オカネの値札
May 28, 2012
ニュージーランドの紙幣
http://www.nztripadvisor.com/new-zealand-currency.html
はプラスチックの窓がついているチョーへんなお札(さつ)であって、アメリカ人や日本人が初めて見ると、なんじゃこれは、ふざけてやっておるのか、と思うのがふつーであると思われる。
わしがガキンチョのときは、いまよりも遙かにカラフルで明るい彩色の紙幣で、北海に面した陰鬱でひねくれた国からニュージーランドまで2万キロの旅をしてやってくるのは毎年夏で、ニュージーランドはゆいいつの取り柄の夏は天国で、なんとなく極楽ぽいニュージーランドと明るい彩色の極楽紙幣とがマッチしていて、可笑しかったのをおぼえている。
ちゃんとおぼえていないが、その頃のお札に較べると、プラスチックの窓も小さくなったよーな気がして、それには印刷技術がやや向上したことが関係があるだろう。
ニュージーランドの紙幣で最も使われるのは多分20ドル(1200円)札で、50ドル(3000円)札は2万円札、という感じになる。
100ドル(6000円)札も存在するが、これはチョー高額紙幣とみなされるので、カシノやなんかのギャンブラー紙幣で、堅気の衆は使いません。
20ドル札は最近ではわしガキ時代の「デイリー」という麗しい呼称を捨てて「スパレット」とかいう酢を飲みすぎて口をすぼめているようなインチキな名前で呼ぶことが多い新聞や駄菓子や牛乳なんかを売っている、あちこちの角にある最も小規模な小売店で支払いに差し出すのに考えたりためらったりする必要はないが、50ドル札は、「50ドル札でもいーだろーか?」と訊いて差し出す。
治安の悪い町だと受け取るほうも緊張しておる。
まだ贋札チェッカーが普及するところまではいかないので、北朝鮮の輸出先リストには載っていないのであると思われる。
CBDに行けば、マーカーでチェックしてはいる。
New Worldというのは、ニュージーランド資本の全国展開スーパーマーケットのうち、「品物がよくて高いほう」にあたるが、ニュージーランドに住むのにいくらくらいかかるかは、各店の広告チラシを見れば想像がつく。
モニとわしの家から最も近いスーパーマーケットは「New World Remuera」という店だが、
http://www.newworld.co.nz/upper-north-island/auckland/remuera/
この右の「Open the virtual mailer」というリンクをクリックすると、「今週のチラシ」が見られてニュージーランド人が生活してゆくのにいくらくらいオカネを使っているかの一端が覗き見できるのだとゆわれている。
見てみるとバターが500グラムで3ドル50セントというから210円です。
コカコーラの2.25リットル瓶が2本で5ドル(300円)だが、このあいだキンドルの電源を買いに行ったカウントダウン(オーストラリア資本のスーパーマーケット)では、同じものが2本で3ドル(180円)だったので、負けておる、というか、店によって随分値段が違う。
食パンなどはプライベートブランドの白くてへろへろのクソ食パンは二斤で2ドル50セント(150円)くらい。逆に、重さからして手に持てばよろめくほど重い、ぎっしりした感じのVogelは二斤でたしか4ドル50セント(270円)だったと思う。
ワインのようなもので言えば、ニュージーランド人が最も好むのは9.99ドルワインであると思うが、BIN555という日本でも売っていたワインが9.99ドル(600円)です。
今見ると、このBIN555は日本での「希望小売価格」が1943円で、安売りワイン店では1300円くらいで売っているよーである。軽井沢のツルヤスーパーで1500円、広尾のナショナルスーパーでも1500円くらいで売っていたよーな気がする。
PAK’nSAVE
http://www.paknsave.co.nz/
は、New Worldと並ぶニュージーランド資本のスーパーマーケットだが、こっちはNew Worldよりも量が多くて安い。
Countdownはオーストラリア資本で、品揃えの質としてはちょうどニュージーランド資本ふたつの間くらい。
キンドル本体と周辺機器、あるいは(わしの好物の)ベジチップはこっちのほうにしか売っていないので、おいてあるものもやや異なるよーである。
日本には紀伊國屋スーパーマーケットという鎌倉で言えばほぼ人の虚栄心につけこむだけで商売しているスーパーマーケットもあるが、そこに集うオバチャリの買い物かごにグッチのバッグをいれてよく訳のわからなない肘までのレースの手袋をつけた、ブ、キ、ミなおばちゃんたちのことが思い出されても、そういうくだらない悪態をつくのをやめて、普通に通常のスーパーマーケットよりも「高級な」ものを売っているということになっているスーパーマーケットにはfarro
http://www.farrofresh.co.nz/
とnosh
http://www.noshfoodmarket.com/
があるが、noshのほうが全然よい。
farroは高級風であるだけで店員もたいした品物への興味もなしにやっているのに対してnoshはチーズ売り場の店員はチーズが大好きで知識も豊富、客が少なければ30分くらいも話して遊べるくらいのひとが揃っている。肉売り場ではハラルとニュージーランド式の屠殺の違いを詳細に話すことが出来、中国では豚の活けじめをするので、どんなふうに屠殺するかというようなことを目を爛々と輝かせて聴いておる(^^)
自然、わしはnoshが好きで、小さな人が生活に登場してからいよいよ日常の買い物というようなものにはいかなくなってしまったが、チャンスがあって買い物をさせてもらえるときには、このnoshに行く。欧州のあちこちの国の様々なチーズやお菓子、あるいはわしの好みにあわせて特別に切ってもらったステーキ肉やなんかを抱えてヘラヘラしながら帰ってくる。
オリーブオイルやディジョンマスタード、マカダミアナッツ・カシューナッツのように大量に消費するものは、「gilmours」
https://www.gilmours.co.nz/home.html
という店へ行って買う。
こっちは家を手伝ってくれる人びとが行くだけで、モニやわしはあんまり出かけないが、このあいだ、あんまり「甘い物を食べるとビョーキになる」とかで、わしが大好きなジャンクチョコレートを規制されて悲しくなってきたので、こっそりピーナッツスラブ
http://productsfromnz.com/browse_1766
30個入りパックを買ってきた。
デイリー人などは、要するにこの店に「仕入れ」に来て売っているだけなので、ふつーの店で買うより三割がところ安い。
トマトソースやサラダオイルの10リットル缶、ちゅうようなものを買うのに使います。
そうやってスーパーマーケットに買い物に行くと、ショッピングカートいっぱいにものを買って、80ドル(4800円)くらいのものだろう。
ニュージーランドの一世帯あたりの年間収入は統計の平均が30000ドル(180万円)、普通の生活実感に照らすと50000ドル(300万円)程度であると思われるが、政府の「一週間いくらあれば楽しく暮らせるとおもうか」という質問への回答で最も多かったのは「200ドル」(12000円)だった。特に注釈はなかったが、これには「家賃」は含まれている筈はなくて、代表的な「中流」住宅地のノースショア2ベッドルームのスタンドアロンハウス(但しタウンハウス)100平方メートルで週450ドル、リミュエラの4ベッドルーム賃貸で週800ドル(5万円)、2ベッドルームのアパートでも300ドルはとるから、いまでは子供がひとりいる夫婦は、週650ドル、月16万円も生活費がかかるわけである。
ニュージーランドにアメリカや日本から移住してくると、収入が半分から5分の1になるのが普通で、運の悪い人はいきなり職業がなくなる。
それを考えると、この頃はニュージーランドの生活費は高すぎるよねー、と考えます。
日本に遠征していたときのことを思い出すと、ニュージーランドと日本の金銭上の生活の違いは、まず第一に日本は「よく訳がわからないままなくなるオカネ」が多いことだった。ガイジンどもに訊いてみると、みな感想は同じで、日本の家には透明の術を習得したネズミがいて夜中に財布のなかのオカネをひいて天井裏にもっていってしまうもののよーである。
よく思い出してみると、日本では意表をつくような、思いがけないところで異様な課金があるので、たとえば銀行のATM手終料が210円なんちゅう、詐○のような金額であることを発見したときには、ぶっくらこいてしまった。
電気会社も100Vなのに60Aという、ニュージーランドなら電気ファンヒーター3つでいきなりキャパシティ満杯ちゅうような、情けない、乾電池つなげて送電してるんちゃうかというようなチョー貧弱な電気インフラのために、1万円もとる。
電気ついでに文句を言うと、デスクトップの調子が不安定なので電源を疑って測ってみたら90Vしか電圧がなかった(^^;) どーも、あの「100V」は「公称」であるよーだ。
日本で毎日オカネを使っていてイヤーな感じになるのは、だんだん「この国って必要なものほど高いんちゃうか」という気がしてくることで、パンや牛乳やバタが無茶苦茶高い。「そんなのは趣味の問題でしょーが」とゆわれるであろうと予測するが、しかも、わしはむかしむかしのある日、日本の「食パンみたいなもの」に我慢するのが嫌になって、鎌倉でゆいいつまともと思われるパンを買って毎日食べることにしたことがあったが、これが6切れで800円とかいう途方もない値段で、ついでに牛乳のほうも水っぽいのが嫌で「まともな牛乳にすんねん」と決めたら、500ミリリットルで1000円なる、ぎゃあな値段で、ハムは100グラム1000円、…と、ふつーの国なら、どこでもやれる生活が日本では特殊な生活なのかなんなのか、無茶苦茶に高くつくのが困った。
その代わり、日本人が暮らすように暮らせば、これはまた唖然とするくらい安いものもあってニューヨークなら18ドルする天ぷら蕎麦
http://www.sobaya-nyc.com/images/lunch_menu_1109.pdf (PDF注意)
が、小諸蕎麦なら460円(5ドル)味の程度も同じよーなものである。
わしはガキわしのとき義理叔父と従兄弟と3人で入った秋葉原の「六文そば」で、天ぷら蕎麦とお稲荷さんを食べて、あまりの安さにカンドーしたことがあったが、そのときに自分が「日本はぶわっか高い国だ」という現実の理由のひとつが、西洋式の暮らしをしているからなのね、と翻然と悟ったりした。
そういう事情やあるいは紅茶のいばり(意味を訊いてはいけません)のごときクソ紅茶で500円もとるかと思えば、鮨屋のこの世のものとは思えないほど、というか、そもそも緑茶なのにこんなに生臭くないのがあるのか、という粉茶がただで、あるいはあるいは免許をとるにでもなんにでも「収入印紙」という訳のわからん詐欺みたいな税金があったり、しかもそれがとんでもない高額であって、キレたわしは担当役人のおっちゃんと延々と口論したりして、不思議なことがいろいろあったが、総合的な印象は、日本はなぜかオカネの「使いで」がない国で、というのは論理的にいかにもヘンだが、実感としては、オカネがすぐなくなってしまう不思議の国で、その感覚は日本にいるあいだじゅうつきまとって離れなかった。
一個づつ考えてみると、タクシーが高いのだろう、そーゆえばレストランでは「飲み物」が常軌を逸して高いよね、と判ることはあるが、ロンドン名物「遊べるもんなら、遊んでみろ、このビンボニンめが」というカネモチしか端からわしは相手にしとらんけん、な剣呑な態度ともまた異なって、財布のなかに小悪魔が潜んでいてお札を一枚づつこっそり抜きとっているとでもいうような、よく判らないオカネのなくなりかたをした。
オカネ自体にも無論価値があるが、日本のオカネは22年に及ぶ円高なのに肝腎の日本国内では価値が低いように感じられる。たとえば散歩にでかけて、本屋に寄って、どりゃ、客があんまりいないうどんがうまい店で、のんびりうどんを食って、本でも読むか、と考えた場合、つまらん本はほぼ無条件に安くても自分が読みたい百閒先生の「御馳走帖」は文庫でも900円もする。うまいうどんが安い店も、客があまりいなくてのんびりできるうどんをだす店で安い店もあるが、うまいうどんをのんびり食おうと思うと、どうかすると鍋焼きうどんで2000円、などとゆわれることすらある。
コーヒーも同じで、金輪際足を向けたくないような体裁のコーヒーバーなら、たしか日本でも200円くらいでコーヒーが飲めたと思うが、少しでもくつろごうと思えば、600円は必要だったはずである。
嫌ないいかたをすると日本では「必要なもの」「人間らしい時間をもつためのもの」は等し並みに高かった。それも常軌を逸した値段で、たとえばオークランドの浜辺で外にもテーブルがあるコーヒー屋で、友達とふたりで、遠くの島々を眺めながら、のんびりお互いの悪口をいいあって遊ぶとき、コーヒーは(わしも含めて、なんでニュージーランドのコーヒーはこんなに高くなったんじゃ、とぶーたれているが)4ドル(240円)で、これ以上高いコーヒーは多分誰も飲みに来ないのではないかと思われる。
アルコールになると、もっと差は激しくて、いちいち論う気はしないが、ワインだけでも述べると、日本ではレストランがワインの値段を平然と小売の倍にしてしまう。
3倍にするところもたくさんある。
稀にBYOがあって、えらいでねーか、と感心すると、「コーケッジおひとり1500円いただきます」というような地獄の門番のようなことをいってすましている。
その国を成立させている思想や常識というものは時間の使い方と生活空間の作り方に最も顕著に出ると思うが、その国の国民がどの程度真剣に個人として幸福になろうと願っているかは、「オカネの使いで」に出るものなのかもしれません。
一万円には一万円の価値があるのでなければならないが、商業主義の側のさまざまな不正直や税金をとりたてる仕組みを(不可視にしようとして)工夫しすぎる政府によって、日本では(ヘンないい方だが)一万円がPCパーツ屋では一万円なのに、レストランでは4000円に目減りする、というようなことがあるよーだ。
目減りする場所が、どれもこれも「寛ぎのための場所」なので、なんだか社会の空気が猛々しくなる、ということもあるのかなあー、と考えました。
夏の来歴
April 10, 2012
イギリスという国はもともと天気が悪い国で、頭がビミョーにへんな国民が多いのはそのせいであると信ぜられている。
夏、とゆってもバルセロナの春がせせら笑う程度の夏だが、夏は素晴らしい気候になることがあっても、きれぎれで、ちゃんと連続しない出来の悪い連続ドラマのような夏で、冬になると、こっちはもう完全に人間が住める気候ではなくなります。
やけくそみたい、というか、イジメみたい、というか、イギリス人が歴史のかなり早い時期から神様なんて信じねえ、という態度をみせるようになったのは、このクソ天気を根にもってのことだと思われる。
12月になって連合王国からニュージーランドへ、2万キロの距離を飛行してやってくると、それがオークランドなら飛行機が降りてゆくに従って馬さんが見えてきたものだった。飛行場の周りが「馬牧場」だったからで、いまは24時間営業のカウントダウン(オーストラリア資本のスーパーマーケット)や倉庫やオフィスビルやホテルが建っていて退屈な風景になってしまったが、だいたい2000年くらいまでは牧場に囲まれた飛行場だったのをおぼえている。
成田で乗り継いで日本からの便に乗ると、クライストチャーチにまっすぐ着いて、わしガキの頃は、飛行場がリンゴの果樹園に囲まれていた。
いまはアメリカ人が買い占めて、開発の許可が下りずにアメリカおっちゃんがキレて黒い幕で目隠しをした広大な土地があったり、果樹園はとうのむかしに住宅地になったりで、随分面変わりしてしまったが、それでもオークランド同様、一面の緑は緑で、夏は水不足のことが多いので、ときどき一面茶色(^^)ということもあるが、だいたいにおいては「緑のニュージーランド」が眼下に広がることになる。
ガキわしはオークランドよりも遙かにクライストチャーチのほうが好きであって、ほぼいつもクライストチャーチで夏を過ごしたが、それもフェンダルトンという住宅地にある家よりも「牧場の家」のほうを好んだ。
ニュージーランド人が「ゴムの木」と呼ぶのは、オーストラリアのほっそりした感じのユーカリプタスとは違う、雄大な姿になるユーカリプタスの木のことで、おおきくなると60メートルほどになる「ゴムの木」がある牧場がクライストチャーチのある「カンタベリー」の特徴です。
オープンロードという。
対向車線を白線で仕切っただけの道路を、いまは100キロでマジメに走る人が多くなったが、その頃は120キロが普通だった。
追い越しというようなときは、140キロ、というようなスピードなので、そのくらいのスピードになると安手のつくりのクルマは頭をふるので、よく道路脇にひっくりかえって、こけている。
あるいは、このブログを読んでいる人にはわしが知っているだけで5人ほどニュージーランドとオーストラリアに住んでいる人がいるわけだが、そのひとたちが田舎にドライブしてぶっくらこいたに違いないが、一見、まっすぐに見渡せる道路の地の底から、いきなり二台横に並んだクルマが湧いてくる。
道路が地面の凹凸をなぞって低くなったり高くなったりするからで、ニュージーランド名物というか、こういう箇所と、(道路の幅を拡張しても橋は古いままなので)そこだけ狭くなっているという殺人的なつくりが多い橋とで、よく死人が出る。
田舎の白い小さな橋に、いくつも十字架が立っているのは、田舎のひとらしく信心深いわけではなくて、マンハッタンの白く塗られた自転車と同じ、そこでひとが死んだことをあらわしている。
羊毛をとるための牧羊の没落がはじまったのはジーンズの普及のせいで、70年代のことだったという。
羊農場がヴィンヤードにどんどん変わってゆく初めの頃にあたったわしガキの頃は、ファームハンド、と呼ぶ人手も多くかかる牧羊はすでに下火もいいところで、酪農の牛さんや欧州に食肉として輸出される鹿牧場が多かった。
牛さんは牧草の草の部分だけをちぎって食べるが、羊は根っこごと掘り返して食べるので、羊を飼うのは普通広大で痩せた土地であると決まっている。
牛のほうは、土壌がゆたかな牧草地で飼う。
いま羊を飼う農場はラムちゃんをぶち殺して食肉として売る、という農業が非常に高い利益を生むからで、こっちは需要の減少と中国の無茶苦茶低価格の競合とで利益がほとんどない羊毛もあわせて、500エーカー(61万坪ちょっと)が最低限農業として成り立つ農場の広さ、ということになっている。
わしがパドックで4輪バギーを走らせて転倒してクビをぶち折りそうになったり、不時着した熱気球めざして妹とふたりで大歓声を挙げて駆け寄ったりしていた「牧場の家」は300エーカーちょっとなので坪でいうと36万坪っちゅうか、そのくらいであることになります。
酪農なら商売でやれるが羊農業には小さすぎる大きさだということになる。
英語ではホビー・ファームという。
生産を目的としていない牧場で、パドックの大半は隣の牧場のおっちゃんに貸していたが、自分の家でも鹿や馬を飼っていた。
馬はパドックに深い足跡を残すので、他の家畜とはパドックを別にする。
鹿は英語でも「Sika」という日本の鹿はおとなしいが、普通に牧場で飼うのはRed deerで、中国ではこの鹿を「馬鹿」と呼ぶそーだが、これを飼うには高い特別なディア・フェンシングが必要で、家の牧場でも買ったばかりのときにフェンスを鹿用に変えた。
牧場の管理をまかされていた夫婦が、いま考えてみるともしかしたらチェルノブル以来の需要でドイツ人が高価格で買い取る鹿を飼ってみよう、と言い出したからで、ある年「牧場の家」に行って見ると、優美、という言葉そのもののRed deerがたくさんいて妹とわしはコーフンしてしまった。
ところが夜になると、ガシャアーングワワシャアーンという音がパドックから聞こえる。
鹿たちが逃げだそうとして必死にフェンスに体当たりする音で、妹とふたりで夜中にこっそりパドックに見に行ったわしは、なんだかやりきれないような悲しい気持ちになった。
妹とふたりでかーちゃんに陳情にでかけて、その年いちねんだけで鹿を飼うのは沙汰やみにしてもらった。
子供部屋の寝椅子に寝転がって本を読んでいると、窓に影がさして、なんのこっちゃと思って窓をみあげると、フェンスをくぐって脱出に成功した牛さんが窓に顔をくっつけて覗き込んでいるので、ぎゃあああああー、と叫んでとびのいたり、やはり子供部屋でPCゲームに狂っていると、なんだか大きな犬みたいなものが外のテラスを跳ね回っていて、正体を見極めるべく外に出てみると仔牛がパドックを抜け出て自由の身になったので文字通り欣喜雀躍して跳ね回っていたのであったり、牧場は妹とわしにとってはいつも楽しい場所であって、ガキどものために連合王国のクソ冬をニュージーランドの天国のような夏でいれかえようと考えたかーちゃんととーちゃんの良いアイデアはいまでも賞めてつかわす、と思っている。
温和で成熟したオトナに成長した(笑うな、ばかもの)理解力の深まった成人アタマで考えると、かーちゃんなどには、イギリスみたいな国にばかりいさせると古い文明が感染ってろくなことはない、という考えもあったのだと思われる。
前にも書いたが、夏の夕暮れ、テラスにデッキチェアを出して妹とふたりで空を眺めていると、人工衛星がすうううううっと移動してゆく。ひっきりなしに流れ星が空を横切ってゆく。ほんとうは5000ちょっとしかないそうだが、満天に輝く星は何百万、と表現したいくらいで、見つめていると遠い恒星が瀑布をなして降り注いでくるようで、怖いほどだった。
あるいは満月になると、深い青色の光がパドックを照らして、いつもは真の闇であるのに、「皓々と」という表現そのままの強烈な明るさで点点とある立木やパドックを横切る小川を照らし出している。
小さな身体なのにドラゴンのような声で鳴くポサムや、朝になると大軍団でやってきてすさまじい騒音を原因する鳥たち、その鳥を茂みに潜んでじっと待っていて、まず両目をつぶし、それから盲目になって方角もわからず逃げ回り、のたうちまわる鳥を、執拗に痛めつけて殺すのが毎日の娯楽の二匹の飼い猫、(しかもわしのベッドに得意そうに「お土産」の鳥の死体をよくもってきたものだった!)
そういうことがいっぱいあわさって、わしの「南半球の夏」というものの記憶をつくっている。
湖のほとりで家族そろって、お行儀良くテーブルを囲んで、毎夏に顔をあわせるPという新しく別荘を買ってやってきた他人の家柄をくさす以外に能がないクソババアや、ガキわしから見ても、知的な人であるのに、なあーんとなく不安そうに落ち着かない様子で、あとの離婚を予想させたような、Kというひとのよいじーちゃんと結婚した美しくて品のよい若いアメリカ人だったMというようなひとびとが通り過ぎる度にテーブルによって挨拶してゆく午餐や、ボートを出して、木陰の下にもぐりこんで本を読んで午寝をするときの涼しい風、というようなもので構成されている欧州の夏とはまったく別の性格で、わしはどちらも好きだったが、南半球の夏は、神様がとんでもない離れた島に隠しておいたとでもいうような、この世界にあるはずがないほど気持ちのいい季節で、どうしてもどちらかを選べ、とゆわれればやはりニュージーランドの夏を選ぶだろうと思われる。
いまこうやって、人がまだ寝静まっている朝のオークランドで、何人かの友達と経験や考えをわかちあおうとして、なんだか訳の判らない日記を書いている、現在の変人大庭亀夫の、遙かな遠因をなしているのだと思います。
タブンカ
March 15, 2012
秋になって、庭から蝉の声が聞こえている。
ニュージーランドの蝉は、身体が小さい、声も日本の猛々しく巨大な音響を響かせる蝉に較べると、小さくてやさしげな蝉です。
夏のあいだじゅう咲き誇っていたブーゲンビリアの花も散って、もう数えるほどしか残っていない。
いつもなら、この気候に変われば、どおりゃそろそろマンハッタンに移動すべか、と考えるところだが、今年はオークランドにずっといる。
なんだかヘンな感じがします。
マクドナルドとタイムアウトの店の数を基準に文明度を定義していたガキわしの頃は、
一度かーちゃんに内緒でこっそりやってでかけてビッグマックを頼んだら出てくるのに15分もかかったオークランドなど、文明というものが理解できないチョー田舎であって、ケーベツの対象であった。
まさか、こんなところに縁が出来るとは思わなかった。
ニュージーランドが多文化社会に舵をきったのは、結局よいことだった。
クライストチャーチという、ニュージーランドのなかでさえ、日本人である義理叔父によれば、おまえたちは鈴木その子か、というほど白い顔ばかりが好きなので有名で、マオリ人も少ない白人町に毎年ニュージーランドの夏をすごしたせいもあるが、ガキなりにわしはオークランドが中心になって始めた「マルチカルチュラルソサエティ」への実験を、うまくいかないのではないかと考えていた。
案の定、1995年という頃のオークランドは、訪れるたびにどんどんバラバラになっていく印象で、そこここに虫が食ったように漢字やハングルの看板が並び、英語人のニュージーランド人からすると、外から見ただけではいったい何を商っているのかもわからない店がクイーン通りの片側にずらっと並んで、銀行のロビーでは接客用のカウチでキスどころか、お互いの身体をまさぐりあうアジア人の高校生カップルがねそべっていたり、
パジャマ姿の中国人ばーちゃんが大通りで声高な中国語で何事か話し合っていたりして、
これでは国がなくなってしまうと考えた首の後ろが赤いおっさんやおばさんたちが集団で立ち上がって、一足先に暴れ出していたクイーンズランドのオーストラリア人たちに呼応して、
すさまじい反アジア人運動を起こしたりしていた。
オークランドは都会なので、それでも表面で目につくほどではなかったが、ネルソンやオタゴの小さな町では、首を切った鶏をさかさまに中国系移民のドアに釘付けしたり、
韓国移民の農場の家の庭に羊のくびを放り込んだり、現に、わしが「牧場の家」と呼んでいた農場のある町は、中国人家族や日本人家族が4家族引っ越してきたが、嫌がらせに耐えかねて、何れも3ヶ月もしないで引越して出ていった。
わしはニュージーランドでは一年のうち短いあいだしか学校に行く必要が無かったが、わしが大好きだった先生が、ある日、校庭で遊んでいたわしに向かって歩いてきて、仲がよかったアジア人の友達Kについて話しておきたいことがある、と言った午後のことをおぼえている。
「仲が良いのはいいことだけど、あんまり仲が良くなりすぎてはいけませんよ」という。
わしが、どういう意味だろう、と考えていると、
先生は物事を理解するのが遅い、わしの頭のはたらきの遅さにしびれを切らしたのか、
今度はごくはっきりと、「アジア人の子と、お友達になるのは感心しないわね」と微笑みながら言う。
いま考えてみると、その同じ学校に次の年にやってくる父親が日本人の従兄弟の影響だけではなくて、そのときの先生のひと言が、日本への興味を後押ししたのかもしれません。
夕方、どういう理由だったかおぼえていないが、その日は午後にテレビを観ていて、トロントの特集をやっていた。
トロントは当時でもすでに成熟した多文化社会で、街を楽しげに闊歩しているインド人たちや、中国人たちの姿を観て、どうしてカナダではニュージーランドでうまくいかないことがうまく行くのだろう、と訝しんだ。
アメリカのマンハッタンのような都会よりも、1990年代のその頃はカナダのトロントのほうが多文化社会化が進んでいたと思います。
きゅうりのサンドイッチを食べながら、どーしよーかなー、と考えたがおもいきって、かーちゃんに
「トロントではみんなが仲良くやれるのに、ニュージーランドではうまくいかないのは、なぜですか? 国の大きさが違うからでしょうか?」
と訊いてみた。
かーちゃんが、にっこり笑って、
「時間が必要なだけですよ、ガメ」という。
でも、お隣のボブさんは、自分はロスアンジェルスに去年までいたが、ニュージーランドがロスアンジェルスのようになったら大変だ、と言ってました。
「それはお隣のボブおじさんが頭が悪い人だからですよ、ガメ。内緒だけど」
とかーちゃんが、ゆったのをありありと表情付きでおぼえている。
母親ながら、いたずらっ子のような顔で、シィーと人差し指を唇にあてて、くすくす笑っている。
「ロスアンジェルスになって、いろいろな文化の人が増えて、悪い事はひとつもないじゃないの。
素晴らしいことです」
わしは、ついでにディズニーランドもできるといいなあ、と間抜けなことを言いながら、
でも今度ばかりは、かーちゃんも間違えていて、どうもオークランドは滅茶苦茶になりそーだ、とクイーン通りのアジア語の看板の列を思い出していた。
かーちゃんは正しかった。
混沌のるつぼに見えたオークランドは、落ち着いてみると、多文化かどうか、というようなこととは関係なく、住みやすい、素晴らしい街になった。
多文化ということで言えば、ひとつの街がたとえば人種的偏見が少ないかどうかは、異性間のいわゆる「カップル」の数よりも、仕事帰りに職場の同僚同士でパブのテーブルを囲んで居る女同士、男同士の友達、あるいは学校の帰りに連れ立って帰る高校生たちがどんな組み合わせがあるか観察していたほうがはっきり判る。
アメリカの大きな都市で、普段はもちろん皮膚の色で嫌な思いをすることはなくても、
comfortableに感じるかどうかで、どうしても同じ文化グループで「下校友達」になることが多いようだ。
オークランドでは、インド人の女の子と赤毛の、みるからにアイルランド系の女の子が仲良く家に帰ってゆく。すれちがうときにインド人の女の子が「あんたって、ばっかよねえー。ドジ」と笑っていうのが聞こえる。
ポンソンビーのカフェで、ふと気が付くと、中東人と中国人の夫婦が赤ん坊をあやしていたり、ジャマイカ人の父親とオタゴ訛りのイギリス系のニュージーランド人の母親がベビーカーを覗きこんで笑っている。
インドの人、韓国のひと、たまたまだが、ちょうどテーブルが全部mixed coupleで、
あたりまえだが、ふつーにリラックスして日曜のブランチを楽しんでいて、オークランドはいい街になったなあー、と思う。
わしは、おいしいものが好きなので、その点でも多文化社会になって、ニュージーランドは激しく向上した(^^)
ガキわしの頃、クライストチャーチの「町の家」と呼んだ家はフェンダルトンというクライストチャーチでは名前がよいということになっているところにあるが、家の近くで繁盛していた中華のテイクアウエイ屋の春巻は水筒くらいの大きさがある巨大なもので、煮染めたというか、濃い褐色の油がしみこんでいて、その上にその油が機械油みたいな微妙ですらない臭いがするものであって、それを新聞紙に包んで、台の上にどんっと置く。
上から、最近はケチャップというひともいるが、もともとは日本のひとの「トマト」に近い発音で「トマトソース」と呼ぶウォッティーズ
http://www.watties.co.nz/
のハインツよりはやや甘味が少ないトマトソースをどちゃっとかけて食べます。
ガキわしの頃はロンドンも昼ご飯に食べる食べ物に関してはろくでもない街だったので、
そーゆー、馬のチ○チンを切断してフライにしたみたいな訳のわからない食べ物をへーきで、なんとも思わずに食べていた。
フィッシュアンドチップスの店は隆盛をきわめていたが、鮫の肉で、イモはいま考えてもうまかったが、鮫はおもいだしても腐った魚の肉をおしっこに漬けたようなヘンテコな味がしたりした。
その頃は、ふつーなニュージーランド人の夕食は大半の家庭で定食化していて、ひとつの皿の上に野菜と肉とイモがのっている。
野菜が温野菜であったりサラダであったりグリルした野菜であったりして、肉も、ステーキであったりラムであったりチキンであったり、ビンボな家ならばハンバーグやミートローフ、あるいはコーンドビーフであったりする。
変化はただそれだけで、来る日も来る日も、その「三色定食」を食べていた。
おととい、わしは、フランス人たちのチョーおしゃべりな大晩餐会に飽きて、後半だけの参加を企図し、ひとりだけこっそりテイクアウエィを食べることにして、中東人が多い店のラムチョップのトマト煮を買ってきたが、ラムはもちろん、カシューナッツがはいったサフランライスも、なんだか非現実的なくらいおいしかった。
巨大ポーションなのに、700円である。
アメリカ人や日本人は味覚のほかの部分は発達していても、文化的に「スパイス音痴」であるという。
スパイスの新鮮さや、微妙な香りの違いがわからない。
そーゆー通説はほんとうであるかもしれなくて、レジの綺麗なねーちゃんたちがビニル袋を鼻の前に持ち上げて、くんくんして判別しながらチェックアウトしてくれるスパイススーパーマーケットのスパイスは、本国人の厳しい評価をくぐっているので、新鮮で、すげーカッチョイイスパイスです。
当然、スパイスのものは、断然世界水準をうわまわっていて中東料理の水準に達している。
中近東の、たとえばレバノン料理などは、トルコ料理と並んで、世界の食べ物のうちの白眉で、中東人が西欧人を文明論的に憐憫するときにはだいたい食べ物が基準になっている。
モニとふたりで銀座でふらふらいちゃいちゃして遊んでいた頃は、中華料理というと交詢社ビルの上だとか、ペニンシャラホテルの二階だとか、そーゆーレストランにでかけてもいまいちで、残念であった。
中華料理はパリのほうがおいしーよなあー、
マンハッタンのChinatown Brasserie
http://www.chinatownbrasserie.com/
がなつかしい、グラミー賞をひとりでいっぱい取ったアデルの実物を初めて見たのもあの店だった、と考えるが、
オークランドには同じくらいdecentな味の中華料理屋もちゃんとある。
連合王国の唯一の紐帯、イギリス人の国民食であるインド料理に至っては、さまざまな料理屋が大量にあって、ブリヤニでもインドチャイニーズでもなんでも無茶苦茶においしい店がある。
しみじみ、えがった、と思います。
他にも香港人達が最新コンピュータパーツを持ち込み、インド人たちが知的職業の質を向上させ、というふうにオークランドは都市として世界中から学習している。
移民というひとびとの一般的な傾向はエスニックグループを問わず、遠く離れてしまっているからでしょう、自分達の祖国への愛情がほぼ異常なほど強く、一方では自分の一生と自分自身を向上させることに熱心で、「前向き」という日本語があるが、前向きどころか後進装置が壊れてるんちゃうか、というくらい驀進するひとびとで、とにかく懸命、頑張れば必ずなんとかなるであろー、と固く信じている点で楽観的で、もうダメだあー、どーせ、もうダメだあー、が大好きだったイギリス系ニュージーランド人たちも、主にアジア系移民達に背中を押されるように楽観的になっていった。
わしの部屋には、ひーひーじーちゃんが世界一周旅行の途中で撮った1915年のクライストチャーチの写真が壁にかけてある。
通りには自動車が犇めいていて、たくさんの人が歩いている。
第一、街並みからして現在(つまり、地震直前)より立派である(^^)
ニュージーランドは、いまはビンボ人の環境保護キチガイの国だが、もともとは富裕な国だったのが写真を見てもすぐ見てとれます。
歴史を眺めていると、それが、なにしろアングロサクソンばっかしの国で、欧州人よりも先に北半球から手こぎボートでニュージーランドに植民していたポリネシア人たちとも隔離しあっていて、いわば原理主義化したアングロサクソン文化のせいで、社会全体が硬直してしまった。
打つ手打つ手が裏目に出て、だんだんおちぶれていった。
安全で居心地がよく、みなが礼儀正しくて、清潔、正直ベースですべてがまかなえる国で、ガキわしの頃はまだ、何千ドルという小切手が誰でももっていける郵便箱に放り込んであり、ATMカードも同じならクレジットカードも同じ、家に鍵をかける人も少ない、という「同質社会」の特徴を全部もっていた。
移民をうけいれたのは、経済的な理由だったが、ニュージーランド人たちがみなでぶっくらこいたのは、経済であるよりも、生活が楽しいものに変わったことだった。
インド人たちは、とんでもない豊穣な文化の持ち主で、オークランドのあちこちのホールで年中コンサートや舞踊やビッグバンドのインド音楽をやっている。
他の国での迫害がひどくなるにつれていまは優秀な中東人たちがニュージーランドめざしてやってくる。
新しい移民達にとっても無論よいことはあって、たとえば、さっき挙げたスパイスだけのスーパーマーケットにはブルカの女びとの店員もいるが、わしがニッカリ笑って「だいさんきゅ」というと、覘いている目がきらきら光るようにして、にっこり笑って、ありがとう、という。
他人に言われて気が付いたが、そうやって見知らぬ男に笑いかけることは、あの女びとがやってきた国では極端に不道徳な犯罪とみなされる。
ニュージーランドでは、なんだったら髪を見せて微笑んでも犯罪にはならん。
それは、どうしても、あの女びとにとっては「よいこと」であると思う。
さんざんバカにされた態度をとられたアフリカ人たちが頭に来て、槍で中国人達を襲ったり、ポリネシア人たちが偏見に悩んでアルコールに溺れたりする問題は、もちろん、いまでもいくらでもあるが、ガキわしの頃から眺めていて、かーちゃんの言うとおり、
ニュージーランドは、切羽つまって、乾坤一擲キチガイじみて打った賭博に勝ったよーだ。
やっと、ここまで来た。
はっはっは、勝った、と思います。
20年
March 5, 2012
初めてやってきた頃のニュージーランドは、「不思議の国」そのものだった。
わしは6歳か7歳か、そんなものだったはずである。
クライストチャーチの、今度の地震で解体が決まったカセドラル(大聖堂)に近いミルクバーに連れて行ってもらったらミルクシェイクが錫のカップにはいって出てきたのをおぼえている。
「ミルクバー」というものそのものが、もうイギリスでは田舎に行かないとなかったが、錫のカップで出てくるミルクシェイクにいたっては、じーちゃんやばーちゃんの思い出話にしかでてこないはずだったもので、ぶっくらこいてしまった。
ダウンタウンを歩いて行くと、20年前のその頃は、「肥っている人」というのが皆無で、ものすごく健康そうな薔薇色の頬をした、なんでこんなに美人が多いんだ、というくらい綺麗なおねーさんばかりがいっぱい歩いて、しかもファッションも決まっていて、ロンドンなどよりよほどかっこよかったが、しかし、その最新ファッションで決めたおねーさんたちが、自分のばーちゃんの世代の英語で話している(^^;)
パンクなかっこうで、髪の毛が緑色にきまっているおねーさんが、
「ヒサヨさんや、あんたも、明日の麻薬パーティには、おいでになるのかね?」というような調子で話しているので、なんだかおもしろすぎる、というか、SFみたいというか、強烈に不思議な印象をガキわしに与えたものだった。
同世代のガキどもは無暗に親切であって、一応しつけが厳しいことになっているロンドンの学校の百倍くらいお行儀がよく、横断歩道で待っていてクルマが止まると、「ありがとう」「さんきゅー」と言って、みなでいっせいに運転手に笑いかけながら、手をふって挨拶する。
あまりに礼儀正しいので腰がぬけるかと思いました。
いまでもまだおぼえているが、いまの3分の1の大きさしかなかったノースランド・モール
http://www.northlands.co.nz/
で、かーちゃんの買い物に付き合っていたらお腹がすいたので、カフェでサンドイッチを食べることにした。
いまとは違って、その頃はイギリスも食べ物が無茶苦茶まずい店が多かったが、それだけはイギリス譲りというか、冷たくなったコロッケの骸のようなコロッケだとか、干からびてミイラ化しつつあるソーセージーロール、崩れて崩壊しかけたステーキパイというものすごい面子のケースを見ていくと、すさまじいパイの面々よりは、なんとか食べられそうなサンドイッチのみなさんがいて、どれにしようかなあー、と思ってみていたら、「マスタードサンドイッチ」というのがある。
「ハム&マスタード」というのは聞いたことがあるが、マスタードサンドイッチというのは聞いたことがなかったので、おばちゃんに、これはマスタードと何がはいったサンドイッチですか?と聞くと、おばちゃんは、にこにこしながら、マスタードだけ、という。
わしは、すべてを悟って、うーむ、すごい国に来てしまった、と思いながらジンジャービアとハムサンドイッチを買った。
クライストチャーチにはマクドナルドがたしか一軒しかなくてリカトンにあったと思う。
まったく人気がなくて、わしと同じ世代の子供がみな敵意むきだしで、「あれは毒を売っている店だ」というのを聞いて、ロンドンではかーちゃんととーちゃんが発した禁令を冒して、小銭を握りしめて、ヤクを買いに行く子供のようにひそひそとマクドナルドに ビッグマックを買いに行く悪い習慣をもっていたわしは、ぬわるほど、というような顔をしながら、内心、げげげ、と考えたりした。
この国ではマクドナルドでハンバーガーを買ったりするとタイホされのではなかろーか。
しばらくして慣れてみると、ちょっと見たよりもクライストチャーチという町は、もっとものすごくヘンなところで、オトナは誰も彼も狂ったようにスポーツをする。
肥った人間が見当たらないのは当たり前で、いいとしこいたオトナが平日の夜中の12時過ぎまでスクォッシュやテニスに狂っている。
一方でサムナーの洞窟を探検に行くと、なんだかゴムの膜が張った輪っかのようなものがいっぱい落っこちているのであって、拾い上げようとする妹を制して、賢明にも毒物が付着しているかもしれないと判断したわしは、それとなくそれが何であるか、図書館で研究した。
すると驚くべし、それはなんらかの理由によってオトナの男がち○ちんにかぶせるものであって、なんでそんなヘンな帽子が必要なのかちゃんとはわからなかったが、やはり妹が指で触っていいようなものではなさそーであった。
わしは、隠そうとしても、色には出にけり、ものすごく賢い子供だったのでウイットコルという東販がそのまま直営の小売チェーンを展開しているような本屋の店頭に立つだけで、社会の問題も知っていたと思う。
アルコール中毒についての本が何種類も平積みになっていたからで、このあと、12歳くらいになると、わしの頭のなかでは、毎日退屈を極めて、酒を飲み、セッ○スに狂い、スポーツに明け暮れるニュージーランド人像ができあがってくる。
スタートレックのテレビシリーズの第一話は、連邦刑務所に主人公が服役しているところから始まるが、ドラマのなかではニュージーランド全体が刑務所になっている(^^)
考えてみれば、これは名案で、いちばん近い隣国であるオーストラリアまで、2000kmあるので、超人ハルクが泳いでいっても途中で溺れそうです。
忍者ハットリが水面を歩いて行っても、5分の1もいかないあいだに行き倒れになるであろう。
ニュージーランドという国の第一の特徴は、「外界から隔絶した国」であることで、英語世界のなかでは、「なにもかもが特殊な国」で有名だった。
ニュージーランド人は、一生に一回、数年に及ぶ大旅行にでかける人が多いので有名だったが、それは「現実の世界がどんなところか見てくる」という意味合いが強かった。
距離が離れているせいで情報も隔絶していたので、ものの値段などはデタラメ、といいたくなる付け方が多かった。
日本から来た中古車が多かったが、たいてい距離計が巻き戻してある中古車は、日本では30万円くらいの中古車で100万円くらいする。
コンピュータは、最悪で、アメリカの3倍くらいする上に、たとえばハーヴィイ・ノーマンのようなシンガポール、オーストラリア、ニュージーランドにまたがるチェーン店は、まずシンガポールに最新機種を出して、それで売れ残るとオーストラリア、そこでまた売れ残るとニュージーランドに持ってくる、というようにしているように見えた。
見えた、というのは、夏にニュージーランドにいるあいだにはシンガポール、オーストラリアに年がら年中、買い物に付き合わされたわしが見たかんそーです。
だから、ほんとうは古い機種しか売れない、というだけだったのかもしれないが、
わしはいまでも、ニュージーランド人のひとの良さにつけこんで在庫調整をしていたのではないかと疑っておる。
本がぶわっか高いのも特徴で、恥知らずにも、と言いたいが、ポンドとカナダドルで裏表紙に価格が書いてあるのに、平気で3倍くらいの値段をつけてあった。
ふつーの人間は為替レートなど知らないので、それにつけこんだものであると思われた。
なにもかもが変わったのは、インターネットが普及するようになってからで、接続はいまでも遅くて、先進国でも後ろから数えたほうがずっとはやいが、ダイアルアップの頃からニュージーランド人はインターネットに熱中する人が多かった。
けちんぼが揃ったニュージーランド人のことなので、まず初めに見るようになったのは「ものの値段」であって、アメリカやイギリスで、何がいくらで売られているか全部ばれたので、社会を挙げてえらいことになったのをおぼえている。
その頃は、ふつーに店頭で、だって、これアメリカではXXドルではないか、いくらロジスティックにコストがかかるからって、値段が無茶苦茶でねーの、と言うひとをみかけた。
効果は劇的で、わしが中学校の頃になると、それまではイギリスで買ったコンピュータをニュージーランドにもって来ていたが、その必要がなくなって、たとえばその頃進出してきたデルは「世界同一価格戦略」だとかで、一年前に較べるとほとんどPCの値段を半分にした。
わしがニュージーランドにアメリカやイギリスで買ったコンピュータを送るのをやめて、
初めて、ニュージーランドでヒューレットパッカードのパヴィリオンを買ったのが、丁度、この頃、1997年だったと思います。
一方で、「指輪物語」や「ラストサムライ」くらいから始まって、次々に映画の舞台になったのとあいまって、インターネットで世界と接続されたニュージーランドは、1999年くらいから、ものすごい速度で変わってゆく。
簡単に言えば、その変化は「ニュージーランドという鬼界ヶ島」から英語世界の一部になってゆく変化であって、町の風景ですら、Westfieldのモールがそこここにあり、サブウエイサンドイッチやバーガーキングが軒を並べる、英語世界ならどこにでもある、ふつーの街並みになっていった。
イギリスとニュージーランドを往復して暮らしていたわしに最も目に付いた変化のひとつは「英語の発音」で、アクセントがかなりアメリカ風に変わっている。
イギリス人のアクセントの変化よりも、遙かに速い変化であるよーで、おもろいなあーと思ってわしは眺めています。
もうひとつの重大な変化は、1996年から3年間オーストラリアとニュージーランドで吹き荒れたポーリン・ハンソンとウインストン・ピータースの「反アジア人運動」を最期に人種差別が消滅していったことで、やはりこれも、インターネットを通じて、イギリス人やアメリカ人たち、あるいはカナダ人たちと直截話すようになったことの結果であるようでした。
わしの凍死家友達は、もうニュージーランドがむかしの良くも悪くも世界から隔絶したニュージーランドに戻ることはないだろう、と述べながら、
「誰かが岩をもちあげて、どけてみて、ほら、ここに『ニュージーランドがある』、と見つけてしまったんだよ」と言って、むかしの、ド田舎どころか、タイムマシンに乗ってたどりつくような質朴な場所だったニュージーランドを懐かしむわしを慰める。
オカネなんかいらないのよ、が国是であって、実際、たとえばイギリスで博士号をとって仕事なんか金輪際したくないナマケモノがごろごろいて、職業にもつかずにりんごを拾ったり、大通りでバンドをやって投げ銭で楽に生活できていたニュージーランドも、たとえばオークランドで言えば、ニュージーランドらしいのんびりした生活をするに十分な家を名前が良い通りや地区に買おうと思えば一億円は要るようになってしまった。
ちょっと大きな2000㎡くらいの敷地の家になれば3億円はする。
オカネにこだわっていえば、15年前は、3000万円もあればよかったので。統計の魔法を退ければ、「良い名前の住宅地」に限ると、家の値段は3倍以上になっていることになる。
むかしは、不動産価格が実質に較べて安いので有名なロス・アンジェルスの友達が、ニュージーランドにやってくると「この家がこんなに安いはずはない。間違ってるんちゃうか?」と言っていたのが、逆に、ニュージーランドはなんであんなに家が高いんだ、というように変わった。
あれほど国にとって問題であると思われた「他の世界への物理的距離」が逆に、とりわけオカネモチ達には魅力になって、アメリカや欧州のオカネモチ達が、たくさん家を買うようになった。
夏のタウポのインド料理屋にでかけると、客の半分がすげーアメリカ訛りの別荘客だったりする。
たった20年で、「ビンボなばーちゃんじみた国」だったニュージーランドは、英語世界の部分として妙に忙しい国に変わってしまった。
ガキンチョの頃、妹とふたりで、ひょえええー、目が回る、とゆっていたテンポのはやい、毎日お祭りをしているような国だった日本は、いまは静かで、なんだか、荒んだ、沈鬱な表情の国に変わっている。
20年という時間は、ふたつの国の印象を、まるごとひっくり返してしまうほど長い時間なのだなあー、と改めて思います。
(画像はスペインの田舎にある金鉱の跡。露天堀り金鉱なので山の形がヘン)
多文化な午餐
January 13, 2012
アジア料理、ということになると、わしはインド料理ばかり食べている。
インドの料理なら一週間毎日食べていても、ぜんぜん、へーき、どころか幸せである。
前世は「新宿中村屋カレー」を発明したチャンドラ・ボース
http://en.wikipedia.org/wiki/Subhas_Chandra_Bose
だったのでは、あるまいか。
インド料理、だいすき。
まるでアジアには他に料理がないかのよーです。
態度わるい。
人種差別なのではないか。
次にうまそーだのおー、と思う、というか旨いとおもうアジア料理はインドネシア料理だろーか。
そ。
バナナの葉で鶏を焼いておコゲにするやつね。AyamXX とゆーよーな名前の、大学に近いくらいの通りに分布するレストランがいーよーだ。
純正マレー料理もうめっす。
代表はNasi lemak、
http://en.wikipedia.org/wiki/Nasi_lemak
だのい。
お皿のまわりにカレーとか鶏肉とかかまぼこみたいなんとかがピーナッツさんやなんかとご飯をまんなかに仲良く環になっておる、あれです。
むかし中国人の男たちがマレー半島に爆発的な植民を行った時期、マレー人のお嫁さんをもらって家庭を築く人が多かったが、そのときに出来たニョニャ
http://nyonyafood.rasamalaysia.com/
も、おいしい。
ラクサ、
http://tonyjsp.com/food/yatai/menu-15.html
がいちばん有名ですのい。
オークランドでは、ふつー、「マレーシア料理」というときには、ニョニャ料理を指している。
鯛を(頭を含めて)まるごと極うすい塩味のスープにいれてぐつぐつ煮込んでつくる麺料理は、ニュージーランド人で魚があまり好きでない人も喜んで食べる。
もともと日本で言えば関西風な味付けを好むニューランド人の嗜好にあっているのだと思われる。
結婚する前は、わしは中国料理もよく食べた。
作るのに簡単だからで、中国人の友達に教わった麺料理をよく作って食べました。
中国は麺の種類が頭がくらくらするくらいあるが、本人たちが最も好む、というか頻用するのは「雲呑麺」という名前で売っている、ほっそーいコシが無茶苦茶つよい麺
http://sesameteaeats.blogspot.com/2010/12/chee-kei-chinese-won-ton-noodles-hong.html
で、別に雲呑をいれるスープ麺だけでなくて、いろいろなことに使うもののよーでした。
この麺の特徴は調理に時間がかからないことで、
1 麺を熱湯にくぐらす
2 くぐらした麺をちべたい流水で冷やす
3 もういっかい熱湯をくぐらす
で、出来てしまう。
お湯がわいておれば、1分もかからん。
チャーシューは、町のあちこちにある中国料理屋や中国食料品店で売っているBBQポーク(赤いほうのやつね)を買ってきたやつをいれる。
青梗菜をいれる。
これも、そこいらじゅうで売っている細かく砕いたニンニクを揚げたのをいれます。
スープはチキンストックにニョクナムか醤油をいれてつくっていた。
日本のひとが聞くとスープのところで卒倒するかもしれないが、だって、これで充分おいしいんだもん。
時間があるときは、これに小麦粉をつけてベトナム風にフライヤーで揚げた鶏肉にレモングラスでつくったソースをのっけたのを別皿で用意する。
すげー、うめーんだよ。
最近は、日本食ブームのせいで、中国のひとびとも「日本麺」という名前で売っている、ラーメンの麺でこーゆースープ麺をつくるひとも増えたよーだ。
日本麺、「内緒だけど、日本のラーメンの麺よりうまいんだよ。どーなってるんだ」と
わしに囁いたトーダイおじさんがいたが、中華料理を発明したのは中国人なので、なんとなく当たり前のよーな気がする。
わしから見ると、「中華料理は日本のほうがうまい」という信念のほうが、ヘンなんちゃう?と思わなくもない。
インド人たちは、このところずっと「インド=チャイニーズ」料理
http://www.hotdishes.net/recipes/Indo_Chinese_recipes
に狂っているので、とーぜん、オークランドにもインドチャイニーズのレストランがたくさんあります。
そこまでいかんでも、インド式炒飯は、うまい。
チャーシューの代わりにタンドリチキンがはいっているのね(^^)
すげー辛くて、すげく、うめっす。
世の中がまぜこぜになって、よいことのひとつは、たとえば、あることについてインド人がどう思っているか、というようなことも「その辺のインド人をつかまえて聞けばわかる」という手軽さにある。
アメリカ人もロシア人もインド人も中国人も、手近にたくさんいるわけで、友達の家のパーティやなんかで会うそーゆーひとたちに聞けば、たとえばパンジャビについてどう思っているか、いろいろな意見が直截聞けます。
そーゆーことに較べると些細なことではあるが、食べ物のバラエティが、どどどどおーんと増えて、質が爆裂で向上したのは、たいへんよいことである。
日本にいたことがあるわしとしては、日本で翻訳された食べ物とオリジナルの違いを較べる楽しみもあります。
「肉まん」というのは、日本人の発明であると思い込んでいたら、「菜肉饅頭」とゆって中国人にとっても、ふつーの食べ物なのだった。
ずっと知らなかったのは、中国の人は「肉まん」を揚げて食べるほうが多いからでした。
それを発見したので、ディムサムに行って「 菜肉饅頭を油で揚げないで、蒸して出してくれんかね」と、どっへたな中国語でお願いした(中国料理屋では英語は通じん)ら、ふっかふっかの、むひょお、なおいしい肉まんが出てきて幸せになったりした。
ノースショアに行くと韓国のひとが5万人だか、まとまって住んでいて韓国料理屋がたくさんあります。クイーン通りという観光客で充満したCBDの通りの丘側の端っこにもたくさん店が並んでいるが、ノースショアに散らばってあちこちにある韓国料理屋のほうが全然うまいよーだ。
この頃は、フクシマ以来、なあーんとなく嫌なので、韓国料理屋にもでかけなくなってしまったが、ずっと前に出かけた韓国料理屋には「独島はわれらのものだ!」と書かれた超巨大ポスターが貼られていて、おー、ニュージーランドでもプロモーションしてるんだなあー、すげー、と思って眺めていたら、主人のおっさんがやってきて、きみはこの問題を知っているかね?
という。
しらねー、というと。
日本人がいかに悪逆非道で韓国固有の領土を簒奪しているかについて、滔滔と、半分以上聞き取れない英語で大演説をぶつので疲れた。
ニュージーランド人も一緒に日本人と戦おう、というので、笑ってしまいました。
笑っちゃいけないんだけどね。
でもつい、ふきだしてしまった。
おっちゃんは傷ついたであろう。
ごめんね、おっちゃん。
次に行ったときには、しかし、もうポスターはなかったので、韓国料理屋には結構おおい日本人客が来なくなったのを発見して商売を優先することにしたのだろーか。
経済は健全だのおー、とおもったりしたが、
案外、飽きただけなのかもしれません。
今日はひさしぶりにアジア料理食べにいくべかなあー、と考えていたら、ずるずると食べ物の話に拘泥してしまった。
でも、多文化、おいしーんだよ。
ほんとよ。
アヤム・リチャリチャ。
テンポヤク。
ポヨ。
選挙だぴょん
November 27, 2011
昨日はなんだか選挙だけで終わってしまった。
昼食を食べたあと午後に投票へ出かけてモニとふたりで買い物をした。
午後七時からはずっと、とゆっても(集中力緩慢なわし)(いろんなことをいっぺんに同時にやるのが大好きなわしの事であるから)いろいろな言葉のツイッタやフォーラムで遊んだり、8時半からは「Cold Case」
http://en.wikipedia.org/wiki/Cold_Case_(TV_series)
を観たりしながらだが、
11時半に、大敗したフィル・ゴフが「辞任はしないのか?」と口々に質問するジャーナリストたちに辛抱強く答えてゆくゴフらしい抑制の利いた表情や、わしが住む家の選挙区候補者バカタレのジョン・バンクスが自己の保身のために引き起こした「一杯の紅茶」事件
http://tvnz.co.nz/election-2011/cup-tea-meeting-fails-sway-voters-act-poll-4549135
のせいで、(バンクス自身は読み通り議席を保持したが)アクトから大量に流れたパーティボート票で議席ゼロから議席9へと恢復した
「反アジア人のチャンピオン」ウインストン・ピータースのニュージーランド・ファーストの勝ち誇った記者会見まで、結局、一日、選挙の日のようなものでした。
ニュージーランドでは、普通のひとでも「戦略的投票」ということをよく口にする。
選挙前のポールなどの情報をじっと観ていて、「政党間のバランスが悪いな」と感じると、自分が支持している政党でない政党に1票を投じる。
いま、1票と表現上書いたが、ニュージーランドでは「政党」へ1票、地元の候補者へ1票の計2票投票するので、ほんとうは投じるのは2票。
そのうちの政党へ投じるほうの「パーティボート」を「戦略的投票」に使うのが普通です。
その上にMMP制度
http://www.elections.org.nz/voting/mmp/
があるので、ひとつの党が過半数をとるのは不可能ではないが、ものすごく難しい。
いまちょっと思いついて日本語サイトを見ると時事通信が
「国民党、単独では過半数に届かず」
読売が「与党陣営が過半数で政権維持」と書いてあるが、
両方とも事実を間違えてはいないが、ピントは大幅にずれていて、
ニュージーランド人の実感は、「ナショナル(国民党)の歴史的大勝」だと思います。
もうひとつ、あとで述べるがグリーン党も大勝した。
「グリーン」の名の付く政党は国際的に連帯しているので知られているが、党首ラッセル・ノーマンの勝利宣言スピーチによれば、10%以上のサポートを「グリーン」政党が受けたのはニュージーランドが初めて、だそーでした。
聴いていて、モニもわしも、「えええー、そうだっけ?ドイツとか、もっとえらいんちゃうの?」と思ったが、調べてない。(ごめん)
日本との関連で言えば、ナショナル政権なので、あんまり関係がない。
ニュージーランドに住んでいる日本人のことを考えると、
何かというとアジア人移民が悪いとゆって受け狙いをするアホのウインストン・ピータースが9議席と共に復活したので、日本人の移民の人は嫌な思いをすることが増えるだろう。
ウインストンは、実は、ニュージーランド人の社会ではアホのおっちゃん扱いの政治家に過ぎないが、アジア人移民のひとと話してみると、影響が大きいようです。
言われてみて理由として思い当たるのは、まずウインストンは演説が非常に上手である。
わしは、ポピュリスト政治家が大嫌いなので、とーぜんウインストンも嫌いだが、演説を聴いていても、機会があるときに話してみても、話の巧さ、ひとの魅きつけ方という点でも群を抜いている。
1996年には、わずか2%だった支持率を激しいアジア系移民バッシング演説によって46%まで伸ばしたことがあった。
その頃、ロンドンから半年ぶりにやってきたクライストチャーチで、まるで違う国のようにアジア人への憎悪が渦巻いていたのを昨日のようにおぼえています。
田舎では、アジア人の家のドアに鶏の死骸が打ち付けられたり、夜中に騒ぎで眼をさましてみると逆さまの十字架が庭で燃やされていたりした。
「自分と違うもの」への憎悪を養う、というのは自分の社会では敗北者であるひとびとのお家芸だが、ウインストンは、どうすれば、それに根拠を与え、くすぶった火を燃え上がらせ、人びとが自分の失敗した人生に対してもっている暗い怒りを、社会のなかの弱い者の集団に向けさせるかをよく知っている。
ウインストンは、ニュージーランド人特にパケハ(欧州系ニュージーランド人のことでごんす)社会では、アホのピータースというただの笑い話でも、たとえば華人社会では悪魔のように怖れられている政治家なので、ニュージーランドでは中国人に準じる立場の日本人も、日常の生活に不快なことが起きるのは、免れないように思います。
ただ1996年のような「反アジア人の嵐」というようなことにはなりそうもない。
それは、まず第一に他の英語圏同様、若い層にとっては「人種差別」というのが、すでにダサイ考えで、
ビンボクサイジジイやひまをこいているババアの考えることであって、そーゆーカッコワルイ考えについていこうと思う者がすでにいなくなってしまっている。
人種差別団体は政党であるニュージーランド・ファーストを含めて、だいたい5つあると思うが、構成員の平均は、1996年に30代だったひとびとそのままで、40代後半です。
メンタリティのみならず、いきさつまでもが、はてなや2chに似ておる(^^)
ウインストンを大嫌いなので有名な Matthew Hootonが、
「the main reason his support rose was because he had targeted “venal elderly who are prepared to vote for him because he hands them out indulgences” and “deranged 50-year-old male losers who live with their mothers”.」
とゆっているが、最後の「50歳になっても母親と住んでいる頭のいかれた負け犬」は、そんなにはっきりほんとうのことをゆってはいけないではないか、と言う感じがしなくもないが、
“It says there is something very sick about 5 per cent of our population, that they would support a person like that who… targets vulnerable groups, whether they are Asian immigrants, Maori.”
というのは、いまではニュージーランドではガキに至るまでもっている共通認識なので、大事には至らないだろうと感じられる。
第二には、訪日した(そもそも反日本人演説で出発した)ウインストン・ピータースを「ニュージーランドの大物政治家」として大歓迎した日本政府を華人社会は失笑と失望で大きく報道したことがあったが、華人社会は、英語版メディアを通じて辛抱強くウインストン・ピータースの煽動と嘘を報じ続けた。
次第に事態が明らかになって、連合王国のメディアまでが「ニュージーランドの人種差別政党を許容する危険な兆候」を報じるに及んで、在外ニュージーランド人たちがウインストンのデタラメぶりに対して怒りだした。
ニュージーランドでは、政治家は、たとえばウインストンの好きなレストランで夕食を食べたあとに直截議論をふっかけられることがよくあります。
そういう空気を感得したウインストンは、ポピュリスト的な勘には優れた人なので、今回の選挙では前回、前々回とは一転、「反アジア人」をいっさい口にださなかった。
反アジア人、という御題目がすでに「流行らなくなった」のをウインストン自身が知っているように見えることです。
またチャンスがあれば、まったくためらわずにお得意の「アジア人が、この国にもってくるものは、嘘と不誠実と我々が汗を流して築き上げた制度を利用しようとする薄汚い功利心だけだ」を始めるだろーが、ウインストンの良いところはバカではないので効果が望めないムダなことはやらないところで、わし自身は、まあ、なにごとも大事はなかるべし、と思ってます。
日本国との関係は、さして変わらない。
日本のひとにはピンと来ないのが判っているが、「捕鯨」というのはオーストラリアとニュージーランドでは、日本人が想像もできないくらい深刻な問題で、ごくふつーの一般の人でも、オーストラリア人やニュージーランド人が信じている価値へのあからさまな攻撃だと感じている。
少し、おおげさに言うと、調査捕鯨という(英語人の常識からすると)まったくのウソを白々しく名乗った船が、自分達の目と鼻の先の海で鯨を虐殺しにくる、というのは自分の国の領土を爆撃されるのと似た感覚です。
グリーンが彼ら自身が「歴史的大勝」と呼ぶほど力をつけたことには、捕鯨をすすめる日本との対立が更に深刻になる可能性がある。
ずっとむかし、いつもと同じく、読んでくれるひとびとからは、なあああーんの反応もなかった、
「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」
http://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/24/ヒラリー・クリントンの奇妙な提案/
という記事を書いたことがあったが、あの奇妙な挨拶から始まったニュージーランドとアメリカの国防上の関係改善は着々くちゃくちゃと進んで、デービッド・ロンギ以前に戻りつつある。
ニュージーランドというのは世界のはしっこに、地球から落っこちそうになりながら辛うじてつかまっている小国なので、こういうことは返ってみえやすい、という事があります。
アメリカは対中国外交については全力をつくしているのであって、しかも30年単位の戦略をもっている。
「反捕鯨」という一点でニュージーランド・オーストラリア・アメリカの3国を結びつけなおすことによって、どーにもこーにもならなくなったときの最終防衛線をつくろうとしているように見えます。
伝統的には第二次世界大戦中の「ブリスベン暴動」以来、国民感情としてアメリカとの近すぎる軍事同盟を嫌っているオーストラリアにもダーウィンを皮切りに対中基地の建設が進んでいる。一応、オーストラリアの日本帝国が崩壊後の仮想敵国インドネシアが気になってるんです、っちゅうような、そうでもないような、曖昧なふりをしているが、実際の対象が中国であることはみな知っている。
ジョン・キーが勝利したことで、ヒラリー・クリントンが描いた戦略はこの後急速に完結してゆくものだと思われるが、その副産物としての「反捕鯨」は日本の人を想像を超えて日本の利益を損なうことになるでしょう。
わしは、いまでも、クリケットのビッグマッチを観るために集まった友人の会社の同僚の集まりで、ビールを飲みながらみながテレビを囲んでわいわいゆっているとき、七時のニュースで映し出される血まみれの鯨の映像の前から、「居たたまれない」という言葉そのまま、そっと立ち上がってひとりだけ、庭にでていった日本人の若い男びとのなんとも言いようのない後ろ姿をおぼえているが、政治というようなわけのわからんものを越えて、そういう思いに打ちのめされる日本人はニュージーランドでもオーストラリアでも増えるものだと思われる。
たまには、日本語で書いてみたことがないニュージーランドの政治のことを書いてみよう、と思ってこうして書いてみると、ニュージーランドと日本というふたつの国は、何事にも正反対とゆってよいくらい考え方が違うが、それに加えて、あんまりお互いに関係がないので、へええー、と思ってしまう。
ガキわしの頃は、渋谷のニュージーランド大使館で、大使付きのシェフが腕をふるう無茶苦茶おいしい料理が出る日本ニュージーランド親善パーティの頃を狙って東京へ行くのをねだったりした(かーちゃんシスターの招待状に便乗するのね)ものだったが、あれも日本との関係が縁遠くなるにつれて、いつのまにか取りやめになってしまった。
選挙の日のことを書きながら、考えはどんどん、視界から消えてゆきそうな日本のほうにいってしまう。
月日がたつのはさびしいこっちゃ、と思います。






