有楽町のガード下で考えたこと

あと一週間で日本を発つ、というときになってモニ

(モニっていったい誰だ?と言うひと、とーぜんですね。知ってるわけがない。

http://moa2008.wordpress.com/1969/12/31/would-you-be-my-wifeplease/

に「K」という名前で出てくるひとです。この頃はまことに愛らしいひとであったが最近はわっしをアゴで使う。アゴの形がかわいいから許すことにしておる)

に、「どこか行きたいところがあるかね」と訊くと、「有楽町のガード下に行きたい」という。

えっ、星の流れに身を任せてはいけません、と一瞬思ったが考えてみるとモニがそんな日本の戦後史を知っているわけはありません。有名な「お時さん」の悲痛なラジオ放送などただでさえアジア全般にあんまり関心がないひとが知っているわけがない。

なんのこっちゃ、と思ってよく聞いてみるとガード下の焼鳥屋を何かの雑誌(多分無料英語雑誌のひとつ)で見て、行きたくてたまらなくなったもののようであります。

わっしは、あんまりそーゆー場所には興味がないが、嫁はんの言うことは何によらず実現すべく日夜ショージンしているわっしが、そのくらいの希望を実現しないわけはない。

モニのためならエンヤコラ。

山を下りて愛育病院前の交差点でタクシーを停めて、わっしは有楽町に向かいました。

本来なら方向が逆だが、わっしは相変わらずの気まぐれで回り道をして霞町交差点から根津美術館の坂をあがってもらった。田宮虎彦 の小説に出てくるスラム街「霞町」の址を見たかったからです。もちろんいまは面影もないが、写真集で見ると昭和五十年くらいまでは田宮虎彦が描写したスラム街そのままの長屋が残っていたのがわかります。

表参道の灯籠の前から青山通りに出て右に曲がると渋滞しておる。

わっしはモニに、ほら、あの辺に「ユアーズ」というスーパーがあったのだ、と言います。このあいだ学習したばかりなので言いたくて仕方がなかったのである。「そこは輸入品ばかりがおいてあって、当時の日本人には紀伊国屋スーパーと並んで人気があったのであーる」

「フランスのものも、あったのか?」と、わっしがひけらかす歴史知識にぜーんぜん興味がない(当たり前だが)せいで、ほとんどなんの意味もない質問をするモニ。

そんなこと、知りますか、わっしは昭和50年頃の東京の本を買い集めて知っているだけだもんね、わかるわけがない。

二二六事件のとき「小さん」が反乱軍の士気高揚のためにお笑いを一席ぶたされた三宅坂をあがって、 有楽町に向かう。

わっしは実は「ガード下の焼鳥屋」なんて胡乱なところへ行くのはイヤであったが、頭のてっぺんからつま先まで保守的なわっしの予想を裏切ってこの「有楽町の下の焼鳥屋」は素晴らしいところであった。 ずっとむかし、このブログが始まった頃、ねーちゃんしか眼中になかったわっしがアメリカ人の中尉のねーちゃんと一緒に「有楽町の下の飲み屋」に行くところが出てきますが、(と書いてそのブログへリンクを張ろうと考えて探しだが、な、なんじゃこれは。ごちゃごちゃで何がどこにあるかちょっともわかりひん…片付けねえと)あのときの飲み屋は有楽町の駅側であって、あんまりよくなかった。なんだかレトロを強調しすぎて「そこのガイドブック、わいの店を載せんかい」という露骨な意図が感じられてイヤであった。

今度のは晴海通りの反対側であって、こんなによい所ならもっと早く来ればよかった、と考えました。店先にビール箱が積んであってテーブルの代わりになってます。

たぶんネパールか中国かの出身のにーちゃんが、焼き鳥とビールを持ってくる。

この焼き鳥がおいしかった。

いつかキヨソネさんが連れて行ってくれたコース一万円の焼鳥屋もおいしかったが、なんとなく釈然としなかったのをおぼえてますが、ここのは安くておいしくて「なるほど焼鳥屋というのは、こーゆーものだったんだな」という納得に満ちた気持がしたのであります。

食べながらむかしむかし、なつかしい「けんぞう」さんや「えくれあん」さんに、「あんたは実際の日本人の生活がなにもわかっておらぬ」と批判されたことを思い出しました。

http://moa2008.wordpress.com/1969/12/31/%e3%80%8c%e3%81%91%e3%82%93%e3%81%9e%e3%81%86%e3%80%8d%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%88/

隣のビール箱に陣取ったおっさんたちは、ほとんど話さず笑いもせず、しかも妙にきまじめな様子でビールを飲んでいる。店の勘定のやりかたに従ってときどき千円札を交互に台の上に置きながら、「や、どうも」「いえ。とんでもない」としゃっちょこばったやりとりを交わす。西洋人が見ると、どお見てもリラックスしていなくて、妙な具合ですが、よく観察してみると、とても幸せそうであって、しかも仕事の仲間としか見えなかったふたりは、実は高校の同級生のようでした。

きっと、このひとたちの会話は短くて堅苦しい言葉と言葉のあいだの沈黙のなかにあるのでしょう。

店のにーちゃんに「ほっぴー」の飲み方を教わりながら、どーも、わっしの日本生活は焦点がずれておったな、と考えた夜だったのであります。

使ってないものは整理がめんどくさいので目下むかし載っけてた写真をまた使い回ししている画像。今回は

イスタンブルのピザ。

奥でおっちゃんが切ってるところが見えますが、これがしゃっしゃかしゃっしゃか早くてかっこいい。

トトンテントトオンテンとすごいスピードで切ってゆく手つきがちょっと日本の職人さんに似てます。

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1 Response to 有楽町のガード下で考えたこと

  1. ツングスカ says:

    今年の夏が暑い原因を発見しました。>あと一週間で日本を発つ、というときになってモニ>(モニっていったい誰だ?と言うひと、とーぜんですね。知ってるわけがない。>に「K」という名前で出てくるひとです。この頃はまことに愛らしいひとであったが最近はわっしをアゴで使う。アゴの形がかわいいから許すことにしておる)このラブラブアツアツ新婚夫婦が日本に滞在しているからですねw末永くお幸せに・・・

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