インドへの道

日本にいるときは毎日のようにいろいろなひとと会います。

経済人、がいちばん多い。

そーゆーひとと会うと、どうすれば儲かるか、という下品な話題がもっとも多いのは当たり前でも、その次くらいに「日本はどうなるか」という話が多い。

これは日本のひとが気がつかないことではあっても、日本という国に非常に特徴的なことでタクシーの運転手から、料亭のおばちゃんから、寿司屋の職人のおっちゃんまで、みーんな国の行く末を心配しておる。真面目なんです。

みな熱心に新聞を読み、テレビのニュースを見て、国を憂えているのであります。

わっしはたとえばニュージーランドにいるときに国の先行きなんて考えていません。

「我が国はどうなるか」という考えをもたない。

「わしはどのくらい儲かるか」とか、そーゆー志のかけらもないことくらいしか考えることがない。ロンドンのタクシーの運転手とかになると、もうサッカーの試合の結果以外、何も頭にないのではないか。たまに、アフガニスタン情勢などを心配する運転手さんがいると、「あんた、ブックメーカーでタリバン復活とかに賭けたんじゃないだろね」とこっそり考える。

日本にいると、日本語を使うこともあります。(普段は日本のひとが相手でもエーゴ、わっしが日本語を使えるのを知っているのは少数のお友達に限られておる)。日本語を使うときは、そーとー仲の良いお友達で、しかもモニがいないときに限定される。(モニは日本語でわしがひとと話しているとみるみるうちに機嫌が悪くなる)

日本語を使って日本人の友達と話していると、なんとなく微妙に日本人アタマになって、日本のひとのように日本の行く末を心配してしまったりする。

後で苦笑することになるのです。

日本のお友達は日本酒で目の周りが桜色になる頃になると「どうも。この先はチューゴクに押し切られそうです」なんて、言う。

「そーですか?」と、わっし。

「ええ。わたしの息子がわたしの歳になる頃にはめぼしい会社の役員はみんな中国人で日本人は生産現場にいるだけ、ということになりかねないと思えるんです」

「そーですか」と、謂われなくなんとなくションボリした気分になるわっし。

本来母国語で話しているときなら、「役員として優秀なら中国人がトップで、何の不都合がありますか」というところですが、日本語だとそう思わないところがわれながら玄妙である。

中国がやがて日本を経済的に併呑してゆくのは、いまのまま日本が歩んでいけば必然である、とわっしは思います。「いまのまま」というのは、どーゆー意味か、というと、碌な新しい産業の持ち合わせが無く、危機感もなく、目先の利益にとらわれて中国市場に競争で資金を投下しつづけていれば、というような意味になるでしょうか。

通常の予想では2015年あたりから始まるとされている日本の本格的な凋落は要するにいまの日本の産業構造から推定されている。

一方の中国はと云うと経済的には(ここから先は教科書的な復習なので、そんなもの知っているわい、というひとは読まない方がよろし)

あ)人口八千万の先進国としての中国

い)人口2億五千万程度の中進国としての中国

う)残りの後進国としての中国

の「三つの中国」にかなり明瞭に分かれていて、これが混交してゆかない(あるいは、混交させられない)ところに中国の悩みがある。

あ)に関しては、そーゆーと日本のひとは怒りそうですが、いまでも日本よりもやや進んだ国と見なしてよさそうです。

すべてにおいて日本を陵駕しつつある。

日本の人が細かいことに拘泥しているうちにダイナミズムに満ちたこの、あ)中国社会は中国政府の思惑すら遙かに超えてえらいスピードで生産性を改良しつつある。

日本に直截関係がありそうなのは。い)の中国で、ここの部分が日本の市場に滲透してくるんでねーかなー、とわっしは思ってます。大連出身の(中国人所有)日本企業幹部が増えるのではなかろうか。 そして、い)中国は、目下、日本の(面白い技術をもった)中小企業買収を計画準備しているのでもあります。

わっしが日本のひとなら、どうするか。

「みんなで世論を盛り上げてインドに投資するのはどうですか?」とわっしは日本のお友達によく訊いてみたものでした。

そうすると事情を知っているひとほど「あそこは、ちょっと」という。

官僚主義がすげーんです。泣けます。

いっこうに話が進捗しない。

プライドが高すぎて話にならない。

ははは。タシカニカニタシ。カニタシ大王。

でもインドにこれでもかこれでもかと投資してゆくほか、というか、やけくそで資金を大量投下してゆく以外に日本が東アジアで一方のパワーセンターとして機能しつづける道があるようには、わっしには思えません。

インドが強大になれば、中国と日本とあわせて三極で安定するのではないか。

日本の政府は「一千万人移民計画」と言いますが、移民を受け入れてそれが機能し出すには大変な労力と時間がかかるのは、どこの国でも証明済みである。

間に合うのか?と、わっしなんかは思ってしまいます。

いやでもなんでも、移民社会の建設そのものはやらざるを得ないでしょう。

日本のひとは、よくそこを誤解してますが、国民みんなが外国人を歓待して出来た移民社会なんてアメリカがややそれに近いところがあるくらいで他には例がない。

どこの国の国民も「やむを得ず」、もうちっと実際の感情に近い言葉でいうと「いやいやながら」移民を受け入れてきたのでした。

そうしないと国が立ち行かなくなるのがわかっていたからです。

それがわかっていても、わっしは「えっ、これから移民の受け入れをやんの?うっそぉ」

と思う。

そうすると、こんなに遅い出発をして、日本はどこの国も経験した、

「国民の反発」->「世論の右傾化」->「移民の反発」->「両方が暴れ出してわやくちゃ」

->「現実的解決しかないと両者納得」->「宥和政策」->「移民適性の厳格化」->「移民の生産性への寄与の開始」という、あの長い長い、忍耐のいる、てーへんな道のりをこれから歩いてゆくのでしょうか。

どっひゃあー。

まあ最後は「移民社会を建設して良かったべ」で終わること自体は確実ではあるでしょうが。

わっしは、「インドと経済的に補完的に組んだほうが解決がはやい」というか、そうじゃないと間に合わない、と思います。

移民を連れてきれ製造業に携わってもらうより、こちらから向うへ生産財をもっていったほうがよい、と思う。

インドのひとは、もともと中国のひとと文化的に理解し合うのが難しい、とわっしは思ってます。何から何まで異なる。どころか正反対である。

インドの人は一般に日本のひとに関心をもちませんが。しかし、わっしが観察するに、共通点がたくさんあるようです。

タミルのひとなんか、ひょっとすると日本のひとと同じ民族なんでないか、と思える。

(DNA解析によると、まったく関係なし、だそうですが)

すごーく、似ている。

インドの人はほうっておくと「脱亜入欧」に向かうでしょう。

話してみると直ぐわかりますが顔がみんな西洋に向いてしまってます。

自分たちがアジア人である、という意識が希薄である。

西洋の国に移民として出かけて初めて自分がアジア人であることに気づいて愕然とする、という例すら多い。

ここに書かなかったたくさんの理由で日本の企業はインドに進出することすらためらっています。中国の方が、楽である。それは、自明、というか特に投資の世界では当たり前とされている。中国人の自分たちの生活を豊かにするための頑張りは、経済人にとってはなによりの宝である。しかし、だからと言って日本が欧州やアメリカにならって中国に参入して(下品な言い方をすると)言わば足が抜けなくなるところまで行ってしまうのは「国家の戦略」としては拙すぎるのではないでしょーか。

あるいは中国の力を過小評価しすぎではないか。

それと、もーひとつ。ベトナムやインドに出た会社が一様に閉口させられる「非効率な官僚主義」にしても、たとえば黒沢明の「生きる」を見れば、日本も同じようであったのが実感できます。向こうさんも日本がドアを必死になって叩き続ければ変わるのではないでしょうか。

しかも日本はインド経済の扉を必死になって叩きつづけなければならないところまで来ていると思うのですが。

…….と、エラソーに書いてしまったが、わっしは年柄年中あちこちに出かけておおよそ一ヶ月単位で滞在する不良な習慣をもっているのに、インドと中国は行ったことがない。

香港は二回、台北は五回、シンガポールは二ダース回くらい行ったことがあるが、それぞれ滞在が二週間足らずでもあって、そんなものは中華圏に行ってみたことのうちに入るわけがない。なんで行かないの?と訊かれることがよくあるが、たまたま行けてないだけです。

では上のような意見はどこから引っ張り出してきたかというと、インド人や中国人の知り合いなら仕事を通じて、いーっぱいいーっぱいいるからです。インド系移民や中国系移民という「系」のところまで範囲を拡大すると、「知り合い」でなくて「仲の良い友達」もたくさんいます。

現代の世界では田舎ならともかく、中国系やインド系の友達がいないひとのほうが珍しい、と思う。

従って、これは日本のひとが相手でなければ断る必要もないことなのかもしれませんが。

だから中国のひとの考えやインドのひとの考えをある程度承知しているつもりではあるが、「土地というものは行ってみるまでは本当のことはわからん」 というのも常に真実なので、そういう意味では観念的な意見にしかすぎないかもしれません。

そう言えば、インドに行こうと思っているんだけどと言ったらインド人の友達(デリ出身)は

「あんな汚い国、いかないほうがいいよ。幻滅するだけです。埃っぽくて、大気汚染もひどくて」 と言う。それでも、どうしても行きたいんだけど、というと、ある時点から眼を輝かせて、身も世もないように嬉しそうにします。なんだ、ほんとうは自分の国を誇りに思っているではないか。

中国に行ってみたい、と中国(上海出身)の知り合いに、どうするのがよいか訊いてみたら「それは良い考えと思う。繁栄しているのを見てびっくりしますよ。すばらしい国です。日本のような落ち目の国とは全然違う」なんて言う。

たまたま個人としてのふたりの性格が違ってた、というだけなのでしょうが、なんとなく国民性の違いが出ているようで、笑ってしまいました。

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