ワインの香り
April 15, 2012
いまの世界で最もワインに詳しいのは香港を始め中国沿岸部大都市の成金だろうと思われる。
「ワインクラブ」というようなものが各地にあって、該博な知識をもつソムリエが常駐し、成金おっちゃんたちがクラブにやってきてはワインについての蘊蓄を傾け合う。
考えるだけで血湧き肉躍る光景ではある。
血が沸きすぎて脳溢血で倒れる欧州人もいそーな気がする。
クライストチャーチに初めて「本格輸入専門ワイン店」が出来たときの惨状は目もあてられないものがあった。
わしの好きなワインもあるよーだ、と人に聞いたので、どれどれ、と思って出かけていったのだが、そこには例の蘊蓄族というオバカなおっちゃんたちが山のようにいて、アクセントまで普段は使い慣れない上品風アクセントになって、プラムを口に含んだまま話すひとのように薄気味わるい話し方で、ノーズがどーだ、色がどーだ、カシスはうんたらだと述べくるっているのであって、後ろでオカンジョーのために立って待っていたので延々と続く蘊蓄を聞かされていたわしは、おっさん、あんたが手にもっている、そのボルドーでどたまかちわったろかと、もの静かに考えたりしていたものだった。
物語の多重性、という欧州ではむかし流行った物語のつくりかたがあるが、あーゆーにっちゃらねっちゃらした田舎者ぽい文学とワイン衒学と紅茶蘊蓄には共通したやりきれなさがある。
ロンドンの「上流」ガキが、ワインなんか知るかよ、になって週末がくるたびにヴォッカをいれすぎたカクテルを鯨飲して「愛してるっていってるだろが、こんにゃろ」というよーな激しく文学的な歌詞の曲の強烈な音のなかで踊り狂うことには、そーゆー背景もあるよーだ。
ワインの飲み方、というものには、明らかにお国柄というものがある。
フランス人は意外にいまでもちゃんとしている。
ちゃんとしている、というのは、「適正なワイン」という規範を頑として譲らない人が多い、という意味で、魚料理に赤ワインを頼むと、それが酸味のある軽ううーいピノでも「ほんとうか?ほんとーに、それでいいのか?」と聞かれるであろう。
注文を確かめて、二三歩行きかけてから、踵を返して、テーブルにもどってきて、
「ねえー、やっぱりやめようよ。白にしない?」と言いにくるかもしれません。
夏の午後、ざっかけない店の、通りに出たテラスで友達とのんびり話すには、やはり冷たく冷えたロゼでなければならないし、わしがブルーチーズと書いてマココトという人に怒られたロックフォールのソースをかけて食べるステーキにはシラーくらいの強いワインでないと、もしかすると店の人は二度とテーブルに戻ってきてくれないかもしれぬ。
日本では魚には白ワイン肉には赤ワインと決まったものではなくて、そんなものは迷信みたいなものであるという意見がたくさんあったが、魚を食べるのに赤ワインを頼むのは、わしにはかなり勇気が必要なことであると思われる。どういう種類の勇気かというと「通人ぶっている」と譏りを受けてもへーきだもんね、という勇気であって、かなりコンジョがいるもののよーである。
フランス人は、そーゆーくたびれることをするほど物好きにはなれないのだ、とゆえるかもしれません。
フランスという国のオモロイところは、ド田舎の国道沿いの、長距離トラック運転手が充満しているよーな店のランチ定食でも、ちゃんとフランス料理の基本文法のようなものが守られることで、魚料理は予算の都合で端折られても、食前酒はオプションとしてあり、前菜は断固として供され、たいてい棚にずらりと並んだディジョンマスタードで食べるステーキがあり、大皿に盛られて自分で選ぶ盛大な量のチーズがあらわれ、デザートもまた断固としてテーブルにあらわれ、ディジェスティフをちびちびやって、珈琲にたどりつく。
「様式」というものを未だに骨身にからめて偏愛しているのです。
これがバルセロナになるとチョーええかげんもいいところで、グラシアの裏通りには、わしの大好きな料理屋がたくさんあるが、比較的最近できた高級なレストランは、フレンチっぽい味付けがケーハクになっていなくて、わしは好きである。
大陸欧州というところは外見で社会的地位が判断しやすいというか社会的地位が判断しやすいように外見を繕うということになっているというかなので、一見いかにも大学教授ふうの、というのはつまり大学教授に決まっているが、歴史の本をうんとこさ抱えた、いかにも上流階級のジョーヒンでかっこええおっちゃんがやってきてひとりでテーブルにつく。
ウエイターがテーブルにメニューを置きに来ると
「とりあえず、ビール」という(^^;)
まるで新橋の一杯飲み屋に来て、おしぼりの袋をパンッと割る日本のサラリーマンみたいです。
それから、チョウチンアンコウのステーキやなんかを頼んで、テンプラニーニョを飲みながら食べておる。
バルセロナ人は、好きなもの飲めばいーじゃん、というフランス人とはまるで反対の立場であって、これはとーぜんながらマジなシェフの神経を逆なでする態度なので、この頃はメニューの料理のあとに「これ以外のワインは出せません」という風情で、ワインが「指定」してあるレストランもたくさんあります(^^)
よっぽど、頭にきているものだと思われる。
該当方式をとっているレストランのひとつは、OOMというホテルにある、とゆえば「ははあーん、あそこか」と思い至るひともたくさんいるだろーが、あれはもちろん有名なレストランで、もっと言うと横にあるろくでもない飲み物しかない妙にだだっぴろくてスカなバーは、バルセロナの上流ぼっちゃんがよくでかけるナンパ社交場のひとつでごんす。
よおく観察していると、暗がりに沈んだ席で、へろい顔をしたにーちゃんがすげー美人のねーちゃんに平手打ちをくらったりしていて、なかなかオモロイ場所である。
OOMのレストランでは日本のひとは皮肉ではなくてお行儀がいいので、ちゃんと指定されたとおりにワインを頼んでゆく。
イギリス人たちは「この通りに頼まないといけないんですか?」と訊ねている。
バルセロナ人たちは、というかスペイン人たちは、あっさり指示を無視して自分が飲みたいワインを頼んでおる(^^)
スペインの支配層の、日本やアメリカの政府には思いもよらない苦労が忍ばれるようなコーケイである。
わしがワインとひととの付き合いを見ていて、このくらいがいちばんいいかもな、と思うのは実はアメリカ人たちであって、こういうと大陸欧州人は卒倒するだろーが、ほんとうなのだから仕方がない。
程度がちょうどいい、というか、ワインが好きなひとは熱狂的に好きだが、クライストチャーチのトンマなおっさんたちのように知識をひけらかしたいのでもなく、ただワインという飲み物が好きなひとが多くて、これはしかも東海岸よりも西海岸のほうが「まともなワイン愛好者」が多いよーだ。
ニュージーランドもワイン立国で、天候がもともとSauvignon Blanc作りにむいていたマルボロ地方のクラウディベイワイン
http://www.cloudybay.co.nz/Mainpage
くらいを皮切りに、世界中にワインを輸出するようになった。
どの程度のワインかというと、いまは死んだフランス人の天才醸造家が
「ニュージーランドの白は疑いようもなく世界最高だ。世界中で、どの国のワインが最もよく出来ているか、と訊かれれば、私は迷うことなくニュージーランドワイン、と答えるだろう」という意味のことを述べたあとに、激情に駆られた人の述べ方で要約した言い方をすれば「だが、ニュージーランドのワインには魂がない。ワインには最も重要な魂が完全に抜け落ちてしまっている」と言っていたのを憶えているが、まことにその通りで、的確な表現と思う。
カタロニアの夏の重要な楽しみのひとつはコルクの木の林をぬけて、村から村をたどる、中世の商人が歩いた小径を散歩することだが、そういう小さな村のひとつひとつにも素晴らしいチビ料理屋があって、店の前にひとつしかない外に出たテーブルに腰掛けると、ワインに「魂」を与えている風土が生みだしているオリブや白アンチョビ、ハモンや豚の頬肉が次々と出てくる。
テーブルを、ゆっくり、どしんどしんと叩きながら話すおっさんや、キマジメな顔で、皿の上の牛の内臓の料理を切り刻んでいる女びとがいる。
そのテーブルに載っているのは、どうしてもビールではなくて、ワインでなければならないのが、見ていて簡単に判ります。
あるいは雄大な角の鹿たちが横切ってゆく道路を、夕暮れ、湖の畔にあるレストランめざしてクルマを走らせて、ようやく間に合った夕陽を眺めながら、果物のスープに始まる料理に、きゃっきゃっと喜ぶパリ郊外の週末は、店の人間と額を寄せて話し合って選んだ赤白のワインでなければどうしても収まりがつかない。
もう言い古された言葉だが、ワインはその国の自然や文化の抜き差しならない一部で、そこから一本だけワインを無理矢理ひっこ抜いて、どっかの国に輸出したからといって、本来は、どーにもなるもんではない。
もともとがアングロサクソン文化の国であるアメリカやオーストラリア、ニュージーランドのワインが品質は高いのに、なんとなくマヌケな感じがするのは、あながち偏見だけとは言えないもののよーである。
そーではあるが、
夏の爽快な太陽に照らされて、緑色に眩しく反射する、広々とした芝生を眺めながら、いろいろなソースの小皿と一緒に盛られた生の夏牡蠣の大皿や、酢とライムで食べる牡蠣の天ぷら、自家製マヨネーズで食べる牡蠣フライの皿が並ぶテーブルで、のおんびりSauvignon Blancを飲む、というようなのがニュージーランド人の典型的な夏の午後の過ごし方であると思われる。
最大の大気の汚染源が牛のおならであって、おなら対策をしなくていーのか、と国会で論戦になる、なあーんとなくおとぎ話めいた国の空はどこまでも抜けるように青くて、いまの世界で、夜には天の川が見えるアホな都会は、オークランドくらいのものでしょう。
ワインという飲み物を味わう(というのは嫌な言葉だが、ほかにおもいつかないので仕方がない)のに、もっとも必要なものは「あまった時間」、ワインの味と香りだけに自然と心が向かってゆく、ゆるやかな傾斜のある無為の時間であったことを思い出して、そうやって考えると、ニュージーランドという国も、ワインにとって、それほど悪い国ではなかるべし、ワインからごっそり抜けおちた魂も、こうやってのんびりしているうちに戻ってくるさ、と思うのです。
(画像はカタロニアのコルクの木、商人道はコルク林を多く抜けていく。森から抜けると、向こう側には1000年前と同じ建物の村がみえたりして中世にタイムスリップした錯覚が起こることがよくあります)
ピザっ!
February 22, 2012

「冷えたピザが好きですねん」というとぎょっとした顔をする人がいるが、わしは好物です。
おいしいのよ。
現にいまこうやって書いているときも昨日ツイッタでだらしなくだべっておったら日本では同じものが3100円すると判明した300円のドミノスのピザを食べておる。
朝ご飯です。
ピザ、というものはわしにとってはどういう食べ物であったかというと、子供の時でいうと二ヶ月に一回くらい食べてもいいことになっている「悪い食べ物」「いけないもの」「禁断の果実」だった。
よーし、今日はプロジェクタのスクリーンを下ろして、本格的に怖い映画みるぞお、ポルターガイストでひいひい泣いてくれるわ、というような場合、妹とわしは、じっとかーちゃんの様子をうかがう。
ふたりでこそこそ相談する。
おもいきって訊いてみよう、と衆議一決すると、
たいていは妹が大使として派遣されて、
「ピザを食べてもいいですか?」と訊く。
妹が、それで一生の楽(らく)をつくっている、内面とは何のゆかりもない、わが妹ながら純真無垢な感じがする、天使のような笑顔を浮かべてもどってくると、わしも一緒に「いええええーい」
「極悪ピザ、ばんざあーい」と歓喜する。
カウチの上で跳ねます。
普段はコカコーラなど飲んだら座敷牢にいれられてしまうが、ピザを食べるときだけは飲んでもいいことになっていた。
イタリアはマジなピザがうまい国で、あたりまえだが、ドミノスとは違う食べ物です。
マルガリータ。
日本でもおいしいところがたくさんあるが、イタリアは、桁がふたつくらい違ってうまい。
都会の料理屋ではいちばん安い食べ物でもあって、テーブルとテーブルがものすごく近い、ガイドブックに載らない、でも町では有名な「おいしいピザ屋」で6ユーロ(630円)くらいと思う。
もちろんソースによるがパスタの半分くらいの値段。
わしが大好きな某村のピザ屋は、バジルもトマトも庭でとれたものを使う。
頼めばピザの上にのっけてくれる卵も裏庭で猫といつもにらみあいを続けている鶏一家のものである。
ソーセージも何もそういう調子の地元のものなので、ものすごくうまい。
イタリア人は食べ物に対する考え方が日本人とよく似ているところがある。
素材が新鮮でうまければ、それがいっちゃんいーだろー、という考えがそれで、イノシシのステーキでも仔牛でも、オリーブオイルで焼いてそれだけで食べさせたりするのが、うまい。
ピザも、同じ思想に拠っているもののようであって、だから、シンプルなマルガリータがひどくおいしいのだと思われる。
パスタは「アルデンテ」という考えがないので無茶苦茶まずいが、ピザはスペインもうまい。ツナとかタコとか訳のわからねーものが載ってるピザが特にうまいよーだ。

わしのバルセロナのアパートのすぐそばには、途方もなくうまい「スペイン式ピザ」の店があって、この店はたいへん有害である。
バルセロナにはカタロニアやスペインの他の地方のおいしい店が、これでもかこれでもかとあるのに、食べ物を考えるのがメンドクサイと、ついそこのクソうまいヘンタイピザを食べてしまう。

いつもひとが行列しているが、さばくのが速いので、そんなに待つわけではない。
食べ物のために行列するのが嫌いなわしでも、並ぶのが嫌ではありません。
便宜上、「並ぶ」と書いたが、実はスペイン人は並ばない。
なんだか、ぐじゃっ、とひとがいるだけだが、それがスペイン式の行列で、誰が誰のあとか客も店も厳密におぼえている。
観光客がそれと気づかず、先に割り込んで注文でもした日には、大顰蹙もいいところであって、店内が阿鼻叫喚の様相を呈する。
えええー、だって、そんなん店のどこにも書いてないからわかんねーじゃん、というひとがいそうな気がするが、目の前のひとびとを30秒も観察すれば頭が鶏でもわかることで、そういうことを当然と納得することを「文明」といいます。
「並んで下さい」というような張り紙は、したがって、その社会には文明が存在しないことを示している。
イタリア料理にマルガリータがあって、ピザハットにグリージイでべったべったな肉肉したピザがあるのだから、そのあいだには両者をまたぐミッシングリンクがあるのであろう、と考えるのがおとなの分別というものだが、実際、ミッシングリンクは現存していて、その店はブルックリンにある。
名前をど忘れしちったが、マンハッタンからブルックリン橋をぶらぶら歩いて行って、下りてすぐのところにある。
店の壁に、「アメリカピザ発祥の店」と麗々しく書いてある。
フランク・シナトラやマリリン・モンローがこっちをむいてニッカリ笑っている写真が飾ってあります。
えっ?おれの本に書いてある発祥と違うって?
そ。わしも他の店で、「元祖アメリカンピザ」って書いてあるの見たことあるけどね。
上野のぽんたのとんかつのようなものである、と思って、そーか、いろいろな元祖があるのだな、と納得するのが成熟して温和なオトナの態度というものであると思われる。
マンハッタンを歩いていると、どこにでもここにでもピザ屋がある。
1ドルピザのチェーンもあれば、一枚が30ドルというようなクソ高い犯罪的な値段の「高級ピザ屋」もある。
わしはマンハッタンのアパートにいるときは、BleeckerのJohn’s Pizzeria

http://www.yelp.com/biz/johns-pizzeria-new-york-4
という店まで歩いて行ってテークアウェイのピザをもって帰ってくるが、この店も豪勢な支店をだしたりして、崩壊の日が近いので、来年もどったときには違う店にいくことになるだろーか、と思う。

第一、特殊寿状況によって状況が変化したので、このブログ記事をずっと読んでくれている人にはお馴染みのビレッジのボロアパートではなくて、Upper East Sideにあるモニの大豪華高級骨董品大盛りの、ゴージャスアパートメントになってしまうかもしれぬ。
悲しいが、齢をかさねるというものは、そーゆーものであって、オカネモチになってゆくのに反比例してコーフンとスリルは去ってゆくもののようである。
フィレンツェというような町では、幸福な若いカップルを見るには、週末の夜、川を越えた下町の、いくつかある地元のひとびとに人気のあるピザ屋を覗いてみるとよい。
6ユーロのピザをあいだにはさんで、おでこがくっつきそうなほど顔を近付けあって若い、オカネのなさそーな、無茶苦茶幸せそうなカップルがたくさんいる。
トスカナのあの無茶苦茶うらやましいB.Y.O.、近所のワイン屋から空き瓶をもっていっていろいろなヴィンヤードから来ている樽から注いでもらう、若いけど素性のよいワインをもってきて、テーブルの上においてあります。
どちらのアパートに一緒に住むか、相談している。
浮いたお金を貯金しようね、と女の子がささやいている。
子供もつくれたらいいね。
幸福に暮らすのにオカネなんか、そんなにいらないよね。
健康で、毎日が楽しければ、それでいいみたい。
モニを待っているテーブルで知らん顔をして半分くらいしか判らないイタリア語を頭のなかで明滅させているわしは、なにがなし、ほろりとしてしまう。
健康に悪くても、やっぱりピザはいいな、とわけのわからないことを考えて納得するのです。
(いま見ると、他の写真を撮ったりしたらオオバカモノの暗黙の約契があったりする料理屋と違ってピザ屋などは気楽なものなので、ピザは大量に写真がある。ほんで、少しおおめに写真をのっけることにしました。
1番目の写真は「ピデ」という名前のトルコのピザ。奥のおっちゃんはピザを切っているが神速でごんす。
2番目が、前にも載っけたことがあるよーな気がするが、文中にある「わしの好きなピザ屋(イタリア某村)のきのこのピザ。
3番目のナイフとフォークにはさまれてるのがバルセロナのアパートの近くの店のツナピザ、
下がタコのピザ。
わしが愛好するジョンズのピザの箱と中身。
隣のアップルの電源や右上のボールポイントペンと較べるといかに巨大か判るであろう。
アメリカのピザは一般に欧州のものに較べるとバカでかい。
その下にずらずらずらと、7枚並んでいる一番上はバルセロナのわし近所カマンベール。
2番目はコモ湖でわしがいちばん好きなピザ屋のピザ。
このチビトマトが味が濃くて甘くて、すごおおおくおいしいんでごんす。
次はミッドタウンでときどき行くピザ店のランチピザだな、これは。
次はチェルシーのマフィアがやっている噂がある店。
あんましおいしくない。
その下の右側が焦げてるのは、わしがよく作るピザ。
下のドウは、インドのロティを使うのね。
次に二枚はカタロニア式のピザで、初めのはフィグ(日本語ど忘れ)とラム、次のがアンチョビとトマト。
小さくてうまいんでがす。
郷土料理屋に行けばあります。
最後は、わし)
(嘘です)
(あたりまえだがや)
(ツイッタで「食べ物の話書いてみれば」というひとがいたが、食べ物の記事は、このブログの右下の検索で「食物図鑑」と入力すると、ずらずらでるだよ)
多文化な午餐
January 13, 2012
アジア料理、ということになると、わしはインド料理ばかり食べている。
インドの料理なら一週間毎日食べていても、ぜんぜん、へーき、どころか幸せである。
前世は「新宿中村屋カレー」を発明したチャンドラ・ボース
http://en.wikipedia.org/wiki/Subhas_Chandra_Bose
だったのでは、あるまいか。
インド料理、だいすき。
まるでアジアには他に料理がないかのよーです。
態度わるい。
人種差別なのではないか。
次にうまそーだのおー、と思う、というか旨いとおもうアジア料理はインドネシア料理だろーか。
そ。
バナナの葉で鶏を焼いておコゲにするやつね。AyamXX とゆーよーな名前の、大学に近いくらいの通りに分布するレストランがいーよーだ。
純正マレー料理もうめっす。
代表はNasi lemak、
http://en.wikipedia.org/wiki/Nasi_lemak
だのい。
お皿のまわりにカレーとか鶏肉とかかまぼこみたいなんとかがピーナッツさんやなんかとご飯をまんなかに仲良く環になっておる、あれです。
むかし中国人の男たちがマレー半島に爆発的な植民を行った時期、マレー人のお嫁さんをもらって家庭を築く人が多かったが、そのときに出来たニョニャ
http://nyonyafood.rasamalaysia.com/
も、おいしい。
ラクサ、
http://tonyjsp.com/food/yatai/menu-15.html
がいちばん有名ですのい。
オークランドでは、ふつー、「マレーシア料理」というときには、ニョニャ料理を指している。
鯛を(頭を含めて)まるごと極うすい塩味のスープにいれてぐつぐつ煮込んでつくる麺料理は、ニュージーランド人で魚があまり好きでない人も喜んで食べる。
もともと日本で言えば関西風な味付けを好むニューランド人の嗜好にあっているのだと思われる。
結婚する前は、わしは中国料理もよく食べた。
作るのに簡単だからで、中国人の友達に教わった麺料理をよく作って食べました。
中国は麺の種類が頭がくらくらするくらいあるが、本人たちが最も好む、というか頻用するのは「雲呑麺」という名前で売っている、ほっそーいコシが無茶苦茶つよい麺
http://sesameteaeats.blogspot.com/2010/12/chee-kei-chinese-won-ton-noodles-hong.html
で、別に雲呑をいれるスープ麺だけでなくて、いろいろなことに使うもののよーでした。
この麺の特徴は調理に時間がかからないことで、
1 麺を熱湯にくぐらす
2 くぐらした麺をちべたい流水で冷やす
3 もういっかい熱湯をくぐらす
で、出来てしまう。
お湯がわいておれば、1分もかからん。
チャーシューは、町のあちこちにある中国料理屋や中国食料品店で売っているBBQポーク(赤いほうのやつね)を買ってきたやつをいれる。
青梗菜をいれる。
これも、そこいらじゅうで売っている細かく砕いたニンニクを揚げたのをいれます。
スープはチキンストックにニョクナムか醤油をいれてつくっていた。
日本のひとが聞くとスープのところで卒倒するかもしれないが、だって、これで充分おいしいんだもん。
時間があるときは、これに小麦粉をつけてベトナム風にフライヤーで揚げた鶏肉にレモングラスでつくったソースをのっけたのを別皿で用意する。
すげー、うめーんだよ。
最近は、日本食ブームのせいで、中国のひとびとも「日本麺」という名前で売っている、ラーメンの麺でこーゆースープ麺をつくるひとも増えたよーだ。
日本麺、「内緒だけど、日本のラーメンの麺よりうまいんだよ。どーなってるんだ」と
わしに囁いたトーダイおじさんがいたが、中華料理を発明したのは中国人なので、なんとなく当たり前のよーな気がする。
わしから見ると、「中華料理は日本のほうがうまい」という信念のほうが、ヘンなんちゃう?と思わなくもない。
インド人たちは、このところずっと「インド=チャイニーズ」料理
http://www.hotdishes.net/recipes/Indo_Chinese_recipes
に狂っているので、とーぜん、オークランドにもインドチャイニーズのレストランがたくさんあります。
そこまでいかんでも、インド式炒飯は、うまい。
チャーシューの代わりにタンドリチキンがはいっているのね(^^)
すげー辛くて、すげく、うめっす。
世の中がまぜこぜになって、よいことのひとつは、たとえば、あることについてインド人がどう思っているか、というようなことも「その辺のインド人をつかまえて聞けばわかる」という手軽さにある。
アメリカ人もロシア人もインド人も中国人も、手近にたくさんいるわけで、友達の家のパーティやなんかで会うそーゆーひとたちに聞けば、たとえばパンジャビについてどう思っているか、いろいろな意見が直截聞けます。
そーゆーことに較べると些細なことではあるが、食べ物のバラエティが、どどどどおーんと増えて、質が爆裂で向上したのは、たいへんよいことである。
日本にいたことがあるわしとしては、日本で翻訳された食べ物とオリジナルの違いを較べる楽しみもあります。
「肉まん」というのは、日本人の発明であると思い込んでいたら、「菜肉饅頭」とゆって中国人にとっても、ふつーの食べ物なのだった。
ずっと知らなかったのは、中国の人は「肉まん」を揚げて食べるほうが多いからでした。
それを発見したので、ディムサムに行って「 菜肉饅頭を油で揚げないで、蒸して出してくれんかね」と、どっへたな中国語でお願いした(中国料理屋では英語は通じん)ら、ふっかふっかの、むひょお、なおいしい肉まんが出てきて幸せになったりした。
ノースショアに行くと韓国のひとが5万人だか、まとまって住んでいて韓国料理屋がたくさんあります。クイーン通りという観光客で充満したCBDの通りの丘側の端っこにもたくさん店が並んでいるが、ノースショアに散らばってあちこちにある韓国料理屋のほうが全然うまいよーだ。
この頃は、フクシマ以来、なあーんとなく嫌なので、韓国料理屋にもでかけなくなってしまったが、ずっと前に出かけた韓国料理屋には「独島はわれらのものだ!」と書かれた超巨大ポスターが貼られていて、おー、ニュージーランドでもプロモーションしてるんだなあー、すげー、と思って眺めていたら、主人のおっさんがやってきて、きみはこの問題を知っているかね?
という。
しらねー、というと。
日本人がいかに悪逆非道で韓国固有の領土を簒奪しているかについて、滔滔と、半分以上聞き取れない英語で大演説をぶつので疲れた。
ニュージーランド人も一緒に日本人と戦おう、というので、笑ってしまいました。
笑っちゃいけないんだけどね。
でもつい、ふきだしてしまった。
おっちゃんは傷ついたであろう。
ごめんね、おっちゃん。
次に行ったときには、しかし、もうポスターはなかったので、韓国料理屋には結構おおい日本人客が来なくなったのを発見して商売を優先することにしたのだろーか。
経済は健全だのおー、とおもったりしたが、
案外、飽きただけなのかもしれません。
今日はひさしぶりにアジア料理食べにいくべかなあー、と考えていたら、ずるずると食べ物の話に拘泥してしまった。
でも、多文化、おいしーんだよ。
ほんとよ。
アヤム・リチャリチャ。
テンポヤク。
ポヨ。
食物図鑑その10バスク篇
August 3, 2011
むかしの日本のマンガに出てくる「おフランスの画家」はベレー帽をかぶっているものと相場が決まっていたように見えるが、このベレー帽というオモロイ形の帽子はバスクのものである。
バスクの町に行くと、いまでも通りの至る所にある不思議なくらい座り心地の良いベンチに腰掛けているじーちゃんたちは、みなこの帽子をかぶっている。
フランス人は他にもいろいろなものをバスク人の生活をチラ見して盗んでまねっこしてきたが、その影響は食べ物において最も顕著です。
自分達の伝統料理がどの国からヒントを得てきたか当のフランス人たちはよく知っているので、フランス人はよくバスクにでかける。
バスクの町々がスペインのなかでは比較的にフランス語がよく通じるというのも、そのことの原因であり結果でしょう。
実際バスクは安くておいしい食べ物を食べて安くておいしいワインを飲んでのんびりしたい人にとっては天国のような場所である。
通りごと夢見ているようなバスクの通り

をぶらぶら歩いて行って、そこここにあるピンチョスバーにはいると、カウンターの向こうのにーちゃんたちが「オラッ!」とゆって迎えてくれる。
きみはまずおもむろにアンチョビを注文するであろう。赤みのあるほうが味がきつくて白いほうはやさしい味がする。わしは白いほうのが好きです。
それからワインを選ぶなんてこういう場合仰々しくてメンドクサイので、カウンタのなかのにーちゃんに、ハウスワイン一杯ね、とゆいます。
こういう場合、フランスの町やバルセロナでは、こんな田舎の小さなバーでは小さなワイングラスか、あれはあれで良いものだが、グラシアの町ならコップで出てくるかもしれません。
ところが、バスクでは、大きな、立派なテイスティング・グラスで出てくるのさ。
それがバスク人、というものなのです。
なんでも格好良くないと、つまらん、という気持が町中に漲っておる。
薄汚いものがいっぱいある国のあとだったりすると、スカッとします。
赤ワインを二、三杯飲んで機嫌がよくなったきみは、大通りに足を向ける。
ピンチョスバーは5時くらいから店を開けて客を待っているが、大通りの店がぼつぼつと開き出すのはバスクでは午後8時くらいである。
9時くらいになれば、人が大勢あらわれる。

一見観光客向けのように見えるレストランでもバスクの町では、ちゃんと食べ物をつくり、きちんと選んだ飲み物を出すので、地元の人のほうが多い。
平日は11時をまわると、ほとんど地元の人だけになります。
いまはまだ8時なので、きみは、もう一軒ピンチョスバーに寄っていこうかなあー、と考える。
さっきのバーは威勢の良いにーちゃんたちがやっているモダン・ピンチョスだったので、今度は伝統的なピンチョスがうまい店がいいかしんない、ときみは考える。
そういうときに行くのは、中年の夫婦者がやっている、こういう店よね。

さっきのピンチョスバーでは、にーちゃんたちが話しかけてくるのは、
「ねえ、きみは昨日の晩のイギリス人の女の子たち3人がやっているバンド見に行ったかい? かっこよくて、足から股間まで熱くなっちまうよ。
おれたち、今日も、見に行くのさ」
なんちゅう話だったのが、ここでは、おばちゃんがカウンタから身を乗り出して、
「どうして、銀行はあんなに汚いんだろう。
わたしとあのひとが苦労して手に入れた家を、手放せなんていう。
あんた、信じられるかい?
あんたの国でも、そうかい?」
とシブイしわがれ声で話しかけてくる。
ピンチョス自体もシブイっす。


赤ワインをもう3杯も飲んで、おばちゃんの声につられて奥から出てきたおっちゃんもくわわって、金持ちどもは、つるみやがって、おれたちからカネをむしりやがる、許せないよ、という話を聞き終わった頃には、きみはすっかりお腹が空いて、マジなものを食べなければもたんのお、と考えます。
だから、レストランの通りへと移動する。
そういうときに、豪勢なレストランに行く必要はなくて、ひとりなら20€もだせばワインと水を含めてもおつりがくるようなレストランで十分である。
食前酒は、もう、少し飲んだあとだからとばしてもいいだろう。
バスクの名物、マルミタコ(鰹とじゃがいもとトマトの煮込み)(すげー、うめっす)

をまず頼む。腹がすきまくっているので、
タコやイカや貝がはいりまくったアロス雑炊も頼むであろう。

これ食べないと、わし生きていかれないし。
さっきバスクの地ワイン、チャコリ(すげえー安くて一本3€すなわち330円もしねーのでも無茶苦茶うまい白ワインでがす)を頼んで飲み始めている関係上、きみは魚でいくべ魚で、と決めておる。
バスクに来て、バカラオ(鱈)のピルピルソースを頼まない人はいない。


本気を出して食べまくるきみをひさしぶりに見た、きみの愛しい人は、眼をまるくしながら、テーブルの向こうで帆立貝を食べておる。

ここがフランスならば、ここでチーズが出てくるところであるが、きみはバスクにいるのであって、バスクとゆえどスペインの一部なので、委細かまわず甘いものを。
甘いもののセットがトレイででてきちゃったりして

甘いものを食べ終わると、しつこく繰り返すと、いるところがスペインならば、わしが大好きなHIERBASがある。
ちょうどレモンチェロのように冷凍庫にいれて瓶に霜がついているのを出してくれるはずである。
強い香草の香りがする。
あまりの幸せに泣けてくるようなリキュールです。

そのうちにウエイターおじちゃんがやってきて、「もういいの?
もう、ほんとうに、これ以上いらないの?
じゃ、勘定をもってくるとするか」
なんちゃいます。
きみの、食べたものの割には、間違ってるんちゃうの?と思うほど安くて、全部ひっくるめてふたり分100€いかない勘定は、最後のしめくくるのお菓子と一緒にくる。
あああー、ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ。
書いてても、バスクに戻りてえなあああ。
もうすぐカリフォルニアに行かねばならないが、何が悲しゅうて、あんなド退屈なところに行かねばならんねん。
わしが好きなのは、たとえば、この写真を見よ(^^;)

イギリス人たちのシブイブルースバンドが演奏する午後8時のプラサで最前列に陣取って魂のリズムに身を揺するガキども(^^)
広場を横切るヘン・パーティ(頭がへんなひとのパーティではない。結婚する女の子が女友達だけで仮装して町を歩いて見知らぬひとびとからの祝福を受ける西洋全体の習慣でごんす)にカメラを向けたら、とんできて、ぶっちゅうーとキスをされてしまったりする、

人間がまだ人間であった頃の趣を残している欧州やオーストラリア・ニュージーランドの町である。
カリフォルニアなんか、いきたくねー。
用事を精密にセットして最短滞在記録を更新してくれるわ。
ビルバオの子犬さまも、わしが欧州を去るので後ろを向いてすねておられる。

やだなあー。
カリフォルニア。
けっ。
食物図鑑_その9_マンハッタン中華篇
August 2, 2011

何を飲むか、というのはほとんど「何を食べるか」によっている。
それはマナー、とかいうようなものではなくて、あるいはマナーの問題であっても、そんな決まりはクソくらえであって、濃厚でスパイシーなシラズはグラスフェッドのビーフステーキには欠かせないし、生牡蠣を食べるのに赤ワインを飲むバカはいない。
鮨を食べるのに白ワインを飲むひともいるが、「日本の白ワインは鮨とあうものがあるんだよ」なんちゅうひとは、味蕾が国粋主義に傾きすぎているのだとしかおもわれぬ。
逆に、ワインを飲まないガリシア料理とかバスク料理、あるいは北でも南でもフランス料理を想像すると、考えただけで索漠として、そんな食事をするくらいなら、マクドナルドのドライブスルーに並んでフィレオフィッシュをほおばりながら世を儚んだほうがマシである。
だからたとえばスペイン料理を食べれば、どうしてもワインを飲んでしまうであろう。
こういうことを日本語では「不可避」という。
モニさんは、とてもマジメなひとです。
わしのように日曜日の朝に嬉しいことがあったからとゆってチ○チンを振り回して喜んだりしないし、金曜日の夜中の広場で酔っ払って禿げ(スキンヘッド)をからかって、頭をペタペタしたりもしない。
マジメなひとの如実な弊害は、他人がフマジメによって不利益を被ろうとしていると、おまわずマジメにしなさいとゆってしまうことで、そーゆーわけで、わしはときどき酒を飲まない日なり期間なりをつくらされる。
わしの頭は、別に考えなくても、モニが「….しなさい」というと、自動的に聞いてしまうモニATSがついているので、飲むな、とゆわれると飲みません。
ヘーキである。
モニが、今日は飲むのやめよーね、とゆいながら、自分だけシャブリを楽しんでいても(たびたび、あります)別に我慢できなくなったりはしない。
しかしモニのほうでは、わしをかわいそうに思う気持ちがあるよーで、たいていは純粋にモニの思いつきだけで決まる、今日は飲むのやめようね、という日には、中華料理、インド料理、マレーシア料理、中東料理というようなものを食べたい、というようになった。
食べ物に飲み物が随伴していないからです。
わしは、もともと酔っ払いなので、こういう料理のカテゴリで好きなのは連合王国人の国民食であるインド料理だけだが、どーせロクな食べ物がないマンハッタンでは、たとえば中華料理みたいもんでも食べてみよう、ということになった。
四川で大地震が起きて以来、世界中には四川人が現れて、他の地方の中華料理の味からは想像もつかないくらいおいしい料理を饗しているという噂は、わしも聞いていた。
でも、マジメに食べてみるべ、と思ったのは今度が初めてです。
酸辣湯


に始まって、
担々麺


や涼拌麺

に続き、麻婆豆腐



で終わる四川料理を食べにでかけてみると、おもいのほかおいしいので、
酒を飲まない昼食には、結構よく食べにでかけたような気がする。
日本の人がたくさんいる「麻婆豆腐」というミッドタウンの料理屋や
大四川料理、というとぼけた名前の料理屋です。
四川料理に味をしめて、中華街にもでかけた。
「あーのさー、今度はじめて中華料理もおいしいんばあー、と思ったんですけど」と中国人の友人たちに話してみると、みな大喜びで中華街のおいしい店を教えてくれた。
わしが最も気に入ったのは、ラファイエットの料理屋で、ここは味が上品であると思った。おおげさではなくて味が「典雅」で、中華料理にも、こんな味がつくれるのかと驚きました。あくまで軽い、それでいて強い、繊細な味で、いまのシェフは限りなく天才に近い、と考えた。
このひとはサラダをつくるのも天才です。


ディムサムも、だから当然うめっす。


このディムサムソースを見よ

台北の鼎泰豊(ディンタイフォン)よりうまい小籠包をわしは初めて食べた。

うまいうまいばかりではバカみたいだが、このひとがつくるものは、ほんまにうまいのだからやむをえない。
アスパラガスの炒め

インゲンマメと豚の炒め

野菜ときのこのポット

極めつけはチャーハンは、ぶっくらこいちまうくらい上品な味である。
うめっす。

夜、行ったのでいまみたら殆ど何も写ってない北京ダックも極楽どした。

ナスを牡蠣ソースベースのソースで揚げた料理

豚さんをチリソースで炒めたのもおいしい

勢いを駆って、中華街


では有名な香港カフェで広東料理も食べてみた。

無限に種類があるコンジー

豚の中華風ハンバーグ

豚さんの広東風炒め

ディムサムにディムサム



とだいたい、こんなふうで、マンハッタンにいるあいだは中華料理を見直したつもりだったのだが、欧州に戻ってくると、まったく食べなくなってしまった。
モニの観察によると「マンハッタンはあんまりおいしいものがないから、ガメは中華料理を食べていたのだと思う」ということでした。
ここでも日本料理と同じで醤油みたいなも味のものが苦手なのが災いしているようでした。
四川料理も、いま考えると味が辛さに傾いて深みがなかったようにも思われる。
ブログを読んでくれているひとは知っていると思うが、わしはモニの「健康にもっと注意しましょう」にひきずられてアジア料理を随分ためしているが、
どうも、「のひゃあ、うめえー」と思うものに行き当たらない。
またマンハッタンに戻ったときにでも緊急に発見しなければ、と思っています。
食物図鑑 その8 グラシア篇
July 29, 2011
バルセロナという町は、スペインの一部であることを全身で嫌がっているような町です。
わしのアパートがあるグラシアという、元は独立した町であっていまはバルセロナの一部ということになっている町は、特にそういう気分が強いよーだ。
路地の奥に分け入ってゆくようなレストランに行くと、スペイン語すら書いてなくてカタロニア語だけだったりする。
わしはカタロニア語はパーリンプッだが、メニューだけは読めるのはそういう理由によっている。
むかしは、イノシシを頼んだつもりであったのに、なんだかわけがわからねえ内臓のホルモン焼きがでてきて、ははは、おもしれえー、これだから他国での食事はやめられん、と呟いて泣きながら食べたものだったが、最近は、ちゃんと何を自分で注文しているのか判っているのだから偉人であるとゆえる。
カタロニアと言えば、むろん、パン・アム・トマカ、スペイン語に翻訳すればパン・コン・トマテです。
生活の基本であるとゆってもよい。
何をオーバーなと思ったきみ、そーではないのよ。
食べ物を軽視するすべての思想はケーハクな思想である、なんちて。
いやいや「思想」とかゆっておると食べ物がまずくなるからやめておくべ。
知らない人のために述べておくと、パン・コン・トマテとゆーのは、上の写真のごとくパンに、
1 まず生ニンニクのクローブをすりすりする。
2 その後にトマトを切った断面をすりすりする。
という厳粛な手順を経て出来る食べ物で、同じスペインでも、異なる地方へ行くと、
輪切りのトマトをのっけてみたり、もっと言語道断なことには全くニンニクをすりすりしていない「パン・コン・トマテ」まであるが、マンハッタンの人気「バルセロナ・タパス・バー」で出している、オリーブをすったのや、ドライトマトをオリーブオイルにつけたのや、いろいろな「ソース」がついてくる「パン・コン・トマテ」と同じくらい大邪道である。
(因みに、あの9th Aveのタパスバーのシェフは、あろうことか、バルセロナのおっちゃんなので、「こんなん出していーとおもっとるのか」とゆったら、「おれが決めたんじゃなくて、あそこにいるカリフォルニア出身のクソ女が決めたんだもん」と言い逃れしておった。いまは悔いて、わしの姿を見る度に作る料理の量を二倍するので、ついに神の許しを得たよーだが)
バルセロナに行って不平たらたら、「あんな酷いところは初めてだ」というのは、だいたい世界的なイナカモノであるアメリカ人であって、日本のオーサカやトーキョーから来たひとは概ね「バルセロナ大好き」になって帰るもののよーである。
それは何故かとゆーと、簡単で、バルセロナ自体、小さいとゆえど都会だからです。
「食べ物の写真が出ているレストランは不味いに決まっておる」
「外国語が4カ国語も並んだメニューの店で、おいしいかもしれない、と思うのは頭がどうかしている」
という常識にオーサカ人やトーキョー人は馴染んでいるが、テキサス人は、
「まあー、この写真、綺麗でおいしそう。おまけに英語も通じるんだわ」とかっちゅうんで、いきなりはまりまくる。
スペインちゆえば、どこでも「ハモン」に決まっておる。
ハモンは、いちばん高いハモン・イベリコを奮発することに決めてしまえば、相当ええ加減なところにはいっても、おいしいす。
たとえば「Mas」のようなチェーン店でもよいと思われる。
(しかし、マスの数ある支店のなかでもディアグノルのモールの地下にあるやつがいちばんおいしいけどな)
切り方がおおざっぱにゆって、うすううううく、うすううううく切る切り方と、小判状に切る切り方がある。
わしはうすうううういオカモト式のほうが好きです。
装着感がない。
(嘘。ほんとうはデュプレックスですけど)
わしは、人間が質実剛健簡素剛勇に出来ているので、普段たべるものは、ウエボス・コン・パタタス(イモの卵焼きのせ)とかです。
わし、この食べ物、好きなんだよ。
1€のテーブルワインと、これがあれば、手もなく幸せになってしまうので、いつもモニに「なんという安上がりのダンちゃんだろう」と笑われておる。
あるいはクロケタス。
イタリアのは日本と同じでイモだが、スペインではコロッケは中身はクリームとチキンやハムです。
わしはむかしはクロケタスがほぼ病的に好きであって、朝ご飯の蜂蜜を表面に塗ったクロワサンと一緒に必ずクロケタスを3つつけてもらったりしていたが、最近は、モニと一緒にいるときには「臭いから注文してはいけません」と厳命されている、アトゥン(ツナ)のパイに変えるときもある。

ガイドブックを見ると、バルセロナは、タパスがおいしい、なんちておるが、カタロニア人にゆわせれば、そーゆー表現はただしくない。
タパスて、ただ「小さい皿」て意味だからな、と力説します。
そんなの意味ないよ。
タシカニカニタシ、と思わなくもない。
「東京は小鉢料理がおいしいんだよ」とゆわれても、いまいちピンと来ないであろう。
伝統料理には、たとえば「カタロニア風ソーセージ」がある。

ソーセージとゆえばチョリソもあるが、正直に申告するとチョリソはガリシアやカステラのほうが全然うめっす。
カタロニア人は元々のカタロニア風ソーセージの概念に邪魔されてなかなかチョリソの神髄である荒々しいニンニクとピカンテの心境に達しないもののようである。

夏にいれば、カタロニアとゆえどスペインなので、さまざまなガスパチョもあります。
カタロニア人も日本のひとびとと同じで、Arozな米料理が大好きなので、もちろん、
食べているうちにだんだん泣けてくるほどおいしい(義理叔父談)米を使った料理も豊富にある。
こーゆーものを、バルセロナ人は、魚でも赤ワインで無理矢理食べたりするが、夏には、たとえば、カバベースの白サングリアちゅうようなものを飲みながらも食べます。

香草がかすかに香るロゼを飲みながら、おいしいものの事を書いていたら、だんだん酔っ払ってきてしまったので、忘れないうちに付け加えておくと、カタロニアの伝統料理には、アンチョビとトマトを組み合わせたさまざまな料理

チーズの上にどっっかああああーんとジャムやフルーツジェリを載っけた料理

ももちろん欠かせない。
野菜は他の大陸欧州人たちと同じように、めんどくさくなると、焼いて大量に摂る。
を他の地方のスペイン人なみに食べたあとは、
日本の人と同じに「現代料理」のレストランに恋人や友達と待ち合わせて出かけるでしょう。
仔牛、とかでも、こんな切り方の伝統料理(それぞれ仔牛、鴨、スズキ、バカラオ、チキン、イカ、ポークソーセージ)







のカタロニア料理屋とは違って、
たとえば初めに出てくるスープも、フォアグラと味噌のスープ(これは、すげー、うめっす)
ハマスを食べてアグア・コン・ガスやヴィノ・ティントを飲みながらまっておれば、
卵のキノコソース

や、おなじみのビーフ・ステーキ

日本風マグロのタルタル

バルセロナで結構人気がある新機軸としては、
わざとアメリカ・ファースト・フード風に設えたコース、なんちゅうのもあります
そうして最後には否が応でも甘いものを食べなければ立派なオトナとはゆわれないが、心配しなくてもカタロニアのレストランも、甘いものは無茶苦茶においしいので、満腹していてもちゃんと食べられます。
なかんずく、きみがカタロニアは初めてだとすると、クランブリュレって、ポールポキューズ、なんちゃってるけど、これのマネなんちゃう?というクレマ・カタランを外す訳にはいかんだろー

こーゆー「甘いもの」を食べ終わると、今度は、明日は何をして遊ぶべか、と話しながらリキュールを飲む。
最後には大団円で、
レストランのおごりの菓子が出るのがスペイン的流儀である。
おまけをのべておくと、毎日毎日マジメに美食ばかりしている努力家のわしとゆえど、
ピザで夕飯にしてしまうこともある
めんどくさければ自分で作ってモニとふたりで食べることもある
(アスパラガス+ほうれん草とベーコンの炒め、ソパ・デ・アホ、トマトとアンチョビとアーティチョークのスパゲティ)
モニが、「ガメ、これうまいな」というと、(当たり前だが)
天にも昇る心地になる。
とっても嬉しいっす。
食べ物というものは、本質的に幸福なものである、と判ります。
(文章でことわるのを忘れておるが、最後の写真三つは参考にあげた「フランス側のカタロニア人たちの料理」。国境という「線」をまたいだだけで
おおきく変わる。写真の料理の場合は「見た目がフランス料理で味がカタロニア料理」なのでごんす。
言語はスペイン側と反対に年々カタロニア語人口が減っている。学校でカタロニア語を教えないことがおおきいのだそーであった)
ごはんをめぐる冒険ーロンドン篇ー
October 30, 2010

たとえばきみがタイのプーケのようなところでプールサイドに寝転がっていて、偶々いあわせた、きみが何とはなしに合衆国人だと思い込んでいた見知らぬ英国人のにーちゃんに、「ぼくはロンドンにいたことがあるんだけど、それはそれは飯が不味かった」とゆったとする。
そうすると、英国人にーちゃんは、がばと身を起こして、嬉しげに、揉み手せんばかりの勢いでイギリスの飯がいかに不味いか、そもそも野菜の煮かたひとつとっても途方もないやりかたであって繊維など残らないほどぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつ永遠に煮込んで、それが供されるときにはくったりして野菜の死骸のようなものになっていることなどを熱情を込めて説明してくれるに違いない。
連合王国人は、一般に自分の国の悪口が好きです。
相手が好もしい人間であって知性があると判断した場合には、ごくごく嬉しそうに自国の悪口を言う。
相手がバカモノあるいは退屈な人間であると判断したときには、やんないけど。
バカというものは、こういう話を楽しめないで真に受けてしまうからな。
連合王国の飯が不味いことは連合王国人自身が認めている、とかマジメに言うことになる。
そういうひとは、たとえば日本人であれば「日本の食べ物は世界一おいしいと知っていますか?」と真顔で言う人と同一人であろうと思われる。
化外のひと、というのは、いっそ言葉を使わないでくれれば、どれだけ世の中の改善に資するだろう、と思います。
これを平たくゆえばアホは疲れる、ともゆえるな。
アホちゃいまんねん、パーでんねん。
ではイギリスの飯が美味いかというと、そんなことはねーよ。
不味いです。
それがどういう理由によるかはロンドンのマクドナルドに行ってフィレオフィッシュを頼んでみるとよく判る。
マクドナルドというものは便利なものであって通貨の実勢を見るのにも使えるし、食べ物の思想傾向を比較するにも最適です。
同じメニューでも国によって味が全然違うねん。
フィレオ・フィッシュ。
もともと美味いものとはいいかねるが、こんなに不味い食べ物だったとは知らなかった、ときみは噛みしめる一口ごとにしみじみ考えるであろう。
油はテレピン油のごとき油であって、しかもタラということになっているはずの白身魚は、なんとなく煮くたした石鹸のごとき状態である。
おまけにバンが乾いておる。
料理の腕、というようなものでなくて、思想が誤ってるのよね。
煮る、となると親のカタキのように煮ます。
連合王国人は鶏肉のまな板を別にする家が多いが、これは衛生上の理由によっている。
鶏肉=怖ろしげな黴菌の巣窟、なんでごわす。
だから中が微妙にピンク色であるくらいに調理された鶏肉の焼き物なんて、そんなおぞましいものくえねーよ、と思っている。
鶏肉は火事になるくらい焼いて表面のおこげを楽しむ。
インドネシアの人と考えが同じですね。
バナナの葉でくるんで焼く、向こうの調理のほうがずっとうまいが。
コシノ・ジュンコというデザイナーの女びとが生卵かけご飯を推奨していて、「家にやってくる英国人たちにもたいへん喜ばれました」と書いていたが、彼の女びとをデザイナーとして尊敬している連合王国人たちのひきつりまくった「喜んだ顔」が目に浮かぶようである。
日本の人でゆえば、そーですのー、豚の生の挽肉をご飯にかけて食べる感じ、ですかいの。
卵はバイキン大王ですもん。
そんなもん、生で食べるやつなんかおらん。
留学生とかチューザイさんとかでロンドンに何年か住んだ、という程度のひとびとがロンドンの料理屋でおいしい所に行き当たる、という事はまずないであろうと思われる。
えばって言うことではないが階級社会ですけん。
「階層」というような海草のごときへなへなとした本人の努力次第で上昇してゆけるものと違って「階級」というものは生まれてくるときにいきなりくっついてきて死んだ後でもまだついてまわる、という人間性というものをバカにしくさった要塞のごとき制度です。
連合王国は、で、いまだに「階級社会」なんだよ。
すごい。
いまどき「階級社会」をやってるのは連合王国とインドくらいのもんである。
インドではこそこそやっているが連合王国は大大的、おおっぴらにやっておる。
「上流階級」ちゅうようなもんは死滅しかけているが、まだあります。
現代に恐竜が生き延びているようなものなので、そのうちに政府が正式に保護にのりだすかも知れん。
「おいしいもん」ちゅうようなものは、もともと上流階級の習慣であって中流以下にはそういう習慣がなかった。
ついでに「中流」というのはだいたい30代くらいのイメージでいうと年収が6000万円くらいでだんちゃんはレンジローバーで奥さんはメルセデスのステーションワゴン、ロンドンから電車で30分くらいのところに5ベッドルームの家があります、ちゅう感じの人々です。
階級は直截関係がない。間接には関係あるけど。
で、こーゆー人々は、あんまり外食にいかねっす。
友達夫婦に会うのにひとり100ポンドくらいのレストランでローストしたラムを食べるとか、そーゆー感じだな。
ロンドンには行かずに郊外のクルマを駐められる新しく出来た店に行く。
「なんちゃらガーデン」ちゅうような名前の店です。
こーゆー店ではごくたまに日本人らしき奥さん、というのを見かけることがある。
旦那はコーカシアン、英語風にカタカナ表記すると、コーケイジアンのおっさんです。
だから日本の雑誌とかにも伝わっていると思われるが、わしは知らん。
こういう店は結構うめっす。
ローストやステーキは東京よりうまいと思われる。
なにしろ上流階級が死滅しつつあるので、フランス人の小説とかによく出てくるロンドンの「クラブ」も死滅しつつある。
あの「クラブ」というものは、もともと外食費の節約になるので流行った。
上流階級の生活は、参勤交代並、というべきか、嫌がらせのように金がかかるので、せめて毎夜の食事くらいは節約したかったのだな。
そういう、侘びしくもいやしい理由によって生じたので食べ物はうめーです。
ところが、あの「クラブ」ちゅうのんは「労働党」とかだと居られねーんだよ。
だから、クラブを追ん出ると巷のレストランに行かねばならん。
「なんとかクラブ」と名前が付いているレストランがそれです。
ははは。やっと論旨に辿り着いた。
従ってロンドンでうまいものを食べようと思ったら、「なんちゃらほいクラブ」という名前のレストランに行けば、美味い夕食にありつける確率が高い。
夫婦ふたりで行って400ポンド、とかは取られるが、贅沢をゆってはいけません、ロンドンは収奪をもって尊しとなす都会ですがな。
チェルシーの商店街なぞは街灯やなんかを維持する共益費が300万円とかのオオタワケな金額で、これは一般にビンボ人を閉め出すためだと信ぜられている。
そのうち、年収が1000万円以下の人間には1000万円の居住税を課すのではないかと噂されているほどである。
一日の生活費が5万円以下の生活は無理な都会なのね。
凶暴なことですが、ずっと、そーなんだよね、ロンドン。
シャーロック・ホームズがビンボ生活のストレスでコカイン中毒になるわけである。
とゆーわけで、イギリスの飯が不味いかというと、そんなことはねーのよ。
正解は「飯が高い」のね。
きみがさっき50ポンド、7000円を出して食べたサルディニア料理は、ビンボ飯なのです。だから不味い。
一方でたとえば高級インド料理店に行けば、この世のものとは思われないほどおいしい「コンテンポラリー・インディアン」が食べられるであろう。
美味いぞおおおお。
ワインもおいしいのが揃ってます。
8000ポンドくらいから始まって50ポンドくらいまである、延々と延々と続くワインリストから、うまそーなワインを選んでひと晩の食べ物の愉楽に耽(ひた)るロンドンの夜ほどリラックスするものはない。
かっちょよく制服でパリッと決めたウエイタのおっちゃんと冗談をぶっこきながら、のんびり過ごす時間というものは、他の国にはない。
えばりくさって言うと、ロンドンはやっぱり都会だのお、と思います。
マンハッタンは良い所だが今出来の街なので冗談がいまいちである。
そーゆーことは、やはり食べ物の味に影響しますのい。
世界中、どの街にも、その街の「得意な料理」があるがロンドンではインド料理がそれにあたる。
インド人のシェフ友達によれば連合王国は南アフリカに次いでインド料理がうまい国だそーである。
だから、日本のお友達よ、悪いことは言わぬ。
ロンドンに遊びに行くならインド料理屋に行くがよい。
そのインド料理屋の尻尾に「クラブ」がついていればなおよろしい。
連合王国とゆえど欧州なので、他の欧州の街と同じで、それ以外の「ぶっくらこくくらいおいしいレストラン」は間違っても外国人が発見できるような所にはありません。
ガイドブックにも載ってひん。
載ると肝腎の馴染み客がいっせいに来なくなるからな。
早い話がわしが贔屓のレストランに至っては名前がねーもん。
呼びようが無くて「プリンス」みたいだが、欧州というのは、そーゆー所なんです。
いやあーね、ときみは思うだろうが、
その、「いやあーね」が欧州の本質であって、連合王国ももちろん例外ではないのです。
(画像はラムのカレーでごんす)
日本の味
July 12, 2009
朝起きてみるとYさんからメールが来ておる。
Yさんは美術のひとであって、わしの仲良し日本人友達のひとりです。
しかし、この頃はしばらく会っておらなんだ。
「モニさんとガメを洋食タイガー食堂に連れて行こうと思っていたのになくなってしまって残念です」と書いてある。
洋食タイガー、
http://ginza.keizai.biz/headline/820/
http://r.tabelog.com/tokyo/A1302/A130202/13007702/
は、Yさんの口吻では「日本人の原初の味」だそうでした。
Yさんはベンキョーとシュギョーで12年パリにいたが、そのあいだじゅう寝ても覚めても「タイガーでミックスフライ定食がたべてー」と考え続けていたそーである。
ささみフライとアジフライにカレーに豚汁がついておる。680円。
「日本に戻ってミックスフライ定食を食べたときには、あまりに幸福で、おれはもう死んでもいいと思った」とYさんはオーゲサなことを言います。
そのくらい幸せであったそーな。
わっしにとって「日本の味」と言えば何であるかというと、「鮨」です。
たいへん日本的な食べ物であって、他に思い浮かばん。
ところが日本人の友達に訊くと、「鮨が日本の味ではダメではないか」とゆいます。
明治の元勲の末であるお友達は日本の味はメンチカツに決まっておる、と断言する。
合い挽きの奴がいいのよね。それにばしゃばしゃっとウスターソースをかけて食べるの。
日本の味です、あれは。
と、ややコーフンして断言します。
日本のひとは食べ物のことになるとミョーにコーフンするな。
フランス人やスペイン人と傾向として似ておる。
連合王国人が甘いものについて示すコーフンと同じなのでしょう。
日本のひとは政治やなんかの話題についてはせいぜい4つくらいの意見に分かれていて、
議論なんかしないでABCDの4っつのうちの意見はどれであるか?と訊いた方がはやいようなバラエティの少なさだが、食べ物のことになると他の国のひとが見てぶっくらこいて腰が抜けるほど多様性と独自な見解に満ちておる。
考えてみると国民としては問題があるとはいえ人間としてはセイヨー人よりも健全である。ケンポーよりトンポーロー、なんちて。
「洋食」を日本の味としてあげるひとが多いようだ。
海外の生活が長いひとに多いな。
こーゆーひとびとは、酒を飲むときでもカッチョイイ「ミラノ風」カヘ、とかもいかん。
だいたい鯨ベーコンがメニューにあるような居酒屋を好むようです。
湯豆腐で熱燗。
この頃は、そー言えば英語圏でも「SUSHI BAR」に代わって「IZAKAYA」がよく雑誌やなんかに出るよーになった。
モニの好きな「焼鳥屋」も人気がある。
日本で修行してきた人が「ビチョータン」なんてサインを出して、流行っておる。
「ベントー」という名前で松花堂のぱちもんみたいなものも人気があります。
と、こうやって考えてくると、論理的に言って、そのうち「YOSHOKU」というのが流行り出すのではなかろうか。
マンハッタンでヨーショク。
ははは。なかなかいいな。
モニが初めて日本へやってきたとき、わっしは午前5時の築地に連れて行った。
寒い朝、白い息を吐きながら「せり」を見て眼を輝かせていたモニを思い出します。
場内をひやかして歩いたり、場外のいまはもうなくなった、わっしの好きな「S」でコーヒーを飲んだりした。
あの築地でも鮨の職人や日本料理の親方たちに人気があるのは「洋食屋」だったのをおぼえています。
わっしは実は「洋食の味」というものが、よくわからない。
とんかつは好きだが、あれはどうも「洋食」のうちにはいれてもらえないようです。
観察しているとフライパンに浅く脂をひいて衣をつけて揚げるのを「カツフライ」と呼んで厳密に違いを設けているのだな。
物議を醸しそうだが、「おふくろの味」カレーライスも、ポークソテーも、「ここがおいしいんだよ、ガメ」というところに連れて行ってもらっても、そーですか、な感じです。
ビーフシチューやハンバーグに至っては、どういうか、銀器にはいった夕食のふたを開けてみたらメザシ(それも不味いやつね)がはいってた、ちゅうか、レストランで食べるのは非現実的な感じがします。
でもだからかえって「洋食」こそが日本の味ではないか、と思うのです。
パリの裏道をさまよって「日本語の歌」のCDやレコードを探し続けたYさんや、
寝転がって天井を見つめるたびにそこにウスターソースがばしゃばしゃにかかったメンチカツが出幻したという元勲さんは、頭のなかではほとんど日本というものは洋食の形をなしておった。
おおげさですが、そこにもわっしは日本という国の「複雑さ」を見るのであります。
画像は全部チョコレート。キティちゃんもある。
日本再訪_4_日本の食べ物
December 20, 2008
ディムサムを食べに行った。クライストチャーチも西洋の街のご多分に洩れず中国のひとがたくさん住んでいるので、ディムサム屋もたくさんあります。一皿が2ドルから3ドルくらいだから日本円なら100円から150円くらいである。
ディムサム屋はどこも同じ、そのくらいの値段です。
モニは中華料理屋一般がそもそも嫌いなので、どおりゃたまにはショーロンポーでも食べるかのい、と思ってもついてきてくれない。しょうがないので、まともな食事以外なら何でも食べるデブPを誘って食べに行きました。デブPはなにしろ日本の捕鯨船がニュージーランドの近海に現れた、というニュースを見ていて「自分も鯨肉を食べてみたい」と思うほどの豚の食欲の持ち主
http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080314/p1
なので、ディムサム屋でも「ゲソ天」とか不気味なものから注文して、「う、うまい」と唸っておる。さすが、「犬のスープって、おいしいのか?」と訊いてデブの単純な好奇心を自国民に対する侮辱と曲解した韓国人のガールフレンドに逃げられた経験の持ち主だけのことはある。
(その後デブPは韓国に行って犬のスープを食ってきた。たいへんうまい食べ物だそうで、「フランス人たちがいっぱいいて舌鼓を打っていた」そうです。「なんで、あんな立派な食文化を恥ずかしがるのか、おれにはわからんね」と言っています)
中華風チリソースと醋と醤油(キッコーマン)をつけて食べるシュウマイや小籠包は結構うまい。このリカトンに新しく出来た200席くらいのディムサム屋がクライストチャーチではいちばんうまいかも知れません。去年来たときも広いレストランが満員であった。
でも、ありー、コーカシアンがあんまりいなくなったな、ここ、とデブPに訊いてみるとクックックと笑って、離れたテーブルを指さす。
そこにはなんだか深刻な話をしているらしき中国人のカップルがいます。
若い男のほうが、眉根を深刻気にしかめたまま何事かを女に告げながら鶏肉を口に放り込んでくちゃくちゃと食べたかと思うと骨を「ぷっ」と吐き出す。
女のほうが、ひとことふたこと静かに、でも毅然と答えると豚肉を口に放り込んでくちゃくちゃと食べて脂身(多分)を「ぷっ」と吐き出します。
ひそひそ、くちゃくちゃ、ぷ。
ひそひそ、くちゃくちゃ、ぷ。
「ぷ」と吐き出す先が正確に同じところなのが礼儀にかなっているもののようである。
隣のテーブルのパケハ(マオリ語で白人のことです)ビジネスマン3人組が恐怖に顔をひきつらせて、そのテーブルを見つめていたかと思ったら、ウエイタのおばちゃんを呼んで、「さっきの注文、みんなテイクアウエイに変えてください」と言ったので笑ってしまった。
「あれが理由なのか?」とデブPに訊くとデブはなおもクツクツと笑いながら必死に頷いておる。
なんでも中国のひとたちのあまりのマナーの悪さに気分が悪くなって店に抗議したヘンなばーちゃんまでいたそうで、そうやこうやでコーカシアンの客が減った。
ついでに中国の食べ物は安全に問題がある、という口コミが広がっていっそう客が激減したそうです。
そーゆーわけで、アジア人以外の客はほとんどいなくなった。
かつて全盛であった中華料理屋にとって代わったのはインド料理屋です。
「バターチキンカレー」が人気がある。
サモサやパコラも食べます。みるみるうちに増えていまでは50を越えるそーな。
わっしもよく出かけていってラムカレーやチキンマサラを食べます。
モニはサモサとタンドリ。
日本のひとが誇りにしているとおり、東京は食べ物がおいしい街です。
食べ物に対する考え方が繊細であって材料の切り方までいちいち理に適っている。
あと、これを忘れるわけにはいかむ、どんなものを出すのでもプレゼンテーションが素晴らしい、
ちょっとイカを出すくらいのことでもまるで芸術作品のような形をつくって出します。
とてもあのド醜悪なビルをつくって見渡す限りにぶちまげた(ごめん)のと同じ国民とは思われない。
「ロスアンジェルスのほうが寿司がおいしい」というひとによく日本で会いますが、それはなんにも判っておらぬ。
材料が良い場合でもロスアンジェルスあたりのスシシェフは銀座の職人さんに較べると、鮨種を「ぶったぎって」しまうので、鈍感なわっしでも舌触りが悪くて、おいしくない、と思う。400ドルも払って、そういう「技術」のような面ではくるくる寿司にも劣る寿司屋に行くと、もう行く気がなくなります。
カリフォルニア人はもともと「巻物」が好きで「なんとかロール」ばかり食べたがりますが、もしかすると、包丁の入れ方が悪いせいで舌触りが悪い普通の握り寿司をぼんやりと判っているのかも知れません。
わっしは醤油が好きでないという、日本で食生活を楽しむにはかなり致命的な欠点をもっていますが、(実際いまどき醤油があまり好きでない、というような「遅れた味覚の人間」はこの世界にわっしくらいしか生息していないのではないか)、それでも、東京にいて食べ物の面で暮らしにくい、と思ったことはない。
それどころかモニとわっしがいた広尾山の周りにはどっちがわに降りてもイタリア料理屋フランス料理屋アメリカ料理屋オーストラリア料理屋なんでもあって、毎晩新しい店をみつけては出かけるのは楽しいものでした。
後半モニが日本の街に出かけるのをいやがるようになってからも夜だけは、そういうわけで出かけて楽しむことが出来た。
モニとわっしは日本酒が好きなので、知らなかった日本の食べ物も今回はだいぶん学習した。カラスミは、知り合いのフランス料理屋の主人がブランディでつくったものを持ってきてくれたとき以来ふたりとも好物です。
豆腐も日本のお豆腐はやさしくてしっとりしていて世界でいちばん優美である。
京都の藤野の豆腐がわしらは好きであった。
名前をわすれちったが、山形県の特産だというチッコイつぶつぶの木の実もおいしい。
的矢や岩手の牡蠣、銀鱈の柚子焼きに若狭の笹鮨。
樽菊正のようにうまい飲み物はこの世には珍しい。
まるで一級のピノノアールのようです。
日本料理屋以外ではイタリア料理屋がよかった。
メニューの構成や調理の仕方が古いが、それなりにマジメにつくってあるのでおいしいのです。特にパスタはイタリア以外の国ではいちばんおいしい、と思う。
ゴルゴンゾーラを使ったパスタをおいしく作る店が多い。
トマトソースはいまいち味が細い。オリーブオイルは使うオイルに安物が多い。
なんちて、えらそーだが。
全般に日本料理以外の日本の料理屋さんは、良い方は
「作り方が繊細である」
「サービスがフレンドリで明るい」
ところで、悪い方は
「メニューが古い」
「味がうすっぺらい」
「レストランの雰囲気が古すぎる」
「食後のデザートのレベルがものすごく低い」
っちゅう感じではないでしょうか。
料理のレベルは(当たり前なのかも知れないが)日本料理が飛び抜けて高い。
次がイタリア料理、中華料理、くらいではないか。
この頃日本ではミシュランがずいぶん話題になっているようですが、残念ながらわっしは東京のフランス料理屋はおいしいと思ったことがありません。
ミシュランとわっしとはずいぶん意見が違うようです。
少しのあいだとはいえ日本に住んでいて気がついたのは日本のひとは「自然の野性的な感じのする味」が嫌いであるらしいことで、たとえば牛肉はグレインフェッドしか食べない。
わっしはグレインフェッドの牛肉はあまり好きでないのです。
ウエールズの農場が経営しているようなベッドアンドブレックファストに行くと、朝ご飯の卵やベーコンを口に入れた途端に口の中に明瞭な「農場のイメージ」が立ち上ります。
自然の力強さがそのまま味覚になったような食べ物です。
どうも日本のひとは、そういう味覚が苦手なようです。
だからベーコンでも牛肉でも豚肉でも「プラスティック」な感じの薄い味になる。
はっきりした味がしないのは、5000円くらいで食事を提供する店でも3万円くらいとる店でも全然変わりません。
あの日本のシェフの包丁の入れ方や調理の気の配り方で「野生の強い味がする」料理を食べたいなあ、と思うのはわっしだけではなくて、そう口に出して話に出ることも多かった。
と、ここまで書いてきたら妹と出かけていたモニが遊びに行こうと誘いに来た。
「何、やってんだ?」と訊くので「日本語で日本の食べ物についてブログを書いています」と答えたら、
「焼き鳥ほどおいしいものは世の中では珍しい、と書いておきなさい」だそーです(^^;)
モニは東京で焼き鳥の味にめざめて以来、ビチョータンだのなんだのと煩い。
自分で納得がいく焼き鳥を自分で作ろうとして悪戦苦闘しています。
日本のひとはわっしなどより日本の食べ物をとよく知っているに決まっているので日本の食べ物をネタに自分の日本語の練習をするのは、もうこのへんでやめますが、日本は食べ物のバラエティが多いと言う点ではパラダイスで、食べ物が決定的に単調で不味い合衆国のような国とはまるで違う社会です。欧州の国にとても近い。
そーゆー違いはどこから来るのだろう、と考えてみると面白いことがたくさんありそうです。
(いま日経ネットをちょっと見たら伊藤若冲の大屏風が発見されたニュースが出ていました。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/im20081219AS3G1901M19122008.html
すごい。素晴らしい。
こんなことがあるんだ。
見に行きたいなあ。)
テンポーラ
August 10, 2008
前にも書いたことがあるが、わっしはスペインの天ぷらが好物である。
ちょっと程度の良いレストランに行くと上質なバージンオイルで文字通り「天ぷら」にするのであって、オイルが菜種や胡麻でなくてオリーブオイルなだけで「江戸前天ぷら」と寸分も変わらん。
これは、(信じなさい、信じる者は救われるというぞ)すごおーくすごおーくすごおおおおおーーーーく、おいしい食べ物であって、これに岩塩をちょびとつけて食べると、いきなりわっと顔を覆って号泣したくなるくらいおいしいのです。
メニューに「テンポーラなんちゃらかんちゃら」と書いてあったのを憶えていたので、スペインのひとは日本の天ぷらをアレンジするのが上手である、とわっしはひとりごちておった。「さすがは食い意地世界一の国民である。他の欧州人には「スペイン、ああ、アフリカがヨーロッパに出っ張ってきてる国のことね?」と嫌みを言われても心は錦ではないか」と感心した。
ところが、ところーが。
天ぷらって、スペインのものなのすな。ひょっとして、と思ったらwikiにも書いてある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89
世の中には「そんなことは常識である。きみは、ものを知らんね」というひとがもしかしたらいるかもしれんが、わっしはぶっくらこいてしもうた。
wikiには、
「天ぷらの衣はサクサクしており別物である。よって、日本料理としての「天ぷら」は日本独自の料理と言えるであろう。」と書いてありますが、これは現実とは異なる。
スペインの天ぷらは日本の天ぷらより「さくさく」が大事なのである。
バルセロナの料理人のおっちゃんが「伝統的に、このサクサクで決まるんだもんね」といっておった。第一「フリッター」だったら揚げ物舌バカの連合王国の場末でも食べられるわい。どうも日本版のwikiは肝腎なところで外しておる。
わっしは天一本店
http://www.tenichi.co.jp/mainshop/index.html
の天丼がむかあーしから好きであって、2003年には、ただこれが食べたい一心でエゲレスから飛来してきたこともあった。
かーちゃんも、ここの天ぷらが好きです。
ここの天丼はなかなか下品なむかし風江戸前天丼であって、気取った味でないところがよい。ちょっと高いとは思うが。
スペインは、うまいものが多い。
バルセロナなどは食べ物に関して言えば「この地上に現れた天国である」としか言いようがない。
http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080514/1210738376
あんまり食べ物がおいしいので、地元のにーちゃんやねーちゃんは、一日に5食から7食食べる。それなのに、細くてくびれていて、くわっちょいいのである。
フコーヘイ、である。
わっしなどは、あんなに毎日食べたらデブってモニに捨てられるかも知れぬ。
人間も屈折した形で親切であった。
わっしは、まっすぐに親切なひとも好きだが、屈折した形で親切なひとも好きなのす。
http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080226/p1
こうやって書いていると、いますぐにでも自分のGraciaのアパートに行きたくなるが、いまはウクライナ人のカップルが住んでいるからダメである。
狒狒大家になって追い出そうと思っても、家賃、一回も遅れてないし。
悲しい。
ベッドに入って寝よう。


































































