Sei matto

February 24, 2012

エンリコ・フェルミは、ローマの人で、20世紀を代表する科学者のひとりです。
理論にも実験にもすぐれていて、ほぼジョーダンのようなひとであった。
マイケル・ジョーダンのようにバスケットボールで超人だった、という意味ではなくて、物理学の世界で非現実的なくらいの才能を発揮したひとだった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Enrico_Fermi

人間の歴史上、最高の科学者は誰か、といえば、イギリス人なのでべたぼめするには甚だしく都合が悪いが、アイザック・ニュートンに決まっている。
ニュートンというひとは、神様のやることを微分してしまった初めのひとであって、その「微分」といういまでは世界を理解するためには人間にとって最低限不可欠で絶対に必要になった道具を使って、たったひとりで世界を初めから最後まで説明してしまった。
2番目、ということになると、候補が200人くらいいると思うが、フェルミはフォン・ノイマンやアインシュタイン達と並んで、最後の5人にはいるくらいのひと、と言って間違いにはならないだろう。
わしが物理を教わった先生はフェルミを2番目に偉大な科学者だ、とゆっていた。
2番目だったらアルキメデスちゃうかなあー、と不服に思ったので、よくおぼえている(^^)

ツイッタで、「光より速い素粒子」が誤りかというニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120223/t10013237921000.html
について、「イタリア人なんかに機器を扱わせるから実験を間違うのだ」という、なんだか「日本人の傲慢」を絵に描いたようなコメントを見てぶっとんだが、それに同調して笑ったひとも多かったようだった。
わしは思わずカッとなって、たったひとりのフェルミも出なかった国のくせに、くだらねえことを言って得意がってんじゃねーよ、と悪態をついてしまった。
まことに心性として下品である。
温和で成熟したおとなであることをもって四海に鳴るわしとしたことが、はしたないことであった。
ツイッタでイタリア人を小馬鹿にしていたのは防衛省の元役人のおっちゃんだったが、いまだにハーケンクロイツのお友達なのが誇らしくてたまらなかった軍国のむかしを懐かしんでいるらしい日本の自衛隊の雰囲気がよく判るような発言だと感じました。

恋人と母親を同一視してしまう不思議な習慣や素材を重視する料理への考え方において、イタリア人と日本人は似ていると思うことがある。
英語圏では男が女の乳房にふれることは女が男のち○ちんに触れることとまったく同等であって、男が女の乳房にあまえて吸い付くなどという不気味な愛情表現はありえないが、イタリアの男には、そういう人もいそうな気がする。
「20年も一緒にいれば、女房なんてかーちゃんみてえなもんだから」というようなことを、イタリアの人はおおっぴらにいう。
ふと思いついて「日本では実際に、『かーちゃん』と呼ぶのよ」というと、さすがにぎょっとしたような顔になるが、すぐに笑って、「気持ちわかるよ」といいます。
英語人なら、「そういう気持ち悪い話題を口にだして言うなよ」と考えて顔をしかめて返事をしないところである。

なんだかものすごくマジメなのに一方で破天荒なくらいデッタラメな印象も、日本とイタリアは似ている。

観察していると、日本のイタリア人に対する感覚は、たとえばドイツ人のレッドネックが言うことのオウムの口まねに過ぎなくて、「イタリア人はなまけものだから」というようなことを述べることによって、あたかも自分がドイツ人並である妄想にひたるものであるらしい。
ひどい「西洋コンプレックス」(という言葉は、もう死語だべ、と思っていたのに)に陥っているおっちゃんやおばちゃんたちほどイタリア人を小馬鹿にしたような冗談を言いたがるようで、それをネタに先進文明人ぽく盛り上がるのが好きなよーだが、横で見ているわしのほうはゲンナリしてしまう。
カンベンしてくれ、と考える。

理由は簡単で、わしはガキンチョのときからイタリアとイタリア人の築いた文明を途方もなく尊敬しているからです。
いま、われわれが西洋文明と呼んでいるものは、要するにローマ人がつくった文明のことである、という大枠もあるが、何よりも、たとえば父親のイタリア人友達の家を訪ねていけば、階段のてすりには精妙で典雅な彫刻が一面にほどこされ、息を飲むような壮麗なデザインの壁紙があって、室内が一個の美の宇宙をなして、「美の洪水」と呼びたくなるような空間をつくっている。
町を歩いても、イタリアに行って、多少でも観光地でない下町を訪れたことがあるひとなら誰でも見知っている3輪のトラックや、道路の脇にさりげなくとめてあるビアンキの美術品に最も近いモーターサイクル、フロレンスの間口一間で、ほんの少しの空間を店にしてあるだけで後ろに広大な工房がひろがる職人たちの店の傍らに飾ってある得も言われぬ形の靴や鞄、人形、文房具。
イタリア人がもっている「美」への偉大な感受性は、現代の工業製品にも活かされていて、そこへいくとイギリスやドイツなどのイタリアに較べれば圧倒的に文明が遅れている国の製品ときたら、「機能的」と言い訳することになっているデザインができないことへの体裁の良い言い訳でつくられた不格好な外見に、残りの特徴は「壊れない」という頑健で病気をしないのだけが売り物の農夫の美点じみた売り文句だけである。

言うまでも無く「典雅」や「優美」というようなものはイタリア人のものであって、夏の保養地ひとつにしても、コモの湖に行けば、他のアメリカや欧州の保養地のような地域全体が見るにたえない安普請な書き割りじみたいまできの開発とは異なって、そもそも保養地というものがどういうものであったかを教えてくれる。

オペラひとつとってもワグナーが大好きな日本のひとの趣味は、それはそれでいいに決まっているが、わしはミラノ人のジュゼッペ・ヴェルディやトスカナ人のジャコモ・プッチーニのほうがワグナーの百倍は好きである。
もっともそれは「軽み」や「弱々しい線で描かれた繊細」がないところには文明を感じない、わしの感じ方の問題が大きいのは自分で知っているが。
ワグナーも、付き合いでときどきは聴きに行くが、あんまり伽藍っぽい音楽を聴かされると、つい、ダッセエー、肥だめの臭いがするわ、とかいけないことを考えてしまう。
ワグナーのクライマックスで、緊張の面持ちで陶酔している観客席のまんなかで、ひとりでつまらなさそーにしている態度の悪い顔のガキがいたとしたら、わしであるに決まっておる。

ちびガキンチョの頃は、両親の強制お供で、あんなマクドもタイムアウトもないとこに行くのやだなー、だせー、と思いながらよくひきずられるようにしてイタリアへ出かけた。
着いたら着いたで、ぺらぺらとイタリア語をよくしゃべる妹を横目に、くっそー訳わからん言葉でしゃべりまくりやがって、おしゃべりな国民だのおー、と、まさか口には出さないが心のなかでは悪態ばかりついていた。

それがだんだん「文明」というものを理解できるようになってくるにつれて、自分達が作っている万年筆について「熱狂的」というしかない態度で「お若いひと、お若いひと」と繰り返し呼びかけを挟みながら、わしのような愚鈍なガキに二時間も熱心に説明してくれるおっちゃんや、相手は子供であるのにはにかみながら、テーブルにゆるゆると近付いて「料理、おいしいかい?」とゆって、おいしい、というと、これもあれも、と料理屋のおごりで出してくれた若い料理店主、夜の山の斜面にぽつんと小さな灯がともっていて、何も書いていない、ツタにおおわれたドアを開けると壮麗なインテリアの広大な空間がある田舎町のレストラン、
二年も経って訪れたのに、「まあー、よく来たわね!元気だった?風邪はもうなおったの?」と大喜びで迎えてくれる村のひとたち。
フクシマの原発の話をして、でも、日本の科学者は安全ってゆってるみたい、と言うと
「安全でも、わたしはやっぱり子供達が心配だよ。どうして逃がしてあげないのかねえ」とゆって、俯いて、すっかり涙ぐんでしまっているおばちゃん。

コモの村では夏には、中世騎士時代のトーナメントやヘイスタックを転がして競争する中世以来のスポーツ大会、あるいはむかしの農機具や家具をひっぱりだして、中世の服をみなで着て生活を再現するフェスティバルがあるが、そうやって「文明が2700年前くらいからずっとまっすぐに現代に続いている」、重層的というよりは、たおやかな流れのような明るい文明の感じは、当然、ところどころで断絶した文明の切り口の黒々とした傷がのぞいている連合王国のような国とは違っていて、イタリアという文明のすごさを感じる。

そーゆー小難しいことを並べられて、ブンメイ、ブンメイって、カステラのコマーシャルみたいなことゆわれてもねえ、という、そこのきみ、きみは、そーであるなら、えっこらせと腰を上げて、北でも南でもかまわない、イタリアのどこかの小さな町へでかけてみればよい。ちゃんとクルマや鉄道に乗ってでかけてゆく、小さな町や村でなければダメです。
ロンバルディアのようにもともと富裕な土地がらのところのほうが、あるいは、初めての旅行者にとっては、とっつきがよくていいかもしれん。

入り口の感じでおいしいそうだと判る、観光客がいない地元のひとで賑わっている店は、よそ者には入りにくいが、勇気をだして入れば、あるいは言葉が全然できなくてもイタリアの人はちゃんとにっこり笑ってテーブルに案内してくれる。
メニューをあけると、日本のイタリア料理屋に較べて妙に安いピザや妙に高いパスタが並んでいるでしょう?
運がよければ、えっ、なんで卵二個がトマトソースに浸かってるだけの料理が、こんなにすんだよ?というようなトマトソースの料理があるだろう。
値段にすればパスタの二倍、ピザの四倍くらいする、その料理を頼んでみるがよい。
ト、トマトって、こおおおおんんなに旨いのか、というような濃厚な、しかも「何か」がはいっているせいで天上の味がするので、きみはぶっくらこいてしまう。
おかーさんの味、なんだぞ、あれ。
2000年以上、母親から母親、姑からお嫁さん(^^)、おかーさんから娘、に延々とうけつがれてきた味が、トマトソースに化けて、きみの目の前の皿のなかにある。
きみやわしには触れてみるまでは価値がわかりにくかった、スープ皿のなかにも、町のところどころにある水飲み場にも、敷き詰められた道の舗石にさえたゆたっている、よく目をこらしてみなければみえないもの、あれこそが「イタリア」なんですのい。

ほんでわ。
Buon divertimento!

むかしの日本のマンガに出てくる「おフランスの画家」はベレー帽をかぶっているものと相場が決まっていたように見えるが、このベレー帽というオモロイ形の帽子はバスクのものである。
バスクの町に行くと、いまでも通りの至る所にある不思議なくらい座り心地の良いベンチに腰掛けているじーちゃんたちは、みなこの帽子をかぶっている。
フランス人は他にもいろいろなものをバスク人の生活をチラ見して盗んでまねっこしてきたが、その影響は食べ物において最も顕著です。

自分達の伝統料理がどの国からヒントを得てきたか当のフランス人たちはよく知っているので、フランス人はよくバスクにでかける。
バスクの町々がスペインのなかでは比較的にフランス語がよく通じるというのも、そのことの原因であり結果でしょう。

実際バスクは安くておいしい食べ物を食べて安くておいしいワインを飲んでのんびりしたい人にとっては天国のような場所である。
通りごと夢見ているようなバスクの通り

をぶらぶら歩いて行って、そこここにあるピンチョスバーにはいると、カウンターの向こうのにーちゃんたちが「オラッ!」とゆって迎えてくれる。
きみはまずおもむろにアンチョビを注文するであろう。赤みのあるほうが味がきつくて白いほうはやさしい味がする。わしは白いほうのが好きです。


ピンチョスが並ぶカウンタから、いくつか見繕って皿に載せる。

それからワインを選ぶなんてこういう場合仰々しくてメンドクサイので、カウンタのなかのにーちゃんに、ハウスワイン一杯ね、とゆいます。
こういう場合、フランスの町やバルセロナでは、こんな田舎の小さなバーでは小さなワイングラスか、あれはあれで良いものだが、グラシアの町ならコップで出てくるかもしれません。
ところが、バスクでは、大きな、立派なテイスティング・グラスで出てくるのさ。
それがバスク人、というものなのです。
なんでも格好良くないと、つまらん、という気持が町中に漲っておる。
薄汚いものがいっぱいある国のあとだったりすると、スカッとします。

赤ワインを二、三杯飲んで機嫌がよくなったきみは、大通りに足を向ける。
ピンチョスバーは5時くらいから店を開けて客を待っているが、大通りの店がぼつぼつと開き出すのはバスクでは午後8時くらいである。
9時くらいになれば、人が大勢あらわれる。

一見観光客向けのように見えるレストランでもバスクの町では、ちゃんと食べ物をつくり、きちんと選んだ飲み物を出すので、地元の人のほうが多い。
平日は11時をまわると、ほとんど地元の人だけになります。

いまはまだ8時なので、きみは、もう一軒ピンチョスバーに寄っていこうかなあー、と考える。
さっきのバーは威勢の良いにーちゃんたちがやっているモダン・ピンチョスだったので、今度は伝統的なピンチョスがうまい店がいいかしんない、ときみは考える。
そういうときに行くのは、中年の夫婦者がやっている、こういう店よね。

さっきのピンチョスバーでは、にーちゃんたちが話しかけてくるのは、
「ねえ、きみは昨日の晩のイギリス人の女の子たち3人がやっているバンド見に行ったかい? かっこよくて、足から股間まで熱くなっちまうよ。
おれたち、今日も、見に行くのさ」
なんちゅう話だったのが、ここでは、おばちゃんがカウンタから身を乗り出して、
「どうして、銀行はあんなに汚いんだろう。
わたしとあのひとが苦労して手に入れた家を、手放せなんていう。
あんた、信じられるかい?
あんたの国でも、そうかい?」
とシブイしわがれ声で話しかけてくる。
ピンチョス自体もシブイっす。


赤ワインをもう3杯も飲んで、おばちゃんの声につられて奥から出てきたおっちゃんもくわわって、金持ちどもは、つるみやがって、おれたちからカネをむしりやがる、許せないよ、という話を聞き終わった頃には、きみはすっかりお腹が空いて、マジなものを食べなければもたんのお、と考えます。
だから、レストランの通りへと移動する。
そういうときに、豪勢なレストランに行く必要はなくて、ひとりなら20€もだせばワインと水を含めてもおつりがくるようなレストランで十分である。

食前酒は、もう、少し飲んだあとだからとばしてもいいだろう。
バスクの名物、マルミタコ(鰹とじゃがいもとトマトの煮込み)(すげー、うめっす)

をまず頼む。腹がすきまくっているので、
タコやイカや貝がはいりまくったアロス雑炊も頼むであろう。

これ食べないと、わし生きていかれないし。
さっきバスクの地ワイン、チャコリ(すげえー安くて一本3€すなわち330円もしねーのでも無茶苦茶うまい白ワインでがす)を頼んで飲み始めている関係上、きみは魚でいくべ魚で、と決めておる。
バスクに来て、バカラオ(鱈)のピルピルソースを頼まない人はいない。


本気を出して食べまくるきみをひさしぶりに見た、きみの愛しい人は、眼をまるくしながら、テーブルの向こうで帆立貝を食べておる。

ここがフランスならば、ここでチーズが出てくるところであるが、きみはバスクにいるのであって、バスクとゆえどスペインの一部なので、委細かまわず甘いものを。
甘いもののセットがトレイででてきちゃったりして

甘いものを食べ終わると、しつこく繰り返すと、いるところがスペインならば、わしが大好きなHIERBASがある。
ちょうどレモンチェロのように冷凍庫にいれて瓶に霜がついているのを出してくれるはずである。

強い香草の香りがする。
あまりの幸せに泣けてくるようなリキュールです。

そのうちにウエイターおじちゃんがやってきて、「もういいの?
もう、ほんとうに、これ以上いらないの?
じゃ、勘定をもってくるとするか」
なんちゃいます。
きみの、食べたものの割には、間違ってるんちゃうの?と思うほど安くて、全部ひっくるめてふたり分100€いかない勘定は、最後のしめくくるのお菓子と一緒にくる。

あああー、ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ。
書いてても、バスクに戻りてえなあああ。
もうすぐカリフォルニアに行かねばならないが、何が悲しゅうて、あんなド退屈なところに行かねばならんねん。

わしが好きなのは、たとえば、この写真を見よ(^^;)

イギリス人たちのシブイブルースバンドが演奏する午後8時のプラサで最前列に陣取って魂のリズムに身を揺するガキども(^^) 

広場を横切るヘン・パーティ(頭がへんなひとのパーティではない。結婚する女の子が女友達だけで仮装して町を歩いて見知らぬひとびとからの祝福を受ける西洋全体の習慣でごんす)にカメラを向けたら、とんできて、ぶっちゅうーとキスをされてしまったりする、

人間がまだ人間であった頃の趣を残している欧州やオーストラリア・ニュージーランドの町である。

カリフォルニアなんか、いきたくねー。
用事を精密にセットして最短滞在記録を更新してくれるわ。

ビルバオの子犬さまも、わしが欧州を去るので後ろを向いてすねておられる。

やだなあー。
カリフォルニア。
けっ。

静かな街

August 2, 2011

サンジェルマンデュプレにあるJの店に昼食を食べに行った。
8月1日なので、まともなレストランはみな閉まっているが、Jの店は開いている。
むかしから、そうです。
電話すると、「あー、じゃ、息子も呼んでおくから4人で一緒に昼ご飯を食べよう」という。「どうせ、こんな時期に客なんか来やしないから」

Jの店は、小さいが、なんでもおいしい魔法料理の店のような料理屋です。
フレンチバスクの料理が得意なシェフのDが厨房を仕切っている。

店にはいってゆくと、女の子の先客がいて、何事か必死に頼んでいる。
大学生だと思うが、小さく飛び跳ねてなんだかチビちゃんがわがままを言っているようでかわゆい。
Jは、女の子の肩越しにモニとわしをちらと見てから、女の子に奥を指し示している、と思ったら、Jが奥を指さすのと同時に女の子はくるりとこちらに身体の向きを変えて店を出て行った。
「おいおい、待ちなよ、いい、と言っているじゃないか」というJの声は聞こえなかったもののよーである。

トイレを貸してくれって、いうんだよ。
だから、もちろんうちのトイレを貸してあげるのは良いけれど、そこの公衆トイレはとても綺麗だから、ほんとうはそっちに行ったほうがよいと思う。
そうでなければ、そのヘンの珈琲屋にはいって一杯の珈琲を頼んでからトイレに行きなさい。もうオトナなんだから、社会のルールを憶えなければ、といったんだが。
Jは肩をすくめると、気を取り直して、モニとフランス式に抱擁をかわして挨拶する。
わしとは、わしが奥義を教授してしんぜたニュージーランドのマオリ人の挨拶をします。
鼻と鼻をくっつける。

バーのカウンタの下からこの店の自慢のロゼをとりだすと、モニとわしに一杯づつ注いでくれます。

息子のPがやってきて、モニとわしに挨拶してから、カウンタにはいってなにごとか準備している。
Pは17歳になったばかりで、いかにもまだ少年の初々しい顔です。
はにかむと、少女のようだ。

Jとわしらは、パリの変化の話をした。
途中からPもくわわって、みなのワインが切れるたびに細かく気を配ってワインを足してくれる。

あいかわらずサンジェルマンデュプレの「ビーチ」は人気がある。
だから夏も開けておくんだけど、ちっとも客はこないのさ。
みんな、そのへんでサンドイッチを買ってコーラを買って、おれの店にはトイレを借りに来る。
そんな客ばっかりなんで嫌になるよ。
シャンゼリゼのヴァージンメガストアは、まだあるんだぜ。
なぜ、パリだけが生き残るのかみんなで不思議がっているのさ。

外は29度で、ものすごい暑さ。
静かな太陽の光がじりじりおいあげてくるような暑さである。
熱さ、と書いた方がいいかもしれない。
モニとわしは「ビーチ」を歩いてきたが、ビーチパラソルを抱えた上半身裸の男や女たちがたくさん歩いていた。
浮浪者が酔いつぶれて寝ているすぐ横でアフリカ人のカップルがいつまでもいつまでもキスをしている。
橋の下を通るときに、ホームレスのねぐらから、嫌な臭いがぷうんとする。
遊覧船に難民みたいに詰め込まれた世界中からやってきた観光客が、どこを見ればいいのかよく判らないような顔をして川沿いの風景を眺めている。
荷船のキャビンの上にサマーベッドを出した運送屋の奥さんが水着で日光浴をしている。
操舵輪を握った旦那がそれをぼんやり眺めている。
いつものパリの夏の光景。

料理は相変わらず超一流で、英語ではキャセロールという名前になるはずのおおきめのココットに平たくつくったポーチドエッグを敷いて、その上にクリームソースとサーモンを載せて焼いた前菜もうまかったが、豆を裏ごしした緑色とマスタードベースの黄色と、この店の売り物のひとつであるブラウンソースの3色のソースの海につかったシャロットと豚のヒレ肉、なすびと豚の挽肉をつかってつくったステーキにベーコンを添えた肉料理も、スズキのグリルもおいしかった。

最後は、縦にふたつに切った巨大なババにラムをたっぷりかけて食べました。

うまかった。
ロゼがうまかったのでひとりでリヨネ瓶(46cl)2本(要するに一リットル弱)飲んでしまった。
アルコール中毒の研究がむかしからフランスにおいて最もすすんでいるわけである(^^)

帰りは、たまにはシャンゼリゼにでも行ってみるべ、と考えて広場を横切って延々と延々と行列がつづくノートルダム寺院の前をとおって、季節通り遊園地がやってきたチュルリー宮をぬけて、シャンゼリゼを途中まであがっていったが、暑いのと観光客の数のものすごさに負けてタクシーに乗って帰ってきてしまった。

タクシーに乗ったところでモニが、「さっきのJさんの息子さんて、ほんとうに息子さんなの?」という。
やはりモニには判ってしまう。
「ボーイフレンド、です。一緒に住んでいるんだよ。モニにも会ってほしかったから呼んだのだと思うね」
Jはね、あのひとをとても愛しているんだよ、とゆった途端に自分でもなぜだかは絶対に判りそうもない涙が出てきてしまった。
モニが人差し指でぬぐってくれる。
Jがレストランを開く前の激しく過酷な報道ジャーナリストとしてのキャリアをいまここに書く気はしないが、わしはパリにやってくるたびにJに必ず会いにいくだろう、と考えました。

パリという街は表面は静かだが、その滑らかな表面のしたに、途方もない葛藤が隠れている街です。
英語人ならば正面から正直に述べて鋼鉄のような表情をつくって身構えるところでフランス人は真実よりも切ない嘘をついて、肩をすくめてみせる。
あの、都会にしては薄気味が悪いほどの「静かさ」は、きっとそこから来るのでしょう。
パリ人の魂の、激しい、荒々しい息づかいは、夜のあいだじゅうベッドに横たわる人間を凶暴に蹂躙して、罪におののかせ、疲れ果てて眠りにつき、石畳と川面に反射する太陽がのぼるころには、取り澄ました顔を取りもどして、なにごともなかったかのように朝の鎧戸をあける。
神様もうっかり見逃してしまうような自然さで口にされる嘘が真実よりも重い文明というものの上に、この静けさは出来ている。

ノートルダムの屋根の上に蹲るガーゴイルがもの思いに沈んでみえるのは、そういうJやPのような人間たちを、ずっと眺めつづけてきたからなのかもしれません。

(画像はシャンゼリゼ名物お乞食さんの夕方の出勤風景。左側の女の子がお乞食さん、右の黒頭巾のおっちゃんがお乞食団の団長です。ダブルクリックすると判るが、お乞食稼業も、おパリでは、なかなか楽しそうである(^^) (皮肉じゃないのよ)


1 

モニと結婚する前は、フランスを旅行する、というと昼食はトラックの運転手さんたちが集まるところで摂る、と決まっていた。
街道のあちこちにあるこういう定食屋は、おいしいし、安いからです。
日本でゆえばでっかいポテトサラダみたいなのとかサラミが10枚くらい載っていてマヨネーズさんがかかっているみたいな前菜、本家なのだから当たり前だが、これはこんなうまい食べ物だったけかと思うほどおいしいフレンチフライがごしゃまんと脇に積まれたビーフステーキ、何種類でも自分で勝手に切り取って食べればよいチーズ、赤ワイン500ml、それにクランブルレと珈琲がついて10€、というのが相場であった。
そういう謂わばフランス式定食屋神田食堂が至る所にあるのがフランスという国のもうひとつの良い所でクルマでどこからどこへ移動しても、お腹がすいたところでテキトーに昼飯を食べて、夜はまたテキトーによさそうな食堂にはいって、部屋が食堂についていれば、そこで泊まればよい。
気楽なもんです。

モニというひとは、しかし、そういう場所に一緒に行くとはなはだしく場違いなひとで、
食堂に一歩はいるなり、食堂のおばちゃんたちは、し、しまった非現実的なものを見てしまった、という顔になり、トラックの運転手さんたちは、怯えた表情を浮かべて顔をひきつらせている。
別にモニさんが目を燐のように輝かせて口から紅蓮の炎をはきだしているわけではありません。
やや現実味を欠いているほどの美人であるモニが店にはいってきてしまったので、店のなかが皆「どーしよー」という空気になっているだけである。

その後ろから、義理叔父にゆわせると「極楽のトンボでも怒り出すくらい気楽そうな」わしがはいってゆくと、冗談ではなくて、いっせいに安堵の空気がもれる。
よ、よかった、人間のお供が一緒ではないか、おまけになんだかへらへらしていてちょっとバカそーだし、と思うもののようである。

パリの郊外で週末を過ごすことに成ったので、モニとわしはモニかーちゃんご一行さまよりひと足はやく移動することにした。
途中、お腹がすいてきたので、「お昼ご飯、どーしよー」とモニに訊くと、
トラック食堂に行こう、という。
えええええー、と思ったが、ひさしぶりでもあるし、ま、いいか、ということにした。

最後にこの手の定食屋に来てからだいぶん時間が経ってはいるが、いまでも全然おんなじです。

狭い店内にはトラックの運転手さんたちがひしめいていて、テーブルはみな相席で満員である。

メニューは相変わらずほぼ上記のごとき内容で、しかも2年は経っているのにまだ10€である。
おばちゃんたちは初めモニに話しかけるときには「おっかなびっくり」という表現がぴったりの様子だったが、モニというひとは平明なひとなので、ひと言ふた言言葉を交わしただけで、安心するばかりか嬉しくなってしまったようでした。

おばちゃんたちが忙しいのに、なにくれとなく気をつかってくれるので昼食は楽しいものだった。

前菜を食べ終わったくらいのところで、ふたりの大学生がはいってきて、モニとわしのテーブルの隣でトラックおじちゃんと相席をすることになった。

なにしろ狭い店内なのでモニが椅子を動かして道をあけてやると、大学生ふたりは、大恐縮して、盛んにお礼をいっておる。
ふたりとも身なりのよい、気持のよい青年である。
向かいで炭酸水ボドアをちびちび飲んでいたおっちゃんが、ふたりの青年に向かって、話かけ始める。
自分はクルマを運搬する途中でここに寄ったのだが、今日は天気もいいし、道も空いているし、いい日でした。

ふたりの青年は、返事をしません。
失礼にしている、というのでは全然ない。
ごく自然に返事をしない。
片方の大学生はおじちゃんの顔を見ているが、もう片方に至ってはおじちゃんの座っている「方角」を見ているだけで、まるで横から見ていると、あたかもトラックおじちゃんは亡霊であって、青年には見えていないもののごとくである。

おじちゃんは、相変わらず機嫌よく話しかけているが、とうとう勘定をすませて立ってゆくまで、このふたりの青年は、メニューに載っている食べ物の相談やこれから出かける先の森についてお互いのあいだだけで会話するだけで、トラックおじちゃんにはひと言も話しかけるとか返答する、というようなことはなくて終わってしまった。

あまつさえ、おじちゃんは「では、ご機嫌よう、気をつけて旅をしてくださいね」と挨拶をしていったが、別にこのふたりは挨拶を返すというのでもない。

わしは、フランスだのお、と見ていて思います。
フランス人の習慣では、別にこのふたりはおっちゃんに対してケーベツ的な態度をとっていたわけではない。
「話をする場面ではない」から話さなかっただけです。
日本では「身分ちがい」というような事を聞くと、幸せにも、みながその時代錯誤な語彙にふきだしてしまうが、フランスではいまでも「身分違い」という事が厳然とある。
身分が下のものは、身分が上のものに話しかけたりしないことになっておる。
おっちゃんが盛んに話しかける失礼はとがめないとして、このふたりがおっちゃんに返事をする理由はなにもないので、ふたりは、まるで自分達に見えていない幽霊と相席しているかのような態度にみえたのでした。

だから何よ、とゆわれても困る。
ずっとずっと大陸欧州にすんでいる日本のひとから来たメールのなかに、フランス社会の「身分」について触れているところがあって、それは殊更にフランス社会に厳しい身分の区別があることを嘆いている、ということでは無論なくて、話の一環として、単純に身分について触れていて、こんなに長いあいだ住んでいるのに、どうもいまだによーわからん、と書いてあったのでしたが、読んでいたわしは、そーか、このひとも欧州に長く住みすぎて、到頭、そんなところまで見ちゃったのか、と考えたので、自分で考えてみるヒントとして定食屋で見たことを日本語で書いてみよう、と思っただけである。

連合王国では、他の「西洋」と同じ、人間の社会でもっとも大事なのは「礼儀」である。
失礼な人間にはまともにものを答える必要はなくて、適当にからかえばいい、どころか、下手をすると礼を失すると、社会全体から「いない」ことにされます。
日本のひとは、なんとゆってもアジアの国で、タイのひとと同じ、どちらかというと「失礼」を親愛の情をみせる手段と思っていたりする。
こういうと怒るであろうが、日本のひとの「失礼さ」というのは世界に鳴り響いている、とゆってもよい。
日本に来ると、みなで「われわれは礼儀の国ですから」というので、国内と国外とでこんなに認識が違う国民ているかしら、とわしはぶっとんだものでした。
そのうちに、「卑怯」や「失礼」というものに対する認識が異なるだけであって、たとえば日本の社会では「ほんとうのことをいう」というようなことはたいへん失礼なことで、
日本人でも、あるひとは江ノ島から鎌倉に戻るタクシーのなかで「いやあー、カマクラ、カマクラっていうから、どんな良いところだろうと思ってましたが、来てみると、なんだか、きったねえ、小さな町ですねえ」と同乗の鎌倉人にゆって、前で聞いていて激怒したタクシーの地元出身運転手に「あんた、降りてくれ」とゆわれたそーだが、
そーゆーことをゆってしまうと、日本という社会では社会から降りてくれ、とゆわれるもののよーである。
わしが日本語ネット上で見聞きしたことでも、いきなり大無礼な調子でおしえてくんをしたり、自分が人類の教師であるかのような態度で突然他人を怒鳴りつける、というようなことは、逆に、日本では失礼ということにならないようだ。

失礼な態度をとると、いきなり殴られるかもしれないが、礼儀に叶った態度をとっていれば、連合王国はフランス共和国と異なって身分が上の人間も必ず返事をすることになっている。
フランスでは不可視の「身分」が連合王国では「階級」として誰にも判るようになっているが、そういうところは正反対で、いくら、アクセントを聞けばたちまち判る、身分が明瞭に下の相手でも話しかけられて無視すれば連合王国では大変失礼な行為です。
礼儀がわからん奴、とみなされる。
なんだか、どこからどこまでも反対、といいたくなるところがあります。

欧州、というと「自由・平等」と木霊がかえってくるような日本のひとの視線を思いかえしてみると、もっと日本のひとが頑張ってくれていれば、よいことがあったのに、と日本語を「なんじゃ、こりゃ、悪魔の言葉か。むずかしー」と思ってベンキョーしだした頃には、まだもっていた日本のひとたちへの期待のことを思い出します。

2 

クルマに乗って少し先の湖に行く途中で、ふと気が付いて、モニかーちゃんの友達がゆっていた「おもしろい寿司屋があるから行ってみろ、ちゅう寿司屋て、このへんじゃなかったっけ」と訊いたら、そーゆえばアウトレットの近くだから、このヘンだな、とモニも言う。
探してみたら、すぐに見つかったので、モニかーちゃん友達に敬意を表して、寄ってみることにした。
フクシマの事故が起きる前は、鮨といえば日本に寄ったときに銀座か築地で食べるもの、と決めていたので、日本の外では日本食はまったく興味がなかったが、最近は、あまりこだわらなくなった、という背景もあります。

クルマを駐めてメニューを見ると、いたってまともでおいしそーだ。
モニかーちゃん友達が、是非たべてみろ、と熱心に勧めてくれた「天ぷらうどん」に至っては、感じのよい丼に上品なエビ天ぷらさんが透明な黄金のごときうどんつゆに2匹静かに身をよこたえておられる。

入ってみると、髪の毛を部分的に紫に染めたいかにも日本人然とした上品なおばちゃんがテーブルに案内してくれる。

日本にいたときには、わしの容貌ちゅうか外見と日本語というのはよほどかけ離れた関係にみえるらしく、ときどき、ぬははおどかしちゃれ、と思って、わしの天上(天井ではないのよ)の音楽のごとき、流麗な日本語で話しかけると日本のひとはぶっくらこいて腰をぬかすのが常であった。
パリ郊外でも同じ光景を現出しちゃれ、と考えたわしは、
「失礼ですが、日本のかたですか?」という。
おばちゃん、びっくりして、一歩とびのいてから
「はっ?はっはっはっ? ふおーい、なんでごじゃりませう」という用法的に崩壊したフランス語がかえってくる。
日本のひとだと100%確信していたのに。
きっと完全にフランス化した日本のひとなのだろー、と考えました。

うどんが着いた途端に、モニとわしは「おおおおー、すごい!」とふたりで期せずして叫んでしまいました。
だって、うどんが寿司桶にはいってんだもん。

ははは、すごい。
エビさんもいつのまにか天ぷらからフライに着替えておるではないか。

… あのクソババア、またわしをからかいやがった。

そーゆえば、この辺りにはAAAAAソーセージちゅうのがあります。
地元のプライド、信濃の蕎麦、讃岐のうどん、太地のいるかというか。
かるいいるか、ほあんいんぜんいんあほ、というか。
わしは、これも食べたいと念願しておった。
「ほんとうに食べたいなら、この地方のものだから、あのソーセージで有名なレストランに連れていってあげるけど」というモニさんが言うので、連れて行ってもらった。
モニさんは機嫌がよくて、なんだか楽しそうに運転して、あっといまに着いてしまう。

かっこよくモレルソースのを頼んで待つこと約5分。
来た、見た、(ついでに写真も撮った)、食べた。

ぎゃあああああああー、と思いました。
わし、生まれてからこのかたこんな不味いもの、ちゅうか、食べた瞬間に嘔吐するか即死するかみたいな食べ物は、二度目である。
(一回目は納豆でごんす)

ぶっといソーセージをデザインがかっちょいい特別なナイフで切ると、ぷんっ、と下水が腐ってゾンビの肉汁が溶け込んだような臭いがして、豚の腸から、プリッと蛔虫の煮込みみたいんが飛び出してきますねん。

あー、すげー、すげ杉。

ほんまに死ぬかと思いました。

うれしそーに満面に笑みを浮かべたモニを急かして、勘定をすますと、レストランのひとには、どーもお腹の具合がよくなかったようだ、と申し述べながら、そそくさレストランを出てきました。

で、結局、モニとモニかーちゃん、及びモニかーちゃん御一統様とこの某郊外にやってきてからは、毎日みなでゴルフばかりやっていた。
わしは運動神経運動性能ともに抜群であると自他ともに認めておるが、スポーツをマジメにやらないほうであって、モニのかーちゃんにも、モニを相手に両手にラケットをもってテニスの試合をやっていてシャンパンの瓶で張り倒されそうになったことがある。
でも、モニが恥をかくといかむので、ゴルフはマジメにやっておる。
ときどきドライバをわざと空振りして手のひらをデコにかざしてボールの行方を見守る、という芸をみせるくらいにとどめておる。

夕方になると湖畔のレストランへ、道を横切ってゆく鹿さんたちに気をつけながら、クルマをつらねて出かける。

あとはクソコンピュータが32度に保っている温水プールで泳いだり、このあたりの気が遠くなるような美しい景色のなかを散歩したり、10キロくらい離れたところにある、むやみやたらと古いのが売り物の「世界一美しい通り」とかいう能書きのクソ町にでかけて狭い小路を抜けてシャンパンがうまい店にたどりつくと、そこでみなでシャンパンを次から次に開けて遊ぶ。

フランスという国は、何度来ても、俄には信じがたいくらい美しい田園と、そうとは知れないように剪定された姿の美しい木がある優美な森林が、そこここにある、「美しい国」です。
田舎の典雅な姿は、あちこちに原子力発電所をぶったてたフランス人が文明の底ではまだ正気を保っていることの証拠であると思う。

フランスという国を、むかしは大嫌いだったが、いまはもうあんまり嫌いではなくなったようだ。
モニの祖国であるということがやはり大きいだろうが、そればかりでもないのかもしれないと思ってます。
子供のときには、フランス人が揃いも揃ってこんなに親切だとは思ってもみなかった。

来週になれば、わしはカリフォルニアに移動しようと思うが、嫌いなものが減る、というのはなんというよいことだろう。

嫌いなものが減る度に呼吸が少し深くなってゆくようだ。
はは。りり。

(画像が、わしのいる大森林のなかの家から5分くらいドライブすると到着する湖でごんす。日が沈む頃になると、綺麗どす)

パリ

July 27, 2011


まだ、おパリにいる。
おパリ、はヘンだというひともいるだろうが「おフランス」があるのだから、おパリでも日本語として成立しているものと思われる。
おパリにいる、とゆっても、アイフルタワーをクルマからちらと見て、おーすげー、相変わらずおったってるのおー、と感心した一瞬だけがパリであって、あとはモニのおかーさまのお供をしたり、おかーさまの巨大な城塞に似た住居のなかをうろうろして、トイレがどこにあるか判らなくなって迷子になってケーベツされたりしているだけで、やはりヒルトンに泊まって「パリス・ヒルトン」をしたほうがずっと良かったものと思料されておる。
社交界の最も肝腎な部分から、例のビデオの一件でしめだされてしまった(気の毒に泣き狂っておったそーだ)あのひとの名前は日本語の表記習慣にのっとれば「パリ・ヒルトン」であるはずだが、なぜ「パリス・ヒルトン」なのだろう。
ロンパリという言葉は「ロンドンとパリ」をいっぺんに見るほどふたつの目が向いている方向が正反対である、という意味だそーだが、日本から見ればロンドンとパリは誤差の範囲で同じ向きにあるのではないか。

夜になればモニとクラブにでかけるが、パリのクラブははなはだしく性的で下品な場所なので、わしの荘重な日本語のせいで高年齢層も多いと思われる日本語ブログには刺激が強すぎて書けやしない。
きみが16歳なら強刺激に遭遇しても、乾坤一擲修行して、環境にまけないくらい下品に磨きをかけて、綺麗なねーちんと見れば(ちゃんと相和した合意でなければダメよ)押し倒して、下品でパリのクラブを制圧するということも可能だが、60歳の場合、第4コーナーを回っても一向に減退しない性欲をもてあまして、さびしく自瀆する以外なくなってしまうやも知れぬ。
えー、そんなジジイいねーよ、と思ったきみ、あまい。
自瀆ジジイも自慰ババアもいっぱいいるではないか。
医学的事実です。
息子の大岡越前に「女人はいくつくらいまで性欲があるものですか?」と訊かれた越前かーちゃんババは、黙って火鉢の灰を火箸でかきまわせてみせたという。
「灰になるまで」という意味です。

フロリダあたりの老人ホームは、乱交クラブ化しているところもたくさんあって、じーちゃんとばーちゃんたちが、やりまくっている。
わしの友達は奇妙な経緯からマイアミの老人ホームの一室に一晩泊まることになったが、夜のあいだじゅう、隣の部屋から、ヒキガエルが踏みつぶされるような、しかし明らかに女びとが性交のときに挙げる声が聞こえ続けて眠れなかった。
本人たちは楽しい時間を過ごしているのだろうが人間の人生の悲惨や辛さ、というようなことがしきりに頭のなかに去来して、それから「人生」というものへの考えが更新されて、もう一段人生に対する殺伐とした気持ちがました、と述べていた。
人間でいるのが、いてもたってもいられないくらい不安になった、という。

以上のような現実に鑑みて、パリの夜のことを書くのは、日本という制限の多い社会ではためらわれるべきだと考える。

おパリは、あんまり人間に夢を見させてくれない街である。
マンハッタンに似ている。
そういう意味では、ずいぶん田舎じみてきたとゆっても、いまでも都会なのかもしれません。

ここからカリフォルニアにいって、用事をすませたら、ニュージーランドにいちど帰る。
ブラフ・オイスターの季節だからね。
マールボローの白ワインとオイスターの天ぷら、うめーんだよ。
白酢で食べる。
郎党のひとびとも待っているはずである。
日本のたとえば的矢の牡蠣に較べるとずっとずっと小さいブラフオイスター(モニはニュージーランドはフランスとは牡蠣とマッスルの大きさが逆だな、と笑う)2ダースくらい食べるととても幸福になります。
二週間くらいいたら、マレーシアかカタールに行くであろう。
ええええええええええー、イスラムの国になんか行ったら、うまい酒がねーじゃん、トルコ除く、と口を尖らせたら、モニにきっぱりと
「だから行くんです」とゆわれてしまった。
ええええええー、やだあああああー、となおも抵抗したが、
「それならサウディアラビアに行こう」とマジメにゆわれたので、イチジクのお菓子はおいしくても通りにおいしい酒もまずい酒もないあんなアル中更正施設みたいな国につれてゆかれると困るので、あっ、ぼく、それでいーです。
ラクサ、たのしみだのお、ということにした。
モニはマジメなひとなので、ときどき酒を飲まない月やなんかをつくるのは良いことだ、と思っているよーだ。
先祖代々、朝から晩まで飲んだくれていて、酔っ払って夜中に馬を乗り回して、湖におっこっておっちんだりしていた我が家(いえ)のひとびととはえらい違いです。
そんなんマジメで退屈だのい、と思うが、モニさんのほうが偉いので、従わないわけにはいかないであろう。

そのあとはオーストラリアに行かなければならないはずだが、まだ決めておらん。
メルボルンに行けば、いつかブログに書いたむちゃむちゃうまいギリシャ人家族のハンバーガーがまた食べられる。
ドックランズの、バーベキュー型ステーキでは世界でいちばんうまいと思われるステーキレストランにも通える。
オーストラリアという国はビーフ・フィレと最もあう飲み物であるシラズもおいしいので、二ヶ月や三ヶ月は退屈しないで遊んでいられるでしょう。

日本にいたときには、わざわざ、わしの零細ブログにやってきてまで、 たくさんのひとが(お文化の発達した日本に較べて)「文化果つる植民地」とかゆってオーストラリアとニュージーランドを嘲笑するので、ぶっくらこいてしまったが、そういう人は何も判っておらぬ。
あの赤い砂漠が延々と延々と続く光景は人間の悲惨を癒してくれる。
人間の悪い息が堆積してできた欧州人にとっては、あの赤い砂漠がオアシスなのです。
欧州や日本の人間が慈しんで出来た森林とまったく異なるニュージーランドの、荒々しい、荒々しすぎて返って自然のものでなくて巨大な人工の書き割りのように見える南島の森林もそうだが、人間は、あまりに荒涼とした謂わば非人間的な大自然に触れると、否応なく自分達が「人間」にほかならないことを強く感じるようだ。
モニとわしが、いつもオーストラリアとニュージーランドに強く強く惹かれるのは、そのせいであるに違いない。
人間などは自然のごく小さな一部にしか過ぎない、ということが実は人間にとっては本質的な救済であることが明瞭にわかるからです。

わしが生まれた家は築800年だか900年だかなんだかのボロイ家だが、あの家に積まれた石にしみついた人間のつぶやきや嘆きや笑いや絶望は、絡みつく根のようで、あるいは溶けない呪文のようで、わしをやりきれない気持にする。
「古い歴史」や「伝統」などをありがたがる人間のあたまのなかは、いったいどうなってるんだ、と思う。
古いものをありがたがるなんて、くだらない、と考える。

そんなものに囲まれて顔をしかめて恍惚としているくらいなら、わしは、やっぱし、
モニとふたり肩と肩をつつきあってふざけながら裸足でぺたぺた歩いてピザのテイクアウエイを取りに行く、オークランドの夏の午後のほうがいいな。
「今日は、フォーマルなレストランに行くのだから、フリップフロップ(ゴム草履?)をはいて行かなくては」とゆって、バットマンTシャツと探検家みたいにたくさんポケットが付いたショーツで、裸足でクルマを運転してゆくニュージーランドの夏の夜のほうが良い。

日本の政府が「福島の原発事故はたいしたことがなくて収拾した」と言い続けていることに対しては、あるひとたちにとっては予想外な、わしらにとっては当然予想された欧州への大きな波紋が生じていて、環境保護を謳い文句にしている政党たちが、とりわけドイツ、イギリスにおいて、「原子炉がメルトダウンを起こしても、たいしたことはないではないか。日本を見ろ、子供が福島から逃げなくても大丈夫なくらいの程度でしかない」と強硬に主張しはじめている。
皮肉なことに日本の捕鯨に反対する勢力のなかでも、最も感情的で初期にはデータをねつ造して捕鯨に反対していたのと同じひとびとが、いまは「日本人が恐慌も起こさず逃げないでとどまっている」ことを論拠に原子力発電を推進しようとしている。
「グリーンな」エネルギーであるというのが彼らの論拠です。
核物質の危険などたいしたものでないことを日本人が身をもって示してくれているではないか。
まず事故そのものが日本人の原子力技術に対する理解力の欠如から来ている、二度と起こることが考えにくい事故である上に、そうして起きてしまった事故も日本人たちを見ればたいした被害でないのが判る。
原子力反対派がいうように危険なものならば、頭がいかれた人間たちであっても逃げないでいるわけがないではないか。

熱弁をふるうドイツ「緑の党」の幹部のクソ顔を眺めながら、わしは、なんということだろう、と考える。
このいかれた物語がたどりつく歴史の行き先には、結局は、「全部、日本人のせい」という結論が待っているだけである。
未来の緑の党幹部は言うだろう。
「結局、日本人の非人間性が、この世界を滅ぼしてしまったのだ。われわれは過ちを犯したが、その原因は日本人の非人間性である」
緑の党は、万能の鍵を手にしてしまった。
その万能の鍵は、新規原発開発の行く手を阻むどんなドアをも開けてしまう。
そのドアが再び閉じるには「大量の人間の死」という、もうひとつの万能鍵を手に入れることが必要になってしまった。

どんなに巧妙な物語の書き手でも、こんなに風変わりな筋書きを思いつくのはたいへんだろう、と思うと、笑うべきことではないのに、やけくそみたいな笑いがこみあげてきてしまう。

ひどすぎる。

南から、というのはボルドーの方角からおパリに来る途中にもごく間近に原子力発電所が見えるところがある。
右手に見える発電所がふきあげる水蒸気を見ながら、わしは、科学を理解するために膨大な時間を費やして生きてきた人間の気持として「こんなマヌケなものをつくりやがって」と思うが、ここまでも、人間が悪い息をお互いにふきかけあいながら続けてきた欧州風の「終わりのない議論」「行き場の無くなった気持」「表情をうしなってたたずむ子供達」というような歴史が、また続いてゆくに決まっておる。

ときどき南半球の、「文化果つる土地」にある、モニとわしのサンダーバード基地にこもって、「勝手にすれば」といいたくなることがあるのです。

こーゆーことを考えるのも「おパリ」の、人間をすっかり腐らせる、悪い息のせいに決まっているのは判っているけど。

(画像は、わしの好きなポーの町の「フニキュラ」。電車でやってきたひとびとは駅からこれに乗って町にやってきます。料金は、タダ、どす)


1 高速道路

一日400キロ、というような移動距離になると、高速道路が大嫌いなわしでも高速を使います。田舎道は景色はいいが危ないからな、景色がいいと前をあんまり見ないモニが運転しているときはもっと危ない。
うっかり、あっ、牛さんだ、とかゆってしまうと、モニは前を見るのをきっぱりやめて、「ガメ、どこに牛がいるの?あっ、ほんとうだ、かわいい」とジッと見ている。
とっても、怖いです。
だって、クルマ、狭い対向車線の道を100キロとかで走ってるんだからな。
そこへいくと高速道路は安全である。

大陸欧州人は、方向指示器なんてめんどくさいものは使いません。
無論法律では車線を変更するときにはインディケーターを点滅させることになっているが、誰も使わん。
方向指示器を使うのは、自分が移動したい先に相手がいる場合、「どいてどいてどいて」という意味で使う。
イタリアからスペインまで似たようなものだが、微妙に違うところもある。
フランス人は歴史を通じて凝りすぎて破滅する、というオモロイ特徴をもった民族だが、高速道路でも凝っていて交通量が多い区間になると下り坂の制限時速が90キロで上りの制限時速が100キロ、というようなところがたくさんある。
上り坂のはじまりで渋滞が始まることが多いからです。
芸が細かい。
それがイタリアにはいると、トンネルの入り口も登坂のはじまりもおかまいなしに110キロ、とかであって、イタリアだのおー、と感心する。

むかしは大陸の高速道路をクルマで移動するたびに、車線をまたいだまま、ずううううっと走っておるやつや、車線と車線のあいだを、ゆーらゆら、ゆらゆーら、渡り歩きながら運転しているやつがいるのはなんでだ、と思っていたが、モニさんが運転する順番のときに、追い抜きざまにどういうひとが運転しているのか観察することにしたことがあった。

フィアットのちっこいのが、3車線のあいだを右から左、左から右に、大胆にふらふらしながら走行している。左から右に移動しだしたタイミングをみはからって、モニさんが、ぶおおおおおーんと加速して、びゅんと追い抜きます。
追い抜きざま、わしはこのフィアットを運転している若いねーちんが、何をしているのか見てしまった。
何をしていたか、というとだね、聞いて驚いてはいかむ。
スパゲッティ食べてんだよ。
時速130キロでクルマを運転しながら、スパゲッティ。
わしは、スパゲッティを食べながらクルマを運転するひと、というのを初めて見ました。

それですっかりオモロクなってしまって、次から次に「ふらふら運転」をしているひとを観察してみると、携帯でテキスティングをしているひとが最も多い。
次は携帯で話しているひと。
なんか食べてる人、というのもその次くらい。
要するに大陸欧州人たちは高速が退屈なので、いろんなことをやりながら高速道路を運転する。
だから、ふらふらしておるやつが多いのだ、というフィールドリサーチどした。

フランスはやたらカネを取りたがるが、スペインはただの高速道路が多い、とか他にもいろいろ違いはあるが、最も異なるのは運転者気質で、印象としては、
イタリア人:スピード狂
フランス人:運転が悪辣
スペイン人:なんも考えてない
ついでにコモ湖のような一定の観光地域に行くと、いっぱいうろうろしているアメリカ人観光客についても述べておくと
アメリカ人:運転がドヘタ
というところであろーか。
アメリカ人はすれちがうのがやっとの道でセンターラインからはみだしたまま、へーきで走ってくるような、
免許、もってるのか、ボケ、と思う人が多かった。
多分、マニュアル車の運転に慣れていないからではなかろーか。

モニとわしのクルマはフランスナンバーなので、スペインの高速道路では、なああーんとなく恐れて側に寄ってこない。
町の悪党って、こんな感じかしら、と思ったりして、ちょっとしたやくざ気分を味わうのであります。

2 ハウス・ワイン

日本にいるときに、料理屋でもっとも嫌であったのは、「ハウスワインが不味くて飲めない」ことでした。
ハウスワイン、というのは、その国の文化の性格がよく出るよーだ。
ニュージーランドや合衆国も、日本と同じ、ハウスワインが不味い料理屋が多い。
しかし、ニュージーランドなどは麗々しく名前を並べているワインが、そんなに高くないので、いちいちワインリストを広げて検討しなければいけないのが、そんなことをする気分ではないときにはメンドクサイが、並んでいるワインはお馴染みのメンツばかりである、という事情も手伝って、まあいいか、ということになっている。
でもやっぱりハウスワイン、おいしいの置けよな、とよく考えます。
店の主人に言うこともある。

イタリア・スペイン・フランスという3国はハウスワインが安くておいしい、という点でダントツである。
イタリアは「素性がよいヴィンヤードの若いワイン」というのが基本であるよーだ。
スペインやフランスも似たようなもんじゃん、ときみは言うだろうが、イタリアとやや異なるのは、自分の知り合いのヴィンヤード、あるいはスペインでは素人のひとびとが自分の庭でつくったワイン、あるいは主人が絶対に自信をもって薦めるワイン、ちゅうようなのがくっついてくるところが違う。
スペインでは一杯1€、とかで、ものすげーうまいワインをテイスティンググラスになみなみと注いでくれます。
そういうコパではなくてヴァソ、すなわちコップにいれて出してくれるようなところでは何杯か飲んでも1€、ちゅうところもある。
注文するとウエイターがセラーに取りに行って恭しくもっときてくれるワインももちろんおいしい。
ちょうど日本酒の「地酒」の旨いのと「樽菊正宗」の違いを思い起こせばよいが、両方「うま」くても、その「うまさ」の性質が違うのね。
わしは人間が安上がりに出来ておるので日本酒も一杯300円の「立山」(富山の地酒です)や「寒竹」(長野の佐久という町の「日本でいちばん小さな造り酒屋がつくっている酒である)で大満悦であったが、スペインやイタリアでも、ハウスワインばっかし。
ヴィノ・ティント・デラカサで始まる楽しい夕方なのです。
イタリアやスペインで、見ていていいなあ、と思うのは、女のひとが年齢や身分や職業によらず、ひとりでバールに立ち寄って、たとえば新聞を読みながらワインやビールを飲んで夕方のいっときを楽しんでいる。あるいは主婦のおばちゃんが、バールのカウンタでリキュールを飲んで、店の主人と話をしてゆく。
「女がひとりで酒を飲む」というのが風景の一部であることで、英語圏とはかなり異なる。
もちろん英語圏においても女がひとりで酒を飲んでいても、「女だてらに」ちゅうような、グヘヘおっちゃんやキーキーババアが好む語彙で考えられはしないが、でもちょっと背筋を伸ばしてかからなければならないようなところがあるのです。
イタリアやスペインは、それがねーんだよ。
文明が負けておるではないか。
こんなに差がついていていーのか、と英語人であるわしは、思わず考えてしまう。
うらやましい、と思う。

一杯のハウスワインがのっかっているテーブルを眺めながら、その底なしにうまい一杯が120円ほどしかしないことや、そのグラスワインをちびちびやっている40歳くらいの女のひとが、煙草を吸いながら、のんびり新聞のページを読むともなしにめくっている、自然な姿勢を見ていると、英語圏社会のど退屈さが思い出されて、どう言えばよいか、あーあ、と思います。

3 ガキども

たとえば、サンチアゴの裏路地の、爆裂においしい魚を出す料理屋の、舗道に出したテーブルでワインを飲んでいると、ベビーカーを押しながら若夫婦が、「ウナ・メサ・パラ・ドス」とゆいながらはいってくる。
ガキがいるからドスじゃねーじゃん、と理屈をこねてはいけません。
じゃ、ウインドウズなのか、というようなおやじギャグも禁止する。
肝腎な点は、そうゆってみんなが酔っ払って完全に出来上がっている料理屋に若夫婦がはいってくる時間が往々にして、夜の11時を遙かに過ぎていることであって、むかしのわしは、この大陸欧州の風習を見て、どっひゃああー、と思ったものであった。
夏の、夜の12時をすぎた大通りの、両側にいっぱい貼り出した料理屋のテーブルのまんなかを、チビガキがきゃあきゃあゆいながら疾走してゆく、というような景色はスペインでは、ふつー、です。
これらチビガキが絶叫して走り回るのを見て眉をひそめたりするのは、だいたいアメリカ人かイギリス人のオタンコナスに限られる。

で、ね。
何が言いたいのかというと、アメリカのように、ちゃんとうまく作れなかった社会というのは、ガキが目障りになるように町なり社会なりが出来てしまっている。
ダメな社会ほど、ガキがレストランで、突出してうるさく見えるように出来ているよーだ。
考えてみるとチェンマイでも、夜中の店を子供がうろうろしておったが、別に風景に溶け込んでおった。
もっとも義理叔父のかーちゃん、鎌倉ばーちゃんに訊いてみると、むかしむかしの東京の下町もそうだったと思うけど、という。

個人と個人のあいだにちべたい距離が出来て、共同体がもはや幻になってしまった社会ではガキが3Dで飛び出してうるさく見えるのではないだろうか。
連合王国は、ガキの躾が他国人が見るとぶっとぶくらい厳しい国だが、当然のことながら温和で成熟したオトナに成長したわしを例外として、躾の結果はろくでもないガキがクソ男やクソ女に育つだけで、あんまり意味がなかったのではないか、と観察者をしておもわせる。

わしがワインを飲んでモニと話しているそばで、もじもじしていて、ガキが見たこともない美人であるモニににっこり微笑みかけてもらって悶絶している男ガキ(約3歳)や、石畳の道で、けっつまづいて頭からこけて、頭をおおげさに抑えながら号泣しているバカガキ、というものがスペインの巨大な文化にやさしくくるまれていて、誰にも嫌な思いをさせないでガキがガキガキしていられる文明的実力にわしは感嘆してしまう。
スペインガキもイタリアガキも、どいつもこいつも天使のように可愛いのが多いが、
ガキの頃から社会にとって異物扱いされなければ、ガキというものは本来あのくらい可愛いのだ、ということをスペインにいると、しみじみと考えます。

どーも、ガキは、英語圏よりも、こういうところで育ったほうがいいかもしれない。

4 そして、オカネ

そうやって、相変わらず文明上の実力をみせつけまくっている大陸3国だが、経済は、もうあかんだろう、とわしは考える。
ギリシャなんちゅう国は、デフォルトがデフォルト、というか、そういう国なので、それでもリーマン・ショックよりは大変だろうが、もういいや、デフォルトでいいや、と皆が内心おもっておる。
ところがイタリアがベルススコーニの無能の魔力で、おっさんが自分の懐しか考えないのをよいことに、ここにきて盛大にやばくなってきてしまった。
そんなことの詳細をここに書いてもしょーがないが、来年の春まで持ったら奇跡なんちゃう?というのが、わしが欧州をうろうろしてもったカンソーです。
フランスも見た目よりは相当に傾いていて、シークレットブーツをはいて、ごまかしているだけである。
スペインは見た目どおり、というか、ご覧のとおり、というか、期待通りというべきか、ポルトガルと手に手をたずさえて「わたしたち、だいじょうぶ」という曲を熱唱しているが、その経済政策を見ると、ほぼロープをするのを忘れたままバンジージャンプをしようとしているに等しい。

わしが、欧州をうろうろして、ひとびとと話した結果えた感触は「もう、ダメじゃん」ということであった。

しかし、しかし。
たとえばスペインではマドリッドとバルセロナばかりが好調で、他はもう全然ダメである。
いまの経済の不調は、IT革命(ほんまに何回つかってもダサイ言葉だのお)という激しい跳躍的なパラダイムシフトの後に歪んだ構造が原因している。
たとえば前に書いたようにトウモロコシに着目して農業を調べてゆくと、なぜ食料が足りないのに食料の絶対価格が安すぎるところにとどまっているか、というようなことも含めて、いまの経済構造自体に無理がありすぎて、傾いだ建築は基礎の構造はそのままにしておくとしても抜本的にまっすぐに直さないと、どうにもならない、と判るが、いまはたくさんの分野で同じような「そのまま構造を放置しておいてはうまくゆくわけがない」事象が手つかずのまま進行している。
だから金融危機の影響がうんたらかんちゃらでクレジットクランチの後始末がほんだらかんたらではないのです。
問題はもっと大きいようだ。

しかし、しかし、しかし。
欧州ではうまいワインが120円で、これだけおいしければ銀座なら1500円、マジでとるな、と思わせる石窯・薪焼きのパンが100円である。
文明や社会が崩壊の危機に際して踏みとどまる力、というものは、要するに、「その社会に住んでいる個人がいかに幸福であるか」ということそのものなので、欧州人が歴史を通じて築き上げてきた
「個人個人が幸福を最大限まで追究できる」ライフスタイルなり社会なりというものは、もう一回経済危機で破滅したくらいでは、到底なくならない。

現代人は、20世紀が終わる頃までは年がら年中、市場が暴落したり、ときどき戦争を起こしたりしなければ続いていかれない言わば原始的な自由主義経済を乱暴に運転してきたが、21世紀にはいって、やっと高度情報社会をつくることによって、同じ「自由主義」と名がついていても、20世紀の荒っぽい経済とはまったく異なる経済市場をつくってきた。
それがやっと達成されそうな段階になって、もう一回歪みを大幅になおさなければならなくなったのが、いまの欧州の経済危機だと思います。

嵐はおおきそうだが、ちゃんと去ってゆく嵐である。
心構えをして、準備をして、恐れないでやってゆけば、大多数の人間にとっては、耐えてゆける規模と性質のものだと考えました。

ダイジョーブだよ、きっと。

 

Cueva de El Castillo

July 21, 2011

モニがクロマニヨン人たちの洞窟の壁画を見に行こう、というのでカンタブリア州にでかけた。
アルタミラは人間の悪い息と湿気で絵が消えかかっているので非公開になっている。
特殊なルートを通じてお願いすれば見られるそうだったが、割と簡単に出来るたとえばルーヴル美術館の時間外絵をみながら散歩(わしは「鑑賞」ちゅうようなダッサイ言葉きらいでんねん)と異なって、えらいたいへんなので、やる気が起こらない。
いま見ると有名でないどころか日本語では何の記事もないみたいでぶっくらこいてしまったが、Cueva de  El Cstillo
http://www.culturadecantabria.com/ficha_patrimonio.asp?idmonumento=17
の洞窟画を観に行くことにした。
アルタミラやラスコーがレプリカの公開だけになってからは、クロマニヨン人たちが残した洞窟壁画が観られるのは、この洞窟だけのはずである。(他にもあったら教えてね。観に行くから)
ラスコーやアルタミラの壁画と似たよーなのが、というのはつまり炭で描いたバイソンだとか牛さんだとか馬さんの顔だとか、鹿さんだとかの絵がいっぱいあります。
しかし、酸化鉄を吹き付けて印象した手のひらの陰影画が最も有名である。

欧州でもあんまり有名でないのは、多分、発掘が新しくて、まだどんどん発掘している最中だからでしょう。
カンタブリアの洞窟の発掘で(スペインでは)有名な
Hermilio Alcalde Rio

がこの洞窟をめっけたのは1903年だったが、それからなかなか発掘は進まず、というかやらず、いまのような一般の人間がアクセスできるようになったのは2008年です。
行ってみると判るが、1940年代、他の国が戦争をしているあいだじゅう戦争をしていないスペイン人はひまをこいていたので掘りまくっていたのにまだ半分も発掘が終わってない(^^;)

わしは初めアルタミラのレプリカ博物館でごまかしちまうべ、と思ったが、モニさんが、そんなんじゃ嫌だ、というので、結局、これに出かけた。
ビルバオからクルマで二時間くらいです。
バスクとの国境(くにざかい)を越えてカンタブリアの美しい海岸線を見ながら、しばらく海辺をドライブして、80キロくらい行ったところから内陸に向かって田舎道を走ります。
正午を40分くらいまわってしまったので、
途中でド田舎の町の、牛さんのかぐわしい糞の臭いのする(冗談でゆってるのではなくて、わしもモニもほんとうに牧場のマニュアの少し酸味がかった匂いが好きなのです。あんなに良い匂いて、世の中にあんまりないと思う)コーヒー屋で、件の巨大源氏パイとカフェ・コン・レチェで遅い朝食を食べた。
えっ、午後一時前なら昼飯じゃん、ばっかみてえー、と呟いた、そこのきみ、甘い。
この近在のスペイン人が午後1時前なんて殊勝な時間に昼飯たべるかよ。
この辺りでは昼ご飯は午後3時くらいに食べるものなのね。
夕飯は10時でごんす。
スペイン人は並の文明人とは根性が違うのだとゆわれている。

ガイドのスペイン青年と待ち合わせたのは午後1時だったので、その時間にはまだコーヒー屋でわしはでかい源氏パイをぱくついておってモニはパン・オ・ショコラを食べていたのは内緒で待ち合わせの時間に遅れちった遅れちったと考えながら洞窟の前にやってきてみると、スペイン青年はかっこよく探検ルックで決めて洞窟の前で待っているのであった。

洞窟画は、素晴らしかった。

どうしてあんな何も考えていない線がひけるのだろう。
というようなこともさることながら、(ははは、「さることながら」使ったぞ)
バイソンを描いては手のひらを(ガイドにーちゃんによれば)こちらに向けて酸化鉄を吹き付けて印象していったこのゲージツカたちは、何を意図していたのだろう?
あちこちに描かれたバイソンや雄牛や鹿の絵には、すべて、それに被せるように手のひらのネガティブがある。

もっとよくわかんねーなのは、何十と描かれたディスクで、ガイドにーちゃんは、「洞窟の案内システム」ではないか、とゆっていたが、しかし、ここで重要なことは入り口の研究員にーちゃんに確かめてもやはりクロマニヨン人は「数を数える」ということをしなかったはずで、数を数えない人間が、「ディスク」というような抽象的で単一な図柄をたくさん壁に描き込んでゆく、というのは極めて異常なことであると思われる。

わしはずっとクロマニヨン人たちはラスコーやアルタミラやカンタブリアの洞窟のなかで遊びとして絵を描いていたのに違いなくて、なあーにが「呪術」だよ、と思っていたが、呪術はセンスがなさすぎるにしても、遊び、というような言葉が代表あるいは指示できるものではなくて、あのひとたちは、もっとものすごく真剣な作業として絵を描いているのが洞窟の謂わば環境ごと絵を見ていると、どんなアホにも判るのであって、そのことにいちばん驚きました。

人間の宗教を求める心や芸術を求める気持ちというのは、どうも、われわれが教わったようなものではないようだ。
いまは、まだもっと時間がないとうまく表現できないが、どうも人間がもっている宗教や芸術というものの姿は根本的に間違っているように思います。
そんなことではなかったのだ、と考えました。

「あんなにめんどくさがっていたくせに、ガメのほうがコーフンしているではないか」とモニにからかわれながら、わしはもと来た海岸線をまたクルマをとばしてビルバオに戻ったが、帰りは、モニとクロマニヨン人たちの魂の不思議について話し合ったり、普遍や抽象という世界に人間が踏み出した理由をわれわれが誤解していたに違いないことについて考えたりして、あっというまについてしまった。

夕方は、また、Garcia Rivero Maisuarenへ歩いて行って、ピンチョスバーを梯子して歩いた。


チョリソを砕いてマヨネーズベースのソースと混ぜてみたり、ツナソースにアンチョビを載せて強烈で効果的なツイストをいれたり、口の中でハモンがはいったクリームとチーズがとろけるクロケタス、すなわち元祖コロッケをハモンの上に載せたり、辛みの利いたチリソースとチョリソをまぜて焼いたオムレツや、下から順番にどれも揚げ物のイカ、ししとう、タコと載せてつまようじでとめた無茶苦茶うまいピラミッド、小さくてさくさくパリパリした五穀パンにチリや他のスパイスをいれて練ったツナをはさんだピンチョス、ただ赤いチリペッパーと思って油断して食べたら途方もない辛さの唐辛子だった赤い物体を背負ったオムレツ、白アンチョビとオリーブを組み合わせたつまみ、脂身が多いハモンベジョータをはさんだシンプルなピンチョス、バスク人は、まことにピンチョスをつくる天才である。

ねーちんやおばちゃんと冗談をゆいながら、わっはっは、と笑っていると、河を遡航するカヤックやローイングボートを赤く照らしながら太陽が沈んでゆきます。

ピンチョスバーの通りをあとにして、ワインと一緒に食べる甘い物をいっぱい買って、モニとわしはニコニコしてホテルに戻ってきた。

清涼な空気があって、透明な青い空があって、おいしいものや、楽しい会話や、穏やかな天気さえあれば、愚かにも、不覚にも、おもいもかけず幸せになってしまう現生人類というパーな生き物の末裔として、玄関をはいってきたときには確かに深刻な顔でスクリーンをにらんでいたのに、満面に笑みをたたえてリセプションにもどってきたバカップル(モニとわしのことね)につられておもわず笑顔になってしまった、よく見れば人のよさそうなホテルマネージャーに「オラッ!ブエノスノーチェス!今日はなんて良い日だろう」と挨拶しながら、 モニとわしは、踊るような足取りで帰ってきた。

木の実やバイソンの肉を両腕いっぱいに抱えて洞窟の我が家に帰還する、クロマニヨン人の夫婦のように。

とても楽しい一日でした。

(画像は初めのはCueva de El Castilloを発掘するひとびと。二番目は日本語インターネット上にはないようなので気の毒なので彼への特別サービスで載せるHermilio Alcalde Rioの肖像、こういう髭の人てスペインていまでもおんねん、クールじゃ、わしもやりてえー、と思う。次のはクロマニヨン人おっちゃんたちが描いた鹿さん。洞窟内のオリジナルは当たり前だが撮影禁止なので、エントランスにある展示ですのい。残りはピンチョスだす。
初めのだけは文章に出てこないがむちゃむちゃうめー、パンコントマテにハモンをのっけったピンチョス、残りはほぼ文章に準じておる)


日本の「ランチ定食」はスペインからの社会習慣の輸入であるはずだが、宗家スペインの「ランチ定食」は独裁者のフランコが低所得層国民に受けるために苦心してひねりだした「安い価格でおいしいお昼ご飯を腹一杯食べてもらう」ための制度だった。政府がレストランに直截働きかけて、このメニューを一種類か二種類に限定するかわりに、ものすごく安い価格でおいしいものをたくさん出すための仕組みを確立した。
独裁者というものはビンボニンがおいしいものを食べられない恨みというものの怖さを古今よく知っているものであって、シンガポールのリ・クアンユーもだからホーカーズの屋台に補助金を出しまくって、そのせいでシンガポールの有名な天天海南鶏飯は20年前と同じ3ドル80セント(250円)であることは前にも書いた。

サンタマリアの裏小路にある料理屋で、わしは、それだけで満腹になってしまいそうな、どひゃっな量のマルミタコ(バスク郷土料理で鰹とジャガイモの煮込みでがす)と、次に出てくるでっかいヴィールの牛かつ、それに500ミリリットルのワインと水がついて、最後にはデザートの滅法うまいチョコレートがどろどろなチョコレートケーキがついて11ユーロ(1300円)のランチを食べた。
モニはサラダとヴィール。

スペインという国は食べ物が特別においしい国なので、どうしても毎日たべすぎてしまう。
三食、合計9時間くらいかけて食べていて、食事が終われば、一杯150円くらいのビノ・ティント・デラ・カサを一杯か二杯ずつ飲みながら、あっちのバールからこっちのバールへとふらふらして、カウンタごしにおっちゃんと話したり、カウンタに頬杖をついている隣り合わせになった仕事帰りの女のひとや家事が終わって息抜きに来た主婦おばちゃんと話して遊ぶ。

今日はどこのバールの壁にもあるテレビのトップニュースはフクシマの汚染牛肉であって(これは世界中でひさしぶりに大きく報道されたフクシマのなりゆきだった)、テレビを見上げて日本にいたことがある、と話すのももう飽きてきたので、日本にいた、というようなことはしらばっくれて、日本を多少でも見た事がある、というようなことは「おくびにも」ださずに、日本はてーへんだなあー、とゆっていると、一緒にテレビをときどき見上げながらカウンタの向こうでハモンをせっせせっせと切っていたおっちゃんが、いったいどうなるんだろうな、スペインであんなことが起きたら、おれはどうしたらいいか判らないよ。
考えてみたことがあるんだが、やっぱりわからなかった、という。
わしも、わからん、と呟きながらテレビを見上げるわし。

隣のおばちゃんが、「あなたはイギリス人なの?」と、いきなり英語で話しかけてくる。
この頃は、英語ができやがるとつかいたくてしょーがない奴が大陸欧州にも繁殖しておるので、わしはときどきメーワクである、と思わなくもなし。
英語で話しかけられてちょっと気持ちが意地悪になったのかもしれません、いーや、わしはニュージーランド人だがもし、というと、全面笑顔になって、実はわたしは去年の11月にニュージーランドに行って、それはそれは楽しくて、…としばらく演説をこかれてしまった。
わしの心の動きなどいつもお見通しのモニが隣で必死に笑いをこらえておる。

ビルバオの用事は終わったので、いつフランスに戻ってもよいが、わしはまだバスクでのんびりしてます。
チャコリというバスクの白ワインや赤リオハで酔っ払って川沿いを散歩したり、全然ものにならないバスク語をケンキューしたり、どう考えてもこのキリストの像は大きすぎるだろうと考えながら、あの初代ヒッピーおっさんの姿を眺めたり、サンダとガイラなら「まここと」が好きであるらしい「グッゲンハイムのパピーちゃん」にお手をしてもらえるかしら、とスケールを訝ったり、ピンチョス屋の味較べをしてカンドーしたりしながらビルバオビルバオして暮らしておる。
バスク人はスーパー・モダンが好きなので、思い切ってものすごいものをいっぱい作るが、このひとたちは、もともと頭がいいので、たいていの場合、その(世界的には)うまくいくことが少ない冒険的な試みがうまくいっている。
偉いひとたちだなあ、と思います。

スペインにはわしが好きな場所がいっぱいある。
カタロニアの陰影。
カステラの赤土の荒野やガリシアの深い色の緑。
細いガムトゥリーが並んだバスクの稜線。
スペイン人は地方色はあってもみなはにかみ屋で、それなのに相手にうけいれてもらったのだと判ると、パッと明るい顔になる、その表情の大きな変化の美しさや、たかがわしが微笑んだというくらいのことで、今度は身振り手振りもたくさんついた興奮で、たくさんたくさん話をする、その(わしが育った世界の基準からいうと)無防備なところがたまらん。
大好きである。

フランスのほうが、土地の質が高い、っちゅうか、楽しいものが密度が高くて、フランスはどんなド田舎に行っても必ず良いものがあって良い宿があって良い料理屋がある。
イタリアも、イタリア式な違いはあってもやっぱり文明が至るところに行き届いていて、次から次にあらわれる楽しみに息もつけないところがある。

スペインの魅力は、そういうロマンス語兄弟国とはずいぶん違っていて、フランス人たちはスペインのことをさして「アフリカ」だとゆって揶揄するが、それは必ずしも揶揄ではなくて、こんなふうな言い方をすると、またショーセツカとかに率いられたヘンなひとびとが集団であらわれて「人種差別だ!」と怒鳴り込みに来そうであるが、街と街のあいだが300キロがとこは離れていて、あいだには荒野みたいなヘンな土地が横たわっているスペインという国を旅していると、カタロニアやバスクくらいに戻ってきたところで「おー、文明の世界に戻ってきた」とごく自然な感情の反応として思ってしまう。

しかしスペイン人には、そういう「荒野」を抱えている国のひと特有の言葉にするのが難しいひとなつこさというか人間らしい暖かみというか、そういうものが溢れるようにあるのです。

だから、つい居心地がよくて居てしまう。
7月の終わりにはパリにいないといけないのに、こんなことでいーのか、と自分でも思うしモニにもダイジョーブか、とゆわれるが、なんだか、きっとダイジョーブだろー、くらいのええかげんな気持ちの心地よさに負けてしまう。

ラマチェンゴ、ラマチェンゴ。
ウエイ。ラマチェンゴ。

いまから振り返って考えてみると当たり前のことにしか過ぎないが、実は人間のアイデンティティというか人格そのもの、そのひとが何を考えて、世界をどう感じるか、というようなことは9割方はどの言語を母国語あるいは母語とするかで決まってしまう。
その言語を獲得したあとに、本人がその言語の思考集合のなかで組み立てられる独自性などは感覚的に数字でゆってみれば3%もなさそうです。

わしはずっと日本の人が考える欧州が、この宇宙のどこにもない欧州で、いわばそれは「誤訳された欧州」のようなものであって、教会も神も美術ですらも、すべて「欧州」というよりは、誤訳の結果立ち現れた何か見た事のない新しいもので、そうであることのほうがただの「欧州」なんかであるより、ずっと面白かったが、それが日本語で考えられた欧州であることに、去年くらいになって、このブログやツイッタに攻撃者として現れた奇妙なひとたちのせいで、気が付いた。
「すべりひゆ」という人が感じる神だけが不思議なほど通常の「神」に近いのも、だんだんわかってみれば、このひとのイタリア語能力の結果ということにすぎないもののようであった。

すると、人間は自分が属する言語の奴隷なのだろうか、と思う。
この疑問は、まだ答えのない疑問だが、たとえば数学というような言語を比較の対象にして検討してみると、いまのところは無限に正しく思える。

もっとくだらないことをいうと、では何語を母語にして育てば人間として最も思考するのに楽か、あるいは感情がもつれなくて楽か、というと、それはイタリア語かスペイン語であるようだ。
どこの国の社会にもいるスペイン語かぶれのバカにーちゃんやバカねーちゃんを見れば判るとおり、これが母語でない場合にはビミョーな罠になるが、(話をいつものごとく端折ると)、なぜ楽か、というと、このふたつの言語はローマ人の思考と直截つながっていて、しかもフランス語のように世界一激しく個人を抑圧する社会的な仕組み、というものも歴史上もたなかったからであると思われる。

ローマ人の健全そのものの多神的世界に言語を通じて直截ふれられるからです。
イタリア人やスペイン人をつい最近まであれほど現実社会において恥知らずに抑圧してきたキリスト教も、キリスト教という本質的にオリエンタルな思想、いわば「誤訳された東洋思想」から自由でありうるからだと思う。

舗道に出したテーブルで緑色のリキュールを飲みながら、わしは耳に心地のよいゆっくり発音されるスペイン語を聴いている。
会話の内容からすると3人の大学人が、色彩について論じているのです。
わしは、ふと、自分がローマ時代のスペインに迷い込んだような錯覚にとらわれる。
語彙のひとつひとつが堆積した意味の歴史で輝いているような、この不思議な言葉。
まるでひとつひとつのセンテンスが夏の青空を移動する積雲でもあるかのように白色に輝いて、論理が透明になるほど悲しみの感情をまといつけてゆく。
感情と論理が合一であるこの言語にとって、世界は(不動産屋が発明したような)英語という言語が見ている世界とは本質的に異なっている。

もうちょっと、いるべ、とわしがのたのたしているのは、必ずしも怠惰ではないのです。
(ほんとよ)

画像は、まったいらな大平原あるいは赤土の荒野以外にはなあーんもないカステラの大地。
これを延々4時間はドライブしないと、どこにもいけねーんだよ。
スタッフビンダビリリ、ちゅうようなカッコイイ音楽ないと眠くなって危ねっす。

Ooh La La!

July 19, 2011

わしはビルバオにいる。
ビルバオのホテルの部屋で日本人の友達からきたe-mailを読んでいる。
結局、日本語では正しく何事かを考えるということはできないのではないだろうか?
ガメ、どう思う?
われわれの言語はこの世界にたったひとつの神様が関与しない言語で、ぼくもぼくの友人達も、それをたいそう誇りにしていたものだった。
きみが、日本語に興味をもったのも、そういう理由だった。
長野の山のなかの、あのレストランで、闇のなかに聳え立つ木々の影をながめながら、神と人間の言語の関わりを、われわれが声帯をけいれんさせ舌をふるわせてわずかな語彙で神を考える事の意味を、議論したときの興奮をおぼえている。
だが、結局、神が関与しない言語など悪魔の言語にしか過ぎないのではないだろうか?
われわれは、ほんとうのところ悪魔的な民族で、いわば世界のなかで悪魔的な文明を繁殖させているだけなのではなかろうか。

Kさんのメールを何度も読み返してみるが、そうしてわしは、なぜKさんがそう考え出したかも知っているが、
答えなんて判らねーよ。
判りたくないのかも知れない。
それとも、もう人間の言葉で考えるのがめんどくさくなったのかもしれません。

Ooh La La! Ooh La La!
人間の文法で出来たこの息がつまりそうなシンタクスと語彙で考えるくらいなら、意味のない声を挙げて、踊り狂ったほうがいいのではないだろうか。
Ooh La La! Ooh La La!
この知能には、この知恵には、この羨望や、この洞察には、
なんの意味もない。

どんな建設性もありやしない。

わしはチェルノブイリの結果だという、一つ目の胎児や双頭の幼児、手足が四方八方に生えた不思議な形の人体の標本を見ている。
日本人の若い医学者たちの意見に反駁するアメリカ人やUK人の友人達のメールを読んでいる。
標本の扱い方について初歩的な知識に欠ける、ある種類の日本人たちの統計の取り方を冷笑するドイツ人たちの手紙を読んでいる。
なぜ日本人は、こういうバカどもを訴えないのか?
それとも国民ごとバカなのか?
ガメは、なぜ日本人たちのために意見を述べてやらないのか?
それともきみが日本語が出来るという噂は嘘なのか?

Ooh La La! 
Ooh La La La!

あんたの知ったこっちゃねーよ。
わしの舌はわしのもので、あんたの脳にくっついているわけじゃない。
わしの良心はわしのもので、あんたの「良識」に付属しているわけじゃない。

一つ目の胎児がホルマリンの瓶のなかから、わしを凝っと見つめているからといって、彼(ちんちんがちゃんとついているからな)は、わしを非難しているわけではないだろう。
日本人を非難しているわけでもなければ、ましてケーサンショーやトーデンを非難しているわけでもない。
ただ自分の形質を悲しんでいるのさ。
なぜ自分の染色体だけを神様が「修復」してくれなかったか、ホルマリンのなかで漂いながら訝っている。

それだけのことです。

わしはビルバオの、世界中からやってくる(はず)の観光客めあてに大金を掛けて開発した川沿いのウォーターフロントを、両手をジーンズのポケットに突っ込んで歩いている。
モニが、その恰好が、不良のチビガキのようだとゆって笑っている。

日本語にスイッチさえ入らなければ、結構ノーテンキなんだけど。
モニが「ガメ、また日本のことを考えているのだろう?」と
わしの広すぎる肩に手を回して、背伸びして囁いている。

モニ、わしは、このごろ、ときどき山も海も川も、森林ですら、もう見たくない、と思う事がある。
空も、雲も、地平線も、神様がつくったものは、どれも見るのはうんざりだ。
あいつは、なんて嫌なやつだろう、と思う。
広がりもなければ終わりもない。
細部もなければ全体もない。
神の言葉で見渡すこの宇宙はなんと殺伐としていることだろう。

どうして、わしはここにいるのだろう?

Ooh La La! 
Ooh La La! 

Ooh La La La!

 


午後2時。ガリシアとカステラの国境を通るときに140キロで滑るように走っているシトロンの外気温度計を見たら12度でごんした。
晴れた真夏の午後だっちゅうのに、どーゆー気温なんだこれは、と思っているうちに、ガリシアの濃い緑色の森が消えて、カステラの赤土の台地になる。
くるときに泊まったレオンのホテルが気にいったので、まだ一泊して遊んでゆく気になったんでがす。

ガリシアは食べ物がおいしいので、なんだか食べてばかりいた。
大聖堂の裏参道をずんずん歩いて行って、そこから分かれる脇道にわけいってゆくと、むかしからの(小さな寝室がついた)料理屋も現代風なレストランもある。
英語なんか全然ひと言も通じないが、だから横柄なバカ英語人がいないからいっそうよいともゆえる。
「新市街」にもおいしい店はあるが、わしは伝統料理を食べるのに忙しかったので、現代風な料理屋には三軒、五回しか行かなんだ。
グラシアのような町とは違って、ガリシアでは伝統料理のほうが深みがあるように思いました。

スペインの友達に「ガリシアにいるのだ」というと、ガリシアに夏行くバカがいるものか、と笑われてしまった。
モニも、ガリシアはほんとうは冬がいいんだぞ、という。
初め友達に言われたときには、わしのいるガリシアが涼しいからってひがむんじゃねーよ、と考えたが、モニまで冬がいいというので、(モニがいうことは全部ほんとうであるに決まっておる)、そーなのか、と考えました。
ガリシアの料理屋に行くと理由がのみこめた。
じゅん爺の住む富山と同じなのね。

食べ物が冬においしいものが揃っておるのであった。
夏に特別においしいのは鰯だけであって、他は、ガリシアン・スープも牡蠣も他のほとんどの海鮮料理も冬のものばかりなのでした。
でもいまの季節のものもあって、たとえば、この鰹のタタキはおいしかった。

いーやいーや今度は冬来るからいーや、とふて腐れたが、でも夏たべてもどれもこれもおいしいのよ。
たとえば、これはガスパチョである。
バルサミコで模様が描いてあんのね。

ちべたい白ワインを飲みながら、食べると、野菜のあまみが利いた冷たい滋養が魂にしみてうめっす。
焼いたカタクチ鰯をやはり焼いたイチジクの実に載せて食べる料理

これは無茶苦茶うめっす。
焼いたイチジクとカタクチイワシがこんなに合うなんて考えたひとは天才であると思う。
鰯はもちろん天ぷらもフリッタもある。塩だけ、あるいはレモン、あるいはオリーブオイルで食べます。
オリーブピルをタップリかけると、甘くて、まるで違う食べ物になります。

ナポリタンスパゲティが大好きであって、家でつくるたびにナポリタンスパゲティの臭いが大嫌いなかーちゃんシスターとの結婚生活に亀裂が深まる一方の義理叔父に写真を見せたら悶絶していたタコのスパゲティ。

大量のニンニクとオリーブオイルを炒めてトマトとオイルの甘みだけでつくったソースにタコをいれてスパゲッティとからませた食べ物だったが、これもうめかったす。
シェフのおっちゃんにレシピを訊いたのでニュージーランドでもつくるのだ。
ガリシアとゆえばタコと決まっているが、やはり炭焼きがうまいかしれん。

たまねぎやレッドペッパーやなんかをラタトゥイユ風にまとめたのに目玉焼きをのっけた前菜

やコックル貝をお米と一緒に炊いた雑炊、

シーフードを炊き詰めてつくったシーフードのブロスの「ガリシアスープ」

イモと野菜のガリシア野菜スープ。

スズキの炭焼き

魚に飽きたら、チョリソ界の帝王とゆわれるガリシア風チョリソがまるごとごろんとついたウエボス・コン・パタタスもおます。

毎日毎日3人前くらい食べていたのに、食べるものがつきないほどガリシア料理は豊富であって、わしはあごが疲れた。

ガリシアにだけ特別の料理というわけではないがフランスはサンドイッチが世界一でいちばん程度が高い国だと思うが、スペインもサンドイッチがおいしい国です。
カタロニア人はやらないが、ガリシア人はサンドイッチの片方のパンにまるく穴を開けて目玉焼きをそこに埋め込んで食べる。
これは、子供の時かーちゃんに教えてもらって実はわしもよく家でつくって食べるが、ニュージーランドやロンドンではいちいちシェフのひとに説明しなければならなくてメンドクサイがスペインでは、初めからメニューに載っておるので楽である。
(50セント増し)


甘い物の話をここで始めると、延々長大になって巻物ブログになってしまうからやめておくが、スペインはイタリアに負けないくらい甘い物が君臨している国です。
日本にいたときのように甘い物が食べられなくてホームシックにならなくてすむ。

日本も食べ物がおいしい国なのはもちろんだが、なんだか魂に届かないような気がしてつまらなかったのは、結局は、それが「文化の底」のようなもので、誰もそこに立つまでは文化を理解するわけにはいかないのだ、ということなのかもしれません。

スペインの全然あまくない、しぶいチュロをかみしめながら、「文化」というものの深みを思うのだ、なんちて。

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