Monthly Archives: June 2008

とん平さんのコメント

また2ちゃんねるのひとがいっぱい来ててやだなあー、と思ってたら、 「とん平」というひとから以下のようなご意見を頂きました。コメント間違って削除しちった。(とん平さん、ゴメン)前からこーゆーひとが出てきたらさっさとやめるとゆっているとおり、もーすぐブログを閉鎖いたします。 わっしは「2チャンネル耐性」ゼロっすから。 たとえば、別のコメントの「戸籍というのは中国・台湾・朝鮮で古くから取られている制度です。」 なんてのは事実関係からして間違ってますし「さかなや」さんをダシにするのもへんてこな感じがします(わっしは「さかなや」さんをあなたの同類だと思いません。「さかなや」さんというひとは文句があればあなたのような愚にもつかぬ技巧を弄さず正面からぶつけてくるひとです)が、 反論するの、めんどくさい。 明日からとーぶん「チラシの裏」に書くので、ここではもうわっしの流麗な(^^;)日本語は読めません。 いきなり閉鎖すると、これを教材にしているひとが困るのに思い至ったので、しばらく(来週の火曜、だっけ?後で誰か連絡してね…でも、あれもそろそろ日本語が母国語のひとの文章を教材にしたほうがよいのではないか)してから、閉鎖します。 日本のひとに誰も何も意見を言わなくなったのがなぜだかよく判ります。 連合王国人は「世界一陰湿な国民」の称号を日本人にゆずるべきである。 日本という国に興味をもってよいことはなにもない。 まさか日本語を書いて日本のひとに読んでもらうことを、こんな大袈裟に説教されるとはおもわなんだ。 やれやれ。 わっしが書いている他の言語のブログでは、こーゆーことは起こったことがないのですが。 とん平さん、もうちょっとかかりますが、仰有るとおりにいたします。 ご満足ですか。 「日本仮面 正義の味方」とん平さんの勝ちである、パチパチパチ。 わっしを決定的に日本嫌いにした功績は争えないのではないでしょうか。 あなたの文章の書き方には、わっしが憎むような知恵のありかたが凝縮しています。 あなたが、意図されたように、わっしは日本人が心から嫌いになりました。 素晴らしい成功ではないか。 ひとつだけ付け加えると、あなたの意見やいやがらせの何処に「生産性」があるだろうか? あなたの意見の「次」には、何が来ますか? 「生産性」どころか、他人をたのしませることすら出来ないではないか。 あなたのひねこびてねじれた「知恵」の向こう側には何が待っているのか? 「日本人」に対する軽蔑だけです。「話しても無駄である」というレッテルの再確認だけではないか。 それがなぜわからないか。 あなたは「自分の意見を通す」ことに非凡な技巧をもっているが、 議論というのは何事かを生み出すためにあるのであって、破壊するためにあるのではない。 あなたが持っているような知恵を「悪い知恵」というのです。 わっしは、あなたのようなタイプの頭の良い人間は社会にとって極めて有害だと思う。 あなたの大嫌いなキリスト教では、そういう破壊的な知恵の持ち主を悪魔の手下であると言って忌み嫌う。 わっしは愚か者ですが、あなたのようなカシコイ人間にならなくて良かったと心から思います。 あなたは、まことに「日本人」そのものであると思う。 あなたのようなカシコイ人を気取った馬鹿者ばかりだから日本という国は憎まれてきたのがなぜ判らないか。 一言でも返答が出来るのなら、わっしは待っています。 以下、とん平さんのコメント。 (もう片方とわっしの返答は、どっかいっちった) >キリスト教の本と言えば「不合理故に吾信ず」くらいしか感心して読んだ本がないわっしは、どうもわかりません。 文化圏のお話なのでガメさんが週に何回教会に行くかとか、キリスト教のどの本を読んだか等はあまり重要ではありません。私が言いたいのは、ある国の文化や、個人の形作る倫理、ものの考え方というものは宗教と無関係ではない(だからと言って全てでもありませんが)ということです。それは70%が自分は無宗教であると自己申告する日本でも同じこと。これ、肝心なところですが・・お分りになりますか。それから私は今ガメさん個人にお話しているので、フランスやイギリス等々、西洋のお歴々にご登場戴かなくて結構ですのでどうぞお帰り頂いてください。ガイジンではなく個として扱って欲しいのでしょう? … Continue reading

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ポール・ジャクレー (Paul Jacoulet)

日本に住んでいることの愉しみのひとつに、この国の土地に重層的に積み重なって足下から囁きかけてくるような「歴史」があります。 駿河台の「山の上ホテル」から三省堂本店へ裏道を抜ける途中には「錦華小学校」がある。漱石先生が出た小学校であって、わっしなどはこの小学校の脇を通り抜けるときには千円札のチョビ髭を生やした顔をした漱石先生がランドセルを背負って半ズボンをはいている姿を思い浮かべる。 青山をジョギングして通るときには、必ず、正津勉の 「午前十時 ち、ち、ぶっ、と開く秩父宮ラグビー場」 という詩を必ず思い出します。 これを必ず思い出すせいで、具合が悪いこともある。 他に人がいない外苑をぶわっとデカイ外人のにーちゃんが真っ赤な顔をしてにやにや笑いながら走ってくるので、向こうから来た犬を連れた女のひとがわっしを大げさに避けて徐行したりする。 雨上がりに鎌倉の段葛を歩くと、地面の上に、きらきらと光る白い粉。 石英のようですが、あれは中世のお侍の骨のかけらである。 西湘バイパスでない国道一号線を通って箱根に行く途中、「ほえー腹減った」と考えて小田原で昼ご飯。定食とパスタを食べて、むふふ、食った食ったと思いながらくるまに向かうと、そこには北村透谷生誕の碑があります。 「革命に非ず、移動なり」とこのひとが言った木挽町を、わっしはいつも樽菊正宗で酔っぱらって良い気持になって、ふらふらと歩いておる。 バカガメめ、そんなことでいーのか、と思います。 ほぼどこにいても、あっ、ここは樋口一葉の家のそばではないか、とか、梶原景時が討たれたのは、あのへんであるのい、とか、日本という国には膨大な過去がある。 欧州に似ています。 わっしは軽井沢の家を出て、万平ホテルに抜ける道を歩いていった。 別に理由なんてありません。 わっしのやることの大半は理由がない。 へろへろと歩いて行ったら途中で靴紐が解けた。 道の脇によって靴紐を結びなおします。 ほんでもって何気なく横を見ると石の表札みたいなものが立っていて「若禮」 と書いてある。へ、ヘンな姓だな、ワカレ、と読むのであるか、と考えながら歩くわっし。 次の瞬間、わっしは立ちすくんでしもうた。違う。「ジャクレー」でしょう。 ひょっとして……。 家に戻って神保町で買ったまま、ほうっぽらかしてあったポール・ジャクレーの本を開くと、どひゃ、やはりあれはポール・ジャクレーの家なのでした。 ジャクレーが軽井沢に住んでいたのを知らなかったのは、わっしの迂闊であった。 アホじゃん。 わっしは真剣に驚いてしまった。 ポール・ジャクレー (Paul Jacoulet) http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Jacoulet はフランス人の浮世絵師であって、一生の大半を日本で過ごした。戦争中も軽井沢に住んでいて、「きっと、これならジャクレーのことが出てるな」と思って買った朝吹登水子の自伝を読むと、日本人達は準敵性人であったジャクレーに話しかけることも挨拶することも禁じられていて、気の毒であった、と書いてあります。 ジャクレーの浮世絵は、ブーゲンビリアの香りがしてきそうな不思議な浮世絵であって、見ようによっては、ちょっと横尾忠則の初期作品に似ています。 わっしは、このひとの浮世絵の奇妙な「不釣り合いな感じ」「世界とうまく折り合いがつかない感じ」 が好きで、いくつか作品も持っている。 あの靴紐が解けた朝以来、長野県に出かけると、わっしはときどき「若禮」さんの前に行って、カポーティや三島由紀夫、あるいはオスカー・ワイルドとさえ共通した世界を覗き見してたに違いない、この風変わりなフランス人と対話をします。 あるいは、木洩れ日のなかを歩いていると、向こうから髪をぴったり七三に分けて整髪料で固めた「ジャクレーさん」がやってくるような気がする。 日本のように歴史が濃くたちこめた空気のある国では、きっとジャクレーさんのようなひとの魂がまだ大気のなかにとどまっていて、他の若い国の空気よりも測ってみると少し重いのではなかろうか、と思います。

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kasaさんのコメントを読んで考えた

前に書いたブログ http://d.hatena.ne.jp/gamayauber/20080512/1210563107 に、ここで出会った友達のひとりであるkasaさんが付けたコメントのことを考えていました。 kasaさんは「インフレーション下での資産形成 」について考えていたのだ。 「資産形成」というのは、現実の問題としてはたとえば日本で言えば「初めの一億円をどうやってつくるか」という問題です。 明日特に使い道がない一億円が口座に出来てしまえば、どんな状況下でも、結構いろいろな「資産形成」の道があるものであって、銀行は「自宅+一億円資産」というようなことを直ぐ言いますが、それは銀行の都合にしか過ぎない。純粋に「資産形成」という観点からは自分の家があろうがなかろうが、そんなもん、どっちでも同じじゃん、とわっしは思います。「自宅」というのは自分で住んでいる限りは一円も生産しないので、こーゆーのは資産とは言わん。ついでに余計なことを書くと、日本という国は自宅を購入するのが金銭上は最も不利な国です。 築40年、なんちゅう言い方をする。中古車と同じ扱いです。 古くなると価値がどんどん下がってしまう。 そんなことを言ったら、わっしのニュージーランドの家は築92年。連合王国の家に至っては築430年であって、財産価値ゼロっす。 ところが、連合王国やニュージーランドでは、そうはならん。 家というものは土地を別にしてもボロ家でない限りは基本的に年々価値を増していくものであって、コンサーバティブな投資としては最も優良なのです。 日本みたいに「土地、古家有り」なんて邪魔者あつかいされません。 日本では古い建築が建っている土地は更地よりも安かったりして、常にわっしの想像力を凌駕しています。 わっしが日本のひとなら家なんか絶対買わん。 えっ? お前は買っとるやんか、って? これは、また、違うお話があるからなのす。 それに買ったのは、わしではなくて、わっしの会社である。 「インフレのことはインフレになってから考えるのがよい」というのは、どの国のどんな時代でも鉄則で、「インフレが来る前に急いで不動産を!」 なんてのは法律に触れなくても詐欺である。だから、そんなことを言われて浮き足立ってはいけません。 それは常識であるとして、わっしなら、どうするだろう。 わっし自身は「ある思いつきのせいで大金が舞い込む」という僥倖とともに出発したせいで借金をしたことが一度もない(博奕で負けて妹に借りた分を除く)のですが、もし、借金があれば、慌てて返すことから始めるとおもいます。住宅ローンのようなものは可及的速やかに必死で返す。 もし固定金利であれば、ほっぽらかしておきますが、市場の利子と連動するようなら、それが優先順位の一位と思う。 ニュージーランドのいま70代のカップルのひとと話をすると、政府がインフレの押さえ込みに失敗した揚げ句、住宅ローンの利息が25%になって。国民のほぼ全員がこの利息との死闘に明け暮れた、と言います。 ニュージーランド人はひとり平均11回家を買い換えるので西洋世界ではユーメイですが、この世代だけは、この利息との死闘のせいで、平均9回くらいに落ちておる。 次には、給料生活者であることを避ける、と思います。 年金生活者であることが最悪ですが、日本では国家がほぼ「年金生活者は国家のために泣いてもらう」と宣言しているに等しいので、自分が年金生活者の場合は、諦めるよりほかにない。ゆくゆくは息子に泣きついてみる、とか、そーゆー選択肢しかない。 しかし給料生活者のほうは自分で立場が選べるのだから、そーゆー立場を選ぶのは「金銭上は」 バカそのものです。 わっしが給料で生活する以外方法がないとしたら(たとえば大学の研究者であるとか)頻繁に年俸を交渉できるような条件でサインすると思う。 そのくらいしか抵抗できません。 あーだ、こーだと力戦して、なんとか毎月余剰金が出るまでもってきたら、考え得る限り保守的な投資プランに依拠すると思います。日本ではむかしからこーゆーときには「山林を買え」と言いますね。 「好景気の株、不景気の山林」と言う。 インフレ下でも同じことです。 それ以外は、やらん。 なぜかというとインフレーション下のマーケットというのは丁度時化の海のようなものだからです。腕によっぽど自信があれば一瀉千里に船を滑らすことも出来ますが、たいていの場合、市場の評価幅が大きすぎて、素人では食い物にされるだけである。 台風が来ているのだと思って、頭を低くしてがんばって地面に立っているくらいしか、やっぱり出来ないのかも知れません。 (暗い結論でゴメン)

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日本のくらし

昭和天皇と統帥権について山ほど本を買ってきたので読んでいたら、あっというまに三日経ってしまいました。 おもしろい。 こーゆー無責任な言い方をしてはいけませんが、日本の近代史を面白いものにしているのは昭和天皇という「偉大な君主」であって、この英明で剛胆な君主が「日本がアジアの庇護者たろうとすれば正にそのアジアを対象とした西洋的な侵略・拡大型の政策をとらざるを得なかった」という歴史的皮肉のなかで苦悶しあるときは激しく抵抗し、ついに昭和十年に至って国家社会主義的な陸軍参謀本部に完全な敗北を喫して政略的に神格化された「沈黙の君主」となってゆく、その古代ギリシャ悲劇的な過程にこそ、日本の近代史の醍醐味がある、とわっしは思います。 六朝の「宋書」に有名な「狂泉」という話がある。 昔有一國,國中一水,號曰「狂泉」。 國人飲此水,無不狂。唯國君穿井而汲,獨得無恙。 國人既并狂,反謂國主之不狂為狂。于是聚謀,共執國主,療其狂疾,火艾、針、藥,莫不畢具。國主不任其苦,于是到泉所酌水飲之。飲畢便狂。君臣大小,其狂若一,眾乃歡然。 わっしは、どんな言語でも「翻訳」は苦手中の苦手ですが、無理からにやってみると、現代日本語では、こんな意味ではないでしょうか。 むかし、ある国に泉があって、その名を「狂泉」といった。 国民は、この泉の水を飲んでひとり残らず狂ってしまった。 ただ君主だけが自前の泉を掘っていたので狂わないで済んだ。 狂った国民は君主だけが狂っていないので逆に君主ひとりが狂人なのだと考えた。 皆で君主を取り押さえ、灸をすえ鍼を打ち、無理矢理薬を飲ませた。 君主は、その苦しさに耐えかね逃げて「狂泉」の水を飲んで自分も狂人になった。 その後は君主も国民も皆狂って、みながハッピーになって暮らしたという。 昭和天皇は、秩父宮に恫喝されても狂泉の水を飲むことを拒否したので本人は正気のまま、ただ狂いまわる国民と軍人を絶望の眼で眺めていただけでしたが、身をもって君主制というものを限界を示すことになった。 シェークス・ピ・ヒーアですら思いつかなかったような筋立てです。 熱河作戦前後の昭和天皇は、どんな悲劇のなかの国王よりも悲劇性に満ちている。 閑話休題。 日本での生活は思いの外、楽しい。 東京に来てから、わっしは朝早く起きるようになった。たいてい午前6時には起きます。 これが他の国にいるのであれば、ここからたとえばピナレロにまたがって怒濤のように60キロくらい自転車に乗るところですが、東京には「自転車は歩道を走る」という、わっしには殆ど理解不能な交通規則があるので、もし歩道を走ったら毎朝二三人はひき殺すに決まっているわっしは、東京はジョギングです。 どっどっどっどと走って、聖心インタースクールの前を通り、仙台坂を駆け下り、三光町を通り抜け、高輪へ行く。 あるいは、ダノイの前を通って、青山墓地を駆け抜けて、絵画館の前で息絶えそうになる。 帰ってくると、起きてくるのがすげー遅い嫁はんのためにご飯をつくる。 あるいは外へ食べに行く。 オソージ。オセンタク。ついでに勢いにのってモニにマッサージサービス。 (このあいだAmazon.comからマッサージの本を束にして買ったので、やってみたくて仕方がない) それから昼寝っす。嫁はんも恐るべき事に一緒にまた昼寝(^^;) 夜になると、ふたりで遊びに行きます。 ときどき長野の山の中に出かけて野鳥の写真を撮る。 東京に帰るのが面倒くさくなると、軽井沢の「雲場の池」というところから、あんまり遠くないボロイ家に泊まります。 折角日本にいるんだから韓国語や中国語も勉強すればどうか?というメルボルン叔父の勧めに従って本やCDをたくさん買ってきてみてはみたものの、少しは上手になった日本語の本やなんかのほうが、やっぱり面白い。 春天來了よりも、岩田宏の「神田神保町」を読むほうがやっぱりおもしろいっす。 就中、こうやって日本語で文章を書くのは無茶苦茶おもしろい。 モニが「眠い」と呟いて、もう眠ってしまったので、わっしはひとりでアパートのテラスのテーブルでカバを飲みながら、これを書いています。 ここから見る東京はネオンの洪水で「くつがえった 宝石箱」のようである。 うーん、いい気持。

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