花の名前
April 25, 2012
スティーブ・ジョブスが死んだときに日本語メディアは「世界を変えた男」という言葉で紹介したものが多かったが、わしには少し違和感があった。
グーグルは世界を変えたがアップルコンピュータの製品が世界を変えたかどうかにはいろいろな意見がありそーな気がする。
わしが生まれて初めて手にしたコンピュータはアップルのSE30
http://en.wikipedia.org/wiki/Macintosh_SE/30
というコンピュータで、たしか7歳のときにかーちゃんのお古としてゆずってもらったのが初めだったと思う。
わしはこのSE30が好きでヒマさえあれば、ひっつくようにして遊んでいた。
9インチの白黒ディスプレーが組み込みになっている「トールボーイ」というスタイルが好きだったのかもしれないし、北半球と南半球の行き来はもちろん、短期間の旅行にももってゆける簡便さがよかったのかもしれない。
Puppy Love
http://www.d4.dion.ne.jp/~motohiko/topseshow1.htm
(リンク先のページは音が出るので注意してけろ)
という、その頃でも古かったゲームが好きだった記憶が残っているが、もしかするとこのゲームはSE30でなくて、古いゲームやってみたさに、クライストチャーチのチャーチコーナーにその頃はあった(1998年くらいに無くなったと思う)中古アップル屋で買ってもらった、マッキントッシュプラスで遊んでいたのかもしれない。
最も狂ったのは、SimCity
http://lh6.ggpht.com/_N9qFM1mwukM/S16df_p8KrI/AAAAAAAAACg/8Nb0eqYp-BA/s288/simcity_classic.PNG
で、このゲームをやっているあいだじゅう、他のことがなにもやれないので、やむをえず紙と鉛筆でベンキョーをして、えらく成績が上昇したのをおぼえている。
他の時間の大半を占めたのは言わずとしれたCompuServeで、特に自称はしないまでも、なああああーんとなくオトナのような顔をして、主に技術系のフォーラムを歩きまわった。初めの頃は何をゆっているのか、全然なんにもわかりひんな状態だったので、大学の購買部まで自転車をこいででかけて本を買ってベンキョーしたりした。
まことにませたガキで、しかし、このひとしれぬ背伸びのせいでサンスーがかなり向上したもののよーだった。
冬のキッチンのベンチとかで、トマトスープを飲みながらコンピュサーブのソフトを起動すると、ピー・ヒャアー・ピーというマヌケな音がして、ビーン・ビカアーン・ビカビカビカとゆってつながるコンピュータ通信というものは、わしにとっては「オトナの世界」への入り口で、わくわくする時間だった。
SE30は、相当ながいあいだ使っていた。
5年間くらいも使っていたかもしれません。
大きな理由はハイパーカードで自分でスクリプトを書いてスタックを作って遊ぶこのソフトウエアには、どうゆえばいいか、「しあわせな感じ」があったと思う。
使ってるあいだじゅう、なんとなく幸せで、自分で作った表計算ソフトは、お小遣いをたしていこうとすると枠だけが上へずれていって、数字から「脱げて」しまうというチョーへんてこな表計算ソフトだったが、それでもロータス1-2-3なんかよりも、ずっと大好きな「ガメ1-2-3」で、後年、オカネみたいに下品なものを、そんなに嫌がらずに普通に扱えるようになったのも、この自作ソフトのせいではないかと思う事があります。
そのあと、ガキながら贅沢にも、IIci+PowerBook、Power Macintoshというふうに買い換えて、というか、買い足していったが、System 6.03を最後にだんだんヘンテコになりつつあったアップルのオペレーティングシステムは、インターネットを使おうと思うとチョー不便だったSystem 7からOS8になると、もう爆裂なバカOSになって、頭に来たわしはもっていたApple 製品を全部ぶち捨てて、好きだったペプシコーラもコカコーラに宗旨替えしてしまった。
わしがSE30を使っていた頃、物理学者である大叔父はNextというコンピュータをもっていて、これは無茶苦茶かっこいいMathematicaマシーンで、どうやら大叔父は研究者用のインチキな価格でものすごく安く手に入れたらしかったが、いま考えれば、もともとはAppleコンピュータが好きだった大叔父も、スカリーのアップルに含むところがあったのかもしれません。
アップルというコンピュータのよさは、よく考えて製品が出来ていたことで、事務機や計算機であるより、たしかに「パーソナルコンピュータ」であるような気がした。
電気回路を設計して自分でものを作る人は判ると思うがキーボードにソフトウエア電源スイッチを付けて自分自身の電源をいれたり切ったりする、というのは、危なくて、少なくとも当時は、ハードウエアとしてはかなり滅茶苦茶な思想です。
しかし、多分、手元のキーボードから電源のオンオフがやりたくて仕方がなかったエンジニアは躊躇せずに仕様として採用した。
わしなどは、もうそれだけでも、アップルコンピュータを設計しているひとたちの「興奮」が伝わってきて、いいなあ、と思ってしまう。
もうひとつはデザインで、わしはいまでもあんまりウインドウズ系のコンピュータで何か書いたりする気はしないが、それは何から何まで、デザインがクソだからで、見ていて気分が悪くなる、というか、画面のデザインから色使いまで、どうやったらこんなにダメになるのだろうかと訝るくらいひどい。
とどめはフォントで、いっぱいあるのはわかるけど、Helveticaのようなフォントですら、なあーんとなく根性の悪い姿をしている。
アップルの持病の「囲い込み」、いまで言えば、絶対に壊れるように設計したとしか思えないクソデザインの「独自仕様」電源ケーブルやビデオの出力にかけたプロテクト、周辺機器やソフトウエアを独占しようとする姿勢や、同じ閉鎖性でも、一方ではiPhoneを強制的に行儀良くさせてアンドロイドの3分の1しか通信サーバに負荷をかけない方式への縛り、よいほうも悪いほうも、いかにもスティーブ・ジョブスの狭隘で陰険な性格まるだしで、あの強烈な、壊れかけた自己を抱えて荒れ野を彷徨っているような創業者が死んだあと、アップルは、どんなふうになっていくのかなあー、と思う。
Windowsマシンのほうは、わしは長い間、ケースさえなしで、木で組んだワゴン棚みたなものに適当にマザーボードやHDDをガムテープとかで貼っつけてコンピュータとして使っていた。
製品ぽい形をなしているのはふたつの30インチディスプレイだけで、ちゃんとコンピュータぽい顔をして机に座っているのは、あのぶち捨てたPowerMacのあと、キューブを買い直して、白いIMac 、いまは27インチのCorei7iMacです。
ノートブックコンピュータも東芝やVaioも持ってはいるが、使うのは殆どMacBookProかMacBookAirで、電話はアイポン、普段家のなかで手にもって歩いているのはiPad で、もっかはアップルだらけの生活になっている。
しかし、うるさいことを言えば世界を変えるのは、もう手元の端末の側ではなくてネットワークの側に移行してしまったのに決まっていて、フェースブックのようなイモなサービスがひと息ついた頃にあらわれそうな、現実世界から(ヘンな言葉だが)仮想世界のほうを見るのが終わって、仮想世界の都合で現実世界のルールが変わらざるをえなくなるサービスがあらわれるまで、すぐだという気がする。
仮想世界が仮想世界の進捗の都合に従って進展していけば、「世界を変える」力が現実世界の側にない以上、当然、仮想世界の都合で現実世界が変更されねばならないわけで、書籍や音楽の「著作権」のような問題は、きっと、これから続々と起きてくるに違いない仮想世界の側からの現実世界への「ルール変更の要求」の予兆というか、ごく小さな兆しであると思われる。
「著作権」などというビジネスモデルは、どうじたばたしてもなくなるに決まってると考える由縁です。
わしには、もうすぐ、現実世界が仮想世界の需要に従って整列しなおす、人間がいままでに見たことがない事態がやってくるようだ、と考える理由がある。
スティーブ・ジョブスは「世界を変えた男」であるより、世界を変える方法を模索して、自分達の魂の失われた欠片を求める努力のなかで、どんどん道に迷っていった、そして、道に迷うことを怖れることすらしなかった、「花の世代」と名前のついた世代の、最後のひとりだったと思う。
ネットワークという、いまはまだ幼稚だが、これから「リアリティ」という言葉の意味や現実の世界を動かしてきた法則そのものを根本から変えてゆくであろう「新しい太陽」が昇る前の暗黒時代に人間性の回復を夢見てはたせなかったひとびとの最後のひとりとしてひとびとが思い出す名前になってゆくだろうと思います。
友だち
March 3, 2012

付き合う友達は年を取れば変わってゆく。
それでは寂しいではないか、と思うが、現実の問題としてはどうもそういうものであるらしい。
わしは友達が「変わる」のではなくて、少しずつ増えてゆくだけだが、それはどうやら、わしがそもそもあんまり友達というものと会わないからであるよーだ。
考えてみれば当たり前で、人間は成長してゆくのだから、かつては波長が合った友達を追い越してしまうこともあるだろう。
逆に、友達のほうが人間的に成長して、自分を追い越してゆくこともあるに違いない。
子供のときからの友達、というのを考えてみると、このブログに名前が出てくる人で言えば従兄弟がそうであるし、デブP、というひどい名前で出てくる友達がそうである。
従兄弟とは、義理叔父によれば、まだ四つん這いになって這い回っている頃からふたりでオイチョカブを始めそうなくらい仲が良かったというし、デブP抜きでは、なつかしいバカガキ時代、忍び込んだ農場で豚においかけまわされたり、駝鳥に蹴り殺されそうになったあの黄金時代を思い出すことができない。
友達というものは、一面、迷惑をおしつけるために存在する。
わしは、そんなことはおぼえてなくて、デブPや従兄弟のでっちあげだと思うが、ふたりとも(多分しめしあわせて)、わしが20代前半まではいかに酷いやつだったか力説する。
3人で料理屋に行く、さんざん飲み食いして、帰るときになると、レジに誰もいない。
「すみませーん」
「ハロオオオー」としばらくゆって、誰も出てこないと、わしは「ラッキー」と呟いてレストランをあとにしたりしたという。
サービスも悪ければ食べ物もおいしくない店で、店主に「こんなんでカネをとるのは間違っておる。わしは払いたくないから払わない」とゆって、従兄弟を周章てさせたことがあるという。
どっちもおぼえてない。
作り話だと思います。
自分でゆっていれば世話はないが、わしはチョー短気である。
実際には、あんまり暴力をふるわないが、怒り出すと「絶対、殺される」と思うとみながいう。落雷みたいなもの、だそうだ。
表情が変わらないまま、ここに書けないような怒り方をするので「シロクマ」と言われたこともある。
そのうえにやくざみたいなものが嫌いなのでパブにやくざが居たりすると、そばにいると危なくてしようがない。
これもおぼえてないが、カネを貸してくれ、ということはないが、カネをくれ、ということはあったという。
なんで?というと、「カネがないからだよ」といったそーである。
何に使うのか?と聞くと、「友達というものは、そういうことを聞かないものだというぞ」とゆってえばっている。
もっていったカネがかえってきたことはないというが、これも、全部作り話だと思います。
わしは友達をつくりたいと願ったこともなければ、誰か特定の人間と友達になりたいと思ったこともないが、義理叔父の友達の話を聞いて、うらやましいと思ったことはあります。
義理叔父が夏をすごす軽井沢の家の窓際のカウチでうとうとしていると、もう絶交した友達が窓から覗いている。
こんなところで、何をやっているんだ、と訊くと、
いや近くまで来たから、センセイはどうしているだろうと思ってね、という。
義理叔父とこのひとは、義理叔父の仕事を通じての友達であって、聞いていると不思議な関係です。
義理叔父は「幕末」とか「維新」とか聞くと、それだけでげんなりするほうだが、このひとは「新撰組」が大好きで、「滅びの美学」なんという言葉を使ってしまうタイプのひとだった。
仕事ひとつとっても、義理叔父は日本の伝統的なやりかたが嫌いで、小回りが出来るタスクフォースをつくって、ミーティングも座ってやらないほどだったが、このひとは局長部長課長と並べて担当役員を座らせて伝統的な会議を積み重ねるのがよい、というやりかただった。
机の上に「既決」「未決」と書いた箱をおいて仕事をしたりするので、訪ねてきた義理叔父に「あんたは、いったい何時代のサラリーマンなんだ」と揶揄かわれていたりしたもののよーである。
それまでは仕事のつきあいと言っても、違う会社同士、情報を交換する程度のつきあいだったのが、あるとき一緒に仕事をするようになった。
アメリカの会社も提携しての話だったが、それが原因でこじれてしまった。
義理叔父が、いやそれはアメリカの会社の標準的な考えだから、と説明しようとしてもガンとして受け容れようとしない。
「ぼくは日本人だから」と言い出す。
「アメリカ人がどう考えたって、ぼくには関係がない」
「向こうさんに、日本のまともな会社っていうのは、そんなふうに考えないんだ、と説明してください」
そういうことから始まって、事業がようやく形をなしてうまく行って暫くしたある日、とうとう絶交することになったようでした。
義理叔父は、「あんな頑迷でものが理解できないやつは後にも先にもあいつだけだったよ」という。
そのうち、相手に義理叔父の悪口をふきこむ人間も出てきて、義理叔父は嫌気がさしてプロジェクトそのものから降りてしまった。
先方の常務取締役がやってきて取りなしに来たが、もうその頃には義理叔父はその事業を一緒にやる気が完全に失せていた。
これは、わしの想像だが、義理叔父のことだから、ほんとうはただ、自分のずいぶん遅く現れた「新しい友達」と何かやりたかったのであって、その友達と仲違いしてしまえば、事業をやる意味がないや、と思ったのかもしれません。
義理叔父が最後にもらったメールは、もう一回事業を一緒にやりなおせないか、というメールで、でも携帯電話の文字数制限で途中で切れていた。
電話して、そのことを告げると、
世の中には、間が悪い、ということがあるんだな、とつぶやいて、
わかりました、と言ってきれた。
そんなことから、7年もたっていたので急に家を訪ねてやってきた友達に驚いた。
ふたりで、一緒に散歩した。
いつもは眉根にしわを寄せて厳しい沈鬱な顔をしていることが多い友達が、奇妙に明るい顔で、機嫌がよい態度で、よほどいいことがあったのだな、と義理叔父は考えた。
軽井沢の駅のほうに歩いて行くと、義理叔父が見たことがない店がある。
なかにはいって、前にはずっとやめていたウイスキーを頼むと、
渋谷の、ほら、グランドファーザーズとか、一緒にいったことがあったよねえ、とむかしの話をして、こんなやさしげな顔をすることもあるのだな、という顔をして、むかしを懐かしんでいる。
このひとと、こんなに愉快な午後を過ごすのは何年ぶりのことだろう、と考えたそうです。
ここまで読んできて気が付いたひともいると思うが、義理叔父は、ここで目がさめた。
実は夢の後半は軽井沢にいるはずなのに、むかしふたりでよくでかけた赤坂のバーもでてきたりして、ずいぶん長い夢だったようです。
いままで、いいそこない、わだかまっていたことも、みな話していった。
お互いの気持ちがよく判ってよかった。
やっぱり、こいつは友達だったなあ、ああ、よかった、と嬉しかった。
怪談ならば、ここで電話がかかってきて、相手の友達が死んだ、というところだが、そこは現実なので、そうはいかない。
相手が喉頭ガンになって入院していたのは聞いていたが、治って退院したのも聞いていた。
次の週、業界紙の記者が、わざわざ軽井沢まで訪ねてきたそうである。
義理叔父と友達が一緒に行った事業について記事を書きたいと思って、という。
すぐには記事には出来なくても、私は記録には残しておくべきだと思うんです。
いやあ、あいつに訊いてくれよ。
ついでに、もういい加減おたがいに意地をはりあって絶交するのはやめて、ひさしぶりに酒でも飲もうと伝えて下さい。
夢のなかだけで和解しようなんて虫がよすぎるだろう。
相変わらず、ものに直面する勇気がないやつだ、と言ってやってください。
そのとき初めて、義理叔父はその友達が喉頭ガンを再発させて生死の境をさまよっているのを聞いたそうでした。
業界紙の記者が、「あのひとは、あんなひとだとは思っていなかったが、お話を伺いに行ったら、仕事で知っているひとを、ひとり残らず凄まじい言葉で表現して罵倒するんです。どいつもこいつも、おれを裏切った、とそりゃあもう、すごい言葉使いでした」
「Iさんのことまで、罵倒するので、わたしなどは驚いて顔をみつめてしまった」
Iさん、というのはそもそも義理叔父の友達を引き立てた常務の名前で、義理叔父も驚いたそうだった。
ところがね、あなたのことだけは、ひと言も悪口を言わなかった。
わたしが水をむけても、ああ、あいつか、というだけだった。
夢のなかで義理叔父を訪ねたころ、そのひとは意識が昏迷して、もう死ぬだろう、と言われているときだった。
だから、きっと、そのときに訪ねてきたんだね、と義理叔父は言う。
最後まで、バカな奴だった。
義理叔父は、もうそういう頃には、我慢しきれなくなって、大粒の涙を流していた。
ティッシュでおおげさにブオオオーと音をたてて洟をかんで、「あー、かっこわりい」とゆって笑っておる。
そのまま顔をそむけて窓の外の楓をずっと見ているので、わしも何も言わずに叔父の部屋から立ち去ったのでした。
映画な夜
November 17, 2011
いまちょうど遙々ロンドンからどんぶらこどんぶらこと航行しつつあるコンテナ船があって、このコンテナ船に乗っているフルコンテナのひとつは、わしの荷物です。
いったん日本からロンドンに送ったものを、また今度はニュージーランドに移送している。
モニさんに由来しためでたくも特殊な事情により、予定より長くオークランドにいることになったので、一部計画を変更することにした。
このコンテナのなかに、日本語の本やDVDも入っている。
最近はJB-Hifiやなんかにも、日本のアニメや小津や黒澤や、あるいは溝口までもドバッとあって、しかも価格も同じデジタルリマスター版ならデジタルリマスター版で日本の価格よりも安いので、本当は送らなくてすませられるのもたくさんあるが、船の移送は小さなコンテナか大きなコンテナの選択しかないので、めんどくさいから今回は日本語DVDをすべて送ってしまうことにした。
日本の文化に接近してよかったことのひとつに「むかしの映画」がある。
わしは、自分では小津がやはり好きです。
小津安二郎の映画が外国人に判りやすいのは、ひとつには、小津映画がほぼビリーワイルダーのコンテキストで出来ている、ということがある。
本質的にアメリカ映画なので、溝口健二の映画などに較べて判りやすい。
アメリカ映画の最良の部分のコンテキストのなかで、日本的な情緒をもって呼吸し会話し、悲しみ喜ぶひとびとを観ているのは、えもいわれぬ、という表現を用いたいくらいの快楽で、世の中にこんなオモロイ映画があっていーものだろーか、と外国人たちをうならせる。
絵柄としても、あのチョー有名な「ローアングル」からワイルダーの映画を撮っている。
真に天才だと思います。
小津映画に出てくる日本が当時の日本でなかったことは、多分、日本のひとが想像するよりもたくさんの外国人が知っている。
あの小津の「家庭」に出てくる和洋折衷の広いラウンジ、車両全体が個室になっている一等車にただひとり黙然と腰掛けている主婦の前のテーブルで揺れている一輪挿しの薔薇、というような情景が現実の、といって酷ければ、一般の日本人の生活でないことくらいは、知識がなくてもふつーの頭があれば想像がつくことでしょう。
小津安二郎の描いた「日本」はすべて作り物で現実には存在しなかったことは、本人がいちばんよく知っていたと思う。
しかし、ここで大事な事は、その「作り物の日本」が日本人である小津の頭から生まれたものであることで、太平洋戦争の後半をシンガポールで連合王国人たちが残していった倉庫のイギリスとアメリカの映画に耽溺することで過ごした小津は、当時のハリウッド映画のコンテキストとそこに描かれた生活を借りて、あるいは紅茶茶碗を緑茶の茶碗に、ホットドッグを(当時はまだ珍しかった)ラーメンに、歯をみせて笑う微笑みを僅かにゆるむ頬の筋肉に、ていねいにひとつづつ置き換えることで、長い中国戦線暮らしで目撃した、どうしても好きになれなかった現実の日本社会の向こう側に「こうでなければならなかった」はずの日本を描いてみせた。
安定した興行成績を誇る一方で映画評論家には「いつも同じ」「なまぬるい日本でだけ通用するマンネリ映画」と罵倒されながら、一向に倦むことなく「小津映画」を作り続けたのは、自分が描いている日本など、現実と架空の区別もつかない「進歩的」な映画評論家たちの言とは異なって、どこにもなく、自分が描くのをやめれば、たちまち砂上の美しい楼閣のように消えてなくなるのを知っていたからだと思われる。
わしは、もう何十回観たか判らない「東京物語」を別にすれば、因果にも駄作中の駄作とされる「お茶漬けの味」とやはり駄作と目される(「浮草物語」の自分自身によるリメイク)「浮草」(大映版)が大好きだが、「お茶漬けの味」は特に、「架空な日本」を通して「真実の日本」が胸に迫る体の、なんともゆわれない冷たさと暖かさが混淆した映画であって、最後にお茶漬けの作り方もよく判らない、料理など自分でやったこともない我が儘な主婦と夜中に南米への飛行機が飛ばなくなって羽田から戻ってきた亭主との、長年連れ添った夫婦のやりとりを装った、まるで昨日出会った恋人同士であるかのような情熱に満ちた会話は、実はそのまま40年代のハリウッド映画のものである。
しかし、それが日本という場所に置き換えられることによって、どれほど素晴らしい場面になったことだろう。
「麦秋」も「早春」も「秋日和」も、「秋刀魚の味」も、呆れかえるモニを尻目に、よく夜中まで見続けて過ごしたものだった。
あの傍若無人な楽しみがまたやれるのだと思うと、
いまごろは赤道祭をやりながら、どんぶらこどんぶらことニュージーランドに躙(にじ)り寄りつつあるコンテナ船の到着が、指折り数えて待ち遠しいような気もするのです。
2
「Criminal Minds」を第1シリーズから第7シリーズまでぶち通しで観たのが病みつきになって、「The Closer」果ては「CSI」とそのスピンオフまで、アメリカ人の生活上の「ナイトミア」につけこむような恐怖を描いた犯罪テレビシリーズのDVDを買ってきて、エピソードを何ダースも一気に観る、というのがすっかりモニとわしの習慣になってしまった。いまは観るものがなくなってきたので到頭「CSI:Miami」を観ているところです。
むかし、たとえばマンハッタンのテレビで観ていた頃はモニとふたりでDavid Caruso演じる主人公がいちいち「闇…だが、それはある者達にとってはやさしいものだ」なんちゃうのが、ディアブロの主人公みてーなどとゆって失礼にも笑い転げていたりしたものだったが、あらためて第1話から怒濤のように観てゆくと、
Speedの死のエピソード「Lost Son」
http://www.youtube.com/watch?v=t7Rcx4eX7Vw&feature=related
などは涙なくして観られない。
このエピソードの遙か前に伏線があって、この英語人好みの性格をもったCSIは銃の手入れを怠る癖がある。
それが死を招いてしまう。
せっかくスピードルの人となりに馴染みだしたところなのに、撮影が忙しいからって、やめることなかったのに、とつい現実の事情を思い浮かべてしまうが、しかし、悲しいものは悲しい。
テレビというものはなかなか環境が大事であって、まず座り心地というか横たわり心地のよいカウチがなければならない。
モニとわしは縮尺的に日本の人よりもやや大きいので、日本で売っているカウチはダメであった。
輸入家具、いっぱいあるよ?というきみの声が聞こえてきそうだが、でも、あれ日本用にサイズを変えてありますのや。
小さい。
サイズが十分にあって横になってモニさんの膝に頭をのっけって観られるサイズの居心地のよいカウチを揃えたら次はスクリーンで、これは大画面でなければならないと五箇条のご誓文にも書いてある。
日本滞在中は広尾山の家と軽井沢の「旧・山の家」にはテレビを置いていなかったので、
リモコンでうぃーんうぃーんと降りてくる150インチスクリーンとプロジェクタを使っていた。スクリーンは20万円もしなかったと思います。
それにホームシアターセットをつないで観ると、銃撃戦になると思わず身を伏せるくらいの臨場感がある。
茂みに潜んだバンパイヤ・スレイヤーのバフィさんが友達に囁くと、まるでカウチの横でモニとわしに囁いているように聞こえます。
そんなオーバーな、というだろーが、ほんとでんねん。
ドルビー社が儲かったわけである。
オークランドではサムソンのフルHD50インチと(サラウンド・ホームシアターシステムでない)音楽用のステレオセットをつないだものを使っている。
「テレビラウンジ」にはプラズマが、「わしのオタク部屋」には同じ大きさの液晶があるが、ポーズに決めてモニといちゃいちゃしていると、そのあいだに残像が焼き付いてなかなかとれないことを除けば、映画やなんかを観るにはプラズマのほうが具合がよいようだ。
「テレビラウンジ」のほうでいうと、HDMI端子にPS3、Apple_TV、MacMini、SKY_TVがつながっている。XBOX360もRCAでつながっているが、ゲーム部屋のXBOX360と違って、これはあんまり使っておらなくてもったいない。
Apple_TVとMacMiniは、すげー便利です。
Apple_TVのオンラインストリーミングのレンタルは余り使わないが、ホームシェアリングで家中のAppleに散在している映画やテレビ番組を取りだして観るのに適している。
フルHDは昔のコンピュータ人の「テレビをディスプレイに使う」という夢がついにかなって、コンピュータのディスプレイとして使える解像度になった。
わしがツイッタとかで、「二本晴夫のやり方に錨が爆発」したりして轟沈しているのは、遙か彼方からワイヤレスキーボードでツイッタしているときが殆どである。
眼がわるいほうじゃないんだけど。
ちゃんと見えてひん。
そうやって設えた居間で、カウチでごろごろしながらモニとふたりで犯罪ドラマを観て手を握りしめ合って「どひゃあああ、こわいよおお」をしたり、去りゆく青春の少年のひと夏の物語にしくしく泣いたりするのは、なかなか楽しいものである。
カンドーしながら、手をのばして届くところにTim Tamのラズベリー味、とかがなければならないのは言うまでもない。
3
しかしながら家で映画を観る、というのはもちろん邪道なので、月に二回は映画館に行かないというわけにはいかない。
むかしは、南半球にいるときには、わざわざメルボルンまで出かけて映画を観ていたのは何故かというと、ニュージーランドにはふつーの椅子で映画を観る映画館しかないのに、メルボルンには、小さいテーブルにシャンパンをのっけて、オリーブを食べながら、レイジーボーイ
http://www.reclinerwarehouse.net.au/
式に、のんびり映画を観られる「ラプレミエ」があったからで、いまはオークランドの映画館にもある。
ふつーの映画料金よりちょっと高いが、メニューから選べる食べ物もあればワインもシャンパンもあります。
第一、モニとわしは平日のいちばん人気がなさそーな時間帯にでかけるので、誰もおれひんし。
だあーれもいない映画館で、でっかいカウチに埋もれてシャンパンを飲みながら「世界最大映画スクリーン」に映る、俳優や女優のCG修正が歴然として肌を眺めたりするのは、なかなか楽しい午後の…いや、そういう皮肉な態度というのはよろしくないので、言い直すと、大きなスクリーンとクリアな音響のなかで観る映画は、やっぱり映画は映画館だよねー、という気にさせられる。
「映画を観に行く」というのは、いまの時代でも、なんとなく浮き浮きした午後の過ごし方で、わしは映画を観て、帰りにモニとふたりで夕飯を食べて帰る「デートだぜ」な夕暮れ時がいまでも大好きである。
おもしろかったねー、とふたりで話しながら、駐車場に歩いて、なにがなしタメイキをついたりしながらレストランへとクルマを走らせる夜は、やはり楽しい。
日本でも鎌倉の家に泊まったときに、クルマで茅ヶ崎にある映画館にでかけたことがあった。
帰りに夜中の国道から脇へそれて、松林のある海岸を散歩したのをおぼえておる。
あの夜は、ふたりで、珍しく満天を飾っている星をみあげながら腕を組んで砂浜を歩いて楽しかったが、思い出してみると、あれも「映画デート」の影響で、楽しかったのだと思われる。
そーゆえば、むかしアメリカ軍将校のおねーさまと横須賀基地の映画館でデートしたことがあったな、と一瞬思い出したり、いやいやそんなこと思い出したらモニに悪いやん、と思って狼狽したり、映画の夜はいろいろで、しかも密接に人間の魂にからみついているような気がするのでした。
返信十番勝負
September 22, 2011

毎日、ゲームをやったり、浜辺を走り回ったり(犬さんみたいでんな)、カウチでごろごろして本ばかり読み耽ったりしているあいだに、コメントのご返信がたまってしまった。
返信を書くのを義務と感じているわけではないし、掲載しないコメントも多いので、コメントが載っているということは要するに自分が返信したいから載っているわけですが、しかしニュージーランドの家にいると、どうも怠け癖がついてしまう。
とゆーか、居心地がいいので遊んでばかりいて、それに時間をとられてものを考えたりしなくなってしまうよーだ。
顔(wiredgallileo)ガリレオさま、(「愉快な友達」)
>日本の愚かさが現在の原発をめぐる状況を起こしたのは全くそのとおり。ただ、前から書いてきたように、今回の事故は、これまで世界全体で隠蔽されてきた原発の問題点が表に出たもので、これまでも原発は、ウラン採掘場やセラフィールドやラアーグの再処理工場等も含め、周辺住民や労働者に被害を与えながら、それらは無いことにされてきた。
わしの実感でいうと、「隠蔽されてきた」というよりも、大学の自主講座やなんかで知っていたことなのに、なんとなく「忘れてた」というほうが近い。
いま盛んに日本でもいわれている放射能性物質の「リーク」とか、もんじゅの構造上の欠陥とかはもとから、知っていたわけで、相当知的に怠慢な学生でも、そのくらいの知識はあったと思います。
冷戦構造というものが存在して、核が「絶対暴力」の魔王として知識人や芸術家の上に君臨し、「おれがあばれりゃ、お前らの知性なんてゴミよ」をやっていた頃には、たとえば欧州でも知識人たちは、ずっと緊張して核と対峙していた。
それにつられて、というのはヘンだが、情緒的には、つられて、でもよさそうな気がする、原子力発電への目も厳しかったわけで、それが冷戦後国内国外ともに苛烈さをましてきた経済競争のなかで、なんとなく、いいことになってしまった。
わしなども、なかなか安い遊びとして重宝していたフランスをクルマで旅行したりするときには、風景が美しい地方に行けば決まって湯気をたてている巨大徳利みたいなヘンなあの建造物を遠望しながら、そうゆえばあの技術はあぶねーんだよな、とちらと考えて終わりでした。
だいたい意識のなかでは、技術としてのダサさ、古さ、エネルギーとしての原油よりも短命なアホっぷり、というような点から、早晩なくなるだろう、と漠然と考えていて、まさか、そこに土木族顔負けのおっさんたちがしがみついているとは、(漠然と知ってはいても)考える事ができなかった。
だからフクシマダイイチのニュースは、「しまった。ぬかってしまった」であったと思います。
>中国インド中東等、原発は引き続き世界全体に拡散しているわけだけど、福島が起こっても原発が止まらないなら、たぶん人間はもうダメだろう。
わしは、フクシマダイイチ以降、友人達と話して、西欧世界においては、フランスも含めて、早晩、とゆっても30年くらいの単位の時間でですが、原子力発電は退場して石炭に道を譲るだろう、と思っています。目下は血迷って風力を推進しているが、あれも「風力族」(日本にもいるそうで、一基一億「抜ける」と堂々と公開の席で言い放っているおっさんがいました)がいるので、なかなかやめられないようですが、ダメなものはダメなので、風力をあの勢いで消費すると環境破壊が顕在化するのは明らかなので、原子力と風力が一緒に退場して、クリーンな形で使える石炭エネルギーに切り替わってゆくと思います。
コンピュータ制御でON/OFFする技術そのものはすでにIT技術がちゃんとしている国には存在するので、ボイラーのようにマヌケな銭湯屋のように一日24時間沸かしっぱなしの原始的な発電に較べると燃料効率も格段によい発電になるはずです。
目下の日本政府の問題と見えるものは、自分で見える範囲で書くと、日本の教育制度が妙にくっきりと「文系」「理系」に分れていて、文系人には、知識はいうに及ばず、 まるで科学への勘がなく、どこか頂上からは遠くにいるらしい理系人があれこれ言うなかの都合がよい部分だけをとりだして、耳にいれる官僚の言葉を鵜呑みにするしかない人間たちが
原子力事故の指揮をとっていることにあるように見える。
ご存じと思いますが、日本の行政府では信じがたいことに未だに同じ1種公務員でも理系出身者は「技官」扱いであることが多く、理系の知識があることは事実上ハンディキャップになっている。
まるで儒教世界のようなもので、繁文縟礼に長けた「文系」人が取り仕切っているのが、いまの日本の行政府です。
どうも、そこに、あの不思議な対応の原因があるよーだ。
>全体的にいえば東日本はチェルノのときのヨーロッパ的な汚染で、ときどきホットスポットがまずいという感じ
主観的に「おもってない」というだけのことですが、わしは、そう思ってない(^^)
チェルノブイリは事故のありかたがフクシマダイイチとはまるで違って、前者は爆発を伴って、噴き上げられた放射性物質が広範囲に飛散して比較的高濃度の放射性物質をばらまいて短期間に収束したが、後者は、爆発は小規模な通常爆発であったものの、チェルノブイリに較べれば大量と推測される放射性物質が海と地下とへ出ていった。
しかも政府が長期間「封じ込め対策」をとらないまま、いまに至っているので、放射性物質が次第に拡散して環境化しつつある、と思います。
この謂わば「薄い広汎に環境化した放射性物質」というようなもののなかで人間は生活してみたことがないので、この先どうなるか、全然わからない。
いいもわるいも判るわけはなくて、その点でチェルノブルは参考にならないと思います。
>原発をやめたら経済はどうなる、とか言ってる人
その手の議論は英語世界でもむかし出つくした感がありますが、要するに科学音痴のひとびとが、いまきみの机を照らしてる電気スタンドは、このコンセント(っちゅうんだっけ、日本語では?)をひっこぬくと、消えるんだぞ、と怒鳴りまくっているだけのことで、アホらしい、っちゅうか、時間的な整合性をちゃんともたせてやめればいいだけのことで、そういう意味においては原発をやめても経済なんかどーもなんねーよ、というのが答えだとしかいいようがない。
そういう人達は石炭エネルギーというと彼らが小学生の頃は日本の小学校の教室に必ず有ったはずの達磨ストーブでボイラーを運転するところを思い浮かべていそうなので、あんまり話をする気にもなりません。
顔(wiredgallileo)ガリレオさま、(「幽霊だぴょん」)
>シュタイナーは、人間は4つのレベルからなると言っている。
シュタイナーというひとは、わしには、どうも仮説の建て方がへたくそであるように思えます。
装飾的で、本質の解明にいかにも役に立たなさそうな仮説の建て方をする。
わしは、またスウェーデンボルグについて2つ目のブログ記事を書こうと思っていますが、彼のほうにずっと興味がある。
「宇宙と霊界はすべからく人間の形をしている」というのは、一見ほどバカバカしくはなくて意外と説得力のある仮説だと思います。
彼の意見によれば、霊界が現実で、われわれが現実と思っているほうはいわば出張所に過ぎない。
人間が人間の形をしているのは、人間のほうで宇宙の形を借りているからで、脳という器官は霊界でわれわれがもっている機能をこの現実世界で代償的に機能させるための機械だという。
ねっ? これだと、仮に彼の仮説が正しければ、(多分ウソだが)幽霊が口を利く原理も説明できるわけです。
>死後も自分の意識を統一できるだけのエネルギーはなく、「意識の海」に溶けてしまうけど、強い「残念」があると、ある程度現世に影響できるんではと。
というわけでスウェーデンボルグに依れば、「残念」も霊界側から来ているわけなので、幽霊がだいたい向こう側に帰る傾向にあるのも、そうやって説明している。
どひゃあー、おもろい、と考えました。
じゅん爺(「魂」)
>ようやく判ったのは、「魂」という姿をしているものは、言葉の正しい意味での「批評」というもので、事のなりゆきは意外でも、たとえば衝動的に行われたことに対して、「伝統」や「歴史」が批評的判断をくだすと、それが「魂」になってゆくのであった。< 60歳になってやっとそう思うようになった爺に比べりゃ、ガメはアタマ良いわい。
じゅん爺にほめてもらうと、心底、嬉しいっす。
じゅん爺(「友達を捨てる50の方法」}
>女はツマ一人だけ。ホモダチ(笑)も一人だけ。そいつも10年前に死んでしまった。変わりばえのせぬ毎日だが、歳をとるってことは、マァこんなものかと思う
この文章はいいなあ、じゅん爺に墨でかいてもらって額にいれて毎朝おがみたいくらいいい。カッコイイゾ! ジジイ! あっ….
妖怪目玉どの (「ガメオベールからの手紙_1」)
>綺麗なお姉さんですなぁ。
そのうち(ブログにでてくるうちの)誰か教えます。
>
>ぼくは日本は、やはり「洋化」など考えるべきではなかった、と思う。
と言われても、既に洋式の生活が一般化してから日本に生まれ、
それも日本の中で最も日本らしさの少ない生活様式な
北の果てに育った私は困ってしまいます。
和服にあわてて着替える必要はないのです(^^)
トイレも洋式でダイジョーブだ。
しかし、わしは戦後の「アメリカ化」は、日本にとって有害だったと思う。
たとえば1940年代の社会保障政策や1960年代の教育改革は、日本という国のアイデンティティになっている「何か」にあまりにそぐわなかったので日本というものを破壊してしまった。具体的には華士農工商とあった、「華」「士」を文化的に徹底的に破壊してしまったので、日本の文化はいわば路頭に迷うことになったと思います。
むかし土百姓まるだしの卑しさを剥き出しにして「武士の情け」という漫画的な人物にネット上で有ったことがありましたが、ああいう日本人の出現には、無理な西洋化とそれに伴う日本のアイデンティティの破壊とが関係があると思います。
もっとも、そこはよくしたものとも言えて、流行ものをつくるのが商売のひとは
「ヨーモノはダメなのよ、ガメちゃん」と、よく口にしていた。
定着しないのだそーで、なーんとなく西洋風な日本物がもっともよい、のだそーだ。
ヘンな例をもちだすと、ド演歌としかわしには聞こえない浜崎あゆみ、という人の歌がそーです。
西洋を舞台にしたド日本物語も、よく読まれている。
いま上に挙げた例は、細部にしか過ぎなくて「西洋化をやめる」という言葉で、わしが考えているのは、もう少し違うことのよーですが、それはここでは無理なので、記事にすると思います。
妖怪目玉どの(「友達を捨てる50の方法」)
>写真はオーロラのように見えますが夕焼け雲ですかね。 左下の建造物の端っこに小さい十字架がくっついているのは、 これ、教会ですか?
マンハッタンの教会です。
>付かず離れずの距離が重要だと思うのです。 近くても遠くてもまずい。 どんな人間関係であってもね。
ところが、わしはどの友達とも至近距離でつきあっていて、ご想像どおりのバカな関係ですが、特にそれでどーとも思わないので、距離の近い友達といるためには鈍感でないとダメなのでしょうね。
モニに至っては、いつも一緒で、お互いに、よーもまあ、こう24時間のべつまくなしに一緒にいられるもんだべ、と思う。
わしは日本のひとは友達関係、夫婦、ともに随分距離が遠くて冷たい関係なんだなああー、と思ったものでしたが、これも文化のうちなのでしょう。
>べたべたつるんでも、どうせその徒党の中で序列や派閥作って お互い足を引っ張り合うんですから。
徒党、で思い出したが、日本でも同じでしょうが、友達はそれぞれ独立した1対1の関係で出来ていて、それが「徒党」に発展することはないよーです。
だから「序列」「派閥」は、ちょっとわからん。
妖怪目玉どの(「過剰な光量の午後」)
>めんちかつとは、 ハンバーグをフライにしたものですな。
し、知らなかった。
>で、お味は如何に?
わしは天才シェフでごんす。
もちろん、おいしかった。
コマツナさま(「コマツナさんのコメントを読んで考えたこと」)
>疑い深い私は、もしかしたら義理叔父さまが ガメさんに乗り移ってあれこれを代筆したのか
ずっと前にも、ブログに書いたが義理叔父が書いた記事が過去ブログのなかに3つ、だったかな、ありますが、
わしに較べると数段日本語が下手ですのい(^^)
>たとえばジュリーやショーケンなら、 そのころ生まれていなかった今の若い人でも、 ぜんぜんきいたことない、ということはなくて、 知っていると思います、
へえー。(若い)中国の人とか韓国の人とかは、そーゆーことが羨ましくて仕方がないそーだが、ほんとなんだな。
>タイガース「花の首飾り」「銀河のロマンス」、 遠足のバスのなかで、みんなでうたった!
「花の首飾り」は、知ってる。
変わった曲ですのい。
コマツナさま(「ガメ・オベールからの手紙_1」)
>「白い人・黄色い人」「留学」 そして「沈黙」を思い出しました。
わしは3つの小説のうち「沈黙」だけ手にとって読もうとしたことがあるが「感じ」がつかめなかった。書いているひとの感情が判らなかった。
苦い記憶がある本です。
>彼は自分のフランス留学経験から、ヨーロッパと日本の 間にある大きな断絶と、暗い留学生活を描いていました。
本を読んでいくと、あの世代くらいの人までが、そういうことと真剣に向き合って、クソ悩みに悩めた、日本人としての固いアイデンティティをもっていた最後かもしれません。
そのあとのひとは、ちょっといまの中国からの留学生と似ていて、「自分の国と違う」
「自分を欧州人として認めてくれない」とゆっているだけで、異質、というか、はっきりいってケーハクである感じがします。
>長崎から少し離れた土地にある彼の文学館で、 「沈黙」の原稿を見ました。 小説の中で私が打たれた箇所を見てみると、 その箇所の原稿は、他の箇所と違って、一文字の 修正もありませんでした。
すごい。
じゅらさん(「コマツナさんのコメントを読んで考えたこと」)
>ちょうどこの間、英語じゃないけど英語が相当通じる世界の人から、そんな話を聞いたばかりです。
日本にいるひとびとでしょーか?
日本にいるガイジンどもは寄ると触ると、よく、その話するんですのい(^^)
>なので下手すると、「俺は古い物にまでこんなに詳しいんだぜ凄いだろ偉いだろ」合戦になったりして。
そーそー。似ているけれど、まるで違うことなんです。おおあたり。
>私の母親は、家事のついでに必ずNHK第2ラジオをつける人で、日曜などはラジオ体操の時間からずっと流れっぱなしでした
わしが義理叔父は「アザブタイソー」とかいう、ぜーんぜん訳が判らない、肉体的合理性に著しくかけた、かっくんかっくんした「ジョーダンでやってんのか?」みたいなヘンな体操を、一部トーダイオヤジ同士でやっておる(^^)
好きみたい。
>マルキシズム全盛で、自分も友達もそういう経済学の勉強にどっぷり浸かっていたんだけど、それと同時に、卒業したら即大企業に就職して出世することを目指していて、誰もそれに疑問を持っていなかったと。そこまで綺麗にきっぱり割り切れてて、明らかな矛盾に疑問も持たないのって、ちょっとすごすぎて私には理解不能でした。
そーそーそーそー。
それを情緒的にしかも愛惜までこめて理解できたところに、いまの日本社会の成り立ちのおおきな秘密を解くヒントがありそーなんです。
わしは、ひでーじゃん、そんなん倫理はどこにあんねん、とゆったら、みな「ガメにはわからん」とゆって目を潤ませて懐かしんでんだよ。
なんなんだ、あれは。
>最近18禁でも何でもない少年~青年向けのマンガ雑誌を見て、端々で目をむいたり絶望したり打ちひしがれた話も書こうか
今度、書いてけろ。
わしも、あれ、日本にいるあいだじゅう、胸がむかついたわい。
ヘンタイやんね、国ごと。
古茶kochasaengさま(「酔っ払い」)
>北半球の四季のある国では、そろそろ夏も終わりで、北の街ではもう悲しみを暖炉で燃やし始め(© 岡本おさみ)ちゃったりする頃ですね
そーゆー、たった一行で、いっぱい調べ物をしなくてはいけなくなるよーな書き出しをしてはいけません。全部、しらべちったやん。
>6月ころからの雨期も、いよいよ大詰めで、このところスコールがデタラメに降るのね。さいしょのうちは夜だけ、こっそり降ってたのに、こうして遠慮がなくなってくると、そろそろ雨期も終盤戦
わしは、雨期にタイランド何回か行ったけど、雨ふらないんだよねええー。
「タイランドの雨期って、たいしたことないのね」というと、タイ人のみなさんはゲラゲラ笑って、「運がいいだけだよ」という。
いっぺん、どひゃっ、な雨にあってみたい気もします。
>日本からの輸入トヨタで、暖房装置が付いてるんです
おかしー。でもクルマって、あれ「暖房装置」なのか?
考えてみたことなかった。エンジンの暖気ちゃうの?
>暑期みたいに40℃超えると、飲んでるときはいいけど、そのあとがつらくて、飲みっぱなしになるでしょ。
オーストラリアでは40℃越えると白ワインに牡蠣(^^;)
すげー、ヘンでせう。
でも、きゅっきゅっきゅ、と冷えた白ワインで牡蠣はうめーだよ。
あー、夏、たのしみ。
>ジンのソーダ割
わしみてえ。
>ビーフイーターかゴードンのジンがあれば、いい。
タンカレーもうめーよ。
>常夏の国では、かなしみも思い出も暖炉で燃やす必要がないんです。灼熱とスコールで、何でも朽ち果てていくからね。ズブロッカなんかも必要ないんだ。
古茶の口から出ると感傷でなくて実感だからな。
じゅん爺と古茶には、やはりかなわぬ、と思います。
古茶kochasaengさま(「過剰な光量の午後」)
>高木仁三郎というひとと知り合いで、かわいそうに高木さんは月にいち度くらいの按配で、おれとお話するハメになってて、おれは高木さんの貴重な時間を無駄にしてたわけです。
高木仁三郎って、武谷三男みたいなひとだよね、っちゅうよーなチョーずさんな理解しかできない人間に向かって話をすることになって申し訳なし。
フクシマゲンパツが危ないとゆっていた人、という程度の知識はあります。
>おれみたいな若造(当時)にも、きちんと、さん付けで呼ぶひとでした。
ちゃんとしたひとは、話し方の背筋がピンとしてるんだよね。いいよね、そーゆーの。
>馬鹿には馬鹿なりのユーウツとかケンタイみたいな、なんていうかアレだよ。うまく言えないし漢字も書けないけど、うまく言えないのは馬鹿だからで、ようするに馬鹿も大変なのよ
そんなにわしの気持ちをピタリいいあてられたら、古茶、バカちゃうやん。
日本風の謙遜か、それ?
>それを伝えたら、「え~……」って、落胆ぎみに言われちゃった。そんなのやめたら、とか、ばかだなー、なんて言わないひとだから、「え~……」で終わりだけど、なんか考えたあとに、「それじゃ、がんばって」って。
じゅん爺もそうだが、古茶の話には「男のひとがいる風景」がよく出てきてカッコイイ。
そーゆーことを古茶みたいなひとが語り伝えてくれるんだから、またブログきまぐれで化閉鎖してコメントをぶっとばして、どっかいってしまう、とゆーよーなことをしないように心してブログやります(ほんとよ)
(いま見たら高木仁三郎というひとは2000年に亡くなっておる。残念ですのい)
友達を捨てる50の方法
September 10, 2011
ラグビーのワールドカップなので、あの見るからにくさそー(実際にやると、ほんとに臭いです)なスポーツが好きな妹がニュージーランドに来ておる。
ワールドカップ期間中は宿泊代が3倍だというので、ひっひっひ、ざまーみろ、正義とおにーさまは勝つ、とほくそ笑んでいたら、わしのパーネルの家(いまの家のひとつ前に住んでいた家です)に滞在してしまいました。
鍵を変えておけばよかった。
ぬかみそのようにぬかってしまったではないか。
あの「糠よろこび」という叔父の好きなインスタントぬか漬けは、いまでも売っているのかしら。
ラミュエラのモニとわしの家からクルマで5分という立地に陣取って、わしが大事にしているクルマを勝手に運転してギアを入れ間違えて「ギュワン」とゆわしたりしながら、ラグビーを観に行くあいまにわしの家にくる。
(正式試合は昨日からだが、エクスヒビション試合とかは、前からやっておる)
多分、偉大なおにーさま(わしのことね)にコンプレックスがあるせいだと思いますが、テーブルの向こうに座っては、わしの悪口をゆって、きゃっきゃっと喜んでおる。
今度結婚して妹の足に踏みつけにされたまま一生をだいなしにしようとしている気の毒な「婚約者」のにーちゃんが、横でばつのわるそーな青い顔をして、かたまっています。
凍れる微笑、であるな。
気の毒に。
「おにーちゃんの友達ってさ、むかしから、全然、顔ぶれが変わらないじゃない?
おにーちゃんの人間としての進歩のなさの日常的な表現よね」
と、妹がゆーのであった。
わしは、マンダリン・オレンジ、すなわち、みかんの皮をむきながら、眉をひくひくさせるが、しかし、妹の主張自体は正しいのであって、友達というのは本来、成長するにつれて変わってゆくべきものです。
自分の精神が成長するにつれて、かつてはあれほどお互いに理解しあって共生の感覚を分かち合っていた友達と話があわなくなってゆく。
ふいに相手が退屈な人間になったように思われ、どうしてこのひとはいつまでも同じようなことばかり繰り返すようになったのだろう、と考える。
ふつうの友人関係というものは、そーゆー展開になるべきものだが、わしの友達は甚だしきに至っては3歳くらいのときから付き合っているのまでいる。
動かぬ証拠じゃねえか、シンミョーにしやがれ、という銭形平次の声が聞こえてきそうであります。
天網恢々疎にして漏らさず、なあーに、お天道様は知らないふりをして、ちゃああーんと見ていなさるんだ。
悪い事をするなら、お天道様が出ない北欧の冬でやってね。
わしは何よりも孤独を尊ぶので、はっきりゆって、友達などは邪魔である。
そんなもん、いらねー、と思う。
ひとと話をしたり、一緒に歩いたり、共に肩を並べて戦ったりすると、思いもかけず、「友達」が生じてしまうが、自分から友達をつくろうと思った事はありません。
例のなんでもかんでもメールで知らせてくれる日本語インターネットを通じて知り合ったひとが、前にコメント欄かなんかで会ったことがあるような気がするodakinという人が「底意地が悪い」と、どっかのなんかで、わしのことを表現していたというが、あたっておる(^^)
のみならず、わしは人間が冷淡なのでもあるよーだ。
人間関係にエネルギーを使う必要というものがよく判っておらないので、誰かと団欒を楽しんだり、そのときどきの愉快な会話の場を共につくりあげたり、というようなことは大好きでも、それ以上のつながりを他人と持とうと思ったことはありません。
それなのに、3歳のときから一緒であって、いまでもロンドンのセント・ジェームスというような干からびて時代遅れな通りのビルの二階で会えば、会ったばかりの瞬間から、もうそこで何時間も話し込んでいたひとのように、ふたりでひとつの沈黙を共有し、お互いの顔を肴に、ブランディを手のひらのなかで暖めながら、外の雪、というような話題について、何度もつかえながら、吃音をはさめて、まるで言語に障害があるひとびとのようにただ巨大な沈黙をふたりでつくろうとでもしているかのような会話を、とつおいつ、お互いに、こいつはやっぱり仕方のないやつだなあ、というやさしい気持ちで胸をいっぱいにしながら、際限なく酔っ払ってゆく、あの「友達」というものにいまでも会いにゆくのです。
友達というものが生じてしまうのは、人間の言語の成立事情に由来する「個」としての人間からすれば人間性というものの一種の弱点、欠陥、なのかもしれません。
そうではあっても、友達というものはもたないですめば、そっちのほうが良いに決まっている、という人間の法則は変わらない。
1 くだらない人間と付き合う人間とは付き合わない
2 他人の人間としての生活を脅かすものを許容した人間とは付き合わない
というような、いくつかはある「こういう人間を友達に持ってはいけない」という自分に守らせることにした決まりに順って、友達でいられたかも知れない人間との関係をぶちすてねばならないこともあります。
人間は、弱い。
人間は、自分と異なるものも受け入れよう、というような一見、寛容と見える物にひかれたとき、最も堕落しやすい精神の状況に陥る。
目安は簡単で、「自分の価値観と異なるものを受け入れる」寛容というものは、それを受け入れることによって、引き換えに、自分にとってかけがえのないものの幾分かが失われる痛みを伴うのでなければならない。
異なるものを受け入れるときに、そういう存在を賭けた痛みが伴わない場合には、それこそ、賭けてもよい、それはきみの精神が言葉の深い意味での「気取り」から堕落してしまっているだけのことです。
決定的な喪失の痛みを伴わない寛容は、あたりまえだが、自分にとって寛容と見えるものも、神から眺めれば、ただの薄汚い頷きあいにすぎなくて、昔から、自分を神と仮装した悪魔が信奉者をつくるのに使う常套の手段である。
世の中に「寛容」ほど、その本質が腐敗して変質しやすいものはないのです。
心の柔らかい教師が最も陥りやすい罠は、学生の(学問的)興味をかきたてつづける教師であろうとして、場末のスタンダップコメディアンでもあるような、一場の余興を提供する芸人に堕してしまうことだが、そういう心根のありかたが、「出来は悪いが、よいところもある」人間に胸襟をひらいてやろう、というようなときにも、たいていの場合、もう本人の魂は泥にまみれていて、寛容とは名ばかりの、垂直に聳え立つ物はすべてひきたおそうとする、あの暗黒に満ちたものの重力に身をまかせる、怠惰をむさぼっているにすぎない。
「友達」なんていうものがない世界に住めたら、どんなにいいだろう。
少なくとも、わしは、友達をつくらない努力の正しい在り方や、友達をいかにして生活から排除するかについて「50の方法」が記されている本があれば、バルセロナの裏通りで60ユーロの「悪魔を召喚する方法」という本を小躍りして買ったときのように、欣喜雀躍して買うだろう、と思います。
詩のない生活
September 8, 2011
モニが結婚してもっとも呆れたのは、わしが本ばかり読んでいることだそーである。
「本を読む」などというのは、もっとも人間の精神を不健康にする習慣なので、わしは人前では本を読んだりしません。
「人前」では何をしているかというと、人間を眺めている。
チャドルを身につけた女の人を見て、中東人は目の化粧に凝るなあー、と思っていたり、
背をすらりと伸ばして立っているおばちゃんを見て、あっ、このひとはだいぶん長いあいだバレーをやっていたひとだなあ、と考えたり、中国の人かなああー、日本の人かなああー、お洒落なのに髪を染めてないから中国の人だよな、きっと、あっ、歩き出したら日本のひとだな。日本の人でも髪を染めるのが嫌いなひとがいるのだな、とか、
そーゆーことを考えている。
ひとりでいるときは、隙さえあれば本を読んでいる、と言ってもよい。
ラミュエラの家から、いったんミッションベイというところに出て、CBDまで行くと、10キロくらいだと思うが、わしは、そのくらいの距離は走って往復する。
運動が好きだからです。
何か買う物があって、それがCBDであったりすると、走って買いに行ってしまうので、モニにはいつも監視されておる。
どーゆーことかというと、「ガメ、27インチのiMacをディスプレイとして使うには、どーするんだ?」とモニが訊く。
あっ、それはねminiDVI-miniDVIケーブルちゅうのがありまんねん、わしが買ってきて進ぜよう。
この「買ってきて進ぜよう」というところで、もう走って行こうとしているのがばれるよーだ。
クルマなら必ず「一緒に行こう」というからだそーで、なんだ、そんなことでばれていたのか。
走って行くと、途中で寄り道をしたりコーヒーも飲むので2時間くらいかかります。
あるいは、また、最近は「Steam」という凶悪なゲームダウンロードサイトがあるので、ついつい出来心でゲームをダウンロードしてしまう。
なにかの弾みで面白かったりすると、2時間くらいはまりまくっておる。
屋根裏部屋にはいりこんでLANの配線に熱中していることもあれば、当然、モニとテニスで激闘する午後や、ふたりでのんびりゴルフをしていることもある。
そーゆー忙しい毎日だが、子供のときからの習慣で一日に4冊は必ず本を読んでしまう。
習慣、と書いたが、日本語では、中毒、のほうが近いでしょう。
自分で自分を観察していると、読書というようなものは質が大事なはずだが、最近は退廃的で、一定の量を読まないと煩悶するものだから、とりあえず量を読むまでは、落ち着けないよーだ。
運動したり、CSIのエピソードを立て続けに5つ観てしまったり、いちゃいちゃもんもんしていたりして、時間が大量に消費されると、自然と「軽い」本を手にとっている。
Colin Dexterとか、地球上に残っている水の話の本だとか、そーゆーやつです。
中世やなんかの歴史の本と犯罪小説が多いよーだ。
英語という言語は読書人口が巨大なので、恐竜を探しに行ってコンゴで翼竜に襲撃された気の毒な博士の本だとか、乞食として知られていて、その実、株で儲けて大金持ちだったおばちゃんについての伝記だとか、アホな本がたくさんあります。
読むのに事欠かない。
尾籠であるが、雑誌はトイレで読む事が多い。普段はNational Geographicを読んでいる。
したがって、あの黄色い表紙をマガジンスタンドに発見すると、なんとなくトイレ臭いような気がする習慣が出来てしまったが、そういう下品な話は割愛します。
時間が潤沢に余っている場合は、算数の本を読むことが多い。
これはときどき鉛筆を探して、こちょこちょと紙に書いたりもするので矢鱈と時間がかかる。
考え込んでしまう時間が長いので、あるいは、ああいうものは「読書」とはいわないかもしれません。
退屈すると、スプレッドシートを眺めて遊んでいることもあって、読んでいるうちに、
「あっ、ここで誤魔化しておるな」とか、「あんまり仕事してへんのだな」と、表計算を送りつけてきたほうには思いもよらないところを「読んで」いて、楽しい思いをすることがある。
モニがよく不思議がっている、わしの「表計算を眺めながらくすくす笑う癖」というのは、要するにそういうことです。
一方で、このブログを太古のむかしから読んでくれているひとたちが、よく知っているように、わしは年がら年中、うろうろしている。
うろうろしている、とゆっても、落ち着いて観察すれば地球の上をブラウン運動しているわけではなくて、もともとの歴史性、「ロンドンとニュージーランドを毎年往復していた」ということから派生した移動をしているのに過ぎない。
これは実はある種類の連合王国人には、かなり普通なことなので、日本の人には珍しいかもしれないが、連合王国人にとっては、そーでもない。
ロンドンからニュージーランドに至るには、わしガキの頃は、シンガポールか日本で乗り換えるのが便利であった。
だから初めはシンガポール遠征計画を立てて、シンガポールに何十回も行った。
それが後半、というか2005年から2010年にかけては日本にルートが変更になっただけである。
わしはなにしろメンドクサイことが嫌いなので、乗り換えるのに、空港で次の飛行機を待つ、とか、そんな気が遠くなるようなくたびれそうなことはしません。
街にでかけて、一ヶ月くらいごろごろしている。
ホテルというのは、不便なので、そのうちに家を借りるようになる。
借りていると、いないあいだの家賃がもったいないので、えいこらせ、と決心して家を買う。
そうやって、あちこちにばらまかれちったのが、わしの「チェルシーの家」や「山の家」、「グラシアの家」っちゅうような、へんてこな住居になっている。
このブログを書いている期間は肝腎の(とゆっても何が「肝腎」なのか、さっぱりわからん生活だが)ロンドンにあんまり行かないのは、理由は簡単で「なんでもかんでもクソ高いから」である。
社会の性格、ということもあって、かーちゃんの家にいてさえ、快適に暮らそうと思えば一ヶ月に200万円程度の出費は避けられない。
同じ程度の満足がえられる生活をガリシアですれば30万円くらいでしょう。
アホらしいので、この頃は、あんまり行かない。
会社の中心機能は相変わらずロンドンにあるので、たとえばニュージーランドからはやや遠くて不便だが、会社のほうに行くのはメンドクサイので、会社のほうからニュージーランドにでかけてくることになっている。
クライストチャーチでもオークランドでも、わし会社には何故か宿泊施設が付随しているのは、そのせいである。
ところで、こーゆー、うろうろ生活をしていて、もっとも困るのは、どの本がどこの家にあるのか、さっぱり判らなくなることで、電子的にクラウド書棚が提供されるキンドルのようなものに買い換えてしまえた本は良いが、紙の本は、何がどこにいってるのか、さっぱり判らなくなってしまった。
いかにわしがケチであるとゆっても、たとえば、それがロンドンの書棚でえばっている「プルターク英雄伝」であれば、読みたくなれば、まだ細々と生き残っているバーンズ&ノーブルに行ってマンハッタンでも買えます。
ストランドにもあるかも知れぬ。
でもそれが「B型平次捕物帖」になるとお手上げなのですね。
英語でない本は実に困る。
家賃が安い所に引っ越した紀伊國屋書店に行っても、ない。
あの、平次とハチが。この男が流されていたのは八丈島か佐渡だろうか殺された男の腕に描かれた入れ墨を見ながら議論していると、同心の「旦那」がやってきて、ピッとバーコードリーダで読んで、「ハルマヘラ島だな」と呟く、あの悲しくも美しい物語の数々が読めないのです。
それでも、いしいひさいちならば、日本で探してもらって、もうひと揃いマンハッタンにも揃える、ということが出来なくはないだろうが、岩田宏、岡田隆彦、瀧口修造というような、わしが日本語で書かれたもののなかで最も好きな「現代詩」になると、そもそも日本の古書店のおっさんたちに頼んでも調達できないので、困りまくってしまう。
T.S.Eliot 、 W.H.Auden、 Dylan Thomas…というような英語詩人たちならば、ちょうど、義理叔父やトーダイおやじたちが李白や杜甫を中国語と日本語の両方で暗記しているように、ちゃんと暗誦(そら)でおぼえている。
ひとつの言語の文章を一定の水準以上で書こうと思えば、その言語で書かれた詩の「魂のリズム」のようなものが頭の根底にはいっていなければ書けないのは当たり前で、観察している限り、日本の小説家でも、言語感覚の悪い、すなわち日本語そのものがくだらない小説家は現代詩がまるで頭にはいっていない、どころか、読んでもいない。
(ちょっと信じがたいことだが、わしのブログに文句を言いに来た文学人のなかには、わしが現代詩の表現について触れた「定型」ということについて、五七五の事だと思った救いがたいバカまでいた)
逆に、あの猛烈な翻訳体日本語の大江健三郎の日本語を骨格として支えているのは岩田宏や「荒地」同人たちの詩であるのは明らかであると思う。
でも、そこは外国語である悲しさ、日本語の詩は、いっこうに暗誦でおぼえられないので、こうやって日本語を書くのを習慣にしているのに、手元に詩集がないといらいらしてしまう。
「定型」を思い出す手がかりがないからです。
東京はすでに東京でない
いけすかないいけずのいけすです
と、かろうじておぼえている岩田宏の詩句をつぶやきながら、はやく放射能なんとかしてくれろ、と思う。
それとも広尾のアパートのときにそうしたように、山の家も、一切合切、ゴミもまとめてコンテナにいれて送ってもらうか、と考えたり、
いろいろに煩悶している最中だが、まだ方針が決まらない。
いつかは、また、あの日本の「世界的水準」どころか、そんなものを遙かに越えてしまっていた、不思議な日本語の黄金時代の「声」が聞こえてくる日があるだろうか。
たとえば、こんなふうな。
「あなたの奪いとってきた意味をもちこみ
ぼくはふるえて跳んでいる。ヘイ ジョーンズ
すべての欲情は 弧線を引いたりせず、
可塑のうしろで
無目途な他ならぬ欲情であるべきだ。
あなたの弾む耳はあしたの音を聴くべきだ。
あなたの虚しさと怒りとのうえに
ぼくは放らつと黄金の狂気をゆだねる。
ヘイ ヘイ ジョーンズ ぼくらの疲れは
ぼくらの悪である。」
(岡田隆彦・昇っているジョーンズへのこだま)
…..ため息が出るのお。
普通の生活
September 7, 2011

モニとわしはニュージーランドにいるときには、オークランドのラミュエラという町にいます。ラミュエラロードを頂点に南北に広がる広大な住宅地の北側、海の向こうにランギトト
http://www.arc.govt.nz/environment/volcanoes-of-auckland/rangitoto.cfm
という700-600年前に火山の大爆発によって出来たなだらかな稜線の島が見える側に、わしらの家はある。
ドライブウエイがあって、そこをクルマでゆっくりゆううっくりとあがってゆくと、ちびラウンドアバウトのような車寄せがある。車寄せにクルマを駐めておりると、目の前に、建物がないとテントを張って暮らさねばならないので、モニとわしが雨露をしのぐ建物があります。
必ずしもクルマ寄せにクルマを駐める必要はなくてニュージーランドではどこの家も同じだが、コントロールを、ぶっ、と押すとぐわらぐわらと音を立ててガレージのシャッターが開く。
カリフォルニア人たちにとってはガレージとはクルマを駐めるところでなくて、日曜大工をしたり、趣味の工作をしたりする場所だが、ニュージーランドでは、ちゃんと「車庫」です。普通の家は二台クルマを持っているので、二台分のガラージである。
うんと古い家では一台しかないところもある。
新しい家のなかには、わしらの家の近所の夫婦のように6台分、というようなガラージをもっているアホな家もあります。
家の敷地は4分の1エーカー(1000㎡)を基本にしている、はずなのだが、どういうわけかラミュエラでは1200㎡が基本になってしまっているようである。
この頃は土地の値段が上昇したので600㎡をフルセクション、と呼ぶ、とんでもない不動産屋さんがいるそーだが、もともとはフルセクションというのはあくまで1200㎡、(日本の坪でいえば360坪)です。
わしは狭い家は嫌いなので、ダブルセクションの家に住んでいるが、これはあんましカシコクない人のすることであって、フルセクション、床面積240㎡くらいの家が自分達で面倒を見られる家の限界なので、ダブルセクションとそれに見合う建物の家になると、誰かに頼んで掃除をしてもらわなければならなくなってしまう。
芝を刈るにも、ローバーやホンダの手押し式の芝刈り機ではメンドクサイ広さであるのに、ライドオンムア
http://www.consumer.org.nz/reports/ride-on-mowers
を使うには小さすぎる、というので中途半端である。
夏になったら、テラコッタに敷きなおそうとモニとふたりで相談している、テラスの上にはブーゲンビリアが、びっくりするような凶暴な蔓で棚にからみついている。
その棚の下に8人掛けのチークのテーブルがおいてあって、暖かくなるとモニとわしはそこで朝ご飯を食べる。
これもニュージーランドではわりかし普通の習慣ですが、夕食は夕食用の部屋ちゅうもんがあって、そこでロウソクをテーブルや壁から腕がでた燭台に灯して、そこで摂ります。
(josicoはんのリクエストにしたがって、ニュージーランドの普通の生活を書いてきたが、ちょっと飽きてきた)
およそ、わしの生活というようなものは世界中にちらかっていて、ほとんどいかないが、自分の会社がニュージーランドにもあるとゆっても、日本語でいう「本社」のようなものは双子で、マンハッタンとロンドンにある。
「ある」というが、じゃあ、いつも中心スタッフがそこに詰めているのかというと、そんなことはなくて、バルセロナに集結していたり、ニュージーランドのクライストチャーチに集っていることもある。
そのときどきの都合が良いところにいるだけのことで、これも、いまの社会では珍しいことではないと思います。
第一、伝統的な「会社」なんか運営しても面白いことは何もない。
わしは、なんでもスポーツカーみたく、CD値が少ないデザインが好きなのです。
ダサイことは、やりたくない。
税金みたいなものは、会計掛と相談して払いたいところで払う。
必ずしも、「税金が安いところ」とゆっているのではありません。
自分が「くだらない」と見なしている国には(無論、順法的に)税金を払ってやらないということで、たとえ、ニュージーランドとゆえど、アンポンタンな政権が出来上がって拙劣な国家運営に陥れば、そんな無駄使いされるに決まってる税金をくれてやるバカはいない。
21世紀という世紀は、あくまで住んでいる方が国を選ぶ世紀であって、その逆ではない。国の方もちゃんとそれを納得しているから、かろうじて社会がよくなっていっているわけで、税金を払うほうが、そこを投げやりにしてしまえば、もともとが絶対権力で甘やかされている「国」なんちゅうものは、暴走に暴走を重ねて、そのヘンの金持ちバカガキのように無駄遣いをするだけに決まっているので、せっかく「国家間の国民獲得の競争」という傾向が元にもどってしまう。
世界の経済は見た目よりもずっと危なくて、わやくちゃになる一歩手前で停滞している、という不思議な事態だが、ほんとうは特に日本のような国にとっては、20世紀末までの、大暴落がある旧来の自由主義経済のほうが、いまの高度情報化自由主義経済よりもよかったに決まっている。
(日本が経済について、トンチンカンなバカな手ばかり打っているのでは、どうやら一見は似ていなくもないふたつの経済の違いが全然わかっていなくて、いまだに世界が旧来の自由主義経済で動いていると錯覚しているせいなのかもしれませんが)
西洋世界は西洋世界で、破滅を避けるために工夫を重ねてすぎて、なんだかわやくちゃになって、なにがどこにつながっていて、どこにどんな脱出口を掘っておいたのかも判らなくなってしまった。
おかげで、日々、見たこともない新しい事態が起きるようになって、「せんせーい、教科書に答えが書いてありませーん」になってしまっておる。
こういう事態を、おっさんたちが禿頭を寄せ集めて、どの程度乗り切れるのか判らないが、なんだか無茶苦茶になって、世の中に阿鼻叫喚が渦巻くようになったら、いいやいいや、庵の戸を閉ざして、静かに紅茶を飲みながら、ゲームでもやるべ、と思っています。
もう何年かすれば「普通の生活」を送ること自体が贅沢になってしまうかもしれないし。
スーパーマーケット
August 18, 2011

オークランドは、人間がニュージーランドの生活を記録するようになってから初めて雪が降った。
山沿いにちらちらと降っただけで、大半の人は気がつかなかった、という程度だが、それでもニュージーランドでは大ニュースです。
今日から、暖かくなってゆくそうだが、先週は「摂氏2度」という日まであって、ぶっくらこいてしまった。
オークランドの本来の気候は、夏の気温の上限が26度冬の下限が5度、という気候で、「2度」なんて聞くと、ほんとうにぶっくらりんのぷいぷいである。
原因は「ポーラーブラスト」であるそーだ。
南極の寒波がおもいもかけず強烈な強さになって極からふきだすように寒波をまわりにぶちまけることがあるが、それが今年は有史上はじめてニュージーランドにまで届いた。
わしは、もともとが(ニュージーランドでは)クライストチャーチ人なので、なんとなく懐かしくて楽しい気候だが、オークランドの友人たちは、家そのものが寒さに向いて出来ていない上に、ちゃんとしたコートももっていない人が多いので、なにがなし不愉快そうな様子である。
街をゆく高校生たちの制服も、普段は短いスカートが多いが、今年の冬は、くるぶしまでのスカートが多い。
オークランドでは見慣れない光景です。
長い厳しい冬(とゆっても日本で言えば岡山の冬程度だが)があるクライストチャーチと違って、簡単に言えば南カリフォルニアが南半球に越してきたような気候であるオークランドの人間は、冬の過ごし方が下手である。
暖炉のそばに座って紅茶を飲みながら談笑する午後や、リークのスープのカップを手にもって、暖かい部屋のなかでぬくぬくしながら寒いパドックを眺める楽しみをオークランド人はもたない。
ただ寒がっているだけであって、いかにも芸がない気がします。
「New World」という、わしが子供の時はダッサイ品揃えで有名であって、この頃はオーストラリア資本のスーパーマーケットに対抗して、やや高級目な品揃えを売り物にしているスーパーマーケットチェーンの、マウントウエリントンに出来た新しい支店にでかけて食料品の買い出しに行った。
家がラミュエラなのであるからラミュエラの支店に行けばよさそうなものだが、わしは、ことスーパーマーケットだの料理屋だのということになると好奇心が強いのです。
真新しい、通りすがりに通常のサイズの2倍はある支店を見てしまっては、行かないわけにはいかむ。
ニュージーランドとオーストラリアのスーパーマーケットは、まず外側の壁沿いに一周して、それからまんなかの棚をぬってゆくようにデザインされている。
そんなの、ぼくの勝手だし、ときみは言うであろうし、実際、なにしろニュージーランド人のことであるから、あっちへ行き、こっちへ戻り、またふらふらと元のところに歩いて、実際の客の動線はぐじゃぐじゃです。
しかし、一応設計上は、そうなっているのね。
入り口を入ると、リークとパースニップとCapsicum
http://cutejill.blogspot.com/2010/06/2-red-capsicum.html
という日本で言えばピーマンの親玉みたいなんを買う。
マッシュルームも、わしガキの頃は、白い、日本語で「マッシュルーム」というあれと、
黒くて扁平なマヌケなきのこくらいしかなかったが、移民社会のありがたさ、いまは十何種類の、キクラゲや椎茸を含んださまざまなきのこがある。
キクラゲや椎茸を買っちゃおーかなあー、と思うが、どうせ食べるわけはないので、実際に買うのは「退屈な白いマッシュルーム」だけど(^^)
魚売り場は通過。
知識もなければ、あんまり好きなものもないので、たまにタイレッドカレースープにいれて食べるマッスル(ミュール貝)を買うことはあるが、それも滅多には買いません。
フィレステーキの肉を2キロくらい買う。
パックされたものが棚にも並んでいるが、だいたい裏で働いているおっちゃんに頼んで別に切ってもらう。
ベーカリーで、スペイン風に焼いたパンを買う。
ミルク、パーミジャーノ、マチュアチェダー、カマンベール、ブルーチーズ、と買っていって、ワインの棚に至れば、シラズとピノを買い足して、外側の棚の周遊は終わりである。
日本のスーパーマーケットとニュージーランドのスーパーマーケットのいちばんの違いは、「甘い物」の棚の大きさの違いで、ニュージーランドでは、チョコレートやドライフルーツサンド、日本やアメリカではクッキーと呼ぶビスケット、ハリボ、ミンティ、…甘くて人生を破滅に導きそうな菓子が延々と延々と続いておる。
わしのスーパーマーケットにおける最高、至福のときである。
あーでもないこーでもない、でも、あれもこれも、と矛盾と煩悶に満ちた選択の結果、十個くらいの甘い物をトローリーに放り込みます。
最後にペリエやなんかを買い込んで、新聞をほうりこむとレジに並ぶ。
バイトのねーちんと「今日も寒いのおー」とゆいながら話して、じゃーね、とゆってクルマに向かってトローリーを押してゆく。
フランスならば、Auchan, Intermarché ,たしか昔は日本にもあったCarrefourで、日本で言えばイオンみたいっちゅうか、ふつうは洋服みたいなもんや生活用品と食料品を半々で売っていて、わしは潔く食料品だけを売っているニュージーランドのスーパーマーケットのほうが好きです。
ただしちょっと田舎に行くとカルフールなどは、時折侮りがたいカフェが横にくっついておって、無茶苦茶にうまい珈琲とサンドイッチを出すので、そういうところはスーパーマーケットにおいてすら誇示されるフランスの文明的実力、というものがある。
大阪だったかどこだったかでスーパーマーケットの脇のたこ焼きがおいしくてカンドーしたことがあったが、それと似たようなものです。
ああいう実力をもつに至るには文明に年期が必要なので、オーストラリアやニュージーランドは、未だその段階に至らない。
スペインという国の社会は、本来、なんでも町内ですませるように出来ていて、バルセロナなどには、まだその原形が保存されているが、学校も日本の「塾」程度の大きさで、その代わり町中にまぶしたようにたくさんあります。
カタロニア人の本来の習慣は、ガキが3回も4回も家に帰ってくる、というもので、そのたびにおかーさんたちは、着飾ってガキの手をひいて学校にくる、というカッチョイイ習慣をもっている。
スーパーマーケットも、郊外に、東京ドームより大きいんちゃうか、というような、この世の終わりみたいな大きさのスーパーマーケットもあるにはあるが、普通は、日本で言えばコンビニくらいの大きさのスーパーマーケットがどの家から歩いても10分もいかないところにある。
ちまちまとしていて、その割には、なんでも揃って、たとえばスペインなので、ハモンは巨大な豚の足ごと天井からぶらさがっていて、ワインもひととおり、1ユーロの安いのから高級ワインまで並べてある。
コンビニとは趣が相当に異なった本格的なスーパーマーケットです。
大陸欧州のスーパーマーケットに較べると、ニュージーランドのスーパーマーケットは清潔で広々しているが、社会全体に「絶対、おいしいもの食べちゃるねん」という執念が欠落しているのを反映して、味覚の点で浅い、というか、魂に訴えてこない、というか、食べ物のクオリティにおいて根性に欠けているという感じがする。
野菜や肉は欧州や日本よりもマジメで味が濃いが、どーゆえばいいか思想的に真剣味に欠ける食品が多いようです。
日本では広尾の家から近い明治屋やナショナルスーパーは狭くて駐車場も小さい上に品揃えもぱっとしないので、あまり好きになれなかった。
青山の紀伊国屋もそうだが、クソ高い割にあんまりたいしたことのない食品が並んでいて、印象はよくありません。
山の家の近くにある「ツルヤ」と「マツヤ」は、しかし、なかなかカッチョイイスーパーマーケットで、あんまり回数は行かなかったが、モニとふたりで、のおーんびり買い物をするには良いスーパーマーケットだったのをおぼえています。
きのこの種類が豊富で、豆腐もおいしくて種類が多かった。
自分達で買って食べられるものは少なかったが、見ていて楽しかったのをおぼえている。
やきそばも、うどんスープも、ツルヤがなければつくりもせず、好きになることもなかったと思う。
日本という国は面白い国で、東京のような都会では極めて特殊な生活スタイルが普及しているのに、田舎に行くと、世界水準、というか、ライフスタイルが他の西洋国、特に英語国と同じであって、クルマでブッとでかけて、広い駐車場に斜めに駐車して、という食料の買い出し方まで同じです。
広尾山を下りて、食べ物の買い出しに行くのは困難につぐ困難、クルマが使えないので重い袋をぶらさげてクソ暑い熱帯のコンクリートを歩く、出来の悪いRPGのような試練を経なければ食べ物にありつけない難行であるのに、軽井沢では、ほいとクルマに乗って、すいすいと買い物に行って帰ってこられます。
野菜は農家の直販、肉類その他は料理屋から届けてもらっていたので、スーパーマーケットに行くことはあまりなかったが、それでも、日本でもスーパーマーケットに行くことが、散歩のような、楽しいことでありうるのを理解したのは山の家のおかげだった。
サンドリンガム、というインド人たちが多い町の見渡す限りスパイスが並んだスーパーマーケットで店員のおっちゃんにスパイスを解説してもらいながら量り売りのスパイスを買っていったり、中国人たちのスーパーマーケットでローストダックを焼いてもらったり、スーパーマーケットはニュージーランドのような新しい国では生活と切っても切れない場所だが、でかけるたびに、やはりまだモニとふたりで日本のスーパーマーケットの話もします。
モニにとっては、日本のスーパーマーケットの印象は「びっくりするほど新鮮な魚」だったようだ。
いまは良いことしか思い出さないが、むかし、ほおーんの少ししかないお菓子の棚の前に立ってもう何回もそればかり買って飽きているハリボを手に、買おうか買うまいか、5歳くらいの子供のように思い詰めた真剣な顔で考えていたモニの顔を思い出すと、自分のわがままで日本に何ヶ月かいたのは、モニにはたいへんなことだったろう、と考える。
たいした文句もいわないでつきあってくれたことを、ありがてえー、と思います。
ヌエボゼランダ
August 12, 2011

ランギトト
http://en.wikipedia.org/wiki/Rangitoto_Island
が見える家に帰ってきた。
インド料理屋「甘木」の世界一うまいラムブリヤニを食べながら、
やさしい稜線を見ていると、家にもどってきたのおー、と思います。
凪いだ海と静かな影の広がりを見せるランギトトの姿を眺めていると、こちらの魂まで静かになってくるもののようである。
どこかのクソ国に生まれついてしまえば、その国で成長してくたばるのが通常だった20世紀の人間とは異なって、現代では「自分の国」などは自分で選ぶことになっている。
まわりを見渡しても、だいたい18歳から24歳くらいの期間に、「どーも、わし、自分が育った国と相性が悪いし」と思って生まれたのとは違う国の国民になるひとが多いよーだ。
いまの世の中で「どのパスポートで旅行するか」と「どの国で税金を払うか」というふたつのこと以外に「国籍」というものの意味を考えるのは難しい。
連合王国人が自分の国の社会のバカッぷりに呆れると、オーストラリア人かニュージーランド人に化けることが多い。こういう場合、メンドクサイので連合王国のパスポートはぶちすててしまうことが多いようだが、わしは、パスポートをとってあります。
だからときどき連合王国人になる。
欧州に滞在するときは、連合王国人であるほうがいろいろと便利なので、なあーんとなく、イギリス人のような顔をしてうろうろしている。
オーストラリアには、日本語ブログに書かれている印象よりも頻々と出かけるが、いまはパスポートコントロールが「自動改札」になったので、ニュージーランドパスポートで出かける。
もうひとつ、ニュージーランドのパスポートは最近デザインを変えて、シルバーファーンが表紙についているが、これがカッチョイイというので、あちこちの航空会社職員であるとかパスポートコントロールで人気があって得意である、という理由でニュージーランドパスポートをもってゆく、ということもある。
わしは、他人にうける、ということが大好きだからな。
たしかプジョーの創業者一家はスイス人だが、ちょっと前まではたしかモナコ人だった。
もともとはもちろんフランス人だったが、フランスの税金が高いのでさっさと変えてしまった。
税金が安い国の国民をやっているのです。
自分の周りでは、この例がいちばん多いようだ。
オカネモチのひとびとに最も人気がないのは、先進国中ではアメリカ合衆国の国籍だと思うが、これは合衆国の税法が最近になって改正されて、「国籍を変えても、十年遡って課税できる」という無茶苦茶な条項がついてしまったからで、いろいろなプログラムがあって比較的取得しやすいアメリカ市民権も最近は金持ちには人気がなくなってしまった。
好きこのんで欧州(連合王国ふくむ)に住みたいと思う人間がいるとは思われないが、移住しようと思えば結構簡単です。
しかし、なかなか国籍はくれないという。
わしなどは、そういう話を聞くと、「わしのパスポートを50万円で売ってあげよう」と咄嗟に考えるが、訊くところによると、路地裏の中国人やマレーシア人に頼んだほうが安いようだ。
商売とはなかなか難しいものである。
ニュージーランド人に化けたフランス人の友達に理由を尋ねると、このひとはワイン醸造家の娘なので、「フランスでは好きなワインが作れん」という。
村ごと、斜面ごとに、ここはピノ、ここはガメと決まっているので、ちょっと暖かくなってきたからシラーをつくるべ、と思っても、ダメ、とゆわれるのだそーである。
そこへいくとニュージーランドは他の一事及び万事と同じでテキトーなので、何を育てても文句をゆわれない。
イギリス人たちは、「だっていろいろなことが自分達で作れて楽しいじゃん」というのが最大公約数の意見であると思われる。
残念ながら東アジアから来るひとびとは、すでに出来上がったものを自分で受容したいという理由が多いと聞く。
「医療制度がこっちのほうがいいから」「教育制度がこの国のほうがよくて安い」
「就職がしやすくて賃金が高い」
いわば、移住のくれくれ君組であって、こういうひとは、何を考えているのか、よーわからん。
想像するに、こういうくれくれ君的立場から「国家」や「社会」を見ているひとびとは、多分、社会や国などというものは自分達がトンテンカントンテンカンと手作りするものだ、ということを知らないのだと思われる。
「与えられた国」なんて、くだらねー、とわしは思うが、日本にいるあいだも、(誤解かもしれぬが)、国というのは初めから何だか動かしがたい姿で在って、いわば封建社会のとーちゃんの親玉みたいなものだと感じているひとが多かったような気がします。
日本人は世界中の人種差別主義者や鎖国主義者、民族浄化信奉者から彼らの理想の国として変わらぬ熱狂的な尊敬を受けつづけているが、外にでてゆく日本人の数の少なさは、あるいは、そういう日本の文化の極端に閉鎖的な特徴よりも、この「国は自分でつくるものだ」という考えの欠落からきているのかもしれません。
印象としては、ここでいう「日本のひと」には20代や30代のひとははいってない。
憑き物がとれたよう、というか、人種差別マニアとでもいいたくなるような異常性を見せる特殊な「日本人」と違って、若い日本のひとびとは、(当たり前だが)いかにも、ふつーのひとたちです。
肌の色が違うひととも、言語が違うひととも、ふつーに同じ人間として話ができるので、安心してつきあえる。
話題も共通であって、音楽でも絵画でもアニメでも、文学とテレビ番組以外は、わしらと見聞きして育っているものも同じなので話しやすい、ということもある。
はやい話が、この世代のひとは世界のどこにいってもたとえば食べ物屋を開くときに「日本料理屋」を開くのではなくて、普通のカフェを開いて、気張ったことをしているとは思わない。
話をしていても、風情が、「たまたま日本人なんですけどね」という風であって、そのことに何ら特別な感情や思い入れもなくて、とても好感がもてます。
多分、日本のひとは、ああいう方向に進化してゆくのだと思う。
わし自身はニュージーランドのパスポートを持っているのとは、また別のところで自分を欧州人であるよりはニュージーランド人であると考えるのを好むのは、「性格と適っているから」だと思います。
ニュージーランドという社会はなんでもかんでもチョーええ加減な社会なので、魂の有効数字とでもいうべきものの桁数が合致しておる。
ふだんの生活でも、なああああーにも考えないで、ぼけーとガレージのドアのコントロールのボタンを押して、クルマに乗って、駐車場のロットに斜めな、ろくでもない駐めかたをして棚からトローリーに食料をぽいぽいほうりこむ。
めんどくさければ、インド料理屋からブリヤニやタンドリで調理した野菜や肉にカレーを配達してもらう。
オークランドはとっくに「世界の一部」の、一面では、シドニーやなんかと同じただの都会になってしまったので、趣がやや異なるが、これがわしの溺愛するクライストチャーチであれば、加えて、人間が荒っぽくて、殴り合いもたびたびあれば、パブでの怒鳴り合いは年中(^^)、人間は質朴で、置いていかねばならなくなった犬さんにさえ嘘がいえずに涙をぬぐいながら、自分にとっては今度のオーストラリアでの就職が一生に一度のチャンスであること、シドニーは都会なので連れていってやれないことを綿綿と説明したあげく、いいとしこいて号泣してしまうくらい、人間がアンポンタンである。
入れ墨だらけで顔一面にピアスをしたにーちゃんが、ばーちゃんのクルマ椅子を何事か話しかけて笑いながら押している。
孫なのかと思えば、ただのとおりすがりに手伝ってやっているだけです。
交差点で派手にすっころんだアジア人の女の人のハンドバッグから財布、パスポート、ペン、コンパクト、なかにあったすべてがクイーン通りの交通量の多い交差点一面に広がる。交差点にいた、8人くらいのひとが、ダッシュで交差点に飛び出して、拾い集めて、ひとりのおっちゃんが女のひとを抱き起こして「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」と聞いておる。とびちった女のひとの持ち物はとっくの昔にハンドバッグのなかに戻って女のひとの腕に抱えられています。
その間、十秒ほどであった。
むかし、酔っぱらって、デブPという友達に
「ニュージーランド人って、どんなんだべな」とうっかり訊いたことがあったが、デブの答えは
「A bunch of strange people」だった。
ははは。
ほんまだがや。
ニュージーランド。
大好き。
低い空の下で
July 17, 2011

1
「足下を凝っと見つめている少年」を見たことがある。
いまさら隠す必要もない。
わしはもともとが甘やかされた金持ちのバカガキであって、異国の日本でも地下鉄なんちゅうものには(外の景色が見えねーだろ、という理由で)乗らなかったが、その日は急いでいたので広尾から日比谷までやむをえず地下鉄に乗った。
たしか、「日比谷線」とかっちゅうんだよな、あれ。
魚臭くて、吐きそうな匂いがするクソ地下鉄で、わしはあんまり好きでなかった。
わしは、特に日本では我ながら巨大な肉体のひとであって、浮かれているときにはよくデコを地下鉄の出入り口でぶつけるので、注意に注意を重ねて、まるでベトコンを警戒しながらベトナムの沼沢をすすむ麻薬中毒のアメリカ人の兵隊のように地下鉄にのりこんで、安物の浅い座り方しか出来ない営団のクソベンチに腰掛ける。
気色の悪い蛍光灯色に照らされた車両のなかには数えるほどしかひとがいなかった。
緑色のシャツを着たアメリカ人のおばちゃんと、暗い色のダッサイ背広を着た日本人の若いサラリーマン。
間抜けな制服を着たぶっといくだらない不格好な豚足足をスカートからこれみよがしに突き出した女子高校生たち。
それから、「きみ」。
足下をジッとみつめて、必死に歯をくいしばって、身体が向かい側から見ていても小刻みに震えているのが判る。
拳をにぎりしめて、真っ青な顔をして。
アメリカ人のおばちゃんが耐えられなくなって失笑したのをおぼえている。
わしに目配せをした。
わしは、クソババアの目配せに気が付かないふりをした。
きみは絶対にこの世界を許さないとでも言うように、自分の足下を奇妙な力をこめて眺めていて、まるで、この足だけは絶対におれのものだ、と主張しているひとのようだった。
わしは、うっとりしてしまった。
いま思い返しても、きみの狂気はどれほど、あの狂気の社会で正常であっただろう。
わしは、多分自分の育った社会で、きみのようになりたかった。
きみのようでありたかった。
きみでいるべきだったのに。
2
ガリシアの低い空の下を歩いて、何度も考えてはやめたSt.Jamesの棺を観に行った。
神のいないがらんとした教会には観光客とクソ信者たちの悪い息だけが充満していて、わしは、もういちど、あの日本の「日比谷線」で見たキチガイガキのことを考えた。
まるで純粋培養した憎悪のようなあのキチガイガキは、歯をくいしばって、この世界のありとあらゆる偽善に耐えていた。
わしは、彼の唇からもれてくる「殺してやる。殺してやる」という低いつぶやきを音楽のように聴いた。
それは、まぎれもなく、日本にいるあいだに聞いた、もっとも「神に近い言葉」だった。
人間はなんと愚かでなんと偉大なのだろう。
あの少年の低いつぶやきは、神を怯えさせる「音」をもっていた。
にやにやしながら、ふやけた言葉で神を「学習」して神の噂話をしたがる、あのクソ「信者」どもよりも、遙かに神の近くに立っていた。
匕首をもって。
「殺してやる」という言葉を、わしはどれほど彼と共有したいと願っただろう。
3
午後のあいだじゅう仕事のメールを書くのに追われていた。
欧州も合衆国もおおげさに言えば破滅の淵にいて、わしは、イタリア人やスペイン人やフランス人や合衆国人、UK人の悲鳴を聞いている。
ガメは、なぜまだ絶叫しないでいるのか、この状況が怖くはないのか。
なぜ、動かないのか?なぜ金融屋たちをのさばらせておくのか?なぜ?なぜ?なぜ?
きみたちには全然読めやしない言葉で、ぼくはここに答えを書いている。
どうでもいいから、なんだよ。
ほんとうは。
わしには、この世界の現実になど何の関心もない。
あの日比谷線で「殺してやる」とつぶやいていた高校生の憎悪にしか興味がないのです。
まさか、明日の朝の受話器をとりあげて、きみたちの言葉で、この秘密を明かすわけにはいかないが。
4
なにもかもくだらないから、もう寝る。
モニの良い匂いのする脇の下に鼻を突っ込んで。
寝る。
この世界のどこにも(他には)行き場のなくなった犬みたいに。
(画像はコモ湖の汽船なのね。汽笛がマヌケなくらいでかくて、かっこいい、と思いました)




