Monthly Archives: August 2008

F4F ワイルドキャット

手を動かしてものをつくるのが大好きなので、わっしは、ガキガメの頃、よくものをつくった。いまでも犬小屋やつくりつけの本棚をつくるのは大好きであるし、朝起きてやる気があるといきなり壁紙を剥がしにかかって部屋の模様がえをする。 先週のように沈思黙考&才能のひらめきによって部屋の壁をピンクに塗りかえて「二時間以内に違う色に塗り替えないと離婚する」とモニに言われたりすることもなくはないが、作業の結果も通常はおおむね良好である。 自転車も「コルナゴ」のようなフレームと部品を別々に買って組み立てるのが好きであるし、自動車も18歳のとき買ったミニ・クラブマン以来、必ず一台はキャブレタのクルマをもっていて、エンジンルームをいじりまわすのが好きである。 もっともむかしむかし手入れ中のクルマに乗せられたガールフレンドの皆さんは、ダッシュボードなどという上品なものはとうの昔にはぎ取られていて、スタータは鍵など不要、リード線直結、あまつさえ床の穴から道路の表面が見えるクルマでデートさせられて顔がひきつりまくっていたが、そのぐらいのことで顔がひきつるのにドライブの後では「今日は大丈夫である」という度胸はあったのであって神秘であった。(下品でごめん) かように「手を動かしてものをつくる」のが好きであったわっしはもちろんプラスティックモデルも好きであって、とりわけ飛行機が好きでした。 スピットファイアが好きだったのはもちろんですが、イギリス圏ではぜーんぜん人気が無いF4Fがわしは好きだった。遙か昔に生産中止になったエアフィックスもモノグラムも持っていた。レベルはもちろんである。 日本のひとなら必ず知っているに違いない、F4Fはミツビシが誇る軽戦闘機「ゼロ」と正面から激闘した機種であって、特に伝統的に先進兵器が与えられた試しがない海兵隊は かなり後になってもこの戦闘機で戦わなければならなかった。 日本のパイロットで多少でも腕があるひとたちは、F4Fと出会うと垂直旋回、という破天荒な戦法に出ることが多かった。(日本の本を読むと誤解しているひとが多いようですが洋の東西を問わず、空戦で後上方に敵を見て垂直旋回するのは完全な自殺行為です)これに追従しようとして(もし追従できれば空戦の常識として旋回性能に関わらず、目前の零戦はもう撃墜したも同じだから)F4Fが 同様に垂直旋回に入ると、機体重量に対して絶対的にパワーが不足していたF4Fは旋回の頂上で失速、水平錐もみにはいって零戦の餌食になった。 実は、この「楽にF4Fを撃墜できる必殺技」が仇になって、空中で遭遇した場合、F4Fと誤認されやすかったF6Fに対して同じ戦法を用いた日本のベテラン操縦士たちは次々に逆に撃墜されてしまう(F6Fはパワーレイシオが桁違いに大きかったので、垂直旋回の半径はともかく旋回スピードは零戦よりもかえって早いほどだった)のですが、F4Fは、この手にひっかかって零戦との戦いに惨敗します。 その後、サッチウイーブ戦法を編み出してキルレイショでほぼ五分五分の戦いにもっていきますが、わっしがむかしコーフンしたF4Fの戦いはサッチウイーブ以前の空戦であって、F4Fが苦戦を重ねている段階です。たとえば真珠湾から引き上げてくる南雲中将はウエーキを空襲しますが、海兵隊のF4Fは寡兵でもって艦隊に打撃を与える。 出来の悪い飛行機に乗った出来の悪い操縦士たちが闇雲な勇気だけで戦った開戦初頭の何ヶ月かがわっしは好きなのす。 「優等生」(零戦21型)対「ダメガキ」(F4F)の戦いであって、しかし、アメリカ人たちは、しつこいほどの勇気で日本人たちを次第にうんざりさせてゆきます。 防弾装備のない零戦は一機撃墜されるとひとりの搭乗員が死んだわけですが、F4Fの搭乗員たちは、4回も5回も撃墜されても、「今度はぜえったいにまけねえ」と思いながら戻ってきた。 わっしはスマートで優等生的なことがすべからく嫌いなので、こーゆー状況になれば当然 出来が悪いF4Fのほうに心情は傾きます。早川義夫先生も言っているではないか。 「かっこいいことは、なんてかっこわるいんだろう」 わっしの尊敬するMLBの大打者テッドウイリアムスも乗っていた、このF4Fはスピットファイアや零戦のような第二次大戦中の「エリート」たちとは違って、どんな航空博物館でも冷たい扱いですが、わっしは、たとえばワナカの空中ショーにあらわれるF4Fを見ると胸が熱くなる。 ムスタングP51Dなどは当然レシプロの最高傑作ですが、「だからなんだよ」と思ってしまう。 わっしが1942年の戦闘機乗りなら、零戦には乗りたくなかったと考えます。 理由は簡単で零戦は「一瞬の失敗」も許容してくれない戦闘機だったからです。 わっしは何回失敗しても、装甲鋼板と防護ゴムとでともかく生き延びる可能性だけはあるF4Fの操縦席から脱出して落下傘の下にぶら下がりながら「くっそぉー、ゼロめ。次は負けねえぞ。目に物見せてくれるわ」と負け惜しみをつぶやくほうが良い。 機械といえど、文化の違いは出ます。 もっとも敗者復活戦のない零戦の設計者であった堀越二郎の自伝を読むと、堀越技師そのひとは日本帝国の「弱い者、失敗した者は死ね」という思想に強く反発を感じていたのが判ります。 1945年、防空壕から出てF6Fを目撃した堀越技師が「自分は、こんな戦闘機をつくりたかった」 と思うところは、感動的であるだけでなく、日本という当時背伸びをしまくっていた国に真正の航空機技術者がいたことが判って不思議の感に打たれます。 F4Fは装甲をやめて、防護ゴムも外せば垂直旋回を全うできたそうですが、それがわかっていても、どうしても装甲だけは外せなかった当時のアメリカ人エンジニアの技術に対する考え方の「健全さ」は素晴らしいと思う。 さんざん議論をつくした挙げ句装甲板を外すに至る三菱技術陣の記録と読み比べてみて、 文化の違いというものは、これほど深いのか、と考えて息をのんでしまいます。

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徳川家康

徳川家康、というひとを西洋人物事典風に表現すると「16世紀後半から17世紀初頭にかけての軍人政治家。16世紀後半の日本における主潮であった当時の爆発的な生産増大に基礎をおく政治革命に対する反動のシンボルとして登場し全国政権を確立した」 っちゅうような感じでしょうか。 このひとに関する本を読んでいて最も印象に残るのは、その野戦における無類の強さで、「海道一の弓取り」と言われただけのことはある。 なんであるよりも先に「軍人」であったように見えます。 よく考えてみると、これはかなり歴史上の人物としては不思議なことです。 軍事上突出した才能をもった軍人というのは戦争というものが合理性の追求で成り立っている以上通常は守旧的な性格の持ち主ではありえません。 政権を樹立した後の凡庸を通り越して退廃的とすら言えそうな政治上の治績を考えると、狐につままれたような気になります。 このひとの一生を追っていて楽しいのは「三河武士団」の面々が田舎のおっさんたち然としていて可笑しいからで、一向一揆に敵方についた股肱の臣本多正信と戦場で顔をあわせるところなどはアンダルシアの騎士もののドタバタを思わせる。 田舎者の一途さも狡さも結局は主君に槍を向けることが出来ない純朴さもすべて現れていて、後の徳川きっての陰謀家 といえども一個の「三河者」であったことがわかります。 徳川家康というひとは君主としては、恩賞に吝いので有名でした。 したがって家来はいつもビンボーであった。 押しも押されもせぬ大勢力になっても譜代だけはビンボーで鎧すらボロボロであって、よく他国の武者に嗤われた、と本にはあります。領地の石高にしても、ぎょっとするほど少ない。 あまりに徳川家康がけちなので、徳川家の家臣は寄ると触ると家康の猛烈な悪口に明け暮れた、と言いますが、その割には、家康の近習は家康本人が危地に陥るたびに戦場では死にものぐるいで戦って皆敵のほうに向かって倒れて死んだ、といいます。 健気である。 わっしはまだこのあいだから十二三冊、しかも活字印刷の本を読んだだけのところなのでいろいろ言うのは控えますが、この「鎖国」という世にも奇妙な政策をとって、日本を260年間眠らせた支配者には面白いところがたくさんあって、なかなか飽きません。 家康は、スペインのものがとても好きで、鎧甲冑はスペインの騎士のものを身につけていたので有名です。ほら、ロスアンジェルスあたりのスペイン料理屋に行くと美々しい銀色の、面がカッシャーンと落ちてくるフルフェイスの鎧が飾ってあるでしょう? あれです。 食べ物もスペインの宣教師が紹介したばかりのバリバリの ヌーベル・キュイジーヌ、舶来料理の代表であった「天麩羅」が好きで好きで、胃がんで死んだとわかるまでは、長いあいだ「鯛の天麩羅」の食べ過ぎで死んだ、と考えられていたほどでした。 わっしは、いまのところ、徳川家康が鎖国に向かうのは、三河人に対する観察で培われた「日本人の危うさ」という考えからではないか、と思っています。 西洋のものなんか受け入れたら、舞い上がってしまってどーもならん、と思ったのではないか。ボロイ鎧に身を包んで決死の戦いをする田舎者の一途さにしか、自分たち三河者がこの先、生き延びる道はない、と思ったのかも知れません。 徳川家康というひとが「国家」や「社会」という概念を終生もたないで終わってしまったのは、日本という国にとって不幸なことだった、とわっしは考えますが、安物のオンボロ鎧を身につけて三方原当時最強であって、どう戦ってもまず絶対に敵わない身繕いも華やかな武田の赤備えの騎馬武者に遮二無二突き進んで死んでいった「田舎者」たちのことを考えると、切ない気持ちがして、胸がいっぱいになります。 三河の「田舎者」は、日本人のひとつの源流であるようです。

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ソウル(soul)

こんなことを言うと怒る人がいっぱいいるに決まっているが、日本には「ソウル」がこもっているものがあまりない。 結局は、それで8ヶ月の滞在予定が2ヶ月になったのではないかと考えていました。 たとえば観世栄夫が演じた「井筒」には無条件に「ソウル」が篭もっていると思う。 ビデオで観ていてさえ紛いようのないタマシイがある。 女(むすめ)が業平の姿で井戸を覗き込む瞬間などは地の「祝福されざる精霊」たちがいっせいに湧き出でて女のために泣いているのが肌でわかります。 でも梅若の能楽には何をやってもソウルがない。 ただ器用なだけと見えてしまうのです。 運慶の仁王像にはソウルがある。 盛り上がった筋肉は「死」に囲繞(いにょう)されて飽くまで孤独であって、表情に現れた怒りは「無」 に包囲されているひとの絶望の表現だと誰が見てもわかります。 わっしは日本の文化が「他と本質的に異なる」という点で大好きですが、日本の社会にはどうしてもなじめなかったのを正直に認めないわけにはいかないのす。 うまく言えないが、それはなんだか「こしらえもの」であって、「うまく出来てはいるけどぐっとは来ない」ものが多いようでした。 人間の発声ですら、作り物じみて聞こえたのでした。 (日本のお友達、ほんとにごめん) クルマというものは機械が文化的存在になるに至った稀有な例ですが、告白すると、わっしはどうしてもトヨタが好きになれないのす。わっしはいまでもニュージーランドにアルテッツアというクルマを持っていますが、オリジナルのBMW320iよりも完璧にBMW 320iであって直6ですら本家のBMWよりもBMW風にふけ抜ける。 計器板のアンバーもBMWよりも鮮やかなアンバーです。 でもタマシイがない。 どこにも、理不尽な愛情を感じさせるところがないのです。 同じ日本のクルマであればMX5は、そりゃ確かにロータスのマネかもしれないけど、あのクルマには、クルマが好きな人間はみな知っている、「スポーツ」なタマシイがやはり篭もっているのす。 だから、そーゆーところに何かがあるに違いない。 「なにかがおかしい」 と思ってしまうのです。 そしてなにかがおかしいのに日本にずっといると、それが判らなくなってゆくような恐怖心に捕らわれます。 なんだか、いつも誤魔化されているような気がしてしまう。 ほんとうに表現するのが難しいが、わっしは、日本にいるあいだじゅう、大変な恐怖心をもっておった。はっきりと言葉にすることが出来ないのに、毎日毎日がプラスティックな感じがするのです。 あれは、いったい何だろう? ただの適応障害なんだろうか? モニとわっしが「これは確かにふつーの、現実の世界なんだ」と安心してリラックスして話せたのは、午前5時の大久保で南米からやってきた売春婦のひとたちと話をしたときくらいであった。 こんなことを書いてもきっと日本のひとに判ってはもらえないが、わっしは、これを決して決して日本をくさすために書いているのではないのです。 そんな意図があれば母国語で書いてます。 英語が読める人たちは、わっしの「ブログ」が英語のものはいつも注意深く日本のネガティブな面を避けて書いてあるのを知っていると思います。 ただ、なぜだろうと思って書いている。 そこに手を伸ばせばさわれる壁一つであっても、日本にいるあいだは、いつも、「これは現実ではないのではないか」と心のどこかで思っていたような気がするのです。 こうやって書いていても、いかにもうまく言えていないが。 (じゃあ、おまえが考える「ソウル」がある風景ってどんななんだというひとがいると思いますが、 笑われるかもしれないが、こんなではないでしょうか) あほっぽい、っすか?

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ロシア人たち

ロシア人の女の子と付き合っていた頃、「ロシアン・ボール」に連れて行かれたことがある。ニューヨークに住むロシア人が一堂に会して故国をなつかしむのだ、と言う。 一緒に来い、という。 タキシードを着て来い、と言われて例によって例のごとくグズルわっし。 「なあんで、わっしがロシア人の舞踏会に行かねばなんねえの。わし、タキシードとか着ると蕁麻疹が出る体質なんすけど。それに、かーちゃんにも、おまえのように頭はからっぽだけど見た目だけは可愛いガキはパーティになんかに行くと誘拐されてタンジールに売り飛ばされるから行ってはいけません、と言われてるんだけど」 「あなたを、みんなに見せびらかしたいの。あなた、わたしの気持ちが分からないの? こんなにカッコイイボーイフレンドがいるのを見せたいのよ」 「わっし、カッコイイのか?」 「もちろん、ガメは、ゴーーーージャスよ」 「行きます」 (きっぱり) とおだてに弱いわっしは出かけたのであった。 ロシアンボールは、「プラザ合意」で有名なプラザホテル(このあいだ身売りしてアパートになっちったけどな)の一階のボールルームで開かれる。 会場の入り口には、やたら上品な、ばあちゃんがふたりで立っておって、このダブル上品ばあちゃんたちと握手しなければ会場に入れない仕組みになっておる。 「あのばあちゃんたちって、なんだ? ロシアの叶姉妹なのか?」と考える、わっし。 しわしわ叶姉妹。 ガールフレンド(当時)が、さっと耳打ちしてくれます。 「ロマノフ王朝の皇女たちよ。お行儀よくしてね」 うっそぉー。 わっしは心にもないことをするのが得意なので、うやうやしく挨拶をして握手をして会場にはいったのであった。 同じテーブルには、やたら綺麗なおばちゃんがひとりとなんだかロシア版の杉良太郎みたいなおっちゃん。ベルギー人のおばちゃんにフランス人のにーちゃん、あとはロシア人のねーちゃんに、映画監督だとかいう態度のでかいお茶の水博士をせいたかのっぽにしたようなポーランド人のにーちゃんがおった。いま思い出してもあんなに鼻がデカイやつは後にも先にも初めて見た。シラノ・ド・ベルジュラックみてえ。 ところで、この「綺麗なおばちゃん」と話してみると、英語は下手だが話すことに知性が感じられて、わっしはすっかり楽しくなってしまった。 しかも、おばちゃん、語彙は少ないが話題はホーフである。 大学を出て初めて赴任したベトナムから始まってエジプト、東欧、アフガニスタン…. しばらく話していて、「任地が政治的焦点だったところばかりで、まるでKGBのスパイみたいですね」ときわどい冗談をとばすわっし。 ところがテーブルのひとたちが、みないっせいに大笑いします。 「ガメちゃん、このひとはね、ほんとうにKGBの幹部スパイだったんだよ」 と初めは打ち解けにくかったけども、話してみるとなかなかやさしいおっちゃんであることがわかったリョータロースキーのおっちゃんが言う。 さっきからカタコトに毛が生えた程度の英語を駆使して一生懸命話をしてくれていたおばちゃんはモスクワ大学を首席で卒業してまっすぐKGBにはいったばりばりのスパイであったそーな。ゴルバチョフのときにアメリカに亡命してきた。 へー。 わっしは、アメリカっちゅうところは相変わらずどんな人間がいるかわからんところじゃのー、と感心してしまった。 テーブルに座って、踊るひとたちを寂しそうに眺めている女の子に気がついてガールフレンドの許可を得て踊りに誘います。この女の子は毎週末モスクワからプライベートジェットでニューヨークに来るのだと言う。 わっしの知識に照らすと、どっからどー考えてもマフィアの親分の娘ですが、とても気立てが良い。 しばらく一緒に踊って、テーブルに戻ると、まるで小学生のような無防備さで「一緒に踊ってくれてどうもありがとう」と言う。 わっしはなんだか切ないような心配なような気持ちになってしまいました。 「あなたのように綺麗な人は踊りに誘われたからといって「ありがとう」とは、言わないものです」と説明します。 パーティが進んでくると、伝統的な舞踏会を粛々と進める年配のロシア人たちと、それではつまらなくて、ニューヨークならどこにでもある現代的なダンスパーティを楽しむ若い人たちのふたつに分かれてしまった。 わっしは伝統的な舞踏会のほうがおもしろそうなので、ずっと、そっちの部屋にいました。 ニューヨークの「不動産王」、おめーはくびだ!ドナルド・トランプが来ておった。 このロシアンボール以来、わっしはロシア人の友達がたくさん出来た。 ニューヨークに行けば、相変わらず、ロシア人たちのパーティによく出かけます。 … Continue reading

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縮んでゆく日本

8ヶ月の予定を大幅に短縮して2ヶ月で日本を離れてしまったので大きなことは言えないが、 日本の社会の様子は深刻に見えました。 わっしは、あんなに不調な日本を見たことがない。 空港から一歩出ただけで、「なんだか元気がない」感じなのです。 かーちゃんが若いときに訪れた日本は破天荒でびっくりするようなものがたくさんある国だったそうですが、それから22年経った日本は、さびれた田舎の商店街のようである(ごめん)。 なぜだろうか。 いままでに何回もいろいろなひとによって指摘されている産業構造上の問題は 前にも書いてます。 http://moa2008.wordpress.com/2008/05/11/%e5%a4%b1%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%9f10%e5%b9%b4/ シャチョーによると、この日のブログに(悪意をもって)2ちゃんねるにリンクを貼りまくったひとがいたそうで、あちこちのスレッドで、この「反日」ブログに反論する書き込みがたくさんあったそうです。 特に日本人の敵愾心をかきたてた部分は 「1980年代の終わりに計画されて1994年頃に実際の建設が始まった新しい世界は「IT技術」と「バイオ技術革新」と「金融革命」の三つの柱の上に立っていますが、 日本にはそのどれにもアドバンテージがない。種を明かせば旧経済世界において日本に完全に出し抜かれたアメリカ人の皆さんが、日本をアドバーサリ(adversary)と見なして日本のひとが不得手な三つの分野を足がかりに一発逆転を狙って目論見通り、世界の構造を変更して、まんまと目的をはたしただけのことなので当たり前とも言えますが、それにしても日本の政府も見事に相手の手に嵌ったものです。注文相撲ではないか。」 という部分であったようで、こんなどこにでも書かれているような部分にいまさら「反日」だと言って騒ぎ立てるひとたちがいるということだけでも驚いてしまいましたが、 シャチョーが引用して送ってきてくれた発言、 「IT技術が遅れている、というところだけとってもバカガイジンなのが判る。ニンテンドーDSやWiiは世界を席巻しているし、ゲームソフトだって日本のものが主流なのに。第一、携帯は世界一先進的で他の国を圧倒しているではないか」 という意見(ひとりではなくていくつかあったそうです)には、伝えてくれたシャチョーもスカイプで苦笑していました。 しかし、この意見は考えてみると、もう少しマジメに検討したほうがよいところが有るのかも知れません。ここには日本のひとの「IT」という概念に対する誤解があらわれているかもしれぬ。 ご存じのようにグーデンベルクの金属活字を使った活版印刷は世界を変えてしまいましたが、活版印刷技術だけなら14世紀の高麗人はもう実用化していました。 しかし高麗の活版印刷は世界どころか、高麗の社会すら変え得なかった。 アップルはパワーマックの頃、ユーリズミクスの「1984」をテーマ曲に採用して、アップルIIがもともと目指していた「オンラインにフックされた個人用のコンピュータ」がいまこそ世界を救うのだ、と大々的に宣伝しました。 全体主義者たちが勝利して、この世界を支配するようになっても、人間の手に個人が所有するオンラインのPCが一台でも残っていれば、まだ人間の側に勝利する可能性が残されているのだ、というのは、アラン・ケイ以来のコンピュータ人のロマンチシズムですが、ITは、そこから一歩積極的に「全体の部分としての個人」という従来の個人のありかたを完全に破壊しようとしています。 全体は個人と個人との関係におけるマッチング機能としてのみ存在する意義があるのであって、しかも未来においては不必要なものである、と「IT革命」(言葉としてはいかにも軽薄でカッコワルイ言葉だが)は主張している。 たとえば「国家」など、いらない、と言っているのです。 わっしが知っている会社の経営者はこのひとの会社の延べ200億円を投じたIT事業の失敗を嘆いて、「インターネットというのは、ほんとうに質が悪いよ。秘密は守られないし、なかなか金が取れん」と言ってましたが、そりゃそうです。 インターネットというものは、まっすぐに未来を見れば、いままでのビジネスモデルなど破壊しつくして企業の存在すら否定しようとしているのですから。 インターネットが紡ぎ出す世界にあっては、すべてのものが「分散」してゆくのは当然のなりゆきであります。どこまで分散してゆくかというと個人ひとりひとりにまで分散していってテクノロジーが単に個人間のノードとなるところまで分散してゆくのだと思います。 わっしは中国という国の未来にいつも悲観的で中国人の友達にかみつかれてばかりいますが、懲りずに言うと、国権主義的な国家はそれが国権的であるというだけの理由でも生き残っていけるわけがない。 「国家」などという「古い家」が、この先いつまでも機能すると考えている人というのは、わっしの考えでは相当にお目出度いひとだと考えます。 話が抽象的に過ぎると考えるひとたちのために話し方を変えると、いまの日本では、たとえばifeelgroovyのシャチョーが日本人であるのは当たり前のことです。 日本人の両親から日本で生まれて日本の学校を出た。 だからシャチョーが日本人であることは当たり前であって、役所に行けば住民票があり、 謄本がある。 でも、わっしは、そういうことすら未来においては続くと思っていません。 そんなに遠くない未来に「日本人として日本政府が適格である」と考えた人間にしか少なくとも100%の国民としての権利が与えられないだろう、と考えるだけの根拠があります。国家が国民を選別する日、取捨選択する日がきっと来るに違いない。 それはなぜかというと、いまの世界では前に http://moa2008.wordpress.com/1969/12/31/%e3%80%8c%e8%bb%a2%e5%9b%bd%e3%80%8d%e3%81%99%e3%82%8b%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%81%9f%e3%81%a1/ に書いたように、個人の側で自分の国を選択することが普通のことになりつつあるからで、もし国家の側で個人を選別することを始めなければ、その国は遠からずゴミためになってしまいます。 日本のひとは「競争原理」というものがひとりひとりの個人にとってはいかに恐ろしいものか判っていないように、わっしには思えます。 わっしはつい最近まで自分でも驚くほど長い間日本という国が好きでしたが、その大きな理由は日本という国の、社会の競争のびっくりするほどの少なさからくる「生きやすさ」にあったと思っています。わっし自身は西洋社会の激しい「競争」に骨がらみなじんでしまっているので、激しい競争に勝利することがあたりまえになった、それがないとなんとなく物足りないビョーキな人間ですが、日本という誰にとっても(他の社会に較べれば)競争などないに等しいラクショー社会に生き残って欲しかった、という気持ちがあるのです。 … Continue reading

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デクノボーの幸福 (「Amor Amor」Arno Elias )

通りすがりの女のひとがつけている香水の香りの素晴らしさに一瞬振り向いたり、 立ち寄ったパン屋さんのベルギー人姉妹の冗談が思いの外おかしくて笑い転げてしまったり、ジョギングの途中でカフェで流れてきた(わしの好きな)Arno Elias の曲に聴き惚れて体で調子をとっていたら柵につながれていたリトリーバの子犬が一緒に踊り出したり、わっしの一日はそーゆー絶え間なく続く些細な出来事で出来ています。 わっしのこの家にはたいそうゴージャスな美人だが性格の悪いAと真っ黒で眼がきらきら光る愛らしい性格のMという二匹の猫がいる。 Aは根っからの怠け者なので、一日中カウチでごろごろしています。 わっしに似ておる。 Mはまじめな性格でわっしがひさかたぶりに家に帰ってくると全速力で走ってきて足にほっぺたをこすりつけてごろごろ言う気立ての良さですが妄想癖がある。わっしが二階から双眼鏡で観察していると、よくパドックを虎のような歩き方で徘徊しておる。 どうも、自分を虎だと妄想して、「おれは孤独な森のハンターだ」と心につぶやいているもののようである。雌猫なのに。 今日のように寒くて天気が悪い日には。わっしは万年筆を握りしめて、友達たちからの手紙への返事を書きます。忙しくハシゴをあちこちに動かしてすっかり序列の乱れたライブリの本棚の本を整理していれかえる。 モニのためにパンプキンスープをつくったり、先週古い壁紙をはがしたまま放ったらかしの浴室の壁紙はどんなのがいいかモニとふたりで見本帳をめくったりしている。 壁のコンセントを増やすのにドリルで穴を空けたり、モニが絵柄を描いたタイル(二階浴室用)を窯で焼いたりする。 こういう毎日の些事に没頭して暮らしていると、わっしはしみじみと幸福であって、自分はつくづく専業主婦にむいておる、という以前からの考えが実感となって胸に迫ってきます。トーシカなんてやめて「奥さん」になるというのはどうか。 モニはときどきふさけて顔にひげを描いて「フランス陸軍大佐」の役をやって喜んでいたりするが、ひょっとするとネクタイにスーツも似合うのではないか。 (ジョーダンです) 大好きな家事に飽きると、わっしは地下からワインを出してきて、モニとふたりで暖炉の前で遊ぶ。モニとわっしの家にはありとあらゆるボードゲームが貯蔵されているので、他のゲームをやればよさそうなものであるが、目下は36連敗中のチェスしかやらぬ。 モニはわっしがあまりに計画性のない手を打つので、わっしがほんとうはアホなひとなのではないか、と疑いはじめているもののようであるが、モニというひとはのんびりなので、これほど明白な事実であっても心から確信するには六〇年はかかるのでダイジョビである。その頃は諦めという美徳を身につけてもいるに違いなし。 チェスにも飽きると、わしらはホールに行って踊ります。 家の中でふたりきりとは言え、ちゃんと盛装するのだ。 顔を近づけると、わしの大好きな良い匂いがする。 わっしなどは、この先もどうせたいしたことはなくて妹の予言どおり 「あらゆる条件と素晴らしい妻および家族に恵まれながら何もしなかった男ここに眠る」 という墓碑銘の下に眠ることになるに決まってますが、まあ、それでもいいや。 下のリンクの動画が、この頃わっしがジョギングするときによく聴く、欧州で、すげー人気のArno Elias のAmor Amorだす。 (Nino版。Caroline版も良いが) 聴いているだけで体が動き出すでしょう? http://uk.youtube.com/watch?v=zclf9Optg5w

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Fokker Dr.1

この頃はフライトシミュレーターの人気が無いので、残念です。 わっしは以前にもちっとだけ触れた http://moa2008.wordpress.com/1969/12/31/%e5%a4%a7%e7%a9%ba%e3%81%ab%e6%ad%bb%e3%81%99/ ことがありますが、フライトシミュレーターが好きである。 レシプロが好き。 しかも、第一次世界大戦ものがいちばん好きです。 第一次世界大戦ものが好きなのですが、飛行機に詳しいひとなら知っているとおり、この分野はゲームの世界でいちばんフラストレーションがつのる分野なんす。 当時の実機の空力に忠実なシミュレーションが皆無。 第一次世界大戦の名機のなかで、わっしの最も好きな飛行機はFokker Dr.1(フォッカートリプレーン) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC_Dr.I ですが、この飛行機に対する理解がそもそも間違っておる。 この戦闘機が何故これほど有名なのかをアメリカのひとや日本のひとはあまりにもわかっておらぬ、この鈍足な戦闘機がなぜこれほど有名なのかというと、それはFokker Dr.1が「空中でキックターンが出来た歴史上唯一の戦闘機」だからです。 そういう意味では、ものすごいハイテク戦闘機だった。 垂直旋回でも左旋回でも右旋回でもなくて、くるっとその場で水平に180度ターンが出来た歴史上ゆいいつの飛行機であって、だからこそたった一機で(何回も離脱できるチャンスがありながら)7機のイギリス機を相手に平然と空中戦を戦ったフォスや「レッドバロン」リヒトホーヘンの愛機であった。 日本海軍に開戦の決心をさせた軽戦闘機の傑作零戦は旋回半径の小ささで有名でしたが、 Fokker Dr.1は旋回半径が文字通り0だった。 だから、この最大速度が同時代のどの主力戦闘機にも劣った戦闘機に操縦技量にすぐれたエースたち「だけ」がのりたがったのでした。 英語でも日本語でも、「視界が悪い上に速度が遅くダイブに際して脆弱性があったので300機くらいしかつくられなかった」と書いてある本がありますが、大間違いのコンコンチキであります。 そうではない。 ウソだとおもったらドイツ人をつかまえて訊いてごらんなさい。 いまでも名機の第一に数えるから。 Fokker Dr.1は戦闘機のなかでも乗り手を選ぶという点で空前絶後の戦闘機だったのであります。 フォッカー社は初めからこの戦闘機を大量生産する意図はなかった。 この戦闘機の隔絶した栄光は、「選ばれたもののための戦闘機」であったことにあります。 モンテグラッパの限定版万年筆みたい。 モンテグラッパ、モンブランに買収されてからだいぶんかっこわるくなったけどな。 だからして、このフォッカートライプレーンは、どういうか、他の戦闘機と違う位相で空中戦を戦っておった。 当時ですら、どのくらい思想的にかみあわない空中戦を行っていたかは、たとえばアメリカの人気TVシリーズ「Dogfights」(格闘戦)のすげー精密なCGで描かれた検証を見ても納得がいきます。 わっしはFokker Dr.1のこの特性をフルに使って空中戦をやりたいのに、どーゆーわけか、ちゃんと空力を計算したソフトがないのです。 さびしい。 あのフォスやレッドバロンの、後上方から迫る敵機にいきなり機体ごと振り返って機銃を浴びせかける、必殺の技を追体験したいのに。 誰か、まともなWW1のフライトシムをつくらないかなあ。 画像は、ロシアの女性撃墜王、リディア・ウラジミーロヴナ・リトヴァク  (Lydia Vladimirovna Litvyak) … Continue reading

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中国の人

中国の人、というのは話してみるとかなり面白い。 ずっとブログを読んでくださっている人は事情をご存じの通り、2ちゃんねるからやってきたタワケのみなさんにうんざりしたりして予定を6ヶ月繰り上げて2ヶ月いただけで日本を離れたわっしは、趣向を変えて中国のひとたちと付き合ってみることにしたのでした。 で、カンソーは、というと「こんなにオモロイひとたちだったのか」というものです。 もっと早くから付き合ってみればよかった。 「中国の人」と十把一絡げにくくるわけにはいかなくて(あたりまえだが)、もちろんいろいろなひとがいるわけですが、でもそれぞれかけ離れた強い個性の奥に、やっぱり共通したものがある。 友達の紹介で知り合いになった中国人夫妻を家に招待します。 二階の窓から「そろそろ、来るかなあ」と思って見ていると、開けてあるゲートから姿を現してドライブウエイを静々とやってくるメルセデスSがある。 「おっ、来た来た」と思ってわっしはダッシュで玄関へ向かいますね。 「こんちは元気でっか」と、わし。 「もーちろん元気元気、あんたもゲンキ?」と言うCさん。 香港のひとです。家業のレストラン・チェーンを継いで、ほんでもってガソリンスタンドとかスーパーマーケットもやっている。 お金持ちである。 小金持ちのコガネムシ。 くるまから降りてパシっと立ち止まると家のファサード(日本語でなんというかわからん)を正面から腕組みして眺めて、「いやあ、すごい家ですなあ」とお世辞を言う。 ここまではニュージーランドのひとと変わりません。 次の瞬間、「この家、いくらだった?」 と訊くので、わっしは玄関の砂利の上にコケそうになってしもうた。オッサン、そんなこと、訊くかよ、ふつー。と考えて「はっはっっはの、は」と笑ってごまかす、わし。 モニが玄関先に現れると、「どっひゃあー、美人の奥さんですなあ。うっひゃあー」 と言う。目をまるくして、ちょっと突っついてみたそうな様子です。 「この奥さん、いくらだった?」 と訊きそうな不吉な予感がしたので、手をとってゴーインに家のなかへ連れてゆきます。実はモニはタダだったので、それをCさんに正直に言うと「タダ?ははは。じゃ、ぼくが持って帰ります」と言いそうだったからである。 モニは奥さんを案内してつづきます。 この「いくらだった?」 攻撃は食器について家具についてラグについて間断なく発せられて、そのたびに笑ってごまかすのは大変であった。めんどくさい。 Cさんは、ノーラビッシュ、余計なことがなんにもないひとであって、わっしの育った世界の基準では気が遠くなるくらい失礼なひとである。 しかも、自分のクルマとかボートとか、そーゆーことになると、自慢がとまらなくなって爆走してしまう。奥さんとモニが別室に行ったときなどは、自分の「若くてムチムチ女子留学生日本人」の愛人の自慢までする。 (どうも「若い日本人の愛人」というのはメルセデスと同じで中国のお金持ちのあいだの流行らしいふうであった) なんだか、Cさんが、たるんだ腹を揺らせながら目の前でストリップを始めて下着に手をかけだしたような感じであって、わっしは少なからずローバイします。 おっちゃん、「秘すれば花」という言葉を知らんのか。 しかし、ノーラビッシュ、である。 ストレートであって、自分が何を考えているか隠さない。 中国の役人の汚職を名前まであげて罵りまくってるときも、テーブルの向こう側で怖い顔で睨んでいるモニに気づかず ヨーロッパ人は思い上がっておる、と拳で机を叩いて演説するときも、 調子はみな同じであって、なーるほどなー、こりゃ良いな、と思わせるところがあります。まっすぐである。 迫力がある。 わっしが子供の頃、日本の人が日本文化について説明したりする機会があると、その日本人が退場したあとでほぼ必ず中国のひとが「いま、あのひとはこう言ったが、実際は日本文化、などというものは、この世にはありません。あれは、みんなくだらないパチモンであって、ぜーんぶ、中国のマネです」と説明して歩いておった。 子供心に、そーゆー中国の人たちが鬱陶しくて、それで中国のことに長いあいだ興味がわかなかった。2チャンネルのひとたちが、あれほど、わっしをうんざりさせなければ、一生中国に興味をもつことはなかったはずで、それを考えると2ちゃんねるのひとびとに感謝しなければなりません。 わっしの単純な頭に描かれてあった世界地図には東アジアには日本しかなかったのですが、(考えてみればあたりまえも良いことろだが)ほんとうは中国のことも日本と同じくらい勉強しておくべきでした。 叔父一号が「せっかく日本に行くのだから中国語や韓国語も勉強しなさい」とうるさいくらい言ってきていたのは正しかったのでした。 興味をもって学習してみると中国には面白いことが、たくさんあるようです。 … Continue reading

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新しい世界へようこそ

クライストチャーチのCBD(4アヴェニューの内側)に入る入り口には駐車場の表示があります。日本みたいにカラーのかっこいいLEDではなくてむかしながらの電光掲示(^^;)、でも駐車場ごとにあと何台駐車できるかが表示されていて、その数字が刻々と変わってゆく。日本のハイテクでカラフルでかっちょいい「空」と「満」表示だけの駐車場表示よりも、わっしはこのダサイ台数表示のほうが好きです。 だってこれからどっかに駐車せんとならんわっしにとって必要な情報量が多いもん。 で。駐車場よりも目的の場所に近いパーキングメータにクルマを駐めることにすると、ここでは、これは日本にも有る、クレジットカードをスワイプして払う方式のパーキングメータであったりします。 わっしはミーハーなので、もうこの駐車するときの便宜のような些細なことでも「世の中は便利になったのう」と思う。 単純なひとというのは、どこでも幸福になりやすいのです。 退屈な番組を我慢してテレビの前でじっと座っている根性がないので、わっしはテレビを観ませんが、一週間すればiPodでどの番組でも観られるので、(観られない国もあるが)そーゆー国にいればアーカイブとしてのテレビ番組は観ることがあります。名うてのオバカメディアであるテレビの番組であっても、自分のほうで途中をとばしたり逆に繰り返して観たりすることが出来る映像アーカイブとしてならまったく無価値とは言えない。 ATMは、わっしがものごころついた頃からずっと24時間稼働ですが、たとえばマンハッタンならコマーシャルバンクは24時間窓口が開いておる。 長いあいだ言われ続けた「カスタマー・ファースト」がだんだん結実しつつある。 どこをどう改良したのか、この頃はバルセロナの電車ですら定時きっかりにくるのであって、スペインなのに地下鉄などは山手線並、というか、ホームに「次の電車が到着するまであと何分」という表示があって、それが刻々変わります。 すごい。 ボストンですら、2本の地下鉄がダンゴになってやってきていた、わっしのガキンチョ時代が遠い夢のようです。 細かいことばかりあげましたが、たとえば金融に科学的な合理性(確率変数を含む数学など)が導入されてリスクとリターンが考えやすい形になったり、意志決定や事業プランの提案が水平型になって働いている人間から見て透明な形に変化したり、小さな会社であっても100億円以下の投資決定であれば社員の提案から最速即日で決定がくだされるように「稟議」 が進歩したり、という変化は、わっしからすると、よいことばかりで、 「なんちゅう良い世の中じゃろ」と思います。 面倒くさいことが減って、何事も見通しが良くなった。 あたりまえですが、上のような、零細な社会的存在であるわっしが享受している世の中の文法そのものの変化を「IT革命」と呼びます。 極端な言い方をするとハードウエアやソフトウエアとしてのコンピュータは契機ではあったにしてもIT革命そのものとは、あんまり関係がない。 日本では30代40代のカシコゲなおっちゃんのなかに「ITは日本に向かない」「ITは終わった」というひとが何人もおった。 「クリエイティブにはITは何も産み出さなかったんだよね」という。 たとえば日本の新聞・テレビの世界のお友達には、そーゆーひとが多かった。 そーゆーひとは、実は、このブログを読んでいたりするので、書きにくいが、 わっしは「ほんとっすかあ?」と思います。 ウソでい。 明治時代にあっても電鍵と電線はなにもクリエイティブには産み出しませんでした。 文豪になった機関車もいなかった。 しかし電信ネットワークや鉄道や議会というものは世界を一変させたのであって、その反映として新しい芸術が生まれ、たとえばシュルレアリストたちのような新しいオプティミズムが可能になった。 「IT革命」というのは、如何にも名前としてケーハクなので、そういう言語感受性がある頭のよいひとほど、IT革命というものを小さく捉えてしまいます。 しかし実際にはIT革命は名前の途方もない下品さにも関わらず世界を新しい枠組みで再構築してしまったので、終わりようにも終わりようがない。 「IT革命」というのは現実になったいまの新しい世界そのものなので、それが「終わった」ら世界そのものが停止して終わってしまいます。 わっしは、「ITは終わった」っちゅうような意見を聞くと内心「うっせえなあー」と思う(ゴメン)。IT以前のウザウザした個人のことなんかあんまし考えてくれない世界が古くさくて嫌いだからです。 日本はこの新しい枠組みに社会をつくりかえることにいまのところ失敗していますが、 なあーに、ほら、19世紀には260年の遅れをいっきに取り返したじゃないすか。 マネの達人である。 いまに、あっというまにマネしまくって他の社会よりも遙かに完璧なやりかたで社会全体のありようを変えてしまう、と、わっしは思ってます。 電線の下を通ると身が汚れると言って避けて通った神風連のようなひとは必ずいるので、一波乱なしではすまないでしょうが、日本が好むと好まざるとに関わらずひとつの文化集団として生き残りたければ必ず成し遂げなければならないこの革命を成し遂げたとき、わっしはまた日本に遊びに行って「IT革命・日本バージョン」を楽しもうと思ってます。

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存在の寂しさ

夜中のステートハイウェイでクルマを駐めてヘッドライトを消すと、ほんとうに真っ暗になります。新月の夜などは手を伸ばすと、手の先が暗闇のなかに消えてゆきそうである。 空には圧倒的な数の星が輝いていて、空のまんなかを天の川が横切っています。 わしはいまでもニュージーランドにいるときには、田舎にでかけて、道の脇にクルマを駐めて外に出てみます。人口の明かりがひとつもない冷たい夜の空気を胸にいっぱいに吸い込むと「ああ、自分の国に帰ってきた!」と思う。 ニュージーランドという国は、わしがかーちゃんに連れられてやってきたころは、まだ人口が300万でしかなかった。経済上の理由からたいへん保守的な国民性であるのに勇気を振り絞ってアジアからの移民を受け入れ始める前でした。 いま考えると笑い話のようですが、まだ「ミルクバー」ではミルクシェークを錫のコップで出してた。「ミルクバー」も錫製のコップも連合王国ではじいちゃんやばあちゃんの代の話なので、わしは、すっかりおもしろくなって一発でニュージーランドという国が好きになったものです。 わしは、あの頃はコーフンの毎日であった。 まだ牧場を買ったばかりの頃、妹とふたりで家の前のくるま寄せで遊んでいると、「ふおー、ふぅー」という巨大な音がパドックから聞こえてくるのです。 妹とわしには、ニュージーランドの田舎にはまだドラゴンが生きていて、それがパドックに降り立ったとしか思えなかった。わしらはパドックの柵にへばりついて眼をいっぱいに見開いて必死にパドックのなかの真っ暗な闇のなかを見つめた。 近所のオランダ人家族のおねーちゃんに、「ばっかねえ、あれはポサムよ。ポ、サ、ム。知らないの?」と言って大笑いされるまで妹とわしはドラゴンスレイヤーの剣はどうやって手に入れるのか、ふたりでパニくりながら調べたのが昨日のことのようである。 あるときは夜中に目を覚まして、窓のカーテンを開けてみると、牧場全体が非現実としか思われないコバルトブルーに染まっていて、何事かと思って窓から外へ出てみると、満月の光なのでした。わしは、あんなに青く輝く月の光というものをそれまで見たことがなかった。妹を起こして、ふたりでこっそり長靴をはいてパドックに出ると、月を眺めた。だんだん気がヘンになってゆくようで、子供心に「なるほど「ルナティック」というのは、こういうことなんだな」と考えたりした。 ニュージーランドに越した(というか夏の4ヶ月を過ごすことになった)ばかりのときには、マクドナルドが町に一軒しかない(いまは、もっとあります。バーガーキングもある)ど田舎に越したのがショックでひきつけを起こしそうだったが、いま考えてみると、かーちゃんは、かしこいひとだったのであって、わしの人生のイメージが大自然から来ていることが自分の一生を生きてゆく上でどれだけ楽にしてくれたか測りようがないほどです。 夜、キャンプに出かけた森の中や、牧場のパドックにひとりで立っていると、人間がもともと感じていたある絶対的な「寂しさ」や「畏れ」というものが判るような気がする。 そもそも人間が文明というものの建設に向かった理由が利便性の追求などではまったくなくて、自分が「虚無」に取り巻かれている、あの感じ、自分の存在のあまりの小ささと無力に戦慄する、あの誰でもが自然のなかにひとりおかれたときに感じる、あの感覚に端を発しているのだと理屈ではなくて判ります。 わしはかーちゃんから借りたレンジローバーに戻ると、またヘッドライトをつけてモニが待つ友人の牧場へ向かう。 モニが初めてニュージーランドへ遊びに来た夏、妹と三人でパドックにサマーベッドを出して寝転んだ夜のことを思い出します。次から次に燃え尽きながらおちてゆく流れ星や不思議な定速で移動してゆく人工衛星というような、妹やわしにとっては「あたりまえ」 の夜空にモニはもうびっくりしてしまって、初めのうちこそまだ下手であった英語で一生懸命質問していたものの、しばらくすると黙り込んでただ空を見つめていた。 あとで隣に寝転んでいた妹が「モニさん、黙って泣いてた」と言っておった。 妹もわしも初めてニュージーランドの夏の夜空を眺めたときは、やはりなぜだかわからないのに涙が出てとまらなかったので、別に不思議なことではありません。 その感情は、(うまく書けませんが)、遠い祖先につながっているものであって、われわれの先祖が言語を形成した頃に胸に抱いていた存在の本質的な寂しさ、であるようにわしには思えます。英語でもフランス語でも日本語でも、言語に関わりなくわしらが言葉で話すときに影のようについてまわる、あの「寂しさ」はシンボルというものが一般にもつ寂寥感とはまた別の、自己の存在を取り巻く巨大な虚無への畏怖であって、それこそが人間の言語が因ってきたことところなのかもしれません。

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ピンクが好きな人

ピンクが好きな人、というのは、やや独特な共通したところがある、と思う。 少しピントがずれたような調子が外れたような、それでいて寂しい、自信に欠けたようなところがある。 パリス・ヒルトン、というひとがいる。 大統領候補マケインの宣伝ビデオにただちに逆襲してつくったビデオ があまりに冴えていたので、ひょっとしたらアホではないのではないか、という、芸能人生命に関わりそうな疑惑が出てきて話題になっている。 日本でもユーメイです。このひとは西洋のひとよりも日本のひとのほうに存在がわかりやすい。もともと、西洋ではたとえば女優は女優であって歌手は歌手であって「タレント」 といういわばテレビ版の埋め草が肥大化したような存在はあまりなかった。 パーティ、パーティ、パーティ!なひとであって、職業は「お金持ちの娘」であるというバカバカしさが人気の原因だったひとです。 やることなすこと無軌道であって、なんだか受け狙いで無軌道ぶりを発揮しているように受け取られますが、事実は逆で、もとからが無軌道・傍若無人を極めるハリウッド周りの人間の生活をマイルドにフツーのひとに受け入れられやすい形に翻訳してやってみせた。エンターテイメントの世界で成功したひとというのは、ときどき「無際限」の感覚に溺れてしまうひとがいるのであって、まさか名前を言うわけにはいかないが、わっしの知っている人でもストーーーーンになったあげく、パーティに居合わせたフットボールチーム の半分の選手と寝てしまった女優さんがいます。 わっしはたまたまゲラゲラ笑っているひとばかりの、そのパーティに居合わせて、なんだか陰惨な気持ちがしたのを憶えている。 ユーメイになってまだ、自分の姿が鏡に映った自分とぴったり重なるようにするのは難しいのかも知れません。 で、パパラッチの世にもサイテーな大活躍によって漏れでてくるそうした精神の平衡を失ったエンターテイナーの生活ぶりを、大衆番組化してわかりやすくしたのがパリス・ヒルトンという企画なのだと思います。 このひとがピンクが好きである。 アホなことを抜かすと、どうもピンクが好きな人というのは、あの色が空間に対してもっている「眩暈」のような作用が好きなのであって、いわば色彩版のシャンペンのような効果が好きなのではなかろうか。 むかし、高校生のとき好きだった女の子の部屋に招かれて行ってみたら壁もドゥーベイカバーもカーテンもシーツも全部ピンクで統一されていて、女の子というものの持つ思想の迫力に負けたことがあった。 このひとも、思い出してみると、すげー美人で頭脳優秀テニスプロ並み、というひとであったのになんとなく自分に自信がもてない、という、なりはデカイだけでパーでんねんでテニスは妹に全敗、であるのに殆ど根拠のない自信の塊であるわっしのような人間には理解不能なひとであった。 わっしは、いま、ピンクのシャツを着て、これを書いておる。 明るいピンク。 なんだかピンクの象さんにほおずりされる夢を見そうなど派手な色であって、これを着ていると頭がパリス・ヒルトンになりそうでもある。 なんで、そんな色のシャツを着てむっつりしているのかって? 嫁はんが買ってきたのに決まってまんがな。 「あっ、似合う。ガメはピンクが似合うね、よかったね。ふっふっふ」とひとりで喜んでましたが、ピンクという色彩がもつ不穏な哲学を知らんのか。 わっしは、モニがときどきドアから顔を出して「きゃっ、きゃっ!」と笑い転げるのを横目に、思い切り深刻な顔をつくって威儀を正しているところなのであります。

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9月になれば–Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’–

いっぺん書いてしまったので居直って自分の職業をばらしてしまうと、わっしの職業は「零細投資家」である。実はもうひとつ職業があるがこっちからの収入は「零細投資業」に較べると微々たるものなので、パートタイムみたいなものである。主たる収入がここから来るという点で、わっしは「投資家」なので、本来はどっかの国に行ったときの入国管理官にも、職業について「投資家」と申告するのが正しい。しかし、サンフランシスコで「職業は投資家ですねん」と申告したら「どんな投資家なのか?」 から始まって、中心地近くに投資するのと少し離れた人気のあるところに投資するのとどっちが正しい投資と思うか、周辺地のリターンをどう評価すればいいか、際限なく訊かれてうんざりしたので、それ以来公式の職業は「会社役員」になった。わっしは零細らしく他人から資本を募ったりしないが、投資そのものは会社が主体になって行うことが多いので、これはウソではない。考えるのもユーウツであるが、わっしは役職で言えば代表取締役であってシャチョーなんです。カッコワルイ。 トーシカ、と言ってもなにしろ零細なので、たとえばヨーロッパ某市のミーティングに呼ばれる。空港で 仕事上のお友達Qにあいます。 「やあ、元気かね?」 「へっ? ああ、元気っす」 と、わっし。 普段は同じ便で来ても顔を合わせることはない。 「きみは相変わらず他の乗客とパスポートコントロールのほうへ行くの?」とお友達。 「ういっーす」と、わっし。 お友達は「まったくきみも酔狂だの」というような意味のことをぶつぶつ言います。 でもって、違う方角へと歩いてゆく。 お友達は殆どみなチャーターしたプライベートジェットで来ているので、パスポートコントロールの場所が違うのです。その一角まではルフトハンザ差し回しのメルセデスで行く。レーサイなわっしは、だいたいビジネスクラスにしか乗らないのであって、せいぜい場合によってファーストクラスに乗ることがあるくらい。 はっきりいってモニのかーちゃんが娘を娘の不甲斐ないダンナ(わっしだすな)を憐れんでタダの切符をめぐんでくれたときくらいしか乗らん。 最近はプライベットジェットが安いので、特にヨーロッパでは、ほとんどのひとがプライベートジェットを使う。わっしはお友達のジェットに席がタダで空いているとき以外は、そんな恐れ多いものには乗りません。 もっとも、稀代の(といっても手口はアメリカ人のデッドコピーだったが)詐欺師堀江貴文が使っていたプライベットジェットよりもいまのプライベットジェットはずっと安くなってファーストクラスの一個上のクラス、という位置づけですが。 彼の人たちはヘリコプターで会合場所へ行く。 そっ、ヘリコプター。あの頭の上でぷるぷるローターが回ってるやつ。あれはイメージと違って、無茶苦茶速く目的地に着く。 わっしですか? わっしはおもむろにレンタカーのカウンタへ向かって、コンパクトクラスの料金を訊きます。あまつさえ、いろいろに言って、そこからディスカウントを狙う。 平均的には2クラス上の走行距離100マイル以下のクルマを手に入れるくらいのスキルがあります。最近は、(はっきり自慢するが)とんでもない美人の奥さんと結婚したので(正確に言うととんでもない美人を奥さんにした、ですね。美人の奥さんと結婚したら人倫に悖る) 繁忙期などは、わっしは柱の陰に隠れておって、この嫁はんをカウンタに交渉に派遣する。当然、カウンタは若い男でなければならぬ。 これはなかなか良い手であって、コンパクトカーからラグジュリアスまで一瞬でアップグレイドされます。 わっしのかーちゃんはお金持ちでわっしは常々「うらやましー」と思っているが、モニのかーちゃんは、それに輪をかけて金持ちなので、娘のモニはビジネスクラスというようなビンボー人の乗るクラスには乗ったことがない。 しかし、わっしと結婚してしまった http://moa2008.wordpress.com/1969/12/31/would-you-be-my-wifeplease/ のだから諦めてもらうしかない。 わっしはと言えば「質実ゴーケン」をモットーにするかーちゃんに、ついこのあいだまで、「若いのにエコノミークラス以外に乗ったら 成敗する」と言われておった。 かーちゃん自身はファーストクラスにしか乗らないのに。 ヌカミソの妻、というではないか。 わっしは臭いがダメで、あの漬け物が食べられないが。 どこの国でも似たようなものだが、オーストラリアなどは「バブル大崩壊2分前」です。 地獄の大釜の蓋があくのも秒読みである。 不動産アセットなどというものは、こーゆー状態になると沈むタイタニックの甲板のくさびにズボンがひっかかってしまたようなものであって、逃げられない。 ビルについておる値札は30億円でも、ほんとうにすぐ売ろうと思ったら10億もいかない値段でしか売れない。 わっしのような零細投資家はそもそも借金ということをしたことがないので、そうなってしまえばいくらでも成り行きで売ってしまうが、借金があるひとびとは10億で売ったらその瞬間に借金が返せないことが確定して口に拳銃をくわえなければいけなくなってしまう。 時不利兮 騅不逝 騅不逝兮 可奈何 になってしまう。 … Continue reading

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テンポーラ

前にも書いたことがあるが、わっしはスペインの天ぷらが好物である。 ちょっと程度の良いレストランに行くと上質なオリブオイルで文字通り「天ぷら」にするのであって、オイルが菜種や胡麻でなくてオリブオイルなだけで「江戸前天ぷら」と寸分も変わらん。 これは、(信じなさい、信じる者は救われるというぞ)すごおーくすごおーくすごおおおおおーーーーく、おいしい食べ物であって、これに岩塩をちょびとつけて食べると、いきなりわっと顔を覆って号泣したくなるくらいおいしいのです。 メニューに「テンポーラなんちゃらかんちゃら」と書いてあったのを憶えていたので、スペインのひとは日本の天ぷらをアレンジするのが上手である、とわっしはひとりごちておった。「さすがは食い意地世界一の国民である。他の欧州人には「スペイン、ああ、アフリカがヨーロッパに出っ張ってきてる国のことね?」と嫌みを言われても心は錦ではないか」と感心した。 ところが、ところーが。 天ぷらって、スペインのものなのすな。ひょっとして、と思ったらwikiにも書いてある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89 世の中には「そんなことは常識である。きみは、ものを知らんね」というひとがもしかしたらいるかもしれんが、わっしはぶっくらこいてしもうた。 wikiには、 「天ぷらの衣はサクサクしており別物である。よって、日本料理としての「天ぷら」は日本独自の料理と言えるであろう。」と書いてありますが、これは現実とは異なる。 スペインの天ぷらは日本の天ぷらより「さくさく」が大事なのである。 バルセロナの料理人のおっちゃんが「伝統的に、このサクサクで決まるんだもんね」といっておった。第一「フリッター」だったら揚げ物舌バカの連合王国の場末でも食べられるわい。どうも日本版のwikiは肝腎なところで外しておる。 わっしは天一本店 http://www.tenichi.co.jp/mainshop/index.html の天丼がむかあーしから好きであって、2003年には、ただこれが食べたい一心でエゲレスから飛来してきたこともあった。 かーちゃんも、ここの天ぷらが好きです。 ここの天丼はなかなか下品なむかし風江戸前天丼であって、気取った味でないところがよい。ちょっと高いとは思うが。 スペインは、うまいものが多い。 バルセロナなどは食べ物に関して言えば「この地上に現れた天国である」としか言いようがない。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080514/1210738376 あんまり食べ物がおいしいので、地元のにーちゃんやねーちゃんは、一日に5食から7食食べる。それなのに、細くてくびれていて、くわっちょいいのである。 フコーヘイ、である。 わっしなどは、あんなに毎日食べたらデブってモニに捨てられるかも知れぬ。 人間も屈折した形で親切であった。 わっしは、まっすぐに親切なひとも好きだが、屈折した形で親切なひとも好きなのす。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080226/p1 こうやって書いていると、いますぐにでも自分のGraciaのアパートに行きたくなるが、いまはウクライナ人のカップルが住んでいるからダメである。 狒狒大家になって追い出そうと思っても、家賃、一回も遅れてないし。 悲しい。 ベッドに入って寝よう。

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人間が文明を捨てる日

人間であることは辛い。 まず物理的な体勢というものが無理である。「おとがい」が出来たせいで妙にぶかっこうに発達した頭蓋を支えて直立して歩かねばならない。 別に四つん這いになって暮らしても良いが、やってみれば判る(わっしは実際に11歳の夏休みに何日か四つん這いになって暮らしてみたことがあるので自信をもって言い切るが)、肩が凝ります。 しかし、ちゃんと二足歩行型に進化しきれなかったので、7割方は腰痛に悩まされる。 (わっしが何かというと寝転がって仕事をするのは、生物学的知見に基づく合理主義である) これはもう何回もブログに書いて耳がうんざりしているひともいるわけだが、人間の言葉は「お互いに理解するための手段」という機能になると用をなさない。 アメリカ軍がソナーで聴き取った眼前に人間が張った網の危険性について話し合うイルカのなかなかに複雑な言語とコミュニケーションツールとしてはそうレベルが変わらぬ。 それなのに存在自体は言語で出来ているのだ。 犬の夢は言語が介在しない。それはモノトーンの直截な映像であって、犬は「意味」というような不健全なものから自由である。 ところが人間は夢ですら言語を介して視る。 言語が介在すれば…..あたりまえのことだが…..言語の語彙のひとつひとつが持つ「歴史的な意味」にひきづられて夢ですら観念化してしまう。 人間は一見ひとりびとりが個人たる自分の考えに従って行動しているように見えてそうではない。言語が包括的に目指している大きなベクトルが向いている向きに向かざるを得ない…..そして、人間という存在の本質的な傷ましさは、そこからくるのである。 自然の変化は無論のこと巨視的にはゆっくり起こるが、たとえば富士火山帯がいっせいに火を噴くくらいのことは同時に起こりうる。 そんなこと、あたりまえじゃないですか、と地学の学生は言うだろうが、わっしはその程度の事象でも人間は文明というものの「住み心地」について考えざるをえなくなると思います。間氷期を生き抜く種として人間は「文明」というものを発明したが、この文明が産み出した言語という標識はベクトルが強すぎて、そこから一歩も出られない。 氷期が過ぎて地表が凍りはじめたとき蹄で氷を割れなかった大型動物はみな滅びてしまいましたが、人間の文明など、その蹄くらいにしか過ぎないのではないでしょうか。 この文明はたかだか人間が言語に酔って建築した幻影にしか過ぎない。 しかも(論理的に当たり前のことですが)言語は意識そのものなので、言語を獲得した瞬間から人間は自分の牢獄をつくってしまった。意識が届く範囲を宇宙と思いなすしかない謂わば「呪われた存在」になったのだと思います。 では人間がこのまま言語の限界でのたれ死にするかというと、わっしは、そうでもない、と思います。 人間は文明をかなぐり捨てて生き延びようとするに違いない。 逆説的ですが、そのときにこそ人間が建設して積み上げた文明の真価が問われるのでしょう。 文明を捨てる人間の第一号が言葉とすら訣別するときには、わっしも、みなさんも、もうとっくに土くれに還っているわけですが。

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無明

人間の一生というものの最大のバカバカしさは結局われわれはみな死んでしまう、ということにある。 人類の行く末を案じようが、幸せな家庭を築こうが、大金持ちになってやりたいことをやりつくそうが、みな呆気なく死んでしまう、という点では同じである。 立ち話をしながら、ちょっと姿勢を変えた人の靴裏で踏みにじられる蟻や、血を吸った後に逃げ損ねて平手でたたきつぶされる蚊と本質的になにも変わらない。 非常に美しい若い女のひとの解剖に立ち会ったことがある。 光に反射する金色の柔らかな産毛がまだ生きている人のようだった。 メスがはいると、その下から薄い脂肪層や他の器官があらわれる。 特に乳房のあたりにメスがはいる頃には肉体が服かなにかであるかのように感じられたのが不思議だった。 輝くように美しい肉体の下から、陳腐な筋肉や骨があらわれるのを見ていると、われわれの存在を超えた者が、われわれを憐れんでいる声が聞こえるような気がした。 実際、そのとき遠い遙かなところで嗚咽するひとの声を感じていた。 わしは、その頃から「魂」というものの存在を願うようになったのだと思う。 わしは元々機械論者であって「人間の魂」というようなものは認めない。 「魂」というようなものを認めてしまうと、わしが唯一堅牢な思想としてもっている「科学」を根底から否定しなければならないからである。 「科学」を思想として放擲するのは、わしには耐え難い。 宗教のような人間の狂気や攻撃性におおきく依存した思想やあるいはレトリックに依存した哲学が、それほど堅固な思考の指針になるとも思えない。 まして「科学者は自分たちの知見以外の存在を認めない傲慢な姿勢を改めるべきだ」というような、ここまでの人間の知的努力を一挙にしかも軽々と否定してみせる、それこそ「傲慢」な 通俗的「超科学」論者に至っては、見るのも不愉快だと考えた。 兼好法師は「人間が死を先のことのように考えて、あれこれ将来の計画を巡らすのは笑止である。死というものは、誰彼の傍らに立っていていきなり斬りつけてくるものだ」と言う。 その通り、としか言いようがない。 ラッセル卿は人間の自分の一生に「保障」を求めることの愚かしさを嗤う。 それもその通りである。論理的に矛盾した行為であって、しかも一生の保障を企画する人間などは人生をゴミ箱に捨てるのと同じである。 「よりよく生きよ」というが、しかし、それも結局死ぬためなのが、やはりバカバカしい。 こういうことを考えるわしのような状態を日本語では「無明」という。 そこに「自己の死」というものがある限り、わしの思考も感情もいっさいが価値をもてないではないか。 人間の言語の普遍性は、人間の生命の有限性と明らかに矛盾している。 その矛盾を解決しようとして人間が発明した概念が「魂」である。 だから魂というものの存在を願うが、それもただ途方もなくムダに死ぬことがあらかじめ決定されているという自分の存在を慰めたいだけなのかも知れない。 人間の言葉というものが実は明らかに人間の存在自体をあざ笑っているからです。

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日本人の肖像(2)宮崎繁三郎

ブログを閉鎖しているあいだ、日本との関わりがまるでなかったかというと、そんなことはない。わっしは日本語の本を最低一日一冊は読むことを日課にしているので、日本語は常に頭の中で活動してます。 だいたいテーマを決めて読む。 日本語を学習することの良い点は、日本のひとは言語的にマイノリティであるにも関わらず読書家であって何についても大量の書籍がある。 これが楽しいのす。 「戸籍」なら戸籍について、日本の食肉産業なら食肉産業について、いろいろなひとがたくさん書いている。なかにはものすごく変な本もあって、「日本に来た外国人」について20冊くらい買いためた本を読んでいたとき 「ルーシー事件の真実」(飛鳥新社)という分厚い本を読んだ。 これは基本的に犯人を擁護しようというかなり無理な試みをした本であって、小さな活字で796ページもある。 なんとかして殺された責任の一端はルーシー・ブラックマン本人にある、と言おうとするのにそれが自分で書いている端から論理が崩壊する、という不思議な本であった。 わっしのブログには閉鎖するたびに「どっかへいってしまった」コメントがたくさんある が、ときどきそれが見つかる。バックアップソフトが圧縮してとておいてくれたからです。 そのうちのひとつに、こういうのがあった。 ある日本人 (121.113.224.228) 『先の大戦では、我々日本人はアメリカに負けたのであって、イギリスに負けたとは 誰も思ってないよ。ロイヤル・ネイビーはたいして強くなかったし、ホーカー・ハリケーンやスピット・ファイアーは、ゼロ・ファイターには歯が立たなかったもんね。 何故イギリス人は、あんなに偉そうにしているのかね?』 ふむふむ、とわっしは考えます。これも日本にいると非常によく聞く意見です。 わっしはヒコーキ気違いなので、前半部分は議論したいことがいろいろあるが、この性格がワルソーな「ある日本人」さんとでは嫌である。「イギリスに負けたとは思ってない」という部分については日本の人がそう思っていることは、わざわざイギリス人の集まりに招待されて「イギリスには戦争で勝ったと思っている」と言った某大手企業会長もいたりするくらいで、連合王国人はわりとよく知っている、と思います。 知っているから、日本の人が「前の戦争を悔やんでいる」 と言っても信用しないひとがたくさんいる。心の中では「強いアメリカさえいなきゃ、また同じことをやってやるさ」 と考えているに決まっているからです。 こーゆー絵に描いたような「醜い日本人」が現れると、わっしはまともな日本人を思い出そうと務める。精神の健康のためですね。 「ある日本人」さんが読んでいないに違いない歴史に「インパール作戦」 http://www.kcnet.ne.jp/~kubota/ というのがある。「ある日本人」さん同様「イギリス人になんか負けるはずがない」と考えた牟田口廉也 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F が、大将への出世を焦って英印連合軍に対して起こした作戦であって、「ある日本人」さん並の杜撰な頭でつくられた作戦を発起した結果は、 投入兵力72000人のうち6万人 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/innparu.htm が戦死乃至戦病死したのす。 インパール作戦について知りたい人は、たとえば、高木俊郎の「インパール」「抗命」「全滅」「戦死」のような簡単なものでもよいから本を読んで見ればよいと思う。 顔がまるごと砲弾ではぎとられた兵隊が命からがら逃げてゆくところや、小便を垂れ流しながら力尽きて死んでゆく兵士たちの話は外国人ですら涙なしには読めないが、ここでは詳しくは触れません。 この作戦の殿軍を務めた宮崎繁三郎というひとは、わっしが尊敬する日本人のひとりです。 半藤一利という編集者が下北沢の小さな店(わっしは日本にいたとき行ってみたが残念ながら場所がわからなかった。むかしの地図の「久松眼科」の近くではないのだろうか?) に訪ねていくと戦争の話をいっさいせず、自分がインパール作戦中常に肩のうえに乗せていた猿を連れて帰れなかったことだけを口にして悔いるところがある。 この宮崎というひとは戦史をよく読んで見ると、すさまじいばかりの戦さ上手であって、 全軍瓦解した戦線にあって、食料も弾薬もなく武器とも呼べないような19世紀的な武器を使いながら、他軍の落伍者までを収容しながら、誇張でも何でもない地獄の戦線を退却してゆきます。 西洋ではまったく知られていないように見えますが、 これほど不利な条件の退却戦を最後まで破綻なく戦った例は戦史を通じて空前絶後である、と言っても良い。 しかも、このひとは戦後、マスメディアからの勧誘や大企業からの顧問就任の懇請も断って、小さな商店の主として死んだといいます。 … Continue reading

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日本人の肖像(4)早川徳次

Sharpのホームページをひらくと、いきなり 「まねされる商品をつくれ」 という早川徳次の声が聞こえてびびります。 「ひとつの製品を開発して、商品として売り出すまでにはいろいろと苦労がある。ところが、それがいいとなると他社もまた同じようなものを売り出す。日本人はまねがうまいと言われ、商業道徳上からこれを非難する人もいる。しかし、私は会社の研究部あたりには「他社がまねするような商品をつくれ」と言うのである。他がまねてくれる商品は需要家が望む良い商品、つまり売れる商品なのである。だから、いつも他がまねてくれるような商品を出すよう心がけていれば、企業は安定して成長していく。まねが競争を生み、技術を上げ、社会の発展になっていく。ただ、先発メーカーは常にあとから追いかけられているわけだから、すぐ次を考えなければならないし、勉強を怠ってはならない。また、一つが良いからといって現状に満足してはならない。元祖だからといってじっと構えておれない。さらにより優れたものを研究することになるわけで、まねされることも、結局は自分のところの発展に役立つと考える。」 と書いてある。 まるで日本の将来を提言しているようで、こういうひとが常に歴史を辿り戻ってみると存在するところが日本のひとのラッキーなところである。 わっしが中国のひとと話すといつも感じることは、彼らには「いま自分たちがやっていることは本当にこれでいいのか。こういうやりかたで大丈夫なのか」と、いつも自信がないことであって、わっしが考えるに、これは結局、「先達」というものがいないからのようです。 寄る辺、というものがないから不安でたまらない。 上の早川徳次の言葉の「他社」を他国と言い換え、「会社」を「自国」と言い換えれば、日本が進むべき道をそのまま言っているように見えます。 第一、なんちゅうカッコイイじいさんでしょう。 現代の「シャープペンシル」の原型は「早川式繰り出し鉛筆」と言って、この早川徳次が発明したものでした。日本では「こんな金属製の鉛筆なんかおかしくて使えるか」というので全然売れなかったがヨーロッパでは大評判でしばらくして合衆国でもバカ売れした。 Yard-O-Ledはいまでも「クラシック」デザインを、「伝統ある当社の誇り」と言って販売しているが、なに、あれはですね、実は当時の早川徳次の「シャープペンシル」に控えめに言っても「そっくり」である。 http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2000/sharp/sharp.htm わっしが大好きな日本の大発明「右からでも左からでも開けられる冷蔵庫」は、こーゆーひとの作った会社だから出来たのである。 あれで、もちっとまともなコンピュータを作ってくれるともっとよいのだが。 (わっしのAMDPCは購入当時から夏になるとノートブックなのに熱暴走します。 キーボードで火傷しそうになったこともあった。これを真似しようとする会社はないと思うぞ—>シャープのひと)

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人間が分別される日

「生態ピラミッド」のなかで最も個体数が少ないのは上位捕食者です。 あたりまえである。ライオンの大群が二三頭のシマウマを追っかけているような草原ではそもそも食物連鎖が成り立たぬ。 ライオンは空きっ腹のへろへろになって死ぬであろう。 五六匹の鰯を無数のマグロが追跡しているのでは、マグロがみなあらになってしまう。 地球の人口は現在66億9159万人である。 http://arkot.com/jinkou/ へんでしょう? とってもへんです。 生態ピラミッドの頂点の本来なら一億くらいしか立っていられない面積に67億という個体数がのっかっておる。 こういう自然の法則に著しく反した状態を「不自然」という。 なぜ、こんな不自然が起きてしまったかというと、人間の前頭葉に「言葉」という影が射して、そのあげく「人間には人権というものがある」と考えるにいたったからです。 なかには、「ちょっとくだらんやつが多すぎるから、減らしちまうべ」と考えたひとはいた。ナチスの宣伝班が1939年に出した本によれば「一見そうは見えないが、虚心坦懐に見ると、疑いもなく金髪で碧眼の」ヒットラー同志などは、そのひとりである。 ドイツ人の心眼はすごい。 あれが金髪碧眼なら、ヒットラーにあこがれるあまり髪型がそっくりになった上智大学名誉教授の渡部昇一先生などはブロンディ、と呼ばれても良いのではないか。 1945年に「あんな猿並の知恵しかないくせに自分が利口だと信じたがる連中は、みんなぶち殺せばよい」と前任者の生ぬるさを批判して、本当に全部ぶっ殺しにかかったカーチス・ルメイという狂信者もおった。このひとが「消しちゃうべ」と考えた対象は日本人です。もう一年くらい戦争をやっておれば、ほんとうに根絶やしになったでしょう。 カーチス・ルメイというひとは狂信者らしくやることが周到であって、深川を爆撃したときは、まず対象地域の外側をナパームで攻撃しておいて住民がまんなかに向かって移動した頃を見計らって渦巻き状にまんなかへ向かってナパーム攻撃をした。 「焼夷弾」などという言葉を使うから、ルメイ将軍の気違いぶりがわかりにくくなる。 あれは「ナパーム爆弾」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%BC%BE といって、一千度以上の高熱で対象を一瞬で焼き尽くし標的周辺の酸素を奪って窒息死させるので現代でもその効果の残虐さで有名な兵器である。 カーチス・ルメイ、知っていますか? この日本人をみな殺しにしようという計画を立てて、もう少しでその計画に成功しかけた将軍は、日本人を大量に虐殺した功績により 勲一等旭日大綬章を授与されて、満足して死んだ。どこの国の政府からかって?もちろん日本政府からです。 変わった政府もあるものです。 アメリカの無差別爆撃の不法を訴えて法廷闘争に論理上勝利し従容として死についた岡田資中将にはブリキの勲章もやらなかったが、ルメイには 感謝の勲章を与えた。深川の掘り割りを火のついた髪の毛を振り乱しながら死んだ6歳の女児や、赤ん坊を抱え込んで文字通り炭になった若い母親のような「極悪な自国民」をたくさん殺してもらったお礼なのだろうか。 閑話休題。 67億、というような個体数になると、 人権を守る、というようなことは、もう無理だ、と考える人がだんだん増えてくるのは当たり前です。 人間の平等などというのは人口が少なかった時代のスウィート・ドリームにしか過ぎない。 これからは役に立たんやつは、要らん、ということになってゆくようである。 移民の受け入れ、というようなことになると、すでにそういう選別は当たり前で、前にも書いたとおり、ニュージーランドなどはデブはニュージーランド市民になれない。 (BMI制限がある) http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080204/p1 永住ビザも取れません。 デブPという、わっしの友人は自分が老人になる頃には「社会にとって有益な人間にしか市民権の保持を許さない」ということになるのではないかとマジメにおそれておる。 あの怠け者がときどき狂ったようにマジメに働くのは、その恐怖感に因っているようだ、とデブPのやっぱり豊満なかーちゃんがゆっておった。 これを「人口が増えればデブが働く」という諺にしてもよい。 デブPは、たださえ不足すると言われている食べ物を4人分は消費するので、実際、市民の選別がはじまると危ないのではないか、とわっしも思います。 アメリカ人に生まれたからアメリカ人であって、日本人に生まれたから日本人である、ということが保証されるのはいつまで続くだろうか? … Continue reading

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日本人の肖像(3)中村雅楽

雅楽はむろん現実の人ではない。戸板康一の推理小説シリーズの主人公の歌舞伎役者です。わっしはもともと歌舞伎があまり好きではない。 なんだか通俗に流れすぎていて、しまらないような気がする。 わっしは断然能楽のファンであって、日本にいたときはよくこそこそと観に行ったものであった。 でも雅楽を読むと、ああ歌舞伎っちゅうもんもいいものかもな、ちぇっ早とちりして嫌って損した、と思う。 そのくらい魅力のある世界に雅楽は生きています。 中村雅楽の世界には「間の良さ」「品の良さ」がうまく混交されていて、丁度偉大な小津安二郎の映画の世界に似て、「日本」という国がかつてもっていた優雅さと静謐がよくわかるように描かれている。 かつては存在した文化の残照がいろいろな事件や人物を、その文化の文脈で浮かび上がらせる、という点で戸板康一はカズオ・イシグロのようである。 探偵小説としても、古典的な推理小説の文法を守りながら、トリックは斬新であり、あるいはいくつかの古典的推理小説をうまくひねってニヤリとさせられたりで、わっしは、日本の推理小説の最高峰であると思ってます。 歌舞伎座の前を歩くと、雅楽老人がタクシーから降りてきそうな気がする。 はちまき岡田のいすに座っていても、雅楽と竹野がのれんをすっとかきわけて入ってきそうな気がします。 わっしは、念願の「中村雅楽探偵全集」(東京創元社)を手に入れたので、今度、まとめて読んで見た。歌舞伎評論家が本業である、ということが災いしてか、余技としてしか評価されなかった戸板康一の腕の冴え、というか、その完成した美しい世界に5巻の本を読んだ後、しばらく呆然としてしまいました。 「松風の記憶」の最後、死にゆく歌舞伎役者が「松風の音が聞える、いいなあ松風は」 というところがあって、わっしは不覚にも泣いてしもうた。 「松風」という言葉に重層的に反響する意味合いを思えば、この歌舞伎役者の、死にゆくもののはかなさ哀れさというものが胸に迫って、人間の死や生きることの意味合いを思わずにはいられないひと言です。 わっしはガイジンなので雅楽になれないが、是非、大庭亀夫には修行して、いつかは雅楽のような立っているだけで日本の文化が香るひとになってほしい、と思うのであります。

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