Monthly Archives: September 2008

美しい生活

鴎外森林太郎は新聞の「著名人所蔵美術品アンケート」に答えて「少々、美術品らしき妻」と言った。 奥さんの写真を見ると少し受け口の当時の日本人好みの愛らしい顔をしたひとであったのがわかります。 森鴎外というひとは軍人の常として遊び人であった。 一方で机にうっぷして寝るのを習慣としていたほどの頑張り屋であって、しかし、文士仲間が真面目居士の鴎外をからかってやろうと思って芸者衆をあげての宴会に鴎外を騙して連れ出してみると、「まあー、リンさん、おひさしぶり!」と、どの芸者衆も森鴎外を知っていて呆気にとられてしまう。 明治の文士のナイーブさがわかる話です。 美しい女のひとが幼児のように好きな軍医総監であった。 それはともかく。 わっしの妻たるモニは誰が見ても「どひゃ」な美人です。 こういうことを旦那が言うと頭を疑われるが言わなくてももともと疑われているので、容赦なくいいつのると、油断したまま会うと腰を抜かすほど、モニは美人である。 前もって「美人だぞおー美人に会うんだぞぉー」と気合いをいれて会わないというとマジで腰を抜かして後ろ向きにいざりながら挨拶をしなければならなくなる。 イスタンブルでいちばんということになっているレストランで、わしらは食事をする。 ふと見ると、シェフが厨房から、こっそりカメラを構えておる。 モニを盗み撮りしているのす。 フロレンスのお祭りに行くとお祭りの扮装をした男どもが見物人のモニに記念写真をせがみます。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080322/p1 空港でなんの理由もなくサインをねだられたこともある。 一緒に店に入って何かを訊ねると男の店員はもちろん女の店員でも例外なくモニのほうだけを向いて話をしておる。 女のほうだけを向いて話すのは西洋の礼儀にかなっているが、それにしても、モニが客の場合は徹底しすぎているようです。 どうして、こっちには話さないの? わっしもハンサムなんすけど。 それとも、きみはわしを無視しているのかね。 わっしの友人どもに至っては、わしのあまりの幸運にうんざりして、いまはわしの夭逝だけを祈っているのではないか。そうでないと人生の公正というものが信じられないのでしょう。 モニとわっしのあいだには、たくさんの秘密がある。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080324/p1 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080325 それをいま全部話してしまうわけにはいかないが。 たくさんの秘密がある。 わしは、ちゃんとおぼえておる。 東京の秋は素晴らしい。 医科研通りの銀杏の落葉は黄金の滝のようです。 歩きながらモニの手にそっと触れると、モニの輝かしい緑色の瞳がわっしのほうを向いて煌めく。 モニの前腕の金色の産毛が秋になりかかった陽に輝いています。 美しいものの前には、どんな哲学も無力である。 どんな論理も顔を赤らめて去ってしまう。 先天的にお気楽なわしと言えど投資先の無様なパフォーマンスに悩むことがないとは言えぬが、それもモニの方角から、微かではあるがなんとも言えない匂いの「モニの匂い」がすると、どうでもよくなってしまう。 ヴィリエ・ド・リラダンは、その恋愛観に関して正しかったのであって、経緯がある恋愛などはくだらない。そんなものは、不要な過程なのす。 モニを見ていると、肉体というものが魂に対する刹那のデモンストレーションなのがとてもよくわかります。魂がどんなに普遍を求めても結局は肉体が誇示する刹那の美に打ち勝つことはできないのではないか。 人間の言葉は「美」というものに対抗するのが苦手なのではないでしょうか。 えっ? これだけのためにブログを書いたの?ときみは言うかも知れぬ。 そーです。そのためだけに書いた。 わしがどれほど幸福であるか、誰かに言ってみたかっただけです。 … Continue reading

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太陽が昇るとき  Wish You Were Here

ニューヨークで件の純粋培養日本人Hさんがいちばんぶっくらこいてしまったのは、人種や民族による差別が、ほとんどなくなってしまいつつあることであった。 こーゆーと、「いや、それは表面だけで…」と言いたがるひとが、必ずそれこそ人種や民族を問わずに出てくるに決まっているが、 そーゆーひとは単に「他人に意見を開陳するときは否定的に構えた方がカシコゲに見える」という非生産的態度を取っているだけである。 この世界の良くなりつつあることが、まだ完全でないのをあげつらって、せせら笑ってみせるだけしか能のないひとである、と思う。 わしは「人種差別主義者がいなくなった」と言っているわけではない。 身長で差別する人間もいるし、デブは人間がくだらないからデブになるのだ、とマジメに思っている人もたくさんいる。生まれや学歴で人間が差別できる、と考えるサル並の人間ですら、この世には存在する。 東洋人は容貌が醜いから半分しか人間でない、と真剣な顔で主張する狂った白人たちもいる。 (多分、鏡がない家に住んでいるんでしょう) 人種差別主義者や民族差別主義者という彼等こそがゆいいつ被差別に値するバカ種族は、脳が半分しかないわりに生命力は強靱であって、なかなか絶滅しないのです。 しかし、いつのまにか、彼等のほうが「特殊なひとたち」になって道化師に近いものになった。   合衆国の小説家ジェームス・ボールドウィン http://en.wikipedia.org/wiki/James_Baldwin は、1964年、初めて訪れた日本の、帝国ホテルの一室で鏡に向かった瞬間、その日一日が人生で初めて自分が黒人である、と意識しないですんだ(当時の日本では十把一絡げのただのガイジン、だからです)日である、ということに気がついて顔を覆って泣き出してしまう。 自分の魂にとって「アメリカ社会のなかで黒人である」ということが如何に日常絶え間ない負担になっていたか、自分がどれほど絶えざる緊張のなかで生活していたかを発見して、ボールドウィンは絶望的な気持ちになる。   それから半世紀近く経って、人間はやっとシャチョーならシャチョーというひとを見るときに「黄色人種東アジア人日本国いなかもんシャチョー」というふうに見ないですむようになった。 シャチョーは、ただ個人としてシャチョーであって、無意味にへらへらしていて、ときどきクビが電動こけしのようにういーんういーんと動いてコワイが、善良でマジメな努力家で家族にとってはほぼ理想的な父親である「シャチョー」なのです。   http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080110/p1   過去の人種差別や民族差別のバカバカシイ歴史を知っている人間にとっては、ユニオンスクエアで彫像のように動かないでいつまでもキスを交わしているアフリカン・アメリカンのにーちゃんとコーカシアンのねーちゃんのカップルを見ると心の底から「えがったなあー。 人間の社会も見捨てたもんでは、ねえな」と思う。 社会はこんなふうに、ときに不可逆的に良くなることがあるのす。   ニューヨークのLower East Sideで、有名な「老山東鍋」の1ドル餃子を食べていたら、東アジア人のカップルが窓際の席でデートしている。おっ、日本語ではないか、と思わずニコニコするわし。 ところが、しばらくすると中国語になった。終わりのほうになると、もどかしくなったのか男の子は日本語で女の子は中国語で話し出す。 日本へ住みに行く相談をしているのす。 女の子が、思い詰めたように英語で「アイ ラブ ユー」と言った。   わしは、その日の午後のあいだじゅう、このふたりのことを考えていました。 考えていた、のではない。祈っていたのだ。 なにを祈っていたかは、日本人であるあなたは知っているはずである。   新潟県の小さな田舎の町のレストランで、ジンバブエから来たアフリカ人のおばちゃんとスリランカから来たタミル人のおばちゃんが、でかい声で楽しそうに笑ってます。 日本語で話している。 ふたりとも集団見合いで近在の農村にお嫁さんとしてやってきた。 息子さんや娘さんの話をしている。 「日本人オット」のぐーたらぶりを笑ってます。 … Continue reading

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烏合のプー

団結せよ 万国の真夜中の白痴ども と岩田宏が書いたのは多分いまから50年近く前の冬の夜更けでした。 日本の詩は素晴らしい。 わしはスペイン語やフランス語の詩(このあいだ、モニに「アルチュール・ランボー」はやっぱりええなあ、となにげなく言ったら、ぷうーと吹き出されて「古い、ガメの趣味は、とっても古い。ノートルダム寺院のガーゴイルよりも、もっと古い、と笑われてしもうた。結婚しているひとびとは知っていると思うが、「妻」というひとたちはまことに無慈悲である)を素晴らしいと思うが、日本語の詩も劣らないほど好きです。 鮎川信夫の「橋上の人」や西脇順三郎の「最終講義」には「日本」がいっぱいつまっている。 鮎川信夫の描く「いっせいに空に向かう銃剣」のような戦争と戦争に赴いた若い人をそのまま描写する言語をもてた日本のひとたちをわっしは幸福であると思います。 日本の現代詩はすごい。 だから、わっしは何事か日本語で書かれたものを読んで頭の中の日本語を健全な状態に保っておかないと、と考えたときにはだいたい現代詩を読みます。 瀧口修造や田村隆一を読む。「ドラムカン」の詩人たちを読む。 団結せよ 万国の真夜中の白痴ども という表現には、真夜中、日本中のそこここにちらばって、孤独のうちにむなしく時を過ごす「同胞」への共生感と、お互いに理解しあうことが出来なくて、ただ離ればなれの分子で終わってしまうことへの苛立ちがうまくあらわれている。 この岩田宏というひとから、わしは日本語の使い方をだいぶん教わった。 たとえば、このひとが トーキョーはすでにトーキョーじゃない いけすかないいけずのいけすです と言うとき、わしは、このひとの思いを精確に理解する。 そーか、日本語って、こうやって使うんだな、と学習します。 わっしは(内緒だが)こっそり日本に戻ってきて、東京某所のホテルのテラスから 東京の夜景を眺めています。 明日は広尾のアパートへ向かう。 東京は昼間は世界でもいちばん汚い街(ごめん)だが、夜は美しい。 むかし妹とふたりで「空港リムジン」の窓に顔を鼻がブタハナになって痛いほど押しつけて「これが東京なんだ!」「すげえー」 とうなったときの感動を思い出します。 あのときはわしは日本語は出来なかったので、日本人というものがただの風景であった。 だから関心をもったり、おもしろがっていればよかった。 理解出来ない言葉で出来ている人間がコンクリートのビル以上の問題として他国語しか理解しない人間の眼に映るわけはない。 ところが一方で、その国の言葉をほんとうに理解してゆくと(わしが日本語をそのくらい理解できる、と言っているわけではない)、その国のひとの血にはいってゆくことになる。 その国の人間の体温を感じ、吐く息を呼吸することになる。 それが外国語を身につけることのいちばんバカバカしい点であって、頼まれもしないのにわっしはあたかも日本人であるかのように日本のことについて考えないわけにはいかむ。 日本語がわかるようになってしまったからです。 こうやって夜のテラスに椅子を出して、わしがいま何を考えているかというと、(わし自身がプーなので)、この夜の闇のなかでヒソヒソと活動する400万人(なのだそうです) の烏合のプーのことを考える。 400万人のプー! ニュージーランドの人口と同じ数です。 このブログに暴言を吐きにわざわざやってくるひとがいます。 医学もしくは心理学の心得が少しでもあれば、初歩の初歩、の知識である。 彼等は要するに外国人であるわしであるのに、わしに助けを求めてきている。 あの薄汚い罵り言葉は、しかし、本人たちにとっては切ないSOSなのです。 わっしは親切心、というものに根本的に欠けているので、全然反応しないが、たとえばモニが日本語を理解出来たら、絶対に草の根を分けてでもこういうひとたちの素性を洗い出して、どんな方法でも助けようとするでしょう。 わし自身を含めてよい。 この夜の空の下の「烏合のプー」 たちは、明日はどうするであろう。 … Continue reading

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鎮守の森で

土を盛り上げただけの細い道を歩いてゆくと、頭のうえに広がった輝くように青い青空とまったく同じ青空が足下にも広がっている。 風が強い日にはとても水蒸気で出来ているとは思われない質感の大きい真っ白で巨大な積雲が頭上と足下とで素晴らしい速度で移動してゆきます。 息をのむような美しさである。 どこの話かって? 日本の水田の話をしているのに決まっているではないか。 あの「二枚の空」の中間に立ったことがあるひとは、一生その美しさを忘れないと思う。 わしらの言葉ではmeadowという言葉には特別な響きがある。 ゆるやかな丘陵がつらなっていて太陽に輝く草原がどこまでも続いている。ところどころ牛が草をはんでいて、点在している樹木の葉が風にあおられて、きらきらと反射する。 自然は国によって異なるが、どこにいても美しい、と思う。 わしは旅行ばかりしているが、やはり都会よりも自然の多い田舎のほうが好きです。 ifeelgroovy.netの「シャチョー」が「日本にいるあいだに、とにかくおれの故郷を見ていってくれ」と言ってうるさいので、シャチョーの故郷、新潟県松之山、というところに行ったことがある。 http://blog.livedoor.jp/matunoyma_sato/?p=5 シャチョーが熱狂的に自慢するだけあって、美しい町であった。 ほんの僅かな斜面の平地にも田がつくられていて、その小さな小さな耕地の端正な作り方に、わしはなんだか泣き出したくなるような感動をおぼえた。 見ているだけで、その小さな田をつくったひとの祈りが伝わってくるような耕地であったからです。 くるまでしばらく行くと、今度は驚くべきことに「鎮守の森」がそのまま残っていた。 日本のひとたちが知っているように「鎮守の森」は明治政府の命令によって全国的に破壊された。南方熊楠 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0 という変わり者の、しかし偉大な魂をもった学者が必死の反対運動を繰り広げたが、 アニミズムの痕跡を色濃く残していた神社の国家宗教化運動である「神社合祀」の号令のもとに進められた国家の命令に対して、ひとりの「へんくつなバカ学者」の運動など「蟷螂の斧」でしかなかったのである。 だから在所の鎮守の森、というようなものは、そのときに絶滅したのだとわっしは信じておった。 わしが当時日本で乗り回していたオンボロのMX5で起伏の多い国道を行くと、途中で「まるで鎮守の森であるかのような小さな森」を行きすぎた。 わしは狭い道から脇の用水にこけそうになりながら、くるまをまわして、その場所までもどった。 くるまを駐めて、その森のなかに歩いてはいったとき、友よ、わしはほんとうに泣いた。 それは、いまは存在しないはずの鎮守の森であって、名前も扁額もないその社は、鬱蒼とした巨木の林のなかに佇っている。 精霊たちが雄大な枝振りのそこここに座していて、お互いにささやき交わしている。 きっと「なーんじゃ、このへんなガイジンは」とでも言っていたのでしょう。 わしは、その森で、陶然としてしばらく夢を見ているような気持ちであった。 そこに立っていると、木を切り倒し、在所の神社を破壊したときに失われたものは木と古びた建物だけではないのがよくわかります。 日本のひとがともに育ち、日本のひとに言霊を与え、日本のひとに独自の感情を与えた精霊たちも一緒に殺してしまった。 素朴過ぎることをいうようだが、 日本のひとがやったことで、いちばんよくないことは自国の自然を破壊したことである、と思う。 それは自分の臓器や手足を切り売りして100グラムいくら、で売り渡してしまったひとと似ている。わっしは本州のいろいろなところに行ってみたが、もうわしが行った頃では日本の、本来は気が遠くなるように美しいはずの自然は、もう「かけら」としてしかのこっていなかった。砂浜はコンクリートで寸断され。川は、巨大なコンクリ用水のような無様さであった。 ロンドンというのはいまもむかしも碌でもない街だが、エールを片手に土で出来た堤のわきに腰掛けて草の匂いをかぎながら友人と議論できるパブが、まだいくらもある。 東京に明治の頃は築地の海軍将校たちが酒を飲めば連れだって泳ぎに行ったという隅田川が残っていたら、どれほど素晴らしかったろう、と思います。 銀座の盛り場から盛り場をめぐるボート遊びは、どんなにか楽しかったろう。 まるで自分の肉体を子供たちに食べさせて、ついには死に瀕している母親であるかのような日本の国土のことを考えると、傷ましい、という以外に表現が思いつきません。 なぜ自分で自分を傷つけるようなことを繰り返すのか。 わっしは、これからその理由を学習しようとしているところです。

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改築中

ここには過去わっしを誹謗中傷してきたひとたちについての記事があったが、どうも醜悪な人間の話は自分で読んでも気分が よろしくない。第一醜悪さがうつりそうである。 したがって削除します。 コメント保存のためと、川奈の写真は綺麗なので残しておく、というか、そのうち違う記事をこの日にのっけておくことにすると思います。

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第三革命

メキシコ・シティでもニューヨークでもバルセロナでもフロレンスでも、ゲバラの肖像をあちこちで見た。ゲバラはここ数年「静かだけれども確実に成長しているブーム」になっているように見える。 こんなふうに言うと、「えっ?ゲバラなんて、もう古いよ」という通りでたむろする高校生の声が聞こえそうだし、「ゲバラが「ブーム」って、そんなケーハクな」と言って共産主義者は卒倒するであろう。 でも、わっしはどちらの見方も当たっていない、と思います。 わしはオオマジメに、ちゃらちゃらしまくったユニオンスクエアのジーンズ屋の店先や、 テポツラン http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080117/p1 の土産物屋の店頭のTシャツ、バルセロナのちびたちのシャツの背中や、フロレンスの鞄屋のおっちゃんの胸で、少し遠くを見ているゲバラの肖像は、ひとびとの「ある願い」を表している、と考えるからです。 レディ・サルサ、といういまでも世界中で興行をぶって歩いているキューバ人の一座がある。わしも、これがクライストチャーチに来たときに行ったことがあります。 「サルサ」なんていうものがクライストチャーチのようなもともと「真っ白、どアングロサクソン」な町にくるのは珍しい。 わしは、かーちゃんに連れられて出かけたのでした。 ガキだったせいもあるかもしれないが、結構、楽しかった。 市民ホールいっぱいのクライストチャーチの町の衆も、大喜びでした。 終盤、一瞬、ステージが暗くなると、ステージ後ろの巨大スクリーンいっぱいに チェ・ゲバラ、 エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ ((Ernesto Rafael Guevara de la Serna)の顔が映し出された。 レディ・サルサが、ひとりでステージの前に出て、こんなふうにゆった。 「わたしは小さな時から、エンターテイナーになりたかった。わたしが「エンターテイナーになって、世界のひとを楽しませるの」と言うと、白人の「旦那方」が、みな笑った。 「おじょうちゃん、それは無理なんだよ。鏡を見てご覧、おまえの肌は褐色ではないか」 。みながそう言って、わたしに諦めさせようとした」 「ある日、町にゲバラがやってきた。わたしは、「チェ、わたしはエンターテイナーになりたい、褐色の人間はどうしてエンターテイナーになれないの?」と聞くと、ゲバラはわたしを抱き上げて、「もちろん、なれるさ。人間は、肌の色とは関係なく、誰でもなりたいものになれるんだよ」と言った」 レディ・サルサの話が終わった後の沈黙は、複雑なものだったのがガキのわしですら、わかった。ひねガキのわしは、「これって北朝鮮楽舞団みたいなものなのか?」 とか「レディ・サルサって、いったいいくつだ?」とか一瞬考えてしもうた。 なんで、こんなところで政治宣伝が出てくるんだ、と考えて不愉快になったひとも多かったでしょう。 かーちゃんが、どう思ったかは、訊かなかったので、知らん。 長じて(長じたのではなくて、ただ物理的にでかくなっただけだとも言われているが)、 あちこちに旅行するようになると、わしは世界中のあちこちでゲバラの肖像が掲げられているのに気付くようになった。 2004年にロバート・レッドフォードたちが制作した「モーターサイクル・ダイアリーズ」(Diarios de motocicleta)は、わしも見た。 ゲバラの伝記を読むと、この旅行がゲバラに与えた影響の大きさが読み取れる。 バカ白人たちに汽車の一等客室から文字通り放り出されて有色人種に生まれたことの悔しさに泣いたガンジーの事件と同じくらい、エルネストは南米のひとびとの生活の現実を見てショックを受ける。 ゲバラは資本主義が産み出した貧困と搾取に対して立ち上がるが、拠って立つ理論である共産主義に内在する欠陥や、人間性というものの卑しさに包囲されて、ほとんど何事もなざずに犬死にしてしまう。ゲバラの厳格すぎた態度がひとびとの反感を買い続けた、とも言う。 家庭を顧みない父親であって、妻に家庭のことはすべて押しつける夫としても最低の人間であった。 しかし、それでもゲバラの記憶はひとびとのなかで次第に大きくなってくるのであって、その緩慢だが大きな動きは決して止まらないように見えます。 … Continue reading

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ひとと出会う

手元にないのでうろおぼえだが、岩田宏の「夜半へ」という長い詩の途中で、お抱え運転手と工員が革命前夜の路傍で出会うところがある。 運転手は工員の手を握りしめて、こう言うのだ。 おれたちは初対面だが もし会えなかったら どうしようかと そればかり考えていたよ 岩田宏は鎌倉の駅前でくるまにひかれそうになったおばあさんを、さっと助けてしまう「さっそうとした青年」に対する屈折した気持ちを書いた「信じないで!」や「二十五歳の失業者が五十二段の階段をゆるゆるとおりてくる」で始まる、あの有名な「神田神保町」を書いたすぐれた詩人ですが、わしは「永久革命」と、この「夜半へ」がいちばん好きです。 街に出て新しい友だちが出来るといつも、この詩句を思い出す。 逆にわしが日本語世界より英語世界のほうがいいな、と思うことのひとつに「誰とでも気楽に話せる」ということがあります。 アメリカでは「エレベータ」という文明的な余韻のない名前で呼ぶことになっている「リフト」のドアが開いて、わしは乗り込みます。そこには「おはよう」と言う訛りからしてオランダ人とおぼしきおっちゃんが乗っておる。 「どうも、このホテルはモダンすぎるね」と、おっちゃんが言う。 「うん、まったくモダンすぎるというのは常に由々しき問題ですなあ」と、わっし。 「アメリカ人的信念、でしょうね」 「きみはイギリス人かね?」と、おっさん。 「いや、わしは自称ニュージーランド人ですけど、普通にはスコットランド人、でしょうね」とスコットランド訛りを出して言うわし。 ほんとは半分だけのスコットランド人なわけだけど。 「スコットランド人! スコットランド人はいいねえ。きみがもし歴史的背景というものを考慮する人間ならば、苦笑いするだろうが、おれはイングランド人よりスコットランド人のほうが好きだからな」 「じゃあ」 「また、あとで」 そんなふうに普通に話す。 フランスのひとだって、普通に、そうします。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080208/p1 あるいは、わしのとても仲の良い友だちのひとりは、わしが長い間趣味にしていたボクシングの好敵手です。アフリカ系のフランス人。ヘビー級のボクサ-としては足の軽いひとで、しかもクレバーな選手だった。わしらはスポーツを通して良い友だちになった。 わしは、この友だちによく手紙を書きます。 モニと結婚するまではよくわしのフランス語をなおしてくれた。 電話の向こうで大笑いしながら、わしのフランス語を直す、この友だちの知的な声をわしはいつでも好きである。 おれたちは初対面だが もし会えなかったら どうしようかと そればかり考えていたよ わしらは、みな死ぬ。 どんな人にとっても、これは巨大で致命的で不可避な哲学上の事実であって、それを大したことがないことである、と言いたがるひとたちは本居宣長が言うようにただの嘘つきである、とわしは思います。 われわれの人生の価値が一瞬でゼロになる瞬間が誰にも訪れる。 わしが死ぬ瞬間、わしはモニと一緒だったことをいちばん思い出したい。 そこで思い出せないと来世でもう一回会えなくなるかもしれないので、これは特別に重要である。その後、 それが叶うならば、その後に、友人たちと一緒に笑ったことを思い出したい。 ぐでんぐでんに酔ったチビ女のKを肩に乗せて「ほれ、いけ、吐け」と行って肩に乗せたまま無茶苦茶吐かせながらその場でくるくるまわって「嘔吐風車」をやった夜や、みんなで夏の牧場のパドックに寝転がって空一面に広がった星の名前を言い合ったことを思い出したい。 旅行に行った先のひとたちのことを思い出したい。 握りしめた手のひらの感触を思い出したい。 クエルナバカで「別れるのが辛い」と言って、わしの肩にまわしてくれたひとたちの手のひらの暖かさを、思い出したい、と思います。 バルセロナで「あなたに神の加護があるように」と言って、口づけしてくれたひとたちの唇の感触を忘れずにいたい。 うまく言えないが、わしの存在などは、わしが出会ったひとの感情のあえない反映にしかすぎないのではないか。 … Continue reading

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ヒーロー

ハリウッドの映画を見ているとなんとなく落ち着かないのは、平凡と思えた自分が実は「ヒーロー」であった、というお話が多いことであって、アメリカ人と異なって「ど現実主義」の文化で育ったわしは、「そんなわけあるか、アホ」とすぐ考えてしまう。 そう、わしらは根性が悪いのです。 こーゆー映画ばかり観ていると終いには「自分と言えど必ず特別な何ものかである」と思い込んでしまうひとが続々と出来てしまうのではないか。 現実の世の中では「自分が特別ななにものかである」なんということは、保証しても良いが、まず起こらない。ただのヘーボンなひとです。 ずっとヘーボンなのであって、ヘーボンな赤ん坊として生まれてヘーボンなガキとして育ってヘーボンな若い衆になってヘーボンに死ぬのす。 ぼけっとしてヘーボンな人生を送れるわけではなくて、われわれはヘーボンに暮らして死ぬために必死で頑張る。 皆の衆、それがジンセイというものである。 なんちて。 わしは賢いガキであったので、そういう人間の一生における厳然たる事実を早くから学習しておった。 たとえばわしは6歳くらいの頃は主観的にはニンジャであって、かーちゃんが日本土産で買ったオリエンタルバザール(ハラジュクにある日本風ぱちもん屋さんの名前だす)だったかで買ってきてくれた「ニンジャセット」に身を固めて近所を闊歩しておったりした。横走りもしたな。 特別な存在になったので、用水をジャンプで飛び越えようとしたら、対岸に届かずにこけて、もう少しで溺れて死ぬところであった。 おまけに、その後、二週間ばかし「あのアホなかっこで歩いていた変な子」とゆわれた。あるいはあるときはマハラジャの魔法使いであって、主観的には念力で風を起こすことも出来た。煙に向かって念じると、右に曲がれと念じれば左、左と念じれば右、と正義のマハラジャの魔法使いに対抗する悪い魔法使いに支配された煙の悪意に翻弄されたりしたのである。 世界が自分の思うままにはならぬ、ということをここにおいて、わしは初めて学習した。 人間は特別な存在であったりしない。そんなことは、金輪際おこらない、というのはわしの文化圏の人間の必須教養の「その一」です。 その正念が人生を楽にするのす。 「自分がなにものかでなければならぬ」という人生観は辛い。 たとえば日本のひともよく「自分にあった仕事を探さねば」と言いますが、要するにそれも「自分が特別でなければならぬ」という強迫観念から来ているのだと思う。 仕事などというものはみなで山車を押しているようなもので、社会という山車を動かすためにひとがいなくて空いているところに駈けていって、肩をあて痛みに耐えて、ぐっと力をこめて皆と一緒に押すというだけのものである、とわしは思います。 「自分にあった仕事」 なんて、あるとは思えぬ。 ハリウッド映画を観て、「そうか自分もなんらかの意味でのヒーローにならねば」と考えることは、人間を不幸にしかしないようにわしは考えます。 いーじゃん、適当で。 十人並でいっこうに構わん。 なにものか、なんて、そんなビッグX http://jp.youtube.com/watch?v=-sn0dT7KfQ4 みたいなものになって、どーする。 というわけで、わっしは今日も平凡めざして労働するのだ。 と言っても例によって根性なしのわしの労働時間って、二時間だけだけど。

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外国語

シャチョーとスカイプで話すと、「どうやったら英語が上手になるか」ということを言葉を変え表現を変えて一度は訊かれる。 第52代横綱北富士はコカコーラを絶対に飲まなかった。 なぜか。 「体に悪いから」、ぷー、外れっす。 正解は名前が「ペプシ」だからです。 なんちて。 中国語では「北富士」はペプシ、と読む。 わしは、言葉をおぼえることからくる、こーゆーくだらないことが好きなのす。 言葉を覚えるのは、わしの暇つぶしのひとつである。むかしは好きでなかったが、日本語という言葉があまりに面白かったので、最近は、このブログを書いているように結構まめに外国語を書いたり読んだりして遊ぶ。 母国語で書いたり読んだりするより、ずっとオモロイ。 テアモー、レグレサーとかいってたほうが、アイラブユーというような間抜けな表現よりずっとかっちょいい、と思います。 わしはガキの頃からひとを笑かすのが趣味だったので、外国語でも、絶対にその国のひとを笑わす努力を怠る、ということはない。 そのひと(日本人の女のひと)と、 わしは道をあるいておった。 遠い昔、(3年前、かな?)わしが初めて日本へ住んだときのことである。 世田谷の松原、というところであった。 そのひとは、歩きながら、わしに日本の言葉をいろいろ教えてくれていたのである。 たとえば、わしのようにハンサムで賢くて気立てが良い若い人間のことを「好青年」ということなどは、わしはこのとき教わった。 わしは、あちこちいろいろなものを指さしては、「あれはなんという?」「これは、どんなふうにいう?」 とうるさく訊いておった。 そのうちにチャンスが来たので、わしはさりげなく傍らの家のブロックを指さして「これは?」と訊くと、彼女は「塀、でしょ」 と言う。やった! わしは、おもいきり力をこめて「へえー」 とゆった。 これが前の日に必死に考案した記念すべきわしの日本語における冗談第1号であって、ちゃんと通じるかどうか不安であったが、この女のひとは身をよじって笑い転げてくれたので、わしは大満足であった。 その後、この笑いの意味が、わしの理解とやや異なっているのがわかって失意落胆するのに2分もかからなかったけどな。 アーサー・ウエリーというかわいげのないイギリスのおっちゃんは「日本語は難しいから少しは語学が出来る人でも始めてマスターするのに一ヶ月はかかるであろう」と、自分で書いた教科書のなかでゆっておる。このひとは源氏物語を訳したひとです。 このひとは実際日本語をまともな辞書もない状態で、まったくの独力で3週間程度で完全に身につけた。 わしは始めてから一ヶ月ではふりがな付きの「伊賀の影丸」も読めなかったので、ひどい劣等感におちいった。やはり自分には外国語をおぼえる才能がない、と考えた。 もっともわしは当時は女の子を追っかけ回すのに全エネルギーの92%が使われていて、残りの5%は某科学、2.5%はボクシングとボート漕ぎ、という頃だったので、まあ、あんまりちゃんと勉強してないからな、と考えて自分を慰めた。 もっとも知り合いの中国語と日本語が堪能なおっちゃんに「3ヶ月たって完全に習得できないようなら、その言語は諦めたほうがよい」と言われたときは、もう絶対に日本語には手を触れない、と決めた。 日本語をベンキョーしだしてから、5ヶ月が経っていたのに、わしの日本語はパーペキからほど遠い状態だったからである。 外国語とはなんの関係もない人生を送っているのであるから、そういうことを気に病まなくてもよさそうなものであるが、しかし、なんとなく自分が果てしのないアホに思われて、良い気持ちではなかった。 それが上のおばちゃんも、そうであるが、えいやっと日本に実際に来てみると、親切なひとや会うとすかっとした気分になる人、可笑しいひとがいっぱいいて、そういうひとたちと日本語で話すことで、すぐに日本語を覚えてしまった。そーか、あの日本語が出来なかったときの状態を「畳の上の水練」というのであるな、とひとりごちた。 外国語はベンキョーしても、ダメである。文法もベンキョーしないようでは、もっとダメだが、やって面白くないことは、やはり続かん。 観察していると、「ひとと意思の疎通をはかりたい」と強く思わないひとはやはり外国語が上手にならないし、母国語の能力も劣る。 このブログのコメント欄にも、ときどきそういうひとが来てゲンナリするが他人と話すという目的が「自分をエライと思いたい」「相手に自分がエライと判らせたい」 であるという悲しいひともこの世界に存在するのであって、それが小さな見栄である場合は、かえって楽しいが、たとえば昨日やってきた 匍匐葡萄 (198.65.122.125) … Continue reading

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風渉人

このブログのコメント欄にときどき「windwalker」さん、というひとが来る。 いまごろは自分のコメントが不用意に削除されたので、トンガリ人間windwalkerらしく、ぶーたれているに違いない。削除は、(あとで書くけど)事故なんだけどね。 このひとが初めに書き込みをしたときのことをわっしはまだおぼえている。 ものの2分もしないうちに「windwalkerというひとは韓国人に対する民族差別主義者だということを知っていますか。是非すぐ削除すべきだと思う」「こんなひとを放っておいたらたいへんだと思う。このひとはとんでもないひとです」大略そーゆー趣旨のメールがふたつ瞬く間に来たのでした。 そーか、そんなにひでえやつなのか、とわっしは考えました。 わしのブログは実はmoa2008のほうに行くと、自分のメールアカウントを教えることが出来るので、ブログを通したお友達の中でもコメントを露出したくない人はメールを書いてくることがあるのです。 「enjoykorea」という韓国政府運営観光サイトみたいな名前のところに行くと、いかにwindwalkerというひとが悪質な人間であるかわかるそうだが、めんどくさがりのわしは、そのサイトに行ってみたことがない。 でも、まあ、ふんじゃ、windwalkerさんのコメントは削除すんべな、と思って読んでみると、豈図らんや、書いてあることがまともなのです。 精確に言うと、書いてあることはマトモでは全然ない。 でも、書いてあることの骨格がまともである。 「自分の頭でものを考える」という珍しいことが出来るひとなのでした。 どうも、考える内容がろくでもないことばかりだが。 windwalker 『なるほど、俺の定義だと「社会と葛藤を起こさざるを得なかった思想の持ち主」は『変な人』ということになりますな。単なる変人か、偉大なる変人かはさておいて。 頭の出来ではなく、意思のありようの違いをもって天才と表現するのは、どうもしっくりこないな。 なにより、あなたの定義では俺は天才ということになってしまう。 ただこれは先の文章で「天才以上の天才になれる」と表現した部分と重なるところでもあるので、部分的には認識が重なってはいるようだなあ。』 「なにより、あなたの定義では俺は天才ということになってしまう。」 とかというような発言を読むと普通のひとは吹き出してしまうが、わしは、windwalkerさんというひとと、たとえば2ちゃんねるからこのコメント欄にやってくる根っからマヌケなひとびととは、ここにおいて、違いが明らかだと思います。 このひとは「自分が天才である」と言おうとしているのではなくて、あなたの論法をあてはめてみると、自分は天才である、ということになるが、それはおかしくはないか、と心から思ってるんすな。 ただ論理的な帰結を述べようとしている。 変なひとです。 100円ショップの材料だけで世紀の料理をつくろうとしているシェフと言えばよいか。 windwalkerさんの発言を眺めていると、前にも書いたが、まるでボンタンをはいて額に剃り込みをいれたにーちゃんが門前に立っているようであるが、そーゆーわけで、このひとはまともなひとです。到底そーは見えないが、わっしが保証する。 それが息苦しい、と思う人は、おもいきってボンタン小僧windwalkerを無視するとよいと思います。 だから、怖がらないでコメント欄に書いてくださいね、と書いていたら、偶然にも、いま、その当の本人からコメントが付いたな。 ラビ・バトラって、誰でしょう?

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新金本位制

The Wall Street JournalやFinancial Timesの論調は今日になるとだいぶん変わってきてしまっている。不必要な動揺を引き起こさないように暗黙のうちに使わないことになっていた「世界大恐慌」という言葉を使い出しています。「もう誰が見ても明らかなのだから」 ということなのでしょうか。 その頃は日本に関心がなかったので、日付まではちゃんとおぼえていないが多分、1998年くらいのサイト上の記事を先生が引っ張り出してきたのだと思う。朝日新聞は、たった一日市場の株式価格が急降下したときに「世界大恐慌か?」という見出しを掲げて、読者の不安を煽ったことがある。 なぜ、そんなことを知っているのかというと、 わしは、これを他のガキどもと一緒に自分の高校の先生から「腐敗したジャーナリズムの典型」として教わった。先生の奥さん(日本人)が英訳したとおぼしき記事の内容を見ると、なんの取材も現実の裏付けもなしにただその記者が株式の下げ幅にぶっくらこいて「これって世界恐慌なんじゃねえの?」と思った、というだけの記事で、 わしらのガキ頭よりもお粗末な記者の頭が創作した記事に「日本って、おもろい国だな」と考えたのをおぼえています。 朝日新聞社だけで言っても、調べていないから判らないが、いったい「鬼畜米英を膺懲せよ」「開戦をためらう政府の弱腰を叱る」でぶいぶい言わせた責任は、自分たちが煽りまくった戦争の結果国土を焦土と化させたことの責任は誰がどう取ったのだろう? それとも戦後の「一億総懺悔」キャンペーンで、読者に責任をまるごとおっかぶせて終わりなのか? この「恐慌記事」にしてもイギリスやニュージーランドなら、こんな与太記事を書くと、悪くすると刑務所行きである。 どんなに運がよくてもクビだけは間違いない。 オーストラリアならダイジョビかも知れないが。 The Wall Street Journalが速報リリースしたビデオを観ると、AIGの危機に際して、 「持ち株会社である「ウォールストリートのAIG」が仮に破産してもサブサイダリである個々の保険会社は業務上の影響を受けないこと、最悪の事態が生じてサブサイダリ自体が倒産しても、個々の保険ポリシイ(日本語がわからん)は連邦法によって守られていること」のふたつを、ネクタイが曲がったままでやつれはてた感じの記者が繰り返し述べていて、わしは「アメリカ人はまだジャーナリストとしての良心を残しているではないか」 と考えてなにがなし感心してしまった。アメリカ人は、まだジャーナリズムというものが何のためにあるのかを忘れてはいないのであって、アメリカの報道会社と言えどFOXのような芯からくさった会社だけではないことがわかる。 わしのブログをむかしから読んでいたひとは、特にコメント欄まで読んでいてくれたひとはおぼえているかも知れないが、わしは、要するにこのときのために世界を半周して観察していた。ブログに書いたように引き払うべき事務所は引き払い、撤退すべき場所から撤退した。ニューヨークでは、そのせいでMBAたちに「こんな好機を見逃すなんて、おまえは投資がわかっているのか」 と言わんばかりの態度をとられて、あったまに来て相手と決裂した日のことも書いた。 脳みそのくさったケーハク秀才のチャールズ川くさいMBAどもよりはわしの判断のほうが正しいのはあたりまえだが、いざ現実が姿を立ち表すとなんだかSFが現実化しているところに立ち会っているような不思議な気がしなくもない。 いま起きていることの最も根源的な原因は、実体経済に対して(金融革新の需要に応じて)増大した通貨の量にある。通貨の行き場所がなくなってしまっているのです。 たとえばケイマンに座り込んだファンド由来の通貨は、どこにゆくところがあったろうか?と考えると、プロパティアセットは天井に頭をつかえていたのはリターンを見れば明らかなのも良いところであった。住居用のプロパティなどは1%を切るようなバカバカしいものまで大手をふって流通していたのであって、わしには正気の沙汰とは思えなかった。 商品市場は、(あたりまえだが)この余剰資金の容れ物としては小さすぎた。 ほんのちょっと金をつぎ込んでみただけで跳ね上がった原油の暴騰を見よ。 実体経済から見るとせいぜい1バレル60ドルいけば良いほうの原油価格が130ドルまでとびあがってしまう。 この三日続けて経済の話というオソロシイ退屈な話を続けたのでもうやめるが、あいだを端折って言うが、こーゆー経過のはてにたどりついた現在の経済の局面はわしにはたいへんに興味がある。 誰に頼まれたわけでもないのに「金本位制」に戻りつつある。 「食料が暴騰した」「鉄があがってーへんだ」「貴金属がバクハツだ」というが、少しでも数学の心得があるひとは、金を基準にとってインデクスを計算してみるとよい。 ほら、おもしろいでしょ? なにもあがっていないのである。 「ドルを基軸通貨と定めた通貨の価値」が暴落しただけのことです。 えっ、じゃあ?と思ったあなたの考えはたいへん正しい。 モニといちゃいちゃもんもんする時間をやや削ってまで立ち働いていた「わしの仕事」とは、それを実行することだったのす。 市場の動きは1929年に較べると、核になるインデクスに眼を向けるとちょうど1929年に1週間で起きたことが25週間かけて起きている。現代人の英知をつくした「恐慌防止システム」も破滅の速度を25分の1に遅くできるに過ぎない、ということになるのでしょうか。 わしは、そんなことはない、と信じたいが。 現に申し合わせたように「見えない金本位制とでもいうべきものに世界は回帰しつつある。 … Continue reading

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淘汰

リーマン破綻を端緒に口を開けた地獄釜のことは、わしの頭のなかでは一段落がついた。事務所から送ってきた資料の破壊的な数字を眺めながらニューヨークのこと、最後にニューヨークにいたときにニューヨークで出会ったひとたちのことを思い出してしまいました。 今回は一ヶ月しかいなかったが、やっぱりニューヨークはわしは大好きである、と思います。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080128/p1 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080129/p1 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080131/p1 考えてみれば今回がひとりでいたニューヨークの最後にもなったのだ。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080213/p1 わしの人生でもっとも早い記憶のひとつはニューヨークでのものである。 わしはかーちゃんに連れられてボストンへ行った。その頃かーちゃんは、ボストンに行く用事がよくあったので、わしを連れていくことがあったのだと思います。 それからワシントンDCに行った。 レストランのアフリカンアメリカンのねーちゃんたちに、やたら可愛がられて、ほっぺにぶっちゅうー、とでかいキスをしてもらったことしかおぼえておらぬ。 そこからニューヨークに行ったのであって、わしは4歳か5歳かそのくらいであったと思います。くそ暑い夏であって、空港からのリムジンから降りると生ゴミの臭いが、ぷーんとしたのを憶えておる。 ずっと後で、かーちゃんが「まあ、なんて良い曲でしょう」といって聴いていたその年に新発売のCDが「トレイシー・チャップマン」(Tracy Chapman)のデビューアルバムであったことを知った。 ラジオが盛んに「華氏100度を越えた」と言っていたのも、おぼえてます。 わしは、その夏、2ヶ月をニューヨークで過ごしたのだそーである。(おぼえとらん) かーちゃんは、むかし自分の家で働いていたアフリカンアメリカンのばーちゃんを見舞いに行って2ヶ月ニューヨークにいたのだ。 かーちゃんに手をつながれてハーレムに近い、そのばーちゃんの家に行くと、近所にはベンチに腰掛けたアフリカンアメリカンのじーさんたちがいっぱいいて、若いねーちゃんが通りかかると卑猥な言葉でからかうのであった。 当時のあのあたりはなかなかものすごいところで、ひどい話だが「防弾装備のリムジンでゆくハーレムサファリツアー」なんてのがあったくらい。 ある夕暮れ、かーちゃんがアフリカンアメリカンのばーちゃんのベッドの傍らで話し込んでいるので、わしはこっそり降りた病院の踊り場から通りの向こうを見ておった。 いま考えてみると、その通りの向かいに見えているビルはまるごと売春宿であって、冷房なんかあるわけがないそのビルでは、丁度、小学生が蟻の生活を観察するためにつくる蟻の巣箱のような具合に売春婦たちがショーバイしているひとつひとつの部屋がまる見えなのです。暑い夏だったせいで、カーテンもかけてない。 裸のねーちゃんたちの上で、でかいケツをむきだしにしたおっさんたちがあばれておる。 わしは一瞬警察に電話しねーと、とパニクったが、その何十と並んだ部屋でいっせいに同じことが起こっているという事態の異常性から何事かを悟ったのだと思う、誰にもなにも言わないでおくことにしたのでした。 こういうと笑われるかもしれないが、その光景はわしにとっては常軌を逸したショックであって、その後、何年も夢にうなされることになった。 それがわしのニューヨークとの出会いであった。 わしは、アメリカ合衆国という国があまり好きではない。 こーゆーふうに言っても日本の人は「人種意識」が強すぎて信じられないのは知っているが、国としてはアメリカよりも日本のほうが遙かに好きである、と思う。 でもニューヨークだけは嫌いであったことがない。 Booze it !で書いたように夜中がいちばん好きだが、朝のセントラルパークも、昼間のチェルシーやヴィレッジも、休日のグラマシも、みーんな好きである。 なによりも人間が素晴らしい。 感度がよくて、あっというまに素晴らしい反応がかえってくる。 みな人間というものがひとりではいられないものだということを当たり前に、しかも切実に思っていて、差しのばした手を躊躇せずに直ぐに握り返す。 そーゆー街は、この広い世界にニューヨークがあるだけである、と思う。 こーゆー経済状況になってゆくと、仮にこういう方向に物事がそのまま続くと、 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080208/p1 のウエイターのKさんのような「不法アジア移民」は真っ先に「掃除」されてしまう。 わしのマンハッタンの店にいる友達の半分はいなくなってしまうでしょう。 あの中国人の女の子と日本人の男の子のカップルはどうなっただろう。 … Continue reading

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Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’ その2

ほんとうに地獄の大釜が開いてしまった。 それも中途半端な開き方ではなくて、大々的です。 前に書いた頃は、 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080811/1218804934 それでも、もうちっと余裕があるかと思ったが、「余裕」というようなものは全然ないようで、 デリバティブからなにから市場にあるものは、今日の新聞でGlenn Schorが言っているように “a one-way market where there are only sellers, and no buyers.”になってしまっている。 それでもアメリカ人は危機に直面して敏速に対応することには相変わらず長けていて、その対策の立て方の速さは驚異的である。 なんとか日曜日である今日のうちに一応のピリオドがあるところまでもっていきたいのでしょう。 そうすれば市場への影響が最小ですむ。 詳しいことは新聞やなんかにも続々出てくることでしょうから、わしなどが説明してもしょーがないが、この機敏さを見ていると、のんきなことをいうようですが、立ち直りもわしの予想より早そうである。 (もっともメディアはどんな感じで扱っとるのかなあ、と思ってThe Wall STREET JOUNAL___Crisis on Wall Street as Lehman Totters,Merrill Is Sold, AIG Seeks to Raise Cash、そんでもって、Financial Times___Wall … Continue reading

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El Corazon

「おぎんとこぎんという姉妹がいた」 「おぎんが姉でこぎんが妹。継母はこの姉妹が嫌いでことあるごとに辛くあたった」 おぎん、こぎん、という名前がそもそもエキゾチックであって、モニは息もつかない感じで眼をまるくして聞いています。 な、なんて綺麗な瞳でしょう。 暖かい緑色で、それ自体生き物のようで、すいこまれてしまいそうである。 け、けっこんして、えがった。 オホン。 でも話を途中ではしょって肉体的欲望に負けて、いちゃいちゃするわけにはいかむ。 国際結婚というのは途方もなく離婚率が高いのだ。 お互いを熟知する努力を怠るわけにはいかないのです。 「おぎんがしくじったので継母はおぎんを橋桁にくくりつけて、そしてそのまま出かけてしまった。ところが大雨が降った。川の水かさが増えてきた」 こぎんが橋の欄干から身を乗り出して大きな声でおぎんに訊きます。 「ねえちゃん、だいじょぶ?水は、どのへんにきた?」 「腹まで」 「ねえちゃん、いま水どこまで来た?」 「乳まで」 「ねえちゃん、水、どこ?」 「アゴまで来た」 「ねえちゃん、いまは水、、どこ?」 「ねえちゃん? ねえちゃん!」 おぎんの返事は、もうなかった。 この物語は、ここで終わっておる。 モニは、怒ってます。それでは物語の体をなしておらぬ、という。 あまい。あまあーい。そーゆー考えは、連合王国人にとっては「銘菓ひよこ」の黄餡よりあまいのだ、妻よ。 麻布十番のなにわ屋の鯛焼きより甘い。 明治屋の缶詰宇治金時より、もっと甘い。 人生の現実はシブイのである。 ほんとうは全然天津産でない「天津甘栗」の渋皮よりもっとシブイ。 これは金沢版「おぎんこぎん」民話であって秋田のものとは甚だしく異なってます。 たいへんイギリス式な民話であって、わしはイギリス人のメンタリティを日本のひとに説明するときに愛用しておる。 連合王国人の先祖は金沢のひとなのではなかろうか。 わっしが生まれて初めて観た戦争映画は第二次大戦中の英国の空挺隊についてのものであった。バカなのに頭が良いとうぬぼれている参謀のせいでグライダで降下した部隊は強力な二枚のドイツ軍戦線の丁度中間に降りてしまう。 狼狽した参謀は「戻ってこい」と言い出します。 空挺部隊一大隊はなんとかして隠密裡に戻ろうとしますが、そううまくゆくわけがない。 ひとり死にふたり死にして、犬死に犬死を重ね、最後のひとりが「ダーン」撃たれて死ぬ。 はっはっは。驚くべし。この「娯楽大作」は、ここでお終い。 カタルシスがないことおびただしい。 でも現実とはかくのごときものである、友よ、というのがこの監督の立場なのすな。 連合王国人はすべからく初期設定が「おぎんこぎん」なのです。 わっしが他文化に興味をもつのは、そのせいなのではないか、と「偉大なサラディン」について一生懸命話してくれたアラブの友人を見送った後で考えました。 … Continue reading

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Booze It!

わしはいまでも午前零時をまわったマンハッタンが好きである。 午前零時までのマンハッタンは、「午前零時から夜明け」までのマンハッタンまでの準備の時間にしか過ぎぬ。 モニというひとは、そういう夜中の世界が嫌いなので、すっかり行かなくなってしまったが、滅茶苦茶な場所にいるのがもともと大好きなわしは結婚する前は毎夜毎夜クラブやバーに出かけた。 日本のひとが「英国」について、だいぶん違うイメージを持っているのは知っていますが、連合王国人はもともとの文化的な傾向を言うと北欧人に近いのではないか、とわしは思います。 たとえば連合王国人の精神の源泉である「ベーオウルフ」は、どう見ても「北海世界」の物語である。 あの暗い夜と酩酊と暴力の世界こそが、いわゆる「アングロサクソン文化」の母なのだと思います。アングロサクソンと日本人とでは、どうも酔っぱらい方が違うようだ、ということは前にも書いたことがある。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080526 酔っぱらうと暴力的になる、という英語国民の傾向がまず夜の世界の性格を決定してしまいます。それからセックス。 ふだん抑圧に抑圧を重ねてきた、このふたつがバクハツしてしまう。 バクハツついでに習慣性化学物質にも手を出します。 わしでっか? わしは、ああいうものは好きでねっす。 なんで?、とよく言われるが、わしのやることに理由なんてあるもんけ。 こーきゅー、ということになっているクラブに入ると、そこではにーちゃんもねーちゃんも出来上がっていて、ねーちゃんたちの何人かはもう全裸で踊り狂っておる。 精神が、いわゆる「石化」しているのだと思われます。 トイレのほうへ歩いてゆくと、ものかげでオリジナルには生殖のためであった行為にふけっておるやつが必ずおる。 ひとりで出かけることは滅多になかったが、ひとりで出かけても、誰かしら顔見知りのハクイねーちゃんがいるので、一緒に遊ぶのす。そーゆーときは、この女の子と一緒にやってきたにーちゃんがいたりした場合は、にーちゃんには気の毒なことになるが、サル山にいけばわかる「社会」 というものはそういうものなのであって、わしをうらまれても困るのだす。 こういう、気の毒なにーちゃんは、たいてい賢いクールなにーちゃんである。 でもな、午前零時を過ぎたネオ・ジャングルでは、わしのようなパーなにいちゃんのほうが人気があるのです。 冒険ダン吉 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%92%E9%99%BA%E3%83%80%E3%83%B3%E5%90%89 と 少年ケニア http://www.asahi-net.or.jp/~UY7K-YMST/tv3/min008.htm で、ばっちし理論武装してあるし。 そのうちにわしの全身にリズムが浸透してきて、「夜」が血管のすみずみまではいりこんでくる。わしはわしでなくなって、「夜」の一部になる。 うーん、あれはあれで、えがったなあ。 でもモニと結婚してからというもの、あの手のところへ全然出かけなくなってしまった。 モニは着飾って、もっと「クールで上品な」クラブや食事や友人だけの小さなパーティへゆくのは大好きだが、紙幣をばらまいているおっさん(女の子の関心をひくために100ドル札をばらまくおっさん、というのは、よくいるのです)や、金持ちを探してうろうろしてる若い駆け出しモデルや女優のねーちゃんたちが徘徊しているような、ああいう場所は嫌悪しておる。 第一、最近はモニがいるところにいるのがわしはいちばん楽しいので、しかも自分たちの家がいちばん楽しいのです。 結局、ああいう夜とは、バイチャになってしまった。 もう戻ることもなかんべ、と考えます。 別れの言葉を探さねば。 動画はJuanesとNelly Futadoの「Te Busque」 Nelly Futadoというひとは、上で書いたような場所に行くと、たくさんいる女の子にいつつくらいある典型的な顔のひとつだと思ってしまう。 こーゆー感じのひとは、多いのです。

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言葉

人間は言葉の乗り物である。 人間はDNAの乗り物にしかすぎない、という生物学者がいるが、それは生物学者にはむかしから虚無主義者がおおい、という傾向を示しているだけである。 DNAなどは塩基で出来た符丁であってなにものも代表しない。 出力されたコードというだけのことである。 気の利いたことを言おうと考えたその生物学者が仄めかすような、それ自身の意思、など持たないし、それ自身現象でしかない。 「言霊」という。 言葉というものは人間が普段意識しているよりも遙かにおそろしいものであって、その言葉によって生活してきた何億という人間の思考の形態や、あるいはその言葉を使っていた人間が手で触れた世界や呼吸していた大気が篭もっている。 言葉をないがしろにする人間の知性が百万にひとつの例外もなく低いのは、当たり前であって言葉そのものが知性であり品格の実体である。 もっと簡単に言ってしまえば、そのひとの頭の中にある「言葉の世界」は、すなわち、そのひとそのものなのであって、他のものが彼もしくは彼女であるわけではない。 しかも人間は自分の実体である「言語」を孤立してはもつことが出来ないのだ。 人間は時間の彼方から呼びかけてくる声にしたがい、あるいは他者の群のなかへわけいっていって、他の人間の吐く息とともにあびせかせられる語彙のなかで言語を補給する以外に自分自身である言語を養う術をもっていない。 人間の悲劇は、要するにそこに始まるのである。 「言葉を使う」というが、わっしは「言葉に使われる」人間を見ることはあっても「言葉を使う」つまり「言葉の主人である」人間など見たことがない。 もし言葉を使う、ことが出来るなら、その言葉は死語でならなければならないのは論理的にも明らかである。 われわれは死人の夢が紡ぎ出した大海に似た沼沢である言語のなかにどっぷりとひたって暮らしていて、その言語の沼沢から抜け出すことが出来ない。しかも、死ぬときまで、「自分」というものは言語の形で世界にそっくり還元されてしまう。 言葉は時間と空間に存在する集団的意思によっていわば幅の広いベクトルによって規定されている。そこから一歩も踏み出すことは出来ないのである。 われわれのどの言語も「神」を発明するが、それは「神」の定義が「言語の外にあるもの」である限り必然的なことである、と思う。 そこに「安らぎ」と「畏怖」とを求める人間の傾向も、まったく言語の外側にあることからくる「神」の絶対性にある。 しかも真剣にものごとを伝えようとするひとが必ず気付かされる無慈悲な事実として、「言語によってお互いを理解することなど出来ない」ということがある。 言葉には、その実、伝達の機能などありはしないのだ。 われわれの言う「会話」とは個々の人間が、お互いの歴史と空間から意識に取り込まれた共同幻想を正面のスクリーンに映し出して、お互いの考えが相似してみえるところまで調整する作業であるにすぎない。 だから、われわれは歌う。 だから、われわれは描く。 だから、われわれは絶望のなかに沈む。 言葉がわれわれの肉体と意識を離れる、その瞬間まで。

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君の名は

台北は5回くらい行ったことがあるだけであって、こういうことをいうと台湾のお友達に張り倒されるが、わっしの頭のなかでは要するに「故宮博物館」 http://www.npm.gov.tw/ja/visiting/exhibit/exhibit_03.htm がある国です。 うーむ。ゆっててもスリルがあるのう。こういう大胆な言い切り方をすると日本語が読める人が多い台湾のお友達はこのブログを眼にし、「ガメ・オベール」が誰であるかを看破してわっしはスープにされてしまうのではないか。 きゃあ、こわい。わっし、若くておいしそうだし。 むっちんむっちんぷりんぷりん。 (わしは、あのコマーシャルのビデオを観てカンドーしました。おもろい) むかしは、かーちゃんに連れられて故宮博物館(正しくは「國立故宮博物院」)に行った。 いちばん初めの旅行のときは、台湾人のガイドさん(昼間はガイドと別に看護婦さんをしている、と行っていたのを憶えている。台湾では女は仕事がふたつあるのがフツーです、と言ってたな)が連れていってくれた狭い路地のある市場では、どの店にもどの店にも止まり木のようなつくりの高い小さな椅子に首輪と短い鎖でつながれたオランウータンが、このうえないほど悲しげな表情で座っていて、わっしは泣き出してしまい、ガイドさんがパニクっておった。あれは、いま思い出しても胸がふさがる。 商売繁盛のまじないだ、という説明であったが、同じまじないなら仙台四郎 http://www.nobi.or.jp/z/sendai-shirou/index.html のほうが百倍もマシだと思う。 二回目か三回目かのときに「エビ釣り」というのも行った。 なんだか、郊外のすげー暗いところに連れて行かれて、不潔な匂いがする釣り堀にひとがたかっている。そこで釣り竿を渡されて「手長エビ」を釣る。 これは、あんまり面白い遊びでなくて、要するに餌を垂らす深さがエビのいる深さを一致すればいいだけで、あとは次から次に釣れる。わっしは「世の中でいちばんつまらん釣り」 のように考えました。エビを釣ると、後はみなで釣ったエビをバーベキューにして食べるのだが、わっしはさっきまで汚い水の不潔きわまる餌を食っておったエビを食べるのは「パース」だったので、ニコニコしながらビールを飲んだだけであった。 かーちゃんに初めて連れられていった頃から、「お茶屋」は好きでした。ほら、 凍頂烏龍茶、なんちゃって日本にも、というか世界中に進出している、あれだす。 利き茶ができる。わしはミルクとバターの香りがするお茶(なんちゅうか、忘れた)が好きであって、いまでもよく飲むが、この頃おぼえた。 「高級偽物店」というのも面白かった。台湾の社長さんが連れて行ってくれた。 鋼鉄の扉の入り口の上にはものものしい監視カメラがある。 社長さんがなにやら合い言葉のようなものをつぶやくと、ドアがあいて二階へ行きます。店内はまったくの高級店の雰囲気で、いまこうして思い出していても可笑しいのは、この「台北一高級な偽物店」のモットーが「正直」だったことである。 わっしが、店内のクールな雰囲気にカンドーして、ほぉーとしていると、美人(ということになっているのだと思う、化粧のけばいねーちゃん)店員がすうっと寄ってきて、 このロレックスいかがですか?こっちのロレックスは中身がセイコーだから壊れません、こっちは見かけは同じだけど、中身が中国製の安物です。すぐ壊れる、などと言って教えてくれる。わっしはその圧倒的な種類と出来の良さに感動したが、もともと「ブランド商品」そのものにキョーミがないので、何も買う気が起こらなかった。 ところで、この「高級偽物店」に連れて行ってくれた社長さんの名前が「ロミオ」と言う。空港に迎えにきてくれたひとの案内で、かっちょいい高層ビルをあがって社長室にはいる。秘書のねーちゃんが、さっと立ち上がってドアを開けて迎え入れてくれます。 そんでもって、堂々たる押し出しのダブル(!)のスーツの紳士がにこやかに立ち上がって、開口一番「ロミオ、と呼んでください」。 他人の名前を笑ってはいかん。笑ってはいかんが、「ロミオ」はきついよなあ。 わっしは、もう顔が真っ赤になって、あとはしどろもどろであった。 だって吹き出すわけにはいかんもんね。失礼である。 わしに事前資料をつくってくれたねーちゃんは、絶対知ってて伏せておいたのである。 インボーです。 中国のひとはほとんど「英語名」を持っている。まっ、「芸名」みたいなもんです。 ジェームスさん、とか、スティーブさんとか、わしの知っているデーブさんは、デブなので日本語の駄洒落をも構成しておって芸が細かい。 アジア人が洋名を名乗ることを滑稽だとバカにしたがる同胞もいなくはないが、 わっしは別に気にしません。わしらのようなアホなガイジンにとっては憶えやすくてたいへんよろしい。 でもロミオはねーよ、ロミオは。 でも後で訊いてみると、フィリピンとかにも結構「ロミオさん」は、いるそーでした。 上海にはジュリエットさんと結婚した「ロミオとジュリエット」さんもいるそうだが、あんまり会いたくない気がする。 こーゆー「語感」というものは微妙であって、サラ金に「Dick」とかつけちゃうひとは、すごい。神田や飯田橋あたりに行くと、あっちにも「Dick」こっちにも「Dick」で、見ているうちにビミョーな感じになります。「だって、Dickって名前の人、あんたの言葉の世界には、ふつーにいっぱいいるじゃない」、ときみは言う。  いや、それはそうなんだけどね。 ちなみにディック・ミネという「わたしの旦那」という日本の名曲(えっ、知らない? ♪ダンナ、なぐってちょうだいな ひっぱたいてちょうだいな わたしのダンナ ♪って、知りませんか。浅草の天才、エノケンの持ち歌なんすけど)の元歌「ダイナ」を歌ったひとは、知っていて名前をつけたそーです。自慢だった。 … Continue reading

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ミッドウェイ海戦__官僚主義の敗北

フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BBK%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF は、わっしが子供の頃大好きな作家のひとりでした(SFはあまり好きでなかったのに、どーゆーわけか、ディックだけは好きであった)が、 なかでも「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(Do Androids Dream of Electric Sheep?)と「高い城の男」(The Man in the High Castle) http://en.wikipedia.org/wiki/The_Man_in_the_High_Castle がとても好きでした。 「高い城の男」の世界 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/4/45/Man_In_The_High_Castle_map.PNG (地図中の薄い緑が「大東亜共栄圏」) ではフランクリン・ルーズベルトは暗殺されて1933年に死亡しており、 上の世界地図で見られるようにアメリカは日本とドイツとに分割占領されてしまっている。 カリフォルニアの男どもの(決して実現されない)夢は勝者の民族である「日本人の女と寝る」ことであり、地下出版されたSFを読みふけって過ごしています。 そのSFのなかでは、日本の真珠湾攻撃はただ戦艦群を全滅させるだけの不十分な攻撃に終わり港湾施設や給油施設は謎めいた理由で無事に残り、それを手がかりに「ミッドウェイ海戦」で僥倖としか言いようのない奇跡の勝利を手にして対日本戦に勝利している。 カリフォルニアの男どもは我を忘れて決して起こらなかった対日戦勝利の物語に陶酔し時間を忘れますが、本を閉じると途端に日本軍部の過酷な支配下にある現実に突き戻されて悄然とする。 ところで、わっしはこの倒立した地下出版のSFのなかの「ミッドウェイ海戦」さえ「奇跡の勝利」であることを面白いと感じます。 アメリカ人たちにとって、「ミッドウェイ」とは、追い詰められ、危機に瀕し、圧倒的な劣勢に追い込まれたのに勝利した「奇跡の戦い」なのす。 わっしがスミソニアン航空宇宙博物館に初めて行ったのは5歳くらいのときであって、その頃にはもう「ミッドウェイの部屋」があった。いまは多分Sea-Air Operations という二階の角の部屋がそうだと思います。 アメリカのガキどもは、そこで艦隊の動きを説明するボードを見ながら音声ガイドが説明するアメリカ海軍の勝利に血湧き肉躍らせる。 熱狂する。 日本では、「暗号が解読されていたこと」と「爆装転換中に急降下爆撃にあったこと」 をよく敗因にあげますが、アメリカ側の本を読むとちょっとニュアンスが違う。 情報部の活躍によって日本軍の意図を精確に読み取ったチェスター・W・ニミッツは 山本五十六の意図が自己の機動部隊壊滅にあることを知ります。 実際、肝腎なことには口数が少ない、という悪い癖を持っていた山本五十六(部下だった大井参謀は「説明せんとわからんようなバカには重大なことほど説明してもわからん」と言っていたのを聞いたことがあるそうです)のせいで、軍令部及び陸軍は「東方哨戒線の東への伸展」という誤った作戦目的への認識をもっていたわけですが、ニミッツのほうは、あっさり山本の意図を理解した。 陣容から編成まで知っておった。 「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(知彼知己者百戦不殆)と言う孫武の有名な言葉はもちろん当時のアメリカの海軍士官も士官学校で学習してます(ナポレオンですら「孫子」を座右の書にしていたのだから当たり前ですが)。 … Continue reading

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小さな英雄(When You’re Gone)

「人間は結局は死んでしまう」という人間の哲学における最大の不合理は一刻もわっしの頭を離れることがない。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080803/1217722975 死んでしまえば、もうモニと目下のわしの人生における最大の価値である、いちゃいちゃもんもんすることも出来ないのであって、それを考えると考えただけで不愉快です。 それでも人間は必ず死ぬのだ。 Bさんが死んだ、というメールが来たのは先週のことでした。 Bさんはイギリス人の女のひとであって88歳であった。 わっしがなぜこのひとを知っているかというと、銀座で開かれたある外国人たちのパーティで同じテーブルに同席したからです。 「あなたの階級の英語を東京で聞くのはひさしぶりだわね」と話しかけてきたのでした。 Bさんの会話はまるで切れ目のない独り言のようであって正直に言ってわっしは苦手であった。 ところが、話しているうちにBさんは、すぅーと椅子のなかで崩れ落ちてしまった。 びっくりしてグラスを口にかざしてみると呼吸が止まっておる。 救急車を呼んで虎ノ門病院まで、わしが同乗しました。 次の日、Bさんの旦那さんであるHさんから電話がかかってきた。 Hさんは気位が高いBさんの言動から想像するのが難しかったことに日本のひとであった。 「昨日は、うちのがお世話になったそうで、誠にありがとうございました」 と文字で書くと通常の日本語ですが、このひとは発声が違った。 わしの尊敬してやまない「明治人」の発声です。 背筋がしゃんと通っていて「声を励まして」ものを言う感じがするのだ。 曖昧なグラディエーションがかかった現代日本人とはまるで違う日本語です。 わしは、このときから、ずっとこのひとが好きであった。 求めに応じて海辺の町の家に伺ったこともあります。 とてもとても小柄なひとで、わしの同国人の女のひとのご多分にもれず身長が高いひとであったBさんよりも20センチくらいも背が低く思われました。 その頃はもう「足が立たない」ということで布団の上に座っての挨拶たった。 そのときHさんは92歳だった。 以前は財閥系商社の社員であった。 最近の株式相場は読み切れない、と言って嘆いていました。 Bさんが、まるで恥ずかしいものを隠すかのような様子であらわれて唐突にHさんとの会話を打ち切ったことを同国人ながら、というか同国人であるぶんだけ判りやすい理由は判るものの、嫌悪すべきものである、と感じたのをおぼえています。 わっしは結局前後4回ほどしか、Hさんと話す機会を持てませんでした(なぜだか判らないがBさんは終始わっしとHさんが話をすることを嫌がっておった。「恥ずかしい」と言ったことがあるのをおぼえていますが、なぜあんな偉大な夫を「恥ずかしい」と思うのかわっしには最後まで判らないままであった)が、わっしははじめから知っておった。 Hさんは、このBさんを守るためだけに必死に長生きしようとしていたのです。 わっしにはHさんの気持ちが手に取るように判った。 「大方のイギリス人の白眼視に耐えて東洋人と結婚すると決心したBが日本にひとりで残されたら、どうやって生きていけるか。自分が守らなければならぬ。どうあっても、妻を守らなければならぬ」 実をいうと最後に電話で話したとき「きみだけには言うが」と言って、HさんはHさんがBさんを守ることを義務として強く感じていることを話してくれたのでした。 女権論者はHさんのようなひとを鼻を鳴らして軽蔑するでしょう。 しかし、わっしにとってはHさんはわっしが目撃した偉大な明治人であって、わっしにとては「小さな巨人」なのです。 明治人、というひとたちは車道側に女のひとを歩かせることすらしなかった。 あの声が耳に残って離れない。 人生の現実はHさんが死ぬ瞬間に心配したに違いないほどには悪いことは起こらなかった。日本にいる外国人たちは疎外されている者同士結束力が強いので病院に入院したBさんを交代で面倒を見たのでした。 しかし、わっしは、あの日、文字通り満身の力をこめて布団の上に起き直って「あらためて申し上げますが、うちのものがご迷惑をおかけしたことを恥ずかしいと思います。また、あなたのような立派な若者に助けていただいたことに感謝します」と堂々たるキングズイングリッシュ(クイーンズ、ではない)で述べたHさんを、無限の敬意とともに思い出します。 すごいひとであった。 日本人、というひとたちがかつて、どういうひとたちであったか、わっしはHさんから学んだのだといまになって気がつきます。 … Continue reading

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どら息子たち

オサマ・ビン・ラディンとブッシュ大統領には似ているところがたくさんある。 神の戦士のように振る舞いたがるオサマと、ひとりでいるときの表情があまりにマヌケ風なのでブッシュ嫌いのレイトナイトショーのデイヴィッド・レターマン(David Letterman) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3 に執拗にからかわれるブッシュとでは見た目は全然異なるが、実は、このふたつの家は、「石油」という共通のキーワードを通じて付き合いが深い家である。 ブッシュの父親はあちこちの石油会社の顧問に就任していて、息子の代わりに息子の政策によって産み出された利益を回収する役割だが、この父親 (ジョージ・H・W・ブッシュ)はオサマ・ビン・ラディンの父親と同じ投資会社の役員会を構成していたはずである。このふたつの家の結びつきの強さは有名であって、ジョージ・W・ブッシュ自身、オサマ・ビン・ラディンの兄と共同で石油会社を経営していたことがある。 金持ちのどら息子、というのは共通点がある。 わっしは本人がそのものずばり銀匙バカガキなので満腔の自信をもって言うが、「現実に対する感覚が稀薄」なんです。「絵に描いた餅」とカビが表に生える餅の区別がついておらぬ。 「貴人に情なし」とも言うな。 「えっ? 一階にあんだけTNTぶちこんだトラックつっこませても、あのビル倒れねえの?参ったなあ。ふんじゃ飛行機突っ込ませたら、どうだ」とオソロシイことを平然と計画する。そのビルの中で死んでゆくひとびとや残される者の悲しみや苦しみ、2007年にわしが通りかかったときですらまだ行方不明者の写真がたくさん貼られた金網にとりすがって泣いていた40歳くらいの男の人の体の内側で渦巻いている感情、というようなものへの想像力がゼロである。 アカマイ・テクノロジーズ http://ja.wikipedia.org/wiki/Akamai_Technologies を創業したダニエル・ルウィンは、このときノースタワーに突っ込んだアメリカン航空11便に乗っていて死んでしまったが、 彼のような陽気で快活な現実主義者をも、どら息子は消しゴムで消すように消してしまった。 一方の攻撃された側の国家元首であるほうのどら息子は、アフガニスタンに軍隊を派遣して仕返しをしたついでに、誰が聞いてもわけがわからん理屈をこねて、イラクを侵略した。前者の方は徹底的に報道管制をしいたので、ほんとうのところどういう戦闘があったのかちょっともわからんが後者は民間も武装者も十把一絡げに殺戮したりしているのがだいぶんばれてます。「わけがわからん」と書きましたが、「わかっている」 こともたくさん有って、イラクという土地は長い間アメリカの石油メジャーが浸透をはかってきたのに全く成果があがらず、フランス系をはじめとする欧州系に牛耳られていた原油国でした。 だからフランスは狂ったようにイラク侵攻に反対したのであります。 で、このイラクに対するブッシュの計画というのが、わっしなどにはオサマ・ビン・ラディンを思わせる。「現実」に対する想像力と感受性がまったく欠けておる。 このひとはテロリストの攻撃が起きたときから太平洋戦争のアナロジーばかり使っていた。貿易センタービルへの攻撃を「第二の真珠湾攻撃」と呼び、イラク占領を果たしたときには「われわれはこれから第二の日本占領を行うのだ。あの日本人ですら文明化できたのだからイラクでうまくいかないわけはない」と言った。 ベンキョーしても物事の本質がつかめないところは、いかにもどら息子である。 同じどらちゃんでも、ライブの小学校の授業参観で黒板に「potato」と書いた子供に、「よく出来たねえ、でも最後にeをつけて、potatoeという正しい綴りに出来たらもっと良かったねえ」 とやさしく声をかけて(もちろん正しい綴りはpotato)全米の茶の間をシーンとさせたダン・クエール(Dan Quayle)のほうが遙かにかわいげがある。 どら息子たち、がなぜ現実感を喪失しているか、というと、富と地位とによって周囲の現実から常に遮断されているからです。日本のひとは同じようなことを同じく現実から遮断された一生を送った幼年学校出身者が支配していた参謀本部の「現実感をまったく喪失した作戦」によって犬死させられたことから学んでいる。 (15年戦争中の日本陸軍の名将、とされている今村均、栗林忠道、本間雅晴といったひとたちが皆この学年だけ一般中学からの合格者だけで選抜された陸軍士官学校十九期の出身であることを、わっしはいつも興味深いことだと思っています) わっしが結婚して自分の手で自らの身を卍固めするまで女の子たちと毎夜毎夜いちゃいちゃしておったのは、現実感を無理矢理植え付けてやろうという先祖の霊の配慮であった、ということがしみじみわかります。(冗談だと思ったら西洋の女の子と付き合ってみるがよい。現実の女の子というものが涼宮ハルヒ的世界とはいかに異なるかこれでもかこれでもかというくらいわかるから。要求がきびしんだから。つらいどぉー) むかしは、三代目に至って唐様を書くくらいで無害であったが、現代では二代目がもう冷血殺人鬼と化す。 わっしは、さっきまで日高長太郎、福原路草・信三兄弟といったわっしが愛する戦前の日本の写真家の写真を飽かずに眺めておった。今回日本で買い求めたわっしの宝物の一部です。日高長太郎は愛知知多郡の大金持ちのどら息子であって福原兄弟は言わずとしれた「資生堂」の唐様兄弟です。 同じどら息子でもゲージツカを志したほうは、そうそう捨てたものでもない。 どら息子には権力や富よりも出来の良いカメラかなにかを渡しておくほうが世の中のためのようであります。 画像は、わっしが「世界で最も好きな国」であってとうとうパスポートまで取得するに至ったニュージーランドの西海岸。 これでカラー写真なのであって、西海岸というところはそーゆーところなんです。

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