Daily Archives: July 18, 2008

西岸良平へのメモ

わっしが日本の文化で最も強く惹かれるのは、その絶望の表現の巧みさ、美しさである。初めは中世彫刻の巨大な筋肉と憤怒の表情に感動した。 有名な運慶の仁王像(東大寺金剛力士像) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Nio_guardians_by_Unkei_in_Nara.jpg は、まだ単純ガキであったわっしにとってすら死に囲繞された生命そのものの怒りと絶望の表現に見えた。 中世文化への耽溺 から能楽、明治史への興味、というような日本への断続的な興味(一貫して日本に興味があったわけではなく、数学に惑溺していたりアラブの文化にはまっていたり、外国語の習得が趣味のようになってしまった時期があったりで、えーかげんなものだったが)は続いて、たとば岡崎京子 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E4%BA%AC%E5%AD%90 や岡田隆彦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E9%9A%86%E5%BD%A6 、加納光於 http://kgs-tokyo.jp/human/2007/0910/index.htm のような極めて才能のある現代の表現者の作品に出会った。 わっしは居間のカウチに寝転がって日本で買いあさった本を読むのが愉しみである。 中国語の勉強も始めたが、中国の近現代は社会の様子や政治史は面白いが、なんというか人間のディテールについての文化の歴史が浅すぎるところがなくもない。 人間があけすけで、抱腹絶倒なところは愉快であるが、たとえばさっきまで読んでいた 西岸良平(さいがんりょうへい) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B2%B8%E8%89%AF%E5%B9%B3 のマンガがもつ(一見してノスタルジックな表面と裏腹な)複雑な感情の表出は中国の現代文学にはない。 西岸良平の物語はちょっとみには善良なひとたちが織りなす予定調和の世界に見えるが、ほんとうはそうではない。「三丁目の夕日」というマンガがその代表であるが、 西岸良平は人間が決して善良でないことを十分に承知していて「もし人間が、このように善良でありさえすれば」という物語を紡ぐ。 西岸良平にとっては人間とはついに善良ではありえなかった生き物の総称なのだ。 あれだけ善良な気持に満ちた登場人物ばかり繰り出しながら安っぽい偽善的マンガに陥らないのは 西岸良平の人間観が「結局は邪で悪意に満ち他人を傷つけるためなら努力を惜しまない」存在であると諦めているからであって、他の理由は見あたらない。 その人間という存在の無様さに 西岸良平は哀切さを見いだし、人間存在への愛情を見いだす。 そういう事情はたとえばふたりの地球を調査にやってきた異星人の物語である「地球の長い午後」のゆな話しを読むと、よく描かれている。 最後に核戦争で滅び去った地球を帰還宇宙船から眺めながら主人公は「私は忘れない この地球で見た  たくさんの美しいものを….」と呟くが、 西岸良平の他の膨大な作品を読んだ後では、わっしには、これが昭和人の昭和への別れの挨拶に聞こえるのだ。 しかも、そこには現実の「たくさんの美しいもの」など無かったことを、 西岸良平は知っているのである。

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