夜中のステートハイウェイでクルマを駐めてヘッドライトを消すと、ほんとうに真っ暗になります。新月の夜などは手を伸ばすと、手の先が暗闇のなかに消えてゆきそうである。
空には圧倒的な数の星が輝いていて、空のまんなかを天の川が横切っています。
わしはいまでもニュージーランドにいるときには、田舎にでかけて、道の脇にクルマを駐めて外に出てみます。人口の明かりがひとつもない冷たい夜の空気を胸にいっぱいに吸い込むと「ああ、自分の国に帰ってきた!」と思う。
ニュージーランドという国は、わしがかーちゃんに連れられてやってきたころは、まだ人口が300万でしかなかった。経済上の理由からたいへん保守的な国民性であるのに勇気を振り絞ってアジアからの移民を受け入れ始める前でした。
いま考えると笑い話のようですが、まだ「ミルクバー」ではミルクシェークを錫のコップで出してた。「ミルクバー」も錫製のコップも連合王国ではじいちゃんやばあちゃんの代の話なので、わしは、すっかりおもしろくなって一発でニュージーランドという国が好きになったものです。
わしは、あの頃はコーフンの毎日であった。
まだ牧場を買ったばかりの頃、妹とふたりで家の前のくるま寄せで遊んでいると、「ふおー、ふぅー」という巨大な音がパドックから聞こえてくるのです。
妹とわしには、ニュージーランドの田舎にはまだドラゴンが生きていて、それがパドックに降り立ったとしか思えなかった。わしらはパドックの柵にへばりついて眼をいっぱいに見開いて必死にパドックのなかの真っ暗な闇のなかを見つめた。
近所のオランダ人家族のおねーちゃんに、「ばっかねえ、あれはポサムよ。ポ、サ、ム。知らないの?」と言って大笑いされるまで妹とわしはドラゴンスレイヤーの剣はどうやって手に入れるのか、ふたりでパニくりながら調べたのが昨日のことのようである。
あるときは夜中に目を覚まして、窓のカーテンを開けてみると、牧場全体が非現実としか思われないコバルトブルーに染まっていて、何事かと思って窓から外へ出てみると、満月の光なのでした。わしは、あんなに青く輝く月の光というものをそれまで見たことがなかった。妹を起こして、ふたりでこっそり長靴をはいてパドックに出ると、月を眺めた。だんだん気がヘンになってゆくようで、子供心に「なるほど「ルナティック」というのは、こういうことなんだな」と考えたりした。
ニュージーランドに越した(というか夏の4ヶ月を過ごすことになった)ばかりのときには、マクドナルドが町に一軒しかない(いまは、もっとあります。バーガーキングもある)ど田舎に越したのがショックでひきつけを起こしそうだったが、いま考えてみると、かーちゃんは、かしこいひとだったのであって、わしの人生のイメージが大自然から来ていることが自分の一生を生きてゆく上でどれだけ楽にしてくれたか測りようがないほどです。
夜、キャンプに出かけた森の中や、牧場のパドックにひとりで立っていると、人間がもともと感じていたある絶対的な「寂しさ」や「畏れ」というものが判るような気がする。
そもそも人間が文明というものの建設に向かった理由が利便性の追求などではまったくなくて、自分が「虚無」に取り巻かれている、あの感じ、自分の存在のあまりの小ささと無力に戦慄する、あの誰でもが自然のなかにひとりおかれたときに感じる、あの感覚に端を発しているのだと理屈ではなくて判ります。
わしはかーちゃんから借りたレンジローバーに戻ると、またヘッドライトをつけてモニが待つ友人の牧場へ向かう。
モニが初めてニュージーランドへ遊びに来た夏、妹と三人でパドックにサマーベッドを出して寝転んだ夜のことを思い出します。次から次に燃え尽きながらおちてゆく流れ星や不思議な定速で移動してゆく人工衛星というような、妹やわしにとっては「あたりまえ」 の夜空にモニはもうびっくりしてしまって、初めのうちこそまだ下手であった英語で一生懸命質問していたものの、しばらくすると黙り込んでただ空を見つめていた。
あとで隣に寝転んでいた妹が「モニさん、黙って泣いてた」と言っておった。
妹もわしも初めてニュージーランドの夏の夜空を眺めたときは、やはりなぜだかわからないのに涙が出てとまらなかったので、別に不思議なことではありません。
その感情は、(うまく書けませんが)、遠い祖先につながっているものであって、われわれの先祖が言語を形成した頃に胸に抱いていた存在の本質的な寂しさ、であるようにわしには思えます。英語でもフランス語でも日本語でも、言語に関わりなくわしらが言葉で話すときに影のようについてまわる、あの「寂しさ」はシンボルというものが一般にもつ寂寥感とはまた別の、自己の存在を取り巻く巨大な虚無への畏怖であって、それこそが人間の言語が因ってきたことところなのかもしれません。
「人生のイメージが大自然から来ていることが自分の一生を生きてゆく上でどれだけ楽にしてくれたか」
という一言に敬意を表します。
あなたは本当に素敵な日本語を紡ぎ出しますね。
僕自身も、自分の妻である僕の母に生涯を通じて無能であるといわれ続けた父と幼いころに行った奥多摩でのキャンプや房総半島の南の海辺の砂浜でラジウスを使って飯盒炊爨で食べたボンカレーのおいしかった思い出と共に残る自然体験での記憶が、今となってはそのことが精神の平安をもたらす何物にも代えがたいご馳走であることに今頃になって気付いている次第です。
自然の中に身を置くとちっぽけな自分との対比でなく、でっかい空や雲、大きな海原、底知れぬ深い海の中、どでかい宇宙、とどんどん物差しのスケールが大きくなって、この星で生き合うものたちの奇跡に感じ入り、涙が出ます。
そんな切なくて美しくて物悲しくて誇らしい僕の記憶を引っ張り出してくれたこの文章を有り難く思います。
ありがとう、ガメさん!
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