)見苦しくないこと、(言動・服装など)きちんとしていること、礼儀正しさ;品位;体面

とぜんぜんピンとこない日本語の訳が書いてあります。まだるっこしそうに意味がたくさん並んでいて、どれでもうまく言えないでいらいらしているよーに見える辞書の説明があるときは、その単語に該当する単語が自国語に存在しないときで、ここでもそれがあてはまりそーである。

研究社新英和中辞典のまねっこをしながら強いて日本語で表現しようとすれば、きっと、

1 (社会的基準からみて)ひとを見苦しくさせない力をもつなにか、( 人に言動・服装などを)きちんとさせるなにか、人を礼儀正しくさせる力;品位を保たせるなにか;結果として体面というような外見にもあらわれてくる何らかの力

とゆーふーだろーか。
日本語には概念そのものがない言葉だと思います。

もうひとつのcommon sense
http://en.wikipedia.org/wiki/Common_sense
のほうは、ちゃんと訳語を新しく作ってあって、あるいは半島語でも中国語でもベトナム人の言葉でも同じ単語を使うので仏教語かなにかから転用したのかもしれないが、意味を新装して西洋語のcommon senseをあらわすように定義しなおしてあって、日本語の「常識」がそのままあてはまる言葉であると思う。

このブログでもツイッタでも何回も書いたが、日本語を書いているときは日本人になったつもりで西洋的な考えを翻訳したようなことは書かないことにしている。
日本人になりきるのが本人の楽しみだからです。
でもたまには英語頭が考えたことを日本語に変換して書いてみると、日本への5年間11回に及ぶ大遠征中には、common senseとdecencyということを考えることが多かった。

「陽はまた昇る」
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD1924/index.html
という2002年に公開されて評判がよかったらしい映画を観ると、期待したVHSの具体的技術的な困難の克服については一秒も出てこないが、日本の社会って、こーゆー感じかなあー、とぼんやり想像させるところはいくつも出てくる。
ぶっくらこいてしまうシーンもたくさんあって、最大の「ぶっくら」は主人公の日本ビクターの事業部長が若い社員を自分の部下を思う気持ちのあまりぶんなぐるところがあります。

頭で考えてみてもわかりにくかったが、第一、字幕もないDVDだったので、懸命に頭を日本語頭に調整して観ていて、それでも「ありゃあー、殴っちゃったのね、このひと。すげー」という感想しか起きようがない。クビだなー、当然、事業半ばでタイヘンである、と思って観ていると事業部長が懲戒免職になるどころか、殴られた若い社員は殴られたことによって事業部長の情熱を感じる、という全然わけのわからない展開で、海兵隊(マリーン)でも、こーゆーことはありえねー、という不思議にものすごい物語りの展開でした。
平たく言えば、なんじゃ、こりゃ、と考えた。
ほかに、思いようがないであろう。

おもいきしグーで殴られた若い社員が松下幸之助に事業部長の熱誠について手紙を書いて、それを読んだ松下幸之助が主人公に「あなたは良い社員をつくられた」っちゅーよーな返信を書くが、もう終盤のその頃になると、わしは眼が点になりきっていて、あんまりこーゆーDVDを観ていると眼がちっこくなってヘンな顔になってしまうのではないかと危惧されるほどだった。

社会はdecencyとcommon senseで維持されている。
decencyがなくなれば、社会は一瞬で人間性を失い、社会の側で要求するままに個人の人間性を蹂躙することになる。
common senseが失われた社会では、不毛で詭弁的な修辞にみちた議論が横行し、理屈にさえあえばどんな奇妙な考えでも大手をふって輿論として大通りを行進することになる。

野田首相が「痛みをわかちあう」という西洋ならばツアーリが農奴たちに述べるような言葉を述べたり、閣僚が放射性物質がてんこもりのおにぎりにかぶりついてみせたりというような名状しがたい品の悪さは、映像を観た世界中のひとをびっくりさせた。

失笑、という反応が多かった。
ああいうパフォーマンスを政治家がやろうとする国の社会というものに、どの程度のdecencyがありうるだろーか、ということに直覚的に頭がいってしまうからです。

福島県人を一年間もほとんどホームレスと変わらない生活のなかに閉じ込めて、ほうったらかしにしておいて、将来のエネルギー政策について夢中になって議論する、などという途方もないことが起きるのは、やはり単純に社会が後進的で、社会がもっているべきdecencyというものが欠片もないからだ、と感じられる。

放射能と隣り合わせの生活なんて、たとえ安全だって嫌に決まっている、と誰だっておもうが、
いつのまにかそう思うためには放射能が危険であると証明しなくてはいけないことになっていて、それではまったく話が逆で、そんなに「痛みをわかちあう」というような無茶苦茶なことを言って放射性物質を全国に流通させたければ、放射能が安全であると100%間違いなく証明するのは、むろん放射性物質をぶちまくほうの仕事であるのに、理屈で考えてこの程度の放射能はダイジョーブだ、と焦点が狂った、トンチンカンな議論をして得々としている人間がおおぜいでてきてしまうのはdecencyの欠落に加えてcommon senseもなくなってしまっているからである。

日本のなかで、なんとか日本人たちを騙しおおせて、殴られれば感謝し、自分が日本人として生きていられることを地にひれ伏してお代官様に感謝してみせなければならないようなチョーが五つくらい続くようなチョーX5ダサイ社会を再建して経済が立て直せるというのが日本人支配層の目論見だが、見落としていることがひとつあって、japan fukushima nuclear cover-up lies というようなテキトーに並べた検索語でぐるぐる先生に訊くと、ずらずらずらとはてしなく出てくる世界から浸みだしてくるような日本社会への不信を、ほんとうに日本は生き延びていくことができるだろーか。

原子力発電ということに話を限れば、原子力発電というのは産業としてテプコならテプコで独立してやっていける事業ではなくて、というのは現に世界の原発でそれだけで事業として採算がとれている発電所はひとつもなくて、どうしても公衆社会からのサポートを必要とする。違う言い方をすれば巨額の税金をそそぎこまなければ原子力発電は成り立たない事業で、昨日ツイッタで引用したインデペンデントの記事の表現を借りれば、

「The nuclear industry is terrified of losing public support, for the simple reason that it has always needed public money to fund it. It is not, even now, a sector which can stand on its own two feet economically. So when it finds it has a problem, its first reaction is to hide it, and its second reaction is to tell lies about it. But the truth comes out in the end, and then the public trusts the industry even less than it might have done, had it admitted the problem.」
というその通りで、せっかくグリーンエネルギーだというので長く苦しかった厳しい世論との格闘のあとで税金をかき集めるパラダイスが現出したと有頂天になっていたのに、トンマな東電のおかげで利益が逃げてしまった原発ロビーとしては、もういちど原発がダイジョーブという口実をつくりなおさなければならないところに追い込まれてしまった。

福島の原発に東電が利便性を優先してアホなデザインを採用したせいで崩壊されて困りきった原子力発電業界が次第に形成しつつあるのは、「日本の社会的な後進性が原因で原子力発電所の保守がちゃんとやれなかった」というチェルノブルのときと同じ印象操作です。
あれは、日本人だからマヌケなことになったので、手順を遵守する、われわれの社会ではああいう事故など起きるわけがない、というチェルノブルとまるで同じ論理を適用しようとしている。

子供のときに熱狂したマンガやアニメの力は強烈で、いまの40代から下の西洋人は欧州、北米、というような場所を問わず普通に日本は「やや毛色が違うが自分達と同じ文明国」と認識してきた。マンガとアニメが西洋語の世界で生きているガキどもに理屈よりももっと深層に近いところで擦り込んだのは日本人のcommon senseの堅牢さであり、ジブリのアニメに端的に表れているようなdecencyへの豊かな感覚だったと思います。

皮肉にも、おにぎりにかぶりつく閣僚の映像はマンガとアニメが長いあいだをかけて築きあげた「日本という高度な文明」の印象を木っ端微塵に打ち砕いてしまった。
しかも、だんだんに伝えられてくる日本の科学者たちの「放射脳人」たちへの冷笑と嘲笑は、日本人全体の科学というものへの本質的な理解の欠落を強く印象づけつつある。
日本の科学者が放射能をこわがることの非科学性を言い募って科学者でない日本人を嘲笑するたびに、英語世界の科学人のほうは、科学と宗教を混同する科学者たちを観て、日本人て、そんなにものの考えが非科学的だったのか、とぶっくらこいて眼をまるくしている。
毎回ぶっくらこいて眼をまんまるに見開いているので、もしかすると、「陽はまた昇る」のような映画を観て眼を点にするのと交互に行ったほうが美容上はいいかもしれません。
さらに社会全体で「この程度の放射能は有害ではありえない」と言い出したことによって、日本という国では社会全体のcommon senseがまるごと欠落しているのではないか、というおおきな疑惑をもつことになった。

またまた英語でチョー・スマンと思うが、英語ではundermineという。
ものが拠って立っている足下の地面を地面の下で掘り崩して、全体がぐわらぐわらと崩壊する方向にいってしまう、というような意味です。
日本の支配層は、内側をだましおおそうと夢中になるあまり、自分の滑稽で厚顔な姿が、周りからまる見えであることを忘れている。
やっていることは日本という社会の全体をundermineしているので、ここまでアニメやホンダが長い時間をかけて築き上げてきた「高度な社会」というイメージを自分の「放射能ダイジョビ」「いまの苦労を一致団結と真心で乗り切りましょう」というよーな、大時代、よりは、悪い冗談じみた発言で倒壊の淵に追い込んでしまっている。
日本の政府はウソのかたまり、社会はそのウソのチューンを信じ込んで踊る気の毒な人の集まり、というイメージが、これから先どれほど日本人ひとりひとりの生活を惨めにしてゆくかということを考えると、他人事ながらゲンナリした気持ちになります。
日本のひとにとっては自分達から見た北朝鮮の社会を思い浮かべるのが、自分の社会へ向けられている他国人の視線の意味を理解するには最も手っ取り早いかもしれません。

日本でいま起きていることにこのおっさんにも関心を持ってもらうべ、と考えて昨日話したオーストラリア人は、日本の政府の姿を評して、駝鳥が頭を砂の中にもぐらせているという、ありふれた英語の表現を使った。
駝鳥は、自分の姿を隠そうとして頭を砂の中に突っ込むが、無論、頭以外の駝鳥の巨大な身体は丸見えなので、アホな隠蔽のことを述べるときにはふつーに使う表現です。

どんな社会にも後進性があるのに決まっているが、日本の支配層は、わざわざ自分の社会の後進性にあたる部分を世界に向かって強調してみせている。

なんのために? 
と支配層の側に立って想像を巡らすと、そうしなければ、たとえば経済はたちいかなくなってしまう。
正直なことを述べて難民が大発生したら、どーすんだ。
東北人が大挙して押しかけて補償金むしりとられたら財政が崩壊してしまう。
海外移住者が増えたら日本の外交のおおきな負い目になる。
第一、十年後の電気を供給する方法がなくなる。
ちょっと考えただけで理由になりそーなことがいっぱいあります。

自分達がマヌケであったことによって生じた「絶対に起きてはいけない事態」が起きてしまったことの代価を、そのまま自分の国の個々の人間に押しつけるためにオチョーシモノを操縦し、サディスト科学者を放し飼いにして昨日まで危なかった放射性物質を一日で安全なことにしてしまい、あまつさえ「痛みをわかちあう」という居たたまれないくらい品の悪いべとべとした言葉を使って、東北に偏在する放射性物質を日本中に薄く広くばらまいて、いきなりひとりひとりの人間の身体を放射性物質のコンテナとして使おうと考える厚かましさは、自分の国を構成する国民のひとりひとりを徹底的にバカで愚かだと前提していることによって救いがたいほど後進的であり、自分達が戦後65年間に積み上げてきたことを短期間で破壊してしまったことによって反社会的であると考える。
decencyという言葉に訳語が見つからなくて困惑しているような風情の英和辞書を見ながら、日本の社会から欠け落ちていて、その欠落によっていままで社会を軋らせてきた空虚の部分が、到頭、当の社会全体を破壊しつつある光景を眼の前にして、こんなこともあるのか、とボーゼンとしてしまうのです。

「真実」という厄災

真実ほど厄介なものはない。
たくさんの人間を短いあいだ欺すことはできる。
少数の人間を長いあいだ欺すことも可能であるのは現実の歴史が証明している。
だが、たくさんの人間を最後まで欺すのは容易ではない。

遠くの空にかかる月と地球とを見えない力が結びつけている、と考えるのはながいあいだ人間には難しいことだった。
両者を連関させている力が「見えない」からであると思います。
地球が球形である、ということを信じるのも難しいことだった。
どう見ても大地は扁平で、どこまでも広がっていて、ものの形を扱うのに長じている人にしても、仮に水平線や地平線の湾曲が錯覚でないとしても、それが球形の一部ならば、ばかばかしいほど、というよりも、非現実そのもののバカげた大きさの球体を考えなければならなかったからです。
では、その巨大な球体が「浮いて」いるのか?
何に?
どうやって?
あなたには神を畏れる気持ちがないのか?

太陽が地球のまわりをまわっているのは歴史上なんども科学的に証明されてきたし、そうではなくて地球が太陽のまわりをまわっていると述べるのは、科学者や社会的権威者の嘲笑をまねくだけでなく自分の生命にとって危険なことでもあった。

フィレンツエの頑固な男が「それでも地球が太陽のまわりを周回しているのだ」と述べて周囲を呆れさせたのは有名です。
杞憂、という。
空が落ちてくると心配した杞の男に似ている、という文脈でそのひとのことを思い出すのでなければならなかった。

真実は、ゆっくりと、だが確実に姿をあらわしてしまう。
われわれが塩基情報に基づいて産生されたタンパク質の構造体であり、意識が電気信号であり、微小な粒子は通常知覚されるような法則とは途方もなく異なる法則に従った存在であり、どんなに富を傾けても人間は死ぬしかないものだ、とわれわれはもう知っている。
前にも書いたように「人種」という概念そのものが「時間」を把握する感覚に著しく劣る人間の直覚の欠点に基づいた迷妄であり、遺伝子構成上、肌の色や身体の形の違いは実は「日焼け」の程度の違いに生物学的には近いものだ、というような人間の直覚を正面から嘲笑うような「真実」もすでに遺伝子解析の進歩によって判っている。

日本では不思議なことが起こっている。
支配層が挙げて「現在日本を覆っている放射能は人間にとって安全だ」という信念をもっている。
では大学構内や研究所内、あるいは病院のなかで、日本では他国よりも遙かにルースな基準で放射線が扱われてきたかというと、事実は反対で、ほとんど福島第一事故をはさんで一日で放射能が安全であることに宗旨が変わった。

遠くから見ていると菅直人という日本ではいかにも受けなさそうな人柄の首相を事故の当時あたまに戴いていることは事故後数日の風向きとあわせて国ごと破滅させることすら出来た大災厄のなかのささやかな幸運であるように見えた。

日本には理系文系という不思議に厳密な人間に対する線引きがあって、たとえば政府機構のなかでは同じ1種合格でも理系出身者はあくまで「技官」で、文系の人間よりも劣ると見なされる。
その結果、日本では微分方程式ひとつ扱えない「経済学専攻」が現実に存在する。

そういう不自然な、というよりは現代世界の在りようへの適応を欠いた教育体制なので、「文系」出身者が原子力発電所事故へ適切な理解や対応を行うことは、まったく望めない。
当て推量と当の事故を隠蔽したい一心の官僚の耳打ちに従って決定を下すことになるが、バックグラウンドに原子力科学どころか科学の系統だった知識もないのに科学からほとんど遮蔽されて成長した日本の「文系」人に、「当て推量」という、その推量を支える勘などあるわけがない。

ところが菅直人は、あんまりベンキョーはしなかったよーだが(^^)、応用物理科の出身で、原子力技術を理解するに十分なだけの知識はもっているはずだった。
経歴を見ると後で弁理士の資格をとっていて、弁理士という職業は技術に対する一般的な勘を育てるのには良い職業なのでもあります。

現場にヘリコプターを飛ばしたとき、遠くから観ていたわしは、「あっ、やってるんだな」と考えた。
周囲の官僚への不信から自分の目で現場をみなければと判断したに決まっていて、適切な、というよりもやむにやまれぬ判断でしょう。

日本の政府が考えるエネルギー行政の要である原子力発電所が事故を起こして、状況を正直に話すと考えるひとは子供でもいないだろう。
もちろん、都合のわるいことはひた隠しに隠すに違いない。
そのときに隠蔽しようとする官僚よりも技術に対する勘がある首相が、官僚達の胡散臭さ、というべきか、もっと簡捷にゆってしまえばオオウソをかぎ取らないわけはなくて、菅直人というひとはかなり早くから自分が真実の情報から遮断されているのを知っていたに違いない。
だからヘリコプターで現地に飛んだ。
だから東京電力の本社に直接のりこんでいった。

状況は絶望的、と呼んでもよいくらいだったが、巨大な行政組織が迅速に動くことは期待できなくても、日本はゆっくりと放射能を封じ込める政策に動いてゆくように思われた。
その頃の自分のツイッタに書いたことを思い出すと、初めは半年、あとでも一年くらいたてば日本を訪問できる状態になっているだろうから、それまで待たなければ、と書いている。
封じ込めが出来ていなくても、当時の政府の動きならば段々官僚の抵抗が押し切られて、どこにどんなふうに放射性物質が存在しているか「可視化」されていきそうだと判断していたからです。
放射性物質がどこにどの程度の濃度で存在しているかが精確にわかれば食料や瓦礫の拡散禁止とあわせて、放射性物質が安全だと決め込んでいる日本の科学者の意見は尊重してセシウム漬けになったまま放射脳を嗤う悪態をつかせて放っておくとして、放射性物質が危険だと判断するほうは、自分で判断して危険を避けて生活すればよい。

菅直人が、傍から見ていて、まったく理解できない理由、「他人の話を聴かない」
「行政を動かさない」「原子力発電所の再稼働に積極的でない」という理由で権力の座から追放されたときは、だから、びっくりしてしまった。
なんだか麻生首相が漢字が読めないという理由で座をおわれたときと似ておるな、と考えた。

余計なことを書くと、吉田茂は「ぼくは銭形平次しか読まないね」と言って「世論」の袋だたきにあったことがある。
新聞の一面で報道されたそーです(^^)
銭形平次しか読まないような無教養な人間が一国の宰相であっていいわけがない、と言われた。
日本中が呆れかえって吉田首相への侮蔑の言葉が国中にあふれた。
息子の英文学者吉田健一が、吉田茂の愛読書がシェークスピアであったこと、記者の阿諛追従がカンにさわって「銭形平次しか読まん」と言ったこと、記者も吉田茂が古典を中心とした読書家であるのを熟知していたことを述べて憤慨している。

あるいは池田勇人が職を追われたのは「貧乏人は麦を食え」というセンセーショナルな一面ヘッドラインのせいだったが、いまでは池田勇人はそんなことを言わなかったのが判っている。

マスメディアに菅直人が蹴落とされると、野田佳彦というひとが首相になった。
案外ちゃんとやるのかも知れないが、わしは経歴をみてぞっとしました。
わしの偏見は、この経歴のひとにいま起きていることを理解するのは無理だろう、と思わせたからです。

欧州やアメリカは野田首相を歓迎した。
「増税」を約束してくれたからで、あたりまえというか、諸外国にとっては日本という巨大な経済が突然財政破綻して轟沈してしまうことだけが怖い。
巻き込まれてしまうからです。
経済が不振だろーがなんだろーが、いまの状況では準備ができているので、別にそっちは火急の用事ではない。
ダメならダメで、まあいいや、ということになっている。
長期的な経済不振に至っては、あのユーメイな下品言葉「織り込み済み」がぴったりの気分である。
急な財政破綻で船体がまんなかからボッキリ折れて、巨大な沈没の渦巻きに他国を巻き込みながら沈まれるのだけが怖いので、とりあえず増税してくれるのなら別にポンポコリンが首相でも猩々が化けてるんでもなんでもかまわない。
消費税をあげたりすると、もしかすると餓死者がでるかもしれないが、死ぬのは日本人なので欧州人がそれに文句を言う筋合いはない。
まして放射性物質で何年か何十年かして日本人が勝手に死んだところで、当てが外れてお気の毒と思うだけで、自分の国の知ったことではない。

放射能が安全かどうか、ほんとうは死なないんじゃないか、まだ死んでないのにガタガタ言うなんて、だから非科学的なやつは嫌いなんだ、とか喧喧諤諤と激論しているあいだに菅直人の頃と違って政府と支配層は「経済いちばん人命にばん」で方針が統一された。
さんばんはきっと文明堂だろーが、なんだかよくわからない。
なんだかよくわからなくするためにはベクレルとシーベルトを混用したり、混在を利用してベクレルとシーベルトの区別もつかないのか、とまたそこで時間稼ぎをしたり、とにかく相手を泥田に落とし込んで足をとらせて本質的な議論から遠ざけてゆく日本支配層の反対派骨抜きの成道にしたがって、ありとあらゆる攪乱論法が実施された。
自分が賢くおもわれることが何より熱狂的に好きなオチョーシモノたちが、ここでもよろこんで支配層の尻馬に乗って「出典は?」「定義は?」と叫んで回ったのはゆーまでもないことです。

「政府が定めた新しい基準」によって食物は東北諸県からお墨付きつきで流通に乗るようになり瓦礫は順調に全国にばらまかれることになった。

これも前にも書いたが作物とは別にJA間を「産地名つきの袋」が流通しているのはJA農家のひとの常識であるという。
わしは日本の食料生産に興味をもっていろいろなひとに紹介してもらっていた頃に当の農家のひとが笑い話として話すのをフクシマのずっと前に聞いたことがある。
茨城のコシヒカリより魚沼のコシヒカリのほうがずっと高く売れるからです。
それは不正というよりも強い農業生産者同士の連帯感による産地間の助け合いであって長年の習慣になっている。

あるいは長野の千曲川よりも東の土地は土壌が悪いので土を群馬県から買い付ける。
東信という、あの地域の畑は群馬の土なしではたちいかない。
作物だけではなくて、土壌もそうやって全国を流通する。

グレーマーケットやブラックマーケットの住人たちも菅直人の政権の下では危なくて派手にやれないが、経済いちばんで、なるべく放射能の問題で経済の低調を起こすことを避けようとするのが明かな野田首相の政権下では、ダイジョーブそうだと判断して啓蟄の虫どもに似て、もそもそと地下から這い出してくる。

オカミがやる気がなければ規則も法律もないのと同じ、というのは世界に共通した悪党の常識で、そうでなければこのひとたちは生活の資が得られない。
流通を禁じられた作物などは仕入れ値がタダみたいなもので、利益率は膨大なものになる。
その上、どうせ放射性物質の害などたいしたことがないので、良心に咎めるところもなくて、万々歳である。

真実ほど厄介なものはない。
どんなに思い込もうとしても、みなで大丈夫だといいあっても、ダメなものはダメで、
丁度、日本には戦争末期という良い例がある。

いま日本が国を挙げて仮定しているように放射能が安全であれば、そんなに良いことはないが、わしは、ほんとうにそうなるかどうか不安です。
仮に、日本以外のすべての世界が妄信しているように、新しい政権があっさりと決定した「痛みをわかちあう」という方針、中心被災地域に放射性物質を閉じ込める代わりに、それを薄く広く日本中に拡散して「安全なレベル以下」で国民ひとりひとりの身体のなかに蓄積させる形で国土を「除染」する、という考えてみれば1億のちり取りへ箒で掃いた放射性物質をちょっとずつに分散して棄てる、という妙案なような破滅的なような不思議な日本人らしい解決策が、仮に危険であった場合、つまり、国の放射性物質の安全基準が誤っていた場合、どうなるのだろう?
とどうしても考えてしまう。

得意な口調の、なぜ日本で環境化してゆく放射性物質が無害かについての「科学者」の長口舌を聞いたあとで、わしはウクライナ人たちの手紙をあらためて読んでみる。
そこには日本の科学者が聞いたら大笑いするに違いない科学的に誤った現実が並んでいる。
このウクライナ人たちにとっては、1986年に起きたチェルノブイリ事故は、彼等が乳幼児のときに起こり、それと共に育ち、彼等の親の決断がそのあとの一生の明暗を決めた身近どころか、すぐ隣り合わせの出来事だった。

彼等が経験した「名前がつかない症状」は非科学的な経験なので参考にならない。
病院で「なぜ、子供を連れて逃げなかったのだろう。私の責任だ!あの子がこうなってしまったのは、わたしの責任だ!」と泣き崩れる母親は、非科学的な思い込みで自分を責める不幸なひとなので考慮しても仕方がない。
彼等がみた悲惨は、科学の知見に反しているので、到底ここに書くわけにはいかない。
そんなことをして、もし話題にでもなったら、社会を混乱させる風評のもとをなしたことになる。
そんな反社会的なことを、やってみるわけにはいかないだろう。

ほんとうに、この世界には真実ほど厄介なものはないのです。

言語と伝達

世界でただひとり生き残って、自分が死ねばこの宇宙に人間がひとりもいなくなる、という状態で小説を書くひとはいないが、詩を書くひとはいるに違いない。
詩と散文の「魂の定型」になじんで言葉が並んでいるかどうかという重大な違いのほかの、もうひとつの違いが伝達を目的としているかどうかで、詩を書く人は散文を書く人のような直截な伝達を念願しているわけではない。

頭が考えて表現を探して考えているような文章はどだいダメな文章と決まっているが、詩ではもっとダメ、というか、それでは詩になるわけはない。
詩は、手が書いている。手が書いている文字をみつめている頭のほうは、自分の手が書いているものを批評しているだけであると思われる。

言語表現における「批評」というのは主に自分が自分に対して行う。
言語は自律的に自分を表現する能力に恵まれているので、羊の群れを規制するシープドッグではないが、ときどき方向を定めてやらないと言語が自分で行きたい方角のほうへ勝手に歩いていってしまう。
批評能力がないひとは、だから、うまく自分を表現できないが、簡単に言って「自分でなにを言っているかわからない」のだから、あたりまえと言えば言える。

子供のときは、わしがあまりに口を利かない子供だったので、この子は知恵が遅いのではないか、と思う人がおおかった。
「だって、ほんとうじゃない。おにーちゃんを賢いと思うひとなんて、わたし考えられない」という妹のような意見もあるが、却下する。
家でも外でも、たとえばかーちゃんと妹が話すのを聞いていて、話を一生懸命理解して、
あ、じゃ、わしはこー思うな、えーと、こーで、あーだから、こういうふうに言えばいいんだな、と決めて発言しようとすると、もうかーちゃんと妹の話はふたつもみっつも先に行っている。
わしは確かにバカっぽいが、頭の働きがチョーのんびりなだけで、普段の生活には支障があるほどではないよーだ、とおとなたちが気がつくのは、ずっと後のことである。

子供のときの自分の写真をみると、どれも、なんだかつまらなさそーな顔をして、いまにもタメイキをつきそうな顔をして映っている。
ふつー英語ガキは、そーゆーとき、にっかり笑ってみせるものだが、小さいときは著しくサービス精神に欠けていたよーです。

運動も大好きだったが、家にもどれば、年がら年中紙を広げて、あるいはかーちゃんのおさがりのApple SE30の9インチ画面にしがみついて、なにか書いたり、(コンピュータ言語の)ロゴの亀を動かしたり、あるいは鉛筆をにぎりしめて算数をしたり、絵を描いたり、あるいはあるいはあるいは、全然板の長さがあってない傾いた犬小屋を製作して犬に嫌がられたりしていた。

トゥリーハウス、という。
http://tree-house-pictures.blogspot.co.nz/2011/04/backyard-project.html

庭の木の上にでっちあげたガキの私用に供するための家にたてこもって、それをはくと空が飛べるようになるという聖なるパンツを探す旅に出た勇者ガメ・オベールの冒険の物語を書こうと志したこともあったが、一行も書くとだいたい眠くなってねてしまうので無理だということになった。

ところで、ここでヘンなのは、このわしガキという子供は文章を書いても誰かに見せたいとは思わなかったようで、見せるのが恥ずかしい、というのではなくて、なんだか言葉が自分の頭のなかだけで完結しているとでも言うような、子供らしくない、という考え方もありえなくはない、引っ込み思案ぶりを発揮していたことです。

日記を書くのは誰のためか、あるいは日記をなぜ書くのか、というのはむかしからよく知れ渡った問題で、かしこげでもっともらしいがくだらない心理学上の「定説」が、たくさんの心理学者の手で書かれている。

言語は純粋に思考するためにある、というひともいるが、言語はもともとが伝達の道具として開発されたために、他人が内蔵されてしまっているので、もともと「純粋」ではありえない困った構造になっている。
純粋に思惟することができる言語は数学語だけでしょう。
うるさいことをいうと、数学も実は純粋というわけにはいかないが、いまここで述べようとしていることを考えるためくらいならば「純粋」ということにしても十分と思われる。

アイザック・ニュートンは、多分、プリンキピアを他人にみせるつもりはなかったという話、あるいはケンブリッジとオックスフォードのふたつの大学に伝わる伝説については前にも述べたことがある。
1684年の夏、ハレー彗星の名前になっているエドモンド・ハレーがオックスフォードからかつての不逞学者たちが歩いた道をえっちらあっちらおっちらたどってケンブリッジにニュートンを訪ねて、自分の彗星についての仮説を聞いてもらおうと話しかけてみると、ニュートンは、引き出しからチョーうすい紙の束をだしてみせて、ぼく、こういう証明のやりかたでずっと前にきみがいま述べた着想を証明してみたことがあるんだけどね、というのでハレーはぶっくらこいてしまう。
話してみると、ニュートンは彗星の運動の仮説へのアイデアどころか、とっくに宇宙を説明しおわって、知性が、いわば、ひまをこいている状態であったからです。
なにが書いてあるんだか、さっぱり訳の判らない、ヘンタイなみたいなやりかたと表記で当時から知れ渡っていた「ニュートン語」をニュートン自身がふつーの数学者や物理学者にわかるような形に書き直した(といっても、それでも無茶苦茶読みにくいが)のが、いまに伝わる「プリンキピア」(第一巻)です。

よく考えてみると「科学」という言葉の概念や科学者をとりまく環境が現在とはうんとこさ違った当時ですら、ニュートンの態度は異常なことで、ふつーのひとは、せめて自分のまわりの小さなサークルでは、「ぼく宇宙をぜーんぶ説明しちゃったもんね、いえーい」くらいは言いそうなものだが、ニュートンは「偉大」というのもバカバカしいくらい偉大な科学史上最も重大な考えを自分の引き出しにほうりこんで、ほうってあった。
エドモンド・ハレーが自腹をきって私費で出版しなければプリンキピアは日の目を見なかったかもしれなかった。

途中を全部はしょっていうと、アイザック・ニュートンというひとが、広義の言葉による伝達ということを信じていなかったのが判ります。

I did not enter silence, silence captured me.

とDominique de Rouxに述べた、生涯のある時期、「意味のある」言葉を話そうとしなかったエズラ・パウンドは、 Grazia Leviに 
“I spoil everything I touch. I have always blundered. … All my life I believed I knew nothing, yes, knew nothing. And so words became devoid of meaning.” と述べる。
長い間、深い忘却の淵に沈められていたヴィヴァルディの音楽を「発見」して、週末の舞台の上に呼び戻したパウンド(パウンドがいなければ、いまにヴィバルディの音楽は伝えられないで終わったはずである)は、むろん、当時の欧州を代表する詩人で、20世紀に書かれたうちで最も重要な詩のひとつであるT.S.Eliot の「荒地」(The Waste Land)はエズラ・パウンドに捧げられている。

パウンドは「言語発生器」のようなひとで、その巧妙な詩はもちろん、どんな女びとも気が付くとパウンドと一緒に裸でベッドにいたという(^^) 恋語りも、ファシストとして激しく人種隔離とユダヤ人絶滅を呼びかけたラジオでの有名な演説も、パウンドの言葉はまるでそれ自体の肉体をもっていて、足で対象の人間に歩み寄り、手で心をわしづかみにするようにして周りの人間を突き動かした。

パウンドが一生の終わりにたどりついた言語への結論は、「人間と人間が言葉によってわかりあうことはできない」ということだった。
わたしは、沈黙すべきだ。
そこには語るべきものはなにもない。

1955年、W.H.Audenは「We must love one another or die」という、よく知られたテキストを「 We must love one another and die」に変えてしまう。
or die ではウソになってしまうから、という理由だった。

ふたたび言語と相互理解の連関をおおきく端折って言うと、ここにも言語による伝達を懐疑するに至った詩人がいるのです。
細かい上にくだらないことを言うと、このあいだ死んだ詩人の吉本隆明が伝達の道具としての言語を否定したのは、パウンドについても述べた当時の欧州のふたつのおおきな悲惨を極めた戦争への、人間たちの、いわば「絶句」のせいであったと思われる。
言葉を失う、という表現があるが、二大戦の徹底的に人間性を否定する残虐、ただ鉄の餌食に投げ込まれる餌のような人間の死を目撃した当時の欧州人にとっては「言葉」の価値を信じることが容易ではなかった。
吉本隆明は鮎川たち、顔が直截欧州詩人に向けられていた「荒地」の詩人たちの会話から、それを学習したのかもしれません。

わしには使う方の人間の都合は別にして、言語のがわに立てば伝達しているときも思索しているときもやっていることは実は同じなので、伝達を否定することに意味があるとはおもえないが、言葉を使うときには、ほかのことをするときよりも遙かに緊張するのは、言葉というものが他者にも自己にも危険物であって、日本では「わたしは言葉は結局信用できないとおもってますけどね」と述べながらぺらぺらと政治や人間にまくしたてるひとに(日本語インターネット上で)何人もあってびっくりしてしまったが、言葉なんてどーでもいいやと思っているオチョーシモノの口からたまたまとびだした言葉でも、言葉というものには人間が何千年ものあいだ、その語彙と表現に蓄積したすさまじい悪意や、巧妙にひとを破壊する仕組み、あるいは何十年もたってから言われた相手の魂のなかで破裂して死においこむ力を、その当の言葉を使う人間の能力や頭の程度とはまったく別のところに隠しもっている。
言葉を信用できないと思っているのなら、ひとことも話すべきではない。
2chによくみられるような、ただ悪意だけが夜行しているような言語の場を、「あんなものは特別に低能な人間が集まるところだから」と軽視して、ほうっておけばいい、と考えた結果がどうなるかは、そういう言葉の話者の能力によらない力というものに思い当たれば、自明の理で、放置すれば「言論」など望むべくもない社会になってしまう。
言葉がただ無差別な凶器であるような国語をもつ社会は、同時に個々の人間の魂に沈黙を強いる社会になってゆく。
たいして考えもしないで、ただ思いつきでぺらぺらと饒舌な言語空間をもつに至った社会は、かならず巨大で不可逆な沈黙に向かって行進しているのだと思います。

(画像はガリシアのド田舎の小さな村の料理屋。スペインの田舎の町に行くと、こーゆー料理屋がいっぱいあります。すげー、うめーんだよ)

ニンテンドーの冷や水

1983年に任天堂が発表した「ニンテンドー」、日本でいうファミコンはいまみても、ものすごく良く出来ている。1.8MHzで駆動するリコーのRP2A03に2kバイトのVRAM、256x240ライン、64色のうち無効色を除いた50+色、スプライト、というビデオ機能、いまみると音源はCPUそのものに組み込まれていたとあります。

その頃の英語世界ではコモドール64が主流だった、とゆーと、えええー、AppleIIだろ、だって、という声が聞こえてきそうだが、アメリカはともかく、わしが知っているオトナどもは、みなコモドール64をもっていたよーでした。
なんでだかは知らん。
1986年に発売されたGEOS
http://en.wikipedia.org/wiki/GEOS_(8-bit_operating_system)
を使えば、ワードプロセッシングも表計算もPCやApple Macintoshの20分の1のコストでほぼ同じことがやれたが、大半のコモドール64ユーザはゲームにしか使っていなかったのは言うまでもないことでした。

そんなら、ゲームに必要なもの以外は、みんな取ってまえばいいやん、というのがファミコンの設計思想である。
簡単なことのようだが、遠大な夢、とりわけ個人がコンピュータをもててしまったというカンドーからくる、ほぼ誇大妄想に近い、DBやれるCGやれる、232Cもやれる、それにそれになんたってプログラミング!という「希望」は、大きすぎて、なかなか「ゲームやれればええやん」という境地には至れないもののよーでした。

ところが任天堂のエンジニアは、ほんとうにコンピュータをゲーム用に裸にしてしまった。
無茶苦茶売れたのは当たり前だと思います。

それ以来、いまのアニメブームどころの騒ぎでなくて、ゲームは日本のもの、というのは当たり前のよーになっていた。
Wizardryみたいにクソおもしろくもないパロディばっかしの気取ったジョークゲームより、(と書きながら英語wikiを見たら日本ではマジなゲームだという扱いになっていたことがわざわざ別項を設けて書いてあってこけたが
http://en.wikipedia.org/wiki/Wizardry
マリオのほーがオモロイに決まってるだろ、ということでした。

ずっと後になって生まれてきたわしにとっては、初期ガキ時代のタイムアウト(ゲーセン)には、日本製の中古ゲームがいっぱいあった。
杜撰、というか、ゲームの声も日本語で、「いくぞっ!」とか
「おうりゃああああ!」とかいう声が煉瓦造りの建物中に響き渡っていたものである(^^)

日本のゲームはものすごくおもろかった。
まず第一に設定が無茶苦茶で、一応国旗がシャツについていたりしても、何国人だか全然わけがわからんにーちゃんやねーちゃんが、そんなわけねーだろ、というスーパーキックやウルトラパンチを繰り出して、おまけに、よくこれで倫理規定にパスしたなあー、というか、多分、倫理委員会とかシカトしてんだな、っちゅうようなニッカーズまる見えのねーちゃんとかが画面せましとあばれまわる。
ガキというものは本然的にアナーキーな混沌を喜ぶので、夢中になって2ドルコインをつぎこみ、どこのタイムアウトも阿片窟のような様相を呈して、蒼惶として目の下に隈をつくったガキどものゾンビのごとき姿が見られた。

1991年に出た英語版三国志は大プロモーションにも関わらず、まったく売れなかった。
わしはサンフランシスコで1994年頃、ワゴンで投げ売りしていたソフトの一本として買ったことがあったが、感想は、「なんでこんなもんをつくって売れると思ったのかなあー」でした。
なんだか我慢に我慢を重ねて、よく訳の判らん中国人になって国を治めるゲームで、
なんのこっちゃ、という感想しかなかった。
当然台湾か香港のゲームだべ、と思ったら、日本人がつくったゲームだ、というので、周りガキはみな中国と日本の印象が癒着しているので驚かなかったが、従兄弟という父親が日本人のガキをマブダチにもっていたわしは、ぶっくらこいてしまった。
な、なんで。
第一、日本人は中国人嫌いなんちゃうのか、と考えたが、なんとなく従兄弟や義理叔父に訊くのも憚られるような気がしたので訊いてみることもしなかった。

わしの場合は、その頃から日本製のゲーム世界からどんどん離れていったような気がします。ビデオゲームも4、5本買ってどれもつまらなかった、というか同工異曲で、なんでもかんでも同じだのい、という感じだったので、買う気がしなくなっていた。
ずっとあと、2000年頃、PalmOSのKyle’s Quest
http://games.brothersoft.com/kyle-s-quest-classic.html
というゲームでよく遊んだが、これはパチモンのドラゴンクエストで、これくらいが日本語ゲーム世界製ゲームで遊んだ最後なのではないだろーか。

日本に行ったとき、いちど、ヨドバシカメラのゲームソフトの棚をみたことがあったが、
チョー高い価格設定(英語ゲームの平均3倍程度)を別にしてもターンベースの、あのまったく売れなかった「三国志」と似たよーなゲームが多い上に戦争ストラタジーゲームがやたらと多くて北朝鮮の陸軍生協みてーと思ったりした。
あとは、ちょっとパスな、子供がおおきな胸をしてニッカーズまるだしでにっこり微笑んでいる棚においてあるだけで犯罪を構成しそうなゲームばかりだったので、オモロイ日本語ゲームないかなあーと思ってでかけたわしは落胆した。

1980年代初頭に、ものすごいゲーム革命を起こした当時25歳から30歳くらいの若い企画者や技術者は、いま50代の管理職や役員になって、自分の成功体験にとらわれているのに違いない、と、いまのわしには判る。
突然どんどんどんとすごい勢いでつまらなくなっていって、終いにはPSP Goのような過去の成功体験とマーケティングと自社の都合だけで出来上がったチョーマヌケなヘンなものまで作るようになってしまったのは、どーも、「むかし成功した体験にしがみついて若い衆の意見が全然聞けないおっちゃん管理職」に原因があるよーだ。
特にわしの推測ではなくて、ゲーム業界のお友達の証言でもあります。

日本の80年代はたとえばMX5、世界を狂喜させて、クルマファンのおっちゃんたちがみんなで手をつないでフレンチカンカンを踊り出しそうなくらい喜んだ日本名ユーノスロードスターを出して終わりを告げる。
日本のひとがオカネが東京兜町の青空からバラバラ降ってくるのを利して若いひとびとがスキホーダイ無茶苦茶な企画をしていた時代です。
ニンテンドーが生まれMX5が生まれPCは拡張EGAにテキストVRAMがついたビミョーなものしか作れなかったが、それでも目をこらすとPC-100のようなヘンなコンピュータがやっぱりある。
いまの「マーケティング戦略」とオカネの計算だけでつくったおっちゃん臭が漂うMade in Japanの群れとはえらい違いです。

ときどきわしは、いまの日本の「再生」には、自信のないナチの看守みたいな大阪市長や、怒鳴りあげるようにして「原発」を推進する元テレビ屋のじーちゃんのようなひとのゆーことは必要がなくて、自分達が若いときの成功体験がそのとおりであるように、「ゆとり」とかなんとか悪態をついてばかりいないで、若い衆に好き放題やらせればええだけなんちゃうのか、と思うことがある。
人間はいっぺん成功すると、もうそのパターンから出られなくなる。

しかし、過去の日本の成功は、その頃苦渋をなめた外国人たちによって研究つくされていて、対抗策がすっかり用意されている。
いま50代のひとが若い頃の成功体験に基づいて「クルマとはこーゆーものだ」
「こんなものがゲームと呼べるか」とゆっていても市場のほうは受け容れるわけはないのです。

もう年寄りの冷や水、やめればいいのに。

タブンカ

秋になって、庭から蝉の声が聞こえている。
ニュージーランドの蝉は、身体が小さい、声も日本の猛々しく巨大な音響を響かせる蝉に較べると、小さくてやさしげな蝉です。
夏のあいだじゅう咲き誇っていたブーゲンビリアの花も散って、もう数えるほどしか残っていない。
いつもなら、この気候に変われば、どおりゃそろそろマンハッタンに移動すべか、と考えるところだが、今年はオークランドにずっといる。
なんだかヘンな感じがします。

マクドナルドとタイムアウトの店の数を基準に文明度を定義していたガキわしの頃は、
一度かーちゃんに内緒でこっそりやってでかけてビッグマックを頼んだら出てくるのに15分もかかったオークランドなど、文明というものが理解できないチョー田舎であって、ケーベツの対象であった。
まさか、こんなところに縁が出来るとは思わなかった。

ニュージーランドが多文化社会に舵をきったのは、結局よいことだった。
クライストチャーチという、ニュージーランドのなかでさえ、日本人である義理叔父によれば、おまえたちは鈴木その子か、というほど白い顔ばかりが好きなので有名で、マオリ人も少ない白人町に毎年ニュージーランドの夏をすごしたせいもあるが、ガキなりにわしはオークランドが中心になって始めた「マルチカルチュラルソサエティ」への実験を、うまくいかないのではないかと考えていた。
案の定、1995年という頃のオークランドは、訪れるたびにどんどんバラバラになっていく印象で、そこここに虫が食ったように漢字やハングルの看板が並び、英語人のニュージーランド人からすると、外から見ただけではいったい何を商っているのかもわからない店がクイーン通りの片側にずらっと並んで、銀行のロビーでは接客用のカウチでキスどころか、お互いの身体をまさぐりあうアジア人の高校生カップルがねそべっていたり、
パジャマ姿の中国人ばーちゃんが大通りで声高な中国語で何事か話し合っていたりして、
これでは国がなくなってしまうと考えた首の後ろが赤いおっさんやおばさんたちが集団で立ち上がって、一足先に暴れ出していたクイーンズランドのオーストラリア人たちに呼応して、
すさまじい反アジア人運動を起こしたりしていた。

オークランドは都会なので、それでも表面で目につくほどではなかったが、ネルソンやオタゴの小さな町では、首を切った鶏をさかさまに中国系移民のドアに釘付けしたり、
韓国移民の農場の家の庭に羊のくびを放り込んだり、現に、わしが「牧場の家」と呼んでいた農場のある町は、中国人家族や日本人家族が4家族引っ越してきたが、嫌がらせに耐えかねて、何れも3ヶ月もしないで引越して出ていった。

わしはニュージーランドでは一年のうち短いあいだしか学校に行く必要が無かったが、わしが大好きだった先生が、ある日、校庭で遊んでいたわしに向かって歩いてきて、仲がよかったアジア人の友達Kについて話しておきたいことがある、と言った午後のことをおぼえている。
「仲が良いのはいいことだけど、あんまり仲が良くなりすぎてはいけませんよ」という。
わしが、どういう意味だろう、と考えていると、
先生は物事を理解するのが遅い、わしの頭のはたらきの遅さにしびれを切らしたのか、
今度はごくはっきりと、「アジア人の子と、お友達になるのは感心しないわね」と微笑みながら言う。
いま考えてみると、その同じ学校に次の年にやってくる父親が日本人の従兄弟の影響だけではなくて、そのときの先生のひと言が、日本への興味を後押ししたのかもしれません。

夕方、どういう理由だったかおぼえていないが、その日は午後にテレビを観ていて、トロントの特集をやっていた。
トロントは当時でもすでに成熟した多文化社会で、街を楽しげに闊歩しているインド人たちや、中国人たちの姿を観て、どうしてカナダではニュージーランドでうまくいかないことがうまく行くのだろう、と訝しんだ。
アメリカのマンハッタンのような都会よりも、1990年代のその頃はカナダのトロントのほうが多文化社会化が進んでいたと思います。
きゅうりのサンドイッチを食べながら、どーしよーかなー、と考えたがおもいきって、かーちゃんに
「トロントではみんなが仲良くやれるのに、ニュージーランドではうまくいかないのは、なぜですか? 国の大きさが違うからでしょうか?」
と訊いてみた。
かーちゃんが、にっこり笑って、
「時間が必要なだけですよ、ガメ」という。
でも、お隣のボブさんは、自分はロスアンジェルスに去年までいたが、ニュージーランドがロスアンジェルスのようになったら大変だ、と言ってました。
「それはお隣のボブおじさんが頭が悪い人だからですよ、ガメ。内緒だけど」
とかーちゃんが、ゆったのをありありと表情付きでおぼえている。
母親ながら、いたずらっ子のような顔で、シィーと人差し指を唇にあてて、くすくす笑っている。
「ロスアンジェルスになって、いろいろな文化の人が増えて、悪い事はひとつもないじゃないの。
素晴らしいことです」
わしは、ついでにディズニーランドもできるといいなあ、と間抜けなことを言いながら、
でも今度ばかりは、かーちゃんも間違えていて、どうもオークランドは滅茶苦茶になりそーだ、とクイーン通りのアジア語の看板の列を思い出していた。

かーちゃんは正しかった。
混沌のるつぼに見えたオークランドは、落ち着いてみると、多文化かどうか、というようなこととは関係なく、住みやすい、素晴らしい街になった。
多文化ということで言えば、ひとつの街がたとえば人種的偏見が少ないかどうかは、異性間のいわゆる「カップル」の数よりも、仕事帰りに職場の同僚同士でパブのテーブルを囲んで居る女同士、男同士の友達、あるいは学校の帰りに連れ立って帰る高校生たちがどんな組み合わせがあるか観察していたほうがはっきり判る。
アメリカの大きな都市で、普段はもちろん皮膚の色で嫌な思いをすることはなくても、
comfortableに感じるかどうかで、どうしても同じ文化グループで「下校友達」になることが多いようだ。
オークランドでは、インド人の女の子と赤毛の、みるからにアイルランド系の女の子が仲良く家に帰ってゆく。すれちがうときにインド人の女の子が「あんたって、ばっかよねえー。ドジ」と笑っていうのが聞こえる。

ポンソンビーのカフェで、ふと気が付くと、中東人と中国人の夫婦が赤ん坊をあやしていたり、ジャマイカ人の父親とオタゴ訛りのイギリス系のニュージーランド人の母親がベビーカーを覗きこんで笑っている。
インドの人、韓国のひと、たまたまだが、ちょうどテーブルが全部mixed coupleで、
あたりまえだが、ふつーにリラックスして日曜のブランチを楽しんでいて、オークランドはいい街になったなあー、と思う。

わしは、おいしいものが好きなので、その点でも多文化社会になって、ニュージーランドは激しく向上した(^^)

ガキわしの頃、クライストチャーチの「町の家」と呼んだ家はフェンダルトンというクライストチャーチでは名前がよいということになっているところにあるが、家の近くで繁盛していた中華のテイクアウエイ屋の春巻は水筒くらいの大きさがある巨大なもので、煮染めたというか、濃い褐色の油がしみこんでいて、その上にその油が機械油みたいな微妙ですらない臭いがするものであって、それを新聞紙に包んで、台の上にどんっと置く。
上から、最近はケチャップというひともいるが、もともとは日本のひとの「トマト」に近い発音で「トマトソース」と呼ぶウォッティーズ
http://www.watties.co.nz/
のハインツよりはやや甘味が少ないトマトソースをどちゃっとかけて食べます。
ガキわしの頃はロンドンも昼ご飯に食べる食べ物に関してはろくでもない街だったので、
そーゆー、馬のチ○チンを切断してフライにしたみたいな訳のわからない食べ物をへーきで、なんとも思わずに食べていた。
フィッシュアンドチップスの店は隆盛をきわめていたが、鮫の肉で、イモはいま考えてもうまかったが、鮫はおもいだしても腐った魚の肉をおしっこに漬けたようなヘンテコな味がしたりした。

その頃は、ふつーなニュージーランド人の夕食は大半の家庭で定食化していて、ひとつの皿の上に野菜と肉とイモがのっている。
野菜が温野菜であったりサラダであったりグリルした野菜であったりして、肉も、ステーキであったりラムであったりチキンであったり、ビンボな家ならばハンバーグやミートローフ、あるいはコーンドビーフであったりする。
変化はただそれだけで、来る日も来る日も、その「三色定食」を食べていた。

おととい、わしは、フランス人たちのチョーおしゃべりな大晩餐会に飽きて、後半だけの参加を企図し、ひとりだけこっそりテイクアウエィを食べることにして、中東人が多い店のラムチョップのトマト煮を買ってきたが、ラムはもちろん、カシューナッツがはいったサフランライスも、なんだか非現実的なくらいおいしかった。
巨大ポーションなのに、700円である。

アメリカ人や日本人は味覚のほかの部分は発達していても、文化的に「スパイス音痴」であるという。
スパイスの新鮮さや、微妙な香りの違いがわからない。
そーゆー通説はほんとうであるかもしれなくて、レジの綺麗なねーちゃんたちがビニル袋を鼻の前に持ち上げて、くんくんして判別しながらチェックアウトしてくれるスパイススーパーマーケットのスパイスは、本国人の厳しい評価をくぐっているので、新鮮で、すげーカッチョイイスパイスです。
当然、スパイスのものは、断然世界水準をうわまわっていて中東料理の水準に達している。
中近東の、たとえばレバノン料理などは、トルコ料理と並んで、世界の食べ物のうちの白眉で、中東人が西欧人を文明論的に憐憫するときにはだいたい食べ物が基準になっている。

モニとふたりで銀座でふらふらいちゃいちゃして遊んでいた頃は、中華料理というと交詢社ビルの上だとか、ペニンシャラホテルの二階だとか、そーゆーレストランにでかけてもいまいちで、残念であった。
中華料理はパリのほうがおいしーよなあー、
マンハッタンのChinatown Brasserie
http://www.chinatownbrasserie.com/

がなつかしい、グラミー賞をひとりでいっぱい取ったアデルの実物を初めて見たのもあの店だった、と考えるが、

オークランドには同じくらいdecentな味の中華料理屋もちゃんとある。

連合王国の唯一の紐帯、イギリス人の国民食であるインド料理に至っては、さまざまな料理屋が大量にあって、ブリヤニでもインドチャイニーズでもなんでも無茶苦茶においしい店がある。

しみじみ、えがった、と思います。

他にも香港人達が最新コンピュータパーツを持ち込み、インド人たちが知的職業の質を向上させ、というふうにオークランドは都市として世界中から学習している。

移民というひとびとの一般的な傾向はエスニックグループを問わず、遠く離れてしまっているからでしょう、自分達の祖国への愛情がほぼ異常なほど強く、一方では自分の一生と自分自身を向上させることに熱心で、「前向き」という日本語があるが、前向きどころか後進装置が壊れてるんちゃうか、というくらい驀進するひとびとで、とにかく懸命、頑張れば必ずなんとかなるであろー、と固く信じている点で楽観的で、もうダメだあー、どーせ、もうダメだあー、が大好きだったイギリス系ニュージーランド人たちも、主にアジア系移民達に背中を押されるように楽観的になっていった。

わしの部屋には、ひーひーじーちゃんが世界一周旅行の途中で撮った1915年のクライストチャーチの写真が壁にかけてある。
通りには自動車が犇めいていて、たくさんの人が歩いている。
第一、街並みからして現在(つまり、地震直前)より立派である(^^)

ニュージーランドは、いまはビンボ人の環境保護キチガイの国だが、もともとは富裕な国だったのが写真を見てもすぐ見てとれます。
歴史を眺めていると、それが、なにしろアングロサクソンばっかしの国で、欧州人よりも先に北半球から手こぎボートでニュージーランドに植民していたポリネシア人たちとも隔離しあっていて、いわば原理主義化したアングロサクソン文化のせいで、社会全体が硬直してしまった。
打つ手打つ手が裏目に出て、だんだんおちぶれていった。
安全で居心地がよく、みなが礼儀正しくて、清潔、正直ベースですべてがまかなえる国で、ガキわしの頃はまだ、何千ドルという小切手が誰でももっていける郵便箱に放り込んであり、ATMカードも同じならクレジットカードも同じ、家に鍵をかける人も少ない、という「同質社会」の特徴を全部もっていた。

移民をうけいれたのは、経済的な理由だったが、ニュージーランド人たちがみなでぶっくらこいたのは、経済であるよりも、生活が楽しいものに変わったことだった。
インド人たちは、とんでもない豊穣な文化の持ち主で、オークランドのあちこちのホールで年中コンサートや舞踊やビッグバンドのインド音楽をやっている。
他の国での迫害がひどくなるにつれていまは優秀な中東人たちがニュージーランドめざしてやってくる。

新しい移民達にとっても無論よいことはあって、たとえば、さっき挙げたスパイスだけのスーパーマーケットにはブルカの女びとの店員もいるが、わしがニッカリ笑って「だいさんきゅ」というと、覘いている目がきらきら光るようにして、にっこり笑って、ありがとう、という。
他人に言われて気が付いたが、そうやって見知らぬ男に笑いかけることは、あの女びとがやってきた国では極端に不道徳な犯罪とみなされる。
ニュージーランドでは、なんだったら髪を見せて微笑んでも犯罪にはならん。
それは、どうしても、あの女びとにとっては「よいこと」であると思う。

さんざんバカにされた態度をとられたアフリカ人たちが頭に来て、槍で中国人達を襲ったり、ポリネシア人たちが偏見に悩んでアルコールに溺れたりする問題は、もちろん、いまでもいくらでもあるが、ガキわしの頃から眺めていて、かーちゃんの言うとおり、
ニュージーランドは、切羽つまって、乾坤一擲キチガイじみて打った賭博に勝ったよーだ。

やっと、ここまで来た。
はっはっは、勝った、と思います。

夕方になると、河の向こうの空一面が真っ赤になっている。
夕陽そっくりの色だが、方角が違う。
繁華街全体が燃え上がっているのです。
雪が降って、急に雪が降り出して、画面で見ていても冷たい水のなかを人が、あるいは人の身体が、流れて行く。
河と見えたものは、河というよりも、そこにあった川に沿って広がった津波で、水が真っ黒で、その濁流のなかに町であったものの残骸が、無惨な感じのする平衡の失い方で、あるいはゆっくりと回転し、あるいは部分に崩壊しながら、流れて行く。

フランス人のJが、「地獄だ」と一言言って呻いている。
テレビを囲んで、目をそらしたいのにそらせないで、魅入られたように画面を見つめている顔は、みな目を真っ赤にして、鼻を赤くして、啜り泣いている。
同情よりは恐怖の感情だと思います。

わしはラウンジのテレビから離れた一画にある柱に凭れて、呆然として画面を見ていた。
「Japan’s Tsunami Caught On Camera」
http://tvnz.co.nz/japans-tsunami-caught-on-camera/japan-s-4764393

という番組で、フランス人たちが「日本の津波の番組をやっているぞ」と呼びに来てくれたときは、もう番組の後半だった。
いまオンデマンドでもう一度観ようと思ったら、アーカイブにはいっていないので多分BBCかどこかの番組でしょう。
幸いなことに、と言ってもいいと思うが、モニはもう寝室で眠っていた。
恐ろしい光景を観ないですんだ。

クルマに乗って渋滞に巻き込まれていた人が、バックミラーに映る膨張する水に気が付いてビデオを撮り始める。
「道路が海に近いところをはしっている、という意識もなかったんです」と、医療品の営業社員であるらしいドライバーがインタビューで話している。
「気が付いてから、ほんの数十秒だったと思います」
ビデオがクルマの横からするすると伸びてくる「黒い水」を捉えている。
右斜め前のクルマが、車線を強引に変えようとして諦めて止まる。
撮影している人の直前のクルマのドアが開いて、中年の男が徒歩で逃げて行く。
急に立ち止まって、クルマに戻ると、開けっ放しだったドアを閉めてゆく奇妙な判断が、いかにも内心の焦慮をあらわしている。

数秒、というあいだにみるみるうちに水かさは増して、クルマが浮き始める。
流しのなかのコルクかなにかのようにクルマは浮いて、無尽蔵な量の感じがする増え方の水のなかを漂い始めます。

(道路脇の倉庫からは道路を遮るように巨大なトラックが漂い出てきている)

中年の女のひとが、胸までつかったつま先立ちで急流に変わった水のなかで舗道を流されて行く。
もう何分かのあとには生きていられないのは様子から明かで心臓をつかまれるような気がします。

結局、撮影している人が乗ったクルマは水に浮いたまま流れが速いところに流され、建物と激しく衝突して割れたドアの窓ガラスから大量の水がはいってくる。
唐突に、視界が暗黒になるところまでが映っている。

「真っ暗になって、何も見えなくて、どちらが水面かも判らなかった」
という。
でも、もがいているうちに水の上に頭が出て、わたしは助かった。

津波を生き延びた東北人ひとりひとりがもっていた携帯電話やカメラで撮った映像が映し出す破壊の姿は、その言い方がどんなに月並みでも、「地獄」という言葉でしか表現できるはずがないもので、しかも、その映像に映しだされている真っ黒で冷たい津波、雪、大火災に加えて、一年後にビデオを観ているわしは、大気中にビデオカメラには決して映らない大量の放射性物質があったことを知っている。

映像には耕作地を押しわたってくる津波の前を横切るように逃げるひとたちも映っている。黒い水のなかを顔だけかろうじて出して流れていくひとも映っている。

日本に滞在していた頃、日本にいて見える世界がほとんど「トンチンカン」な姿であるのにびっくりしたことがあった。
理解が見当外れなのではなくて、見えている世界の姿そのものがなんだかヘンテコリンな「世界みたいなもの」だった。
日本の文学史をたどっているときに、中途で、黒岩涙香という面白い作家にいきあたった。
このひとが書いた小説は、ジュール・ヴェルヌや大デュマの小説に「基づいた」物語で、翻案小説と名前がついたものだった。
日本から見える世界は、ちょうど「翻案世界」とでもいうようなもので、マス・メディアがフィルターになって選択された結果でもあれば日本語自体が偏光器になって屈曲したせいでもあるよーでした。

日本風に翻案された世界の事象の最大のものは「民主主義」で、日本ではみんながそれぞれ意見を出し合って納得するまで議論をつくすのが民主主義ということになっていて、良い悪いということではなく、びっくりしたりした。
小さいほうでも、無論、いくらでもあって、いまおもいついた例を挙げると、プランジャー
http://en.wikipedia.org/wiki/French_press

は他のどんな国でもコーヒーをいれるためのものだが、日本では紅茶を淹れるのに使ったりする。

なんだか「世界みたいなもの」が「世界」ということになっていて、おもしろいなあー、と考える事がおおかった。

迂闊にも、その逆の方向も同じか、あるいは他国のことなど通常の人間はそんなに興味をもたないことを勘案すると、世界のがわから見えている日本など、ほとんど「日本の残映」のようなもので、ニュースやブログ、日本語ツイッタのようなものを見ていても、全然日本の姿が映っていないのではないか、ということのほうには少しも考えがいっていなかった。

わしの頭のなかでは、東北は大災害に見舞われたが、もう収拾の方向はついていて、随伴して起きたもうひとつ別個の大災害である福島第一事故でまき散らされた放射性物質がどの程度有害であるかの評価が、これからの災害処理の焦点であると感じていた。

政府が海外メディアを通じて世界に送っているメッセージは、
「たいへんだったが、日本人は落ち着いて処理できている。産業の復興も順調である」
「原子力発電所事故は、すでにコントロールされていて完全に終熄するには時間がかかるが、いずれにしろ時間の問題である」
「拡散漏出した放射性物質は健康に問題にならない程度のもので風評被害によって激減した(特に先進国からの)観光客がもどってきて問題がない水準である」
というようなことで、簡捷に言えば、「まだ完全に元に戻ったとは言えないが大丈夫」というものだった。

ところが、それだけは日本政府が言うとおり、落ち着いて静かな態度のインタビューにあらわれた東北の人々の口から伝えられる現実は、まるで異なる国の物語のようで、
70歳をすぎているという女のひとは、ごく淡々とした調子で、家がなくなり、貯えもなく、親族もいなくなって、わたしには何もなくなりました、という。
仮設住宅にいて、この先、どうなるのかと思うと不安です。

地元のビジネスマンたちは、廃墟というよりは更地に近い姿になった、かつては町だった場所を歩きながら、また、ここで頑張って町をつくりますよ、必ずやってみせます、という。
今度は津波の対策は考えないといけないが。

観ていてわかるのは東北のひとにとって「自分達が暮らしてきた町でがんばる」という考えが、ほとんど生き延びていくための生命の綱になっていることで、省略されて伝えられる記事のように「郷土愛」から頑固に動かないのではなくて、他に頼るものが何もないから自分の町、あるいは町だった場所に必死につかまろうとしている。
政府が「絆」と呼ぶ、そのロープに救命ブイに片手でしがみつきながら、かろうじてつかまっている人を甲板から見下ろして、「あなたの好きなその救命ブイをとりあげはしないから、安心して、そこにいてください」と呼びかけている。

なんだか話が違うよーだ、とわしは考える。
災害は収束になど向かっていなくて、東北はまだ災害のただなかにあるのではなかろーか。
仮設住宅、という仮設された一時的生活の枠組みのなかに一年もいて、放射性物質が危険だと盲信するマヌケな「放射脳」揃いの外国人からみると途方もない量の放射性物質を浴びながら、失われた家のホームローンを払い、十分な援助もなく、内戦の難民のようにして、東北人たちは、その日その日を必死でかろうじて生き延びているだけなのではないだろうか?

のんびりと「放射能の正しい怖がり方」や「未来のエネルギー政策」を議論しているひとびとは、実は、猛烈に他者の不幸に対して鈍感な人間たちなだけであって、現実の日本には「未来」どころか、来月の生活を乗り切ることが焦眉の急になっている人間がたくさん取り残されているのではないか。

まさか、と思ったが、もう東北に現に必死懸命に生き延びる努力に追われているひとびとがいないということになると、あの短いテレビ番組が映し出していたものはすべて虚構であったことになる。
一方で、東北に現在進行形の地獄が取り残されているとすると、未来を議論する東京人たちの姿のほうが虚構の存在におもえてくる。

倒れて起き上がれなくなっているひとを見れば、手をさしのべ、肩を抱いて一緒に歩いていくのは美徳ではなくて、もともとが社会的動物である人間の習性である。
本能、といいなおしてもよい。
ひとりひとりの他人を大事にしなければ自分の生活がなくなるのだ、という第一基礎を理解して初めて人間は人間としての生活を獲得した。
他人が倒れて動けなくなるときには自分が痛まなくても、次はその「他人」の運命が自分に降りかかるのは人間が社会に依存して生きている以上、どんな利己的な人間にも理解しうる自明のなりゆきだからです。

戦争をもちだしては例として品がないが、いまの日本支配層は、兵士がひとりづつ倒れていって、部隊そのものが失われつつあるのに、作戦地図を囲んで将来の会戦勝利プランに熱中している将軍たちに似ている。
喧々囂々と議論を「つくして」、完璧な作戦が完成する頃には兵士たちは、なんの救援もなく希望もない戦場で祖国を呻くように呪っているに違いない。

ツイッタでも書いたが、あの恐ろしい津波の光景を見ながら涙を流しているフランス人たちは、なにも言わなくてもお互いに、「自分達にも、もっとこのひとたちのために出来ることはないか」「どうすれば、このひとたちに力になれるのか」と懸命に考えているのがわかっていた。
わしも、同じことを考えました。
チベット、ハイチ、いつも同じことで、誰かが困難に遭遇すれば、その困難の外側で動き回れるものが、念のために言えばたとえ自分の助力などが誤差の範囲の些細なものであるとわかっていても、なおせいいっぱい手を差しのばそうとする。
それは困難の渦中にいるひとびとを救うためですらなくて、飛躍した言い方をすれば、自分を救うためである。

気を挫く、というが、ここではあまり述べる気がしない福島第一事故への政略的な対応のせいで、日本の支配層は結果的には諸外国のひとりひとりの人間から差しのばされた手を、振り払ってきた。
手ひどく振り払った上で、微笑とともに、「われわれはもう大丈夫だから」と述べてきた。
たった30分に満たないドキュメンタリの画面を観ただけで、そんなことを言うのは、ケーハクというべきだが、あの表情を押し殺して、じっと何事かを耐えている東北人たちの表情を思い出すと、ほんとうに大丈夫なのだろうか、とわしは考えてしまう。

ずっと前、福島第一事故のすぐあとに、「大変な事態になった。政府としては、東北一円のひとたちに緊急な避難をお願いしなければならないが、補償をするだけのオカネはない。どうかひとりひとり自分の判断で逃げてください」というのがいちばんいいのではないかとツイッタとブログ記事に書いたが、ほんとうは、もっと世界の人間ひとりひとりを信頼して、窮状を打ち明けたほうがよかったのではないだろうか。
日本では人気があるというアイドルグループが、まだどんな外国人の目にも危ないに決まっているとしか見えない日本へ観光に来てくれというプロモーションをして、その日本人全体の(と映る)危機感のなさで外国人たちをびっくりさせたことがあった。

日本の危機をじっと見つめていた世界中のひとたちも、主にばらまかれた放射能をめぐる到底理解しがたい理屈の展開や、奇妙な用途に使われた義援金、その弁明のいかにも日本風に投げやりな、表向きの理屈ばかりがあっている不正直さを見せつけられて踵を返して自分達の日常に戻っていった。

そうして誰にも顧みられなくなった土地で、 一年後、 東北人たちは、見捨てられた難民のようにして厳寒の冬をすごしていた。
なんだか日本政府が一生懸命にペンキで描いた看板に描かれた「結束して困難に立ち向かった日本」の大きなうすぺったい板の裏には、たくさんの、分断されて希望のない、明日の生活に全力を集中してやっと生き延びていかれるような孤立無援の戦いをしているひとが無数にいるような気がしてくるのです。