田村隆一

田村隆一は日本語に音楽と音楽の法則を導入した。

日本語にも旋律がありリズムがあり絶対の定型がある、ということを示したひとでした。

それまでの日本人は「定型」というと五七五を思い浮かべたりしていたのだから、よく考えてみると田村隆一は、ほとんど「現代日本語の夜明け」みたいな役割を担っていたのがわかります。

吉増剛造のようなひとの日本語は実はこのひとの眼を通して獲得されたものだと、わっしは思います。

わっしは昔から東山千栄子という女優が熱狂的に好きなので、このひとにちょっとでも関係がありそうな本は全部持っていますが、田村隆一のことは、そういう本のなかの一冊で知った。

夜中の午前二時に酔っぱらった田村隆一が一円ももっていないのに東京からタクシーに乗って鎌倉に着いて、そんな時間に他にタクシー代を貸してくれそうなひとを思いつかないので東山千栄子の家に寄って東山千栄子をたたき起こして2万円を借りて、またタクシーを走らせると、バックミラーのなかで東山千栄子がいつまでもいつまでも手を振って見送っていたそうである(^^;)

たとえば、こういう詩を書いた。

保谷はいま

秋のなかにある ぼくはいま

悲惨のなかにある

この心の悲惨には

ふかいわけがある 根づよいいわれがある

灼熱の夏がやっとおわって

秋風が武蔵野の果てから果てへ吹きぬけてゆく

黒い武蔵野 沈黙の武蔵野の一点に

ぼくのちいさな家がある

そのちいさな家のなかに

ぼくのちいさな部屋がある

ちいさな部屋にちいさな灯をともして

ぼくは悲惨をめざして労働するのだ

根深い心の悲惨が大地に根をおろし

淋しい裏庭の

あのケヤキの巨木に育つまで

…これは、わしの好きな「保谷」(ほうや)という詩です。

この詩には田村隆一の特徴がよく出ている。

さしたる意味を表明していないのに、言葉の持っているリズムと整列の仕方が、この人自身ですら一生明示できなかった他から歴然と分かたれた「哲学」を表明しているのです。

使う言葉がひとつづつ自分たちの定位置を探していって、それぞれの座を見つけてそこに座ると、そこにはたちまち「定型」が現れて、本来田村隆一が考えた「意味」よりも、もっと深淵に沈んでいたものを言葉たち自体が詩の表面にまで運んでくるのです。

わっしは、田村隆一の詩を読むまでは、日本語でそんなことが出来ると考えたことはなかった。

同様に、日本語でそんなことが出来るはずはない、と考えて、そういうことをしたいときにはやむを得ず英語で詩を書いていた西脇順三郎先生も、さぞかしぶっくらこいたことでしょう。

新宿の「ナルシス」でも銀座の「コンパル」でも鎌倉の「長兵衛」でも、ちょっと綺麗なおばちゃんやねーちゃんと見ると見境なく口説いて、年がら年中、考えていることはエッチだけ、他人の奥さんをさらったり構わなさすぎた自分の奥さんをさらわれたりしていた、このどーしよーもないおっちゃんは、どうやら、現実のほうの生活は鎌倉の二階堂にミサワホームをおったてるまでは、どーでもよかったらしい。

「言葉」がひそひそとささやきあう別世界に住んでいた。

しかし日本語を民族の歴史の深淵から召喚する能力はすごくて、金子光伸扮する悪魔くんよりもすごい。

そこでは言葉がそれぞれの意志をもって語りかけてくるがごとくであって、いったん田村隆一に召喚されると、言葉たちは、フランス人の言う言葉の「論理的な部分」と「陰影の部分」のうち、陰影がその魔神的な正体を現すことがよくあった。

日本の現代詩は一瞬の金属ナトリウムの爆発のような輝きのあと、いまでは元の荒野にもどってしまいましたが、わっしは目撃したものを十全外人の名にかけて書きとめなばならぬ。

(日本の現代詩の本って、古本屋さんに探してもらうと「ガメちゃん、あの本あったよ。

一冊3万円で、どう?」)なんちゃって、高すぎると思うが、わっしはいつも泣く泣く払っておる。

こーゆーのって、日本政府から補助金、出ないのかのい。

(タメイキ)

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ver.6 https://leftlane.xyz もあるよ
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One Response to 田村隆一

  1. 田村隆一という詩人を私は知りませんでしたが、「保谷」という地名は、よく知っています。保谷は今は東京都西東京市という場所になってしまいましたが。前は保谷市で、私の夫の実家があり、私や夫や弟の通った高校がある場所です。平成になって、隣の私の実家のある町と合併したので、保谷という地名は、西東京市の保谷町という地名にまだ残っています。
    本当にここが詩に出てくる「保谷」なのかと思いましたが、本当にそうだったようで、自治体の広報に地元ゆかりの文学として、この詩のことが載っていました。goo.gl/5pNXMU
    私の義父より1歳年下の詩人なのですね。多分図書館に行けば、この詩が載った詩集があると思います。鎌倉で亡くなった方だそうですが、住んでいたことがあったのでしょうか。図書館で借りて読んでみようかなと思います。教えてくださってありがとうございました。

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