F4F ワイルドキャット

手を動かしてものをつくるのが大好きなので、わっしは、ガキガメの頃、よくものをつくった。いまでも犬小屋やつくりつけの本棚をつくるのは大好きであるし、朝起きてやる気があるといきなり壁紙を剥がしにかかって部屋の模様がえをする。

先週のように沈思黙考&才能のひらめきによって部屋の壁をピンクに塗りかえて「二時間以内に違う色に塗り替えないと離婚する」とモニに言われたりすることもなくはないが、作業の結果も通常はおおむね良好である。

自転車も「コルナゴ」のようなフレームと部品を別々に買って組み立てるのが好きであるし、自動車も18歳のとき買ったミニ・クラブマン以来、必ず一台はキャブレタのクルマをもっていて、エンジンルームをいじりまわすのが好きである。

もっともむかしむかし手入れ中のクルマに乗せられたガールフレンドの皆さんは、ダッシュボードなどという上品なものはとうの昔にはぎ取られていて、スタータは鍵など不要、リード線直結、あまつさえ床の穴から道路の表面が見えるクルマでデートさせられて顔がひきつりまくっていたが、そのぐらいのことで顔がひきつるのにドライブの後では「今日は大丈夫である」という度胸はあったのであって神秘であった。(下品でごめん)

かように「手を動かしてものをつくる」のが好きであったわっしはもちろんプラスティックモデルも好きであって、とりわけ飛行機が好きでした。

スピットファイアが好きだったのはもちろんですが、イギリス圏ではぜーんぜん人気が無いF4Fがわしは好きだった。遙か昔に生産中止になったエアフィックスもモノグラムも持っていた。レベルはもちろんである。

日本のひとなら必ず知っているに違いない、F4Fはミツビシが誇る軽戦闘機「ゼロ」と正面から激闘した機種であって、特に伝統的に先進兵器が与えられた試しがない海兵隊は

かなり後になってもこの戦闘機で戦わなければならなかった。

日本のパイロットで多少でも腕があるひとたちは、F4Fと出会うと垂直旋回、という破天荒な戦法に出ることが多かった。(日本の本を読むと誤解しているひとが多いようですが洋の東西を問わず、空戦で後上方に敵を見て垂直旋回するのは完全な自殺行為です)これに追従しようとして(もし追従できれば空戦の常識として旋回性能に関わらず、目前の零戦はもう撃墜したも同じだから)F4Fが 同様に垂直旋回に入ると、機体重量に対して絶対的にパワーが不足していたF4Fは旋回の頂上で失速、水平錐もみにはいって零戦の餌食になった。

実は、この「楽にF4Fを撃墜できる必殺技」が仇になって、空中で遭遇した場合、F4Fと誤認されやすかったF6Fに対して同じ戦法を用いた日本のベテラン操縦士たちは次々に逆に撃墜されてしまう(F6Fはパワーレイシオが桁違いに大きかったので、垂直旋回の半径はともかく旋回スピードは零戦よりもかえって早いほどだった)のですが、F4Fは、この手にひっかかって零戦との戦いに惨敗します。

その後、サッチウイーブ戦法を編み出してキルレイショでほぼ五分五分の戦いにもっていきますが、わっしがむかしコーフンしたF4Fの戦いはサッチウイーブ以前の空戦であって、F4Fが苦戦を重ねている段階です。たとえば真珠湾から引き上げてくる南雲中将はウエーキを空襲しますが、海兵隊のF4Fは寡兵でもって艦隊に打撃を与える。

出来の悪い飛行機に乗った出来の悪い操縦士たちが闇雲な勇気だけで戦った開戦初頭の何ヶ月かがわっしは好きなのす。

「優等生」(零戦21型)対「ダメガキ」(F4F)の戦いであって、しかし、アメリカ人たちは、しつこいほどの勇気で日本人たちを次第にうんざりさせてゆきます。

防弾装備のない零戦は一機撃墜されるとひとりの搭乗員が死んだわけですが、F4Fの搭乗員たちは、4回も5回も撃墜されても、「今度はぜえったいにまけねえ」と思いながら戻ってきた。

わっしはスマートで優等生的なことがすべからく嫌いなので、こーゆー状況になれば当然

出来が悪いF4Fのほうに心情は傾きます。早川義夫先生も言っているではないか。

「かっこいいことは、なんてかっこわるいんだろう」

わっしの尊敬するMLBの大打者テッドウイリアムスも乗っていた、このF4Fはスピットファイアや零戦のような第二次大戦中の「エリート」たちとは違って、どんな航空博物館でも冷たい扱いですが、わっしは、たとえばワナカの空中ショーにあらわれるF4Fを見ると胸が熱くなる。

ムスタングP51Dなどは当然レシプロの最高傑作ですが、「だからなんだよ」と思ってしまう。

わっしが1942年の戦闘機乗りなら、零戦には乗りたくなかったと考えます。

理由は簡単で零戦は「一瞬の失敗」も許容してくれない戦闘機だったからです。

わっしは何回失敗しても、装甲鋼板と防護ゴムとでともかく生き延びる可能性だけはあるF4Fの操縦席から脱出して落下傘の下にぶら下がりながら「くっそぉー、ゼロめ。次は負けねえぞ。目に物見せてくれるわ」と負け惜しみをつぶやくほうが良い。

機械といえど、文化の違いは出ます。

もっとも敗者復活戦のない零戦の設計者であった堀越二郎の自伝を読むと、堀越技師そのひとは日本帝国の「弱い者、失敗した者は死ね」という思想に強く反発を感じていたのが判ります。

1945年、防空壕から出てF6Fを目撃した堀越技師が「自分は、こんな戦闘機をつくりたかった」 と思うところは、感動的であるだけでなく、日本という当時背伸びをしまくっていた国に真正の航空機技術者がいたことが判って不思議の感に打たれます。

F4Fは装甲をやめて、防護ゴムも外せば垂直旋回を全うできたそうですが、それがわかっていても、どうしても装甲だけは外せなかった当時のアメリカ人エンジニアの技術に対する考え方の「健全さ」は素晴らしいと思う。

さんざん議論をつくした挙げ句装甲板を外すに至る三菱技術陣の記録と読み比べてみて、

文化の違いというものは、これほど深いのか、と考えて息をのんでしまいます。

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