エマヌエル・スウェーデンボルグの見た地獄

スウェーデンボルグ博士

http://swedenborg.web.infoseek.co.jp/shouden.htm

というひとは、まったく面白いおっちゃんである。

イェーテボリにいて500キロ先の大火を目の前で見ているかのように実況放送してみせたり、パウロを地獄で目撃した、といってスウェーデンにいられなくなり無信心者揃いのイギリスでなくては住めなくなったりして有名になったが、もっとも面白いのは「霊界日記」に出てくる地獄の描写である。

エマヌエル・スウェーデンボルグにとっては地獄は神の判定によって突き落とされるところではなく、闘争を好む人間が選択して向かう世界なのであって、わっしの知る限りの「地獄像」のなかでは最も説得力がある。

平和で宥和的な天国よりも、他人を罵倒したり、自分を偉く見せようとしたり、他人を言語によって傷つけ、優越した自分を自己演出したりすることのほうがずっと好きなひとは地獄へゆく。

なんという説得力でしょう。

研究者にもそういうひとはたくさんいるし、日本では2ちゃんねる、というエマヌエル・スウェーデンボルグが描いた「地獄」をそのまま掲示板化したようなサイトがあります。そーゆーことが好きな人は、他人を言葉でいたぶるのが好きなので、それなしでは暮らせん。だから、やっぱり天国か地獄かの二択だとすると、やはり地獄を選ぶだろうな、と自然に理解される。

要するに2ちゃんねるで自慰的な「陰謀」に耽っている人たちは、なんのことはない、死ぬ前から地獄堕ちのひとびとと同じ生活をしているわけである。

なーるほど。

そもそもスウェーデンにいられなくなった原因をつくった「パウロを地獄で見た」 という証言が、多少でもキリスト教を知っていればたいへんにリアルである。

宗教というものは生き延びるためには閉鎖性と他者に対する攻撃性、すなわち党派性が必要なものであって、それゆえパウロはキリスト教では聖人の筆頭になったが、西洋のガキどもはみな、聖書をちょっと囓った段階で「なんで、あんな喧嘩っぱやいおっちゃんが、聖人なんだ?」と不思議に思う。

なんとなく割り切れない。

ローマの歴史を勉強してみると、ローマ人は、神様に関してはまことにのほほんとしていて、異教の神だろうが、異民族の神だろうが、みんな神殿に並べてしまう。

ついでに皇帝も神様にしたりした。

おおらかなものです。

ところが、ユダヤの民の内部新興宗教であったキリスト教は、絶対に他の神の存在を許さない。狭量なひとと寛容なひとの喧嘩というのは、絶対に狭量なひとが勝つ。

ふたりの同じ力量の兵士が戦場で同時に剣をもって向かいあっておる。

さて、どちらが勝つか。

「哀しむ者、勝つ」 と老子は言う。当然ながら、ここで

「哀しむ」 というのは「相手を理解する」 という意味です。

「あたし、哀しいわ」という意味ではない。そういう現代の誤用法は、本来の意味とは逆であって、「あたしにもっと利便を与えんかい」という意味である。

老子は、そういうが、ま、願望ですね、これは。

現実は多分逆であって、相手を考えられない馬鹿のほうが勝つ。

相手にも愛する家族がいるのではないか、彼の死を悲しむ親がいるのではないか、なんて考える人は一瞬のひるみにつけこまれてあえなく斬り殺されるに違いない。

他人のことなんかおかまいなしのひとが世の中にはびこる原因はそういう「バカと下品は必勝する」という、この世の闘争の力学に基づいておる。

だから2ちゃんねるから来たひとは「無視」すべきである、と「さかなや」さんも言っておった。

ここのブログにも、「死ね」「殺してやる」なんてコメントやメールが来ます。

どうやら、外国人を見るとむらむらと変態攻撃欲がわくらしい。

あちこちの掲示板にあることないこと書いて、これがその反日サイトです、と言って

リンクを貼りまくる。間抜けそうな人間がやっているブログに狙いをつけて、ガメ・オベールという反日外人がいて許せない、と書く。(いずれもシャチョー調査)

そうすると、間抜けブログ主たちが、「あっ、それはきっと平壌のスパイですね」とか書くのだそうで、わっしはシャチョーとふたりで大受けに受けてしまった。

アホか。

そう。スウェーデンボルグの見た地獄というのは、多分、現実の世界だったのではないでしょうか。ある種類の統合失調症のひとが見る被害妄想は、実は世界というものの性格を精確に型抜きしているだけなのではないかと思うことがあります。

このブログにコメントしてくれたひとのなかに「日本では「死ね」というのは英語の「shit」とかと同じで軽い意味です」と教えてくれたひとがいましたが、軽い挨拶で言われたひとのなかには日本語の変化に気がつかないひとがいたようで、その女の高校生は自殺したのでした。

わっしの育った世界では「言葉をもてあそぶ者は滅びる」という。

わっしは子供の頃、これを「実質が伴わぬのに言葉を使う人間はやがて滅びるしかなくなる」という意味だと思っていたが、ほんとうの意味はそうではないようです。

言葉を軽く扱う人間は言語を無責任に扱った時点ですでに地獄の生活を始めている。

この世界に参加することをすでにやめてしまっているという意味でスェーデンボルグのいう地獄に魂が移行してしまっているのもののようです。

だから「哀しむ者勝つ」というのは、実は真実の描写であったのだ。

うーむ。

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1 Response to エマヌエル・スウェーデンボルグの見た地獄

  1. windwalker says:

    え? K某ってだれですか? 俺はKKKのスクツにも一人で乗り込むほどの、ノーフレンドで有名な男ですよ。つーか、この名前ではぜんぜん全く誰ともつるんでいません。そもそも、windwalkerが俺だと知られたら恥ずかしくて死ねます。「世界中旅行しているのは、居所がわかられるのが怖いから逃げているのか」え? なんのこと? 俺そんなことマジで書いた? 俺が書いたことであきれられてるのは「日本は移民を受け入れずにこのまま滅んでいきたい」だけでしょう? 文脈抜きに切り出すと間抜けな発言だが、そんなこと俺言うかな?

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