北極星2型

少なくとも北極星2型のほうはアメリカや日本を挑発しているのではなくて単純に量産型のミサイルに必要なテストを行っているにしかすぎないように見えます。

ツイッタで書いたとおり

で現状の北朝鮮の国力で量産できるミサイルのデザインはほとんどこれしかないというデザインに沿って、少数部品、安価、高確実性・安定性のミサイルを設計して必要な諸条件をついにクリアしてしまった。

その最終点検が5月21日の打ち上げということでしょう。

北朝鮮の北極星2型は裾野のない北朝鮮技術世界のなかで、ちょうど日本の零戦のように、ビンボな国家財政、低い工作力、歪な材料工学、…というような拾いあげられるものが少ない社会のなかで、拾えるだけのものを拾って傑作兵器をつくりあげるという快挙が生んだミサイルだと言ってもよいとおもう。

作った人は、マストドンで教えてくれた人がいて、キムジョンシクという人だそうでした。
教えてもらった名前を頼りに日本語検索をかけてみると、

なんだか、よくわからないセレブサイトみたいなサイトに記事が出ている。

http://yuumeijin-shokai.com/kimu-jon-shiku-2295

零戦の時代の日本の工業力がどのくらいお粗末なものだったかというと、高速で回転する金属をちゃんと受け止められるベアリングがもうつくれなかった。
当時、最も高いベアリング技術を持っていたのは同盟国であるナチのドイツだったが、教えてもらえなかったのでしょう、日本はベアリングの歩留まりが悪いので有名な国で、QC自体を職人芸に頼っていたので、職人たちが徴兵されてゆくと、女子学生たちが作ったエンジンがどんどん焼き付いて、使いものにならない航空エンジンが量産されることになっていった。

堀越二郎技師の最も偉いところは、日本の工業技術を見渡して、最も「使える」部分を組み合わせて零戦を作って行ったところで、いまから振り返る人は「当たり前じゃないか」と言うかもしれないが、例えば液冷式は当初から一顧だにしなかった。

自社製の金星エンジンよりも中島飛行機製の栄エンジンの採用を強く主張したことでも判るとおり、自社のエンジンラインアップに液冷がなかったからではなくて、
日本の工作技術の程度の低さを熟知していた堀越技師は構造が複雑で部品点数が多く、一個の不良部品が全体のエンジントラブルを引き起こしやすい液冷エンジンを採用するわけにはいかなかった。

ドイツ系の技術は、いまでもそうだが、技師が実現しようとする高いレベルの性能に到達するために、極めて複雑なシステムをデザインしてしまう、という欠点を持っている。
ポルシェがつくった超重戦車マウス

https://en.wikipedia.org/wiki/Panzer_VIII_Maus

を典型とするような理屈もあっているし、実現も可能ではあるが、
「ほんとにこれをつくるんでしか?」と言いたくなるような、迷宮的なシステムを実用化しようとする傾向があります。

この傾向の延長上にあるナチ・ドイツの技術的な傑作がMe262ジェット戦闘機

https://en.wikipedia.org/wiki/Messerschmitt_Me_262

とV2ミサイル

https://en.wikipedia.org/wiki/V-2_rocket

で、このふたつの兵器は、簡単に言って連合軍側の度肝をぬいた。
エンジニアたちが、ただただぶっくらこいて、ほんとにそんなものつくっちゃったのか、と言い合う体のものでした。

あるいは、三式戦闘機飛燕に搭載されたエンジン、ハ40は、最初期型メッサーシュミットBf109E型に搭載された比較的構造が簡単な千馬力級液冷式エンジンのデッドコピーだったが、当時の日本の技術では丸写しのマネッコ生産すら難しくてエンジンが止まって石のように落下する飛燕が続出した。
空冷式に較べると液冷式は遙かに戦闘機に向いていて、同じ出力のエンジンなら正面面積が20%減少して、CD値が小さい機体デザインをも可能にする結果、だいたい最低でも6%は速度が速かった。

水平速度が速い戦闘機が好きだった堀越技師は、だから、液冷式の飛行機がつくりたかったでしょうが、それでもエンジンは空冷と初めから決めていたのは、そのせいです。

その結果うまれた傑作機零戦は、なによりも手間はかかるが工作が簡単だという長所を持っていた。
「手間がかかる=生産効率が悪い」ことと「工作が簡単」なことは相反する性質ではないかと思う人がいそうだが、零戦は、相当に精度が悪い工作でも額面通りの性能が発揮できる、いわばAK47のような兵器であったことに特徴があって、ゆるい、許容度のおおきい設計は、連合軍の爆撃で徹底的に破壊された飛行場のあちこちから部品を集めてきて、整備兵たちの手で、数機の零戦が完成してしまうほど、おおらかな戦闘機だった。

いつか軍ヲタ中国系人たちと話していたら、「ガメ、知っているか?日本人たちが鼻にかけている零戦なんて、バルサの模型みたいなもので、急角度で突っ込んで引き起こそうとすると、操縦桿が利かなくなるは、空中分解を起こすわ、だし、第一操縦席の背板にすら装甲板が付いていない、性能をあげたいだけの見栄の固まりのような飛行機だった!
日本人の見栄っ張りで、現実にはたいしたことがない国民性がよく出ていると思わないか?」と述べていたが、この人達の後知恵は公平だとは言えなくて、零戦が進空した1939年の時点では世界の過半の戦闘機は防御鋼板を持っていなかった。
零戦がまるでマッチに火をつけるように被弾するたびに炎に包まれたのは、どちらかといえば洋上を飛ぶ長大な航続距離を実現するための大きな翼内タンクによるもので、戦闘機の背面が敵に露出したときに最も被弾しやすい場所にタンクが広がっていたのは、やむをえない理由によっている。
実際、映画で観るのとは異なって、「機体を引き起こして逃げる」のはタブーなので、空戦記を観てもパニクってさえいなければ浅角度ダイブか横旋回で逃げていたようです。

義理叔父の祖父なる人は、戦時中は海軍の高級将校で、零戦も馴染みがある飛行機のひとつだったようだが、義理叔父によく、
「いい飛行機だが、日本の工作精度はひどくて、離陸する零戦がよく増槽タンクと胴体のあいだから、隙間から洩れる燃料の白い線をひいていたよ」と笑っていたそうでした。

液体燃料エンジンのミサイルは、工作がたいへんで、裾野が広い工業技術力が必要なのは常識であるとおもう。

キムジョンシクという名の人なのかどうか、ちょうど戦前の日本でいえば堀越二郎にあたる北朝鮮の天才技師は、堀越二郎とおなじ天才技師のセンスで固体燃料でないと金正恩がめざす「安定して飛行するミサイルの大量生産」などは夢のまた夢であると考えたのでしょう。

ツイッタやマストドンでも北朝鮮のミサイル技術が他国の技術の寄せ集めだと述べる人が多かったが、わしは、そうおもわない。
他国の技術は、ちょうど堀越技師がそうしたように集めるだけ集めて参考にしたようにしか見えません。
北極星2型は、わし頭のなかでは零戦と相似形をなして対称をつくっている。
スペックを聴いただけで傑作とわかるというと笑われてしまうでしょうが、もともと発明という大時代なもので初めの財をなした、わしの技術心に訴えるところがある。

センスがええんでないかい?
と思わせる。

金正恩はもとより個人主義や自由主義の側からいえば敵でしかない全体主義に立つ独裁者だが、拠って立つ観点を変えれば、アメリカや日本という戦争をしたくてたまらない、好戦に狂った軍事大国の恫喝と挑発に晒された小国の、経験もない指導者であるわけで、核を捨てれば国として考えてやってもいいど、とアメリカや中国や日本が述べるたびに、ではあんたらを信じて核計画を放棄したリビアやイラクはどうなったというのか?と問い返したい気持ちでいっぱいでしょう。

わしが考えても、北朝鮮が核開発計画を放棄すれば、いまの体制はあっというまに解体されて、金正恩は、よくてウサマビンラディンと同じ運命、悪くすればベニト・ムッソリーニのように、逆さづりになって革命広場で死体が狼藉される運命にあるとしか思えない。

北朝鮮が編み出した戦争上の奇策は、つまり「これまでタブーとされた核兵器の使用を前提とすることによってビンボ国にアメリカ・中国・日本の軍事超大国と同じ戦力を獲得させる」ということで、いったん北極星2号が量産ラインに載れば、一朝時には、あたかも通常弾頭スカッドのように核弾頭の中距離ミサイルを日本に向かって撃ちまくるだろうとアメリカのアジア軍事専門家たちも予測している。

トランプの登場で、ちょっと怪しくなってしまったが、在日米軍を叩くという建前で日本に向かって核ミサイルを撃ちまくっても、アメリカはなお通常兵器で報復するだろうという、中国絡みの推量があってのことです。

以前に「日本は戦域化した」と書いたが、どうやらキムジョンシクという人であるらしい北朝鮮の天才技師が完成した素晴らしい安定度のミサイルによって、現実の開戦も近くなってしまったような気がして仕方がない。

日本が開戦に踏み切ったのは、仔細に観てゆくと、軍指導者の蒙昧に加えて、零戦が望外の性能を発揮して、殆ど無敵だったことが、案外とおおきな原因であったことが見てとれます。
「零戦があればやれる」と日本の指導者たちは開戦前・戦争中を通じて何度口にしたかしれない。

アメリカが制裁の手を強めて、日本の対外資産凍結、石油禁輸という、アメリカのほうから観れば「制裁強化」という魂のこもらない政治術語で語られる施策に踏み切ったとき、アメリカの想像力を遙かに越えて、日本の指導部は、「もうここまでだ。こうなれば機動部隊と零戦に賭けて太平洋侵攻を企図するしかない」と思い詰めていったのでした。

今日、日本語ニュースを読んでいたら岸田外相が日本の独自制裁強化として資産凍結や中国に働きかけての石油禁輸可能性について述べていた。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017052100244&g=prk

「歴史は繰り返さない」と、わしはガッコで習ったが、歴史はときどき繰り返しているように見えることはあるよね、と、そっと呟いてみるのでした。

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Lloyd Geering

「言葉も進化してきたのだ」と言う。
「言葉が進化したことによって、神も進化してきたということができる」
「人間の言葉はつまり神の言葉だからね。言葉が進化すると、神も進化する」
と話していて、聴いていると、まるで大庭亀夫の茶飲み話を聴いているようです。

今年99歳になったLloyd Geeringは believe in という表現を例に挙げて、自分が子供の頃 は、I believe in the devilということは出来なかったが、昨今の英語では言いうるようになった、と述べて、その用例変化をもとに、巧妙な宗教論を展開している。

日本では、神や悪魔について述べている人を発見すると、「まず神の存在を信じるような中二病をなおせよwww」と悪態をついて嘲笑するおじさんたちがイナゴのように湧いてくることになっていて、わしも何度も被害にあっている。

(英語世界が、この手の、日本語人の世界を覆っている、程度の悪い、なんとも名状しがたいくだらなさから自由であるのを感謝する)

この人達が理解していないのは、自分たちの使っている 近代日本語が、西洋語の模倣によって組み直した言語にしかすぎなくて、もともとの神を前提としていないですんでいた日本語とは異なっていて、神という概念を検討しないまま言語を使っていると、真理性のない堂々巡りに満ちた、洞窟のなかの木霊のような言語に解体されるほかに運命がないということで、そういう事情は、飛行機が飛行できる原理をしらなくてもビジネスクラスチケットを買って太平洋を飛び越えたり、征服者に投げ与えられた民主制を民主主義と改名して、まったく原理を理解しないまま訓詁的に制度を運用して、「選挙があるのだから通りにでて叫ぶような非民主的なことをすべきでない」というような抱腹絶倒な珍説をおおまじめに述べる人がでたりする事情と似ている。
もしかすると、中空にかかる月がなぜ地上に向かって落ちてこないかを説明できないのに月を眺めていても心に騒擾を感じない人とも似ているかもしれません。

言語の成立自体が神の絶対性を前提としているのに神の存在を迷妄だと嘲笑するのはバカげているだけではなくて致命的な理屈のうえでの矛盾であることが判らないとのは、考えてみると、息をのむような愚かさで、そのくらい愚かであると、「えええー?神を仮定しないと言語はばらけちゃうんですか?じゃあ、神様の存在を便宜上仮定するしかないですね」というようなことすら言い出しかねない。

同様に、「日本は八百万の神で…」という人も、いつもたくさん登場するが、やおよろずであれば、それは神ではなくて精霊にしかすぎない。
神の絶対性は「神は論理のなかの、ここにいる」と指させないことと同様に、ゆいいつであることによって保障されているからで、こういうと「それは西洋の神に限られた話で」と脳天気な言い逃れをする人が必ず出てくるのも日本語の特徴だが、
その言い逃れを成就させるためには、基本的に西洋文脈の翻訳語である現代日本語を全部ぶち捨てて、まったく新しい、復古的な日本語を明治以前にもどって再構築するのでなければ、言語としてつかいものにならなくて、現に、その神を前提とした言語を神を否定しながら使うことによって生じている現代日本語の頽廃は、まさに無理な前提を無視するケーハクによって生じている。

ロジャー・ベーコンが「危険思想家」であったのは、スコラ的な文脈の迷妄に陥っていた欧州の頑迷さのせいだけではない。

ロジャー・ベーコンがフランシスコ会に断罪されたのは、当時の経緯を読めばわかるが、スコラ的な真実性の保証のなかで言語を使用していた中世人たちが、ほとんど本能的に言語の真実性が危機に瀕することを見てとったからだった。
当時は現実の観察にもとづく帰納的な結論のだしかたは、すべからくアラブ的な考えとみなされたので、ロジャー・ベーコンが着た汚名は「アラブ的な考えの持ち主」だったが、人間の意識そのものである言葉よりも、肉体の諸感覚、特に目に信頼をおくアラブ的な先進思考を忌んだ中世人の思想には、現実は相対的な真実にしかすぎないという強い信念が感じられる。

1945年8月7日、ニュージーランドのド田舎、ワイタキの日用雑貨品店に買い物に行ったLloyd Geeringじーちゃんは、顔見知りの店のおやじが、なんだかえらい勢いで怒っているので、ぶっくらこいてしまう。

「なんの罪もなく、無力なヒロシマ人を原爆で殺すなんて、いったいアメリカ人はどういう了簡なんだ! あいつらは悪魔か! あれでも人間か!!」と言って、すさまじい怒りかただったそうで、Lloyd Geeringは、「あとにも先にもあんなに怒っている人間というものを見たことがない」と述べる。

Geeringの観察は、ここでも卓抜で、ふだんは町のひとびとと日本人がアジア各地や捕虜収容所で繰り広げる、正に「悪魔的」な所業について憤慨しあっている、初等教育しか受けていない店のおやじを原爆を人間が蝟集する都市に落とすことを決定したアメリカの為政者に対するfuryに駆りたてたものが、真実性に裏打ちされた言語にほかならなくて、その言語の真実性を保証しているものが神の絶対性であることを巧妙に語り尽くしてゆく。

ここまで読んできて、気がついた人も多いとおもうが、実はGeeringは日本語世界から完全に欠落していて、その欠落ゆえに日本語全体が瘴気に冒されることになった言語への認識を、ひとりで体現しているようなところがある。

日本語をここまで腐らせてしまったのは、日本人が戦後、ごくごく気楽に実行してしまった「言及することができない絶対=神」の否定にほかならないが、なぜ絶対を否定すると、言語自体が病んでゆくのかをGeeringほど明快に説明できる人はいない。

今晩は、欧州やアメリカからやってきた友達たちとチョー酔っ払って帰ってきたので、これから説明にとりかかるようなめんどくさいことはしないが、いつか、日本語人の友達たちと、というのはつまりこれを読んでいるひとびとと議論ができることを願っています。

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Why me?

アオテアスクエアを横切って、きみに会いに行くんだよ。
モニさんと一緒にね。
なにもかもがデタラメだったマンハッタン時代の話をしに。

きみはあの頃、コカインのパイプが床に転がっているイーストビレッジの部屋で、
新しいものはもう古いのだと訳の判らないことをつぶやきながらシェークスピアに読み耽っていた。

おぼえているかい?
きみは、シェークスピアを「読んで」いたんだぜ。
ぼくは後にも先にも、あんなヘンな読書の習慣を持った人間を見たことはない。

きみは、あの頃コカイン代を稼がねばならない焦慮に駆られて一心に原稿を書いていた。
ときどきコカインがさめて、正気に返ると、電話をかけてきて、あのウクライナ人たちのカフェで会って、夜が白んでくるまでブンガクの話をした。
五月は友達たちが集まる月で、アイルランド人のMもオークランドに来ているのさ。
昨日は酔っ払ってテラスから花火を打ち上げていたって。

警察から電話がかかってきて、
「ガメ、この人、頭がおかしいのかもしれないけど、きみの知り合いだっていうんだよ。
きみに電話をかけない場合は、国際外交問題に発展するぞ、と荒唐無稽なことをいうんだけど、驚いたことにきみの電話番号を知っていたものだから…」

アオテアスクエアを横切って、きみに会いに行くんだよ。
モニさんと一緒にね。
Mとも落ち合って、Mが得意な、Mがいたダブリンの精神病院のいかれた話を聞こうよ。
昨晩はMはわざわざロンドンに電話をかけて、

ガメがタコ焼きという食べ物がおいしいと主張するので、食べてみたら、死ぬほどまずい食べ物で、おまけにほんとうにタコが入っていて、わたしの魂は穢れてしまった、と述べていたって。

もう、みんな30歳をすぎているのに、中空に浮遊するもののけのように生きていて、足が地につかない。
なんだかマジメな顔をして戸口に立っているけど、よく見ると、足下が地面から30センチくらい浮いているんだよ。

ぼくの友達は、十代の頃から、そんな人間ばかりだったような気がする。

アオテアスクエアを横切って、きみに会いに行くんだよ。
モニさんも一緒にね。

Pが死んだときには、ロンドンからニューヨークからダブリンから、もののけたちが集まってきて、ぼくたちのなかでは誰よりも人間らしかったPを悼んだ。
Pは珍しくたくさん入ってきたオカネに浮かれて、特級品のヘロインを買ってきたのはいいが、あいつ、高価なヘロインは純度が高くて、いつもの半分以下の量にしなければ致死量になってしまうのを忘れていたらしい。

太陽がのぼるころには、Pはロサンジェルスのホテルの部屋で冷たくなっていた。

なんの努力もなくPの人間とはおもえないくらい美しい肉体が(苦もなく)維持されていたのは、おどろくべきことだとおもわないか。
生命が失われれば、あっというまに腐った肉になって、うみ崩れて、形を失うあの肉体は、Pが生きているあいだは、薔薇色の頬と、輝く金髪と、透きとおってゆく冬の北欧の空のように灰色の眼をもっていた。

きみが気に入ったと述べていたマレーシア料理屋は、言うと怒るかもだけど、あれ、チェーン店なんだぜ。
オーストラリアなんかにもたくさんあって、若い人たちに人気がある店なんだよ。

「あなたはヒアシンスの花束を抱えて雨の中に立っていた」
「ぐっしょり濡れて、捨てられた仔犬のように、寒さに震えていた」

もう、どうだっていいんだけど。

(アオテアスクエアを横切って、きみに会いに行くんだよ。
モニさんも一緒にね)

あるとき、きみは夜明けの頃に電話をかけてきて言うんだ。

「空も地面も、ぼくを拒否している!
いったい、この世界のどこにぼくの居場所があるというのだろう!

Why me?

どうして世界はぼくに襲いかかってくるのか、どうしてもわからない。
ガメ、どうして、きみはたったいまここに来て、ぼくを助けてくれないんだい?

Why me?」

ホテルのロビーに着くと、きみは何事もなかったかのように、カットのいい、すっきりしたスーツを着て立っていて、腕をさしだす。

握手というわけにはいかないので、ぼくはきみの肩を抱いて、元気だったかい、ぼくの大事な友達、と述べる。
その虚しさですらが、ぼくときみとが住む世界の礼儀であるのを、ぼくもきみもよく知っている。

そうして、モニさんとぼくは、きみとテーブルを囲んで、落ち着き払って、このフィレとスコッチフィレを組み合わせたシェフの料理のアイデアはたいしたものだと言うだろう。
ソムリエが勧めていったピノノアールについての論評すらするかも知れない。
まるで、この世界で成功しか見なかった人のように。
この世界に退屈しきった人の言葉で。

とても疲れたので、お先に失礼します、と誰かが述べている。
あれは、ロンドンのぼくの両親の家で、初めて泊まったときに、きみが木が覆い茂った裏庭を眺めて「ほんとに、ここはロンドンなのか」と笑っていた部屋です。
きみやぼくが見ている世界を説明できる言語なんて、この世界にあるのだろうか。
ぼくは英語で話しているが、それはきみとおなじ英語ではない。
おなじ英語で話しているのだけど、ぼくはきみとおなじ人間じゃない。
そんなふうに詩人をまねて言ってみればいいのだろうか。

世界に拒絶されて死んでいった友達たちを見送ったあとで、この世界に満ちている悪意に頬を強張らせながら懸命にひと幕の演劇を演じきった友達に、たったひとりの喝采を送ったあとで、ぼくの気持ちを説明する言葉なんて、この世界にあるだろうか?

どうしようもない。
誰も鍵をもっていないドアに肩をあてて押し開けようとしている。
あきらめている。
冷たい空気が入ってくる窓を開け放って明け方の空を眺めて、今度こそは帰らない旅に出るのだと考えている。

ここを立ち去れない、とうしろめたい気持ちでいる。
お互いを罵りあっている。
静かに手をつないでいる。

愛しあっている。

Why me?

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昭和様

軽井沢会テニスコートは、イギリスならば、コミュニティのテニスコートとしてもオンボロで、日本の人の質素を尊ぶ美学のあらわれというか、貧相なクラブハウスのある、金網に囲まれたテニスコートで、わし夏の家からだと、ゴルフ橋をわたって、フランスベーカリーや浅野屋がある軽井沢銀座を横切って、オノヨーコが毎夏ジョンレノンと滞在していた父親の家のほうへ少し歩いたところにある。
すぐ近くに室生犀星の別荘があって、よい状態のまま保存されていて、このわし趣味の家をみるためにときどき散歩にでかけたのをおぼえている。

今上天皇明仁と美智子皇后が出会ったのは、このテニスコートで、日本の天皇家の質素の伝統には頭がさがるというか、万事贅沢好みの英王室とはエライ違いで、少しは学習しろよな、ばーちゃん、とおもわなくもないが、あの頑固で闊達なばーちゃんに何を言っても聴いてもらえないのはわかりきったことなので、国民としては、あるものはあるままに受けいれるしかないだろう。

なにしろ、軽井沢が出会いの町で、そのあとも、毎夏軽井沢にやってきていたので、なあああんとなく天皇家の別荘が軽井沢にあるような気がするが、伝統はスコットランド人がつくった町である軽井沢を避けて、千ヶ滝のプリンスホテルに逗留することになっていた。

東京ではニコラスのような当時としてはウルトラモダンな場所をデートの場所として好んだが、軽井沢では、軽井沢会のじーちゃんやばーちゃんたちと、これもボロボロな建物の二階にある三笠会館で愉快に話ながら昼食を摂ったりしていた。

軽井沢の地元の人間には、横柄な人柄と決まりというものをまるで守れないだらしのない性格とで蛇蝎のように嫌われている秋篠宮とは180度異なって、たいへん評判のよい人のようです。

マストドンで「昭和様」という呼び方が話題になっていて、読んでいると、「違和感があるが、その違和感の正体がうまくつかめない」ということのようでした。
へえ、と思って読み進んでいるうちに、昭和天皇についてのあれこれを思い出したので、忘れないうちに書いておくのもいいかもしれない、と考えて書いているが、良い考えなのかダメ考えなのかは、記事を書き終わらないと判らない。

昭和様、という呼び方自体は、明治天皇が崩御して、大正になり昭和になって、明治生まれで、明治の時代に育ったひとびとが、あとにも先にもただひとりの天皇らしい天皇であった明治天皇をなつかしんで「明治様」と呼び、今上である昭和天皇は、自分達の天皇であるという実感が湧かないので「今上陛下」と呼んでいたことの平成版だろう。
江藤淳の母親が、日本の敗戦が決まったとき、ふだんは政治のことを述べないのに、吐き捨てるように、
「こんなことになって、日本をすっかりダメにして、今上は明治様に恥ずかしいとおもわないのか」と言った、というようなことは日本中で見られて、昭和天皇のダメ天皇ぶりを怒ったという記録は至るところにある。

宮内庁は、戦後、上流階級を中心に起こった昭和天皇への軽蔑の風潮を、大衆レベルにまで広げないことに必死で、父親の血をひいて奇矯な振る舞いが多かった昭和天皇の性格を逆手に利用して、学者肌で朴訥な人柄として全面に押し出すことにした。
ちょうど安倍政権における電通にあたる広報世論形成係は、東宮侍従長入江為守を父にもつ入江相政という切れ者の侍従で、この人は筆がたったので、後年には「侍従とパイプ」というベストセラーを書いて、いま流布している、国民おもいの平和を愛好する学者肌の昭和天皇像を固定することになる。

芝居がかった安っぽい英雄像が好きだったダグラス・マッカーサーの臭いがぷんぷんしている昭和天皇との初会見への証言
「自分は処刑されてもよいから国民を助けてくれ」は、当時、国際コミンテルンの支配下にあった日本共産党を中心として日本人のあいだでも強かった天皇処刑論をかわすために、現実の発言の言い方を工夫して変えてGHQと日本政府がつくりあげた作り話だろうが、国民を感動させることに成功して、昭和天皇の象徴の座をゆるぎないものにした。

日本の皇室の伝統は、「責任をもたないこと」で、これだけは、奈良時代から終始一貫している。政治的な情勢の一方に荷担して、その勢力が運つたなく敗北を喫すると皇室の責任が問われて、そこで皇統が絶たれてしまうからで、万世一系で、神武天皇から綿々とおなじ血統で営業してきたという血の永続性が一枚看板の天皇家としては、なにごとによらず責任をもつようなとんでもない跳ねっ返りはやるわけにはいかなかった。
当然の帰結として政治に積極的に容喙するのは天皇家にとってのタブーで、特に西園寺公望が英王室のありかたというようなことを述べなくても昭和天皇は、皇室として政治判断を示すことが家としての禁忌であることをよく知っていたはずです。

13世紀の1221年には、承久の乱ということがあって、当時の後鳥羽上皇は、皇室の人間としては異例なことに憎み嫌っていた北条義時を倒すために西国の侍を糾合して鎌倉に攻め上る内戦を起こす。
これが天皇家が自発意志で重要な政治的行動を決定した殆どゆいいつの例外で、
後年の錦の御旗ですら有効であったように、誰の目から見ても皇室に手向かえるものはあるはずはなくて、上皇の不戦勝であるとおもわれたのが、英雄北条政子の日本の歴史にチョー有名な

皆心を一にして奉るべし。これ最期の詞なり。故右大將軍朝敵を征罰し、關東を草創してより以降、官位と云ひ俸祿と云ひ、其の恩既に山嶽よりも高く、溟渤よりも深し。報謝の志これ淺からんや。而るに今逆臣の讒に依り非義の綸旨を下さる。名を惜しむの族は、早く秀康・胤義等を討取り三代將軍の遺蹟を全うすべし。但し院中に參らんと慾する者は、只今申し切るべし。

という言葉の力によって、勇奮、西に向かって殺到した鎌倉武士たちによって、あえなく企図は挫折して、あろうことか、下地のものに皇室が惨敗する結果になる。
このときの後鳥羽上皇の、命からがら続々と落ち延びてきた西国武者たちへの冷淡さは有名で、「おまえたちが勝手にやったことではないか。俺の知ったことではない。自分を頼られるのは迷惑しごくだから、さっさと門の前を立ち去れ」と言う。

その結果ある者は栂尾を頼り、あるいは河原で惨殺されて、日本の歴史に皇家を信用した場合、うまくいかないとどんなことになるかという、良いお手本をつくることになった。

天皇が悪人であるとか善人であるとかは、どうでもよいことで、天皇家が日本の歴史で
果たしてきたふたつの役割、ひとつには、民族感情の底深いところで基調底音をなして、日本人というものそのものの殆ど意識されないアイデンティティであること、ふたつには国家の休止中の機関として、一朝ことがあれば、再び全力で始動して、いまの天然全体主義が、明瞭に形を顕した全体主義となったときの、国民を情緒的に圧倒的に服従させるための機能を持つことと、そのふたつのみが天皇家を考えるときには重要でしょう。

昭和天皇の現実の言動には、入江相政たちが吟味して、地下(じげ)の者にも判りやすい、誤解がないものばかりが伝えられているが、日本のふつーな人間が怒りで青ざめそうなものが多くある。

帝王学、というが、西郷隆盛が実質の侍従長をつとめた後の近代天皇家の教育は帝王をつくるためにあって、「良い人」をつくるためにあったわけではありませんでした。
日本の皇室に特徴的なことですらなくて、王室という王室は、北欧の「開かれた王室」であってすら芯のところでは帝王学たることを変えていない。
いまの今上陛下は、若いときには、その「帝王教育」の部分に激しい反発を示した人で、沖縄二紙の購読に固執して昭和天皇を激怒させた逸話に見られる昭和天皇との確執は、他国の上流階級人ですら知悉している。

いま「明治様」にかわって「昭和様」という言い方が生まれたと聞いて、なるほどなあ、という間の抜けた感想をもちます。
昭和様という昭和天皇への愛慕の念をこめた呼び方には、アジア人からみると、日本がほとんどアジア全土でおこなった侵略や虐殺、女たちの性奴隷化、男たちの強制労働と使い捨てへの強い肯定を含んでいる。
日本人側からすると、この25年、坂道を転げ落ちるように落ちてきた民族の自信の低下から抜け出そうという必死の試みのひとつなのでしょう。

昨日も、豪州人ルークのツイッタTLに遊びに行ったら、もう当然のようにわしを「反日ガイジン」と呼んでいる人がいて、なんだまたニセガイジンから反日ガイジンに戻ったのか、と可笑しかったが、「昭和様」を思慕する日本の人たちが、どんどん力をつけてゆくアジアのなかで、どんな未来をつくっていくのか、まだまだ興味がつきないよね、と考えました。

また、戦争をやるのかしら?
それとも「日本は素晴らしい」の妄想に自閉して籠もってゆくのか。
いずれにしても歴史には稀な国としての行き方で、おもしろいなあ、と思います。

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再び開かれた核戦争へのドア

*この記事の燃料種別の部分は北朝鮮ミサイルについて最も信頼されているDr. Jonathan McDowellの考察に従って書かれている。

鬱陶しいので消してしまったが、ここに書かれていたupdateで述べたとおりNASA研究者系(固形燃料)と韓国国防省系(液体燃料)で意見が分かれていた燃料種別は、その後、だんだん液体燃料のKN-17だろうということに落ち着いてきたよーです。

固形燃料は日本標的に特化して別シリーズになっているらしい。こちらも技術が完成して大気圏再突入の実験がうまくいくかどうかだけの段階らしいので、ま、記事はここにそのまま置いておきます。

余計なことを書くと古い知識に基づいて「〜に決まってる」という専門家ふうの断言コメントが両方の側でいっぱい来たのに驚いた。

自分の国の運命がかかっていることに競馬予想屋なみの言辞を述べたがる人が多いので笑ってしまった。

日本の病気は根が深いようです。

 

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Hwasing-12という。

Hwasingって、「火星」という意味なんだって、と誰かが述べていた。
화성って、読みをアルファベットで表すとhwaseong じゃないんだっけ?と韓国語初学者は思ったが、ほんとはどっちでもおなじことで、そういう訓詁的な質問をするのはみっともないので、なんとなくうやむやに納得することになってしまった。

北朝鮮が5月14日に発射実験に成功したミサイルには大きな意味がある。
日本にとっては、

1 日本を核攻撃するために小型核弾頭を開発しなくてもよくなった。
あくまで、大量に在庫を持っていて、いわば安上がりな改良型スカッドで攻撃するために核弾頭の小型化を懸命に進めていくだろうが、推力からみて、日本に対してならば旧弊な大型核弾頭でもミサイルに搭載できるようになった。

2 固形燃料なので、パーツが少なく、メインテナンスが簡単で、いままで以上に移動性、隠蔽性が強くなった。
固形燃料ロケットは、むかし糸川博士が率いる日本の宇宙ロケットチームが固執した技術で、有名なミューロケットを初め、糸川系の技術が日本の宇宙開発を支配していたあいだは、ずっとこれにしがみついていた。
結局、技術上の難点が克服できずに日本人は諦めてしまったが、有名な例だと、たとえばスペースシャトルの打ち上げロケット(SRB)がこれで、それでもなおチャレンジャーのように好い加減な工作をすれば,爆発するが、基本的には液体燃料よりもずっと簡便で、故障も少なく、安価で、大量生産に向いている。
北朝鮮側からすれば劃期的な技術革新で、多分、次の軍備ステップへのビジョンとしては、大量生産された固形燃料ロケット筐体に、やはり大量生産の小型核弾頭を搭載することでしょう。

3 2000kmへの上昇能力を見せることによって、イージスミサイル防衛網を無力化することに成功した。

THAAD、イージス、パトリオットのアメリカ合衆国推奨三段防衛網のうち、THAADは未知数なうえに技術人や元国防長官の「ゴミ技術。カネのむだ」という証言があったりして、「ほんとうは単なる対中国情報収集ネットワークなんじゃないの?」の声がおおきくなっているが、それを別にしても成層圏を飛来するミサイルに現実に対応できそうなのはイージスシステムだけで、それが理由で日本は現在保有しているイージス艦と日本海を遊弋するアメリカ軍のイージス艦に加えて日本海の海岸線に「イージス・アショア」つまり艦載のイージス管制を地上施設に移したイージスシステムを数カ所つくろうとしている。
ところが、日本語ニュースでも「ロフテッド軌道」と健気に報道しているが、ロフテッド軌道で打ち上げてみせることの意味は、日本に対して「イージスじゃ、もうわれわれのミサイルを迎撃するのは無理なのね」と伝えることにある。

報道をみると、角度を変えれば4500kmとんで、グアムに届くことの意義を強調しているが、それは政治的意義にしかすぎない。
真の意味は、アメリカ軍と日本軍(旧自衛隊)が北朝鮮のHwasing-12に対して何の対抗手段ももたないことを悟ったことで、従来の防衛体制は、ここで、「ダイジョブなふり」をするだけの、お飾り防衛になってしまった。

アメリカ側は「われわれは北朝鮮をみくびりすぎた」と声明をだしてみたり、ひらたく述べてパニクっているが、では驚天動地周章狼狽のあとに、どんな対抗策があるかというと、「なんにもない」が答えで、中国と語らっておおきな政治的妥協におもいきって踏み切って、少しでもそれが中国の弱腰に見えるように持っていくくらいしかトランプ政権には方策が残っていない。
トランプのいつもの反応だと、ここで激しく中国を、あることないことをすべて動員してワルモノにしたいところだが、どうやら娘婿を通じてすさまじい利権と資金を手にしたのと、ブリーフィングの結果、真剣に本格的な戦争をやると、当初の素人らしい思い込みと異なって、ほぼ人民解放軍の完勝に終わるのがわかって、中国をワルモノにして、最近の傾向ではGOサインが出ればいつでも日本とアメリカに躍りかかってかみつこうと猛っている人民解放軍の手綱を中南海に放されでもしたら、いちかばちか、西太平洋全体の支配をあきらめならなくなるので、それも叶わない。

アメリカの報道が伝えるよりも遙かに知的な人間であるらしい若い独裁者の金正恩は、おとなしく核を持たないでいたサダム・フセインやニコライ・チャウシェスクがどうなったか熟知している。
特にイラク独裁政権の運命は細部に至るまで調べて見た痕跡があって、その結果うみだした方針が、軽業的なオポチュニストだった父親の金正日と、ほとんど180度転換した、祖父の金日成を念頭においた理念による支配であり、大国を相手に一歩もひかない強気の外交方針で、そのパワーの中心に核戦力をおいてきたが、いまの時点では、アメリカや中国やロシアの思惑を遙かに越えて、試みに成功して、完勝している。

今回の固形燃料ミサイルの打ち上げの成功は、例えば技術的にもさまざまな(アメリカと中国にとっては)衝撃的な意味があって、液体燃料ミサイルの打ち上げが成功しても実戦でのミサイル打ち上げが安定的にうまくいくかというと、そうでもなくて、長い経験と実績の積み重ねがいるのはナチのV2ミサイル以来、ミサイル技術に関心がある人間ならば誰でも知っている常識中の常識で、アメリカや中国やロシアが北朝鮮が大陸間弾道弾ミサイルの打ち上げに成功しても、「まだまだ時間はある」とのんびりしていられたのも、そのせいだが、
固形燃料ロケットは、いったん打ち上げに成功できる型ができると、液体燃料ロケットとは比較にならない安定度で実用化できる。

実用化できる、というよりも現に実用化してしまったので、推力のおおきさから推察する搭載弾頭のおおきさから考えて、例えば日本にある標的へなら「いつでも核を送り込める」状態になったといえます。

このブログや、むかしは親切心をだして日本語で書いて、喧嘩ばかりしているわし友物理学者のオダキン先生やなんかと公開議論を繰り返して情報を交換して、衆知を集めようとして、場が出来かけていたツイッタで何度も繰り返し確認されていたとおり「小型核弾頭の開発に成功するかどうかが鍵」であったのが、大型弾頭でも大丈夫なことになってしまったので、なんのことはない北朝鮮が絶対の優位に立ってしまった。

みなで衆知を集めて、なんだか途方もなくいいかげんでインチキな政府やマスメディアのデタラメ告知に対抗しようとする試みは、しつこいトロルと桁外れに程度が低い議論を平然と自分のほうが賢いような顔をしてふきかけてきては、こちらの時間を浪費させて、すべての議論をスタートラインに押し戻して、日本社会が大得意の堂々めぐりに囲い込んでしまう無数におもえるアンポンタン人のせいで、うんざりさせられてやめたので、誰かまだ日本人を救う志がある人が勝手にやればいいが、仮にそういう努力をどこかのコミュニティが行っても、その努力と衆知全体を吹き飛ばしてしまうくらいの安定した核のパワーを北朝鮮はもうすぐ獲得する。

2050年という、政治の世界では無限遠点に近い未来を想定すると、多分、朝鮮半島は、いまはボイコット運動まで展開して個々の国民レベルでいがみあっていて、歴史的にも仲がいいとは到底いいえない韓国と中国の共同のパワーによる半島統一がなされているはずだったが、金正恩の意外な指導者/独裁者としての優秀さで、ゆいいつの安定点統一朝鮮の成立は、また少し遠くなって、その代わりに2017年を起点とする長い渾沌が日本と朝鮮半島を支配しそうな雲行きになってきた。
最も政治的に脆弱と見られてきた台湾が当該地域では安定していきそうなのが国際政治のおもしろさだが、それはともかく、日本は(良い言い方ではないが)不治の癌を抱え込んだ状態になったのが傍目には明らかです。

マストドンで、トロルおやじたちを嫌悪して日本語ツイッタから引っ越して来たひとたちの会話を眺めていたら、

「今日はテレビの情報バラエティ番組とやらに心底腹を立てたけど、ああして北朝鮮の軍事力を過小評価して嘲笑し、ミサイルが落とされる国は韓国であるとして物見の見物を決め込む報道は、母のような老人の心の安寧を保つのには一役買っている。」

という知らない人の発言があって、北朝鮮の軍事力を過小評価しているのは日本のマスメディアのいつも底抜けの不勉強だから仕方がないとして、「ミサイルが落とされる国は韓国」というのは、ちょっと驚いてしまった。

北朝鮮のようなビンボな小国が戦争をするには通常兵器よりも核兵器に依存しなければカネがなくて戦争にならないのは以前にも何回か書いたが、同じ論理のグラウンドによって、あるいはそれに加えて同民族であるという気持ちが激しい相互憎悪の根底では働くという朝鮮戦争のとくに明らかになった民族心理に照らしても、15〜20年有効の弾薬在庫一掃の経済的観点からも、例えばソウルは核兵器よりも祖父の代から延々とためこんだ通常弾頭の重砲/ロケット砲のいっせい射撃によるものと自他ともに考えられていて、マッカーサーの仁川上陸のようなことが地上戦の火急の事態が生じれば短距離スカッドは撃つだろうが、たとえ小型核弾頭の開発にその時点ではすでに成功していても、理屈は整合していても、なんとも想像しにくい。

現に北朝鮮が、いわば戦争を避けるために好戦的なトランプと安倍を相手に行い続けている核ミサイルパフォーマンスは、世界中の誰の目にも「日本攻撃」パフォーマンスで、初めのうちこそ「日本にある米軍基地」と忘れずに述べていたのが、安倍政権の北朝鮮に対する恫喝と米軍との一体ぶりに怒っているのでしょう、特に断り書きがつかなくなって、よく見ていると、どうやら初めは三沢基地限定だったらしいのが、三沢と沖縄になり、
三沢沖縄佐世保岩国になって、現在はテラー攻撃の範疇にはいる東京も対象に加わったように観察されている。

英語記事には「緩慢なキューバ危機」という表現が散見されるようになったが、悪い冗談じみているというか、こののんびりキューバ危機には現代のオバマに近い世界恒久平和を願う方策に転換して、フランス人ジャーナリストにカストロへの「アメリカにはどんな譲歩もする用意がある」と伝言を託して、当のジャーナリストがカストロに伝言を伝えている正にその瞬間に暗殺されたJ・F・ケネディがおらず、世故に長け、人物の観察にすぐれていて、JFを指して、「あの男は信用できる。あの男に賭けてみよう」と娘に述べたというフルシチョフもいなくて、戦争をフットボールの試合かなにかと勘違いしている、カネモチのぼんぼんらしく現実への感覚が決定的に欠如している安倍晋三とドナルド・トランプがいて、わずかに文化大革命の苦労人習近平と、どうやら秘かなJ・F・ケネディへの傾倒者であるらしい、若い独裁者だけがいる。

いくつかある近い将来へのシナリオのうち、日本の人にとっていちばん困るのは、北朝鮮が日本に数発の核ミサイルを撃ちこんで、アメリカが空爆で応え、中国が仲裁に入る筋書きで、ロシアという国の恐ろしさを歴史を通じて、身にしみこむようにして知っている中国は、この筋書きを取る可能性がいまの様子では高いようにも思えます。

むかし中国の退役した将軍がロサンジェルスで「アメリカも中国もお互いを滅ぼすに足るだけの核戦力を持っているが、きみたちアメリカ人が核を使ってもいいものかどうか、あーでもないこーでもないと侃々諤々しているあいだに、われわれはあっさりミサイルを発射して、アメリカを滅ぼすことを忘れてはならない」とあっさり述べてアメリカ人たちを憤激させたことがあったが、北朝鮮に至っては、アメリカと日本が続けるしつこい挑発に若い金正恩が怒りで外交判断を狂わせてしまえば、そこで一巻の終わりで、ここまで人間がつくってきた、紛争に満ちてはいても、おおきくは平和と言えた世界や、米ソホットラインの敷設に始まって、指導者間のお互いに対する人間的信頼に依拠した偶発戦争の防止の歴史も、そろそろ終わってしまいそうだと思わなくもない。

子供のとき、「原爆の父」オッペンハイマー博士の有名な
“ I am become Death, the destroyer of worlds.”

を見て、ああ、冷戦の頃は恐ろしかっただろうなあ、
オッペンハイマー博士が考えたよりは人間は賢くてよかった、と感想を持ったが、このあいだ観ていて気が付いたのは、
オッペンハイマー博士は、デタントの向こう側にあるもの、アインシュタインが述べた「それでも科学者の手は動く」ということを熟知した科学人として、どんなに核軍縮をすすめても、人間はまた破壊のドアを開いてしまうのだという事実を遠い未来に至るまで知りぬいていて、この動画を残したのだということでした。
人間にはコントロールできない神の火を盗んだ人類の宿命が、手の施しようがなく燃え広がったブッシュファイアのなかになすすべなく佇むことであるのを、考えてみればあたりまえだが、この聡明な人はことの初めから知っていたのに違いない。

そして、その火は、いま東アジアから燃えひろがろうとしているのだと思います。

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Heatstroke

世界にはたくさんの人が住んで、めいめいにおもいおもいの生活を暮らしている。

あたりまえのことを言うな、というだろうが、実はこれは日本に住んでいると実感できない事実なのでもある。
日本の人はお互いの視線のなかでお行儀よくしているからで、日本にいたときは「おもいおもいの生活」というよりは「おもいおもいに解釈した日本人の生活」を生きているひとびとであると観察していた。
いやなことをいうと、アメリカやイギリスに10年20年住んでいる日本の人でもおなじで、「他人の視線」が英語人のものになって、今度は「おもいおもいに解釈したアメリカ人の生活」を生きているだけであると感じることがある。
トランプをペラペラと罵りまくる人をみると、なんだかマサチューセッツのケンブリッジという町にいくとたくさんいる、あのときデュカキスが大統領になっていれば、のひとびとの声帯模写をしているようで、薄気味が悪いというか、それはそれでやるせないというか、哀愁、というような古風な言葉を思い出してしまう。
そんなにオウムみたいなことをやっていないで、工夫して、自分の声で罵るくらいには工夫があってもよいのではないか、とおもうが、まさかそんな失礼なことをいうわけにもいかないので、黙ってきいていると、ますますケンブリッジの、夫がロースクールの教授で3番目だか4番目だかの奥さんがビジネススクールで、夫をさして、あの男はだいたいドイツ人がポルシェを買い換えるくらいの期間で妻を換えているようだという評判のあるカップルの奥さんに似ているが、そんなことを考えているとはおくびにも出さずにマジメな顔をして頷いている知恵くらいは30歳をすぎればもう備わっていて、 自分にも外交官がやれるのではないかとちらっと考える。

わがままが美徳であるのはスペイン人からだったろう、と子供のころを思い出して述べてもよいが、はっきりと言葉にして「わたしはわがままに生きることにしたんです。わがままになってみると、自分という友達にもっとやさしくするべきだと気が付くのですよね」と述べたのは、おどろくべきことに日本の人で、穐吉敏子というアメリカではビッグネームを持っているジャズ人で、ルータバキンビッグバンドという、名前通りのビッグバンドのバンドリードとして有名だったこの人が、熱狂的なファンがたくさんいたバンドを突然解散して、これからはひとりのジャズピアニストとして生きるのだ、と述べたときに、ぼくはちょうど居合わせた。

呆気にとられる、というが、その通りで、ステージの上で、ひと言ひと言噛みしめるように訥弁で「わたしは、わがままに生きることにした」と宣言する日本人のジャズピアニストから、ぼくは、その後の一生の指針を得たのだといってもいいと思う。

Mastodonで日本語友達と駄弁っていて、ふと思い出して、「そういえばオンラインにフックした一台のパーソナルコンピュータを手に世界全体と対等に渡り合える自由人になることが夢だったスティーブ・ウォズニアックがApple_Iを作ったのは、いまから40年前のことなんだね、Apple Iから、個人でインスタンスを持つここにたどりつくまで人間は40年かかったことになる」と述べて、言ってしまってから、そうか、ほんとうに40年もかかってしまったのだな、とあらためて嘆息に似た気持ちをもった。

技術と手段と理論は揃っているが、第二IT革命と呼ぶべきものが始まるのは、もう数年という単位で先で、そこに至ってウォズニアックの夢は社会の規模で実現することになる。

オカネの世界は唖然とするくらい理論の裏付けが乏しい世界で、むかしから株式の売買に凝る数学者は多いが、たいてい心理というものを読み間違えて大敗することが多いのは、そのせいです。
ちょうど血液型性格判断とおなじで、強固に信じている人は多いが本当の価値は眉唾であるのが株式「理論」で、数学の素養があれば、判りそうなものだが、チャートを基にした株価の予想などは愚の骨頂で、迷信というかUFOを見てしまった人というか、群衆心理に時々つっつかれるブラウン運動にしかすぎないものを、数学者たちが錬金術にみいられたニュートンのようになって、独自理論を立てて、カタにいれた年金まですってしまう。

2008年の破綻に至るまでのウォール街の住人たちはCDO、CDOと騒ぎ回っていて、あたかも背景に深遠な理論があるかのように述べるので、若かりし頃の大庭亀夫先生がご不興を起こして、ふてくされてマンハッタンのミーティングルームに座っているところが、なんとかいう文章には出てくるが、あたりまえで、多少とも数学の知識があれば、詐欺でしかない「理論」をふりまわして、ビンボ人からカネを吸い上げて、詐欺が露見して、自分達が大金をすってしまうと、その分をまたビンボ人に払わせて、自分達は末端の兵隊に至るまで別荘を買い込んだりして処罰をまぬがれた経済犯の優雅のなかで引退した。

まったく気色わるい、とおもうが、それがいまのアメリカの現実で、そのウォール街人への怒りはトランプを大統領に選ばせて、そのオレンジ頭がまたビンボ人から…で、悲惨すぎて文を最後まで書く気もしない。

この惨状が解決するのは、いま中国人たちが大変な勢いで普及させているブロックチェーンの金融への応用が世界に広まったときで、S&Pのようなマジメな顔で堂々たるインチキなレーティングを行っている会社は全部つぶれて、ブロックチェーン理論に従ったレーティングが行われるまで、おおかたのみつもりで5年かからないということになっている。
そんなに速く、そんなにおおきな金融変化が起きるわけがない、というのは素人の考えることで、理論が存在する市場ではいかに仕事がやりやすいかを知っている金融人の親玉たちは、普通の人間が考えているよりも遙かに乗り気で、見ていても、あれとあれとあれが引退すればすぐだな、というくらい差し迫った光明になっています。

ブロックチェーン理論に明るい人はピンとくるだろうが、ブロックチェーンがまっさきに廃止に追い込む業種は例えば不動産業で、なんだか曖昧な顔で中間に立って、売り主から3〜4%の手数料をもらって懐をあたためている、この無意味な中間業種は、ようやっとその不誠実の歴史に終止符を打たれる見通しがついた。

銀行人は一般に頭が悪いので「えええー、そんな! われわれの仕事はもっと複雑ですよお」と言いたがるのは判っているが、銀行もどんどん縮小されて20年という単位では業種として存在していなくなっているはずで、意外なことに日本でも三菱UFJのような銀行には幹部であって、同じ見通しを持っている人がいる。
三菱UFJが、最近、ときどき不思議なことをするのは、どうやらその準備であるようです。
お下品なことを述べると、おかげで、三菱銀行の株を買おうかとおもうことがあるが、その役員が失脚すればそれで終わりなので、いまは我慢して知らん顔をしている。

一方、視点を変えればブロックチェーン理論そのものが普及しだす契機もいろいろと控えていて、変わった例をあげれば電子選挙がある。
だいたい皆でなかったことにしているだけで、投票箱をこっそりバンで運んでいって捨ててしまう、というような程度のことはアメリカでさえ年がら年中起きていて、別に陰謀説は必要ではないが、これの解決としてゆいいつの可能性である電子選挙を行うには、ブロックチェーンによる保証が不可欠です。
そういうことや、e-bayのようなものに至るまで、どんどんブロックチェーンが具体的に採用されていって、一般の人間がブロックチェーンの考えと理論になじんでいくものだと思われる。

この記事の冒頭が、なぜ冒頭のような出だしになっているかというと、と文脈下でのつながりを公開するのは珍しいが、風邪をひいたようで、めんどくさいのでばらしてしまうと、実は、「実は」や「やっぱり」を使う人は英語でも日本語でも文がヘタな人というが、でも実は、全体主義社会では、ちょっと考えるとわかるがブロックチェーンのような考えかたは社会に浸透できないのですよ。
ブロックチェーンのような理論が急速に普及するためには、統制や権力者の恣意が法/法則を枉げられるような社会ではダメで、このことは産業社会が前近代的な独裁社会や封建社会では成り立たなかったのと、事情は極めてよく似ている。

違う方角から述べても、他人の視線で射すくめられて、がんじがらめになっている社会ではダメで、ひとりひとりがわがままで社会というエーテルのなかでブラウン運動をしている社会でなくては困る。

そんなおおげさなあー、と言うきみの顔が見えそうだが、このあいだから話題になっているSNSでいえばFaceBookやtwitterではダメでMastodonやJoomla!や
Wordpressのようなオープンソースで、ひたすら分散で水平なものでなければ社会のインフラとして機能してくれないので困るんです。

この記事をここまで読んで欠伸が出た人もいるとおもうけど、だからこの社会が分散化・水平化していく道筋やそのための諸条件についても、ときどきこのブログで書くよ。

あまりにも興味がわかない固い内容である場合には、おやすみマークでも付けておくのに、その回はとばして読むよーに。

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Kロードのカフェで

まだ、きみがパートで働いている鮨屋に行ってないんだよ。
ポンソンビーは家のあるリミュエラから見てCBDを挟んで反対側で、きみも知っているとおり、少し速すぎるスピードで経済成長を続ける国らしくCBDは建設工事だらけで、クルマでしか出かけないぼくにとっては億劫なのでもある。

もうひとつには、相変わらずの人見知りで「大庭亀夫Tシャツを着ていくよ」なんて言わなければよかった。
仕事でやむをえないときをのぞけば「偶然出会う」以外には人と会うことがないぼくは、なんだかもうネットで知っている人に名乗ってあうのは、ヘンテコな気持ちになりそうな気がする。

きみが日本ではビッグネームである東京大学を卒業しないままニュージーランドに来たのを知って、とても嬉しかった。
相変わらずの粗忽で、てっきり卒業してやってきたのだと思っていました。
あのあと義理叔父に聞いたら、「ああ、あの大学は一浪一留、二浪、二留、といって、2年までは現役と変わらないというんだよ」と述べていて、へえ、と思ったが、それでも浪人という時期を経ないで(きみとおなじ高校を出た義理叔父が「あの学校を出て浪人しないのか、ヘンな奴だな」と述べていた)いわば「まっすぐ」に進んできたきみが、1年間猶予をつくって英語社会を見てみようと考えられたのは、きみ自身の知性の力だと思っています。

ポンソンビーは、目が慣れてくるとわかるとおもうけど、家が小さいのね。
小さいといってもコロニアルスタイルの、ニュージーランド人が「キャラクタ・ホーム」と呼ぶ、あの日本の家より少しおおきい程度に見える正面からの想像とは異なって、たいてい、ずずずずずうっと奥まで細長くあって、中に入ると直感したよりはずっと大きいのだけれど、それでも、例えばリミュエラの家に較べると、小さい。
もとはビンボ人が住む町だったからで、そこに家賃の安さにつられた画家や詩人たちが集まって、彼らが有名になって町を出て行ったあと、「文化的な雰囲気」に惹かれてヤッピーたちが集まって出来た町の歴史は、例えばマンハッタンのイーストビレッジに似ていて、あれはあれで英語社会の町の形成の文法にあっている。

むかしはblissというコーヒー屋があって、ぼくはそこが好きで、よく出かけたものでした。
ブログに出てくる「ポンソンビーのカフェ」というのは、このblissという店です。

多文化社会
https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/03/15/multicultural-2/
ここは、4人で出かけたりすると、ただひとつリラックスして話せるテーブルが実はトイレへのゆいいつの通り道で、目の前をトイレに行く人が年中「ちょっと失礼」と言ってあいだを通ってゆくというヘンな店で、結局、つぶれてしまったが、
まだアフリカ系の人が通るとみなが振り返っていた頃でも、人種の異なるカップルが集まっていたりして、どういう理由なのか、ここだけは自由の風がいつも吹いているような店だった。

ポンソンビー自体は、例えば海外で有名になった俳優や女優、シンガーやファッションモデルなんかがニュージーランドに里帰りしてきたときに「ガメ、もどったぞ、会おうぜ」と電話がかかってきて会うのは、たいていポンソンビーで、すっかりそういう町になってしまったけど、いまでもずっと後まで保守的な気風だったニュージーランドで60年代にピンクのジーンズとシャツで、おおきな似合いもしないサングラスをかけていて道をいくひとたちに、すれちがいざまに「オカマ野郎!」と罵られたり、夜にドラグと酒のパーティを開いて、通りに駐車したクルマに火をつけて笑い転げたりしていた、当時の軌道を完全に外れた若い人たちの匂い宇が残っていて、アートセンターやなんかに行くと、その頃の残り香が貸しスタジオに残っている。

Kロードという、あのCBDに降りてゆく道は、カランガハッピロードというんだよ。
ぼくが子供の頃は、ストリップ劇場とポルノショップがずらっと並んでいて、かーちゃんが一緒だったりすると、目のやり場に困ってクルマのなかで必死で下を向いているような通りだった。
あの通りのインド・ベジタリアン料理のRasoi
https://www.zomato.com/auckland/rasoi-vegetarian-restaurant-karangahape-road
に、むかしはインド菓子を買いによくでかけた。
いまはインドからの移民の人がものすごく増えて、サンドリンガムや
フラットブッシュ、オタフフというようなところに、もっとずっとおいしくて安い店ができたので行かなくなってしまったけど、生まれて初めてladduを食べたのは、あの店だったとおもう。
そのときは、ちっともおいしいと思わなくて、「インドはやっぱり貧乏な国であるな」という可愛くないガキ然とした感想をもっただけで、おまけにイギリスに戻ってその話しをしたら「インド人の食べ物を食べるなんて、不潔ですよ、とんでもない!」と家の仕事をしていたばーちゃんのひとりに怒られたが、後年、インドの小説を読んでいるとladduは特別な意味をもった菓子で、食い意地のはった子供らしく、そのくらいのところからインド文化に近付いていった。

トルコ・カフェで水煙草を喫いながら、人品のよろしくない声で、げっはっはと笑っているマオリ人や欧州系人たちのグループは、見るからに胡乱だが、あれがオークランドの第一線の芸術家グループです。
絵描きや詩人たちは、なにしろ貧乏なので、たいていレヴィンやパーマストンノースのような人気のない町の、そのまた郊外の、
「ガメ、この町は人口の40%が生活保護家庭なのを知ってるか?」と笑って話すようなとんでもないビンボ町に住んでいるが、なんとか食べられるようになってくると、ヘンダーソンやポンソンビーの貸しスタジオを借りて仕事をして、カランガハッピロードのカフェで、他の芸術家友達とゲハゲハ下品に笑いながら、道行く若い女の人に声をかけてみたりして、顰蹙を買ったりしている。
一緒に酒を飲んだりしていると、突然、マルドゥーンの詩を口ずさんで、涙ぐんだりしているのと同じ人で、人間がどんどん人間になってゆくと、下品と上品がおなじになって、なんとも言えない「human」になってゆくのだと、よく判ります。

前にも話したとおり、だから、ぼくはポンソンビーからカランガハッピロードを通って、クイーンストリートを下りて、ブリトマートに抜ける道をよく散歩するんだよ。
むかしはいまの店の道の反対側にあってニュージーランドのポップカルチャーの中心だった
Real Groovyや、Qシアターで、もしかしたら会うことがあるかも知れないね。
ニュージーランドは国中が栄養がいきわたってまるまるとした健康坊やのような国なので、ぼくぐらいの背が高い人間はいくらもいるけど、モニさんが横にいれば、特に勘を働かせなくてもすぐに判る。
美しい人というものが、どのくらい人間の常識を越えて美しいか、ということも納得されると思います。
多分、女神様が地上に遊びに来ていて、ボディガードをつれて歩いているような印象なのではなかろーか。

ニュージーランドは日本はおろか、アメリカのような国と較べても圧倒的に若い国で、歴史がなにもなくて、ぼくは子供の頃、ニュージーランドの歴史的遺跡を訪ねて、ガイドの人が、1850年に出来たこのチョー古い遺跡は、というところで、何の弾みか「ぷっ」と吹きだしてしまって、かーちゃんに冷たい視線を投げられたことがあったが、モニとぼくがニュージーランドが大好きなのは、まさにその歴史がないところだと思っている。

歴史がなければ、日本からぶらりとやってきた風来坊であるきみが毎日を暮らしていることそのものが歴史で、毎日、笑ったり怒ったり、酔っ払ってみたり、海岸を走ってみたりしている人々の生活そのものが歴史だからです。
新しい移民たちの一日一日が国をつくっているのが刻々と感じられて、実際、オークランドの変化の激しさは、当のニュージーランド人たちがついていけないほどのものになっている。

ブリトマートにORTOLANA

http://britomart.org/tenants/ortolana/

というカフェがあって、だいたいぼくの散歩の終点はここです。
ここでワインを飲んで待っていると、モニさんがクルマでやってきて、拾って家に帰ってくれる。
もうすぐ、また欧州が半分の生活に戻るとおもうけど、ぼくはいまはロンドンよりもオークランドが故郷の町で、その気分には生まれた家のせいでいろいろなものが揃っているロンドンの環境と異なって、オークランドにあるものは、どれもこれもモニさんとふたりでつくってきたという気持ちが強いからだと思っています。
ローマかロンドンかパリか、まだ欧州のどの町に新しい根拠をつくるか決めていないけれど、モニもぼくも、オークランドを恋しいとおもうのではないだろうか。

また、手紙、書くよ。
ポップアップシアターのシェークスピアは、どうだった?
15ドルの席は立ち見だろうから、劇中に俳優たちが分け入ってきて、話しかけられたりして楽しかったでしょう?
英語人は、ああいう「ざっかけない」雰囲気が大好きで、ローマ人に支配されて、あまつさえ自分たちの女王を強姦されたり、ノルマン人にぶち殺されたりしながら、この厳しい世界を肩を寄せ合うようにしていままで生き延びてきた。
きみのことだから、もう気が付いているはずの、英語人同士の強い仲間意識と、お互いをいつも気遣ってそれとなく観察して手をのばすようなところは、ああやって出来てきたのね。

きみが、ぼくたちのひとりになって、一緒に肩を寄せ合って、ときには肩を抱き寄せ合って暮らすようになることを願っています。

では

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