テキトー生活の楽しみ

ロティ、と言っても直径10センチメートルくらいの、小型ロティで、冷凍した状態でスーパーマーケットで売っている。
製品のあちこちに手作りであるらしい痕跡があって、多分、供給が間に合わないのでしょう、いつもあるというわけにはいかないので、見つけると、ラッキーとつぶやいていっぺんに10袋くらい買ってきます。

どうやって食べるのかというと、フリーザーから出してきたトーストブレッドとおなじ要領で、トースターにいれて、おなじみの押し下げレバーを押して、冷凍ボタンをピッと押しておくと、「ガシャンッ」、しめしめ、良い匂いがして、もみ手をしながら、あっちっち、お皿の上にだしてバターかベジマイトを塗って食べる。

どういう秘密があるのか、冷凍のロティなのに、フレッシュ・ロティとおなじで、パリパリでサクサクで、食べるとしみじみおいしい。

小皿くらいのカレーソースが3種類付いて、ちぎっては食べちぎっては食べて、Roti Canaiになっていればもっとよいが、そういうことまでお願いすると料理の人に過重労働を強いることになるので、やや欧風に堕落した食べ方で、バターを塗って、エスプレッソと一緒に食べるだけで我慢する。

あるいは伝統的なブレックファストならば、ブーゲンビリアをやめて、葡萄だなに変えたテラスのテーブルで、贅沢な旅行になれている人は、なんちゃらスパ&リゾートの朝食を思い浮かべればよい、コージーをちゃんと被っているティーポットがあって、コーヒーがあって、目の前の大皿には、ベーコンとチョリソとポーチドエッグがふたつ、焼いたトマトとブラウンマッシュルームがあって、お腹がすいていれば、それにアイフィレを焼いたのがついている。

バスケットに入ったパンに、お願いすればフレンチトーストやパンケーキも出てくる、マジメな朝食を摂る。

このマジメ朝食の欠点は、食べていると、むくむくとシャンパンを飲みたくなっているところで、朝からシャンパンを飲むと、どうせ白ワインになって、牡蠣の天ぷらやフライもお願いして、わははは、楽しい、今日はいい天気だなあーをしているうちに赤ワインになって、ふと気が付くともう夕方になっていて、夕餐を平らげて、ブランデーを飲んで、はなはだしければスコッチを飲んで、気が付くとコンピュータの前に座って、デルの40インチスクリーンでNetflixを観ながら、正面のiMacで日本語でトロルのおっちゃんたちに悪態をついていたりするので、やや生産性にかけるところがある。

モニさんと一緒に暮らしていることは、いちめん、いっちゃん仲良しのお友達がおなじ屋根の下にいることなので、フラットメイトみたいというか、ふたりとも調子がよいときには、ホールですれ違うときにハイファイブをしたくなるような気持ちになるが、夏で、ふたりともシャンパンを飲んだりすると、子供が入れない区画で服を脱いできゃあきゃあしているので、やや危ない雰囲気になるのでもあります。

ふだんは静かな家だが、いまは初夏で、初夏であれば雑草もヘッジも芝も、がんがん容赦なく伸びるので、芝刈りの人々が現れ、ヘッジの上に仁王立ちになって借りまくるヘッジ部隊がギュワンギュワンゆわせながらヘッジを刈り込み、1930年代の地中海イタリア空軍のマッキ戦闘機そっくりの音でエンジンをまわして、雑草を刈るスピナーがまわる。

家の反対側ではウォーターブラスター部隊が、高圧放水で壁を綺麗にしようと試みている。
家がまるごと発狂したような騒ぎの騒音だが、小さい頃から馴れていると、初夏というものは、そういう騒音とともにあるもので、「おお、夏だなあー」という、よく考えてみると、ヘンテコな、「夏が来たぜ」の感覚になります。
あるいは、夏を感じるための開発刺激なのだと言い直してもよい。

労働党のジャシンダ・アーデンが首相になって、新聞を広げると隣国のオーストラリアが「ニュージーランドはコミュニストを首相に選んだ」と書いている。
オーストラリアの難民のひどい扱いに抗議して、ニュージーランドに全員引き取らせてくれ、いくらなんでもあれでは酷すぎるとオーストラリアを訪問して述べたら、最近はバブル景気でブイブイ言わせていて、もとからやや躁病発症時のニーチェのような傾向がある国民性が全開で、オーストラリア人の威丈高の尊大な国民性が炸裂して、
「Mind your own business」というようなヘッドラインが踊っている。
むかしから疑惑の目で見られているキャピタルゲインタックスについて聞かれても、税金は増えるとおもうが内容は教えてあげない、などと経済音痴全開なことを述べるので、経済指標が少しずつズブズブズブと沈みはじめていて、17年続いたバブル景気も、不動産市場から始まって、だんだん、落ち目になってくるもののよーです。

ニュージーランドという国の最大の特徴は、経済がちょっとでも傾くと、「国民がいなくなる」ことで、ヘレン・クラークなどは1999年だかには、ヤケクソで、
「ニュージーランドの最大の輸出品は人間である」と国会で述べて、ニュージーランドドルの価値が急落して、対円でいえば65円から39円まで暴落した。
いまでも国民の17%がオーストラリアに住んでいるというお国柄で、ニュージーランドの平均的な若い人の夢は、「オーストラリアに行って稼いでオカネをためてニュージーランドで楽しく暮らす」です。ニュージーランドに住んでいて給料があがらなくなると容赦なく他の英語国に出奔する。
政府がつねにマジメに仕事をしないと国民は、いつも簡単に愛想をつかしていなくなってしまうので、日本の政府みたいにウソさえ上手ならアホでもできる気楽なお仕事というわけにはいかないよーです。

むかしでいえば、連合王国からニュージーランドに移住すると、シティ勤めならば収入が5分の1になると言われていた。
それでも激減する収入をものともせずに、延々と、引きも切らずイギリス人がニュージーランドにやってくるのは、来ればわかる、ここは自然と平和が国中にあまねくある国で、人間って、もしかして、あんまりオカネがなくても幸福なんじゃない?と気が付いてしまえば、海に浮かべたヨットの冷蔵庫からカベルネソヴィニヨンをだして、後甲板のベンチに座ってインターネットで遊びながらヒラマサや鯛釣りに淫していられる生活ができるニュージーランドは文字通りの「最後の楽園」なのだと言えなくもない。

例えば、むかしから遠洋航海の船乗りのあいだでは「町が似ていてバンクーバーと区別がつかない」と言われるオークランドは、人口をみると、しかし、たった140万人で、都会のミニチュアのような町だが、ハウラキガルフのほうから眺めると、この世界でたったひとつ生きている海だという、まだ下町の桟橋から出て5分もいかないうちに、シャチが雄大なジャンプをみせる湾に、付随している町なのだとみることが出来て、「都会生活もついてくる海」なのだとおもえば、ニューヨークがひっついたタヒチみたいなものだと言えなくもなくて、テキトー生活を楽しむのに
、こんなに良い国はない。

もっと敷衍していうと、ニュージーランドという国自体が「文明もついてくる大自然」なので、英語国であることを利して、例えば欧州人からみると、ポリネシアのその向こう側に忽然と小欧州が現れるという、ジョン王の王国伝説じみた錯覚が起きてコーフンしてしまう。

モニさんがずっと前に考えたことは気味が悪いほどあたって、北半球はあんまりイスラムですらない過激イスラムの嵐が吹いて、このブログが始まったときから書いてきたとおり、アメリカが「もうひとつの顔」を露わにして、トランプアメリカはネイティブアメリカンをぶち殺して歩いていたころのアメリカに戻っている。
聞くところによると、日本で明治時代のドラマがあって、日露戦争を考えるためのキーワードのひとつに「イロコイ族」を挙げてあったそうだが、そういう初期植民政府のかつてのやり口を知っていれば、トランプの目には日本人全体がイロコイ族と映っているのではないかと連想するのは、ごく自然な考えの流れでしょう。

これから10年という単位で考えると、北半球は動乱と戦争の時代になるのはほぼみえていて、1930年代初期の思想潮流が、一個の破壊運動を終えて、世界の枠組みが変わるまで15年を要したことを考えれば、だいたい2030年代初頭まで動乱と旧世界の枠組みが変わるための破壊とが続くことになる。

最近、ニュージーランド人が寄ると触ると話すのは、「北半球から遠くてよかった」で、顕著な、もうまたビンボでもいいや、平和がいちばん、ガメ、来週はクリケットマッチやらない? とパブで述べる近所人の目は、口にださないだけで、
「もう移民も、これ以上の繁栄もいらん。しばらくは門を閉じて、自分達の生活を大切にすべ」と書いてある。

まーテキトーでいいや、というか、生まれてからこのかた、ずっとテキトーなわけだけど、むかしから華やかな見かけとは反対に内面はドマジメなモニさんが、いみじくも「ガメを見ていると、マジメに暮らしてもテキトーでも、あんまり効率には関係がないような気がして頭にくる」と述べていたが、いろいろな人が見ていて頭にくるらしいのは知っているが、テキトーな人はテキトーがいいので、急にマジメになると不幸が襲ってくるのではあるまいか。

蔓をのばすタイプの野菜を育てるのに、蔓がからみついていけるようにまわりに立てるびよよおーんと縦に長い鉄製の塔をオベリスクというが、最近ミニトマトのためにオベリスクを買いに行って、トマトはオベリスクではダメでトマトケージと呼ぶ、オベリスクがえっこらせと逆立ちして、4本の足をピャッとひらいたようなかっこうのタワーでないとダメだということを学習した。
視覚に訴えて愛でるほうの庭は、テキトー主人の家といえどランドスケーパーがいて庭師がいて、オベリスクもなにも、専門知識で支えられているが、庭の一角のベジガーデンは、モニさんとわしと小さなひとびとの楽しみのために、自学自習で自分達で面倒を見ることになっているので、新しい発見が毎週のようにある。
主に小さなひとびとのために、という言い訳で、実は蕎麦をつくったときの卵が欲しくて鶉を飼うことにして、もしかしたらおとーさまは、自分たちの目を盗んでつくねにして食べようとしているのではないかしら、という疑いの目を背中に感じながら鶉小屋をつくったり、猫さんや犬さんとコロコロして暮らしていると、一日はあっというまに経ってしまう。

芝の上のラウンジャーに寝転がって、あっというまに午後8時を過ぎて、ようやく沈み始めた太陽のほうを眺めながら、人間の一生は短いなあーと心から思います。
長い自然のなかの須臾にしかすぎない一生ならば、せめても楽しくすごすことにつとめて、第一もう30代も半ばに達する勢いなので、そろそろ自分の楽しみにひたりだしてもよいのではなかろーか、どうおもう、神様?と考える。
空から神様が「ガメ、それもよかんべ」と答えたら怖いが、神様は唖なので、あるいは人語を解さないので、空はただ積雲を浮かべて、みるみるうちに茜色に染まってゆく。

残りの人生の方針、というようなおおげさな話ではなくて、ここ当面は、自分の生活の細部を、言葉やなんかの布で、キュッキュッと磨くことに費やしたほうが良いような気がしています。
とんでもないことをいうと、その直感の真実性は、自分で育てたレタスやトマトの味が、スーパーマーケットや、もっというとファーマーズマーケットで買ったトマトの味と較べてさえ、同じトマトだとはおもえないほど質が異なるものであることに裏打ちされている。
商業主義や「高度な社会の仕組み」は、実は、なにもかもからリアリティを奪う巧妙な仕掛け、精緻なフィルターにすぎないのかも知れません。

社会の仕組みやオカネを媒介にしないで直截ふれる世界は、どうもそっくりそのまま現実というわけではなさそーです。

もうちょっと、やってみないと、はっきり、うまく言葉には出来ないようだけど。

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杞憂をめざす

Lounger、という。
日本語ではデッキチェアと呼ぶのではなかったかと思うが、もうおぼえていない。
芝生の上に、モニの分とわしのとがふたつ出ていて、まんなかには小さなテーブルが置いてある。
寝転がって、身体の重みをかけて背もたれを倒すと、目の前に、濃い色のサングラスをかけて、まぶたを閉じていても、なお暫くすると眼が痛くなる深い青色の空が広がっている。

ニュージーランドは世界一UVが強い国で、皮膚癌もだから世界一位だか二位だったかで発生する。
オゾンホールのせいだということになっていたが、ずっとむかし、研究者の年長友に聞いたら、「ああ、あれ、予算獲得のためのウソ。ああでも言わないと研究費でてこないから。ニュージーランド?
あそこの紫外線が強いのは、単純に空気が世界でいちばん綺麗だからなんだよ」とあっさり言われたことがあったので、ほんとうの理由でないことは知っていた。

オゾンホールが縮小しても、案の定、紫外線は一向に弱まらなくて、皮膚癌の発生率も世界一の王座を保っている。

ヒマなので、と言って、いつもヒマなわけだが、日本語インターネットではどうなっているかとおもってパラパラとサイトを見て歩くと、「アフリカがいちばん紫外線が強い」「オーストラリアですよ、オーストラリア」といろいろな意見が、いつもとおなじで満腔の自信をもって述べられているが、英語のサイトには研究者の論文がナマでたくさんあがっていて、やはりニュージーランドがダントツの最悪で、紫外線のインデックスであるUVIが13を越えるというすさまじさで、普通は10を越えないので、とんでもないというか、真に健康で幸福な生活をめざせば空調完備の宇宙線遮断にすぐれた宇宙服を着て暮らさなければならなさそーです。
だいたい同緯度の北米諸都市と較べても40%くらい紫外線量が多いと述べられている。

アダムとイブが食べたのはインターネット知識のりんごに違いなかったので、ラウンジャーで、のんびりと、ろくでもない紫外線についての知識を思い浮かべながら、危ないから、30分したら、あの花棚の下に行ってサングリアを飲み直さねば、と考えながら、ウトウトする午後は、ニュージーランドの夏の醍醐味であるに違いない。
気が付くと、一時間くらいも眠り込んでいて、あとで鏡を見たら、顔が、真っ赤というのもバカバカしいくらい赤くなっていた。

生活にかかせないもの、を考えると、そんなにたくさんはなくて、モニさんや小さな人々はもちろん不可欠だが、これは欠かせないものというよりは生活そのものなので、欠かせないもの、なんて呼び方をしたら、小さな人たちは憤慨して、ふたりで横断幕をもって、ホールを練り歩いて抗議デモをするだろう。
そういう途方もなくおおきなもののほうではなくて、ごく小さなもの、細部について述べようとしている。

まずエスプレッソマシンがないと困る。
家にはおおきなイタリアから輸入された業務用のマシンがあるが、これは管轄が異なって、と書くとなんとなくお役所みたいでバカバカしいが、料理の人やなんかの管理下のものなので、関係がないといえば関係がない。
ここで「エスプレッソマシン」と呼んでるのは、モニとわしが使っていて、ねむたいよおー、ぐわああああーと呟きながら、ひょろひょろと起き上がってきて、マイクロウエーブでびょおおおーんとカフェコンレチェのカップに半分のミルクを温めて、ぎゅわあああーんとコーヒー豆をひいて、カチンッ、くるっ、パチッとportafilterを留めて、ぐわんぐわんぐわんと抽出すると、うめーになる、あれです。

家では7年前には最新機種で、Brevilleの市販品では最も圧力が高いNZD$4000のチョーおいしいコーヒーが抽出される「むほほ」なのを使っているが、いまはタッチパネルのもっとカッチョイイUKで£2000だかなんだかで売っているThe Oracle Touchがニュージーランドでも売り出されるようになったので、いまの機械が壊れないか、虎視眈々と狙っているが、最近の家電は丈夫で、なかなか壊れてもらえない。

クルマも必要で、そんな前世紀の遺物いらんやん、ときみは言うだろうが、なにしろ高校生のときからずっとクルマと一緒の生活なので、馬さんや犬さんや猫さんとおなじで、クルマがいない生活は索漠として耐えられない。

もともと、ギアを変えようとするとギアチェンジのスティックがすっこぬけてしまうようなチョーおんぼろが好きなのは、前にも書いた。
走行距離計が巻き戻されて9万マイルにされているクラブマン(←もとは多分19万マイル)だとか、片目しか開かない初代ユーノスロードスター(NA)とか、前輪が外れてコロコロコロと交差点のまんなかに転がっていってしまうモーリスマイナーとか、そんなんばっかり乗っていたのが、最近はSUVに乗ることが多くなって、発売以来、不動の新車故障率世界一を誇るレンジローバーや、それとは逆に、「故障?故障って、なんですか?」な優等生ランドクルーザーで、坂が多いオークランドの町を、ぐおー、ぶおーと走り回っている。

クルマのようなものでも、ずっと乗っていると、病膏肓というのか、ヘンなものが好きになるが、去年オレンジカウンティで乗り回して遊んでいたInfinityのQX80は、5.30mX2.03mX1.92m、ぶっかぶかにおおきくて、エンジンもV8で5.6Lの時代に盛大に逆行するエンジンで、とても気に入ってしまった。
テールゲートがリモコンで、ういいいいーんと開くので、おもろくて、もっか買っちゃおうかなあー、どうしようかなあーと煩悶中です。
このあいだカリフォルニアの友達とスカイプで話していたら、最近はテールゲートの下の空気を手ですりすりすると、ふおおおおーんとテールゲートが開くオプションもあるとかで、ますます、ふはーと物欲のタメイキが出る。

あと速いコンピュータとスマホがあればいいので、生活に必要なものなんて、ビンボでもオカネモチでも、あんまり変わらないやんね、と考える。
おいしいコーヒーとボロくてもよく走る健気なクルマとオンラインの端末さえあればいいわけで、なんという安上がりな世の中になったものだろうと考えていると、世界中で階級というものが稀薄な概念になってきて、影になって歴史の霧に溶けてゆこうとしているのが、あたりまえのように思えます。

だからLoungerもいらないといえばいらなくて、芝生の上でゴロゴロしながら、高空を流れてゆく、夏の積雲をみている。
世界はどんどん酷くなってゆくように見えるが、歴史の教訓は、世界はどんどん滅茶滅茶になるように常に見えながら、「ダイジョブに決まってる」派のひとびとの手によってではなくて、「もうダメだ、このままでは破滅だ」派のひとびとの手によって、なぜか良いほうに向かって進んできたことを教えている。

個々の国で見ても「ダイジョブに決まってる」派が多数を占めた国は、ほどなく破滅して、ひどければ戦争をおっぱじめて国ごと忘れ去られて、「ダメだあー。もうダメだあー。どうすりゃいいんだあー」とジタバタしてきた国は、どーにかこーにか、どころではなくて、不思議に繁栄している。

なにより世界は全体が3%4%と成長を続けていて、増大する人口やビンボによる社会の決壊を食い止め続けている。

ほら、日本の詩人、岩田宏も

悲観とはただの習慣だ

と言っているでしょう?

人間の本来の姿は、空を仰いで、「神様、助けて下さい。もう、ダメです」と息苦しいおもいをしながら、なんとかかんとか、どーにかこーにか、弱い腕を、お互いの肩にまわして、助けあって、まるで善意という1本の細いザイルに全身を託す人のようにして、この峻険な文明の山を登ってきた。

杞の人は、この深い青空を見てさえ、崩れ落ちてくると心配したそうだが、いやいやいや、ダイジョブですよ。

時には雪崩で埋もれ、足下の岩がくずれ、国債が暴落し、核ミサイルが飛んで来たりするかもしれないが、ザイルを握りしめて、もう片方の手では必死に仲間をつなぎとめる。
お互いは非力だが、人間は常に力をあわせて助けあうことによって、やっと一人前だから個々には非力であるのはあたりまえだと判らなければいけない。
それがわかってしまえば、悪意を捨てて、善意を育てていけばいいだけでしょう?
5万年前にアフリカの故郷の村を捨てて、緑を求めてトレイルを歩き出したときから、人間はずっとそうやって善意だけを武器に生き延びてきた。
善意志に、すがりつくようにして人間は自分たちの文明と生活を守ってきた。

なんとかなるさ。

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ひと跳び毎に、ひと足毎に

自分のスペイン語を読む速度の遅さと語彙の小ささを呪いながらカタロニア独立のニュースを読んでいた。
バルセロナで撮られた、人で埋めつくされた街路の写真は、よく見ると、なつかしい場所がおおくて、ああ、この広場に面したアメリカ人ばかりのイタリア料理屋で巨大な量のイタリア料理のフルコースを食べて、フルコースを平らげた客に店がご褒美としてふるまってくれる1本まるごとのレモンチェロを、ひとりですっかり飲んでしまって、モニに呆れられながら、浮かれて、カンツオーネを歌ったら、受けて、拍手喝采で、アンコールの連続で、酔っ払ってしまっているひとの挨拶でいつまでも手をふっていたことがあった、とおもいだしていたりした。

ワインの樽がテーブルの代わりになっているバールで、パタタスブラバスを肴に朝に出る虹のように美しい色のカバのサングリアを飲んで、「革命広場」という、カタロニアの歴史をおもえば胸がしめつけられるような名前の広場で、小さな箱の上に立ってラ・マルセイエーズを歌うフランス人の浮浪者のおっちゃんを見ていた早朝のことをまだはっきりとおぼえている。

「革命広場」の朝の歌
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/06/14/la-marseillaise/

自由を求めててんでに立ち上がって、訓練もなく弾薬も十分にもたなかった烏合の衆のバスク人とカタロニア人の人民戦線は、それでもよく戦って、ナチ空軍のコンドル部隊やファシストたちの高度に訓練された軍隊に押しまくられながら、いくつもの英雄的な戦闘を戦って、世界中を感嘆させ、ヘミングウェイや、その頃は、ひとりの世界に絶対的に不服な若いジャーナリストに過ぎなかったジョージ・オーウェルたちに義勇軍として銃を持たせたりもするが、6月にはビルバオが、8月にはサンタンデールが、10月にはヒホンが陥落して、マドリード、カスティーリャ=ラ・マンチャで南北に分断されたカタルーニャは孤立して、翌年の7月、十万人を動員して、若い女の兵士たちが英雄的な突撃を繰り返して死んでいったエブロの戦いで敗退すると、あとは、ただ独裁者のフランコのナチドイツの支援を受けた30万人の大軍勢のなぶり殺しにあうだけの戦いになっていった。

12月、フランコの軍がカタルーニャになだれ込んで、バルセロナが陥落したのは厳しい冬が訪れた1月だった。
お決まりの逮捕と連行が続いて、バルセロナ人の家庭の食卓という食卓から父親や息子、姉や妹たちまでが姿を消し始めたとき、皆殺しの運命を悟った50万人のバルセロナ人たちは、ジローナ、フィデウと道を徒歩で辿って、フランス領へ逃れます。

フランス人たちは口をぬぐって歴史の本から事実を拭い去ってしまったが、フランスの「自由の同志」たちは、冬のピレネー山脈を越えて必死のおもいでのがれてきたカタルーニャの50万人の同胞を強制収容所にぶちこんでしまう。
十分な食料も水も与えられなかった。
イギリスもフランスも「政治上の判断」からフランコたちを承認していたからです。

あんまり、ここで、そのあと何が起きたか書きたくもないが、大半のカタロニア人は、飢えと寒さのなかで収容所の塀の内側で死ぬ。

ひと跳び毎に、ひと足毎に
旅人よ 道はない
道は 歩いてのみ作られる
後を振り返ると
二度と踏むことのない 足跡が見える
旅人よ 道はない
道は 歩いてのみ作られる

という有名な詩句を残した
詩人のアントニオ・マチャドも、このときに収容所のなかで世界に見放された孤独と飢えと望郷の念に苦しみながら死んだひとりでした。

カタロニア人たちは、およそ自由を求める人間として考え得るかぎりの辛酸をなめた。
彼らを最も苦しめたのはフランコとナチの軍隊よりも、個々の自由主義に拠った人々と共産主義者と無政府主義者のあいだで繰り返された絶え間のない主導権争いと裏切りあいでした。
自分達が信仰するカトリック教会も、すでにフランコの弾圧の手先になっていて、神父に自分が銃をとってフランコの兵を殺したことを告白でもした日には、その日の夜にはフランコ軍の兵士に連行されて処刑されなければならなかった。
カトリック教会は、コミュニティに深く信頼されて人々の生活の奥深くまで関わっていることを利して、カタロニア人弾圧の最も効率がよい機械に姿を変えていた。
宗教人の卑劣をあますところなくみせつけた。

共産主義原理そのものが政治性の権化であることから必然として導かれる全体主義を体質とする共産党と、ひとつの思想であるというよりは反マルクス主義の反体制の思想傾向を持つさまざまな集団の総称であるアナキズムのあいだに挟まれて、いいように利用されたのは個々の人間の自由への意志と善意への信奉だけを共通項として世界から集まっていた自由主義者たちだった。

やがて、どこへも行けはしないカタロニア人たちを置いて、ジョージ・オーウェルやアーネスト・ヘミングウェイたちは、失望のなかで、それぞれの国に帰ってゆく。

普段はバルセロナの町の北側の、グラシアばかりが好きで、こもりきりで、ディアグノルの名前の通り斜めに走る道からバルセロナ側にほとんど出かけなかったわしは、それでもときどきオリンピック地区の新しいレストランに行く気を起こして、パッサージュ・ド・グラシアの観光客だらけの幅の広い道をおりて、ランブラを歩いて、海辺へ出かけることがあった。
オーストラリア人のルークがツイッタで、「おお、そこはアイダとよくデートしたバーの近所である」と述べていたが、ランブラから道を折れて、裏道へ入っていったすぐに、わしが好きだったカフェがあって、そのカフェは「ジョージ・オーウェル」という名前の広場に面している。

いよいよ頭がどうかしている、というか、今週は、その広場のことをおもいだすたびに、急に嗚咽がこみあげてくるような気持ちになって、壁をなぐりつけて、声にだして世界を呪いたい気持になることがある。

いまの世界では自由主義は地球上の至るところで敗退していて、アメリカでも欧州でも、有色人種への憎悪のセンチメントに思考そのものが呑み込まれようとしている。
アジアでは中国は毛沢東の昔からもともと西洋式の自由主義どころか民主制度すら軽蔑していて、そんなものはカネモチの家の高い窓にかかるレースのカーテンのようなものだと鼻でわらっている。
西洋文明を相対化しうる現代の世界ではゆいいつの文明世界で、西洋の価値の否定はお手の物なのでもあります。

自由主義は、世界じゅうで敗退しつづけている。

ロンドンの自分のことをとてもよく知っている友達に「なんでニュージーランドなんだ?」と訝しがられて、冗談で「これは、ぼくの長征なのさ」と答えたことがあったが、ロンドンに本社を残したまま、40人を越えない欧州人たちと一緒にオークランドにやってきて定着を始めたときには、あながち冗談でもない気持ちになっていた。

いまはバルセロナを引き払ってやってきたロシア人とウクライナ人が主になって足がかりをつくっているシドニーとメルボルンも含めて、柄にもなく、これからは自分達の自由を守るために戦わなければならないときが来そうだとおもっています。

残念なことに、一緒に肩をならべて戦いたかった日本のお友達たちとは、以前に説明した理由で、そのときはきっと敵同士として再会することになるのかもしれないけれど、それはそれで仕方がない。

盾をならべて、垂直に空を指した槍をにぎりしめる。
ヒロイズムは常に滑稽だが、人間は脆弱な生き物なので、折りにふれて、英雄的な感情に頼らざるをえないこともあることを判ってもらわねば困る。
盾を地面に打ち付けて鳴らす、わしらの猛り立った心をきみは許してくれなくては困ります。

ファランクスは出来たが、通常のファランクスとは異なって、一歩ずつ踏み出していくわけにはいかない。
高い崖にはさまれた狭い道に重列をなして、デクノボーのように立って、敵の戦鼓が聞こえ始めたら、膝を緩めて、ほんの少し低く構えて、左がわの友達を自分の盾で庇う。
まさか自分たちの自由を求める心の代償が死でありうる時代がまたやってくるとは思わなかった。

Burning burning burning burning
O Lord Thou pluckiest me out
O Lord Thou pluckiest

burning

でも、そこには、神様なんていやしない。

あとには混沌。
そして、沈黙

自由を求める人間の声が死に絶えるまで

   

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八勺徳利とミサイル

マンハッタンの、特にヴィレッジの辺りを歩いていると、いまではもう錆び付いた核シェルターのサインが、あちこちに残っている。
いつロシアのミサイルが飛んでくるか判らなかった時代の名残で、アメリカ人たちの、巨大なダモクレスの剣の下で暮らすような生活は、1991年のソビエト連邦崩壊まで続きました。

冷戦が続いているあいだも、キューバ危機が終わったあとでは、一般の人間は、アメリカ=ロシア間のホットラインに始まった偶発全面核戦争を防ぐさまざまな仕組みを聞かされて、信じている人も多かったが、あとで明らかになった現実の歴史は、1983年の、公表されなかった「人類を救った英雄」スタニスラフ・ペトロフの事件ひとつをとっても、いままで核戦争が起きなかったのは、どちらかといえばただの僥倖で、特に人類の叡知が増大して核戦争防止の知恵が備わったわけではないことを教えている。

ニュースを落ち着いて読めばわかるとおり、なんだか軍人ばかり増えて中南米のクーデター政権みたいだ、と揶揄されているホワイトハウスのなかで、軽佻なトランプを横目で見ながら、なんとか北朝鮮との戦争を避けようとしている「避戦派」の人々の目標は、同盟国である日本人の視点からいうと、
「北朝鮮の核ミサイル攻撃能力を日本対象に限定させる」ということです。
アメリカが北朝鮮の予想外のミサイル/核技術の進捗にぶったまげて、情報を世界中からかき集めて、ようやく確信に到達した現実は、1 北朝鮮の長距離核ミサイル技術はブラフではなくて実用化に限りなく近い 2 固体燃料ロケットの中距離核ミサイルは、少なくとも姿勢制御技術の精度が甘くてもすむロフテッド軌道によればすでに実用化されている 3 グアム以遠の標的を狙う基礎技術は確立されているが、こちらはまだいくつかの問題、特に大気圏再突入時の姿勢制御の問題が解決されていない
、であるらしい、ということで、簡単に言えば「韓国と日本の二同盟国を灰燼に帰することは出来るがアメリカ本土/領土は、まだ安全である」ということでしょう。

従って、ホワイトハウスの選択はふたつで、「核攻撃が日本に対してまでしか行えないいまの段階で、譲歩して、北朝鮮の生存権を認めて核ミサイルプロジェクトを凍結させる」か、「核攻撃が日本に対してまでしか行えないいまの段階で北朝鮮の軍事能力を破壊する。つまり戦争を始めて早期に北朝鮮を国家として壊滅させる」のどちらかに定まったことになる。

この場合、面白いのは、といって、面白がってはいけないが、興味深いのは、北朝鮮という国が核攻撃に特化した軍事力の国で、アメリカのB1の接近に気が付かなかった防空の失態を恥じて、ミグ21を東海岸に移動させたというが、訓練の燃料代にも事欠く国の貧しさに加えて、通常兵器が骨董品と呼びたくなるような時代物ばかりで、役に立たないので、少しでも事情を知っている人間にとっては北朝鮮の場合に限っては「戦争=核戦争」であることが判っている。
ゆいいつの例外が、北朝鮮から見て、ちょうど東京から鎌倉くらいの距離にあるソウルを壊滅させることに特化してデザインされた榴弾砲群やロケット砲群で、大時代な兵器だとおもうかも知れないが、長崎に落とされた原爆が与えた被害をみればわかるとおり、実はソウルのような都市の攻撃には、この通常兵器群のほうが決定的な効果がある。
もうひとつ、ビンボなので、使えるものは使わないと戦争にならない、ということもあります。
ニュースのなかで、口にだしてはっきりそうとは言わないが、アメリカが韓国への核攻撃を実際には想定しておらず、核攻撃の標的になるのは、いまのところは日本だけだと想定しているのは、つまり、そういう理由によっている。

日本語での議論を眺めていると、混同されているらしいので、念のために書いておくと、北朝鮮は日本を恐るべき・憎むべき敵と考えて、日本を攻撃しようとしているのだと考えている、あるいは、考えているふりをしている論者がたくさんいるが、北朝鮮は固より「敵はアメリカだけ」と決めていて、金正恩は最近、側近というよりも仲良しクラブじみた同世代の取り巻きの人々に「おれはワシントンDCに一発核爆弾を打ち込めれば、それで国ごと亡びてもよい」と述べたそうだけれども、あくまで敵はアメリカで、その仇敵にまでは核ミサイルの腕が届かないので、技術的に可能な日本を攻撃するプランになっているにすぎない。

往来で出くわした力士たちとの喧嘩で、後方に控えるご本尊とやりあうのは無理なので、露払いの太刀持ちで、目の前にいる可愛くないガキをぶん殴ってやる、という理屈と本質的にそう変わらない理屈で、基地攻撃を口実にして、手が届くアメリカの領地である日本を攻撃しようとしている、ということです。
つまり、北朝鮮にとっては日本は独立した主権を持った国ではなくて、単なるアメリカ軍が設営した「陣地」なので、この列島の形をした前方基地を、ゆいいつ効果が期待できる手持ち兵器である中距離核ミサイルで、徹底的に叩く、というふうに見えている。

以前は、中枢である東京が核攻撃の脅し文句に入っていなかったのに、最近は入っているのは、具体的な攻撃プランが検討されて出来上がっている証拠で、仮に日本に住んでいるとすれば、なんとなく、考える度に、空をみあげたくなるような雲行きであるとおもう。
北朝鮮が核プログラムを凍結して、そのままおとなしくしていると考える人は誰もいないので、つまり日本は国として人質に差し出されるのと同じことで、戦争が避けられても、避けられなくても、どっちみち核ミサイルの飛来に怯えて暮らさなければならないのは同じ、という、なんとも表現できない、行き場のない袋小路に日本は迷い込んで、もがいている。

もっかの日本人にとっての微かな希望は、北朝鮮と中国の関係が急速に悪くなっていることで、北朝鮮は戦争になった場合の出口のドアを開けてくれる国をロシアに変更しようとしているが、政治関係が変化すれば、そこにはおもわぬドアが開く可能性があって、多分、そのくらいにしか日本の希望はないのだと思われる。
中国との関係が悪化すれば、ゴルバチョフ時代のソ連とおなじで、ミサイルを飛ばそうにも、制御するための電気代も、軍事車両を動かすためのガソリン代も出ない、というような状況に陥る可能性があって、気が付いてみれば頼みの綱の核戦争を実行するオカネと物資すらなくなっている可能性が日に日に大きくなっていて、そこに期待するくらいが、寝付けない夜をなんとか眠る考えであるのかもしれません。

「世界が尊敬する日本」「世界中が憧れる日本」と日本を挙げて、浮かれて、ベストセラーの半分くらいが「日本人すごい」本で、大騒ぎしていた頃は実際にはシカゴの町で、美術館でぼんやり腰掛けていたら近くに立っていて、話しかけてきたアフリカンアメリカンのおばちゃんが、日本に興味がある人で、東京にいたことがあるんだよ、と言ったら、「日本人は、どうして、あんなに自転車が好きなのだろう?」と述べるので、「SPECIALIZED とか人気があんだよね。割と価格が低いレンジのほうが多いけど」と言ったら、きょとんとした顔で、「あの重そうなダッサい自転車がSPECIALIZED製なのか?」と聞き返されて、なんだか話が行き違っているので、よく聞いてみると、おばちゃんは道いっぱいに広がった自転車の群れの、60年代の北京の通勤風景を東京だと思っていた、ということがあったくらい、都会の一部の人をのぞいては、日本について関心がある人は少なくて、日本人が仮構の「世界」でスポットライトを浴びる自分の姿を空想の世界でつくりあげてはしゃいでいるのに過ぎなかったが、アニメの力や、おそるべし、日本のことで段々知られてきて、日本人の生活のイメージも、理解されるようになってきた。

ラーメン二郎などは初心者が行ってみることを憧れる聖地で、もともとアメリカにいれば、顔が売れていて、あちこちでヒソヒソされるので、繁華街の交差点にぼんやり立っていても、誰も気づきもしない東京が好きになって、内緒で通い続けた結果、日本通になってしまった年季の入ったわし日本大好き友は浅草の大黒で天丼をたべて、神谷バーで電気ブランを飲みたい、などとスカイプで述べている。
築地の岡田でいかフライとかさ、東京のカルチャちゅうのは、なんというか、気がおけなくて、いろいろなものの距離が洗練されて、「間(ま)」がいいんだよ、という。
焼き鳥や鮨のカウンタひとつとっても、客と大将の距離が、ちょうどよくて、遠すぎず、近すぎず、これ以上工夫しようがないくらいの絶妙な距離で、ああいう芸当は、やはり江戸の歴史がある東京でないと無理なのではなかろーか、などと半分夢見心地の顔で思い出している。

それから、いつも判で捺したように、でも、あーあ、福島事故で、今度は北朝鮮の核攻撃だぜ、という。

いったい、日本人たちは、日常以外のなにが欲しかったのだろう?
ビンボでも、あんまり世界が尊敬してくれなくても、人目に立たない町の路地裏で、信じがたいことにシカゴ・モダンジャズカルテットがバックグラウンドにかかっている蕎麦屋で、「おばさん、カレー丼ひとつね!」
おお、あと、ビールもつけてよ。今日は、ぼく、いいことがあったんだ。

たったそれだけのことが出来る都会は、このクソッタレばかりの世界には、もういくつも残っていなくて、東京は、そういう人間が、ひっそり人間らしさを満喫できる、ほとんど最後の砦だった。

いつか、ほら、ふたりで川辺の料亭にでかけて、川面を眺めながら、のんびり酒をのんだことがあったよね。
ガメは、おれが日本酒の飲み方を教えてやる、と、エラソーなことを述べて、自分で盃を満たす奴があるか、手酌といって、そーゆーことは友達と一緒のときは、しないことになっているんだよ。
ダメダメダメ、まだ速すぎる。
酒を飲む速度は文明の速度で、酒の作法は、そのまんま文明の性格なのだから、もともとは稀代ののんびり文明だった日本文明に敬意をもたなくちゃダメじゃないか、と、教師染みて、お説教してたくせに、しばらくすると、自分が酔っ払って、眠ってしまった。
こら、ガメ、おまえはそれでも名門XXの息子か、人前で酔っ払って眠るなんて、なんちゅうとんでもないやつだ。

あのときにね、ぼくは、ああ、ガメは、日本の文明の、一種のだらしなさ、背筋がのびない弛緩したところが好きなんだなあ、と思った。
家の玄関を出ても、日本社会では、まだ家のなかで、どこまでも家で、他人が闊歩する空間が存在しない。

ガメは、きっと、自分が生まれて育った西洋というものに、うんざりしているのだな、と思ったよ。
だから、きみは、あんなにも日本に拘ったんだね。
「西洋ではないもの」が生き延びることを、強く願っていたのだと、そのとき、気が付いた。

核ミサイルは、ダイジョブ、ダイジョブじゃないと言い争っている日本人たちの上に、遅かれ早かれ、結局は飛んでくるに違いない。

福島事故とおなじことで、日本人が口でどんなに否定しても、核を凶器とする国の戦域に入ってしまったことは、日本の文明を、またしても根底から変質させてしまうだろう。

戦争は起きるだろうか?と聞いたら、ガメは、論理が示すことが起きるだけのことさ、と言っていたが、あれはやっぱり戦争は起きるという意味なのかい?

話しているうちに、ふたりとも、すっかりバーボンで酔っ払ってしまって、最後におぼえているきみの科白は、
もう、どうだっていいのさ、
だった。

ある日、多分、よく晴れた午後に、ぼくは唐突に死ぬだろう。
ミサイルにはよらないだろうが、交通事故か、病気か、多分、口にするのも憚られるテキトーな理由で、きみもぼくも、なんだかあっけなく死んでしまうに違いない。
友達たちがやってきて、故人は生前はへらずぐちばかり叩いていて、議論好きで、まことにうるさかったが、いざ黙られてみると、無性に寂しい、とかなんとか弔辞を述べるだろう。
核ミサイルが飛んでくる可能性が増えたからといって、個人の側からみれば、無数にある、しょも無い死の原因が、またひとつ増えただけのことだと言えなくもない。

今度、夢のなかで、一緒にでかけて、昔のように、木挽町の裏通りの、あの、黒ずんだ木の壁の、おおきな暖簾がさがる店を訪問しよう。
八勺徳利の樽菊正宗で、鱒の照り焼きやだし巻きで、日本を堪能しよう。
きみと最後に出かけた夜の次の週に、ぽっくり死んでしまったあの店の大将がやってきて、カウンタの向こうから、身をのりだして、これ煮こごりだけど、食べてみますか、うまいですよ、
住んでみれば、
冥途もそんなに悪いところじゃない。
いつか、遊びに来てくださいよ。

そう言って、あの皺の形がいい笑顔で、にっこり笑いかけてくれるかも知れないね。
東京、なんとかして、生き延びてくれないかなあ。

あの店の、きみとでかけた、あの静かな、楽しい晩に戻る方法があるだろうか?

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時間という価値

ミラ・クニスやキャメロン・ディアスはオンラインゲームが大好きなので有名で、二人とも、ゲームに熱中するあまり撮影の仕事をすっぽかした前科を持っている。
ふたりともWOW(World of Warcraft)のファンで、起きると、そのままコンピュータの前に座って、用事がなければ、またベッドに戻って眠るまでずっとミッションをこなしたり、モンスターを殺しまくったりして、一日中、快哉を叫んで暮らしていたもののよーです。

ふたりの時間あたりの労働単価を考えると、とんでもない高価な遊びだが、もちろん、ふたりとも意に介さなくて、最近になって、セラピストの治療をうけて、我慢出来るようになるまでは、まったく無軌道に筋骨隆々の蛮族になりすまして、血しぶきの雨のなかを颯爽と駆け抜けることに人生の意義を見いだしていた。
インタビューを聴いていると、ふたりとも、オカネを湯水のように使うことに飽きて、時間を湯水のように使うことの恍惚に身を委ねていた、という趣があります。

時間が最も高価な、人間の一生で価値のあるものだ、という考えは、21世紀においては特に強い意味を持つようになった。

勤め人の身分では、無論、そんなことは許されないが、ボス同士ともなると、相手からemailが来ているのにシカト、などはふつーのことになって、20世紀の人が聴いたらショック死しそうな非礼だが、「用事がなければ返事もしない」というのは、予想に違わず嫌なやつから、だんだん社会に浸潤して、最近では自分の友達でも、かなり悪い習慣が身についてしまった人が多い。

仕事での音声による電話は、なおさら少なくなって、電話がかかってきても、ちらと名前を見て、出ない人が殆どではないだろうか。
「まともな人間はテキストで要件を伝えてくる」という頭があるので、テキストはもれなく読んでいても音声のほうはまずほったらかしにしてある。
「電話なんかで、いちいち話をされては仕事の時間だけで半日が埋まってしまう」という社会的なコンセンサスが出来ているので、出なかったからといって、お咎めがあることはありません。

まったく音声で話をしないかというと、そんなことはなくて、例えば恋人からの電話は出る。
忙しい午後に、のおんびり話をします。
通りを歩いていると、地下鉄の出口で、あるいはベンチに腰掛けて、世にも嬉しそうな顔で、笑い声をあげたりしているのは、あれは、もちろん夫や妻や、ボーイフレンドやガールフレンドと話をしているからで、あけすけに幸福なので、見ているほうも、なんとなく楽しくなってくる。

昨日、またぞろ、例のかつては大繁栄をしていたが、いまは、ひとり去り、ふたり去って、すっかり寂しい数の集団になりはてたらしい、はてなのトロルおじさんがひさしぶりに鬱陶しい姿を現して、タイムラインで、ひとしきり話題になった。

なんだか言うことも、やりかたも、彼らが工夫に工夫を重ねて、過去には百戦百勝であったらしい、いま振り返るとマンガ的に姑息な「戦術」も、十年という月日のなかで色あせて、同じことの繰り返しなので、飽きられて、「見慣れた光景」になってしまったので、タイムラインでも盛り上がりを欠いて、すぐに話題としての生命が終わってしまったが、話をしながら、また、あの同じ疑問、「なぜ、このおっさんたちは、他人を不愉快にするためだけの行為を他人に嫌悪忌避されながらでも何年経っても倦まずに続けられるのだろう?」と考えた。

自分の体験で言うと、いまだにからみつく、おっさんトロルたちが、なんだか一斉攻撃みたいなことを始めてから8年弱たっていて、英語社会でなら完全な偏執性の狂人だが、日本語社会では、割とふつーであるらしい。
こちらから見ると、どう見てもありあまる悪意の余り発狂したとしか思えない人達が、日本社会では受けいれられているのはなぜだろう、と考える。

英語でもトロルは、ネット世界に遍く存在して、グヒヒヒと陰に籠もって笑いながら、ネチネチ絡みつく人間はいっぱいいるが、英語人の飽きっぽさが禍いして、一週間以上おなじ人間に絡みつくしつこさはない。
少なくとも、目撃したことがない。

日本語社会では、8年どころか十年選手もたくさんいて、あちこちで絡みついて、原動力は、われらの賢者、哲人どん @chikurin_8th が述べるとおり嫉妬なのかもしれないが、それにしても、当たり前だが8年10年と経つあいだには、こちらはみな生活がどんどん変化したり伸展したりして、ミナは遂に念願をかなえて、サウスオーストラリアのアデレードに帽子デザイナーとして移住することになり、だいすけさん @cienowa_otto はおとーさんとして子供と一緒に成長し、と、どんどん変わり、あるいは積み重ねているのに、顕著な対照として、トロル側は、どうも、生活自体にまったく変化がないらしい。
トロル専業、他者糾弾専業のような趣です。

そーかそーか、待てよ、もしかしたら、そーかも知れないね、と思って、ブロックしてあるアカウントをもの好きにも覘いてみると、ふつーのアカウントと、このトロル族の最も明らかな違いは、発言している人の背後にあるはずの生活がまったく感じられないことで、よく考えてみると、これは、たいへん面白いことです。

「結局、警察に電話してもらいました」というような報告は、emailやダイレクトメールでも、よく来る。
トロルは、シャブ中やアル中やなんかと同じ依存症なので、やっているうちに止められなくなって、だんだん過度な刺激を求めて、語彙もますますoffensiveになって、遅かれ早かれ自分の生活を破壊するところまで行きつく。
これは、ちょっと危ないかなあーと思っても、自制が利かなくなるもののよーです。
「そういうことは、したくなかったんだけど、職場の庶務課にまで電話してくるようになると、先生、なにかこういう人たちと関わりがあるんですか?とまで言われるようになって、仕方がなかったんですよ」と、言い訳している。
それでも止められなくて、逮捕される人もいる。
他人を不愉快にさせたい一心で前科者になるなどは、たいへん日本的だと思うが、本人は、案外、本望なのかも知れません。
なんだか、家を売って、砂漠のトレーラーハウスに住み込んで、朝から晩までポーキーズ(スロットマシン)に入れ込んで、文無しになって、人生まるごと破滅して、せいせいした顔で自殺するラスベガスのギャンブラーに似ていないこともない。
依存症、中毒というのは、行きつくところまで行きつく、破滅願望が、その正体だからでしょう。

このトロル依存症が日本社会で特に蔓延しているのは、と言っても誤解されるといけないので、念の為に述べておくと、例えばニュージーランドでも、オンラインのいじめは深刻な社会問題で、どうやって防止するか、年中話しあわれているが、面白い違いがあって、英語社会のトロルは自分が間違っていて悪いことをしているのを知っているが、日本語のトロルのほうは、往々にしてリベラル知識人を自称していたりもして、自分のほうが正義に立っていると錯覚している、重大な違いがある。
自分こそが正義だと、外からみる人にとっては、とんでもないとしか言いようがない思い込みに立っているからトロル行為に十年も打ち込めるので、そこのきみ、笑ってはいけません、あれで、自分では信念に燃えて持続的に正義の戦いを戦っているくらいに思っているのよ。
言っててもアホらしくもあり、信じがたいが、どうやら、そう思う以外には説明がつかない。

ことがここに至る理由は、日本語社会では生活が安くて、時間は安物の、というより殆ど価値のないものとして流れている、ということなのでしょう。

普通の人間は、他人を不愉快にするためにわざわざ時間を使ったりしないのは、自分の手持ちの時間の価値を知っているからで、ミラ・クニスのように、それが夕陽を浴びた草原での蛮族との一騎打ちであっても、他人を不愉快にするために時間を使うような惨めなことをやらないのは、やればやるほど自分が惨めになってくるからで、日本語では、どうも、そう思わないらしいところを見ると、結論はひとつだけで、そもそも自分の時間に価値を認めていなくて、その価値の裏付けになる生活が自分の一生から欠落しているという結論以外は出てこない。

実際にも、いちど、トロルおじさんたちの現実の生活を見てみたことがあるが、まさか名前は書かないが、
東大理科三類(←医学部進学課程ですのい)に合格して有頂天になったものの、それがほんとに頂点で、気の毒なことに本人の資質には向かない研究者を志して、論文も書けずに、そのまま日本の社会がかつての秀才に憐憫してお情けでつくってあげたようなポジションで給料をもらって悶々と暮らしている人や、自己の研究実績としての論文リストを開いて見ると、「研究論文」の提出先がほとんど「週刊金曜日」という雑誌である不思議な「学者」、あるいは会社にこきつかわれて、日本社会の仕組みそのものに踏みつけにされているような過剰な労働で生活もなにも、生きてオカネを稼ぐのがやっとの人、というような面々で、それ以来、気の毒で、書いてあることを見るのも彼らが考えているのとは別の意味で苦痛になっていった。
そう思って注意してみると、「まともな学者ならば、こんなことは言わない」というような文言があちこちにあって、なんだか、見ていて傷ましいような気持ちになります。

ここで大事なことは、彼らが首尾良く、例えば研究者の道を歩いていたとしても、自分自身の考え方が災いして「生活」は実は生じなかったのではないかということで、その原因は、いつかまた違う機会に拠りたいが、多分、子供のときからの「効率主義」や「時間をつかいつくす」毎日の姿にあるでしょう。
要点だけを、うまくつかんで、効率よく他の競争者を出し抜く才能は、同時に物語から細部を脱穀して、粗筋だけをつかみだす作業を自分の一生に課す才能でもあって、生活というものの実体が細部である以上、その人の人生からは、どんどん生活が抜け落ちてゆく。
どんな人間になるか想像できなければ、夏目漱石の「明暗」を読んだ、という言明が、夏目漱石の明暗の粗筋を読んだ、に限りなく近付くような人格を考えれば当たらずも遠からずで、ヘンなことをいうと、おもしろいことに、こういう一生への姿勢は、日本人が大得意な「英文読解法」に似ているのでもあります。
英語全体からすると一時の形態にすぎない20世紀のやや生硬なエッセイのようなものを読むのに特化した構文解析と称する、言葉を悪くすれば猿の芸に似た読解法などは、典型で、一定のジャンルにある英語の意味を取り違えずに読むには、本来の英語の実力よりも低い力量で読めるので便利だが、英語能力自体は逆に、永遠に縁がないものになってしまう。

言うまでもないが、自分の生活がない一生を送るということは、「生きなかった」ということです。
心から、ああいう人間たちを社会が再生産しないといいなあーと思う。

お互いをナイフで刺しあっても、なにもいいことはないでしょう?
その簡単な事実を、ひとりひとりの人みんなが、理解できる日が来ることを願っている。

きみもぼくも、お互いの生活を慈しみあって、肩を支えあって歩くように出来ているのだから。

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EFL

どうして、それほど日本のことが「気になる」のか判らない、という。
そう述べるのは必ず日本の人で、英語人からは聞いたことがない。
多分、日本の人のことなので、何らかの嫌味を述べて、こちらの気分を悪くしようとしているだけのことなのかもしれないが、ぼくは言われたことを字義通りにとるほう、というより、まず字義通りにとるように自分を訓練してきたので、言われたことを、そのまま考えて、そういうものだろうか、と不思議におもう。

この世界には、英語が母語なみに出来る人は日本語人の想像を越えた数で存在する。
子供の時に連合王国にいました、というような人が多いのはたしかだが、そうでなくて、例えば「水平社」について知りたかったので、物理の勉強の傍ら勉強したんだよ、という人もいます。

数学は学問コミュニティの在り方の上で、むかしから国際性が強いので、大抵の分野で、言語を超えた協業が盛んで、そのせいで、3,4カ国語が話せる人は普通に存在して、バルト三国あたりの出身であると、なんだか母語が6つくらいあるような、愉快なじーちゃんが現役で存在する。

中国の人であって、英語が母語並に出来て、英語社会の、さまざまな問題に興味を持たない人が存在しうるかというと、そんなことはあるわけはなくて、たいていは、自分の生活と利害の相関がなくても、トランプはなんてバカなんだ、一方のヒラリーも、いいかげんに何の反省もなく白いキャリアウーマンの鈍感をひっこめればどうなのか、のような「大きな問題」から始まって、いったい何の権利があってキャドベリは、ニュージーランドの工場を閉めて、連合王国の工場に生産を集中してしまったんだ!
あんな甘いキャドベリなんて食べられたもんじゃない、というチョコレートの義憤に至るまで、英語人と世界への感情を共有している。

ある言語を習得することは、その言語を使う人間たちの「血の中へ分け入っていく」ことで、日本語を身に付ければ、日本語人とともに喜び、日本語人とともに怒り、日本語人とともに嘆くのは、ごく自然な、あたりまえのことで、
どうして、それほど日本のことが「気になる」のか判らない、
という感想のほうが、ぼくには理解を越えている。

だって、日本語への共生の感覚がなければ、言語の習得のしようがないでしょう?
ルーク・ミツミネ@soloenglishjpはツイッタ上で出会ったオーストラリア人で、カタロニア人の奥さんと一緒に京都に住んでいる。
テキトーをこいて、奥さんのアイダと会うまでは、ファッションモデルのバイトをしたり、オーストラリアで働いたり、台北に住んでいたりしたが、奥さんと出会ったのがよくて、更生して、とーちゃんとして、ビジネスを起こして、忙しそうに暮らしている。

ファミリーネームでわかるとおり、ルークは片親が日本の人で、本人によればそのせいで、日本語が「母語並」に使える。
母語は英語で、たまたまぼくが好きな町であるブルーマウンテンの少し手前にある町で育ったので、こちらは当たり前というか、多分、普段の生活で悪態をつくときに出るのは英語なのでしょう。

ここには、面白いことがあって、ルークは日本語で怒っているときには、まったくの日本人として、ただし日本以外の世界を十分に知っている日本人として怒っていて、やりきれない気持ちや、日本人の狭い了見に憤懣を爆発させたりしている。

当たり前なんじゃない?ときみは言うかもしれないが、ぼくは日本語で考えているとき「だけ」日本語世界について憤懣をもって、次の瞬間でも、モニさんがお茶とケーキを持って現れると、さっきまで確かに身内に存在した憤懣は見事に雨散霧消してしまう。

スイッチが切れたように、といえばいいのかもしれません。
日本語にひたっていたときの感情は、綺麗さっぱり姿を消してしまって、もっと踏み込んでいえば、別の人格になってしまうのだとしか、言いようがない。

観ていると、ルークには、それが起こらなくて、ぼくのほうは、なるほど言語はどんなに上達して、あるいは母語人よりも巧みに乗りこなせるようになっても、それとは関係があるのかないのか、スイッチのオンオフがある言語と、スイッチがオンのまま、ずっと自分の魂と干渉している言語があるのだとおもう。

その、言語の底の底のようなところに、日本語学習者であるぼくには、まだ見えていない秘密が蟠っているように見えます。

どうして、それほど日本のことが「気になる」のか判らない、という、と冒頭に書いた。
そう述べるのは必ず日本の人で、英語人からは聞いたことがないのは、つまりは日本人は言語の習得ということを、思想の時点ですでに誤解しているからで、骨がらみ、というが、ひとつの言語を「コミュニケーションの手段」や「仕事の道具」、まして、「キャリアを充実させるためのステップ」として身に付けることなんて出来るわけがない。
言語は、ひと言でいえば血肉そのもので、手にもって使える斧やナイフとは異なる。
いわば、まだ見ぬ自分の魂の培養で、極端にいえば、ふたつの言語に通暁することは、ふたつの魂を持つことであると思います。
実際、やってみれば判るが、母語なみになった言語は、その言語によって、自我がすこおおおし、異なるような気がする。
英語のJames と日本語の大庭亀夫は、なんだかひとつの身体を取り合う、二重人格のそれぞれであるような錯覚に、よく陥る。

前置きが長くて、なんだかもう終わりの頃になって本題に入るのは、このブログの特徴だが、ここからが本題で、現代の世界の参加資格のようなものは、「自分の英語人格」を獲得することなのではないか、と考えることがある。
そうあるべきだ、と述べているのではなくて、出来上がって眼前に現れてしまった現実として、そういう世界になってしまっているんじゃないかなあー、というくらいの意味です。

マレーシアのペナンで、ジョージタウンに用意してもらった宿泊施設は豪奢で文句のないもので、やる気になればペナン島の精霊たちと運動会がやれそうなくらい広くもあったが、なにしろ暑くて、建物内部は無論クライメイトコントロールが行き届いて、どこか欧州の、夏のピレネーの村かなにかにいるような快適さだったが、
ここにCCさん@_cc_bangkokという悪い人がいて、名前を書いてしまっていいものかどうかいつも判断がつかない聡明な奥さんと一緒に、ペナンに住んでいて、ツイッタを通して、とんでもなくおいしいそうな屋台料理を、これでもかこれでもかこれでもかと日夜見せつけ続けている。

生来いやしい人間としては、それを見逃すわけはなくて、ペナンでは発達しているuberに乗って毎日、今日はChar Koay Teow、明日は蒸し鶏でないローストのチキンライスと、食べに行きます。
その結果、モニもぼくも、たった一週間で夏バテに至ってしまった。
モニさんは一日16時間は軽く眠って身体の恢復の要求に応え、ぼくのほうは、だんだん、楳図かずおの蛇女のように床を、ズルズルズルと床を這って蛇行するようになっていった。

蛇さんであるのをやめて、ある日、すっくと立ち上がって、「こうなったらビーチしかない!」と叫んで、やや西のビーチに数日移動したのはそういう理由によっています。

ホテルの部屋で、なにをしていたのかというと、モニさんと、とても人に言えない、あんないけないことや、こんな人には言えないことを、ぐふふふふ、していたのだけど、食事は全部ルームサービスで、普段は観る機会がないテレビ番組を、勢い、観たりしていた。

ブータンとインドの外交官が、中国の外交官と、マレーシアの討論番組で互いに通訳ぬきの英語で激論を交わしていて、なにがなし、これからの世界はこうなっていくのだなあ、と感じた、ということを話しているのです。

アクセントからして明らかに英語が母語ではない双方が、しかし、「公的人格」とでもいうものを獲得したうえで議論していたからで、多分、あの中国の外交官もインドの大使も、銘々の母語では、出てくるわけはないパースペクティブから発語していた。

英語の発想に立っていて、絶望的に異なるお互いの立場を、しかし、かろうじて議論の場として共通の舞台にしているのは、その、「英語の発想」だったのが簡単に看てとれました。

EFL、という。
English as a foreign languageの略で、ESL 、English as a second languageとも言います。

つまりは母語でない英語のことで、世界は、急速にEFLを共通の普遍語として共有する方向でステージをつくってきた。

日本の人にEFLの概念の話をすると、なんだか覚束ないアクセントの英語を思い浮かべてしまうらしいが、そうではなくて、
ここで述べているEFLは「母語並」の外国語としての英語ということを考えている。

英語には、誰が聴いたって歴然と異なる、スコットランド英語、イングランド英語、アイルランド英語、オーストラリア英語、ニュージーランド英語…..があるが、EFLは、出自はそのうちのひとつと見做すことも出来て、お里は、多分、大学であるとするのが説明するのに最適でしょう。
パンの匂いがちゃんとするラテン語というか、生活の匂いもちゃんと身に纏ったラテン語のような役割で、言語として、よく出来ている。

この言語のパースペクティブの光源は、「お互いを理解しやすい地点に立つこと」で、この俯瞰光源にあたる点を獲得したことで、EFLは思考・議論の言語として不動のものになった。

ぼくの好きな映画「English Vinglish」には、娘が、英語をまったく話さない母親を恥ずかしがって、ベンガル人で、というのはインドでベンガル人であることの意味を述べれば諸事を英語で情報処理する日常である校長と会わせないように画策するところが出てくるが、ここに出てくるインディアン・イングリッシュは、EFLに近い機能を持っている言語です。

いつものことで、ごみんごみんだけれども、ここまで書いてきたら、なんだかくたびれてしまったので、駆け足にするが、EFLの言語としての俯瞰光源をもちうるかどうかは、ここから先は、そのまま「世界に参加できるかどうか」という問題につながる。
多分、大学受験のせいで、日本の人は、英語を学問と捉えるひどい悪癖があるけれども、英語をベンキョーしている場合ではなくて、英語の世界の血の流れのほうに、自分から分け入っていかなければ、日本人全体が世界から疎外されていくのは、知っていて知らないふりをして、訳の判らない詭弁を構築するのでなければ、どんな人間にもわかることだと思います。

日本語のほうからみれば、EFL世界であっても英語世界は「翻訳されなければ判らない世界」かも知れないが、おなじ事象をEFL英語の側からみれば、日本語は「言語のない世界」の影のなかに逼塞している世界であるとしか認識のしようがないことを、もっと日本人は、ちゃんと理解すべきだとおもう。

それに、ほら、「わたしはあなたを愛している」と述べるのは、
相手の言葉のほうがいいでしょう?
それが、お互いにとって「相手の言葉」であるのは、いまのところEFLだけで、
土曜日の朝、シーツの上で手をしっかり握りあって、「わたしは、この人と一緒に、この世界を冒険していくのだ!」と決心するには、母語であるよりはEFLのほうが相応しいのかも知れません。

夢のなかに分け入っていくには、希望の言語が必要なのだとおもいます。

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Despacito

夢のなかでは、まだ古い丸ビルが残っていて、丸ノ内の駅前でタクシーを待っているぼくのまわりを薄い灰色の影のようなサラリーマンたちが歩いている。
1999年に取り壊されたはずの丸ビルがあるのならば、日本にいた時期から考えて、まだ子供のはずで、ひとりでタクシーを待っているわけはないが、夢は夢で、きっと、この丸ノ内は、おとなになってからもういっかいやってきたら、こんなふうにやってみたいと考えた、夢のなかの丸ノ内であるのに違いない。

行列の前のひとが、唐突に振り返って、きみ、知っていますか?
このサラリーマンたちの半分は、実はもう死んでいる人達で、自分達が死んだことにも気付かずに、こうやって毎朝、出勤してくるのですよ。
ほら、あの鼻の下にチョビ髭を生やした丸眼鏡の男は、ずいぶん旧式な三つ揃いを着て、随分太い傘をもって、ご丁寧に帽子まで被っているでしょう?

ぼくは、あの男をたまたま知っていて、清瀬で結核で死んだのは、戦争前のことだった、ぼくは….

と言いかけて、急に霧のなかへ溶け込むように消えてしまった。

ああ、このひとも、もう死んだ人だったのか、と当たり前のように思って、日本はヘンな国だなあ、と考える。
日本? 日本は関係がないんじゃない?

ぼくの一生のすべてのスタートは、ビクトリア公園の、低い丘の上に立って、霧雨のなかで、タシットを見下ろしていた、あの午後にある。
人間は死ぬのだから、十分に生きなければいけない。
競走のように歩くのをやめて、自分にはどんな歩幅が最適で、どのくらいのスピードで歩くのが最も快適なのか、見いださなければならない。

歳をとった人間が忘れてしまっていることは、若い人間のまわりにも死んでゆく人はたくさんいて、若者は、十分すぎるほど死について考える。

死について考えることは、生きることについて考えることで、産まれてから、だんだん人になって、まだ子供は子供だが、ほんとうに人らしくなるのが15歳くらいだとして、それから、多分、70歳くらいまでは、ただ寿命があるだけではなくて、人間として考えられる確率が高いだろう。
もちろん例外はあって、例を挙げればラッセル卿のような人もいるが、早くから人間である実質を失う例は遙かに多くあって、若年のうちから痴呆症になる人もいるし、器質的な病でなくても、例えば強姦にあって、魂そのものが死んで、死んでしまった魂が、ただ苦悶しながら、肉体をもてあましているようなこともある。
あるいは、他人、例えば母親が生きたかった人生を歩いてしまう人もいて、ひたすら勉強して、医師になって、それが如何に自分の魂にとって、寸法があわない職業であっても、ただ世間が口を揃えて褒めそやしてくれることだけを生きる縁(よすが)に、自分は正しい一生を送ってきたのだと、自分自身に対して、虚しい説得を続けることで生きてゆくひともいる。

カウチに寝転がって、自分の足を眺めていると、なんだか他人の足のようで落ち着きがなくなった経験は、誰にもあるに違いない。
肉体は、必ずしも、きみ自身であることを意味しないのは、しばらく鏡をのぞかない生活をしていて、何ヶ月も経って、ふと自分の顔を鏡のなかにみると、他人が立っているようにみえることでも判る。

ぼくの場合は、ときどきやってみる無暗矢鱈に日本語を書いてみたりする時期がそうで、日本語を、狂った人のように書きなぐって、日本語で世界が構成されたようなときに、ふと鏡をみると、そこには異形の人が立っていて、ぎょっとすることがある。

また違う夢のなかでは、ぼくはトランピングの途中で、タスマントレイルを数日歩き続けて、疲れて、ネルソンの町に降りて、土手に背中を預けて、ステーキパイを食べている。

土手の上の道を、数人の人が歩いて来て、そのうちにひとりの声が、自分が子供のときに死んだ曾祖父で、あの最後に息を引き取るまで快活だった声で、
「人間の一生なんて、たいしたことはないのに、まったくご苦労なことだ」と述べている。

ああ、これは本当に曾祖父だ。
この人は、これが持論なんだ。
なつかしいなあ、でもどうして死から蘇って、こんなところにいるのだろう?

夢のなかの現実の排列はデタラメに見えるが、実は法則がある。
覚醒の生活のなかで、最も夢の現実に似ているのは本棚だろう。
この棚は外国語で、フランス語の古典はここがいいだろう。
こっちは宗教の関係にしてみようか?
でも、そのときには、フランス語の宗教の本はどこにいれれば、うまく収まるのだろう。

夢は、あるいは夢のなかの現実の排列は、どこまでも永遠に本を並べ替える作業に似ていて、考えていると、人間はみんな、自分の過去と思惟についての司書にしか過ぎないのではないかと思えてくる。

では覚醒した現実はどうかというと、夢や死と、それほど変わらないような気がする。
覚醒した現実を保証しているのは大脳による認識だが、認識がほんとうに自我の主体によって行われているかどうかには、常に、よく知られた、おおきな疑問がある。
自我は、自分が選択したふりをしているだけで、意識を欺すことによって、支配者を気取っているだけなのではないか?
たとえば思考ということを例にとれば、ほんとうに考えているのは与えられた言語の、いわば歴史性による自立運動であって、意識はそれを追認しているだけなのではないか。

だが肉体の感覚は、リアルである。
よく知られているように、視覚も聴覚もあざむくことは簡単で、世界の上下などは、被験者にVRデバイスを被せて、そのまま一週間も生活させれば、簡単に上と下は逆転する。
でも重力は?と問う人は事情に通じない人で、飛行機を操縦する人ならば、自分が見ているのは水平線だとして、空はほんとうに水平線の上にあるほうの領域なのか、ほんとうは自分は飛行機を裏返しにして飛ばしていて、海を空と錯覚しているのではないか、と混乱した経験を持つ人はざらにいる。
実際、航空機事故の理由のひとつになっている。

そうやって感覚の真実性そのものは、あてにはならないが、感覚のリアルはこの上もなく確かで、神が人間をうらやむ理由があるとすれば、神には感覚受容器が網羅された肉体がないことであるのは、簡単に想像がつく。

性の興奮や、愛する人の髪に触れるときめきや、肌と肌をあわせる恍惚を、神は持ちえない。
人間の肉体という、滅びやすい受容器を持たないからです。

30余年を生きてきたが、なんだか、ときどき退嬰的な気持ちになると、およそ人間が自分の一生に期待するようなことは、すべてやってしまった気持ちになる。
それはきみの想像力が足りないからだよ、という父親の声がすぐに聞こえてくるが、人間の一生には、ほんとうにやってみる価値などあるのだろうか?
ほんとうは、ただ肉体という受容器で、つかのま、この世界を感覚するために戻ってきているだけのことなのではないか。

いつもの疑問が、また夢のなかにさえやってきて、夢のなかの不眠をつくりだしている。

それとも、覚醒の生活と認識している時間のほうが、実は夢と定義しうる時間で、夢は覚醒した時間が把握できない秩序の時間が意識の流れになっている現実なのだろうか。

笑うかもしれないが、それがぼくの頭を占めるおおきな疑問で、つまり、大雑把に述べてしまえば、「自分はたしかに存在しているのか?」という疑問であって、同時に、きっと自分が死を迎えるまで、答えることが出来ない疑問なのではないかとおもっています。

それで、一向にかまわない、という気持ちはあるのだけれど

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