GRAS

backyard9

メキシコ滞在の楽しみのひとつは「おいしいトウモロコシ」であると思われる。
紫色のは特にうまい。黒いのもうまいと思う。

食糧危機はこない、という議論は日本語世界でよくみかける。
英語人でも同じことを言うひとがいるのかも知れないが、ぼくは見たことはない。
放射性物質の害などたいしたことはない、程度の問題だ、という議論も日本語では声がおおきいが、英語では「札付き」のひとが述べるのを目にすることがある程度なので、
自分が住んでいる世界には悪いことは決して起こらない、起こったという人は頭が悪い怖がりか悪意のひとである、というのは日本語を使って考える人たちの言語族的な強い傾向なのかもしれません。

食糧危機がなぜ起こらないかというと、食料が限定要因になって人口が抑制されるからで、従っていつも食料は足りているはずである、という。
なんとなくもっともらしいところが、放射能議論でもそうだったが、こういう説を成すひとの可笑しいところで、「なぜ人間は絶対に死んだりはしないか」について滔滔と説明する5歳児を思わせるが、この手のひとはこういうと色を成して怒るに決まっていても、相手の肩書きが物理学者であろうが医学者であろうが、「話すだけムダ」と感じる。
「なぜムダなのか」をこのブログの記事で書くのでもなんでもいいから、書いたものを通じて話すほうが理性的でもあれば生産的でもあるようです。

現実にはいまの世界は食糧危機の時代にもうはいっている。
「Food is Ammunition- Don’t waste it.」

http://www.ww1propaganda.com/ww1-poster/food-ammunition-dont-waste-it

は、日本で言えば「欲しがりません勝つまでは」だろうか、第一次世界大戦の有名なプロパガンダだが、事情をよく知っていればもういちどこの標語を復活させたいほど、
食料は乏しくなってしまっている。

えええー?
どこの国の話だよ。うちの近くのスーパーマーケットに行くと、食べ物は山のように積んであるぜ、オーバーなこと言うなよ、と口を尖らせてきみは言うであろう。
でも、食べ物はないのよ。
これから説明できるところまで説明してみようと思う。

GMO (Genetically modified oraganism)は、だいたい1990年代から商品化されてきた。
遺伝子組み替え工学が、安い賃金での長時間労働を厭わない労働文化と高い品質に支えられた日本の自動車・家電の大攻勢を受け止めきれなくなったアメリカ産業界の次期のエースとして、CPUなどの高集積チップと並んでテレビ番組でもてはやされだしたのは、フィルムを観ているとブッシュシニアが大統領として仰々しくモンサント工場を見学していたりするので、1980年代半ばだと思われる。

モンサント社がPosilacという商品名で、rBGH、(乳牛から大量のミルクを搾り出すための)ボーバインホルモン

http://en.wikipedia.org/wiki/Bovine_somatotropin

を商品化したのが1994年。カナダで有名な、Margaret Haydonたち3人の科学者の公聴会が行われたのが1998年で、このあたりから「食品の工業製品化」が進み出したのが観てとれる。

突然変異体を生産効率をあげるために食品に応用する科学の歴史は古くて、1920年代に遡る。
米のCalrose76はガンマ線の照射で作られたし、小麦の品種AboveやLewisはそれぞれアジ化ナトリウムと熱中性子で生成された。
熱中性子(thermal neutrons)と言えば、グレープフルーツのRio RedやStar Rubyもそうである。

容易に想像がつくことだが1953年にJames WatsonとFrancis CrickがDNAの二重螺旋構造を明らかにしたときから科学者たちの食品への応用の長い熱狂的な旅が始まる。
この発見が、やがて怪物的な食品を将来うみだすことは当時から予測されていたことだった。

現代人の、たとえば髪の毛をサンプルとして採取して炭素を分析してみると、大半は「トウモロコシ由来」であることが知られている。
トウモロコシをまったく食べない人ですら体成分を構成する炭素が「トウモロコシ由来」なのはなぜだろうか?

スーパーマーケットの棚を思い浮かべてみよう。
アップルジュースやグレープフルーツジュースは健康に良いということになっているが、あれには甘味がつけられている。この甘味は実はトウモロコシ由来のコーンスターチを原料とするコーンシロップが使われる。
日本の人は肉から草いきれの臭いがするのを極端に嫌がるので海外の農家にも良く知られているが、この臭いを消すのには「グレイン・フェッド」、穀類を数ヶ月食べさせて出荷するが、最近は、日本人の嗜好にあわせる必要がなくなった。
どっちみちトウモロコシを食べさせたほうが断然安くなったからで、最近のビーフは言わば「日本スタンダード」のコーン・フェッドです。
いつのまにかグラス・フェッドのビーフのほうが少数派になってしまった。
牧場の生き物に詳しい人は牛は本来トウモロコシを食べないのを知っているが、それをどうやって無理矢理食べさせるかは、前に記事で何度も書いた。
ポークもチキンも、やはりトウモロコシで育てられる。
ビスケット(クッキー)、コカコーラ、…. トウモロコシ由来の食品は「無限」と呼びたくなるほど棚に並んでいる。

なぜトウモロコシが食品業界全体を支えることになったのかというと、自分でも頭が悪いのではないかと思うほど何度も書いたが遺伝子組み換え技術によって、現代のトウモロコシは、たった1エーカー(4000平方メートル)の畑から200ブッシェル(5トン)も穫れるからである。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/02/トウモロコシの葉の下で/

この「工業製品としてのトウモロコシ」の発明によって人間は自然世界にとどまっていたときの数倍の食品生産能力を獲得した。
90年代を通じて、食品の値段が猛烈な下がりかたをみせたのは、そのせいだった。
日本ではまんなかに立っている商社などの中間業者が巨大な利益を抜きとっている
(日本のチェーンピザ店やKFCのマンガ的な高価格は、すでに海外のあちこちのフォーラムや動画サイトでも知られすぎて退屈とみなされる話題になっているが誰が関与しているか投資家用ページなので読んでみるとよい)ので目立たないが、物価がクソ高いので有名なハワイですら、スーパーに入ってコーラを手に取ってみれば、「ほんとうの値段」(コカコーラ1缶25セント)が判ると思う。

相手を恫喝する、あるいは金銭的な苦境に陥れるための訴訟をSLAPP

http://en.wikipedia.org/wiki/Strategic_lawsuit_against_public_participation

と言って、日本では政府のバカ政策によって弁護士がだぶだぶにあまっていることを考えると、もうすぐ日本でもありふれた光景になってゆくと思うが、食品産業世界もご多分に洩れず、この手法を愛用していて、1996年、オプラ・ウインフリー(Oprah Winfrey)が自分のTVショーで述べた、たったひとことで、テキサスの牛肉業界人から11億円の損害賠償を請求された事件は最もよく知られている。
(二つ目のリンクは大庭亀夫というひとのバカ記事なので見なくてもよいと思われる)

http://www.anti-slapp.org/slapps-against-consumers/

http://gamayauber1001.wordpress.com/2012/07/16/slapps/

オプラはこの訴訟に勝ったが、それでも1億円を越える法律費用を払わねばならなかった。

食品を工業製品に変えた一群のGMO食品会社は、いっぽう、極めて攻撃的戦闘的な経営方針で知られている。
ここはぼくが各国語(いまは日本語もあります)でもっているフォーラムではないので、名指しをしないが、ある会社は常時40人以上の弁護士を抱えて、自分達の前にたちはだかる「敵」を次次に訴えていくことで有名であって、たとえばきみがアメリカの農場主で遺伝子組み換えでないトウモロコシを育てていたとすると、ある日、きみのオープンロードに面したところに立っている郵便箱に一通の郵便物が入っている。
ドライブウエイをぶらぶらと歩きながら封を切ってなかの手紙を読んでいたきみの足がとまる。
そこには「あなたの畑のトウモロコシから弊社が知的財産権を所有するトウモロコシの遺伝子が発見されました」
と書いてあるからです。
ついては知的財産権の侵害に見合う賠償金額を払ってもらわなければ困る。

アメリカのドキュメンタリ映画やTVドキュメンタリには、よく出てくる光景で、なぜパテント遺伝子が発見されたかというと、風に乗ってやってきたパテントトウモロコシの花粉を自然栽培農家のトウモロコシが受粉してしまうからです。
(この部分については実は科学的にも法的にもたくさんの興味深い議論が可能だが、ここでは触れない)
普通のアメリカ農家には何億円という法的費用を払う経済的余裕はないので、破産するか通常の数倍の価格で、たいていの場合、子孫を作る能力をもたず、毎年買わねばならない仕様にされている食品ジャイアント会社の種苗を買わねばならない。
インドの綿農家で自殺する農場主が加速度的にたいへんな勢いで増えていることもNavdanya Foundation

http://www.navdanya.org/

のVandana Shivaのようなインド人たちは同じ理由によると述べている。

あるいは自分達を追究するジャーナリストをどんどん訴えて財政的な破滅に追い込んでゆく。
さっきカナダの公聴会について「有名な」と書いたが、実際、食品の「工業製品化」に興味があるひとのあいだでは「有名な」この事件はインターネット上ではまるで存在しないかのように見える。
カナダ公聴会に限らず、インターネット上には奇妙なほど情報が少ないのがGMO食品問題の特徴で、その事実には深刻な理由がある。
この記事を日本語で書くことにしたのは、もうすぐ、数年と経たずに「工業食品」が、いわゆるGRAS

http://en.wikipedia.org/wiki/Generally_recognized_as_safe

として洪水のように日本の市場に溢れるのは目にみえているからだが、いまですら出典を明らかにできるわけがない事柄に対して
「出典はなにか」「権威がある本のどこにそれが書いてあるのか」と怠惰な人間だけが正当だと信じうる類の質問を投げて恬として恥じない「論者」が多い日本の社会では、(ごみんだけど)日本を次の市場として狙っている食品モンスター企業の進出を拒む議論の場ができる余地はないように思える。

Marie-Monique Robinのモンサントについてのドキュメンタリには、メキシコ人たちが遺伝子組み換えトウモロコシと自分達のプライドをかけて戦おうとする姿が出てくる。
その目の真剣さには、「食物」を奪われかけている人間の鋭い光が宿っている。
「これはスペイン人の侵略につづく二度目のわれわれの文明の破壊なのだ」という。
メキシコ人にとってはトウモロコシは「自分達の食べ物」なので、ひとつの葉茎から3本もトウモロコシの身が突き出ている異様な人造食物が、さまざまに遺伝子工学の醜悪な外形のなかから自然の造形に似ているものを科学者たちが選択したから同じトウモロコシに見えるだけで、ほんとうは不細工な工業製品にしかすぎないことを理屈にさえ拠らずに「知って」いるように見えます。

ぼくは近所のメキシコ人に分けてもらった紫色のトウモロコシを食べながら、いまなら普通の5倍もオカネをだせば工業製品でない食べ物を食べることは可能だが、それだっていつまで続くだろう、と、ただ餓死しないだけのことで、人間が食べてゆくのに必要な充分な量の「食料」などとっくのむかしになくなってしまったこの世界で、満腹とひきかえに失ったものにはどんなものがあるか数えあげてみようと考えてみる。
すると、その数の多さと失ったものの深刻さに茫然となってしまうのです。

BENTO

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マンハッタンのチョーボロー・アパートメントにいるときにはチェルシーの南の端っこにあるアパートを出て、ユニオンスクエアのぐじゃぐじゃな雑踏を抜けてイーストビレッジに向かう、という散歩コースが好きだった。
途中に「一風堂」というラーメン屋があっていつもながああああーい行列がある。
「今日はあんまり長い行列ないね」という日でも、よく見ると入り口のバーのところで無数の人間がとぐろを巻いている。

アメリカでは、ふとりまくって階段を上がるのにもぜーぜーゆって、心臓がぐわあああな状態になって足がへろへろ、というような状態になると、「死にたくなければ日本人が食べるものを食え」と医者に言われる。
だから寿司の流行は予見できるものだった。
わしガキの頃は、「どのくらいレンジにかければいいのか書いてないのは不親切だ」と文句をゆいながら電子レンジににぎり鮨をいれて、なんだかよくわけのわからないものになった鮨を食べて、「あんまりおいしい食べ物ではないようだ」と感想を述べる人や、怪力がすごいと思うが、ジャスミンライス(タイ料理屋さんとかで出てくるパラパラの奴)を超パワーで無理矢理固めて握ってある鮨とか、いろいろな初期プロトタイプの「西洋型鮨」があったが、最近は、日本の鮨から派生した、でも、わしなどはおいしいと思う「西洋鮨」として定着した。

ラーメンの流行は予想外だった。
義理叔父は酔っ払うとラーメンが食べたくなるヘンなやつなので、たとえば一緒に日比谷でどばどばと酒を飲んで酔っ払うと「ラーメンが食べたい」と言い始める。
わしは「ガリガリくん」のほうがいいので、アイスブロックにしようと主張するが、人間の世の中では人生の先が短いやつに親切にしてやるのがルールになっているので、タクシーに乗って「香妃園のとりそば」とかを食べにいったものだった。
噂によると本来はおっちゃんはもっと下品なラーメンが好きで、うんと酔っ払うと神保町の「揚子江」などにいそいそとでかけるもののようだったが、そこまではつきあえん。

わしはデリカシーに対するデリカシー(<−ダジャレの定義からはみだした天才的なダジャレ)を欠いた人間なので「日本料理について140文字以内で述べよ」とゆわれると、「全部、同じショーユ味じゃんね」と、ひどいことを言う。いつも日本の人に悲しそうな乃至は嫌な顔をされます。
正直な意見を聞くのが嫌なら質問すんなよ、と思うが、日本の社会ではこういうときはウソをつきまくるのが社会の礼儀だということになっている。
日本の人にあったときに、「外国の方は放射能が心配だと思われるでしょうね」と言われても、油断して、「死んじゃいますから」とか答えると、ニンピニンの人種差別主義者の反日ガイジンだということになってしまうので、「いやああー、ダイジョブなんじゃないですか? 第一、ほら、ホーシャノーたって、見た限りではどこにもないし、誰も死んでないんだから、大騒ぎしちゃダメですよねー」と答えるのが社会の礼儀にかなっている。
日本語というのはウソをつくという非人間的な行為によらなければ社会性と人間性が保てない不思議な言語なのです。

ラーメンも醤油っぽい味で、おまけにバラバラに轢断されて骨の随までぐつぐつ煮られた豚の臭いだと思うが鼻がくさって落ちそうな嫌な臭いがする。
典雅な食べ物がたくさんある国なのに、なんでこんなもんが「国民食」やねん、と思う。

もっと細かいところまでイチャモンをつけると、中国やベトナム、カンボジアというような中華圏(というとベトナム人やカンボジア人はすごく怒るが)では、ビンボ食は全部丼のなかにぶちこんで焼き豚も野菜も麺もいっしょくたに出すが、もっと気合いをいれておいしい麺を食べるときは、「具」にあたる部分と透明なスープに浸かった麺を別々にだす。

安いラーメンなら特に文句はないが、白胡椒をかけると風味がわるくなるからかけるな、レンゲで飲むとスープの旨さが判らないから丼から直截のめ、果てはおそれおおくも金華ハムでとったダシだから残すような客は死ね、みたいな感じのもったいがいっぱいもったいもったいしている店で「一緒くた丼」を出されると、げんなりする。
店のいうとおり「味わって」食べていれば、麺とスープにのっかって危うい均衡にある具は、どんどん味を失っていくに決まっているからです。
鶏の竜田揚げみたいな揚げ物が別皿に切り分けて並んでいて、その上にレモングラスのソースがかけてあるベトナム料理のほうが、ゆっくり、落ち着いて食べられる心地がする。

そーゆーわけで、どーしてマンハッタンのまんなかで、赤毛のにーちゃんが、あごひごの先をラーメンスープで濡らして光らせ、前歯に鮮やかな緑色のほうれん草のかけらをくっつけて、大声で、「ここのスープの味噌はゼンコージ味噌だな。マルコメとは風格が違う」とゆーよーな蘊蓄を傾けることになったのか、いまの英語圏におけるラーメンブームは、わしの理解の能力を遙かに越えておる。

しかしラーメンと時を同じくして流行している「弁当」は別です。

かーちゃんとかーちゃんシスターは歌舞伎が好きでわしもときどきとばっちりで歌舞伎座に連行されることがあった。
「そんなことはありえない」という日本の人に会ったことがあるが、ガキわしは不明な理由で能楽は大好きで、観世も喜多も大喜びででかけたが、歌舞伎は退屈で嫌だった。
Kissのおっちゃんたちが縮小サイズになったみたいな俳優たちがドタバタ走り回って、なんだかよくわからねー上に、劇そのものがチョー長いので閉口した(歌舞伎ファンのひと、ごみん)

ただゆいいつの救いは幕間の「幕の内弁当」であって、時間がなくて忙しい上に食べられないものもたいてい混ざっていたが、いま思い返してみると、あの年季と気合いがはいったプレゼンテーションが好きだったのだと思われる。

「いろいろなものをちょっとずつたくさん出す」というのは東アジア文化で、日本の焼き肉屋ではなぜかそういうことをやっていないが、普通は、コリアンBBQの店にいくと、小鉢にはいった食べ物がキムチ、カクテキ、切ったチジミ、山菜のおひたし、蒟蒻の切ったの、トリッパを醤油で煮たようなもの、ぞろぞろぞろといっぱい出てくる。
お代わりは無論タダです。
小鉢の数は通常少ないが、台湾料理屋でも、注文した「排骨飯」の脇に炒り卵や青梗菜の炒め、麻婆豆腐というような小鉢がくっついてくる。

子供のときにかーちゃんやとーちゃんと一緒に何度か出かけた台北のたとえば「青葉」では、そういう小鉢などなかったような気がするのでツイッタで知り合った(台北のマルタ人)勲さんにでも訊いてみないと判らないが、少なくとも英語国のエスニック料理街では、小鉢文化が息づいている。

(閑話休題)

食べ物が世界でいちばんおいしいのはサンチャゴ・デ・コンポステラがあるガリシアかコスタブラバに無茶苦茶うまいレストランが点在するカタロニアであると思うが、日本の料理はプレゼンテーションが圧倒的にすぐれている。
目の前のカウンターやテーブルに、ふわり、と置かれただけで目が輝いてしまうほど「見た目」にぱっとした冴えがあって、日本人のこういう美的センスはどこから来たのだろう?と真剣に考える。

記事の冒頭にあげた「ちらし寿司」もそうだが、飛竜頭(ひろうす)のような、おいしくはあってもプレゼンテーションのつくりようがないものでも、日本の人の手にかかると、「見た目のよい」食べ物になってしまう。

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プレゼンテーションの伝統に支えられて、日本の人は「弁当」という見ただけで楽しくなるような食べ物をうみだした。

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上の写真のは多分「吉兆」という料亭がつくってくれた弁当だと思うが、ミーティングの席に出てきた二段のこの弁当を開けて、なんだか食べるのがもったいないような、せっかくつくったものを壊すのが悪いことのような不思議な気がした。

ブログに書いたことはないが、わしは日本人の「永遠を求めない心」が好きである。
一時間も経たないうちに客の箸によって破壊されるに決まっている食べ物に趣向を凝らして美しい形を与えようと気持ちを集中させて箸を握る職人さんたちの背後にある須臾のなかに永遠を見ようとする偉大な美意識というものを感じないでいるのは難しいことであると思う。

ツイッタもみている人は気が付いているかもしれないが、この記事は「バジル」(@basilsauce)さんというひとがツイッターの上にあげた娘さんと息子さんのためにつくった下の「おべんとう」の写真
basil_san
(©basilsauce)

を見た感想として書いている。

なんだかちっこい箱に、おかーさんが一生懸命考えたちっこい食べ物がいっぱいちりばめられていて、母親というものの、とりとめがないような、それでいて冬の寒い日に太陽の光がふり注いでくるような、どんな種類の子供でも、どう言葉にすればいいかわかるわけがない愛情がそのまま食べ物の形を借りて表現されていて、なんだか見ているだけで暖かな気持ちになる。
「お弁当」にいっぱいに詰まった日本人のもの思いを考えて、胸がつまるような気がするのです。

餃子

中国のひとが普通にレストランで「焼き餃子」を食べるのは最近のことであるらしい。たとえばオークランドで観察していると東北地方系の店は、伝統的な、皮の厚い、水餃子と蒸し餃子が中心で、20個でNZ$6(400円)ちゅう感じです。
具は、本来は野菜が中心だそーだが、「それはむかしはビンボだったからだよ」だとかで、キャベツとか、野菜ばっかしの餃子は徐々に、というのは世代が若くなるにつれて、廃れていっていまは豚肉が多い餃子がやはり人気がある。
上海人のにーちゃんに訊くと、「でも豚はさー、殺すときに『血抜き』しないと不味いんだけど、ニュージーランドでは、そういう屠殺の仕方が残酷だから違法だとかで、ダメなんです」という。だから、いまいちである。
ニンニクとかいれてごまかすっきゃない。

薄皮の焼き餃子は最近の中華料理の流行で、家から比較的近い、というか行きやすい
「グランドパークレストラン」ちゅうような店
http://www.grandparkrestaurant.co.nz/
に行くと、飲茶の時間に「4個NZ$5.5」でメニューにあります。
5.5ドルは、380円ちゅうような値段なので、よく考えてみると、ニュージーランドでは無茶苦茶(高額)な値段である。
スタイリッシュな食べ物のよーだ。
新しいメニューの扱いのにおいがする。
どーも伝統的な「餃子」とは別のものであると意識されているよーで、わしが最前から中華料理店の「焼き餃子」は日本からギッてきたレシピに違いないと考えるのは、主にそーゆーことによっている。

因みに、「薄皮」と書いたが、グランドパークレストランを例にとると、ふたりいるシェフのどちらが作るかによって、形まで違う(^^;)
ひとりは日本の餃子よりも薄い皮をぱりぱりに焼いて、銀座の「天龍」みたいなところよりも十倍おいしい。
もうひとりのシェフは、薄皮シェフと厨房において尖鋭に対立しているもののごとくであって、もっちりとした皮の餃子を少ない油で焼く。
わしは、どっちもうめえだな、と感じるが、日本のひとはなんとゆっても薄皮のパリパリであるのかも知れません。

東北系の店は一般に「餃子20個6ドル」と窓や壁に書いてあって、注文するときにゆでて欲しいか、スープにいれるか、蒸してもらいたいか、あるいは焼いて欲しいか述べることになっているので、「焼き餃子」自体は、そーとーむかしから普及しているものであるよーです。

「日本では、焼き餃子は残り物とかをそうやって食べるのであって、中国には焼き餃子はないと聞いたけど」とゆってみると、あんまし英語がわからないおばちゃんが、首を傾けて、「それはヘンな話だのお」とゆっているので、もしかすると、戦争前とかの「おおむかしの話」が、東北地帯、満州ではなくても、たとえば北西の張家口のようなところでは日本の勢威がおおきかったので、そういう町での記憶がいまに伝えられているのかもしれません。いつだったかコンピュータ会社に出資してくれと言いに来た福建省のおっちゃんとロス・アンジェルスのディムサム屋で話しているとき、北のほうの饅頭ってなんにもいれないものなんでしょう?と聞いたら、「いれたくても、むかしはなかの餡をつくるカネないよ」とゆってニッカリ笑ったりする。
なんだか、そーゆー、いろいろな、あんまり追及して考えないほうがよいような理由があるもののよーでした。

わしが初めて日本以外の町で日本風「焼き餃子」を見たのはシンガポールの台湾料理屋だったが、最近ではマンハッタンでも、あそこにもここにもあって、
むかしチェルシーのわしボロアパートのテーブルの椅子に腰掛けてブログに書いた
「老山東鍋」の1ドルで5つ皿に載ってくる焼き餃子は、わしの好物だった。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2008/09/26/太陽が昇るとき%E3%80%80%E3%80%80wish-you-were-here/

http://gamayauber1001.wordpress.com/2008/05/17/食物図鑑%E3%80%80その4%E3%80%80マンハッタン篇/

たいして中華料理が好きでないわしが餃子ばかりはよく食べるが、それは淵源をさかのぼって考えると「ドラゴンボール」の記憶によっているらしい(^^)

むかしむかしオークランドのドミニオン通りで、英語が「水」さえ通じないレストランで、
ダンダンミー(担々麺)を頼んで、それだけでは足りるわけはないので、ダンプリンを頼もうと思ったら、これが全然通じない。
困ったなあ、英語わかるひと誰かいないかしら、と見渡しても誰もいないので、わしの後ろに延々と列をなしている中国人たちも、みな、ニコニコしていて、しかし、さっぱりわからねえ、という顔でわしをみつめているだけである。
ドラゴンボールを思い出して、あっ、チャオズ!と思って、「チャオズ、プリーズ」というと、あれこれ推測してもわからないので困じはてていた店の主人の顔が、パッと明るくなって、「チャオズ!チャオズ!」「オー、チャオズ!」という。
後ろの列からも「なんちゃらかんちゃら、チャオズ!」という笑い声がしている。
拍手が起きそうな雰囲気であった。

義理叔父は銀座の「天龍」という店が好きだが、わしはMSGで頭痛を起こすので、ダメであった。ほかにも義理叔父には好きな餃子屋がいくつかあって、神保町にお供させられると、ほとんど必ず「スヰートポーヅ」
http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000637/
という店に行く。
行くとふたりでわしは「大皿」義理叔父は「大皿ライス」を食べたものだった。
味噌汁は義理叔父がわしから取り上げてひとりでふたつ飲みます(^^;)

義理叔父は若いころには、この「スヰートポーヅ」から近い「北京亭」にもよく行ったそうで、まだまだ中国人と言えば「チャンコロ」とヘーキで口にする日本の社会の時代空気のなかで昂然と周恩来の肖像を掲げ、箸袋をみれば「シナは中華人民共和国の蔑称です」と印刷してある、その親父さんの心意気と、いやしい叔父のことなので、もちろん餃子がうまいのもすっかり気に入って、古本屋に行けば必ず、まだその頃は「モーツアルト」と呼んだ「李白」珈琲店とともに、寄って時間を過ごしたものだそーだった。

餃子のような食べ物には、誰でもが、たくさんの思い出をもっている。
それは中国東北でのようなそれだけを大量に食べる「主食」(主食、という思想自体は日本だけのものだが)ではなくて、さりとは言えども「おかず」でもありえない「日本の餃子」の不思議な地位のせいでもあるだろう。
餃子が日本中のあちこちで頬張られるようになったのはせいぜい60年代のことで、
それまでは日本の中華料理屋にはシューマイはあっても餃子はなかった。
小津安二郎が贔屓にした銀座の「東興園」もメニューにはシューマイはあるが餃子はないもののよーである。
餃子という、中途半端な、どう食べても満足はあっても充足だけはないよーな、なんだか宙ぶらりんな食べ物が、こちらは堂々たる広東料理のシューマイにかわって、津々浦々にひろがっていったことにも、日本の、ある、外国人にはどうしても釈然としない、「日本的な情緒」があるのではないかと、わしはいつも邪推しています。

追補:

ほんとうはこんな追補は書かないほうがよいのかも知れないが、半島人と日本人の仲の悪さは現今やや険悪になって、オークランドに住むわが友「よん」はふたつの祖国、日本と韓国のあいだにはさまって、忍び難いおもいをしているらしいのがみてとれる。
もう1年もすれば日本人でも韓国人でもない根っからのニュージーランド人になって、
日本人も半島人も中国人も区別がつかないバカタレ揃いのニュージーランド人たちと一緒に夜更けのパブで、キィーウィーらしく、ガハハハ、とバカタレ笑いをして、世の中の森羅万象の悪口を述べて喜ぶのだと思われるが、いまは、たいへんなのだろうと思う。

わしは、日本人のみなが陰険バカなのでないことを、よんに伝えたいと考える。
いま、なぜそう思うか、自分の心を詮索して考えてみると、わしが日本語と関わっているからではなくて、
どちらかと言えば義理叔父や、そのあぶれもの中年ばかりの友達、あるいは、ブログにはちっともでてこない、わしの最大の男友達である従兄弟のためであるよーです。

よん、腐っちゃダメです。
ふたつの「元祖国」がよんのようなひとをこそ必要とする日は、すぐ目の前にある。

餃子にニンニクを切り刻んで過熱する調理のやりかたは、わしが知っているかぎり日本にいた「在日朝鮮人」の発明であるが、
その「ニンニクの臭い」で、半島人は、もうひとつ、些細だが棘のように突き刺さる苦労をしょいこむことになった。
岩田宏が、そのことについて詩を書いて述べているので、日本人の気持ちを代弁して、代弁するのは無理だから類推して、「よん」に、この詩を送っておきます
「住所とギョウザ」という詩である。
日本人の全部がまるごと陰湿なわけではない。

 
  大森区馬込町東4の30
  大森区馬込町東4の30
  二度でも三度でも
  腕章はめたおとなに答えた
  迷子のおれ
  ちっちゃなつぶ
  夕日が消えるすこし前に
  坂の下からななめに
  リイ君がのぼってきた
  おれは上から降りて行った
  ほそい目で はずかしそうに笑うから
  おれはリイ君が好きだった
  リイ君はおれが好きだったか
  夕日が消えたたそがれのなかで
  おれたちは風や帆前船や
  雪の降らない南洋のはなしした
  そしたらみんなが走ってきて
  綿飴のように集まって
  飛行機みたいにみんな叫んだ
  くさい くさい 朝鮮 くさい
  おれすぐリイ君から離れて
  口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
  くさい くさい 朝鮮 くさい
  今それを思い出すたびに
  おれは一皿五十円の
  よなかのギョウザ屋に駈けこんで
  なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
  たべちまうんだ   
  二皿でも三皿でも
  二皿でも三皿でも!

でわ

カレーと偏見

1 

偏見の話をしようと思う。

中国人と日本人がふたり並んでいて、どちらを信用するか、と言われれば10人の英語人のうち10人が「日本人」と答えるだろう。
では中国人と日本人がお互いを嘘つきだと罵りあっているときに英語人がどちらを信じるかと言えば、中国人のほうだと思います。

矛盾しているではないか。
矛盾していますね。
でも、事実においてそーである。
日本人や中国人のことをよくしっている、たとえば特派員、というような世界においては常識と化している。あるいはアメリカ、豪州やNZに住んでいる中国人や日本人に対するイメージは、そーゆーものである。

日本人の議論には特徴があって理屈のうわっつらだけを眺めていると、いかにもほんとうらしくみえるが、仔細に見てみると初めに「相手や出来事に対する感情」があり、それに由来する「事実がこうでないと困る」という気持ちがあって、すべてはそのすでに存在する結論を真実らしくみせるために構築される。

南京虐殺、などがよい例で、話の経緯をしる英語人の一般的な意見は、「中国人の数はオーバーなんだろーが『虐殺がなかった』と主張している日本人のほうは、とんでもないウソつきだ」というところに落ち着くと思います。
自分達が最後にもった軍隊が、集団強姦を働いたり中国人を虐殺したりした、というのは日本人にとってはたいへんなembarrassmentなので、あんなことを言っているのだな、と思っている。
日本のひとは恥ずかしさのあまり、全部なかった、ということにしたいに違いない…だいたい、どの本にも、そう説明されている。

日本の人の意図とは異なって「南京虐殺を巡る論争」は日本人の議論には信頼性など微塵もないことを世界に向かって宣伝してしまった。
自爆、というか、あれ以後は中国のひとびとにとっては、尖閣諸島でもなんでも、日本のほうが正しいんちゃうの?という英語人に会った場合には「南京虐殺の議論を見てみい」という、ただそれだけのひとことですむことになってしまった。
日本人は相手を攻撃するときに巧緻に嘘を組み立てることが上手なのは、あれを見れば判る。そういう民族の議論にも真実が有る、と思うきみはナイーブすぎるのではないか。

言うまでもなく、こういう展開は南京虐殺にとどまらず、日本人全体の言語信頼性に関わることで、わしの立っているところから眺めると、長期的には日本人という民族にとって致命的なダメージを与えてしまっている。
日本人の議論には初めに結論があって、日本人は、その初めから決めてかかっている結論をほんとうらしくみせる詭弁の達人である、という現代日本人の「定評」は、多分永遠にはがれないラベルとなって日本人がいくところにはどこにでもついていくだろうと思います。

ついでに余計なことを述べておくと、では、もともと英語人が南京虐殺をどう思っていたのかというと、それは「だって戦争だからなあー」という感想と思う。
そんなこと言っている人は誰もいなかったぞ、と日本のひとならば言いそうな人がいそうな気がするが、それは当たり前で、中国人に対しても日本人に対しても、考えてみれば、それは述べてはならない感想で、英語人同士でもあまり知らない相手では口にだしてはいいにくい。
しかし英語という言語はあきれるくらい現実主義的な常識に圧倒的に依存している言語なので、「戦争のときって普段の人間とまったく異なってるのはあたりまえじゃん」と一も二もなく思っている。
それとも、きみは、「戦争は絶対に起こしてはならない」というのは、人が死ぬから、殺し合いはいけないから、とかっちゅうマヌケな理由だとでも思っていたのかね?

だから日本の人が訳のわからん英語でやってきて、「イギリス人だっていっぱい虐殺してるではないか」「アメリカ人だって日本兵をいじめたではないか」「コソボでだって、やってるじゃないか」日本人だけではないのだぞ、と言いに来ると、そのあまりの頭の悪さ(ごみん)と問題のとらえかたのセンスのなさに、うんざりしてしまう。
いまはIPバンをかけて東アジアからのアクセスは遮断してると思うが、むかしは、「日本のひと」がくると、一挙に議論の雰囲気が消滅して、荒涼とした攻撃的冷笑的な言語が支配したものだったのをおぼえている。

このブログ記事を書き始めた頃は、社会実験、というか、従兄弟や義理叔父が「こうやってみたらどうか?」「こう書いたら日本の社会の反応がわかりやすいんじゃねーの?」というのでいろいろと実験をした。その実験をそもそも考えついたのは誰で有るかはいわないが、2010年には「ガメ、十分資料があつまったから、もうやめていいぞ」と言い出した。だからほんとうはこのブログ記事の「役目」はそこで終わっているのです。
このそもそも「ちょっとガメひとっぱしり日本語書いてこい」と言い出したひとは炯眼、というか洞察力がありあまっているひとだが、ブログ記事の結果をまとめて、どう思いますか?と訊くと、「日本は、たとえば原発事故のような事故によって滅びるだろう」という、いまから考えると驚くべきことを述べた。
あんまり驚いたので、閉めたブログ記事の表紙のページに、同じことを書いておいたのでおぼえているひともいるはずである。
「でも、事故が起きたら、日本人はアメリカ人なんかよりも迅速に対応して地域を封鎖するのではないでしょうか?」と言うわしに向かって、そのひとは、にっこり笑うと、
「きみが集めた資料によると、日本人は放射能はそれほど危なくない。事故はあったかもしれないが、たいしたものではなかった、といって、逆に対策を立てないで放置するほうを選ぶということになる」という。
そんなバカな、と思ったが、相手はわしが尊敬しているひとなので、何か反論する、というわけにはいかなかった。

そのひとはチェルノブルで起きたさまざまな隠蔽も詳細に説明してくれたが、でもそれはソビエトロシアの体制から生まれたことではないでしょうか、というと、日本には日本の問題があるからね、というような意味のことを言った。

そのときは聞き流してしまったが、あのひとは、いま日本で起きていること、もっといってしまえば、これから起きるであろうことも詳細に知っていたに違いない、と思います。

なんだか他人のブログを肴にするようで気が引けるが、最終弁当さんが、「バターチキン」のことを書いている。
最終弁当さん、というような書き方をしないで、誰のことなのかはっきり言ってくれよ、という人がいるのはわかっているが、あんまりそう他人とべったりするのは好みでない、ということがあるので、判る人が「あー、あのひとのことですね」と判る程度のほうが、わしの好みです。

バターチキン、というのはたとえば、今日はみんなで対スリランカのクリケットマッチをみるべ、というようなときに、では何を食べるかというとインディアンテイクアウェイが手頃でよいであろう、ということになったとする。
ほんじゃ、わし、Chicken Jalfrezi。 おれは、Tikka Saagwala、わたしは、Saag Goshとゆってめいめい注文するときに、ひとりだけインド料理が苦手なスパイスはようわからんし、辛いのは苦手だからなー、というやつが、じゃ、Butter Chickenにするわ、というと、みながドッと笑って、でたあー、バタ・チキン、おまえってほんとうにレッドネックだよなあ、どうしようもないやつ、と冷やかされたりする、という性格のメニューである。
「インド料理が食べられないひとが頼むカレー」というべきか。
しかし一方でインド料理屋のおばちゃんにこっそり訊いてみると、バタチキンはいまでもオークランドでは最も注文が多いカレーだそーである(^^)

最終弁当という人は、佐藤○紀という爆弾みたいなおばちゃんもそうだったが、本質的に誠実な人で、どうも自分には「ほんとうのこと」をいう義務があるのではないか、と信じてしまっているひとである。
わしが大好きな内藤朝雄も同じだが、なんだかみていると「ほんとうのこと」ばかり言っていて、ダイジョーブなんでしょうか、と思ってしまう。
「ほんとうのこと」には身長が155センチの男のひとに「あなたは身長が低い方ですね」とやむをえず述べる事態も必然的に含まれるわけで、人間がとる態度としてたいへん(本人にとっての)危険が多い思います。

「ほんとうのこと」を言う人はみんなそうだが、対象がやってくると、懸命にそれについて考え、本質はなんなのであろうと考え、この文献にはこう書いてあるが、どうもピンとこないな、真相はこうだな、と一歩一歩分析してゆく。

「にんにく、しょうがで下味をつけた鶏肉を、じっくり炒めた玉葱とアーモンドのまろやかな味わいのカレーで楽しむ、英国式のバターチキンカレー」と誰かの本に書いてあるのを読んで、これはバターチキンではないのではないか、チキンティカマサラなんじゃない?というふうに、分析の切れ味も鋭く真相にせまってゆく。

読んでいて、わしは明治時代以来、日本のひとはこうやって西洋の事物を分析し解体し再構成して、(数学でいう)「たしからしいこと」だけに整理していって、日本の世界にとりこんで来たのだなあ、と感銘をうけてしまった。
「重力」ってなんだ?「秘蹟」って、どういうことだ?
「憲法って、どういうものなのだろうか」
民主主義とは何か?
日本のひとは、きっと最終弁当さんがバタチキンを解析総合して概念として精製していったように「西洋」を精製してきたのであって、これからは、まあ、あっさり「誤訳された文化」とかゆっちゃわりーな、と考えた。

この最終弁当さんがいままでに書いてきたものを、オダキン(最近になってネットでしりあった、わしの風変わりなお友達でごんす)の紹介以来、ときどきカウチでころころしながら読むと、例の「おれはおまえよりもものを知っている」人があらわれて、そーゆーまるで英語人のようなことを述べたがるアンポンタンに「ほんとうは英語がわかってないくせに英語の解説をするなんてえらそーに」とかゆわれていて、でたあー、と思って喉にベジチップがつかえてむせたりするが、真実は、このひとはたいへん英語ができるひとです。言語能力に対して「できる」というのはいかにもヘンだが、日本語ではこういう場合、他の言葉がないよーだ。
だからほんとうは、とらちゃん(このひとも、わしの、女のひとだけど横井庄一に顔がそっくりになってしまった、ネット上で知り合った友達である。)が述べていたChicken Tikka Masalaをめぐる事情のようなことも、知っていてわざととぼけているのだろうと思量する。

でも、まあ、向こうは判っていても、わしら(きみとぼくのことね)のほうが感じをつかむために手元にころがっている、ニュージーランドではオークランドでいえば何十軒もある、ふつーのインド料理屋のメニューから説明書きを抜き出すと、

Tikka Masalaは
「Chicken tikka cooked with shredded capsicum, tomato and thick onion sauce」となっていて、
Butter Chickenは、
「Chicken tikka cooked in exotic, spicy creamy tomato flavoured sauce」ということになっている。

このChicken tikka が広東料理で言えば焼き豚みたいなもんっちゅうか、自分の家でつくるのがチョーめんどくさいのに味の大黒柱をなしているところが「ミソ」で、インド料理は外のゴージャスインド料理屋で食べるか、テイクアウェイでとるか、という選択しかないことの理由のひとつになっている。
タンドリがないと、うまくつくれないのです。

最終弁当さんが述べているように、バタチキンは上の
「creamy tomato flavoured sauce」が定義であると感じられる。
実際に注文している人をみると、「食べやすいように、もっとクリームどっちゃりいれてね」というおっちゃんなども散見されるので、バタチキンが英語圏のメニューからなかなか放逐されないのは、この「クリーム」におおきな理由があるのだと思われる。

インド人の料理人のおっさんたちを観察していると、自分が店をひらいた土地の嗜好を考えて、地元の人に食べてもらったりしながら味を変えて材料を変えて、だんだん「うけそうな」料理をつくってゆく。
そのうち、うけたものを鍋のなかにじっと見つめて、「これはなにかなあああー?」と考えて、トマトとオニオンが主体だからTikka Masalaだよね、これ、と名付けたり、
ほうれん草おろしたソースだからSaagwaraだんびな、とか、そーゆー調子で命名をおこなっているもののよーである。

ケララ料理などはレシピが厳格なので、こういう現実主義は通用しないが、ケララ人には「どおっこの世界に、醤油味スープのちゃんぽんがあっとねー!こげんことが、ゆるされっかー!」とゆって激昂するナガサキ人みたいな人が多いので、そーゆー理由もあるのかもしれません。

日本では「これはほんとうのTikka Masalaとはいえない」というような訓詁的な議論がおおいが、とうのインド人のほうはチョーええかげんで、どのくらいええかげんかしりたければ、インド人たちがいっぱいいる、オークランドならサンドリンガムやマウントロスキルにある、地元人に人気のインド料理屋に行ってみるがよい。

人気のあるメニューをちょっと並べてみると、
Chicken Manchurian Cihcken American Chopsuey Fish Manchurian
とゆーよーなのが並んでいて、
特にこの Manchurian(満州風)というのが北インド人たちのお気に入りなのです。

クミン、ターメリック、コリアンダーにヨーグルトやなんかがつきものの、この「インド風中華料理」はおいしいのでわしも好きだが、ときどき中国人の友達を(インド人と中国人のあいだの政治・社会問題についての会話を観察したいという下心で)つれてゆくと、
顔をひきつらせながら微笑して、「中国にはない、珍味ですね。感心します」とかゆって、必死、かろうじて礼儀正しくしておる(^^)

「江戸前の照り焼きチキン・アボカド巻」を渡された日本人の心境なのでしょう。

日本のカレーは、連合王国海軍水兵食由来だというが、当の連合王国には80年代くらいからインド料理が普及しはじめたのに比して、明治時代の終わりにはすでにメニューとして定着していた。たとえば日本橋の「たいめいけん」のカレーはその頃のもので、それよりも「凝った」カレーは、新宿中村屋の主人に日本を根拠地に連合王国からの独立を画策していたインドの英雄チャンドラ・ボース 
http://en.wikipedia.org/wiki/Subhas_Chandra_Bose
がレシピを伝えたのが元だという。

マジなインド料理屋で食べたインド料理のなかで最も日本のカレー乃至欧風カレーに味が似ていたのは、チキンティカマサラであるよりもKnightsbridgeのアマヤ 
http://www.urbanpath.com/london/indian/amaya.htm
で食べたラムの腎臓を細かく切ったのを隠し味にいれたカレーだった。
いまみるとメニューにはそう書いてないが、ウエイターは「カレー・ポリッジ」と呼んでいたのをおぼえている。

麹町の「アジャンタ」はインド式のカレーということになっているが、たとえば「ライス」だけは、とうの昔から「お客さんの強い希望」で日本のジャポニカ米に変えている。
「ライス」と「ご飯」を洋食か和食かでつかいわける、日本人の「ご飯」にかける執念に似た愛着を知っていたからでしょう。

日本人固有の食べ物概念として「主食」「おかず」という風変わりな考えがあるが、おもえばカレーライスは、そういう概念の図式からちょっとだけピンボケで、カレーらしいというか、少しだけ外国風な日本食であるところが面白い。

最終弁当さんのバターチキンの話を何度か読み返しながら、日本のひとが歩いてきた遠い道のりのことを考えて、なんだか、ぼんやりした気持ちになった午後でした。

アルコールに名をかりて

あんたのブログを読んでいると、酒ばかり飲んでいるではないか、という人がいるが、ひと聞きの悪いことをゆってはいけません。
第一、わしは酒はぜんぜん飲まないので、飲んでいるのはシャンパンやワインがほとんどである。
ときどき、スコットランドやアイルランドの蒸留酒を飲む。
酒は、日本にいるときはお燗なら樽菊正宗、冷たければ立山、八海山(高いほうね)、寒竹、というようなのが好きだったが、福島事故が起きて以来、放射脳なので飲んでおらん。

ドライシェリーのおいしい奴は、日本酒に似ているのは有名で、もっと言うとドライシェリーや酒でなくても、おいしい酒はだんだん味が水に似てくる。
スコットランドの酒屋がよそ者に土産に買っていったりするような狼藉を働かせないためにカウンタの下に隠して売っているような地ウイスキーなどは、一口くちにふくむと、冗談でも表現でもなくて、岩山をしみわたってきた清冽な水の王様のような味がします。
そういうウイスキーを水で何かで割って飲むバカモノはいないが、ウイスキーを何かとまぜてのむのは、常に水がもっともよいのは、もともと水とウイスキーは味が同じだからだとゆってもよいかもしれません。

人間の生活のなかには、さまざまな飲み物があって、それが生活を楽しくする。
いまちょっと考えてみるだけでも冷凍庫にはリモンチェロとヴォッカが寝転がって出番を待っている。このふたつは、冷凍庫のなかでも最も気温が低い部屋に寝そべっていて、
ひっぱりだして、グラスに注ぐと、とろおおおおおりと、満ちて、暑い夏の日にはまことに清涼である。

イタリアの田舎町のバールで遊んでいると、専業主婦然としたおばちゃんが買い物籠をコロコロと転がしながらはいってきて、リキュールを、あるいは、グラッパを、ぐいっと一杯ひっかけてゆく。
か、かっこいいのおー、と考えて、みているほうは痺れてしまう。
イタリアやスペインには「文明の深さ」という点で、どーしても敵いませんね、と思うのはそーゆーときである。

義理叔父は、自分の中学高校があった駅の脇に、外からは店内がみえない聖心インタースクールの女の子達のたまり場があって、制服のまま、談笑しながら女の子たちがウイスキーをストレートで、くいっくいっと開けて、また笑いあいながら出てゆくのを見てカンドーしたそーである。
かーちゃんシスターが、義理叔父は実はそのあと、その「くいっ」を真似して、こと志と異なって、あっさり気絶したのだと内緒で教えてくれたが、気の毒なのでここには書かない。

ニュージーランドにはフランスのものくらいしかないが、大陸欧州には黄色や緑色のハーブリキュールがいろいろあって、わしは、これも好きである。
カバとパンアムトマカにハモンイベリコではじまって、テンプラニーニョに乗り換え、チョウチンアンコウのステーキやアロスやフィデオスの様々な料理をたらふく食べて、
にこにこの3乗になる天上に最も近いランチのひとときは、バルセロナの一日のハイライトであると言える。
そのあと、友達たちが帰ったあと、まだ少し余韻を楽しむためにテーブルでのんびりくつろぐモニとわしに、店がだしてくれるのがハーブリキュールであって、世の中にこれほどうまい飲み物はない。

アメリカにはまともな食習慣というものがなくて、マンハッタンでいっちばんカッコイイということになっているイタリア料理屋に行くと、ビートルズがかかっていたりして、なにを考えとるんじゃ、このボケが、と考えるが、しかしどのレストランにもあるバーにはカクテルがあって、このカクテルこそはアメリカで最もうまい飲み物である。
たとえばわしは「反乱軍兵士」というカクテルが好きだが、ドライマティニはロンドンのジェームスストリートのおやじが上手につくれても、こういう新しいカクテルはどうしてもマンハッタンのバーに限るよーだ。

前に書いたロングフェローの詩にちなんだ名前のバーとは、実は
「One if by Land, Two if by Sea」という名前のヴィレッジのレストランのバーのことだが、

http://www.nytimes.com/restaurants/1002207991656/one-if-by-land-two-if-by-sea/details.html

名前で直感できるように新しいカクテルは少なくても、言わば「実直」なカクテルで、やはり、これも幸せになってしまう。

冬には、やはりビールがよい。
大学町のパブで、1パイントのビールを買って、冷たい外の風にあたりながら、ちびりちびりと飲むスタウトは最高である。
ネクタイを締め、薄手のセーターを着て、おおまじめにジャケットまで着込んでいるお互いのマヌケな姿を眺めながら、友人達とわしとは、何度、議論したことだろう。

モニとわしは大雪が降る日に金沢の町にでかけて、日本式の旅館に宿泊して、障子を開けた向こう側に広がる雪の町並みを眺めながら熱燗の日本酒を飲むのが夢であった。
軽井沢の山の家からクルマででかけると富山までは行くが、そこから西はメンドクサクなって、ついさぼっているうちに、福島の事故が起きて、いけないことになってしまった。
羽田から飛行機で行けばよかった、と思うが、もう後の祭りである。

いつか、モニと日本にでかけて、一面の雪景色に息をのみながら、日本酒をくみかわす機会がくるだろうか、と考えると、なんだか、胸に直截酔いがとびこんで寂寥をひきおこしているような、切ない感じがする。
きっと、もう行けないよね、というモニの声を聴きながら、いまは瓦礫をばらまいたりしてるけど、そのうちには…と言えない自分を発見して、呆然としてしまうのです。

ワインの香り

いまの世界で最もワインに詳しいのは香港を始め中国沿岸部大都市の成金だろうと思われる。
「ワインクラブ」というようなものが各地にあって、該博な知識をもつソムリエが常駐し、成金おっちゃんたちがクラブにやってきてはワインについての蘊蓄を傾け合う。
考えるだけで血湧き肉躍る光景ではある。
血が沸きすぎて脳溢血で倒れる欧州人もいそーな気がする。

クライストチャーチに初めて「本格輸入専門ワイン店」が出来たときの惨状は目もあてられないものがあった。
わしの好きなワインもあるよーだ、と人に聞いたので、どれどれ、と思って出かけていったのだが、そこには例の蘊蓄族というオバカなおっちゃんたちが山のようにいて、アクセントまで普段は使い慣れない上品風アクセントになって、プラムを口に含んだまま話すひとのように薄気味わるい話し方で、ノーズがどーだ、色がどーだ、カシスはうんたらだと述べくるっているのであって、後ろでオカンジョーのために立って待っていたので延々と続く蘊蓄を聞かされていたわしは、おっさん、あんたが手にもっている、そのボルドーでどたまかちわったろかと、もの静かに考えたりしていたものだった。

物語の多重性、という欧州ではむかし流行った物語のつくりかたがあるが、あーゆーにっちゃらねっちゃらした田舎者ぽい文学とワイン衒学と紅茶蘊蓄には共通したやりきれなさがある。
ロンドンの「上流」ガキが、ワインなんか知るかよ、になって週末がくるたびにヴォッカをいれすぎたカクテルを鯨飲して「愛してるっていってるだろが、こんにゃろ」というよーな激しく文学的な歌詞の曲の強烈な音のなかで踊り狂うことには、そーゆー背景もあるよーだ。

ワインの飲み方、というものには、明らかにお国柄というものがある。
フランス人は意外にいまでもちゃんとしている。
ちゃんとしている、というのは、「適正なワイン」という規範を頑として譲らない人が多い、という意味で、魚料理に赤ワインを頼むと、それが酸味のある軽ううーいピノでも「ほんとうか?ほんとーに、それでいいのか?」と聞かれるであろう。
注文を確かめて、二三歩行きかけてから、踵を返して、テーブルにもどってきて、
「ねえー、やっぱりやめようよ。白にしない?」と言いにくるかもしれません。
夏の午後、ざっかけない店の、通りに出たテラスで友達とのんびり話すには、やはり冷たく冷えたロゼでなければならないし、わしがブルーチーズと書いてマココトという人に怒られたロックフォールのソースをかけて食べるステーキにはシラーくらいの強いワインでないと、もしかすると店の人は二度とテーブルに戻ってきてくれないかもしれぬ。
日本では魚には白ワイン肉には赤ワインと決まったものではなくて、そんなものは迷信みたいなものであるという意見がたくさんあったが、魚を食べるのに赤ワインを頼むのは、わしにはかなり勇気が必要なことであると思われる。どういう種類の勇気かというと「通人ぶっている」と譏りを受けてもへーきだもんね、という勇気であって、かなりコンジョがいるもののよーである。
フランス人は、そーゆーくたびれることをするほど物好きにはなれないのだ、とゆえるかもしれません。

フランスという国のオモロイところは、ド田舎の国道沿いの、長距離トラック運転手が充満しているよーな店のランチ定食でも、ちゃんとフランス料理の基本文法のようなものが守られることで、魚料理は予算の都合で端折られても、食前酒はオプションとしてあり、前菜は断固として供され、たいてい棚にずらりと並んだディジョンマスタードで食べるステーキがあり、大皿に盛られて自分で選ぶ盛大な量のチーズがあらわれ、デザートもまた断固としてテーブルにあらわれ、ディジェスティフをちびちびやって、珈琲にたどりつく。
「様式」というものを未だに骨身にからめて偏愛しているのです。

これがバルセロナになるとチョーええかげんもいいところで、グラシアの裏通りには、わしの大好きな料理屋がたくさんあるが、比較的最近できた高級なレストランは、フレンチっぽい味付けがケーハクになっていなくて、わしは好きである。
大陸欧州というところは外見で社会的地位が判断しやすいというか社会的地位が判断しやすいように外見を繕うということになっているというかなので、一見いかにも大学教授ふうの、というのはつまり大学教授に決まっているが、歴史の本をうんとこさ抱えた、いかにも上流階級のジョーヒンでかっこええおっちゃんがやってきてひとりでテーブルにつく。
ウエイターがテーブルにメニューを置きに来ると
「とりあえず、ビール」という(^^;)
まるで新橋の一杯飲み屋に来て、おしぼりの袋をパンッと割る日本のサラリーマンみたいです。

それから、チョウチンアンコウのステーキやなんかを頼んで、テンプラニーニョを飲みながら食べておる。
バルセロナ人は、好きなもの飲めばいーじゃん、というフランス人とはまるで反対の立場であって、これはとーぜんながらマジなシェフの神経を逆なでする態度なので、この頃はメニューの料理のあとに「これ以外のワインは出せません」という風情で、ワインが「指定」してあるレストランもたくさんあります(^^)
よっぽど、頭にきているものだと思われる。
該当方式をとっているレストランのひとつは、OOMというホテルにある、とゆえば「ははあーん、あそこか」と思い至るひともたくさんいるだろーが、あれはもちろん有名なレストランで、もっと言うと横にあるろくでもない飲み物しかない妙にだだっぴろくてスカなバーは、バルセロナの上流ぼっちゃんがよくでかけるナンパ社交場のひとつでごんす。
よおく観察していると、暗がりに沈んだ席で、へろい顔をしたにーちゃんがすげー美人のねーちゃんに平手打ちをくらったりしていて、なかなかオモロイ場所である。

OOMのレストランでは日本のひとは皮肉ではなくてお行儀がいいので、ちゃんと指定されたとおりにワインを頼んでゆく。
イギリス人たちは「この通りに頼まないといけないんですか?」と訊ねている。
バルセロナ人たちは、というかスペイン人たちは、あっさり指示を無視して自分が飲みたいワインを頼んでおる(^^)

スペインの支配層の、日本やアメリカの政府には思いもよらない苦労が忍ばれるようなコーケイである。

わしがワインとひととの付き合いを見ていて、このくらいがいちばんいいかもな、と思うのは実はアメリカ人たちであって、こういうと大陸欧州人は卒倒するだろーが、ほんとうなのだから仕方がない。

程度がちょうどいい、というか、ワインが好きなひとは熱狂的に好きだが、クライストチャーチのトンマなおっさんたちのように知識をひけらかしたいのでもなく、ただワインという飲み物が好きなひとが多くて、これはしかも東海岸よりも西海岸のほうが「まともなワイン愛好者」が多いよーだ。

ニュージーランドもワイン立国で、天候がもともとSauvignon Blanc作りにむいていたマルボロ地方のクラウディベイワイン
http://www.cloudybay.co.nz/Mainpage
くらいを皮切りに、世界中にワインを輸出するようになった。
どの程度のワインかというと、いまは死んだフランス人の天才醸造家が
「ニュージーランドの白は疑いようもなく世界最高だ。世界中で、どの国のワインが最もよく出来ているか、と訊かれれば、私は迷うことなくニュージーランドワイン、と答えるだろう」という意味のことを述べたあとに、激情に駆られた人の述べ方で要約した言い方をすれば「だが、ニュージーランドのワインには魂がない。ワインには最も重要な魂が完全に抜け落ちてしまっている」と言っていたのを憶えているが、まことにその通りで、的確な表現と思う。

カタロニアの夏の重要な楽しみのひとつはコルクの木の林をぬけて、村から村をたどる、中世の商人が歩いた小径を散歩することだが、そういう小さな村のひとつひとつにも素晴らしいチビ料理屋があって、店の前にひとつしかない外に出たテーブルに腰掛けると、ワインに「魂」を与えている風土が生みだしているオリブや白アンチョビ、ハモンや豚の頬肉が次々と出てくる。
テーブルを、ゆっくり、どしんどしんと叩きながら話すおっさんや、キマジメな顔で、皿の上の牛の内臓の料理を切り刻んでいる女びとがいる。
そのテーブルに載っているのは、どうしてもビールではなくて、ワインでなければならないのが、見ていて簡単に判ります。

あるいは雄大な角の鹿たちが横切ってゆく道路を、夕暮れ、湖の畔にあるレストランめざしてクルマを走らせて、ようやく間に合った夕陽を眺めながら、果物のスープに始まる料理に、きゃっきゃっと喜ぶパリ郊外の週末は、店の人間と額を寄せて話し合って選んだ赤白のワインでなければどうしても収まりがつかない。

もう言い古された言葉だが、ワインはその国の自然や文化の抜き差しならない一部で、そこから一本だけワインを無理矢理ひっこ抜いて、どっかの国に輸出したからといって、本来は、どーにもなるもんではない。
もともとがアングロサクソン文化の国であるアメリカやオーストラリア、ニュージーランドのワインが品質は高いのに、なんとなくマヌケな感じがするのは、あながち偏見だけとは言えないもののよーである。

そーではあるが、

夏の爽快な太陽に照らされて、緑色に眩しく反射する、広々とした芝生を眺めながら、いろいろなソースの小皿と一緒に盛られた生の夏牡蠣の大皿や、酢とライムで食べる牡蠣の天ぷら、自家製マヨネーズで食べる牡蠣フライの皿が並ぶテーブルで、のおんびりSauvignon Blancを飲む、というようなのがニュージーランド人の典型的な夏の午後の過ごし方であると思われる。
最大の大気の汚染源が牛のおならであって、おなら対策をしなくていーのか、と国会で論戦になる、なあーんとなくおとぎ話めいた国の空はどこまでも抜けるように青くて、いまの世界で、夜には天の川が見えるアホな都会は、オークランドくらいのものでしょう。

ワインという飲み物を味わう(というのは嫌な言葉だが、ほかにおもいつかないので仕方がない)のに、もっとも必要なものは「あまった時間」、ワインの味と香りだけに自然と心が向かってゆく、ゆるやかな傾斜のある無為の時間であったことを思い出して、そうやって考えると、ニュージーランドという国も、ワインにとって、それほど悪い国ではなかるべし、ワインからごっそり抜けおちた魂も、こうやってのんびりしているうちに戻ってくるさ、と思うのです。

(画像はカタロニアのコルクの木、商人道はコルク林を多く抜けていく。森から抜けると、向こう側には1000年前と同じ建物の村がみえたりして中世にタイムスリップした錯覚が起こることがよくあります)

ピザっ!


「冷えたピザが好きですねん」というとぎょっとした顔をする人がいるが、わしは好物です。
おいしいのよ。
現にいまこうやって書いているときも昨日ツイッタでだらしなくだべっておったら日本では同じものが3100円すると判明した300円のドミノスのピザを食べておる。
朝ご飯です。

ピザ、というものはわしにとってはどういう食べ物であったかというと、子供の時でいうと二ヶ月に一回くらい食べてもいいことになっている「悪い食べ物」「いけないもの」「禁断の果実」だった。
よーし、今日はプロジェクタのスクリーンを下ろして、本格的に怖い映画みるぞお、ポルターガイストでひいひい泣いてくれるわ、というような場合、妹とわしは、じっとかーちゃんの様子をうかがう。
ふたりでこそこそ相談する。
おもいきって訊いてみよう、と衆議一決すると、
たいていは妹が大使として派遣されて、
「ピザを食べてもいいですか?」と訊く。
妹が、それで一生の楽(らく)をつくっている、内面とは何のゆかりもない、わが妹ながら純真無垢な感じがする、天使のような笑顔を浮かべてもどってくると、わしも一緒に「いええええーい」
「極悪ピザ、ばんざあーい」と歓喜する。
カウチの上で跳ねます。

普段はコカコーラなど飲んだら座敷牢にいれられてしまうが、ピザを食べるときだけは飲んでもいいことになっていた。

イタリアはマジなピザがうまい国で、あたりまえだが、ドミノスとは違う食べ物です。
マルガリータ。
日本でもおいしいところがたくさんあるが、イタリアは、桁がふたつくらい違ってうまい。
都会の料理屋ではいちばん安い食べ物でもあって、テーブルとテーブルがものすごく近い、ガイドブックに載らない、でも町では有名な「おいしいピザ屋」で6ユーロ(630円)くらいと思う。
もちろんソースによるがパスタの半分くらいの値段。

わしが大好きな某村のピザ屋は、バジルもトマトも庭でとれたものを使う。
頼めばピザの上にのっけてくれる卵も裏庭で猫といつもにらみあいを続けている鶏一家のものである。
ソーセージも何もそういう調子の地元のものなので、ものすごくうまい。

イタリア人は食べ物に対する考え方が日本人とよく似ているところがある。
素材が新鮮でうまければ、それがいっちゃんいーだろー、という考えがそれで、イノシシのステーキでも仔牛でも、オリーブオイルで焼いてそれだけで食べさせたりするのが、うまい。
ピザも、同じ思想に拠っているもののようであって、だから、シンプルなマルガリータがひどくおいしいのだと思われる。

パスタは「アルデンテ」という考えがないので無茶苦茶まずいが、ピザはスペインもうまい。ツナとかタコとか訳のわからねーものが載ってるピザが特にうまいよーだ。

わしのバルセロナのアパートのすぐそばには、途方もなくうまい「スペイン式ピザ」の店があって、この店はたいへん有害である。
バルセロナにはカタロニアやスペインの他の地方のおいしい店が、これでもかこれでもかとあるのに、食べ物を考えるのがメンドクサイと、ついそこのクソうまいヘンタイピザを食べてしまう。

いつもひとが行列しているが、さばくのが速いので、そんなに待つわけではない。
食べ物のために行列するのが嫌いなわしでも、並ぶのが嫌ではありません。

便宜上、「並ぶ」と書いたが、実はスペイン人は並ばない。
なんだか、ぐじゃっ、とひとがいるだけだが、それがスペイン式の行列で、誰が誰のあとか客も店も厳密におぼえている。
観光客がそれと気づかず、先に割り込んで注文でもした日には、大顰蹙もいいところであって、店内が阿鼻叫喚の様相を呈する。
えええー、だって、そんなん店のどこにも書いてないからわかんねーじゃん、というひとがいそうな気がするが、目の前のひとびとを30秒も観察すれば頭が鶏でもわかることで、そういうことを当然と納得することを「文明」といいます。
「並んで下さい」というような張り紙は、したがって、その社会には文明が存在しないことを示している。

イタリア料理にマルガリータがあって、ピザハットにグリージイでべったべったな肉肉したピザがあるのだから、そのあいだには両者をまたぐミッシングリンクがあるのであろう、と考えるのがおとなの分別というものだが、実際、ミッシングリンクは現存していて、その店はブルックリンにある。
名前をど忘れしちったが、マンハッタンからブルックリン橋をぶらぶら歩いて行って、下りてすぐのところにある。
店の壁に、「アメリカピザ発祥の店」と麗々しく書いてある。
フランク・シナトラやマリリン・モンローがこっちをむいてニッカリ笑っている写真が飾ってあります。
えっ?おれの本に書いてある発祥と違うって?
そ。わしも他の店で、「元祖アメリカンピザ」って書いてあるの見たことあるけどね。
上野のぽんたのとんかつのようなものである、と思って、そーか、いろいろな元祖があるのだな、と納得するのが成熟して温和なオトナの態度というものであると思われる。

マンハッタンを歩いていると、どこにでもここにでもピザ屋がある。
1ドルピザのチェーンもあれば、一枚が30ドルというようなクソ高い犯罪的な値段の「高級ピザ屋」もある。
わしはマンハッタンのアパートにいるときは、BleeckerのJohn’s Pizzeria

http://www.yelp.com/biz/johns-pizzeria-new-york-4
という店まで歩いて行ってテークアウェイのピザをもって帰ってくるが、この店も豪勢な支店をだしたりして、崩壊の日が近いので、来年もどったときには違う店にいくことになるだろーか、と思う。


第一、特殊寿状況によって状況が変化したので、このブログ記事をずっと読んでくれている人にはお馴染みのビレッジのボロアパートではなくて、Upper East Sideにあるモニの大豪華高級骨董品大盛りの、ゴージャスアパートメントになってしまうかもしれぬ。
悲しいが、齢をかさねるというものは、そーゆーものであって、オカネモチになってゆくのに反比例してコーフンとスリルは去ってゆくもののようである。

フィレンツェというような町では、幸福な若いカップルを見るには、週末の夜、川を越えた下町の、いくつかある地元のひとびとに人気のあるピザ屋を覗いてみるとよい。
6ユーロのピザをあいだにはさんで、おでこがくっつきそうなほど顔を近付けあって若い、オカネのなさそーな、無茶苦茶幸せそうなカップルがたくさんいる。
トスカナのあの無茶苦茶うらやましいB.Y.O.、近所のワイン屋から空き瓶をもっていっていろいろなヴィンヤードから来ている樽から注いでもらう、若いけど素性のよいワインをもってきて、テーブルの上においてあります。
どちらのアパートに一緒に住むか、相談している。
浮いたお金を貯金しようね、と女の子がささやいている。
子供もつくれたらいいね。
幸福に暮らすのにオカネなんか、そんなにいらないよね。
健康で、毎日が楽しければ、それでいいみたい。

モニを待っているテーブルで知らん顔をして半分くらいしか判らないイタリア語を頭のなかで明滅させているわしは、なにがなし、ほろりとしてしまう。
健康に悪くても、やっぱりピザはいいな、とわけのわからないことを考えて納得するのです。

(いま見ると、他の写真を撮ったりしたらオオバカモノの暗黙の約契があったりする料理屋と違ってピザ屋などは気楽なものなので、ピザは大量に写真がある。ほんで、少しおおめに写真をのっけることにしました。
1番目の写真は「ピデ」という名前のトルコのピザ。奥のおっちゃんはピザを切っているが神速でごんす。

2番目が、前にも載っけたことがあるよーな気がするが、文中にある「わしの好きなピザ屋(イタリア某村)のきのこのピザ。
3番目のナイフとフォークにはさまれてるのがバルセロナのアパートの近くの店のツナピザ、
下がタコのピザ。

わしが愛好するジョンズのピザの箱と中身。
隣のアップルの電源や右上のボールポイントペンと較べるといかに巨大か判るであろう。
アメリカのピザは一般に欧州のものに較べるとバカでかい。

その下にずらずらずらと、7枚並んでいる一番上はバルセロナのわし近所カマンベール。
2番目はコモ湖でわしがいちばん好きなピザ屋のピザ。
このチビトマトが味が濃くて甘くて、すごおおおくおいしいんでごんす。
次はミッドタウンでときどき行くピザ店のランチピザだな、これは。
次はチェルシーのマフィアがやっている噂がある店。
あんましおいしくない。
その下の右側が焦げてるのは、わしがよく作るピザ。
下のドウは、インドのロティを使うのね。
次に二枚はカタロニア式のピザで、初めのはフィグ(日本語ど忘れ)とラム、次のがアンチョビとトマト。
小さくてうまいんでがす。
郷土料理屋に行けばあります。
最後は、わし)
(嘘です)
(あたりまえだがや)

(ツイッタで「食べ物の話書いてみれば」というひとがいたが、食べ物の記事は、このブログの右下の検索で「食物図鑑」と入力すると、ずらずらでるだよ)

多文化な午餐

アジア料理、ということになると、わしはインド料理ばかり食べている。
インドの料理なら一週間毎日食べていても、ぜんぜん、へーき、どころか幸せである。
前世は「新宿中村屋カレー」を発明したラス・ビハリ・ボース
だったのでは、あるまいか。
インド料理、だいすき。
まるでアジアには他に料理がないかのよーです。
態度わるい。
人種差別なのではないか。

次にうまそーだのおー、と思う、というか旨いとおもうアジア料理はインドネシア料理だろーか。
そ。
バナナの葉で鶏を焼いておコゲにするやつね。AyamXX とゆーよーな名前の、大学に近いくらいの通りに分布するレストランがいーよーだ。

純正マレー料理もうめっす。
代表はNasi lemak、
http://en.wikipedia.org/wiki/Nasi_lemak
だのい。
お皿のまわりにカレーとか鶏肉とかかまぼこみたいなんとかがピーナッツさんやなんかとご飯をまんなかに仲良く環になっておる、あれです。

むかし中国人の男たちがマレー半島に爆発的な植民を行った時期、マレー人のお嫁さんをもらって家庭を築く人が多かったが、そのときに出来たニョニャ
http://nyonyafood.rasamalaysia.com/
も、おいしい。
ラクサ、
http://tonyjsp.com/food/yatai/menu-15.html

がいちばん有名ですのい。
オークランドでは、ふつー、「マレーシア料理」というときには、ニョニャ料理を指している。
鯛を(頭を含めて)まるごと極うすい塩味のスープにいれてぐつぐつ煮込んでつくる麺料理は、ニュージーランド人で魚があまり好きでない人も喜んで食べる。
もともと日本で言えば関西風な味付けを好むニューランド人の嗜好にあっているのだと思われる。

結婚する前は、わしは中国料理もよく食べた。
作るのに簡単だからで、中国人の友達に教わった麺料理をよく作って食べました。

中国は麺の種類が頭がくらくらするくらいあるが、本人たちが最も好む、というか頻用するのは「雲呑麺」という名前で売っている、ほっそーいコシが無茶苦茶つよい麺
http://sesameteaeats.blogspot.com/2010/12/chee-kei-chinese-won-ton-noodles-hong.html
で、別に雲呑をいれるスープ麺だけでなくて、いろいろなことに使うもののよーでした。
この麺の特徴は調理に時間がかからないことで、

1 麺を熱湯にくぐらす
2 くぐらした麺をちべたい流水で冷やす
3 もういっかい熱湯をくぐらす

で、出来てしまう。
お湯がわいておれば、1分もかからん。

チャーシューは、町のあちこちにある中国料理屋や中国食料品店で売っているBBQポーク(赤いほうのやつね)を買ってきたやつをいれる。
青梗菜をいれる。
これも、そこいらじゅうで売っている細かく砕いたニンニクを揚げたのをいれます。
スープはチキンストックにニョクナムか醤油をいれてつくっていた。
日本のひとが聞くとスープのところで卒倒するかもしれないが、だって、これで充分おいしいんだもん。

時間があるときは、これに小麦粉をつけてベトナム風にフライヤーで揚げた鶏肉にレモングラスでつくったソースをのっけたのを別皿で用意する。

すげー、うめーんだよ。

最近は、日本食ブームのせいで、中国のひとびとも「日本麺」という名前で売っている、ラーメンの麺でこーゆースープ麺をつくるひとも増えたよーだ。
日本麺、「内緒だけど、日本のラーメンの麺よりうまいんだよ。どーなってるんだ」と
わしに囁いたトーダイおじさんがいたが、中華料理を発明したのは中国人なので、なんとなく当たり前のよーな気がする。
わしから見ると、「中華料理は日本のほうがうまい」という信念のほうが、ヘンなんちゃう?と思わなくもない。

インド人たちは、このところずっと「インド=チャイニーズ」料理
http://www.hotdishes.net/recipes/Indo_Chinese_recipes
に狂っているので、とーぜん、オークランドにもインドチャイニーズのレストランがたくさんあります。
そこまでいかんでも、インド式炒飯は、うまい。
チャーシューの代わりにタンドリチキンがはいっているのね(^^)
すげー辛くて、すげく、うめっす。

世の中がまぜこぜになって、よいことのひとつは、たとえば、あることについてインド人がどう思っているか、というようなことも「その辺のインド人をつかまえて聞けばわかる」という手軽さにある。
アメリカ人もロシア人もインド人も中国人も、手近にたくさんいるわけで、友達の家のパーティやなんかで会うそーゆーひとたちに聞けば、たとえばパンジャビについてどう思っているか、いろいろな意見が直截聞けます。
そーゆーことに較べると些細なことではあるが、食べ物のバラエティが、どどどどおーんと増えて、質が爆裂で向上したのは、たいへんよいことである。

日本にいたことがあるわしとしては、日本で翻訳された食べ物とオリジナルの違いを較べる楽しみもあります。
「肉まん」というのは、日本人の発明であると思い込んでいたら、「菜肉饅頭」とゆって中国人にとっても、ふつーの食べ物なのだった。
ずっと知らなかったのは、中国の人は「肉まん」を揚げて食べるほうが多いからでした。
それを発見したので、ディムサムに行って「 菜肉饅頭を油で揚げないで、蒸して出してくれんかね」と、どっへたな中国語でお願いした(中国料理屋では英語は通じん)ら、ふっかふっかの、むひょお、なおいしい肉まんが出てきて幸せになったりした。

ノースショアに行くと韓国のひとが5万人だか、まとまって住んでいて韓国料理屋がたくさんあります。クイーン通りという観光客で充満したCBDの通りの丘側の端っこにもたくさん店が並んでいるが、ノースショアに散らばってあちこちにある韓国料理屋のほうが全然うまいよーだ。

この頃は、フクシマ以来、なあーんとなく嫌なので、韓国料理屋にもでかけなくなってしまったが、ずっと前に出かけた韓国料理屋には「独島はわれらのものだ!」と書かれた超巨大ポスターが貼られていて、おー、ニュージーランドでもプロモーションしてるんだなあー、すげー、と思って眺めていたら、主人のおっさんがやってきて、きみはこの問題を知っているかね?
という。
しらねー、というと。
日本人がいかに悪逆非道で韓国固有の領土を簒奪しているかについて、滔滔と、半分以上聞き取れない英語で大演説をぶつので疲れた。
ニュージーランド人も一緒に日本人と戦おう、というので、笑ってしまいました。
笑っちゃいけないんだけどね。
でもつい、ふきだしてしまった。
おっちゃんは傷ついたであろう。
ごめんね、おっちゃん。

次に行ったときには、しかし、もうポスターはなかったので、韓国料理屋には結構おおい日本人客が来なくなったのを発見して商売を優先することにしたのだろーか。
経済は健全だのおー、とおもったりしたが、
案外、飽きただけなのかもしれません。

今日はひさしぶりにアジア料理食べにいくべかなあー、と考えていたら、ずるずると食べ物の話に拘泥してしまった。

でも、多文化、おいしーんだよ。
ほんとよ。
アヤム・リチャリチャ。
テンポヤク。
ポヨ。

食物図鑑その10バスク篇

むかしの日本のマンガに出てくる「おフランスの画家」はベレー帽をかぶっているものと相場が決まっていたように見えるが、このベレー帽というオモロイ形の帽子はバスクのものである。
バスクの町に行くと、いまでも通りの至る所にある不思議なくらい座り心地の良いベンチに腰掛けているじーちゃんたちは、みなこの帽子をかぶっている。
フランス人は他にもいろいろなものをバスク人の生活をチラ見して盗んでまねっこしてきたが、その影響は食べ物において最も顕著です。

自分達の伝統料理がどの国からヒントを得てきたか当のフランス人たちはよく知っているので、フランス人はよくバスクにでかける。
バスクの町々がスペインのなかでは比較的にフランス語がよく通じるというのも、そのことの原因であり結果でしょう。

実際バスクは安くておいしい食べ物を食べて安くておいしいワインを飲んでのんびりしたい人にとっては天国のような場所である。
通りごと夢見ているようなバスクの通り

をぶらぶら歩いて行って、そこここにあるピンチョスバーにはいると、カウンターの向こうのにーちゃんたちが「オラッ!」とゆって迎えてくれる。
きみはまずおもむろにアンチョビを注文するであろう。赤みのあるほうが味がきつくて白いほうはやさしい味がする。わしは白いほうのが好きです。


ピンチョスが並ぶカウンタから、いくつか見繕って皿に載せる。

それからワインを選ぶなんてこういう場合仰々しくてメンドクサイので、カウンタのなかのにーちゃんに、ハウスワイン一杯ね、とゆいます。
こういう場合、フランスの町やバルセロナでは、こんな田舎の小さなバーでは小さなワイングラスか、あれはあれで良いものだが、グラシアの町ならコップで出てくるかもしれません。
ところが、バスクでは、大きな、立派なテイスティング・グラスで出てくるのさ。
それがバスク人、というものなのです。
なんでも格好良くないと、つまらん、という気持が町中に漲っておる。
薄汚いものがいっぱいある国のあとだったりすると、スカッとします。

赤ワインを二、三杯飲んで機嫌がよくなったきみは、大通りに足を向ける。
ピンチョスバーは5時くらいから店を開けて客を待っているが、大通りの店がぼつぼつと開き出すのはバスクでは午後8時くらいである。
9時くらいになれば、人が大勢あらわれる。

一見観光客向けのように見えるレストランでもバスクの町では、ちゃんと食べ物をつくり、きちんと選んだ飲み物を出すので、地元の人のほうが多い。
平日は11時をまわると、ほとんど地元の人だけになります。

いまはまだ8時なので、きみは、もう一軒ピンチョスバーに寄っていこうかなあー、と考える。
さっきのバーは威勢の良いにーちゃんたちがやっているモダン・ピンチョスだったので、今度は伝統的なピンチョスがうまい店がいいかしんない、ときみは考える。
そういうときに行くのは、中年の夫婦者がやっている、こういう店よね。

さっきのピンチョスバーでは、にーちゃんたちが話しかけてくるのは、
「ねえ、きみは昨日の晩のイギリス人の女の子たち3人がやっているバンド見に行ったかい? かっこよくて、足から股間まで熱くなっちまうよ。
おれたち、今日も、見に行くのさ」
なんちゅう話だったのが、ここでは、おばちゃんがカウンタから身を乗り出して、
「どうして、銀行はあんなに汚いんだろう。
わたしとあのひとが苦労して手に入れた家を、手放せなんていう。
あんた、信じられるかい?
あんたの国でも、そうかい?」
とシブイしわがれ声で話しかけてくる。
ピンチョス自体もシブイっす。


赤ワインをもう3杯も飲んで、おばちゃんの声につられて奥から出てきたおっちゃんもくわわって、金持ちどもは、つるみやがって、おれたちからカネをむしりやがる、許せないよ、という話を聞き終わった頃には、きみはすっかりお腹が空いて、マジなものを食べなければもたんのお、と考えます。
だから、レストランの通りへと移動する。
そういうときに、豪勢なレストランに行く必要はなくて、ひとりなら20€もだせばワインと水を含めてもおつりがくるようなレストランで十分である。

食前酒は、もう、少し飲んだあとだからとばしてもいいだろう。
バスクの名物、マルミタコ(鰹とじゃがいもとトマトの煮込み)(すげー、うめっす)

をまず頼む。腹がすきまくっているので、
タコやイカや貝がはいりまくったアロス雑炊も頼むであろう。

これ食べないと、わし生きていかれないし。
さっきバスクの地ワイン、チャコリ(すげえー安くて一本3€すなわち330円もしねーのでも無茶苦茶うまい白ワインでがす)を頼んで飲み始めている関係上、きみは魚でいくべ魚で、と決めておる。
バスクに来て、バカラオ(鱈)のピルピルソースを頼まない人はいない。


本気を出して食べまくるきみをひさしぶりに見た、きみの愛しい人は、眼をまるくしながら、テーブルの向こうで帆立貝を食べておる。

ここがフランスならば、ここでチーズが出てくるところであるが、きみはバスクにいるのであって、バスクとゆえどスペインの一部なので、委細かまわず甘いものを。
甘いもののセットがトレイででてきちゃったりして

甘いものを食べ終わると、しつこく繰り返すと、いるところがスペインならば、わしが大好きなHIERBASがある。
ちょうどレモンチェロのように冷凍庫にいれて瓶に霜がついているのを出してくれるはずである。

強い香草の香りがする。
あまりの幸せに泣けてくるようなリキュールです。

そのうちにウエイターおじちゃんがやってきて、「もういいの?
もう、ほんとうに、これ以上いらないの?
じゃ、勘定をもってくるとするか」
なんちゃいます。
きみの、食べたものの割には、間違ってるんちゃうの?と思うほど安くて、全部ひっくるめてふたり分100€いかない勘定は、最後のしめくくるのお菓子と一緒にくる。

あああー、ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ。
書いてても、バスクに戻りてえなあああ。
もうすぐカリフォルニアに行かねばならないが、何が悲しゅうて、あんなド退屈なところに行かねばならんねん。

わしが好きなのは、たとえば、この写真を見よ(^^;)

イギリス人たちのシブイブルースバンドが演奏する午後8時のプラサで最前列に陣取って魂のリズムに身を揺するガキども(^^) 

広場を横切るヘン・パーティ(頭がへんなひとのパーティではない。結婚する女の子が女友達だけで仮装して町を歩いて見知らぬひとびとからの祝福を受ける西洋全体の習慣でごんす)にカメラを向けたら、とんできて、ぶっちゅうーとキスをされてしまったりする、

人間がまだ人間であった頃の趣を残している欧州やオーストラリア・ニュージーランドの町である。

カリフォルニアなんか、いきたくねー。
用事を精密にセットして最短滞在記録を更新してくれるわ。

ビルバオの子犬さまも、わしが欧州を去るので後ろを向いてすねておられる。

やだなあー。
カリフォルニア。
けっ。

食物図鑑_その9_マンハッタン中華篇


何を飲むか、というのはほとんど「何を食べるか」によっている。
それはマナー、とかいうようなものではなくて、あるいはマナーの問題であっても、そんな決まりはクソくらえであって、濃厚でスパイシーなシラズはグラスフェッドのビーフステーキには欠かせないし、生牡蠣を食べるのに赤ワインを飲むバカはいない。
鮨を食べるのに白ワインを飲むひともいるが、「日本の白ワインは鮨とあうものがあるんだよ」なんちゅうひとは、味蕾が国粋主義に傾きすぎているのだとしかおもわれぬ。

逆に、ワインを飲まないガリシア料理とかバスク料理、あるいは北でも南でもフランス料理を想像すると、考えただけで索漠として、そんな食事をするくらいなら、マクドナルドのドライブスルーに並んでフィレオフィッシュをほおばりながら世を儚んだほうがマシである。

だからたとえばスペイン料理を食べれば、どうしてもワインを飲んでしまうであろう。
こういうことを日本語では「不可避」という。

モニさんは、とてもマジメなひとです。
わしのように日曜日の朝に嬉しいことがあったからとゆってチ○チンを振り回して喜んだりしないし、金曜日の夜中の広場で酔っ払って禿げ(スキンヘッド)をからかって、頭をペタペタしたりもしない。

マジメなひとの如実な弊害は、他人がフマジメによって不利益を被ろうとしていると、おまわずマジメにしなさいとゆってしまうことで、そーゆーわけで、わしはときどき酒を飲まない日なり期間なりをつくらされる。
わしの頭は、別に考えなくても、モニが「….しなさい」というと、自動的に聞いてしまうモニATSがついているので、飲むな、とゆわれると飲みません。
ヘーキである。
モニが、今日は飲むのやめよーね、とゆいながら、自分だけシャブリを楽しんでいても(たびたび、あります)別に我慢できなくなったりはしない。

しかしモニのほうでは、わしをかわいそうに思う気持ちがあるよーで、たいていは純粋にモニの思いつきだけで決まる、今日は飲むのやめようね、という日には、中華料理、インド料理、マレーシア料理、中東料理というようなものを食べたい、というようになった。
食べ物に飲み物が随伴していないからです。
わしは、もともと酔っ払いなので、こういう料理のカテゴリで好きなのは連合王国人の国民食であるインド料理だけだが、どーせロクな食べ物がないマンハッタンでは、たとえば中華料理みたいもんでも食べてみよう、ということになった。

四川で大地震が起きて以来、世界中には四川人が現れて、他の地方の中華料理の味からは想像もつかないくらいおいしい料理を饗しているという噂は、わしも聞いていた。
でも、マジメに食べてみるべ、と思ったのは今度が初めてです。
酸辣湯


に始まって、
担々麺


や涼拌麺

に続き、麻婆豆腐



で終わる四川料理を食べにでかけてみると、おもいのほかおいしいので、
酒を飲まない昼食には、結構よく食べにでかけたような気がする。
日本の人がたくさんいる「麻婆豆腐」というミッドタウンの料理屋や
大四川料理、というとぼけた名前の料理屋です。

四川料理に味をしめて、中華街にもでかけた。
「あーのさー、今度はじめて中華料理もおいしいんばあー、と思ったんですけど」と中国人の友人たちに話してみると、みな大喜びで中華街のおいしい店を教えてくれた。
わしが最も気に入ったのは、ラファイエットの料理屋で、ここは味が上品であると思った。おおげさではなくて味が「典雅」で、中華料理にも、こんな味がつくれるのかと驚きました。あくまで軽い、それでいて強い、繊細な味で、いまのシェフは限りなく天才に近い、と考えた。
このひとはサラダをつくるのも天才です。


ディムサムも、だから当然うめっす。


このディムサムソースを見よ

台北の鼎泰豊(ディンタイフォン)よりうまい小籠包をわしは初めて食べた。

うまいうまいばかりではバカみたいだが、このひとがつくるものは、ほんまにうまいのだからやむをえない。
アスパラガスの炒め

インゲンマメと豚の炒め

野菜ときのこのポット

極めつけはチャーハンは、ぶっくらこいちまうくらい上品な味である。
うめっす。

夜、行ったのでいまみたら殆ど何も写ってない北京ダックも極楽どした。

ナスを牡蠣ソースベースのソースで揚げた料理

豚さんをチリソースで炒めたのもおいしい

勢いを駆って、中華街


では有名な香港カフェで広東料理も食べてみた。

無限に種類があるコンジー

豚の中華風ハンバーグ

豚さんの広東風炒め

ディムサムにディムサム


豆腐のステーキ

とだいたい、こんなふうで、マンハッタンにいるあいだは中華料理を見直したつもりだったのだが、欧州に戻ってくると、まったく食べなくなってしまった。
モニの観察によると「マンハッタンはあんまりおいしいものがないから、ガメは中華料理を食べていたのだと思う」ということでした。

ここでも日本料理と同じで醤油みたいなも味のものが苦手なのが災いしているようでした。
四川料理も、いま考えると味が辛さに傾いて深みがなかったようにも思われる。
ブログを読んでくれているひとは知っていると思うが、わしはモニの「健康にもっと注意しましょう」にひきずられてアジア料理を随分ためしているが、
どうも、「のひゃあ、うめえー」と思うものに行き当たらない。
またマンハッタンに戻ったときにでも緊急に発見しなければ、と思っています。