捕鯨

日本のマスメディアが世界で起きていることを日本のひとに伝えようともせず、またその能力も元々ないということは(特に若い)日本人のひとと話していると意外とフツーの知識としてもっているらしくて話しているこちらがヒョーシ抜けしてしまうくらいですが、それがどのくらいひどいか、というのは日本にいると(あたりまえだけど)判りにくい。

わっしは最近特に「捕鯨」について、見ていてハラハラします。

簡単に言うと日本は「国運を賭して」捕鯨をしようとしているのであって、この先の延長線にはジョーダンでなくてかつての満州国問題を発端とした国連脱退みたいな孤立が待ってるいるだけなのではないかと思う。

日本のひとは捕鯨問題について誤解している、とわっしは考えます。

どこから話せばよいかわっしの杜撰な頭では途方に暮れてしまいますが、たとえばニュージーランドで捕鯨反対の先頭に立っているひとは反日家どころかたいへんな親日家で、たしか三井ニュージーランド事務所の設立とかにも尽力したひとです。

日本で鯨がかつて「勇魚(いさな)」と呼ばれて捕鯨漁にたずさわるひとたちは漁をほとんど聖なる仕事と考えていたこと(ウエールズ人のCWニコルが有名な小説を書いてますね)や、グリーンピースの腐敗ぶりなんかもよく知っている。

しかし、日本の捕鯨には反対なのです。

ところで、純然たる日本人であるわっしの叔父は鯨肉を食べたことがないそうです。

わっしは、むかし、それを聞いてびっくらこいてしまいました。

「なんで?」と思わず訊いてしまった。

だって、わっしは日本のヒトはイメージとして少なくとも一週間に二回くらいは鯨をくっているのだと思っておった。正直言って「きーもちわりぃー」と思ってました(わっしは犬をたべるのより鯨のほうがきもちわりい、と思います…..ごめん)が、ゆってはわるいから言わなかった。失礼だと思うから言わないだけで、ときどき綺麗なおねーさんとかを地下鉄で見かけても、「わー、美人。でも、あんな綺麗な顔ででも鯨の肉たべちゃうんだよなぁ、どひゃあー」とか、ときどき思っておった。

シャチョーは静岡にいたときイルカをよく食べていたそうで、「スーパーで切り身で売ってるもん、うまいんだぜ、あれ」 とかヘーゼンと言い放つので、わっしの頭の中ではいまだに「シャチョー=食人鬼 」のイメージがある。

なんか人間のふりをしているけど、ほんとうは夜中になると皮膚をへろへろっと脱ぎ捨てて仲間と車座になって人間の大腿骨のローストを肴に酒盛り、っちゅう感じと言えばよいでしょうか。

ま、そういう展開だったのでわっしは長い間日本のひとはたとえばわっしがビフテキを食べるのと同じくらいの頻度で鯨肉を食べるのだと思ってました。

そしたら現実はちゃうねん。

叔父の一言に端を発していろいろに訊いてみたら、なんと、なあーんと、わっしの知っているひとたちで鯨を二回以上口にしたことがある人はふたりしかおらんかった。イルカ肉愛好家のシャチョーを含めて3人。

海外の国々が捕鯨をする日本人に対していかに嫌悪と敵愾心を燃やしているかよく知っているはずの叔父に「なんで日本のひとは食べもしない鯨の漁を国の運命を賭けてやろうとしてんの?」と訊くと、叔父は「あっ、あれって水産庁の鯨類研究所あたりの予算確保問題が大元でしょ」と、おそろしいことをあっさりいう。

でもさー、若い人とかって、結構あつくなって捕鯨を弁護すんじゃん、と訊くと、「役人が予算確保のために世論操作してんじゃねーの」と平然と言い放つ。

それからニヤと笑って「どっかの反日勢力が金を出して捕鯨正当化を煽ってるんだったりして」と怖いことを言います。

叔父はときどきおっそろしい突飛なことを言う人でわっしはこのひとが10年くらい前に日本の中教審という組織はチューゴクから金をもらっているに違いない、と言っていたのを憶えています。

オークランドのえらいひとがいっぱいいるパーティでそう言っておった。

「ゆとり教育」なんて、それ以外の理由は考えられん、って、そんなこと断言していいんか?っちゅうようなことを平気で言っておった。

「捕鯨推進反日陰謀説」は叔父一流の悪趣味な冗談でしょうが、わっしはマジで反捕鯨運動をたかだか「くじらちゃんが死んじゃかわいそう」程度の市民運動くらいにしか思っていない日本のひとたちが心配です。

日本の人にとってもっとも判りにくいのは「なぜ絶滅に瀕しているはずもないタンパク源をとってはいけないのか」ということですが、捕鯨に反対する世界中の人々の本音は理屈なんか正しくても正しくなくてもどうでもいいからとにかくやめれ、ということだとわっしはフツーに思ってる。

ふんな、むちゃくちゃな、と思うでしょうが、でも感情は理屈で制御できませんよ。

たとえばニュージーランドではマオリもパケハ(白人)も捕鯨に反対です。

もし、これが国際慣習上許されるなら、捕鯨反対を理由に日本と断交したい、というのが残念ですがニュージーランドのひとの本音ではないでしょうか。

アングロサクソンは儲かる方に転ぶ、というのはアングロサクソン自身がよく冗談の種にするくらいでほぼ常識ですが、わっしがふだん友人と話している感じでは、今度の捕鯨船団の出航については、もうその拝金的理性の限界を越えて感情的になってしまっておる。

でも、どうでしょうか、日本の人って目下世界中で燃えさかりつつある反捕鯨の端緒になった調査捕鯨船団の出航すらしらないひとがいるんではなかろうか。

わっしはどーせガイジンなので、単なる好奇心で言っているのだととられれても仕方ありませんが、しかし、国運を賭してまで鯨をとりたい、という国というのは、よーわからん。

この点はたとえば妹も同じで、反対や賛成よりも、この世界中の人間の激しい憎悪を知っておってしかも鯨をとることに国全体の運命を投企するというところの理屈が、わかんねー、と思うのです。もとから日本が嫌いな人たちがここを先途とばかりに日本人の傲慢不遜、不気味さ、残忍さを喧伝してるのはほんとうです。それによって日本が被っている不利益は南京大虐殺の比ではない。

とそのわっしですら思います。ショーシャのひとはこういうと「きみは日本とオーストラリアのぶっとい結びつきをしらんからそんなバカを言うのよ」と笑うでしょうが、わっしはそれはショーシャのひとのほうがトンチンカン、っちゅうか、変化についていけなくなりつつあるのだと思います。

むかし学歴エリートだった世間知らずのあんたより、楽をするための悪知恵なら無限に湧いてくるオージーのほうが遙かに狡猾だと、なぜ思わない。

日本の人の捕鯨についての主張は多分科学的な面でも歴史文化論的にも正しいのではないかとわっしは推測していますが、英語国民は「正しさ」をふりかざして理にかなった非道を行っている人を見ると「ヴェニスの商人」のシャイロックを自動的に思い出します。

正しさをふりかざして嫌悪すべきことを行うひとを見たとき、西洋人はもっとも団結します。共通の的があらわれると、そのぶん残りの世界は仲良くなりますしね。

その標的に日本がなりつつあることは、わっしにとっては大変かなしいことですが、しかし、これも止めようのないことなのかもしれません。「運命」というものかもしれない。

日本は結局、鯨肉が食べたい一心で滅びた国として歴史に名を残すのでしょうか?

他の国では考えられないことですが、ハラキリ文化の本家、日本ならばあり得なくもない、と考えてフクザツな気持ちになるわっしであります。

わっしは普段は「紅旗征戎は吾が事に非ず」&copy藤原定家がモットーで、むずかしいことはわかんねーんだよ、と思って暮らしていますが、大好きな日本のことなので、おもわず難しいことを考えてしまった。

ちかれたび。

画像は散歩の途中で発見した近所のわんこ。

わっしは「動物愛護」とか言われると「どひゃ」と思う方ですが、かわいいものはかわいい。そーいえば、わっしは肉の中ではラムがいちばん好きですが、パドックで仔羊を見ても「ま、あんておいしそうなんでしょ」とは思わんな。

人間がもともと草食ならよかったかも知れませんね。

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