Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’ その4
August 9, 2011

午前10時。眠いよお、と思いながら車庫のリモコンを押してがああああぐわあああとシャッターを開けるとクルマに乗り込むわし。
スーパーマーケットに行って、かぼちゃや牛フィレ肉やチーズやパンやビスケットやチョコレートを買い込んで帰ってくる。
ニュージーランドに冬に帰ってくるのはひさしぶりなので、モニさんにかぼちゃのスープを食べさせてあげるべ、という夫心です。
使いなれたる我が家のチュボー(厨房)、なんちて。
「幸福な生活」の重要な要素は「快適な生活」だが、「快適な生活」を送るには「快適な細部」が必要です。
日本の「山の家」の代わりに購入した北イタリアの「山の家」は外はボロイが中は現代的に改変されている。
わしのようなコンジョナシが中世の村で暮らせるように、見た目は築1000年でもなかみはモダン錦なのである。
でも皿洗い機が安物で皿の汚れがちゃんととれねーんだよ、とか、Wifi (突然ですが、スペイン人は、これをウィーフィーと呼ぶ。かわゆいので、わしも英語においてもウィーフィーを採用しておる。WifiのMifiは、ウィーフィーのミーフィーだからな。だからスペイン語はやめられないのだとゆわれている)がちゃんと家をカバーしてなくて階段に座ってでないとインターネットがちゃんと接続できないとか、アホなことがいっぱいあります。
その上にクルマの駐車スペースが狭くて、駐めるのが重労働なクソ・カーパークである。
ニュージーランドの生活からは、そういうものが排除されておるのでたいへんよろしい、と戻ってきて改めて考えました。
生活を送るのに家事においても遊びにでかけることにおいても、たとえば大陸欧州のごとくこの世の終わりのように窮屈な駐車場に何回も切り返しをして駐車しなければならなかったり、不合理故に吾信ず、な運転習慣がない。
楽なもんです。
アホでも何も考えずに暮らせる。
まして賢い亀夫においておや。
オークランドにもどってきてみると、そこは真冬であって、空港にはでっかいオーバーにくるまったトンガやサモアのおっちゃんが吐く息を白くしながらたたずんでおる。
でもさ。
でもね。
真冬とゆっても下が5度、とかなので、わしは全然寒くありません。
同じニュージーランドでも凶悪なクライストチャーチの冬に較べればちょっとボロクなった春のようなもんである。
クライストチャーチの冬は、ぶおおおおお、と南風(というと北半球諸君は暖かいのか?と思うだろうが、サザリーちゆえばニュージーランドではちべたい風のことです)が吹いて、その台風なみの突風に巻き上げられた地面の水が顔にぶっしゃあああーと当たる。
すげっす。
したがって、かーちゃんも妹も常にはニュージーランドの冬には必ず欧州にいたものであった。
わしはクライストチャーチのクソ冬が好きなので、長じては、ひとりで、途中の成田で買い込んだPCパーツや電子部品をたずさえてニュージーランドにやってきたものだった。
全部の暖炉に薪を放り込んで、パネルヒーターやフロアヒーティングにスイッチをいれて、ひとりでちびちびと酒を飲みながらパンフライやフライにしたブラフオイスターを食べる愉しみ。
第一、おっかない家族は誰もいないので、ひとりで悪い事やりほうだい…あっ、いや、ベンキョーしほうだいで、なかなか楽しいものであったのをおぼえています。
わしはしばらく南半球暮らしをしようと考えている。
オーストラリア、ニュージーランド、ずううううっととんでシンガポールというホームグラウンドに赤道の向こうのマレーシアやインドネシアくらいを加えてもよい。
ダッサイ連合王国パスポートを金庫にしまって、シルバーファーンが表紙についた、カッチョイイ、ニュージーランドパスポートで暮らそうと思ってます。
ずっとブログを読んでくれているひとは知っているが、わしが備えてきた「最悪の事態」、それが予想されるから、いまここにある地獄の魔王が地上に現れるような経済事態はどうやら起こってしまいそうである。
まだ起こらないですむ可能性はかすかに残っているが、中国以外は経済音痴の首脳が轡をならべるいまの各国政府の顔ぶれでは、難しいように思える。
中央銀行のテクノクラートたちも考えられる方策はすべて試みたように見えます。
しかしながら、高度に情報化され、かなり細部にいたるまで確率論化された現代経済市場においても、ときどきぶっとばないと経済に飛躍がもたらされないので、地獄の釜
http://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/lasciate-ogne-speranza-voi-ch’intrate’%E3%80%80その3%E3%80%80%E3%80%80フッチーを待ちながら/
がまた開いてしまうくらいで驚いていては冷菜凍死家はやれん。
今回は、膿まみれになってどろどろのゾンビ化しているのは欧州であって、健全なIT産業その他の新世代産業(グーグルやアップルはいうまでもなくアメリカ企業です)をもつ合衆国は、実はそれほどひどくない。
そのうち日本語で書いてみんべ、と思うが、オバマ大統領の、緊急であった経済政策よりも先に保険制度に手をつけてしまう、という大失策から来た経済対策の遅れが取り戻せないで苦しんでいるうちに欧州から北斗の拳がとんできてしまっただけである。
だけである、とゆっても史上最強のパンチをもっていたタイソンのフックのように強烈なパンチなのでダウンしないとは限らない。
焦眉の急の大陸欧州は、大陸でおっちゃんやおばちゃんたちにインタビューしてまわった限りでは、もう全然ダメ、だったので、もてばラッキー、ふつうにいけば例年通り「9月プレッシャー」がかかったところでオトーサンになりそーである。
欧州がオトーサンになってしまうと、わしも冷菜の幾分かは生ゴミになってしまうので、起こらないことを祈っているが、今回は、どうもそうそううまくいかないよーです。
危機がやってきたときにガメのバカっぽいヘラヘラ顔を見ると、安心してほっとする、というので戻ってきたが、「コンサーバティブな投資を工夫する」という金融屋ではおもいもよらない凍死手法を諸君も学んだよーである。
ま、これから壁際の本棚にずらっと並んだPCゲームを一個づつ消化したり、海辺や丘を怒濤のように走り抜けたり、ラップラップラップと泳ぎまくったり、あるいはブログを書いて遊んだりしているうちに、去るべき者は去り、おっちゃぶれるべき国はおっちゃぶれ、時には社会全体にどおおおーんとリセットがかかったりして、そのうちにはお話が落ち着くものであるに違いない。
(カウチに座ってポテトチップスでもかじりながら)
みなで観戦しましょう。
フクシマ経済
April 20, 2011

この20年で合衆国と連合王国に住む人間の富はおおざっぱにゆって3倍になった。
20年前に30歳で1億円もっていた年収1000万円の人は3億円もっていて年収3000万円になっている、っちゅうような意味です。資産・収入・可処分所得ちゅうようなものがだいたい3倍になった、と思えばよいと思います。
念のためにゆっておくと統計的数字に縋って議論を進めるのは、やむをえないときにするのであって、統計上3倍になっているからとゆって、そのひとが当然3倍豊かになっているわけではない。
所有している自宅の価値が3倍になっていても、自分が住んでいる家を(その人間が「金持ち」かどうか判断するときに)普通には資産には数えないので判るとおり、住んでいる人間にとっては良い事はなにもない。カウンシルの評価額があがればタリフが3000ドルから9000ドルにあがって支出があがるだけであって、景気の良い社会の最大のビョーキであるインフレがたとえば(通常先進国が上限目標にする)3%であれば、10
の昼食は18ドルになっているわけで、その社会のちょうどまんなかくらいの収入の人間は「生活が苦しくなった」という感想をもつのが通常だからです。
しかし、たとえば連合王国でサラリーマンがこの20年間のことを家計的にふりかえって、しみじみと損ぶっこいちまったなあー、と思い出話にふけるときには「なんでも3倍」を前提にして話しをする、ということです。
カナダや豪州やニュージーランドも、ほぼ同じ。
いまのいま、という時点でカナダと豪州は3倍より少し多いか、というくらいの感じと思えばよいのではないか。
一方、この20年で日本のひとの懐は20年前に社会の中軸であった40代のまんなかで大企業に勤めていて自宅をローンで買って子供がふたりいる、という家庭を例にとると年収は900万円から650万円に、自宅の資産価値は6500万円から4600万円に下がってしまっている。
20年前にふたりで400万円の年収をつくっていた共稼ぎ夫婦は、20年後のいまの日本では収入が300万円である。
だいたいすべての「富」が20%から30%減少している。
20年間、この状態から抜け出せなかったのは先進国のなかでは日本だけであって、いまでも、その理由は謎ということになっている。
アホの巣窟なので有名なブリテン島ですら、屁理屈をねつ造して破滅に破滅の上塗りをする時代は15年しか続かなかった。
日本の場合、どうしてこうなったかというと、日本のひとの「おかみ」を信ずる不可思議な心根のせいである。
5年間11回の日本遠征での最大の不可思議は、日本では殆どの人が(わしからみると)まるで自分が政府の一員であるような口を利くことで、言うことだけを聞いていると国民全員が政府のどこかの部署で働いているかのようであった。
連合王国やニュージーランドにおける大庭亀夫のごとく畏れおおくも政府のえらい人に向かって「おまえらのクソ立場なんか、わしの知ったこっちゃねーよ」というような不敬罪な暴言を口走ったりはしないのです。
わしが日本型中央計画経済のばかばかしさを言うと、「でもガメちゃん、日本は大国だから、そうそう簡単にいままでのやり方をあらためるというわけにはいかないんだよ」という。「貧乏なひとの面倒もみなければならないし、地方のうまくいっていない政体の面倒もみなけりゃならない。それを、突き放して、きみたちの問題というわけにはいかないのさ」
ボルジャー首相という、みるからにいいかげんな顔をしたおっさんが突然声明を発表して、「カネがないから、もう郵政、国でやるのやめたし。あとは諸君で勝手にやってね」とゆって一夜で民営化したニュージーランドみたいな無茶苦茶な国とは偉い違いの懇切丁寧な20代の国民のおむつまでかえてあげそうな面倒見の良さである。
フクシマの原子炉がおだやかで対処しやすいやり方でとはいえ、ぶっとんだとき、明らかにコントロールを失っているのに「安全に推移している」と言い募る日本政府と、そのエダノというオオウソツキに拍手喝采する日本人たちの姿を見て世界中のひとが息をのんだ。
あの光景を見て、ようやく日本経済の現在の不振の理由を理解した経済人も世界にはたくさんいた。
英語ではwe-know-bestのひとびととゆったりする。
わしらがいちばんわかっとるんじゃけん、しろーとのあんたさんらは、余計なことをゆわないで黙ってついてきなさい。
日本では津波が起きた途端に事故が起きるのではないかと心配したひとたちに向かって「日本の原子力技術力をなめんな」という合唱が起こって、一瞬で「無知蒙昧な人間たちの心配する声」がかき消されるのを、わしはリアルタイムで観察して記録していた。
長い間理由がわからなかった日本人たちの現在の自国の経済・財務上の絶体絶命への非現実的なほど極端で漫画的な危機感のなさが、それを観察することによって判るような気がしたからです。
わしは、とうの昔に機能しなくなった岸信介以来の国家社会主義経済的な日本のやり方が、ここまで無残な敗北を繰り返しながら、(たとえばPCはオモチャにすぎない、大型電算機以外に「電算機の未来」があるのなら、おれは役人をやめるよ、と嗤った当時の官僚達の発言をあげつらうまでもなく)いまでも国民に支持されているのは、それが日本の文化の深いところに根ざしているからだと思っています。
真に壊滅に向かう経済は、いつも文化そのものに理由があるのだ、と歴史は教えているが、フクシマを観察したあとでは日本もまた同じなのではないか、と疑ってしまうのです。
画像はセントラルパークでチェスに興じるおっちゃんたち。ダブルクリックすると大きくなりもす
零細投資家の午後
April 26, 2010
もう何年も前から住んでいる気がするほど新しい家になじんだ。モニも「新しいベッドがやっと好きになった」という。
ふたりで庭に出て、テーブルにチーズや鴨のパテやワインやパンを並べて昼食を摂る。
Tui(ニュージーランドのネイティブバード)がやってきて不思議そうな顔をして見ている。芝の上においた素足が気持ちがいい。
クライストチャーチとメルボルンから必要な機能を移し終えたので仕事も円滑になった。
夕方になると正面ゲートのリモートコントロールキーを持っているPがやってくる。
セキュリティカメラの画面でそれを眺めながら、モニとわしは、「おーかっこええー」という。こういうものもこの5年で随分進歩したのだ。
かーちゃんの家のコントロールは煙草の箱の大きさくらいもある。
いまは2ドル硬貨の大きさくらいしかない。
それに4つのボタンが付いていて、たとえばわしのこの家でゆえば、1番はセキュリティの「アーム/ディスアーム」で2番はハーフゾーン、3番が正面のゲートで4番がガレージの自動シャッターです。
1番と2番を同時に押すとパニックボタンで警備会社と警察がすっとんできます。
セキュリティカメラの分割画面もtubeから液晶のSVGA画面になった。
白黒だったのが、いまはカラー。
侵入者の靴下の色が判るようになったとゆわれている。
Pは資料の分厚い紙の束と共にあらわれるが、これはわしの趣味である。
コンピュータのファイルとお行儀が悪くてカウチに寝転がってしか仕事ができないわしにははなはだしく都合が悪いので紙に印刷してきてもらう。
どんな書類かって?
すごおおおく面白い書類ですがな。
たとえばそれがプロパティなら、建物のゾーニングとCVから始まってビルのタイトルや収益表や通りの建物の過去の売買価格、地域と通りの歴史、通りと地域の昼間と夜のひとびとの年齢層や推定平均年収まで書いてあります。
もちろんディプリーシエーションとかも書いてある。
そういう電力消費量にまで及ぶ細かい数字を眺めていると、いろいろな事がわかって面白い。カウチでごろごろしながら、「あー、このひとは見栄っ張りだったんだな」とか「こんな甘い考えの人間もなかにはいるわけだ」と考えながら、どんなひとびとだったのか想像します。
資料を読んで遊ぶのに飽きると、モニとふたりで庭を散歩する。
近所のコーヒー屋まで遠征することもあります。
ページを交換しながら新聞を読む。
ふたりでペンキ塗りをする。
芝を刈る。
カウチに膝をついてアッパーラウンジの出窓にふたりで並んで肘をついて外を眺める。
今年買ったばかりのでっかいカウチでふたりで猫と変わらんじゃれかたをする。
モニのいい匂いがする。
パーネルの家では部屋の使い途がないので撞球台やピンボールをおいて遊んだりしたがこのラミュエラの家は使いやすい。
27年も生きてしまうと人間の時間は途方もなく静かになる。
決して良いことではないだろうが他人の生活や世界のことに興味がなくなる。
どーでもいいや、と思うようになってしまうのね。
わしが組んできた投資はそういうのもばかばかしいほど「コンサーバティブ」なので、なおさらそうです。
「アグレッシブ」な投資をいまの一割くらいからせめて3割に増やせば人生そのものも変わるのは判っているが、わしは巨大なデプリシエーションがある世界が好きなんです。
(別に居直ってるわけではないが)
いまさら、お金の神様とのつきあい方を変えようとは思わん。
それとも地球が買えるほどのお金が欲しいと思うときがわしにも来るだろうか?
空洞経済
June 1, 2009
4月からのわっしの悩みの種は市場の振る舞いがまったく予測できなくなったことでした。世の中には、こーゆーときには、こーゆーモデルで動いてるんだから、ここからここまでの範囲で推移するだんべ、という理屈がある。
ところが、4月の終わりからいままでの動きは「予測範囲よりも良い」のであって、こんなことは初めてです。
こういうことが続くとわっしは世の中の繁栄に取り残されて終いにはモニの旦那から作男に降格されてしまうのではないか。
たとえば合衆国経済の凋落を底のところで支えているのは「バラク・オバマ」という一人格であって、他には何もない。本来地獄へ真っ逆さまになるべき諸指標でありながら、まだ「巨人」をやっておる。
あんたは衣川の弁慶か、と呟きながら、カウチに寝転がって、「わからんのう。わからんのう」をしているのです。
そうやって輾転反側お午寝バージョンをしているとモニがやってきて「チュ」をしてくれるので、それを期待しているだけじゃん、と言えなくもないが。
しかし調べてみると矢張り経済は断末魔であって、いままで機能していることになっていた諸ビジネスモデルは全部破綻しておる。一方で新しいビジネスモデルは出て来ておらない。インデクスというインデクスは、なはは、の域に達してます。
これは結局フォニーなのであって、実際には楽観する材料はないようだ。
現代の経済の様相は不思議なほど中国の国内経済市場に似ている、と思う。
中国の経済というのははなはだしく心理的、というよりも、いっそ「情緒的」とでも呼びたいような経済であって、なんだか全部つくりものの「フォニー経済」である。
みんなでバンザーイバンザーイと叫んでいるが、いざ経済の根幹をなすべき「ビジネスモデル」に眼を向けてみると、驚くべきことに何もない、のです。
要するに市場というよりも、そこにあるのは賭場であって、彼らが株式を売買するときにはバカラのテーブルにチップを積み上げるのと同じことをやっているに過ぎないように見える。
いまの経済人の常識として、ここからは中国が一段力が衰えた合衆国と並んで世界を牽引する、ということになっていますが、わっしは、要するに変わり者なのでしょう、それが信じられないただひとりの(零細)投資家なのです。
数字がごひゃごひゃと並んでいる紙の束をコーヒーテーブルに置いて、「こーゆー為体では十年後は作男だべ」と考えていると、モニが午後のおやつをもってきてくれる。
ポテトフライの上に目玉焼きをつぶして載せてその上から夏トリュフを散らした食べ物で、わっしの好きなおやつです。
わっしが紙の束を眺めながら「これ、おいしいのう、メルシ」というと、モニがにっこり笑って「うちの作男におちぶれても、ときどきつくってあげよう」という。
そーゆーリアリティのある冗談は、やめてほしいんだけど。
半信半疑
May 18, 2009
経済でもっとも難しいのは心理的な要因が大きく働くところであると思う。
人間の集団心理はそれが向く方向も行き先に向かって動いてゆくスピードも、動き出すタイミングも予想外であることが多い。
それが経済の問題について考えることを難しくしている。
振り返ってみると2008年の北京オリンピック前後に屋上屋を重ねた金融世界のビジネスモデルが崩壊するのは、別にわっしに限らず、およそ2005年くらいからみなにわかってました。だからいけいけおっちゃんたち以外は早々と撤退し後退して景気が悪くなったときのために自分のポートフォリオを作り直した。
マーケットのなかの立ち位置を変えたり、出資先を変更したり、瓦解に近い変化に備えて零細投資家は零細投資家なりにアホな頭を使って考えたのでした。
個人のわっしとしての観点からいうと港を出たらいきなり嵐の警報に出会ったサンパンのようなもので、てーへんであった。
こうやって日本語をおぼえて遊んだり、自分の家をいくつか買ったり、そーゆーヒマなことをやって喜んでいたのも、とーぶん景気なんかよくならねーべ、と考えたからでした。
やることがねーもんな。
モニと遊んでるのがいちばんいいべ、というのがわっしの判断であった。
5年くらい遊んでないといかんのとちがうか、へたすると10年だのい、と考えた。
しかし、どーもこの頃は、またみな強気がもどってきたようだ。
天気の悪い午後、事務弁護士のおっちゃんとカボチャスープを食べながら、しょぼしょぼと景気の話をします。わっしはよく仕事のひとと昼飯を食べるが、合衆国人の好きな「パワーランチ」とは違う。無理に名を付ければ「脱力ランチ」であって、へろへろしながら仕事の話をしているだけである。
「後退局面において強気」という連合王国人の頭のいかれた伝統に基づいて、おっちゃんによると
「金融危機なあんてのは新聞のでっちあげだんべ」という。
でも誰それも破産したし、あの会社とこの会社は液体になってしもうたではないか、というと、「まっ、そーゆーこともある」なんてゆーとる。
今回の金融恐慌の特徴はみなやたらと強気であることで、そこにわっしのズツーの種がある。
わっしには借金はありません。
正確に言うと妹から借りた金はあるが、あんなものはいざとなれば踏み倒せばいいだけなので、借金のうちにはいらん。
こーゆーと、「借金をしない投資家なんて投資家とはいえん。だからきみはダメなのだ」というひとがあるに決まってますが、うるせーな、わっしはきみよっか儲かってるんだからこれでいーの。
わっしが零細投資のプラットホームにしているわしの零細会社も借金はない。
しかし、投資というものが広い意味でゲームである以上負けるのはくだらん。
零細投資家は零細なりに常に勝利しないと一年の終わりに六甲おろしを歌う楽しみがなくなってしまう。
会社間契約やプロパティ売買の事務弁護士は強気ですが、一方会計会社のねーちゃんは、自分の仕事を通じて見聞したマーケットは相変わらずこの世の終わりのような様相である、という。
みんな意見が違う。
シドニーのタクシーのおっちゃんは、「クレジットクランチ、クレジットクランチって、騒いでるけどさ、あれは合衆国のものなんだから、こっちにもって来られちゃ困るんだよね。みんなで蹴返してアメリカからオーストラリアに来る途中で太平洋のどっかに沈んでもらうしかないよねー」なんていう。
まだ不景気にはなっていない、という認識なのです。
手元にあるインデックスは、どれもこれもボロボロで、しかも数理的な整合性がないところを見ると、このひどい数字でもまだインチキがあるようです。
統計がもっとも信用できるといわれているドイツの統計でも、ちょっとみるとわかるようなヘンなところがある。
官民ともに経済に携わっているひとたちの最近のモラルの低さが判ります。
モニとふたりでプールの球を突きながら、わっしは悩んでおる。
理屈の上では絶対に経済が来年回復する、というようなことはあり得ないが、
みんなで「だいじょぶだあー、だいじょぶだあー」と合唱しているうちに経済が回復する、というようなことが実際にありうるのだろうか。
そこのところで「経験」というものに欠けるわっしには読めなくなってしまう。
4月は、会社のひとの取り越し苦労に終わったが、情けないことにいつでも歯切れの良い自分の金がかかっていない経済評論家のみなさんと違って、自分の金がかかっているわしは、ぐずぐずしょぼしょぼと考えてばかりいます。
まるで頭の中が梅雨になっているようです。
脳下垂体あたりにはもうカビが生えているのではなかろうか。
ひび割れた青空
March 8, 2009
子供のとき、かーちゃんに買ってもらった中国の話を集めた本が好きであった。
「邯鄲の夢」や「鯤(こん)と鳳凰」の話、枕水漱石もそのとき初めて英語で読んだ。
そのなかにひとつ中国のひとの不思議な想像力に打たれてしまう話があって、それが
「杞憂」
http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/sub20-1-2-1-koji.htm
なのでした。
説明しなくても普段の会話に使っているくらいだから日本のひとは話をよく知っているわけである。
この話を読んでから草原に寝転がって草の匂いをかぎながらニュージーランドの大空を眺めていると、実際に空が大伽藍であって崩れてきそうな気がして困った。
ニュージーランドの空は、他のたいていの国と違って地平線に近いところまで深い色の青です。白くぼやけていたりしない。
だからものすごく大きな空であって、わっしはニュージーランドよりも空が大きい国を他には知りません。
わっしは、あの気が遠くなるように大きな青空の下で牧場を駆け回ったり滝壺で泳いだりして育ったのをとても幸せなことだと思っています。
しかし、いまはそのニュージーランドの大空が崩れてきそうである。
そればかりか足下の地面も割れかけている。
ニュージーランドは小さな国です。
人口は出生率が高くアジアからの移民が増えて最近ものすごく増えた、といっても340万人かそのくらいにしか過ぎない。
小さな国の政府をマルドゥーンの「Think Big」が生み出した危機以来、小さい政府を指向するように変わってボルジャーに至って政府を更に小さくして、議員の数まで減らして減量に減量させて、そこへ新しい金融技術を導入して好景気を作り出した。
観光業も最近では羊をどんどん減らして作り出したワイン業も好調でしたが、国の繁栄そのものはわっしの職業上の観点からいうと、より多く高金利の設定が可能な社会の性質を利用したいわば「金持ち用の賭場の開設」という市場が人気を博したことによっています。たとえば、この賭場を利用したマハティールとジョージ・ソロスの一騎打ちは有名であって、ソロスは大勝して負けたマハティールは、「今日のアジアの経済危機は実直なアジア人の汗のたまものを博奕の対象にした西洋人の投機の結果である」という、これも有名になった過激な内容の演説をぶった。
字面だけ見ていると立派な言辞なのに玄人衆が冷ややかな笑いをもって迎えたのは、
みな裏側を知っていたからです。
「汗の賜物」を一気にさらっていきたかったのは、当の本人だった。
ニュージーランドのような国の経済というのは、ヨットで遊ぶ習慣があるひとがいちばんよくわかるでしょう。それも400フィート、というようなヨットではなくて、ほんの短艇に帆が生えたようなのを思い浮かべるとわかりやすい。
向かい風でも追い風でも操船しだいではぐいぐい前に出て行けます。
しかしガスト一発であっというまに沈没してしまう。リカバリが利かないのと、操船そのものが大きな船に較べると極端に難しいのが欠点である。
わっしが初めに「こりゃ、やばいだろう」と思ったのは、2002年のことでした。
わっしは夏休みにちょっとした悪戯で考えたことで思わぬ金額を抱えてしまったので、
どうするべ、と思って銀行へ行った。
エラソーで、あんたはシベリア収容所の女看守か、それともナチの女看守の生まれ変わりか、といいたくなるような威張り狂ったねーちゃんがやってきて、わっしに「投資のプロ」としての観点から縷々と最近の金融工学の最先端を駆使した金融商品の数々お説明します。
ところが、その説明が全部間違っておるのだ。
ありー、と思って伝手をたどって「金融専門家」のみなさんとニューヨークやロンドンで話してみて判ったのは彼らが「屋上屋」を架してビジネスモデルをつくっているのであって、多分、誰にも損をしているか儲かっているのかわからなくなるであろう、ということだった。日本の場合は金融家のモラルが問題の実体だったのですが、えーかげんなことをやっていれば必ずボロボロになってくる大金が動く世界の人間のモラルの低下(それも、ちょっとでそういう世界を知っていればわかりますが、普通の世界のひとが想像しうるような程度のモラルの低下ではない)に加えて、この場合は、「なんとなくもっともらしいだけで、実は誰にも見通すことが出来ないビジネスモデル」というほとんど原理的に大爆発を起こすしかない爆弾を抱えてしまった。
世の中を動かしている人たちの基本的な理屈というのは「いままでも大丈夫だから、これからも大丈夫に決まっておる」です。
うっそお、と思うかも知れないが、つまるところこの世界を動かしているのはその理屈ひとつしかない。石油のような資源の問題も、温暖化も、すべてその理屈で処理される。
しかし、わっしは世の中の忙しいひとびとと違って暇人なので、ひとつひとつ場合分けをしてビジネスモデルを分類していった。その結果、健全なのは1割くらいであって、あとはペケも良いところであった。
それで「北京五輪の年が地獄の年になる」と言い続けてきた。
このアホブログにさえ何回かその話が出て来たのは、みなさんが知っているとおりであって、シャチョーがそれまでのものすごく利益率が高かった商売を捨ててゲーム業に鞍替えしたりしたのも、そのせいでもある。
っちゅうか、義理叔父の「ガメの言うことを聞くべ」という説にうなづくときには、もう人生の終わりを覚悟した、のだそうです。
でも野茂になれるのなら、それでもいいと思った、のだそうである。
その頃のシャチョーのことは、ずっとむかしのブログに出て来ます。
義理叔父などは、ほとんど中国共産党の長征のような大撤退を行った。
わしの近しいひとたちは、みな「ガメはアホである」というのを知っていますが、一方では「あれは座敷童子とか仙台四郎みたいなもんである」と思っているので、そーゆーときになると意外とゆうことに耳を傾けるのです。
その結果、みなが地獄の釜の入り口から逃れたのはよいことであった。
(そのごほうびとして、わっしが遊んで歩く金をみんながよってたかって出してくれることになったのは、もっと良いことであったが)
そうやって個々のひとびとは「もっともアホなガメの言葉に順う」という離れ業を演じることによって地獄のふたが開いた瞬間
http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080811/1218804934
にはすでに辺獄を離れてことなきをえたのでしたが、国のようなものは、そうはいかむ。
日本での報道とは異なってオーストラリアやニュージーランドには、まだ「不景気」は来ていません。そーゆーと、またヘンなことをいっぱい言いに来るバカが寄ってくるのが見えているのでこうやって言っているだけでもうんざりします(わっしが前にもましてマジメなことを日本語ブログに書かなくなったのは、そーゆーひと…というのは「それは違う」という意見を述べに来るのではなくて、『おまえはバカで間違っておる。わしが正しいのを知らんのか、このバカ』と訳のわからん威張り方をしにくるひとですが…が日本語ブログに限っては多いからです。科学についても金融でも幼稚園児でも知っているようなことを自分の新発見のようにふりかざして言いに来る)が日本人に多いが、来ていないものは来ていない。
わざわざシドニーにまで行って確かめてきたのだから間違いありません。
わしはシドニーとオークランドに観測所をもっておるしな。
でもどうも4月は危なそうである。
わっしがこの頃シエスタの寝床でモニのすやすや眠る寝息を聴きながら、
「ダイジョーブかなあ」ころころころころ(ベッドのなかを転がっている音)
「やっぱり無理かなあ」ころころころころ(ベッドを逆方向に転がって戻ってくる音)
を繰り返しておる。
オーストラリアは資源の市場原理がからんでくるのでまた別なので、ここでは長くなりすぎるので触れませんが、ニュージーランドは、まず国民の貯蓄率が低いので、たとえばキィウィバンクひとつでも本格的な救済をするとなると政府の財政への打撃が大きすぎる。それなのに「銀行は救済する」と約束してしまったので、財政的に破綻する可能性がとてもとても大きいのです。
そうなると、国民は50万人を越える規模でオーストラリアに移住するでしょう。
ところがオーストラリアには、こちらは普通の人間では直感的にわからないような経済上のアキレス腱があるのです。
(最近観察していておもったのですが、冗談ではなくて、あの国では首相や閣僚も、ほんとうにそのアキレス腱に気が付いていないようです。統計を読める人がいないのだろうか?ちょっと不思議な気がします)
もしかするとタスマン条約を揺るがすところまでも行ってしまう可能性すらある、と思う。
いまあちこちの国で行われていることは、金融家が腐らせた水を捨てて、税金という水道水をじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶと注ぎ込んでいるところです。
「税金は誰かよその人の金」というのは日本人だけでなく世界中のひとが陥りやすい錯覚ですが、もちろん、そこに使われた金は後で何年もかかって国民のひとりひとりが払っていかなくてはならなくなる。
日本でも銀行がアラブ人が呆れるような値段の付け方をした海外不動産投資(実体価格の5倍なんてのはザラであった。ゴールドコーストやロスアンジェルスのようなところに行くと、いまでも笑い話がいっぱい転がっています)や闇社会のひとの懐にねじこまれたせいで消えた何千億何兆円という金を、これから国民が払っていかなければいけない訳ですが、国の側から見ると日本などは国民を欺して、国民ひとりひとりの懐に手を突っ込んで金を抜き取ってすってしまっても文句を言う可能性が皆無の国民なので、運営が楽な国なのです。
欧州人は、ものすごく抵抗する。
ニュージーランド人は、個人が貯金をしないので、それ以前にだまし取るべき金がない(^^;)
だから危機にはものすごく弱いのです。
常套手段の金利上げも今回は使えないので、ニュージーランドの中央銀行が出来ることは著しく少なくなってきた。
「ガメ、チャンスだな」と電話を寄越す友人はたくさんいますが表面化が近いかもしれないニュージーランドの経済状況を横目にわっしが、もごもご言って返事をしないのは、わっしにとってはニュージーランドというのは、あの青空と緑の輝かしい大地の国であって、ショーバイとは関係があってほしくない国だからである。
欧州の街らしく、大気汚染がひどいバルセロナの空を見上げながら、わっしは思うのであります。
「奇跡が起こってどうにかならんかな。オーストラリアのバンキングシステムが持てばなんとか」ころころころころ。
「やぱり無理かなあ」ころころころころころ。
どん。(考えに夢中になりすぎてベッドから落ちた)
画像はバルセロナのあちこちにある公衆水道。
バルセロナ名物の断水があると、おばちゃんたちやおじちゃんたちが、しょぼしょぼと水を汲みにきます。
新金本位制
September 17, 2008
The Wall Street JournalやFinancial Timesの論調は今日になるとだいぶん変わってきてしまっている。不必要な動揺を引き起こさないように暗黙のうちに使わないことになっていた「世界大恐慌」という言葉を使い出しています。「もう誰が見ても明らかなのだから」 ということなのでしょうか。
その頃は日本に関心がなかったので、日付まではちゃんとおぼえていないが多分、1998年くらいのサイト上の記事を先生が引っ張り出してきたのだと思う。朝日新聞は、たった一日市場の株式価格が急降下したときに「世界大恐慌か?」という見出しを掲げて、読者の不安を煽ったことがある。
なぜ、そんなことを知っているのかというと、
わしは、これを他のガキどもと一緒に自分の高校の先生から「腐敗したジャーナリズムの典型」として教わった。先生の奥さん(日本人)が英訳したとおぼしき記事の内容を見ると、なんの取材も現実の裏付けもなしにただその記者が株式の下げ幅にぶっくらこいて「これって世界恐慌なんじゃねえの?」と思った、というだけの記事で、 わしらのガキ頭よりもお粗末な記者の頭が創作した記事に「日本って、おもろい国だな」と考えたのをおぼえています。
朝日新聞社だけで言っても、調べていないから判らないが、いったい「鬼畜米英を膺懲せよ」「開戦をためらう政府の弱腰を叱る」でぶいぶい言わせた責任は、自分たちが煽りまくった戦争の結果国土を焦土と化させたことの責任は誰がどう取ったのだろう?
それとも戦後の「一億総懺悔」キャンペーンで、読者に責任をまるごとおっかぶせて終わりなのか?
この「恐慌記事」にしてもイギリスやニュージーランドなら、こんな与太記事を書くと、悪くすると刑務所行きである。
どんなに運がよくてもクビだけは間違いない。
オーストラリアならダイジョビかも知れないが。
The Wall Street Journalが速報リリースしたビデオを観ると、AIGの危機に際して、
「持ち株会社である「ウォールストリートのAIG」が仮に破産してもサブサイダリである個々の保険会社は業務上の影響を受けないこと、最悪の事態が生じてサブサイダリ自体が倒産しても、個々の保険ポリシイ(日本語がわからん)は連邦法によって守られていること」のふたつを、ネクタイが曲がったままでやつれはてた感じの記者が繰り返し述べていて、わしは「アメリカ人はまだジャーナリストとしての良心を残しているではないか」
と考えてなにがなし感心してしまった。アメリカ人は、まだジャーナリズムというものが何のためにあるのかを忘れてはいないのであって、アメリカの報道会社と言えどFOXのような芯からくさった会社だけではないことがわかる。
わしのブログをむかしから読んでいたひとは、特にコメント欄まで読んでいてくれたひとはおぼえているかも知れないが、わしは、要するにこのときのために世界を半周して観察していた。ブログに書いたように引き払うべき事務所は引き払い、撤退すべき場所から撤退した。ニューヨークでは、そのせいでMBAたちに「こんな好機を見逃すなんて、おまえは投資がわかっているのか」
と言わんばかりの態度をとられて、あったまに来て相手と決裂した日のことも書いた。
脳みそのくさったケーハク秀才のチャールズ川くさいMBAどもよりはわしの判断のほうが正しいのはあたりまえだが、いざ現実が姿を立ち表すとなんだかSFが現実化しているところに立ち会っているような不思議な気がしなくもない。
いま起きていることの最も根源的な原因は、実体経済に対して(金融革新の需要に応じて)増大した通貨の量にある。通貨の行き場所がなくなってしまっているのです。
たとえばケイマンに座り込んだファンド由来の通貨は、どこにゆくところがあったろうか?と考えると、プロパティアセットは天井に頭をつかえていたのはリターンを見れば明らかなのも良いところであった。住居用のプロパティなどは1%を切るようなバカバカしいものまで大手をふって流通していたのであって、わしには正気の沙汰とは思えなかった。
商品市場は、(あたりまえだが)この余剰資金の容れ物としては小さすぎた。
ほんのちょっと金をつぎ込んでみただけで跳ね上がった原油の暴騰を見よ。
実体経済から見るとせいぜい1バレル60ドルいけば良いほうの原油価格が130ドルまでとびあがってしまう。
この三日続けて経済の話というオソロシイ退屈な話を続けたのでもうやめるが、あいだを端折って言うが、こーゆー経過のはてにたどりついた現在の経済の局面はわしにはたいへんに興味がある。
誰に頼まれたわけでもないのに「金本位制」に戻りつつある。
「食料が暴騰した」「鉄があがってーへんだ」「貴金属がバクハツだ」というが、少しでも数学の心得があるひとは、金を基準にとってインデクスを計算してみるとよい。
ほら、おもしろいでしょ?
なにもあがっていないのである。
「ドルを基軸通貨と定めた通貨の価値」が暴落しただけのことです。
えっ、じゃあ?と思ったあなたの考えはたいへん正しい。
モニといちゃいちゃもんもんする時間をやや削ってまで立ち働いていた「わしの仕事」とは、それを実行することだったのす。
市場の動きは1929年に較べると、核になるインデクスに眼を向けるとちょうど1929年に1週間で起きたことが25週間かけて起きている。現代人の英知をつくした「恐慌防止システム」も破滅の速度を25分の1に遅くできるに過ぎない、ということになるのでしょうか。
わしは、そんなことはない、と信じたいが。
現に申し合わせたように「見えない金本位制とでもいうべきものに世界は回帰しつつある。
人間の行動というものは、ものすごく面白い、といまさらながら考えます。
まるで意識の潜在下には「超伝達能力」とでもいうべきものがあるかのようである。
明示的に示されていないのに、まるで示し合わせたように人間は人間の社会を救う方向にいっせいに移動する。
わっしが人間の社会を観察していてカンドーするのは、こういうときなのす。
Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’ その2
September 15, 2008
ほんとうに地獄の大釜が開いてしまった。
それも中途半端な開き方ではなくて、大々的です。
前に書いた頃は、
http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080811/1218804934
それでも、もうちっと余裕があるかと思ったが、「余裕」というようなものは全然ないようで、
デリバティブからなにから市場にあるものは、今日の新聞でGlenn Schorが言っているように
“a one-way market where there are only sellers, and no buyers.”になってしまっている。
それでもアメリカ人は危機に直面して敏速に対応することには相変わらず長けていて、その対策の立て方の速さは驚異的である。
なんとか日曜日である今日のうちに一応のピリオドがあるところまでもっていきたいのでしょう。
そうすれば市場への影響が最小ですむ。
詳しいことは新聞やなんかにも続々出てくることでしょうから、わしなどが説明してもしょーがないが、この機敏さを見ていると、のんきなことをいうようですが、立ち直りもわしの予想より早そうである。
(もっともメディアはどんな感じで扱っとるのかなあ、と思ってThe Wall STREET JOUNAL___Crisis on Wall Street as Lehman Totters,Merrill Is Sold, AIG Seeks to Raise Cash、そんでもって、Financial Times___Wall Street banks fight for life と緊迫したヘッドラインを見てきて朝日新聞まで来たら、「武士の幽霊が事故を呼ぶ? 秋田のトンネル1年で19件?」(^^;)、さすがは身分の安定と高給取り記者で有名な新聞社であって余裕が違う、と言われている)
と、ゆーわけで、わしは目下、買い漏らしていた「惑星大戦争」(昨日DVDが着いたんでし)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F%E5%A4%A7%E6%88%A6%E4%BA%89
における凛凛しい沖雅也の活躍を横目で見ながら、冗談でなくて洪水のようにやってきたメールや電話の相手をしおわったところです。
こーゆーときに、頭を切り替えてこうやって日本語でものを書いたりするのは、実に精神的健康によい。わし自身は、ずっと準備してきた(シャチョーが珍しく感心しておった。ガメって、マジなこともあるのね、だって)ことなので、たいして影響がないが、仕事上の友人のことを考えると、まさか誇る気持ちにはなりようがない。
この年明け、年長の仕事上の友人に9月以降のわしに関係がある種類の市場の見通しを訊かれて生意気にも
‘Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’ (汝らここに入るものは一切の望みを棄つべし )
と答えたのを思い出します。
日本式に言うとわしの大学の「先輩」にあたるこのひとは苦笑いしていた。
こーゆーところが若い人間の嫌らしいところであって、自分で思い出しても恥ずかしい。
他人の利益に反して自分が立てた見通しが正しいと証明されることは決して気持ちの良いものではない。
日本のひとは東京が金融の中心から外れて久しいので、ぴんと来ないと思いますが、われわれはみな歴史的な事件に立ち会っているわけです。(中心から外れている、と言っても、もうあちこちのレスポンスが出来るニュース記事に、「ざまーみろ、結局は日本が正しいんじゃ。シティもバンカメもつぶれてしまえ」とか書き込んでいる頭がシアワセなひとたちが考えるほど、日本に影響がないわけではない。先週Financial Timesに署名記事が出ていたように日本の金融は三菱UFJを中心に比較的に健全(むかしから思っていることですが、どうして、こういう日本についてのポジティブな言及は日本の新聞は載せないのだろう?)ですが、もともと縮小しつつある内需に加えて外需も縮小すれば円高(理論的には1ドル60円の可能性すらある)の可能性増大とあわせて実体経済の苦闘は目に見えている。
悪い方に傾くと、日本もてーへんなのです。
「惑星大戦争」は話が佳境にはいって当時17歳の浅野ゆう子が恋人の死に頬を押さえているところだが、じっくり観ているわけにはいかむ。このあとたしかとーちゃん役の池部良が自爆することろだけど。
どおりゃ、コーヒーでも淹れて、じっくり資料を読んでみるべ。
9月になれば–Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’–
August 11, 2008
いっぺん書いてしまったので居直って自分の職業をばらしてしまうと、わっしの職業は「零細投資家」である。実はもうひとつ職業があるがこっちからの収入は「零細投資業」に較べると微々たるものなので、パートタイムみたいなものである。主たる収入がここから来るという点で、わっしは「投資家」なので、本来はどっかの国に行ったときの入国管理官にも、職業について「投資家」と申告するのが正しい。しかし、サンフランシスコで「職業は投資家ですねん」と申告したら「どんな投資家なのか?」 から始まって、中心地近くに投資するのと少し離れた人気のあるところに投資するのとどっちが正しい投資と思うか、周辺地のリターンをどう評価すればいいか、際限なく訊かれてうんざりしたので、それ以来公式の職業は「会社役員」になった。わっしは零細らしく他人から資本を募ったりしないが、投資そのものは会社が主体になって行うことが多いので、これはウソではない。考えるのもユーウツであるが、わっしは役職で言えば代表取締役であってシャチョーなんです。カッコワルイ。
トーシカ、と言ってもなにしろ零細なので、たとえばヨーロッパ某市のミーティングに呼ばれる。空港で 仕事上のお友達Qにあいます。
「やあ、元気かね?」 「へっ? ああ、元気っす」 と、わっし。
普段は同じ便で来ても顔を合わせることはない。
「きみは相変わらず他の乗客とパスポートコントロールのほうへ行くの?」とお友達。
「ういっーす」と、わっし。
お友達は「まったくきみも酔狂だの」というような意味のことをぶつぶつ言います。
でもって、違う方角へと歩いてゆく。
お友達は殆どみなチャーターしたプライベートジェットで来ているので、パスポートコントロールの場所が違うのです。その一角まではルフトハンザ差し回しのメルセデスで行く。レーサイなわっしは、だいたいビジネスクラスにしか乗らないのであって、せいぜい場合によってファーストクラスに乗ることがあるくらい。
はっきりいってモニのかーちゃんが娘を娘の不甲斐ないダンナ(わっしだすな)を憐れんでタダの切符をめぐんでくれたときくらいしか乗らん。
最近はプライベットジェットが安いので、特にヨーロッパでは、ほとんどのひとがプライベートジェットを使う。わっしはお友達のジェットに席がタダで空いているとき以外は、そんな恐れ多いものには乗りません。
もっとも、稀代の(といっても手口はアメリカ人のデッドコピーだったが)詐欺師堀江貴文が使っていたプライベットジェットよりもいまのプライベットジェットはずっと安くなってファーストクラスの一個上のクラス、という位置づけですが。
彼の人たちはヘリコプターで会合場所へ行く。
そっ、ヘリコプター。あの頭の上でぷるぷるローターが回ってるやつ。あれはイメージと違って、無茶苦茶速く目的地に着く。
わっしですか?
わっしはおもむろにレンタカーのカウンタへ向かって、コンパクトクラスの料金を訊きます。あまつさえ、いろいろに言って、そこからディスカウントを狙う。
平均的には2クラス上の走行距離100マイル以下のクルマを手に入れるくらいのスキルがあります。最近は、(はっきり自慢するが)とんでもない美人の奥さんと結婚したので(正確に言うととんでもない美人を奥さんにした、ですね。美人の奥さんと結婚したら人倫に悖る)
繁忙期などは、わっしは柱の陰に隠れておって、この嫁はんをカウンタに交渉に派遣する。当然、カウンタは若い男でなければならぬ。
これはなかなか良い手であって、コンパクトカーからラグジュリアスまで一瞬でアップグレイドされます。
わっしのかーちゃんはお金持ちでわっしは常々「うらやましー」と思っているが、モニのかーちゃんは、それに輪をかけて金持ちなので、娘のモニはビジネスクラスというようなビンボー人の乗るクラスには乗ったことがない。
しかし、わっしと結婚してしまった
http://moa2008.wordpress.com/1969/12/31/would-you-be-my-wifeplease/
のだから諦めてもらうしかない。
わっしはと言えば「質実ゴーケン」をモットーにするかーちゃんに、ついこのあいだまで、「若いのにエコノミークラス以外に乗ったら
成敗する」と言われておった。
かーちゃん自身はファーストクラスにしか乗らないのに。
ヌカミソの妻、というではないか。
わっしは臭いがダメで、あの漬け物が食べられないが。
どこの国でも似たようなものだが、オーストラリアなどは「バブル大崩壊2分前」です。
地獄の大釜の蓋があくのも秒読みである。
不動産アセットなどというものは、こーゆー状態になると沈むタイタニックの甲板のくさびにズボンがひっかかってしまたようなものであって、逃げられない。
ビルについておる値札は30億円でも、ほんとうにすぐ売ろうと思ったら10億もいかない値段でしか売れない。
わっしのような零細投資家はそもそも借金ということをしたことがないので、そうなってしまえばいくらでも成り行きで売ってしまうが、借金があるひとびとは10億で売ったらその瞬間に借金が返せないことが確定して口に拳銃をくわえなければいけなくなってしまう。
時不利兮 騅不逝
騅不逝兮 可奈何
になってしまう。
わっしは、この頃空港やなんかで投資家の友達に顔を合わせると、つらいっす。
雪崩を肩で支えるプレッシャーで、みな死人のような顔色です。
こちらに気がついて指をあげてする挨拶も元気がない。
わっしは相も変わらず、生まれてこの方ずっと、そうであったようにこの世界そのものと別リーグであって、みようによっては毎年優勝である。もちろん別の見方に立てば万年最下位だが。
大きな声では言えないが、気楽なものです(Touch wood!)
9月になると、地獄の大釜の蓋が開いて、 われわれはいよいよ地獄を周回するのだと言います。
Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’ (汝らここに入るものは一切の望みを棄つべし )
と言う。
そうならねばよい、と心から思いますが、わっしはしばらく(モニと一緒に)冬眠です。
ROE (株主資本利益率)
July 25, 2008
日本に滞在しているあいだじゅう、いろいろに考えて悩んだが結局日本への投資はやめてしまった。
(ずっとむかしからこのブログを読んでいる人は知っているがわっしはショボイ零細投資家である)プロパティ投資は、やや論外、というか、まず第一に人口が減っている国であるという大きなリスクが前提としてあるのに加えて不動産価値の考え方が根本から異なるので難しい。あと、これは些末なことだが投資目的でない自分が滞在するため家を買うときでも事務弁護士も立てないで行う日本の商習慣はコワイと思った。あれでどうしてトラブルが起きないのか謎である。そーゆーわけで日本での投資は早くから会社と株に興味が集中しておった。
こーゆーことを考えると、わっしの事務所からはドバと資料が送られてくる。
ドバと送られてはくるが、わっしのために仕事をしてくれるひとたちは幸い日本語がちょっとも読めないのでヘーキで書くと、わっしは、そのフェデックスでドバと送られてきた資料を枕にして実は会社四季報を読んでいる。
へ? カイシャシキホー、ですか。あの素人が読む、東洋経済の、あれ?
それじゃ、ドシロウトと同じでねーの。
そ。同じなんです。大きな声では言えないし、小さい声で言ってもまだ大きな声で笑われそうだが、わっしは会社について考えるときは、これしかやんねーの。
寝椅子にゴロゴロ転がってSly and The Family Stoneの「Family Affair」とか聴きながら数字をジーと見ているだけです。ゴロゴロ、ジィー。
あんまりジーと動かないので、ときどきモニがつつきに来ます。
指で、つんつんしにくる。
そーすると、わっしはくすぐったいので嫌がってやや体勢を変える。
モニはわっしが生きているのを確認すると満足してまた二階へあがってゆく。
わっしはコアラみたいなものであると思っておるらしい。
で、わっしは思ったのですが、日本の会社って、バランスシート見ながら会社やってるのかいな。いけいけどんどん型っすな。財務的に不思議な会社がおおいようです。
ゲームブログで具体例をいちいち引くのもアホなことかもしんないので、やめときますが、儲かっているときも儲からなくなってからも、一貫してROEがちょっと低すぎるようっす。原因はROIに端的にあらわれておる。
ゲームをやりながら片方の目でこのブログを読んでいるひとたちの便宜のために大胆に翻訳すると日本の会社は「稼いだ金を再投資するのがドヘタ」なのではなかろうか。
もひとつ。90年代のまんなかくらいから一端よくなってきたROEが再び低迷しているのはなぜなんでしょうか。
よー、わからん。
高いROEを支える財務というのは、センソーで言えば輜重補給です。
帝国日本陸軍はこれを軽視しておった。
「日本人は、伝統的に補給を軽視するんです」というひともおる。
そうかもしれません。
そうかもしれないが、じゃ、西洋のひとはみんな補給がちゃんとしておったかというと、そんなことはない。ユーメイなひとでいうとナポレオンは「補給なんてしるかよ」と何度も幕僚に悪態をついている。
で、戦争が弱かったかというと、それどころではない、無茶苦茶強かった。
背負えるだけの食料でインパールまで行ってこい、と言った牟田口中将の日本陸軍はイギリス人の二線級部隊(イギリスはそもそもアジアが近代戦の戦場になると思っていなかったので、開戦時もたとえばブリュースターバッファローを配備しとけ、という日本をなめきった態度で臨んでおった。指揮官からして「バニーちゃん」パーシバルで間に合わせようとしたんだから豪快ですな)にボロ負けというのもアホらしいようなボロ負けを喫しましたが、おんなじ考えなのにシンガポールではボロ勝ちした。
ナポレオンも牟田口銀輪部隊も共通しているのは「スピードの優位」です。
戦後の日本経済と同じっすな。
ずーとずーと遡ってみると、戦前は、日本とアメリカが逆である。
戦前の日本の会社は事業資金中の株主資本の比率が極端にでかかったこともあって、ROEが極めて高い。
経営者が「こんなに株主の目先の利益で圧力ばかりかけられては、長期の経営戦略が立てられなくて、たまったもんじゃない。どうか、日本の株主はアメリカの株主を見倣って長い目で経営をみてほしい」 なんて言っている。
いまと、というか1980年代のアメリカの経営者とまるで逆です。
(ご存知のとおりアメリカやイギリスの会社の最大の問題点は、株主の短期利益の圧力が強すぎて長期経営戦略が立てられず、以前は日本、いまは中国にボロ負けしておる)
そもそも役員の構成を見ても、社長は通常筆頭株主であって、他の役員も有力株主が名を連ねている。経営専門家はどこにいるかというと、だいたいにおいて「専務取締役」であって、しかもこのひとも急速に株を買い集めて大株主になることを専心に経営していたもののようです。(むかしの会社役員の報酬は途方もない額だったので、それが出来た)
それが、どこでいまのようになったかというと、戦時統制経済を境にしているように見えます。それから、もうひとつ、公職追放というダメ押しがある。
しかしナポレオンの言うとおり、経済が急速に成長する段階ではROEの数値が体現する財務のゆがみは、想像するにむしろプラスだったでしょう。
でもさ、いまは、そんなことしてちゃだめじゃん。
ROEが低く財務を歪んだままにしておくと、当然のことながら、長期にわたって支えてくれるいわゆる安定株主も少なくなるのは、あたりまえのコンコンチキであります。
だって、買いにくいし、持ち続けられないでしょ。
進軍ラッパを毎日吹き鳴らしていた時代が終わったのなら、そろそろ、真面目に輜重を考えたらどうでしょう。そしたら、わっしのような零細投資家も、もちっと日本市場にも参加しやすいんすけど。
