食物図鑑 その8 グラシア篇

バルセロナという町は、スペインの一部であることを全身で嫌がっているような町です。
わしのアパートがあるグラシアという、元は独立した町であっていまはバルセロナの一部ということになっている町は、特にそういう気分が強いよーだ。
路地の奥に分け入ってゆくようなレストランに行くと、スペイン語すら書いてなくてカタロニア語だけだったりする。
わしはカタロニア語はパーリンプッだが、メニューだけは読めるのはそういう理由によっている。
むかしは、イノシシを頼んだつもりであったのに、なんだかわけがわからねえ内臓のホルモン焼きがでてきて、ははは、おもしれえー、これだから他国での食事はやめられん、と呟いて泣きながら食べたものだったが、最近は、ちゃんと何を自分で注文しているのか判っているのだから偉人であるとゆえる。

カタロニアと言えば、むろん、パン・アム・トマカ、スペイン語に翻訳すればパン・コン・トマテです。

生活の基本であるとゆってもよい。
何をオーバーなと思ったきみ、そーではないのよ。
食べ物を軽視するすべての思想はケーハクな思想である、なんちて。

いやいや「思想」とかゆっておると食べ物がまずくなるからやめておくべ。

知らない人のために述べておくと、パン・コン・トマテとゆーのは、上の写真のごとくパンに、
1 まず生ニンニクのクローブをすりすりする。
2 その後にトマトを切った断面をすりすりする。
という厳粛な手順を経て出来る食べ物で、同じスペインでも、異なる地方へ行くと、
輪切りのトマトをのっけてみたり、もっと言語道断なことには全くニンニクをすりすりしていない「パン・コン・トマテ」まであるが、マンハッタンの人気「バルセロナ・タパス・バー」で出している、オリーブをすったのや、ドライトマトをオリーブオイルにつけたのや、いろいろな「ソース」がついてくる「パン・コン・トマテ」と同じくらい大邪道である。
(因みに、あの9th Aveのタパスバーのシェフは、あろうことか、バルセロナのおっちゃんなので、「こんなん出していーとおもっとるのか」とゆったら、「おれが決めたんじゃなくて、あそこにいるカリフォルニア出身のクソ女が決めたんだもん」と言い逃れしておった。いまは悔いて、わしの姿を見る度に作る料理の量を二倍するので、ついに神の許しを得たよーだが)

バルセロナに行って不平たらたら、「あんな酷いところは初めてだ」というのは、だいたい世界的なイナカモノであるアメリカ人であって、日本のオーサカやトーキョーから来たひとは概ね「バルセロナ大好き」になって帰るもののよーである。
それは何故かとゆーと、簡単で、バルセロナ自体、小さいとゆえど都会だからです。
「食べ物の写真が出ているレストランは不味いに決まっておる」
「外国語が4カ国語も並んだメニューの店で、おいしいかもしれない、と思うのは頭がどうかしている」
という常識にオーサカ人やトーキョー人は馴染んでいるが、テキサス人は、
「まあー、この写真、綺麗でおいしそう。おまけに英語も通じるんだわ」とかっちゅうんで、いきなりはまりまくる。

スペインちゆえば、どこでも「ハモン」に決まっておる。
ハモンは、いちばん高いハモン・イベリコを奮発することに決めてしまえば、相当ええ加減なところにはいっても、おいしいす。
たとえば「Mas」のようなチェーン店でもよいと思われる。
(しかし、マスの数ある支店のなかでもディアグノルのモールの地下にあるやつがいちばんおいしいけどな)
切り方がおおざっぱにゆって、うすううううく、うすううううく切る切り方と、小判状に切る切り方がある。



わしはうすうううういオカモト式のほうが好きです。
装着感がない。
(嘘。ほんとうはデュプレックスですけど)

わしは、人間が質実剛健簡素剛勇に出来ているので、普段たべるものは、ウエボス・コン・パタタス(イモの卵焼きのせ)とかです。
わし、この食べ物、好きなんだよ。
1€のテーブルワインと、これがあれば、手もなく幸せになってしまうので、いつもモニに「なんという安上がりのダンちゃんだろう」と笑われておる。



あるいはクロケタス。
イタリアのは日本と同じでイモだが、スペインではコロッケは中身はクリームとチキンやハムです。
わしはむかしはクロケタスがほぼ病的に好きであって、朝ご飯の蜂蜜を表面に塗ったクロワサンと一緒に必ずクロケタスを3つつけてもらったりしていたが、最近は、モニと一緒にいるときには「臭いから注文してはいけません」と厳命されている、アトゥン(ツナ)のパイに変えるときもある。

ガイドブックを見ると、バルセロナは、タパスがおいしい、なんちておるが、カタロニア人にゆわせれば、そーゆー表現はただしくない。
タパスて、ただ「小さい皿」て意味だからな、と力説します。
そんなの意味ないよ。

タシカニカニタシ、と思わなくもない。
「東京は小鉢料理がおいしいんだよ」とゆわれても、いまいちピンと来ないであろう。

伝統料理には、たとえば「カタロニア風ソーセージ」がある。

ソーセージとゆえばチョリソもあるが、正直に申告するとチョリソはガリシアやカステラのほうが全然うめっす。
カタロニア人は元々のカタロニア風ソーセージの概念に邪魔されてなかなかチョリソの神髄である荒々しいニンニクとピカンテの心境に達しないもののようである。

夏にいれば、カタロニアとゆえどスペインなので、さまざまなガスパチョもあります。



カタロニア人も日本のひとびとと同じで、Arozな米料理が大好きなので、もちろん、
食べているうちにだんだん泣けてくるほどおいしい(義理叔父談)米を使った料理も豊富にある。



こーゆーものを、バルセロナ人は、魚でも赤ワインで無理矢理食べたりするが、夏には、たとえば、カバベースの白サングリアちゅうようなものを飲みながらも食べます。

香草がかすかに香るロゼを飲みながら、おいしいものの事を書いていたら、だんだん酔っ払ってきてしまったので、忘れないうちに付け加えておくと、カタロニアの伝統料理には、アンチョビとトマトを組み合わせたさまざまな料理

チーズの上にどっっかああああーんとジャムやフルーツジェリを載っけた料理

ももちろん欠かせない。
野菜は他の大陸欧州人たちと同じように、めんどくさくなると、焼いて大量に摂る。

そーだそーだ郷土料理には、チキンとイチジクの料理もある。

ポテタス・ブラバス

や、トルテージャ

を他の地方のスペイン人なみに食べたあとは、
日本の人と同じに「現代料理」のレストランに恋人や友達と待ち合わせて出かけるでしょう。

仔牛、とかでも、こんな切り方の伝統料理(それぞれ仔牛、鴨、スズキ、バカラオ、チキン、イカ、ポークソーセージ)






のカタロニア料理屋とは違って、

たとえば初めに出てくるスープも、フォアグラと味噌のスープ(これは、すげー、うめっす)

最近はとても流行っておるハマス

だったりサーモンだったり

ハマスを食べてアグア・コン・ガスやヴィノ・ティントを飲みながらまっておれば、
卵のキノコソース

や、おなじみのビーフ・ステーキ

日本風マグロのタルタル

バルセロナで結構人気がある新機軸としては、
わざとアメリカ・ファースト・フード風に設えたコース、なんちゅうのもあります




そうして最後には否が応でも甘いものを食べなければ立派なオトナとはゆわれないが、心配しなくてもカタロニアのレストランも、甘いものは無茶苦茶においしいので、満腹していてもちゃんと食べられます。








なかんずく、きみがカタロニアは初めてだとすると、クランブリュレって、ポールポキューズ、なんちゃってるけど、これのマネなんちゃう?というクレマ・カタランを外す訳にはいかんだろー

こーゆー「甘いもの」を食べ終わると、今度は、明日は何をして遊ぶべか、と話しながらリキュールを飲む。
最後には大団円で、

レストランのおごりの菓子が出るのがスペイン的流儀である。

おまけをのべておくと、毎日毎日マジメに美食ばかりしている努力家のわしとゆえど、
ピザで夕飯にしてしまうこともある


めんどくさければ自分で作ってモニとふたりで食べることもある
(アスパラガス+ほうれん草とベーコンの炒め、ソパ・デ・アホ、トマトとアンチョビとアーティチョークのスパゲティ)



モニが、「ガメ、これうまいな」というと、(当たり前だが)
天にも昇る心地になる。
とっても嬉しいっす。

食べ物というものは、本質的に幸福なものである、と判ります。




(文章でことわるのを忘れておるが、最後の写真三つは参考にあげた「フランス側のカタロニア人たちの料理」。国境という「線」をまたいだだけで
おおきく変わる。写真の料理の場合は「見た目がフランス料理で味がカタロニア料理」なのでごんす。
言語はスペイン側と反対に年々カタロニア語人口が減っている。学校でカタロニア語を教えないことがおおきいのだそーであった)

夏になった


タピエス・ミュージアムのなかにある図書室に用事があったのででかけた。
グラシアからは、当然のことながら「パッサージュ・ド・グラシア」という文字通りの道を降りて行きます。
途中、一部、脇道に入ったが、それはヴィシ・カタランやカバを飲むためであるにすぎない。
グラシアから昼間バルセロナに降りてくることは滅多にないが、出てきてみると今年は日本の観光客が、というか日本の団塊世代が仰山いてはるので驚きました。
いつものごとく白い上っ張りを着て、いつものごとく上機嫌な、わしがバルセロナにくればいっぺんは立ち寄るバールのおじちゃんに「日本のひとが、いっぱいいるなあ」というと「中国は儲かってるからな」という。
会話があまりに微妙なので、そのあとの接ぎ穂もなく、一瞬で終わってしまった。

カメラを首からぶらさげて、ベストを着ている、というニッポンニッポンした格好の団塊おじちゃんやおばちゃんたちはタピエス美術館にもちゃんといて、大声で話し出したので館内のひとびとはぶっくらこいて見返っていたが、そのうちすぐ静かになって、無口になってバシバシ絵の写真を撮りだしたので、なにがなし、心配な感じで見ていたわしも安心しました。
こういうところで「心配」な感じになるところが、わしと日本のややこしいわだかまりをあらわしておるよーだ。

タピエスというじーちゃんは、無茶苦茶かっこいいじーちゃんであって、たしか86歳くらいだと思うが、禅っぽい画家であるよりも、そのへんのゴミをひょいと拾い上げて、たちまち一定のイメージを喚起する造形をつくりあげる名人であるよりも、モニとわしにとっては、
あくまで「かっこいいじーちゃん」の印象が強いひとです。
白いカンバスの周りを指を鳴らしながら歩き回る有名な癖も、若いときから片方が高くて片方が低い特徴のある眉も、ひたすらかっちょいいうらやましいジジイであると思う。

うらやまジジイの館を出て、モニとふたりで、なんだか暑いのお、と言いながらグラシアの「革命広場」でカバを飲みながら、ふと広場の片隅の薬局の温度計を見たら32.5度であった。
見なければよかった。
ヘンなものを見てしまったので、ますます暑くなってしまった。

ワインを両腕いっぱいに抱えた北欧人と行き会ったので、あついのお、という話をしたり、見る度にだんだんでっかくなってくるレストラン主人のおばちゃんと、やはり道で出会って、このあいだもらったインド・スパニッシュ音楽のCDのお礼を述べたり、暑いので、少し歩いてはへろへろになって、テーブルに座ってカバを飲んで休んでモニに笑われたり、グラシアの道は、なかなか進まない。

まるで南極点に向かうスコット探検隊のよーだ、と莫迦なことを考えました。

Niraj Chag

を聴く度に日本のことを思い出すのはなぜだろう。
きっと、あのひとの声の「やさしい」ところが、日本の何かに似ているのに違いない。
「日本人は『やさしさ』をブームにすることによって、自分達の文化のなかにあったやさしさを殺してしまったんだよ」と義理叔父はゆっていたが、そういうこともあるのだろうか。

わしが行ってみたころの日本はすでに、悪い方で言えば、なんだかぎくしゃくした、プライドばかり高いような国になっていて、第一、日本のひと同士お互いに見栄が邪魔になってくたびれはててしまっているような奇妙な社会だった。
そういうことから自由だったのは、このあいだも書いた中学高校も「ゆーめい校」を出たトーダイおじさんたちくらいのもので、日本では「学歴」というものはひとがいうよりも重いものに思われた。

なんだか、ベンキョーで人生が決まる国なんてやだな。
いっそ、50メートルのかけっこで人生が決まるほうがよいような気がする。

ウインストン・チャーチルというひとは日本で言えば赤尾敏がいちばん似ていそうな右翼キチガイ親父のようなひとであったが、しかし、赤尾先生と断然異なるのは演説が途方もなく上手であったことだった。
特に誰が見ても勝つわけねーじゃん、なナチス・ドイツとの孤独な戦争のあいだじゅう、イギリス人たちは、「もうダメだべ」と思いながらそれでも暖炉の横の背の高いラジオのそばに家族で集まって、あの眠そうな、酔っ払ってるみたいな、ものうげな声の演説を聴く度に「まだ、もしかしたらやれるかもしれない」と自分で自分をだますのにかろうじて成功して、明日もなんとかすっぺ、とつぶやきながら寝床に向かったものだった。

このチャーチルというひとは、ベンキョーが全然できないひとで、同級生の背後からそっと忍び寄ってプールに突き落としたりするのは得意だったが、ほぼ犬でも入れたオックスフォードやケンブリッジというような友達がみな進む学校へはどうしても合格できなくて、3年くらい「浪人」していたはずである。
浪人、といっっても、この当時の連合王国の入学試験は、「はい、お手」「ロール・オーバー」
はい、よく出来ましたねー、合格です、
というような程度のものであったから、勉強ができなかったのではなくて、勉強がものすごくできなかったのであると思われる。
弁護の余地がないくらい勉強が出来ないのが判明したので、両親は情実だけで合否が決まる士官学校に入学させて放射線の基準値を超えたお茶を濁すことにしたが、
学校のほうでは、一応、ラテン語だけはなんとか判るようにしておいてね、ということであった。

ところが、おそるべし、若いウインストンはラテン語をいくらにらんでもひとことも判らないので、白紙のままの答案を前にして、ついには居眠りをしてしまいます。
「そのときの、憐れみに満ちた試験官の顔を私は一生忘れない」と彼は書いておる。
合格、したんだけどね。
大西洋の向こうのダン・クエールみたい、というか、ブッシュみたい、というか。

長じては彼は右翼政治家になった。
第一次世界大戦前後にあっては、世界一好戦的なおっさんとして有名だった。
あんなもんを海軍大臣にしちって、とゆわれた。
国が滅びてまうやん。

ところがナチスが攻めてくるということになって、連合王国の国民は、ほぼ一致してウインストン・チャーチルを首相に選びます。
「あれしか、おらん」ということになった。
キチガイにはキチガイを、とゆってみたいところだが、そうではない。
こーゆー非常のときはオベンキョーが出来るやつはあかんねん、と国民が熟知していた、というべきである。

見込みのない戦争の、その最も希望がない苛烈な局面で、チャーチルは頼まれもせんのに健気に耐乏生活を続ける国民の精神的支えとなりながら、美食に耽り、朝っぱらからバスタブにつかってシャンパンを開けながら、戦争についての報告書類を読んで処理していった。
このどうしようもないキチガイおやじが、連合王国最大の戦力であったことを知らないナチスドイツの将校はひとりもいなかったでしょう。

やっぱりベンキョーで人生が決まる国は滅びるよな。
いっそ、ホットドッグの早食い競争で決めたらどうか。

バルセロナは、もう夏になった。
ほんまの夏はもっと暑いんだけどね。
33度とか、わしには、もう夏でんがな。
夏の太陽の母上が照りつけて、カバを飲んでもバカを食べても、暑くてやっておれんので、やはり来週には移動したい。
義理叔父は日本語で話しているときには「あのひともエルファなのよ」と不明なことを言うことがあるが、これは従兄弟とわしと義理叔父にのみ通じる隠語であって、スペイン語ではEl Faroだがカタロニア語ではEl Farという。
灯台のことね。
だから東大というダジャレなんです。
バカみてえ。

「緑の道」を歩いて、散歩に出よう。
テラスからものうげに通りを眺めている禿頭のおっちゃんや、洗濯物の向こうから手をふっているおばちゃんや、サッカーのボールを蹴り損なって犬にぶつけて、追いかけられてびっくりして泣きながら走っている子供、「ここに座ってもいい?」というなりモニとわしが座っているテーブルの椅子に返事も待たずに腰掛けて、猛然とタバコを吸いながらけたたましい声で話しだした途端、モニに「向こうへ行きなさい!」と怒られて、慌てて立ち上がって、つまづいてこけているふたりづれの女の大学生。

ボーイフレンドと抱き合ってキスしたまま動かない主人の横でじっと座って主人を見上げながらひたすら耐えている犬さん、
そういうことどもがいつも渦巻いている広場で、のんびり休もう。
狭い舗道を犬さんのウンチを避けながら歩いて、手をつないで、ときどきキスもする。
あの陽光がきらめいている午後の町にでていこう。

大好きなひとと手をつないで

「革命広場」の朝の歌


今日は月曜日だが何の日だったか完全にぶち忘れたバルセロナの祝日なので外にでない。
なあんにも開いてないに決まっているからのい。
モニさんがお腹がすいたというので食堂の椅子に座って、手をパンパンと叩いてみたが夕飯さんは自発的に現れてくれないので、やむをえず、わしのほうからキッチンに出向いて夕飯をつくることにしました。
昨日八百屋で買ったトマトとアーティチョークとチョリソでソースをつくってスパゲティをゆでた。前菜にはアスパラガス。またその前には、アホのスープもついてます。
アホのスープ、とゆってもわしの特製スープではない。
ソパ・デ・アホ、すなわち、にんにくのスープです。
カタロニア人は、こんな野蛮で原始的な感じがするスープを食べないが、わしはなかなか好きスープなので、ついでだから自分でつくることにした。
カウンターでカバをのみながら、「お腹がすいたなあー」と呟きつつ料理を爛々と光る眼でみつめているモニにときどきハモンをあげたりしながら、黙々黙と料理をつくるわし..ちゅうのは嘘で、フラメンコの音楽をかけて踊りながらつくってるねんけどな。
モニが、こんな退屈しないひと珍しいな、といいながら、くすくす笑いながら見てます。
妻に台所で見つめられると、コーフンしちゃうのい。

わしは名人級の料理人であるから、当然ながら完璧にアルデンテのスパゲッティはうまかった。
カバとワインで、モニとわしは幸せになりました。

今日は祝日でバールもジェラート屋も中近東人たちのお茶とバクラバの店も何も開いてないから出かけないが、いつもなら、この時間は散歩の時間です。
グラシアの狭い迷路のような道をあちこちに歩いて、迷宮の結節点のようにそこここにあるプラサ(広場)で、椅子に腰掛けてタパス(小皿料理)を一個だけ頼んで、あるいは不味いと判っていれば食べ物は全然頼まないでワインやカバを飲む。
絶叫しながら走り回るガキどもや、キスしたまま化石化した大学生のカップルや、そのへんの国の「プロ」よりも遙かに上手なギター片手に大声で歌を歌っているにーちゃんや、を眺めながら、木の枝を揺らす初夏の風の音を聞いて、のんびりする。

両側に壁のようにアパートが建ち並ぶ人気のない道を歩いて行くと、向こうから胡乱な4人づれの高校生ガキが道いっぱいに広がって歩いてくる。
Tシャツの着方とひとりはモヒカンのヘスタイルがいかにも「わし、バカだし」と詳述しておる。バカ、とゆってもスペイン語の牛肉という意味ではないのよ。
日本語の無明が極まった人の意味であります。

わしは不沈戦艦プリンスオブウエールズの生まれ変わりだとゆわれておるので、そんなできそこないの掃海艇が横列をつくったようなもののために緊張したりしません。
相手がくだらない歩き方をしていると避けてもやらないので、おかげで日本にいた頃はわしの分厚い胸に油ぎったデコをぶつけるサラリーマンがようけおったものである。
ちゃんと前を見て歩かんかい。

初代不沈戦艦は酸素魚雷とかいう日本軍のクソ魚雷にあたって、あっというまに轟沈してしまったが、贋物はつおいねん。
と、くだらないことを考えていたら、ガキ共何を思ったかフラメンコの拍を手で打ちながら歌い始めた、ほら、こうやってやんだぜ、っちゅう感じで、あのわしのだいだいだい好きなスペイン人の特技のリズムを手で刻んでおる。
近づいてきたところで「うまいな」というと、「おーっ、まかせなさい!」とゆって親指を立てて去ってゆく。
グラシアの裏通りを歩いていると、そういうことがいくらもあります。

広場で座っていると、いろいろなひとが話しかけてくる。
グラシアというのは、一応、バルセロナの青山・原宿だということになっているが、そういう浅草の血がどこかで混じっっちゃったんちゃう?というようなところがある町でもあるのです。
ぶっきらぼう・ぶあいそ、で、ひとなつこくて極端なくらい親切です。
それがこの町の居心地の良さをつくっている。

当然広場によって性格が異なっていて、好きな広場嫌いな広場はもちろん、その日の気分によって行きたい広場も行きたくない広場もある。

ふだんは、わしは「緑の道」という道が好きであって、そこを通って、「革命広場」という名前の広場へ行く。
「革命広場」、Plaza de la revolución、とゆえばハバナのでかいのが有名だが、グラシアのはもちろん、ああいう派手派手しいのとはちゃいます。
小さな、緑の道がまんなかに通っている、小さなスクエアである。

周りには有名な「オ・グラシア」を含む何軒かの店があって、そういう店が広場にテーブルを出している。
モニとわしは緑の道を歩いて、ときどきは、途中のパレスチナ人がやっているお茶屋で、仰山種類があるバクラバからひとつを選んで、ミントやピスタチオのお茶を飲んで、ああーうめええーと思いながら広場の椅子に腰掛けて、カバや赤ワインを飲むのが習慣である。

楽しいのよ。
ニューヨークももちろん良い街だが、アメリカ人はどうがんばってもカタロニア人よりも頭が悪いので、こういう「場」がつくれない。
自分達の住んでいる生活の場に「成功」や「オカネ」が露骨に浮遊してしまって、住んでいる人間はすっかりくたびれはててしまう。
カタロニア人のように「成功」ちゅうような前のめりのものを、肩をすくめてやりすごす方法をしらないのです。
「いい気もちで、のんびりする」というようなことのほうが人間の生活あるいは一生においては遙かに深刻で重要なことだと、カタロニア人たちはよく知っている。

妙ないいかたをすると、たとえば飲み物ひとつでもロンドン人たちともまた違って、1000ポンドのピノノアール至宝ワインが手にはいることよりも、4€のワインがとてもおいしいことのほうが大事な社会をこのひとたちは真剣になってつくってきた。
GDPなんて、けっけっけ、勝手に勘定してろよ、と思っているに違いない。

こうやって書いていたらフラッシュニュースでイタリアの反原発投票の投票率が55%くらいになって、投票したひとの94%が原発に反対したという。
イタリア人は、スペイン人に較べれば遙かにマジメ病で、せかせかしたひとが多い国だが、それでも、自分達が幸福でいるのに欠かせないデュラムセモリアが汚染されて食べられなくなる、というような考えに耐えられなかったに違いない。
ヒトラーがアフリカ戦線について会議をもったときにイタリア人の将軍たちが「しかし、総統、あなたはそう仰るがイタリア人は、この」とゆって
菜食主義者のヒトラーにあわせて供された目の前のスパゲッティ・ペペロンチーノを指さして、「このおいしいスパゲッティが食べられておいしいワインを飲めることが人生で最も大切な国民なんです」とゆってヒトラーを怒らせたという話を聞くとドイツ人や日本人のような文化から縁遠い人間の多い国ではおかしがって笑うが、
そういうことを「浅薄」という。

イタリア人というようなひとびとは、これから徐々にドイツ人や日本人あるいは英語人たちが学んでいくであろう、「ひとりひとりの人間が幸福にならなければ社会も国家もなにも意味はないのだ」ということをドイツ人や日本人などは到底比肩できない強兵と勤勉の歴史上最大の強国であったローマの気が遠くなるほど長い繁栄のなかで学んだのであって、だからその根底をなす自分達が自慢のイタリア国産のデュラム小麦が汚染されるなどとんでもないのである。

日本のひとが軟弱だとゆって笑うことこそが、人間の価値への入り口だとこのひとたちは、いつも知っているのだと言い直した方がわかりやすいかもしれない。

大陸欧州のなかでも、突出的に個々の人間を幸福にする社会の現出に長けたカタロニア人たちの町の最もパラダイスな部分にいるので、モニとわしは、どうしても帰りが遅くなる。
ふたりで、いい気持ちで、手をつないで、もう人気がなくなった午前四時の「緑の道」を歩いてくる。
「革命広場」でひと休み、ベンチに座って、気温でいえば16度くらいの、素晴らしい「夜気」を堪能します。
楽しいなあ、と思う。

ただそれだけの記事で、ここで急に終わりにしてもよいが、そのあとに起こったことをつけくわえておきます。

広場の反対側をなんだかボロをまとった、「尾羽打ち枯らした」という日本語の表現がぴったりの浮浪者ふうのおっちゃんが、ふらふらと歩いている。
歩いている、とおもったら、箱の上にたって、わしらからあさっての方角を向いて、モニとわしがよく知っている歌を歌いだした。

それは、こんな歌です。(右側に張り付いているのが英訳だし)

Allons enfants de la Patrie, Arise, children of the Fatherland,
Le jour de gloire est arrivé ! The day of glory has arrived!
Contre nous de la tyrannie, Against us of the tyranny
L’étendard sanglant est levé, (bis) The bloody banner is raised, (repeat)
Entendez-vous dans les campagnes Do you hear, in the countryside,
Mugir ces féroces soldats ? The roar of those ferocious soldiers?
Ils viennent jusque dans vos bras They’re coming right into your arms
Égorger vos fils et vos compagnes ! To slit off the throats your sons and your companions!
 
Aux armes, citoyens, To arms, citizens,
Formez vos bataillons, Form your battalions,
Marchons, marchons ! Let’s march, let’s march!
Qu’un sang impur That a tainted blood
Abreuve nos sillons ! Water our furrows!

わしは、日本にいたことがあるので、このフランス人たちの国歌を日本のひとたちが嫌っているのを知っている。
「好戦的」「血なまぐさい」「神聖な国歌としてふさわしくない」

しかし、友よ、わしはばらしてしまうが、このフランス人たちの国歌が大好きなのです。
われわれの社会の同胞のすべてが人間として認められていたわけではなかった頃、大地を血で染めて、人間の戦場に歴史上初めて現れた「散開戦術」を用いて、必死に自分達ひとりひとりの幸福のために戦ったフランス人たちを、わしは、わしらが築いてきた、この人間にとっては救世主的であった(ということすら認めない日本のひとがあなた方の社会では喝采されているのをわしは知らないわけではないが)近代および現代という時代の発明者としてわしは尊敬しています。
「文明」というものを発明した中東の地中海人たちと同じくらい尊敬しているのです。

モニとわしは、箱に立ち損なってこけたりしながら、延々と歌っているオンボロなおっちゃんに低く唱和した。

それで、どうしたかって?
どうも、しねっす。

どうもしやしない。
おんぼろのおっちゃんは、夜明けの街によろよろと消えてゆき、モニとわしも立ち上がってアパートの正面玄関の鍵をあけてリフトに乗って部屋へ帰った。
モニとわしはリフトを降りる頃には、目がうるんでいて「自由」ということや「人間の尊厳」ということの意味を考えていた。

ただ、それだけの朝のこと、なんだけど。

零細な夜についてのメモ


ひきこもりでプーなへんなひとでもときどきは自分の会社の人間を集めて、その前に姿を現すことがある。

午後九時。
会社のクルマを断って、雄々しくも自分でタクシーを止めて、フニクラ(注)というグラシアの山の上にあるレストランに向かうわしの姿があるとおもいたまえ。
もちろん、自閉症じみた、ちょっと吃るみたいなヘンな話し方の旦那を見守るようにしてモニも一緒です。

グラシアの後背の丘は新しい住宅地として開発されていて、若い共稼ぎ夫婦にとってはあこがれの住宅地である。
そこを抜けて、もっとずっと登ってゆくとレストランやバーが何軒かある丘の頂に出ます。

いつまでも無理矢理隠しているのもカッコワルイので、むかしからのネット友達は知っていることでもばらしてしまうと、わしはこのバルセロナに会社をもっていて、その会社は実はウクライナ人とロシア人ばかりが働いている不思議な会社である。
いや、数の上ではカタロニア人のほうが多いけどね。
幹部は、カタロニア政府から見れば許し難いことにすべてガイジンであって、シャチョーもウクライナの元戦車兵です。
しこうして、会社の持ち主はひきこもりのクマのプーさんなニュージーランド人である。

なんというヘンな会社でしょう。

こんなこと書いて信じるやつがいると思っているのか。
いや別に信じなくてもいいのよ。
第一、書いているひとも、(「はてな」のひとびとによれば)ニセガイジンだし。

モニとわしは午後九時20分くらいについたが、当然さきについているべき会社の諸君は、はっはっは、わしの会社だからな、誰もいねーんでやんの。

モニとわしは案内されたテーブルのすみっこに腰掛けて、外を眺めながらカバを飲んだ。
日本でゆえば高級料亭の鰹節みたいに薄く削られたハモン・イベリコを食べながら社員たちの到着を待ちます。

午後九時半。
どどどっ、と音を立てて階段を歩いてあがるエネルギーが充満したひとびと。
先頭は元戦車兵であって、横にはちびっこいが、あいもかわらずすげー美人の奥さんが立っている。
戦車兵は若かりしころのアーノルド・シュワルツネガーみたいな肉体の持ち主だが、眉毛がうすくて一見すると危ないひとみたいな顔のほうはにっこり笑うと、しかし、子供のようです。
「ああああー、ガメだ。ガメがここにいるんだ。信じられない」という。
信じられない、って昨日も会ったやん。

それから、わしらの楽しい夕餉がはじまった。
わしはもう長いあいだ大陸欧州では牛肉を食べなかったが、今日はよいことにした。
ひさしぶりに食べる牛肉を楽しみながら、カタロニアの経済がいかに危機的か、スペイン全体に足をひっぱられて、いまにも沈没寸前であるか、というみなの話に耳を傾けた。
カタロニアの経済危機は、わしがマンハッタンで考えていたよりも遙かに深刻であって、話が具体的な数字に及ぶと、元戦車兵も、ドイツ軍の88ミリ砲に照準をすっかりつけられてしまったように怯えた表情です。

こんなに酷いとは思わなかった。
来てよかった。

口々に話してくれる実情の、その口吻でほぼ事態が理解されてしまったので、わしはエラソーに手をあげて、「もうここからは仕事のはなしはやめるべ」とゆいます。
わしは、のんびりなので、会社がつぶれて破産が宣告されたころには、方策を思いつくであろう。

ロシア人たちとウクライナ人たちは、もともと仲がわるい。
話す言葉も、イタリア語とスペイン語くらいには違います。
スペイン語に英語やフランス語やロシア語やウクライナ語、それにカタロニア語まで混じって、わけがわからない会話を交わしながら、わしらはだんだん酔っ払っていった。

ロシア人たちはたとえばウクライナ人たちに較べても、途方もなくアジア人的なので、日本人や中国のひとたちがやるように、立ち上がって来て「まあ、一献」をちゃんとやります。
礼儀正しく受けているあいだに、マジで酔っ払ってしまった。

なんだか、暫時記憶が途切れていて、桁外れにおいしかったはずの食後のデザートのあとは、わしらはおおぜいのまま広いテラスのあるバーにいた。
今日は空気が澄んでいるので、夜のバルセロナの町が遠く海辺まで見えておる。

午前二時。
わしはひょろひょろとたちあがって、演説をぶっこきます。
何語で演説をぶったか、そんなことはたいへん酔っ払っておったのでおぼえておらぬ。
「去年もボロもうけであって、まことに祝着である」という出だしが冷菜企業の持ち主のガハハのおっちゃんらしくて、愛嬌がある、とゆわれている。
ロシア人もウクライナ人ももともとが礼儀正しい国民なので、国民性をむきだしにして皆姿勢を正して、話をやめて、口元を引き締めて、ガハハガメのやくざな演説にひたむきに耳を向けておる。
バー全体が、シン、としてます。

「われわれが住んでいる、この世界はもうすぐぼろぼろになってゆくに違いない。
ひとびとは狭量になり、外国移民を次には自分達の同胞(はらから)である女たちを、経済世界から追い出そうとするだろう」
「でもさ。わしらは、いままでもこの会社がそうであったように、戦いに勝ってゆくに違いない。きみたちも、わしも、狐のように賢いからな。わしを競争において打ちまかせる人間など、この地上にはおらん」
「万が一、どうしてもダメなら、みなでオーストラリアに移住するのさ」
(ここに至って、社員たちから笑いがもれておる)

「共産主義が現実世界で無効であると確認されて以来、」というところで、わしはみなが一段しんけんになったのを感じます。
「この世界は3%の勝者と97%の敗者で構成されるようになった。
人間性というようなものには、なんの価値もなくなった。
よいひと、であるということに何の価値もみいだせない世界が、そこではじまった。
革命もなく、人間が平等であるという妄想も喪なわれて、われわれは自分達がやってきた故郷の荒野にまた戻ってしまった」
しかし、97%の敗者のことをわれわれは忘れるわけにはいかないのさ。
なぜなら、われわれがいつでも勝者であるということそのものが、われわれの文明の敗北を意味している。
われわれは、どうしても、また、いまの弱肉強食のくだらない世界に対抗する、新しい価値の体系を経済世界で見いだしてゆかねばならないのだ、とゆってインチキな演説を締めくくりながら、
あー、長い演説だった、ちかれたび、と思って腕時計を見るとたった3分しか経ってへんやん(^^)

引きこもりにとっては、やはり他人の前で演説をするのはてーへんなことなんだのい、と思っていたら、みなが「ガメに乾杯!」という。
「ガメはバカだが、わしらはあんたが大好きだぞ」
なんじゃ、そりゃ。
「そーだ、そーだ、愚か者のガメに乾杯!」
「わしらは、たとえ、この会社がつぶれても、ここで働いたことを誇りに思うだろう」
わしの会社を勝手につぶさんでくれたまえ。

しかし、冷菜会社の持ち主であることにも、たまには良いことがあるのであって、
モニとわしは夜の「幹部社員総会」を心から楽しみました。

午前四時の丘の頂上で、ひとりひとり、わしらはお互いの肩を抱き合って別れた。
来たときと同じように会社のクルマを断ってタクシーで帰ってきました。

楽しい夜どした。
アパートに着いたら、いきなり気を失うように眠りこけてしまった。
モニが寝る前にデコにキスしてくれた。

これを読んだひとはみな、「いったい、これはなんだ?」と思って顔をしかめるに違いないが、いつもは日本語では書かない備忘録を、今日は、縦書きの感情に敬意を表して、この言語で書き留めておこうと思います。

(注)ほんとうの名前ではないが「フニクラ」のせいでバルセロナに住んでいる人には直ぐに「ああ、あそこか」と判るはずである。

風をつかむ


増殖炉型原子力発電所もんじゅのバカバカしいほどの危なさについては、20年前でもデザインの余りのひどさがW先生を慕って、その頃核融合研究の最先端校のひとつであった名古屋大学に世界中から集まってきていた外国人研究者たちと元トーダイの義理叔父たちが酒を飲むときの肴の笑い話になっていたというから、余程まえから知れ渡っていたのである。
ずっとあと、それから約16年後になって、他文化を征服すべく、乾隆帝、あるいは謎の怪人ナゾーに倣って起草した偉大な十全遠征計画の一貫として日本に愛馬「ラバーダッキーIX世」とやってきたわしは、まだ「もんじゅ」が動いている、というか動かないで壊れている、というかの状態であることを知って死ぬほどびっくりしました。
日本という国家が自分の国民を守るために行う祭祀的ロシアンルーレットの一種なのだろうと考えて納得しましたが、5年間11回に及んだ断続的な滞在のあいだ、もんじゅは爆発しないのに経済を始め、何もかもあんまりうまくいってないのを観察して、国家的呪術においては後期平成朝よりも平安朝のほうが発達していたよーだ、という感想をもった。

そうこうしているうちに浜岡という所にある原子力発電所が地震断層の畔に立っているのを発見して、国家的ブラックジョークなのだろうか、と思ったりしたこともあったが、もともとダサイ技術にしか過ぎない遅滞化核分裂技術になど何の興味もない上に、わしからみるといくら興味があるといっても外国の事にしかすぎないという無意識的な気持もあったのでしょう、朝ご飯のチョコレートトースト用に正しいチョコレートの購入やレース用自転車の修理や島宇宙をつなぐ関数理論やモニの身体が立てる正体が判らないが何だか気が遠くなるようないい匂いや、そういうことどもが入り乱れて乱雑に進行している日常のなかの、どうでもいいやな未決箱に放り込まれたままになってしまった。

ところがオークランドのラミュエラというところにある家のテレビがあるほうのラウンジでモニとふたりで並んでカウチに腰掛けてテレビを見ていたら50インチの画面いっぱいに、なんだか伸びやかで健全な感じがする、したがって神様の冷酷さをそのまま映像化したような感じがする津波の映像を見て、青ざめてしまったのは前にこのブログにも書いた。
厄災は「もんじゅ」でも浜岡でもない方角から、しかしもっとべっとりと絡みついてくるようなやりきれないやり方でやってきたのでした。

日本では、ひとの噂も七十五日というが、それは真に本当であって、ここまでずっと眺めていると事故後すぐに日本政府が「フクシマの原発で大厄災が起きてしまった。これは人類が経験したことがない事態になるのがもう判っているが、青森から東京に至広範囲の人間を退避させるだけのオカネが、もうこの国にはないのです。政府は、あなたがたを助けてあげられない。だから、どうか、みなさんが各自の判断との能力で、西の地方にいる親戚を頼って、あるいはお友達に依頼して逃げて下さい。自分の一身を救済してください」と言えば発揮できたかも知れない日本人の国民としての跳躍力も、バネが壊れたように失われてしまった。
政府としては最も恐れていた国民が大パニックを起こして世界に国としての恥をさらすという事態は免れた。
結局、原子力の輸出でこれからも稼いでいかねばならない合衆国やフランスやロシア(イタリアの友人すべりひゆがフクシマ事故の後のサルコジの第一声が「この事故がフランスがいま契約締結をめざすイタリアへの4基の原発売却に悪い影響を与えないように全力をつくす」だったことを一生わすれない、といって怒っていたのを憶えている)を始めとする原子力村の構成員たちは日本政府と日本を起点とする核汚染に目をつむるかわりに日本政府が情報を統制しながら「粛々と」すすめてゆく、国民の被曝耐性に信頼した日本の汚染列島化にお墨付きを与えたかのように見えます。
これを政治というものに照らしてみると、歴史的に国家がいかに個人に対して非情な要求をしても黙々と受け入れてきた日本人というものの性質をうまく利用した日本という国の天才的な(国家としての)天才的な知恵であるということが出来る。

タイミングをうしなって、75日も経ってしまえば、あるいは日本人ではなくても人間には決断に至る魂の跳躍力などもちようがないのかもしれません。
日本のひとびとはひとりひとり分断されて、途方にくれながら、あるときは幼い子供のために逃げたがっている母親に冷笑を向けてみせ、西へ転勤願いを出した同僚の机の脚を蹴り上げて、何事もなかったかのように、自分の心に言い聞かせようとしている。
ときどき、わしは、原子力事故後の日本人は、まるで自分が死んでしまったことを信じられないでいる霊魂のようだ、と思う事がある。
自分の身に文字通り致命的なことが起きてしまったことが信じられなくて、まだ現実を認められずに地上を彷徨う魂魄のようだ。

わしはマンハッタンからやってきた地中海沿岸の小さな町で、なつかしい顔がたくさん暮らしている日本の事を考えている。
インターネットだけで知っている友達も含めて、わしのメーラーの受信箱には、自分達の苦しい気持を述べた長いメールがたくさんはいっている。
わしは、それを何度も何度も読んでみる。
もうどれのメールであっても暗誦できそうです。

遠くから見ているといろいろなことがわかる。
眼前にいまどうしても消さなければならない大火があるのに、それが不可能であるのが判ってきたために、みながそもそも火事が起きた原因について侃々諤々の論争を始めてしまっている。まだ最も危険が差し迫った家が燃えさかっているのに、隣の町にも同じような火事を起こしそうな家がある、いや、あの家は遙かに安全な家が、と罵りあいが始まっている。
ところが目にも見えず、においもなく、音すら聞こえない、人間が発明した火のなかで最も悪質で危険な火は、そうやって議論しているひとびとの上に黒々と横たわっている梁をもう焼きつくそうといしている。
焼け落ちようとしている家のなかでは一億という数を超えるひとびとが悪意と全体を部分に優先させようとしている強い意志、人間を制度の部分とみなそうとする強力な思想的な力によって農家は消費者から、雇用者は被雇用者から、というように限りなく分断されてしまっている。

義理叔父から長い手紙が来て、かーちゃんシスターの、子供たちをひきつれて合衆国に帰ったアメリカ人の知り合いが、東北の町に住む日本人の夫と二ヶ月に及ぶ長い接点がひとつもない言い争いのあとで、とうとう離婚することに決まったそうでした。
わしは、他にもさまざまな局面で日本社会に住むひとりひとりの生活を破壊してゆくフクシマ事故の様相を報告する義理叔父の手紙を繰り返し読みながら、唇をかみしめてみるが、どんなに考えても、個人のレベルですら、「フクシマへの無関心」を決めこうとしているように見えるこの世界で出来ることに実効性を認められない。

こうやって誰にも聞こえない日本語を書き連ねて、暗然とした気持になるくらいのことしか、ほんとうに自分にやれていることはないのではないか、と思ってしまうのです。

寄付も、働きかけも、なんだか風のなかで腕をむなしくぐるぐるまわしている人のようだ。
そう考えると、やりきれない気がしてしまうのです。

迷宮のなかで


グラシア
http://www.barcelona-tourist-guide.com/en/areas/gracia-barrio.html

の巨大な迷宮のような町を半日歩き回った。

スペイン語世界のぴんからトリオとゆわれている(とはいっても日本式な言い方をすれば「フランスのバンド」だが「何とか国人」であるという定義にはいまの世界では、たいした意味がないのはヒターノであることとはあまり関係がない)、Gipsy Kingsの「No Volvere」
http://www.youtube.com/watch?v=FZwEE2s3qxE

や「Gitano Soy」
http://www.youtube.com/watch?v=TfVSjDOR0Gg

を口ずさみながら、しばらく会わなかった町のあちこちにいる友達たちを訪ねて歩いた。

タパスバーに行けば別に隠しもせずおおっぴらにビールを飲みながら給仕する、あの誰でもひとめみればぐっと来て参ってしまうくたびれた顔つきのおっちゃんウエイタたちが、「おっ、珍しい奴が来たな」という顔で迎えてくれます。
いろいろなやりかたで料理したいもの上に目玉焼きをぶっかけてつぶしたカタロニア式のhuevos y jamon

http://www.directoalpaladar.com/recetas-de-huevos-y-tortillas/receta-de-huevos-rotos-con-jamon-en-virutas

がわしは大好きだが、カタロニアにおける料理店総本山の、というのは、取りもなおさず世界一食べ物がうまいグラシアでは、この料理が不味い店を探すほうがたいへんである。

今日の店は新しく出来た、「どうして、こんな所に店があるんだろう」と思うような小路をはいってずっと歩いて、そのまた奥にまた人がひとりやっと歩いていけるような径をしばらくいったところにひっそりとあるバー料理屋だったが、おおげさだと思われても、この世のものではないくらいおいしかった。
前に書いた北大路魯山人先生ならテーブルに抱きついて
「ぼく、絶対日本にかえらないもん、やだもん」と叫んだと思われる。
魯山人先生がモデルの海原雄作であれば、あの由井正雪が髪をブリーチしたみたいな髪の毛をいからせながら、「主人、おれはここに残るぞ!」と咆吼するに違いない。
そのくらい、おいしーんです。
ほんとよ。

ワイングラスではなくて、コップで出てくるテンプラニーニョを飲みながら、仕事がない同士で、フットボールの話に熱中しているおっちゃんたちや、主婦おばちゃんたちが子供の学校の話に夢中になっているのを、のんびり眺めていると、どんなに、わしにあわせてドレスダウンしていても、やはりこういう所にくれば場違いで、男たちがちらちら磁石のほうを向いてしまう釘でもあるかのように顔を向けてしまうモニに「ガメは、ほんとうに、こういうところが好きなんだな」と笑われてしまった。
フロレンスでもニューヨークでも、あなたが行くところはとてもよく似ているのに気が付いているか。

わしが世界でいちばん大好きな水である、いつでも微かに硫黄の匂いがする、Vichy Catalan
http://www.vichycatalan.jp/vichy_ca.html
を飲み終わって、チョコレートがはさんであって表面に蜂蜜を塗ってあるクロワッサンでカフェコンレチェを一杯。
おいしかったにゃあー、と思いながら、あまりの幸福にぼんやりしてしまった頭で考えてみる世界というには脈絡というものがなくて、輪郭もはっきりせず、言葉で考えられるものであるよりも視覚や味覚によって「感じられる」ものであるような気がしてきてしまう。
感覚がほんの少し位相がずれて人間という「語彙」の外側に出てしまうような奇妙な感覚があります。

テラスにびっしり鉢植えがぶらさがっているノッポのアパートがクルマがやっと一台通れるような路地の両側に隙間もなくたっているグラシアの町の落ち着きは、人間の文明が本来もっている落ち着きには違いがなくて、その証拠には、この町に較べれば5倍は空間に余裕がある東京人やニューヨーク人は年中物理的な閉塞に悩まされているのに、グラシアという町には少しも「息が詰まる」ようなところがない。
そこにあるのは、千年というような時間の流れのなかで余計なことがみなはがれおちて本来人間を構成している感覚が素顔に復ったとでもいうような、人間が文明の力で人間本来の姿にもどった姿であって、いまでは否定された「悪い文明」や「良い文明」というような考え方が、文明の恵みのひかりが個人の幸福を光合成するか、それとも国家のような曖昧な化け物を育ててその国家の構成員である個人を国家の部分化して何から何まで吸い取ってしまうかという違いに基づいていたものであることをいまさらのように思い出します。

19歳くらいの背の高い若い男が、もうひとりの同じくらいの年の仲間と狭い舗道のまんなかで10歳くらいの子供同士のように抱き合ってじゃれついていると思っていたら、わしの前を歩いていたモニに「タバコをくれよ」とゆっておる。
モニにきびしい調子で「ない」といわれている。
オートバイの影で腰が抜けてしまったような様子で尻餅をついて蹲って頭を抱え込んでいる全身刺青だらけの若い女がいる。
6階の窓から太い首を出して、ランニング姿の中年の男がぼんやりタバコをふかしながら道行くひとを眺めている。

その同じ一角に、モモ社のヘルメットに腕を通した、ファッション雑誌の表紙を撮影している最中だとでもいうような姿の、多分学生、背の高い若い女びとがふたりで何事か話し合って笑いころげている。

懐かしい石畳の狭い道を通って、今日の最後の目的地についた。

その北欧人の主人がいるワインバーで、立ち飲みのまるいテーブルを囲んで主人とモニとわしと3人で話した。
北欧人の故郷までクルマででかけるので、ちょっと話をしてみようと思ったからです。
デンマークからスウェーデンはやはり橋を通っていったほうがいいよーだ。

北欧人は相変わらず世界の森羅万象をことごとく諳んじていて、何を訊いてもちゃんとした解答をもっていて知らないことがないので、便利である。
しかも便利使いしても壊れないし怒らなくてたいへん良いひとです(^^)

どうせモニとわしのことだから訊いたこととは全然違うルートをとってしまうかも知れないが、北欧人はここに行け、あそこもいいぞ、と熱心に教えてくれます。
お客さんを店員に任せてほうっぽり放しで、3人で話し終わる頃にはワインが2本空になっておった。

お礼を述べて帰ろうとしたが、ふと思いついて、「きみは、なんでここに住んでいるんだい?」と訊くと、「天候のせいかな?」といってから、自分で可笑しそうに笑って、
「ガメに、そんな嘘をついてもしようがないな。きみがまったくよく知っている理由でだよ」という。
進歩は、いやなものだ。
知性は寒い国では病を治すことしか考えない。

また、来るよ、とゆってわしはこのわしと丁度同じ年齢の友達と別れました。
この北欧人は、そういうときに「いつ?」と訊いたことがないところまでわしと似ている。

グラシアの町は複雑に入り組んだ迷宮だが、この迷宮は、われわれに最も親しい迷宮である大脳に似ている。
起承転結というものがまるでなくて、シナプスの広場にときおり集まったり散ったりするひとびとがそれぞれ世界を感覚することによっておもいおもいに動いている。
だから社会というものの意味がたとえば日本というような社会とはまるで異なるが、
それでもカタロニア人たちは、どういう最小ルールのセットをつくれば、それほどわがままな社会が必要な程度に機能するかよくコツを心得ている。

自分の幸福が自分の人生では最も重要なのだという、当たり前のことにしか過ぎないのに、いい加減に暮らしいるひとびとにとってはすぐに見えなくなってしまう人間にとって最も基本的な事実を深刻に思い詰めて千年という長い時間を暮らしてきたひとたちだけに与えられた栄光であると思います。

グラシア暮らし、なんちて



エール・フランスのJFKラウンジのことでごんす。
北大路魯山人のヨーロッパ紀行には実際に欧州をまわってみると世人が言うのとは異なってイギリスの料理が欧州最高であって、日本料理もイギリスの「食の豊かさと深さ」には到底およばない、そこへいくとフランス料理は名前倒れであって、結局世界中の半可通が文明的に浅いフランス料理屋をもてはやした結果虚名ができただけである、と書いてあって、喝破82号をしているのを読んで、な、なんという正しいタニシ親父(注)であろう、とカンドーしてニコニコしていたら、モニに「どうしたんだ、ガメ」とゆわれた。
このひとは、ほら、義理叔父が好きな陶器をつくったりもした日本で初めてのグルメおじさんなんだけど、「やはりフランス料理が世界一で、その味覚の深さにはなんぴともおよばない」と書いてあるみたい、と正直に伝えると、モニが、あたりまえではないか、という顔をして小さく頷いている。
わしはサラダ棚からギッテきたオリーブのペーストとバタとチョコレートペーストとクリームをパンにてんこ盛りにして、むふふふと思いながら食べておる。
と、時はあたかも搭乗時刻10分前、安宅の関は富樫で保つ、わしのiPhone4がぶぶっと鳴って、バルセロナを仕切っているLからメールが到着したと思い給え。
「Urgently」という題は英語として間違っていると思うひともいるだろうが、Lはロシア人だから、これでいーのだ。
前にも書いたようにjosicoはんも近所を歩いてみたというグラシアの丘の上にあるわしのカッチョイイテラスのあるアパートは因業家貸しからなかなか脱却できないわしの吝嗇によって他人に貸してある。
それでモニとわしはバルセロナにいるときは親から継承したホテルやアパートをいっぱい経営しているカタロニア人友達の「すねかじりB」のアパートに泊まることにしているが、そのBがアホちゃいまんねんぶりを発揮して、モニとわしの予約をころっと忘れて、他のカップルと契約してもうたので、どうすればいいだろう、とゆってきたというのであった。
チョコレートクリームを最近また伸ばしておるひげにいっぱいくっつけて、事態の深刻さに真剣な表情をつくるわし。
モニに画面を見せると、モニは「やっぱりBはバカだな」と感心している。

そーゆーわけで、モニとわしはBが所有しているアパートのなかでも最も高級なアパートにただで2週間逗留することになったのです。
「そーゆーわけで」て、なにも訳かいてないやん、と思ったきみ、きみは、ほら、正しいんだけどさ、詮索好きすぎてお友達が出来ない人ておるやん。
あれでしょう。

そんなつまらない経緯、「ふーん、じゃあ奥さんに、あれも、これとかも、あんなんだってばらしちゃいおーかなあー」な、深刻で息詰まるBとの交渉を書いても退屈なだけであると思う。
むかしとった杵柄も、習い憶えたカツアゲの技も、遠い日の記憶になったのお。

夜には懐かしいDiagonalの裏通りを歩いて、この世界のものであるとは絶対に誰にも信じられない4年もののハモン・イベリコとパンコントマテとリオハでモニとふたりでこの世界にやってきたことを歓びあった。
カタロニア人達は、相変わらずぶっきらぼうで親切で、誉められると、身も世もないほど歓んで、ああまたこの天国にも地獄にもいちばん近い町に帰ってきたのだ、と思う。
帰りには雷鳴が鳴り響いて稲妻が空を引き裂く土砂降り天気になったのでタクシーで帰ったが、アパートまで2ブロックというところでモニが「ここで降りて濡れて帰ろう」というので訝しがる気のいいタクシーのおじちゃんに告げて、ずぶ濡れになりながら、ふたりできゃあきゃあ嬉しがって笑いながら帰ってきました。

正面玄関まで辿り着いた。
滝のような雨のなかでモニとわしは抱き合ってキスした。
ずっとずっと抱き合っていて、キスが長いので有名なスペイン人たちを軽く凌駕して圧倒してもうた。

うー、やった。
この町に戻ってきた。

いえい。

エールフランスの添乗員たちはいつも徹底的に親切だが、今回のひとたちも良かった。
食事に出てきたブリーを食べるのにジャムが欲しいんだけど、というと、朝ご飯用のがあるかもしれないから見てくる、という。ちょっと歩いていきかけてから、戻ってきて何のジャムがいいいんだ?と訊くので「アプリコット」というと、「ええええー、ブリーにアプリコットですか。チェリー、とかのほうがええんちゃうの?」という。
「アプリコットがええの」ときっぱりと述べるわし。
釈然としない顔で台所に消えたが、戻ってくると、「よいかね、きみ、今日はきみはすごくラッキーだぜ。ほれ、アプリコット」という。

わしは旅行に出た先で、親切なひとびとと話して暖かい気持になるのが好きです。
前にこのブログで同じ事を書いたら、「そんなのはくだらん」「そんな偽善的なふれあいでよろこぶあなたはバカだと思う」というひとがいっぱいきて驚いたが、わし、あんさんらのような「賢いみなさん」の気持はわかりまひんねん。

たとえばエールフランスの国内線のセキュリティの細かさは狂気の沙汰であって、わしは常時コンピュータを4つにiPadとキンドルをもって歩いているので、当然ケーブル類もたくさんあるが、セキュリティ人たちが右往左往して、ゲートのこっちと向こうをいったりきたりしている。
「すみません、もう一回、お願いします」というので、都合3回もわしもゲートをいったりきたり。

そのうちに、あー、めんどくさい、と思ったのでしょう。
インド系のおやじ係員が「だから、コンピュータ関連品はみなトレイに出してくれ、と言ったじゃないか」という。
わしが、それは、ちょっと失礼だろう、と考えたので。
「コンピュータ本体、とはきみは言ったが、関連品、なんて聞いてないぞ。ふざけた口を利くとそれ相応の反応にあうと思うが、それだけの覚悟を決めてきみは、そういう尊大な事を言うのだな」という。
小さい声のフランス語で「すみません」とかなんとかゆっておる。
「謝りたいときには、わしらの世界ではもっと明瞭に謝るほうがいいとされておる」
「わたしが間違っていた。お詫びします」
「たいへん、結構」とは、こういうときはゆわない決まりになっておる。

小役人のバカタレ親父は罰が悪そうな顔をして出口のところでモニが「ありがとう」というのに「どうも、たいへんありがとうございました」と答えるだけでせいいっぱいのようでした。

そういうことは旅行をしていればたくさんある。
だからとゆって、そんなこと書いても、つまらんやん。
失礼なことをされればきみは失礼であるから謝れ、といい。
エラソーなバカタレにはきみはエラソーなだけでほんとうに偉いわけではないのだと、親切に教えてあげるのでなくてははならないが、それを友人に報告することには意味がない。
くだらねっす。

まして、たかが役人気取りの空港係員に意地悪されたくらいで、「人種差別」だとか言い出すのは頭が、おのが尊大さのために狂っているのだと思います。
なんだかインターネット世界にそーゆーひと、いっぱいいるみたいだけど。
カッコワルイからね。
そんな理屈をもってはいけません。
致命的だからな。

やべー、ガメに怒られちまうべ、とおもって抜き足差し足でやってきたBは、意外にもわしが「誰でも失敗はするのだべし」とゆって、にこにこしているので、すっかり安堵して油断のカツアゲでとんかつになってしまったが、それでも気を取り直して、昼ご飯一緒に食べにいくべ、という。
しつこいようだがjosicoはんも毎日歩いたというブエナビスタ通りのレストランで、3人で食事しました。
ニューヨークの料理は随分おいしくなったなあー、と思っていたが、いざ出かけてみると、iza!のヘンな日本語で書かれた記事、やっぱりグラシアのレストランのほうが全然おいしいやん。

おっ、この鶏料理はうめえー、と緊張したり、ああああー、わしもう溶けちゃうし、とカフェコンレチェと一緒に食べる甘いもんに降参したりする昼ご飯のクライマックスが終わったところでBが「日本の災害のニュースを見たか?」という。
Bがそんなことを言い出したのはBの所に出入りして一緒に働いているウクライナ人のなかにもふたりチェルノブイリの事故で命からがら逃げてきた人間がいるからでしょう。
そのひとりの(ほんとうのイニシャルは違うが)Gは、子供のとき、事実を噂として聞いただけでいきなり仕事も親戚のしがらみも投げ出して「明日は遠くに行くのよ」と言い出した母親を、その頃は「おかあさんが気が狂った」としか思えなかった、という。
チェルノブイリから50キロの町で住んでいるひとびとが動揺しているという噂を聞きつけた政府が「大丈夫だから」とゆっても、Gの母親は父親を説得して、ただひたすら西に向かって逃げた。
「でもさあ、私がいま生きているのって、そのおかげだし」とGがいうので、
「でも、あんまりたくさんは死ななかったんちゃうの?」と無邪気に公式記録を信じていた当時のわしがきょとんとして訊くと、きゃっはっは、と笑って、ガメは甘いのおー、という。
えっ?
みんな死んでしまったのよ、ガメ。原発事故とは関係がない病気でね。
若い人も年をとった人も。
フクシマを見て、お母さん、「日本のひとたちが政府の言うことを信じなければいいけど」と言っていた。
あいつらは、ほんとうに必要なことになるとウソばかりなんだから。
どの国でも同じよ。
アメリカでもフランスでもロシアでも!

Bに、津波が起きたときにはモニとふたりでオークランドの家にいたこと、「のびやかな」という表現を使いたくなるくらい易々と町を破壊する水を見て、怖かったこと、を話した。
Bは、日本人は意外なひとびとであったな、とひとりごちておる。
もうちょっと技術的に落ち着いた性格の民族だとおもっていた。

Bが大陸欧州の知識人ぽい意見をぽいぽいと呟いているあいだじゅう、
わしはテーブルの反対側で、日本語インターネットを通じて最近できた友達からもらった長いメールのことを考えていた。

それはこんなふうに始まるのだ
「歩く範囲であじさいが咲いているのを見かけるようになりました。
赤ちゃんや妊婦さんを見かけると胸が締まるような気持ちになります。
編隊のように並んで押されてくるベビーカーや、
それに収まっているぷくぷくつやつやした赤ちゃん、
人に連れられてちょこちょこ歩く小型犬、
一戸建ての庭で土をいじっている小学校低学年くらいの子ども、
雑貨屋に並べてあるピクニックや運動会用のシート。
それらを見てこんな気分になる日が来ようとは思っていませんでした。
スーパーの牛肉コーナーには半額シールが貼られた
「福島産」表示のパックがいくつかあったし、
正気って一体何なのか分からなくなります」

そしてきみには到底見せるわけにはいかない、切ない物語を通過して、こんなふうに終わる。
「最寄り駅の近くまで来て人込みを目にするたび、
何もかも全部嘘なんじゃないかというような気がします。
一応見ている英語のヘッドラインでは、
E. coliと中東情勢の話題がすっかり優勢になった印象です。
だけど本屋では原発や放射能や危機管理の本が本当に山積みなんです。
先週末の夜中には久々に緊急地震速報が鳴って、私たちは仰天し
テレビやネットで原発情報が出るのを緊張しながら待ち続けました。
この非現実的なくらい悲惨な事態の根や種が、私たちの文化に
ずっと存在し続けていたものなら、あの輝かしい遺産の数々は
いったい何だったのか?と思うこともあります。
分かりません。考えてもしょうがないような気もします。
とりあえず明日のごはんやおやつについて考える方が楽しいです。」

わしは、空港のラウンジに早めに着いたので、日本語でも覗いてみるべ、と思って誤って(あるいは、うっかり)この手紙を読んで、大泣きに泣いてしまってモニに「かっこわるい」と笑われてしまった。

唐突だし、質問の体さえ為していないが、文明とはいったいなんだろうか。
もうただの古くさくて機能しない、骨董品の概念に堕してしまったのだろうか。

いつか神様と和解したら、手紙を書いて、訊いてみたいものだと思いました。

(注:日本が日本に誇る食通、海原雄山のモデル北大路魯山人はタニシの寄生虫で死んだのだとゆわれておる)

言葉のない世界  その1 都市について


「文明」という言葉の定義はいろいろあるだろうが、最も基本的な「文明」のイメージは「都市がある世界」だと思う。
こういうところで語源を持ち出すのは衒学好きのバカのすることと決まっているが、わしのように十全外人とも称されるカシコイ人間になるとときどき堂々とバカと同じことをしてもよいことになっているので、語源を述べるとわしがここで「文明」 とゆって考えているのは英語のcivilizationなので語源はcivitas です。
civitas とゆえばラテン語が目も当てられぬ劣等生だったわしでも知っておるくらい「都市」 という意味ですのい。

人間は生産性の高い土地に集まって住み着くようになったが、そのうち交易したりする場所があっというまに高い人口密度をもつようになって「都市」 になった。
学者は本ばかり読んでいて実生活が稀薄な人間が多い。
いきおい餅と絵に描いた餅の区別が付かない人間の集まりと化すし、実人生の機微に疎い。
人間の機微に疎い人は物事の成立を必要に従って出来たのだと解釈するのが常であって、だから都市も交易、防御、うんぬんかんぬんの必要性からできたと教科書には出てくるが、(仔細あって中国文明をのぞくと)世界で最も古い文明を形成したメソポタミア地方のひとびとと話してごらんなさい、ほんとうは違う理由だとすぐに判るから。
彼らの口は沈黙するということがないのです。

人間の世界に「都市」すなわち「文明」が成立したのは人間がおしゃべりだったから、というのが最大の理由だとわしはマジで思ってます。
そ、そんなケーハクな理由で文明が成立してたまるものか、ときみは言うであろう。
しかし、世の中には厳めしい事実のみを真実と思いたがって学問を誤る、ということはいくらでもある。
我が言を疑うことなかれ、とガメ・オベールもゆうておる。

それでも疑り深いひとびとは、疑うのが趣味なので疑うであろうが、疑惑を去れなければシドニーでもよろしい、ロスアンジェルスでも構わない、なんならロンドンでもよい、そういう中近東からの移民が多い街でメソポタミアからやってきたひとびとと話してみるが良い。
それはそれはそれは、すごおおおおおおい、おしゃべりであって、ほっとくとストップボタンがこわけたレコーダのように話してるから。
聴いてると楽しいけどね。
コーフンするといまだにブッシュの悪口になるのはどうかと思う。
あのひとびとは歴史の民であるから、まだ千年くらいはブッシュ息子の悪口を言い続けるだろうか。

人間のいちばん大事に至りやすい病気は「退屈」です。
人間は退屈するとたいてい破滅に向かって着実に歩き出す。
ニュージーランドの南島に行くと、この世の風景とは思われないような美しい牧草地帯が広がっている。
えーごではmeadowというな。
日本のひとは「さよなら」が最も美しい日本語だというが英語ではmeadowが最も美しい英語であると思う。
英語というのはmeadowとい言葉が支えているイメージが価値の源泉であるようなところがあるもの。
で、北島の「ワイカト」もそうだが、南島、ニュージーランド南島英語でゆえば「メインランド」に行けば、このmeadowが延々と延々とどこまでも広がっている。
ゆるやかな丘陵にまばゆい緑の牧草地が透き徹っていて白く濁ったところが少しもない青い空と合わさって消えるところまで続いている。

そーゆーところで育って15歳くらいになると人間はものすごく退屈します。だから牧場地帯のガキは16歳になってクルマの免許をとりくさると、制限時速100キロのオープンロードを200キロくらいで疾走して、下手がスピードをだすものだから当然、やや道路が狭くなっている橋梁とかに激突して死にます。
夜中にやるのね。
夜中に闇の中でぞろぞろ集まって、レースをやる。ニュージーランドをクルマで旅行すると変形Rのコーナーや橋のたもとに小さい十字架がいっぱい立っているのは、彼らが死んだ地点を表しておる。
あるいはゆいいつの大きな街であるクライストチャーチに集結して街のどまんなかで派手にスピンをぶっこいたりしてにーちゃんやねーちゃんからなる群衆の有卦をねらう。
フラメンコとか闘牛の原始的で下品な段階だともゆえるな。
「オーレッ!」とかゆーかな。
南欧人は少ないから言わないか。
あれはもともとは「アラー!」だそうだが。

こうしたガキどもは「ボーイレーサー」と言ってニュージーランドでは社会問題になっておる。
ボーイレーサーはクライストチャーチよりも小さな町であるティマルーやインバーカーギルにもある。夏はネルソンにも出張しているよーだ。
しかし、ニュージーランドでいっちゃん大きな街であるオークランドではみません。
オークランドが何年か前から大都市として機能し始めて「都市化」がすすんでいるからだと思います。
別にクルマで用もないのに走り回ってこれみよがしにぶっ死んだりしなくても、やることがたくさんある。

「退屈」というのは言葉で退屈する。
足の筋肉とか手の甲が退屈する、というわけにはいかなくて、退屈の黒雲が発生するのは頭のなかです。
脳髄のなかに大量に眠っている語彙のうち不活性化されて使わなくなるものが多いと人間の精神は「退屈」、したという。
都市は人間が退屈を退治するためにできあがったのではないかと思う。
ウソのよーだが、ほんとーだ。
いや、やっぱりウソかな。
なにをゆっておるのだ、わしは。


フットボールは、わしには興味がないスポーツの代表だが、それでも今年のワールドカップでスペイン代表が勝ったくらいのことは知っている。
今朝カウチに寝転がって読んだiPadのニュースでスペインの主力およびチームのスタイルがバルセロナのものであることも知ってます。
ふつーのゲームでも勝つとほとんど全市民が暴走族化したかのごとく喜んで箱乗りしてまわるバルセロナのひとびとのことであるから、今頃はワールドカップに優勝した勢いがこうじて念願のカタロニアの独立をはたしてしまっているかもしれぬ。

わしはこの街の端っこの、遠くにガウディが作り始めてまだ建造中の大聖堂が見える丘の上に小さなアパートをもっている。
モニとわしが乗るともういっぱいで、ときどきガタンと止まる剽軽なリフトにごとおーんごとおーんと揺られて6階にあがるとそこがわしのアパートです。
目の前のテラスが広いので気に入って買った。
このテラスに腰掛けて、ハモン・イベリコとオリブとパン・コン・トマテを並べてテンプラニーニョを飲んでのんびりでれでれでれとしているのがわしは好きである。

「ヒマがないのは人生がないのと同じ」というが、わしはヒマをつくることについては空前絶後の天才なのでいっつもヒマです。
仕事と責任はみな他人の肩に乗せてしまうのが人生を幸せに過ごす秘訣なのよ。
だから食事に行くとゆえばひたすら女の子たちの無辺広大なありがたき慈悲にすがっていたビンボ時代が突然終了すると、わしはヒマをこきながら退屈はしない、という空前絶後の技術を身につけるにいたった。
必要は母の発明だ、という。

で、バルセロナくらい、充実してヒマをこける街はないのね。
食べ物は世界いちであって、これについては食べ物の牧野富太郎とゆわれているガメ・オベールが図鑑にもまとめている。

http://d.hatena.ne.jp/gamayauber2/20080514

当時は他人の気持ちを忖度するという悪徳に囚われていたので安い食べ物ばかり写真を載せたが、豪勢なほうもちゃんとおいしいのであって、ミシュランがなんとゆってもバルセロナが世界でいっちゃん食べ物がうまい街であると思います。

そのうえ、「あんまりルールを守らなくてもよいことになっている」 という重大な美点がこの街にはある。
なんちゅうか「ルールとか、テキトーでええやん」という空気が町中に漲っておる。

週末に駐車する場所がないと交差点のどまんなかにメルセデスを駐めて颯爽とレストランに向かう中年夫婦、右折するのかなああああ、と思って見ているとそのまま(方向指示器を点滅させたまま)ピタと止まって、駐車に移行するシトロン、わしがいちばんカッコイイと思った「バルセロナ式駐車」はバルセロナでいちばんおいしい店が集まったレストランストリートで、このカイエンはぶらぶらぶらと通りをゆっくり降りてくると、いきなり地下駐車場の出口に頭を突っ込んでクルマを駐めたのだった。
しばらく駐車場を出られないひとたちが大騒ぎしていました(^^)

こーゆーアングロサクソンの街だったら絶対に機能麻痺になって収拾がつかなくなるようなやりかたで暮らしていてなぜ街がわりとふつーに機能しているのかというと、ほら、冒頭に述べてあるではないか、文明というのはもともとが「都市」のことなので、都市をむかあああしから造ってもっている地中海人たちは都市というものをよく知っているのだ、というほかに説明のしようがない。そして「都市をよく知っている」ということは取りも直さず「文明をよく知っている」ということなのだと思います。

バルセロナの、誰もルールを守っていないように見える「文明」が実はもっと本質的なルールをみなが公理であるかのようにみなしているからこそ成り立っているのは、さっきの駐車場にクルマの頭を突っ込んだ大男のおっさんと出られなくなったおばちゃんの口げんかの様子を見ていればすぐにわかる。
腕っ節だけで世のなかを渉ってきたんだぜおれは、と歴然と主張している顔のおっさんに向かって、ちびっこいおばちゃんは、ありとあらゆる侮辱的大失礼な罵倒語を動員しておる。おっさんもまた、そーゆーことを女のひとに向かってゆっていーのか、というような語彙を総動員して応戦しておる。
しかし、きみはここで気付かないかね。
どこにでもありそうなこの光景はしかしつくりものの世界ではありふれていても現実には滅多にない光景なのね。
ちびこいおばちゃんがでっかいおっちゃんを言いたい放題に罵倒できるのは、こういう場合おっさんが自分に対して暴力をふるうわけがない、という深い信頼をもっておるからできる。
根強い、動かしがたい信頼。
ちびおばちゃんにとってデカおっさんは見も知らぬ他人なので、ちびおばはでかおじを信頼しているわけではない。
では何を信頼しているのかというと、自分たちの「文明」を信頼しているのです。
「文明」に対する信頼が大地に生えた大木の根のようにあるから、悪い言葉の限りをつくして罵倒できるのです。

こういう本質的なルールが存在するのは、いまでも大陸欧州以外にはありえない。同じ欧州でも連合王国は、そこまでの信頼を文明に対してもったことはない、ように見えます。
男友達をひとり暮らしの自分の部屋に請じ入れても、その男の友達が自分に性的襲撃を加えたりしない、という程度の「文明への信頼」はみなもっている。
それまでなくなると、それはただの野蛮な社会なので、さすがの「北海系暴力組合」である連合王国人もそこまでは未開でない。

でも、と、わしは向かいのレストランからデカオッチャンを怒鳴りつけるちびおばちゃんを眺めながらおもったものでした。
大陸欧州の文明には、とーてい、かなわんのお。
物事をちゃんとこなしてゆくのは、わしらのほうが上だと思うが、
どうも、大陸欧州には、より根本的な叡智があるようだ。
それはなにか?
文明とは、いったいなんであろう?

(続くんだぞ、これ)

josicoのためのバルセロナガイド_1

だいだいだい好きなjosicoのためのガイドなので、はりきって書こうとおもったがなにしろバルセロナは地上の楽園なのでどこから始めて何をどう書くのが適切かわからん。
バルセロナ人のためのレストランガイドとかも、みんな広尾の家にあるので手元になんの資料もないし、わしの前世の記憶か今生の記憶かもはっきりしないぼやけた記憶で書くのだから、いざその場まで行ったらtwitterかなんかで訊いてくれないとちゃんとおもいだせないかもしれません。

自分がおぼえていることを列記してjosicoが興味もったところだけ拾っていってくればいーや、と考えました。ランブラとかはWHSmithでもなんでもその辺の本屋に行けばいくらでも売っているガイドブック(わしは緑ミシュランがいいと思うが)に見所みたいなもんはいくらでも書いてあるし第一josicoは何度かバルセロナに行ったことがあるのだから、きっとわしよりもよく知っておるに違いない。
わし自身はランブラとかは掏摸が多いので有名なメルカトくらいしかいかないし。
でもひとつだけ付け加えておくと、あの「傘と龍」のサインがある脇道をはいって少しいった右側にあるピンチョスバーのピンチョスは結構うまいだよ。手前においてあるのより奥にあるやつのほうが新鮮でおいしいです。
もっと言うとピンチョスバーは日本でゆえば要するにくるくる寿司なので、おいしいのが食べたければ注文するのがいちばんええだ。
わしはコロッケとかは注文する。
ワインをなめながらのんびり待ちます。
そこからずっと奥に行った広場があるところのもう一軒のピンチョスバーも悪くない。
手前の所よりも並んでるピンチョスが多い。
初めのバーに較べてなんか欠点があったが、忘れてしもうた。
josicoが行ってみてなんかひどいことがあったら教えてください。
それがあまりにひどかったら、次からはわしもいかん。

どうせランブラの話を始めたのだから、そのまま海へ行くべ、アメリカ大陸の方角を間違って指しておる間抜けなコロンブスの像があるラウンドアバウトを左に曲がると、ながいながいながーいプロムナードがあるやん。エビさんのゲートとかも出来ているのね。
そこをずっとずっとずっと歩いて行くと右へ曲がりつつ名前を忘れたレストラン街があって賑わっておるが、あそこはどこもみな高くて不味い。みな幸せそうに微笑んでいるのは新婚旅行で来ているからやむをえず幸福をよそおっているか舌バカかのどちらかであるから見た目にだまされてはいけません。
断固無視してバルセロネタまで行くのがよい。
お腹が空いたらバルセロネタの海辺に面したタパスバーが3軒あるうちのいちばんショボイ一軒に寄るのがよい。どれもしょぼいやん、と思う場合は、落ち着いてじっと観察すれば一軒だけが広大なエリアに外テーブルをもっておって、その店だけがやたらと客が多いので、あっ、ここなのね、とわかります。
この店は安いんだよ。
店のひとびとはいっけん愛想が悪いが実はとても親切なひとびとである。

本格的に昼飯を食べたければ必死でポートオリンピックまで歩く。あそこは、ほら、レストランがこれでもかこれでもかこれでもかと並んでるやん。共働き夫婦の一日の会話はすべてあそこで行われる、というくらい1時から3時まで夫婦生活のすべてをかけて食事する場所です。あれがなくなると離婚がたいへん増えるだろうとゆわれておる。
例によって例のごとく名前は全然覚えていないが水族館だかなんだかに降りてゆくリフトの乗り場が舗道に露出しておって、その近くのレストランの看板が立っている階段を下りてゆくとグラシアにもあるレストランの出店があります。
モニとわしがよく行くレストランで、フランス人がいっぱいおる。
そこがいちばんうめーです。

昼間はバルセロネタの海岸で散歩していても良いが夜はグラシアだろう。

Casa Fusterというやたらかっこよいホテルがパッサージュドグラシアを登り切ったところに立っている。もともとくそ高いホテルだがスペインはやけくそみたいな大不況なので、日によっては120ユーロとかで泊まれるよーだ。外見もかっこいいが中はもっとかっこいいので泊まるのもいいかもしれん。
泊まったことがあるよーな書き方に見えるかもしれんが、わしはバルセロナではアパートにしかいないのでホテルをわざわざ借りたりせん。
質実剛健質素倹約がモットーだからな。ニュージーランドの吉宗だとゆわれておる。
あんなに化粧が濃くはないが。
前回行ったときはボナビスタ通り(Carrer de Bonavista)にいた。6週間いたが退屈せなんだ。
パッサージュドグラシアからボナビスタに曲がってしばらく(5分)くらい歩いたところ、なんだか訳のわからん中国の土産物屋みたいな店があってその隣くらいのところに小さなワイン屋があります。(パッサージュドグラシアを背にして右側)
ここのおやじは英語が上手なので連合王国人とかアメリカ人のたまり場のようになっておる。おやじ(とゆっても30代だが)はとても親切なので、なんでも教えてくれます。
是非行ってみるとよい。
バルセロナ人はわしのように記憶が正鵠を極めておって言うことややることがいちいち正確な人間と違っておそるべきテキトーなことをマジメな顔をして教えるが、このおいちゃんは情報が正確です。おおむね信じてよろしい。

いちばんおいしいベーカリーをおせーろということであったが、名前がわかりひん。
Carrer de Bonavista−>Carrer del Torrent de I’Olla を左に曲がってどっかを右に曲がるのだが、その最後の道の名前がおもいだせん。ぜーんぜん目立たない所にあるが、店に近づけば殆どの場合ひとが店の外にまであふれているのですぐわかります。あと、スペイン語が全然なくて全部カタランの張り紙やねん。こっちはもうちょっと探してみる。たしか店の名前を写真に撮ったと思うが写真が出てけーへん。

もうひとつのハモン屋さんのほうは、この辺りは全然観光客などひとりもいかないところで気がひけるが(実はわしがいちばん初めに買ったしょもないアパートのすぐそば)、地下鉄のJoanicの駅で降りてCarrer de l’Escorialの長い長い坂道をのぼると右側にBellotaという看板が見えます。この店のハモンがバルセロナではいちばんおいしい。わしはグラシアの反対側にいるときでも迷宮のようなグラシアを横切ってよくここまでハモンを買いに行った。そーだそーだ、この坂道をもっと病院に向かって歩いて行くと右側におばちゃんたちがやっておる。黄色い看板の小さなベーカリーがあって、ここのブリオシュとカフェコンレチェは天国の味です。パンも無論うまい。あっ、それからね。
ハモン屋から道路をはさんで反対っかしにCD屋さんがあって、ここのひとびとは英語が上手である。しかも気が遠くなるくらいスペインとカタロニアの音楽のことに通暁しています。行ってみるとよい。

ああ、ちかれた。
まだちょっとしか書いてないのにちかれたび。
josicoはもともとギョーカイのひとであるからコンピュータ関連の店も一個おせーておきます。fnacだろ、知ってるわい、とゆーかもしれんが、fnacもAvinguda Diagonalの支店のほうがええだぞ、ということを書いておきたかったのだぎゃ。
多分床坪単価のせいでDiagonalのfnacのほうが在庫が多い。
地下に行くと、すげーカッコイイ食料品モールがあります。
なんでだか知らんがうどん屋もあるでよ。

ほんとうは、このfnacの近くのハーツレンタカーでクルマを借りて、そんなに遠くまでいかなくてもたとえばSitgesとかに行くのはすごくよい考えだが、今度は街にしかいないよーな話だったのでやめておきます。気が変わったらまたおせーてくれ。でわ。

中世という定型

鏡のなかには見知らぬ他人が映っておる。

なんだかしまりのない顔だのい。

全然見覚えがない、というわけではない。

なにしろわっし自身の顔だからな。

わっしはこのあいだまでヒゲがもしゃもしゃであった。

鼻の下のヒゲ(鼻ヒゲ、っちゅうのか?)に至っては、サルバトール・ダリのように宇宙に向かってピンと伸ばしてもいいかなあ、と思っておった。

ダリによると、そーすると銀河からやってきた霊感が受信されるもののようである。

でも飽きたな。

わっしの悪い癖である。

なんでも直ぐに飽きる。

自分自身にもとっくに飽きておるから、こうやって日本語でブログを書くとゆーよーな訳のわからんことをする。

いったい何を考えているか自分でもさっぱりわからん。

わっしはヒゲを剃った。

ひさしぶりにヒゲを剃ったので、途中でしくじって顎の左下を切ってしもうた。

ぎょえー、いてえー、と叫んでいたら、モニが浴室にやってきて、切ったところにチューをして綺麗にしてもろうた。

ははは。切ってよかった。

閑話休題。

わっしは「中世」というものが好きである。

日本に対する興味も主に日本の中世に対してのものであったことは前にも書いた。

わっしが「中世」という時代が好きなのは、その時代がどの国にあっても徹底的に「死」という概念によってひとびとが痛めつけられ何の希望ももたされない時代相だったからです。

いまのように地平線まで見通しが利いた世界とは違うのです。

人間は「神」や「一段高いもの」に従属する存在であって、人間であろうとすることは謂わば「本質的に生意気である」と見なされた。

だから運慶は囲繞する死に抗うかのような雄大な筋肉を造形し、紫式部の弟は(当時としては驚異的なことに)神を信じずに死んだ。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080412/p1

世界中で人間はくだらない理由で死んだ。

あるいは殺されたのです。

スペインの田舎で神々しい美貌をもって生まれた少女はただ美しいという理由で異端審問にかけられて拷問のあげく殺されたであろう。

鎌倉の浜辺では若い武士が「あやまりたくなかった」というだけの理由で殺される。

「神」が存在しうる世界では人間は常に異端だからです。

他には本質的な理由はなにもない。

中世の人間は人間が人間でしかないことをどの時代のひとよりもよく知っていた。

それは、わっしの日本語でどれだけうまく言えるかこころもとないが、中世の世界には

人間の思想に「定型」というものがあったからです。

規範があるから自由のダイナミズムがある。

あるいは建築学を専攻した人には判りやすいのではないでしょうか。

建築がエンジニアリングの一分野でなくて芸術の一分野であるのは、建築には様々な定型が厳としてあるからである。

玄関の眼の前に浴室を作るわけにはいかんからな。

「マイルの塔」は当時のリフト技術の制約から現実化しえなかった。

カタロニアには「中世」が色濃く残っていて、それに惹かれてわっしのようなヘンなひとがやってくる。

ここにはまだカソリックが圧制的に残っているのです。

スペインにおいては70年代までカソリック教会が圧制装置として実際に機能しておったのはいろいろなひとが書き残しておる。

日本でも「なだいなだ」というふざけた名前のおっちゃんが記録してます。

わしはこのおっちゃんのことをよく知らない。

古本屋の百円本で読んだことがあるだけですが、スペイン語で「なんでもない と なんでもない」と読めるペンネームを持っていたところを見ると、いくらかでもスペイン語に興味があるひとだったのでしょう。

バルセロナにはまだ悪魔に取り憑かれたというひとや、悪魔を見たひとがおる。

バルセロナのひとたちと仲良くなると、いくらでもそーゆー話を教えてくれます。

街角に悪魔が生きておる。

乞食の地に伏し方ひとつでもまだ中世が生きておる。

もうここから先は、わっしの日本語能力を遙かに超えておるし、日本語で書くことに意味があることでもないが、人間が「近代知性」を得ることによって失ったものの大きさは得たものと変わらないくらい大きいのではないか、とわっしはときどき思います。

中世の人間はいまでは有名になった大きな「迷妄」のなかに生きていったのであって、

それは結局市民というものが成立して「小説」という文学形式が出来るまで続いたのだったが、丁度、市民というものの存在を前提とした「小説」という芸術の形式が死につつあるいまの時代になって、その迷妄が違う意味をもって甦って来ているのではないか。

インターネットなどは当時「小説」が果たした役割を代替するよりも「噂」を代替するものにしか過ぎないのかも知れません。

あー。だめだ。

こーゆーことになると、日本語ではさっぱりうまく書けんの。

もっと練習すべきなのか、それとも、構造的な問題なのでモニが言うように、きっぱり

日本と日本語におさらばしたほうがいいのかも。

わからん。

さっぱり、わからん。

わからんことをいくら考えても仕方なし。

モニといちゃいちゃもんもんして眠るべ。