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	<title>ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日</title>
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	<description>十全外人ガメ・オベールとはわしのことじゃ</description>
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		<title>ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日</title>
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		<title>おおきなお世話</title>
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		<pubDate>Wed, 22 Feb 2012 22:49:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamayauber1001</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本の社会]]></category>

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		<description><![CDATA[「除夜の鐘　俺のことならほっといて」というのは中村伸郎の有名な句だが、 この小津安二郎がたびたび起用したせいで外国人たちにも馴染みの深い俳優は、連合王国かニュージーランドに生まれれば、さぞかし幸せだったろう、と思います。 イギリス人は、日本人が自分達に似ていると思っていると言われるとびっくりしてしまうが、それには「日本人の集団主義」対「わしらのひとりでできるもん主義」という重大な対立、という観念的で、根拠を問われると「戦争のとき」なんたらで曖昧な、わりと由来がええかげんな信念があるからだと思われる。 イギリスに住んだことがあるひとは知っていると思うが、イギリス人から見た日本人は、日本人から見たイギリス人と丁度逆で、「自分達と全く異なる対極にいる人間たち」であろうと思う。 正反対、と意識されている。 ひとりでできるもんな自分達の社会の基本的なイメージが、社会と個人の関わりで、イギリス人やニュージーランド人は、 社会に対して「ほっといてくれ」といつも思っている。 なにしてよーが、わしの勝手だろーが、と考えている。 それが社会の基本的な感情なのだから、態度の悪いやつが多いわけである(^^) 他人をかまうことが人生の一部と信じていて、他人も自分を自動的にかまってくれるものだと確信しているアジアからの移民のひとが欧州に来ると、この「わししかないのよ」に押しつぶされてしまう。 あまりの自己中心主義に辟易してしばらくすると欧州社会を心から憎むようになるひともいる。 もっとも当の欧州人のほうは、お互いを自己中心主義、と意識しているわけではなくて、「そんなもんだろう」と思っているだけです。 アジアの人のほうを、「どうして、このひとは自分というものがないのだろう？」と思っている。 偏見は判断のエネルギーを節約する、という。 めんどくさいので、アジア人＝自分がないひとびと、というふうに決めてあるひともたくさんいるよーだ。 大陸欧州人の心の根底には「人間がお互いに分かり合うなんちゅうことがあるだろうか？」という深いわだかまりがある。 通常の状態では、言葉やなんかで人間がお互いにわかりあえるなんて、あるわけねーだろ、と思っている。 正常なときはそうである。 ところが、稀に感情が爆発したりなんかして、いっちょう他人とわかりあってみるか、とおもうことがある。 恋人同士、夫婦のあいだですらそうだが、一緒に住んで同じベッドに眠って、もしかしたら分かり合えるかも知れぬ、と考えて自分の一生をかけた実験というか冒険にのりだしてみる。 全身全霊、というが、文字通り、そこまでの一生で積み立てた魂のエネルギーを全部おろしてきて、全部費消する。 はたからみていると、なにもそこまでやけくそにならんでもえーのに、と思うくらい欧州人の恋愛はすべからく大恋愛である。 だから「別れる」ちゅうようなことになると、大たいへんで、人生がぶっこわれてしまう。 いつか同じような話をしたら、「その割にはアメリカ人とか、ほいほい別れて気楽なもんだよね」という日本のひと（男・４０代）がいたが、まことにケーハクな嫌らしさ、というべきで、なにからなにまで、というのは財布から魂まで共有して、それが１００％できないと感じれば一緒にいられない、と思う、という切実な気持ちがわからない、というのは驚くべき鈍感さだと思います。 ほんとうは欧州人とアメリカ人では、ずいぶん「結婚」「恋愛」について考えが違うが、どちらにも共通しているのは、離婚などは死ぬ直前まで行ってしまうほど思いつめて、ぼろぼろになりながら行う。皆が身にしみて極限までいってしまう感情の激しさと魂を抉りとられてしまうような痛みを知っているので、当のアメリカで「気楽に」などと言えばよってたかって殺されるかもしれない。 日本でも若い人はふつーに「我慢なんてとんでもない。何度でも別れてやりなおしたほうがいい」というが、たいへん良いことだと思う。 きっと、他人へのもぐりこみかたも真剣をきわめたものなのでしょう。 日本にいたときには、楽しいことやおもしろいこともたくさんあったが、 「余計なお世話じゃ」と思うこともたくさんあった。 高速道路を走っていて横断橋に「注意！」で始まる警告が書いてあるので、前を見るのをあきらめて警告の標識を日本のひとに較べて時速で劣る日本語読解力を集中して読むと「前をみて運転しよう！」と書いてあったりする(^^;) 前にも書いたが、「ここから先に行くと崖から落ちます」という崖っぷちの標識版を見たこともある。 日本からもどってからも、福島第一事故がどんどん進行して、カバーアップしようとする政府のカーテンの下から、メルトダウンになって収拾がつかない実態が見えてくるようになっていた頃、中国では鉄道事故があって、事故の処理をみて、 「これでは中国の将来が思いやられる」 「いくらなんでも、こんな事故処理では遺族がかわいそうだ」 「さすがは中国ｗ」 などといって、日本のひとは大喜びだったが、燃えている自分の家から他人の家の夫婦喧嘩を見て、心配をしてみせて、鬱憤をはらすのは、趣味がわるいだろうと考えた。 フクシマなどは、自分の国の問題と実感できないようでした。 日本のひとと話していると、緊急切迫のときほど妙にのんびりしている、というか、現実の事態にうまくアクセスできないでいる、というか、「他人事（ひとごと）ですから」というときの一定の声の調子というものがあるが、現に自分の社会が直面している焦眉の危機について「たいへんですから」と「他人事ですから」と寸分違わない声の調子で考えているように見えることがある。 さし迫った危機としての現実が言葉を通過して思考におよぶころには「ひとごと」と同等な切迫感ないし切迫感の欠落になってしまう、というのは、個々の人の情緒が現実へのアクセス不調に陥っていることを明瞭に示している。 子供の時から拒否したい現実や命令を自分を偽って肯定して受けいれつづけると同じ反応を起こす。 典型的には、たとえば親から性的虐待を受けつづけた子供は自己の情緒にすらアクセスができなくなってしまうことがある。 自分の肉体にすらリアリティが感じられなくて、ほんとうに痛みがあるだろうか、切り刻んでみたい衝動に駆られることがあったりする。 ウソ、という言葉は厳しすぎるだろう。 いやがる自分を抑えつけて、社会のがわからあれをしてはいけないこれもやってはいけないと小突き回され、もう出来ない、と自分自身の心が必死にとりすがって、もうやめよう、たのむから、もうここでやめて逃げよう、と訴えているのに、痛みを和らげるために自分自身の疲労とさえ無理矢理距離をつくって、世間に対してはおろか両親にすら、にっこり微笑んでみせなければならないような一生を送っていれば、魂からみれば、この世界に現実らしい現実などは何もなくなってしまう。 森羅万象のことごとくが「他人事」になる所以であると思う。 「俺のことならほっといて」と、誰かが安んじて言えるようになるには、社会の習慣が変化して、他人へのヒマツブシじみたお節介と余計な口出しをやめて、子供やおとなの魂のまわりに、うんと空き地をつくって、自由に身動きできる余地をつくってやらなければダメなんではなかろーか、と考えました。<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4590&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/crop.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/crop.jpg?w=420&#038;h=303" alt="" title="crop" width="420" height="303" class="aligncenter size-full wp-image-4591" /></a></p>
<p>「除夜の鐘　俺のことならほっといて」というのは中村伸郎の有名な句だが、<br />
この小津安二郎がたびたび起用したせいで外国人たちにも馴染みの深い俳優は、連合王国かニュージーランドに生まれれば、さぞかし幸せだったろう、と思います。</p>
<p>イギリス人は、日本人が自分達に似ていると思っていると言われるとびっくりしてしまうが、それには「日本人の集団主義」対「わしらのひとりでできるもん主義」という重大な対立、という観念的で、根拠を問われると「戦争のとき」なんたらで曖昧な、わりと由来がええかげんな信念があるからだと思われる。<br />
イギリスに住んだことがあるひとは知っていると思うが、イギリス人から見た日本人は、日本人から見たイギリス人と丁度逆で、「自分達と全く異なる対極にいる人間たち」であろうと思う。<br />
正反対、と意識されている。</p>
<p>ひとりでできるもんな自分達の社会の基本的なイメージが、社会と個人の関わりで、イギリス人やニュージーランド人は、<br />
社会に対して「ほっといてくれ」といつも思っている。<br />
なにしてよーが、わしの勝手だろーが、と考えている。<br />
それが社会の基本的な感情なのだから、態度の悪いやつが多いわけである(^^)</p>
<p>他人をかまうことが人生の一部と信じていて、他人も自分を自動的にかまってくれるものだと確信しているアジアからの移民のひとが欧州に来ると、この「わししかないのよ」に押しつぶされてしまう。<br />
あまりの自己中心主義に辟易してしばらくすると欧州社会を心から憎むようになるひともいる。</p>
<p>もっとも当の欧州人のほうは、お互いを自己中心主義、と意識しているわけではなくて、「そんなもんだろう」と思っているだけです。<br />
アジアの人のほうを、「どうして、このひとは自分というものがないのだろう？」と思っている。<br />
偏見は判断のエネルギーを節約する、という。<br />
めんどくさいので、アジア人＝自分がないひとびと、というふうに決めてあるひともたくさんいるよーだ。</p>
<p>大陸欧州人の心の根底には「人間がお互いに分かり合うなんちゅうことがあるだろうか？」という深いわだかまりがある。</p>
<p>通常の状態では、言葉やなんかで人間がお互いにわかりあえるなんて、あるわけねーだろ、と思っている。<br />
正常なときはそうである。<br />
ところが、稀に感情が爆発したりなんかして、いっちょう他人とわかりあってみるか、とおもうことがある。<br />
恋人同士、夫婦のあいだですらそうだが、一緒に住んで同じベッドに眠って、もしかしたら分かり合えるかも知れぬ、と考えて自分の一生をかけた実験というか冒険にのりだしてみる。<br />
全身全霊、というが、文字通り、そこまでの一生で積み立てた魂のエネルギーを全部おろしてきて、全部費消する。<br />
はたからみていると、なにもそこまでやけくそにならんでもえーのに、と思うくらい欧州人の恋愛はすべからく大恋愛である。<br />
だから「別れる」ちゅうようなことになると、大たいへんで、人生がぶっこわれてしまう。</p>
<p>いつか同じような話をしたら、「その割にはアメリカ人とか、ほいほい別れて気楽なもんだよね」という日本のひと（男・４０代）がいたが、まことにケーハクな嫌らしさ、というべきで、なにからなにまで、というのは財布から魂まで共有して、それが１００％できないと感じれば一緒にいられない、と思う、という切実な気持ちがわからない、というのは驚くべき鈍感さだと思います。<br />
ほんとうは欧州人とアメリカ人では、ずいぶん「結婚」「恋愛」について考えが違うが、どちらにも共通しているのは、離婚などは死ぬ直前まで行ってしまうほど思いつめて、ぼろぼろになりながら行う。皆が身にしみて極限までいってしまう感情の激しさと魂を抉りとられてしまうような痛みを知っているので、当のアメリカで「気楽に」などと言えばよってたかって殺されるかもしれない。<br />
日本でも若い人はふつーに「我慢なんてとんでもない。何度でも別れてやりなおしたほうがいい」というが、たいへん良いことだと思う。<br />
きっと、他人へのもぐりこみかたも真剣をきわめたものなのでしょう。</p>
<p>日本にいたときには、楽しいことやおもしろいこともたくさんあったが、<br />
「余計なお世話じゃ」と思うこともたくさんあった。<br />
高速道路を走っていて横断橋に「注意！」で始まる警告が書いてあるので、前を見るのをあきらめて警告の標識を日本のひとに較べて時速で劣る日本語読解力を集中して読むと「前をみて運転しよう！」と書いてあったりする(^^;)<br />
前にも書いたが、「ここから先に行くと崖から落ちます」という崖っぷちの標識版を見たこともある。</p>
<p>日本からもどってからも、福島第一事故がどんどん進行して、カバーアップしようとする政府のカーテンの下から、メルトダウンになって収拾がつかない実態が見えてくるようになっていた頃、中国では鉄道事故があって、事故の処理をみて、<br />
「これでは中国の将来が思いやられる」<br />
「いくらなんでも、こんな事故処理では遺族がかわいそうだ」<br />
「さすがは中国ｗ」<br />
などといって、日本のひとは大喜びだったが、燃えている自分の家から他人の家の夫婦喧嘩を見て、心配をしてみせて、鬱憤をはらすのは、趣味がわるいだろうと考えた。<br />
フクシマなどは、自分の国の問題と実感できないようでした。</p>
<p>日本のひとと話していると、緊急切迫のときほど妙にのんびりしている、というか、現実の事態にうまくアクセスできないでいる、というか、「他人事（ひとごと）ですから」というときの一定の声の調子というものがあるが、現に自分の社会が直面している焦眉の危機について「たいへんですから」と「他人事ですから」と寸分違わない声の調子で考えているように見えることがある。</p>
<p>さし迫った危機としての現実が言葉を通過して思考におよぶころには「ひとごと」と同等な切迫感ないし切迫感の欠落になってしまう、というのは、個々の人の情緒が現実へのアクセス不調に陥っていることを明瞭に示している。</p>
<p>子供の時から拒否したい現実や命令を自分を偽って肯定して受けいれつづけると同じ反応を起こす。<br />
典型的には、たとえば親から性的虐待を受けつづけた子供は自己の情緒にすらアクセスができなくなってしまうことがある。<br />
自分の肉体にすらリアリティが感じられなくて、ほんとうに痛みがあるだろうか、切り刻んでみたい衝動に駆られることがあったりする。</p>
<p>ウソ、という言葉は厳しすぎるだろう。<br />
いやがる自分を抑えつけて、社会のがわからあれをしてはいけないこれもやってはいけないと小突き回され、もう出来ない、と自分自身の心が必死にとりすがって、もうやめよう、たのむから、もうここでやめて逃げよう、と訴えているのに、痛みを和らげるために自分自身の疲労とさえ無理矢理距離をつくって、世間に対してはおろか両親にすら、にっこり微笑んでみせなければならないような一生を送っていれば、魂からみれば、この世界に現実らしい現実などは何もなくなってしまう。<br />
森羅万象のことごとくが「他人事」になる所以であると思う。</p>
<p>「俺のことならほっといて」と、誰かが安んじて言えるようになるには、社会の習慣が変化して、他人へのヒマツブシじみたお節介と余計な口出しをやめて、子供やおとなの魂のまわりに、うんと空き地をつくって、自由に身動きできる余地をつくってやらなければダメなんではなかろーか、と考えました。</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/gamayauber1001.wordpress.com/4590/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/gamayauber1001.wordpress.com/4590/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/gamayauber1001.wordpress.com/4590/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/gamayauber1001.wordpress.com/4590/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/gamayauber1001.wordpress.com/4590/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/gamayauber1001.wordpress.com/4590/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/gamayauber1001.wordpress.com/4590/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/gamayauber1001.wordpress.com/4590/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/gamayauber1001.wordpress.com/4590/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/gamayauber1001.wordpress.com/4590/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/gamayauber1001.wordpress.com/4590/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/gamayauber1001.wordpress.com/4590/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/gamayauber1001.wordpress.com/4590/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/gamayauber1001.wordpress.com/4590/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4590&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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		<title>ピザっ！</title>
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		<pubDate>Tue, 21 Feb 2012 19:47:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamayauber1001</dc:creator>
				<category><![CDATA[食べ物]]></category>

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		<description><![CDATA[「冷えたピザが好きですねん」というとぎょっとした顔をする人がいるが、わしは好物です。 おいしいのよ。 現にいまこうやって書いているときも昨日ツイッタでだらしなくだべっておったら日本では同じものが3100円すると判明した300円のドミノスのピザを食べておる。 朝ご飯です。 ピザ、というものはわしにとってはどういう食べ物であったかというと、子供の時でいうと二ヶ月に一回くらい食べてもいいことになっている「悪い食べ物」「いけないもの」「禁断の果実」だった。 よーし、今日はプロジェクタのスクリーンを下ろして、本格的に怖い映画みるぞお、ポルターガイストでひいひい泣いてくれるわ、というような場合、妹とわしは、じっとかーちゃんの様子をうかがう。 ふたりでこそこそ相談する。 おもいきって訊いてみよう、と衆議一決すると、 たいていは妹が大使として派遣されて、 「ピザを食べてもいいですか？」と訊く。 妹が、それで一生の楽（らく）をつくっている、内面とは何のゆかりもない、わが妹ながら純真無垢な感じがする、天使のような笑顔を浮かべてもどってくると、わしも一緒に「いええええーい」 「極悪ピザ、ばんざあーい」と歓喜する。 カウチの上で跳ねます。 普段はコカコーラなど飲んだら座敷牢にいれられてしまうが、ピザを食べるときだけは飲んでもいいことになっていた。 イタリアはマジなピザがうまい国で、あたりまえだが、ドミノスとは違う食べ物です。 マルガリータ。 日本でもおいしいところがたくさんあるが、イタリアは、桁がふたつくらい違ってうまい。 都会の料理屋ではいちばん安い食べ物でもあって、テーブルとテーブルがものすごく近い、ガイドブックに載らない、でも町では有名な「おいしいピザ屋」で６ユーロ（６３０円）くらいと思う。 もちろんソースによるがパスタの半分くらいの値段。 わしが大好きな某村のピザ屋は、バジルもトマトも庭でとれたものを使う。 頼めばピザの上にのっけてくれる卵も裏庭で猫といつもにらみあいを続けている鶏一家のものである。 ソーセージも何もそういう調子の地元のものなので、ものすごくうまい。 イタリア人は食べ物に対する考え方が日本人とよく似ているところがある。 素材が新鮮でうまければ、それがいっちゃんいーだろー、という考えがそれで、イノシシのステーキでも仔牛でも、オリーブオイルで焼いてそれだけで食べさせたりするのが、うまい。 ピザも、同じ思想に拠っているもののようであって、だから、シンプルなマルガリータがひどくおいしいのだと思われる。 パスタは「アルデンテ」という考えがないので無茶苦茶まずいが、ピザはスペインもうまい。ツナとかタコとか訳のわからねーものが載ってるピザが特にうまいよーだ。 わしのバルセロナのアパートのすぐそばには、途方もなくうまい「スペイン式ピザ」の店があって、この店はたいへん有害である。 バルセロナにはカタロニアやスペインの他の地方のおいしい店が、これでもかこれでもかとあるのに、食べ物を考えるのがメンドクサイと、ついそこのクソうまいヘンタイピザを食べてしまう。 いつもひとが行列しているが、さばくのが速いので、そんなに待つわけではない。 食べ物のために行列するのが嫌いなわしでも、並ぶのが嫌ではありません。 便宜上、「並ぶ」と書いたが、実はスペイン人は並ばない。 なんだか、ぐじゃっ、とひとがいるだけだが、それがスペイン式の行列で、誰が誰のあとか客も店も厳密におぼえている。 観光客がそれと気づかず、先に割り込んで注文でもした日には、大顰蹙もいいところであって、店内が阿鼻叫喚の様相を呈する。 えええー、だって、そんなん店のどこにも書いてないからわかんねーじゃん、というひとがいそうな気がするが、目の前のひとびとを３０秒も観察すれば頭が鶏でもわかることで、そういうことを当然と納得することを「文明」といいます。 「並んで下さい」というような張り紙は、したがって、その社会には文明が存在しないことを示している。 イタリア料理にマルガリータがあって、ピザハットにグリージイでべったべったな肉肉したピザがあるのだから、そのあいだには両者をまたぐミッシングリンクがあるのであろう、と考えるのがおとなの分別というものだが、実際、ミッシングリンクは現存していて、その店はブルックリンにある。 名前をど忘れしちったが、マンハッタンからブルックリン橋をぶらぶら歩いて行って、下りてすぐのところにある。 店の壁に、「アメリカピザ発祥の店」と麗々しく書いてある。 フランク・シナトラやマリリン・モンローがこっちをむいてニッカリ笑っている写真が飾ってあります。 えっ？おれの本に書いてある発祥と違うって？ そ。わしも他の店で、「元祖アメリカンピザ」って書いてあるの見たことあるけどね。 上野のぽんたのとんかつのようなものである、と思って、そーか、いろいろな元祖があるのだな、と納得するのが成熟して温和なオトナの態度というものであると思われる。 マンハッタンを歩いていると、どこにでもここにでもピザ屋がある。 １ドルピザのチェーンもあれば、一枚が３０ドルというようなクソ高い犯罪的な値段の「高級ピザ屋」もある。 わしはマンハッタンのアパートにいるときは、BleeckerのJohn’s Pizzeria http://www.yelp.com/biz/johns-pizzeria-new-york-4 という店まで歩いて行ってテークアウェイのピザをもって帰ってくるが、この店も豪勢な支店をだしたりして、崩壊の日が近いので、来年もどったときには違う店にいくことになるだろーか、と思う。 第一、特殊寿状況によって状況が変化したので、このブログ記事をずっと読んでくれている人にはお馴染みのビレッジのボロアパートではなくて、Upper East Sideにあるモニの大豪華高級骨董品大盛りの、ゴージャスアパートメントになってしまうかもしれぬ。 悲しいが、齢をかさねるというものは、そーゆーものであって、オカネモチになってゆくのに反比例してコーフンとスリルは去ってゆくもののようである。 フィレンツェというような町では、幸福な若いカップルを見るには、週末の夜、川を越えた下町の、いくつかある地元のひとびとに人気のあるピザ屋を覗いてみるとよい。 ６ユーロのピザをあいだにはさんで、おでこがくっつきそうなほど顔を近付けあって若い、オカネのなさそーな、無茶苦茶幸せそうなカップルがたくさんいる。 トスカナのあの無茶苦茶うらやましいB.Y.O.、近所のワイン屋から空き瓶をもっていっていろいろなヴィンヤードから来ている樽から注いでもらう、若いけど素性のよいワインをもってきて、テーブルの上においてあります。 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4558&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/dscf4458.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/dscf4458.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="DSCF4458" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4584" /></a><br />
「冷えたピザが好きですねん」というとぎょっとした顔をする人がいるが、わしは好物です。<br />
おいしいのよ。<br />
現にいまこうやって書いているときも昨日ツイッタでだらしなくだべっておったら日本では同じものが3100円すると判明した300円のドミノスのピザを食べておる。<br />
朝ご飯です。</p>
<p>ピザ、というものはわしにとってはどういう食べ物であったかというと、子供の時でいうと二ヶ月に一回くらい食べてもいいことになっている「悪い食べ物」「いけないもの」「禁断の果実」だった。<br />
よーし、今日はプロジェクタのスクリーンを下ろして、本格的に怖い映画みるぞお、ポルターガイストでひいひい泣いてくれるわ、というような場合、妹とわしは、じっとかーちゃんの様子をうかがう。<br />
ふたりでこそこそ相談する。<br />
おもいきって訊いてみよう、と衆議一決すると、<br />
たいていは妹が大使として派遣されて、<br />
「ピザを食べてもいいですか？」と訊く。<br />
妹が、それで一生の楽（らく）をつくっている、内面とは何のゆかりもない、わが妹ながら純真無垢な感じがする、天使のような笑顔を浮かべてもどってくると、わしも一緒に「いええええーい」<br />
「極悪ピザ、ばんざあーい」と歓喜する。<br />
カウチの上で跳ねます。</p>
<p>普段はコカコーラなど飲んだら座敷牢にいれられてしまうが、ピザを食べるときだけは飲んでもいいことになっていた。</p>
<p>イタリアはマジなピザがうまい国で、あたりまえだが、ドミノスとは違う食べ物です。<br />
マルガリータ。<br />
日本でもおいしいところがたくさんあるが、イタリアは、桁がふたつくらい違ってうまい。<br />
都会の料理屋ではいちばん安い食べ物でもあって、テーブルとテーブルがものすごく近い、ガイドブックに載らない、でも町では有名な「おいしいピザ屋」で６ユーロ（６３０円）くらいと思う。<br />
もちろんソースによるがパスタの半分くらいの値段。</p>
<p>わしが大好きな某村のピザ屋は、バジルもトマトも庭でとれたものを使う。<br />
頼めばピザの上にのっけてくれる卵も裏庭で猫といつもにらみあいを続けている鶏一家のものである。<br />
ソーセージも何もそういう調子の地元のものなので、ものすごくうまい。</p>
<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_13911.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_13911.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_1391" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4562" /></a></p>
<p>イタリア人は食べ物に対する考え方が日本人とよく似ているところがある。<br />
素材が新鮮でうまければ、それがいっちゃんいーだろー、という考えがそれで、イノシシのステーキでも仔牛でも、オリーブオイルで焼いてそれだけで食べさせたりするのが、うまい。<br />
ピザも、同じ思想に拠っているもののようであって、だから、シンプルなマルガリータがひどくおいしいのだと思われる。</p>
<p>パスタは「アルデンテ」という考えがないので無茶苦茶まずいが、ピザはスペインもうまい。ツナとかタコとか訳のわからねーものが載ってるピザが特にうまいよーだ。<br />
<a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0646.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0646.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_0646" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4563" /></a><br />
わしのバルセロナのアパートのすぐそばには、途方もなくうまい「スペイン式ピザ」の店があって、この店はたいへん有害である。<br />
バルセロナにはカタロニアやスペインの他の地方のおいしい店が、これでもかこれでもかとあるのに、食べ物を考えるのがメンドクサイと、ついそこのクソうまいヘンタイピザを食べてしまう。<br />
<a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0644.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0644.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_0644" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4564" /></a><br />
いつもひとが行列しているが、さばくのが速いので、そんなに待つわけではない。<br />
食べ物のために行列するのが嫌いなわしでも、並ぶのが嫌ではありません。</p>
<p>便宜上、「並ぶ」と書いたが、実はスペイン人は並ばない。<br />
なんだか、ぐじゃっ、とひとがいるだけだが、それがスペイン式の行列で、誰が誰のあとか客も店も厳密におぼえている。<br />
観光客がそれと気づかず、先に割り込んで注文でもした日には、大顰蹙もいいところであって、店内が阿鼻叫喚の様相を呈する。<br />
えええー、だって、そんなん店のどこにも書いてないからわかんねーじゃん、というひとがいそうな気がするが、目の前のひとびとを３０秒も観察すれば頭が鶏でもわかることで、そういうことを当然と納得することを「文明」といいます。<br />
「並んで下さい」というような張り紙は、したがって、その社会には文明が存在しないことを示している。</p>
<p>イタリア料理にマルガリータがあって、ピザハットにグリージイでべったべったな肉肉したピザがあるのだから、そのあいだには両者をまたぐミッシングリンクがあるのであろう、と考えるのがおとなの分別というものだが、実際、ミッシングリンクは現存していて、その店はブルックリンにある。<br />
名前をど忘れしちったが、マンハッタンからブルックリン橋をぶらぶら歩いて行って、下りてすぐのところにある。<br />
店の壁に、「アメリカピザ発祥の店」と麗々しく書いてある。<br />
フランク・シナトラやマリリン・モンローがこっちをむいてニッカリ笑っている写真が飾ってあります。<br />
えっ？おれの本に書いてある発祥と違うって？<br />
そ。わしも他の店で、「元祖アメリカンピザ」って書いてあるの見たことあるけどね。<br />
上野のぽんたのとんかつのようなものである、と思って、そーか、いろいろな元祖があるのだな、と納得するのが成熟して温和なオトナの態度というものであると思われる。</p>
<p>マンハッタンを歩いていると、どこにでもここにでもピザ屋がある。<br />
１ドルピザのチェーンもあれば、一枚が３０ドルというようなクソ高い犯罪的な値段の「高級ピザ屋」もある。<br />
わしはマンハッタンのアパートにいるときは、BleeckerのJohn’s Pizzeria<br />
<a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_4024.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_4024.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_4024" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4565" /></a><br />
<a href="http://www.yelp.com/biz/johns-pizzeria-new-york-4">http://www.yelp.com/biz/johns-pizzeria-new-york-4</a><br />
という店まで歩いて行ってテークアウェイのピザをもって帰ってくるが、この店も豪勢な支店をだしたりして、崩壊の日が近いので、来年もどったときには違う店にいくことになるだろーか、と思う。</p>
<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_4026.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_4026.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_4026" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4566" /></a><br />
第一、特殊寿状況によって状況が変化したので、このブログ記事をずっと読んでくれている人にはお馴染みのビレッジのボロアパートではなくて、Upper East Sideにあるモニの大豪華高級骨董品大盛りの、ゴージャスアパートメントになってしまうかもしれぬ。<br />
悲しいが、齢をかさねるというものは、そーゆーものであって、オカネモチになってゆくのに反比例してコーフンとスリルは去ってゆくもののようである。</p>
<p>フィレンツェというような町では、幸福な若いカップルを見るには、週末の夜、川を越えた下町の、いくつかある地元のひとびとに人気のあるピザ屋を覗いてみるとよい。<br />
６ユーロのピザをあいだにはさんで、おでこがくっつきそうなほど顔を近付けあって若い、オカネのなさそーな、無茶苦茶幸せそうなカップルがたくさんいる。<br />
トスカナのあの無茶苦茶うらやましいB.Y.O.、近所のワイン屋から空き瓶をもっていっていろいろなヴィンヤードから来ている樽から注いでもらう、若いけど素性のよいワインをもってきて、テーブルの上においてあります。<br />
どちらのアパートに一緒に住むか、相談している。<br />
浮いたお金を貯金しようね、と女の子がささやいている。<br />
子供もつくれたらいいね。<br />
幸福に暮らすのにオカネなんか、そんなにいらないよね。<br />
健康で、毎日が楽しければ、それでいいみたい。</p>
<p>モニを待っているテーブルで知らん顔をして半分くらいしか判らないイタリア語を頭のなかで明滅させているわしは、なにがなし、ほろりとしてしまう。<br />
健康に悪くても、やっぱりピザはいいな、とわけのわからないことを考えて納得するのです。</p>
<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_3170.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_3170.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_3170" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4567" /></a></p>
<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_1851.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_1851.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_1851" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4568" /></a></p>
<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_3016.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_3016.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_3016" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4569" /></a></p>
<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0134.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0134.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_0134" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4570" /></a></p>
<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_2666.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_2666.jpg?w=420&#038;h=280" alt="" title="IMG_2666" width="420" height="280" class="aligncenter size-full wp-image-4571" /></a></p>
<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0660.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0660.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_0660" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4572" /></a></p>
<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0658.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0658.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_0658" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4573" /></a></p>
<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0138.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_0138.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_0138" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4574" /></a></p>
<p>（いま見ると、他の写真を撮ったりしたらオオバカモノの暗黙の約契があったりする料理屋と違ってピザ屋などは気楽なものなので、ピザは大量に写真がある。ほんで、少しおおめに写真をのっけることにしました。<br />
１番目の写真は「ピデ」という名前のトルコのピザ。奥のおっちゃんはピザを切っているが神速でごんす。</p>
<p>２番目が、前にも載っけたことがあるよーな気がするが、文中にある「わしの好きなピザ屋（イタリア某村）のきのこのピザ。<br />
３番目のナイフとフォークにはさまれてるのがバルセロナのアパートの近くの店のツナピザ、<br />
下がタコのピザ。</p>
<p>わしが愛好するジョンズのピザの箱と中身。<br />
隣のアップルの電源や右上のボールポイントペンと較べるといかに巨大か判るであろう。<br />
アメリカのピザは一般に欧州のものに較べるとバカでかい。</p>
<p>その下にずらずらずらと、７枚並んでいる一番上はバルセロナのわし近所カマンベール。<br />
2番目はコモ湖でわしがいちばん好きなピザ屋のピザ。<br />
このチビトマトが味が濃くて甘くて、すごおおおくおいしいんでごんす。<br />
次はミッドタウンでときどき行くピザ店のランチピザだな、これは。<br />
次はチェルシーのマフィアがやっている噂がある店。<br />
あんましおいしくない。<br />
その下の右側が焦げてるのは、わしがよく作るピザ。<br />
下のドウは、インドのロティを使うのね。<br />
次に二枚はカタロニア式のピザで、初めのはフィグ（日本語ど忘れ）とラム、次のがアンチョビとトマト。<br />
小さくてうまいんでがす。<br />
郷土料理屋に行けばあります。<br />
最後は、わし）<br />
（嘘です）<br />
（あたりまえだがや）</p>
<p>（ツイッタで「食べ物の話書いてみれば」というひとがいたが、食べ物の記事は、このブログの右下の検索で「食物図鑑」と入力すると、ずらずらでるだよ）</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/gamayauber1001.wordpress.com/4558/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/gamayauber1001.wordpress.com/4558/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/gamayauber1001.wordpress.com/4558/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/gamayauber1001.wordpress.com/4558/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/gamayauber1001.wordpress.com/4558/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/gamayauber1001.wordpress.com/4558/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/gamayauber1001.wordpress.com/4558/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/gamayauber1001.wordpress.com/4558/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/gamayauber1001.wordpress.com/4558/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/gamayauber1001.wordpress.com/4558/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/gamayauber1001.wordpress.com/4558/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/gamayauber1001.wordpress.com/4558/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/gamayauber1001.wordpress.com/4558/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/gamayauber1001.wordpress.com/4558/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4558&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>どこかで見たひと</title>
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		<pubDate>Mon, 20 Feb 2012 13:35:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamayauber1001</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本と日本人]]></category>

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		<description><![CDATA[特に日本に生まれたいとおもったことはないが、日本にうまれても、それはそれで何とかなっただろうとは思う。 義理叔父という従兄弟の父親がいて、このひとは年齢が離れていても友人であるとおもっているが、このおじちゃんは日本人でもあって、その割には気楽に暮らしてきたようにみえるからです。 話を聞いていると、どーも中学や高校はさぼってばかりいたよーだ。 学校をさぼって、渋谷の大盛堂書店やヤマハ、青山の根津美術館、京橋のフィルムセンター、銀座の旭屋書店、神保町の古本屋、そういうところにばかりいた。 その頃は、まだガキが街をうろうろすると、ときどきお巡りさんが追いかけてきたもののよーで、制服は着ていなくても、顔をみればガキとばれる義理叔父は、よく全速力で２４６号線を走ったりしたという。 ジョギングをしていたわけではなくて、後ろから警棒もったお巡りさんが追いかけてくるからです。 むかしのお巡りさんはマジメだったようだ。 「あれってさ、タバコ喫ってるとやばいのよね」と義理叔父は言う。 14歳から２０歳までタバコを喫っていた。 ある雨の日、タバコを買いに行くのがめんどくさかったのでタバコをやめた。 このブログ記事を読む人が義理叔父とはわしのことではないかとおもうわけである。 似ている、と思います。 このひとは節目節目で難しい学校に（多分カンニングで）合格しているが、 「それが日本の社会の窮屈から逃れるゆいいつの方法だったんだよ。別にブランド主義じゃないのよ」と述べている。 実際、義理叔父の母親である鎌倉ばーちゃんに聞くと、当時は鎌倉でなくて渋谷区に住んでいたが、ひるまっからぶらぶらしていても、「あそこのＸＸちゃんは、頭がいいけど変わり者だからしょーがない」ですんだそーだ。 「有名校に行っていなければな、おまえ」と、義理叔父はよく酔っ払うと言う。 「いまごろはとっくに山椒大夫に売られておる」 長じて、トーダイに裏口入学した。 表からはいったわけではないのは、義理叔父のお友達がみな保証してくれるので、動かぬ事実であると思われる。 ほんとはバカなのに、とは、身内であるから、いくらなんでも言わないが、それからずっと「トーダイ出」で他人の目をくらませてきた。 もっとも、義理叔父の名誉のために言うと、まさか自分から学歴を言い出したりはしません。 おばちゃんやなんかにひつこく訊かれたときだけである。 ここから先は、あんまり詳しく書くと経験から言って張り倒されるのが判っているので、安全保障上書かないが、基本的に義理叔父のやりかたは他人と競争することなく「別リーグ」を設立して、そこのお山の大将で暮らすという方法であったようだが、日本の社会にいろいろ意地悪されかけたりしたものの、トーダイがものを言って、あるいはわしに似たチョーテキトーな性格が幸いして、比較的楽ちんな人生を送ってきたもののよーである。 日本の楽しみ方、のようなものは、すべてこの義理叔父から教わった。 わしが大学にはいってからは、休みがあると、ガメ、航空券代だしてやるから日本に来いよ、といって従兄弟と3人であったり、２人であったりしたが、あちこちに一緒にでかけたものだった。 だから日本人にうまれても、なんとなくやれたよーな気がする。 実際、義理叔父は３０歳をすぎてからは、ほとんど午前中に起きたことがないよーだ。 とてもダメな人であって、それでもそうそう大変でもなく生活できているのだから、どんな社会でも苛酷を逃れる道はあるのだろう。 日本にうまれていれば、理学ではなくて工学をやったと思われる。 イギリスやニュージーランドより土壌として手をつかって工学をやるうえで恵まれた国だから。 英語とかは興味がなかっただろう。 ヘンなものばかりつくって、おまえは研究者じゃなくて職人かと苛められながら、ときどき銀座の鮨屋でへべれけになって、呂律もまわらず、まっすぐ歩けもせずに終電で逗子の家へ帰ったのではあるまいか。 たいしてインターネットも使わず、たまたま見つけた裕福そうなニュージーランドのクソガキの、しかも日本語で書きやがったブログを読んで腹をたてては、こおーのクソガキが、楽しやがって、と毒づいていたりしたものだと思われる。 夜中にはときどき鎧摺の小径を抜けてチョージャガサキに歩いていったりしただろう。 低くて小さな、暗い山影をみあげて、日本はなんて良い国だろう、と考えたにちがいない。 それから、長者ヶ崎の小さな砂浜に腰を下ろして酒を飲む。 夜光虫って綺麗だなあー、と思いながら、少し眠ったりする。 もう３０歳すぎちゃったけど、おれって結婚しないのかなあー。 なんだか女のひとが同じベッドで眠る生活なんて、現実じゃないような気がする。 セックスは体液があるから好きになれない。 男も女もワックスで、ただすべすべしていて、うめき声やあえぐ音もなくて、 静かで乾いたものだったら、どんなにいいだろう。 茅ヶ崎のアメリカ式の映画館で日本語がヘンな字幕の映画を観たり、境川のわきの道をずっとのぼって、ソニーの工場の跡にできたモールまで自転車で行く。 帰りにはシュクレアで、ハンバーグカレーを食べて帰る。 …..どうも、こうやって「日本人にうまれた、もうひとりの自分」のことを考えていると、英語を話したり、外国に旅行へ行ったりする人間であるように思えない。 どちらかというと、部屋のなかで、机が中心の生活をして、休みの日も、ときどき自転車やクルマで、せいぜい鎌倉、どんなに足をのばしても茅ヶ崎くらいまでしか出かけないで暮らすタイプの人間だったように思われる。 案外、もともとそーゆー人間なんだな、わしは、と思わなくもない。 月曜日になれば、電車に乗って、文庫本を読みながら東京へ行くだろう。 戸板康二の「中村雅楽」推理小説シリーズがお気に入りなのだ。 推理小説を読むのに逗子から東京までの一時間はちょうど良い時間である。 駅に着くと、栞をはさんで、丸の内の改札を出る。 壊されてしまった丸ビルのほうが、なんだか安普請の新しい丸ビルよりもずっと好きだった。 広い、螺旋階段をあがってゆくと文明堂があって、そこでよくカステラとお茶でのんびりした。 カステラは福砂屋のほうがうまいが、文明堂もわるくはない。 開発業者というのは、どうして良いものばかり、気が落ち着く場所ばかり狙って、ぶちこわして、落ち着かない安普請を立てたがるのか理由がわからない。 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4547&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_4031.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_4031.jpg?w=420&#038;h=280" alt="" title="IMG_4031" width="420" height="280" class="aligncenter size-full wp-image-4548" /></a></p>
<p>特に日本に生まれたいとおもったことはないが、日本にうまれても、それはそれで何とかなっただろうとは思う。<br />
義理叔父という従兄弟の父親がいて、このひとは年齢が離れていても友人であるとおもっているが、このおじちゃんは日本人でもあって、その割には気楽に暮らしてきたようにみえるからです。</p>
<p>話を聞いていると、どーも中学や高校はさぼってばかりいたよーだ。<br />
学校をさぼって、渋谷の大盛堂書店やヤマハ、青山の根津美術館、京橋のフィルムセンター、銀座の旭屋書店、神保町の古本屋、そういうところにばかりいた。<br />
その頃は、まだガキが街をうろうろすると、ときどきお巡りさんが追いかけてきたもののよーで、制服は着ていなくても、顔をみればガキとばれる義理叔父は、よく全速力で２４６号線を走ったりしたという。<br />
ジョギングをしていたわけではなくて、後ろから警棒もったお巡りさんが追いかけてくるからです。<br />
むかしのお巡りさんはマジメだったようだ。</p>
<p>「あれってさ、タバコ喫ってるとやばいのよね」と義理叔父は言う。<br />
14歳から２０歳までタバコを喫っていた。<br />
ある雨の日、タバコを買いに行くのがめんどくさかったのでタバコをやめた。<br />
このブログ記事を読む人が義理叔父とはわしのことではないかとおもうわけである。<br />
似ている、と思います。</p>
<p>このひとは節目節目で難しい学校に（多分カンニングで）合格しているが、<br />
「それが日本の社会の窮屈から逃れるゆいいつの方法だったんだよ。別にブランド主義じゃないのよ」と述べている。<br />
実際、義理叔父の母親である鎌倉ばーちゃんに聞くと、当時は鎌倉でなくて渋谷区に住んでいたが、ひるまっからぶらぶらしていても、「あそこのＸＸちゃんは、頭がいいけど変わり者だからしょーがない」ですんだそーだ。<br />
「有名校に行っていなければな、おまえ」と、義理叔父はよく酔っ払うと言う。<br />
「いまごろはとっくに山椒大夫に売られておる」</p>
<p>長じて、トーダイに裏口入学した。<br />
表からはいったわけではないのは、義理叔父のお友達がみな保証してくれるので、動かぬ事実であると思われる。</p>
<p>ほんとはバカなのに、とは、身内であるから、いくらなんでも言わないが、それからずっと「トーダイ出」で他人の目をくらませてきた。<br />
もっとも、義理叔父の名誉のために言うと、まさか自分から学歴を言い出したりはしません。<br />
おばちゃんやなんかにひつこく訊かれたときだけである。</p>
<p>ここから先は、あんまり詳しく書くと経験から言って張り倒されるのが判っているので、安全保障上書かないが、基本的に義理叔父のやりかたは他人と競争することなく「別リーグ」を設立して、そこのお山の大将で暮らすという方法であったようだが、日本の社会にいろいろ意地悪されかけたりしたものの、トーダイがものを言って、あるいはわしに似たチョーテキトーな性格が幸いして、比較的楽ちんな人生を送ってきたもののよーである。</p>
<p>日本の楽しみ方、のようなものは、すべてこの義理叔父から教わった。<br />
わしが大学にはいってからは、休みがあると、ガメ、航空券代だしてやるから日本に来いよ、といって従兄弟と3人であったり、２人であったりしたが、あちこちに一緒にでかけたものだった。</p>
<p>だから日本人にうまれても、なんとなくやれたよーな気がする。<br />
実際、義理叔父は３０歳をすぎてからは、ほとんど午前中に起きたことがないよーだ。<br />
とてもダメな人であって、それでもそうそう大変でもなく生活できているのだから、どんな社会でも苛酷を逃れる道はあるのだろう。</p>
<p>日本にうまれていれば、理学ではなくて工学をやったと思われる。<br />
イギリスやニュージーランドより土壌として手をつかって工学をやるうえで恵まれた国だから。</p>
<p>英語とかは興味がなかっただろう。<br />
ヘンなものばかりつくって、おまえは研究者じゃなくて職人かと苛められながら、ときどき銀座の鮨屋でへべれけになって、呂律もまわらず、まっすぐ歩けもせずに終電で逗子の家へ帰ったのではあるまいか。</p>
<p>たいしてインターネットも使わず、たまたま見つけた裕福そうなニュージーランドのクソガキの、しかも日本語で書きやがったブログを読んで腹をたてては、こおーのクソガキが、楽しやがって、と毒づいていたりしたものだと思われる。</p>
<p>夜中にはときどき鎧摺の小径を抜けてチョージャガサキに歩いていったりしただろう。<br />
低くて小さな、暗い山影をみあげて、日本はなんて良い国だろう、と考えたにちがいない。<br />
それから、長者ヶ崎の小さな砂浜に腰を下ろして酒を飲む。<br />
夜光虫って綺麗だなあー、と思いながら、少し眠ったりする。<br />
もう３０歳すぎちゃったけど、おれって結婚しないのかなあー。<br />
なんだか女のひとが同じベッドで眠る生活なんて、現実じゃないような気がする。<br />
セックスは体液があるから好きになれない。<br />
男も女もワックスで、ただすべすべしていて、うめき声やあえぐ音もなくて、<br />
静かで乾いたものだったら、どんなにいいだろう。</p>
<p>茅ヶ崎のアメリカ式の映画館で日本語がヘンな字幕の映画を観たり、境川のわきの道をずっとのぼって、ソニーの工場の跡にできたモールまで自転車で行く。<br />
帰りにはシュクレアで、ハンバーグカレーを食べて帰る。</p>
<p>…..どうも、こうやって「日本人にうまれた、もうひとりの自分」のことを考えていると、英語を話したり、外国に旅行へ行ったりする人間であるように思えない。<br />
どちらかというと、部屋のなかで、机が中心の生活をして、休みの日も、ときどき自転車やクルマで、せいぜい鎌倉、どんなに足をのばしても茅ヶ崎くらいまでしか出かけないで暮らすタイプの人間だったように思われる。<br />
案外、もともとそーゆー人間なんだな、わしは、と思わなくもない。</p>
<p>月曜日になれば、電車に乗って、文庫本を読みながら東京へ行くだろう。<br />
戸板康二の「中村雅楽」推理小説シリーズがお気に入りなのだ。<br />
推理小説を読むのに逗子から東京までの一時間はちょうど良い時間である。<br />
駅に着くと、栞をはさんで、丸の内の改札を出る。</p>
<p>壊されてしまった丸ビルのほうが、なんだか安普請の新しい丸ビルよりもずっと好きだった。<br />
広い、螺旋階段をあがってゆくと文明堂があって、そこでよくカステラとお茶でのんびりした。<br />
カステラは福砂屋のほうがうまいが、文明堂もわるくはない。<br />
開発業者というのは、どうして良いものばかり、気が落ち着く場所ばかり狙って、ぶちこわして、落ち着かない安普請を立てたがるのか理由がわからない。</p>
<p>いちばんの痛手は丸ビルの裏っかわにあった「サラリーマン向け廉価版竹葉亭」で、本店や他の支店では２４００円の鰻丼が１０００円で食えたのに、なくなってしまった。<br />
鰻も姿が悪いのが集まっているだけで、味も変わらない。<br />
器が重箱のかわりに縁が欠けた丼だが、鰻丼、というくらいで、重箱いりより丼にはいっているほうが、ずっと好きだった。<br />
仕事が終わって、 中年の整髪料の臭いをぷんぷんさせたおっちゃんたちに混じって、１２００円の蒲焼きでビールをぐっとやる。<br />
あんなに楽しいことはなかったのに、その一週間にいちどの楽しみもまるごとなくなってしまった。</p>
<p>もっとも、むかしつきあってたＫ子は、まだ２０代のまんなかなのに、おっさんくさすぎて信じられない、とゆっておったな。<br />
実際、そう思っていたようで、もっと流線型の地方からきた都会人の男と結婚してしまった。</p>
<p>いいわけはある。<br />
ぼくは東京の山の手ガキだからな。<br />
東京人は、すげーオジンくせーんだよ。<br />
知らないんだな。</p>
<p>とはいえ、たしかに、もう生きた化石だよな。<br />
まだ風呂敷が好きだし。<br />
カブトガニみたいなものか。<br />
中国人て、カブトガニを食べるんだって、なにかに書いてあったな。<br />
どうしてあのひとたちは、ああなんでもかんでも食べるんだろう。</p>
<p>んー。飽きてきた。<br />
モデルが義理叔父の友達なので、どうも生活が３０代にならない。<br />
あとは、どうしても日本の生活の底にある具体的な細部がわかってない。<br />
頭のなかで「日本にうまれたわし」を作って日本の生活のよいところを楽しもうと思ったが、同じくらいの日本人友達をモデルにとると、どうしても青山のバーやなんかに偏って、なんちゅうか、ロンドンやマンハッタンのパチモンというか、わしの心にぐっとくるような日本酒やさびしい音の世界になってゆかない、ということもある。</p>
<p>５年にわたる１１回の大遠征と威張っているが、やっぱり、ほんとうは何も見ていない。<br />
特に仕事でかかわったわけでもなく、その国のガールフレンドがいたわけでもない国との関わりなど、一枚皮をむいてしまえば、そんなものなのかも知れないなあー、と思うと、いままで日本語でやってきたことはみんな砂場の遊びのようなもので、なんにも残らなくて、でもまあ、それはそれでいいか、と考えてみたりする。<br />
実際、ここ以上には、１歩も先には行けないのかもしれません。</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/gamayauber1001.wordpress.com/4547/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/gamayauber1001.wordpress.com/4547/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/gamayauber1001.wordpress.com/4547/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/gamayauber1001.wordpress.com/4547/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/gamayauber1001.wordpress.com/4547/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/gamayauber1001.wordpress.com/4547/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/gamayauber1001.wordpress.com/4547/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/gamayauber1001.wordpress.com/4547/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/gamayauber1001.wordpress.com/4547/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/gamayauber1001.wordpress.com/4547/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/gamayauber1001.wordpress.com/4547/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/gamayauber1001.wordpress.com/4547/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/gamayauber1001.wordpress.com/4547/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/gamayauber1001.wordpress.com/4547/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4547&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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		<title>雪の日のブランコめざして</title>
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		<pubDate>Sun, 19 Feb 2012 03:11:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamayauber1001</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本の社会]]></category>

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		<description><![CDATA[「完全なる神がつくりたもうた驚異的に精緻な人間」という意見にはむかしから色々な反論がある。 盲点、などは聞いたことがあるひともいるだろう。 人間の目は視神経が内側から外側に突き抜ける構造になっているために、盲点が生じてしまっている。 http://en.wikipedia.org/wiki/Blind_spot_(vision) 脊椎動物はみな盲点を持っているが、イカには盲点はない。 表皮由来の水晶体眼なので視力も人間よりすぐれ、老眼も近眼もない(^^) 「神がつくりたもうた」とすればひどい手抜きで、しかも人間の眼は基本的に脳の一部なので、脳が露出しているなんて気味が悪い、とわしなども考える。 むかしの医学では「人間の身体の部品は百年もつように出来ている」とゆっていたが、最近は（例によって例のごとく）学説が変わって「だいたい５０年」という信長が好きだった幸若舞みたいな説になった。 周囲の人間を観察すると、人間が正気のひととして人間らしい活動をするのは、だいたい２０歳から５０歳くらいまでであって、あとはそれまでのシリーズのエピソードの同工異曲というか総集編というか、残映のような人生というかで。医学が発達しようが栄養状態がよくなろうが、実働は３０年前後であるらしい。 わしの考えでは人間のなかで最も偉大な場所に到達したと思われるゴータマは80歳まで生きた。 なにひとつ不自由のないラッキーなやつだったが、２９歳で、酒池肉林にも、もてもてで、　いちゃいちゃもんもんシホーダイなのにもすべて飽きて、全インドの王か覚者かの二択を自分に迫って覚者の道を選んだ。 この世界の醜い表層の下にある自然こそが人間の涅槃なのだと悟って成道したのが３５歳だという。 ゴータマを人間の一生の例として考えてみる、というのはアホいが、しかし、考えてみるとゴータマも他の人間と同じで３０代を中心に一生がまわっていたように見えます。 わしは子供のときからのんびりが好きで、急かされるのが嫌いだった。 道を渡るにも走るという習慣がない国に育ったせいもあるかもしれません。 このあいだロンドンに帰ったときに舗道を走っている３０代くらいのおっちゃんがいたので、ぶっくらこいてしまったが、わしが子供の頃は公道を「走る」というのはイギリスでもニュージーランドでも人目をひく、異常な行動だった。 この頃はオークランドでも「小走り」に道路を渡るひとをみるようになったが、そういうひとが現れたのは極く最近のことです。 クライストチャーチでは、まだ、むかしのままで、道を渡るのに走るひとはいない。 義理叔父に言わせると、英語人、特にわしや周りのひと（頭の回転がチョーはやい妹は除く）の会話はいしいひさいちの名作「地底人対最底人」 http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20110403/1301783223 の会話に最も近いという。 「間（ま）の取り方が同じで、見ていて可笑しい」と失礼なことをいう。 その一方で、義理叔父自身が知らないのは、この人はしびれを切らすのか、相手がまだ返事をしていないのに、また自分の意見を重ねて言うので英語世界では「悪い人ではないが失礼なひと」ということになっている（ばらしてもうた） このブログでは、何回も繰り返しでてくるが、「時間」が違うからだと思います。 「急かされるのが嫌いだ」と書いたが、わしは、学校や家で急かされたことはない。 英語世界の基準からゆってもチョーのんびりなわしが、うーんと、えーと、と心のなかで考えていると、みながじっとわしを見ている。 それでも言葉が出るところまで行き着かないので、えーと、うーんと、をしていると、先生なり母親なりが、「ゆっくり考えていいのですよ」と相の手をいれるであろう。 で、やっと考えがまとまって、 「わかんねー」と言うと、また相手が滔滔と持論を述べる、というふうであった。 シンガポールの大学に近いところにあるホットドッグ屋で行列に並んでいたら、いくらなんでもわしほどではないが、のんびりな女の子が、ホットドッグを注文している。 屋台の高いところからみおろしたにーちゃんが「マスタードいる？」と訊くと、えーと、あーと、どーしよーかなー、「いれてください」という調子で、考えながら注文していたら、わしがぶっくらこいたことに後ろで並んでいた学生たちが、「ぐずぐずすんな！並んでるあいだに注文ぐらい考えておけよ！おれたちは昼休み短いんだぞ！」という。 女の子はローバイしてます。 注文が終わって紙袋を渡すときになると、ハンドバッグを開けて財布を探す。 すると、また、「あーあ、いまごろになって財布かよ」 聞こえよがしに「ちぇっ！」と舌打ちしてるひともいる。 このひとたちって、ばーかみたい、とわしは考えたが、シンガポールは観察によると忙しい国で「効率」ということを最も尊ぶよーであった。 わしは、ああいう国では到底生きていかれない。 オカネがあっても時間がなければ、そのオカネで、あーゆーウフフなことや、ムヒヒなことをしてモニと遊べないので、冷菜凍死とゆっても忙しいことはやる気がしない。 そんなんでダイジョーブなのか、という人もいるが、あいつは一年に５日くらいしか働かない、引き籠もりで人とも全然あわない、という定評が出来てしまったので、わしが働かないからとゆって怒る人はもういなくなった。 なにごとも「慣れ」である。 わしは酒池肉林もすべこいモニさんとのイチャイチャモンモンも、まだ全然飽きていなくて、ゴータマのような人間としての優れた資質に決定的に欠けておるので、これからも一生、のおおおおーんびり生きているのに決まっていて、死んだらきっと「世界でいちばんナマケモノであった男ここに眠る」とかなんとかいう立派な碑を妹が建ててくれるに決まっているが、別にそれで構わない、と思っている。 これも日本語で何回も試してみているが、このあいだ、またぞろ「塾があると子供は時間を奪われるからやめたほうがよい」と書いたら、また反対された。 学校がダメだから、しょうがない、と言う、いつもの意見だった。 日本の学校がダメかどうかわからないので、わしにはそうゆわれると返す言葉がなくて、そーですか、としか言いようがないが、どうも話のどこかがおかしいような気がする。 学校がダメだとして、やはり学校を再建するほうが先であるのは、わしもそう思うが、そのためには塾が存在していては学校は再建できないのではないだろうか。 しかも、塾によって本来の学力を補完する、良い教師との出会いを補完する、というやりかたでは結局はオカネモチのガキだけが良質な教育を受けることになるのではないか。 塾というものが産業である以上、良質なクラスを提供する塾は、高い対価を要求するだろう。 「どこそこの学校に何人はいりました」というような数に変換しやすくて判りやすい、というのは、そのまま、反教育的な「数字」にこだわるパチモン教育に走りやすいのではないか。 もうひとつ、もともと、わしが嫌われてもいじめられても(^^)　ずうううっと「塾なんかいらねー」とゆっているのは、塾が子供から時間を奪うということのほうに力点をおいて言っているつもりで、日本の人には感傷といわれるが、しかしわしは、ガキが雑木林にわけいってイノシシと出会ってぶっくらこいたり、農業用水に落ちて溺れかけたりするのをガキが世界と交渉する感覚を身につける過程において必須であると考える。 就中、雨に降り込められた午後に、家のなかのベッドで、人間って死んじゃうのかなあー、かーちゃんも死んじゃうんだってゆってたなあー、げえー、かーちゃん、わしより先に死んじゃうのか、神様にお願いして代わりに妹を生け贄にささげるけどダメですか？ちゅうわけにはいかないのかなあー、と考えたり、 宇宙をずううううううっっと行くと、どーなるんだ。 神様の形をした標識が立っていて「光も時間もここで終わり」とか書いてあるのか？とか、あるいは、 全宇宙が神様のめんたまの虹彩より小さいという話はほんとうだろーか？ 第一、わしのチ○チンはなんのためについておるのだ、 と、退屈で死にそうになりながら、うっぷして、枕に顔を埋めて考えることには、人間には思いも掛けないほどのおおきな意味があるに違いない。 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4540&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_1392.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_1392.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_1392" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4541" /></a></p>
<p>「完全なる神がつくりたもうた驚異的に精緻な人間」という意見にはむかしから色々な反論がある。<br />
盲点、などは聞いたことがあるひともいるだろう。<br />
人間の目は視神経が内側から外側に突き抜ける構造になっているために、盲点が生じてしまっている。<br />
<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Blind_spot_(vision)">http://en.wikipedia.org/wiki/Blind_spot_(vision)<br />
</a><br />
脊椎動物はみな盲点を持っているが、イカには盲点はない。<br />
表皮由来の水晶体眼なので視力も人間よりすぐれ、老眼も近眼もない(^^)<br />
「神がつくりたもうた」とすればひどい手抜きで、しかも人間の眼は基本的に脳の一部なので、脳が露出しているなんて気味が悪い、とわしなども考える。</p>
<p>むかしの医学では「人間の身体の部品は百年もつように出来ている」とゆっていたが、最近は（例によって例のごとく）学説が変わって「だいたい５０年」という信長が好きだった幸若舞みたいな説になった。</p>
<p>周囲の人間を観察すると、人間が正気のひととして人間らしい活動をするのは、だいたい２０歳から５０歳くらいまでであって、あとはそれまでのシリーズのエピソードの同工異曲というか総集編というか、残映のような人生というかで。医学が発達しようが栄養状態がよくなろうが、実働は３０年前後であるらしい。</p>
<p>わしの考えでは人間のなかで最も偉大な場所に到達したと思われるゴータマは80歳まで生きた。<br />
なにひとつ不自由のないラッキーなやつだったが、２９歳で、酒池肉林にも、もてもてで、　いちゃいちゃもんもんシホーダイなのにもすべて飽きて、全インドの王か覚者かの二択を自分に迫って覚者の道を選んだ。<br />
この世界の醜い表層の下にある自然こそが人間の涅槃なのだと悟って成道したのが３５歳だという。</p>
<p>ゴータマを人間の一生の例として考えてみる、というのはアホいが、しかし、考えてみるとゴータマも他の人間と同じで３０代を中心に一生がまわっていたように見えます。</p>
<p>わしは子供のときからのんびりが好きで、急かされるのが嫌いだった。<br />
道を渡るにも走るという習慣がない国に育ったせいもあるかもしれません。<br />
このあいだロンドンに帰ったときに舗道を走っている３０代くらいのおっちゃんがいたので、ぶっくらこいてしまったが、わしが子供の頃は公道を「走る」というのはイギリスでもニュージーランドでも人目をひく、異常な行動だった。<br />
この頃はオークランドでも「小走り」に道路を渡るひとをみるようになったが、そういうひとが現れたのは極く最近のことです。<br />
クライストチャーチでは、まだ、むかしのままで、道を渡るのに走るひとはいない。</p>
<p>義理叔父に言わせると、英語人、特にわしや周りのひと（頭の回転がチョーはやい妹は除く）の会話はいしいひさいちの名作「地底人対最底人」<br />
<a href="http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20110403/1301783223">http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20110403/1301783223</a><br />
の会話に最も近いという。<br />
「間（ま）の取り方が同じで、見ていて可笑しい」と失礼なことをいう。</p>
<p>その一方で、義理叔父自身が知らないのは、この人はしびれを切らすのか、相手がまだ返事をしていないのに、また自分の意見を重ねて言うので英語世界では「悪い人ではないが失礼なひと」ということになっている（ばらしてもうた）</p>
<p>このブログでは、何回も繰り返しでてくるが、「時間」が違うからだと思います。</p>
<p>「急かされるのが嫌いだ」と書いたが、わしは、学校や家で急かされたことはない。<br />
英語世界の基準からゆってもチョーのんびりなわしが、うーんと、えーと、と心のなかで考えていると、みながじっとわしを見ている。<br />
それでも言葉が出るところまで行き着かないので、えーと、うーんと、をしていると、先生なり母親なりが、「ゆっくり考えていいのですよ」と相の手をいれるであろう。<br />
で、やっと考えがまとまって、<br />
「わかんねー」と言うと、また相手が滔滔と持論を述べる、というふうであった。</p>
<p>シンガポールの大学に近いところにあるホットドッグ屋で行列に並んでいたら、いくらなんでもわしほどではないが、のんびりな女の子が、ホットドッグを注文している。<br />
屋台の高いところからみおろしたにーちゃんが「マスタードいる？」と訊くと、えーと、あーと、どーしよーかなー、「いれてください」という調子で、考えながら注文していたら、わしがぶっくらこいたことに後ろで並んでいた学生たちが、「ぐずぐずすんな！並んでるあいだに注文ぐらい考えておけよ！おれたちは昼休み短いんだぞ！」という。<br />
女の子はローバイしてます。<br />
注文が終わって紙袋を渡すときになると、ハンドバッグを開けて財布を探す。<br />
すると、また、「あーあ、いまごろになって財布かよ」<br />
聞こえよがしに「ちぇっ！」と舌打ちしてるひともいる。</p>
<p>このひとたちって、ばーかみたい、とわしは考えたが、シンガポールは観察によると忙しい国で「効率」ということを最も尊ぶよーであった。<br />
わしは、ああいう国では到底生きていかれない。</p>
<p>オカネがあっても時間がなければ、そのオカネで、あーゆーウフフなことや、ムヒヒなことをしてモニと遊べないので、冷菜凍死とゆっても忙しいことはやる気がしない。<br />
そんなんでダイジョーブなのか、という人もいるが、あいつは一年に５日くらいしか働かない、引き籠もりで人とも全然あわない、という定評が出来てしまったので、わしが働かないからとゆって怒る人はもういなくなった。<br />
なにごとも「慣れ」である。<br />
わしは酒池肉林もすべこいモニさんとのイチャイチャモンモンも、まだ全然飽きていなくて、ゴータマのような人間としての優れた資質に決定的に欠けておるので、これからも一生、のおおおおーんびり生きているのに決まっていて、死んだらきっと「世界でいちばんナマケモノであった男ここに眠る」とかなんとかいう立派な碑を妹が建ててくれるに決まっているが、別にそれで構わない、と思っている。</p>
<p>これも日本語で何回も試してみているが、このあいだ、またぞろ「塾があると子供は時間を奪われるからやめたほうがよい」と書いたら、また反対された。<br />
学校がダメだから、しょうがない、と言う、いつもの意見だった。<br />
日本の学校がダメかどうかわからないので、わしにはそうゆわれると返す言葉がなくて、そーですか、としか言いようがないが、どうも話のどこかがおかしいような気がする。<br />
学校がダメだとして、やはり学校を再建するほうが先であるのは、わしもそう思うが、そのためには塾が存在していては学校は再建できないのではないだろうか。<br />
しかも、塾によって本来の学力を補完する、良い教師との出会いを補完する、というやりかたでは結局はオカネモチのガキだけが良質な教育を受けることになるのではないか。<br />
塾というものが産業である以上、良質なクラスを提供する塾は、高い対価を要求するだろう。<br />
「どこそこの学校に何人はいりました」というような数に変換しやすくて判りやすい、というのは、そのまま、反教育的な「数字」にこだわるパチモン教育に走りやすいのではないか。</p>
<p>もうひとつ、もともと、わしが嫌われてもいじめられても(^^)　ずうううっと「塾なんかいらねー」とゆっているのは、塾が子供から時間を奪うということのほうに力点をおいて言っているつもりで、日本の人には感傷といわれるが、しかしわしは、ガキが雑木林にわけいってイノシシと出会ってぶっくらこいたり、農業用水に落ちて溺れかけたりするのをガキが世界と交渉する感覚を身につける過程において必須であると考える。</p>
<p>就中、雨に降り込められた午後に、家のなかのベッドで、人間って死んじゃうのかなあー、かーちゃんも死んじゃうんだってゆってたなあー、げえー、かーちゃん、わしより先に死んじゃうのか、神様にお願いして代わりに妹を生け贄にささげるけどダメですか？ちゅうわけにはいかないのかなあー、と考えたり、<br />
宇宙をずううううううっっと行くと、どーなるんだ。<br />
神様の形をした標識が立っていて「光も時間もここで終わり」とか書いてあるのか？とか、あるいは、<br />
全宇宙が神様のめんたまの虹彩より小さいという話はほんとうだろーか？<br />
第一、わしのチ○チンはなんのためについておるのだ、<br />
と、退屈で死にそうになりながら、うっぷして、枕に顔を埋めて考えることには、人間には思いも掛けないほどのおおきな意味があるに違いない。</p>
<p>せっかく時間を大量に、イグアスの流れ落ちる滝の水のごとく使うように出来ているのに、その解像度が高い若い脳髄の意識を、たかだか読み書き計算の単純な効率化と精確化に浪費して、それでガキがオトナに成長してゆけるだろうか？<br />
まして「理科」や「社会」など、ガキの精神と知力の形成にとってどーでもよいことに時間を濫費する必然性があるのだろーか？<br />
そうするとオトナになること能わず、ガキがデカガキになって、ガキらしくもサディススティックな異常性格にふりまわされて、昆虫の足をむしりとるごとく、女びとの服をむしりとって、チンチ○をつっこみたくなる（下品ですみません）だけなのではないだろうか。</p>
<p>性的なことを述べてしまったが、日本語と異なって英語のサディズムには性的な意味はこめられない。</p>
<p>DSM III-Rによるとサディスト的人格の定義は、</p>
<p>*Has used physical cruelty or violence for the purpose of establishing dominance in a relationship (not merely to achieve some non-interpersonal goal, such as striking someone in order to rob him/her).<br />
*Humiliates or demeans people in the presence of others.<br />
*Has treated or disciplined someone under his/her control unusually harshly.<br />
*Is amused by, or takes pleasure in, the psychological or physical suffering of others (including animals).<br />
*Has lied for the purpose of harming or inflicting pain on others (not merely to achieve some other goal).<br />
*Gets other people to do what he/she wants by frightening them (through intimidation or even terror).<br />
*Restricts the autonomy of people with whom he or she has a close relationship, e.g., will not let spouse leave the house unaccompanied.<br />
*Is fascinated by violence, weapons, injury, or torture.</p>
<p>ということになっている。</p>
<p>他の人がいるところで他人を侮辱しくだらない人間と決めつける、とか、<br />
ひとが苦しむのを見て喜ぶ、というように見てゆくと、これは効率のみを追究して出来た社会に住む人間が共通にもつ病弊である。</p>
<p>こういうひとびとの特徴は、自分の情緒へのアクセスがうまくいかず、潜在意識的にほんとうの自分に会えない、という奇妙な感覚に苦しんでいる。<br />
あらわれとしては幼児的な残虐さで他人を攻撃することなしに満足が得られないという形で表現されるが、真の原因は「幼児性」は表層で、子供のときに必要だった「時間」の喪失だと思われる。<br />
時間の喪失とmaturityの獲得は、別立てにすべき大きな話なので、また今度はなすことにするしかなさそーです。</p>
<p>人間は、ふつーにイメージするほど一生のあいだに色々なことが出来るわけではないよーだ。<br />
幕の内弁当のようにいろいろなものを詰め込んだ一生は、幕の内弁当が見た目には綺麗だが食べ物としてはただの幕間の小腹づくりにしかすぎないのに似ている。</p>
<p>１００のものを詰め込めると見える一生の時間に、実際にいれても器がこわれない量は、ほんの２０か３０であるらしい。<br />
特に子供の意識は、解像度がフルＨＤで肌理も質も稠密なので、そんな意識がすごす物理時間の一日に処理能力の限界までぎゅうぎゅう作業をつめこんでしまっては、子供はぶっこわれてしまうに決まっている。</p>
<p>人間などは一生に一個のことが出来れば百点満点より上であって、そんなバカなと思う人は黒澤明の「生きる」<br />
<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Ikiru">http://en.wikipedia.org/wiki/Ikiru</a><br />
を観てみればよい。</p>
<p>あの雪の日のブランコにたどりつけるかどうかに、人間の一生はかかっているのだと思います。</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/gamayauber1001.wordpress.com/4540/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/gamayauber1001.wordpress.com/4540/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/gamayauber1001.wordpress.com/4540/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/gamayauber1001.wordpress.com/4540/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/gamayauber1001.wordpress.com/4540/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/gamayauber1001.wordpress.com/4540/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/gamayauber1001.wordpress.com/4540/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/gamayauber1001.wordpress.com/4540/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/gamayauber1001.wordpress.com/4540/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/gamayauber1001.wordpress.com/4540/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/gamayauber1001.wordpress.com/4540/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/gamayauber1001.wordpress.com/4540/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/gamayauber1001.wordpress.com/4540/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/gamayauber1001.wordpress.com/4540/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4540&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>トランジット、あるいは冴えない破滅について</title>
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		<pubDate>Thu, 16 Feb 2012 23:59:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamayauber1001</dc:creator>
				<category><![CDATA[科学とテクノロジー]]></category>

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		<description><![CDATA[飛行機が飛ばなくなる日は必ず来る。 石油がなくなるから飛ばなくなるのだが、その日でも燃料は空港のタンクにちゃんとあるだろう。 &#8230;なぞなぞみたいですのい。 管制官の給料がでなくなれば、飛行機は飛ばない。 パスポートコントロールの係官がいなくなれば国際線は飛ばしても意味がなくなってしまう。 あるいは航空会社が離着陸料を払えなくなる。 燃料に使う石油が枯渇するまえに飛行機は飛ばなくなるが、理由はだいたい、そんなことだろう。 福島第一原子力発電所事故のあとの議論を眺めながら考えたのは、人間は未来のことを考えるのが途方もなく下手である、ということだった。 ８０年前に農場主が「土壌」というのと2012年の農場主が「土壌」というのでは、同じ言葉を使っているが違うものをさしている。 たとえて言えば「スポンジ」かなあ、と言う。 滋養もなにもない土、使いつくして大地の滋味を搾り取りつくした以前には土壌だったなにか。 窒素・リン酸・カリウム、と言う。 カルシウムもマグネシウムも必要だろう。 問題は、というか、ここで考えようとしているのは有機無機を問わずこの肥料が野菜なり穀物なりの食料になるためには、大量の石油を消費していることで、そのうちには石油のお題にしたチョー退屈な記事を書くだろうが、印象として現代の農業は石油化学工業である。 石油はエネルギーとしてよりも、人間の現代文明の支配的な要素として重大な意味をもっている。 ちょっと調べてみれば判るが、石油が（枯渇ではなく）足りなくなると、人間の生活などあっというまに停止してしまう。 産地でつくられた野菜は畑につみあげられてただ腐ってゆき、７０年代にそれで日本社会がパニックに陥ったようにトイレットペーパーはスーパーマーケットの棚から消えてしまう。 石油の価格が倍になるくらいでも、生活は不安定になるのだから、これから予想される５倍、１０倍、というようなフェーズでは、どういうことになるか、わしみたいにチョー暢気な人間にも予想がつく。 原子力が石油の代替として求められる頃には、石油の原価が高くなりすぎていて、いまの現代社会はそもそも成り立たなくなっているのでエネルギーだけが代替されても無意味なのである。 トーダイおじさんのひとりはむかしむかし２０代の係長として鉱業課という部署にいた。 経産省。 若かりし頃のおっちゃんがいた頃は通産省とゆった。 石油の備蓄をやれと言われて石油のベンキョーをしたら、どう考えても備蓄タンクなんかでどうにかなる不足量ではないので、「将来世界的に原油が不足する」というレポートを出したら上司に怒られた。 石油なんてものはな、探せばあるんだ、バカ、そんなことは堯舜の世から定まっておる、とゆわれたそーです。 ふりかえってみると、その頃はほんとうだったんだよねえー、とトーダイおっちゃんはいまは薄くなった髪の毛をいとおしそうに掌でなでつけながら言う。 でも、いまは、ほらこれだから、と鉛筆で描いてみせたのは、わしら全員が頭を悩ませている、件の曲線です。 http://coachingtohappiness.com/wp-content/uploads/2010/09/world-population-graph.jpg 去年、日本語ツイッタを見ていたら、「人口は食料が減れば減少に向かうんだから、食糧危機なんか起こるわけがない。食糧危機なんか考えるバカの気が知れない」と書いている「日本的秀才」のパチモンのようなひとがいてＲＴつきまくりでうけていたが、ちょうどその頃日本でも何度も繰り返し報道されているソマリアという一国だけで一日２５００人が餓死している現実 http://www.asahi.com/international/update/0729/TKY201107290690.html を、こうもあっさりと無視できる鈍感さというものはたいしたものである、と思う。 実際、人口増加曲線も2050年くらいを境にＳ字曲線に形を変えてゆくのでなければならないが、グラフがようやく単調な増加からフラットなplateauになる頃にはだいたい９０億人から９５億人くらいのところにある計算で、毎日大量の餓死者を出しているアフリカ諸国からお腹が空いてもいないのにホールチキンをレストランで頼んで、ほぼまるごとゴミにしてしまうティーンエージャーがおおぜいいるアメリカまで、いまの世界の貧富のバラエティの、そのままの構成で2050年も暮らしていると仮定すると、実は地球がまるまるもう一個あっても資源が足りない。 plateauという言葉を使ったので思い出したが、いま（2012年）のような世界の状態を英語ではbumpy plateauちゅうような呼び方をするひともいる。 どういう表現かというと、原油が１バレル200ドルになると買い手が減るので100ドルに下がる。 あるいは相場によっては100ドルをさえ下回る。 原油の価格が上がれば製品の価格があがり、それでは商売にならないので、製造が中止されて、市場が冷たくなり、需要が減って原油が売れなくなる。 そうすると原油価格がさがる。 しかし、いまの石油依存症とでもいうべき世界の骨格が形成された、というのは個人の側から言い直すと、平均よりもやや高いくらいの年収があれば人間らしい生活が出来る世界が形成された頃のＷＴＩ価格は、そもそも１バレル３ドル近辺だった。 それが1973年に1バレル5ドル超に引き上げられて世界は大パニックに陥り、1974年に11.65ドルに上がることによって産業と社会の構造そのものが変化を強いられることになった。 日本が、この時期の「新しい、石油が高い社会」に適応できたゆいいつの国だったために空前の繁栄を遂げたのは（当の国の国民なのだから、あたりまえだが）日本でもよく知られていると思います。 しかし、その当時は、「原油が（１バレル）５００ドルになる」という見通しはなかった。 ここであんまりくだくだしく述べる気はしないが、石油にはおおざっぱに言って「エネルギー、工業製品の原料、食料生産」の３つの大きな現代人の生活への寄与がある。 ここでいう工業製品はぼんやり考えるより、広がりが大きくて乗用車用のタイヤ一個で３０リットル内外の石油を消費する「石油おばけ」みたいなタイヤのような製品から建材まで多岐に渉っている。 エネルギーは、ときどきぶっとんじっても放射能くらいダイジョーブだ、ということに無理矢理いいくるめることにして原子力でもなんでもかまわない、なんとか代替の方法を探すとして、もっとも困るのは多分食料で、値段がいまの５倍程度になっただけでも先進国ですら困窮するひとが続出するだろう。 ロンドンにいるときは自分でスーパーマーケットに行ったりしないので判らないが、かーちゃんと一緒に買い物に行く楽しみがあったニュージーランドでは、スーパーで買い物をするというのがよほど嬉しかったのであろう、ガキなのに価格をおぼえているものがある。 わしがガキンチョの頃（８０年代）のニュージーランドでは缶入りのツナ（キハダマグロ）はチョー安い食べ物で確か高級品のトライデントのやつで３個で２ドル（130円）だったと記憶するが、いまは一個で3ドル（200円）もする。 つまり5倍もするので、ニュージーランドのインフレーションが３％前後で推移しているのを考えると、一個７０円以下でなければならないが、これは石油だけでなくもうひとつの資源キハダマグロそのものが激減・高騰したからで、食料については、チョーあたりまえだが、われわれが依存している石油という資源とは別に大型魚類に典型的なように食料資源それ自体の減少は石油よりもさらに数層倍はやい、という問題があります。 ここまで書いてきた憂鬱な問題、しかし、もうすぐ到来すると判っている問題を考えると、気分のもちようによっては、いっそ小惑星がぶつかるなり、温暖化が昂進して蒸し焼きになるなり、あるいはゴジラが大量発生して世界中廃墟になるなりして無茶苦茶なカタストロフがやってきたほうがマシであると思うひとがいそうであって、現実にすぐそこで待ち構えているものは、あっさり人間を破滅させてくれるような慈悲深い破滅ではなくて、ひとりひとりが過酷なサバイバルを強いられる世界なのであると思われる。 具体的には石油がゼロになるのではなくて、ガソリン１リットルが１０００円になる、というような破滅の訪れ方で、白菜ひと束が３０００円（これは実際７０年代の終わりに日本で起きたことがあるそーだ）、パンが一斤で４０００円、というふうになっていって、ひとりひとりの家計をしめあげてゆく。 そうやってbumpy plateauをだんだん荒っぽくなる価格の上下を繰り返しながら、経済的な大破局が2050年までのどこかで起きるだろう、とたとえば中国人たちは「当然だ」と思っているので、2002年には隠れ蓑をつくってニュージーランドでも農場を買い漁り、つい昨日、判決が出て合計8000ヘクタールの農場の売買契約が差し止めになり、それでも、 「われわれは必ず戻ってきて農場を買い占めるだろう」という声明をだしたりしているのは、要するに中国人が古代からの得意技で未来への想像力に基づいて今日の行動を決定する才能に恵まれているからである。 そのまま世界が破滅する、と言うひともいるが、わしはそう考えたことはない。 人間はカシコイので、また技術的なブレークスルーを繰り返していまの石油依存症文明とは別種の安定的な文明をつくりだすに決まっておる。 こういうと「出典がないじゃないか」「それが事実だと示す教科書はどこにあるんだ」というひとがいっぱいいるところが日本語はメンドクサイが、出典は、ですね、 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4534&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_6984.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_6984.jpg?w=420&#038;h=280" alt="" title="IMG_6984" width="420" height="280" class="aligncenter size-full wp-image-4535" /></a></p>
<p>飛行機が飛ばなくなる日は必ず来る。<br />
石油がなくなるから飛ばなくなるのだが、その日でも燃料は空港のタンクにちゃんとあるだろう。</p>
<p>&#8230;なぞなぞみたいですのい。</p>
<p>管制官の給料がでなくなれば、飛行機は飛ばない。<br />
パスポートコントロールの係官がいなくなれば国際線は飛ばしても意味がなくなってしまう。<br />
あるいは航空会社が離着陸料を払えなくなる。</p>
<p>燃料に使う石油が枯渇するまえに飛行機は飛ばなくなるが、理由はだいたい、そんなことだろう。</p>
<p>福島第一原子力発電所事故のあとの議論を眺めながら考えたのは、人間は未来のことを考えるのが途方もなく下手である、ということだった。</p>
<p>８０年前に農場主が「土壌」というのと2012年の農場主が「土壌」というのでは、同じ言葉を使っているが違うものをさしている。<br />
たとえて言えば「スポンジ」かなあ、と言う。<br />
滋養もなにもない土、使いつくして大地の滋味を搾り取りつくした以前には土壌だったなにか。</p>
<p>窒素・リン酸・カリウム、と言う。<br />
カルシウムもマグネシウムも必要だろう。<br />
問題は、というか、ここで考えようとしているのは有機無機を問わずこの肥料が野菜なり穀物なりの食料になるためには、大量の石油を消費していることで、そのうちには石油のお題にしたチョー退屈な記事を書くだろうが、印象として現代の農業は石油化学工業である。</p>
<p>石油はエネルギーとしてよりも、人間の現代文明の支配的な要素として重大な意味をもっている。<br />
ちょっと調べてみれば判るが、石油が（枯渇ではなく）足りなくなると、人間の生活などあっというまに停止してしまう。</p>
<p>産地でつくられた野菜は畑につみあげられてただ腐ってゆき、７０年代にそれで日本社会がパニックに陥ったようにトイレットペーパーはスーパーマーケットの棚から消えてしまう。</p>
<p>石油の価格が倍になるくらいでも、生活は不安定になるのだから、これから予想される５倍、１０倍、というようなフェーズでは、どういうことになるか、わしみたいにチョー暢気な人間にも予想がつく。</p>
<p>原子力が石油の代替として求められる頃には、石油の原価が高くなりすぎていて、いまの現代社会はそもそも成り立たなくなっているのでエネルギーだけが代替されても無意味なのである。</p>
<p>トーダイおじさんのひとりはむかしむかし２０代の係長として鉱業課という部署にいた。<br />
経産省。<br />
若かりし頃のおっちゃんがいた頃は通産省とゆった。<br />
石油の備蓄をやれと言われて石油のベンキョーをしたら、どう考えても備蓄タンクなんかでどうにかなる不足量ではないので、「将来世界的に原油が不足する」というレポートを出したら上司に怒られた。<br />
石油なんてものはな、探せばあるんだ、バカ、そんなことは堯舜の世から定まっておる、とゆわれたそーです。</p>
<p>ふりかえってみると、その頃はほんとうだったんだよねえー、とトーダイおっちゃんはいまは薄くなった髪の毛をいとおしそうに掌でなでつけながら言う。<br />
でも、いまは、ほらこれだから、と鉛筆で描いてみせたのは、わしら全員が頭を悩ませている、件の曲線です。</p>
<p><a href="http://coachingtohappiness.com/wp-content/uploads/2010/09/world-population-graph.jpg">http://coachingtohappiness.com/wp-content/uploads/2010/09/world-population-graph.jpg</a></p>
<p>去年、日本語ツイッタを見ていたら、「人口は食料が減れば減少に向かうんだから、食糧危機なんか起こるわけがない。食糧危機なんか考えるバカの気が知れない」と書いている「日本的秀才」のパチモンのようなひとがいてＲＴつきまくりでうけていたが、ちょうどその頃日本でも何度も繰り返し報道されているソマリアという一国だけで一日２５００人が餓死している現実<br />
<a href="http://www.asahi.com/international/update/0729/TKY201107290690.html">http://www.asahi.com/international/update/0729/TKY201107290690.html</a><br />
を、こうもあっさりと無視できる鈍感さというものはたいしたものである、と思う。</p>
<p>実際、人口増加曲線も2050年くらいを境にＳ字曲線に形を変えてゆくのでなければならないが、グラフがようやく単調な増加からフラットなplateauになる頃にはだいたい９０億人から９５億人くらいのところにある計算で、毎日大量の餓死者を出しているアフリカ諸国からお腹が空いてもいないのにホールチキンをレストランで頼んで、ほぼまるごとゴミにしてしまうティーンエージャーがおおぜいいるアメリカまで、いまの世界の貧富のバラエティの、そのままの構成で2050年も暮らしていると仮定すると、実は地球がまるまるもう一個あっても資源が足りない。</p>
<p>plateauという言葉を使ったので思い出したが、いま（2012年）のような世界の状態を英語ではbumpy plateauちゅうような呼び方をするひともいる。<br />
どういう表現かというと、原油が１バレル200ドルになると買い手が減るので100ドルに下がる。<br />
あるいは相場によっては100ドルをさえ下回る。<br />
原油の価格が上がれば製品の価格があがり、それでは商売にならないので、製造が中止されて、市場が冷たくなり、需要が減って原油が売れなくなる。<br />
そうすると原油価格がさがる。<br />
しかし、いまの石油依存症とでもいうべき世界の骨格が形成された、というのは個人の側から言い直すと、平均よりもやや高いくらいの年収があれば人間らしい生活が出来る世界が形成された頃のＷＴＩ価格は、そもそも１バレル３ドル近辺だった。<br />
それが1973年に1バレル5ドル超に引き上げられて世界は大パニックに陥り、1974年に11.65ドルに上がることによって産業と社会の構造そのものが変化を強いられることになった。<br />
日本が、この時期の「新しい、石油が高い社会」に適応できたゆいいつの国だったために空前の繁栄を遂げたのは（当の国の国民なのだから、あたりまえだが）日本でもよく知られていると思います。</p>
<p>しかし、その当時は、「原油が（１バレル）５００ドルになる」という見通しはなかった。</p>
<p>ここであんまりくだくだしく述べる気はしないが、石油にはおおざっぱに言って「エネルギー、工業製品の原料、食料生産」の３つの大きな現代人の生活への寄与がある。<br />
ここでいう工業製品はぼんやり考えるより、広がりが大きくて乗用車用のタイヤ一個で３０リットル内外の石油を消費する「石油おばけ」みたいなタイヤのような製品から建材まで多岐に渉っている。</p>
<p>エネルギーは、ときどきぶっとんじっても放射能くらいダイジョーブだ、ということに無理矢理いいくるめることにして原子力でもなんでもかまわない、なんとか代替の方法を探すとして、もっとも困るのは多分食料で、値段がいまの５倍程度になっただけでも先進国ですら困窮するひとが続出するだろう。</p>
<p>ロンドンにいるときは自分でスーパーマーケットに行ったりしないので判らないが、かーちゃんと一緒に買い物に行く楽しみがあったニュージーランドでは、スーパーで買い物をするというのがよほど嬉しかったのであろう、ガキなのに価格をおぼえているものがある。<br />
わしがガキンチョの頃（８０年代）のニュージーランドでは缶入りのツナ（キハダマグロ）はチョー安い食べ物で確か高級品のトライデントのやつで３個で２ドル（130円）だったと記憶するが、いまは一個で3ドル（200円）もする。<br />
つまり5倍もするので、ニュージーランドのインフレーションが３％前後で推移しているのを考えると、一個７０円以下でなければならないが、これは石油だけでなくもうひとつの資源キハダマグロそのものが激減・高騰したからで、食料については、チョーあたりまえだが、われわれが依存している石油という資源とは別に大型魚類に典型的なように食料資源それ自体の減少は石油よりもさらに数層倍はやい、という問題があります。</p>
<p>ここまで書いてきた憂鬱な問題、しかし、もうすぐ到来すると判っている問題を考えると、気分のもちようによっては、いっそ小惑星がぶつかるなり、温暖化が昂進して蒸し焼きになるなり、あるいはゴジラが大量発生して世界中廃墟になるなりして無茶苦茶なカタストロフがやってきたほうがマシであると思うひとがいそうであって、現実にすぐそこで待ち構えているものは、あっさり人間を破滅させてくれるような慈悲深い破滅ではなくて、ひとりひとりが過酷なサバイバルを強いられる世界なのであると思われる。</p>
<p>具体的には石油がゼロになるのではなくて、ガソリン１リットルが１０００円になる、というような破滅の訪れ方で、白菜ひと束が３０００円（これは実際７０年代の終わりに日本で起きたことがあるそーだ）、パンが一斤で４０００円、というふうになっていって、ひとりひとりの家計をしめあげてゆく。<br />
そうやってbumpy plateauをだんだん荒っぽくなる価格の上下を繰り返しながら、経済的な大破局が2050年までのどこかで起きるだろう、とたとえば中国人たちは「当然だ」と思っているので、2002年には隠れ蓑をつくってニュージーランドでも農場を買い漁り、つい昨日、判決が出て合計8000ヘクタールの農場の売買契約が差し止めになり、それでも、<br />
「われわれは必ず戻ってきて農場を買い占めるだろう」という声明をだしたりしているのは、要するに中国人が古代からの得意技で未来への想像力に基づいて今日の行動を決定する才能に恵まれているからである。</p>
<p>そのまま世界が破滅する、と言うひともいるが、わしはそう考えたことはない。<br />
人間はカシコイので、また技術的なブレークスルーを繰り返していまの石油依存症文明とは別種の安定的な文明をつくりだすに決まっておる。<br />
こういうと「出典がないじゃないか」「それが事実だと示す教科書はどこにあるんだ」というひとがいっぱいいるところが日本語はメンドクサイが、出典は、ですね、<br />
２万年前の一枚の剥離石器で、その前、５０万年にわたってオオボケをこいたまま、木の実を拾ったり、木の枝でつくった銛でサカナを突っついて逃げられたりしていてバカまるだしだった同じ現生人類が、突然、陸続と効率的な食料の獲得方法を発明しだしたのは、温暖気候依存症でオオボケをこいていたある年まったく雨が降らなくなって地表が乾きまくり、あまつさえ移動していった先で気温が無茶苦茶に下がりだして氷が地表を覆ったからだった。<br />
そのとき、絶体絶命の危機に陥った人間たちは、それ以前の５０万年をあわせたよりも、数千倍の速度でリープする技術文明の爆発的進歩をなしとげた。</p>
<p>われわれが、いま、舵がこわれた船の乗客のようにして突き進んでいるのは、人間を絶滅させる大破滅ではなくて、だから、次の安定的な文明が確立されるまでの繰り返し起こるはずの過渡期の混乱で、そこには貧しい者達の暴力的蜂起があり、残り少ない資源をめぐっての古くさい領土奪取型の戦争があり、時計の針を巻き戻したような強者の、弱者への、厚顔な、理屈などなにもない支配がある。</p>
<p>ツイッタでキャンプ場のクマの話をしたら、わしが古い友達のすべりひゆが「やだなあー」と書いていたが、そのとおり、「やだなあー」な文明の時期に、多分、もう、2025年くらいからはいってゆくのだと思います。</p>
<p>ジャクニクキョーショクに戻っちゃうんだって。<br />
やだなあー。</p>
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		<title>ズボンとパンツ</title>
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		<pubDate>Tue, 14 Feb 2012 22:26:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamayauber1001</dc:creator>
				<category><![CDATA[異文化異人種]]></category>
		<category><![CDATA[言語と習慣]]></category>

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		<description><![CDATA[１ 「ズボン」という言葉は死語なのかどうか調べてみたがよく判らなかった。 こういうときは従兄弟か義理叔父に訊くことになっているが、eメールを出しても返事がこないので結局、まだ判らないままである。 パンツという言葉に変わっていそうなものだが、記憶によれば「パンツ」は下着の意味で女びとの「ズボン」をパンツと言うだけだったような気がする。 英語世界には「キャプテン・アンダーパンツ」 http://en.wikipedia.org/wiki/Captain_Underpants という有名なガキ読み物があるが、 日本語には「アンダーパンツ」という言葉はなかったと思う。 「パンツ」や「アンダーパンツ」のことをぐるぐると考えていたら、頭のなかの言葉に黄色いシミがついてきたので、部屋を出て、ホールウエイを歩いて台所へ行く。 VOGEL’Sのトーストを二枚焼きながら、小さい目玉焼き用フライパンに二個卵をいれてストーブに載せる。 と、ここでもう間違えている。 日本語では「ストーブ」はヒーターのことなので、コンロと言わねばならないが、わしの家は自分では使わないデカイほうの厨房にはガスがあるが、ふだん使うキッチンは電気なので、コンロとは言わないだろう。 日本でも電気で調理する電磁なんとかがあったはずで、電磁トップというのだろうか。 そうやってわけがわからん、と思っているうちに、めんどくさいから「ストーブ」と書いてすました顔でいる文章が、過去記事を見ると、いくつかあります。 ２ もともと日本語を専攻にしたわけでもなく、それどころか日本でなにかをしようとか、日本人観光客相手の商売をしようとするのでもないので、わしの日本語は途方もなくいいかげんである。 もう何回も繰り返し書いたのでそろそろ止すが、日本の文化や社会をしってみたいという欲求もあまりなくなってきて、日本語で考えることによって生じる別人格を楽しむだけのために、この頃は日本語を書いている。 自分でもおもしろいと思うが、こうやってなるべく日本語の時間をつくる習慣を維持しようと思っても、まわりに日本語が判るひとがいるわけでもなし、無理は無理なので、だんだん日本語が衰えてゆく。 なにを面白がっているかというと、読み書きのうち、まず「読む」ほうが衰えだすことで、これは実は予想と逆だった。 まず、書くほうがダメになるだろうと思っていた。 わしは、威張ると、最盛時は一日に５冊、というような日本語の本が読めた。 いまはもう全然ダメで、一冊の本を読むのに、二ヶ月かかったりする。 何ページか読むと、くたびれる。 現代文よりも古文のほうが楽で、最も楽なのは現代詩である。 なんだかヘンな順番であるな、と自分でも考えたが、これは多分「音」によっている。 つながりの悪い「音」で出来た文は、読んでいてひどくくたびれる。 ぜんぜん外れているかもしれないが、英欧語の本はいくらでも読めるのは、「音」がつながっているからではなかろうか。 メンドクサイ、という酷い理由で、わしはむかしから外国語の本を読んでいても辞書なんかひいたことはないが、それは「別に書いてあることがわからなくてもいいのさ」と考えているからでもある。 書いてあることが判らなかったら本を読んだことにならないではないか、というひとが当然いると思うが、それはわしの途方もないええかげんな性格をしらないからなので無理もない、わしは音を楽しんでいるだけなのかもしれません。 Telugu語の鼻歌を歌っていると、ぎょっとしたような顔で傍らのインドのおっちゃんがわしの顔をみつめている、どーしてテルグが話せるんだ？　という。 話せません。なんとなくおぼえているだけ、というと大笑いされる。 そういうことが、いままでにも何度もあったようだ。 ３ 以前は宗教的な禁忌のために録音が許されなかったチャンティングが録音できるようになったせいで、口承で伝えられるインド人のあの長いチャンティングに使われる言語の解析がすすむようになった。 最も研究者たちを興奮させたのは、いくつかのチャンティングに使われている言語に「意味」というものがまったくなかったことで、厳密に定まった抑揚や音程は、ただそれのみで聖性を保障している。 しかも、&#8230;そこでわしは、ほんとーですかー、とのけぞってしまったが&#8230;現存のどの言語よりも古い、という。 インド人は「アーリア」と名前のついた文化の範囲と生物学的な人種の広がりが一致しないひとたちだが、言語は最古の痕跡を残している。 一方で、サンスクリットはギリシャ語やラテン語と共通の語彙が豊富なことで有名である。 そのことによって判明することや示唆されることはいろいろあるだろうが、最も興味があるのは、地中海や黒海の周辺、トルコ、中央アジア、北インド、というような地域では「音」の根幹を共有していたと思われることで、学校で習った「思想の普遍性」というものは実は一個の根から伸びた音の伽藍の下にある可能性があることです。 servus ambulat. とか quam pulchra est puella!　(^^) というような「音」は、「普遍」の音として音の伽藍だけでなく時間の廻廊を伝ってもいまに続いているが、それはちょうど現世人類がわずか５万年前の「科学的イブ」のいた小さな村落の遺伝子構成をいまに保っているのと同じに、思想の遺伝子構成とでもいうべきものを保っているのかも知れなくて、そこから言語的に、というのはつまり意識のありようとして隔離されたものというと東アジアにしかないのかもしれません。 ４ モニとわしの家の庭には、さまざまな鳥がくる。 キングフィッシャーは高い梢に止まってあたりを睥睨しているし、ファンテールはモニとわしのすぐそばまでやってきて、愛らしい声で鳴いて、一緒に遊んで欲しそうにしている。ツグミやブラックバードは、そういう鳥たちなので、庭のさまざまなものの周りを哨戒して、これはなんだ？　というようにクビを傾げている。 仮に意味のない言語の時間が長かったとすれば、人間は「ひどく長い鳥の囀り」のようなものでお互いの存在を認識しあっていたわけで、イルカやシャチを考えるまでもなく、そーゆーものかも知れないなあー、と思う。 ぽん、と事象や意味が放り出されたような古代中国語がものたらなかった日本人は、その素っ気ない漢字と漢字のあいだに小さな文字で自分達の「音」を書き込んでいった。 その小さくて秘やかな「音の脚注」とでもいうべきものは、「日本語」というものに育って、とうとうこんなに長い間日本人の感情を保存してきた。 いまは荒っぽい扱われかたで、足蹴にされているようなものだが、そのうちにはまともに日本語を使える人間があらわれて、多分、少し後戻りした日本語を使って、日本という感情を修復するのではあるまいか。 フクシマのあと、覚醒した声がところどころ聞こえてくる日本語インターネットを眺めながら、もともとは垂直に書かれる習慣をもっていた、この言語が、本来の垂直性をとりもどして、独自の文明としてもういちど屹立する日がこないだろうか、と夢にみます。 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4525&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_5807.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_5807.jpg?w=420&#038;h=280" alt="" title="IMG_5807" width="420" height="280" class="aligncenter size-full wp-image-4526" /></a><br />
１</p>
<p>「ズボン」という言葉は死語なのかどうか調べてみたがよく判らなかった。<br />
こういうときは従兄弟か義理叔父に訊くことになっているが、eメールを出しても返事がこないので結局、まだ判らないままである。</p>
<p>パンツという言葉に変わっていそうなものだが、記憶によれば「パンツ」は下着の意味で女びとの「ズボン」をパンツと言うだけだったような気がする。<br />
英語世界には「キャプテン・アンダーパンツ」<br />
<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Captain_Underpants">http://en.wikipedia.org/wiki/Captain_Underpants</a><br />
という有名なガキ読み物があるが、<br />
日本語には「アンダーパンツ」という言葉はなかったと思う。</p>
<p>「パンツ」や「アンダーパンツ」のことをぐるぐると考えていたら、頭のなかの言葉に黄色いシミがついてきたので、部屋を出て、ホールウエイを歩いて台所へ行く。<br />
VOGEL’Sのトーストを二枚焼きながら、小さい目玉焼き用フライパンに二個卵をいれてストーブに載せる。</p>
<p>と、ここでもう間違えている。<br />
日本語では「ストーブ」はヒーターのことなので、コンロと言わねばならないが、わしの家は自分では使わないデカイほうの厨房にはガスがあるが、ふだん使うキッチンは電気なので、コンロとは言わないだろう。<br />
日本でも電気で調理する電磁なんとかがあったはずで、電磁トップというのだろうか。<br />
そうやってわけがわからん、と思っているうちに、めんどくさいから「ストーブ」と書いてすました顔でいる文章が、過去記事を見ると、いくつかあります。</p>
<p>２</p>
<p>もともと日本語を専攻にしたわけでもなく、それどころか日本でなにかをしようとか、日本人観光客相手の商売をしようとするのでもないので、わしの日本語は途方もなくいいかげんである。<br />
もう何回も繰り返し書いたのでそろそろ止すが、日本の文化や社会をしってみたいという欲求もあまりなくなってきて、日本語で考えることによって生じる別人格を楽しむだけのために、この頃は日本語を書いている。</p>
<p>自分でもおもしろいと思うが、こうやってなるべく日本語の時間をつくる習慣を維持しようと思っても、まわりに日本語が判るひとがいるわけでもなし、無理は無理なので、だんだん日本語が衰えてゆく。<br />
なにを面白がっているかというと、読み書きのうち、まず「読む」ほうが衰えだすことで、これは実は予想と逆だった。<br />
まず、書くほうがダメになるだろうと思っていた。</p>
<p>わしは、威張ると、最盛時は一日に５冊、というような日本語の本が読めた。<br />
いまはもう全然ダメで、一冊の本を読むのに、二ヶ月かかったりする。<br />
何ページか読むと、くたびれる。<br />
現代文よりも古文のほうが楽で、最も楽なのは現代詩である。<br />
なんだかヘンな順番であるな、と自分でも考えたが、これは多分「音」によっている。<br />
つながりの悪い「音」で出来た文は、読んでいてひどくくたびれる。<br />
ぜんぜん外れているかもしれないが、英欧語の本はいくらでも読めるのは、「音」がつながっているからではなかろうか。<br />
メンドクサイ、という酷い理由で、わしはむかしから外国語の本を読んでいても辞書なんかひいたことはないが、それは「別に書いてあることがわからなくてもいいのさ」と考えているからでもある。<br />
書いてあることが判らなかったら本を読んだことにならないではないか、というひとが当然いると思うが、それはわしの途方もないええかげんな性格をしらないからなので無理もない、わしは音を楽しんでいるだけなのかもしれません。</p>
<p>Telugu語の鼻歌を歌っていると、ぎょっとしたような顔で傍らのインドのおっちゃんがわしの顔をみつめている、どーしてテルグが話せるんだ？　という。<br />
話せません。なんとなくおぼえているだけ、というと大笑いされる。<br />
そういうことが、いままでにも何度もあったようだ。</p>
<p>３</p>
<p>以前は宗教的な禁忌のために録音が許されなかったチャンティングが録音できるようになったせいで、口承で伝えられるインド人のあの長いチャンティングに使われる言語の解析がすすむようになった。<br />
最も研究者たちを興奮させたのは、いくつかのチャンティングに使われている言語に「意味」というものがまったくなかったことで、厳密に定まった抑揚や音程は、ただそれのみで聖性を保障している。<br />
しかも、&#8230;そこでわしは、ほんとーですかー、とのけぞってしまったが&#8230;現存のどの言語よりも古い、という。</p>
<p>インド人は「アーリア」と名前のついた文化の範囲と生物学的な人種の広がりが一致しないひとたちだが、言語は最古の痕跡を残している。<br />
一方で、サンスクリットはギリシャ語やラテン語と共通の語彙が豊富なことで有名である。<br />
そのことによって判明することや示唆されることはいろいろあるだろうが、最も興味があるのは、地中海や黒海の周辺、トルコ、中央アジア、北インド、というような地域では「音」の根幹を共有していたと思われることで、学校で習った「思想の普遍性」というものは実は一個の根から伸びた音の伽藍の下にある可能性があることです。</p>
<p>servus ambulat.<br />
とか<br />
quam pulchra est puella!　(^^)</p>
<p>というような「音」は、「普遍」の音として音の伽藍だけでなく時間の廻廊を伝ってもいまに続いているが、それはちょうど現世人類がわずか５万年前の「科学的イブ」のいた小さな村落の遺伝子構成をいまに保っているのと同じに、思想の遺伝子構成とでもいうべきものを保っているのかも知れなくて、そこから言語的に、というのはつまり意識のありようとして隔離されたものというと東アジアにしかないのかもしれません。</p>
<p>４</p>
<p>モニとわしの家の庭には、さまざまな鳥がくる。<br />
キングフィッシャーは高い梢に止まってあたりを睥睨しているし、ファンテールはモニとわしのすぐそばまでやってきて、愛らしい声で鳴いて、一緒に遊んで欲しそうにしている。ツグミやブラックバードは、そういう鳥たちなので、庭のさまざまなものの周りを哨戒して、これはなんだ？　というようにクビを傾げている。</p>
<p>仮に意味のない言語の時間が長かったとすれば、人間は「ひどく長い鳥の囀り」のようなものでお互いの存在を認識しあっていたわけで、イルカやシャチを考えるまでもなく、そーゆーものかも知れないなあー、と思う。</p>
<p>ぽん、と事象や意味が放り出されたような古代中国語がものたらなかった日本人は、その素っ気ない漢字と漢字のあいだに小さな文字で自分達の「音」を書き込んでいった。<br />
その小さくて秘やかな「音の脚注」とでもいうべきものは、「日本語」というものに育って、とうとうこんなに長い間日本人の感情を保存してきた。<br />
いまは荒っぽい扱われかたで、足蹴にされているようなものだが、そのうちにはまともに日本語を使える人間があらわれて、多分、少し後戻りした日本語を使って、日本という感情を修復するのではあるまいか。</p>
<p>フクシマのあと、覚醒した声がところどころ聞こえてくる日本語インターネットを眺めながら、もともとは垂直に書かれる習慣をもっていた、この言語が、本来の垂直性をとりもどして、独自の文明としてもういちど屹立する日がこないだろうか、と夢にみます。</p>
<p>（その日まで、日本語能力を保存しなければ）<br />
（最近、書くのもちょっとメンドクサイけど）</p>
<p>（ぶー）</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/gamayauber1001.wordpress.com/4525/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/gamayauber1001.wordpress.com/4525/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/gamayauber1001.wordpress.com/4525/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/gamayauber1001.wordpress.com/4525/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/gamayauber1001.wordpress.com/4525/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/gamayauber1001.wordpress.com/4525/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/gamayauber1001.wordpress.com/4525/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/gamayauber1001.wordpress.com/4525/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/gamayauber1001.wordpress.com/4525/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/gamayauber1001.wordpress.com/4525/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/gamayauber1001.wordpress.com/4525/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/gamayauber1001.wordpress.com/4525/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/gamayauber1001.wordpress.com/4525/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/gamayauber1001.wordpress.com/4525/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4525&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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		<title>常識、非常識、フクシマ</title>
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		<pubDate>Tue, 14 Feb 2012 00:27:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamayauber1001</dc:creator>
				<category><![CDATA[福島第一原子力発電所事故]]></category>
		<category><![CDATA[日本の社会]]></category>

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		<description><![CDATA[１ 日本語ツイッタを広げてなにか書いていると、ほかのことを述べようと思っても、いつのまにか福島の子供のことになってしまうので自分で書いていても退屈である。 おおげさに言うと「見えざる手」がわしの手をつかんで書かせているような具合で、今日の午餐の話をしていても手はいつのまにか福島の子供はなんでまだ福島のいるのか誰かおせーてくれ、というような発言になってしまうので、読む方もさぞかしうんざりであるに違いない。 この世界には嫌がどうでも核のエネルギーのものは断固廃絶すべきだというひとはたくさんいて、わしの友達にもいっぱいいます。 「あぶないじゃないか」という至極まっとうな立場に立って意見を述べている。 自分でも「危ない人」なのではないかと思うが、わしはもともと核アレルギーというタイプの考えはない。 具体的には核融合 http://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_fusion という反応がケーハクにも「好き」なのであって、生きているあいだにどういう形でか、これが人間の手で完全にコントロールできるようにならないだろーか、と考える。 そういう非人間的で至極ケーハクな立場からは遅延核分裂の制御などは系がいくら複雑でも屋上に屋を架したバカ複雑さとしかみえない退屈なクソ技術であって、あんな面白くもなんともないものを膨大な時間を費やしてベンキョーするやつがいるなんて信じらんねー、自分はなにしろ紙と鉛筆があれば事足りる理学分野にしか興味がないが、工学をやるんだったら、たとえばコンピュータと人間のインターフェースとかのほうがよほどおもしろかるべし、と考えて高校生時代を送っていた。 別に科学の素養などなくても、ほんの少し勉強すれば、いまの世代の原発になどちょっとの未来の可能性もなくて、チョー簡単に言えばトロ火にした核爆弾でバカでかいヤカンのお湯を沸かせて、その水蒸気で羽根をくるくるまわして発電する、といういまの原発は贔屓目に見てもコショクソーゼンとした技術である。 歴史的にも福島第一のマークＩは６０年代の工業製品で、それがどのくらい古くさいかピンとこなければ、６０年代の技術の最先端であった飛行機や自動車の写真を見てみる、というようなことが、あるいは実感をもってどのくらいの頃の技術かを感覚するには良いかも知れない。 Morris 1100 http://www.australiaforeveryone.com.au/world/bad_morris1100.htm トヨペットクラウン　ＲＳ４１（２代目クラウン） http://toyopetrs40.shisyou.com/003.html ＹＳ１１ http://www.jac.co.jp/entertainment/aircraft_ys11.html 日本のステレオ http://www.japanradiomuseum.jp/stereo1.html#%83T%83%93%83%88%81[%83I%81[%83%8B%83g%83%89%83%93%83W%83X%83^%83X%83e%83%8C%83I%81@SD-650 しかも、これも日本ではもう随分しられたことになってしまったが、いまの世代の原子力発電技術では増殖炉が稼働しなければ、石油よりも遙かに資源としての寿命が短い。 わしが高校生のとき、教師が日本ではまだフェニックス型増殖炉の「もんじゅ」を動かしているというので、ぶっとんだが、連続運転すればほぼ確実に「ポン」になってしまうと思われる、あまりにアブナイので言い出しっぺのフランス人さえあきらめたフェニックス型を、むきになって動かそうとしているのは、増殖炉が動かないと認めてしまうと、ウランのほうが石油よりも資源としてはやく尽きてしまって、エネルギー政策として「石油がたりなくなるからやってんだ」という話のつじつまがあわなくなってしまうからに違いない。 わしらは、というのは、わしとガッコ友達は、「もんじゅ」はいつかぶっとぶだろう、と思っていた。もしかしたら削除した記事のなかかもしれないが、多分、この日本語ブログのなかにもどこかに「もんじゅ」の話が出てくると思います。 意外とぶっとばない、というか、いまウエブで見てみると、あんまり動かしてないよーなので、そのせいなのかもしれないが、意外にも「もんじゅ」はぶっとばないまま推移して、津波という（わしの日本の災害種類への想像力が著しく欠落したアタマでは）予想もしなかった災害で福島第一が崩壊してしまった。 ひとの国のことだから、という意識があったとは思いたくないが、思えば無責任なもので、わしも友達も「もんじゅ」はぶっとぶであろう、と思いながら、別に日本にでかけていって反対運動をするわけでもなく、ときどき頭のどこかで思い出しては「まだ、ぶっとばないんだな」と考えて、へえ、と考えていたりしたのだから、たしかに人間には無関心という悪魔が住んでいるのである。 ２ 何ミリシーベルトなら大丈夫だ、いやダメだ、と日本の人が言い出したときに、どうなってるんだろう、これは、と考えて友達にどう思うか訊いたりしていたのは、ちょうどマンハッタンにいた頃のことだった。 よく訳がわからず、未来における影響がわからないが、むかしから危険きわまりない、とされている災厄が起きたときに「数字」で考えようとする、というのは、ものすごく変わっていて、しかも興味深い反応である。 しかもわしが立っている所から見ると全体が的外れの理屈の遊びにしか過ぎない。 福島第一の事故の直後、外国人のみならず、外国にながいあいだ住んでいる日本人も、「逃げろ！逃げろ！」とツイッタやなんかで叫んでいたのをおぼえているが、英語人の反応は簡単に想像がついて、まず一目散に逃げて、自分の体力やオカネが許す限り遠くまで逃げるだろう。 実際、福島第一事故のあと、英語世界のテレビや新聞のインタビューにこたえたり、英語人のフォーラムで語られたりした事例をみると、速報を聞いて、いきなり自転車に乗ったまま、途中野宿をして関東まで逃げ、そのまま飛行機に乗って逃れたひとや、たったひとり警報を信じて屋上に走ってあがり（前の日に津波警報があったが津波が実際には来なかったせいだという。なんというたちのわるい偶然だろう）津波がひいたあと、やはりシドニーまで何も考えずにまっすぐ「とりあえず」帰った女のひと、歩いて西へ西へと逃げたひと、日本人風の定義をすると「パニック」で逃げたひとばかりであって、外国人は数字に弱いという日本人の信念はほんとうであるのがわかります、というのは冗談だが、とりあえず逃げてから考える、というディアブロ必勝法と同じ定石に従って英語人は行動する、ということを今回も見事に証明したのでした。 「とりあえず逃げた」と書いたが、そのあとに情勢を検討して、日本政府のいうことを信用すべきだと考えて戻ったひともたくさんとは言えないが、少しはいた。 例をとるとアメリカ人は実際大使館が送ってよこすeメールに「日本政府が提供する情報に従って行動するように」と途中から書きだしたので、それじゃ、まあ、日本政府のいうことを信じればいいのだろう、と考えて戻った人が多かった。 まず一目散に逃げる、ということをしないので、「日本のひとだなあ」と考えて驚いたが、そのあと被災地域に残っているひとたちについては、そりゃまあ、そうだろう、と思っていた。 わしの個人の考えとしては東京くらいの地表・食べ物の汚染でも、そこに住んでいるなんてとんでもねえ、と思うが、政府が大丈夫だと言っているのだから、たとえば福島県人にほかになにが出来るだろう。 大昇進して福島支店に赴任したばかりの支店長のおっちゃんは、仕事を捨て家族の生活を捨てて家ぐるみ九州に越す、というコンジョがでるだろうか、と考えると、わしなら出ない。 固有のわし反応は、いきなりダッシュで地の果てまで逃げて、はあはあ言いながら振り返って、「あー、こわかった」をしているうちに会社の逆鱗にふれてクビ、家族と一緒に路頭に迷うことになると思われるが、それはわしが人生に対して投げやりな人間なわりに生命の危険に敏感だからで、いま考えているのは人生に真剣で生命の危険に無頓着な人を前提しているのだから、そういう根性には出場の機会がない。 日本政府は、だから、強権を発動して、鬼になって、福島県をからっぽにすべきだった。 県民が泣こうがわめこうが、おれは福島を愛しているんだと絶叫しながら警官に詰め寄るひとが大量にあらわれようが、断固として汚染地域を封鎖して無人の荒土をつくるべきだった。 東北人の憎悪を一身にあびて日本中の国民のたたきつけるような罵りをうけとめるべきだった。 それが出来るから「国権国家」は機能しているのであって、それが出来ないのは「国家みたいなもの」であるとしか言いようがない。 むかし天皇現人神主義に国を挙げてかぶれていたときの後遺症がまた出てしまったのかもしれません。 ３ 科学者たちの「放射能を怖がる人達の言う事は科学的でない」という宣伝については、もう、頭から判らなかった。 そもそも、なんで放射能をこわがるのに「科学的」でなければいけないのかが、根がバカなガイジンには理解ができない。 わしなどは日本に住む日本人であれば、さぞかしバカにされただろう、と考えたのは、「そんなことゆわれたって、こわいもんはこわいよ」と言っていたに決まっているからで、かっこうの餌食、というか、ネギさんを抱えて座っている鴨というか、「なにを根拠にそんなことを言うのか？」 「出典はどこにあるのか？」「証拠は？」「科学的な証明は？」 「どんな理論を元にそんな悪意にみちたことを言うのか？」 と、またあのおっかない「はてな市民」のみなさんや小説家の御一党や、むかしなつかしい２ｃｈ「おれたちゃ、排外団、ガイジン大嫌い、ヤッホイホイノホイ」だった集団がいっぺんにまとめて再襲来して、うんとこさイジメられたに違いない。 日本人と仮定しているのに排外団にいじめられるのは理屈が通らないが、そのくらいの理屈はあれだけ訳のわかんない理屈や「事実」をこねあげられるひとびとなのだから、余程あたまがよいのに違いなくて、あっちに頼んだほうがよいと思う。 あんまりこねる気もしない理屈の初歩だけを述べると、こういう場合、わしの「常識」ではその辺で科学なんかに興味がないからもっとまっとうな職業について人生を送っているひとびとが「こええ」とゆっているときに科学者が「こわがるな」と言いたければ科学者のほうで「絶対に安全である」ことを証明すべきなので、その「科学的証明」に権威づけをしたければ、「万が一、あなたの子供が放射能のせいで死んだら、われわれはラボアジェのようにギロチンの露と消えてもよいであろう」と述べるのが良いと思う。 科学者などというものは、通常の人間世界の常識からすればやくざそのものであって、つい数年前までは、すごおおおく自信に満ちて、黒板や白板を背にして友達が全部うんざりしていなくなりそーなエラソーな顔をして「我が輩の発見によればＡはＭなんだからね」とゆっていたのが、その次に壇上に立ったところを見にいってみると、「はっはっは。間違えた。ＡがＭなのではなくて、Ａに性質として付随したものがＭと必ず相関して起こるＺという現象を引き起こすのだった。ＡはＭちゃいますねん。わりいわりい」とゆっているなんていうのは年がら年中のろくでもない人達だからです。 しかも間近な観察によると、科学に志す人間はどうも初等教育における「ホームルーム」とか「道徳」とか「倫理」みたいな諸国であまねく行われている授業は全部眠ってやりすごしていたのだと思われる人間ばかりである。 あんまり、大学の外で放し飼いにしていて良いような人間の集合ではありません。 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4511&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_4955.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_4955.jpg?w=420&#038;h=280" alt="" title="IMG_4955" width="420" height="280" class="aligncenter size-full wp-image-4512" /></a></p>
<p>１</p>
<p>日本語ツイッタを広げてなにか書いていると、ほかのことを述べようと思っても、いつのまにか福島の子供のことになってしまうので自分で書いていても退屈である。<br />
おおげさに言うと「見えざる手」がわしの手をつかんで書かせているような具合で、今日の午餐の話をしていても手はいつのまにか福島の子供はなんでまだ福島のいるのか誰かおせーてくれ、というような発言になってしまうので、読む方もさぞかしうんざりであるに違いない。</p>
<p>この世界には嫌がどうでも核のエネルギーのものは断固廃絶すべきだというひとはたくさんいて、わしの友達にもいっぱいいます。<br />
「あぶないじゃないか」という至極まっとうな立場に立って意見を述べている。</p>
<p>自分でも「危ない人」なのではないかと思うが、わしはもともと核アレルギーというタイプの考えはない。<br />
具体的には核融合<br />
<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_fusion">http://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_fusion</a><br />
という反応がケーハクにも「好き」なのであって、生きているあいだにどういう形でか、これが人間の手で完全にコントロールできるようにならないだろーか、と考える。</p>
<p>そういう非人間的で至極ケーハクな立場からは遅延核分裂の制御などは系がいくら複雑でも屋上に屋を架したバカ複雑さとしかみえない退屈なクソ技術であって、あんな面白くもなんともないものを膨大な時間を費やしてベンキョーするやつがいるなんて信じらんねー、自分はなにしろ紙と鉛筆があれば事足りる理学分野にしか興味がないが、工学をやるんだったら、たとえばコンピュータと人間のインターフェースとかのほうがよほどおもしろかるべし、と考えて高校生時代を送っていた。</p>
<p>別に科学の素養などなくても、ほんの少し勉強すれば、いまの世代の原発になどちょっとの未来の可能性もなくて、チョー簡単に言えばトロ火にした核爆弾でバカでかいヤカンのお湯を沸かせて、その水蒸気で羽根をくるくるまわして発電する、といういまの原発は贔屓目に見てもコショクソーゼンとした技術である。<br />
歴史的にも福島第一のマークＩは６０年代の工業製品で、それがどのくらい古くさいかピンとこなければ、６０年代の技術の最先端であった飛行機や自動車の写真を見てみる、というようなことが、あるいは実感をもってどのくらいの頃の技術かを感覚するには良いかも知れない。</p>
<p>Morris 1100<br />
<a href="http://www.australiaforeveryone.com.au/world/bad_morris1100.htm">http://www.australiaforeveryone.com.au/world/bad_morris1100.htm</a></p>
<p>トヨペットクラウン　ＲＳ４１（２代目クラウン）<br />
<a href="http://toyopetrs40.shisyou.com/003.html">http://toyopetrs40.shisyou.com/003.html</a></p>
<p>ＹＳ１１<br />
<a href="http://www.jac.co.jp/entertainment/aircraft_ys11.html">http://www.jac.co.jp/entertainment/aircraft_ys11.html</a></p>
<p>日本のステレオ<br />
<a href="http://www.japanradiomuseum.jp/stereo1.html#%83T%83%93%83%88%81[%83I%81[%83%8B%83g%83%89%83%93%83W%83X%83^%83X%83e%83%8C%83I%81@SD-650">http://www.japanradiomuseum.jp/stereo1.html#%83T%83%93%83%88%81[%83I%81[%83%8B%83g%83%89%83%93%83W%83X%83^%83X%83e%83%8C%83I%81@SD-650<br />
</a></p>
<p>しかも、これも日本ではもう随分しられたことになってしまったが、いまの世代の原子力発電技術では増殖炉が稼働しなければ、石油よりも遙かに資源としての寿命が短い。</p>
<p>わしが高校生のとき、教師が日本ではまだフェニックス型増殖炉の「もんじゅ」を動かしているというので、ぶっとんだが、連続運転すればほぼ確実に「ポン」になってしまうと思われる、あまりにアブナイので言い出しっぺのフランス人さえあきらめたフェニックス型を、むきになって動かそうとしているのは、増殖炉が動かないと認めてしまうと、ウランのほうが石油よりも資源としてはやく尽きてしまって、エネルギー政策として「石油がたりなくなるからやってんだ」という話のつじつまがあわなくなってしまうからに違いない。</p>
<p>わしらは、というのは、わしとガッコ友達は、「もんじゅ」はいつかぶっとぶだろう、と思っていた。もしかしたら削除した記事のなかかもしれないが、多分、この日本語ブログのなかにもどこかに「もんじゅ」の話が出てくると思います。<br />
意外とぶっとばない、というか、いまウエブで見てみると、あんまり動かしてないよーなので、そのせいなのかもしれないが、意外にも「もんじゅ」はぶっとばないまま推移して、津波という（わしの日本の災害種類への想像力が著しく欠落したアタマでは）予想もしなかった災害で福島第一が崩壊してしまった。</p>
<p>ひとの国のことだから、という意識があったとは思いたくないが、思えば無責任なもので、わしも友達も「もんじゅ」はぶっとぶであろう、と思いながら、別に日本にでかけていって反対運動をするわけでもなく、ときどき頭のどこかで思い出しては「まだ、ぶっとばないんだな」と考えて、へえ、と考えていたりしたのだから、たしかに人間には無関心という悪魔が住んでいるのである。</p>
<p>２</p>
<p>何ミリシーベルトなら大丈夫だ、いやダメだ、と日本の人が言い出したときに、どうなってるんだろう、これは、と考えて友達にどう思うか訊いたりしていたのは、ちょうどマンハッタンにいた頃のことだった。<br />
よく訳がわからず、未来における影響がわからないが、むかしから危険きわまりない、とされている災厄が起きたときに「数字」で考えようとする、というのは、ものすごく変わっていて、しかも興味深い反応である。<br />
しかもわしが立っている所から見ると全体が的外れの理屈の遊びにしか過ぎない。</p>
<p>福島第一の事故の直後、外国人のみならず、外国にながいあいだ住んでいる日本人も、「逃げろ！逃げろ！」とツイッタやなんかで叫んでいたのをおぼえているが、英語人の反応は簡単に想像がついて、まず一目散に逃げて、自分の体力やオカネが許す限り遠くまで逃げるだろう。<br />
実際、福島第一事故のあと、英語世界のテレビや新聞のインタビューにこたえたり、英語人のフォーラムで語られたりした事例をみると、速報を聞いて、いきなり自転車に乗ったまま、途中野宿をして関東まで逃げ、そのまま飛行機に乗って逃れたひとや、たったひとり警報を信じて屋上に走ってあがり（前の日に津波警報があったが津波が実際には来なかったせいだという。なんというたちのわるい偶然だろう）津波がひいたあと、やはりシドニーまで何も考えずにまっすぐ「とりあえず」帰った女のひと、歩いて西へ西へと逃げたひと、日本人風の定義をすると「パニック」で逃げたひとばかりであって、外国人は数字に弱いという日本人の信念はほんとうであるのがわかります、というのは冗談だが、とりあえず逃げてから考える、というディアブロ必勝法と同じ定石に従って英語人は行動する、ということを今回も見事に証明したのでした。</p>
<p>「とりあえず逃げた」と書いたが、そのあとに情勢を検討して、日本政府のいうことを信用すべきだと考えて戻ったひともたくさんとは言えないが、少しはいた。<br />
例をとるとアメリカ人は実際大使館が送ってよこすeメールに「日本政府が提供する情報に従って行動するように」と途中から書きだしたので、それじゃ、まあ、日本政府のいうことを信じればいいのだろう、と考えて戻った人が多かった。</p>
<p>まず一目散に逃げる、ということをしないので、「日本のひとだなあ」と考えて驚いたが、そのあと被災地域に残っているひとたちについては、そりゃまあ、そうだろう、と思っていた。<br />
わしの個人の考えとしては東京くらいの地表・食べ物の汚染でも、そこに住んでいるなんてとんでもねえ、と思うが、政府が大丈夫だと言っているのだから、たとえば福島県人にほかになにが出来るだろう。</p>
<p>大昇進して福島支店に赴任したばかりの支店長のおっちゃんは、仕事を捨て家族の生活を捨てて家ぐるみ九州に越す、というコンジョがでるだろうか、と考えると、わしなら出ない。<br />
固有のわし反応は、いきなりダッシュで地の果てまで逃げて、はあはあ言いながら振り返って、「あー、こわかった」をしているうちに会社の逆鱗にふれてクビ、家族と一緒に路頭に迷うことになると思われるが、それはわしが人生に対して投げやりな人間なわりに生命の危険に敏感だからで、いま考えているのは人生に真剣で生命の危険に無頓着な人を前提しているのだから、そういう根性には出場の機会がない。</p>
<p>日本政府は、だから、強権を発動して、鬼になって、福島県をからっぽにすべきだった。<br />
県民が泣こうがわめこうが、おれは福島を愛しているんだと絶叫しながら警官に詰め寄るひとが大量にあらわれようが、断固として汚染地域を封鎖して無人の荒土をつくるべきだった。<br />
東北人の憎悪を一身にあびて日本中の国民のたたきつけるような罵りをうけとめるべきだった。<br />
それが出来るから「国権国家」は機能しているのであって、それが出来ないのは「国家みたいなもの」であるとしか言いようがない。<br />
むかし天皇現人神主義に国を挙げてかぶれていたときの後遺症がまた出てしまったのかもしれません。</p>
<p>３</p>
<p>科学者たちの「放射能を怖がる人達の言う事は科学的でない」という宣伝については、もう、頭から判らなかった。<br />
そもそも、なんで放射能をこわがるのに「科学的」でなければいけないのかが、根がバカなガイジンには理解ができない。<br />
わしなどは日本に住む日本人であれば、さぞかしバカにされただろう、と考えたのは、「そんなことゆわれたって、こわいもんはこわいよ」と言っていたに決まっているからで、かっこうの餌食、というか、ネギさんを抱えて座っている鴨というか、「なにを根拠にそんなことを言うのか？」<br />
「出典はどこにあるのか？」「証拠は？」「科学的な証明は？」<br />
「どんな理論を元にそんな悪意にみちたことを言うのか？」<br />
と、またあのおっかない「はてな市民」のみなさんや小説家の御一党や、むかしなつかしい２ｃｈ「おれたちゃ、排外団、ガイジン大嫌い、ヤッホイホイノホイ」だった集団がいっぺんにまとめて再襲来して、うんとこさイジメられたに違いない。<br />
日本人と仮定しているのに排外団にいじめられるのは理屈が通らないが、そのくらいの理屈はあれだけ訳のわかんない理屈や「事実」をこねあげられるひとびとなのだから、余程あたまがよいのに違いなくて、あっちに頼んだほうがよいと思う。</p>
<p>あんまりこねる気もしない理屈の初歩だけを述べると、こういう場合、わしの「常識」ではその辺で科学なんかに興味がないからもっとまっとうな職業について人生を送っているひとびとが「こええ」とゆっているときに科学者が「こわがるな」と言いたければ科学者のほうで「絶対に安全である」ことを証明すべきなので、その「科学的証明」に権威づけをしたければ、「万が一、あなたの子供が放射能のせいで死んだら、われわれはラボアジェのようにギロチンの露と消えてもよいであろう」と述べるのが良いと思う。</p>
<p>科学者などというものは、通常の人間世界の常識からすればやくざそのものであって、つい数年前までは、すごおおおく自信に満ちて、黒板や白板を背にして友達が全部うんざりしていなくなりそーなエラソーな顔をして「我が輩の発見によればＡはＭなんだからね」とゆっていたのが、その次に壇上に立ったところを見にいってみると、「はっはっは。間違えた。ＡがＭなのではなくて、Ａに性質として付随したものがＭと必ず相関して起こるＺという現象を引き起こすのだった。ＡはＭちゃいますねん。わりいわりい」とゆっているなんていうのは年がら年中のろくでもない人達だからです。<br />
しかも間近な観察によると、科学に志す人間はどうも初等教育における「ホームルーム」とか「道徳」とか「倫理」みたいな諸国であまねく行われている授業は全部眠ってやりすごしていたのだと思われる人間ばかりである。<br />
あんまり、大学の外で放し飼いにしていて良いような人間の集合ではありません。<br />
しかも、特に優秀な部分はだいたい税金で食っていて、やってる研究は世の中の役には立たない、税金ムダにしてナンボの商売じゃ、という特徴ももっている。</p>
<p>日本人は、この先、いっぱい死んでしまうかも知れないし、案外大丈夫で、２０年くらいしても、みながピンピンしてるかも知れないが、「なんだかよくわかんねーひとたちだなあー」という印象は消えないものとして残ることになった。<br />
残ることになった、といってもアニメならともかく、日本という距離的にも気分的にも遠い国に興味がある人間など殆どいないので、言い直すと、これから先、日本についてベンキョーしたりする人間はみな「フクシマ」のところにくると、理解が挫折して、ゲゲゲゲゲッ！　ゲッ？になると思われる。</p>
<p>４</p>
<p>ここからあとは、小さい、聞こえにくい声で書かねばならないが、福島県にまで子供が居残っているというのを発見して、後世の人は憤慨する、というよりは、不思議に思うだろう。<br />
そう考えないと国の経済がたちいかなくなるという理由から「放射能は、ほとんど大丈夫」と決めた日本の政府ですら、「相当危ない」と考えている地域に子供がたくさんいて、校庭で走り回っている。<br />
東北のひとがマンガで日記をつけているのを眺めていたら、ふたりづれの小学生が<br />
「ねえ、わたしおもうんだけど」<br />
「？」<br />
「放射能、放射能って言うけど、見えないんだから、やっぱり無いんだよねえー」と言い合っているのに行きあって、<br />
「きみたち、甘い」と心のなかでつぶやく母親が出てきたが、<br />
考えてみればあたりまえ、親を困惑させないために子供も知らないふりをしているだけで、自分達の身の上に何が起きているかよく知っている訳である。<br />
言葉の上だけでも安心したいのは子供も同じだろう。</p>
<p>わしのバカガイジン常識&#8230;あるいは前回の記事で述べたようにニセガイジン常識でも構わないが&#8230;によれば、いまオトナである日本のひとは歴史上、アウシュビッツ収容所をつくったナチを支持した当時のドイツ人と同列に扱われるであろうと思う。<br />
戦争がおわってみるとユダヤ人収容所について「わたしは知らなかった」というドイツ人が殆どだったことはアメリカ兵たちを怒らせ、ロシア兵たちに強姦や殺人の恰好の口実を与えたが、少なくとも日本では、弱々しくか細い、「聞き取りにくい声」で、「わたしは、そんなことはおかしいとおもう」と述べる人がいたことはやや異なる。<br />
しかし、（そういう言い方をすれば）「自分達の子供」を、死ぬかどうか観察実験するための実験動物に仕立てて、その結果を外国人研究者たちが心待ちにしている、という絵柄は歴史のなかでも前代未聞で、こんなものすごい残虐と無責任をリアルタイムで目撃することになるとは思わなかった。<br />
きっと政府のなかには、あああー、またこの先、「非人道的だった。悪魔の所業だ」とかエラソな外国人に迫られて謝ることになるのか、鬱陶しい、おれんとこのガキのことなんだから、おめーに口だしされる謂われはねえーよ、と思っている人が何人かいるに違いない。<br />
欧州人の文明なんか、インディオやアフリカ人をぶち殺して出来た立派な墓石みてーなもんじゃねーか。おめーらの歴史のどこが人道的なんだよ、まったく。<br />
日本は日本の道をゆくのだ。</p>
<p>ひとつの社会の文化なり文明というものは社会が緊張した事態にいきあたると特異的に突出・強調された姿で特徴があらわれる。<br />
日本の場合は、社会の構成員ひとりひとりが「社会の部品」にしかすぎない、あるいは「部品」として機能してくれないと社会として成り立ってゆけないという強迫観念があることが、おもいがけない形で強調されてしまった。</p>
<p>福島県人がそこで育ったなつかしい故郷の土地に執着したり、たくさんの日本人が頭のどこかで微かには鳴っているに違いない「やはり危険なのではないか」という生存本能が出している信号に逆らってひたすらな善意でボランティアで瓦礫を片付けに東北にでかけたりすることは、皮肉なことに、政府の思うつぼ、では言葉の趣味が悪いだろうか、結局は天皇のあとに経済を「国というものの実体」にすえてやってきた得体の知れない「日本」という全体が生き延びることに賛同している。<br />
そうして、その歴史のダイナミズムを生き残ってきた「日本」という何かは、いま福島県の子供がまさに実験動物としての役割を担わされているように、あるいは「放射能は安全か安全でないか」という日本が「安全」のほうに有り金を全部賭けた賭けのテーブルにおかれたチップの象徴の役割を担わされているように、歴史上、個々の成員である個人の生命や幸福など一顧だにしたことがない。<br />
日本が敗北した１９４５年に終わった戦争のときもそうだったが、社会が破滅的な誤りを犯すときには、原動力はつねに個人の善意であり、被害にあったものを傷む気持ちであり、国の中で自分の愛するものを守らねばならない、という強い決心である。</p>
<p>神様なのか枚挙して要素を並べて違いの影響を俯瞰するにはお互いに影響しあう事象の数がおおすぎる「社会」というものの複雑でほどけない糸のからまるのような力なのかは判らないが、破滅に向かわせるときには意地でも破滅に向かわせる、というようななんだか訳のわからない「暗い意志」を感じることがある。<br />
否が応でもお前達を滅ぼしてやる、という強い意志を感じることがあるが、その「お前達を滅ぼしてやる」と底冷えのする声で述べているものの相貌をよく見つめてみると、自分が自己を犠牲にして支えていこうと思っている当の「全体」である、というのは非常識にみえて、歴史にはいくらもころがっている「常識」であることをつけくわえておきたいと考えました。</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/gamayauber1001.wordpress.com/4511/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/gamayauber1001.wordpress.com/4511/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/gamayauber1001.wordpress.com/4511/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/gamayauber1001.wordpress.com/4511/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/gamayauber1001.wordpress.com/4511/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/gamayauber1001.wordpress.com/4511/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/gamayauber1001.wordpress.com/4511/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/gamayauber1001.wordpress.com/4511/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/gamayauber1001.wordpress.com/4511/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/gamayauber1001.wordpress.com/4511/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/gamayauber1001.wordpress.com/4511/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/gamayauber1001.wordpress.com/4511/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/gamayauber1001.wordpress.com/4511/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/gamayauber1001.wordpress.com/4511/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4511&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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		<title>ニセガイジン大庭亀夫の独白</title>
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		<pubDate>Sun, 12 Feb 2012 04:34:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamayauber1001</dc:creator>
				<category><![CDATA[言語と習慣]]></category>
		<category><![CDATA[近況報告]]></category>

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		<description><![CDATA[１ モニさんは、すやすや眠っておる。 モニとわしは滅多に喧嘩しないが、昨日は大喧嘩をした。 わしがぐーすかぴーから目がさめてみると、モニは本を読んでおる。 おはようでごんす、というと、 昨日の夜は気分が悪くてたいへんだった、という。 頭痛がして吐き気がひどかったが、嘔いたらたいへんな事になりそうな気がして隣の部屋に行って仰向けになってじっとしていた、という。 耳の中でひどい騒音がした。 苦しくて息ができなかった。 なんで、わしを起こさんねん。 いったい何を考えてるんじゃ、とゆって喧嘩になってもうた。 考えてみれば、つい何時間か前まで気分が滅茶苦茶わるかったやつと喧嘩をするのはオオバカであると思われる。 わしはあまり怒らないようにしている。 家系のせいにしてもよいと思うが、遺伝的な理由で(^^)　短気なので、わしはすぐにカッとなりやすいよーだ。 身体が大きいのと、みるみるうちに顔が紅潮してまっ赤になるので、本人はちょっと頭にきた、くらいのつもりでも、周りに居る人びとは「もうすぐ殺される」と思うものであるらしい。 頭がとろい人の常として腕力が強いが、ボクシングが長いあいだ趣味だったので、拳をつきだす速度がボクシングの修行をしないひとの２倍ある。 破壊力は加速度の２乗に比例するわけだから、わしがなぐって壊れない壁板はないとゆってもよい。 いちどミーティングのテーブルであまりに相手がわけがわからないことをいうので拳でテーブルを叩いたら、オフィ○デポのチョー安物テーブルであったに違いない、机の板が割れてしまって、それから暫く、あの若い男は凶暴だから気を付けた方がよいと陰口を利かれてうんざりしてしまったこともあった。 だから、怒らないようにしている。 ましてモニさんなどは、わしの人生で起きたいちばんよいことなので、その最もラッキーな天使さまに怒るなどとは考えもしないことである。 おかげで一日経った今日でも、まだ気分がしょぼしょぼしている。 モニは「ごめんな、ガメ。このチョコ半分やるから、わたしを許せ。ピース　オファリングなんだぞ、これ」というが、自分のほうが悪いのに先に謝られてしまったので、なおさら惨めです。 イギリスの子供なら誰でも知っている歌に、 Nobody loves me Everybody hates me  Going to the garden to eat worms  Big fat juicy ones Tiny little squiggly ones  Watch them wriggle and squirm  というのがある。 わしも、いまでも愛唱しておる(^^) 庭に行けば、おいしそうなのがいるだろうか。 ２ このブログ記事を読んでいるひとは、だいたいわしを日本人だと思っているよーだ。「山本七平」という人の名前がよく出てくる。 観察していると、「日本人だと初めから思わない」ひとは３種類あって、 「長い間（十年以上）西洋世界に住んでいる日本人」 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4502&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_3758.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_3758.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_3758" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4503" /></a><br />
１</p>
<p>モニさんは、すやすや眠っておる。<br />
モニとわしは滅多に喧嘩しないが、昨日は大喧嘩をした。<br />
わしがぐーすかぴーから目がさめてみると、モニは本を読んでおる。<br />
おはようでごんす、というと、<br />
昨日の夜は気分が悪くてたいへんだった、という。<br />
頭痛がして吐き気がひどかったが、嘔いたらたいへんな事になりそうな気がして隣の部屋に行って仰向けになってじっとしていた、という。<br />
耳の中でひどい騒音がした。<br />
苦しくて息ができなかった。</p>
<p>なんで、わしを起こさんねん。<br />
いったい何を考えてるんじゃ、とゆって喧嘩になってもうた。<br />
考えてみれば、つい何時間か前まで気分が滅茶苦茶わるかったやつと喧嘩をするのはオオバカであると思われる。</p>
<p>わしはあまり怒らないようにしている。<br />
家系のせいにしてもよいと思うが、遺伝的な理由で(^^)　短気なので、わしはすぐにカッとなりやすいよーだ。<br />
身体が大きいのと、みるみるうちに顔が紅潮してまっ赤になるので、本人はちょっと頭にきた、くらいのつもりでも、周りに居る人びとは「もうすぐ殺される」と思うものであるらしい。<br />
頭がとろい人の常として腕力が強いが、ボクシングが長いあいだ趣味だったので、拳をつきだす速度がボクシングの修行をしないひとの２倍ある。<br />
破壊力は加速度の２乗に比例するわけだから、わしがなぐって壊れない壁板はないとゆってもよい。</p>
<p>いちどミーティングのテーブルであまりに相手がわけがわからないことをいうので拳でテーブルを叩いたら、オフィ○デポのチョー安物テーブルであったに違いない、机の板が割れてしまって、それから暫く、あの若い男は凶暴だから気を付けた方がよいと陰口を利かれてうんざりしてしまったこともあった。</p>
<p>だから、怒らないようにしている。</p>
<p>ましてモニさんなどは、わしの人生で起きたいちばんよいことなので、その最もラッキーな天使さまに怒るなどとは考えもしないことである。</p>
<p>おかげで一日経った今日でも、まだ気分がしょぼしょぼしている。<br />
モニは「ごめんな、ガメ。このチョコ半分やるから、わたしを許せ。ピース　オファリングなんだぞ、これ」というが、自分のほうが悪いのに先に謝られてしまったので、なおさら惨めです。</p>
<p>イギリスの子供なら誰でも知っている歌に、</p>
<p>Nobody loves me<br />
Everybody hates me<br />
 Going to the garden to eat worms<br />
 Big fat juicy ones Tiny little squiggly ones <br />
Watch them wriggle and squirm <br />
というのがある。<br />
わしも、いまでも愛唱しておる(^^)<br />
庭に行けば、おいしそうなのがいるだろうか。</p>
<p>２</p>
<p>このブログ記事を読んでいるひとは、だいたいわしを日本人だと思っているよーだ。「山本七平」という人の名前がよく出てくる。<br />
観察していると、「日本人だと初めから思わない」ひとは３種類あって、<br />
「長い間（十年以上）西洋世界に住んでいる日本人」<br />
「伴侶が西洋人である日本人」<br />
「西洋人」<br />
の３つの類型にわかれている。</p>
<p>どんなに気をつけていても、やはり日本語が外国人ぽいのだろうか、とがっかりしたりしたが、気をつけてみると、そうでもないらしい。</p>
<p>ものの考え方の点で、このひとは日本人ではないな、と気が付くもののよーである。<br />
あたりまえではないか、というひともいるが、ほんとうは、そう事情は簡単ではない。<br />
ちょっとエラソーに聞こえるかもしれないので、我慢してもらうことにして自分が日本語を書いているときの事情を述べると、日本語を書いているときには、わしは実際日本人なのである。</p>
<p>「日本語で考える」というようなことはもちろんだが、自分のなかの「日本語の圧力」というようなものが増大して、日本語の鍋から言葉がふきこぼれるように日本語を書くのでなければ、日本語に手をつけた意味がない。<br />
わしは外国語としての外国語になど何の興味もないのです。<br />
日本人が日本語をつかって世界をどういうふうに感知しているかに興味がある。<br />
おおげさにいうと（そういうひとは大陸欧州に行けばいくらでもいるが）５カ国語が「自分の言語」であるひとは、５つの人格と思想をもっている。<br />
わしが興味があるのは、その「日本語人格」であるということになる。</p>
<p>英語世界では、当然だが、外国人が英語で議論することがよくある。<br />
よくある、とわざわざ言うのもアホらしいくらい普通のことです。<br />
ここ十年くらいで、「このひとは英語が母語のひとよりも英語が巧みであるな」と思う人が登場するようになった。<br />
むかしは、そういうことはなかなかなくて、ジョセフ・コンラッドやウイリアム・ワイラーというようなごく特殊な言語才能をもつひとに限られた。<br />
日本語についてならば、 両方とも本人が書いたものを見たことがないのが残念だが、 両人について書き残されたものを見る限り明治時代の「快楽亭ブラック」やエリセーエフのようなひとは母語と変わらない日本語を話したり書いたもののよーである。</p>
<p>酔っ払っていたりして面倒くさいので英語で話しかけてしまった場合、マルクス博士のように「いやあー、ほんとに英語人なのではないか」という反応があったりしてずるっこけてしまうことがあるが、わざわざ（知ったかぶりの日本人がうようよ現れてくさったので二度とやらない）日本人向けに書き直した英語でない英語をみせようと思わないのは、くだらない人間のために自分が英語人であることを証明するというようなことをする必要があると思わないからで、相手が英語のほうが楽である場合には、当然、英語で書いて送る。<br />
マルクス博士の場合は予想外にまともな（ごめん）英語で、あっさりメールを送ってきたので、うっかり（寝ぼけていたせいもあって）英語で返信してしまっただけである。</p>
<p>あのひとは、日本人だと思っていたのに、どうも英語人でもあるよーだ。<br />
どういう人なのだろう？</p>
<p>相手がほんとうに「ガイジン」であるかどうか、というようなことにたとえばニュージーランド人は興味をもたないが、日本のひとや、最近判明したことによればロシアのひとも過剰な興味をもつ。<br />
どうも、これも文化的な特徴であるようです。<br />
日本では小説家が「現実の世界では、どんなひとか」ということについて、延々と議論が戦わされる時代が長く続いたが、それも、同じ文化の側面であるように思われる。</p>
<p>３<br />
「我はあからさまに我が心を曰ふ、物に感ずること深くして、悲に沈むこと常ならざるを。我は明然に我が情を曰ふ、美しきものに意を傾くること人に過ぎて多きを。然はあれども、わが美くしと思ふは人の美くしと思ふものにあらず、わが物に感ずるは世間の衆生が感ずる如きにあらず。物を通じて心に徹せざれば、自ら休むことを知らず。形を鑿ちて精に入らざれば、自ら甘んずること難し。人われを呼びて万有的趣味の賊となせど、われは既に万有造化の美に感ずるの時を失へり。」<br />
というのは北村透谷の「哀詞序」の部分だが、この日本語はある程度観念のレベルが高くなった緊張の高いところで発語するのに向いている。<br />
やってみれば判るが、この当時の文語体というのは、緊張した精神が自己を表現するには日本語として最も向いている。<br />
一方、<br />
「すると髭の男は、<br />
『お互いは哀れだなあ』と言い出した。『こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。<br />
あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない』と言ってまたにやにや笑っている。<br />
三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。<br />
『しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう』と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、『滅びるね』と言った。」</p>
<p>という有名な三四郎の一節は、文章に何を求めるか、という思想において実は英語そのものである。<br />
英語なみに生活感情と生活そのものがあますことなく表現できるように工夫されている。<br />
言葉そのもののリズムは、少しレイドバックしたものになっていて、これは江戸時代の戯作のリズムであると思う。<br />
いまさら、わしが繰り返しても何の新味もないわけだが、漱石の偉大さは日本語で日本的な普段の感情をあらわしうる日本語を創生したことにある。</p>
<p>しかし、困ったことに日本語では透谷的な観念のレベルと漱石が一種の韜晦でもってつくった表現のレベルのあいだに断層というか懸絶ができてしまって、それは結局埋まらないまま終わってしまった。</p>
<p>ここから先を書くとチョー長くなってしまうので書かないが、敬語を使って議論を成り立たせる難しさと並んで、小説家が解決しないまま怠った近代日本語の基本的な問題のひとつだと思います。<br />
表現されうる思惟の範囲が、ひどく狭小になってしまって、紋切り型でない考えを表現するのがとてつもなく難しい言語になってしまっている。<br />
ひどい言い方をすると、日本語は、ちゃんと調理されないまま、厨房の台の上にほうっぽらかしにされて腐りかけた料理のようなことになっている。</p>
<p>言語として完成されていないのではないか、と思わせるところがある。<br />
なるべくややこしくない言い方をしようと思ってかんがえてみると、<br />
その場で考えたことをポンと言えないで、発語まで手続きが多すぎる、というような欠点が解決されていないように見える。</p>
<p>４</p>
<p>今日は節をわけている割に、同じようなことばかり書いているが、<br />
なぜ日本語に興味をもったかと訊かれると、<br />
「子供のときに日本に住んでいたことがある」ことと<br />
「マブダチの従兄弟の父親が日本人である」ということを挙げることにしているが、ほんとうは、それは全部ではなくて、丁度６年くらい前から妹に激しくバカにされたのを契機にして、外国語もちょっとはやらねーと拙かろうと考えた、ということがある。<br />
だから、あんましゆわないだけで、いろいろな言語を一緒くたにいっぱいおぼえつつあるところで日本語はそのひとつだという側面があります。<br />
わしの言語に対する態度はチョーえーかげんで、イタリア語とスペイン語は年がら年中混同されている。男性も女性も一緒くたで、数の数え方まで年中間違えるので、会話においては有卦をねらってわざとやってるのではないかと思うひともいるよーである。</p>
<p>そんなことに興味がないひとのほうが多いだろうと思っていつもは書かないが、わしの言語の習得方法はヘンで、単語より先にフレーズをおぼえている。それも初めの初めはひとに「これはあんたの言葉では何というの？」とひとに訊いておぼえるだけなので、友達の狐茶のようなマジな言語達人とは違って広東語とマンダリンの区別もつかないので、折角おぼえた中国語で話しかけても広東人のおばちゃんが周章ててどこかに行ったと思ったら北京人のひとを通訳に呼んできたりする人騒がせな中国語だったりする。<br />
フレーズをおぼえてフレーズが１０００くらいたまってくると、ヒマなときに、その言語で好きになれそーな現代詩や歌の文句を丸暗記する。</p>
<p>日本語で言えば岡田隆彦や岩田宏の詩がそうであって、高田渡やテンプターズ、忌野清志郎とかです。<br />
古い日本語のほうが良いのは、新しすぎる日本語はかえって「腐る」言葉が多い。<br />
特に日本語は言葉が次から次に消費されてくさってゆくので注意を要する。</p>
<p>それから自分のスペイン語と現実のスペイン語が合致しないとリファレンスとして文法を考える。<br />
スペイン語で初めて文法の本を買ったのは「Olvídame Tú」という言葉が判らなかったからだった(^^)</p>
<p>そうやって言葉で遊ぶのは、数式や図形で遊ぶのと同じくらい楽しい。<br />
「四カ国語」が出来ます、という人を見て「このひとは自慢しているのだ」と考える日本人は寂しすぎる上にやや異常だと思うが、そういうことから派生して、言語の習得ということが見栄の張り合いのような奇妙な感情と連なっているので日本のひとは外国語が出来ないのだ、と気が付いたのは、ごく最近のことだった。</p>
<p>そのことに対しては&#8230;うまく言葉がみつからない&#8230;世界というものは、そういう方角からみると、たちまち生きにくい場所になってしまうんだけど、というくらいしか言えそうなことがない。<br />
全然うまく言えないが、世界というのは、もっといろいろやってみて楽しい思いで暮らせるように出来ているのに、わざわざそうやて暮らしにくい場所に変更しようと努力するのはバカげているのではないか？と思う。</p>
<p>前にツイッタで述べたことがあると思うが、わしが日本人で外国語を勉強しようと思い立てば、多分、英語とフランス語は避けると思われる。<br />
英語人とフランス人には悪い癖があって、相手が自分の言語を上達すればするほど、「ちゃんと話さない」ことにいらいらする。<br />
日本語で書いていることに乗じて告白すると、わしも同じなんです。<br />
頭では、そういうことではダメだ、と思っていても、相手のアクセントに「かちん」と来てしまう。<br />
どうも生理的なもののようです。</p>
<p>しかも、英語人やフランス語人は「相手が自分の言葉を話すのはあたりまえだ」と思う強い傾向がある。<br />
えええー、そんなことないよお、というひとは日本に住んでいるのではなかろうか。<br />
日本に住んでいる英語人やフランス語は日本のひとが評判以上に途轍もなく言葉が話せないのを熟知しているので、たまに英語やフランス語を話すひとに会うと、ちやほやして激励して、もっと上手になってもらおうと考える。</p>
<p>英語人などは、とんでもないひとの集まりなので、ちょっとヘンなアクセントで話すと、「えっ？」と（わざあとじゃないんだけど）おおげさに聞き返して、失礼にもゲラゲラ笑い転げたりする。<br />
一方で稀に英語人なみに英語を話す外国人がいると、「どこの英語だか得体のしれない英語だ」とかゆって陰口を利く。<br />
どーしよーもないひとびとであると思います。</p>
<p>ところがスペイン語はチョーメジャーな言葉であるのに、ちょっと完結した長い文章を話すと、<br />
「ど、ど、どーしてお前はそんなにスペイン語がジョーズなんだ？<br />
ほんとうはスペイン人なのか？　それとも語学の天才であらせられるのか？」と派手にほめてくれます。<br />
ほうっておくと、拍手しそーである。</p>
<p>わしはハモン屋でスペイン語で話して、涙ぐまれたことまである。<br />
ゆわれんでも、もっと上手になろうと思う。</p>
<p>もうひとつ、イタリア人やスペイン人は「どんどん話す」のでオモロイ、ということもある。<br />
イタリアで、わしはスペインが好きなんだけどね、とゆうと、店のおばちゃんがふたりで、「スペイン？スペインのどこがいいっちゅうの？アフリカじゃないの、あんなとこ」と口を揃えて合唱する。<br />
そのあとはもっとすごくて文字通り店中のひとが加わっていかにスペイン人が不潔か、怠け者で、やる気がないか、これでもかこれでもかこれでもかこれでもか解説するが、どんな人間が聞いていても感心するには、そこにが少しの嫌味もなくて、まるで仲の良い兄弟が悪口を述べているような趣があるところで、ニコニコしながら、じっと聞いていると、どうしても「文明」ということを考えてします。イギリス人やニュージーランド人、日本人もいれてしまってもいいと思うが、嫌味たっぷりで聞かされていると胃が重くなるような嫌らしさがないのです。</p>
<p>文明度が高いというのは、なんと素晴らしいことだろうと考える。</p>
<p>タイのひとなどは、もっとすごくて、レストランでアロイ・マーと一言言っただけで、シェフのひとが厨房から出てきてしまったことがある。<br />
それを書くと意地汚く品が悪い例の猿のごときひとびとがあらわれて、「肌の色が違うのに、そんなことを言う訳がない。これこそガメ・オベールが日本人である動かぬ証拠だ」と集団で喚き出すに決まっていて、日本人であることがそんなにいけないことだと知らなかったので、そういうことはどっちでもいいことだと盲信していたわしはぶっくらこいちまうが、そのシェフおっちゃんの厨房から出てきて、わしを見上げて述べた第一声は<br />
「あんた、ほんとうはタイ人なの？」だった。<br />
それから、一秒くらいも、わしをじっと見ていて<br />
「そんなわけねーよなあ」という。<br />
そこにいたひとみなが、シェフおっちゃんの間がよすぎて死ぬほど笑ってしまったが、タイのひとがタイ語を話す外国人に対することかくのごとしであって、さっきも話した狐茶　（　@kochasaeng　)が、名門の家の超絶美人を欺してお嫁さんにしてしまって幸福な暮らしをしているのも、きっと同じ感情に流された結果であると思われる。</p>
<p>そういう事情は中国語でも同じで、オークランドにはひと言も英語が通じない中国料理屋がいくらでもあって、そういうところは５ドル３００円で旨くて死にそうになるギョウザが３０個くらい食べられるので、わしは屋根があくクルマに乗ってときどきでかけるが、ダンプリンでは通じないので、「チャオズ」というと、断末魔のひとのように緊張していた小男のおっさんが、わしを指さして「チャオズ！チャオズ！オー、チャオズ！」とゆって小躍りしながら３０個の筈が４０個になった餃子を出してくれる。</p>
<p>あんまり現世利益の面から言語習得を説いてはいけないが、やはり楽しいことがおおいほうがいいと思う。</p>
<p>日本のひとが言語を出来ないのは、多分、「リラックスできない」せいである。<br />
ヘンなことをいうなあーと思うかも知れないが、前のめりになって、肩に力がはいった状態では言語など出来るようになるものではない。<br />
間違いを怖がるのは、次に大敵だが、日本のひとは、どうも「英語ができたほうがえらい」とう不思議な後進国的な考えがあるようで、よく考えてみれば、まだおぼえていないものは出来ないのがあたりまえで、バカな話だが、なんだか言語のようなものまで「ぼくのほうがえらいもん」な社会に根深い病巣の道具に使いたくて仕方がないよーだ。</p>
<p>そんなんでは、というのは、そういう姿勢では、間違ってもこの世界で幸福になりえないし、いったい何のために生きているかいっぺんマジメに考えてみたらどうか、と思うが、言語習得においても、他のことと同様、ただ邪魔なだけで、しかも傍迷惑な見栄であると思います。</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/gamayauber1001.wordpress.com/4502/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/gamayauber1001.wordpress.com/4502/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/gamayauber1001.wordpress.com/4502/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/gamayauber1001.wordpress.com/4502/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/gamayauber1001.wordpress.com/4502/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/gamayauber1001.wordpress.com/4502/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/gamayauber1001.wordpress.com/4502/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/gamayauber1001.wordpress.com/4502/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/gamayauber1001.wordpress.com/4502/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/gamayauber1001.wordpress.com/4502/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/gamayauber1001.wordpress.com/4502/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/gamayauber1001.wordpress.com/4502/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/gamayauber1001.wordpress.com/4502/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/gamayauber1001.wordpress.com/4502/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4502&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>jaane kaisi agan mein baban jale</title>
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		<pubDate>Thu, 09 Feb 2012 22:40:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamayauber1001</dc:creator>
				<category><![CDATA[異文化異人種]]></category>
		<category><![CDATA[gamayauber]]></category>

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		<description><![CDATA[織田信長は独裁者らしく猜疑心が極端に強い人であって、さまざまな罠をもうけて自分の部下たちの忠誠心を試した。 配下の部将たちは戦々恐々として暮らしていたのが、いまの人間にも記録を通してなまなましく伝わってくるよーだが、よく見るとひとりだけ例外がある。 前田利家は若いときには織田信長に手をやかせた。 同胞衆で信長の異母兄の拾阿弥が信長との血縁を傘に来た嫌がらせの数々に激昂して斬殺し出奔してしまったりする。 組織の長としての信長の面目はまるつぶれだが、結局は、帰参を許してしまう。 日本の歴史の世界では近代の強勢と繁栄を誇った加賀藩の立場に立った「史実」に従って信長が前田利家という人材を失いたくなかったということになっているが、前田というひとの価値は本を読むと人となりを信長に絶対的に愛されていたことにあるのであって能力ではなかったようにも見えるところが奇妙と思う。 信長が作った組織は日本で初めての「会社」とでもいうべきもので、最後期を除いては封土というものを与えないいわば雇用制だったので、人材登用が柔軟に行い得た。 前田利家くらいの能力のものは、たくさんいたようにみえる。 日本における同性愛が歌舞伎の女形にみられるような擬似女性のあいかたをもつのは江戸時代も後半からで、「衆道」と名の付いた男同士の恋愛は現代の「ゲイ・カップル」に近い自然なものだった。 男と男同士で対等な関係であって、同性愛の友人に訊いてみると、男と女のように精神的に組み敷いてしまうのではない、その「対等な感じ」がいいのだという。 高校生くらいのときは、昼間はマジメな顔で街を歩いていても、週末の夜ともなると文字で書くわけには到底いかないくらい滅茶苦茶なので、クラブのパーティで頭が石（いし）ってしまったあげく、わしの目の前で性交を始めてしまった同性愛のカップルを眺めていたことがあるが、あれは相手の背中を見る状態に限られるのかと思っていたら向かいあっている状態もあるので驚いてしまった。 考えてみればコンバーチブルなのだからあたりまえだが、役割を交換もするので、ぐじゃぐじゃな頭のなかで、同性愛というのは便利だなと考えたりした。 前田利家と織田信長は衆道の契りが深く、周囲の武将の憧れの的だったので有名だが、 信長の利家に対する無条件の信頼、底がない信頼というものをみてゆくと、あれはどうしても肉体的な信頼だったのだ、ということに思い至る。 前田利家が、１５５センチ程度がふつうであったという当時の日本人にしては、珍しいほど背が高い１８０センチを越える長軀をもっていたことを思い出せば、いくらか年長の主人信長との性的関係を考えるよすがになりそうである。 英語でケミストリというが、ケミストリは精神だけでなく肉体にもあるのは普通の育ちかたをした、おとなであれば誰でもしっている。 精神的には「嫌なやつだなあ」と考えても、身体の関係では、いちもにもなく、あっというまに自分が行きたいところにつれていってくれる「信頼」というものがある。 誰にとっても自分の欲望を決して裏切らない身体をもった人間、というものが存在する。 毛沢東は江青が政治的に無能で人格的に傲慢、他人を攻撃することにしか能がない人間であることをよく知っていた。 周恩来を標的とした「批林批孔」運動はあやうく毛沢東の生前に毛沢東を破滅させかねなかったが、これはどうやら江青が張春橋たちを使嗾して勝手に煽動したものだったことが最近の証言で明らかになっている。 文革に毛沢東が予期した以上の細部に及ぶ破壊的性格をつけくわえて軍の長老たちを怒らせる、という結局は文化革命を失敗にみちびく直截の理由となった「ムダな闘争」に力点をおいたのも江青だった。 遠くから距離をおいて、暗示やあいまいな示唆で周囲の人間たちをあやつり人形のように動かすのが毛沢東のやり方だったが、江青に関してだけは何度も自分で出馬して、失敗の修復に努めざるをえなくなることが何度もあった。 スターリンと並んで近代史上もっとも巨大な猜疑の固まりと呼べそうな毛沢東もしかし、江青の自分に対しての忠誠と献身奉仕だけは疑ったことがないので、これも経緯を観察して考えてみると、やはり身体というものが融合して生まれた信頼であるようにみえる。 毛沢東は政治的関係においてそうであったように性的関係においても極度にサディスティックであることを好んだというから、そういう扱われかたのなかで江青がみせた反応の何事かが毛沢東の魂をつかんでいたのだろう。 ときどき歴史の本を読みながら、人間のこれまでの来歴を考えていると、それが何かうわっつらにすぎなくて、日本語で、隔靴掻痒、という、なんだかピンとこないなあーという感じにとらわれることがあるが、歴史が人間によってつくられる以上、当の人間にとっておおきな要素である「性」がどこにも明然とした形で書かれないまま「歴史」だということになっているのだから当然である。 最近はコソボ紛争以来、先祖返りというべきなのか、兵士による集団強姦が敵に対する（ちょうど都市に対する無差別爆撃と同じ）恐怖による制圧の武器として意識的に使われるのがアフリカ諸地域、チベット、というような紛争地域の流行になっているが、ここで述べているのは、暴力としての性ではなくて、自然な性が人間の歴史を動かすことのほうを言っている。 言うまでもなく強姦は性行動ではなく性の破壊であって相手の人格の破壊である。 性とは、関係がない、というよりも相反する関係にある。 トルコ人の友人達は、英語世界の「トルコによるクルド人弾圧」の記事をみつけるたびに、「トルコの内閣にはクルド人と結婚している大臣が何人もいるのに、どうして、英語人はこんなに単純なんだ！」と怒るのが常だった。 若いのに、やらしいおっちゃんのような顔になって、「もしほんとうに旦那がクルド全体を目の敵にしていたら、どうやって夜、眠りにつくんだよ」とゆってウインクしたりしていた。 人間の男も、動物の雄と同じで、若いときにはなんの工夫もなくむやみに攻撃的で相手をくさらせるが、成長してゆけば、「征服」というような考えが不毛であることを学んでゆく。人間の雄の成熟の過程は、性と密接な関係があるのは、たとえばローマ人は、あたりまえのことだと思っていた。 父と子のあいだで性についておおっぴらに語り合う習慣はキリスト教が原理化した形で欧州を暗黒時代にたたきこむ中世まではふつうの習慣にしかすぎなかった。 活字をとおして、われわれがうしろを振り返ったときに、歴史にはみえない部分やちぐはぐな部分が多いのは、西洋においてはキリスト教、東洋においては儒教、ふたつの観念で人間を抑圧することに主眼をおいた宗教が、人間の欲望を蹂躙していたからと思う。 アメリカ合衆国のフラワージェネレーションの運動は、性との結びつきが特に意識された運動だった。 グレース・スリック http://www.jeffersonairplane.com/the-band/grace-slick/ はインタビューで、その頃は「ふだんつきあう、顔を知っている男とはほとんど全部やった。もちろんバンドのメンバーとは全部やったわよ。あの頃はみんなそうだった」というような恐ろしいことを言っていたりする(^^) アメリカの田舎の立場から言えば、これは性の解放であり、都会の立場から言えば、いままで口にされなかった現実が話してもいいことになった、ということだったようでした。 そのあたりからやっと、この世界には「性」という強烈な影響力をもったものが存在するのだとひとびとが思い出して政治や社会を考える上でも意識するようになったように見えるのは、考えてみると、ここまできてようやく人間は「宗教」という軛から逃れだしたのかもしれない、と思います。 自分のことを考えても、十代の終わりまでは、自分の性をコントロールするどころか、女の子に誘惑されればひとたまりもない、というようなていたらくで、あんまり、そんなことばかりやっているので、ひどいときには女の子の匂いがするだけで嫌になるほどだった。 そういう性にふりまわされる何年かを無事に終わって、完全とは言えないが、どーにかこーにか、自分を制御運転できるようになったのは、（こういうとモニは、そうだったのか、と怒るに違いないが）「知らないひとといちゃいちゃもんもんしたら、モニに悪い」 「モニが悲しむ」という、ただそれだけの強迫観念に禁止されているからで、仮にモニにぶちすてられて、通りに放し飼いになると、また性がふきすさぶ毎日にならないとも限らない。 一方で、こんなに人間の精神のなかでおおきな比重を占めるものが、ながいあいだただ正体も見極めずに抑圧だけされていたなんて、人間の自分に対する理解というか理解への努力は、なんちゅうええかげんなものだろう、と考えて、呆れてしまいます。<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4493&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
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<p>織田信長は独裁者らしく猜疑心が極端に強い人であって、さまざまな罠をもうけて自分の部下たちの忠誠心を試した。<br />
配下の部将たちは戦々恐々として暮らしていたのが、いまの人間にも記録を通してなまなましく伝わってくるよーだが、よく見るとひとりだけ例外がある。</p>
<p>前田利家は若いときには織田信長に手をやかせた。<br />
同胞衆で信長の異母兄の拾阿弥が信長との血縁を傘に来た嫌がらせの数々に激昂して斬殺し出奔してしまったりする。<br />
組織の長としての信長の面目はまるつぶれだが、結局は、帰参を許してしまう。<br />
日本の歴史の世界では近代の強勢と繁栄を誇った加賀藩の立場に立った「史実」に従って信長が前田利家という人材を失いたくなかったということになっているが、前田というひとの価値は本を読むと人となりを信長に絶対的に愛されていたことにあるのであって能力ではなかったようにも見えるところが奇妙と思う。<br />
信長が作った組織は日本で初めての「会社」とでもいうべきもので、最後期を除いては封土というものを与えないいわば雇用制だったので、人材登用が柔軟に行い得た。<br />
前田利家くらいの能力のものは、たくさんいたようにみえる。</p>
<p>日本における同性愛が歌舞伎の女形にみられるような擬似女性のあいかたをもつのは江戸時代も後半からで、「衆道」と名の付いた男同士の恋愛は現代の「ゲイ・カップル」に近い自然なものだった。<br />
男と男同士で対等な関係であって、同性愛の友人に訊いてみると、男と女のように精神的に組み敷いてしまうのではない、その「対等な感じ」がいいのだという。</p>
<p>高校生くらいのときは、昼間はマジメな顔で街を歩いていても、週末の夜ともなると文字で書くわけには到底いかないくらい滅茶苦茶なので、クラブのパーティで頭が石（いし）ってしまったあげく、わしの目の前で性交を始めてしまった同性愛のカップルを眺めていたことがあるが、あれは相手の背中を見る状態に限られるのかと思っていたら向かいあっている状態もあるので驚いてしまった。<br />
考えてみればコンバーチブルなのだからあたりまえだが、役割を交換もするので、ぐじゃぐじゃな頭のなかで、同性愛というのは便利だなと考えたりした。</p>
<p>前田利家と織田信長は衆道の契りが深く、周囲の武将の憧れの的だったので有名だが、<br />
信長の利家に対する無条件の信頼、底がない信頼というものをみてゆくと、あれはどうしても肉体的な信頼だったのだ、ということに思い至る。<br />
前田利家が、１５５センチ程度がふつうであったという当時の日本人にしては、珍しいほど背が高い１８０センチを越える長軀をもっていたことを思い出せば、いくらか年長の主人信長との性的関係を考えるよすがになりそうである。</p>
<p>英語でケミストリというが、ケミストリは精神だけでなく肉体にもあるのは普通の育ちかたをした、おとなであれば誰でもしっている。<br />
精神的には「嫌なやつだなあ」と考えても、身体の関係では、いちもにもなく、あっというまに自分が行きたいところにつれていってくれる「信頼」というものがある。<br />
誰にとっても自分の欲望を決して裏切らない身体をもった人間、というものが存在する。</p>
<p>毛沢東は江青が政治的に無能で人格的に傲慢、他人を攻撃することにしか能がない人間であることをよく知っていた。<br />
周恩来を標的とした「批林批孔」運動はあやうく毛沢東の生前に毛沢東を破滅させかねなかったが、これはどうやら江青が張春橋たちを使嗾して勝手に煽動したものだったことが最近の証言で明らかになっている。<br />
文革に毛沢東が予期した以上の細部に及ぶ破壊的性格をつけくわえて軍の長老たちを怒らせる、という結局は文化革命を失敗にみちびく直截の理由となった「ムダな闘争」に力点をおいたのも江青だった。<br />
遠くから距離をおいて、暗示やあいまいな示唆で周囲の人間たちをあやつり人形のように動かすのが毛沢東のやり方だったが、江青に関してだけは何度も自分で出馬して、失敗の修復に努めざるをえなくなることが何度もあった。</p>
<p>スターリンと並んで近代史上もっとも巨大な猜疑の固まりと呼べそうな毛沢東もしかし、江青の自分に対しての忠誠と献身奉仕だけは疑ったことがないので、これも経緯を観察して考えてみると、やはり身体というものが融合して生まれた信頼であるようにみえる。<br />
毛沢東は政治的関係においてそうであったように性的関係においても極度にサディスティックであることを好んだというから、そういう扱われかたのなかで江青がみせた反応の何事かが毛沢東の魂をつかんでいたのだろう。</p>
<p>ときどき歴史の本を読みながら、人間のこれまでの来歴を考えていると、それが何かうわっつらにすぎなくて、日本語で、隔靴掻痒、という、なんだかピンとこないなあーという感じにとらわれることがあるが、歴史が人間によってつくられる以上、当の人間にとっておおきな要素である「性」がどこにも明然とした形で書かれないまま「歴史」だということになっているのだから当然である。</p>
<p>最近はコソボ紛争以来、先祖返りというべきなのか、兵士による集団強姦が敵に対する（ちょうど都市に対する無差別爆撃と同じ）恐怖による制圧の武器として意識的に使われるのがアフリカ諸地域、チベット、というような紛争地域の流行になっているが、ここで述べているのは、暴力としての性ではなくて、自然な性が人間の歴史を動かすことのほうを言っている。<br />
言うまでもなく強姦は性行動ではなく性の破壊であって相手の人格の破壊である。<br />
性とは、関係がない、というよりも相反する関係にある。</p>
<p>トルコ人の友人達は、英語世界の「トルコによるクルド人弾圧」の記事をみつけるたびに、「トルコの内閣にはクルド人と結婚している大臣が何人もいるのに、どうして、英語人はこんなに単純なんだ！」と怒るのが常だった。<br />
若いのに、やらしいおっちゃんのような顔になって、「もしほんとうに旦那がクルド全体を目の敵にしていたら、どうやって夜、眠りにつくんだよ」とゆってウインクしたりしていた。</p>
<p>人間の男も、動物の雄と同じで、若いときにはなんの工夫もなくむやみに攻撃的で相手をくさらせるが、成長してゆけば、「征服」というような考えが不毛であることを学んでゆく。人間の雄の成熟の過程は、性と密接な関係があるのは、たとえばローマ人は、あたりまえのことだと思っていた。<br />
父と子のあいだで性についておおっぴらに語り合う習慣はキリスト教が原理化した形で欧州を暗黒時代にたたきこむ中世まではふつうの習慣にしかすぎなかった。</p>
<p>活字をとおして、われわれがうしろを振り返ったときに、歴史にはみえない部分やちぐはぐな部分が多いのは、西洋においてはキリスト教、東洋においては儒教、ふたつの観念で人間を抑圧することに主眼をおいた宗教が、人間の欲望を蹂躙していたからと思う。</p>
<p>アメリカ合衆国のフラワージェネレーションの運動は、性との結びつきが特に意識された運動だった。<br />
グレース・スリック<br />
<a href="http://www.jeffersonairplane.com/the-band/grace-slick/">http://www.jeffersonairplane.com/the-band/grace-slick/</a><br />
はインタビューで、その頃は「ふだんつきあう、顔を知っている男とはほとんど全部やった。もちろんバンドのメンバーとは全部やったわよ。あの頃はみんなそうだった」というような恐ろしいことを言っていたりする(^^)<br />
アメリカの田舎の立場から言えば、これは性の解放であり、都会の立場から言えば、いままで口にされなかった現実が話してもいいことになった、ということだったようでした。</p>
<p>そのあたりからやっと、この世界には「性」という強烈な影響力をもったものが存在するのだとひとびとが思い出して政治や社会を考える上でも意識するようになったように見えるのは、考えてみると、ここまできてようやく人間は「宗教」という軛から逃れだしたのかもしれない、と思います。</p>
<p>自分のことを考えても、十代の終わりまでは、自分の性をコントロールするどころか、女の子に誘惑されればひとたまりもない、というようなていたらくで、あんまり、そんなことばかりやっているので、ひどいときには女の子の匂いがするだけで嫌になるほどだった。</p>
<p>そういう性にふりまわされる何年かを無事に終わって、完全とは言えないが、どーにかこーにか、自分を制御運転できるようになったのは、（こういうとモニは、そうだったのか、と怒るに違いないが）「知らないひとといちゃいちゃもんもんしたら、モニに悪い」<br />
「モニが悲しむ」という、ただそれだけの強迫観念に禁止されているからで、仮にモニにぶちすてられて、通りに放し飼いになると、また性がふきすさぶ毎日にならないとも限らない。</p>
<p>一方で、こんなに人間の精神のなかでおおきな比重を占めるものが、ながいあいだただ正体も見極めずに抑圧だけされていたなんて、人間の自分に対する理解というか理解への努力は、なんちゅうええかげんなものだろう、と考えて、呆れてしまいます。</p>
<br />  <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gocomments/gamayauber1001.wordpress.com/4493/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/comments/gamayauber1001.wordpress.com/4493/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godelicious/gamayauber1001.wordpress.com/4493/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/delicious/gamayauber1001.wordpress.com/4493/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gofacebook/gamayauber1001.wordpress.com/4493/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/facebook/gamayauber1001.wordpress.com/4493/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gotwitter/gamayauber1001.wordpress.com/4493/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/twitter/gamayauber1001.wordpress.com/4493/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/gostumble/gamayauber1001.wordpress.com/4493/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/stumble/gamayauber1001.wordpress.com/4493/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/godigg/gamayauber1001.wordpress.com/4493/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/digg/gamayauber1001.wordpress.com/4493/" /></a> <a rel="nofollow" href="http://feeds.wordpress.com/1.0/goreddit/gamayauber1001.wordpress.com/4493/"><img alt="" border="0" src="http://feeds.wordpress.com/1.0/reddit/gamayauber1001.wordpress.com/4493/" /></a> <img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4493&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></content:encoded>
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		<title>Je suis comme je suis</title>
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		<pubDate>Mon, 06 Feb 2012 01:59:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>gamayauber1001</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本と日本人]]></category>

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		<description><![CDATA[他人の目のなかで一生をすごす人は寂しい。 自分の姿を眺めるときに他人の視線と浮かべる表情を通して自分を眺めるくせができてしまえば、その人の一生は、ほぼそこで終わってしまう。 「他人」には、もちろん父親や母親が含まれる。 きみの大切な友人や、妹や兄が含まれる。 「尊敬する先生」もまた充分に有害であると思う。 「よく出来る子供」の最も犯しやすい過ちは「親の期待に応えてしまう」ことであって、たとえ親が言葉にして口にださなくてもそれと悟って医師になど金輪際むかない性格であるのに医師になろうとしたりするのまでいるのだから若いということの本質的な愚かさというものは救いがたいと思う。 父親とわしはお互いに理解しにくい人間であるとかなり早くから両方ともに知っていたが子供のときのある日、「私はきみに私と同じ職業についてもらいたいと思っていて、それはたとえ言わなくても判ってしまうだろうからいまのうちに言葉にしておくが、しかし、一方では親がのぞむ人生を送る人間で幸福になる人間はごく少ない、ということも教えておかねば不公平であると思う」という。 そのとき初めて、このおっさんは退屈な人間かも知れないがバカではないな、と考えたのでした。 かーちゃんは、しかし、もっとふつーに何回も妹とわしに「親にうけそうな人生を選択する子供は無能な子供ですよ。親がびっくりするような人間になりなさい。不良でもかまわないわよ」とゆって楽しそうに笑うのが常である。 おかげで不良になりそびれてしまった。 親の期待どおり不良になったらバカまるだしだからです。 トーダイおじさんのなかに、ふたり、おれはほんとうは学問なんかしたくなかったのだから、中学生くらいで家出してろくでもない人生を送れば良かったというひとがいた。 なんとなく中学高校大学とブランドものの学校へ行ってしまったという気持ちがして忸怩たるものがあったのでしょう。 人間が送りうる最もくだらない人生というものを考えると、その都度他人のいうことを聞いて、あるいはちょうど客観式の問題の選択肢であるかのように世間に流通している意見をピンで止めて標本箱に並べてみて、どれがもっとも見栄えがよいか考える。 それから並べてみる、という方法がある。 東京大学　文科一類　文科二類　文化三類　早稲田大学政治経済&#8230;と並べていって、 その横に自分の能力インジケーターをもってきて、スライドバーを滑らせて、えーと文科三類くらいが、成功率が高いわりに世間にも「トーダイ」で受けがいいのではなかろーか、と考えて受験を出願する。 原子炉が崩壊すると、名の知られた学者や言論人のいうことを一通り並べてみて、自分の意見はどれに準拠すべきかを考える。 Ａくらいが温和でいいだろう、ということになると、Ａの発言を自分なりにアレンジしてインターネットのなかで発言してみる。 うけているあいだは、少しプロっぽい言い方にして見得を切るが、反発が酷くなると、路線を修正する。 ジュリアード音楽院の目下の悩みは学生の半分以上が「音楽がことさらに好きではない」ことで、ではなぜ音楽院（あの学校は入るの大変なんです）まで苦闘してやってきたかというと、「周囲と親に言われたから」なのだったりした。 テレビでブラジルの街頭風景を見ていると、ときどきヘンなものが映ることがある。 よくあることなので注意してみていれば、きみも目撃するものだと思われる。 太陽光に燦然と輝く黄金色のスーツの上下を来て、ピンクのネクタイをしめている、なんだか両側にでかい銀色の羽根がついたサングラスをかけたにーちゃんが横断報道を渡ってくる。 あるいはＴバックの水着を着た若いおねーさまが砂浜を歩いていて、くるっと向きを変えてこっちを見ると前もＴバックである。 前だから、Ｔフロントなのか。 「それは他人の目を気にしているのでしょう」というだろうが、他人に受けようとおもっているのが同じでも直感的に受けをねらう狙い方の考えの角度が、ニュージーランドや日本のような社会とは逆であるとおもいませんか？ わしは、あれは「他人にうけようとおもって自分にうける努力になってしまう」という、他人の視線のなかでもともと生きられない人の特徴が存分に出ていると思います。 やりたいことをやるのさ、というのは考えるのは簡単だが、やってみるのは意外と難しい。 中国の人達は移民してでかけた世界中の国で、他人の目を気にしないで、パジャマで近所のどこにでも出かけるが、それは「公共」という点で肝腎のことが判っていないのだ、と感じられる。 ではフランスのように、このぐらいの階層でこのぐらいの収入の人間はこういう場所ではこういう格好をするものだ、と無言の、しかしこと細かに規定された社会がいいかというと、そーゆーことばかりで息をするのも苦しいから「アニメ」という口実で、（フランス人社会的には）やけくそのような格好で緑色に髪を染めたりする。 しかもアニメコスプレを見て、「やりたいことをやっている」と思うのは難しいとおもう。 どちらかというと「喘いで」いるようにみえます。 格好くらいのことで、そうなのだから、「一生」というようなもっとトータルなことになると、どうすれば他人の視線の流砂に呑まれないですむか、というのは不断の警戒が必要な大テーマであるに違いない。 わしは、タックスを着てでかけることもあるが、不断はチョービンボクサイジーンズです。 夏はショーツ。 自分でスクリーンプリンティングで作った「モニちゃん大好き」とか書いた下品なＴシャツを着て、フリップフロップか、もうちょっと正直に言うことにするとたいていの場合裸足で、歩道をぺたぺた歩いている。 髪の毛はもしゃもしゃで、ヒゲさんが口のまわりに繁茂している。 鏡を見ると、一瞬、「生活保護」というような言葉がフラッシュするような外見です。 パジャマのほうがマシである、という中国移民側の意見もあるであろう。 世間体、ということでいうと、職業はプーである。 昼間っから浜辺でシャンパン飲んでるやつだからな。 他に考えようがないであろう。 そういうことと、これまであなたが述べてきた「他人の視線のなかで暮らさない」ということは本質的に違うと思う、ときみは言うであろうが、そうでもないのよ。 ボロイＴシャツにチョービンボクサイジーンズでいれば、浜辺のレストランのテーブルに空になったシャンパングラスを置いて、すたすたすたと歩いて、芝の上に、どおおおーんと仰向けに寝転がって、青空かっこいいなあ、積雲は、なんて綺麗な白で、なんて質感がつよいのだろう、と考えながら、そのままグースカピーと眠ることも出来る。 その地面の感覚と夏の雄大な雲がある青空の残像は、やはりわしを自由にする。 具体的には、時間が世間のタガから外れて、違う時間の刻み方になる。 刻むことすらやめて、自分の意識とまったく変わらぬペースで速度をわしにあわせて変えながら伴走してくれるようになる。 同じように夕ぐれの浜辺を足を波に濡らしながらとぼとぼと歩いて行ったり、駆け上がった山の上から息を弾ませながら遠い地平線をじっと眺めたりすることには、わしの「内部の時間」を蘇らせる力があるよーだ。 いったん「内なる時間」が息を吹き返すと、他人の言葉はわしにさわれなくなる。 他人の視線は、わしの自律意志に対して無力になる。 もしかすると、あのリオデジャネイロの金色スーツのにーちゃんは、ブラジルのボサノヴァ思想で鍛えた賢人であって、他人が視線を向けられないよーなすげ杉な格好をしていれば、常住、他人の思惑がわしの自由思考にはいりこむことないもんね、というすごい叡智の顕れだったのかもしれない。 あのかっこうで、「空気を読ん」だりするのは直感的にも無理だかんね。 隗より始めよ、という。 スーツなんか、捨てちゃいなよ。 [...]<img alt="" border="0" src="http://stats.wordpress.com/b.gif?host=gamayauber1001.wordpress.com&amp;blog=12734972&amp;post=4474&amp;subd=gamayauber1001&amp;ref=&amp;feed=1" width="1" height="1" />]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_4302.jpg"><img src="http://gamayauber1001.files.wordpress.com/2012/02/img_4302.jpg?w=420&#038;h=315" alt="" title="IMG_4302" width="420" height="315" class="aligncenter size-full wp-image-4475" /></a></p>
<p>他人の目のなかで一生をすごす人は寂しい。<br />
自分の姿を眺めるときに他人の視線と浮かべる表情を通して自分を眺めるくせができてしまえば、その人の一生は、ほぼそこで終わってしまう。<br />
「他人」には、もちろん父親や母親が含まれる。<br />
きみの大切な友人や、妹や兄が含まれる。<br />
「尊敬する先生」もまた充分に有害であると思う。</p>
<p>「よく出来る子供」の最も犯しやすい過ちは「親の期待に応えてしまう」ことであって、たとえ親が言葉にして口にださなくてもそれと悟って医師になど金輪際むかない性格であるのに医師になろうとしたりするのまでいるのだから若いということの本質的な愚かさというものは救いがたいと思う。</p>
<p>父親とわしはお互いに理解しにくい人間であるとかなり早くから両方ともに知っていたが子供のときのある日、「私はきみに私と同じ職業についてもらいたいと思っていて、それはたとえ言わなくても判ってしまうだろうからいまのうちに言葉にしておくが、しかし、一方では親がのぞむ人生を送る人間で幸福になる人間はごく少ない、ということも教えておかねば不公平であると思う」という。<br />
そのとき初めて、このおっさんは退屈な人間かも知れないがバカではないな、と考えたのでした。<br />
かーちゃんは、しかし、もっとふつーに何回も妹とわしに「親にうけそうな人生を選択する子供は無能な子供ですよ。親がびっくりするような人間になりなさい。不良でもかまわないわよ」とゆって楽しそうに笑うのが常である。<br />
おかげで不良になりそびれてしまった。<br />
親の期待どおり不良になったらバカまるだしだからです。</p>
<p>トーダイおじさんのなかに、ふたり、おれはほんとうは学問なんかしたくなかったのだから、中学生くらいで家出してろくでもない人生を送れば良かったというひとがいた。<br />
なんとなく中学高校大学とブランドものの学校へ行ってしまったという気持ちがして忸怩たるものがあったのでしょう。</p>
<p>人間が送りうる最もくだらない人生というものを考えると、その都度他人のいうことを聞いて、あるいはちょうど客観式の問題の選択肢であるかのように世間に流通している意見をピンで止めて標本箱に並べてみて、どれがもっとも見栄えがよいか考える。<br />
それから並べてみる、という方法がある。<br />
東京大学　文科一類　文科二類　文化三類　早稲田大学政治経済&#8230;と並べていって、<br />
その横に自分の能力インジケーターをもってきて、スライドバーを滑らせて、えーと文科三類くらいが、成功率が高いわりに世間にも「トーダイ」で受けがいいのではなかろーか、と考えて受験を出願する。</p>
<p>原子炉が崩壊すると、名の知られた学者や言論人のいうことを一通り並べてみて、自分の意見はどれに準拠すべきかを考える。<br />
Ａくらいが温和でいいだろう、ということになると、Ａの発言を自分なりにアレンジしてインターネットのなかで発言してみる。<br />
うけているあいだは、少しプロっぽい言い方にして見得を切るが、反発が酷くなると、路線を修正する。</p>
<p>ジュリアード音楽院の目下の悩みは学生の半分以上が「音楽がことさらに好きではない」ことで、ではなぜ音楽院（あの学校は入るの大変なんです）まで苦闘してやってきたかというと、「周囲と親に言われたから」なのだったりした。</p>
<p>テレビでブラジルの街頭風景を見ていると、ときどきヘンなものが映ることがある。<br />
よくあることなので注意してみていれば、きみも目撃するものだと思われる。<br />
太陽光に燦然と輝く黄金色のスーツの上下を来て、ピンクのネクタイをしめている、なんだか両側にでかい銀色の羽根がついたサングラスをかけたにーちゃんが横断報道を渡ってくる。<br />
あるいはＴバックの水着を着た若いおねーさまが砂浜を歩いていて、くるっと向きを変えてこっちを見ると前もＴバックである。<br />
前だから、Ｔフロントなのか。</p>
<p>「それは他人の目を気にしているのでしょう」というだろうが、他人に受けようとおもっているのが同じでも直感的に受けをねらう狙い方の考えの角度が、ニュージーランドや日本のような社会とは逆であるとおもいませんか？</p>
<p>わしは、あれは「他人にうけようとおもって自分にうける努力になってしまう」という、他人の視線のなかでもともと生きられない人の特徴が存分に出ていると思います。</p>
<p>やりたいことをやるのさ、というのは考えるのは簡単だが、やってみるのは意外と難しい。<br />
中国の人達は移民してでかけた世界中の国で、他人の目を気にしないで、パジャマで近所のどこにでも出かけるが、それは「公共」という点で肝腎のことが判っていないのだ、と感じられる。<br />
ではフランスのように、このぐらいの階層でこのぐらいの収入の人間はこういう場所ではこういう格好をするものだ、と無言の、しかしこと細かに規定された社会がいいかというと、そーゆーことばかりで息をするのも苦しいから「アニメ」という口実で、（フランス人社会的には）やけくそのような格好で緑色に髪を染めたりする。<br />
しかもアニメコスプレを見て、「やりたいことをやっている」と思うのは難しいとおもう。<br />
どちらかというと「喘いで」いるようにみえます。</p>
<p>格好くらいのことで、そうなのだから、「一生」というようなもっとトータルなことになると、どうすれば他人の視線の流砂に呑まれないですむか、というのは不断の警戒が必要な大テーマであるに違いない。</p>
<p>わしは、タックスを着てでかけることもあるが、不断はチョービンボクサイジーンズです。<br />
夏はショーツ。<br />
自分でスクリーンプリンティングで作った「モニちゃん大好き」とか書いた下品なＴシャツを着て、フリップフロップか、もうちょっと正直に言うことにするとたいていの場合裸足で、歩道をぺたぺた歩いている。<br />
髪の毛はもしゃもしゃで、ヒゲさんが口のまわりに繁茂している。<br />
鏡を見ると、一瞬、「生活保護」というような言葉がフラッシュするような外見です。<br />
パジャマのほうがマシである、という中国移民側の意見もあるであろう。</p>
<p>世間体、ということでいうと、職業はプーである。<br />
昼間っから浜辺でシャンパン飲んでるやつだからな。<br />
他に考えようがないであろう。</p>
<p>そういうことと、これまであなたが述べてきた「他人の視線のなかで暮らさない」ということは本質的に違うと思う、ときみは言うであろうが、そうでもないのよ。</p>
<p>ボロイＴシャツにチョービンボクサイジーンズでいれば、浜辺のレストランのテーブルに空になったシャンパングラスを置いて、すたすたすたと歩いて、芝の上に、どおおおーんと仰向けに寝転がって、青空かっこいいなあ、積雲は、なんて綺麗な白で、なんて質感がつよいのだろう、と考えながら、そのままグースカピーと眠ることも出来る。</p>
<p>その地面の感覚と夏の雄大な雲がある青空の残像は、やはりわしを自由にする。<br />
具体的には、時間が世間のタガから外れて、違う時間の刻み方になる。<br />
刻むことすらやめて、自分の意識とまったく変わらぬペースで速度をわしにあわせて変えながら伴走してくれるようになる。</p>
<p>同じように夕ぐれの浜辺を足を波に濡らしながらとぼとぼと歩いて行ったり、駆け上がった山の上から息を弾ませながら遠い地平線をじっと眺めたりすることには、わしの「内部の時間」を蘇らせる力があるよーだ。</p>
<p>いったん「内なる時間」が息を吹き返すと、他人の言葉はわしにさわれなくなる。<br />
他人の視線は、わしの自律意志に対して無力になる。</p>
<p>もしかすると、あのリオデジャネイロの金色スーツのにーちゃんは、ブラジルのボサノヴァ思想で鍛えた賢人であって、他人が視線を向けられないよーなすげ杉な格好をしていれば、常住、他人の思惑がわしの自由思考にはいりこむことないもんね、というすごい叡智の顕れだったのかもしれない。<br />
あのかっこうで、「空気を読ん」だりするのは直感的にも無理だかんね。</p>
<p>隗より始めよ、という。<br />
スーツなんか、捨てちゃいなよ。<br />
人生なんか1回くらい投げちゃったって、たいしたことないと思う。<br />
３回まではダイジョーブだとベン・アリソンもゆっておる。<br />
ベン・アリソンじゃなかったかもしれないが。</p>
<p>あの、きみが小さかった時に友達だった「時間」がかえってきて、きみが自分にやさしくするために、手を貸してくれるきっかけになるかもしれない。<br />
他人の視線は他人がおしきせた時間をつくるが、自分の内側からやってくる「自分を幸福にしようとする力」は自分の意識にあった時間をきみの魂のなかに生成する。<br />
そうして時間がきみの魂の身丈にぴったり合ったとき、「幸福」という言葉が空疎な観念の仮面を捨てて素顔を見せてくれるのだと思います。</p>
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