帰ってくる人たち

ブリテン島とニュージーランドのあいだの往復は片道24時間かかります。

遠い。

経路としてはふたつあって、成田経由、シンガポール経由。 この他にドバイ経由もあるはずですが、これは通ったことがないからわかりまへん。

わっしはガキガメの頃から日本経由であって、シンガポールは別口で何回も行くので自然そうなった。シンガポールのようにストップオーバーとして、ちゃんと組織されていないので、わっしのように根性のないガキを連れて旅行しなければならなかったかーちゃんとしては、成田か東京に5泊くらいして休ませてからまた長旅の続きをするのが普通であった。

だから旅行者としては、このブログを読むひとが受ける印象よりは何回も日本に来ているのです。ただ、わっし本人が「日本に来た」という意識があんまりなかったので、この頃の記憶がひどく稀薄なだけである。

長い間、ヘコーキが寄っていく「くらーい国」という印象であった。

いっぺん九十九里浜から太平洋に出て、滑走路へアプローチする、そのときに空から見える緑が暗い色なのが、なんだか怖かった。

そのうちにガキガメがバカガメに成長して旅慣れてくると、このストップオーバーの何日かを利用して怒濤のように東京湘南方面に現れて、千石商会や秋月無線、あるときは横浜の中華街、またあるときは鎌倉の曼荼羅堂や比企ヶ谷、とだんだん「土地鑑」を作っていったのでした。

あるとき、こういうことがあった。鎌倉駅にたどり着いて「表駅」の改札口から右手に歩いていくと、向こうからへろへろの痩せたじいさんが歩いてきます。

若い女のひとに手をひかれて、少し年のいった女のひとが先導するようなかっこうで駅の方に向かって歩いている。ちょうど東急スーパーの前あたり。

「な、中村伸郎ではないか」と、人知れず緊張するわっし。

だって、大ファンだもんね。志村喬、中村伸郎、笠智衆、東山千栄子、佐分利信というような名前は、わっしにとっては雲上人のものであって、この何年か後わっしは二階堂というところで皇后陛下と出会い頭にごっちんこしかけるが、そのときよりもっとコーフンしました。

不敬である。

気づいたのはわっしひとりであるようで、周りのみなは気づいても気づかないふりをしているのだろうか、鎌倉の人はえらいなあ、と思った。

そのときは、それだけで終わったのす。

ずっと後で、酔っぱらって日本の映画史年表をつくって遊んでいたわしは、ふと中村伸郎の略年譜を読んでのけぞってしもうた。

1991年7月5日永眠。

うっそー。

だって、わっしが中村伸郎を鎌倉駅前で見たのは21世紀になってからのことです。

わっしが見たのは、なんであったか。

ガキンチョのとき、初めてベニスに行ったときのことは前にもブログに書いた。

わっしのブログは後で読んでみて、「く、くだらん」と思うとヘーキで削除してしまうので、もしかすると、そのひとつとして消えて無くなっているかも知れぬが、こんなくそ読みにくい日本語ブログなど調べ直すのはメンドーなので、わからん。

ともかく。

なにしろ、ガキもガキ、チビガキの頃のことであるからホテルのレセプションのおっちゃんの名前が「フェラーリ」であったことと、かーちゃんに連れられて行ったムラーノ島の店の二階の素晴らしいベネチアングラスの輝きくらいしかおぼえておらぬ。

このときかーちゃんが大量に買い占めたベネチアングラスのうちデカンタのひとつは、後であえなくわっしのクリケットバットに粉砕されたが、かーちゃんは、「けがをしませんでしたか」

「家の中でバットを振り回したら危ないと考えられないのか」

くらいしかゆわなかったが、あとでソージのおばちゃんにあれは80万円くらいするのだと聞いて熱を出したのをおぼえておる。

もうひとつおぼえていることが実はあって、ホテルの鎧戸からくびを出して下の通りを眺めていたら、まったく風がないのに重い鎧戸が(しかも片方だけ)えらい勢いでスイングしてわっしのガキ頭に衝突した。

わっしの無敵石頭でなければ死んでいるところである。

その夕方、かーちゃんが遊びに行っているあいだ、わっしは妹の面倒を見ているように言われた。妹はガキですらなくて、なんだかほにゃほにゃぷるるんした柔らかい生き物からやっと人間になりかけている頃であって、昼間見知らぬ町にコーフンして、走り回ったせいで、ぐっすり眠っておる。

わっしは一階のフェラーリおじちゃんと遊びたかったので、どついて起こしたろか、でもここで無思慮にどつくと、こいつが後でかーちゃんに告げ口して、わっしが怒られるよなあ、うーむ、と思案にふけっておった。

そしたら、ですね。

妹がすやすやと眠っておる、そのベッドの脇の灯りがぷわぁーと明るくなって、また、すぅっと暗くなる。まるで妹がこちらから見えないようにつまみを回してふざけているような具合である。でも、妹の両手はちゃんとベッドのシーツの上に出ておる。

ひきつるわっし。

それでも妹を起こすと怯えるのは火を見るより明らかであるから、必死に我慢してライトをみつめてます。

何回かぷわぁーすぅっを繰り返して、やがて止まった。

次の日「フェラーリさん」に「ここって、なんか人間ではないものが住んでいますか?」

と訊いたら、にやっと笑って、「公式には何も住んでいないとお答えできます」とビミョーなことを言った。

ユーレイというものが、いるのかいないのか、わっしにはわかりまへん。

死んでみたことがないから死後のことも不明である。

大脳のような器官が消滅しているのに「ものを考え」たり意識があっては困るが、「無い」と言い切る根性がない。

右を向いても左を向いても亡霊だらけであって、現にわっしの書き物部屋でもわっしに無断で机を使用している19世紀のおばちゃんがいるらしき連合王国に限らず、アメリカのような索漠とした国柄の国でもゲティスバーグに行った友達の話では、幽霊が群れを成して出るそーな。

あのときの中村伸郎さんのように、死後の世界から、ときどきこの世の見物にやってくるひとたちもいるのでしょうか。

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