Daily Archives: May 3, 2008

雅子妃の悲劇

吉本ばななのとーちゃんが熱弁を揮うごとく、天皇制というのは平素日本のひとが意識しているよりも日本人の意識のコアなところにあるようにわっしには見えます。 当然の結果として「天皇」という言葉の周りにはガイコクジンであるわっしにとって興味津々なことがたくさんある。 適応障害という病気は、六ヶ月以上続かずに治癒する、というのは高校生でも知っていそうな常識ですが、世界中の症例のなかでたったひとつだけ何年にも渉って「適応障害」である例がある。 患者の名前を「徳仁親王妃雅子」という。 もうあしかけ5年「適応障害」である。 意地の悪い言い方をすると日本における言論の自由は天皇家関連のものをつぶさに見ていくと、実体、というか程度がわかるような気になることがあります。 たとえばあるイギリス人が書いた天皇家についての本は何ページかが翻訳されなかったりする。出版社が「自粛」しているからです。 嶋中事件以来、それが日本のマスメディアの慣例になった。 結果として、どんなことが起きたかというと(興味があるひとのあいだでは)ガイコクジンのほうが日本人よりも遙かに皇室についての情報をもっている、という変なことになった。 どんな国でも「ロイヤルファミリー フリーク」というべきひとたちがいますが、英語国民のそーゆーひとたちは 浩宮がその剛毅で高潔な人格にもかかわらず「もう、ここまで来てしまってはいまは今上陛下が死ぬのを待つほかに方法がない」と述べたことも、秋篠宮のタイでのお友達との「夜のご活躍」、隠すことさえしなくなった王座への野望、雅子妃と浩宮のカップルが無謀にも皇室を改革しようとして旧態墨守の女官と野卑このうえない宮内庁の連合勢力に圧倒されていまは悲劇的な破滅のなかにあること、いまや雅子妃は「重度の鬱病」であって、宮内庁は浩宮に離婚への圧力をかけ続けていること、などはみな「常識」 として熟知している。 知らぬは日本人ばかりなり、です。 あるイギリス人のジャーナリストはイギリスではレディ・ダイが「わたしとチャールスの結婚生活はふたりだけではなかった。そこには、もうひとりの女性がいて、結果として、ちょっと混雑しすぎであった」というようなコメントを出来るのに、雅子妃は人語を話すことすら許されない、と述べていますが、わっしも、そう思ってしまう。 BBCのドキュメンタリ「第二次世界大戦」を見ると、アメリカ人が「日本人は野蛮人に過ぎない」と一も二もなく信じ込んでいた理由の大元は「日本人が万世一系の天皇というものを信じるくらい蒙昧な国民である」ということにつきる、ということがよくわかりますが、(捕鯨とちょっと似ていますね) それが特殊なものであればあるだけ、日本の特に宮内庁には、無知蒙昧な他国民を理解に導く努力をすべきだと思う。 雅子妃をいじめるエネルギーの半分でも良いから、それに使ってみたらどうか。 宮内庁のある上級職の朝はまず「女性週刊誌」に電話して、浩宮が離婚できる可能性や、過去に例がなくもないことを仄めかすことから始まる。 雅子妃というあくまで「普通の女性」でありたい人間の存在が役所の限界を超えて邪魔で しようがないからです。一方では、宮内庁の役人なりに浩宮が王位を放棄して秋篠宮が 王座につくことだけは避けたいと願っている。 それでは有栖川宮が昭和天皇に変わって玉座につくようなもので天皇家としては自殺行為である。 だから浩宮がどーゆーふうにか心変わりして、雅子ではないひとと恋に落ちることを熱烈に希望しているのである。 日本のひとたちが全然知らないところで、世界中の「王室観察者」 がいま日本の皇室で起きていることを興味深く眺めています。 「雅子妃の悲劇」 を見詰めている。 わっしは本来こーゆーことに、あんまり興味がありませんが、昨日パーティに呼ばれて、ふらふらとでかけていったら、こーゆー話でもちきりであった。 わっしは幻像にしか過ぎないのかも知れませんが「昭和天皇」という生物オタクのおっちゃんが好きです。特に和歌山に行幸したとき、「天皇は決して個人を称揚してはいけない」 というタブーを破って、南方熊楠をなつかしむ歌を歌ってしまうようなところが好きである。もっというと宮内庁のバカ役人の反対を押し切って「琉球タイムス」を購読し続けた今上陛下も好きです。 さすがは昭和天皇の息子である。 それなのに宮内庁の日本人・皇族ともになめきった態度を惜しむものであります。 わっしは宮内庁のひとに言いたいが、あなたらが日本のひとをなめきった態度で誤魔化して悦にいっているあいだじゅう、あなたたちの「報道規制」が及ばないガイジンたちは、 注視している。 雅子妃と浩宮の真の意味での悲劇もみつめている。 いつまで「我が国民はバカだから」で、すむと思っていられるか、深甚な興味をもって観察しているのです。 いいかげんに、しなよ。

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物価較べ

EIU(エコノミスト・インテリジェンス・ユニット)の物価調査で東京が初めて一位でなくなったのは2006年である。一位は慢性的に物価が高いので有名なチューリッヒ(ドイツ語圏スイス)のひともびっくりするオスロです。 みなさんもよく知っておられることだと思いますが、西洋式の物価調査ではアジアの国の物価は実際よりも高く算出されます。 たとえばEIUの場合なら各国駐在員の生活コストで計算する。 わっしは醤油があんまり好きでない。嫌いではないけれども2食続くと、ちょっといやです。朝は醤油は受け付けない。 たとえばメキシコにいれば、おばちゃんがつくったハラペーニョがどっちゃり入ったサルサの海に浮いているようなオムレツを食べて「ぎゃあああ」と一声、プールにざぶんと飛び込んで泳ぎ回ってから、また戻ってきてひとくち食べては「ぎゃあああ」….というような朝ご飯を食べることもありますが、ふつーの状態では、わっしはトースト、日本で言うと「10枚切り」の厚さのトーストに卵2個(ポーチドエッグ)、ふんでベーコンかハムかソーセージ、それにコーヒー、です。風邪をひいたりして絶不調になるとバターいっぱいいれたスクランブルエッグとか。 わっしが一緒に住んでいる人は文化圏が異なるのでパンにチョコレートをはさんだサンドイッチとか、なかなか訳のわからんものをニコニコして食べているが、わっしは、あんなおそろしいものは朝飯にはくわん。 それはともかく、 これ(わっしが上に上げた標準朝食)を東京で仮に外食しようとすると、2500円くらいです。アメリカドルでは23ドル。 たとえばマンハッタンなら(高いので)有名な「ブルックリン・ダイナー」が同じくらいすな。 しかし、ブルックリン・ダイナーから、ほんの百歩くらい歩くと、5ドルでメニューに書くと同じものが食べられます。520円。 だからむちゃくちゃ大雑把に言って「外で食べる朝食」 というインデックスがあると、東京は平均23ドルで ニューヨークは7ドルとかになります。 東京はあのあんでもかんでもくそ高いので有名なマンハッタンの3倍も朝食代がかかるんだって、ということになる。 でもな、じゃ、たとえば東銀座の地下鉄の駅の出口をトットットッと駆け上がって会社員のおっちゃんがそーゆー「標準朝食」を食べるかというと、たべねーよ、そんなもん。 わっしが額がややはげあがった40代の総務課長のおっちゃんだとするとだね、朝飯は「小諸ソバ」、かな? 奮発して「歌舞伎そば」にするかもしれんが…あっ、いや、あれは確か朝は開いてないすな。じゃ、やっぱり「小諸ソバ」で、(と、ここまで書いて小諸そばに実は行ったことがないわしは小諸そばのサイトで「さるそば」の価格を見ようとおもったら….サイトがない。だから想像で値段を書きますが) 380円のざるそば。 3ドルちょっとの朝飯である。 でもこのおっちゃんの朝飯は絶対に調査に反映されませんね。 だってEIUのおっさんたちはまさか朝飯に「バックウイートヌードル」を食う奴がいるとはおもわないのす。 長くなってしまったが、こうやってアジアの街の物価はちゃくちゃくと実体よりも高く見積もられてゆきます。ただし、わっしのように「醤油が好きでない」というようなワガママをぬかすひとは、実際にもバツとして、どひゃあなお金をどこに行っても払わされるわけですけど。 わっしは世界中うろうろして暮らしていますが、実感としては東京の物価は安い方です。 食べ物は安い。飲み物は高い。家はぼろすぎて(ごめん)比較のしようがない。 しかしマンションは不動産屋さんふうに言うと「同じグレード」でも東京のほうがニューヨークよりも全然安い。ロンドンやパリからしたら不動産は「大特価セール中」です。 おととしにはロンドンから日本の「ワンルームマンション」を研究しにロンドンから建築家がツアーを組んできた。その結果、というべきか、ロンドンにも床面積15平方メートル、とかいうおっそろしいアパートがあります。 たとえばフロレンス(フィレンゼ)では裏道の観光客が間違っても来ない路地裏にある昼飯屋で食べた8ユーロ(1280円)の昼定食「カルボナーラ+ポークチョップ+ワイン+水」 がまともな昼飯でもっとも安いものでした。普通だとしかし、同じものを食べて20ユーロ(3200円)くらいすると思う。このポークチョップ(ビステカ・デ・マヤーレ)はたとえば銀座のイタリア料理屋にも普通にありますが、安いところで2400円くらい、平均は3500円くらい。だから食べ物としてはフローレンスと銀座と同じくらい。 飲み物は、東京は世界的にユーメイで、むちゃくちゃ高い。 コーヒーが700円、なんて店もある。ワインに至っては、いやがらせでつけたような値段です。バルセロナで4ユーロ(640円)で売っているワインが銀座のレストランで飲むと4000円にばける。わっしはイタリアのレストランではだいたい20ユーロくらいのワインを飲みますが、銀座では同じワインを頼むと16000円である。 ものの値段ということでいうと東京は非常に暮らしやすい街です。 飲み物以外はなんでも安い。 しかし、その飲み物も2000年の頃は、たとえばコーヒーはクライストチャーチでは1ドル50セントから2ドルだった。当時ニュージーランドドルは一ドルが50円だったのでコーヒー一杯百円です。3ドル、とかいうコーヒーを出す店は客に文句を言われたりしておった。 その頃東京でコーヒーを飲むと、たぶん、600円くらいだったでしょうから、クライストチャーチの6倍だったわけだ。いまはコーヒーは3ドル50セントから4ドルです。 いまは一ドルが85円くらいなので、300円から350円くらい。 東京は相変わらず600円くらいなので、ずいぶん差が縮まっておる。 さっきの「生活スタイルの違い」ということがあって、ビステカ・デ・マヤーレは3400円でも、「とんかつ」は800円でも食べられる。 多少乱暴ですが、「カルボナーラ+ポークチョップ」の代わりに「うどん+とんかつ」でも1200円、ほぼ8ユーロなのでイタリアと日本と物価は同じくらいといえる。第一、わっしはこれがむかしから不思議でしょうがないが、色つき水みたいな紅茶で800円とったりするくせに、ものすごくおいしい緑茶はタダ。 鮨屋さんに至っては絶対価格はそれは高いが、あんなにおいしい鮨は日本でしか食べられないので、比較のしようがない。金持ちのロシア人たちが半日借りきりで500万円払ったりするわけです。(銀座のお店のひとが、自家用ジェットで飛んできた若いロシア人カップルが老舗すし屋を半日借り切った話をしておった) こうやって書いていても「物価の比較」は、難しい。 簡単に言うと西洋式で暮らそうと思うと牛肉でもなんてもびっくらするほどお金がかかるし、日本式にやっていけば、これはまたびっくりするほどなんでも安い。 … Continue reading

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