あんはっぴー

lotus35

日本ならば「私小説」というものがある。
構想もなにもなくてただ自分の生活と内心を書き綴ったような本が好きで、日本にいたときは、田舎の町の小さな古本屋で自費出版の「自分史」の本をワゴンのなかに漁ったりしたものだった。
重層性や「企みに満ちた」物語という娯楽は欧州では20世紀文学の特徴でやや古い。
読めば物語らしく知的神経が刺激されてコーフンするように出来ていて、物語が氾濫している、「物語中毒社会」と言えそうな、いまの西欧語世界でも面白いが、なぜそれを苦労して(外国語である)日本語で読まなければならないかわからない。
日本のひとは城郭の縄張りをするように言語を張り巡らせて物語を設計するのが苦手なようでもある。
自分の心を井戸の暗闇を見下ろすようにして、じっと見つめることのほうに、ずっと才能があるように見えます。

たいていは自分にとってだけ特別な自分の一生をただだらだらと書いてあるにすぎない「自分史」を読んでいると、しかし、人間の一生はそのひとひとりにとってはかけがえがないものなのがわかって素晴らしい。
皮肉ではない。

戦争がおわったあと国民党軍に投降して、そのあとの4年間を国民党の通信兵として戦った、などというひとは日本にはごろごろいる。
一生の最も活動的な時期といってもよい18歳からの10年間を破壊と死、同胞たちの集団強姦、容赦のない暴力をともなった悪意というもののなかで過ごして、ほとんど人間の道徳の彼岸に到達して菩薩に似た境地に達してしまっているひとが書いた「自分史」を読んでいると、人間の神などは人間の魂にもともと内蔵されている言語の機能にしかすぎないのではないかと思ったりする。

カウチに寝転がって、他人の人生の記録を読んでいると、人間が希望に燃えて生活したり、絶望にとらわれたりするのは50歳くらいまでであるようにみえる。
だいたい50歳をすぎると、(観念の)鏡に映った自分ではなく、手をのばした先にみえる自分の手のひらを見るような、ありのままの自分がみえてきて、その「自分」と一緒に過ごすしかないのだ、ということが悟達されるもののよーである。

このブログ記事で何度かふれたRay Kroc

http://en.wikipedia.org/wiki/Ray_Kroc

のように(マクドナルドの成功という意味だけではなく)実質的に52歳から一生を始めたようなひともいるが、数は少なくて、50歳をすぎると、いわば「自分に馴染んでゆく」というタイプの人が多い。
絶望や希望という概念が機能しなくなって、ただ起きてから寝るまでの一日を見つめる生活になってゆくもののようで、健全というか、余計なものがとれてしまうようだ。

このブログには老いたひとびとについての記事が多い

http://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/11/夕暮れの交差点で/

ので、それに気づいた人が「お年寄りが好きなんですね」といって寄越すことがある。はなはだしきに至っては精いっぱいの、だが稚拙な悪意をこめて「ガメ・オベールは老人であるに違いない」とあちこちに書き込む人もいる(^^)

事実は逆で、わしは人間が老いるということが子供のときから怖くて仕方がなかった。
自分が、ではない。若い人間の頭の悪さで、「自分が老いる」ということはなんとなく起こらないような気がしていて、実を言うと頭でぼんやり理解しているだけで、いまのこの瞬間でも自分が老いるのだということはわかっていないようにみえる。
もっと小さい子供のときは、怖い、というよりも老いた肉体や相貌というものにかなり明瞭な嫌悪をもっていた。
もちろん礼儀正しくはしていたが、曾祖母などは、いちど春の芝生の上で開かれたパーティで、5歳のわしに向かって「ガメは年寄りが嫌なのね。なんて正直な子供でしょう。よいことを教えてあげるわ。わたしも、若いときは、自分のまわりの年寄りが薄気味悪くて大嫌いだった」と述べて、曾祖母の特徴であった闊達な感じのするやさしい声で笑った。
いくら隠そうとしても傍目には明かだったもののようである。

昨日、「もう死んでしまったものたちのやさしさ」と記事に書いたら「意味がわからなくて困った」というメールがきた。

理解しようと思って理屈を使って考えるから判るのが難しいと思うので、簡単に言って解剖台に横たわっている死体をみて、同じことを感じない人、というものを想像するのは難しい。
棺のなかでもよい。
死んでしまった人間の肉体というものは、多分、人間が一生のなかで目にするもののうちで、最も安らぎを感じさせる自然であると思う。

50歳をすぎた人間は理想的なスタート地点にいる。
人間の肉体はだいたい50年もつように設計されているので、設計上の耐用年数は実はもう過ぎている。
このあとはmRNAやtRNAがへまをこいたりコドンを写し間違えたりして、肉体の維持体制がだんだんデタラメになってくる。
いわば50歳くらいから人間は少しずつ確実に死んでゆく。

だから50歳で「希望をもつ」というのは実はほとんど論理的な矛盾である。
途中で必ず墜落するとわかっている飛行機に乗り込んで行く先のカリブ海に面したホリデースポットでの午後を夢見る人はいない。
よく目を開けて落ち着いて考えてみれば一生はとっくに過去のものになって肉体が残映のなかで生きているにすぎない。

だが絶望もない。
老いた人間が「絶望」する場合には単に精神的なディプレッションであることのほうが多いだろう。
希望が存在しないのに絶望だけが存在することはできない。
「死」に向かう人間は自己の消滅という究極の破滅に顔を向けているので絶望も希望も、もうそんなところにとどまっていては、人間として自己を維持するのが難しいものになってゆく。
現代小説全体の古典で20世紀に書かれたオデッセイアである
「Do Androids Dream of Electric Sheep?」のなかでレプリカントがつぶやく、
「なぜわれわれだけが若くて死ななければならないのか?」という疑問は、
実はむかしからの人間全体の疑問であると思う。

永遠の生命を求める、というよりは、人間は自分達が50年そこそこの年齢で人間でなくなってゆく現実になにものかの「悪意」を感じてきた。
あるいは悪意を感じることによって自分のヒューマニティを確認してきた。
なぜそれが「確認」でありえたかは、現代人の想像を遙かにこえた人間のかつての貧困をおもえば簡単で、キリスト教やイスラム教仏教が生まれた当時は実際に死は圧倒的大多数の人間にとっては苦しみからの救済だった。

死は人間が直面する最期の絶望だが、死んでしまった人間たちの肉体が懸命に語りかけてくるのは「恐れることはない」ということにつきている。
神など信じる必要はない。
天国も地獄もありはしない。
こわがらなくてもいい。
死を比喩や類例あるいは経験によって考えようとするから絶望なのであって、死は現実には言葉の外にある。
言葉であなたが説明しようとすればするほど誤解が深まるだけという、人間の語彙の外にあるものの特徴について考えてみるべきである。

こんなことをいうと大笑いされてしまうが、解剖学教室で肺胞に喫煙者特有の茶色の細滴のある40歳代の女のひとの生きるのをやめてしまった肉体を眺めていたら、雷鳴の明瞭さで「人間の子よ」と呼びかける声が聞こえたことがあった。
ぼくはそれを神の声だとはおもわない。
それは大きな圧倒的な光のなかから聞こえてきた声で、どんなにうまく工夫して使おうとしても、だいたい18歳から50歳までの30年しかない自分の「時間」が呼びかけてきた声だと思っている。
時間が意識とぴったり間尺があったときに聞こえる、
人間からも神からも遠く離れた、語彙の宇宙の遠くに閉じている囲繞からすらも離れたところにある、
ある明瞭な意志の声であったのだと思います。

やがてやってくる静けさのために_1


インドのひとは「40になれば森にはいる」という。
両手にもっていた仕事をそのまま唐突に、だが、そっと地面に落として、踵を返すように木立のなかにわけいって静かな時間をもつ。
60歳になれば、川の畔にじっと座って水の流れをみつめるのがよい。
なぜなら水の流れには人間の「死」が映っていて、その「死」の相貌を考えることは、そのまま自分がすごしてきた「生」を考えることにほかならないからである。

インドのひとは、そのように述べる。
しかし、それは自分にはできないことだろう。
直感的に納得しやすそうな例を挙げれば、わしの大叔母が個人の飛行免許をとったのは60歳をすぎてからのことだったのである(^^)

子供の頃、「人間が死ぬ」ということのわけのわからなさが、おそろしくて、嫌いでもあった。
よく思い出してみると、眠くなるたびに、自分を深淵までひきずりこもうとする「死」がすぐ近くまで来ているようで、悲しくて、こわくて、自然と涙がでた。
手足を強ばらせた。

わしはいまでも眠くなってくると機嫌がわるくなって、やりたくもない義務をおしつけられたようで、わしが眠くなってきたとみるや、ひとびとは遠巻きになって、モニ以外はわしに話しかけたりはしない。

なぜそうなるのかが長いあいだわからなかったが、あるときモニに眠りと死がいかに近縁かを教えてもらって、なるほど、と思い返した。
わしは、ただ、眠りに落ちるたびに、死への恐怖と戦っていたらしい。
そばによっていもしないのに、うなり声をあげたヘンなひとの魂に牙をむかれた死のほうは、さぞかし迷惑なのに違いない。

「死はおもいもかけないときに突然やってくる」と兼好法師が言っている。
それは遠い旅の行き先にあるのではなくて、きみの隣に立っている。
きみと一緒に、影のようにつきそって歩いていて、突然、けさがけに切りつけてくるのだ。
だから死を将来に予定するのは、まったく浅はかな考えである。

宗教者のおかしやすい過ちは、たいした思慮もなしに「死が終わりではない」といとも簡単に述べてしまうことであって、死が終わりでなければ、生のほうはぼんやりしたつかのまのまどろみにすぎなくなって、たいして緊張してすごさないでもすむものになってしまうことに気が付いていない。
宗教者がたいていだらしのない、やる気があるとも思えない一生を送るのは、そのせいでもあるのだろう。

人間が「彼岸」などはないのではないか、死後の世界などほんとうはないのではないか、と考え始めたのはごく最近のことで、たとえば欧州では、きわめて東方的な思想であるキリスト教がつくった教会が、人間の生を阻害しつづけてきた。
最も最近まで教会が現実的な弊害を社会に与えていたスペインでは、実際、
1970年代まで人間は自由な人間として生きることをゆるされなかった。
歌や踊りまで禁止しておきながら、カトリック教会がなにもなかったような顔をしているのは、1500年におよぶ不誠実の歴史が、人間などは、不誠実を決め込んでいれば、すぐに忘れてしまう、と彼等におしえて、たかをくくっているからである。

死後の世界が存在しない、という仮定は、仮定として追究するだけでも茫漠として、かすかな島影もない大洋を船で横切ってゆくような気にとらわれる。
「死後の世界がない生」について考えてもうまく映像が大脳にあらわれない理由は、世界の言語のほとんどには「彼岸」の存在が染みのように浸透していて、「現世限り」の一生というものを考えることは可能でも、そこからはいっさいの情緒が喚起されないからだろう。
普遍語、あるいは、世界についておよそ過不足なく考える事ができる言語で、「彼岸」を語彙がためこんだ情緒のなかに大きく含有しないのは日本語と中国語と英語、くらいのものであると思う。
なかでも日本語は「彼岸」という言葉自体が浄土宗の衣を直截身につけているのでわかるとおり、語彙のなかに彼岸のある世界とない世界を内蔵していながら、明然としきりを設けている点ですぐれている。
語彙のもつ情緒や論理のベクトルの豪腕にひきずられないで、落ち着いて「死」について考えるにはよい言語であると感じられる。
たとえばロマンス諸語には実質を伴った「死」が巨大な影になっておおいかぶさっていて、到底そういうわけにはいかない。

人間は惨めな生き物であって、人間が乗る船は最終の寄港地に着く前に必ず沈没する。人間が搭乗券を買って乗り込む飛行機は、例外などひとつもなく墜落の憂き目にあう。
旅の途中で殺され、漠然と心に抱いていた目的は、達成されないで中断されるためにのみ存在する。
「死」は例外をもうけないからである。

使っている言葉は、その言葉が主観としている人間の存在には意味があることを前提としているのに、現実の自然の法則においては、一個の人間の一生に意識が集団として累積された場合の、誤差として以上の意味を個人の一生にみいだすことはできない。
「いてもいなくても変わらない」存在にしかすぎない。

くだらない例を挙げると、ラガーディアに着陸する旅客機はマンハッタンをなめるように低空で飛んで行くが、そのときに下をみつめていると、自分が購買した建物が見える。
それはいままでの短い冷菜凍死のなかでも、おもいきり全力を挙げなければならなかったビルで、自分にとっては、たかがオカネのこと、といっても、トラウマになっていかねない緊張の結果購買した不動産である(^^;)

ところが空からみると、それはそれはちっこい区画にしかすぎなくて、あの数ヶ月の膨大な時間と集中力を費やして、こんなくだらないものを手にいれただけなのか、と考えて気が滅入る。

そんな例はあんまりだと思うひともいるだろうが、哲学上の発見、科学上の発見と言っても、どうも、そういうありかたというものは変わらないように思われる。
マンハッタンのかわりに宇宙に小さな区画をもって、他人がその名前をおぼえていさそうなのが、違うといえば違うだけである。

あるいは自分は子供に自分の形質なりなんなりを残すためにうまれてきたのかというと、わしには、そういう考えはやや品がなさすぎるように感じられる。
科学者のなかには、「人間はDNAの乗り物だ」と下品な上にケーハクな思想を述べてとくとくとしている者がいるのは承知しているが、それは機知ですらなくて、いままでずっと正面から眺めていたものが、下から見たら違うふうに見えました、と述べているにしかすぎない。
それを新しい知見であるように思い込んでしまうのは、要するに頭がわるいからだろう。

死はだから、自分の魂や心から絶対に一歩もでてゆかない問題なのである。
他人と共有することができないし、それは鏡のなかの自分の顔であって、誰か他人の顔を借りてきて考えてみるというわけにはいかない。

ひとつの考え方は、このブログ記事で何度も述べたとおり、魂が世界を感覚として受容するために自分はこの世界に生まれてきたと仮定することだが、言うまでもなく、この「仮定」は魂の不滅を前提にしている。
魂などは神様の悪い息がかかった言語の妄想であって、そんなものはないのさ、という前提をうけいれてしまえば、あとに残った、些少な「生きることの意味」の選択には、
たとえば自分がひそかに「このひとを自分は愛しているのだ」と思い詰めて考えていたひとが、ある日、立ち寄ったカフェの帰りに、先週のスタンダップ・コメディが可笑しかったことや、角に新しく出来たコーヒー店の、シトロンのタルトがおいしかったことを言ってきみには天使にしか見えない笑顔で笑ったあとに、その当の相手が、よく聞き取りにくい声で、「わたしは、あなたを愛してるの」とささやくように述べて、きみが、びっくりしてたちどまって、みるみるうちにあふれてきた涙が、頬を濡らすにまかせる瞬間がある。

自分は、この瞬間にであうためにいままで生きてきたに違いない、と考える。
須臾のときが永遠と拮抗する、人間の生というものがあれば、死があっても、別にかまわない、と思うことで、もしかしたら、人間の長い惨めな一生は、たったそれだけのためにあるのかもしれません。

帰り道

故郷への道をたどっていたゴータマ・シッダルタは、故郷をほぼ目前にして病床につく。80歳になっていた「宇宙の真理を覚ったひと」は、「もう、ここでいいだろう」と静かにつぶやいて、小さな町の茅屋で死にます。

思想家あるいは宗教家として一生のうちに達成したこととは、また別の、現実に生まれてから死ぬまでの一生において仏陀というひとは幸運のひとで、およそ手に入らないものはなかった若い頃から始まって、静かな眠りにつくまで、誰が眺めても、こんなに幸福な一生をおくれるひともいるのだなあー、という感想をもつという体のひとである。

その暖かい光のような仏陀独特の知性に満ちた一生のところどころに、びっくりするような冷たいわがままがのぞくのは、いろいろに教義上の説明がついていても、育ちの良い人間に特有の冷淡さだったでしょう。
だが触れれば凍傷をおこしそうなほど冷たい芯を抱えた仏陀を、同時代のひとは、みな愛したもののよーである。
イエスやマホメットに較べて「生身の人間である」ことをためらわなかったゴータマは、どうみても他のふたりの教祖よりも充足した生命の持ち主であったようにみえる。

エヴァリスト・ガロア
http://en.wikipedia.org/wiki/Évariste_Galois
という、20歳で死んだ天才数学者は、17歳のときに真に独創的な素数次方程式の代数的解法についてのふたつの論文をコーシーに提出する。
いまみると日本語世界では違う話になっているよーだが、多分論文の価値に気づいていたコーシーは論文をひとつにまとめるよう指示をだすが、ガロアは不分明な理由でそのままにしてしまう。多分、コーシーの指示を数学的な俗物主義とみなしたのだと思います。

18歳のときには市長であった父親が自殺する。
自分の将来が、そこに入れさえすれば救われると信じた理工科学校の入試には、ガロアの飛躍が激しい論理と、試験官に対する露骨な軽蔑的態度がたたって2回とも失敗してしまう。

この頃から自分の巨大な才能への自負と、犬のように自分を扱う世間の自分への態度との激しい落差に引き裂かれるようにして狂人のように荒れ狂いだしたガロアは、口をひらけば悪罵がほとばしり、誰に対しても挑戦的な態度をとり、王の名をとなえながら杯の上に短剣をかざす、政治上の、というよりも、度を越した政治的悪ふざけの反王党的なジェスチュアによって逮捕される。
いちどは釈放されるが、今度は砲兵の制服を着て数挺のピストルにライフル、短剣という姿でバスティーユ・デイのデモの先頭に立ち、今度は6ヶ月刑務所に服役することになります。
刑務所を出た直後、いろいろな憶測はあっても、結局は色恋沙汰であるというほか何も理由がわからない、つまらない決闘に立って、ガロアは腹部を撃たれて死ぬ。

瀕死の床で、聖職者の祝福を拒んだガロアは、気が優しい弟のアルフレドが嘆き悲しんで泣くのを見て、
「泣くな、アルフレド。20歳で死ぬために、おれはありったけの勇気を集めねばならないんだから」
(Ne pleure pas, Alfred ! J’ai besoin de tout mon courage pour mourir à vingt ans ! )と言ったという。

現代の人間は死をおそれるのだ、と、言語が成立したばかりで、まだ「地獄」というような宗教家の恐喝に打ちのめされていなかった太古の時代のひとに向かって述べれば、言われた太古の人間たちは、首を傾げるか、なんてヘンな奴らだろう、と言って笑うに違いない。
日本語の「花火子」(7月4日の夜空に花火が盛大に打ち上げられる日に生まれたからです)に因んで名前をつけられた低地ゴリラのココ
http://en.wikipedia.org/wiki/Koko_(gorilla)
は2000語程度の語彙の英語を米式手話によって話すが、やや「死」という概念そのものが理解できているかどうか曖昧だが死への恐怖という感情は認められないという。

生まれてから、ただ「生き延びる」ことに追われて窮窮として死んだ人類の歴史の大半を占める人間にとっては、死はおそれるどころではなくて、苦しみの終わりだった。ただ自分の意識が消滅するという本源的な寂しさを怖れただけのことで、安らかに死ねれば、人間にとっては、悲惨と痛みの終わりという以上の意味はなかっただろう。

メルボルンのドックランズという新しいウォーターフロント開発で出来たレストラン街のテーブルで、まだ夏の太陽の母上が中天に輝いている午後、70歳を過ぎた科学者ジジイである大叔父はシラズですかり酔っ払って、「予定もしてないのに生まれてきて、今度は死ぬことだけは、逃れようもなく、ばっちり決まってるんだから、やってらんねーよ」という。
だいたい、神様ってのも、いるんだかいないんだか、はっきりしない曖昧なやつで胡乱だが、意識みたいややこしいものをつかさどるコンピュータをタンパク質みたいな腐りやすいものでつくるというセンスは、どうかと思う。
「死後の世界、とかあると思う?」とわしが訊くと、
おまえは、中世人か、わが親愛なるチビガメよ、とわしが子供の時の仇名を呼ぶ。
世界は、そんなに面白く出来てはおらんわい。
犬が死ぬ。
木が死ぬ。
鳥が死ぬ。
偉大な物理学者のD(自分のことのよーだ)もチビガメも死ぬ。
全部、おんなじだ。
まことにくだらん。
生まれてから、いままでひまつぶしに生きてきたが、実際、なんとゆーか、まことにつまらん。

それから、わしと大叔父は仏陀の「生老病死」の話をした。
流体力学からカオス理論の話になって、混沌をあつかうための酔っ払い式の理論を策定した。

突然、生きた棘のような若者であったガロアと、光そのもののような知性でひとを救済したブッダには、なんの違いもないこと、ふたりは、正確に同一の知性であることに気が付いて、息をのむような気がした。
そのことを大叔父に告げてみると、大叔父は、ちょっとびっくりしたような顔になってから、なんだ、おまえ、そんなことも知らなかったのか、と言う。
えっ、じゃ、知ってたんですか?
と聞き返す頃には、大叔父はお得意の癖をだして、ひともたくさんいるレストランの椅子にかけたままだというのに、もうぐっすり眠っているのでした。

ゲロンチョン

起きてから寝るまでが楽しければそれでいいのさ、というのがわしの基本的な生活態度で、それ以上のことを考えた事はない。
長じては、生まれてきてしまったから死ぬまでを楽しく暮らせればそれでいーのね、と自分にも他人にも返答して暮らしてきたが、考えてみると、一日について考えていたことを一生に拡張しただけで、難しいことは面倒くさがって考えないという森羅万象に対する態度がこーゆーところにも出ているようです。

怪力乱神を語らずというが、わからないことを考えても仕方がないので、神というようなこともあんまり考えないし、死後の世界、というような仮定するといろいろ難しい曲折のある仮説を無数にこさえなければいけなくなるようなものは、やはりめんどくさいので「ない」ということにしてある。

死後の世界はしかし、あるかもしれないと思うと、そこはかとなく嫌な気分になるもので、考えてみればわかるが、なにしろ感覚器がもうないので直截に世界を感じることができない。なんだかざわざわと他人の魂が呟いているのはわかるが、何を言っているかは判らない。周りに世界が存在しているのは理解できるが直截の形象として見ることはできない。肺に感じられる呼吸も、頬にふれるそよ風も、まして、現世では毎朝うしろから、そっと腕をまわして、ぴったり身体をつけて眠っているモニの、朝には赤ん坊のように暖かい肌も、言葉ではとても表現できない良い匂いもない。

言わば世界から遮断された意識と観念だけがあるわけで、なんだかそんな面白くもないものになりたいような気が起こらない。

魂よりも肉体のほうがやや大事である、というのは、わしが人間について思いをなすときの基本的な比重であるよーです。

マンハッタンでパーティに呼ばれていくと、顔がひきつれたおばちゃん、というものに会うことがよくある。プラスティック整形のせいなので、慣れているひとは、すぐ判ります。
いちばん簡単なのはボトックスのようなものを別にすれば、こめかみのところで皮膚を切って皮膚をひっぱりあげる方法で、これで5年くらい若返る、という。
もう少し手が込んだやりかたになると、皮膚だけではなく筋膜も一緒につりあげて、耳の上から耳の下まで切って、そこから耳の後ろに向かってひっぱりあげるという方法がある。こっちの方法によれば、首のたるみとしわも減少するので、いまはこめかみをちょんと切ってたくしあげるだけの方法よりも人気があるよーです。

アメリカという国の社会の特徴は「身も蓋もない」という表現がぴったりの欲望むきだしの社会であることで、わしなどはアメリカ人の友達、というものはたくさんいても、総体としては、どーもこのひとたちは全員キチガイなのではあるまいか、とよく考える。
70年代くらいに発祥をもつkey party
http://www.urbandictionary.com/define.php?term=key+party
のようなものを考案するのがアメリカ文明というもので、その少し前の女子大学の学生たちが他の男がおおい大学に向かってグレイハウンドで「処女を捨てるための」団体旅行をしていた60年代よりは多少露骨さが減少したかもしれないが、街をあるいている男たちも、おったったペ○スが通りを徘徊しているよーなもので、顔をみていても薄気味が悪い感じがする。

アメリカ人の男達、特に選良にあたるひとびとは、自分たちのまわりの仕事や近所の主婦というような女びとたちを対象に、私的なパーティの場で、fuckabilityというようなことをよく話題にする。
fuckabilityというのは、文字通り、「どのくらいやれるか」ということで、どの程度の代価(仕事ならばどの程度の昇給、昇進機会をちらつかせれば「やれる」か)ということであり、仕事でなければ、どのくらい高級なレストランや、クラブに何回くらいつれていけば「やれる」か、というようなことと、実際どのくらい「やる気がする」容貌や肉体の持ち主であるか、という側のことも含んでいる。

当然美人で性的知的な魅力があるほど人気があるが、40歳を境に人間としての価値がおおきくさがる、とみなされているよーである。
女びとにとっての40歳という年齢は、言葉にされて言われることがないだけで、ここを境に(女として、ではなく)人間として価値が減価してゆくという社会の不文律があるもののごとくです。

欧州でも若い女びとを好むヒヒジジイはたくさんいるが、そういうことを露骨に好むのは文明度が低くて猿に近い証拠だとみなされる。
社会全体が遙かに濃密な「陰影」というもので彩られていて、年齢を重ねた女びとには、年齢を重ねた女びとの魅力があることになっている。

あれやこれや考えるのが面倒くさければ、てっとりばやくハリウッド映画と欧州映画の女優の起用を見比べてみればよくて、欧州映画ではヘレン・ミレンでも誰でもよい、40代後半や50代で若いアフリカ人の恋人のいる独身キャリア、というような設定はいくらでもあるが、ハリウッドでは余程年齢より若く見えないかぎり40歳をすぎると役そのものがもらえなくなってゆく。

女のほうばかり40歳よりも若いのでなければ相手にされないのは人間の身体の構造による、と不思議の説をなすひとがいるのはわかっているが、ふつーに観察すれば、ほんとうの理由は女びとたちの歴史的な社会における地位の低さによっている。
現に、自分の周りの友達を見渡すと、本人が富裕なあるいは社会的に地位が高い女びとは、あるいは体裁のよい夫とは寝室を別にして若い衆の見栄えがよくて活きもよく「小さいお尻が固い」男を愛人にしているひとや、もう一歩すすんで、お腹や頬がたるんできた夫をぶち捨てて、新車に乗り換えてしまうひとも何人もいる。
肉体的関係を軸に相手を評価すれば「若いほうが良い」のは、男も女も差がないよーです。
わしがふざけて、「技巧というような問題は、どーなるんだ」と訊くと、あんなものはたいした技術ではないので、一日に2、3回も身体の上にのっけて、ああせいこうせいと指示してやれば馬鹿な若い男でもすぐに手順をおぼえるよーだとゆっておった(^^)

オカネを動員して、あるいは自分の容貌に対してプラスティックサージャリーを駆使させ、あるいは齢とともに積み重ねた職業上の地位を利用して、きみには仕事上の鋭さがあって敬意を感じる、わたしは高い知性というものが好きなのだ、どうか私のきみの知性と機知への尊敬を受け取ってくれ、と耳元でささやきながらスカートをまくってイッパツやったりしていても、寄る年波と、たれさがる皮膚には勝てず、結局、われわれは年をとってゆく。
神について語ってもカネについて語っても、イッパツばかりやっていたひともやらなかったひとも、結局は年をとって老いていく。

人間に秘密というものがあるとすれば、それは、どんな人間も必ず老いさらばえて、病気になり、死ぬということで、要するに生後20歳くらいから腐り始めて、60年もすればただの機能しない腐った肉塊になりはてる、という物語の大枠が万人にとってすべて同じであるところに秘密がある。

そこで、生老病死にすぎない人生の意味を問う、というのはアマチュアの態度というべきで、なにがアマでプロなのか訳がわからないが、太古のむかしから人間が身をもって学んできたとおり、人間には生まれてきてしまったのだから死ぬまでを生きる、以外のことはやりようがなくて、それを自分の存在そのものだとして受け取る以外のことはすべて余計なことのよーである。
考える、ということは人間が思い込んでいるほど価値のある行為ではないのは、主に、この人間の一生の生老病死の一様性に拠っている。

せめても、世界を無理矢理にでも楽しいものと思いなして、目がさめたら外にでかけることにして、「さあーて、今日は何をして世の中を驚かしてやるべかしら」と考えながらクルマのドアを開けて乗り込むのが、正しい態度であるようです。

宇宙に触れる、ということ


もうすぐ29歳になる。
なんだか、ほんとうのことではないように思えます。
現実にも、いまぱっと思い出してみただけで、デタラメな行状のせいで5回死にかけているが、
いまでも妹やかーちゃんやとーちゃんがあの頃は心配しくるっていた、というたびに、
うるせーんだよ、おおきなお世話じゃ、と思う当時のことは、いまのジジクサイ頭で振り返ってみると、たしかに危なくはある。
やることが無茶苦茶です。
具体的に書いても退屈なだけなので書きはしないが、あんなことをやっていても生きていられるということは、結局、人間の一生なんて運だけなんだんべ、と思う。
他には、なにもない。
努力、なんちゅうもんも、たいして役にたつとは思えない。
人間の一生など、自分の意志でつけたせるものは殆どないもののよーである。

この日本語ブログの過去記事でも判るダンスやバレーへの異常な執着にも現れているとおり、わしには「肉体」というものへの偏愛がある。
わしが「バク転」と呼ぶのだと信じきっていた、「後ろ後方宙返り」はほんとうは「バク宙」と呼ぶのだそーだが、芝生のうえで初めはいつもおっかなびっくり、二回目からは連続で何回も繰り返す「バク宙」をモニが午後の陽射しのなかで手をかざして楽しそうに眺めている。
モニに言ったことはないが、モニが大好きになったことの理由のひとつは、わしがカッチョヨク、バク宙や外連ステップを決めると、モニはもう3歳くらいの子供のように眼をまるくして、天使が目の前にあらわれて南京玉すだれをやっているのを見つめる子供のように夢中になって喜んでくれることであって、そーゆーことは、わしをとても幸せにする。

いまでも、いいとしこいて、Ne-Yo「One in a million」
http://www.youtube.com/watch?v=6tpl9LtkRRw
のようなクールを極めるステップは、すべてそのまま踊れる。
猛練習の結果だんねん(^^;)
むかしは、これを応用して夜中のクラブでうけるのが目的だったが、いまはモニひとりを喜ばせるのが目的です。

「やっぱり、わしらのお嬢さまがだまされて結婚した、この旦ちゃんははずれだし」と露骨に顔に書いてある、特殊な事情によってモニの実家からやってきている手伝いの人びとのまんなかでモニだけが、ひとり椅子に腰掛けて「ガメ、かっこいいぞ。大好き」とゆってくれる。
しみじみ結婚してえがっただなあー、と思います。

わしは人間が生まれてくるのは、魂が感覚器を装備した肉体を通して世界を「感じ」にくるためだと思っている。
ときどき、大好きな人の滑らかな肌の感触や、身体のあちこちの柔らかい場所からたちあがってくるよい匂いや、性のあの激しい興奮がなければ、魂はこの広大な宇宙のなかで迷子になる以外に行き場所がなくなってしまう。
キリストの物語をあるいは現実の一生をつくった神は、そのことを伝える象徴的な方法を知っていた。キリストに打ち込まれた釘は魂に打ち込まれるのではなく、手のひらと足に打ち込まれる。
釘を打ち込むのが魂ならば、贖罪にはならないのだ、という洗練された理屈を、誰かが知っていたことになります。
そこには魂の苦しみではなく肉体の痛みがあるのでなければならなかった。

甘い煙がある、でも、そのなかに画然と性的な匂いがたちこめている知らない部屋で眼をさます朝の冷淡さは、十代後半から二十代前半の人間が殆どだれでも週末毎に繰り返す愚行の味とでもいうべき感覚だが、そうやって漂流することには、危険であっても、人間の一生を定義する重要な意味がある。
頭脳などは魂の機能を不完全に代行する器官だべ、そんなもんの機能ばかり追究していてはどうなるものでもなかるべし、と思う。

手足が機能している場合の脳が考えるとこと、手足の機能なしに脳が考えることではおおきく異なることはほとんど自明である。
肉体の機能から切り離された思考は次第に夢に似てくる。

だから。

水の映像

CNNで見た内陸に向かって速やかに広がるツナミの映像が頭から去ってくれないので、嫌気がさして、
CBDのシビックシアターにThe Manganiyar seduction
http://www.roystenabel.com/manganiyar.html
を観に行った。

あの殆ど滑らかにすらみえる水の広がり、やすやすと内陸をめざして広がってゆく水の広がりの下で何百あるいは何千という人間が自然の力で殺されてしまったのだ。
レポーターの声も泣いていたが、観ている人はみなあまりのことにショックを受けて押し黙ったままだった。

ツイッタでクライストチャーチの地震を観て、「災害など、もともと観る側にとっては、ただの楽しむためのショーである」とわざわざ言いに来た日本人がいたが、ああいう人にとっては、破壊がこれほど大がかりになれば、ますます興奮させられるショーだったのかもしれないが。

日本にいて日本語が出来ない友人たちのためにフォーラムの一部を開放した。
日本語情報をチェックしてメールでの質問に答える。
医者の友人達が加わり、地震の専門家の友人が加わり、…というふうに、あっというまに、いつもは悪態をつくのが専門の友人達が、あまり馴染みのない名前の(わしの)友人達の質問に答えている。
あっというまに知識ということに関しては無限にパーであるわしなどは不要になってしまう。

電話がかかってくれば、それに応える。
しかし、電話のほうは、もともと大した危険のなかった東京の友人が多かった。
たいへんだった、たいへんだった、と言いながら、よく訊いてみると電車がなくなったのをよいことに、そのヘンの浮浪者のおっちゃんや名も知らぬ女や男の会社員たちと酒盛りをしていたのであって、「たいへん」なのは二日酔いの頭痛らしかったりした。

言葉が出来ない国での災害は、ひどい孤立感に悩まされる。
お腹に子供がいるイギリス人の女の友達は、東京にいるが、風向きが変わっても大丈夫か、という。
むろん原子力発電所の事故のことを訊いているのだろう。
当座は30キロ以上離れていればとりあえずは大丈夫と思う、と答えたが、未来の母親としては何百キロ離れても、ほんとうは不安だろう。

実際、しばらく考えているようすだったが、「交通渋滞がひどいが南にいけるだけいってみる」と言っていた。

そういうことがあったあとで、モニとふたりで The Manganiyar seductionに行った。

The Manganiyar seductionは、北インド、Jaisalmar, Barmer, それにJodhpurがあるTharの砂漠地帯のムスリムたちのビッグバンドが演じるパフォーマンスで、
その中休みなし90分の、パワフルで圧倒的な演奏は楽しいものだった。
誰でも知っているとおり、北インドの人々は中東や近東、トルコや、最近ではアフリカの人々ととも音楽世界を共有しているが、
西洋の音楽とはまったく異なるが素晴らしい構成力、機知、太古の文明がもっていた感情に現代人を力ずくで引き込む力において、畏怖すべきものがあると思う。

なんの脈絡もないことだが、The Manganiyar seductionの砂漠のにおいのする音楽に身を任せているあいだじゅう、わしはニュージーランドと日本の地震のことを考えていた。
しかし、今度はそれは頭にこびりついて離れない、いわば慢性のべっとりとした残酷性として思い浮かべられていたのではなくて、音楽によって、脳細胞の別の領域から喚起された、別の方角からやってきた悲哀として思い出されたもののようでした。

あの巨大な津波、
あれほどの圧倒的な暴力は神がもし存在するものならば、神の「意志」によって起こされたものでなければならないが、現代人であるわれわれはすでに神には「復讐」や「懲罰」という感情をもつ能力が欠落しているのを知っている。
言語というものを調べていってだんだんに判ることは、旧約や新約を書いた言語の構造では神が成り立たない、ということにつきている。
無限、ということについてちゃんと考えられない言語に神が関わりをもつとは到底かんがえられないからです。

同様に思惟の自立性ということにおいては人間の一個一個が宇宙と等価であるのでなければ、神の事業はうまくいかないが、そのひとりひとりの人間をあっさり殺戮してしまう暴力の棍棒をもっている事には、神の側に盲目な暴力をもつ必然性があるのでなければならない。

それはあくまで無慈悲、あくまで残酷を極める意志だが、人間の側からつくられた言葉の事情を修正して考えれば、当然であるともいえる。
人間のほうから見て、神というものがいかに自然そのものに近い馬鹿者としてしか扱いがたいか、というそれだけの事である。

The Manganiyar seductionのアンコールは、43人のバンドのなかでただひとりのヒンズーの奏者のために、みなが奏でるヒンズーの曲だった。

Slumdog Millionaire

http://www.imdb.com/title/tt1010048/

の冒頭に、ムスリム達がヒンズーの集落を集団で襲撃して、殴られた主人公の母親が絶命するところがあるが、インドの国内での二宗教の抗争は深刻きわまりない。
ところが、音楽を仲介にして、いわば思考を暫時停止することによって、The Manganiyar seductionの面々は、ただひとりのヒンズー音楽家を労り、28人が「カーン」という名前のムスリム達を引き連れて合衆国に入国し、「敵対する神の国」を旅行することの困難を笑い飛ばしてきた。

それが人間の側にとっては、どれほど重要なことであるか。
あるいは、開演の前に、モニとわしは劇場のバーでワインを飲んでいたが、
中年夫婦がくれば、わしはわしらのテーブルの席をさして「Help yourself! 」ともちろん言う。

夫婦が、ちょっと迷って、はにかんだように礼を言いながらテーブルの向かい側にかければ、わしらは、天気の話やインドの話をする。
劇場の美しいインド的装飾の話もします。

いままでも、ずっと見てきたように、神にとっては人間の思弁や叡知よりも、そういう無意味な親切や偽善と言われればひとたまりもないかもしれない思いやりのほうが、ずっと「こたえる」に違いない。

神が人間の愚かさによって混乱させられる一瞬なのだと思います。

パラノーマルなひとびと

何回かこのブログの記事でも書きましたが、わっしは幽霊というものを信じておらぬ。

そんなものがあっては(自分の論理体系が破壊されるので) 困るのい、と思っています。

本人は信じていないけれどもお友達には「存在しないものを見る人」がたくさんいます。

朝、目が覚めてみると女のひとの顔(顔だけ)が宙に浮いて自分と向き合う形で、というのは床と平行な形で自分の顔30センチくらいのところで自分を見つめていたというひとや夏の縁側でビールを一杯やっていたら、鎧帷子に身を固めた小柄な男が塀からすぅーとあらわれて庭の反対側の塀にすぅーと入って消えた、っちゅうようなひとたちです。

わっしの義理叔父も夜中に鎌倉の妙法寺の境内を散歩していたら、中世の武者たちが呼ばわる声を聞いたという。

幽霊にも文化形態というものがある。

合衆国の幽霊はたいてい「自分の家」に出る。

あらわれとしては日本で言う「地縛霊」 に限るもののようである。

合衆国人にとっては「自分の家」というものが精神的な聖域なので、そこに訳のわからんものが出る、というのが最大の悪夢だからかもしれません。

連合王国になるともうちっと公共の場に出る幽霊の話の比率が多くなります。

ロンドン塔であるとか学寮であるとかパブだとか。

連合王国では幽霊が出ると不動産の価値が上昇したりするので幽霊の方でふて腐れて個人の家をボイコットしているのかもしれません。

わっしが生まれて育った家も幽霊が出るので近在ではユーメイだったそうである。

だったそうである、なんて他人事みたいな言い方をしているのは、わっし自身は見たことがないからです。

夜更け、二階の自分の部屋で宿題をやっていると階段をギシギシギシと上ってくる音がする、とか、長じてたまに家に帰ったときなどにワインを飲んで酔っぱらっておるとあたかも壁を誰かが全力で蹴っておるような音がするとかはよくあることでしたが、しかし、わっしはそーゆー騒々しい物音を「幽霊」というようなものに考えたことはなかった。

なんとなく漠然と、「そーゆーもんなんだべ」 と思っていただけです。

では、どーゆーことがあったかというと、Cという女のひとが家に泊まったことがあった。合衆国人であって、たしか父親の友人の大学の先生の紹介で家に泊まりに来たのでした。わっしの両親の家はボロイが大きい家であって、客人を泊めるための部屋がいくつもあったので、そーゆーことも割と普通なのでした。

このひとはわっしの妹と気があって大人と子供ではあっても一目ですぐお互いを気に入ったもののようであった。

妹はこのひとの部屋にでかけていって、いろいろな話をしておった。

ある午後のことであります。

このひとは研究に疲れたので午寝をしておった。

ところが妹がこっそりやってきて足の上に乗ってふざけるので、これが煩くて眠れない。

でも子供のやることなので、ちょっと我慢してます。

妹はいっこうにやめる気配がない。

それでちょっとうんざりして、「ねえいい加減にしなさいよ」 とやさしくゆってみたのです。

そしたら、その瞬間に部屋に近いところにある正面玄関のドアが開いて妹の「ただいま!」 という声がした。

六ヶ月滞在する予定であったのに一ヶ月で退散してしまったな。

その他にも、ときどきホールウエイを歩いていると、急に冷凍庫から風が吹き付けるような冷気にあたることがあって、そーゆーことも後で他人に訊くとパラノーマルな事象なのだそうでしたが、繰り返しになるようですが、わっしにとってはただ自分の住んでいる家の性格の一部にしか過ぎなかった。

(いかん。自分の話を長々としてしもうた。

他のひとの話をしなければ)

義理叔父と秘書のにーちゃんといきつけの飲み屋のおっさんが3人で鎌倉の海岸通りを歩いておった。

海岸通りっちゅうのは、由比ヶ浜から若宮大路に抜けるまっすぐな一本道です。

まあっすぐであって、簡単明瞭な道である。

3人でいっぱい酒を飲んだので、すっかり幸せであった。

午前2時。

のれんを下ろした店でなおも呑み狂った3人の酔っぱらいはクルマすら通らなくなった海岸通りを歩いてゆきます。

江ノ電の踏切を二回渡ったところで義理叔父は「あり?」と思ったそうである。

海岸通りには当然のことながら江ノ電の踏切はひとつしかない。

傍らの飲み屋のオヤジに「また江ノ電だね」というと、オヤジも「そう言えば二回目だねえ」と言う。酔っぱらったひとたちというのは気楽である。

ちょっとヘンだなあ、と思っただけでそのまま消防署に向かって歩いていった。

ところが三回目の踏切があるではないか。

此処にいたって3人の酔っぱらいは、あにゃあ、と思ったそうである。

ヘン、じゃん。

そんな訳ねーよな。

3人で踏切に立って周りを見渡します。

左(鎌倉駅方向)を見ると、煌々と明かりがついた駅がある。

秘書のにーちゃんは眼が良いので看板の文字が読める。

「あれ、和田塚の駅ですね」という。

え濁点ー、そんなもの、こっから見えるわけねーじゃん、いったいどーなってんだ、とゆっていたら、小さな駒にまたがった武士の一団が向こうに見える「和田塚」駅の踏切を渡っていったそうである。

その「駒」が小さくてさあ、と、この話を他人にするときの叔父はなにがなし楽しそうです。

しらふにもどった頭で考えると、ほんとうに鎌倉時代の馬の大きさなんだよねえ。

わっしのクリケットの先生であったビルという人は本職は警察官であって若いときはずっと合衆国のワシントンDCに住んでおった。

このひとはいろいろなものを見る人でしたが、同郷のケント出身の奥さんと結婚することになって合衆国を旅行してあるいた。

ゲチスバーグの合戦場跡にいったときのことを奥さんがいまでも笑って話します。

だってガメちゃん、このひとと夜中に散歩に出たら、そこいらじゅうに灰色服や紺色の兵隊がいっぱいいてセンソーしてるのよ、首が吹っ飛んでいるひとや、逆に胴体がないひとたちまで、自分がそうなっているのを知らないでチャージしてるんだもの。

奥さんは、その場で気絶したそーである。

(モニ、わし、もう眠い)

ロンドンのスウェーデンボルグ協会のいすに腰掛けて、わっしは銀の握りの杖をついた40代くらいのおっちゃんと話しをした。

ストリンドベリや協会の書籍店で扱っているウイリアム・ブレーク、

なかんずくわっしが興味をもっておるスウェーデンボルグの博士の地獄

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080726

の概念について話した。

おっちゃんは知的なひとであって、そのときにわっしは初めてウイリアム・ブレークがあの麻のような描線をどうやってひいたか知った。

ドタドタドタと音を立てて走って追いかけてくる中国の幽霊や、アイルランドの「黒い生き物」の話をした。

このひとは礼儀にかなったやりかたで、この辺でそろそろぼくはおいとまします、と言って帰ったのでしたが、紅茶を淹れにいっていた女の子が言うには、

「ああ、あの杖のひと! あのひとは、もう死んでいるひとなんですよ」

なのだそうであった(^^)

その後、この女の子に、あーゆーコワイ冗談を言わないよーに、と言うと、

このひとは、憶えていないだけではなくて、その頃はまだ自分は協会に勤めていないと

言い張るのでした。

なはは。

パラノーマル、とはよくもつくったものです。

ややこしい。

霊的な世界

人間が育んできた科学の知識によれば器質的な脳がなければ意識は生じない。

だから「幽霊」というものは存在するはずがない。

その夜はものすごい霧であって、見えるものと言ったらセンターラインの部分とときどき真っ白な霧のなかにあらわれる黄色い標識だけであった。

そういう気象はカンタベリではよくあるのです。

幸いその「オープンロード」は定規で引いたようにまっすぐであって、夜中の対向車など来るわけがない時間帯でもあって、わっしはセンターラインを見ながらしばらく走った。

そうしているうちに霧も薄くなってきて、丁度町の入り口にさしかかる頃には、ようやく前が見えるようになってきた。

町にはいってしばらくしたところで、腰から下だけの足がすっとヘッドライトの光のなかを横切ります。高いヒールの赤い靴まではっきり見えた。

自動車のすぐ前を横切ったのですが、当然、車体に何かがぶつかったような衝撃は有りません。

全然、怖くはなかった。

わっしがこの幽霊を見た初めの反応は「困ったことになった」でした。

これから述べる理屈によって、いまでもわしは、この「足だけの幽霊」を幽霊であるとは認めていない。「幻覚」であると言っていますが、それを見た本人はそれが幻覚などでなかったことをよく知ってもいるのです。

実は、この前にも何度か不思議なものを見たことはあった

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080531/1212273134

が、いろいろに考えて「合理的に説明する」ことも出来なくはなかったのです。

今度は、本人がいちばんよく知っている、全然無理です。

初めに書いたように、人間が科学という方法を編み出して以来、学んだことによれば、器質的な脳が存在しなければ意識というものが生じようがない。

だから、最大に譲ってこの世界になんらかの「霊的」な存在がありえたとしても、それはいままで観察されたことのないエネルギー体であって、たとえば口を利いたりするはずはない。しかも、よく考えてみると、その理屈でも幽霊がぼんやり立っていることくらいは出来るが、わしが目撃したように「生きている人間のように歩く」ことは出来ないのです。

残像、といっても、無理である。

以前からこのブログを読んでくださっているひとは、よく知っておられるように、わしは人間が言葉という普遍性のなかで暮らしているのに、当の人間自体は結局死んでしまうしかない、ということの奇妙さに強い関心がある。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080803/1217722975

だから、モニとも、よくそういう話をします。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080324/p1

たいてい、長野県にあるモニとわしの「山の家」か広尾のアパートのテラスに出したテーブルで夕食を食べながらする、そういう会話の中で生まれた、この物理的な意識の発生と(それが存在していると仮定したときの)霊的存在の矛盾を説明しうる理屈は、要するにたったひとつの可能性しかなくて、それは、このわれわれが住んでいる世界が、「霊的な存在」がある世界の投影であって、いわば霊的な世界のコピーである、という理屈だけなようです。われわれが死ぬことに拠ってしか、あるいは、死んですらなお関知できない次元に「霊的な世界」が存在して、それをわれわれが見知っているこの世界で展開するための装置として器質的な脳があり、その脳が展開するためのとりかかりとして言語がある。

つまり、「世界」というものの実体がここにはない場合に限って、霊的なものに意識がありうることが仮定できるのです。

幽霊が仮に存在するとすると、それはそのまま、この世界のほうが霊的な世界の模倣にしかすぎないことを示している。そうでなければ、(やってみればわかるが)どうやっても論理が構成できません。

では、なぜこの世界において霊的世界を模倣しなければならないのか?

言い方を変えて言えば、この「物質的世界」という模倣世界が必要なのか? ということを考えると、そこには化学記号を勲章のように胸に付けてお行儀よく元素記号表に並んでいる「物質」が関連する何らかのいわば「実験」が霊的な世界のがわの成立に必要だからでしょう。

そうだとすると、「死後の世界」というのは実は存在しない。

実験に訪れたこの世界こそが「あの世」なので、器質的な脳髄から生じた便宜的な意識は、実際、「死亡」によっていったん失われなければ困る訳です。

人間があらゆる文化にわたって、これほど「象徴」にこだわるのは、いったん訪れる、死に際しての「意識の洗浄」をかいくぐっても、自分がこの世界で巡りあった「かけがいのないもの」を記憶しようとするからに違いありません。

そうやって考えてゆくと、この世界に立っている人間というものが、とても切ないものに思えます。

無明

人間の一生というものの最大のバカバカしさは結局われわれはみな死んでしまう、ということにある。人類の行く末を案じようが、幸せな家庭を築こうが、大金持ちになってやりたいことをやりつくそうが、みな呆気なく死んでしまう、という点では同じである。

立ち話をしながら、ちょっと姿勢を変えた人の靴裏で踏みにじられる蟻や、血を吸った後に逃げ損ねて平手でたたきつぶされる蚊と本質的になにも変わらない。

わっしは非常に美しい若い女のひとの解剖に立ち会ったことがある。光に反射する金色の柔らかな産毛がまだ生きている人のようであった。

メスがはいると、その下から薄い脂肪層や他の器官があらわれるのだが、特に乳房のあたりにメスがはいる頃には肉体が服かなにかであるかのように感じられたのが不思議であった。輝くように美しい肉体の下から、陳腐な筋肉や骨があらわれるのを見ていると、われわれの存在を超えた者が、われわれを哀れんでいる声が聞こえるような気がした。

実際、わっしは、そのとき遠い遙かなところで嗚咽するひとの声を感じたのだ。

わっしは、その頃から「魂」というものの存在を願うようになったのだと思う。

わっしは元々機械論者であって「人間の魂」というようなものは認めない。

「魂」というようなものを認めてしまうと、わっしが唯一堅牢な思想としてもっている「科学」を根底から否定しなければならないからである。

「科学」を思想として放擲するのは、わっしには耐え難い。

宗教のような人間の狂気や攻撃性におおきく依存した思想やあるいはレトリックに依存した哲学が、それほど堅固な思考の指針になるとも思えない。

まして「科学者は自分たちの知見以外の存在を認めない傲慢な姿勢を改めるべきだ」というような、ここまでの人間の知的努力を一挙にしかも軽々と否定してみせる、それこそ「傲慢」な 通俗的「超科学」論者に至っては、見るのも不愉快だと考えた。

兼好法師は「人間が死を先のことのように考えて、あれこれ将来の計画を巡らすのは笑止である。死というものは、誰彼の傍らに立っていていきなり斬りつけてくるものだ」と言う。まことに、その通り、としか言いようがない。

ラッセル卿は人間の自分の一生に「保障」を求めることの愚かしさを嗤う。

それもその通りである。論理的に矛盾した行為であって、しかも一生の保障を企画する人間などは人生をゴミ箱に捨てるのと同じである。

「よりよく生きよ」というが、しかし、それも結局死ぬためなのが、やはりバカバカしい。

こういうことを考えるわっしのような状態を日本語では「無明」という。

そこに「自己の死」というものがある限り、わっしの思考も感情もいっさいが価値をもてないではないか。人間の言語の普遍性は、人間の生命の有限性と明らかに矛盾する。

その矛盾を解決しようとして人間が発明した概念が「魂」である。

わっしはだから魂というものの存在を願うが、それもただ途方もなくムダに死ぬことがあらかじめ決定されているという自分の存在を慰めたいだけなのかも知れぬ。

人間の言葉というものが実は明らかに人間の存在自体をあざ笑っているからである。

帰ってくる人たち

ブリテン島とニュージーランドのあいだの往復は片道24時間かかります。

遠い。

経路としてはふたつあって、成田経由、シンガポール経由。 この他にドバイ経由もあるはずですが、これは通ったことがないからわかりまへん。

わっしはガキガメの頃から日本経由であって、シンガポールは別口で何回も行くので自然そうなった。シンガポールのようにストップオーバーとして、ちゃんと組織されていないので、わっしのように根性のないガキを連れて旅行しなければならなかったかーちゃんとしては、成田か東京に5泊くらいして休ませてからまた長旅の続きをするのが普通であった。

だから旅行者としては、このブログを読むひとが受ける印象よりは何回も日本に来ているのです。ただ、わっし本人が「日本に来た」という意識があんまりなかったので、この頃の記憶がひどく稀薄なだけである。

長い間、ヘコーキが寄っていく「くらーい国」という印象であった。

いっぺん九十九里浜から太平洋に出て、滑走路へアプローチする、そのときに空から見える緑が暗い色なのが、なんだか怖かった。

そのうちにガキガメがバカガメに成長して旅慣れてくると、このストップオーバーの何日かを利用して怒濤のように東京湘南方面に現れて、千石商会や秋月無線、あるときは横浜の中華街、またあるときは鎌倉の曼荼羅堂や比企ヶ谷、とだんだん「土地鑑」を作っていったのでした。

あるとき、こういうことがあった。鎌倉駅にたどり着いて「表駅」の改札口から右手に歩いていくと、向こうからへろへろの痩せたじいさんが歩いてきます。

若い女のひとに手をひかれて、少し年のいった女のひとが先導するようなかっこうで駅の方に向かって歩いている。ちょうど東急スーパーの前あたり。

「な、中村伸郎ではないか」と、人知れず緊張するわっし。

だって、大ファンだもんね。志村喬、中村伸郎、笠智衆、東山千栄子、佐分利信というような名前は、わっしにとっては雲上人のものであって、この何年か後わっしは二階堂というところで皇后陛下と出会い頭にごっちんこしかけるが、そのときよりもっとコーフンしました。

不敬である。

気づいたのはわっしひとりであるようで、周りのみなは気づいても気づかないふりをしているのだろうか、鎌倉の人はえらいなあ、と思った。

そのときは、それだけで終わったのす。

ずっと後で、酔っぱらって日本の映画史年表をつくって遊んでいたわしは、ふと中村伸郎の略年譜を読んでのけぞってしもうた。

1991年7月5日永眠。

うっそー。

だって、わっしが中村伸郎を鎌倉駅前で見たのは21世紀になってからのことです。

わっしが見たのは、なんであったか。

ガキンチョのとき、初めてベニスに行ったときのことは前にもブログに書いた。

わっしのブログは後で読んでみて、「く、くだらん」と思うとヘーキで削除してしまうので、もしかすると、そのひとつとして消えて無くなっているかも知れぬが、こんなくそ読みにくい日本語ブログなど調べ直すのはメンドーなので、わからん。

ともかく。

なにしろ、ガキもガキ、チビガキの頃のことであるからホテルのレセプションのおっちゃんの名前が「フェラーリ」であったことと、かーちゃんに連れられて行ったムラーノ島の店の二階の素晴らしいベネチアングラスの輝きくらいしかおぼえておらぬ。

このときかーちゃんが大量に買い占めたベネチアングラスのうちデカンタのひとつは、後であえなくわっしのクリケットバットに粉砕されたが、かーちゃんは、「けがをしませんでしたか」

「家の中でバットを振り回したら危ないと考えられないのか」

くらいしかゆわなかったが、あとでソージのおばちゃんにあれは80万円くらいするのだと聞いて熱を出したのをおぼえておる。

もうひとつおぼえていることが実はあって、ホテルの鎧戸からくびを出して下の通りを眺めていたら、まったく風がないのに重い鎧戸が(しかも片方だけ)えらい勢いでスイングしてわっしのガキ頭に衝突した。

わっしの無敵石頭でなければ死んでいるところである。

その夕方、かーちゃんが遊びに行っているあいだ、わっしは妹の面倒を見ているように言われた。妹はガキですらなくて、なんだかほにゃほにゃぷるるんした柔らかい生き物からやっと人間になりかけている頃であって、昼間見知らぬ町にコーフンして、走り回ったせいで、ぐっすり眠っておる。

わっしは一階のフェラーリおじちゃんと遊びたかったので、どついて起こしたろか、でもここで無思慮にどつくと、こいつが後でかーちゃんに告げ口して、わっしが怒られるよなあ、うーむ、と思案にふけっておった。

そしたら、ですね。

妹がすやすやと眠っておる、そのベッドの脇の灯りがぷわぁーと明るくなって、また、すぅっと暗くなる。まるで妹がこちらから見えないようにつまみを回してふざけているような具合である。でも、妹の両手はちゃんとベッドのシーツの上に出ておる。

ひきつるわっし。

それでも妹を起こすと怯えるのは火を見るより明らかであるから、必死に我慢してライトをみつめてます。

何回かぷわぁーすぅっを繰り返して、やがて止まった。

次の日「フェラーリさん」に「ここって、なんか人間ではないものが住んでいますか?」

と訊いたら、にやっと笑って、「公式には何も住んでいないとお答えできます」とビミョーなことを言った。

ユーレイというものが、いるのかいないのか、わっしにはわかりまへん。

死んでみたことがないから死後のことも不明である。

大脳のような器官が消滅しているのに「ものを考え」たり意識があっては困るが、「無い」と言い切る根性がない。

右を向いても左を向いても亡霊だらけであって、現にわっしの書き物部屋でもわっしに無断で机を使用している19世紀のおばちゃんがいるらしき連合王国に限らず、アメリカのような索漠とした国柄の国でもゲティスバーグに行った友達の話では、幽霊が群れを成して出るそーな。

あのときの中村伸郎さんのように、死後の世界から、ときどきこの世の見物にやってくるひとたちもいるのでしょうか。