マンハッタン
January 3, 2012

マンハッタンという街は、わしにとっては親しみのある街でチェルシーの南の端にある自分のアパートからヴィレッジ、イーストヴィレッジ、ソーホー、トライベカというようなところには、よく出かけてもいけば持ち主や働く人たちが顔なじみでもある店や場所もたくさんある。
友達の大半は「アップタウン」という名前がついている、わしのアパートよりはずっと北のセントラルパークの東側に住んでいる。
モニさんがもともと住んでいて、いまももっているアパートもそこにあります。
最近こそは流行で、早い話がジェニファー・アニストン
http://en.wikipedia.org/wiki/Jennifer_Aniston
がわしが家のすぐ近所に越してきたりして、なんだかだんだんビミョーな形勢になってきてしまったが、もともとはビンボ人が住むところである、わしのような南のどん詰まりに住んでいる人間は珍しい、とたとえばここにくるひとびとのなかで言えばマルクス博士などはいうであろう。
ダウンタウンとアップタウンでは、生活そのものがまるで違う。
モニのアパートにはドアマンがいて、いつもはぶちひまをこいている運転手のおっさんがいる。中に入ると、上階まで吹き抜けのホールがあって、綺麗なカーブを描いた左右一対の階段があります。
公園の西側に多くある、もっと安いアパートは、値段はわしのチョーボロイアパートと同じくらいか安いくらいだが、敷地に余裕があって、だいたい伝統的には広い中庭を囲んで建っていて、ふたつないしよっつある玄関にはアフリカンアメリカンのおっちゃんが電話機がちょこんと載った小さな机の前で、所在なげに座っている。
住んでいる人の顔と名前を、もちろん憶えていて、朗らかな声で挨拶してくれます。
それはそれでなかなか良いものである。
電話をして店をあけてもらうタイプのモニが好きな店がまわりにたくさんあることを別にすればアップタウンに住んでいてもっとも良いのは、セントラルパークとリンカーンセンターが近いことであると思われる。このふたつに代表される、いろいろな公演があったり大規模な展示があったりする場所(なんと総称するのかわからん)が、だいたい歩いて10分の範囲にあるので、あんまりいろいろなことを考えなくて住むよーだ。モニがわしと結婚する前のモニの生活を考えるというと、まずセントラルパークの東側のアップタウンにはフランス人がごちゃまんと住んでいるので、気楽に遊べる友達に困らなかった。
もともと欧州人が多い地区なんです。
天気がいい日には、たとえば、穏和で成熟したオトナのカッコイイ青年(わしのことね)と待ち合わせて、セントラルパークの、起伏のある、造形が楽しい公園を散歩するだろう。
あるいは女の友達や、いま述べた 穏和で成熟したオトナのカッコイイ青年とリンカーンセンター
http://new.lincolncenter.org/live/
にでかけて、リゴレットやなんかで、questa o quella、楽しい夜をすごすだろう。
超一流のバーやレストランも、歩いていく範囲にいくらでもあります。
ときどきは馴染みのブティックに電話をして、店の主人と自分がデザインしたイヤリングをつくってもらう相談をしたりもするに違いない。
ところで、一方、 穏和で成熟したオトナのカッコイイ青年、すなわちわしのほうは、チェルシーの南端のアパートからセントラルパークまで歩いて行くと1時間弱(^^)かかります。
地下鉄で行くと20分弱だが、生粋のニューヨーカーのひとびととは違って、わしは歩いてゆくほうが好きである。
それも一気に歩いて行くわけではなくて、モニさんとデートするために、あちこち寄りながらおよそ3時間くらいをかけて移動したものだった。
まことにヒマなひとである。
ヒマすぎる。
ニートだもん。
古式ゆたかな日本語でいうと住所不定無職。
こっちのほうが胡乱げでかっけえのに、と思うのはわしだけだろうか。
夏などは赤鬼みたい顔になりながら、セントラルパーク近辺の、相変わらずよく行くのできみには教えてあげない店に着くと、なんだかそのまわりだけ、ソフトフォーカスで、ぼおっ、と明るくなって後光がさしておるようなモニさんが手をふっておる。
そのひらひらとふられている、薄い、指の長い、綺麗なてのひらめざして、わしはデートだあーデートだあー、ぬふふふ、と大股で歩いて行くことになる。
すげー、遠い。
であるから、わしはひとりでリンカーンセンターのオペラやバレエにでかけるときには、行きはタクシーで帰りは歩いて、さっき聴いたばかりの旋律を口ずさみながら帰ることが多かった。この帰り方にもコツがあって、9番街などは初めはひとも少なくて、なかなか具合がよいが、途中からさびれた真っ暗な、しかもくだらない訛りかたの英語を話すアンポンタンが多い地域を通るので、左側に要所要所で方向転換をすることを要する。
逆に6番街やなんかをくだってゆくと途中でタイムズスクエアの大群衆にブロックされるので、やはり難儀である。
だいたい阿弥陀籤みたいなルートが5,6種類生じて、そのどれかで帰ることになります。
雨が降ると地下鉄だが、そーゆーときは帰らない。
帰らなくて、どーするんだ、うそつき、ときみは思うだろーが、帰らなくてもいいのよ。
そーゆーときはモニさんの家に泊まるんだもん。
むふふ。
ダウンタウンのよいところは、テキトーで気楽なところであって、レストランはテーブルが近くて窮屈であり、バーは小さくて肩をおしつけあうようにして、きゃあきゃあと話すことになる。わしは身振りの手の甲で隣にいた、わしと同じくらいでかいおっちゃんを張り倒してしまったことがあります。
おっちゃんは、(あたりまえだが)、おおむくれにむくれて、ぶりぶり怒りまくって、えらいことになったが、神様の気まぐれで、いまは仲の良い友達になってもうた。
一見すると、全日本プロレスの使い古したレスラーみたいなおっちゃんだが、コロンビア大学という、むかしはあまりに大学まわりのセキュリティが悪いので駅から全力疾走で構内に走り込んだという伝説がある大学の先生なのであった。
有名な大学なのにプロレス学科があるのね、きっと。
フライング・エルボー.・キック序説、なんちゅう講義だろーか。
伝承芸として四の字固めもあるかな。
力道山なんだっけ。
力道山が毛沢東と金日成のあいだに産まれた子供だという噂はほんとうか。
白頭山の頂上の石から産まれたんだっけ。
違うか。
英語ではパブクロウリング、という。
マンハッタンでは、バークロウリング、といいます。
ちょっとタパスバーでサングリアを飲んで、1ブロック歩いてゲイカップルでいつも満員の「ヴァイニル」
http://www.vynl-nyc.com/welcome.html
で、冗談がうまいウエイターのにーちゃんに頼んでヴォッカを増やしてもらったバクダンみたいなコクテルを飲む。
そこからまた、ふらふらと歩いて、あちこちのバーへ行きます。
ハドソン川沿いに新しく出来たバーもよいところが多いが、やはりいまでも午前零時をまわれば、ヴィレッジとイーストヴィレッジのぐじゃぐじゃな通りがいちばん楽しいのだと思われる。
そうやってダウンタウンはのおんびりした感じがよいのだが、最近は、どんどん地面の値段があがって、なんだか容赦がない店が増えてきた。
人気のあるミートパッキンディストリクトなどは、ちょっと軽く食べるべし、と思ってノニャ(中国とマレーシアがいりまじった料理のことです)ラクサがおいしーとゆっておったな、という店
http://www.spicemarketnewyork.com/index.php
にはいると、ノニャ・ラクサ22ドル(^^;)
チップを渡すと30ドル弱くらいだろう。
オークランドなら、同じものが7ドルだぞ、こら、と、うんざりしてしまう。
クラブはクラブでミートパッキンディストリクトは金融屋さんみたいなひとびととか、おのぼりさんとか、女の子達を物色して歩いている姿がそのまま緑色に勃起した札束みたいな頭のわるそーなひとびと(一部不適切な表現をお詫び致します)が充満していて、くだらない場所と化してしまっておる。
クラブ、寿命が短いのだよね。
儚い。
週末の午後、モニとふたりでメトロポリタンミュージアムの正面ホールを見渡せるバーで、ポップコーンをかじりながらシャンパンを飲む。
それから、ふたりで、館内をのんびり散歩します。
中東の古代のマスクを指さして、あれは誰それに似ておる、わっはっは、あのデフォルメされた戦士の像はは短足がKにそっくりやん、などと失礼なことを述べながらふらふらする。
義理叔父のアパートがあるグラマシーや、もっと若い人はイーストビレッジに日本のひとはたくさん住んでいるよーだが、マンハッタンの日本のひとはなかなかカッコヨク暮らしているのであって、見ていて気持ちがよい。
友達を見渡しても、たとえば髪結い、髪結いていわねーか、美容師、もへんだな。
ヘアドレッサーか。ヘアドレッサーというような形で直截くちを利く日本人がひとりはいると思う。
9thストリートの2番街と3番街のあいだは、蕎麦屋という名前の蕎麦屋
http://www.yelp.com/biz/soba-ya-new-york
たこやき屋
http://www.yelp.com/biz/otafuku-new-york
はじめ日本料理屋が並んでいる通りがある。
ここには、わしがよく行く店(日本料理ちゃいます)もあって、よく通るが、近くの「一風堂」同様、ひとがいつもたくさんいる。
さっき述べた日本料理屋街とは場所が違うが、「cocoron」
http://www.yelp.com/biz/cocoron-new-york?large_photo=1
という、いっけん、イロモノ風だが、すげーうまいと評判の蕎麦屋もあります。
日本のひとがたくさんいて溶け込んでくらしている街の代表といえばロスアンジェルスだと思うが、マンハッタンでも日本のひとは、ふつーに暮らしている。
ひたすら日本人会の頂上をめざしている、というようなかつての変態日本人は少数派になっているように見えます。
だいたい30代くらいを境に変わってきているよーだ。
マンハッタンの友達たちのことを日本語で書いてみるべ、と思って記事を書き出したが、ばててしまった。
なんだかパチモンのガイドブックの切れ端みたいになってしまったが、長くなったので、もうここでやめる。
わしはマンハッタンという街は、日本のひとと相性がいいように思う。
一度、一箇月くらいでもいいから、行って見るとええだよ、と思います。
Bang Bang
December 13, 2011
むかし、銃砲店で遊んでいるときに、店主のおっちゃんが、
「ニュージーランドは国民ひとりあたりの銃砲所持率が世界一なんだぞ」というので、
へえええー、と思った事がある。
その後、ずうううっと、それを信じていて、数年にわたって、かーちゃんとかにも述べて、意外だ、とゆってうけていたのだが、このあいだ、ふと思いついて調べて見たら
オオウソであった(^^;)
全然、嘘。
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_by_gun_ownership
ドイツについで22位です。
英語世界は口コミ世界なので、通常の状態で、ぜんぜん間違った情報が大群で世の中を闊歩しておる。
世の中のたいていのことは、どーでもよい、という強固なええ加減さが社会の基調をなしている、ともゆえるな。
多分、銃砲おやじは、40年代、若い衆がアフリカやなんかに出払った留守を狙って
「日本が攻めてくる」というので、パニクってばーちゃんたちまでライフルをぶっ放していた頃の統計を、自分のじーちゃんか誰かから聞いていたに違いない。
その頃は、合衆国の補給基地があったこともあって、ニュージーランドじゅうに武器があふれていたので、案外、一位だったかもしれません。
アメリカ人のビジネスマンなら、一度はニューヨークに出張するのに銃をもってゆくべきかどーか、というようなことを悩んだことがあるであろう。
アメリカ人友達に訊くと、これは結構、切実な問題で、たとえばフェニックスに住んでいるハードディスク会社の部長は、ふだんは銃をグラブボックスに入れて通勤している可能性が高い。
アリゾナ州では法的に「銃を隠してもって歩いてもよい」からで、わしにもハンドバッグにいつもちっこい22口径をいれて歩いているおばちゃんの友達がいる。
そーゆー生活をしていて、国内線に乗ってマンハッタンに降りると、論理的には、そこでいきなり逮捕される可能性があります。
たいてい、「すまんすまん」ですんじゃうけどね。
警察がやる気になれば逮捕できる。
12月2日版(ユーロが炎に包まれながら墜落している表紙のやつです)のエコノミストに、この不便を解消するための法改正の記事が出ている。
ところで、ここで、そーだよね、と思い出したのは、アルコール依存症の人でも講習をうけなくても銃がもてる、それどころか、まったくなんの規制もなくて誰でも銃を持って歩ける4州の名前に記事を読んでいきあたったときで、アラスカ、アリゾナ、ヴァーモント、ワイオミングというこれら4州に共通しているのは、あぶねー動物がいっぱいうろうろしている州であることで、アメリカでは、まず何よりも、こういう動物に襲撃されたときにために銃をもっている、という人がたくさんいる。
わしは自分では狩猟や競技用に銃をもっているが、キャビネットにはいって鍵をかけたまま、ほうっぽらかしです。
手入れもあんまりしないので、もしかすると、引き金をひいた途端に「バンッ!」と書いた旗が飛び出してきて野ウサギさんを笑かしてしまうかもしれぬ。
ワシントン州の友達と、シアトルのパイクプレースをぶらぶら散歩しながら話しているときに「アメリカ人って、なああんで、その辺に銃を転がしとくねん。あぶねーやん」と何の気なしにいうと、そのひとは立ち止まって、「ガメ! なんてことを言うの! 銃なしで歩いてグリズリーに会ったら、どうすればいいのよ!」という。
へっ?と思って聞いていると、このひとは子供のときからクマさんが襲ってきたときのためにショットガンをもって散歩していたそーで、「アメリカと銃」と言えば、
「自由は鉄砲からうまれる」とゆったリンカーンのゲチスバーグ演説…嘘です。
日本のひとはマジメなので、ことわりをいれておかないと、また集団で襲ってくるに違いない。
だいたい日本の人が襲ってくるときには先頭が猿人であるか小説家であるかに関わらず、何百というひとがいっせいに連携して攻撃してくるので、言葉のガトリング銃があっても間に合わないであろうとゆわれている(^^)
203高地の機関銃陣地で防戦したロシア人は、一面に累々と重なった日本兵の屍臭に鼻と口を布でおおって耐えたというではないか。
もっともわしは大学生のときにオオマジメに嘘を書いたら、日頃の品行方正、実直、誠実、という人物評価が災いして一部学寮が大パニックになったことがあるので、教養がない人間というのは困ったものである。
念のためにゆっておくと上の「自由は鉄砲から生まれる」というのは、日本人の「ケザワ・アズマ」という人の名言です。
アメリカ人は、銃が自由を保障するという神聖で雄々しいようなアンポンタンなような、そーゆーアメリカ的自由の象徴、Second Amendment
http://en.wikipedia.org/wiki/Second_Amendment_to_the_United_States_Constitution
な面から銃を考えているのだろうとだけ考えていたわしは、猛獣から身をまもるため、というようなとーぜんな理由を忘れていたのでした。
ワシントン州のクマさんは大きいので、ペッパースプレーやスタンガンでは、そりゃ無理だわな。
斧を出してみせて、「おのおのがた!」とゆってみても、頭に血がのぼってしまっているクマさんたちには冗談が通じないに違いない。
銃というものは、もっていれば判るが、所持すること自体には周囲への危険は何もない。
危険が生じるのは、「持って歩く」こと、就中、「隠してもって歩くこと」であって、アメリカの銃砲規制の焦点も実際には、そこにあります。
ニュージーランドでも、アメリカ並み、というか銃自体は「人を殺したいんですけど」とでも申請しなければ、簡単に所持できます。
ライセンスが数種類あるが、自動銃を買えるEライセンスでも、ふつーのひとでもライセンスもらえる。
実際にも、わしの近所のカネモチジジは突撃銃をもっておって、いつも、強盗が集団でやってくるのを楽しみにしている、とゆっておる(^^)
社長さんなので、ストレスがたまっているのでしょう。
銃という暴力にはふたつの効用があって、ひとつには女びとも男と同じ破壊力をもちうる。ジョーダンだと思うかも知れないが、女びとは銃をもつと、やや颯爽とするよーだ。
アメリカでは臆病な男ほど自分がもっている銃の話をしたがるのと同じ理屈でしょう。
もうひとつは「言論」というものの輪郭が明瞭になる。
銃という死と直結した暴力が社会に存在することによって議論に緊張を与える、という面があるよーだ。
欧州のように銃をもつのは比較的簡単でも「銃になんか興味ない」という社会がもっともよいのは、ほぼ自明で、ふつうの欧州人にとっては銃は「高いのに、使わんやん、そんなもん」という商品です。
だから買わない。
わしはアメリカにいるときには、銃による犯罪の危険を喧伝しているのは実は
NRA
http://home.nra.org/#/home
のコーサクインだったりして、と思う事がある。
こんなに銃による殺人が多いのだったら、自分も銃をもたなければ、とゆー線を狙っているのでがあるまいか?
ニュージーランドの「牧場の家」の近くの田舎町のデイリーに、銃をもった強盗がはいったことがあったが、気の良い主人のP(クマさんみたいなひとです)は相手に銃を突きつけられた途端、カウンタ越しに胸ぐらをつかまえて宙をふりまわしてカウンタの後ろの壁にたたきつけてしまった。
ニュージーランドの法律には、ぶっくらこいちまうことに「正当防衛」という概念がないので、Pは、一瞬、このアホが怪我したら困るな、と思ったそうだが、実際、肩の骨だかを砕かれた犯人が傷害でPを訴えたものの、判事にアホ、とゆわれて終わった(ニュージーランドでは泥棒とかの判決は逮捕の翌日です)そーである。
銃というのは咄嗟の場合なかなか人に向かって撃てないものなので、銃砲所持の問題は管理に主眼をおいて話すのが最も良い、とわしは思う。
そこにSecond Amendmentが登場してしまうところに、「自由」についてのアメリカ式思考の欠点がおおきく出ているように見えます。
アメリカ人たち
December 11, 2011

1
アメリカが繁栄した原因は人間性よりも「手続き」に信頼した社会をつくったことにあったと思う。
もっとも判りやすい例として刑事裁判を挙げると、合衆国の刑事裁判は、訴追から判決に至るまでのどの段階でも所定の手続きに違反した箇所があると、それで被告は無罪になってしまう。
誰がどんなふうに見ても有罪である場合でも無罪になります。
「情状」というようなものは陪審員の心にははいりこめるが、アメリカ人全体に「手続き主義」は浸透しているので、こいつ絶対やってんなああー、と思っても、それで有罪と決めては自分が犯罪者みたいなものである、ということが徹底している。
アメリカ人の大学教員の講義の特徴は、ごく判りやすい「幼稚園児相手にしゃべっとるんか」というところから始まって、このアンポンタンハゲめが、と思って油断していると、あっというまに話の核心にまで駆け上ってしまうことで、これも振り返ってみれば「手続き主義」の影響であると言えないこともない。
もっとショボショボとした趣のある連合王国人の講義とは、末広亭の落語と吉本の花月劇場くらいの違いがあります。
ビジネス上の会議でも同じであって、錐でもみこむような話し方をする連合王国人と異なって、これはこうだからこうでなければならんだろう、というような手続きに終始した話をすることが多い。
とゆっても判りにくいに決まっているので、違う言い方をすると第三者が口を挟みやすい話し方をします。
もちろんテーブルを囲んでいる人間達のパーソナリティによるが、傾向としては、連合王国人は何人並んでいても一対一の、ぶっ刺しあい、アメリカ人たちはボスの提議や質問を中心とした集団討議を好む傾向にあるよーだ。
わしの、ただの印象だけどね。
(いま書きながら考えてみると、そういう印象は、連合王国人が話し相手の顔しかみない傾向が強いのに較べて、アメリカ人は周りの人間の顔を見渡す傾向が強いので、そういう印象があるような気がする)
手続き主義の良いところは、なんでもかんでも可視化されやすいことで、あんまり秘密がない。インチキもばれやすい。
こみいったことでも体系化された「手続き」に沿って見てゆくと、案外、簡単にものごとが看てとれるようになっているからです。
2
連合王国人とアメリカ人の関係は、日本の人が通常考えているよりはずっと微妙であって、まず、お互いにお互いのアクセントが気に入らない。
ふつーの連合王国人は、ふつーのアメリカ人と話していると、なんだかキチガイと話しているみたい、と思う。
Rが響きまくって、声がでかいうえに発声が下品である。
ふつーのアメリカ人は、ふつーの連合王国人と話していると、このクソ野郎が気取りやがって、と思うもののよーである。
お互いが男同士であると、そう思うが、相手が綺麗なねーちんであった場合は、マンハッタンの男はコックニー語の女びとの発音に痺れて、ぼおおおーとなってしまい、
セブンオークスからやってきた若い衆は、テキサス出身の女びとの、まるい、おおらかな笑い声に、うっとりして思わず結婚を申し込んでしまう、というような現実の事象を考えると、なんとなくお互いのアクセントへの反発の源がどこにあるか判るような気がするが、
これには他の要素もあるかもしれなくて、連合王国の女のひとのなかには、アメリカ人て、やりたがりのペニスが勃起したまま歩いてるみたいで付き合いたくない、とおそろしい表現をするひともいます。
わしは、この発言についてはコメントしないことにする。
コメントすると、連合王国人の男が、しょんぼりとうらぶれたペニスが歩いているみたいであることを認めることになるからではありません。
マンハッタンには、たとえば,
「One If by Land, Two If by Sea」
http://www.oneifbyland.com/gallery.html
というレストランがある。
奥のテーブルでのんびりするにはコースごと頼まなければいけないのが難点だが、あきらめてコースを頼んでしまえば気楽にしていられるなかなか良いレストランなので、わしも、ときどき出かけます。
しかし、このレストランの名前はHenry Wadsworth Longfellowが書いた、対英戦争のときの有名なPaul Revere’s Rideについての詩であって、
Listen my chiledren and you shall hear
で始まる愛国的な詩の、そのなかでも最も有名な
“If the British march
By land or sea from the town to-night,
Hang a lantern aloft in the belfry arch
Of the North Church tower as a signal light, –
One if by land, and two if by sea;
And I on the opposite shore will be,
Ready to ride and spread the alarm
Through every Middlesex village and farm,
For the country folk to be up and to arm.”
という部分に由来している。
たいへんよろしくないことには、かっこえーんだよ、この詩。
わしなどはアメリカ人でないのに、一回で読んでおぼえてしまうくらいチョーシもよいのです。
アザラシでもアメリカ人でも暗誦できてしまいそうである。
モニなどは、「ガメは、あのレストランにいるときは連合王国訛りが極小になっておる」とゆって揶揄(から)かう。
自分の祖先がアメリカ独立戦争の後援者であったことを誇っておる。
マンハッタンという街には、想像するより遙かに多いフランス人が住んでいて、ちょっと考えるよりはずっと少ない連合王国人しかいないのは、たぶん、そーゆー事のせいもあるに違いない。
3
生活の局面からいうと、アメリカの都会に住んでいるひとびとは、ごくふつーに「この世はカネさ」と思っているひとびとであって、あまりにごくあっさりと、そう思っているので、なんとなく古くさい道徳の取り付く島がない。
アメリカ人というのは、みんながクビから正札を下げて歩いておるからな、とゆって、いつもブログ記事に出てくるほうでない系統の大叔父が、面白そうに笑ってゆっていたことがあるが、まことに、事実その通りである。
こういうと、日本では「わたしはアメリカに5年住んでいましたが、そんなことはなかった」という人がいそうな気がするが、どーも日本の人は、見ているものが違うひとが多いような気がする。
関係のないことをいうと、むかし、わしがツイッタだかなんだかで「アメリカのまんなかのほうの町は、やっぱり危ないのよ」とゆったら、日本の女びとがふたりで、わたしたちも中西部しってるけど、全然あぶなくない、親切なひとばっかりよ。アメリカンゴシックじゃあるまいし、ばっかみたい、とゆわれたことがあったが、よく読んでみると、このふたりは観光旅行の途中で中西部の町に泊まったというただそれだけのことだった(^^)
そりゃ、観光旅行の途中で寄るだけなら、どこに泊まったって安全に決まっておる。
地元の人間と会話して、ねーちゃんと仲良くしたりした場合に真のコミュニティとの対決が始まるのであって、「部屋ありますか?」「あります」とかいう会話から、どんな危険が生まれましょう。
閑話休題。
最近のアメリカの大都市では「この世は金さ」が上掲の手続きに組み込まれたようなところがあって、社会の深層にくだってゆくと、なかなかSF的です。
信条にも貞操にも値段がついている、というべきだが、詳細は書くのに忍びないので。ここではやめておきます。
一方では、テキサスのダラス、というような町に行くと、まだアメリカ人の「根性」が残っているのであって、前にも書いたことがあるかどうか忘れたが、テキサス人のおっちゃんとバーに行ってチップを2割あげたら、その始終を眺めていた、そのおっちゃん友達が「ちょっと一緒について来い」という。
いいよ、でも、なんのこっちゃ、と言いながらついてゆくと、おっちゃんはいまチップを受け取ったウエイターのところへ歩いて行って、チップの半分を気の毒なウエイターからもぎとって、わしに「こんなにチップをあげるほど、この男は仕事していないんだから、こんなにやってはいけない。われわれの社会が腐敗する原因になる」というのでした。
この白頭鷲のような顔をしたおっちゃんは、わしのいまに至る「親友」と呼んでも良い年長の友人であって、日本人というものを心底憎んでいて、それに関しては何を言ってもダメで、日本のひとが話しかけても返事もしない頑固さだが、その他の点では申し分のない人です。
わしは、このひとに、「テキサス人」というものについて、たくさん教わった。
わしは、むかし、子供の頃、なああーんとなくテキサス美人と結婚するんだったらええなあー、と思っていた。
映画やドラマに出てくるテキサスの女びとのアクセントや笑い方が好きだったからです。
現実のテキサスおんなびとたちも素晴らしいひとびとが多かったのであって、たとえば19歳のときだったと思うがメキシコへの急ぎの航空券を買わなかればならないのに、あっさり断られて、困ったべ、をしていると、窓口の女のひとが、急に上司に向かって怒り出して、「お得意のカスタマーファーストはどこに行ったのよ! この若い人は、どうしても明日いきたいというのだから、なんとかすればいいじゃないの!」とデスクを叩いて言うので、驚いてしまった。
女のひとの勢いで航空券が出てきてしまったので、そんなら何で初めから出てこないのかなあーと思ったが、それよりなにより、そのときも「テキサス女のかっこよさ」というものを思ったものでした。
わしはいまでもテキサスが大好きだが、初めてテキサスに行った頃には、あちこちで翻っていた「ローンスター」の旗(あのテキサスの州旗には特別の意味があって、テキサスだけは州民の意志によって、いつでもアメリカ連邦から離脱する権利を保障されているので「ローンスター」なんですのい)が下ろされて、スターズアンドストライプスに代わっていた。
9月11日以来のことです。
アメリカの苦しみを目の前につきつけられているようで、傷ましい感じがする。
再びスターズアンドストライプスが姿が消して、ローンスターが誇らしげに翻る日が戻るとええなあー、と思う。
4
微細なことについて述べると、アメリカのレストランは、「音楽がダサイ」という特徴があるように思われる。
日本の料理屋は、いまやド田舎の蕎麦屋さんに行ってもジャズがかかっていて、なんでもかんでもジャズで、ヘンだと言えばヘンだが、ジャズはどんな音楽音痴が選んでも一応食欲を阻害しないように出来ているので、音楽でこけまくる気持ちになるということはない。
ところがところがミロンガラドリオ三省堂、yelpやなんかでも推薦されまくっているNYCヴィレッジの某イタリアンレストランは、モニとわしの贔屓だが、ここはビートルズがかかっておる。
イタリア料理で、「ビートルズ」だぜ。
まける。
腰が抜ける。
目の前のラザーニャの皿に顔を突っ込んで呻きたくなる。
いろいろ表現は可能だが、こんな滅茶苦茶な音楽の選択があるかよ、と思います。
で、ね。
マンハッタンのレストランて、そーゆーところが多いのです。
多分、音痴、なのだと思う。
モニとわしは、そのレストランでは音楽が聞こえない屋外のテーブルでだけ食事をすることにしています。
5
しかしながら、連合王国人もオーストラリア人もニュージーランド人もスペイン人も、フランス人も、アメリカ人の話ばかりしている。
「強い国だから」というよりも「オモロイ人達」だからですね。
アメリカ人というひとびとは、初めに述べた「手続き主義」によって、どんどん変わってゆくひとびとである。
わしは、ロンドンのほうが変化のスピードは速いがマンハッタンのほうが人間の変化のスピードは速い、と感じます。
すごおおおく、ヘンテコなひとびとだが、ほろりとさせられたり、ががあああーんとぶっくらこいちんまうようなことがあったり、なんだかハリウッド製の物語を観ているようである。
案外、本人たちも銀幕のなかで暮らしているつもりなのかもしれません。
(画像はいまはない ”St.Vincent’s”
http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Vincent’s_Catholic_Medical_Centerの跡地に掲げられた星条旗。旗の横の小さな手書きの字は
「DO NOT DEFACE OUR FLAG UNITED WE STAND」と読めます。アメリカの苦しみが伝わってくるよーだ)
チップっぷ
August 20, 2011

昨日の芸能ニュースで、Jay-zが5万ドルのチップをはずんだことがニュースになっておった。
http://nz.entertainment.yahoo.com/celebrity/news/article/-/10068997/jay-z-leaves-50k-tip/
ウエイターのひとびとは、決してオカネという意味だけではなくて大喜びだっただろうと思います。
合衆国にいるときは、わしは、だいたい支払いの額面の2割から3割くらいをチップとして払うことが多いようだ。
ときどきプロフェッショナルであったり、独創的なサービスに出会ってカンドーすると8割くらい挙げてしまったり、ピアノを弾いているひとの腕前にぶっくらこいて、ピアノの上に100ドルおいてしまったり
http://gamayauber1001.wordpress.com/2011/05/11/
するが、ふつーは、20%から30%しかチップを使わない。
ここの店のサービスはひでーなあー、と思ったときは、しかし、あげない、というわけにはいかないので10%くらいにしてしまうこともあります。
それより低い、ということはない。
アメリカ人のサービス業人は、チップで食べているので、いかにコンジョの悪いウエイタであろうとも、ゼロ、というわけにはいかないからです。
テキサス人の友人たちなどは、「ガメはチップが多すぎる」という。
わしの仲の良い年長の友人、テキサスおやじなどは、ダラスのバーで、頼んだものの金額の20%のチップをあげたら、ウエイターに向かって歩いていって、半分、手からもぎとって、わしのところにもってきた。
「あんなにチップを払っては、社会のためによくない」とマジメな顔でいう。
もっと、気をつけてくれなくては困る。
この頃は、アメリカでは、客が計算しやすいように勘定書の下に15%と20%に分けて金額が自動的に印刷されているものがある。
アメリカ人でも、(考えるのがめんどくさいので)チップといえば15%と決めて、うんと弾むか、というときには20%、というふうにチップの習慣が機械的な手続き化しているからでしょう。
わしは、アメリカのこのチップを渡す習慣が嫌いではない。
オカネ、というところが嫌は嫌だが、特に人柄が良いひとにサービスを受けたときやなんかには、手軽に感謝をあらわせるので便利であると思う。
いまちょっと、そう言えば、と思って日本語サイトを見てみると、案の定「連合王国でのチップは10%から15%」と書いてあるが、もともとは、連合王国人はチップなんか、全然渡しません。
外国人観光客が(UKでは厳密に言えば違法な)チップの習慣をもちこもうとするので、サービス業の人間がさもしくなって迷惑している、とゆってもよい。
連合王国では、チップというのは、あくまで(いまでは恐竜並みの絶滅種である)上流階級人の習慣にしかすぎません。
「心付け」というものはあるが、要するに日本と同じことで、相手が愉快なやつであったり、人柄がよくて楽しかったりした場合は、ふつーに、「にーちゃん、釣りはいらねーぜ」という。
あるいは、いきなり近所の店に走っていって感謝の気持ちをあらわすためのプレゼントを買ってきたりするとヘンなひとだと思われるので、咄嗟に現金を渡して感謝を表現することもある。
それをチップと言えばチップだが、あれがチップならば、日本もチップ社会だということになります。
わしは東京では、よく「おつりはいりません」をやっておった。
この頃は、さもしくも「勘定書にはサービス料は含まれていません」というくだらない能書きをいれているバカ店もあるが、わしなどは、そういうのを見ると、金輪際チップもどきはくれてやらん、勘定そのものも払わないで逃げちゃおうかしら、とむかっ腹を立てる。
我が国は、どうなってしまったのだ、と憤慨する気が勃然と起きてくる。
逆に、サービス料が含まれている勘定書も多いので、「こんなサービスでサービス料とるなんて、はっは、ジョーダンは佳子さん」とゆって、そのぶんを支払金額から引かせることはあります。
ついでに他の日本語旅行サイトを眺めてみると、バルセロナみたいなところに出かける人にも同じことが書いてあるが、はっはっは、カタロニア人がチップなんかそんなに出すもんけ。
チップなんか15%も払った日には、「金持ちにみせようと思って、バッカなんちゃう?」と後ろ指をさされるくらいが関の山である。
カタロニア人の「チップ」は、せいぜいがとこ、ポケットのなかで重たくなったバラ銭を1セント硬貨から何から勘定書のトレイに山盛りにして置いていくくらいのものです。
誰でも知っていることではあると思うが、ついでのついでに述べておくと、合衆国では硬貨をチップに渡すのは大変失礼です。
そーゆーことをすると、次に行ったときには珈琲に塩がはいっているかもしれむ。
彼の地では1ドル札がいまだに威張っているのは、チップの習慣が大きな理由であると思います。
ニュージーランドでは、相手がとてもよくしてくれている、と思えば、心をこめて「ありがとう」という。
チップを渡す、というのは、よほど異常なことです。
オカネで感謝をあらわす、というのは成金のやることなので、下品、なのね。
ニュージーランドでは、他の英語国に較べてもなおさら、客とウエイターや店員は対等の関係なので、自分が親切にしてやったからといって、オカネをもらうのはヘンだ、という常識なのです。
アメリカ人の観光客にチップを渡されて怒り出したウエイトレスのおばちゃんを、わしは見たことがある。
その代わり、たとえばレストランで横柄な態度を取った日には、往々にしてテーブルに戻ってもきません。
ふざけんじゃねーよ、おめーの相手なんかやってられるか、ということであって、そういう場合には、自分の態度を悔いてすごすごとレストランを退散するのが最もよい。
ニュージーランド人は、「お客様は神様」というような考えが大嫌いなのです。
自分が客のときに、「お客様は神様ですから」とでも言われた日には、「ジョーダンじゃねえーよ。おれは人間だぜ。神様よっか、数倍まともな存在である」というであろう。
アメリカ合衆国という国の都会においては、「この世は金さ」が主張ではなくて、樹木や地面の存在と同じく淡々として現実なので、ああいう風土においてはチップという習慣が嫌みなく成り立ちうる。
ジョージ・ブッシュはスシバーで100ドル食べたあとに100ドルのチップをおいて、
「気の良い金持ち」のイメージが広まって大統領の椅子に近付いた。
逆にタイガー・ウッズは、チップが吝いので有名なひとで、まったくチップを払わないこともたびたびなので、あの不世出の大選手にして、あの程度の人気しかないのは、そのせいであると思われる。
「なんだか、ケチで暗いひと」というイメージにいつも苦しんでいる。
グランドセントラルステーションのバーで、ちょっと疲れたからカクテルでも飲むべ、と思ってバーテンダーにジン・ソーダを頼むと、顎髭に入れ墨もんもんのバイキーなバーテンダーおっちゃんが、注文を聞くなり、わしをにらみつけてます。
話しかけても聞こえないふりをする。
心のなかで「このイギリス野郎め」と呟いているのが聞こえてくるようである。
出されたジン・ソーダと引き替えにお札を渡して、釣りをもらうのが面倒なので「おつり、いらねっす」というと、ちょっと、ぎょっとしたような顔になって、
それから水はいるか?とか、しまいにはもう一杯ただで飲んでいかないか、と言い出す始末。
仕事の手があくと、わしの前に立って、駅でみかけるひとびとのさまざまなオモロイ話を聞かせてくれます。
なぜ、この話をしているのかというと、このおっちゃんの態度を卑屈、とみる社会に育った人間にはチップという習慣はのみこめないはずだからで、おっちゃんは、チップを通じて、「ケチで気取り屋のイギリス人」という一般像を放棄したのだと理解されるべきである。
感謝、という感情がグリーンバックにはいつも裏側にひっついている。
オカネと人間性がいつも渾然一体となっているアメリカという社会では、感謝を金額であらわすことが、重要なコミュニケーションの役割を担っている。
チップという習慣は、そういうものだと思います。
食物図鑑_その9_マンハッタン中華篇
August 2, 2011

何を飲むか、というのはほとんど「何を食べるか」によっている。
それはマナー、とかいうようなものではなくて、あるいはマナーの問題であっても、そんな決まりはクソくらえであって、濃厚でスパイシーなシラズはグラスフェッドのビーフステーキには欠かせないし、生牡蠣を食べるのに赤ワインを飲むバカはいない。
鮨を食べるのに白ワインを飲むひともいるが、「日本の白ワインは鮨とあうものがあるんだよ」なんちゅうひとは、味蕾が国粋主義に傾きすぎているのだとしかおもわれぬ。
逆に、ワインを飲まないガリシア料理とかバスク料理、あるいは北でも南でもフランス料理を想像すると、考えただけで索漠として、そんな食事をするくらいなら、マクドナルドのドライブスルーに並んでフィレオフィッシュをほおばりながら世を儚んだほうがマシである。
だからたとえばスペイン料理を食べれば、どうしてもワインを飲んでしまうであろう。
こういうことを日本語では「不可避」という。
モニさんは、とてもマジメなひとです。
わしのように日曜日の朝に嬉しいことがあったからとゆってチ○チンを振り回して喜んだりしないし、金曜日の夜中の広場で酔っ払って禿げ(スキンヘッド)をからかって、頭をペタペタしたりもしない。
マジメなひとの如実な弊害は、他人がフマジメによって不利益を被ろうとしていると、おまわずマジメにしなさいとゆってしまうことで、そーゆーわけで、わしはときどき酒を飲まない日なり期間なりをつくらされる。
わしの頭は、別に考えなくても、モニが「….しなさい」というと、自動的に聞いてしまうモニATSがついているので、飲むな、とゆわれると飲みません。
ヘーキである。
モニが、今日は飲むのやめよーね、とゆいながら、自分だけシャブリを楽しんでいても(たびたび、あります)別に我慢できなくなったりはしない。
しかしモニのほうでは、わしをかわいそうに思う気持ちがあるよーで、たいていは純粋にモニの思いつきだけで決まる、今日は飲むのやめようね、という日には、中華料理、インド料理、マレーシア料理、中東料理というようなものを食べたい、というようになった。
食べ物に飲み物が随伴していないからです。
わしは、もともと酔っ払いなので、こういう料理のカテゴリで好きなのは連合王国人の国民食であるインド料理だけだが、どーせロクな食べ物がないマンハッタンでは、たとえば中華料理みたいもんでも食べてみよう、ということになった。
四川で大地震が起きて以来、世界中には四川人が現れて、他の地方の中華料理の味からは想像もつかないくらいおいしい料理を饗しているという噂は、わしも聞いていた。
でも、マジメに食べてみるべ、と思ったのは今度が初めてです。
酸辣湯


に始まって、
担々麺


や涼拌麺

に続き、麻婆豆腐



で終わる四川料理を食べにでかけてみると、おもいのほかおいしいので、
酒を飲まない昼食には、結構よく食べにでかけたような気がする。
日本の人がたくさんいる「麻婆豆腐」というミッドタウンの料理屋や
大四川料理、というとぼけた名前の料理屋です。
四川料理に味をしめて、中華街にもでかけた。
「あーのさー、今度はじめて中華料理もおいしいんばあー、と思ったんですけど」と中国人の友人たちに話してみると、みな大喜びで中華街のおいしい店を教えてくれた。
わしが最も気に入ったのは、ラファイエットの料理屋で、ここは味が上品であると思った。おおげさではなくて味が「典雅」で、中華料理にも、こんな味がつくれるのかと驚きました。あくまで軽い、それでいて強い、繊細な味で、いまのシェフは限りなく天才に近い、と考えた。
このひとはサラダをつくるのも天才です。


ディムサムも、だから当然うめっす。


このディムサムソースを見よ

台北の鼎泰豊(ディンタイフォン)よりうまい小籠包をわしは初めて食べた。

うまいうまいばかりではバカみたいだが、このひとがつくるものは、ほんまにうまいのだからやむをえない。
アスパラガスの炒め

インゲンマメと豚の炒め

野菜ときのこのポット

極めつけはチャーハンは、ぶっくらこいちまうくらい上品な味である。
うめっす。

夜、行ったのでいまみたら殆ど何も写ってない北京ダックも極楽どした。

ナスを牡蠣ソースベースのソースで揚げた料理

豚さんをチリソースで炒めたのもおいしい

勢いを駆って、中華街


では有名な香港カフェで広東料理も食べてみた。

無限に種類があるコンジー

豚の中華風ハンバーグ

豚さんの広東風炒め

ディムサムにディムサム



とだいたい、こんなふうで、マンハッタンにいるあいだは中華料理を見直したつもりだったのだが、欧州に戻ってくると、まったく食べなくなってしまった。
モニの観察によると「マンハッタンはあんまりおいしいものがないから、ガメは中華料理を食べていたのだと思う」ということでした。
ここでも日本料理と同じで醤油みたいなも味のものが苦手なのが災いしているようでした。
四川料理も、いま考えると味が辛さに傾いて深みがなかったようにも思われる。
ブログを読んでくれているひとは知っていると思うが、わしはモニの「健康にもっと注意しましょう」にひきずられてアジア料理を随分ためしているが、
どうも、「のひゃあ、うめえー」と思うものに行き当たらない。
またマンハッタンに戻ったときにでも緊急に発見しなければ、と思っています。
ノーマッド日記8
June 5, 2011
1
ウクライナ人たちのダイナーで赤ワインを飲みながらザワークラウトときのこがはいったPierogiを食べたり、ヴィレッジのワインバーでうさぎのポットパイをお代わりして笑われたり、テンプラニーニョでスペイン式のポークチョップを食べて大満腹になったりしているうちに、もう欧州へでかける日が近くなった。
アパートにひさしぶりに戻って来た頃は、まだ摂氏8度くらいで肌寒かったのが、もう28度を越えるくらいになって、初夏の気持ちの良い日が続いている。
「旧交を温める」というが、舗道にはりだしたテーブルで夕食を摂っていれば、もうまる1年会っていなかった友達が通りかかって、とびかかるように抱きついて喜んでくれたり、バーにいれば、後ろから肩に触られて、振り返ると、懐かしい顔が満面に笑みを浮かべて立っていたりした。
ましてヴィレッジなどは狭い町なので、戻ってきたことがあっというまに知れ渡って、毎晩遊んで歩くことになってしまった。
いまはまだ半年、一年と続けて住む気はしないが年をとれば結局はマンハッタンに住むだろうか、とモニと話しました。
マンハッタンは人間くさい街であると思う。
同じ店に三回も行けば、もうバーテンダーはカザフスタンの故郷の町のことを目に涙を浮かべて話し、是非きてくれ、世界でいちばん素晴らしい町なんだ、という。
階上に走っていって名刺をとってくると、自分のemail accountを書いて、きみのもぼくにくれるんだろうな、と要求する。
前にあったときにメールを書くからとゆったのに書かなかったウエイトレスのねーちゃんには、書くとゆったではないかと怒られる。
郵便局に行ってさえ、「この頃見なかったなあ、いったいどこに行ってたの」とコロンビア出身のおばちゃんに半ば𠮟責されます。
「あなたがいないあいだに、Hのバカが汚い手を使って局長になったのよ」
て、おばちゃん、客に内部ポリティクスの話をしてどーするんだ(^^)
モニが女友達たちと出かけてしまった午後、わしは一階の受付の脇に隠してあるスケボーを取り出してパークアヴェニューをグランドセントラル駅からユニオンスクエアまで、ノンストップで滑りおりて遊んだ。
すげートゥーティングだったが、知るかよ。
自転車とスケボーは信号を無視するためにある。
欧州に出戻るまでに一度やりたかったので満足しました。
あるいはアパートの屋上に出て、ワインを飲みながら、天気がいいといつも隣のビルの屋上でのんびりしているじーちゃんと話しをした。
「なんという気持のいい日だろう。きみ、そうはおもわないか。
おれの年になれば、もういつでもこの世とはお別れだが、世界はとてもいいところだった。おれは神様に感謝するよ。
人間にも!」
という。
ワインを急いで飲み過ぎたわしは、なにがなし、鼻の奥がつんと来て、しばらく黙ってしまいます。
じーちゃんは上半身裸の胸に太陽の光をいっぱいに浴びて気持がよさそーだ。
マンハッタンには昼間には昼間の、夜には夜の太陽が出て、それぞれ暖かい光と闇で人間を包んでくれる。
夜の密やかな欲望や、小さな狂気、暗ければ思い切ってやれる事ども、甘いにおいがする部屋や、酩酊、物陰に隠れている神の言葉で、誰もが世界について考えてみる。
聞き取りにくい声で話されている言葉や、遠くから微かにもれてくる忍び泣きの声、もっと具体的なことならば、すれちがった二人連れの聞き違いようのない古代ラテン語の会話、地上20階の建物の上からじっと地上を見下ろしている身動きひとつしない男の影、
そういったすべてのものでマンハッタンという街は出来ていて、一度、その内側深くに出かけてしまうと、またその巨大な「柔らかな痛み」のなかに戻ってこないわけにはいかなくなってしまう。
世界でただひとつの「都会」、しかも自分自身の強烈な意思をもつ都会なのだと思う。
ここに戻ってこないひとなど、いるのだろうか?
2
先週はPaloma Herreraがジゼルを踊っているというので、アメリカン・バレ・シアターまで観にいった。朝、なんだか機嫌が悪かった(別にわしが悪いことをしたわけではない。モニは、ときどき何の理由もなく機嫌が悪くなります。モニは「女はそういうものだ」というが、わしには判らん)モニを笑わせようと思ってシャワーから出てくるときに裸で「スタート・ミー・アップ」の振り付けをやりながらラウンジにはいっていったら、モニはすっかり上機嫌になったかわりに、腰をひねってしまった。
いでえええーと唸りながら1ブロックあるくのにも脂汗を流しながら歩いて行った。
なんだかマイケルジャクソンのムーンウォーキングみたいな歩き方で歩いていて、ときどき「ぐわっ」とか「ぎゃっ」とか叫びながらコロンバスサークルから劇場に向かって歩いていた、わしの同族の水準からしても巨大なにーちゃんを目撃したひと、あれはわしでしてん。
横で言葉だけは「大丈夫か?」と言いながら、必死で笑いをこらえていた薄情なスーパー美人がいたと思うが、あれがモニというひとです。
第二幕でのPaloma Herreraは、ときどき体重がゼロになってしまうように見えた。
身体がつくりだしみせる形の美しさと羽毛のような軽さに観ているひとはみな息をのんでいた。
このひとのもうひとつの特徴は物語の解釈を肉体を使って明解に述べてみせる表現力の豊かさだが、亡霊となっても自分を裏切って死においやった恋人を守るために朝がくるまで必死に踊り続ける娘の切なさが胸にせまって、観ていて涙ぐんでしまうようでした。
わしは「ジゼル」が好きだと思ったことがなかったが、意見が変わったようでした。
「ヴィイ」の世界に似ている。
大陸の田舎のコルクの森を抜けて、中世の商人が歩いた小径を歩いて行くと、日が沈んだあと、ことに夜更けには、どんなひとでも欧州の精霊の気配を感じることが出来るが、ジゼルは、あの精霊たちが背景にいてこその物語でありバレーなのだと思いました。
前にそれが見えにくかったのはバレーの文法にある「定型」が邪魔をしていたに過ぎない。
もうひとつ自分に理解できる物語が出来たことを喜びました。
3
グラシアに行く準備が終わったので、7thAveを歩いて、知り合いの女バーテンダーが移った先の新しいバーにでかけて、またあの「反乱軍兵士」というカクテルを飲みに行った。
きっと、カクテルの名前とこれからカタロニアに出かけるのさ、という気持が意識下で影響したのでしょう、オーストラリアの友達に書く絵葉書にロバート・キャパの有名な「ラクカラチャを歌いながら銃弾に倒れる兵士」を選んでいた。
持ち主は変わってしまったが、ずっとむかし、バカ息子らしく尾羽打ち枯らして、かーちゃんと妹に出した絵葉書もこのワシントンスクエアのそばの文房具屋で買ったのを思いだした。
葉巻をくわえたディラン・トマスの肖像の絵葉書だったが、わしは、あのときもほんとうは天使の絵を探していた。
イラクからの復員兵士の乞食が蹲っている前を通りかかったら、彼は急に顔をあげて、「なあ、おれの写真を撮ってくれないか」という。
なぜ?と訊くと、理由なんかないさ、きみにおれのこの有様の写真を撮って欲しいんだよ、と言います。
おーけー、とゆって写真を撮って、ふたりでカメラのスクリーンで眺めた。
ポケットのなかにあったチョコレートバーをふたりで半分に分け合って食べました。
このひとは、「生きているというのはなんて嫌なことだろう」とゆっていた。
わしは、バカっぽいことには「なるほど」とだけゆって、他にどういえばよいか判らないので黙っていた。
しばらく一緒に座っていて、もう行かなくては、となるべく丁寧に述べて、そこを離れました。
振り返らなかった。
振り返ると、そこには復員兵士の乞食なんかいないような気がしたからです。
そういう感情は日本語ではきっとどんなに工夫してもうまく言えない。
現実というものは、どういえばよいか、人間の想像力を遙かに超えて、「現実感」など全然ないものだということが日本語ではうまく言えないからです。
4
「あなたは、いつも知っていたのだ」という。
ヴィレッジの、ゲイの男達の彫像のある、あの小さな公園でのことです。
午前2時で、モニとわしは、先々週ゲイカップルが襲撃された(日は違うが)同じ場所の同じ時間にそのベンチに座っていた。
「あなたは、いつも知っていたのだ」という。
モニが、隣のベンチのそのひとに「なんのことですか?」と訊くと、
「この世界がもうすぐ滅びるということを、ですよ」と言います。
見れば、ひどく酔っ払っているようだ。
「こんなものが長くつづくわけはない。われわれは傲慢になりすぎたのではないでしょうか?」
そう呟くと、立ち上がって、意味のわからないことを両腕をひろげて絶叫しながら舗道を走っていってしまった。
二年前にブログに書いたサンフランシスコのBARTで目撃したひとととてもよく似ていたのでびびりました。
モニまでが、(ふざけて)ガメは、ほんとうに知っているの?と訊く。
知っているわけがないではないか。
何度もいうが、わしはここには遊びに来ただけです。
生まれついて親切なので(^^) 気が付いたことは「やめたほうがいい」「変えた方がいい」と述べるが、それも自分の良心を満足させるために「言っとくほうがいいだろう」くらいのことでしょう。
わしは、聞き取りにくい声を聴きたい。
世界中のあらゆる密やかな声を聴きに行きたい。
夜、灯りを消したあとの寝室で隣の部屋の子供達に聞こえないように自分達の身の上に起きた悲劇について語り合って声を殺して嗚咽する夫婦の声や、これだけは絶対に親にも友達にも話すわけにはいかないと思い詰めて部屋の暗がりで泣いている息子や娘達の小さな声を聴きたい。
自信なげにサーバーの片隅に投げ出された言葉や、あわてて削除された言葉、消しゴムで消された鉛筆書きのつぶやきや、壁に刻まれた短い言葉、
わしは遊びに来ただけでなく、そういう言葉を聞きにきたのでもある。
日本での微かな声の採集は終わったが、まだ行きたいところがたくさん残っている。
大きな沈黙の海のなかにある「聞き取りにくい声」を聞きにいかなければ。
Sweet teeth are made of these
May 30, 2011
日本にいるとき最も困ったのは「甘いもの」だった。
これはわしだけでなくてモニも同じだったと思います。
日本の「甘い物」は公平に言っておいしいものが多いが、甘い物というものは、単に甘味の絶対基準に従っておいしければいいというものではなくて、「慣れ」や「親しみ」というものが大きくものをいう。
リコリシュは、そういう甘い物の代表だが、これは前も書いたから、いまさら書くに及ばない。
日本にいるときには何回も言及したのは、戦時中に食べるものがなくなって、ただ想像力のレストランで、食べたいものを延々と書き連ねてそれだけで「ご馳走帖」という随筆に仕立ててしまった百鬼園先生に似た所行であって、ただただ言霊にすがって、自分の魂を鎮めたかっただけのことであると思われる。
ワインを二本平らげたあとの、見るからに凶暴な感じがするチョコレートが滴り落ちているチョコレートケーキとか、くずれていまにも容器から転げ落ちそうな巨大なサンデーとかは、夕食の掉尾を飾るには絶対に不可欠であって、全身これコレステロールのマスカポーネで出来たティラミス、砕かれたピスタチオがうまい比率で混ざったミント味のジェラート、シトロンのパイに、どんな場合でもシェフの腕が露骨に出てしまうクランブルレ、3時間もしくは4時間延々と続く夕食の、デザートはいわばフィナーレなので、ここでぐっと丹田に力をこめてメニューをにらみつけて、真剣に何を食べるか決定しないと、死ぬときにも成仏できないであろう。
たとえばサンデーなら、こんなんです。
これはセレンデピティというNYCでは寅さんせんべいくらい有名なサンデーを出す、観光名所でもあれば、地元のひとびとも隙さえあれば「今日は天気が悪くて、いまは午後3時だから行列がないに違いない、速攻でいってみるべ」と言い合ってでかけてゆくデザートレストラン(一応、ふつーのレストランなんですけどね。ニューヨークに住んでいる人間で、あれを「料理屋」だと考えているひとはいないであろう。どこかで食事をすませて甘い物を食べにいくところです)の「臆病者サイズ・バナナスプリット」

臆病者ですら、このサイズなので、マンハッタンで甘い物に関して「勇者」であるのがいかに大変なことか判りますね(^^)
次がストロベリーサンデーで、次が…なんだっけ、名前忘れちまったべ、自分でメニューを渉猟してくれたまえ。

もともとは英語圏らしい、巨大で凶悪な甘いものばかりだったマンハッタンも、この頃ではマカロンや小さなカップケーキ(パティケーキのことをアメリカではカップケーキいいますのや)、小さな小さなタルトとかも供するようになった

上品になる、というのはすべからく良いことだが、わしは、下品にこの宇宙の真の価値をみいだすほうなので、ランギオーラベーカリーの「甘いもんは爆発だ!」の巨大なクリームバンとかがなつかしい。
お上品に小さなコクテルグラスにおさまっているジェラートを見ると、なんだか泣きたくなってしまうが、これも「洗練」に向かって急速に収斂しつつある現代世界に生きているものの宿命である。

すかたなかんべ、と呟きながら、さっきまで「シンプルロックンロールバンドの興隆」についてモニとわしのテーブルで長口舌をふるっていたウエイターのにーちゃんに、「もう一回デザートメニュー、もってきてね」とゆって憐憫の微笑を浴びたりしているのです。
うー、もっと甘いもの、食べたい。
蛇足とは思うが、タイトルはEurythmicsのSweet Dreams
http://www.youtube.com/watch?v=rJE_Sc1Wags
のダジャレでごんす
虹がかかっている午後
May 29, 2011

ユニオン・スクエア、といっても、わしのマンハッタンの南チェルシーのアパートから近い広場のことではなくて、サンフランシスコの観光客でごった返す広場のほうです。
有名店がぐるりと取り巻いていて、その一辺をなしているパウェル通りに面して
The Westin St.Francisというホテルがあります。
子供の頃、わしはそのホテルのロビーでかーちゃんを待っていた。
いまのわしを知っている人は誰も信じてくれないが、子供の頃のわしは、極めて行儀のよいガキであって、かーちゃんが2時間くらい約束の時間に遅れても、特に感情を険しくするわけでもなく、ときどきため息をつきながら座っているベンチの足下をみるくらいで、手にとって読む本がなくても、じっと待っていた。
そのときも、だいぶん時間は経ってしまっていたが、なにしろ、かーちゃんはわしが当時もっとも信頼していた人間なので、特に不安になるわけでもなくベンチに腰掛けて、いま思えば不憫に思ったに違いない制服のアフリカン・アメリカンのおっちゃんと話したりしながら時間をつぶしておった。
ホールの向こうにはおとなたちが蝟集しているバーがあって、そこにいるひとびとを観察して時間をつぶした。
そのうちに、わしは、ひとりの輝くばかりの金髪の美しい若い女の人が、時計をみつめては、形のよい唇をかみしめていたり、ため息をついたりしているのに気が付いた。
バーテンダーが、もうちょっと何か飲み物がいりますか、と訊いているのを断って、落ち着きのない様子で誰かを待っている。
わしは子供の頃はそれが癖で、頬杖をついて、その美しい女の人を見ていた。
「花のようだ」と考えました。
ひとつには、その人が明るい花柄のドレスを着ていたことからのバカガキらしい単純な連想だと思われる。
ふつうなら暖かい感じがするはずの薄い灰色の目が、そのひとに限っては氷の世界への窓のように冷たい感じがするのが、なんというか、心に棘のように刺さってくるような感じだった。
回転ドアがまわって、大きな花束をもった、小柄な小太りのおばちゃんが入ってきます。
なんだか田舎の家でビスケットをつくっているところが思い浮かぶような、とても暖かい感じのするおばちゃんである。
見ていると、おばちゃんは、まっすぐ灰色の目をした美しい女の人のほうへ歩いて行った。
歩いていった、とおもうまに、ふたりは固く抱き合って、なにごとか謝っているおばちゃんの肩に両腕もまわして、美しい灰色の目の女の人は涙ぐんでさえいます。
花束を渡されて、心から嬉しそうにしている。
花束をカウンターにおいて、もういちど抱き合うと、長い長いキスを始めた。
わしは、少し離れたところで、軽蔑しきった顔で、このふたりの女の人を眺めながら、何事かを言い合っている、絵に描いたように首の後ろが赤そうなおっちゃんたちにも気が付いていた。
見ていて、あの若い女の人が、なぜあれほど緊張して思い詰めていたか、ぼんやりと判るような気がしました。
あの人は氷の海を泳ぎ渡るようにして、この世界を暮らしているのだ。
自分が愛するひとひとりの存在だけを希望にして、です。
それが、わしにとって女の同性愛のひとびとを見た初めだった。
話には、かーちゃんの遠縁のいとこ(はとこ?)の奥さんがダンちゃんをぶち捨てて同性愛の女の教師にはしったとかで「同性愛」という言葉は生活のなかにすでに登場していたが、現実感をもって触れたのは、あのときが初めだと思います。
チェルシーの8thAveを歩いてゆくと、あちこちに虹色旗が翻っている。
あれは「同性愛者を歓迎します」というサインである。
レストランにもブティックにもヘアドレッサーにも掲げられてある。
だいたい午後7時くらいになると、男同士のカップルが無数にあらわれて、手をつなぎあって道を闊歩する。
カフェでも、わしのアパートから近い「ヴァイニル」
http://www.vynl-nyc.com/welcome.html
というウエーターが機知に富んでいて、気難しいわしをすら冗談で笑わせる店に行くと席を占めている半分はゲイのカップルで、ヘテロのカップルに較べると少し高い調子の賑わいがある。
「ヴァイニル」の舗道の椅子に腰掛けてカクテルを飲んでいるモニとわしの目の前で、ゲイのカップルが交差点で信号を待ちながら、前に立っている男の小さくて固そうな尻を指さして、冗談を言い合いながら、くっくっく、と笑い転げている。
モニが、「楽しそうです」と指さして、笑っておる。
先週の新聞には、ここからすぐの通りと公園の名前を挙げて、午前2時をまわるころになると「同性愛者狩り」をする十代の男の4人組がいるからゲイのひとびとは気をつけるようにという記事が出ていた。
長い時間にわたって殴る蹴るの容赦のなさで、もう5組のゲイカップルが病院に送られたそーだ。
モニは、そのニューズ記事を見ながら「わたしは世界をどう許容すればいいかわからない」と涙ぐんでいたが、わしにも、どれほど非寛容を受け入れてやれば世界は納得するのだろうと訝る気持ちがある。
NYCに住んでいるひとは知っているかも知れないが、第一、女の同性愛者に至っては、(男同士のカップルとほぼ同じ数がいるにも関わらず)(同性愛のどこが悪い、という住民が多い)ヴィレッジの近辺ですらほとんどみかけない。
ときどき、あの子供のときに見た女同士のカップルはいまごろどうしているかなああー、と思います。
わしは多分あのとき8歳だったので、あれからもう20年が経っている。
あの頃でも、知的ではあっても冴えないおばちゃんとゆえなくもなかった小太りコートの人は、いまやばーちゃんになっているであろう。
あの輝くばかりに美しかったひとは、いまでも美しいに決まっているが、あれから、あのおばちゃんと一緒に幸せに暮らせただろうか。
そう考えるのは男同士のカップルがほぼふつーになった合衆国の社会であっても女同士のカップルに対してはまだまだ抵抗が強いからです。
わしの年長の友達にアイルランド系のLというやたらめたらに親切なHBS(ハーヴァード・ビジネス・スクール)部落出身の有能なファンドマネージャーがいるが、このひとは女同士のカップルで養子をとるために法廷闘争をした合衆国でも初めの頃に属するひとだった。
心臓病を抱えている癖に、アイアリッシュバターをトーストにたっぷりつけないで食べるやつはバカだ、とゆってヴェジマイトを塗って健康的なトーストをかじっているわしをよく、あの快いおおきな笑い声で嘲笑したものであった。
このひとの養子が認められたときには、わしも妹もかーちゃんもとびあがって喜んだものです。
子供の頃いちばんの素晴らしい大ニュースだった。
そうやって、「他のひとと異なるひとたち」が、すこしづつ権利を恢復してゆけたのは、アメリカという国が「手続きの国」であって、手続き的に正当であれば正義が構築できるという「アメリカの正義」の特徴に依っている。
このすぐれて哲学的な信念にはサダム・フセインやオサマ・ビン・ラディンの虐殺、O・J・シンプソンの無罪に見られるように欠点もあるが、やはり、もっと根底的にすぐれたところがあるようです。
「あのひとはいいひとだから」「どんなひとにもいいところと悪いところがある」「清濁あわせのむ」「是々非々でのぞみましょう」というような人間にとっての最も基本的な倫理すら欠いている、バカたれなひとびとの耳には聞こえはいいが浅薄なご都合主義としかいいようがない低劣で醜悪な見地を拒絶している。
「正義」というものは、世界中のどこのものでもくだらないが、アメリカ製のものには唯一くだらないなりに実質が感じられる由縁であると思います。
ちいさな出来事
May 28, 2011
ひょろひょろと背が高くて分厚い眼鏡をかけている。
頭はナンバーワンカットで少し骨盤をつきだすようにして立っている。
金曜日の午後、広い店内にたくさんあるテーブルがどこも埋まっているところへ、ふらふらふらとはいってきたと思ったら、テーブルのひとつに寄っていってそこに座っていたふたりのおばちゃんに話しかけている。
おばちゃんは、「聞き間違えたんんじゃないよね?」という様子で、ちょっとびっくりした感じで聞き返しています。
一瞬、考えていたが、どうぞ、と言っておる。
ひょろひょろさんは、椅子を少しテーブルから遠くひきだして、正面のライブ演奏に正対して、というのはおばちゃんたちに横顔を向けて腰掛けてしまった。
シャンパンと(チーズと絡めて煎った)ポップコーンの相性が良いというのは、どーゆーことなんだ、とさっきから悩んでいたわしは、悩むのをやめてその風変わりなひとに見入ってしまった。
モニに、「変わったひとだのい」という。
モニもびっくりしてます。
店内に入ったら、テーブルの案内係を待つ、というのはジョーシキです。
案内係のおじちゃんもしくはおばちゃんあるいはおねーさまが気が付いてくれるまで、じっと待つ。
一応、礼儀をわきまえているつもりなら、「すみませえーん」ちゅうような間抜けな声を出して注意をひくのもよろしくない。
ただひたすら黙って待ちます。
そーすると、案内のひとが寄ってきてテーブルにつれていってくれる。
わしのように、「このテーブルじゃ嫌だ」とかぬかすとんでもない客がいないとはゆわれないが、ふつーはおとなしく着席する。
…と、ここまで書いてくだらないことを思い出したので書きとめておくと、日本にいたとき友達に話しても信じてもらえなかったことがひとつあって、有名シェフがやっているようなレストランでは、最上等のテーブルが店内にない、場合がある。
欧州でもアメリカでも同じです。
「あっ、ブッシュ様ですね。お待ちしてました。いつも、ごひいきにしていただいてありがとうございます」
とゆって、案内のねーちんにつれられて店の奥にはいってゆくとそこには秘密の小部屋があって、リフトになっているその小部屋は急速に地下にもぐって、砂漠で死んだ兵士の怨霊や真っ青な顔に血走った目のサダム・フセインが待っていて…ウソです。
もちろん、ウソ、ごめん。
そうではなくて、キッチンのなかに特別にしつらえたテーブルがあるのね。
シェフと話しながら、直截、こーゆーソースとか、ダメ?とお願いしたりしながら料理をつくってもらえる。
流行っておる。
閑話休題。
ひょろひょろした人は極めて異常な行動をとりながら、しかし悠然と椅子に腰掛けている。
次の瞬間、わしが「えっ?」と思ったのは、ウエイトレスがふつーの様子でやってきて、ふつーに注文をとって、ふつーに白ワインを運んできたことでした。
うーむ、と考え込む、たわし。
モニも、不思議そうな顔で見ています。
演奏が終わり、大きな拍手が起きると、ひょろひょろな人とテーブルを共有していたふたりのおばちゃんは帰ることにしたよーだ。
勘定書(ビル)のことをアメリカ方言ではチェックというが、チェック・プリーズでやってきたおにーちゃんに、耳打ちするように何事かやや熱心に説明しているのは、このひょろひょろした人は自分達のテーブルに座っているが、わたしたちの知らない人です、だからこの人のワインを勘定書に含めてもらっては困る、と説明しているのであると思われる。
おばちゃんたちが立ち去ると、次にはもっと不思議なことが起こったのであって、テーブルの案内のねーちゃんが、若い女の二人連れをテーブルに案内してきてしまった。
ここに至って、わしはぶっくらこいちまって声もでない、というか、この謎を解くには魔界の謎解きオタクを召喚せねばならないぞ、と考えた。
しかも、若いねーちゃんふたりづれの気立てがいかにも良さそうなひとは、ひょろひょろのひとに挨拶して、握手しておる。しかしながら、知り合い同士でないことは明瞭で、わしは、うーむ、うーむ、うーむ、と考えた。
全然、状況がわかりひんやん。
ひょろひょろ人は、白ワインを盛大にこかして、グラスが床にたたきつけられて割れたが、彼は顔色ひとつ変えない。
わしは、「あっ」と思う。
次ぎのセッションが始まった演奏の途中で、急にすっくと立ち上がって演奏しているひとびとのすぐそばまで行って仁王立ちになって見ていたが、テーブルに戻ってくるのに、違うテーブルのところへ行ってしまって、わずかにパニくっている。
そのうちに他のテーブルがあいたところで、ウエイトレスが若いねーちゃんのふたりづれのところへ来て、あいたテーブルを指さしながら、あそこに移りますか?と訊いているが、しばらくふたりで話し合っていたねーちゃんたちは、動かないで、そのテーブルにいることにしたよーでした。
わしは、見ていて、ちょっと涙ぐみそうになった。
ひょろひょろ人が来たときのように、また、静かに、だが唐突に席を立って帰ってしまうと、テーブルの上においてあるひょろひょろ人がおいていった勘定をウエイトレスがとりにきた。
実は、このウエイトレスは顔見知りのひとです。
グラスでワインを頼むと、ほんとうはテイスティンググラスに4分の1くらいのはずなのに、なみなみなみと八分目くらいまで注いでくれる親切な人である(^^)
目があったので
「なんだったのか、わからん」という。
ああ、あのひと、とそれが特徴の見るからに人柄が良さそうな明るい目で笑いながら教えてくれます。
「メディケーション、のひとなのよ。毎週、この時間にやってくる」
メディケーションのひと、というのは「治療が必要なひと」という意味です。
わしは念のために「ただの好奇心で訊いただけで、わしらが鬱陶しいと思った、とか、不愉快な思いをした、というわけではないからな」という。
わかってます、とゆって笑っています。
前に話した、義理叔父が遭遇した乞食のおっちゃんとタクシーの運転手にも、ちょっと似たところがあるがアメリカのひとたちは不思議なひとびとであると思う。
欧州ならば、国柄によってやり方が異なってもマネージャーがやってきて、「困ります」と言ってさっさと追っ払ってしまうか、そもそも存在していないように振る舞うか、どちらかです。
ニュージーランドやオーストラリアなら、見るからに憤慨したウエイトレスのねーちんがやってきて、失礼な客に抗議するだろう。
ひょろひょろな人が治療が必要な人か無茶苦茶失礼なだけのひとか、気がつきもしないであろうと思われる。
うまくは言えないが、これほど異なるものをこれほど静かに落ち着いて平常のなかで扱うには、普通に考えるよりも遙かに社会全体の巨大な精神的な健全さと「常識」が必要なことは、わしにすら容易に理解できる。
出来事自体は、ちいさなちいさな出来事だが、こういう小さな出来事のひとつひとつにでくわして、わしはアメリカ合衆国という国が、いまでも、その基底にどれほど健全なところを残しているか、おおげさに言えばカンドーすることがよくあります。
オサマ・ビン・ラディンをぶち殺して、夜更けのトライベッカで狂喜乱舞する群衆は世界中に報道されても、こういうことはニュース番組のヘッドラインにならないので、外国人たちはアメリカ人の、しぶといほどの健全さに気が付かないだけである。
このブログをむかしから読んでいるひとはよく知っているように、わしはもともとはアメリカ人が大嫌いだが、少なくとも敬意だけは、マンハッタンにいるたびに増大してくるもののようです。
「雨に濡れる自由」
May 27, 2011
1
人間の頭のスイッチの入り方というのは、訳がわからない、というか脈絡がない、というかなんのこっちゃというか、不明なスタートの仕方をする。
「War Horse」という芝居のことを考えていたら、いつのまにか戦争のあれこれを考えることになってリデル・ハートのことを考えていたはずなのに、日本式居酒屋の前を通って日本語も見た瞬間に、考えは、突然、「セシウム137はもしかすると乳腺に滞留するのではないか」というところにとんでいってしまった。
セシウム療法やチェルノブリでの反芻動物の記録が混線しているのに決まっているとすぐに気がついたが、ナスやもちこはん、優さんやジュラさんや仙台の「とら」さんのことを考えて不安でいてもたってもいられなくなってきてしまう。
うーん、あれは、どこで見た知識だろう、どんな話だったろうとずっと考えていて、午ご飯を食べに行くレストランに着くまで考え込んでしまった。
乳腺に滞留するとすれば成人だって女のひとびとは無事ですむわけがない。
子供の感受性でのみ低放射線障害があらわれる、という話ではなくなってしまうからです。
レストランはラファイエットにある気楽な店であって、いま確かアメリカと連合王国の両方で16週間ヒットチャートのトップを占めているアデル
http://www.youtube.com/watch?v=rYEDA3JcQqw
が、マンハッタンにいるときには毎日のようにやってくる店です。ごくごく自然にしていられるひとのようで店のひとにはたいへん評判がよいようだ。
午後3時ともなれば他に客もいないので、顔見知りのアフリカンアメリカンのねーちんウエイトレスと、よもやま話をした。
モニは「ガールズデイ」でお友達とでかけちったのでいないのよ、とか、
21日の「世界の終わりの日」にはどうしていたか、
ユニオンスクエアの近くに出来たノードストロームのアウトレットて、めちゃくちゃ安いんだぜ、
あのワイン店で働いているおじいちゃんはアンディ・ウォーホルの愛人だっっという噂のあるひとなのを知っていたか。
そーゆえば、アンディ・ウォーホルは「Society for Cutting Up Men」を名乗るおばちゃんに銃で撃たれて重傷を負ったことがあった。
「表面だけ見てくれ」とゆったのは、内面は砕け散ったガラスのようにもう残っていない、と感じたからだった。
そういうことを知っているヴィレッジのひとたちがいまも彼をその内面ゆえに愛しているのはなんという皮肉なことだろう。
60ドルの食事にチップをいれて80ドル払って、戸口にもたれかかって葉巻をくわえたねーちゃんが退屈そうに店番をしているギャラリーに寄って帰ってきた。
それは、(多分)微生物のイメージでつくられた極彩色の造形がコンピュータの画面のなかをゆっくり動きまわる、なかなか感じのよい展示であって、値札の25000ドルを払う気はしなかったが、のんびりするには良い展示でした。
「さんきゅ」とゆって店をでかかったが、急におもいついて、
「セシウムって、知ってるかい?」と訊いてみた。
「セシウム? なに、それ、クラブの名前かなにかなの?」
笑うと以外なくらい幼い顔になるねーちゃんは、にっこり笑ってこたえておる。
「雨と一緒にふってくるのさ。たまらないと思わないか。そんなことがあっちゃいけないんだ」
「?」
ねーちゃんは、ひょっとするとこのバカでかいにーちゃんは発狂しているのではないかと思ったに違いない。
まだ、わしを見つめてにっこり微笑しているが、心なしか微笑が凍り付いておる。
「じゃ、またね」というと、やっと安心したように、
「よい午後を」という。
別に信じてくれなくてもよいが、バカわしは涙がでてきそうになるのをこらえるのに苦労した。
雨に濡れる自由すらない国で、これからあの国のひとたちはどうやって生きていくというのだろう。
ガメは涙が出てきそうになると襟を立てる癖があるといつもモニに笑われるが、
このクソ暑い天気じゃ立てる襟もありゃしない。
ちぇっ。
2
帰りに寄った不動産屋でアメリカ人のバカ英語を1時間聞いていたら頭痛がしてきた。
英語の発音から品性というものをいっさい省きとって、10までのボリュームを無理矢理12にまであげるとアメリカ人の「英語」になる。
おまけに「R」用反響型アンプリファイアつきです。
とうてい人間の言語とはおもわれない。
レストランやバーでも、たとえばロンドンのレストランに較べてニューヨークのレストランは店内の「音」が悪い。
ロンドンの低いが明瞭でしっかりした響きが木霊しているような店内に較べて、ニューヨークのレストランは5つ星でも、男達の涎がついていそうな下品極まる「R」や、アメリカの女たちに特有の、どう表現すればいいか、喉の奥で金属製のカエルがクルマに挽き潰されたとでもいうような嫌な音が耳について、わがままが言えるような高級料理屋ではテーブルを変えてもらうこともよくあります。
観察していると、身体が小さい女のひとに、あの「地獄の声」の持ち主は多いようだ。
身体が小さいせいで声帯も短いので、ああいう性質の声をつくらないと合衆国のすさまじい騒音のなかでは声を届かせられないのだと思われる。
美しい女のひとが蝦蟇の群れが喉の奥でいっせいにうがいを始めたような酷い声で、テーブルを囲むひとたちに向かって絶叫しているのを見ていると、アメリカという国は、なにがなし、もの悲しい国であるな、と思えてきます。
わし自身の英語は、この頃は特に「えっ?」と聞き返されることがあるようになってきた。
相手にあわせる親切心がだんだん失せてきたからで、育った環境で使っていた英語がそのまま出てきてしまうことが増えたからでしょう。
アメリカ人の表現によると
「ガメの英語は、なんだか怠け者が投げやりに話しているよーだ」
「単語の頭のほうしかちゃんと発音しない」
「どもってるひとみたいだ」
という。
うるせーんだよ。
あんたらのほうが訛っているので、わしの話している言葉を「英語」というのじゃ。
あんたらが鼻について嫌みっぽく思うアクセントはちゃんと省いて話してやっているではないか。英語の心、米語知らず。
ときどき、嫌味な性格を発揮して、揶揄かうつもりでアメリカ語の下品まるだしのアクセントで話してやると、マジメな顔をして「なんだ、普通にも話せるんじゃないか」とかゆっておる(^^)
言語が腐ると皮肉も通じないもののようである。
ともかく、不動産R男の下品英語の攻勢に耐えて、回転ドアを開けて出てくる頃には、わしはふらふらであった。
マンハッタンは好きだが、ここのひとびとの英語にだけは慣れるのは無理なよーでした。
3
もう二週間もしたら欧州へ移動しなければならない。火山灰を心配してくれるひともいるが、モニとわしは「火山灰が南に降りてきたら、そのままいればいいや」というチョーえーかげんな予定なので、それはどうでもいいのです。
わしはjosicoはんがツイッタで火山灰の話をしているのを読みながら、
「せめて放射性物質も火山灰のように目に見えればいいのに」とヘンなことを考えた。
もうひとりのツイッタ友達の「とら」(@toratanuki1 )さんが、
仙台のうららかな陽に庭石でえばっている自分の家の猫のことを書いている。
あんなうららかな光景に死の影がさしているなんて考えられるわけはないだろう。
フクシマの事故が起きてから一ヶ月は、世界中の人が「逃げろ!」「頼むから逃げて」
「なぜ逃げない」「逃げてから戻るかどうか考えればいいじゃないか」と日本に向かって叫び続けていた。
なぜあれほどの被曝を受け続けながら汚染された町に居座っているのか理解できない、と考えた。
しかし、想像力を働かせてみれば、いつもと同じ風景の何も変わらない穏やかな住み慣れた町にいるのに、「逃げろ」とゆわれても、ピンとくるはずがない。
セシウムやストロンチウムの同位体がせめて火山灰のようなものであれば、窓を閉めきっていてさえ見る見るうちに室内に堆積する「汚染」に怖じけをふるって、あるいは嫌気がさして、その場合にはたとえ無害でも逃げ出したことでしょう。
人間もまた自然の一部なので、自然の世界の事象には「勘」というものが働く。
泥水色の濁水は「飲んでもダイジョーブです」とゆわれても、なかなか飲めるものではない。
クルマの表面も干した洗濯物にも肌にもシャツにも髪の毛にも、しつこくしつこくまとわりついてくる放射性物質が目に見える汚れならば、言われなくても遠くの町に行ったのかもしれません。
勘が働かない、ということは防御の姿勢がとれない、ということでもある。
目に見えないものを「危険だ」とゆわれるのも「安全だ」とゆわれるのも、どっちも人間にとっては「実感が湧かない」点では同じで当たり前である。
どちらよりに考えても起きる実感が同じならば、いままでどおりの方が楽でもあれば「安全」でもあると考えるのは当然のなりゆきなのかもしれません。
まして、ただでさえ日本では絶対に信頼できる存在の「おかみ」が「安全だ、安全だ」とデマを流し続けているのだから、国民の義務として自分の直感を偽るというほうが安心も出来るでしょう。
家に戻って、インターネットで見てみると、過去にはセシウム137が乳腺に蓄積されて乳癌を発症したという確かな例は一例も見つからなくて、少しほっとしました。
こんな特殊な症例に過去例がないからといって安心するのはバカげているが、あるよりもないほうがよいに決まっている。
ほっとして、コンピュータを閉じてから、日本の人には「雨に濡れる自由」すらないのか、と考えて壁をなぐりたい気持ちになった。
ウソツキどもめ。
恥知らずめ、と思うが、世界中に縦横に張り巡らされた「原子力村」ネットワークの長(おさ)役たちは、日本の人たちの健康を犠牲にして「そういえば、そんな事故がありましたな」とでもいうような穏やかな顔をつくってみせるだろう。
あれほど巨大な事故が、日本という国への心理的距離と自分達の使命として課せられたオカネ稼ぎの思惑でほぼなかったことにされてしまう。
それが日本の政府にとっても「彼ら」にとっても利益だからです。
前に、友達のもちこはんが「ガメさは、傘ささないのか?」と訊いていたことがあったが、もちこはん、わし、もうどこにいても傘さすのはやめました。
ニュージーランドにいるときに限らず、あのドキタナイ空気のバルセロナでも傘さしたくない。
服がぐっしょり濡れて、黒い筋が袖につくようになったら、きっとわしはまた日本の人がおかれた「勝利」というものも終わりもない戦いを思い出せるだろう。
ちゃんとは思い出せないかもしれないが、少しくらいは思い出すと思う。
明日、傘、捨ててくるね。






