Monthly Archives: May 2008

帰ってくる人たち

ブリテン島とニュージーランドのあいだの往復は片道24時間かかります。 遠い。 経路としてはふたつあって、成田経由、シンガポール経由。 この他にドバイ経由もあるはずですが、これは通ったことがないからわかりまへん。 わっしはガキガメの頃から日本経由であって、シンガポールは別口で何回も行くので自然そうなった。シンガポールのようにストップオーバーとして、ちゃんと組織されていないので、わっしのように根性のないガキを連れて旅行しなければならなかったかーちゃんとしては、成田か東京に5泊くらいして休ませてからまた長旅の続きをするのが普通であった。 だから旅行者としては、このブログを読むひとが受ける印象よりは何回も日本に来ているのです。ただ、わっし本人が「日本に来た」という意識があんまりなかったので、この頃の記憶がひどく稀薄なだけである。 長い間、ヘコーキが寄っていく「くらーい国」という印象であった。 いっぺん九十九里浜から太平洋に出て、滑走路へアプローチする、そのときに空から見える緑が暗い色なのが、なんだか怖かった。 そのうちにガキガメがバカガメに成長して旅慣れてくると、このストップオーバーの何日かを利用して怒濤のように東京湘南方面に現れて、千石商会や秋月無線、あるときは横浜の中華街、またあるときは鎌倉の曼荼羅堂や比企ヶ谷、とだんだん「土地鑑」を作っていったのでした。 あるとき、こういうことがあった。鎌倉駅にたどり着いて「表駅」の改札口から右手に歩いていくと、向こうからへろへろの痩せたじいさんが歩いてきます。 若い女のひとに手をひかれて、少し年のいった女のひとが先導するようなかっこうで駅の方に向かって歩いている。ちょうど東急スーパーの前あたり。 「な、中村伸郎ではないか」と、人知れず緊張するわっし。 だって、大ファンだもんね。志村喬、中村伸郎、笠智衆、東山千栄子、佐分利信というような名前は、わっしにとっては雲上人のものであって、この何年か後わっしは二階堂というところで皇后陛下と出会い頭にごっちんこしかけるが、そのときよりもっとコーフンしました。 不敬である。 気づいたのはわっしひとりであるようで、周りのみなは気づいても気づかないふりをしているのだろうか、鎌倉の人はえらいなあ、と思った。 そのときは、それだけで終わったのす。 ずっと後で、酔っぱらって日本の映画史年表をつくって遊んでいたわしは、ふと中村伸郎の略年譜を読んでのけぞってしもうた。 1991年7月5日永眠。 うっそー。 だって、わっしが中村伸郎を鎌倉駅前で見たのは21世紀になってからのことです。 わっしが見たのは、なんであったか。 ガキンチョのとき、初めてベニスに行ったときのことは前にもブログに書いた。 わっしのブログは後で読んでみて、「く、くだらん」と思うとヘーキで削除してしまうので、もしかすると、そのひとつとして消えて無くなっているかも知れぬが、こんなくそ読みにくい日本語ブログなど調べ直すのはメンドーなので、わからん。 ともかく。 なにしろ、ガキもガキ、チビガキの頃のことであるからホテルのレセプションのおっちゃんの名前が「フェラーリ」であったことと、かーちゃんに連れられて行ったムラーノ島の店の二階の素晴らしいベネチアングラスの輝きくらいしかおぼえておらぬ。 このときかーちゃんが大量に買い占めたベネチアングラスのうちデカンタのひとつは、後であえなくわっしのクリケットバットに粉砕されたが、かーちゃんは、「けがをしませんでしたか」 「家の中でバットを振り回したら危ないと考えられないのか」 くらいしかゆわなかったが、あとでソージのおばちゃんにあれは80万円くらいするのだと聞いて熱を出したのをおぼえておる。 もうひとつおぼえていることが実はあって、ホテルの鎧戸からくびを出して下の通りを眺めていたら、まったく風がないのに重い鎧戸が(しかも片方だけ)えらい勢いでスイングしてわっしのガキ頭に衝突した。 わっしの無敵石頭でなければ死んでいるところである。 その夕方、かーちゃんが遊びに行っているあいだ、わっしは妹の面倒を見ているように言われた。妹はガキですらなくて、なんだかほにゃほにゃぷるるんした柔らかい生き物からやっと人間になりかけている頃であって、昼間見知らぬ町にコーフンして、走り回ったせいで、ぐっすり眠っておる。 わっしは一階のフェラーリおじちゃんと遊びたかったので、どついて起こしたろか、でもここで無思慮にどつくと、こいつが後でかーちゃんに告げ口して、わっしが怒られるよなあ、うーむ、と思案にふけっておった。 そしたら、ですね。 妹がすやすやと眠っておる、そのベッドの脇の灯りがぷわぁーと明るくなって、また、すぅっと暗くなる。まるで妹がこちらから見えないようにつまみを回してふざけているような具合である。でも、妹の両手はちゃんとベッドのシーツの上に出ておる。 ひきつるわっし。 それでも妹を起こすと怯えるのは火を見るより明らかであるから、必死に我慢してライトをみつめてます。 何回かぷわぁーすぅっを繰り返して、やがて止まった。 次の日「フェラーリさん」に「ここって、なんか人間ではないものが住んでいますか?」 と訊いたら、にやっと笑って、「公式には何も住んでいないとお答えできます」とビミョーなことを言った。 ユーレイというものが、いるのかいないのか、わっしにはわかりまへん。 … Continue reading

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HONDA

戦争が終わってから長い間連合王国人は日本人を忌み嫌っておった。 草の家に住んでいる癖に愚かにも石で出来た家に住む者達に石を投げたのだ。(イングランドの諺です) 世界最悪の民族と言えば日本人のことであった。 蛇蝎のように憎む、というが日本人に較べれば蛇蝎などは可愛いものである、というのが長いあいだの連合王国人の「日本人」への認識であったと思います。 本田宗一郎、というひとがいます。尋常小学校を卒業した次の年に見た「自動車」に魂を奪われて一生を過ごしたひとであった。小学校しか出ていない学のない短気なオヤジであって、町工場時代にはヘマをした社員をスパナを持って追いかけ回した、と言う。 技術きちがいである。一分に一万回転も回るバカなエンジンというのは、こーゆーひとが始めた会社でないとつくれません。 連合王国人の国民性のひとつは技術オタクが多いことです。 たとえば、わっしのかーちゃんは大好きなBMWの他に、むかしのデイムラーやE7を持っているが、 ときどきクルマの下に潜り込んで整備をするのが趣味(^^;) 特にバイクとクルマが大好きである。ハーレーなんかは嫌いです。 曲がらんし、走らん。そりゃもちろんなかにはハーレーが好きな奴もいますが、「ものがわからんやつら」と見なされる。お腹がでっぱたひとたちが多いので、もはや、前傾姿勢がとれないからだ、という説も有力である。 トライアンフ、なんちゅうのは英国的です。T120ボンネビルなんてのは、わっしも趣味である。 ホンダのバイクの音は、「蛇蝎以下」の人間にはつくれない音でした。 イギリス人は、大嫌いな日本人がつくったのも忘れてあの音に熱狂したな。 天上の音楽ではないかと思った。 マン島のレースへ押しかけた。ドカよりもかっちょいいじゃん。 日本人って、いったいどうなってんだ。 嫌なやつらが、あんなかっちょいいバイクをつくるわけねーだろ。 わっしから見ると、ホンダの成功とトヨタの成功では事柄の質がまったく異なります。 英国人のなかで「エンジンの音を聞く能力があるひとたち」は、マン島のコーナーを、まわってくるホンダのバイクのエンジン音を聞いて、なにかというと「日本人は」と言いたがるおっさんたちを疎ましく思い始めたのだ。 ホンダはやがて連合王国に工場をつくります。 宗一郎が英国工場にやってきたとき、連合王国人の役員達は、まだ当然のように一段あがった「役員昼食ステージ」でランチをとっておった、メニューも違う。 あたりまえです。 非常識にも、作業服で現れた宗一郎さんは、ステージの上にしつらえられた自分の席をちらと見ると、ずんずん下へ歩いていって、工員のテーブルに座って、さっさと食べ始めた。 「社長の席はあちらです」と言われた宗一郎さんは得意の台詞「バカ!」とも言わず、 黙ってクビをふって、その椅子にただ座り込んで、そのまま昼食を食べ続けたという。 昼食を食べながら目に涙をいっぱい浮かべていた、と主張する人もある。 「役員特別昼食席」が翌日には廃止されたことは言うまでもありません。 現在、日本なんて好きになれねーな、と思っている連合王国人でもホンダが大好きであって、実際に自分が買うときにはつい出来心でトヨタを買ってしまう(燃費がよい。壊れない。サービス体制がよい)ひとでも、会社としてはホンダに勝って欲しいとおもっているひとはいっぱいいます。宗一郎さんの「もの狂い」ぶりがアングロサクソンにはとてもわかりやすいからです。 ファラデーやなんかをもちだすまでもない。本田宗一郎というひとは、わっしにとっても ジョン・ブリッテン(John Kenton Britten) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%B3 や、バート・マンロー(Herbert James Munro) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC と並んで、子供の時のヒーローのひとりであった。 連合王国人が一般論として日本を云々するときには、やはりどうしても「本田宗一郎」の快活なきちがいぶりが頭のどこかに宿っている。 … Continue reading

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Happy slapping (ハッピースラッピング)

ハッピースラッピングはだいたい4年くらい前から主に高校生のあいだでロンドンで流行りはじめた遊びである。 どーゆー遊びであるかというと、ふたりまたは数人であまりひとけがない小路などにゆく。老人であるとか、子供であるとか、若い女の子であるとか、アジア系移民であるとか、 そーゆーひとが向こうからやってくると、順番が当たっている奴が行って、とにかくメチャクチャにぶちのめす。殴る蹴る、などはよいほうで、最近は強姦もすれば、ナイフも使う。多くの場合、相手に「謝れ」とか「命乞いをしろ」 と迫る。 それでもって襲撃の様子を一部始終携帯のビデオで撮ってサイトにアップする。 もっとも哀れっぽい被害者をビデオに収めたものが勝利者であって、みなのなかで英雄になる。 極く初期の頃はふつーの遊びだが、すぐに遊びのなかに魔がすみついた。 言うまでもない。ビョーキ、ですね。 しかし、これはイギリスのガキどものあいだでは非常に人気のある遊びである。 テレビのドキュメンタリなどで、地面に這いつくばって許しを乞うている老人のビデオをみなで腹を抱えて笑い転げながら見ているところなどが報道されて、観ているほうは、みなユーウツになった。 なんじゃ、こりゃ。 暴力はアングロサクソンの持病である。 アルコールがはいると、特にいかん。 サッカーのフーリガンなどは最近のものではなくて、実は最近はむしろ穏やかになっている。もともとは、たとえばサッカーの歴史の本などを読むと、スコットランドに負けたのにキレたイングランドのサポーターが、グラウンドになだれ込むやスコットランドのゴールキーパーを襲って首を切り取り、その首でサッカーをやって鬱憤を晴らしたりしておる。 なにするんでも荒っぽいんです、連合王国人の先祖は。 そうでなきゃ海賊で国を興したりできねーよ。 トーキョーに長く住んでいる外国人のみなさんは、みな、「最近は東京も治安が悪い」 という。「新宿に夜、行ってごらんなさい。怖くて歩けないから」という。 わっしは新宿というところは、どういうわけか嫌いなので殆ど行ったことがないからわからん。わっしが東京で出かけるところと言えば、銀座と神保町とアキハバラであって、他にはいかん。用事で青山とかもいくことはあるけど。 モニとわっしは、ときどきカバ(Cava)で気持が良くなると、ふらふらと散歩にでかけます。ふと思いついて沖田総司の墓を見に行ったりする。 不審者です。 タクシーに乗って銀座へゆく。食事をする。たいてい閉店までかかる長い長い食事がすむと、ホテルのバーやクラブのなかでは英語と欧州語しか聞こえない某会員制協会のバーにゆく。気が向けば六本木に行く。 トーキョーの、どこが治安が悪いねん。 ひょっとすると、わっしらが「ガイジン」であるからかも知れないが、ちょっとも危なそうでない。 先週、麻布の丘を散歩していたら不覚にも道に迷ってお巡りさんに道を訊いた。 お巡りさんは、とても親切なひとであって、懇切丁寧に道を教えてくれる。 帰り際に「このへんは、不良ガイジンとか多くて危険ですから気をつけてください」 というので笑ってしまった。若いお巡りさんも言ってから「あっ、いけね」という顔をしておったが、ダイジョーブです。ひとが善意でゆーことに怒る人なんていません。 日本のひとはアルコールに弱くてすぐ酔ってしまう。 なかには「スーパー家政婦」のYさんのように、ワインを2本飲んでも穏やかに微笑んで顔色ひとつ変わらない、えーと、あれはなんちゅうんだっけ、ウワバミみたいなひともいるが。 わっしは神田の駅の近くでおもしろい酔っぱらいを見たことがある。 彼は「あついよぉー。あついんだよお。二酸化炭素のバカやロー」と叫びながら服を一枚づつ脱いでおった。しかも、一枚脱ぐたびにきちんとたたんで地面に並べておる。 「あついよお。くるま、やめろよお。二酸化炭素、だめじゃないか。あついんだよお」 と叫びながら、わっしがボーゼンとして眺めているうちに、とうとう下着もとって いわゆるフ○チンになってしもうた。 素裸で正座してます。 わっしが、酔って正体を失ってなお地球環境を心配する彼にカンドーして(というのはウソだが)「ダイジョーブですか?」と声をかけると正座したまま、「はい。ダイジョーブです」と答えて、こっくんとお辞儀をしました。 素晴らしい。泥酔者は、すべからく、こうでなくてはならぬ。 観光客に近づいて「へんな英語で話してる」「へんな発音で話してる」と歌うように言いながら、ぶちのめして大怪我をさせるニュージーランド人の酔っぱらいとは えらい違いである。 … Continue reading

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Money Honey

日本の物価の特徴は「人間が生きるのに必要なものの順に高い」ことであると思います。食べるものは無茶苦茶高い。 最近はバブル景気のロンドンやパリに較べて、ながいあいだ景気が悪い東京なので 外食で飲み物にいっさい手を出さなければそうでもない、 http://d.hatena.ne.jp/gamayauber/20080503/1209777773 と思いますが、スーパーマーケットに並んでいる肉野菜の類は、これがマジな世界の価格だろうか、と眼を疑うくらい高いっす。 うろおぼえであるが、ニュージーランドでは牛挽肉は2キロで5ドル(400円)くらいであると思う。わっしがガキンチョの頃はながいあいだ2キロで180円くらいであった。日本に初めて来たとき、サーロインの値段を見て「どひゃ」と思った。 しかも「どひゃ」と思ったのは1キロあたりの値段だと盲信して「どひゃ」と思ったのであって、実は100グラムあたりの値段だと知ったときには「どひゃどひゃどひゃ」 であった。 「そりゃグラスフェッドのニュージーランドの肉と日本のターイセツに育てた霜降り肉じゃ値段が違いますよ」ときみは言う。 タシカニカニタシ。 でもわっしは霜降り肉というのは、どーしてもビョーキの牛の肉にしか見えないので霜降ってないほうがいいっす。 ビョーキの牛肉に何十倍もカネが払えるかい。 こうやって日本に住むガイジンどもはみなベジタリアンになってゆく。(冗談です) いちいち挙げないが、日本の食べ物の物価は非現実的である。 経済が衰退している国というのは、「個人にとって暮らしやすい」のが唯一の取り柄であるとむかしから決まってます。 落ち目の国、というのは競争がゆるくなるので生活しやすい。 ところが日本だけは、物価の構造が変わってゆかない。 日本のひとにとっては肝腎要の米ですらイジメのような値段です。 なんで? わっしは、基本的に生活が、ぷー、なので、ふらふらと神保町に行きます。 で、本をどっちゃり買ってくる。こーゆーときだけは行き先が東京区内でもクルマで出かける。広尾山の家にもどって「季節限定ココナツポッキー」を食べながらカウチに寝転がって、だんだん日本の歴史を遡る。 おー、これじゃん。 と、わかるところにたどり着いたのは田中角栄という首相のところであった。 このおっさんはすごく人気のある宰相であった。 写真を見ると悪相であって、しかも下駄をはいてスーツを着て池の鯉に餌をやる、という、いかにも「ガハハおっちゃん」な写真もある。 わっしなら、こんなおっさんは国会にもやらんな。 町会議員以上にしてはいけないひとの顔であると思う。 でも日本ではとても人気のあるひとだったようです。 日本がアメリカに農産物輸入について無茶苦茶恫喝されまくっておったときに、 このひとが編み出した必殺の解決策が「助成金・補助金」であった。 たとえばオレンジが一個300円であるとする。アメリカが一個10円のオレンジを市場に受け入れろ、という。 そうすると普通の国では「国産100円」のオレンジと「アメリカ産10円」くらいで落ち着きます。「こちとら江戸っ子でい、農薬タンクでひと風呂浴びたカリフォルニアオレンジなんざ、おかしくって食えるかい」というひとも世の中にはちゃんとおる(わっしもアメリカ産のオレンジやグレープフルーツなんか恐ろしくて食えん)ので、だいたいそんなところで落ち着く。 ところが、ところーが、田中角栄というひとは「長期的には国を滅ぼすが短期的にはみんなハッピー」なことを思いつく鋭い才能の持ち主であって、アメリカの10円のオレンジをいれて、日本のオレンジ農家には一個290円の補助金を出すことにした。 これでアメリカはハッピー、日本の農家もハッピー。 まさか、そんなことに自分の払った税金が使われているとは知らない日本のサラリーマンも、ハッピー。 みんなハッピーであって、まるく収まったもののようです。 そこのカシコイひと、ここまで読んで「あっ」と気づいたことがあるでしょう。 わっしは気づかなかったが、わしよりはいくらか賢いモニはすぐ気づいた。 この「農業政策」は思いもよらぬ副産物を産んだのであって日本の土地の価額を生産性とは関係なく高値で固定してしまったのである。 この田中角栄というひとは紛れもなく天才であって、まさかそんな副産物が生じるとは思っていなかったものの、この現象に気づくと直ちに「土地を投機の対象にする」体制をあっという間に築き上げてしまった。 … Continue reading

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異文化の声

水原弘 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%8E%9F%E5%BC%98 の「黒い花びら」が歌えるようになったので、すっかり喜んで、パンケーキを焼きながら大声で歌っていたら、モニに怒られた。 どうも周囲の感化を極めて受けやすい旦那(すなわちわしですね)が急速に日本化しつつあるのではないかと危惧しているようである。タタミゼ、というか。 先週は西田佐知子の「コーヒールンバ」ばかり歌っておったしな。 でも昔の日本のひとというのは「水原弘」といい「フランク永井」といいカッコイイ声が出るひとがいたので不思議である。 わっしの大好きなBBキングはフランク・シナトラきちがいであって、寝る前にはいつも聴いているという。 「あの声」が出たらもっとギターが下手だったろう、という。 発声は自意識のありように深い関連がある。 たとえば学者には高い声で話す人が多いが、これは高い声の学者たちが聞いたら怒りそうな心理的理由によると一般に信じられている。 竹内均先生くらいになればいっそ聞いていて心地よいが。 外国人は日本に来ると、「音」の違和感に悩む。 「深い声」で話す人がいないのが、まず第一。 ディープボイスはひとの心に安心をもたらす、とわっしも思う。 柔らかみのある深い声で話す人は、それだけで社会の財産です。 スペインのひとは深い声で話す人が多い。 酒場にゆくと深い声が天井や壁に響いて、あの独特のスペインの洞窟じみた酒場の音響を成している。 大げさに言うと、そこには音響化された成熟した文明があるのであって、アングロサクソン文化もまだダメじゃん、という気になります。 「日本の女の子はまるでダッチワイフのような声で話す」と言ったボストン人の友達がおった。わっしはまだダッチワイフと会話する幸運に恵まれたことがないので彼の説が本当かどうかわからないが、言いたいことはわからなくはない。 最近でもくるまで出かけた某所のau事務所に出かけたら。どう表現すればいいのか、人間の発声の仕方で最も浅いのではないかと思える咽頭2ミリくらいのところで出ていそうな声で「いらっしゃいませえー」と言われて、回れ右をしてその場で帰った。 なんだか幼児ポルノ的な気味の悪さである。 ボストン人の「友達」は仕事上は信頼できる洞察をもたらすひとであるが、「日本の女は貞操観念がまるでない」と言いつつ37日間の滞在中毎日毎日リサーチ手伝いの大学生から銀行員の奥さんからついにはホストの娘さんまで、美人と見れば手当たりしだい寝室をともにして37日で38人という乱交をつくした人間なので、その程度のひとが言ったことだとおもってもよい。 ついでに述べておくと、このひとはまた日本人は「行為中の声まで三流ポルノだ」と言ったのであって、わっしはやむをえず絶交した。 しかし、わっしもテレビに出てくるひとの声を聞いていると実際に頭痛がしてくるのでテレビを観ないのは事実です。 わっしはそばが大好きだが、蕎麦屋恐怖症でもある。 言うまでも無し。あの「ずずぅー、ずるずるじゅるじゅる」という音と共存できないからです。 「かぁー、ぺっ」もたまらんが、あの「ずずずずぅー」は、もっとたまらん。 しかし頭ではあの恐るべき音が「そば文化」の一部なのを理解しているので、これはモンクを言っているのではない。 異文化と接するのは、てーへんだなあ、と思うだけです。 ラーメン屋にも行かないが、理由は音ではない。あれは、不味い。 「くじら軒」くらいならかろうじて食べられるが、他のところは、全然ダメです。 あんなものがおいしいと思う観点というものが、すでにわっしにはわからないので、 自分でも日本の食べ物について話す資格がないという自覚はあります。 日本人のように味覚が鋭敏なひとの集団が、なんであんなものが好きなのかどーしてもわかりません。ニューヨークやシドニーでは、そりゃ「一風堂」でもなんでも流行るでしょうが。 ものを噛む音も正直に言うとたまらんちんであります。 くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ食べて、終いには「舌鼓」まで打つ。 そーゆーときには、わっしは微笑みつつ「文化の壁」の高さを思いながら、そっとナイフとフォークを置きます。 「昼ご飯を食べ過ぎました」と言う。 誤解しては困りますが、わっしは、だから日本のひとはダメである、と言っているのではない。 現代の日本人が従姉と結婚したり江戸時代に娘と性交渉をもったりしても普通であったのと同じ … Continue reading

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アホちゃいまんねん

思えばわっしはご幼少のみぎりからずっとアホであった。 銀の匙と共にうまれたのにその銀の匙を生まれたときからスプーン曲げしていただけだと言われている。 たいへん恵まれた環境に育ちながら革命家にもならず慈善も行わず、地球の緑を守れ防衛隊にも加わらず。大半の時間を女の子のおしりを追いかけ回すのに費消した。 昔は複数のおしりだったのが最近は諸般の事情によりひとつのおしりになっただけであって本質的には変わらん。 おしりを追いかけ回していないときには何をしていたかというと眠っておった。 わっしは前にも書いたおぼえがあるが人間コアラと呼ばれるほどよく眠る。 そのうち水木しげる先生の妖怪図鑑にも載るのではないか。 もし載ったらニュージーランドのような新興国では初の栄誉である。 でもそうやって図鑑に載ってしまうとコアラがニュージーランドにいるのだと誤解するひとが出そうなので推挙されても辞退すべきかもしれぬ。 悩みますね。 以前はまる二日眠ったりしてなかなかカッコヨイ剛球一直線の睡眠であったが、最近は「妻」というひとのために夜中にアイスクリームを買いに行かされたりするので、そうもいかなくなってしまった。夜10時間くらい寝て昼間に4時間くらい寝たりする。 分散型である。 「妻」というひとが出来て朝っぱらからいちゃいちゃもんもんいちゃもんいちゃもんして暮らすようになると、「こんなことでいーのか」と考える。 念のためにゆーと、いちゃいちゃしているときに考えるのではない。 いちゃいちゃしているときはいちゃいちゃに専念しなければ相手に失礼であって、そーゆーことをすると離婚になる。 どういうときに考えるのかというと、たとえば昼寝から覚めたカウチの上である。 ひとりで窓の外の大空をぼんやり眺めながら、あの夢の中のマルディグラで食べたでかいステーキはうまかった、と思う。 頬に触れてみるとうっすらとぬれていて、涙であればよいが、よだれであったりする。 胸の上にはまだ妹が結婚祝いに買ってくれた「スペインの宗教裁判」という本が乗っておる。「おにーちゃんが、ちょっとでも浮気というようなことを考えたときはこの本を開いて来たるべき自分の運命を思いなさい」というカードと一緒であった。 この本は拷問の絵がなまなましくも無惨なのでゆーめいである。 結婚のお祝いになんちゅうものを寄越すのじゃ、と怒ってかーちゃんに告げ口したら「そーねえ、ガメにはセーラムの魔女裁判のほうが効果がありそうだものね」とゆわれた。 適切な言葉かどうかはわからぬが、わっしは比較的お金に困らない家に生まれたのがたいへんなコンプレックスであった。 自分でお金を稼いで見たかった。 「会社員」というような地道なことをするとたかが「自分で大金を稼ぐ」という下品な企画を成就するのに何十年もかかってしまうので、わっしは違う方法に賭けた。 それは意外や二年という月日もかからずうまくいってしまったが、しかし、まぎれもなく自分で稼いだ大金が出来てみると途方もなく怠慢になる、というのは計算外であった。 なんにもやる気がしねーじゃん。 遊んでばっか。 学問は実は嫌いではないが学問のひとはおおかた嫌いである。 だいたいがアジテーター体質であって、しかもひねくれたおっさんが多すぎる。 表面は穏やかなのでますます厄介である。 それでも学問に対するキョーレツなジェットエンジンがついていれば、そんなことは問題にならないが、わっしはぷよぷよしていたりふらふらしているものが好きなのであって、快適さを求めすぎる。 キョーレツなものが嫌いなんです。 学問も趣味になってしまう。 どーも、体質的に問題があるな、わっしは。 実業家や投資家というのは普通に考えられているよりも有能なひとが多いし、気持ちの良いひとが多い。初めのうち、わっしはこれが不思議でしようがなかったが事実は事実であるから、そのうち不信も去ってしまった。しかし自分がたとえば「気持ちの良い投資家」 になれるかというと、まあ、無理です。 なんで? と言われても困るが、どうやらわっしは「一回稼いでみたかった」だけで、ほんとうにはお金にちゃんと執着がもてないようである。 これじゃ、だめじゃん、と思う。 わっしには自分の姿が映る鏡がない。 … Continue reading

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forget-me-not

粗い粒子の映像、ときどき動作が唐突に飛ぶ画面の中で、出征する兵士たちに若い女たちが頬にキスしている。ハグをする。 兵士の襟に小さな花を付けてやっています。 わっしがなにげなく「かーちゃん、あの花はなんだ?」と訊くと、かーちゃんが 「forget-me-not」という、と言ったので一挙にガキなりに泣けてきたのをおぼえておる。 半分くらいしか人間でないガキにすら、画面に映っている恋人たちの「笑顔」の意味がわかったもののようである。 わっしの記憶ではラムの随筆のなかで「それまでは違う名前で呼ばれていたが第一次世界大戦のとき出征する恋人が自分を忘れないことを祈って女たちがドイツ語では「勿忘草」 と呼ばれていたこの花を英語でも「忘れな草」と呼ぶようになった」と書いてあったはずですが、いまこのブログを書くのにインターネットを調べてみると、違う説明がなされています。ラムの全集はクライストチャーチからくるまで30分くらい行ったところにある牧場の鍵のかかった書庫の右上から二番目の棚にあるので、いまちょっと調べてみるというわけにはいかん。 スペインのひとは写真を撮られるのをいやがりません。 黙って撮られるのはいやだけど、「撮ってもいいかね?」と訊いて、「やだね」と答えるひとに会ったことがない。 でもスペインのひとの礼儀に順えば、写真を撮ったあとに、どんなふうに撮れたか見せてあげなければいけない。デジカメの後ろのスクリーンで、「ほら、こんなふうに撮れたよ」 と見せてあげると、うまく撮れていれば「おお、こんなにうまく撮ってくれてありがとう」 と言う。「ほんとうに、ありがとう」 うまく撮れていない、と思うと、「もう一回撮れ」と言う。 ひとによっては納得がいくまで写真を撮らせます。 たとえばバルセロナの中世から殆ど姿を変えぬ石で出来た町にいると、その気持がわかるようになります。 階段の石がひとの踏み跡でへこんでいるようなアパートに住んでいるひとというのは、人間などは太陽が作り出した一瞬の影のようなものであって、ちょうど、影がうつろうようにすぐに消えてしまう存在なのだとわかってしまう。 王様でも靴職人でも同じである。 わっしはヨーロッパ人の「自分をおぼえていてください」という情熱が好きです。 到底「ヨーロッパ人」とは言えないイギリス人も同じである。 スペイン人やフランス人に較べるとずっと気取り屋なので口が裂けても「こんなにうまく撮ってくれてありがとう」とは言わぬが、自分の存在など儚いものなのだから、誰かにおぼえていて欲しい、と思う。 「空軍博物館」のようなところへ行くとたいてい入り口の脇に無数の名前を刻み込んだ巨大な壁があります。 そこには無数の若者の名前が刻まれていて、その若者がどの町から出征して、何歳で、どんな戦場で死んだかが刻まれている。 そういう壁の前には必ず、何人かの無言でただじっと若者たちの名前を目で追いかけているひとたちがいる。 自分たちの自由とそれから派生する価値を守るために死んだ若者たちに出来ることは彼らを「忘れないようにする」以外には何もないからです。 BBCの香港陥落のドキュメントのなかで淡々と日本軍の侵攻を描写する女のひとが出てきます。 イギリス式の庭園を見渡すテラスの椅子に腰掛けて、午後の日差しを浴びながら静かに話をする女のひとは、まるで角に出来たデイリーの話をしているのでもあるかのようです。 「それから日本軍の兵士たちはヴィクトリアの丘の上にある病院にやってきました」 「一階には5人の若い看護婦がいました」 「そのうちに日本人の下士官兵がやってきて、5人の看護婦は二階に来るように、と言いました」 ここまで女のひとが単なる傍観的な証言者であると思って見ていたわっしは、ちょっと衝撃を受けます。その女のひとは微笑でもしかねないやりかたで、こう言ったのだ。 「わたしも、そこで日本の兵士に代わる代わる強姦されました」 その次の言葉は、わっしが(どんなに日本が好きであっても)日本人ではなくて、この女のひとと同じアイデンティティであることをよくわからせたと思います。女の人は、ちょっとカメラから眼を反らせて、こう言った。 「It wasn’t very nice.」 わっしは怒りよりも顔を覆って泣いてしまう。 泣いたり喚いたりしない「It wasn’t very … Continue reading

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