Dolce Vita

わっしはフロレンス(フィレンツェ)に着いた。言うまでもなくフロレンスは世界でも有数の美しい街である。ドゥオモや美術館やなんかがある川の北側はダメだが南側に行けば、おいしいレストランやトラットリアや定食屋や大衆食堂がいっぱいある。量り売りのワイン屋が地ワインを飛び切り安い値段で売ってくれる。しかも瓶をもっていけば、そのくそ安い値段からまた2割引である。水より安い。

イタリアという国にはたくさんの秘密があって、旅行者にはそれをなかなか教えてくれない。スコットランドのウイスキイ屋がほんとにおいしい地ウイスキイは勘定台の下に隠しているようなもんすな。誰でも目にはいるような大通りには熱海のひともびっくりなボッタクリレストランしかない。「穴場ガイド」みたいな本を買って出かけると、穴場コロガシにあって、またとんでもないものを食べさせられる。

ほんでもって地元のひとは観光客が死んでもやってこないような区域の裏通りで、この世のものとは思えないほどおいしいパスタにうつつをぬかす。

わっしはフロレンスの川の反対側のリフトもない築何百年だかよくわからんアパートの4階にいます。わっしのはともかく一緒に旅行している人のスーツケース(複数)を引き揚げるのに死ぬめにあった。女のひとは得である。わっしが汗みどろで、鎌倉の寺の階段みたいにすりへりまくった古代階段を必死でスーツケースを引き揚げると、「ガメ、えらい」でホッペにキスしてもらって終わりである。わっしはチップくらいもらっても良いとマジメに考えるが。

ともかくも、わっしはフロレンスに到着して、汗みどろのTシャツのにおいに閉口しながら量り売りのワイン屋へでかけて、トスカナのワインを3本買った。そのなかの若いFuminoをほぼ一本からにしながらこれを書いています。スウェーデン人の発明した「デカンティングアダプタ」をつけて注げば若くても素性の方が強く出ておいしい。

モニは5歳児の集中力で眠っておる。さっき寝室に見に行ったら、横向きになって「力いっぱい眠っている」(そんな日本語はへんだが)感じで眠っておった。

人間の女ほど不思議な生き物はない。とてもタンパク質でできておるようには見えない。

硝子か、そうでなければ真水かなんかの結晶か、そんなもので出来ているのでなければ説明できない。それなのに、そっと触れてみると柔らかいのだ。

不用意に触れると、あっという間に壊れてしまいそうである。

見つめていると、ただそれだけで泣き出してしまいそうである。

モニを起こすわけにはいかんので、わっしはひとりでフロレンスのただひとりの友達に会いに行く。Sさんと言って、わっしよりはだいぶん年上の女のひとだが、わっしはむかしから仲がよいのだ。待ち合わせたバール(BAR)の外に立っているのだがなかなかこない。

40分ほども遅れてやってきたSさんと、テントのなかの席につく。

「元気でしたか?」と英語圏のひとらしく訊こうとするわっしのほっぺにデッカイ音がするイタリア式のキスをするSさん。「ここはイタリアですよ。堅苦しくて退屈なアングロサクソン式は通用しない」と宣告されてるような気がする。アングロサクソンの様式はまことに他人行儀で人間らしいところが実際少ない。

Sさんは、独身でふたりの息子がいる。ふたりとも現実とは思えないくらいよく出来たガキどもであって、わっしと会うときははにかみながらおずおずと手を差し出す。

そんなにひとがよくて世の中が渡っていけるのか心配になるくらい善良なのす。

Sさんは目がよく見ると泣いていたひとの目である。

「遅れちゃダメじゃん」というわっしに「交通渋滞がひどかったもんだから」と言います。

Sさんはウソが上手でない。

わっしは間の悪いことに今日がこの国では「父の日」であったのを突然思い出します。

なんと言えばいいのか、

ここに来る途中で

窓から首を出して

煙草をすっている男たちを見ました

とでも言うのか?

モニとの結婚式にはSさんもなんとかして来てくれるそうであった。

ふたりのガキはモニとわっしが招待します、とわっし。強硬に反対するSさん。

聞く耳をもたぬわっし。

それからSさんとわっしは共通に知りあいの友達たちについて情報を交換して、Sさんはもうもうと排気ガスをふきだすFIATで帰っていった。

こんな退屈な日常のことを書くべきではないのは判っているが、

友よ、

わっしは帰り道の巨大な寺院のある広場で階段に座り込んでしまった。

なんで、と問うてはならぬ。

わっしはビョーキなひとなので、そのきざはしに座り込んで、泣き出してしまったのだ。

誰にも世界は救えないが、少しでも悲惨を減らす方法はないのだろうか。

悲しんでいるひとを喜ばせる簡単な方法に習熟するすべはないか。

どうすれば友達を幸福に出来るか。

きみが指をドアに挟んでしまったときに、その鋭い痛みをわっしが共有する方法が人類にはないのはなぜか。

こーゆー、わっしのバカガイジン的な気持ちを判ってくれるのは,この広い宇宙でモニだけだが、天使のような顔をして眠っているひとを起こすわけにはいかぬ。

こーゆー夜、わっしはデースイするのだ。

デースイして、お月様に長い手紙を書いたりする。

いったい誰が「父の日」なんてつくったのだろう。

誰にとっても「母」は必要だが、「父」なんか、どうでもよくはないか?

今夜だけかも知れぬがわっしは「父の日」というものを発明した人間を呪う。

ドアホ、おめーのせいで、Sさんのような善意の塊のようなひとが今日一日不幸であったではないか。

アホー。

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