八勺徳利とミサイル

マンハッタンの、特にヴィレッジの辺りを歩いていると、いまではもう錆び付いた核シェルターのサインが、あちこちに残っている。
いつロシアのミサイルが飛んでくるか判らなかった時代の名残で、アメリカ人たちの、巨大なダモクレスの剣の下で暮らすような生活は、1991年のソビエト連邦崩壊まで続きました。

冷戦が続いているあいだも、キューバ危機が終わったあとでは、一般の人間は、アメリカ=ロシア間のホットラインに始まった偶発全面核戦争を防ぐさまざまな仕組みを聞かされて、信じている人も多かったが、あとで明らかになった現実の歴史は、1983年の、公表されなかった「人類を救った英雄」スタニスラフ・ペトロフの事件ひとつをとっても、いままで核戦争が起きなかったのは、どちらかといえばただの僥倖で、特に人類の叡知が増大して核戦争防止の知恵が備わったわけではないことを教えている。

ニュースを落ち着いて読めばわかるとおり、なんだか軍人ばかり増えて中南米のクーデター政権みたいだ、と揶揄されているホワイトハウスのなかで、軽佻なトランプを横目で見ながら、なんとか北朝鮮との戦争を避けようとしている「避戦派」の人々の目標は、同盟国である日本人の視点からいうと、
「北朝鮮の核ミサイル攻撃能力を日本対象に限定させる」ということです。
アメリカが北朝鮮の予想外のミサイル/核技術の進捗にぶったまげて、情報を世界中からかき集めて、ようやく確信に到達した現実は、1 北朝鮮の長距離核ミサイル技術はブラフではなくて実用化に限りなく近い 2 固体燃料ロケットの中距離核ミサイルは、少なくとも姿勢制御技術の精度が甘くてもすむロフテッド軌道によればすでに実用化されている 3 グアム以遠の標的を狙う基礎技術は確立されているが、こちらはまだいくつかの問題、特に大気圏再突入時の姿勢制御の問題が解決されていない
、であるらしい、ということで、簡単に言えば「韓国と日本の二同盟国を灰燼に帰することは出来るがアメリカ本土/領土は、まだ安全である」ということでしょう。

従って、ホワイトハウスの選択はふたつで、「核攻撃が日本に対してまでしか行えないいまの段階で、譲歩して、北朝鮮の生存権を認めて核ミサイルプロジェクトを凍結させる」か、「核攻撃が日本に対してまでしか行えないいまの段階で北朝鮮の軍事能力を破壊する。つまり戦争を始めて早期に北朝鮮を国家として壊滅させる」のどちらかに定まったことになる。

この場合、面白いのは、といって、面白がってはいけないが、興味深いのは、北朝鮮という国が核攻撃に特化した軍事力の国で、アメリカのB1の接近に気が付かなかった防空の失態を恥じて、ミグ21を東海岸に移動させたというが、訓練の燃料代にも事欠く国の貧しさに加えて、通常兵器が骨董品と呼びたくなるような時代物ばかりで、役に立たないので、少しでも事情を知っている人間にとっては北朝鮮の場合に限っては「戦争=核戦争」であることが判っている。
ゆいいつの例外が、北朝鮮から見て、ちょうど東京から鎌倉くらいの距離にあるソウルを壊滅させることに特化してデザインされた榴弾砲群やロケット砲群で、大時代な兵器だとおもうかも知れないが、長崎に落とされた原爆が与えた被害をみればわかるとおり、実はソウルのような都市の攻撃には、この通常兵器群のほうが決定的な効果がある。
もうひとつ、ビンボなので、使えるものは使わないと戦争にならない、ということもあります。
ニュースのなかで、口にだしてはっきりそうとは言わないが、アメリカが韓国への核攻撃を実際には想定しておらず、核攻撃の標的になるのは、いまのところは日本だけだと想定しているのは、つまり、そういう理由によっている。

日本語での議論を眺めていると、混同されているらしいので、念のために書いておくと、北朝鮮は日本を恐るべき・憎むべき敵と考えて、日本を攻撃しようとしているのだと考えている、あるいは、考えているふりをしている論者がたくさんいるが、北朝鮮は固より「敵はアメリカだけ」と決めていて、金正恩は最近、側近というよりも仲良しクラブじみた同世代の取り巻きの人々に「おれはワシントンDCに一発核爆弾を打ち込めれば、それで国ごと亡びてもよい」と述べたそうだけれども、あくまで敵はアメリカで、その仇敵にまでは核ミサイルの腕が届かないので、技術的に可能な日本を攻撃するプランになっているにすぎない。

往来で出くわした力士たちとの喧嘩で、後方に控えるご本尊とやりあうのは無理なので、露払いの太刀持ちで、目の前にいる可愛くないガキをぶん殴ってやる、という理屈と本質的にそう変わらない理屈で、基地攻撃を口実にして、手が届くアメリカの領地である日本を攻撃しようとしている、ということです。
つまり、北朝鮮にとっては日本は独立した主権を持った国ではなくて、単なるアメリカ軍が設営した「陣地」なので、この列島の形をした前方基地を、ゆいいつ効果が期待できる手持ち兵器である中距離核ミサイルで、徹底的に叩く、というふうに見えている。

以前は、中枢である東京が核攻撃の脅し文句に入っていなかったのに、最近は入っているのは、具体的な攻撃プランが検討されて出来上がっている証拠で、仮に日本に住んでいるとすれば、なんとなく、考える度に、空をみあげたくなるような雲行きであるとおもう。
北朝鮮が核プログラムを凍結して、そのままおとなしくしていると考える人は誰もいないので、つまり日本は国として人質に差し出されるのと同じことで、戦争が避けられても、避けられなくても、どっちみち核ミサイルの飛来に怯えて暮らさなければならないのは同じ、という、なんとも表現できない、行き場のない袋小路に日本は迷い込んで、もがいている。

もっかの日本人にとっての微かな希望は、北朝鮮と中国の関係が急速に悪くなっていることで、北朝鮮は戦争になった場合の出口のドアを開けてくれる国をロシアに変更しようとしているが、政治関係が変化すれば、そこにはおもわぬドアが開く可能性があって、多分、そのくらいにしか日本の希望はないのだと思われる。
中国との関係が悪化すれば、ゴルバチョフ時代のソ連とおなじで、ミサイルを飛ばそうにも、制御するための電気代も、軍事車両を動かすためのガソリン代も出ない、というような状況に陥る可能性があって、気が付いてみれば頼みの綱の核戦争を実行するオカネと物資すらなくなっている可能性が日に日に大きくなっていて、そこに期待するくらいが、寝付けない夜をなんとか眠る考えであるのかもしれません。

「世界が尊敬する日本」「世界中が憧れる日本」と日本を挙げて、浮かれて、ベストセラーの半分くらいが「日本人すごい」本で、大騒ぎしていた頃は実際にはシカゴの町で、美術館でぼんやり腰掛けていたら近くに立っていて、話しかけてきたアフリカンアメリカンのおばちゃんが、日本に興味がある人で、東京にいたことがあるんだよ、と言ったら、「日本人は、どうして、あんなに自転車が好きなのだろう?」と述べるので、「SPECIALIZED とか人気があんだよね。割と価格が低いレンジのほうが多いけど」と言ったら、きょとんとした顔で、「あの重そうなダッサい自転車がSPECIALIZED製なのか?」と聞き返されて、なんだか話が行き違っているので、よく聞いてみると、おばちゃんは道いっぱいに広がった自転車の群れの、60年代の北京の通勤風景を東京だと思っていた、ということがあったくらい、都会の一部の人をのぞいては、日本について関心がある人は少なくて、日本人が仮構の「世界」でスポットライトを浴びる自分の姿を空想の世界でつくりあげてはしゃいでいるのに過ぎなかったが、アニメの力や、おそるべし、日本のことで段々知られてきて、日本人の生活のイメージも、理解されるようになってきた。

ラーメン二郎などは初心者が行ってみることを憧れる聖地で、もともとアメリカにいれば、顔が売れていて、あちこちでヒソヒソされるので、繁華街の交差点にぼんやり立っていても、誰も気づきもしない東京が好きになって、内緒で通い続けた結果、日本通になってしまった年季の入ったわし日本大好き友は浅草の大黒で天丼をたべて、神谷バーで電気ブランを飲みたい、などとスカイプで述べている。
築地の岡田でいかフライとかさ、東京のカルチャちゅうのは、なんというか、気がおけなくて、いろいろなものの距離が洗練されて、「間(ま)」がいいんだよ、という。
焼き鳥や鮨のカウンタひとつとっても、客と大将の距離が、ちょうどよくて、遠すぎず、近すぎず、これ以上工夫しようがないくらいの絶妙な距離で、ああいう芸当は、やはり江戸の歴史がある東京でないと無理なのではなかろーか、などと半分夢見心地の顔で思い出している。

それから、いつも判で捺したように、でも、あーあ、福島事故で、今度は北朝鮮の核攻撃だぜ、という。

いったい、日本人たちは、日常以外のなにが欲しかったのだろう?
ビンボでも、あんまり世界が尊敬してくれなくても、人目に立たない町の路地裏で、信じがたいことにシカゴ・モダンジャズカルテットがバックグラウンドにかかっている蕎麦屋で、「おばさん、カレー丼ひとつね!」
おお、あと、ビールもつけてよ。今日は、ぼく、いいことがあったんだ。

たったそれだけのことが出来る都会は、このクソッタレばかりの世界には、もういくつも残っていなくて、東京は、そういう人間が、ひっそり人間らしさを満喫できる、ほとんど最後の砦だった。

いつか、ほら、ふたりで川辺の料亭にでかけて、川面を眺めながら、のんびり酒をのんだことがあったよね。
ガメは、おれが日本酒の飲み方を教えてやる、と、エラソーなことを述べて、自分で盃を満たす奴があるか、手酌といって、そーゆーことは友達と一緒のときは、しないことになっているんだよ。
ダメダメダメ、まだ速すぎる。
酒を飲む速度は文明の速度で、酒の作法は、そのまんま文明の性格なのだから、もともとは稀代ののんびり文明だった日本文明に敬意をもたなくちゃダメじゃないか、と、教師染みて、お説教してたくせに、しばらくすると、自分が酔っ払って、眠ってしまった。
こら、ガメ、おまえはそれでも名門XXの息子か、人前で酔っ払って眠るなんて、なんちゅうとんでもないやつだ。

あのときにね、ぼくは、ああ、ガメは、日本の文明の、一種のだらしなさ、背筋がのびない弛緩したところが好きなんだなあ、と思った。
家の玄関を出ても、日本社会では、まだ家のなかで、どこまでも家で、他人が闊歩する空間が存在しない。

ガメは、きっと、自分が生まれて育った西洋というものに、うんざりしているのだな、と思ったよ。
だから、きみは、あんなにも日本に拘ったんだね。
「西洋ではないもの」が生き延びることを、強く願っていたのだと、そのとき、気が付いた。

核ミサイルは、ダイジョブ、ダイジョブじゃないと言い争っている日本人たちの上に、遅かれ早かれ、結局は飛んでくるに違いない。

福島事故とおなじことで、日本人が口でどんなに否定しても、核を凶器とする国の戦域に入ってしまったことは、日本の文明を、またしても根底から変質させてしまうだろう。

戦争は起きるだろうか?と聞いたら、ガメは、論理が示すことが起きるだけのことさ、と言っていたが、あれはやっぱり戦争は起きるという意味なのかい?

話しているうちに、ふたりとも、すっかりバーボンで酔っ払ってしまって、最後におぼえているきみの科白は、
もう、どうだっていいのさ、
だった。

ある日、多分、よく晴れた午後に、ぼくは唐突に死ぬだろう。
ミサイルにはよらないだろうが、交通事故か、病気か、多分、口にするのも憚られるテキトーな理由で、きみもぼくも、なんだかあっけなく死んでしまうに違いない。
友達たちがやってきて、故人は生前はへらずぐちばかり叩いていて、議論好きで、まことにうるさかったが、いざ黙られてみると、無性に寂しい、とかなんとか弔辞を述べるだろう。
核ミサイルが飛んでくる可能性が増えたからといって、個人の側からみれば、無数にある、しょも無い死の原因が、またひとつ増えただけのことだと言えなくもない。

今度、夢のなかで、一緒にでかけて、昔のように、木挽町の裏通りの、あの、黒ずんだ木の壁の、おおきな暖簾がさがる店を訪問しよう。
八勺徳利の樽菊正宗で、鱒の照り焼きやだし巻きで、日本を堪能しよう。
きみと最後に出かけた夜の次の週に、ぽっくり死んでしまったあの店の大将がやってきて、カウンタの向こうから、身をのりだして、これ煮こごりだけど、食べてみますか、うまいですよ、
住んでみれば、
冥途もそんなに悪いところじゃない。
いつか、遊びに来てくださいよ。

そう言って、あの皺の形がいい笑顔で、にっこり笑いかけてくれるかも知れないね。
東京、なんとかして、生き延びてくれないかなあ。

あの店の、きみとでかけた、あの静かな、楽しい晩に戻る方法があるだろうか?

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時間という価値

ミラ・クニスやキャメロン・ディアスはオンラインゲームが大好きなので有名で、二人とも、ゲームに熱中するあまり撮影の仕事をすっぽかした前科を持っている。
ふたりともWOW(World of Warcraft)のファンで、起きると、そのままコンピュータの前に座って、用事がなければ、またベッドに戻って眠るまでずっとミッションをこなしたり、モンスターを殺しまくったりして、一日中、快哉を叫んで暮らしていたもののよーです。

ふたりの時間あたりの労働単価を考えると、とんでもない高価な遊びだが、もちろん、ふたりとも意に介さなくて、最近になって、セラピストの治療をうけて、我慢出来るようになるまでは、まったく無軌道に筋骨隆々の蛮族になりすまして、血しぶきの雨のなかを颯爽と駆け抜けることに人生の意義を見いだしていた。
インタビューを聴いていると、ふたりとも、オカネを湯水のように使うことに飽きて、時間を湯水のように使うことの恍惚に身を委ねていた、という趣があります。

時間が最も高価な、人間の一生で価値のあるものだ、という考えは、21世紀においては特に強い意味を持つようになった。

勤め人の身分では、無論、そんなことは許されないが、ボス同士ともなると、相手からemailが来ているのにシカト、などはふつーのことになって、20世紀の人が聴いたらショック死しそうな非礼だが、「用事がなければ返事もしない」というのは、予想に違わず嫌なやつから、だんだん社会に浸潤して、最近では自分の友達でも、かなり悪い習慣が身についてしまった人が多い。

仕事での音声による電話は、なおさら少なくなって、電話がかかってきても、ちらと名前を見て、出ない人が殆どではないだろうか。
「まともな人間はテキストで要件を伝えてくる」という頭があるので、テキストはもれなく読んでいても音声のほうはまずほったらかしにしてある。
「電話なんかで、いちいち話をされては仕事の時間だけで半日が埋まってしまう」という社会的なコンセンサスが出来ているので、出なかったからといって、お咎めがあることはありません。

まったく音声で話をしないかというと、そんなことはなくて、例えば恋人からの電話は出る。
忙しい午後に、のおんびり話をします。
通りを歩いていると、地下鉄の出口で、あるいはベンチに腰掛けて、世にも嬉しそうな顔で、笑い声をあげたりしているのは、あれは、もちろん夫や妻や、ボーイフレンドやガールフレンドと話をしているからで、あけすけに幸福なので、見ているほうも、なんとなく楽しくなってくる。

昨日、またぞろ、例のかつては大繁栄をしていたが、いまは、ひとり去り、ふたり去って、すっかり寂しい数の集団になりはてたらしい、はてなのトロルおじさんがひさしぶりに鬱陶しい姿を現して、タイムラインで、ひとしきり話題になった。

なんだか言うことも、やりかたも、彼らが工夫に工夫を重ねて、過去には百戦百勝であったらしい、いま振り返るとマンガ的に姑息な「戦術」も、十年という月日のなかで色あせて、同じことの繰り返しなので、飽きられて、「見慣れた光景」になってしまったので、タイムラインでも盛り上がりを欠いて、すぐに話題としての生命が終わってしまったが、話をしながら、また、あの同じ疑問、「なぜ、このおっさんたちは、他人を不愉快にするためだけの行為を他人に嫌悪忌避されながらでも何年経っても倦まずに続けられるのだろう?」と考えた。

自分の体験で言うと、いまだにからみつく、おっさんトロルたちが、なんだか一斉攻撃みたいなことを始めてから8年弱たっていて、英語社会でなら完全な偏執性の狂人だが、日本語社会では、割とふつーであるらしい。
こちらから見ると、どう見てもありあまる悪意の余り発狂したとしか思えない人達が、日本社会では受けいれられているのはなぜだろう、と考える。

英語でもトロルは、ネット世界に遍く存在して、グヒヒヒと陰に籠もって笑いながら、ネチネチ絡みつく人間はいっぱいいるが、英語人の飽きっぽさが禍いして、一週間以上おなじ人間に絡みつくしつこさはない。
少なくとも、目撃したことがない。

日本語社会では、8年どころか十年選手もたくさんいて、あちこちで絡みついて、原動力は、われらの賢者、哲人どん @chikurin_8th が述べるとおり嫉妬なのかもしれないが、それにしても、当たり前だが8年10年と経つあいだには、こちらはみな生活がどんどん変化したり伸展したりして、ミナは遂に念願をかなえて、サウスオーストラリアのアデレードに帽子デザイナーとして移住することになり、だいすけさん @cienowa_otto はおとーさんとして子供と一緒に成長し、と、どんどん変わり、あるいは積み重ねているのに、顕著な対照として、トロル側は、どうも、生活自体にまったく変化がないらしい。
トロル専業、他者糾弾専業のような趣です。

そーかそーか、待てよ、もしかしたら、そーかも知れないね、と思って、ブロックしてあるアカウントをもの好きにも覘いてみると、ふつーのアカウントと、このトロル族の最も明らかな違いは、発言している人の背後にあるはずの生活がまったく感じられないことで、よく考えてみると、これは、たいへん面白いことです。

「結局、警察に電話してもらいました」というような報告は、emailやダイレクトメールでも、よく来る。
トロルは、シャブ中やアル中やなんかと同じ依存症なので、やっているうちに止められなくなって、だんだん過度な刺激を求めて、語彙もますますoffensiveになって、遅かれ早かれ自分の生活を破壊するところまで行きつく。
これは、ちょっと危ないかなあーと思っても、自制が利かなくなるもののよーです。
「そういうことは、したくなかったんだけど、職場の庶務課にまで電話してくるようになると、先生、なにかこういう人たちと関わりがあるんですか?とまで言われるようになって、仕方がなかったんですよ」と、言い訳している。
それでも止められなくて、逮捕される人もいる。
他人を不愉快にさせたい一心で前科者になるなどは、たいへん日本的だと思うが、本人は、案外、本望なのかも知れません。
なんだか、家を売って、砂漠のトレーラーハウスに住み込んで、朝から晩までポーキーズ(スロットマシン)に入れ込んで、文無しになって、人生まるごと破滅して、せいせいした顔で自殺するラスベガスのギャンブラーに似ていないこともない。
依存症、中毒というのは、行きつくところまで行きつく、破滅願望が、その正体だからでしょう。

このトロル依存症が日本社会で特に蔓延しているのは、と言っても誤解されるといけないので、念の為に述べておくと、例えばニュージーランドでも、オンラインのいじめは深刻な社会問題で、どうやって防止するか、年中話しあわれているが、面白い違いがあって、英語社会のトロルは自分が間違っていて悪いことをしているのを知っているが、日本語のトロルのほうは、往々にしてリベラル知識人を自称していたりもして、自分のほうが正義に立っていると錯覚している、重大な違いがある。
自分こそが正義だと、外からみる人にとっては、とんでもないとしか言いようがない思い込みに立っているからトロル行為に十年も打ち込めるので、そこのきみ、笑ってはいけません、あれで、自分では信念に燃えて持続的に正義の戦いを戦っているくらいに思っているのよ。
言っててもアホらしくもあり、信じがたいが、どうやら、そう思う以外には説明がつかない。

ことがここに至る理由は、日本語社会では生活が安くて、時間は安物の、というより殆ど価値のないものとして流れている、ということなのでしょう。

普通の人間は、他人を不愉快にするためにわざわざ時間を使ったりしないのは、自分の手持ちの時間の価値を知っているからで、ミラ・クニスのように、それが夕陽を浴びた草原での蛮族との一騎打ちであっても、他人を不愉快にするために時間を使うような惨めなことをやらないのは、やればやるほど自分が惨めになってくるからで、日本語では、どうも、そう思わないらしいところを見ると、結論はひとつだけで、そもそも自分の時間に価値を認めていなくて、その価値の裏付けになる生活が自分の一生から欠落しているという結論以外は出てこない。

実際にも、いちど、トロルおじさんたちの現実の生活を見てみたことがあるが、まさか名前は書かないが、
東大理科三類(←医学部進学課程ですのい)に合格して有頂天になったものの、それがほんとに頂点で、気の毒なことに本人の資質には向かない研究者を志して、論文も書けずに、そのまま日本の社会がかつての秀才に憐憫してお情けでつくってあげたようなポジションで給料をもらって悶々と暮らしている人や、自己の研究実績としての論文リストを開いて見ると、「研究論文」の提出先がほとんど「週刊金曜日」という雑誌である不思議な「学者」、あるいは会社にこきつかわれて、日本社会の仕組みそのものに踏みつけにされているような過剰な労働で生活もなにも、生きてオカネを稼ぐのがやっとの人、というような面々で、それ以来、気の毒で、書いてあることを見るのも彼らが考えているのとは別の意味で苦痛になっていった。
そう思って注意してみると、「まともな学者ならば、こんなことは言わない」というような文言があちこちにあって、なんだか、見ていて傷ましいような気持ちになります。

ここで大事なことは、彼らが首尾良く、例えば研究者の道を歩いていたとしても、自分自身の考え方が災いして「生活」は実は生じなかったのではないかということで、その原因は、いつかまた違う機会に拠りたいが、多分、子供のときからの「効率主義」や「時間をつかいつくす」毎日の姿にあるでしょう。
要点だけを、うまくつかんで、効率よく他の競争者を出し抜く才能は、同時に物語から細部を脱穀して、粗筋だけをつかみだす作業を自分の一生に課す才能でもあって、生活というものの実体が細部である以上、その人の人生からは、どんどん生活が抜け落ちてゆく。
どんな人間になるか想像できなければ、夏目漱石の「明暗」を読んだ、という言明が、夏目漱石の明暗の粗筋を読んだ、に限りなく近付くような人格を考えれば当たらずも遠からずで、ヘンなことをいうと、おもしろいことに、こういう一生への姿勢は、日本人が大得意な「英文読解法」に似ているのでもあります。
英語全体からすると一時の形態にすぎない20世紀のやや生硬なエッセイのようなものを読むのに特化した構文解析と称する、言葉を悪くすれば猿の芸に似た読解法などは、典型で、一定のジャンルにある英語の意味を取り違えずに読むには、本来の英語の実力よりも低い力量で読めるので便利だが、英語能力自体は逆に、永遠に縁がないものになってしまう。

言うまでもないが、自分の生活がない一生を送るということは、「生きなかった」ということです。
心から、ああいう人間たちを社会が再生産しないといいなあーと思う。

お互いをナイフで刺しあっても、なにもいいことはないでしょう?
その簡単な事実を、ひとりひとりの人みんなが、理解できる日が来ることを願っている。

きみもぼくも、お互いの生活を慈しみあって、肩を支えあって歩くように出来ているのだから。

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EFL

どうして、それほど日本のことが「気になる」のか判らない、という。
そう述べるのは必ず日本の人で、英語人からは聞いたことがない。
多分、日本の人のことなので、何らかの嫌味を述べて、こちらの気分を悪くしようとしているだけのことなのかもしれないが、ぼくは言われたことを字義通りにとるほう、というより、まず字義通りにとるように自分を訓練してきたので、言われたことを、そのまま考えて、そういうものだろうか、と不思議におもう。

この世界には、英語が母語なみに出来る人は日本語人の想像を越えた数で存在する。
子供の時に連合王国にいました、というような人が多いのはたしかだが、そうでなくて、例えば「水平社」について知りたかったので、物理の勉強の傍ら勉強したんだよ、という人もいます。

数学は学問コミュニティの在り方の上で、むかしから国際性が強いので、大抵の分野で、言語を超えた協業が盛んで、そのせいで、3,4カ国語が話せる人は普通に存在して、バルト三国あたりの出身であると、なんだか母語が6つくらいあるような、愉快なじーちゃんが現役で存在する。

中国の人であって、英語が母語並に出来て、英語社会の、さまざまな問題に興味を持たない人が存在しうるかというと、そんなことはあるわけはなくて、たいていは、自分の生活と利害の相関がなくても、トランプはなんてバカなんだ、一方のヒラリーも、いいかげんに何の反省もなく白いキャリアウーマンの鈍感をひっこめればどうなのか、のような「大きな問題」から始まって、いったい何の権利があってキャドベリは、ニュージーランドの工場を閉めて、連合王国の工場に生産を集中してしまったんだ!
あんな甘いキャドベリなんて食べられたもんじゃない、というチョコレートの義憤に至るまで、英語人と世界への感情を共有している。

ある言語を習得することは、その言語を使う人間たちの「血の中へ分け入っていく」ことで、日本語を身に付ければ、日本語人とともに喜び、日本語人とともに怒り、日本語人とともに嘆くのは、ごく自然な、あたりまえのことで、
どうして、それほど日本のことが「気になる」のか判らない、
という感想のほうが、ぼくには理解を越えている。

だって、日本語への共生の感覚がなければ、言語の習得のしようがないでしょう?
ルーク・ミツミネ@soloenglishjpはツイッタ上で出会ったオーストラリア人で、カタロニア人の奥さんと一緒に京都に住んでいる。
テキトーをこいて、奥さんのアイダと会うまでは、ファッションモデルのバイトをしたり、オーストラリアで働いたり、台北に住んでいたりしたが、奥さんと出会ったのがよくて、更生して、とーちゃんとして、ビジネスを起こして、忙しそうに暮らしている。

ファミリーネームでわかるとおり、ルークは片親が日本の人で、本人によればそのせいで、日本語が「母語並」に使える。
母語は英語で、たまたまぼくが好きな町であるブルーマウンテンの少し手前にある町で育ったので、こちらは当たり前というか、多分、普段の生活で悪態をつくときに出るのは英語なのでしょう。

ここには、面白いことがあって、ルークは日本語で怒っているときには、まったくの日本人として、ただし日本以外の世界を十分に知っている日本人として怒っていて、やりきれない気持ちや、日本人の狭い了見に憤懣を爆発させたりしている。

当たり前なんじゃない?ときみは言うかもしれないが、ぼくは日本語で考えているとき「だけ」日本語世界について憤懣をもって、次の瞬間でも、モニさんがお茶とケーキを持って現れると、さっきまで確かに身内に存在した憤懣は見事に雨散霧消してしまう。

スイッチが切れたように、といえばいいのかもしれません。
日本語にひたっていたときの感情は、綺麗さっぱり姿を消してしまって、もっと踏み込んでいえば、別の人格になってしまうのだとしか、言いようがない。

観ていると、ルークには、それが起こらなくて、ぼくのほうは、なるほど言語はどんなに上達して、あるいは母語人よりも巧みに乗りこなせるようになっても、それとは関係があるのかないのか、スイッチのオンオフがある言語と、スイッチがオンのまま、ずっと自分の魂と干渉している言語があるのだとおもう。

その、言語の底の底のようなところに、日本語学習者であるぼくには、まだ見えていない秘密が蟠っているように見えます。

どうして、それほど日本のことが「気になる」のか判らない、という、と冒頭に書いた。
そう述べるのは必ず日本の人で、英語人からは聞いたことがないのは、つまりは日本人は言語の習得ということを、思想の時点ですでに誤解しているからで、骨がらみ、というが、ひとつの言語を「コミュニケーションの手段」や「仕事の道具」、まして、「キャリアを充実させるためのステップ」として身に付けることなんて出来るわけがない。
言語は、ひと言でいえば血肉そのもので、手にもって使える斧やナイフとは異なる。
いわば、まだ見ぬ自分の魂の培養で、極端にいえば、ふたつの言語に通暁することは、ふたつの魂を持つことであると思います。
実際、やってみれば判るが、母語なみになった言語は、その言語によって、自我がすこおおおし、異なるような気がする。
英語のJames と日本語の大庭亀夫は、なんだかひとつの身体を取り合う、二重人格のそれぞれであるような錯覚に、よく陥る。

前置きが長くて、なんだかもう終わりの頃になって本題に入るのは、このブログの特徴だが、ここからが本題で、現代の世界の参加資格のようなものは、「自分の英語人格」を獲得することなのではないか、と考えることがある。
そうあるべきだ、と述べているのではなくて、出来上がって眼前に現れてしまった現実として、そういう世界になってしまっているんじゃないかなあー、というくらいの意味です。

マレーシアのペナンで、ジョージタウンに用意してもらった宿泊施設は豪奢で文句のないもので、やる気になればペナン島の精霊たちと運動会がやれそうなくらい広くもあったが、なにしろ暑くて、建物内部は無論クライメイトコントロールが行き届いて、どこか欧州の、夏のピレネーの村かなにかにいるような快適さだったが、
ここにCCさん@_cc_bangkokという悪い人がいて、名前を書いてしまっていいものかどうかいつも判断がつかない聡明な奥さんと一緒に、ペナンに住んでいて、ツイッタを通して、とんでもなくおいしいそうな屋台料理を、これでもかこれでもかこれでもかと日夜見せつけ続けている。

生来いやしい人間としては、それを見逃すわけはなくて、ペナンでは発達しているuberに乗って毎日、今日はChar Koay Teow、明日は蒸し鶏でないローストのチキンライスと、食べに行きます。
その結果、モニもぼくも、たった一週間で夏バテに至ってしまった。
モニさんは一日16時間は軽く眠って身体の恢復の要求に応え、ぼくのほうは、だんだん、楳図かずおの蛇女のように床を、ズルズルズルと床を這って蛇行するようになっていった。

蛇さんであるのをやめて、ある日、すっくと立ち上がって、「こうなったらビーチしかない!」と叫んで、やや西のビーチに数日移動したのはそういう理由によっています。

ホテルの部屋で、なにをしていたのかというと、モニさんと、とても人に言えない、あんないけないことや、こんな人には言えないことを、ぐふふふふ、していたのだけど、食事は全部ルームサービスで、普段は観る機会がないテレビ番組を、勢い、観たりしていた。

ブータンとインドの外交官が、中国の外交官と、マレーシアの討論番組で互いに通訳ぬきの英語で激論を交わしていて、なにがなし、これからの世界はこうなっていくのだなあ、と感じた、ということを話しているのです。

アクセントからして明らかに英語が母語ではない双方が、しかし、「公的人格」とでもいうものを獲得したうえで議論していたからで、多分、あの中国の外交官もインドの大使も、銘々の母語では、出てくるわけはないパースペクティブから発語していた。

英語の発想に立っていて、絶望的に異なるお互いの立場を、しかし、かろうじて議論の場として共通の舞台にしているのは、その、「英語の発想」だったのが簡単に看てとれました。

EFL、という。
English as a foreign languageの略で、ESL 、English as a second languageとも言います。

つまりは母語でない英語のことで、世界は、急速にEFLを共通の普遍語として共有する方向でステージをつくってきた。

日本の人にEFLの概念の話をすると、なんだか覚束ないアクセントの英語を思い浮かべてしまうらしいが、そうではなくて、
ここで述べているEFLは「母語並」の外国語としての英語ということを考えている。

英語には、誰が聴いたって歴然と異なる、スコットランド英語、イングランド英語、アイルランド英語、オーストラリア英語、ニュージーランド英語…..があるが、EFLは、出自はそのうちのひとつと見做すことも出来て、お里は、多分、大学であるとするのが説明するのに最適でしょう。
パンの匂いがちゃんとするラテン語というか、生活の匂いもちゃんと身に纏ったラテン語のような役割で、言語として、よく出来ている。

この言語のパースペクティブの光源は、「お互いを理解しやすい地点に立つこと」で、この俯瞰光源にあたる点を獲得したことで、EFLは思考・議論の言語として不動のものになった。

ぼくの好きな映画「English Vinglish」には、娘が、英語をまったく話さない母親を恥ずかしがって、ベンガル人で、というのはインドでベンガル人であることの意味を述べれば諸事を英語で情報処理する日常である校長と会わせないように画策するところが出てくるが、ここに出てくるインディアン・イングリッシュは、EFLに近い機能を持っている言語です。

いつものことで、ごみんごみんだけれども、ここまで書いてきたら、なんだかくたびれてしまったので、駆け足にするが、EFLの言語としての俯瞰光源をもちうるかどうかは、ここから先は、そのまま「世界に参加できるかどうか」という問題につながる。
多分、大学受験のせいで、日本の人は、英語を学問と捉えるひどい悪癖があるけれども、英語をベンキョーしている場合ではなくて、英語の世界の血の流れのほうに、自分から分け入っていかなければ、日本人全体が世界から疎外されていくのは、知っていて知らないふりをして、訳の判らない詭弁を構築するのでなければ、どんな人間にもわかることだと思います。

日本語のほうからみれば、EFL世界であっても英語世界は「翻訳されなければ判らない世界」かも知れないが、おなじ事象をEFL英語の側からみれば、日本語は「言語のない世界」の影のなかに逼塞している世界であるとしか認識のしようがないことを、もっと日本人は、ちゃんと理解すべきだとおもう。

それに、ほら、「わたしはあなたを愛している」と述べるのは、
相手の言葉のほうがいいでしょう?
それが、お互いにとって「相手の言葉」であるのは、いまのところEFLだけで、
土曜日の朝、シーツの上で手をしっかり握りあって、「わたしは、この人と一緒に、この世界を冒険していくのだ!」と決心するには、母語であるよりはEFLのほうが相応しいのかも知れません。

夢のなかに分け入っていくには、希望の言語が必要なのだとおもいます。

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Despacito

夢のなかでは、まだ古い丸ビルが残っていて、丸ノ内の駅前でタクシーを待っているぼくのまわりを薄い灰色の影のようなサラリーマンたちが歩いている。
1999年に取り壊されたはずの丸ビルがあるのならば、日本にいた時期から考えて、まだ子供のはずで、ひとりでタクシーを待っているわけはないが、夢は夢で、きっと、この丸ノ内は、おとなになってからもういっかいやってきたら、こんなふうにやってみたいと考えた、夢のなかの丸ノ内であるのに違いない。

行列の前のひとが、唐突に振り返って、きみ、知っていますか?
このサラリーマンたちの半分は、実はもう死んでいる人達で、自分達が死んだことにも気付かずに、こうやって毎朝、出勤してくるのですよ。
ほら、あの鼻の下にチョビ髭を生やした丸眼鏡の男は、ずいぶん旧式な三つ揃いを着て、随分太い傘をもって、ご丁寧に帽子まで被っているでしょう?

ぼくは、あの男をたまたま知っていて、清瀬で結核で死んだのは、戦争前のことだった、ぼくは….

と言いかけて、急に霧のなかへ溶け込むように消えてしまった。

ああ、このひとも、もう死んだ人だったのか、と当たり前のように思って、日本はヘンな国だなあ、と考える。
日本? 日本は関係がないんじゃない?

ぼくの一生のすべてのスタートは、ビクトリア公園の、低い丘の上に立って、霧雨のなかで、タシットを見下ろしていた、あの午後にある。
人間は死ぬのだから、十分に生きなければいけない。
競走のように歩くのをやめて、自分にはどんな歩幅が最適で、どのくらいのスピードで歩くのが最も快適なのか、見いださなければならない。

歳をとった人間が忘れてしまっていることは、若い人間のまわりにも死んでゆく人はたくさんいて、若者は、十分すぎるほど死について考える。

死について考えることは、生きることについて考えることで、産まれてから、だんだん人になって、まだ子供は子供だが、ほんとうに人らしくなるのが15歳くらいだとして、それから、多分、70歳くらいまでは、ただ寿命があるだけではなくて、人間として考えられる確率が高いだろう。
もちろん例外はあって、例を挙げればラッセル卿のような人もいるが、早くから人間である実質を失う例は遙かに多くあって、若年のうちから痴呆症になる人もいるし、器質的な病でなくても、例えば強姦にあって、魂そのものが死んで、死んでしまった魂が、ただ苦悶しながら、肉体をもてあましているようなこともある。
あるいは、他人、例えば母親が生きたかった人生を歩いてしまう人もいて、ひたすら勉強して、医師になって、それが如何に自分の魂にとって、寸法があわない職業であっても、ただ世間が口を揃えて褒めそやしてくれることだけを生きる縁(よすが)に、自分は正しい一生を送ってきたのだと、自分自身に対して、虚しい説得を続けることで生きてゆくひともいる。

カウチに寝転がって、自分の足を眺めていると、なんだか他人の足のようで落ち着きがなくなった経験は、誰にもあるに違いない。
肉体は、必ずしも、きみ自身であることを意味しないのは、しばらく鏡をのぞかない生活をしていて、何ヶ月も経って、ふと自分の顔を鏡のなかにみると、他人が立っているようにみえることでも判る。

ぼくの場合は、ときどきやってみる無暗矢鱈に日本語を書いてみたりする時期がそうで、日本語を、狂った人のように書きなぐって、日本語で世界が構成されたようなときに、ふと鏡をみると、そこには異形の人が立っていて、ぎょっとすることがある。

また違う夢のなかでは、ぼくはトランピングの途中で、タスマントレイルを数日歩き続けて、疲れて、ネルソンの町に降りて、土手に背中を預けて、ステーキパイを食べている。

土手の上の道を、数人の人が歩いて来て、そのうちにひとりの声が、自分が子供のときに死んだ曾祖父で、あの最後に息を引き取るまで快活だった声で、
「人間の一生なんて、たいしたことはないのに、まったくご苦労なことだ」と述べている。

ああ、これは本当に曾祖父だ。
この人は、これが持論なんだ。
なつかしいなあ、でもどうして死から蘇って、こんなところにいるのだろう?

夢のなかの現実の排列はデタラメに見えるが、実は法則がある。
覚醒の生活のなかで、最も夢の現実に似ているのは本棚だろう。
この棚は外国語で、フランス語の古典はここがいいだろう。
こっちは宗教の関係にしてみようか?
でも、そのときには、フランス語の宗教の本はどこにいれれば、うまく収まるのだろう。

夢は、あるいは夢のなかの現実の排列は、どこまでも永遠に本を並べ替える作業に似ていて、考えていると、人間はみんな、自分の過去と思惟についての司書にしか過ぎないのではないかと思えてくる。

では覚醒した現実はどうかというと、夢や死と、それほど変わらないような気がする。
覚醒した現実を保証しているのは大脳による認識だが、認識がほんとうに自我の主体によって行われているかどうかには、常に、よく知られた、おおきな疑問がある。
自我は、自分が選択したふりをしているだけで、意識を欺すことによって、支配者を気取っているだけなのではないか?
たとえば思考ということを例にとれば、ほんとうに考えているのは与えられた言語の、いわば歴史性による自立運動であって、意識はそれを追認しているだけなのではないか。

だが肉体の感覚は、リアルである。
よく知られているように、視覚も聴覚もあざむくことは簡単で、世界の上下などは、被験者にVRデバイスを被せて、そのまま一週間も生活させれば、簡単に上と下は逆転する。
でも重力は?と問う人は事情に通じない人で、飛行機を操縦する人ならば、自分が見ているのは水平線だとして、空はほんとうに水平線の上にあるほうの領域なのか、ほんとうは自分は飛行機を裏返しにして飛ばしていて、海を空と錯覚しているのではないか、と混乱した経験を持つ人はざらにいる。
実際、航空機事故の理由のひとつになっている。

そうやって感覚の真実性そのものは、あてにはならないが、感覚のリアルはこの上もなく確かで、神が人間をうらやむ理由があるとすれば、神には感覚受容器が網羅された肉体がないことであるのは、簡単に想像がつく。

性の興奮や、愛する人の髪に触れるときめきや、肌と肌をあわせる恍惚を、神は持ちえない。
人間の肉体という、滅びやすい受容器を持たないからです。

30余年を生きてきたが、なんだか、ときどき退嬰的な気持ちになると、およそ人間が自分の一生に期待するようなことは、すべてやってしまった気持ちになる。
それはきみの想像力が足りないからだよ、という父親の声がすぐに聞こえてくるが、人間の一生には、ほんとうにやってみる価値などあるのだろうか?
ほんとうは、ただ肉体という受容器で、つかのま、この世界を感覚するために戻ってきているだけのことなのではないか。

いつもの疑問が、また夢のなかにさえやってきて、夢のなかの不眠をつくりだしている。

それとも、覚醒の生活と認識している時間のほうが、実は夢と定義しうる時間で、夢は覚醒した時間が把握できない秩序の時間が意識の流れになっている現実なのだろうか。

笑うかもしれないが、それがぼくの頭を占めるおおきな疑問で、つまり、大雑把に述べてしまえば、「自分はたしかに存在しているのか?」という疑問であって、同時に、きっと自分が死を迎えるまで、答えることが出来ない疑問なのではないかとおもっています。

それで、一向にかまわない、という気持ちはあるのだけれど

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2017年のサバイバルキット_3

モニさんは、「鉢木」という能楽な名前の日本料理屋でフランス人の友達とあうことになっていたので一緒に北鎌倉で降りた。
もう日が傾きかかっていたが、ひさしぶりに鎌倉まで歩いていきたかったし、約束の時間までは、まだだいぶん時間があったからです。

浄智寺の脇から、鎌倉の、特徴がある低い山に登っていける道があって、化粧坂(けわいざか)を通って、源氏山公園に出て、お化けが出るので有名な日野俊基の墓から道を降りて、佐助に出る。
佐助に出れば隧道を通って鎌倉の駅はすぐで、その鎌倉の駅の近くに用事があるのでした。

ハイキングコースの標識があるブッシュに入った瞬間に、ああ、鎌倉はいいなあ、と考えた。
町の空気が、一瞬で田舎の空気に変わって、昔は売春街として賑わったという化粧(けわい)坂をのぼりきったあとは、なんとなく、精霊たちが茂みのあちこちや、枝のうえから見詰めているのを肌で感じます。

昔は、鎌倉にいれば、東京では味わえないこの田舎の空気を吸いに、普通に舗道を歩けばあっというまに着いてしまう道を、例えば港南に行くのにも天園をのぼって、わざわざ岩から岩に飛び移るようなことをしながら、無駄な苦労をして、歩いていったりしたものだった。

鎌倉の自然は、例えば、わしガキの頃のトンブリッジウエルという町の自然に似ている。
野放図な、湖の岸辺に立って見渡すと、どこか知らない惑星に来たのでもあるような、人間を寄せ付けない美しさのニュージーランドの森林とは異なって、人間が何世紀にも渉って手を加えて、慈しんで、いわば人間の吐息がしみ込んだ自然で、天園にしても、源氏山にしても、腰掛けて空を眺めていると、過去の人間たちが、周りにぼおっと現れて、銘々、朝ご飯の仕度をしたり、立ち話に興じたり、夫婦で喧嘩をしたりしはじめそうな気がしてくる。

さっきの化粧坂にしても、13世紀にはすでに50万人を越えていたという鎌倉の稠密な人口のなかで、掘っ立て小屋のような家を林立させて、道を通り抜けるには袖をひく女の人達を避けねばならなくてたいへんだったのだという。

それが、いまは切り通しなどは、ただの自然に帰っている。

あるいは義理叔父とふたりで、横須賀線の終電で帰って来て、酔い覚ましに段葛の道を歩くと、満月の光で、何かがきらきらと光っている。
「細かい石英みたいなものがありますね」と口にすると、義理叔父が笑って、
「ああ、それはね、昔の侍の人骨なんだよ。この辺りは、ほら、この右手が官庁街にあたる武士屋敷が続いていてね、この段葛を挟んで、何度も何度も戦闘があって、葬ってもらえた者は良いが、置き捨てにされた者もいて、そういう死体が朽ち果てて、こんな細かい骨の欠片になってしまったのだよね」と言う。

歴史が何重にも堆積して、地に埋もれて、層をなして、この辺りで家を建てようとすると、ほとんど必ず遺構が出て、開発業者は大損をする、という話をずっと後で知った。

イギリスや日本では、そういうありかたで、自然もまた文明なので、自然にしか過ぎないと軽くみていると、いつのまにか、言語も習俗も染みついた、自国の文明に溺れこんでしまう。

放射能汚染を厭い、破綻寸前の財政に青ざめて、これはやはり外国に逃げなければダメなのではないかと悩んでいるきみの袖をつかんで放さないのは、案外と、この長い文明をもった歴史かも知れなくて、実際、外国に移住してしまえば、自国の呼吸のようなものからは、断ち切られてしまうことになる。

これから先の日本で生きていくには、まるで荒野を歩く人のように生きていかなければならないのは、ほぼ判っている。
自分の感覚と思考だけを頼りに、五官を研ぎ澄まして毎日を暮らせなければ、あっというまに、いま始まったばかりの、狂躁的で浅薄な文明崩壊に巻き込まれてしまうでしょう。

文明崩壊の大渦巻きに呑まれないで暮らそうとおもえば、大渦巻きのなかで自分の一生をコントロールできなければ自分を見失うことになるのは当たり前で、そのためには、なにかひとつ自分が拠ってたつ思考のよすががなければならないのは、ほぼ自明だと思います。

観念は役に立たない、ということを憶えておくと、良いのではないか。
読書家が殆どの場合、自分はなんでも知っていると思い込んでいるだけの愚か者なのは、たいていこれが理由で、観念には、観念と自分を結びつけるだけの切実さが欠けているということが判っていない。

では何が現実へのアンカーとして働いて、自分をつなぎ止めてくれるかというと、多くは生活のディテールで、それも些細な、二階堂の見栄えはパッとしない鮨屋が出前で運んでくる絶品の細巻きや、神田のまつやの、ご飯が江戸風にちょっと固いが、それさえ大目にみれば十分おいしい天丼や、あるいは神田食堂で、日式タリというか、トレイに並べた卵焼きや鮭や、明太子にひじきで、奮発して冷や奴までつけて、いそいそと席について、むふふ、と頬を緩めながら、箸を割ってとりかかる定食の、食べ物の楽しみでもいい、あるいはキッチン南海で色の黒いカレーを食べて、ついでにスヰート餃子で味噌汁と餃子を食べて、おもむろに東京堂書店の棚のあいだを徘徊する習慣でもいい、要するに自分に滋養を与える毎日の生活で、それが壊されない限り、社会は見限って、もうそんなもんは知らんわ、という態度で暮らせれば正常でいられて、此処も彼処も、どっちでも質の高さは同じであると述べるに足るだけの文明の実質を、まだまだ日本語世界は持っている。

ここまで書くと気が付く人もいるはずだが、例えばおなじ読書にしても、翻訳された本というものは、たいていの場合、害しか与えない。基盤になっている現実がないまま日本語に置き換えられた思想や感情は、空疎なエキゾチシズムに過ぎなくて、例えば日本語を十分に理解しているという前提でエラソーを述べれば、英語の「春の雪」は、正真正銘の駄作で、日本語の詩と俗の危うい境界を揺れながら辿るような、三島由紀夫の特長がなにも出ていない。
同じように、日本語でフォークナーを読んだところで、トランプを大統領にした、アメリカの血と肉が、感じられるわけはない。

そのくらいなら、いっそ居直って、日本語で思考された日本語の本しか読まないことにして、空間的に読書対象を広げるかわりに、どんどん時間を遡行して、イーブリン・ウォーの有名な逸話ではないが、「随分、古い日本語ですねえ」と言われて相好を崩すくらいになったほうが良いような気がする。

実際、耳袋などは誰が読んでも面白いし、今昔物語は日本語の弛緩ぶりがいまひとつでダメだが、同じ題材でも、例えば源俊頼の手にかかると、紫式部の弟の臨終の物語のような、素晴らしい一場の情景に居合わせることが出来ます。

日本昔話
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/04/30/dildo/

なんだか話が復古主義者のようになってしまった。

いろいろ言っているが、自分のほうが、異文化が大好きで、世界の表面をウロウロと歩いて、こっちの町に6ヶ月、あっちの町に3ヶ月と住んで、挙げ句のはては、やっぱり英語社会がいちばんいいのい、と呟いてモニに笑われたりしている、自分の姿が脳裏にうつって、やはり人によっては、どんなに住んでいる社会がボロボロになっても、生まれついた社会がいいのだろうか、という迷いが出ているだけなのかも知れません。

最後の冬、モニとふたりで低い空をみあげて、この国をこれほど好きだったのはなぜだろう、と考えたのをおぼえている。
他人に聞かれれば文学と答えることになるが、実はそれは理由の一部でしかないことは、自分ではよく知っている。

黙っていたけど癌で、やっと治ったんだよと言うので、会いに行ったら、見送りに駅まで行くよ、と述べて、断っているのについてきて、突然、おれも途中まで一緒に乗るよ、と言い出して、たったひと駅のために新橋までのグリーン券を買って、誰もいない終電のホームに降りて、観ると、病み上がりで、60歳をすぎたじーちゃんなのに、まるで健康な子供でもあるかのように電車が動き出したのにあわせて、走りながら手をふっていたKさんや、
ただの定食屋の持ち主と客にしか過ぎないのに、日本にやってきたので何年かぶりに訪ねていったら、カウンターの客が呆気にとられて、大笑いするなかを、キッチンから跳ね板をあげて飛び出してきて、 わしの胴体に細い両腕をまわして、「ガメちゃん、会いたかった! 元気だった? おばちゃん、あんたに会いたかったのよ。どうして手紙もくれないの? ダメじゃないの」と涙を流してまで大袈裟に再会の喜びを表してびっくりさせたおばちゃんや、感情過多と笑わば笑えで、泣いたり怒ったりばかりしている人達が、何世紀にもわたってつくってきた日本語の世界は、正面から見詰めれば、豊穣で、馥郁として、この世界に類稀なほど美しい言葉で、いくら考えても、これだけの美しい言語をもった文明が、そう簡単に、卑しさと放射能にまみれて滅んでよいわけはない。

どこに遊びに行くかモニとふたりで話していて、「日本は?」というので、もう絶対いかない、怖いもん、と答えたらモニが、なんだか謎めいた、可笑しくてたまらないとでもいうような顔をして笑っていた。

そう。
自分でも知っているのさ。

わしはまた、いつか、あの20世紀から一向に出てこない、国ごと座敷牢に入ってしまったような国を訪問するだろう。
どんどん進歩してゆく、この世界で、ひとつだけ、まるで生きることに興味をなくして立ち尽くしているかのように、立ち止まってしまった国。
自分の、すぐ後に窓があるのに、鏡を見つめて、自分の顔の向こうの景色を観ようとばかり努力している国。

日本という不思議な国を。
わしの奇妙なパラダイスを。

いつか、きっと。

(いまは、まだ怖くてダメだけど)

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2017年のサバイバルキット_2

あんまり東京が暑いので、もう少し涼しいところへ行こうと考えた。
いろいろ聞き合わせてみると、軽井沢という町がよさそうなので、出かけて探索することにしました。
鳥井原というところに、西洋式に駐車場が広い「つるや」というスーパーマーケットがあって、しめしめ、ここなら同類の外国人がいて、この町に住むのが良い考えかどうか聞いてみることが出来るだろう、と考えた。

店内に入って、誘拐する幼児を物色する目つきになって、歩いている人をスキャンする。

おっ。白いおばちゃんがおるな。
しめしめ。

話しかけてみると、「ここはパラダイスですよ!」とアメリカ人の訛りでいう。
ミッショナリの人で、日本の町にいくつか住んだが、こんなに住みやすい町はない。
このスーパーだって、駐車場が広いでしょう?
クルマで、あちこちでかけて、探さなくても店の前に駐車スペースがある。
夏は、人で大混雑でたいへんだけど、道の数がたくさんあるから、地理が判るようになれば渋滞につかまって難儀することもない。
絶対に薦められます。

そーかそーか、と考えて、軽井沢に昔から別荘をもつおっちゃんとおばちゃんの友達に全面的に家探しを依存して、夏のあいだ、こっそりやってきて、「あー東京はあちかった」をする家を買い求めた。

住んでみると、あんまり涼しくもなくて、日中はちゃんと30℃を越えたりして、これでほんまに避暑地ですかあ、コモ湖のほうがまだ涼しいのお、と考えたりしたが、この「夏の家」の購入には予想もしなかった「おまけ」がついてきて、おまけのほうが本商品の夏の家よりもゴージャスで、それが「日本の田舎」でした。

軽井沢自体は東京の飛び地のようなところで、退屈、というと怒られるが、東京の巣鴨あたりな感じの生活で、面白いことは何もない。
現に、軽井沢でいちばんおいしい天ぷら屋は万喜という店で、家の掃除にくるおばちゃんに、万喜の天丼を買ってきてくれるように頼むと、
「え?また天丼食べるんですか?ガメちゃんて、天丼男ですね」とか、
頭が揚げ物の怪人のような言われかたをしたりしていたが、うまいものは仕方がない。
話がそれたが、この天ぷら屋は、中目黒の店で、夏になると東京の店を閉めて、軽井沢にやってくるという愉快なひとびとで、この天ぷら屋に限らず、東京の店が多くて、わしが夏の家を買ったときは、もう存在しなかったが、その昔は紀伊國屋スーパーまであったそうでした。

鹿島の森ホテルというホテルの前から、ゴルフ場の脇へ折れて、離山(はなれやま)の森のなかをクルマで上がってゆく。
くにゃくにゃくにゃと曲がりながら、とんぼの湯という銭湯風な温泉の脇へ出ます。
まっすぐいくと嬬恋村という、チョーよい名前の、森が深い、広大なキャベツ畑がある村に出る国道を横切って、ややクランクっぽくなっている道に入っていくと、1000m道路で、いまなら、まっすぐ行くと、ビル・ゲーツの、学校よか大きな、アホなサイズの家がある。

ウインドーズで、世界のオフィスを下品にしてボロ儲けをこいたおっちゃんの家をすぎて、ますます真っ直ぐに行くと、満州開拓団がやっとここで定着した大日向で、それをまたずんずん行くと、追分で御代田で、…と続いている。

モニとわしは、あの道をいったい何回通っただろう?
わしは生来ボログルマが好きで、軽井沢でも、必要なことがあるのでやむをえずピッカピカのクルマを、東京から乗ってきたのとは別に一台おいてあったが、普段乗るのは歴戦の勇者というか、買ったときにそもそも8万キロ走っていた4WDで、サードギアに入れられるのがわししかいなかったので、森のなかのフランス料理屋とかで酔っ払って代行サービスを頼むと、ストールして、「すみません、このクルマのサードギア、どうやったら入るんですか?」と泣きつかれて、代行サービスのおにーさんを助手席に移らせて、自分で運転して帰ったりしていた。

サードギアが入らないくらいで泣き言を言うのでは、わしガールフレンドは務まらない。
代行サービスに来てガールフレンドにされては、たまらないが、そういう意味ではなくて、かつては、デートにやってくると、オカネモチの倅だと聞いていたのに、やたらボロいモーリスマイナーで現れて、いまにも襲いかかりそうな顔でニタニタしながら運転しているうちに、「あっ、やばい、ブレーキが利かない」と言い出して、信号のたびにパーキングブレーキを、ぐわっと引いてクルマを止めていたりして、「今度、あのクルマでやってきたら、マーシュランドの沼に捨てて帰ってくる」と言われたりしていた、強い人で、ことほどさように、ボロクルマが好きで、菅平の下り坂でクルマが減速できなくなってモニさんが悲鳴をあげたりしていたが、ははは、田舎めぐりほど楽しい遊びは、日本では存在しなかった。

国道18号線沿道の汚さはイタリアのラチオよりも酷くて、錆び付いた「ラブホテル」の看板や、半分倒壊しかけている倒産したパチンコ屋や、なんだかよく判らないクルマのスクラップやタイヤや家具が積み上げてあるゴミの山が、あちこちにある。

ところが国道から折れて狭い細い道へ入ってゆくと、これはまたびっくりするような美しさで、人間が金銭欲に駆られてゴミの山を積み上げるまでは、いったいどのくらい美しい国土だったのだろう、とよく考えた。

丸子町や御牧村、東部町、立科、浅科、佐久穂、別所、美しい田舎は軽井沢から近いところでもたくさんあったが、なかでも素晴らしかったのは広大な「名前がついていない森」や「名前がついていない野原」で、多分、名前がついていないせいでガイドブックにも載らないからでしょう、クルマから降りて、辺りを見渡して、モニさんと感嘆の声を挙げることがよくあった。

それまでは日本が美しい国だとおもったことは一度もなかったが、そのとき初めて、なるほど19世紀の母国のおっちゃんや、やたら文字を書くのが好きだったデンマークの水兵や、イザベラ・バードのおばちゃんは、こういう景色を観て「美しい国」と述べたのだな、と得心しました。

なにを長々と書いているの?
あんた、サバイバルキットの続きを書いているんじゃないの?
と言われるはずで、当然だが、なにを述べているのかというと、このあいだ述べたように「よそもの」として田舎にやってきて、ほんとは日本人だけどガイジンみたいにして暮らしているニセガイジンとして、暮らしてゆくのは、よい考えなのではないかと書こうとしている。

大雑把な人は大雑把で、日本に住んでいてはダメだと述べて、自分が住んでいるニューヨークじゃないとダメだとかメルボルンはいいよおーと述べて、それはたしかに本当なのだけれども、仔細にみれば日本も住めなくはない。
それも単に住めなくはないだけではなくて、外国に住むのと相応な、あるいは、外国に住んでも不思議なくらい一向に英語が身につかなくて、20年くらいアメリカに住んでいて、旦那さんもアメリカ人なのに、ちょっと話しているだけでも「単語を拾って話している」だけなのが判って、日本の人にとっては、なんらかの理由で、英語を身に付けるのがこんなにたいへんなのか、と、まさか口に出しては言わないが、心のなかで思ったりする。
言語などは、よく例に出すコンラッドを初めとしておとなになってから英語をベンキョーしはじめて名文家として知られた人などはいくらもいて、
母語人よりも上手になったりするのは、それほど大変なはずはないが、日本人はなぜかダメで、そういう苦労を差し引いても外国に移住してよかったという人はいくらでもいるはずだが、差し引いてしまうとマイナスで、こんなことなら日本にいたほうがよかったと考えて舞い戻ってしまう人も、また、たくさんいる。

福島事故が撒き散らして、その後は、なんだかこうやって考えていてもぶっくらこいてしまうが、政府が積極的に全国に向かって散布した放射性物質を怖がるのは、ただのまともな反応にしかすぎないが、

例えば長野県ならば汚染は千曲川の東岸で止まっている。
もっと大事なことは、長野県の人は昔から「千曲の東でりんごを食うな」というくらいで、りんごひとつとっても千曲川の西へクルマで買いに行く人が多い。

これが重要なことなのはなぜかというと、そういう偏見が土地に長くある場合、伝統的な流通がそこで切れているからで、たまたま汚染されていないまま千曲川の西が残ったのと相俟って、千曲川の西に越して農家や牧場の直販品を食べて暮らせば、汚染された食べ物を食べる確率はぐっと小さいものになります。

金沢や富山の人は自分たちの食べ物のおいしさに誇りをもっていて、その結果、流通のサークルがひどく小さいもので、遠くはせいぜい京都になっている。
もちろんスーパーマーケットは、そんなことはなくて、全国から食べ物が来ているが、それでも、伝統的な流通のせいで、金沢周辺の、地元のものが多いように見えました。

要は自分の生活なのだから、社会問題として捉えないで、自分が生き延びる方法を考えることに集中して、個人の立場から生活を組み立てていけば、あるいは北朝鮮とアメリカの戦争に巻き込まれても、北朝鮮という国がまともな通常兵力を持たないこともあって、案外と普通の生活を楽しんでいけるかもしれない。

次の回では、一歩進んで、日本でしか出来ない楽しみを並べて、外国に移住したくない/できない人たちと一緒に、問題だらけの日本の生活を、いまの慢性症状がついに劇性に変わったあとでも、楽しんで、いえーいな生活をすることを考えたいと思っています。

社会なんて脆いものだが、個人としての人間はしぶとい。
社会がダメになって個人の生活も一緒にダメになるのは、要するに全体主義的なものの考え方をしているからで、個人主義の強さは、社会が破綻したときこそ発揮されるのだということを、一緒に考えたいと思います。

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2017年のサバイバルキット_1

あちこちでテロの爆弾事件が起きて、ショッピングセンターで逃げ惑うひとびとに向かって半自動小銃を撃ちまくる白い男がいて、ほんとはやはり隣国は核ミサイルを撃ちこもうとしているのではないかと、不安な眼差しで空を見上げている人がいる。

ウサマ・ビン・ラディンはアメリカ人と一緒に肩を並べてアフガニスタンで戦う戦士だったが、いざ苦しかった聖戦が終わって、故郷のサウディアラビアに帰ってみると、イスラム人の口からは「傍若無人」としか呼びえない米兵たちの振る舞いに次第に怒りを募らせていった。
ニカブの女たちを指さして手真似で嘲笑して野卑な言葉をなげかけるGIや、イスラムの神にかけらも敬意をみせない米兵達に苛立ったからです。

ある日、ウサマ・ビン・ラディンが通りに立っていると、目の前でアメリカ軍の女兵士が着替えはじめた。
木陰に立って、さっさとTシャツを脱いでブラひとつの姿になって、着替えている。
ビン・ラディンがアメリカを滅ぼすべきだと心に決めたのは、このときだといいます。
なんでも検証好きの日本の人のためにいうと、わしはこんな経緯は勉強したことはなくて、子供のとき、朝のテレビで観たことを受け売りに述べているだけなので、信用できないが、少なくとも英語人に流布された物語では、そういうことになっている。

カネモチのドラ息子の特徴は、突拍子もないことを頭のなかだけでこね回して作り上げて、その計画を現実に実行した場合の現実の地獄絵に対しては一片の想像力ももたないことだが、ウサマ・ビン・ラディンも、その通りの人で、霧がたちこめた朝、ニューアークに着陸しようとしてエンパイアステートビルに激突して危うくビルを崩壊させかけた有名な事故が頭のどこかに残っていたのでしょう、旅客機をハイジャックして、世界貿易センターに突っ込ませると、思いがけない爆発を得て、ふたつのビルは完全に崩壊してしまった。

ベルギー人友は、9月11日は良く晴れたので、テラスで洗濯を、と考えて、テーブルにワインとグラスを並べて、あの生活を楽しむのが得意な人のいつものことで、手作りのサンドイッチも並べて、爽快な午後を楽しもうとしていたところに、視界の横の低空を、旅客機が横切っていった。
飛行機がつっこむと炎を黒煙があがって、これは大変なことになったと思ってテレビをつけたら、二機目が突っ込んでいった。

自分で気が付かないうちに、みるみる涙が両目にあふれてきて、何が起きたのが判らないが、何が起こったにせよ、この数年続いた平穏な幸福は終わったのだと悟ったといいます。

もっと大袈裟にいうと、アメリカの幸福は終わったと感じていた。

実際、この記事を書いている2017年までの時点では、アメリカは、この事件のショックから立ち直ることはなかった。
ちょうど日本の歴史でいえば福島第一発電所の事故のようなインパクトで、アメリカ人たちは怒り、悲しみ、なにごとかと戦おうといきりたったが、自分の「敵」が正当な戦場に軍隊として姿をあらわすことはなかった。
行き場のない怒りは、ニューヨーカーを駆りたてて、イスラム人が経営するお土産家電店につかつかと入っていって大声で中東人を罵倒したり、イスラム人を町でみかけると、すれちがいざまに「自分の国に帰れ」と言わせたりした。

欧州人は、むかしから、テロというようなものにはなれている。
そのころはまだフランスに向かう新規開業のユーロスターがウォータールーステーションから出ていたので1994年のことではないかとおもうが、親の目を逃れてこっそり買ったマクドナルドハンバーガーの空き袋を捨てようと考えたら、ゴミ箱というゴミ箱が封印されていて、閉口したことをおぼえている。
当時はIRAの爆弾事件が続いていたころで、内緒だがアイルランド人贔屓だったぼくは、複雑な気持ちになっていた。

憂鬱な気持ちのままユーロスターに乗って、出された折角の鱈にも食欲がわかなくて、様子を見に来たウエイターが、ひどく落胆した顔になって「お気に召しませんでしたか」と述べたことまで鮮明におぼえているが、そうやって「なれる」ことは本当にはなくても、生活の一部にはなっていたわけです。

こうやって書いてみると異常なことで、30代前半である自分の世代の人間にとっては、例えばUK人であるならば、テロは日常に組み込まれたリスクで、突拍子もないことに、チェンマイでガイドの、待っているときにはいつでも日本の漫画を鞄から取りだして読んでいたガイドの若い男の人に「タイ人はどうやってデング熱を防ぐのか?」と聞いたら、「それは生きるのに必要なリスクですから」と答えられて、ややたじろいだが、そのときに、自分の頭が理解するために努力したのでしょう、脳裏を掠めたのはロンドンのテロのことだった。

英語ではconsequencesという。
自分が何事かをおこなって、その結果の必然として一連の反応が自分に跳ね返ってくることで、日本語だと応報だろうか。
なんだか、ちょっと違うような気がするので英語のままconsequencesというが、21世紀も、17年も経ったいまの世界は、過去の出来事のconsequencesのなかで生きているので、子供のとき、ロンドンのあちこちで爆弾が爆発したのは、クソッタレのクロムウエルがアイルランド人から徹底的に収奪して、ついにはレンガを食べなければならないほどの困窮にアイルランド人たちを追い込んだ歴史の結果であるし、911は、アメリカ人の伝統的な他文明への鈍感さの結果であるに過ぎないとも言える。

日本の都市が北朝鮮の核で焼かれるセットコースに入ったまま、刻一刻と核という広島・長崎以来の文字通りの地獄の業火に向かって進んでいるのは、実に、戦前の日本という歪んだ文明が北朝鮮に残してきた政治・社会的なDNAが、朝鮮人が儒教のときもみせた情緒的な徹底性によって尖鋭化した反応を生みだした結果で、日本はまさに自分が生みだした子供によって、焼き殺されようとしている母親に似ている。

どうすればいいか。
ひとつだけ、日本の人がいちばん考えるのが苦手な社会がおこなってきたことのconsequencesのなかに立たされた個人にとって、サバイバルとして行いうることは、「自分の社会についていかない」という方法以外にはありえない。

1923年の関東大震災のときに人の群れの判断に頼って被服廠跡に向かった人は他の38000人のひとびとと共に炎に焼かれて命をなくすことになった。
例えば日本人ならば、それが思い出すべき教訓で、世界がturmoilのなかにあるときに生きてゆく秘訣は、秘訣はヘンだが、要諦は、他人についていかずに自分の頭で考えて、懸命に計算して、そういう言い方が判りやすければ打算して、でもよい。
いまの時点で、自分はあそこにいなければならない、という地点めざして歩いていくことです。

日本語ネットで出会った、ユニーク(←英語の意味)な知性のタメジロウは誤解している。
若い人に海外への移住をすすめることが多いのは、平均的な日本人の条件ならば海外に出た方が個人として「生き延びられる確率が高い」と思われるからで、いつかこっそり述べたように、自分が日本人ならば、案外、海外移住などは環境が変わりすぎて賭博なので、日本のどこか、ラーメンがおいしいところかどこかを選んで、ひねくれた顔のまま、ヘムッと口を結んで住み着くのではなかろーか。
その場合はぼくは、地元のコミュニティに対しては一顧だにしないだろう。
朝のパンを買いに行ったパン屋の若い女の子に、自分のアカデミックな背景を洩らしたりして、卑怯に及んで、自分の生活を守る障壁をつくるくらいはやりかねない。

日本の諸自治体は面白くて、「海岸性から遠ければ遠いほど平穏である」という特徴を有する。
例えば軽井沢の近くには佐久平という町があったが、この佐久という町は、日本でいちばん日照が多いのと災害が一度もないのとで有名で、地震もなければ、台風すらきたことがない。
なんだか日本の町ではないようなところで、そういう軽口を利いてはいけないが、天日干しの米作と、かつては突出してすぐれていた臨床医療のレベルのほかは、なにもない地域に北朝鮮のミサイルが降ってくるのは、想像のゲームとしても難しい。

日本を、さまざまな理由で出られない人も、まだ諦めることはない。日本に住んで日本人をやめて暮らすことが出来るのは、日本社会で「ガイジン」であった、ぼくはよく知っている。

ガイジンになっちゃえばいいんですよ。
村八分というが、村五分くらいで暮らすのは、現代の日本では十分に可能であるとおもわれる。

日本の、社会としての荊の道は、まだ続くとおもっている。
日本の社会の常で、日本の国としての立場が悪くなればなるほど、社会にも悪意が充満して、魂が呼吸することが難しくなってゆく。
でも、日本に居残ったまま生きていく方法は、あきらめなければ、まだまだあると思います。

義理叔父は感傷的、情緒的なところが少ない珍しい日本人だが、2011年のJFKで、成田行きの飛行機の搭乗を待っていたら、白い家族の子が義理叔父に向かって、まるで神様から直接教わったような鮮やかな発音の日本語で、
「がんばれ、ニッポン!」と叫んで、どうにも、カッコワルイことに涙が流れて止まらなかったと述べていた。

がんばれ日本人。
がんばれ、ニッポン

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