見知らぬ国の跫音

cava

Thanksgivingは、日本でいえばお盆みたいなものだと言えばいいか、行事の性格は全然異なっていても、実家に帰るひとびとの大渋滞や、ひとびとの気分はだいぶん似ている。
アメリカに住んでいる人は、ええええーと述べるのは判っているし、日本に住んでいる人は「お盆に七面鳥食べないし、安売りの買い物に行列したりしないぞ」という人がいそうだが、それはそれで文明そのものが異なるのだから、社会の現象の表層に留まらずに本質まで似たら、そっちのほうが不思議であると思ってもらわねば困るような気がする。

ひさしぶり、多分、2年ぶりのカリフォルニアは、ずいぶんいろいろなことが変わっていて、たくさん流通はしていないが2ドル札という変なものが出来ていたりする。
このカラフルな紙幣は前からあったのかも知れないが、初めて見た。

今回は他人の、というのはつまり友人たちのセットアップが多くて、毎日が酒池肉林で、贅沢三昧で、結果としてはカリフォルニアそのものから隔離されているようなものなので、モニと自分だけの時間があると、ふたりで普通な通りへでかける。
Trader Joe’sへ出かけたり、チェーンのタコス店のなかではチョーおいしいと思っているPepe’s Taco
http://www.pepesmexicanfood.com/index-2.html
へ出かけて、carnitasのタコスを食べたりしている。

ツイッタでは、ほとんどアジア人を見ないのは、どーゆーわけだ、と書いたが、つまりは場所と会う人々の問題で、そんなはずはないと考えて、たしか西南へ向かえばアジアの人がたくさんいたはずだと考えて高級店モールのSouth Coast Plazaに行ったら、どわああああと中国の人だか日本の人だかがいて、安心した。
安心した、はヘンだけれども、モールいっぱいにアジアの人の顔ばかりが溢れていて、白い人の数はポツポツとしかなくて、その風景こそが自分にとってはカリフォルニアなので、なんとなく得心がいって、落ち着く。
考えようによっては、この出かける場所出かける場所、白い人の顔ばかりで、まるでカリフォルニアが白人主義に戻ったかのような光景は、秘密結社のようで、もしかして、わしてお友達の選択が悪いんちゃうと思って、口に出して冗談に言ってみると、みな、曖昧な顔をして笑っている。
どうも、言うに言われない白いアメリカ人の感懐とでもいうような微妙な気持ちがあるものであるらしい。

スケジュールが詰まっていることを心配する友達たちに無理なことを言ってCabazonに出かけた。
Owlという町があって、その向こうにカバゾーンがあって、ははは、動物園みてえ、と思うが、日本語が判らない人に言っても通じない冗談なので、ちょっとつまらない。
Cabazonはオレンジカウンティから、さらに東へ、というのはパームスプリングがある方向へ、だいたい100キロくらいのところにある町で、チョーでかいアウトレットがあって、様子をどうしても見たかった。
わしはアウトレットというものが昔から好きで、旅先ではスーパーマーケットやファーマーズマーケットに次いで好きです。
景気や土地のひとたちの様子がよく判って、特にリゾート地へ向かう途中にあるCabazonアウトレットのような場所では、ホリデーな気持ちがのびのびしているからでしょう。
どの人もチョーおしゃべりで、普段の生活が借金との格闘で見た目よりもものすごくたいへんであること、妹は、ここの店員だが、Thanksgivingは夜の10時から朝の6時までというシフトで、身体を壊さねばいいが、とか、さまざまな生活上の話をしてくれて、皮肉な冗談かと考える人もいるかもしれないが、そういうことではなくてスペイン語の練習にもなる。

それに第一、名うてのジャンクフード好きなので、こういう町から離れたアウトレットにはマクドでもなんでも軒を並べて揃っていて、大好物、AuntieAnne’s
http://www.auntieannes.com/
のプレッツェルやKosher (←ユダヤ式食べ物)ホットドッグを頬張る楽しみがあって、アウトレット通いはやめられない。

アメリカ人がやることに倣って、他のアメリカ人が行く所に行くと、おのずから、そんなものが実在するかどうかは別にして、「平均的カリフォルニア人」の生活の細部が感知されて、たとえばアウトレットに行くのにストレッチリムジンというわけにはいかないので、アメリカ式にダブダブに図体がおおきいSUVで出かけたが、エンジンは6リッターで、駐車場で観察していると流行りであるらしいが、後部ドアがリモコンで自動開閉になっていて、ゆうううっくり、ういいいいいーんと開閉するのが、バカっぽくて、…いや、そういうことを言ってはいけないよね、のおんびりしていてカリフォルニアぽくて、なんとなく微笑いを誘われる。

こういうアウトレットに来ると、どんなに頑張ってサボっても10000歩は歩くことになるので、健康にもいい、という言い訳も成り立つ。
なによりも、銭湯とはこういうものではないだろうか、という感じの、ざっかけない雰囲気がよい。
庶民的、という古典的な表現を思い出す。

オークランドにいるときにコカコーラをおおぴらに飲んだりすると、モニさんに半日口を利いてもらえない可能性が存在するが、聡明な人なので、アウトレットのソーダスタンドで、ぶっちぎりに砂糖が入ったコカコーラを飲んで、ホットドッグを頬張りながらデヘヘヘヘをしていても、何も言われません。
歩き回るだけでは判らないので、ふたりで紙袋の塊が移動しているような姿になるまで買い物をしまくっても、楽しくて、クルマとアウトレットを往復しながら、なんだか楽しいね、と何度もうなずきあっている。
パカップル、という言葉があるが、そのもので、あんまりものを考えないということは何という幸福なことだろうという古典的な心理に思いあたります。

支払いに長い行列をしても平気なのは、アメリカ人たちの不思議なところで、イギリス人やニュージーランドなら、ちょっと顔を顰めて行列を離れて帰ってしまうが、アメリカの人は、いつまでもお行儀良く、相手が友達でも知らない人でも世間話をしたりしながら、のんびり自分の番が来るのを待っている。

わしの前に並んでいた、わしの腰くらいの背丈しかないような、無暗にちっこい中国人の、しわくちゃのばーちゃんが、前に立っている大男の白いおっちゃんにしきりに話しかけている。
物怖じしない人なのでしょう、中国語です。

へえ、と思ったのは、この白いおっちゃんは明らかに自分に話しかけているのに、知らない顔で前を向いている。
ときどき視線が行く先を見ると、身なりの良い、やはりコーカシアンのおばちゃんが立っていて、どうやら奥さんであるらしい。

多分、中国からの観光客で団体バスでやってきたらしいばーちゃんは、完全にシカトされているのに一生懸命前の大男に話しかけているので、
「この女の人は、あなたに話しかけているよーですぞ」と述べる、わし、
「え?おお。そうですか?」と白々しく驚いたふりをする大男。
口を開いてみると、訛りから察してドイツの人です。

今度は、ばーちゃんの言う事を聴く努力をするふりをするが、なんというか「ふり」だけで、もともと耳を貸す気はないのでしょう、わしのほうを見て「さっぱり、わからない」というふうにクビを振っている。
苦笑い付き。

モニが、「多分、あなたが手に持っている、そのズボンはどこで見つけたのか、と聞いている」と言うと、棚の方向を指さして、一挙にケリをつけたいとでも言うような大声で、「このズボン、あの棚!」とデカイ声で叫んでいる。
ばーちゃんは列を離れて、指さされた方角へ歩いていく。

大男は返品のためにカウンタに来たようで、長談義のあとで、書類を書いて、満足したようにチェックアウトカウンタを後にしている。
奥さんが、自分の自慢の飼い犬を見るような眼で、戻ってきた夫に、よくやった、と述べているよーだ。

自分の尻をつついている人がいるので、ぎょっとして、曖昧な笑い顔をつくって振り返ると、さっきの中国人ばーちゃんが立っていて、手にもったズボン、さっきの大男が返品していたズボンをかざして、「謝謝、謝謝」と述べている、モニさんのほうにも向き直って「謝謝」と繰り返します。
論理的にはヘンだと思われるが、「謝謝」と返答するモニとわしに向かって、深々とお辞儀をする中国ばーちゃん。

それだけですか?って、それだけですよ。
部屋にもどって考えてみると、100キロの道を行って、戻って来て、結局最も印象に残ったのはちっこい中国ばーちゃんと失礼で横柄なドイツ人おとこだった。

帰りのフリーウェイは、パームスプリングに向かう反対方向は、6車線か7車線かの道路いっぱいのクルマの洪水で、動いてさえいなくて、アメリカだなあああーと思う。
あとでテレビのニュースを観ていたら30マイルの渋滞だったと言っていたが、記憶のなかでは60マイルくらいの渋滞で、なんだかお盆の後先の軽井沢・東京間の信越道みたいだった。

カリフォルニアにやってくると必ず寄ることにしているので、明日からまたヒマはつくれないな、と考えて、Fry’sに寄ると、Thanksgivingの前晩だというのに在庫がまるで的外れで、しかも棚の表示と実際に棚に並んでいるものが全然マッチしていなくて、そのうえ、ぶっくらこいたことにはDVDの棚の半分が「Adult」になっていた。

つぶれるのではなかろーか、と失礼なことを考えながら、もう今年でFry’sにくるのも最期かなあーと考えて外に出ると、万引きの通報でやってきたパトカーが2台駐まっていて、コーカシアンのにーちゃんがお巡りさんたちに腕をつかまれている。

モニが「びっくりしたね」と言う。
ほんとだね、世界はどんどん変わっていくのね。

折角、用意してもらった御馳走は、食べる気がしなかったので、モニとふたりでおいしいのを憶えていた、小さなモールのなかの小さなBBQ屋でスペアリブを買ってきて食べた。
モニとふたりでほっぺについたBBQソースを笑いあいます。

「ガメ、フリーウェイでナチヘルメットの骸骨のステッカー、気が付いたか?」とモニさんが述べて、わしが頷いている。
そう、3台見た。
わたしは4台、と、どんなときでもわしよりも注意力があるモニさんが述べている。

ニュースのなかではドナルド・トランプが予想を上回る実行力で、とんでもない閣僚候補と話し合いを重ねている。

ここには大勢いるメキシコの人達の笑い顔や、あいつらは行列も守れないからね、と不機嫌な顔で述べる白い人達の顔を思い出している。

それがどんな世界かはまだ判らないが、なにかいままでに見たことがないアメリカ合衆国とでもいうような、得体の知れないものの跫音が、太陽の光が降り注ぐ、のおんびりのカリフォルニアにさえ響いている。

来年、早々にまたアメリカ合衆国に来なければ。
今度は、中西部に。

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明日

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ロサンジェルスに行くしたくをしなければならないが、なんとなく面倒くさい。
ずっとブログやツイッタで付き合ってくれたひとびとは知っているが、わしとわし友達が、なあんとなくトランプが勝つだろうと思っていたのは、やはりBrexit投票のせいである。
途中、どの発言だったか忘れたが終盤でいちどだけ、「あっ、これならヒラリー・クリントンが勝てる」とおもう一瞬があったが、JFKの昔から民主党大統領にとっては鬼門のFBI長官のせいで、ほぼ投票の前に惨敗が決まってしまった。

文句おやじのマイケル・ムーアが、主に出身地のフリント(←GMのお膝元の企業城下町)での観察に基づいて「信じたくないだろうがドナルド・トランプが勝つ」と述べていたが、結局は、その通りになってしまった。

http://michaelmoore.com/trumpwillwin/

やはり、このブログ記事にも書いたが、2年前、中西部の町であるラスベガスで、いわゆる「とてもいい人」のタクシーの運転手さんと話した。
ニューヨークにいた人で、手堅かった職も捨てて、中西部のある町に越したが、仕事がみつからなくてラスベガスに出て来た。
ラスベガスの南に新しく出来たショッピングセンターから、ラスベガスの北まで乗る短いあいだに話をしたが、
いつもの軽口で「ニューヨークは楽しい町ではないですか」と述べると、意外や深刻な調子で、「異なる人たち」と一緒に暮らすのに疲れたんです、という多分生まれたのはジョージアどこかだろうと思わせる口調で答えてくれた。
異なる人たちって?と聞き返すと、うーん、you know、と述べて言葉を濁している。
きみも、きみの隣に座っている奥さんも、白人なのだから判るだろう、という口調です。
でも、言葉にして言うのは、嫌なのであるらしい。

わしはモニがちょっとびっくりした顔をするくらいチップを渡してタクシーを降りたが、それはもちろん、その運転手のおっちゃんの意見に賛同したからではなかった。

ヒラリー・クリントンはプア・ホワイトに負けたのだ、と言うが、数字はどうあれ、実感としては、そう思うのは難しい。
このブログに何度も出てくるように、テキサスにはたくさんの友達がいるが、話してみると、トランプに投票した友達が多いようでした。
「めちゃくちゃじゃん」と、言うと、トランプは良い人間ではないし、4年間、アメリカ人は苦労するだろう、という。
じゃあ、なんでトランプなんかに投票したんだい?とひとりを除いては年長者である友達たちに聴くと、「ヒラリー・クリントンのアメリカで暮らしたいとおもうアメリカ人はいない」という。

ウォール街の連中を見ろ。
彼らが例えばCDOを使ってやったことを見ろ。
毎日、夫婦共働きで、精一杯働いて、幸福を夢見て働いたアメリカ人たちに対して、あの銀行の豚共がやったことを、見ろ!
という。

汗水たらして働いて、ローンを組んで、必死の思いで暮らしていた人間たちから、あいつらはカネを吸い上げて、その上、そのカネを必ず最後にはすると判っている賭博に投入して、トランプのカードの上にカードを乗せて組み上げたタワーが崩れると、なにくわぬ顔で、税金でベイルアウトして、失敗したのに市場から退場すらしない。
負けたものが破滅するのは資本主義の最低限のルールじゃないのか?
投機的どころではない、ほとんど架空な、無責任な博奕を打って、勝てば自分たちのもの、負ければアメリカ人全部に自分の負けを払わせるのか?
それがアメリカか?
ガメ、きみは欧州人だから判らないかもしれないが、アメリカは、アメリカという理念で出来ている国なんだよ。
高く掲げられた公正と自由の松明に惹きつけられて世界じゅうからやってきた人間がつくった国なのさ。
それを、あのウォール街の豚どもは、なにもかもぶち壊しにしてしまった。

ガメ、きみのことだから、どうせ、ヒラリー・クリントンが女だから、きみたちは色々な理屈をつけて指がかかった大統領の椅子からヒラリーをひきずり落とそうとしているだけだろう、と皮肉に述べるに違いないが、
断じて違う!
おれたちはアメリカを取り戻そうとしているだけなんだ。

公正を期すために述べると、なんだか電話の向こうでちからが入りすぎて、怒鳴りまくるような調子になって「ウォール街が資本主義を殺したのだ」と叫んでいる人は、テキサス大学を出て、たしかウォートンかどこかのビジネススクールに行った人です。
アホな人ではなくて、ロッキードの顧問みたいなことをしていたはずである。
銀髪のアイルランド系4代目の移民で鷹のような目をしている。
たいへんな善人で、わしは、この人が人に知られず、自分がたたきあげからつくった財産の半分以上をアフリカ人の貧しい子供たちが教育を受けられるように寄附をしているのを、まったくの不思議な偶然から知っている。

「アメリカ的価値」に敏感な人で、前にブログに書いた、パブで、わしがウエイターにいつものつもりで何の考えもなしに多めのチップを渡したら、わし手を引いてウエイターのところまでわざわざ歩いていって
「ガメ、この男が、あんなチップに値するほどちゃんと仕事をしていると思うか。
こんなナマケモノの男に、こんなにたくさんチップを渡しては、アメリカ社会にとって迷惑だ。甘やかしてはダメだ」
と言うなり、チップの大半を気の毒なウエイターの手からもぎとって返させたのは、この人です。

あるいは産業構造の話をしていて、話が教育に及んで、わしが軽い気持ちで、
でも、ほら、あのXXさんも、いまの若いアメリカ人にとっては銀行で出世して、金融でオカネを稼ぐのは良いことだと述べていたじゃない、と述べると、
「でもXXはアジア人ではないか」というので、モニとわしに人種差別だよ、それは、と言ってさんざんからかわれた。

このブログを一緒に読んできてくれている人たちは、皆がよく知っているように、わしはチョー鈍感なので、この数年、いろいろな人、特に中西部人と話して、おおきな潮流が動いていて、たくさんのひとびとが「こんな国はアメリカではない」と訴えていたのに、気が付かなかった。
ある人々にとっては、アメリカを腐ったカネ世界に変質した金融人に繁栄を謳歌させるくらいなら、トランプを選んで、社会を滅茶苦茶にして、その破壊の渾沌からもういちどやり直すべきだ、という考えのほうが、ヒラリー・クリントンの「異なるひとびとのアメリカ」よりもマシだと感じられたもののよーでした。

「ヒラリー・クリントンが勝ったとき用」のスケジュール表に較べると、「トランプが勝った場合」のスケジュール表は、チョー過密で、なんだか二週間くらい、毎日人と会って、しょもないオカネの話をすることになりそーな気がする。
サウスコーストプラザに出来たデンタイフォンに行きたかったのに、そのくらいのヒマもあるかどうか。
仮にトランプが保護貿易主義的な主張を変えないとなると、アメリカ経済の凋落は目もあてられないものになるはずで、ネオ・レーガノミクスというか、
アベノミクスとも似ていて、毎日の生活において「おー、アメリカがまたグレートじゃん」と嬉しくなる一般のアメリカ人の「儲かっちゃって、案外よかった」感の裏では、利率があがってアメリカドルの価値が上昇して、国家財政の赤字は、ものも言えないほど増えてゆく。
「国民には経済は判っても財政は判らない」というが、そのとおりで、雪だるま式に膨らんでいく国家財政の赤字のなかで、一般アメリカ人は、下手をすると二期目もトランプを選びそうなくらい「繁栄」を謳歌することになるかもしれない。
でも、その借金を肩に担がされるのは例えば日本人たちで、レーガンの頃は日本人が喘ぎながらアメリカ人の生活を支えたが、いまの疲弊して旧式な産業構造の日本に、そのちからが残っているかどうか。

また戻ってきて日本語でトランプ大統領下の経済の話を書くに違いない。
わしは毎朝母語である英語でモーニングジャーナルを書く習慣を持っているが、日本の人だけが読める、「誰にも読めない言葉」で、自分の考えを整理したいと思うことがあるからです。

いまの考えではトランプが大統領のアメリカが支配的な役割をはたす世界は、
「原理主義的なレーガノミクス」とでも言うべき世界だとおもうが、アメリカにとって上手くいくにしろ、いかないにしろ、想像を絶するお下品な経済世界で、
最近やる気をだしていたところだけど、またコンサーバティブな投資へ投資をふるかなあーと思ったり、ゲーマーな凍死家としては、悩みがつきない日々になりそうなのではあります。

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病としての人種、という思想

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夕方、カウチに寝転んでいるうちに、いつのまにか眠ってしまったらしい。
窓をたたく激しい雨の音で目をさますと、時計の針が9時を指している。

映画 5 Flights Upはブルックリンに住む、アフリカンアメリカンの夫とコーカシアンの妻の物語で、ピザを食べながら、自堕落に、モニさんの膝に頭をのせて観ていたのだった。
コーカシアンの夫とアジア系の妻という組み合わせ以外は、まだ少なかった異人種間の結婚が少なかった70年代に、モーガンフリーマンが演じる画家の夫とダイアンキートンが演じている教師の妻は結婚する。
結婚数年で買ったブルックリンの五階にあるアパートにはリフトがなくて、歳をとって体力が落ちる老後を考えてアパートを売ってリフトがあるアパートに移ろうと考える。

物語の筋書きとしては、ただそれだけの映画だが、ドナルドトランプのせいでタイムリーというか、モニさんが見つけてきた映画を、ふたりでいろいろと考えさせられながら最後まで観ることになった。

途中、自分にも共通した英語文化を自嘲したくなる箇所がいくつもある。
妻が母親に、なぜ自分が結婚の相手を見つけたことをもっと喜んでくれないのだ、と怒ると、母親は「喜ぶように努力する」と述べる。
横から姉だか妹だかが「だって社会にはまだまだたくさん偏見が残っているのよ」という。

ニューヨークでも90年代初頭まではアフリカンアメリカンの夫とコーカシアンの妻では、街角でも、やや緊張して立っていたものなあ、70年代では映画のなかでは詳しく述べられなくてもたいへんだったろう、と考える。
考えてから、ああ、世界は、またこの頃の社会に戻ってしまうのかもしれないのだったな、と苦い気持ちで思い出す。
まるで自分が過去に向かって暮らしているような妙な気持ちと言えばいいのか。

ティーパーティ派のミナレットの上の人であるGlenn Beckが、トランプがSteve Bannonを首席補佐官に任命してしまったことは、たいへんなことだ、これではアメリカは巨大KKKになってしまう、とパニック気味に述べている。

CNNを観ていると、さすがのAnderson Cooperも、この新右翼運動の大立て者、THE BLAZEのオーナーである人物が、自分に向かって「あなたがたが私を信用しないのは判っているが、どうか判ってくれ。オルタナ右翼の道を開いた私は、Steve Bannonのような人間に道を開くことになるとは思っていなかった」とまくしたてるのに、呆れて、というよりも軽いショックを受けて、どう問いかけていけばよいか判らない体裁のインタビューだった。

「ドナルドトランプ自体はレイシストじゃないんだが、Steve Bannonを引き入れては話全体が、まったく趣を変えてしまう。これは大変に危険なことだ」と繰り返し言う。

観ていて、当たり前ではないか、おまえはいまさら何を言ってるんだ、と顔を歪めて笑いながら考えたアメリカ人も多かったのに違いないが、アメリカにはたくさんの「アメリカ」があって、言葉にすると冗談じみているが例えば人種差別にも、たくさんの種類の人種差別がある。

人種差別みたいに話題として不快なものを、いちいちタイプ別に挙げるようなことは、つまらないのでやらないが、簡単に言えば、無自覚な人種差別主義者であるGlenn Beckは、自覚的で、極めて攻撃的で、英語の正しい意味におけるリンチくらいは何ともおもわない、前回に「ミシシッピ型」と言って述べた最も暴力的な白人至上主義にトランプがたいした考えもなくドアを開けてしまったことに衝撃を受けている。

アメリカの人種差別のおおきな特徴は優生学的で「血」の問題をおおきく焦点に持つことです。
え?だって、欧州のナチもおなじじゃない、と思う人がいるだろうが、それはそうではなくて、ナチの反ユダヤ、アーリア人至上主義自体がアメリカの優性思想を拝借して出来たもので、いわばメイドインUSAなのだという歴史的な背景を持っている。

たとえば1920年代から30年代にかけて、週末の楽しみとして高校生たちは「The Black Stork」
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Black_Stork
の上映会に集団で出かける、というようなことがあった。

優生学外科医のHarry J.Haiseldenその人が自分で出演している、このベラボーに人気があった映画は、1917年に作られてから、都市部ではさすがに内容がなまなましすぎると問題になりはじめたので上映が男女別になったり、Are You Fit to Marry? と題名を変えたりしながら、サイレント映画そのものが人気を失う1942年まで、アメリカの田舎では人気を保ち続けた。
さまざまな遺伝病を持った人間は結婚を諦めなければならない、というような良く知られた内容の啓蒙映画だったが、ここで日本の人として注意して欲しいのは、このさまざまな遺伝的な病気のなかに、黒人であること、アジア人であること、も含まれていることで、人類にとって有色人の遺伝子を持っていることは世代交代の過程で排除されていくべき形質であると普通に信じられていた。

実際、この有色人であることを一種の遺伝病障害であるとみなす思想が、初めに法制化されるのは、実は日本移民に対しての法律である1924年の、Immigration Act of 1924が嚆矢で、アメリカで初めての人種隔離法の対象はアフリカンアメリカンではなくて、日本人だった。

もしかすると、これも一種の遺伝病なんじゃないの?と思う事があるが、生まれついて皮肉な考えかたが頭にこびりついている連合王国人たちは、アメリカ合衆国に堂々たる差別を復活させつつあるドナルド・トランプの妻が東欧人であるのを観て、なんとなくニヤニヤしていたりする。
トランプが初めの盟友と考えているらしいNigel FarageのUKIPは東欧人への差別愛好者の集いでもあるからで、Farage自身、オーストラリアやインドからの移民のほうが東欧移民なんかより遙かにマシであると述べていたりして、普段の言動から到底メラニア・トランプに人間的な敬意を持つタイプの人間とはおもわれなくて、イギリスでは根強いメラニアはコールガールだったという英国人らしく意地の悪い噂にひっかけて、ファラージュのやつ早速お祝いにかこつけてニューヨークに行って内緒でイッパツやりたいだけなんじゃないか、と当のUKIP党員が述べていたりして、なんというか、おぞましい。

ゼノフォビア的な要素が強い連合王国の人種差別に比して、遺伝学的な要素が強いアメリカの優生学的な「科学」によって形成された人種差別は、トランプ自身にも潜在意識形成的に影響していて、無意識のうちにこの人の頭のなかで形成された「人種差別思想」が「血」で定義されているために、かつてヒットラーを大喜びさせて「是非、その思想をドイツに輸入しよう」と叫ばせた優生学的人種差差別思想をアメリカに甦らせてしまった。
「白人同士、しっかりヨソ者に軒を貸して母屋をとられないようにやっていこうぜ」とパーティのドアを開けたら、どやどやと入ってきたのは、過去の大西洋を越えてナチのユダヤ人虐殺を生みだした亡霊どもだった。
自分自身が人種差別体質のGlenn Beckは、だからこそ、Steve Bannonたちの自分たちとの本質的な体質の差異を敏感に嗅ぎ分けていたのに違いない。

Brexitへの運動が、もともとは大陸的な官僚主義への反発と憂慮から起こったのに、途中でパーなひちびとのせいで異民族排斥運動に姿も性質も変えていったのと似ていると言えなくもない、トランプ現象も、当初言われたプアホワイトの怒りの表明というようなものではなくなって、本質は、白人至上主義運動に姿を変えている。

日本から観ていて、なにも嫌いだというだけで、暴力をふるったり、殺そうとしたり、国外に追放しなくたっていいだろうに、と考えるのは、もっともではあるが、白人至上主義者のGlenn Beckを心底から怯えさせているものを見落としている。
アメリカの、この種類の人種差別運動は歴史的にも強制収容所やリンチ、国外追放へ直結しやすい危険なものである。

5 Flights Upの老夫婦は、結局、アパートを売るのをやめてしまう。
自分達が、異人種の壁も越えて、世間の無理解との軋轢も克服して、お互いを庇い合うようにして生きてきた価値の大切さを噛みしめる。

2013年には、まだ、アメリカ人はあんなふうに考えることが出来たんだ、と思わずにはいられなくて、思いもかけず、そう考えた瞬間、なんとも言えない疲労感と寂寥、いったい自分たちは何をやっているんだ、という気持ちに囚われた。

こんな筈では、なかったのに

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ドナルド・トランプの世界

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ニューヨークに住んでいて、いかにもパチモンなマンハッタンのハイソサイエティと交流がある人ならば、ドナルド・トランプの名前を聞いて思い浮かべる断片がたくさんあるだろう。
もっとも、そういうパーティのなかでもドナルド・トランプが姿をみせるパーティは、なぜか白い人ばかりのパーティで、おおきなコミュニティのパーティ、例えばプラザホテルのロシアンコミュニティのそれですら、記憶をたどっても、ひとりのアフリカンアメリカン、アジア系人の姿も、記憶のベールの向こうにある会場に見つけることはできない。

入り口を入ると、右側に小さな小さな老女たちが立っていて、強制的に握手をすることが求められる。
このひとたちは誰であるかというとロマノフの最後の王女たちということになっていて、なっていて、と言った途端に「そんなことが現実なわけはない!」と怒り出すひとの顔が目に見えるようだが、アメリカの「ハイソサエティ」のリアリティの感覚は、そういうもので、日本で言えば万世一系皇統伝説のようなもので、皆が本当でないと知っているが真実なのではあって、人間の都合は、神様では理解できないほど複雑である、ということなのでもある。

ともあれ、ふたりの上品に見えなくもない王女たちと握手して、ひざまづいて手の甲にキスじゃなくてもいいのか、簡便であるなとおもいながらホールをちょっと進むと、悪趣味がトウモロコシの毛を頭から生やしているような趣のおっちゃんが立っていて、あれ、誰?と聞くと、ああ、あれがドナルド・トランプですよ、ほら、トランプタワーの、破産が趣味の男、とフランス人のおばちゃんが述べて、くっくっと可笑しそうに笑っている。

テーブルにつくと、身なりのいいフランス人のカップルとロシア人のカップルと、若い、聡明な瞳をしたロシア人の若い女の人が同席で、なかなか楽しいテーブルだった。
「あなたはニューヨークに住んでいるの?」と聞くので、いや、ぼくはまだ大学生で、大西洋を越えてやってきたんです。
両親の名代というか、偵察隊というか、と述べると、若いわしよりも遙かに賢そうな女の人は、目を輝かせて、
「わたしと同じだわ!」という。
聞いてみると、毎週木曜日にニューヨークを経ってモスクワに帰って、日曜日の夜に戻ってくるスケジュールが続いているのだという。
十年以上前の話なので、わしがいくらのんびりでも、この人がロシアマフィアボスの娘であることは想像がついて、まあ、ゴッドファーザーみたいだわ、となんとなく浮き浮きしてしまう。
一瞬、どうしてマフィアボスの娘というのは美しい人が多いのだろう、と考える。

ダンスフロアに誘うと、思いの外、緊張していて、「わたし、あんまりダンスパーティに誘ってもらえないのと」と寂しそうに述べていた。
あまつさえ、ぶっくらこいたことには、心がこもった調子で「ほんとうに、ありがとう」と言う。
ダンスに手をとって誘って、相手の女の人に「お礼」を述べられたのは、前世のハプスブルク朝のワルツ夜会が最後ではなかろーか。

こちらも、たいそう美しい人である50代くらいの女の人は、やはり話が面白い愉快な人で、旅行の話をしていたら、わたしは若いときにはベトナムにいたことがあるの、という。
それは良いが、中東にいたことがあって、アフガニスタンにいたこともあるので、だんだん聞いていて、いつもの悪い癖が出て、ふざけて、「まるでKGBのスパイみたいですね」と茶化すと、
隣に座っていたロシア版杉良太郎みたいなおっちゃんが「ああ、この人はKGBの幹部だったんですよ」というので、椅子からずるこけそうになってしまった。

それがいまはしがない国連職員なのだから、嫌になる、と呟いているおばちゃんに聞いてみると、ソ連崩壊のあと、アメリカにやってきたそうで、モスクワ大学を首席で卒業したというので、あんまりオベンキョーの話はしないほうが身のためである、とふだんはのんびりの頭で素早く計算したりしていた。

演壇にはいつのまにか、ドナルド・トランプが立っていて、大統領みたいというか、ハリウッドの大根役者が演じそうなチャラい大統領みたいなことを述べている。
あとで、おやじパリス・ヒルトンと命名することにしたが、パリス・ヒルトンとそっくりな性格で、自分のことしか興味がなくて、
パリス・ヒルトンが、あるときストレッチリムジンを降りて、途端に
「あら、あたしの3万ドルの指輪が、いま側溝に落ちてしまった!!」と叫んで、大騒ぎになって、みなで慰めて、たいへんなパーティの始まりになってしまったのは有名だが、そのときの指輪が実は40ドルのものだったことが使用人の証言でばれて、トランプという人も似たようなことをする人だった。
注目を集めるためなら、なんでもする種族は、おなじ種類のパーティに集まってくるが、このふたりが姿をあらわすパーティは重なりはしないが、おなじ匂いがある。

多文化社会の興味から言えば、トランプという人をひと言でいえば
「黒人テナントを拒否してthe Justice Departmentから訴追された不動産会社の持ち主」で、実際、この人の人種観は奇妙なくらい北欧系ロシア人たちに似ていて、自明であると言いたげな白人優越主義で、アジア系人やアフリカ系人は、差別しているというよりも人間として眼中になくて、まったく興味をもっていない。
ジョージ・W・ブッシュの母親であるバーバラ・ブッシュに代表される南部エスタブリッシュメントとも、異なって、decencyになどはかけらも興味をもっておらず、まっしろな花嫁をもらって、幸福に新婚時代を過ごして、ある日、子供が出来てみたら、アフリカ系人の特徴をもっていたということを最大の悪夢と考えるような人たちで、日本語人が、日本語の世界とは感性的に最も遠い、彼らがどういう世界に住んでいるかを理解するためには、ウイリアム・フォークナーの物語群、取り分け「アブサロム、アブサロム!」を読むのがいちばん良いような気がする。

ヘンリー・サトペンにとっては近親相姦よりも、遠い祖先に一滴でもアフリカ系人の血が混ざっていることのほうが遙かに罪深いことであって、サトペン家の最期の生き残りは重度知的障害者の「黒人の血で濁った」ジムだけになる宿命にある。

トランプがバラク・オバマの出生証明がニセモノであると決めつけたことは、だから、発想そのものが自分達を「正統なアメリカ人」と考える支持者たちの好尚に訴えていた。

気休めにもならないというか、ドナルド・トランプが選挙戦術として、数々の呆気にとられるような、他人種への侮辱的な発言を繰り返したのだと主張する人々がたくさん現れているが、本人と話したことがあったり、日頃の言動を知っている人にとっては、一連の発言こそがトランプの本質で、ミシシッピあたりの田舎に行けば、たっぷり堪能できる、その背景になっている白人至上主義文化を日本語で日本にいて理解したければ、繰り返すと、ひと夏フォークナーを読み耽るのがよいと思われる。

共和党では、すでに内部対立が深刻になりはじめて、もとから顕在化している伝統的な共和党勢力と新興のティーパーティ由来の共和党勢力との対立に加えて、ティーパーティ派内部での対立が外部に漏れ聞こえてくるようになってきた。
面白いのは、マイク・ペンスが、大統領になる野望を持ち始めたらしいことで、
ニューヨークのロシア・フランス系コミュニティと極めて近いドナルド・トランプと異なって、ペンスは有名なロシア人嫌いで、トランプとは、そういうことを軸に感情的対立が始まっているようでもある。

マケインとペンスも意外や情緒的に比較的に近くて、トランプは取りあえずは共和党保守派の顔色をうかがって温和しくせざるをえないだろうが、なにしろ飽きっぽい人で、大統領の椅子を獲るまでは夢中になって暮らせても、いざ椅子に座ってしまうと、めんどくさくなるのではなかろーか。

なににしろ、アフリカ系中東系、アジア系で言えば、なぜかそれほど嫌でないらしいインド系をやや別にすれば、中国系韓国系日系のアメリカ人にとっては、地獄の門が開いたに等しくて、ツイッタやなんかで何度か述べた、フレンズあたりから始まって、Pan Amが企画され、Mad Menがバカ受けして、Downton Abbeyまでがアメリカで人気出るに及んで、世の中の「空気の変化」を察知した英国俳優組合やアメリカのアフリカ系俳優たち、プロデューサーたちまでが「ドラマ・映画のホワイト化」に対して強い警告を述べたのが、ついにフォークナー的なアメリカ社会の呪いを呼びさましてしまった。

4年間は最低でも続くことが保証された悪夢が、まだ正式には始まってもいないことを考えると、なんだか気が遠くなるような気がしてきます。

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日本語の娯しみ2

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あまり訊かれもしないので、訊かれなければ当たり前だが、答えもしなくて、わしが日本にいたことがあるのを知っている人は、ごく少ない。
まして日本語が理解できることを知っている人は少ないというよりも、驚きであるらしくて、かかりつけの医者である女医さんなどは眼をまるくして日本語と本人のイメージがあわないという。
おおきなお世話だが、ふだん日本語では触れないことにしている、もうひとつ別に準母語と自慢してみたくなくもない言語があって、その言語との印象もあわないのだという。

なんで?
と言われるが、なんでと言われても困るので、理由などはなくて、理由がないので、日本語が理解できるのが露見して、釈明を迫られるたびに、子供のときに住んでいたことがあるから、とか、バスク語よりも難しいから、とか、甚だしきにいたっては世の中にあれほど学んで良いことが何もない言語はないから、とか、その都度、テキトーに答えている。
わしがやることにいちいち理由があると考えるような人に、ちゃんと考えて答えても仕方がない、という気分にもよっている。

言語がある程度できるようになると、母語で見知ったのとは別の人格が生じる。
誰でもすぐに気が付くように大庭亀夫という名前は、オオバカめな夫という意味に加えて、game overを和名化しただけの名前だが、この日本語人には独立した人格があって、「こんな下手な小説もどきのものを書きやがって」とコメントがいくつか来たので、やめてしまったが、自分が好きな日本語の時代である1910年代から1960年代頃の語彙を使ってつくった大庭亀夫という別人格は、英語人である自分とは、だいぶん違うように思われたので、日本語が出来上がり始めた頃、この人に勝手にしゃべらせてみたこともある。

勇者大庭亀夫はかく語りき
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/29/cameo/

日本語が判るようになって、いちばん嫌だったことは、日本の人の心性の卑しさ、他人を攻撃することが大好きで、根も葉もないウソを捏造までして他人を貶めて、勝ち鬨をあげたがるバカみたいな国民性で、たとえばわしブログを読んで来た人や日本語ツイッタに付き合って来た人ならば誰でも知っている、この6年間変名アカウントをつくってまで絶え間なくしつこく誹謗中傷を続ける能川元一という人や、そのお友達の、はてなというチョー日本的な世界に群がる自称リベラルのごろつきおじさんたちがこれにあたる。

良い方は、歴然としていて、ここに名前をぞろぞろと全部挙げるとスピーチが下手なオスカー受賞者の挨拶みたいなことになってしまうので、挙げないが、たくさん日本語の友達が出来て、日本語自体が何ヶ月かでも日本の社会に住むことに興味がなくなってしまったせいで、インターネットでだけ使う風変わりな言語になっている。

正直に気持ちを述べてしまえば、ごく早い段階から日本の社会は、まるごと軍隊のようで、社会としての最低の機能もはたしていないのが見てとれたので、あんまり興味を持っていなかった。
日本の人はよく混同してしまうが、別に社会が好きでなくても、ひとつの言語族を好きになることは、よくあることで、国なんてないほうが誰にとってもずっと幸福なほどひどい社会だったソビエトロシアの時代でも、ロシア語とロシア文化が好きな人は、たくさんいた。

日本語には良いところがたくさんあって、いますぐに世界からなくなっても誰も少しも困らないマイナー言語であるのに、これほど豊穣な文学をもつ言語は他にありはしない。
谷崎潤一郎、北村透谷くらいから始まって、夏目漱石、内田百閒、岡本綺堂、無限に近いほど優れた表現がつまった日本語の本が存在して、日本語は読む本に困るということがない点で奇跡に近い。

もともとは英語で記述されたラフカディオ・ハーンの「怪談」と「奇談」は、極めて高い知性と志操の持ち主であったらしい奥さんのセツさんの日本語を反映して、英語だけの独力では難しい「静かな言語」としての英語を、強い日本語の影響力の下で構築している。

オダキンという「二次元趣味」のせいで、英語国ならとっくの昔に失職していそうな、仲のよい年長の友達に書いた自分の文章があるので、そのまま引用する。

……..

きみは、いま松江にいるそうで、正直に「うらやましいなあ」と思う。
ぼくは京都の日本海側から松江あたりまでの日本海側にあこがれがあって、柳田国男が生まれた町や、志賀直哉の短編で描かれた町、浜坂という小さな美しい浜辺のある村や、そういう場所をうろうろしてみたことがある。
松江にも行きたかったが、そのときは神戸でひとと待ち合わせをしていたので行けなかった。

ラフカディオ・ハーンという、変わり者で片眼、小男のギリシャ系イギリス人は、たいそうラッキーな奴で、その人生の後半に小泉セツという素晴らしい女びととめぐりあう。
小泉セツが英語をおぼえようとして使った手書きの英単語帳がいまでも残っているが、「アエアンナタハングレ」(I am not hungry)というような言葉を見ると、そのまま、その場を動きたくなくなるような気持ちになってしまう。
英語を話さない小泉セツと自分で発明したような風変わりな日本語しか話さなかったラフカディオ・ハーンは、しかし、「ヘルンさん言葉」とふたりで呼んで笑ったという、ふたりのあいだだけの日本語で会話を重ねながら、幸福な結婚生活を送る。

「破られた約束」のようなラフカディオ・ハーンの傑作は、今昔物語や雨月物語からの再話ではなくて、どれも小泉セツが「ヘルンさん語」でラフカディオ・ハーンに語ってきかせた松江の物語だった。
西洋人がいまでも持っている「美しい、神秘の日本」というイメージはハーンがこしらえたもので、そのもとは松江の風景のなかで生きて死んだひとびとの物語だった。

ある日、「自分にもっと学があれば、あなたの書き物の助けになったのに」とセツが述べると、ハーンはセツの手をとって自分の著作が並ぶ本棚の前に行き、
「だれのおかげで生まれましたの本ですか?」と「ヘルンさん語」で語りかけた。
一緒についてきたふたりの息子一雄に向かって、「この本、皆あなたの良きママさんのおかげで生まれましたの本です。なんぼう良きママさん。世界でいちばん良きママさんです」と言った。

ハーンが好きなものは、「西、夕焼、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱」であったという。

「(明治)三十七年九月十九日の午後三時頃」、セツに「あなたお悪いのですか」と尋ねられたハーンは「私、新しい病気を得ました」と答える。
「新しい病、どんなですか」
「心の病です」
心の病、とは心臓病という意味です。

死の数日前、ハーンはセツに
「昨夜大層珍しい夢を見ました」
「大層遠い、遠い旅をしました。今ここにこうして煙草をふかしています。旅をしたのが本当ですか、夢の世の中」
「西洋でもない、日本でもない、珍しい所でした」という。

ハーンはそうして、五十四歳で死んでしまうが、きっと死の時にも松江の美しい風景を思い浮かべていたに違いない。

ぼくは松江の小さな家で、セツと肩を並べて、セツが「ヘルンさん語」で語りかける「破られた約束」の物語を、「ママさんの話は、とてもこわい」と述べながら、悪い視力のせいで丈の高い机に顔をくっつけるようにして原稿を書いていったハーンを思い浮かべる。
セツとハーンのまわりを出雲に集まった帰り途の八百万の神さまたちがぐるりと囲んで、小さな外国人と、ぴんと背筋をのばして座る武家の娘が、ふたりで紡ぎ出してゆく美しい物語を、人間には聞こえない声で称賛の嘆息をもらしながら、どきどきしながら聞き入っていただろう。

松江。
うらやましいなあ。
放射脳のぼくは、もう行けなくなっちゃったよ。
あれよりうまそうな出雲蕎麦の写真を送りつけた場合は、夜中の寝床で我が式神の祟りをうけるものと知るべし。

では、また

…..

松江という町は、いちど行ってみたかったのに、行かないで終わってしまった日本の町のひとつで、東京に偏った日本滞在のせいで行かなかった、内田百閒の生まれ故郷の岡山や、四国まるごととあわせて、2005年から2010年の5年間に11回も日本に出かけて、長いときは1年の半分以上も滞在したのに、出かけなくて、とても残念な気がする。
自分にはどうやら、バルセロナ、東京、ニューヨーク、シンガポールと、同じところに何回も出かけて、数ヶ月滞在するというような癖があって、それと引き換えに、いかないで終わらせてしまった町も多くて、韓国のソウルなどは、あとで、うへえ、と考えた代表ではないだろうか。

おおげさにいうと、自分の日本語の芯が、もともとは、英語の姿を借りて、松江からやってきたのを知っているからで、神様がいなくて、複雑な内容を表現できる言語ならばたいていは持っている絶対性を欠いていて、その代わりに、山川草木、1本の木や、はては竈にいたるまで精霊が宿っていることを認めて、宇宙への畏怖のなかで呼吸してきた言語の故郷が、自分にとっては松江で、行かないで終わってしまったのは、返す返すも残念な気がする。

多分、生活との接点をまったく持っていない言語であるせいで、日本語は自分にとっては、英語とは異なる情緒と感情とに入浴して変わった体験をするような、VR的な経験の時間をもたらす言語になっている。
日本語のスイッチがうまく入って、日本語というヘッドセットのなかに仮想的な現実世界が広がりはじめると、しめたもので、一度しかない一生を二度生きているような、不思議な時間にひたりはじめる。

日本語の世界には、自他の境界が明瞭でなくて、ぼんやりして、物事の基準すらゆらめいていて、意識が明瞭であるのに容易に混濁するような、不思議な特性がある。
ぼく、おれ、わし、私、余、と一人称がたくさん存在して、それによって文章で言いあらわしうる事柄の範囲と視点が限定されるという言語としては決定的に重大な特質も、そこから来ている。
言語であるのに現実だけをありのままに述べる、ということが出来なくて、社会のなかでの、その現実や、その現実に対する自分の感情的な反応が自動的に入り込んでしまう。

現代日本語の語彙の寿命の短さを手がかりに考えてみればすぐに判る理由で、20世紀までの静的な世界の処理には向いているところがあっても、現代の動的な世界にはまったく適応できない言語で、日本の社会の現在のスランプも多くはそこから来ているが、いわば趣味で身につける人間にとっては、言語全体が動的な時代に適応できなくなった死語の体系であることが返って魅力になっている。

日本語を身につけて、日本語で考えることが出来ることによって、ブログやSNSを道具につかって、タイムマシンみたいというか、どこでもドアなんじゃない?と述べるべきか、現実ではない世界に数時間という長さに至るまで、しかも、なじみはあるが自分とは異なる人格として滞在できるわけで、日本語は役にたたない、
と職業や金銭得失の面から述べたが、そういう人間の一生のアホな面をのぞけば、
西洋語の体系とはまったく異なる日本語くらい自分の一生を助けているものはないと感じる。

四時ゼロゼロ分きっかり。4秒前、3秒前、
ち、ち、ぶ、と開く秩父宮ラグビー場の門
というような、英語では表現できるわけがない日本語が点滅する日本頭に灯をともして、回文やダジャレで遊んで、日本語に分け入ると、あっというまに淫して、何時間も過ごしてしまう。

日本語は、なんだか魔法のようで、召喚された魔神のような生き物を、見上げるような気持ちになることがあるのです。

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シン・ゴジラ

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映画「硫黄島からの手紙」はメルボルンで観た。
ちょうど封切りの時期にメルボルンにいたからで、たしかサウスランドのWestfieldのなかのシネマで観たのだったと思う。
いくつかの映画館の集まりでもいちばん小さなシアターが割り当てられていて、
80席くらいの館内に、30人程度の観客で、あとでアカデミー賞を取ったとおりで、試写の段階から評判が高い映画の封切り日なのに、たったこれだけしか観客がいないのか、と驚いた。

映画が始まって、暫くすると、30分も経たないうちに若いカップルが席を立って帰ってしまった。
しばらく時間が経つと、またカップルが席を立っていって、映画はどうみても良い出来なのに、なぜなのか理由が判らなくてこまった。

シン・ゴジラは英語圏のシネマで日本語映画を観る二回目で、初め大々的に打ち上げてロードショーをするという触れ込みだったのが、試写の反応とレビューが予想外に悪かったので公開中止で、観たい人はDVD買ってみてね、ということになって、それが三日間だけ公開に二転して、小さな特別映写場で何日か公開することに三転した。
外国映画、特にアジア系の映画ではよくあることで、「風立ちぬ」は、宣伝は大々的だったのが、「訳のわからない失敗作」というレビューが立て続けに出たあと、
ニュージーランドでは公開中止になって終わった。
オーストラリアでは、やったのかどうか、訊いてみないので知らない。

やむをえないので日本からブルーレイを取り寄せて観たが、とても面白くて、結論は映画批評家たちには1945年に終わった日本との戦争に知識がなくて、零戦といっても名前を聞いたことがあって、ニュージーランド人ならば、ああ、博物館に実機がおいてあったな、と考えるくらいのことで、背景知識がゼロなので、「訳がわからない」というレビューになったのだろうと想像しました。

日本の人がシン・ゴジラを観に行った感想を観ていると、皆が皆「名作だ!」と感動していて、期待ができそうにおもえた。

シネマに着けばやることはいつも同じで、席を指定して、券を買うと、シネマのなかのバーに行ってワインとチーズを注文する。
お腹が空いていればピザを食べたりもするが、たいていは、ワイン、たいていはピノノアールを選んで、バーのカウチにモニとふたりで肩を並べて座って、ワインを飲んでミニ・おデートをする。

だいたいいつも15分プロモーションがあるのは判っているので、15分経ってから館内に入ればよさそうなものだが、案外と新作のトレーラーは観ていて面白いので、モニとわしはたいてい定刻に席につきます。
テーブルがあってウエイトレスが指定した時間に食べ物や飲み物のお代わりを持ってきてくれるプレミアムシートのときもあるが、仰々しいので、ふつうのシートに座ることもある。
シン・ゴジラは、シネマコンプレックスのなかでも、「こんなに小さなシアターもあったのか」と、ぶっくらこくような小さな部屋で、50席程度で、いちばん後ろの席でもスクリーンが近すぎてくたびれる。

半分くらい埋まった席に座っているのは、あきらかなゴジラファンで、日本人らしい人はいなかった。
ひとりだけ欧州系の男の人と一緒に来ているアジア系の女の人がいたが、中国の人であるようでした。

映画は、ゴジラ映画ではなかったのが、最もがっかりした点でした。
ちょうど、1998年版のハリウッドゴジラとおなじで、わしのような筋金入りのゴジラファンがなじんだフランチャイズムービーとしての「ゴジラ」の文脈はいっさい無視されていて、画面にゴジラが出てくるだけのことで、庵野監督という人が日本に向かって言いたいことが詰め込まれた映画に見えました。
早口でまくし立てられる、なんだか高校生がつくった映画みたいな科白まわしは、英語の字幕では大幅に内容が削られていて、日本語が理解できなければ、ふつうに感じられるが、なまじ日本語が判る人にとっては、それだけで興ざめになる体のものだった。

ゴジラファンは、よく「ゴジラに対する敬意を欠いたゴジラ映画」という言葉を使う。
北村龍平のゴジラFINAL WARSがその典型で、ゴジラはいかにも自分が撮りたい映画を撮るためのダシで、撮っている人がゴジラという存在にたいした興味をもっていないのが手に取るようにわかってしまう。

そこまで酷くはないが庵野秀明という人は、自己主張が強い人なのでしょう、ゴジラは別にゴジラと呼ばれなくてもよい、この人が独自に創造した存在で、1954年以来、延々と9割の駄作とひとにぎりの傑作で、ファンを楽しませてきたゴジラは何の関係もないキャラクタにしか見えなかった。

観ていて、かなり初めのうちから感じられたのは、そもそも庵野監督が日本国内だけを対象に映画をつくったらしいことで、日本の人にしか理解できないリアリティの表現や再現、長谷の鎌倉近代美術館の交差点から、斜向かいのいわし割烹店を見上げたアングルの楽しさまで、いかにも日本人限定で、英語人が観る前提に立っていないのがあきらかだった。

それが決定的に表明されるのが三世代目の日系アメリカ人ということになっている石原さとみが登場する場面で、口を開いて英語を発音し始めた途端、場内には(悪意ではない)笑い声が起きていた。
もんのすごい日本語訛り英語だったからで、これは庵野監督の「英語人たちよ、いいかね、これは日本人がつくった日本人向けの、日本人以外には判らない映画なのだからね」というメッセージだったのではなかろーか。

いくつかの英語の映画評論家による映画評は、この映画をゴジラをネタにしたジョーク映画だとして扱っていて、日本の人の至極真剣な「名画だ」という受け止め方と平仄があわないので、???と思っていたが、その謎は、石原さとみの登場によって解けてしまった。
わし自身も、あえて石原さとみに配役したことには庵野監督の「日本人以外には判らなくてもいい」という決心があったのだと思っています。

最後まで観ないで、席を立つ人が何人かいて、斜め前のおっちゃんは、途中から鼾をかいて眠って奥さんらしい人にどつかれていた。
退屈な映画が上映されているときの、いつもの光景で、モニとふたりでクスクス笑いながら、おっちゃんの寝顔を観たりして、それでも後半には見所がいくつかあった。

ごくわずかしかないゴジラの破壊シーンの美しさは、シリーズでも一二を争う出来で、特に赤坂見附に立って銀座の服部時計店を薙ぎ倒す前後の破壊のすさまじさと美は、庵野秀明の底の深い才能を感じさせた。

印象に残った、もうひとつのシーンは、無能だと自他共に認めているらしいピンチヒッターの韜晦首相が、ひとしきり報告を聞いて、ことなかれ主義的な指図を出したあとに、ラーメンを見つめて、「あーあ、のびちゃったよ。首相って、たいへんな仕事なんだなあー」と自分自身に対しておとぼけをかませるシーンで、このシーンの可笑しさと文化表現の深さは、英語人観客にも、とても、うけていた。
映画らしいシーンで、とても好感がもてました。
それから、もちろん伊福部昭!

日本語友人達が絶賛する庵野監督の「日本的問題解決能力」描写は小松左京から由来しているもののように見えた。
無能なリーダーを戴く、名前や人物が置き換わっても気が付かないような個性に依存しない日本的組織の効能を小松左京という人は、死ぬまで、とても信頼していた。
実際、いま調べてみると松尾諭という人なのではないかと思うが、政調副会長の口から述べられる政府の思惑やなんかは、小松左京直系の口吻で、少なくとも庵野秀明が信じている「日本の力」が小松左京的なものであることが見てとれる。

総じていって、印象は「巧みだが何かが欠けている」映画で、おもしろいことに、この感じは英語人一般が、自分ではまだ観ていないエヴァンゲリオンやアニメ全体に言う事とおなじで、もしかすると、良い悪いということではなくて、日本語世界と他の言語世界では、現実や真実に対する感じ方自体が、分水嶺からわかれて、おおきく異なってきてしまっているのかもしれない。
いまこうやって考えていても、うまく言えなくてもどかしいが、どういえばいいか、人間の魂の深いところに届かない頭のなかの観念操作だけで出来た世界というものが成立しうるのかもしれないと思わせる。

モニはシネマを出るなり、いっそサバサバした表情で「退屈な映画だったな、ガメ」と述べていた。
頷く、わし。
だけど、嫌な気持ちがしているわけではなくて、なんとなくニコニコしながら、あんまり面白くなかったね、と述べあいながら駐車場を横切ってクルマのドアを開けます。

考えてみると面白いことで荒唐無稽だと多くの人に笑われながら、どこかしら、魂の奥底に訴えかけるところがある、世にも稀な、着ぐるみ人形のシリアス映画破壊王ゴジラの伝統は、日本のゴジラではなくハリウッドに受け継がれて、日本の大部分の人に「こんなにひどいゴジラ映画は観たことがない」と言われた2014年版は「帰ってきたゴジラ」として英語人ゴジラファンを熱狂させた。
あっというまに第三作目まで出資者が決まってしまった。
あの「虫」はなんだ、と、なんだか愛情が隠せない様子で大笑いするゴジラファンたちの姿は、きっとかつて東宝が延々と駄作ゴジラ映画を作り続けていた頃のおとなのゴジラファンたちと瓜二つでしょう。

ひとつだけ心配なのは、庵野ゴジラが日本国内で成功したことによって、伝統のゴジラ世界の系譜が断たれて存在しなくなることだが、こちらも英語ゴジラでは2020年の公開がすでに発表されている三作目が「ゴジラ対キングコング」であることを考えれば、案外、生き延びてゆくのではないだろうか。

あの夜空を炎で焦がして、暗闇に向かって咆哮する、もともと核の暗喩である破壊の王は、どうしても核実験反対の映画の企画を通してもらえなかった日本の映画人たちの苦肉の策だったというが、まったく辻褄の合わない、合理性を欠いた怪獣王が、いまでも英語人たちの心に奇妙に深刻なトーンを伴って訴え続けているのは、ゴジラという生き物が、ほんとうは現実に存在してしかるべきなのに現実には存在しないという現実よりも真実性に満ちた宇宙への架け橋の役割をはたしているからに違いない。
不破大輔が述べたように映画のなかではゴジラだけが現実で、細部まで忠実に再現された現実の日本が虚構にしか見えないのは、日本文明の現実そのものが少しづつ、着実に虚構化してきているからなのかもしれません。
現実を失ってゆく日本。影が失ったピーターパンのような文明

ギャオオオオーーン!

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日本の凋落_1_貧しい繁栄

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日本人から見て、20世紀の世界と21世紀の最もおおきな本質的な違いは、21世紀が「日本が要らない世界」になったことではないだろうか。
国際共産主義とドミノ理論にパラノイアを起こしたアメリカ合衆国が戦後、防壁たる日本に過剰投資を行ったことと、その過剰投資を、アメリカの意向どおりにばらまかずに、重点をおく業界に傾斜させたネオ国家社会主義経済政策で、造船、炭鉱、から自動車・VTRへと資本を集中させたMITIの政策があたって、日本は短期間に巨大な経済を築いた。
いまでいえばシンガポールが大国規模で出現したようなもので、日本のような自由主義の看板を掲げた全体主義社会におおきな顔をされては困ると思ったものの、これに衰退されると世界中大混乱に陥るので、オカネの環の一角には加わっておいてもらうが、国際社会には存在していないことにする、という曲芸のようなことをやって自由世界は日本の存在に適応してきた。

その、「どうしようもなく強い日本」がコケ始めたのが1990年代で、それから4分の1世紀のあいだ単調に衰退して、いまでは、まだ中国の3分の1超のGDPはあるものの、ゆっくりとなら経済的に破綻しても、なんとか世界として日本の破綻を消化できるところまで来た。
経済指導者たちからすると、ひと安心、なのであると思います。

日本が衰退しはじめた根本の原因は、繁栄しても少しも個々の人間の生活がよくならなかったからで、異様な物語である「三丁目の夕日」を観て判るのは、日本人がなつかしんでいるのは日々成長するビンボ時代であった50年代から70年代で、そのあとに現実に達成された経済的な繁栄は索漠としたものと感じられている。

80年代後半の日本を眺めると、一般の、たとえば東京に住む日本人にとっては、家と呼ぶのがためらわれるような一戸建ての家を買うのに30年というローンを組まねばならず、家賃は上昇し、労働時間は長くなっていった。
地上げを拒んでいることで噂になっていた近所の長屋には、やくざがクレーン車でつっこんで物理的に破壊したという記事が朝刊に載っている。
大企業に勤めている人間には、マスメディアには載らない情報として、何千億円というオカネが簿外で銀行から暴力団に無担保融資されていることを同僚から耳打ちされる。

それまでは暴力団のほうから人目を避けて首相に会いに行っていたのが、立場が逆転して首相のほうから腰を低くして暴力団の組長のほうに会いに行くようになったと初めに証言された中曽根首相の在職は1982年から1987年です。
この頃から政府の行政指導は滅茶苦茶になっていって、使い途がない通信施設を強制的に公社に納入を迫ったり、当時公務員だったひとびとの話を聞くと、リクルート事件などは小さく見えてしまうような腐敗ぶりで、つまりは、チャンスさえあれば利権を手に入れて札束を自分のポケットにねじこむ人々が雲霞のようにあらわれて、それぞれに表沙汰には出来ない財産を築いていった。

飼い慣らされて忠実な犬然としたマスメディアの蓋で、うまく覆い隠されていた日本国内と異なって、海外からは、かえって、こういう日本の事情はよく見えていたので、例えばオーストラリアのゴールドコーストには日本においておくと持ち主の手首に手錠がかかるか税務署によって莫大な追徴金が掛けられる運命のオカネが大量に流入して、日本の後ろ暗いオカネがどんどんリゾートマンションを一棟買いしていったことが、いまだに話のタネになっている。
オーストラリアの隣の小国ニュージーランドでも、いまだによく話題になって、当時は租税条約が結ばれていなかった日本から、明らかに賄賂や脱税と判る巨額の資金が流入しつづけていた。
クライストチャーチにはフェンダルトンという高級住宅地があるが、当時の日本人の豪邸を買い漁るーーいまの日本で流行している言い方をまねればーー「爆買い」ぶりは、ただでもひがみやすい地元人の神経をさかなでして、特に日本人が集中して住んでいたエーボンヘッドを、おとなたちがジャポンヘッドというカタカナでは伝わりにくい憎悪と軽蔑がこもった言葉で呼んでいたのを、いまだにおぼえている。
通常は日本に住んでいる買い主が、息子や娘を留学させて、好奇心に駆られたひとびとが「おとうさんやおかあさんは、どんな職業の人なの?」と聞いてみると「公務員」と答えられたりして、フェンダルトン人は日本では公務員は医師を遙かに上廻る高給なのだと長い間誤解していたという笑い話まである。

そうやって、全体主義的な傾斜投資によって生まれた巨大な冨は、本来は賃金の上昇という形で分配されなければならなかったが、日本の経営者は、会社の社員のモラルや忠誠心の問題と上手にすりかえていって、文化の強制力で労働賃金を安く抑えることに成功してゆく。
当時の雑誌や新聞を読むと面白いのは、そのやりかたの「絶妙」と呼びたくなる巧妙さで、たとえば、その頃はいまと異なって圧倒的な人気があったらしい野球に絡めて、優勝チーム監督の選手管理の巧さを、なぜかビジネス誌が取り上げている。
広岡達郎というような名前があがって、個性的な田淵のような選手はダメだ、江夏は個人主義的にふるまいすぎた阪神ではダメな投手だったが、西武に入って全体に貢献するということを理解してから本物の野球選手になった、と言わせたりして、社会全体が全体主義を維持するためのメタファーのなかに、どっぷり漬け込まれてゆく。

あるいは渡辺美智雄の、伝え聞いたアフリカンアメリカンを激怒させた
「日本人は破産というと夜逃げとか一家心中とか、重大と考えるがクレジットカードが盛んなむこうの連中は黒人だとかいっぱいいて、『うちはもう破産だ。明日から何も払わなくていい』それだけなんだ。ケロケロケロ、アッケラカーのカーだよ」
発言が典型だが、人種的優越意識をからめて、日本の全体主義的な社会維持こそが正しいのだ、と強調することをおこたらなかった。

日本指導層の冨を賃金労働者にまわさず、その結果、労働コストを低く抑えて、しかも会社への帰属心をテコに労働時間を際限なく延長させていって、競争力を増大させるという方針は巧くいった。
なにしろ「自分の個人としての人生はなくてもいい」と決心しているかのように、長大な時間を労働して有給休暇すら取らない、祖国愛に燃えた忠実な兵士のような労働力を大量にもっていたので、日本経済は恐れるものをなにももたなかった。
フランス首相のÉdith Cressonなどは、労働者も自分の幸福を夢見る一個の人間であるという当然の認識をもたない日本社会にいらだって
「日本人は兎小屋のようなアパートに住み、2時間もかけて通勤し高い物価に耐える蟻のような生活をしている」「日本人はfourmis jaunesだ」
と公式の場(!)で散々発言して、日本語マスメディアで伝え聞いた日本人たちが憤激して東京のフランス大使館に押し寄せたりしたが、フランス人らしく口汚く罵る性癖のあるÉdith Cressonが目立っただけのことで、アメリカ人も、イギリス人も、オーストラリア人も、ニュージーランド人も、口にしないだけで、内心では日本人支配層の不公正さを呪い、日本人企業戦士たちのナイーブな愚かさを呪詛していたのは想像しなくてもすぐに判る。

目先数年、という範囲では小気味良いほど巧くいくが、数十年というスパンで見直して考えてみると本質的なダメージを社会に与える方策をおもいつくことに長けているのは、もしかすると日本文明の本質なのかもしれない。

一見、うまくいった支配層の方針は、個々の国民が子供をつくりたがらなくなる、という予想外の結果を社会にもたらした。
税金の徴収についても国民をうまく騙して、日本に住む外国人たちが「ステルス税」と呼んで笑っていた、税金と名前のつかない税金たち、年金の積立金、高速料金、…しかも、手をかけてわざわざ複雑な体系にして、目を凝らすと、税理士を雇う支配層ならば、たくさんの租税回避の抜け穴のある膨大な金額の(広義の)税金を納めて、可処分所得が途方もなく小さい上に、GDPの成長にまったく見合わない低賃金で、生活の質そのものは中進国のレベルにピンで貼り付けられていた賃金労働者たちは、子供をつくることを拒否しはじめただけでなく、やる気そのものを失っていった。

さらにおおきな問題は、やはり企業にとって労働コストを低く抑えるために、社会全体として無賃金残業を際限なく増やしていったが、それを支えるためには専業主婦の奴隷に似た、というよりも愛情という糖衣を省いてしまえば奴隷そのものの家庭内での献身に全面的に依存して、男の配偶者が家事を何もしない文化を社会を挙げて育てていたので、女の日本人たちが社会そのものに対して不信を起こすという異様な事態にまで発展していった。

ニュージーランドは、ながいあいだビンボな国で、自他ともに認める「世界いちビンボな英語国」で、そのことに倒錯した誇りをもってさえいた。
どのくらいビンボだったかというと、オタゴあたりに行くと、特に貧困家庭出身ではないのに、「子供のときは家にオカネがなかったので、段ボールで靴をつくって学校へ通っていた」と屈託なく笑う70代の人がいくらでもいる。
ちょっとビンボなほうになると、英語では食事をteaとも呼ぶことを前にも書いたおぼえがあるが、文字通りで、一杯の紅茶とビスケットだけの食事も普通だった。

ところが、21世紀になる頃から風向きが変わって、社会にオカネが流入してくる。
繁栄に向かう社会の一例としてあげようとしているわけだが、そうすると、どんなことが起きるかというと、「目に見えて社会がどんどんよくなる」のが普通の国で起こることで、ニュージーランドも例外でなくて、図書館の本棚には目立って新しい本が増え、1日$1で借りられるDVDには最新作が並ぶようになり、コンサートホールが建設されると、欧州やアメリカ、インド、オーストラリアからモダンダンスカンパニーやオペラ、シェークスピアのカンパニーが呼ばれて、町が綺麗になりはじめ、通りを歩くひとびとの身なりがあっというまに良くなっていく。
食材に広がりが出来て、外食する食べ物すらどんどんおいしくなってゆく。
特にニュージーランドに限らず、本来は、賃金の上昇を柱に、税率がさがり、個々人の生活が豊かなものになってゆくはずで、日本の衰退の最大の原因は、それがなぜか起こらずに、「社会は繁栄しているのに個々の人間の生活は良くなるどころか相対的に貧しい労働時間の長い生活になっていった」ことにあるように見えます。
日本文化からムダは多かったが闊達なところがあった「無責任男」に象徴されるような文化が失われ、初めは「常勝監督川上哲治の巨人軍流管理術」のようなものから始まったようにみえる「管理」をキーワードにした支配層の締め付けで、それがやがて極端化して社会全体の軍隊化を引き起こして、組織が軍隊化すれば必ず症状として表れる組織の硬直化、いじめ、頑として新しいものを拒む社会が現出する。
その結果は、やはり社会全体が完全に軍隊化していた1930年代から1945年に至る日本社会とおなじことで、世にも無能な純粋培養秀才の将校=幹部が、自分では優秀だと思い込んでいる愚かな教科書訓詁的な頭脳から現実と事情があわない観念的な施策を垂れ続けて、それを、さらにもう一段愚かなイアーゴーたちが岡っ引きよろしく虎威を借りてしらみつぶしに個人のプライドを奪って社会を解体に導いてゆく。

日本の経済的な失敗と暗い未来への予測は、具体的には、例の傾斜投資方式がコンピュータ時代への転換期にあたってはミニコンすら許容しない大型電算機1本にしぼって、パーソナルコンピュータを役にも立たないオモチャと冷笑した当時の研究者と政府の役人に原因が帰せられるが、考えてみるとそれは表層の契機にしかすぎなくて、やはり全体主義社会の発展は構成員個人の幸福を達成できないというその一点において、最期には崩壊の運命にあるという物語の、もうひとつの例証であるだけのことかもしれません。
理屈のうえでは、そうやって、歴史のなかで何度も繰り返されてきた全体主義の宿命的な帰結であっても、いま現にこの世界を生きている日本人ひとりひとりにとっては、なんとしてでも、おおいそぎで全体の側から個人の側へ視点をとりもどして、「自分を幸福にしないことはやらないほうがいいのではないか」という所から考え直していかないと、25年続いた衰退が、もう25年続き、50年続いて、結局は逃げ遅れた乗客をのせた老朽船のように歴史の海底へ藻屑となる運命にあるのかもしれません。

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