日本語の生活

身に付けた日本語能力を、どうしようかと時々考える。
日本語はツイッタとこのブログにしか使っていない。
あたりまえだが家のなかで日本語はいっさい使われていないし、かーちゃんシスターの夫は日本人で、息子も日本語を話すが、最近はどういうわけかこのふたりとも日本語が混ざらなくなって、英語だけのほうが楽なようです。
義理叔父は日本語のほうが楽は楽なのだとおもうが、英語と日本語を切り替える力業は誰にとっても不自然な頭の働きで、日本語でずっと話せるのならいいが途中で英語に切りかわるくらいだったら初めから最後まで英語のほうが楽だ、ということなのでしょう。

最近は、というほうが正確だとおもうが、町でも日本人同士が、お互いに日本人だと判っているらしいのに英語で話しているのをみかける。
これも理由は簡単に判って、まわりと英語でやりとりしているのに、相手が日本人だと判ったからと言って「日本の方ですか? ああ、そうだとおもいました」に始まって、取り分けほかに人がいるときには、いちいち日本人に話す対象が変わったときだけ日本語に直すのがめんどうなのでしょう。
気持として自然である気がする。

ツイッタや日本語ブログも、以前は日本の人に話しかけるのに使っていた。
柄になく政治や社会についての話題も多かったのは、日本の人がまったく気が付いていないことで、ちょうど日本の社会にとって致命的になりかねないことがどんどん進行しているときにあたっていたからで、まさかブログやツイッタで微かでも日本語社会に影響を与えることなど出来るはずがないのは判り切ったことだったが、日本語をたまたま勉強して、英語ならcommitmentという、関わりがあれば、やらなければならないことが生じるのは、普通の人間ならあたりまえの感覚で、特にはてなとかいう鬱陶しいおじさんやおばさんがたくさん群れている集団には迷惑したが、ニセガイジンだのなんだの「捕鯨はやめたほうがいい」「男女の格差がひどすぎる」「冷戦構造がなくなったことを踏まえないと地政学上、どんどん不利な場所に追い込まれる」、2007年から2014年くらいまでの前半のあいだじゅう、冷笑や罵声を投げつけられまくりながら、何度も書いてきたのは、いま残っているブログ記事だけからみても明らかであるとおもいます。

そういう段階が過ぎた後半になるとアベノミクスという日本の経済構造を根底から覆す世紀の愚策に政府が乗り出したのに驚いて、もともと日本人など頭からケーベツしていて、アベノミクスみたいな他国ではとうの昔に否定された政策理論も、日本のようなやや未開な心性の全体主義社会ならうまくいくかもとちょっとだけ実験動物観察的な興味をもった程度のクルーグマンの「やってみれば」のひとことを「ノーベル賞学者のお墨付き」のように押し戴いて国の運命を賭けてしまうのはたいへんな間違いだと、前後十くらいも記事を書いたりして、そのあとは、日本の人がのんびりしているあいだに、ずんずん進んでいく全体主義化、あるいはそれまでは民主主義の皮をかぶせてあった全体主義の可視化について書いたりしていた。

親愛なるメグ @sakai_meg さんが、今日の朝、こう述べている

このくらいはバラしてしまってもいいとおもうが、メグさんはテキサスに住んでいる人で、アメリカ人のコピーに熱中して、その割にはアメリカ人が信奉する本質的価値は見落としてしまっている傾向がなくもない日本の人のなかでは、珍しいくらいたくさん本を読んで、頭と心のなかに充満した英語の圧力を利用して自分の頭で考えて行動することができる人です。

例えば政治信条に耳を傾けていると「メグさん、過激派なんじゃない?」とからかいたくなったりするが、イギリスでたくさん出会ったうすっぺらで読みが浅い進歩主義政治を信奉する日本移民のひとたちとは、また違って、メグさんの場合はくちにしないだけでアメリカ社会を通してみた人間性への絶望が「世の中をなんとかして変えなければ」という焦慮に駆りたてた結果であるように見えました。

こちとらは、と突然へんな日本語を使うのは、いまちょっと使ってみたくなったというだけで他に何の理由もないが、20歳余くらいまでは社会を変革しなければと考えていろいろと活動して、通りで石はなげるは、討論会で相手が顔をあおざめさせて怒りのあまりぶるぶる震え出すような言葉を述べるは、しまいにはわざわざ大西洋を越えてでかけていって、暴力をふるったりしていたが、こりゃあかんわになって、政治というものがドアの向こう側というかこっち側というかにしか、結局はないものだと考えるに至ってしまったが、メグさんは、希望を捨てていない。

ただ「早くに怒って落選させないと、手遅れになる」と述べたりしてるところを見ると、うふふふ、かわいい、とおもってしまうので、日本はもうすっかり手遅れで、社会が変わっていける点は通り過ぎてしまって、いまさらなにをやってみたところでとっくに手遅れですよ、とおもわないわけにいかない。

別に日本に限ったことではないが、政治的にマヌケな人間というものはそういうもので、日本がうまく立ち回って、狡猾という言葉は外交では褒め言葉だが、アメリカ相手に狡猾な立ち回りを繰り広げて、アメリカに対しては植民地のような顔をしながら、独立国としての実質を維持して、維持どころか、当のアメリカ自体に敗戦国日本に逆に支配されるのではないかと恐怖を与えるところまでいっていたことは、ブログには何度も書いた。

憲法第九条の終わりに
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/04/14/wherepeaceends/

葉巻と白足袋
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/04/27/shigeru_yoshida/

平和憲法という魔法の杖を捨てる
https://gamayauber1001.wordpress.com/2016/07/02/wand/

ところが、そのあいだじゅう、「進歩的知識人」たちは「日本はアメリカの植民地に過ぎない」「日本はアメリカの属国だ」「アメリカの犬」とボロ負けに負けた敗戦国である自国の苦渋と知恵に満ちた外交を罵り続けて、政治議論という一国の社会にとっては最も肝腎な場所を糾弾でわめきちらす声と、その罵りをはぐらかす不正直の応酬の荒野に変えていった。
いざ議論が必要なときには、議論が交わされるべき町は風が吹き荒ぶ不毛の土地になりはてていた。

日本の社会ではタブーになっているが、オカネに眼がくらんで暴力団と結びついて早くから没落した正統右翼よりも、日本社会の天然全体主義ぶりに乗っかって立場主義つまりは相対主義から一歩も出ずに「敵の敵は味方」「人間性はダメでも味方は味方」に終始して大多数の日本人から呆れ果てられて信用を失った左翼の側によりおおきな現在の日本の戦前回帰に責任があるのは、日本から一歩でれば、日本語マスメディアの犯罪性と並んで誰でもが知っている。

はてな人たちの薄気味の悪い集団中傷を十年以上放置しておくことによって、自分たちの「リベラル言論」がいかに質のわるい人間—ほとんどならず者と呼ばれるべきひとたち—-によって担われているか、一緒に歩いてきてくれたひとたちは息をのむようにして見つめて、よく知っているはずです。

そうこうしているうちに、いつごろからと特定すべきか、日本は後戻りできる地点を過ぎてしまった。

いつか我が友オダキンが「どうもガメは、最近、妙にやさしくて怪しい。どうやら日本はもうダメだとあきらめているのではないか」と述べていたが、
ははは、ばれちったか、というか、他の人がこっそりおなじことをつぶやいているのも何人か眼にしたので正直に言ってしまうが、死期が定まった病人に「がんばれば治る」と励ますくらい残酷なことはない。

風来坊のガイジンに「言い過ぎだ」「そこまでのことはありえない」と暢気に述べていたことが悉くほんとうになってしまった時点で、「もう手遅れ」なのは考えてみれば、これも当たり前のことです。

ツイッタではよくドイツが曲がりなりにも再び国際社会に受け入れられたのは、戦後ドイツのアイデンティティそのものを「ナチの否定」「ナチズムの敵対者としての国家」に置いたからだという話をする。
自分はドイツ人だが「あの」ドイツ人とは違う。われわれはかつてのドイツ人とは敵対する立場なのだ、という考えを国民としての主張はおろか、国のアイデンティティそのものとして採用することで再生した。

だからきみがドイツ人で、「そうは言ってもナチにもカッコイイとこがあったよなー」と秘かにおもっている場合は、当時はまだ50万円がとこはした航空券代を払って日本の東京の、渋谷というところにある大盛堂書店の地下にあるミリタリーグッズ店まで、遙々でかけてオリジナルの軍装品を密輸しなければならなかった。

ドイツ人にとっては、彼らにとっての伝説のミリタリーショップが東京にあるのは偶然ではなくて、論理的必然性があることで、なぜなら、日本こそがかつてのナチの「お仲間の国」で、しかも日本のほうは彼らの祖国と正反対に、自分達のアイデンティティを戦前の大日本帝国からの一貫性に求めている。
ドイツ人とはまるで反対に日本人は世界最悪の帝国と言われた大日本帝国が意匠を変えただけで中身はおなじであることをむしろ誇りにしている。

ナチは残酷だったが日本は何万人だかのたいした数でないアジア人を勢い余ってちょっと集団強姦したり処刑したりしただけなので話が異なるのだと驚くべきことをマジメに言い放つ日本の人に何人も会ってぶっくらこいたのをおぼえているが、普通にはナチに勝るとも劣らない残虐行為に耽って自滅したと認識されている大日本帝国は、なぜナチがダメなのにおめこぼしになったかというと、そんな日本人に都合がいい理由ではもちろんなくて、ナチドイツが強大な国で、伝説の、地獄から姿をあらわしたブラックドラゴンそのままの軍事力の強さで、ヒットラーが犯したいくつかの素人っぽいマヌケな判断の誤りがなければ、いまごろはとっくにナチの世界になっていて、アーリア人だけが人間で残りは家畜というナチの夢の世界が実現していたはずなのに較べて、日本はそのドイツの尻馬に乗って「バスに乗り遅れるな」の、いとも品性下劣な標語のもとに各国の軍事力がドイツとの戦場に引き寄せられたあとに出来た真空地帯、インドシナ、インドネシア、東アジア、オセアニアに少しでも分け前を手にしようと火事場泥棒に乗り込んで行ったにすぎない、という事情がある。

アメリカの日本に対する認識は一貫して後年のサダムフセインのイラクやISISに対するのと似た「厄介だが取るに足りない悪の勢力」です。

だからアメリカのホワイトハウスや議会の関心は圧倒的にドイツの戦後に集中していて、日本は、アメリカ占領軍にすべてを丸投げしてすませてしまった。

日本の戦後民主主義の奇妙なくらいの投げやりで荒っぽい構成は、あれはつまりは「軍人が考えた民主社会」なのだとおもいあたれば簡単に説明がついてしまう。
ダグラスマッカーサーには、一国の未来に対するビジョンや洞察などはまったくなくて、ほんの数年先に自分の統治に都合がいい社会制度を採用しておしつけたのに過ぎない。

やっと食っていけるていどの非武装軽工業国家をつくるのが目的だったが、そこがビジョンのない政治の哀しさで、共産主義の圧力が高まり、冷戦が起こり、ついには38度線を越えてコミュニストの軍隊が押し寄せてくるに至って、泥縄に泥縄を注ぎ足して編んで、人材不足の苦し紛れに満州で戦犯として連行した国家社会主義者の一団(例:岸信介)まで無罪放免にして、なんだかヘンなものをつくってしまったのが戦後日本だった。

戦後日本のさまざまな制度上の矛盾、つじつまのあわない社会理念は、つまり、そうやって「出来てしまった」ものだった。

いろいろと表面を覆う夾雑物を取りのけて仔細に眺めてみると、芯のところにあるのは「もともと自由など必要としていない国民に自由を押しつけてしまった」という人間性というものへの理解を根本から欠いたアメリカ占領軍将校たちの態度に行き当たる。
日本人が信じたくないのは当たり前だが、アメリカにとってはもともと戦後日本は、「あんまり本国からオカネをもちださなくてもなんとか食料や軍需製品を自給自足できる国の体裁をとらせた巨大基地」にしかすぎないので、日本人がアメリカ人にはおもいもよらない悪知恵(というのはアメリカ人から見てのことで、日本人からすれば誇りにおもうべきだとおもうが)を発揮して80年代に自国を脅かす強国になったときには、どれほど慌てふためいたか、英語ではいくらでも記録があります。

ところが、かつて自分たちがスパイとして雇って首相をやらせていた人物岸信介の孫が、因果はめぐる糸車、日本の人気がある首相になるに及んで、また日本が自国の忠実な犬として働いてくれることに落着した。
しかも今度は食料と軍需品だけでなくて、兵士の供給もゆくゆくは日本現地で調達できる見通しになっている。

もともとが世界に名だたる好戦性で鳴らした日本人自身も、新しい事態を好感をもってうけとめていて、なんのことはない、全体主義日本とアメリカが共存共栄するためには、こっちの形のほうがよかった、ということに落ち着いている。

冷戦が終わって、新しい安定構造を模索していたのが、安倍政権の明示的な日本帝国の復活が日本人によって支持が表明されるに至ったことで落着したということで、歴史というものはこうなると安定してしまって、なかなか動かすことができないので、「もう日本が1940年代後半に一瞬夢に見た自由社会に戻ることはないだろう」と世界中が判断している。
それを悲しむのは日本にもひとにぎりはいる自由を求めるひとびとだけでしょう。

そうすると、西洋の人間のなかでも際立ってわがままな自分としては、観光に立ち寄るくらいのほかは日本に戻ったりする機会があるわけはないので、原題にもどる、自分が身に付けた日本語はどうするかなあ、とおもいます。

言語は特にある程度上手になったあとでは習得が楽しくはあるが維持するのが難しい能力の代表で、なんとかして機会を見つけて使いつづけないと、あっというまにダメになってしまう。
例が妙ちきりんだがペットを飼っているようなものでもある。
絶えず気を配り、餌をあげて、水をあげて、ときどきは特別な集中力で配慮を向けなければ勝手に病気になって死んでしまう。

せめて読みたい本や映画がたくさんあればよいと願うが、いかんせん、自分で興味がもてるのはせいぜい1960年代くらいまでで、そのあとになると、まるで趣味にかなわない。

困ったなあ、とおもっています。

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ある欧州人への手紙

「母親が部屋に入ってきたが、そこに私がいることには気が付かないようでした」
母親は、私を見ているのに、私の姿が見えないのです。
おかあさん。
私はここにいるのよ。
あなたの娘は眼の前にいるの。
なぜ、私をちゃんと見てくれないの。
なぜ…..

「わたしは娘がそこにいるのを知っていました。
でも、娘がいることだけがわかっていて、どこにいるのかは判らなかった。
娘がなぜ自分がどんな姿でいるのか見せてくれなかったのか、理由は判りません。
わたしは娘の名を心のなかで呼んでみましたが、娘は答えてはくれなかった。

…それからですか?
私はドアを閉じて、部屋を出て、そのまま家をあとにしてきたのです」

おぼえている会話はそれだけで、B級ホラー映画ということになるのだろうが、その会話だけを妙にはっきりとおぼえているのは、脚本家が意図していなかったはずの、親子というものの姿が、よく描かれているとおもったからだろうとおもう。

そんなヘンな映画の見方があっていいものか、ときみは笑うだろうし、実際、この世界は、世界の意味性というコンテクストのなかで生きているきみの言う通りなのだろうけど、ぼくはきみがよく知っているとおり、現実の世界よりは遙かに断片化された世界に生きている。

日本にいるとき、なぜ自分がこれほど能楽にひかれるのか理解できなかった。
母親も妹も父親も、歌舞伎のほうがずっとおもしろいと述べていたし、言いたい事は判らなくもなった。
歌舞伎の華やかさや物語の合理性は、とてもわかりやすい娯楽で、まるでよく利くマッサージのように気持をほぐしてくれるからね。

ところが、ぼくときたら能楽のほうが百倍も千倍も好きだったんだよ。
好きこそで、例えば、面を片手で覆う仕草が能楽では号泣を意味しているのだというような約束事も、説明される前から知っていた。

知っていた、というよりも、ほかに受け取りようがないではないかとわざわざ解説する人の顔をまじまじと見つめてしまったりしていた。

いまならなぜ自分が、たったの十歳の子供にしかすぎないのに、歌舞伎よりも能楽のほうがずっと気に入っていたか判る。

能楽のほうが自分が生きている世界のコンテキストに近かったからだろう。
歌舞伎や物語のように、起承転結があって、ひとつづきに現実が生起する世界にぼくは生きてきたことがない。

ぼくは刹那から刹那への飛び移る時間を生きていて、はたして自分が現実であるのか亡霊であるのかもはっきりしない意識のなかで、まさに、能楽のなかの、この世に未練を残して死んだ霊魂のように生きてきてしまったのだと思います。

霊魂が死んだら、なにになるのかって?
それは形を失った時間のすみずみまで広がった、緊張のない、いわば句点のない文のような生の広がりになるのだろう。

形がない生命。
人間の精神には耐えることができない、緊張も物語もない、ただの茫漠とした意識の広がり。

あるときからずっと、ぼくは自分が世界から意味性をすっかり抜き去って見ていることに気が付いていた。

どんなふうに言えば、うまく言えるだろう?
猫が見ている世界のようなものだと言えばいいだろうか?

哲学者は世界を考察するために生きているが、彼らの最大で致命的な欠点は、自分が「言語」を使って考えていることの恐ろしさをちゃんと判っていないことなのではないかとおもうことがある。

子供向けの伝記本にはガリレオはピサの斜塔から鉄球と羽根を落としたり、軽い球と重い球を落下させて落下速度の違いは空気の抵抗によるので、質量は落下速度に影響しないと見いだしたことになっているが、それは初めにその話をつくった本の書き手がワインを飲み過ぎた二日酔いでめんどくさかったか、〆切りに追われていたかしていたからで、現実にはもちろんガリレオ・ガリレイは、そんな杜撰な実験をしたわけではなかった。

角度がゼロの斜面からすこしずつ角度N(N<90)度の斜面を考えていって、直観的にもわかりやすい、傾斜を転がって同時に終点にいきつく球が90度になった場合が落下なのだと考えたのだった。

これは現実に実験したのですらなくて、すべて思考によったのだけど、ここで使われている言語は哲学者たちが使う言語と、おなじ自然言語であるのに明らかに異なっている。

いわば現実が直輸入された言葉で、現実そのものは「猫が見た世界」と少しも変わらない。

それが「言葉が存在しない世界」になれた自分には、よく判るのだといえば虫がよすぎるだろうか。

なぜそんなことをおもいついたかというと、小さな子供の頃から旅行ばかりしていたぼくは、まったくなにを言っているか見当もつかないひとたちがたくさんいるところで、でも文字通りちやほやされて、言葉というものを音として聴くことになれて、意味などはずっと優先順位が低いものだったからではないかとおもうんだけど。

時間に始まりがあって、それがリニアかつシーケンシャルに現在をつらぬいて未来へ向かっていくものだというのは、むろん、仮定にしかすぎない。
それは「人間がそういう観点から時間を眺めている」という意識の表明にしかすぎなくて、ほんとうは時間は未来から逆行してくる時間とのあいだでせめぎあって、ちょうど河口で川の水と満潮の水が至るところに時間の渦をつくったり、奇妙な方向に流れていたりするのかもしれないし、実は二次元で比喩できるものですらなくて、まったくn次元的なものかもしれない。

あるいは複素数的な表現こそが世界の実情にあっていて、実数的な世界観を持つわれわれは、素朴な観察のみによって世界を解釈した祖先がつくった言語にすっかりだまされているだけかもしれない。

余計なことをいうと、哲学者が有効な思考において、ますます文学者に似てきてしまったのは、つまりは、そういう事情ではないだろうか?

ではわれわれはなにを手がかりに生きていけばいいかというと、多分、それはある「寂しさ」であるとおもっています。

存在の寂しさ。
この世界をいずれは去っていかねばならないものの寂しさ。

真を知らず、善にめぐりあわず、不完全な美に満足して死ななければならなかった生物の寂しさ。

自分にとっては、犬も、さっき例にだした猫も、その寂しさだけは人間とおなじに、あるいは人間以上に、言語が介在しないだけ明瞭に判っていて、その寂しさをめざして生きているように観察してきました。

われわれは何千年か、何万年か、言語によって世界を認識してきたけれども、ほんとうは、それによって欺かれてきたのでもある。

むかし夏をすごしていた牧場で、夜更けに、ひとりでびっくりするほど濃い青色の月の光のなかを歩いていて、ふと言葉の外に歩み出てしまったことがある。

あるいは、「いま自分は言語の外に出てしまった」と感じられた一瞬があった。

そのときに言語がいかに世界と自分とを隔ててきたか知った。

どんなにあらゆる種類の音を避けて、静かな場所へ行こうとしても、人間は自分の体内から聞こえてくる音からはのがれることができないが、人間の存在が言語からのがれることが難しいことは、それによく似ている。

いまのところ、ぼくもモニも、欧州に帰るつもりはありません。
この手紙が、そのことに対するきみの怒りへの十分な返答になっていることを望みます。

少しは誠実でいるために、この手紙の草稿をぼくは日本語で書いたことを告白しておきます。

理由は、言うまでもないとおもう。

では

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韓国と日本と

韓国人と日本人の違いが、よくわからない。
違うのは判るが、その異なりかたは、スコットランド人とイングランド人よりは小さいのではないか。

日本の人のほうが5年間11回にわたる大遠征とかなんとか、いまも軽井沢の森のなかに昂然と建っているはずの十全外人碑にしるされているとおり、何度か長期滞在をしているので、より近しく感じられるが、映画やネットフリックスのテレビシリーズでみると、韓国の人はなんだか日本の人のようである。

もちろん、わしくらいぼおおおっとしていても、目に付く違いはある。
韓国の人は日本の人に較べて、感情が激しやすいらしい。
上司が部下を叱っているうちに、だんだん感情が激してきて、ほっぺを張り飛ばすシーンは、韓国の映画やテレビには、すごくよく出てくる。

いけいけである。
どんどんいっちゃえ、というところが韓国の人にはあるらしい。
ビジネスにおける投資では東芝が5円を100回投資しているあいだに、サムソンは500円を元手に5000円を借りて、一挙に全部半導体の新工場に賭けてしまったりしていたのは、誰でも知っていることである。
余計なことをいうと、東芝も富士通も日立も、日本勢は、「あんなイケイケ投資をやっていれば必ず失敗する。韓国が半導体から撤退する日は近いだろう」と冷笑していたが、潰れたのは自分たち日本勢のほうだったのは記憶に新しい。

…新しくもないか。
むかしアップルの新しいコンピュータを買ってくると、なかを開けてメモリとハードディスクがどこのものかを見るのが、真っ先にやることだったが、最後に日本製を観たのは、子供のときに買ってもらったIIciではなかったか。

こっちは民族性の違いというより歴史性の違いではないかとおもうが、韓国の人は観察していると、戦前の日本人って、こういう風だったのではないか?とおもうことがある。

いつかクライストチャーチのゴルフレンジで、いえーい、タイガーウッズ打ちじゃあーん、これはリディア・コーと叫びながら、やくたいもない、いろいろなプロゴルファーのスウィングをマネして遊んでいたら、隣のケージのおっちゃんが、なぜか韓国語で絶叫している。

ダメ、ダメ、ダメ!
そんな打ち方ではダメだ!!
おれの教えたとおり打たないとダメじゃないか!

というようなことを述べているらしい。

やおら起ち上がって、会社の部下とおぼしき青年の、なかなか色っぽくなくもない細い腰に手をまわして、「ほら、こうだよ、こう!」と腰のひねりかた、動かしかたを指導しています。
なにがなし、他人の閨房をのぞいているような気分になって目を逸らさないといけないような妖しい雰囲気である。

honchoという。
歴とした英単語で、いまMerriam-Websterでみると、

BOSS, BIG SHOT

と意味が書いてある。

グーグルでは、

A leader or manager, the person in charge

なんて書いてあります。

日本語の「班長」がもとなのは、言うまでもない。

戦争中に捕虜収容所における日本兵のヒエラルキイの観察から、どうやら「班長」が現場の実権者であるらしい、というGIの観察によって生まれた。

いつもの悪い癖をだして、余計なことをいうと、この「班長」はしかし、戦後日本語の「班長」とは意味が微妙にずれていて、戦前の語義語感どおりの「班長」は例えば経産省の役職名のなかに残っている。

韓国版honchoさん、熱血です。

それはともかく。

そのゴルフを教導して、妙にベタベタと肉体に触られながら淫靡に指導し指導される姿が、いかにも旧帝国陸軍の下士官と新兵風で、なんて面白いんだろうと見とれてしまった。

他にもいろいろと、多岐にわたって「日本みたい」と思うことがあって、例えば映画をみていると、若い女の人に中年のアブラが多そうなおっちゃんが、「おらおらおら、言うことを聞けば、これがおまえのものになるんだぜ」と手の先でひらひらさせているものを見ると、な、ななななんと、「銀行通帳」であったりする。
見ているほうは借金を背負わされ、露出した歩くチン〇コみたいなおっちゃんにおらおらされて、いまや絶体絶命の貞操の危機にさらされているヒロインの運命のことはすっかり忘れて、「あっ、韓国も銀行通帳があるんだああー」とマヌケなことを考える。
デザインが三菱UFJ銀行そっくりである。
ディズニーのキャラクタが表紙に付いてないけど。

現実の韓国の人と話していて、最も「日本人と似てるなあー」と思うのは、やたら「XX国人の民度」の話をしたがる点で、不気味なくらい日本の人に似ている。
わし友の奥さんである韓国の女の人などは、最たるもので、夕飯に呼ばれたりしてモニとふたりで出かけていくと、必ず一回は「最新民度ランキング」の話をします。

付き合いのごく初期は「アジアでは、残念だけど、韓国は日本に負けてるわね。日本人は、やっぱりどうしても韓国人よりも勤勉で、決定的なのは教育を大事にして、若い人を育てることを知っている。この世界は、やっぱり勉強する人間の勝ちですから」と、ニュージーランド人が聞いたら、床に穴を掘って頭を突っ込んで下半身を宙でジタバタさせたくなるようなことを言う。

それが二年前には、「日本と韓国が、ちょうど並んでアジアでは最上民族だとおもう」
と言い出した。

最後に会ったときはシンガポール人がいちばん民度が高いことになっていたが、これは多分、シルビアパークのシネマに三回観に行ったはずのCrazy Rich Asiansのせいであるとおもわれる。
公開直後は、Henry Goldingがいかにハンサムでハリウッドの白い俳優たちなど足下に及ばないかを述べて、旦那をもじもじさせていましたから。

別の韓国友に韓国製の映画やテレビを観た強い印象として
「韓国ドラマはintegrityの物語がおおいよね」と述べると、ふふふ、という顔になって、
「韓国人はね、integrityきちがいが多くて、だから困るのさ」と不思議なことを言う。

わが国の伝統はだね、正義や倫理ばっかりにうつつをぬかして、ぜんぜん仕事しないんだよ。
困ったもんだ。
日本人と、だから差がつくのさ。

両班、というような単語が頭をちらつくが、知ったかぶりの半可はかっこわるいので、まさか口にだすわけにもいかない。
黙っています。

どうも、この日本人と韓国人がおおきく異なる部分は、儒教の影響のおおきさに原因している気がするが、まだ韓国語に熟達しないのでほんとうのところはわからない。

ところで、「なにかがちがう」と思うのはintegrityだけではない。
前にも書いたが、わしが日本語に興味をもったのは小津安二郎の映画が端緒でした。
映画として完璧であって、映画の神様が大船の松竹スタジオに降臨して、「映画の子らよ、わたしは、ここに、映画を語り終えた」と述べてでもいるような、圧倒的な世界は、ここで、この言語を学ばなければアホだんべ、と思わせるのに十分だった。

ところが。
ところーが。

いまの映画は韓国の映画のほうが数段おもしろい。
日本に最後にいた2000年代初頭は日本では「韓流ブーム」で、近所のおばちゃんは、ほぼ月に一回のペースで韓国に行っていたようだったが、そのときは、人気がある韓国俳優が、なんだかのっぺりした印象の外貌で、ぞぞっとするだけで、興味の起こりようがなかった。
女優さんのほうも、nice faceのゆで卵みたいな顔で、ぶもー、と考えるだけだった。

それがNetflixのStrangerという物語のつくりが粗っぽい、でも、integrityintegrityintegrityで、ぐいぐい押すドラマで、すっかり認識が変わってしまいました。
とにかく、おもしろい。
人間が欲望の泥沼に足をとられながら必死で生きていく姿が伝わってきて、フラメンコみたいというか、ストレートで、現代のクール文化を突き抜けてしまっている。

おお、これはおもろい、と考えて、
A Taxi Driver
1987
Taegukgi

と観ていくと、ちょうど黒澤明や小津安二郎の映画のように、韓国の人の魂の波動がそのまま伝わってくる面白さです。

荒削りでも、どんどんひた押しに魂のちからで迫ってくる韓国の映画に較べると、「韓国映画と較べて、どんな感じがするだろう?」と考えて観てみた、いくつかの新しい日本映画は、感情がつくりものじみていて、なんだか、すっと心に入ってこないものが多かった。
うまく言えなくてもどかしいが、そこで描かれているすべてのもの、感情、考え、運命そのものですら「底が浅い」感じで、小手先でひねってつくった人生のような、ほんとうにこんな生きかたを日本の人がしているはずはない、と感じる体のもので、半分は最後まで観られなかった。

最もショックをうけたのはIn This Corner of the World (「この世界の片隅で」)で、ふだん、ツイッタで考えを述べあって、共通点が多いのが判っている友達も皆ほめていて、振り返ると、「自分も好きなはずだ」と強くおもって観ているのに、どうしても、おもしろいと思えなかった。

スイッチが入らないというか、主人公の女の人に対してやさしい気持にすらなれなくて、びっくりもしたし、悲しい気持ちになった。
主人公がつくりもののようにしか見えないのです。

細やかに、よく出来ていて、なるほど丁寧にすべてを描いているのだけれど、例えば「火垂の墓」とは、なにごとかが決定的に異なっている。

アメリカのネットワーク局ドラマに続いて、カナダでも東アジア人ばかりが登場するテレビドラマシリーズが始まったのが話題になっているが、きみも知っているとおり、両方とも韓国人の家族が主人公です。
ゴールデングローブの主演女優賞をアジア人で初めて手にしたサンドラ・オーも韓国系の人で、もっと言えば東アジアのグループで初めて西洋の十代の女のひとびとを身体の芯から熱狂させたBTSも韓国の人のグループでした。

尤も、実をいうと、音楽についてはBTSを観ても、全然いいとおもわなくて、
へえ、こういうのが人気があるんだ、程度なのだけど。

前に書いたように、わし眼には、文学において日本語を殺してしまったのは80年代と90年代のコピーライター文化で、すぐれたマーケティングの才能の群れが日本人の魂を抹殺してしまった。
そこにあったのは、みんなでニコニコして異質なものをリンチにかけて嬲り殺しにする「楽しい虐殺」とでもいうべき文化でした。

そこで虐殺されたひとびとに対しての想像力をもたず鈍感であったことに、いまの日本語は復讐されている。

Integrityを明然と拒否して、強ければいい、儲かればいい、と剥き出しにされたへのこじまんで、その犠牲になるのが嫌なら、嘘でもいいからおれたち勝者の側にいるようなふりをしろ、というのがいまの日本社会でしょう。

それが魂が破壊された人間をうみ、魂を破壊された人間たちが呪詛のようにグラフィックデザインとコピーライティングで出来たようなプラスティックな物語を生産しつづけている。

大好きなトトロやSpirited Awayをつくった宮崎駿や、衝撃を与えた「火垂の墓」をつくった高畑勲は、そうおもって映画を眺めると、いかにも昭和のおやじが観た世界をそのまま描いた映画で、それは「昭和はよかった」というような話ではなくて、昭和のなにかが未来を殺してしまったのだというふうに、わしには見えます。

その日本社会で殺されてしまったなにか、魂にとても近しいものが、兄弟国の韓国社会では生きのびているのではないだろうか。

パンドラという「もし福島第一事故が韓国で起こったら」がテーマの映画では、例えば菅直人が行った決断は韓国の指導者では無理だという認識が示されている。
映画のあちこちで、「なぜ日本人に出来ることが韓国人には出来ないのか」という問いかけが繰り返しでてくる。

観ていて、韓国の人は日本が兄弟国であるのをよく知っているのだなあ、とおもうが、おなじ国情比較が好きな日本=韓国的な特徴であっても、話してみると、「ここは日本のほうが悪くてなおしたほうがいいとおもうが、こういうところは日本人のほうが、ずっとすぐれているんだよ」と話す話し方が通常な韓国の人達に較べて、日本の人のほうは
「韓国人はダメで悪い。どうしようもない」という粗野な言動に終始する人が多いようでした。

レーダー照射事件にしろ徴用工問題にしろ、現今の日本の人が思考の軸にずれを生じて、それがおおきくなって、話の要点がつかめなくなっていることの説明は、主要な英語メディアの論説をみれば、判るだけの落ち着きがある人ならば、すぐに判ります。

だから、ここでことさらに説明しないが、韓国問題を象徴として、アジアに完全に背を向けてしまった日本を、やはり残念におもっています。

友人として

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新年の手紙

千鳥がほんとうはフランス語で書く童話作家なのだと知って、ああ、なるほどな、と腑に落ちたのをおぼえている。
ツイッタの日本語タイムラインで出会った、日本で生まれて育った人が、フランス語の本をつくって出版することによって生計をたてているのを知って腑に落ちるのはいかにも奇妙だが、千鳥の場合は、なんだか、だいなかよしの静かで風変わりな日本人の友達の生業として、ぴったりだと考えたのをおぼえています。

初めは、どんなふうにして、お互いを認識したんだっけ?
ぼくがおぼえているのは、その頃はクロマニヨン人たちの洞窟だということになっていて、ずっとあとになって、実はクロマニヨン人だけでなくてネアンデルタール人もいたのがわかったスペインの洞窟、Cueva de El Castilloに出かけたときの記事

https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/07/21/cueva-de-el-castillo/

を書いたら、「ブログ記事を読んで行ってきました。いいところだった」という千鳥のツイートがあって、ぶったまげてしまったことがあった、あれが始まりだったのだろうか。

千鳥らしく、なんだかあっさりとなんでもないことのように言うけど、行ってみればわかる、あの洞窟は、とんでもない田舎の不便なところにあって、モニとぼくはBilbaoからクルマで行ったが、それでも遠くて、1時間半くらいだとは言っても、田舎道で、くたびれて、例のでっかい源氏パイがおいてあるロードサイドカフェで休んだりして、やっと着くような山のなかにある。

ぼくは内心で自分をヘンケン博士と呼んで、ふざけてあそぶくらいで、偏見をふんだんに持っている。
偏見って、思考を節約するためには便利で、
気取り屋?ああ、あのひとイギリス人だから。
ズケズケ言いすぎる?
だって、あのひとドイツ人だもん、で、なにも考えないで判断がくだせるので利便という点ですぐれている。
考える、という世にもめんどくさいことをする手間がはぶける。

人間の判断なんて、めったにあってることはないので、正しく観察するべく調整しても、一生懸命考えても、偏見による直観的な判断と有意な差があるとは到底おもわれないが、ともかく、ぼくには日本の人は電車とバスみたいな公共機関でしか移動しないという偏見があるので、ビルバオからまっすぐに行く電車もバスもないのに、いったいどうやっていったんだろう、と考えていたら、
「バスを乗り継いで行ったんだ」と応えて、恬淡としていた。

あの洞窟がある山はね、もっと上にのぼってみると、そこに3畳敷くらいの平らなところがあるのさ。
そこで、まわりの景色を眺めて、ぼんやりしてきたよ、と書いてあって、道がなくて、そんなところがあるなんて考えてもみなかったぼくは、軽い嫉妬を感じました。

あんたは、ほんとうにニホンジンか、と訝った。
日本人が、そんなルールから外れたことをするだろうか。
ほんとは、わし両親の密命をうけたMI5のスパイなのではないか。

千鳥には顔と顔をあわせて会ったことがないし、年齢がいくつのひとかもしらないし、既婚なのか独身なのか、もしかしたら童話がベストセラーになって積み重なった黄金の延べ棒の山の一部を処分してつくった後宮(ハーレム)に美女をはべらせて、近代では許されない、あんないけないことや、こんな新聞にでたら道を歩けなくなるようなことをしているのかもしれないが、だいいち、このあいだコンピュータ雑誌を読んでいたら、World of Warcraftの参加者の少女たちは調査してみたら八割が中年のおっちゃんだったと出ていたが、逆に、おなじWorld of Warcraftの熱狂的なファンで、中毒になって、昼夜を忘れて熱中のあまり撮影をすっぽかして罰金を取られたりしていたMila Kunisは、ずっとむきむきな中年男になりすまして、パーティのなかの暴力男として畏怖されていたそうで、千鳥だって、真実の姿は、20歳の絶世の美女かもしれないし、数えてみると足が八本あるかもしれなくて、それはそれで、オンラインでしかしらない友達を持つたのしみなのだとおもいます。

現実世界の友達のほうが真の友だというのは、友達をもたない人の幻想にしかすぎない。
世の中にはオフライン会というものがあって、普段はオンラインでしか付き合いがないひとたちが、現実に顔をあわせて、一所にビールを飲んだりして交友を深くするものであるらしいが、千鳥は知っているとおもうが、
ぼくは、友情というものに興味がないんだよ。

むかしから友達はたくさんいるし、親友というべきひともいるけれども、それはやむをえない事情によって友達になってしまったのであって、できれば友達でないほうがよかった。

友達というものは厄介で、何年もあっていなくても、それどころか言葉を交わしていなくても、考えていることが手にとるように判ってしまう。
不幸も幸福も伝染する。
苦しみが通電されたように伝わってきて、自分のものでもない困難のせいで息が苦しくなる。
オンラインでもおなじことがあるようなんだけど、こっちは社会通念がネット友達という、つながりが軽い響きの言葉の影響を受けているので、いきなりブロックして、しらばっくれてしまえば、向こうは、なんだこいつ、と考えて嫌いになって忘れてくれます。
だから、楽であるとおもう。

むかしは、さんざん駆け出しのワカゾーのくせに偉そうだと言われて、最近は、あれはああいう人だということになって、うまいことにそれでいいことになってしまったが、仕事でも仕事以外でも、他人がぼくに会うことは至難だということになっている。
謎の首領ナゾーで、ビデオ会議でまで声だけだったりして、自分でもいったいおれはなにを考えているんだろうと呆れる。

心のどこかにあるのは、どうやら家系であるらしい厭人癖で、ぼくを育てるのに母親を手伝ってくれた、というよりも、はっきり言ってしまえば母親の代わりに世話をしてくれたひとが、あなたは子供のときから顔をみただけで相手がどんな人間かわかってしまうから、とよく述べていたが、仕事上たいへん助けになっているその能力は、友達ともなれば、自分にとっても相手にとってもたいへんな負担で、やめればいいのに、むかしは酔ってしまうと、相手が考えていることをその場で述べてしまったりしたので、恐ろしがられることまであった。

友達など、持たないにこしたことはない。

ところが日本語という外国語が媒介すると別で、考えてみればあたりまえだが、日本語で考えて行動するぼくは、たしかにぼく自身なのだけど、ぼくではない。
なんだか異なる人格で、しかも自分の場合は、多分、日本語がオンライン以外ではまったく使わない言語であるせいで、いよいよ現実世界にいる英語人格とは乖離してきていて、ぼくは、ほんとうは、….千鳥が気が付いているとおり…よく、日本語で冗談で述べる成熟したおとなそのままで、少し冷淡なところがあって退屈な人格だが、日本語では、日本語を使って書き始めたころのデタラメで無鉄砲な青年がまだ生きている。

で、ほら、論理的にならべてくると一目瞭然だが、日本語で思考している「ぼく」という存在は、実は千鳥たち、オンラインの友人に完全に依存している。
友達たちがいなくなれば、ぼくという人格自体が消滅するだろう。
かけがえのない友情というが、ぼくの場合は、友情の存在自体が、ぼくの存在でもあるのです。

ずいぶん長い年賀状になってしまった。
今年は、ずいぶん嫌な騒擾の年になりそうだけど、千鳥のことだから、淡々と、自分の魂のてっぺんにある3畳敷に腰掛けて、世の中を眺めて過ごせてしまうのではないかとおもっています。

いつも、なんだかぼんやりスクリーンの向こう側にいてくれて、ありがとう。
今年も、また、よろしく。

では

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厚切りトーストの秘密

朝、起きてみたらなぜか日本にいた、という場合、なにが最も食べたいかというと、自分の場合、厚切りトーストではないかとおもう。

そう。
あの、いまは絶滅しかけているらしい「喫茶店」ちゅうやつででてくる、あれです。

ゆで卵がついている。

ちいさなグラスのボールに入った千切りのキャベツがついていて、その上には殆ど常に多すぎるフレンチドレッシングがかかっている。
小さなトマトのスライスも入っていそうです。

煮染めたような色の、でも飲んでみると意外と軽い味のコーヒーがついてくる。

いちど「アメリカン」という面白い名前のコーヒーを頼んだら、お湯を別のポットにいれてもってきてくれた店があったが、あれは、ほんとうはお湯で割って薄くするのではなくて焙煎が浅い豆で淹れるのがほんとうであるらしい。

マーガリンを塗ってだす店もあるが、それは悪趣味であって、やはりバターでないと困る。
ジャムはストロベリーとほぼ決まっていて、稀にはオレンジマーマレードがついていることもある。

ある店では、俄には信じがたいことだが、ベジマイトはご入り用ですか?と聞かれたので、虚をつかれて、「お願いします」と述べたらマーマイトが出てきた。

あとにも先にもベジマイトが日本の店で、いざ供されんとしたのは、このときだけです。

ほんとうは、ちゃんと溶けて染みこんだバターに、塩をかけて食べるとイデアの厚切りトーストの味がするので、バターと塩で食べるように、あの厚切りのトーストは出来ているに違いない。

コーヒーと厚切りトーストと小皿キャベツとゆで卵で「モーニングセット」と言って、これほど日本への郷愁を誘うものはない。

実はオークランドにもなくはなくて、Momo Teaのような台湾のバブルティーのチェーンにはたいてい置いてあります。
メニューにはある。
でも、店の外側の壁に貼りだしてあるメニューでみるだけのことで、写真で見ても微妙に異なるので、試してみるところまで行きません。
あれは、どうしても日本で食べないといけないような気がする。
マレーシア生まれの世界チェーンPappaRichにもあって、モーニングセットにロティチャナイ用の、ひと皿150円のカレーを二種類くらいつけて、モニチャナイを形成して食べてみたいとおもうこともあるが、まだ、やってみたことがありません。

むかしは名古屋では、これにセブンスターの煙草喫い放題がつくのが普通だったそうだが、「むかし」がどのくらい昔なのか聞くのを忘れてしまった。
東京の大学を出て名古屋大学の先生をしているおっちゃんに用事を頼まれて会ったときに懐古談として述べていた。
当時はヘビースモーカーだった、このおっちゃんは、毎朝煙草がただになるので、文字通り一朝にして名古屋が気に入ったそうです。

最後に厚切りトーストを食べたのは、2009年か、日本とのお別れ旅行で大阪にクルマででかけたときで、天神商店街と言う名前の、長い長いながああああーい、あんたは戸越商店街(←日本一長い商店街)か、と言いたくなるほど長い商店街の二階だった。壁際に一列に並んだ、おっさんとおばちゃん=5対1くらいの客が、新聞を広げて、小津が演出をつけた俳優たちでもあるかのように、同じ角度で並んでいて面白かったので、失礼にもこっそり写真を撮ったのが、いまでもアドビのアルバムのどこかにあるはずです。

日本の軍隊は長いあいだ脚気に苦しんでいた。
神経炎や浮腫で身動きがならなくなるくらいの症状で止まるのは良い方で、海軍などは遠洋航海に出ると水兵がバタバタ倒れていった。
1884年、軍医の高木兼寛は、タンパク質が原因だという仮説をつくって、洋食と麦飯を積極的に摂らせることによって改善できることを装甲巡洋艦筑波を使った実験航海によって示します。
ところが、この高木という人は間が悪いことにイギリス医学を学んだ人だったので、当時ドイツ医学が支配的だった東京大学医学部と陸軍軍医部に激しく批判されて、治ったのはたまたまだろう、ということにされてしまう。

そうこうしているうちに日露戦争が始まると、脚気で倒れる兵士の数は陸海軍ともにたいへんな数になって、死亡者が続出することになる。

高木式の対策をただちにとった海軍では急速に収束するが、極めて政治的で権威主義的な軍医総監だった森林太郎(そう、あの文豪として有名な森鴎外とおなじ人ですね)は高木のやりかたは科学的根拠に乏しく、非科学的で許しがたいと激しく非難して、かといって官僚主義的な科学者の常として、ああでもないこうでもない、有効な具体的な方策はなにもとらずにいて、なにしろ日清戦争後に起きた台湾討伐戦などは戦死300人に対して脚気による戦病死は3000人というありさまでした。

いま振り返ってみる人は、誰でも知っているとおり、脚気の真因は矢張り日本人の鈴木梅太郎博士が発見したビタミンB1欠乏症で、高木の仮説はおおはずれだったが、あたるも脚気あたらぬも脚気、海軍では、なにしろ高木軍医の提案どおりの献立によれば脚気が出ないのが判っていたので、あんまり理由は問わずに高木メニューを遠洋航海のレシピにしていた。

こうして厚切りトーストが日本の歴史に登場します。
一枚の写真が残っていて、海軍式トレイのうえに、白米の丼一杯と分量的に負けないためのモーニングセットそっくりの厚切りトーストと、味噌汁とスプーンが載っている。

見つけたわしは、あら、厚切りくん、きみ、こんなところから来たのか、と、なんだか座り直す気分で写真を眺めてしまった。

日本の「洋食」が、西洋の食事とずいぶん異なるのは、海外に出かける人が増えたいまの日本では、もう常識になっている。

油断すると千円札を二枚くらいも持っていかれそうなヨーロピアンカレーは、欧州には存在しないし、いやいや実はあれはイギリス式なんです、その証拠にC&Bのカレー粉はS&Bのカレー粉とそっくりでしょう?と書いてあって、え、ええええっ?
あんなカレー、連合王国では見たことないがな、も、もしかして、わし、ニセイギリス人なんでっか?とうろたえたりしたが、というのは冗談だが、なんのこっちゃとおもって調べてみると、半分はほんとうで半分はほんとうでなくて、イギリスはイギリスでも、イギリス海軍の巡洋艦の厨房で、航海の終わりに腐った肉を海に捨てるのはもったいないので水兵たちの胃袋のなかに捨てるために編み出されたのが、肉の臭味を、あまったスパイスを手当たりしだいぶち込んでつくった廃物シチューが、あの日本の「カレーライス」の原型のようでした。

いつか、パブで、屯して奇声をあげていたニュージーランド海軍の柄のわるい水兵にーちゃんたちに聞いてみたら、いまでもニュージーランド海軍の遠洋航海の終盤では、ドクサレ肉にカレーライスが出るそうで、おお、伝統のちからはすごい、と感心してしまった。

多分、厚切りトーストもカレーライスと同じように、退役した水兵のひとびとが、故郷にレシピを持ち帰って、文明の食事として全国に伝えたのが起源なのでしょう。
なにしろ故郷では、東北などは娘を売り飛ばして糊口をしのぐのが普通なほどの貧窮で、白米そのものが滅多に食べられなかった若い兵隊たちに絶大な人気を誇ったカレーライスは、ほぼ、そのままいまに伝えられているのに較べて、厚切りトーストが喫茶店でだけ出てくることになったのは、都会的なモダンなアプライアンスとして戦後60年代を通じて急速に普及したトースターが「6枚切り」の厚さを限度としていたからだと、わしは推測しています。

シチューがなぜ日本では高級レストランで出てくるのか、厚切りトーストはどうやって誕生したのだろう?
いったいなんだって日本にはドイツ料理屋があんなに津々浦々にあるんだ、日本にいるあいだに、あちこち歩いていっては話を聞いたり、本を買って読んでみたり、
特に自分が最も日本的な食べ物だと考えた「洋食」については、たくさん調べて、カルボナーラやスパゲッティナポリタン、ハンバーグ、おもしろかったので、このブログにはさまざまな洋食の起源が書かれている。

ドイツ料理屋などは、調べていて楽しくなってくるような由来で、第1次世界大戦に、ほんの言い訳のように参加した日本は、それでも青島戦を初めとするドイツとの戦いで案外な数の捕虜をとって、日本本国に連行するが、第二次世界大戦のニンピニンを絵に描いたような捕虜虐待とはなんという違いか、ドイツ人たちは楽団をつくって演奏を楽しみ、日本人シェフがドイツ人たちの好みに耳を傾けて、ドイツ人シェフたちと肩を並べてつくった料理を堪能して、町の人達とも交歓がつづいて、すっかりパラダイス日本が気に入った兵士たちは、戦争が終わっても階級制度がきびしい本国に帰る気をなくしてしまう。

日本の女の人達と結婚して、町々で開いたのが起源のドイツ料理屋が、いまのドイツ料理の隆盛に直截つながっている。

イギリスパン
https://gamayauber1001.wordpress.com/2018/10/06/a-plain-loaf/

という記事にも書いたが、日本の伝統的な「洋食」について調べると、日本というアジアの端っこで西洋文明の一員になろうと背伸びしつづけてきた国の、初めは笑い声がでて、それからだんだんしんみりしてしまうような、日本人の必死の歴史に満ちている。

ビーフシチューが最後に若い人のあいだに大流行したのは1970年代の終わりで、その最後の大ブームには、シチューという食べ物の素性が知れてきて、しかも流石の日本人にも飽きられてきた証拠でしょう。
ポトフのような食べ物が「変わりシチュー」として流行っていったのも古い雑誌から見てとれます。

前にも書いたが、日本橋には「たいめいけん」という戦前から変わらないレシピのカレーライスを出しているレストランがあって、食べてみると、なんだかカレー粉風味とでもいうような頼りない味がする。
義理叔父に聞いてたしかめてみると、義理叔父が子供の頃食べていたグリコのカレーは、たしかにああいう味であったそうで、あれはあれで、長い歳月のあいだに現代化が進んできたもののようでした。

いまでは本来のカレーがインドのひとたちによってつくられていて、最後に日本にいた8年前でも、もうさらっとしてスパイスが強い南インド風や、インドの人達も「カレーは、そりゃ、あっちのほうがおいしいさ」というスリランカのカレー料理屋が新しく開いて、人気が出始めていた。

それが実は歴史的には、食事にもようやく訪れた戦後の終わりで、日本人が苦闘のはてについに手にいれた豊かな平和の生き証人であるのは、テーブルのうえの厚切りトースト氏が誰よりもよく知っているはずです。

食べたいなあ、厚切りトースト。
今度、食べたら、自信がないというかなんというか、余計なことを考えて、しんみりしまうかもしれないけど。

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川奈まり子さんへの手紙

まり子さん、南青山に住んでるんだったね。
「南青山問題って、なんだ?青山墓地からおばけが大量発生してゴーストバスターズの映画に出てくるおばけが渉猟跋扈する町になったのか?」とおもって、みたら、児童相談所ができるとか、その児童相談所がビンボの象徴なのでオカネモチでオジョウヒンな「地域の住民」が反対しているとか、お化けが跋扈するよりも非現実的な話だったので、ぶっくらこいてしまいました。

https://www.facebook.com/100002151458082/posts/1993097790771917?sfns=cl

こどもの城や国際連合大学があったあたりは、建築が出来る、さらにその前は消防庁の演習場という名前がついた、でも滅多に使われない広大な野っ原で、義理叔父は大学生の頃、野球部の友達とふたりで、よく「ふたり野球」をやりに行っていたそうでした。
ちょうど神宮球場とおなじくらいの野っ原に、いいとしこいたガキンチョがふたりで、彼らふたりだけに見えている架空のチームメイトともに、野球の試合をする。

義理叔父の友達は、球速は150km/hあって、でもコントロールがでたらめなのでプロからはお呼びがかからなかったという人ですが、実際にコンクリートの壁を背にした義理叔父に向かって投げて、バットで打つ。

カーン!

「いまのはセンター前の二塁打だな」
「ばあーか、なに言ってんだよ、セカンドゴロじゃん」

と罵り合い、言い争いながら、試合の決着がつくまで思う存分走りまわって、日が暮れて、くたびれはてると、近所の「三河屋」というカツカレーがおいしい店で、カレーを食べて、

「どこで飲む?」と相談して、決まると、衆議一決!
いそいそとビールを飲みに行く、という日々だったようです。

後年、やはり同じ義理叔父の奨めで「楡家の人びと」という、トーマス・マン的世界への憧れに満ちた、歌人斎藤茂吉と、その家族をモデルにした、ゆったりとした物語を読んでいたら、どうやら茂吉が病院長をしていたはずの「青山脳病院」は、その広大な野っ原に面して建っていて、「楡家の人びと」を書いた茂吉の息子の小説家が盛んに「東京は原っぱの文化の町だ」と述べている、その「原っぱ」と義理叔父が、ある年などは150試合フルシーズンを戦ったというアホな消防演習地とは、同じものだと発見して、行ってみたが、その頃にはもう「こどもの城」や他のいろいろな建物が建てこんでいて、頭のなかでさえ原っぱを復元することが困難になっていた。

ついでに言うと、もの書きに転業したまり子さんは知っているはずだが、あそこには中村書店といって、東京でも十指に入る、すぐれた在庫を持った古書店があるのですよね。
植草甚一という名前の、不思議な人の本を、子供のとき、ウェリントンのマーシャルアーツショップで見つけて、日本滞在の薔薇色の思い出が気に入っていたぼくは、おもわずボロボロなのに3ドルもしたその本を買って、その当時の日本語読解力では五分の一も読めなかったが、一箇所だけ、中村書店で買い物をして、重たい本の束を両手にぶらさげて渋谷のトップ珈琲店で、たらこのサンドイッチを食べるところがあって、不気味におもって食べたことはなかったが、自分が、おとなに連れられて一回行ったことがある珈琲店に、たしかにたらこのサンドイッチがあったのを思い出して、なんだか胸のなかに太陽がのぼってくるような、なつかしさに駆られたことがありました。

あるいは、ずっとあとで、日本語の本を、意地になったように次から次に買い求めては読んでいたころ、もう誰の本か忘れてしまったが、正宗白鳥が宮益坂をおりてくるのに行きあって、ああきっと、白鳥先生も中村書店に出かけておられたたのだな、と書いた人が嬉しくなってしまう箇所があって、電車で向かいに志賀直哉が座っていて、こういう目は怖い目だとつぶやく小林秀雄や、あるいはもっと身近に、青山の、あとでツインタワーが出来るあたりから都バスに乗った義理叔父が、岸田今日子というぼくも大好きな女優さんに乗り合わせて、なぜかその女優さんが、初めてあったひとなのに、微笑みながら、ずっと、ぶしつけという表現ではすまないくらいジッと義理叔父の顔をみつめていて、それどころか、ぶったまげたことには、ふいに起ち上がって近寄ってきて、
「あなた、頑張りなさい。きっと、いいことがあるわよ」と述べて若い義理叔父をボーゼンとさせたというようなことを、都会のたのしさと考える習慣を持っていたぼくは、中村書店や隣にあったという茂吉の息子を夢中にさせたに違いない昆虫採集店や、あの一帯に残っていたらしい、「やまのてぶり」を想像する手がかりになった一角でもある。

あそこから高樹町のほうへ曲がると、骨董街があるでしょう?
京都の寺町に較べると、だいぶん高めの値付けなのだけれど、あの業界の言葉でいう「わるいもの」は少ない町で、冷やかすには楽しくて、ブルーノートに行ったりするときには早めにでかけて、のぞいてみたりしていた。
それから小原ビルの地下や、名前をもう忘れてしまったがうずらがおいしいフランス料理屋で夕食を食べて、ブルースを聴いて、バーに行く。

過剰包装で東京にいる外国人たちの笑い話のたねによくなっていた紀ノ国屋スーパーマーケットや、アンデルセンで、日本の人達のイメージがつくられているのは知っているが、どこといって変わったところのない、ただのハムが20ドルだったり、この頃の英語社会の町ならば、どこにでもありそうな中国系ベーカリーそっくりの店に、あんまり行く気は起こらなくて、ぼくにとっては南青山は、これといって都会的なところはない、でも、根津美術館やブルーノートがある点で出色の「居心地のいい町」です。

東京、というと、自分の頭の浮かんでいるイメージは青山なのだと、今回の騒ぎで初めて気が付いた。
記事には高級だ高級だと、えらく高級を書き立てているけど、まり子さんが知っているとおり、別に普通だよね。

小原ビルの地下にあるアグニの支店のインド料理店にゴールドマンサックスのおっちゃんと一緒に行ったことがあったが、そのときもふたりで1万円も払わなかったような気がする。
おっちゃんは分厚い財布の持ち主なので、しまった、もっと高級なところに行けばよかった、と、オカネモチにおごらせることを大切な趣味のひとつに数えているぼくはおもったので、よくおぼえています。

トーダイおじさんたちのなかには青南小学校出身者が白金小学校出身者と並んで多くて、二大派閥をなしている。
このあいだも青南小学校派がメーリングリストで、白金小学校出身者に較べて青南小学校出身者には何故巨根児がおおいか、という考察をしるした長いemailを回覧に供していました。

でも特に上流階級出身でもオカネモチでもなくて、普通の会社員の息子たちが多いのですよね。

ぼくの目には、今回の奇妙で些末な騒動が、日本がめざした市民社会をつくりそこなって、でも昔は山の手があって、そこでは小津安二郎的な家庭が営まれていて、と「良き日本人」が信じたかった過去の世界が、ついに「そんなものはなかった」という現実に圧倒されて、時間のなかへ消え去って行く、最後の断末魔の、いちばの滑稽な寸劇に見えました。

誤解してはいけない。
冷たい気持で述べているのではなくて、その反対で、悲しい、なんだかやるせないような気持で述べている。
ぼくは、小津映画が大好きで、おなじくらい初期と大森一樹以降のゴジラ映画も好きで、そこから現代詩を読むようになって、北村透谷や漱石になじんで、到頭、病膏肓にいたってからは筑摩の近代文学全集と岩波の古典文学大系を全巻読んでしまって、そのうえに、岡本綺堂や内田百閒の全集を手に入れて読んで、言語習得上の暴走をして、そのうえに五年間十一回に及ぶ日本訪問をして、十全外人と号するに至った。

そうそう。
それで、まり子さんたち、風変わりな日本のひとたちにも、ネットを通して会うことになったのね。

グーグルストリートって、あるでしょう?
地図のアイコンの、ちょっとホープレスな感じのするコビトをつまみあげて、通りにおくと、なつかしい風景のまんなかに自分の記憶が立っている。

ぼくが南青山で歩くすがたは、あれに似ている。

その辺の与太者よりもひどい日本語で悪態をつく「日本の高級住宅街の住人」が現実なのは判っていても、それを認められないで、よく考えてみれば車道のまんなかに立っていても轢かれもしないのだから、とっくの昔に現実の存在ではなくなっているのに、あきらめがつかなくて、いまだに「パラダイスの東京」を信じようとしている。

もうぼくが知っているつもりだった日本なんてどこにもなくて、あの相手を怒鳴りつけて非難することに自分で酔ってしまっている品性も知性のかけらもない怒号こそが日本だと、頭では理解しているのに、いまだにあきらめがつかなくて、まだ日本語の世界から立ち去れずに佇ちつくしている。

哀れな影、非望の自転。

無明のひと。

まり子さんは、児童相談所って、どんな仕事をするところか知っていますか?
ぼくは、よく知らないけど、児童相談所が出てくるドキュメンタリを見たことがあって、もう英語だったか日本語だったか忘れてしまったドキュメンタリは、団地の高層階から飛び降り自殺をした子供についてのドキュメンタリで、虐待され、無視されて、何日も満足に食べさせてもらえなかった子供が死ぬ前に残した言葉は「おなかがすいた。カレーがたべたい」でした。

そのドキュメンタリーの最後に児童相談所の所長だという人が出てきて、
インタビュアの「何十という隣近所からの、あの家の子供を助けてやってくれ、という嘆願が来ていたのに、助けに動かなかったのはなぜですか?」という問いに、

「あなたたちには判らないでしょうが、児童相談所というのは、親族ですらない方から言われたからハイわかりましたと動けるものではないんです。両親から依頼があるとか、そういうことでないと動けない。不確かな情報で動くわけにはいかないんです」と答えていた。

そんなものを南青山におくわけにはいかないって。

人間は視界の正面にいてこちらを向いているときよりも視界のすみでこちらを伺っているときのほうが遙かに残忍な顔をしている。
「おれは、黙っていてやっているが、その実、おれはおまえのことをなにもかも知っている。おまえがどこから来て、なにをしてきたかおれはすっかり知っているのさ。だから、せいぜい、こうべをたれて、足下を見て生きていくんだな」

児童相談所に足早に向かう母親の背中に注がれている視線は、きっとそういうものでしょう。
南青山の悪態男と、それに拍手を送っているひとたちは、まり子さんが感じているとおり、実は自称どおり南青山に住んでいるのではなくて、悪意に見下されない場所にいて、悪意を送りつける側に住んでいる、というだけのことが事実なのであるのに違いない。

とてもとても日本的な話で、なんの論理的なつながりもないけど、ぼくは、
「ああ、これで、二度と日本に住むことはなくなったな」と脈絡のないことを考えた。

そういうことを手紙にしたいとおもって、考えたら、まり子さん宛てにするのが、いちばんいいのではないかとおもったんだけど。
これで、仲良しの放蕩息子美術商とバー「ステア」のドアを開けてはいったら、まり子さんがいて、すぐにわかって、「あなた、ほんとにゴジラのTシャツを着ているのね」と言ってもらえる夢はついえてしまった。

ざんねん。

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たしからしさについて

目の前に、たしかに物理的に存在している、という言明の不確かさを、人間はもう知っている。
人間が持っている意識が認識している世界は、当然、人間が生まれ落ちた世界の、いわば風景によって著しく制限されたもので、例えば時間ひとつとっても人間が知っている時間は始点があって一直線に流れているという前提で出来ていて、例えば「宇宙の始まり」というが、もし自分達が住んでいる世界が3次元的な宇宙で、しかもそこに時間が始点から無限に遠い終点をめざしてリニアに流れているのならば、次元として時間がない宇宙が存在して、その宇宙では、そもそも過去を振り返ることができない。

実際、きみやぼくが住んでいる宇宙には奇妙なことが、たくさんある。
例えば天文学がすすめばすすむほど宇宙は見渡す限り同じような構成で、光の速度で一万年飛んでも二万年飛んでも、と吝嗇なことを言わずに、現実にあわせて900億年飛んでみたところで、どうやら、宇宙が構造的にまったく異なる部分を持っているようにはおもえなくなっている。

少しでも正気の人間ならば、そんなことがありうるだろうか?と思わないわけはない。
宇宙全体が同じような構成ならば、つまり、宇宙は時間の初めには極小の体積で、それが急速に膨張して拡散したことになるだろう。
しかも、初めは爆発的に急激に膨張して、やがてゆっくりと広がるという広がりかたをしたことになる。

ところで、そんな絶妙な加速度の調整が自然に行われたと考えることは、たいへんに不自然なのは、爆発エネルギーの代わりに、より人間にとっては直観的に判りやすい位置エネルギーを考えて、高いところにある物体が坂の上にあるところをおもいうかべて、そのあと宇宙が広がったように坂を転がるところを思い浮かべるだけで、「そんなことが自然に起きるわけはない」と笑いだしたくなるに決まっている。

もちろん、それだけではない。
冒頭に述べた「たしかに物理的に存在している」という言明は、自分の意識が、生まれてからいままで、ただひとつ知っている物質の存在の仕方によって存在している、と述べているだけで、ほんとうは、なにひとつ確定的なことを述べているわけではないのは、いまの世界は大学生はもちろん、少し自分で勉強する習慣がある若い人間ならば高校生でも常識として知っている。

量子論では測定されるまで、特定粒子の存在する場所は確定していない。
出かける前に財布をどこに置いたか忘れてしまった人は、昨夜の自分の行動を思い出していって、ああ、そうだ、昨日は酔っ払って、帰って来てラウンジのカウチでまず横になったのだと思い出して、カウチのクッションとクッションのあいだに挟まるように半分姿を隠していた財布を見つけ出す。

このとき、日常生活の感覚では、当然、財布はもとから、というのはつまり昨夜来そこにあったから、探すことによって見つかった、と考える。

ところが、量子論を学んだことのない人は自分で理屈を学ぶのが最も良いが、量子的な世界においては、探しはじめるまでは、財布は至るところに同時に存在していて、探すことによって、財布のありかが一箇所に定まる、と考えるのでないと理屈があわなくなってしまう。

そんなバカな、と考えるのは、人間が人間社会の大きさと行動の範囲という言わば特殊な空間と時間を生きてきたからで、仮に量子的世界を生きてきた意識というものが存在すれば、探す前から財布が一箇所に定まって鎮座している人間の世界のほうが、よほどヘンだとおもうだろう。

そういう、ハードコアな、最も基底的な問題に加えて、人間が思考に用いる言語からくる制約という問題がある。

あんまり手を広げると気が遠くなるだけなので、身近な太陽系に例をとる。
2006年に、かつては「太陽から最も遠い惑星」ということになっていた冥王星が、「あんなん、小さすぎて、惑星に分類しておくのは、あかんのちゃうの?」ということになって、準惑星ということになって、いわば惑星としてマイナーリーグ落ちになったことを憶えているひとは多いとおもう。
ところで、天体としてはごくごく内輪の親密なサークルである太陽系で、この太陽から、太陽のまわりを、長い時間をかけて、ぐるりいいいいいーんと一周してくる冥王星まで、どのくらいの距離があるかというと、よく使われる例でいえば、太陽が日本橋の欄干に載っている1メートルの球体だとして、冥王星は西ならば神戸を越えて加古川の向こう、北ならば盛岡市くらいにあることになる。
ついでにいうと太陽は直径で言って地球の100倍以上あるので、この欄干に載っている太陽の横に地球をもってくると、直径1cmもない飴っこのようなものになってしまう。

夜空に無数に見えている星の大半は恒星だが、地球から最も近いので有名な恒星のプロキシマは、地球を直径1mの球体と考えると、300万キロメートルほどの距離の向こうにあって、これがいわば太陽系にとっての「お隣り」です。

これ以上つづけていると、なんだか子供の夏休みの宿題向けのプラネタリウム解説のようになってしまうので、いいかげんに止すが、なにが言いたいのかというと、自然言語では「お隣り」を説明する時点で、すでに「300万キロメートル」という人間がもちうるイメージとして破綻した表現がでてきてしまうことで、実際、どんな言語でも人間がイメージをもちうるのは、せいぜい水平線や積雲くらいまでで、それ以上の距離があるものは、数学上の数式のほうが現実的なイメージをもちやすい。

人間がまがりなりにも宇宙について考えられる所以は数学という言語を獲得したからです。
おかげで、自然言語で、考えているうちに「神様」になって、もう少しいくと神さまも届かなくなって「むにゃむにゃ」になってしまうところが、なんとかイメージを維持できるようになった。
量子的な存在の仕方や、n次元(n>4)の空間のありかたがイメージできるのは、ひとえに数学という言語の能力によっている。

もっと簡単にいえば自然言語が「生活」という空間の内部だけを説明できる言語であるのに較べて、数学は「自然」空間の「生活」に較べれば遙かにおおきな空間や性質が異なる空間を説明できる。

ところが、嫌なことをいうと、数学にもイメージの限界があるのは、数学を多少でも勉強すれば直ぐにわかって、例えば世の中には弦理論という、なああああんだか世界の根源を説明してくれそうな顔つきの考えがあって、日本の人にも関係があるので余計なことを書いておくと、ノーベル賞をとった日系アメリカ人で、日本政府がいつものがめつさで日本人受賞者に数えようとして、あっさり「いえ、わたしはアメリカ人ですから」と言われてしまった南部陽一郎という人は、この弦理論という、いやああな理論の大立て者です。

この弦理論を勉強していて、たいていのひとに判ることがふたつあると言われていて、
ひとつは自分は頭があんまりよくないようだという厳粛な事実で、もうひとつは、
どうやら数学という言語の限界はこの辺りにあるようだ、ということだと申し伝えられている。

どうやら自然言語の外側には自然言語を使ってしか宇宙を考えられない人間存在にとっては神様が微笑んでいて、そのまわりを天使がラッパを吹き鳴らしながら飛び回っている「絶対」の世界があるように、弦理論の外側には、さらに巨大な理論が囲繞していて、それをM理論と名付けたりしているが、そのあたりにまで来ると、数学では思考がとどかなくなってしまうもののよーである。

人間は思考をつみかさねて、すすめて、だんだん自分の思考の欠陥を意識するに至って、さまざまな「わざ」を工夫していった。
たとえば芸術がそれで、プラトンはごく原始的なそれをイデアと呼んだりしたが、人間が音楽や絵画や幾何でなにごとかに夢中になっていると、ときどき、天上から降ってきたとしかおもわれない快感というか法悦に包まれることがあって、それを感覚するためには絵画ならば美術上の文学ならば言語上の訓練が必要だが、正しい訓練を重ねて、いわば正見や正語、正感覚を獲得して、おもいがけずたどりつく地点がある。

そんなおおげさなことでなくても、あるいは、なんだか急に矮小な「せこい」例を出して、ごめんね、だけど、4次元をイメージしにくい人が、n次元をn-1次元おとすという例の騙し手をおもいだして、宇宙がたくさんあるという仮定を考えるときに、宇宙と宇宙が衝突するモデルを考える代わりに、表面がちょっとボコボコした2次元の宇宙がぶつかって、その衝撃点をビッグバンとして推論をすすめる。

あるいは自分達が住む3次元的な広がりをもつ世界を考えるために、2次元人を考えて、世界観の矛盾を導き出す。

なにしろ語彙が500くらいしかない人が人間世界と地球上の自然を説明しようとしているようなものなので、不自由どころではなくて、神様からみると、ひっくり返って、長衣の裾をバタバタさせて、ちらっと足のあいだからヘンなものが見えそうなくらいジタバタして大笑いするような涙ぐましい努力で、人間はここまで自分の存在を懸命に説明しようとしてきた。

そう。
いまになってみれば、途中からは不可能だと知っていた努力を続けてきたのだと思います。

量子的世界から類推しても、どうやら無限にあるらしい存在の様式のうち、たったひとつしか十分に説明できない言語をつかって、数千年という(人間にとっては)長い時間を考え抜いて、つまりは、自分のことひとつ理解できない。

自分の目の前にある、この「現実」が、はたして伝統的に信じられてきた実質をもつ現実なのか、誰かが、あるいはなにかがプログラムした幻影なのかすら判然としてない。

もっとひどいことをいうと、実は、人間の立場から見える、たくさんの宇宙などというものはなくて、ほんとうは主幹の宇宙は虚数でできていて、なにかの間違いで実数側に、いってみれば「おでき」のように生じてしまった、ごくごく出来が悪くて普遍性のない特殊な宇宙に人間は生じてしまったのではないかと疑うと、どんどん、そうおもえてしまうたくさんの痕跡が数学という言語にはある。

孔子は、いかにも古代の人の気楽さで、

未知生、焉知死

未だに生を知らないのに、死が理解できるわけがない、と述べたが、
こちらは現代の人間なので、生ってなに? 死ってあるの?
そもそも生死といって、時間ってほんとに意識と無関係に流れてるの?

で、三流のコメディアンのような疑問の堂々巡りから抜け出られさえしない。

いったい、きみは、なにを言っているの?
クリスマスのチョコとケーキを、いっぺんに血糖値が上昇して、頭がおかしくなっちゃったんじゃない?
と、きみは言うかもしれないが、人間くらい本質的にバカで、使う言語もボロなら、頭蓋にしまわれている器官もボロで、最低限知性と呼びうるものから見れば、虫さんか、バクテイリアなみの知的能力で、それでも考える事をやめられないのだから、仕方がないではないか。

なんだか、がっかりして、椅子にこしかけてぼんやりしていると、モニさんが部屋にはいってきて、「ガメ、元気がないな。紅茶でも飲むか?」という。

それだけを頼りにいまを生きているのだなあ、とおもいます。
手のひらで、愛する人の頬にふれて、一生懸命感覚を集中して、そっと撫でると、
それだけが宇宙に拮抗する「たしからしさ」であるような気がするのは、きっと、ぼくだけではないはずで、人間は、けっきょく、そこに帰っていくしかないのかも知れません。

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