Daily Archives: August 26, 2008

縮んでゆく日本

8ヶ月の予定を大幅に短縮して2ヶ月で日本を離れてしまったので大きなことは言えないが、 日本の社会の様子は深刻に見えました。 わっしは、あんなに不調な日本を見たことがない。 空港から一歩出ただけで、「なんだか元気がない」感じなのです。 かーちゃんが若いときに訪れた日本は破天荒でびっくりするようなものがたくさんある国だったそうですが、それから22年経った日本は、さびれた田舎の商店街のようである(ごめん)。 なぜだろうか。 いままでに何回もいろいろなひとによって指摘されている産業構造上の問題は 前にも書いてます。 http://moa2008.wordpress.com/2008/05/11/%e5%a4%b1%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%9f10%e5%b9%b4/ シャチョーによると、この日のブログに(悪意をもって)2ちゃんねるにリンクを貼りまくったひとがいたそうで、あちこちのスレッドで、この「反日」ブログに反論する書き込みがたくさんあったそうです。 特に日本人の敵愾心をかきたてた部分は 「1980年代の終わりに計画されて1994年頃に実際の建設が始まった新しい世界は「IT技術」と「バイオ技術革新」と「金融革命」の三つの柱の上に立っていますが、 日本にはそのどれにもアドバンテージがない。種を明かせば旧経済世界において日本に完全に出し抜かれたアメリカ人の皆さんが、日本をアドバーサリ(adversary)と見なして日本のひとが不得手な三つの分野を足がかりに一発逆転を狙って目論見通り、世界の構造を変更して、まんまと目的をはたしただけのことなので当たり前とも言えますが、それにしても日本の政府も見事に相手の手に嵌ったものです。注文相撲ではないか。」 という部分であったようで、こんなどこにでも書かれているような部分にいまさら「反日」だと言って騒ぎ立てるひとたちがいるということだけでも驚いてしまいましたが、 シャチョーが引用して送ってきてくれた発言、 「IT技術が遅れている、というところだけとってもバカガイジンなのが判る。ニンテンドーDSやWiiは世界を席巻しているし、ゲームソフトだって日本のものが主流なのに。第一、携帯は世界一先進的で他の国を圧倒しているではないか」 という意見(ひとりではなくていくつかあったそうです)には、伝えてくれたシャチョーもスカイプで苦笑していました。 しかし、この意見は考えてみると、もう少しマジメに検討したほうがよいところが有るのかも知れません。ここには日本のひとの「IT」という概念に対する誤解があらわれているかもしれぬ。 ご存じのようにグーデンベルクの金属活字を使った活版印刷は世界を変えてしまいましたが、活版印刷技術だけなら14世紀の高麗人はもう実用化していました。 しかし高麗の活版印刷は世界どころか、高麗の社会すら変え得なかった。 アップルはパワーマックの頃、ユーリズミクスの「1984」をテーマ曲に採用して、アップルIIがもともと目指していた「オンラインにフックされた個人用のコンピュータ」がいまこそ世界を救うのだ、と大々的に宣伝しました。 全体主義者たちが勝利して、この世界を支配するようになっても、人間の手に個人が所有するオンラインのPCが一台でも残っていれば、まだ人間の側に勝利する可能性が残されているのだ、というのは、アラン・ケイ以来のコンピュータ人のロマンチシズムですが、ITは、そこから一歩積極的に「全体の部分としての個人」という従来の個人のありかたを完全に破壊しようとしています。 全体は個人と個人との関係におけるマッチング機能としてのみ存在する意義があるのであって、しかも未来においては不必要なものである、と「IT革命」(言葉としてはいかにも軽薄でカッコワルイ言葉だが)は主張している。 たとえば「国家」など、いらない、と言っているのです。 わっしが知っている会社の経営者はこのひとの会社の延べ200億円を投じたIT事業の失敗を嘆いて、「インターネットというのは、ほんとうに質が悪いよ。秘密は守られないし、なかなか金が取れん」と言ってましたが、そりゃそうです。 インターネットというものは、まっすぐに未来を見れば、いままでのビジネスモデルなど破壊しつくして企業の存在すら否定しようとしているのですから。 インターネットが紡ぎ出す世界にあっては、すべてのものが「分散」してゆくのは当然のなりゆきであります。どこまで分散してゆくかというと個人ひとりひとりにまで分散していってテクノロジーが単に個人間のノードとなるところまで分散してゆくのだと思います。 わっしは中国という国の未来にいつも悲観的で中国人の友達にかみつかれてばかりいますが、懲りずに言うと、国権主義的な国家はそれが国権的であるというだけの理由でも生き残っていけるわけがない。 「国家」などという「古い家」が、この先いつまでも機能すると考えている人というのは、わっしの考えでは相当にお目出度いひとだと考えます。 話が抽象的に過ぎると考えるひとたちのために話し方を変えると、いまの日本では、たとえばifeelgroovyのシャチョーが日本人であるのは当たり前のことです。 日本人の両親から日本で生まれて日本の学校を出た。 だからシャチョーが日本人であることは当たり前であって、役所に行けば住民票があり、 謄本がある。 でも、わっしは、そういうことすら未来においては続くと思っていません。 そんなに遠くない未来に「日本人として日本政府が適格である」と考えた人間にしか少なくとも100%の国民としての権利が与えられないだろう、と考えるだけの根拠があります。国家が国民を選別する日、取捨選択する日がきっと来るに違いない。 それはなぜかというと、いまの世界では前に http://moa2008.wordpress.com/1969/12/31/%e3%80%8c%e8%bb%a2%e5%9b%bd%e3%80%8d%e3%81%99%e3%82%8b%e3%81%b2%e3%81%a8%e3%81%9f%e3%81%a1/ に書いたように、個人の側で自分の国を選択することが普通のことになりつつあるからで、もし国家の側で個人を選別することを始めなければ、その国は遠からずゴミためになってしまいます。 日本のひとは「競争原理」というものがひとりひとりの個人にとってはいかに恐ろしいものか判っていないように、わっしには思えます。 わっしはつい最近まで自分でも驚くほど長い間日本という国が好きでしたが、その大きな理由は日本という国の、社会の競争のびっくりするほどの少なさからくる「生きやすさ」にあったと思っています。わっし自身は西洋社会の激しい「競争」に骨がらみなじんでしまっているので、激しい競争に勝利することがあたりまえになった、それがないとなんとなく物足りないビョーキな人間ですが、日本という誰にとっても(他の社会に較べれば)競争などないに等しいラクショー社会に生き残って欲しかった、という気持ちがあるのです。 … Continue reading

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