Monthly Archives: May 2008

帰ってくる人たち

ブリテン島とニュージーランドのあいだの往復は片道24時間かかります。 遠い。 経路としてはふたつあって、成田経由、シンガポール経由。 この他にドバイ経由もあるはずですが、これは通ったことがないからわかりまへん。 わっしはガキガメの頃から日本経由であって、シンガポールは別口で何回も行くので自然そうなった。シンガポールのようにストップオーバーとして、ちゃんと組織されていないので、わっしのように根性のないガキを連れて旅行しなければならなかったかーちゃんとしては、成田か東京に5泊くらいして休ませてからまた長旅の続きをするのが普通であった。 だから旅行者としては、このブログを読むひとが受ける印象よりは何回も日本に来ているのです。ただ、わっし本人が「日本に来た」という意識があんまりなかったので、この頃の記憶がひどく稀薄なだけである。 長い間、ヘコーキが寄っていく「くらーい国」という印象であった。 いっぺん九十九里浜から太平洋に出て、滑走路へアプローチする、そのときに空から見える緑が暗い色なのが、なんだか怖かった。 そのうちにガキガメがバカガメに成長して旅慣れてくると、このストップオーバーの何日かを利用して怒濤のように東京湘南方面に現れて、千石商会や秋月無線、あるときは横浜の中華街、またあるときは鎌倉の曼荼羅堂や比企ヶ谷、とだんだん「土地鑑」を作っていったのでした。 あるとき、こういうことがあった。鎌倉駅にたどり着いて「表駅」の改札口から右手に歩いていくと、向こうからへろへろの痩せたじいさんが歩いてきます。 若い女のひとに手をひかれて、少し年のいった女のひとが先導するようなかっこうで駅の方に向かって歩いている。ちょうど東急スーパーの前あたり。 「な、中村伸郎ではないか」と、人知れず緊張するわっし。 だって、大ファンだもんね。志村喬、中村伸郎、笠智衆、東山千栄子、佐分利信というような名前は、わっしにとっては雲上人のものであって、この何年か後わっしは二階堂というところで皇后陛下と出会い頭にごっちんこしかけるが、そのときよりもっとコーフンしました。 不敬である。 気づいたのはわっしひとりであるようで、周りのみなは気づいても気づかないふりをしているのだろうか、鎌倉の人はえらいなあ、と思った。 そのときは、それだけで終わったのす。 ずっと後で、酔っぱらって日本の映画史年表をつくって遊んでいたわしは、ふと中村伸郎の略年譜を読んでのけぞってしもうた。 1991年7月5日永眠。 うっそー。 だって、わっしが中村伸郎を鎌倉駅前で見たのは21世紀になってからのことです。 わっしが見たのは、なんであったか。 ガキンチョのとき、初めてベニスに行ったときのことは前にもブログに書いた。 わっしのブログは後で読んでみて、「く、くだらん」と思うとヘーキで削除してしまうので、もしかすると、そのひとつとして消えて無くなっているかも知れぬが、こんなくそ読みにくい日本語ブログなど調べ直すのはメンドーなので、わからん。 ともかく。 なにしろ、ガキもガキ、チビガキの頃のことであるからホテルのレセプションのおっちゃんの名前が「フェラーリ」であったことと、かーちゃんに連れられて行ったムラーノ島の店の二階の素晴らしいベネチアングラスの輝きくらいしかおぼえておらぬ。 このときかーちゃんが大量に買い占めたベネチアングラスのうちデカンタのひとつは、後であえなくわっしのクリケットバットに粉砕されたが、かーちゃんは、「けがをしませんでしたか」 「家の中でバットを振り回したら危ないと考えられないのか」 くらいしかゆわなかったが、あとでソージのおばちゃんにあれは80万円くらいするのだと聞いて熱を出したのをおぼえておる。 もうひとつおぼえていることが実はあって、ホテルの鎧戸からくびを出して下の通りを眺めていたら、まったく風がないのに重い鎧戸が(しかも片方だけ)えらい勢いでスイングしてわっしのガキ頭に衝突した。 わっしの無敵石頭でなければ死んでいるところである。 その夕方、かーちゃんが遊びに行っているあいだ、わっしは妹の面倒を見ているように言われた。妹はガキですらなくて、なんだかほにゃほにゃぷるるんした柔らかい生き物からやっと人間になりかけている頃であって、昼間見知らぬ町にコーフンして、走り回ったせいで、ぐっすり眠っておる。 わっしは一階のフェラーリおじちゃんと遊びたかったので、どついて起こしたろか、でもここで無思慮にどつくと、こいつが後でかーちゃんに告げ口して、わっしが怒られるよなあ、うーむ、と思案にふけっておった。 そしたら、ですね。 妹がすやすやと眠っておる、そのベッドの脇の灯りがぷわぁーと明るくなって、また、すぅっと暗くなる。まるで妹がこちらから見えないようにつまみを回してふざけているような具合である。でも、妹の両手はちゃんとベッドのシーツの上に出ておる。 ひきつるわっし。 それでも妹を起こすと怯えるのは火を見るより明らかであるから、必死に我慢してライトをみつめてます。 何回かぷわぁーすぅっを繰り返して、やがて止まった。 次の日「フェラーリさん」に「ここって、なんか人間ではないものが住んでいますか?」 と訊いたら、にやっと笑って、「公式には何も住んでいないとお答えできます」とビミョーなことを言った。 ユーレイというものが、いるのかいないのか、わっしにはわかりまへん。 … Continue reading

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HONDA

戦争が終わってから長い間連合王国人は日本人を忌み嫌っておった。 草の家に住んでいる癖に愚かにも石で出来た家に住む者達に石を投げたのだ。(イングランドの諺です) 世界最悪の民族と言えば日本人のことであった。 蛇蝎のように憎む、というが日本人に較べれば蛇蝎などは可愛いものである、というのが長いあいだの連合王国人の「日本人」への認識であったと思います。 本田宗一郎、というひとがいます。尋常小学校を卒業した次の年に見た「自動車」に魂を奪われて一生を過ごしたひとであった。小学校しか出ていない学のない短気なオヤジであって、町工場時代にはヘマをした社員をスパナを持って追いかけ回した、と言う。 技術きちがいである。一分に一万回転も回るバカなエンジンというのは、こーゆーひとが始めた会社でないとつくれません。 連合王国人の国民性のひとつは技術オタクが多いことです。 たとえば、わっしのかーちゃんは大好きなBMWの他に、むかしのデイムラーやE7を持っているが、 ときどきクルマの下に潜り込んで整備をするのが趣味(^^;) 特にバイクとクルマが大好きである。ハーレーなんかは嫌いです。 曲がらんし、走らん。そりゃもちろんなかにはハーレーが好きな奴もいますが、「ものがわからんやつら」と見なされる。お腹がでっぱたひとたちが多いので、もはや、前傾姿勢がとれないからだ、という説も有力である。 トライアンフ、なんちゅうのは英国的です。T120ボンネビルなんてのは、わっしも趣味である。 ホンダのバイクの音は、「蛇蝎以下」の人間にはつくれない音でした。 イギリス人は、大嫌いな日本人がつくったのも忘れてあの音に熱狂したな。 天上の音楽ではないかと思った。 マン島のレースへ押しかけた。ドカよりもかっちょいいじゃん。 日本人って、いったいどうなってんだ。 嫌なやつらが、あんなかっちょいいバイクをつくるわけねーだろ。 わっしから見ると、ホンダの成功とトヨタの成功では事柄の質がまったく異なります。 英国人のなかで「エンジンの音を聞く能力があるひとたち」は、マン島のコーナーを、まわってくるホンダのバイクのエンジン音を聞いて、なにかというと「日本人は」と言いたがるおっさんたちを疎ましく思い始めたのだ。 ホンダはやがて連合王国に工場をつくります。 宗一郎が英国工場にやってきたとき、連合王国人の役員達は、まだ当然のように一段あがった「役員昼食ステージ」でランチをとっておった、メニューも違う。 あたりまえです。 非常識にも、作業服で現れた宗一郎さんは、ステージの上にしつらえられた自分の席をちらと見ると、ずんずん下へ歩いていって、工員のテーブルに座って、さっさと食べ始めた。 「社長の席はあちらです」と言われた宗一郎さんは得意の台詞「バカ!」とも言わず、 黙ってクビをふって、その椅子にただ座り込んで、そのまま昼食を食べ続けたという。 昼食を食べながら目に涙をいっぱい浮かべていた、と主張する人もある。 「役員特別昼食席」が翌日には廃止されたことは言うまでもありません。 現在、日本なんて好きになれねーな、と思っている連合王国人でもホンダが大好きであって、実際に自分が買うときにはつい出来心でトヨタを買ってしまう(燃費がよい。壊れない。サービス体制がよい)ひとでも、会社としてはホンダに勝って欲しいとおもっているひとはいっぱいいます。宗一郎さんの「もの狂い」ぶりがアングロサクソンにはとてもわかりやすいからです。 ファラデーやなんかをもちだすまでもない。本田宗一郎というひとは、わっしにとっても ジョン・ブリッテン(John Kenton Britten) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%B3 や、バート・マンロー(Herbert James Munro) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC と並んで、子供の時のヒーローのひとりであった。 連合王国人が一般論として日本を云々するときには、やはりどうしても「本田宗一郎」の快活なきちがいぶりが頭のどこかに宿っている。 … Continue reading

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Happy slapping (ハッピースラッピング)

ハッピースラッピングはだいたい4年くらい前から主に高校生のあいだでロンドンで流行りはじめた遊びである。 どーゆー遊びであるかというと、ふたりまたは数人であまりひとけがない小路などにゆく。老人であるとか、子供であるとか、若い女の子であるとか、アジア系移民であるとか、 そーゆーひとが向こうからやってくると、順番が当たっている奴が行って、とにかくメチャクチャにぶちのめす。殴る蹴る、などはよいほうで、最近は強姦もすれば、ナイフも使う。多くの場合、相手に「謝れ」とか「命乞いをしろ」 と迫る。 それでもって襲撃の様子を一部始終携帯のビデオで撮ってサイトにアップする。 もっとも哀れっぽい被害者をビデオに収めたものが勝利者であって、みなのなかで英雄になる。 極く初期の頃はふつーの遊びだが、すぐに遊びのなかに魔がすみついた。 言うまでもない。ビョーキ、ですね。 しかし、これはイギリスのガキどものあいだでは非常に人気のある遊びである。 テレビのドキュメンタリなどで、地面に這いつくばって許しを乞うている老人のビデオをみなで腹を抱えて笑い転げながら見ているところなどが報道されて、観ているほうは、みなユーウツになった。 なんじゃ、こりゃ。 暴力はアングロサクソンの持病である。 アルコールがはいると、特にいかん。 サッカーのフーリガンなどは最近のものではなくて、実は最近はむしろ穏やかになっている。もともとは、たとえばサッカーの歴史の本などを読むと、スコットランドに負けたのにキレたイングランドのサポーターが、グラウンドになだれ込むやスコットランドのゴールキーパーを襲って首を切り取り、その首でサッカーをやって鬱憤を晴らしたりしておる。 なにするんでも荒っぽいんです、連合王国人の先祖は。 そうでなきゃ海賊で国を興したりできねーよ。 トーキョーに長く住んでいる外国人のみなさんは、みな、「最近は東京も治安が悪い」 という。「新宿に夜、行ってごらんなさい。怖くて歩けないから」という。 わっしは新宿というところは、どういうわけか嫌いなので殆ど行ったことがないからわからん。わっしが東京で出かけるところと言えば、銀座と神保町とアキハバラであって、他にはいかん。用事で青山とかもいくことはあるけど。 モニとわっしは、ときどきカバ(Cava)で気持が良くなると、ふらふらと散歩にでかけます。ふと思いついて沖田総司の墓を見に行ったりする。 不審者です。 タクシーに乗って銀座へゆく。食事をする。たいてい閉店までかかる長い長い食事がすむと、ホテルのバーやクラブのなかでは英語と欧州語しか聞こえない某会員制協会のバーにゆく。気が向けば六本木に行く。 トーキョーの、どこが治安が悪いねん。 ひょっとすると、わっしらが「ガイジン」であるからかも知れないが、ちょっとも危なそうでない。 先週、麻布の丘を散歩していたら不覚にも道に迷ってお巡りさんに道を訊いた。 お巡りさんは、とても親切なひとであって、懇切丁寧に道を教えてくれる。 帰り際に「このへんは、不良ガイジンとか多くて危険ですから気をつけてください」 というので笑ってしまった。若いお巡りさんも言ってから「あっ、いけね」という顔をしておったが、ダイジョーブです。ひとが善意でゆーことに怒る人なんていません。 日本のひとはアルコールに弱くてすぐ酔ってしまう。 なかには「スーパー家政婦」のYさんのように、ワインを2本飲んでも穏やかに微笑んで顔色ひとつ変わらない、えーと、あれはなんちゅうんだっけ、ウワバミみたいなひともいるが。 わっしは神田の駅の近くでおもしろい酔っぱらいを見たことがある。 彼は「あついよぉー。あついんだよお。二酸化炭素のバカやロー」と叫びながら服を一枚づつ脱いでおった。しかも、一枚脱ぐたびにきちんとたたんで地面に並べておる。 「あついよお。くるま、やめろよお。二酸化炭素、だめじゃないか。あついんだよお」 と叫びながら、わっしがボーゼンとして眺めているうちに、とうとう下着もとって いわゆるフ○チンになってしもうた。 素裸で正座してます。 わっしが、酔って正体を失ってなお地球環境を心配する彼にカンドーして(というのはウソだが)「ダイジョーブですか?」と声をかけると正座したまま、「はい。ダイジョーブです」と答えて、こっくんとお辞儀をしました。 素晴らしい。泥酔者は、すべからく、こうでなくてはならぬ。 観光客に近づいて「へんな英語で話してる」「へんな発音で話してる」と歌うように言いながら、ぶちのめして大怪我をさせるニュージーランド人の酔っぱらいとは えらい違いである。 … Continue reading

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Money Honey

日本の物価の特徴は「人間が生きるのに必要なものの順に高い」ことであると思います。食べるものは無茶苦茶高い。 最近はバブル景気のロンドンやパリに較べて、ながいあいだ景気が悪い東京なので 外食で飲み物にいっさい手を出さなければそうでもない、 http://d.hatena.ne.jp/gamayauber/20080503/1209777773 と思いますが、スーパーマーケットに並んでいる肉野菜の類は、これがマジな世界の価格だろうか、と眼を疑うくらい高いっす。 うろおぼえであるが、ニュージーランドでは牛挽肉は2キロで5ドル(400円)くらいであると思う。わっしがガキンチョの頃はながいあいだ2キロで180円くらいであった。日本に初めて来たとき、サーロインの値段を見て「どひゃ」と思った。 しかも「どひゃ」と思ったのは1キロあたりの値段だと盲信して「どひゃ」と思ったのであって、実は100グラムあたりの値段だと知ったときには「どひゃどひゃどひゃ」 であった。 「そりゃグラスフェッドのニュージーランドの肉と日本のターイセツに育てた霜降り肉じゃ値段が違いますよ」ときみは言う。 タシカニカニタシ。 でもわっしは霜降り肉というのは、どーしてもビョーキの牛の肉にしか見えないので霜降ってないほうがいいっす。 ビョーキの牛肉に何十倍もカネが払えるかい。 こうやって日本に住むガイジンどもはみなベジタリアンになってゆく。(冗談です) いちいち挙げないが、日本の食べ物の物価は非現実的である。 経済が衰退している国というのは、「個人にとって暮らしやすい」のが唯一の取り柄であるとむかしから決まってます。 落ち目の国、というのは競争がゆるくなるので生活しやすい。 ところが日本だけは、物価の構造が変わってゆかない。 日本のひとにとっては肝腎要の米ですらイジメのような値段です。 なんで? わっしは、基本的に生活が、ぷー、なので、ふらふらと神保町に行きます。 で、本をどっちゃり買ってくる。こーゆーときだけは行き先が東京区内でもクルマで出かける。広尾山の家にもどって「季節限定ココナツポッキー」を食べながらカウチに寝転がって、だんだん日本の歴史を遡る。 おー、これじゃん。 と、わかるところにたどり着いたのは田中角栄という首相のところであった。 このおっさんはすごく人気のある宰相であった。 写真を見ると悪相であって、しかも下駄をはいてスーツを着て池の鯉に餌をやる、という、いかにも「ガハハおっちゃん」な写真もある。 わっしなら、こんなおっさんは国会にもやらんな。 町会議員以上にしてはいけないひとの顔であると思う。 でも日本ではとても人気のあるひとだったようです。 日本がアメリカに農産物輸入について無茶苦茶恫喝されまくっておったときに、 このひとが編み出した必殺の解決策が「助成金・補助金」であった。 たとえばオレンジが一個300円であるとする。アメリカが一個10円のオレンジを市場に受け入れろ、という。 そうすると普通の国では「国産100円」のオレンジと「アメリカ産10円」くらいで落ち着きます。「こちとら江戸っ子でい、農薬タンクでひと風呂浴びたカリフォルニアオレンジなんざ、おかしくって食えるかい」というひとも世の中にはちゃんとおる(わっしもアメリカ産のオレンジやグレープフルーツなんか恐ろしくて食えん)ので、だいたいそんなところで落ち着く。 ところが、ところーが、田中角栄というひとは「長期的には国を滅ぼすが短期的にはみんなハッピー」なことを思いつく鋭い才能の持ち主であって、アメリカの10円のオレンジをいれて、日本のオレンジ農家には一個290円の補助金を出すことにした。 これでアメリカはハッピー、日本の農家もハッピー。 まさか、そんなことに自分の払った税金が使われているとは知らない日本のサラリーマンも、ハッピー。 みんなハッピーであって、まるく収まったもののようです。 そこのカシコイひと、ここまで読んで「あっ」と気づいたことがあるでしょう。 わっしは気づかなかったが、わしよりはいくらか賢いモニはすぐ気づいた。 この「農業政策」は思いもよらぬ副産物を産んだのであって日本の土地の価額を生産性とは関係なく高値で固定してしまったのである。 この田中角栄というひとは紛れもなく天才であって、まさかそんな副産物が生じるとは思っていなかったものの、この現象に気づくと直ちに「土地を投機の対象にする」体制をあっという間に築き上げてしまった。 … Continue reading

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異文化の声

水原弘 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%8E%9F%E5%BC%98 の「黒い花びら」が歌えるようになったので、すっかり喜んで、パンケーキを焼きながら大声で歌っていたら、モニに怒られた。 どうも周囲の感化を極めて受けやすい旦那(すなわちわしですね)が急速に日本化しつつあるのではないかと危惧しているようである。タタミゼ、というか。 先週は西田佐知子の「コーヒールンバ」ばかり歌っておったしな。 でも昔の日本のひとというのは「水原弘」といい「フランク永井」といいカッコイイ声が出るひとがいたので不思議である。 わっしの大好きなBBキングはフランク・シナトラきちがいであって、寝る前にはいつも聴いているという。 「あの声」が出たらもっとギターが下手だったろう、という。 発声は自意識のありように深い関連がある。 たとえば学者には高い声で話す人が多いが、これは高い声の学者たちが聞いたら怒りそうな心理的理由によると一般に信じられている。 竹内均先生くらいになればいっそ聞いていて心地よいが。 外国人は日本に来ると、「音」の違和感に悩む。 「深い声」で話す人がいないのが、まず第一。 ディープボイスはひとの心に安心をもたらす、とわっしも思う。 柔らかみのある深い声で話す人は、それだけで社会の財産です。 スペインのひとは深い声で話す人が多い。 酒場にゆくと深い声が天井や壁に響いて、あの独特のスペインの洞窟じみた酒場の音響を成している。 大げさに言うと、そこには音響化された成熟した文明があるのであって、アングロサクソン文化もまだダメじゃん、という気になります。 「日本の女の子はまるでダッチワイフのような声で話す」と言ったボストン人の友達がおった。わっしはまだダッチワイフと会話する幸運に恵まれたことがないので彼の説が本当かどうかわからないが、言いたいことはわからなくはない。 最近でもくるまで出かけた某所のau事務所に出かけたら。どう表現すればいいのか、人間の発声の仕方で最も浅いのではないかと思える咽頭2ミリくらいのところで出ていそうな声で「いらっしゃいませえー」と言われて、回れ右をしてその場で帰った。 なんだか幼児ポルノ的な気味の悪さである。 ボストン人の「友達」は仕事上は信頼できる洞察をもたらすひとであるが、「日本の女は貞操観念がまるでない」と言いつつ37日間の滞在中毎日毎日リサーチ手伝いの大学生から銀行員の奥さんからついにはホストの娘さんまで、美人と見れば手当たりしだい寝室をともにして37日で38人という乱交をつくした人間なので、その程度のひとが言ったことだとおもってもよい。 ついでに述べておくと、このひとはまた日本人は「行為中の声まで三流ポルノだ」と言ったのであって、わっしはやむをえず絶交した。 しかし、わっしもテレビに出てくるひとの声を聞いていると実際に頭痛がしてくるのでテレビを観ないのは事実です。 わっしはそばが大好きだが、蕎麦屋恐怖症でもある。 言うまでも無し。あの「ずずぅー、ずるずるじゅるじゅる」という音と共存できないからです。 「かぁー、ぺっ」もたまらんが、あの「ずずずずぅー」は、もっとたまらん。 しかし頭ではあの恐るべき音が「そば文化」の一部なのを理解しているので、これはモンクを言っているのではない。 異文化と接するのは、てーへんだなあ、と思うだけです。 ラーメン屋にも行かないが、理由は音ではない。あれは、不味い。 「くじら軒」くらいならかろうじて食べられるが、他のところは、全然ダメです。 あんなものがおいしいと思う観点というものが、すでにわっしにはわからないので、 自分でも日本の食べ物について話す資格がないという自覚はあります。 日本人のように味覚が鋭敏なひとの集団が、なんであんなものが好きなのかどーしてもわかりません。ニューヨークやシドニーでは、そりゃ「一風堂」でもなんでも流行るでしょうが。 ものを噛む音も正直に言うとたまらんちんであります。 くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ食べて、終いには「舌鼓」まで打つ。 そーゆーときには、わっしは微笑みつつ「文化の壁」の高さを思いながら、そっとナイフとフォークを置きます。 「昼ご飯を食べ過ぎました」と言う。 誤解しては困りますが、わっしは、だから日本のひとはダメである、と言っているのではない。 現代の日本人が従姉と結婚したり江戸時代に娘と性交渉をもったりしても普通であったのと同じ … Continue reading

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アホちゃいまんねん

思えばわっしはご幼少のみぎりからずっとアホであった。 銀の匙と共にうまれたのにその銀の匙を生まれたときからスプーン曲げしていただけだと言われている。 たいへん恵まれた環境に育ちながら革命家にもならず慈善も行わず、地球の緑を守れ防衛隊にも加わらず。大半の時間を女の子のおしりを追いかけ回すのに費消した。 昔は複数のおしりだったのが最近は諸般の事情によりひとつのおしりになっただけであって本質的には変わらん。 おしりを追いかけ回していないときには何をしていたかというと眠っておった。 わっしは前にも書いたおぼえがあるが人間コアラと呼ばれるほどよく眠る。 そのうち水木しげる先生の妖怪図鑑にも載るのではないか。 もし載ったらニュージーランドのような新興国では初の栄誉である。 でもそうやって図鑑に載ってしまうとコアラがニュージーランドにいるのだと誤解するひとが出そうなので推挙されても辞退すべきかもしれぬ。 悩みますね。 以前はまる二日眠ったりしてなかなかカッコヨイ剛球一直線の睡眠であったが、最近は「妻」というひとのために夜中にアイスクリームを買いに行かされたりするので、そうもいかなくなってしまった。夜10時間くらい寝て昼間に4時間くらい寝たりする。 分散型である。 「妻」というひとが出来て朝っぱらからいちゃいちゃもんもんいちゃもんいちゃもんして暮らすようになると、「こんなことでいーのか」と考える。 念のためにゆーと、いちゃいちゃしているときに考えるのではない。 いちゃいちゃしているときはいちゃいちゃに専念しなければ相手に失礼であって、そーゆーことをすると離婚になる。 どういうときに考えるのかというと、たとえば昼寝から覚めたカウチの上である。 ひとりで窓の外の大空をぼんやり眺めながら、あの夢の中のマルディグラで食べたでかいステーキはうまかった、と思う。 頬に触れてみるとうっすらとぬれていて、涙であればよいが、よだれであったりする。 胸の上にはまだ妹が結婚祝いに買ってくれた「スペインの宗教裁判」という本が乗っておる。「おにーちゃんが、ちょっとでも浮気というようなことを考えたときはこの本を開いて来たるべき自分の運命を思いなさい」というカードと一緒であった。 この本は拷問の絵がなまなましくも無惨なのでゆーめいである。 結婚のお祝いになんちゅうものを寄越すのじゃ、と怒ってかーちゃんに告げ口したら「そーねえ、ガメにはセーラムの魔女裁判のほうが効果がありそうだものね」とゆわれた。 適切な言葉かどうかはわからぬが、わっしは比較的お金に困らない家に生まれたのがたいへんなコンプレックスであった。 自分でお金を稼いで見たかった。 「会社員」というような地道なことをするとたかが「自分で大金を稼ぐ」という下品な企画を成就するのに何十年もかかってしまうので、わっしは違う方法に賭けた。 それは意外や二年という月日もかからずうまくいってしまったが、しかし、まぎれもなく自分で稼いだ大金が出来てみると途方もなく怠慢になる、というのは計算外であった。 なんにもやる気がしねーじゃん。 遊んでばっか。 学問は実は嫌いではないが学問のひとはおおかた嫌いである。 だいたいがアジテーター体質であって、しかもひねくれたおっさんが多すぎる。 表面は穏やかなのでますます厄介である。 それでも学問に対するキョーレツなジェットエンジンがついていれば、そんなことは問題にならないが、わっしはぷよぷよしていたりふらふらしているものが好きなのであって、快適さを求めすぎる。 キョーレツなものが嫌いなんです。 学問も趣味になってしまう。 どーも、体質的に問題があるな、わっしは。 実業家や投資家というのは普通に考えられているよりも有能なひとが多いし、気持ちの良いひとが多い。初めのうち、わっしはこれが不思議でしようがなかったが事実は事実であるから、そのうち不信も去ってしまった。しかし自分がたとえば「気持ちの良い投資家」 になれるかというと、まあ、無理です。 なんで? と言われても困るが、どうやらわっしは「一回稼いでみたかった」だけで、ほんとうにはお金にちゃんと執着がもてないようである。 これじゃ、だめじゃん、と思う。 わっしには自分の姿が映る鏡がない。 … Continue reading

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forget-me-not

粗い粒子の映像、ときどき動作が唐突に飛ぶ画面の中で、出征する兵士たちに若い女たちが頬にキスしている。ハグをする。 兵士の襟に小さな花を付けてやっています。 わっしがなにげなく「かーちゃん、あの花はなんだ?」と訊くと、かーちゃんが 「forget-me-not」という、と言ったので一挙にガキなりに泣けてきたのをおぼえておる。 半分くらいしか人間でないガキにすら、画面に映っている恋人たちの「笑顔」の意味がわかったもののようである。 わっしの記憶ではラムの随筆のなかで「それまでは違う名前で呼ばれていたが第一次世界大戦のとき出征する恋人が自分を忘れないことを祈って女たちがドイツ語では「勿忘草」 と呼ばれていたこの花を英語でも「忘れな草」と呼ぶようになった」と書いてあったはずですが、いまこのブログを書くのにインターネットを調べてみると、違う説明がなされています。ラムの全集はクライストチャーチからくるまで30分くらい行ったところにある牧場の鍵のかかった書庫の右上から二番目の棚にあるので、いまちょっと調べてみるというわけにはいかん。 スペインのひとは写真を撮られるのをいやがりません。 黙って撮られるのはいやだけど、「撮ってもいいかね?」と訊いて、「やだね」と答えるひとに会ったことがない。 でもスペインのひとの礼儀に順えば、写真を撮ったあとに、どんなふうに撮れたか見せてあげなければいけない。デジカメの後ろのスクリーンで、「ほら、こんなふうに撮れたよ」 と見せてあげると、うまく撮れていれば「おお、こんなにうまく撮ってくれてありがとう」 と言う。「ほんとうに、ありがとう」 うまく撮れていない、と思うと、「もう一回撮れ」と言う。 ひとによっては納得がいくまで写真を撮らせます。 たとえばバルセロナの中世から殆ど姿を変えぬ石で出来た町にいると、その気持がわかるようになります。 階段の石がひとの踏み跡でへこんでいるようなアパートに住んでいるひとというのは、人間などは太陽が作り出した一瞬の影のようなものであって、ちょうど、影がうつろうようにすぐに消えてしまう存在なのだとわかってしまう。 王様でも靴職人でも同じである。 わっしはヨーロッパ人の「自分をおぼえていてください」という情熱が好きです。 到底「ヨーロッパ人」とは言えないイギリス人も同じである。 スペイン人やフランス人に較べるとずっと気取り屋なので口が裂けても「こんなにうまく撮ってくれてありがとう」とは言わぬが、自分の存在など儚いものなのだから、誰かにおぼえていて欲しい、と思う。 「空軍博物館」のようなところへ行くとたいてい入り口の脇に無数の名前を刻み込んだ巨大な壁があります。 そこには無数の若者の名前が刻まれていて、その若者がどの町から出征して、何歳で、どんな戦場で死んだかが刻まれている。 そういう壁の前には必ず、何人かの無言でただじっと若者たちの名前を目で追いかけているひとたちがいる。 自分たちの自由とそれから派生する価値を守るために死んだ若者たちに出来ることは彼らを「忘れないようにする」以外には何もないからです。 BBCの香港陥落のドキュメントのなかで淡々と日本軍の侵攻を描写する女のひとが出てきます。 イギリス式の庭園を見渡すテラスの椅子に腰掛けて、午後の日差しを浴びながら静かに話をする女のひとは、まるで角に出来たデイリーの話をしているのでもあるかのようです。 「それから日本軍の兵士たちはヴィクトリアの丘の上にある病院にやってきました」 「一階には5人の若い看護婦がいました」 「そのうちに日本人の下士官兵がやってきて、5人の看護婦は二階に来るように、と言いました」 ここまで女のひとが単なる傍観的な証言者であると思って見ていたわっしは、ちょっと衝撃を受けます。その女のひとは微笑でもしかねないやりかたで、こう言ったのだ。 「わたしも、そこで日本の兵士に代わる代わる強姦されました」 その次の言葉は、わっしが(どんなに日本が好きであっても)日本人ではなくて、この女のひとと同じアイデンティティであることをよくわからせたと思います。女の人は、ちょっとカメラから眼を反らせて、こう言った。 「It wasn’t very nice.」 わっしは怒りよりも顔を覆って泣いてしまう。 泣いたり喚いたりしない「It wasn’t very … Continue reading

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エウクレイデスの見つけた神

わっしが人生で初めて夢中になったものはユークリッドの平面幾何学でした。 ……いや、その前にも隣に越してきたいま思い出しても暖かで透明な感じがする明るい緑色の眼をした目の覚めるような金髪のすげー可愛い女の子とか、もっと遡れば、ほぼ溺愛に近い友愛を感じていたテディベアの「P」とか、 いろいろ夢中になったものは あったわけだが、平面幾何ほどノックアウトなものにあったのは、確かにあれが初めてだった、と思います。 5つの公理があって、そこからひとつづつ定理を証明していって、全世界を証明してゆく。わっしにこれを紹介したのはかーちゃんであって、授業中に教室の窓から見えている木に飛びつこうとして届かず、あえなく墜落して病院に担ぎ込まれたりしておったバカな息子の落ち着きのなさを心配して買ってきたもののようでした。 かーちゃんと台所の緑色の朝食用のテーブル(すごく小さい)をはさんで向き合って本を読み始めた頃は、この新手の罰にうんざりしたものでしたが、どうしたことか、直ぐに虜になってしまった。 だんだんだんだん進んでくると、ひとりでに証明への着想が湧いてきて問題が「自然解決」 するような妙な具合になります。とびきり高級になってくると、ご存知のひとも多いと思いますが「補助線」を引かないと解決しません。 。その補助線たるや、「ここに引くしかないから引くさ」と言うしか言いようのない決定の仕方で引かれます。全然、論理的でない。 わっしは12歳の神秘主義者となって次から次に定理を証明していったものでした。 終いには一日食事するのを面倒くさがって熱中したりしていたので、奨めた当人のかーちゃんがパニクッておった。 いまこうやって思い出していると、あの頃一瞬賢くなって、後は際限もなくバカになりつづけていまに至っているのが非常なリアリティでわかってボーゼンとしますが、わっしは、あの頃いちばん神様の近くにいたのではないかと思います。 科学をベンキョーするひとは、みな気づくことのようですが、この世界はどうもわずかに歪んだ同心円のようないくつかの「世界」で出来ている。 古代ギリシア人やヘレニズムの哲学者たちが発見した宇宙は極めて整合性があって簡潔で単純です。それは真理がすなわち美であると言ってもよいくらいに目がくらむほど美しい、しかも力強い強靱な線で描かれた世界である。 ユークリッドのようなひとが「こうしてわたしは世界を語り終えた。Q.E.D.」 と書くと、その美しい世界を疑うのは非常に難しい。 ところが、天人にも五衰があるという。時間が経つにつれて、ほーんのわずか、同じ位置から見ていては到底気がつかないようなところに不都合が生じてしまう。 その不都合が全員共通の認識になる頃には、もうそれまで馥郁として存在していた神は死んでしまう。 これは通常ぼんやり認識されているより大変な問題なのです。 たとえばユークリッドの幾何学を初めから自力で証明しながら最後まで読む程度の最も初歩的な努力しか行わなくても、「神は絶対に存在する」ということは、否も応もなくわかってしまう。 「どうして、そんなことが言えるのか」なんて言わないよーに。 わかるから、わかる。 科学を勉強するひとがたいていの場合科学オタクになって人生を擦るに至る最大の理由だと思いますが、説明は誰にもできっこないけどわかるのです。 「神はいない」ことにして、自分が延々と勉強してきたことがこの世界にそういう様式で存在しているとすると、そっちのほうがよっぽどオカルトである。 神は存在して、しかもそれが一人格にまとまった神でないとすると、非常に不安なことになる。 皮肉ではない。 生物の世界は「自然選択」が働いているのであって、だから社会も「最適者生存」なのであるとのんびり信じて何百万人という餓死者が出ても平穏な気持でいられる人間というのは科学的ではなくても幸せではある。 もっと極端にいうと太陽が地球のまわりを回っていると教わって、それをあっさり信じられるひとというのも同じです。そーゆーひとは、「太陽の周りを地球がまわっているというコピペのソースを教えろ」と言われると、「あらゆる権威のある本にみなそう書いてあるではないか、もっとベンキョーしろ、バーカ」という。 ニコラウス・コペルニクスが地動説を唱えたときには、「あらゆる権威のある本」には、みな「太陽が動いている」と書いてあった、という単純な事実を忘れているのです。 小さい子供、というのは、半分ノイローゼになって暮らしてます。 世界の大半が闇であって、まわりで何が起こっているか一向に理解できず、ただこづき回されるように暮らしているのだから当たり前である。 翻って考えると21世紀の人間も同じようなものです。 ユークリッドが見詰めていた。あるいはピタゴラスが見知っていた 「単純で勁烈な神様」が死んでしまったので、われわれはまた闇の世界に戻ってしまった。 論理的に明瞭なことですが「言葉で説明できる神はすでに神ではない」ので単純な論理の組み立てで失地を回復できるわけがない。 結局、ユークリッドが神を見たような発見の仕方、言わば「科学の芸術的側面」によるほか神を見ることは出来ないのですが、それが出来なくなってひさしいので目下人間は苦しんでいるのだとも言えそーです。 それとも人間は自分が発明した言語(数式その他含む)の限界にもう逢着したのかも知れませんが。

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青年は荒野をめざす

「人生を計画する」くらい無駄なことはない、とわっしは思います。 むかしむかしイングランドのトンブリッジウエルという町でテレビを見ておったら日本の灘中学、というところの受験リポートをやっておった。 名前は「なんでもない中学」というお笑いのような名前ですが、マジな学校なのであります。わっしの日本のお友達にも何人かこの学校を出たひとがいる。 マイクを向けられて「将来、何になるんですか?」と訊かれた受験生が「トーダイの法学部に行って財務省にニューショーします」 と答えたので、わっしは椅子からずっこけたな。 なんという気の毒なガキであろう。 人生のスタートにおいてすでに人生についての誤ったイメージをバカ親に埋め込まれておる。 地図の上から見ても歴史的にも「ひねちゃった北ヨーロッパ」な連合王国には、仲の悪い3兄弟「スコットランド、イングランド、ウエールズ」が肩を突き合わせて並んでいますが、この三つの殆どなんの共通点もない3国にもふたつ共通点がある。 ひとつは「インド料理のテイクアウェイが好きである」ことで、もうひとつは 「一回戦必敗」の文化を墨守していることである。 イングランドのラグビー校という学校ではラグビーと呼ぶ球技をむかしは丸いサッカーボールでやっておった。 ある日、校庭でフォーメーションも美しく球の動きを賢く予測して流れるように動くガキ共を見ながら校長が言ったな。 「あのボール、紡錘形にすべ」 「なぜでしょう?」 「ああいう丸い素直な形のボールを使うと、生徒諸君が人生も予測できるもののように考えて教育上よろしくない」 これが「ラグビー」という競技の始まりであって、イングランド人の「人生」への考え方が良く出てます。 わっしのかーちゃんは、「自分の人生を予測してはならぬ」 とわっしと妹によく説教したものであった。 「恐れてはならぬ。実際の人生ではおまえが考えるほど悪いことは起こらぬ。 夢見てはならぬ。実際の人生ではおまえが考えるほど良いことは起こらぬ」 というのが、かーちゃんの二本立ての人生についての教えであった。 もうひとつ、「自分の人生を準備してはならぬ。その代わりに何が起こっても耐えられるだけの自己をつくればよい」と言う。 わっしらは第一回戦は必ず敗北するのだ。 第二次世界大戦における一回戦のボロ負けを見よ。 欧州大陸ではダンケルクまで押しまくられて命からがら逃げ帰り、 太平洋ではシンガポール島の西北からと決まってる日本軍に対して東北を守備するという大間抜けぶりで開戦いきなり降伏する始末。 とにかくおもいきり殴られてからトレーニングの内容を考えようとする癖は永遠に直らん。 でも、わっしは自分が育ったこの文化が好きなのであります。 いかにもバカっぽくて、わっしの性分に合っておる。 「まっ、やってみりゃいいじゃん」といういい加減さが好きなのす。 喩えて言うと22歳には大学学部を卒業していなければならない人生ほど惨めな人生はない。タイマーで測られた人生なんて、ぺやんぐソース焼きそばみたいな人生ではないか。 ちーん、享年78歳です、ごしゅーしょーさまでしたあ、いっちょあがり、ではないか。 元ザ・フォーク・クルセダーズも歌っておる。 「青年は荒野をめざす」 きみが大学生なら明日大学をやめてしまうのが一番よい。 きみがサラリーマンなら明日会社をやめてしまうのがいちばんよい。 きみが医者なら明日病院をやめてしまうのがいちばんよい。 きみが大学の研究者なら尚のこと即刻職を辞すべきである。 きみが父親なら仏陀のように家を捨ててみるというのはどうか。 きみが母親であってさえわっしは子供を捨てて旅に出ることを勧めようとするかもしれぬ。 … Continue reading

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食物図鑑 その4 マンハッタン篇

日本人は一日ひとりあたり10グラムから20グラムの調味料保存料や着色料を摂取しているそうですが、日本のひとの「繊細な味」好みを考えると、そりゃまあそうでしょう、とわっしは思います。 よく考えてみると一年に一回どんぶり飯3杯分の保存料をかきこんでいるのと同じとも言えて、それを想像すると気持ち悪いっすけど。 自分で料理するときには、まさか調味料を使いませんが、 わっしは化学調味料はヘーキ。ときどき油断しすぎて頭の後ろが痛くなったり、舌が痺れたりしますが、だいたいにおいてキャパシティが大きい。 ニュージーランド人にしては珍しい。 わっしの嫁はんや妹やかーちゃんは全然ダメで、だからこのひとたちはニューヨークで外食、ということになると、はなはだしく行くところがセーゲンされる。 他人の3倍くらいお勘定を払うことになる。 そう。マンハッタン島は化学調味料を道路凍結防止剤にも使うのでないか、というくらい味の素な島なのである。 なんにでもかんにでも調味料がはいってます。 大手チェーンに行くとコーヒーにまで調味料を使っている。 多分、日本のひとが「繊細な味」や「深みのある色」の食べ物にこだわるせいで食品添加物をばんばん食べるのと同じでマンハッタンのひとも「都会の味」を求めるからだとわっしは思う。 わっしは添加物だけでつくったおにぎりを食べてもダイジョーブ、な丈夫な体質ですが、食べないにこしたことはないので、調味料を使わない店に行きます。 いくらわっしが「調味料舌バカ」でも使っているかどうかくらいはわかるからな。 だから以下に出てくる料理屋さんも「あんまり調味料を使わないところ」に限られます。 そーすると、すごく数が少ない。 どこへ行くか? マンハッタンでいっちゃんおいしいのはアフリカ料理屋さん。 たとえばわっしの好きなエチオピア料理であります。 エチオピアのチキンシチュー、シチューと言っても味はカレーです。 それを幽かに酸味のあるエチオピアのパンで食べる。 東京のエチオピアのひとに訊くと、町田市においしいエチオピアブレッドをつくるパン屋さんがあるそうで、そこに頼んで送ってもらえ、というとったな。 マンハッタンはタイ料理もうまいっす。 タイ料理なので当然のように化学調味料がはいってはいますが、ちょっとしか使わないですますだけの料理センスがあるところも多い。 ヤムウンセンとエビのサテ 中華街もある。 巨大で、年々膨張し続けてます。 むかしリトルイタリアだったところに出来た新しい中華街は福健省のひとたちが最近つくったもので、むかしからあるほうは広東のひと中心だそーだ。 下は以前このブログにも書いた、ニューヨークっこなら誰でも知ってる焼き餃子の店。 餃子一皿一ドルです。すごい。 サンラータン(酸辛湯)も一ドル。 この「5個一ドル」の餃子はしかし「ニューヨーク版ミシュラン」のようなアホが読む本とされている(ミシュランのポリシイは元は「くるまで行ける郊外店」なので都会にそれを適用すると自動的に成金様ご案内になってしまう、という)本を除いては、ほとんどあらゆるレストランガイドに「マンハッタンで一番おいしい餃子屋」として出ています。 (考えてみるとミシュランがまともでも餃子屋は紹介しないが….今日は土曜日だからデタラメな文章を特に許可する) ところがあまりに店がしょぼいので観光客はおそれて近寄らぬ。 わっしはガイドブック片手に「まさか、これじゃないよねえ」と言い合っている観光客を二度も見たことがあります。 なかなか良い店である。 インド料理屋はクイーンズのジャクソンハイツに行けばともかくマンハッタン島ではインド料理屋街はあるものの調味料バリバリで、あんまりおいしくない。 ベジタリアン専門のインド料理屋なら二軒ほど、すごくおいしい店があるが。 一軒はメルボルンのウィーラーズヒルにある「パラダイス」と料理が似てます。 南インド料理。 下のようにプレゼンテーションもたいへんよろしい。 … Continue reading

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結婚生活

結婚してから発見したことの一つに皿洗いの難しさがある。 なんでシンクの下に最新式シュワッチな皿洗い機があるのにわっしは手で皿を洗うのか、というと皿洗い機で洗うとモニがこっそり後で手で洗い直しているのを発見したからである。 ちゃんと汚れが取れてない、んだそうです。 ニュージーランドなら、そのくらいのことは誰も気にせんけどな。 問題発言その1 この家には一週間に一回オソージのおばちゃんが来ます 問題発言その2 この家にはほぼ毎日「スーパー家政婦」のヨシワラさんが来ます はっはっは。これで明日からもうこのブログ読みに来るやついねーぜ。 問題発言その1及びその2が主張しているがごとき環境にありながら、しかしわっしは台所へ向かう。 なぜにあなたはシンクに行くの シンクの前がそんなにいいの 「チェリッシュ」って変な歌だな、あれ。あの頃の日本のひとって、ほんとに変な歌が好きだすな。 浅川マキはわっしもしびれるが。 「前科者のクリスマス」は名曲であると思う。 だってお手伝いのおばちゃんがくるからって、なんでも初めからビッカビカのほうが、カッチョイイでしょ。 「まあ、なあんてよく出来たごふーふでしょ。若いのに」 第一、「スーパー家政婦」のヨシワラさんはフランス語と英語が堪能であって、わっしとモニをおだてるのが上手である。 おだてられるとシンガポールのテラスから突きだした物干し竿(地上30階であった) にもぶらさがるわっしの性格などは、とおの昔に見抜かれておる。 だからわっしは夜になると眠いのを必死にこらえて部屋を片付けてまわり洗濯機をエンジンの音ごおごおと征く加藤戦闘隊の隼のようにまわし、皿を洗いにシンクに向かって突撃するのだ。 でもな、告白すると、わっしが磨いても磨いてもワイングラスが綺麗にならない。 ピンクフロイドのAnother Brick In The Wall(part1) が終わってGoodbye Cruel Worldになって、二回目のIn The Flesh?なのに、まだピカピカになりまへん。 それなのにモニがやると、摩訶不思議、あっというまに買ったばかりのように綺麗になってしまう。 皿洗い機が洗ってわっしが手洗いしてモニが魔法にかけたワイングラスのステムをわっしは手に持っています。 これは銀座で一本1800円で買ったスペインのビノティントであって、このくらいのワインであれば別にコップで飲めば良さそうなものであってしかもそれで十分だが気は心という。 今日の夕飯はかーちゃんが送ってきてくれたニュージーランドの仔牛肉をミラノ風にわっしが料理したカツレツであって、それにモニがつくった天上の味のオニオンスープ、わっし手作りのパッションフルーツのドレッシングがかかったサラダである。モニはわっしの天才と言うより他に仕方がない料理の腕前にノックアウトであって、長いすに斜め横になって結婚生活の幸福をしみじみ噛みしめておる。 わはははは。勝った。ざまーみろ。 なにに勝ったのかよくわからんが。 独身のお友達にこっそり教えてあげるが、結婚ほど面白いものは世の中にない。 きみと一緒に住む女のひとは瞬く間に「女のひと」 ではなく「妻」というものになって、きみの宇宙に変更を加える。結婚しちゃえば人生なんか簡単です。 要するに人生の全目標は奥さんが「自分が世界でいちばん幸福」であると思ってもらうことに変わってしまうのであって、ほかのことはどーでもよろしい。 … Continue reading

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3万ドルの入場券

アメリカのお友達と話していると「年収3万ドル」がよく出てくる。 「ここを、こーゆーふうにしてしまうと年収3万ドル以下の層がアメリカ式民主主義の手続きを信用しなくなってしまう可能性がある」 「ヒラリーは他の支持グループはすべて失ってしまったが、まだ年収3万ドル以下の最貧層白人の支持はもっている」 っちゅうような具合です。 これがUK人のお友達だと「年収2万ポンド」である。 感覚的に合衆国人は年収3万ドル(約310万円)UK人は年収2万ポンド(400万円)を「生計維持最低収入」だと思っている。 金額の違いは単純に生活費の反映です。 それ以下は「大貧民」っちゅうわけで、なんとなく話を聞いていると人間扱いをされていなくて「社会の不安要素」 みたいな言われ方である。 一方で社会をのぼってゆく梯子をなんらかの形でもっている(トップテン校のMBAであるとか評価上位5校ロースクールだとか医者だとか…アメリカはすげーガチガチの学歴社会なのでだいたい学歴がらみだす)アメリカ人のお友達の人生計画を聞いていると「30代前半で年収60万ドル」が一応のゴールです。 UK人は、こっちはアメリカ人よりも低いところが、なんとなく国民性が出ていておかしい。15万ポンドくらいが目標のようです。 バルセロナのひとは話してみると年2万ユーロなければ、ともかく生きていかれない、という。アメリカ人と同じくらい。 丁度若い大卒のカップルがしゃかりきになって共稼ぎしてだいたい24000ユーロくらいなので、結構たいへんである。アメリカのひとより収入がかなり低いのに生活費が同じくらいかかるからです。 おおげさに言うと世界はふたつに分離しつつある。 年収3万ドル以下のひととそれ以上のひと。 統計をよく目をこらして見ると、3万ドル以下の世帯の収入は殆どの(平均所得が増大している)国で毎年毎年下がっていってしまっています。インターネット上にいくらでも数字は転がっているのでご自分で見てみられるとよい。びっくりするから。 可処分所得に至ってはかなりガッタンと下がってます。 わっしが考えるにアメリカのひとや(いまや日本人よりも「所得で手にいれられるもの」を考えるとひとりひとりは裕福になった)中国の都市部のひと、あるいはバブル景気のロンドンのひとが投資や投機に走るのは実感として「マジメに働いてもムダ」と感じているのではないかと思う。 資本主義は最近は牙むき出しであって遠慮というものがない。 共産主義の幻想がさめてなくなってしまったので、共産主義登場以前の弱肉強食が戻ってきてしまった。 この頃あちこち旅していると「チェ・ゲバラ」がものすごい人気商品になっているのが実感できますが、その後ろにはもっと深刻な理由が隠れていそうです。 違う見方をすると社会主義を政治思想性抜きの「制度」としてとりこんでしまった「EU」という高い壁のなかにある国々と、それ以外の国では全然別の道を歩き始めた、とも言えます。 中国などは典型的で共産主義国家でかつ全体主義であるのに国を経済的には3つに分割して「先進国部分一億二千万人」に弱肉強食理論を導入して生き延びようとしている。 横光利一は「日本は人民戦線主義の国である」と書いてます。 政治的発言として攻撃されましたが、横光利一ですもの、政治的発言ではなくて、小説家の直感でしょう。ゴルバチョフが日本こそは共産主義者がつくりたかった国だ、と言った、というのも有名です。日本の人は勝ち負けがくっきりするのがもともと嫌いなのではないか。 自分だけいいもの食うなんてひどいじゃないか。 おれにも寄越せよ。 しかし平等社会の宿痾である官僚腐敗から日本も逃れられなかった。 1998年に始まる国家経営の破綻は、もう日本に平等社会の夢を見させてくれそうもない。 何日か前のブログで述べたような理由で、この後に起こる(あるいはいま起き始めている)ことは年収が現在300万円以下の層の急速な貧困化だと思いますが、日本という国が、そこから生起するに決まっている諸問題をどうやって乗り切ろうとしているのか、わっしには興味がある。 日本のお友達の話を聞いていると、インフレに乗じて社会保障費を削る、とか、消費税を最終的に15%あたりまでひきあげて税収を増やす、とか、いろいろ考えているようですが、もう後5年くらいしか残っていない「なんとかやれる」時期のあいだに、ほんとうにそんな国家的大転回が可能なのか。 どうするのかと思ってたらいきなり「実質全部繰り延べ」にした1998年に大増債した国債の額を眺めながら、わっしは「自分がお役人ならどうするか」 と考えてみます。 なにしろ5年以内に国民一人あたり600万円づつは政府がすっちゃったぶんを否が応でもおっかぶせなければならないので、たいへんです。 たとえばシャチョーのお家なら、あそこは家族4人なので、あの吝いシャチョーに2400万円、どうやっても払わせないと国が立ち行かない。 基本線はあくまでインフレによって収奪するほかない。 うーん、どうするかな。 マスメデイアを動かして「北欧ブーム」を起こす。イケアの家具くらいから始めるのがよさそうです。突然流行ったABBAに続いて、今度はAce of Baseでもドラマの主題歌に使ってもらうか。 … Continue reading

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日本語学習者の秘かな愉しみ

わっしは珍しくオベンキョーしておる。 どーゆー教材を使っているかというと、ある日わっしの部屋に流れている日本語はたとえばこうである。 「AとBはCまで行ってた。俺もカンパさせられた」 な、なんじゃこりゃ、とわっしはローバイします。 意味が全然わかんねーじゃん。 「俺もカンパさせられた」は問題なくわかる。 でも、AとBはCまで行ってた、ってなんでしょ? それとカンパの相関性が不分明である。 実際これは難問で意味を発見するまでクローした。 Cが「妊娠に至る行為」のことだなんて、辞書にもインターネットにもどっこにも書いてねーぞ。 だから「カンパ」すんのね。 なんちゅう腐れガキどもでしょう。 (そーすると、このあいだ神保町の古本屋で見た技術評論社の「初めてのC」ってデート本だったのか。なんてお下品で露骨なタイトルでしょう) 正直言って、なんで日本語を学習するんだか、よーわからん。 日本語はベンキョーしても将来のキャリアのために全然ならなくて(日本の会社は外国人は上級管理職にしない。日本語クラスは中国語クラスに変わりつつある….)スワヒリ語のほうがまだ費用対効果が高いので有名な外国語だが、わっしの場合は、日本にいるときですら日本語を話さないオオタワケなので、ますますなんのために学習しているんだかわかりません。 もっともわっしはむかしむかし14歳のときに「500年以内に実用の役に立つような学問はいっさいやらん」と決めたので、役に立たないことを学ぶのは大好きです。 なかには確率微分方程式みたいにビミョーなものもあるが、あれは面白いからそれでいーんです。 役に立ててしまった奴のほうが悪い。 そう言えば数論でAT&Tの収益拡大に貢献したバカもおったな。 たのしけりゃいいんじゃ、という立場に立てば日本にいて日本語をベンキョーするくらいおもろいことはない、ともいえる。 たとえば、わっしの机の上にはいま昭和45年11月発売「PocketパンチOh!」がのっておる。 表紙は辺見えみりのかーちゃんです。辺見マリ。 グラビアはえみりかーちゃんの大竹省二先生撮影セミヌードだす。 こーゆーことを言うと怒られるがいつものごとく怒られそーなことをヘーキで言うと、どーして、こんなに写真がヘタなひとが「大家」(オーヤではない。張本さん、あれは、オーカ。あっ、いやタイカ、です。ややこしいな) 扱いであったのかよくわからぬが、とても威張ってます。雑誌の後半ではこのカメラマンおっちゃんは「若者向け人生相談」 までやっていて「ガイジン女と一夜を過ごすなら人種差別が少ないラテン系が狙い目です」 とゆーよーな、オソロシイことが書いてある。 きゃあー、ねらっちゃいやん。 この辺見えみりのかーちゃんへのインタビューでは記者が「処女ですか?」とか、すさまじいことを訊いてます。 質問が全編セクハラである。 その他にも「純情キーセンにHな質問、韓国美人アプローチ法」なんという特集があって、会社帰りの電車で「夕刊フジ」のエッチな記事に見入っている 初老のバーコードのおっちゃんは、いまに始まったことではない、実は若いときからずっと同じ感覚で暮らしてきたに過ぎないことが非常によくわかります。 二十歳にしてすでに加齢臭がしておった。 いまのにーちゃん日本人たちのほうが百倍マシである。 パワーはないけど心はニシキ。 あるいは「週刊朝日」 昭和42年11月26日号。 帝国ホテルの犬丸徹三社長が「アメリカの名建築家ライト氏が心血をそそいで設計した作品」 である帝国ホテル旧館をタリアセン幹部建築家を始めアメリカ・日本の建築家たちの反対を押し切って「地上26階の高層ビル」に建て替えるのを決めた囲み記事がある。 「日本ではあまり評価されていないが海外では近代建築の夜明けを告げる記念碑として有名」と書いてあって、書き方からして「海外では有名らしい」という程度にしか知られていなかったのがわかります。 … Continue reading

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食物図鑑 その3 バルセロナ篇

わっしがバルセロナという町が好きなのにはいろいろな理由がある。 1 安い食べ物がうまい(高い食べ物もうまいが) 2 安いワインがうまい(高いワインはもっと悶絶するほどおいしいが) 3  朝から 通りのテーブルに腰掛けてカバ(スペイン産シャンパン)を飲んでいても誰も動揺しない(それどころか同じことをしているひとがたくさんいる。自堕落なわっしはとてもコーフクである) 4 人間がやたらと親切である(しかし普段は素知らぬ顔をしておる) 豹女すら存在する。 http://d.hatena.ne.jp/gamayauber/20080226/p1 「なんだか食べ物と飲み物のことばかりですね。」 そりゃそうです。わっしが愁いに満ちた顔で何事か考え込んでいるときには、昼飯に何を食べるか考えているのだというのは、わっしの友人知己親族ならばあまねく知っていることである。それ以上難しいことを考える習慣をわっしはもっておらぬ。 難しいことを考えるとお肌の健康にも悪いという。 むかしは、これに加えて、というか、このふたつの重要課題の上位に「ハクイねーちゃん」というのがあったが、血迷って若い身空でオットになってしまったので、そっち方面に関心をもつと多分三角木馬の上にまたがらされた上に水責めにあって最後は逆さ磔で頭から燃やされると思う。モニと妹とかーちゃんの三人がかりで何のためらいもなくそーするでしょう。きっと。 だからおとなしく朝からオハラショースケさんみたいにカバを飲むのです。 やけ起こしてるんだろうか。 今回のブログは画像がやたら多いので画像が多いのが嫌いな人は今回はパスにして読まないか画像を表示させないようにして読むのがよろしいっす。 自分がバルセロナでだいたい一日で食べるものを並べたらこうなった。 (ただし写真そのものは複数の日にまだがってるが) こんなに食うのかと自分で呆れました。 「食習慣が環境にやさしくない」とか言われてそのうちグリーンピースに処刑されるのと違うか。 バルセロナのよいところは、「タパス」(小皿料理) という思想が町中に行き渡っていることです。朝(といってもたいてい午前11時だけどね)起きると、ふらふらと坂を下りて近くのベーカリーで下のごとき朝食を摂ります。 カタロニア語はスペイン語よりももっとわからんので、残念ながらこのベーカリーのおばちゃんたちと話すのはもっぱらカタコトのスペイン語である。 モニはほとんどフランス語にしか聞こえないカタロニア語である。 それから公園がずっとつながったようにしか見えない大通りを歩いてゆるゆると下町に降りてゆく。 すると辻辻にバールがあります。 カバを頼んでおもむろにメニューを開くと、そこにはありとあらゆるタパスが並んでいて、 まるで生まれて初めて絵本を開いた若葉ちゃん(金子光晴のお孫さんです)のような気持になる。 「絵本をひらくと、海がひらける。若葉にはまだ、海がわからない。 若葉よ。来年になったら海へゆかう。海はおもちゃでいっぱいだ。 うつくしくてこはれやすい、ガラスでできたその海は きらきらとして、搖られながら、風琴のやうにうたってゐる。」 なんちて。 みんな小さな皿に載って出てくる。 これはサーディンとトマトのサラダ これが小エビのガーリック炒め オリーブオイルで揚げたポテトチップの海胆ソースとカタランソースかけ チックピーとほうれん草の炒めもの … Continue reading

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Dance!

わっしは日本映画が好きです。 たとえば「東京物語」をいったい何回観ただろう。 小津の映画は通常の映画が歌舞伎や普通の劇場の視点の高さから写真を撮ってゆくところを能楽の客席の高さから世界を観ている。 その低い低い地を這うような視点から極端に様式化され抑圧された激情が描かれてゆきます。 だからわっしは小津の映画を観るとフェイスクロスが一枚ぐしょぐしょになるくらい泣いてしまう。そこに描かれているのは人間の激情や運命のはかなさについての物語であって、その悲劇性は西洋の物語よりも一層本質的である。 人間が人間であれば必ず直面する悲劇、であると思う。 あらゆる会話には言葉が意思の伝達の役に立たぬことへの諦めが満ちていて、あらゆる慰めの言葉には「非望の自転」とでもいうような絶望がみなぎっています。 黒澤明の映画も嫌いではない。 「天国と地獄」は文句なしに面白いし、「生きる」は志村喬が素晴らしい。 評判が悪かった「夢」がなぜ評判が悪かったのかわっしにはよく理由がわかりません。 寺尾聰が復員した将校に扮する一話がわっしはとても好きです。 暗黒のトンネルから全滅した自分の指揮下の(いまは亡霊の)部隊が現れて「自分たちにも故郷に帰る権利がある」 というこの話は(多分)実は能の翻案ですが、誰にも気づかれないくらいよく出来ている。 いま生きている監督では周防正行が好きである。 「Sumo Do, Sumo Don’t」は最高によく出来た映画で、わっしはニュージーランドの家で電灯を暗くしてプロジェクタで何回も観た。 「昇華されたマンガ」のような味わいがある。 この周防という監督のインド旅行記があります。 「どうしてインドの映画には必ず歌と踊りがはいるのか」 邪魔なだけではないか。 周防監督は映画の文法の問題としてどうしても納得がいかないのですが、 ある日インドのひとたちを集めた「Shall we ダンス?」 の上映会でインドの人に 「この映画にはインドの魂があります」と言われてしまう。 そのとき他ならぬ「Shall we ダンス?」 に「舞踊と音楽は人間自身の発明した最初にして最も初期的な快楽である」と自分でナレーションをいれているのに気がつく。 トーキョーにいてひとつだけ詰まらないのは、無茶苦茶クールなクラブがない。 ニューヨークにもパリにもある、あのリズムと音楽で塗り込めたチーズのような濃厚な性的な空間がない。 東京の友達が連れて行ってくれる「いまサイコーなクラブ」は、せっかく連れていってくれるお友達には申し訳なくても何か根本的なところが違うんです。 うまく言えないけど。 モニもわっしも平たく言えば「クールなクラブ」で踊り狂うのが好きです。 音楽が細胞のすみずみまでしみこんでリズムが身体を浮遊させる。 自分の身体が重力への正常な反応を失って音楽の法則に従いだす。 音楽という論理的で形而上の快楽が筋肉を通して形而下の確かな悦楽に変わる。 … Continue reading

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失われた10年

日本にいれば日本語で書かれたものを読みます。神保町へ行く。アマゾンで買う。 本を読み飽きるとモニと一緒に長野県へ出かけます。 新幹線であることもあればくるまのこともある。 軽井沢にもボロイくるまが置いてあるので新幹線で行けばそれに乗り換える。 日本の土木屋さんはどんどんどんどんすごいスピードで国土を破壊するので、自分で気に入った風景は素早く写真に撮っておかないと、あっというまにマヌケな「リゾート開発」かコンクリ固めになってしまうので、なかなか忙しい。 むかしはハラハラしてこのブログに「ダイジョウブですか」と書いたりしていたが、みなに大きなお世話です、ガイジン死ね、と言われてばかりだったので、もうどうでも良いことになった。考えてみると元々それほど日本という国にいれこんでいるわけではないので、なるほど大きなお世話である。滅びたいと願っているものは滅びさせればよい。 コリントを見よ。   カルタゴを見よ。 東京に帰るのがめんどくさくなったので、モニとわっしは今日は軽井沢に泊まることにした。寒いけど薪がないから散文的であっても今日は近代的暖房システムに頼るしかないのい、とモニと話しながら家に着いたら薪積みのおっちゃんが、わっしらが来ておるのを察知して新しく薪を積んでおいてくれてます。軽井沢のひとはまったく親切である。 日本はインターネットのインフラという点では最高にクールです。 100メートル先をひとが歩いても足音が聞こえそうな森の中の家なのに、むちゃくちゃ速いインターネット接続がある。 テレビは映らないがモニもわっしもテレビは見ないので、そもそも関係がない。 自分のブログを読んであまりの日本語の上手さに陶然としておったらモニに何をしているのか、と訊かれた。 「自分のブログを読んでいたらあまりに面白いのでつい読みふけてしまった」 と言うと、笑い転げられた。 「ガメみたいにうぬぼれの強いコーフクな性格のひとは、ほんとうに見たことがない」ですと。 失礼な。 なつかしい0xFFFFF さんがコメントを付けてくれています。 (どうやって、このブログの再開を探しあてたのでしょう) 日本のひとの知的衰弱を心配してます。 どうして、こういう意見がかき消されてしまうのか? 失われた十年でほんとうに「失われた」のは経済的成長ではありません。 1980年代の終わりに計画されて1994年頃に実際の建設が始まった新しい世界は「IT技術」と「バイオ技術革新」と「金融革命」の三つの柱の上に立っていますが、 日本にはそのどれにもアドバンテージがない。種を明かせば旧経済世界において日本に完全に出し抜かれたアメリカ人の皆さんが、日本をアドバーサリ(adversary)と見なして日本のひとが不得手な三つの分野を足がかりに一発逆転を狙って目論見通り、世界の構造を変更して、まんまと目的をはたしただけのことなので当たり前とも言えますが、それにしても日本の政府も見事に相手の手に嵌ったものです。注文相撲ではないか。 失われた十年でほんとうに日本から失われたのは、将来への知的基盤だと、わっしは思います。 このまま行くとして、だいたい2015年くらいには旧世代産業である自動車産業の陳腐化とともに日本は途方に暮れる事態になりそうである。確実にそうなる。 そうなったとき、 日本は、どこへ行くのだろう? 「自動車産業」どころか、いまだに経済の4割が土木事業に頼っているなんて悪い冗談どころではない。 わっしは目下この問題に拘泥しておって、日本の教育を遡って調べています。 いろいろ発見がある。 昭和40年代までの中学の数学の教科書は文句なく世界一なのに、1990年代の教科書は理解できないくらい混乱したものになっている。 もうひとつ。 「教育の正常化」の切り札、筑波大学が出来る頃から日本の知的レベルは瓦解します。 念入りに計画を立てて文部省が日本の知的水準を徹底的に破壊しはじめます。 前代未聞、というか、他の国にはポルポト政権下のカンボジアと紅衛兵時代の中国にしか例がないような組織的な教育の破壊が行われている。 どうして? と、いうのがわっしの好奇心の対象です。 つくづく不思議な国であって、興味がつきるということはなさそうです。 日本のひとは、おもしろがってばかりはいられないでしょうけど。

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血液型性格判断

「ガメって、やっぱりO型だよねー。はじめっから、知ってた」 「そーですか」 「ガメちゃん、やっぱB型ぽいよねえ。血液型そのまんまの性格だよ」 「ほぉー」 日本にいるとよく交わされる会話です。 心なしか、今回は前回に比べるとあんまり遭遇しないような気もしますが。 わっしは、O型でしょう、とかB型でしょう、とか言われる。 そのたびに、めんどくさいので、何型であると言われても「そーですー」と答えたりしているが、実は、わしは自分の血液型がなんであるのかなんて知りまへん。 そーゆーと、日本のひとはわっしがなんらかのたとえば特殊W型というような邪悪な血液型をもっているので隠しておるとか、不埒にもとぼけておるのだとか考えるようですが真実は異なる。 ほんとに知らないんです。 だって、大怪我したことないもん。 出産したこともないしな。 それは多分クライストチャーチの某病院に行って、わっしが飲んだくれではないかと常々にらんでおるスコットランド人女医に訊けば、わっしの血液型がなんであるかわかります。 血液検査のデータを見ればわかる。 でも、わっしは訊いたことがないからわからん。 AIDSじゃないのは知ってるけど。 日本の人が血液型で人間を分類する趣味があるのは、わっしは日本に来る前から知っておった。新聞に載ったりしてたので、知ってました。そーいえば、わっしがいた気取り屋の多い大学に、日本人が大嫌いなおっちゃん(なんでも日本に一年いたことがあって、そのときにたいそう嫌な思いをしたそーな。単に日本人の女の子に言い寄ってふられただけだったりして)がおって、そのひとが川の畔のパブでビールを飲んだりしておるときによく日本人の血液型性格判断をあげつらっておった。 日本の人がいかに頭が悪くて迷信家であるかの例証として血液型性格判断をもちだすのであります。しかもABO式しか血液型を知らんのだよ、あの人種は。 おっちゃん、日本人は「人種」とちゃうで。 ABO式血液型で性格が分類できる、という考えはクレッチマーもびっくりの奇想天外ですが、結構、信じているひとは多いように見えます。東アジア全般の傾向だという人もいるが、そーなんでしょうか。 わっしはちょっとだけ調べてみたが日本大学の研究者とかが繰り返し公開実験をして有意性が否定されているのに、信じている人がいっぱいいるのであって、科学の民であるはずの日本のひとなのに、どうなってんだかちょっともわからん。いくら科学の側から「そんなのウソだよーん」と言ってみせても、誰も聞いてくれないので科学の側はめんどくさくなってやめてしまったようにも見えます。 衆寡敵せず、という。 ひとつだけ確かなのは現在の「血液型性格判断」はショーバイとして行われているのであって、そのマーケットが巨大なせいで血液型で性格を分類するというのをやめるとお金が儲からなくて困る人がたくさんいる、ということです。能見さん一家は、特に困る。 年中「テレビ視聴者というようなバカを喜ばせるのはたいへんだ」と不遜なことをつぶやいているNテレビのHさんも困る。 「日本人が本来非科学的な証拠」と言われようがなにしようが、これを死守するしかない、のだす。ニューズウィークにまで特集されちったけどな。 道理を説くよりなにより、こーゆーのって、楽に稼ぐにはいいよなあー、とわっしは直ぐに不純なほうへ考えがいく。赤血球の分類であるABO式が受けるんだったら白血球 (HLA)なら、どうであろうか、と思ったがABO式血液型にかわるカルトビジネスにするには、ちょっと複雑知的すぎて、ABO式血液型を信奉するタイプのひとたちをだまくらかすにはちょっと高尚に過ぎるようである。マーケットに向いておらない。それに同じ血液型となると、思いつきの感がまぬがれぬ。 で、突然ですが、わっしは、こう思います。長年の研究の結果である。 いままで科学者の誰もが気がつかなかったことですが、人間の性格は、 左手の小指と、薬指、中指、人差し指、親指それぞれとの長さの比で分類可能である。 小指対薬指は信義・義務の観念の強さなど信頼をつかさどる情操の強さを表す。 小指対中指は他人への反応、すなわち他悪的傾向自悪的傾向の尺度になっておる。 人差し指は活動性、親指はリーダー的な資質の有無を表す。 ダメ? 血液型性格分類よりは科学的だと思うんすけど。 それじゃ手相と差別化が出来てない? うーん。数字を前面に出したらそれらしくならないかしら。 もうちょっと、もっともらしく科学っぽくなったら、再度発表したいと思います。 そのときは、みなで科学の発展のためにしっかりお金を払うよーに。 いま「超マイナスイオン発生器」も研究してるからね。 … Continue reading

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カレーライス

前回日本に来たときにはよく食べたのに今回はぜんぜん食べないものにカレーがあります。もう少し正確に言うと「カレーライス」。日本式カレーを食べなくなった。 嫌いになったわけではない、いまでも好きです。宇多田ヒカルのかーちゃんの歌に出てくる悲しみをこらえて北に去ってゆく女のひとのようであるが、ほんとうなんだから仕方がない。 こんなに切ないわたしとカレをひきさいたものの名、それをキョー ギュービョーというのだわ。 ニュージーランドやオーストラリアの人間は、自分の国の外では牛肉を食べたがらない。 ひたすら狂牛病がこわいからです。 わっしも食わん。こわいもん。 そのかわりニュージーランドにいるときは毎日毎日これでもかこれでもかというくらいビーフステーキばかり食べておる。 ラムちゃんまで手がまわらぬ。 妹も、もともとは全身これ牛肉由来のタンパク質といってもよいほどのビーフイーターであったのに、いまは元祖狂牛病国に住んでいるので気の毒にも牛肉に手が出せない。もちろん彼の国にも100%オージービーフというレストランはあるが、妹はもともと外食産業というものを頭から信用できない気の毒な人間なので、毎日牛肉を食べたくて煩悶しておる、と考えてほくそ笑んで、もとい、かわいそうである、と思っていたら、「ちょうどよい機会だから半分菜食主義にした。身体の調子がたいへんよろしい。おにーちゃんも、ばかみたいに肉食するのやめてもっと野菜食べたら?」 だそーです。 これだから優等生は好かぬ。転んでも起き上がるときは辞書を拾っておったりする。 なんでも生産的な変化への契機にしたがる。 妹よ、菜食の方が身体によい、という科学的根拠を述べてみよ。 ほら、ないでしょうが。 菜食の方が健康によい、などとは何の根拠もない主張であることを、そのへんのパチモン科学が好きなマスメディアとは違って、かしこいおまえは知っておるはずである。 おにーちゃんは、そういう非科学的な主張には耳を貸さぬ。 わっしはもともとジャンクフードが好きである。 明るいオレンジ色、とか、シンプソンファミリーの顔色より派手な黄色、とか、タッキーな色の食べ物がスーパーの棚に並んでいると、つい買ってしまう。 そんでもって風呂場の鏡にオレンジ色に染まった舌を映して悦にいったりします。 そーすると、まる一日モニにキスしてもらえないが、むかしからケーキを手に持ったまま食べることは出来ない、という。しかたないやん。 カレーライスをジャンクフードだなんて、まあ、なんて失礼なバカガイジンでしょ、と日本のひとに怒られそうであるが、初めて食べたときは、まったくのジャンクフードだと思っておった。忘れもしない藤沢の「シュクレア」という店である。 デパートの地下だかなんだかで、感じの良いおばちゃんがふたりで取り仕切っておって、見るからに「ダイジョブ」そうだったので、わっしはそこで昼飯を食べることにしたのだ。 「カツカレー、ひとつ、おねがいしまあす」というと「辛さは何倍にしますか?」 と訊く。20倍。ダイジョブデスカ?ダメなんですか? おばちゃん笑いながら、それはこっちじゃわからないんですけどね。 そりゃ、そーです。 これがうまかったのだすな。 なんだかネットリして粘性が高いカレーであって、見ようによっては味噌と並んでなにもかに似ていなくはないが、匂いが食べ物であると強く主張しているのであんまり余計なことを考えないですむ。 「英国風カレー」というのも食べたことがある。英国風のカレーならば当然インド式カレーであるか、国民性としてどっこにも共通点が存在しないスコットランド人とイングランド人がこれだけは共通に大好きな「バターチキンカレー」 であるかのはずであるが、それとはまた違うものであって、シチューをカレー化したような微妙な食べ物であった。 どばっとバターやなんかの酪農製品がはいっている、というのが定義でしょうか。 その点ではバタービーフカレーっちゅうようなもんかも知れません。 神保町の「ボンディ」とか鎌倉の「珊瑚礁」とか行ったな。 箱根富士屋ホテルのカツカレーは、なかなか好きであって何回か食べに行った。 カツカレーを気取りまくってもったいつけて出すところがなかなかおかしいが、そーゆー「ギャグでやってんのか?」なところをのぞけば、良い昼食です。 日本式のこーゆーカレーは作り方の都合上牛肉のいっちゃん危ないところがはいってしまうので食べなくなってしまいましたが、他の国に行ったときには「ご当地化カレー」というか、その国の食べ物化したカレーを食べることはいまでもよくあります。 日本の人と話していると、「カレーライス」のようなものは日本人だけが考えるのだ、と思っている人もいるようですが、あまぁーい。 同じ人間じゃもの、考えることは、同じようなもんです。 たとえばイタリア。観光の中心ではもちろんダメですが住宅地の広場に面して開いているレストランに行くと、たとえば「カレー ボンベイ ナポレオーネ」なんというメニューがある。最後のナポレオーネはレストランの名前です。ナポレオーネ風。 リゾットとカレーの混合のようなものであって、とってもうまいっす。 … Continue reading

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存在の影

こーゆーことを言うときには、いつも言うごとく木に触らねばならないが、わっしの ここまでの人生は不気味なくらい運の良い人生であった。 あまりに運が良すぎたのでデブPなどは、わっしの後半の人生の落魄に期待していまからわくわくしている。 現にいまも全然通勤しないのに、というかもっとはっきり言ってしまうと仕事もせんのに二カ所から給料をもらっておる。 そんなことでいいのか。 いーわけはないが、振り込まれるとついもらってしまう。 海野十三(うんの じゅうぞう)、というひとはわっしも好きなSF小説家であるが、このひとの名前はほんとうは「うんの じゅうさ」という。小説家志望の若い編集者が麻雀にうつつをぬかしておる海野先生に「どうしたら先生のように人気作家になれるのでしょう?」と訊いたら「ツモ一発ドラドラ大三元!運の十さあー!!」と叫んだ、という。 世の中、運次第。たしかオーヘンリーの小説にも、そーゆーのがあったな。 わっしは、つくづく何もしないひとである。 前にも書いたが古代の中国なら老荘の理想人「真人」として神として崇めてもらえそうである。やらないとモニが悲しむので皿洗いや料理・洗濯や掃除はやるが、他のことはなんにもしない。 皿洗いは結構好きであって、わっしは明らかにこういう何にも考えない単純労働に向いておる。まずわっしはキッチンのカウンタにあるiMacのところにゆく。 このiMacは、モニとわっしの家ではオーディオとして使われておる。 普段はニューヨークのローカルFMをインターネットで世界中に流すというヘンなFM局の放送を聴くのに愛用されていて、わっしなどは「エイスアベニューとセブンティーンストリートのピザ屋さんの特売」につられて宅配ビザを注文しそうになったりする。 この透明くらげみたいなパワードスピーカにつながったiMacのところへ行くと、わっしはたとえばブリジット・フォンテーヌのフォルダにアクセスする。 ふんでもって、アレスキとブリジット・フォンテーヌのかっちょいい音楽に腰をふりふりステップを踏みながら皿洗いをする。 結構幸せであって、自分には新妻の素質があるのではないかと思う。 料理も好きです。わっしには明らかに料理の天分がある。 もっとも昔銀座の鮨屋の「ガイジン向けスシスクール」に参加したときには、この説は否定されたが。(「ガメちゃん、お友達にどんなスシをつくってあげてもいいから、ここで教わったっていうのだけはやめてね」と言われた) 取り分け中東料理やインド料理が得意である。 もちろんわっしのつくるローストラムやローストポークも天国の味であるが、あんなものはオーブンさえあれば、料理嫌いの妹にすらおいしくつくれる料理なので言うほどのものとは認められぬ。 わっしがたずからつくったヨーグルトのチキンティカを味わわないで料理を云々してはいかむ。 でも他のことは、なんにもせんな。 要するに現実の世界に向いてないのだす。 わっしは人間の卑しさに敏感である。 わっしは人間の嘘に敏感である。 わっしは邪悪な人間が嫌いであって、心から憎んでいる。 むかし、かーちゃんが、上のみっつをあげて、息子よ、だからお前は世の中を生きていけると思ってはならぬ、と言ったが、ほんとうである。 そんなこと言ってたら、暮らせねーじゃん。 あんたは月光仮面か。 あのオートバイは寄付で買ったのであるか。 整備するときも、やっぱり覆面マントでサングラスかけて行くんでしょうか。 わっしは、このあいだ届いたEOSのF1.5のレンズで自分の足指を写してみた。 まるで他人の足のようです。 その写真をためつすがめつ眺めて、「現実」などというものは、ほんとうに存在するのだろーか、と思っているうちに眠くなってねてしまった。 起きたときにモニの心配そうな顔がなかったら、いまごろは、もうわっしは存在するのを停止していたかもしれません。 カウチの上から、ふっ、と消えてたかもしれぬ。 さしていた影が消えるように。 写真はふたりのベンチに腰掛けるメキシコ女性。 よく見ると右側の女のひとは身体が透けています。

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木曜日の鯨肉ステーキ定食

以前わっしのアホなお友達のデブPが日本で鯨肉を食べたいと考えていることを書いた http://d.hatena.ne.jp/gamayauber/20080314/p1 とき、これをフィクションもしくは冗談だと思ったひとがおった。 「西洋人が鯨肉を食べるわけねーじゃん」と言う。 「白い人たちにとっては人肉を食べるようなもんでしょう。ただしノルウェーのひとは除く」 そーゆー意見です。 お互い様ではあるが日本のひとはイギリス人を全然わかっておらない。 「紳士の国」なんていう。ユーモアがあって、上品である。 なはは。きみ、イギリスに住んだことないでしょ。 西洋人一般のイギリス人に対するイメージは皮肉屋で意地が悪いトゲトゲしいものいいが多い。こすからい。自分だけが偉いと思っておる。人種差別の総本家である。 ま、実際のイギリス人はそこまでひどくはねーけどな。 あんまり外国のひとが付き合って愉快な人間の集まりであるとは、わっしもおもわん。 日本にはむかしからなぜかおとぎ話のようなイギリス人像が蔓延しているだけです。 イギリス人の良いところは、あーゆーおとぎ話とは別のところにある。と、自分で言っていれば世話はないが。 閑話休題。 捕鯨の話をちょっとしただけで「ガイジンは黙れ」と怒鳴りまくられたので、そーですか、と思って、黙って見物していたが、眺めていて、へ、へんなの、と思うことがたくさんあった。 たとえば「ぼくがヒーローなんだもん病マヌケ豪州人」「チベットは国内問題だガイジンは黙れ中国人風日本人」ともに「アングロサクソンは鯨なんか死んでもくわない」という。これだけは意見の一致をみています。 不思議に合意して、そこを出発点にケンカしています。 ところが、だね。もう、そこが誤っておる。たとえば英国人はむかしから食べ物が少なくなると鯨を食べるのを知らんのか。 日本人が鯨を食べる民族だというならイギリス人も立派に鯨肉を食べる民族です。 そんなことはたとえばイギリスの一部大学に行ったことのあるひとならたいてい知っとる。だって学寮のメニューに少なくとも60年代までは「鯨肉のステーキ」というのがあったからな。 そのこの世のものとは思えぬ不味さはいまでも語りぐさになっておる。 丁度日本のひとが鯨を食べまくっている頃、イギリス人もしょぼしょぼと鯨を食べておった。 その当時の研究者の本を読んでいると、廊下を食堂のほうに向かって歩いていって鯨の匂いがしてくると(このひとは鯨肉が嫌いだったので)走って逃げた、と書いてある。 そんでもって、自分の部屋で泣きながらパンをかじったそうです。 もともとイギリスには縁がない日本のひとはともかくとしてオーストラリア人のにーちゃんねーちゃんまで、その程度のことを知らぬとは何事であるか。 もっとも、これは日本語で書いてもしようがないわけだが。 わっしは鯨肉を食べようとはおもわんが、別に西洋の人間が本気で鯨は神の使いだ、と思っているわけではないのす。他に理由がつかないから、そう言ってるだけです。 本気で思ってたらカルト集団どすな。 いかにものを考えないのが民族的プライドであるアングロサクソンでも、そこまでパーではない。 逆に日本人がほとんど鯨の肉を食べない、と知るとイギリス人は腹を抱えて笑います。 戦後アメリカ人の(実質的には)命令で鯨食が復活するまで、鯨肉は市場にほとんどなかった。昭和初期で鯨食文化はほとんど消滅しつつあった。いまはいまで、鯨の肉を食べる人なんて、わっしは見たことがない。 そーゆーことを知ると、多少とも日本に興味があるひとは、日本人らしい、と思う。 悪い意味ではありません。相変わらず変わったひとたちやね。 さすがはむかし頭の上で足をふりまわしながら歩いていただけのことはある。 われわれも「変な歩き方省」をつくって対抗したが、あのときも日本人にしてやられたものな。 わっしは、とってもえーかげんなひとなので、いまはニュージーランド人であると言っているが、前はイギリス人であった。パスポートはどうなっているかというと両方もってる。 日本は変な国なので日本のパスポートしか持てないが、そーゆー国は、あんまりない。 不便じゃん、だって。ただ役人衆がめんどくさいと思ってるだけです。 で、ただで行けるっちゅうんでイギリス人として日本にやってきたことがあります。 … Continue reading

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