初等教育

小学生くらいのガキども、というものは、なべてナマイキなのでそういうふうに見えないが現実のガキどもはオトナどもの支配下にあってこれに反抗できない。

であるから「くっそおー、なんでおれがあんなアブラハゲが黒板の前で威張ってる学校に行かにゃならんのじゃ」 と思っても、行け、と言われれば行くしかない。

無条件絶対服従であって山下清画伯風に軍隊の位で言えば二等兵です。

だから大人がくだらねえ思いつきで「教育改革」なんてことを始めるとガキどもにとっては大厄災となる可能性がある。セージカやお役人がいいところを見せようと思って思いつきでいじくられると難儀するのはガキです。ちゃんと考えてくれないと非常に迷惑する。

日本では小学生の授業時間数を増やすのだという。英語もやらせる。

「ゆとり教育」が、あかんかった、という国民の総意に基づいて国民的「ベンキョーなさい」(<—「ひょっこりひょうたん島」という人形劇に出てくる劇中歌です。わっしはなぜだか、この歌のMP3ファイルをもっている。「ベンキョーなさい!ベンキョーなさい!大人は子供に命令するよ、ベンキョーなさい!」という歌詞の愉快な歌です。わし、大好き) 運動が始まろうとしているかのごとき様相です。

わっし自身は牧場で雄牛にちょっかいを出して死にものぐるいで逃げまわったり、男ガキや女の子たちと滝壺で 泳いでいてパンツが脱げた上に流れていってしまって失神するまで水のなかに浸かっていて病院に運ばれたりという果てしなくもラクショーなガキ時代だったので別にどうでもよいようなものだが、自分が「日本のガキだったら」 と思うと、ぞっとします。

授業時間を増やせば学力が上がる、という発想がそもそもヘンです。

いったい「授業時間を増やせば学力が上がる」ということにどのくらいの根拠があるのだろうか。

「ゆとり教育」というのは、授業時間が少ないから学力が低下したのではなくて、たとえば数学で言えば合衆国で採用されて見事に科学教育を破壊し尽くした「現代数学教育」を結果を知りながら自分の地位だけを念頭に無理矢理導入したせいで学力低下を招いた、という事実を隠蔽しようとしているだけとしか思えません。

実際にもその目覚ましい成果で世界をびっくりさせたフィンランドの教育改革の本を読んで見ると、授業時間は減っているのす。

ただでさえ短い夏休みも短くなるそうですが、それではガキはやりきれないではないか。

わっしなどはもともと出来の悪いガキであって算数以外に好きな科目などなかった。

学校という社交場に友達がいっぱいいたのでしぶしぶ通っていただけであって、先生に「命令される」ということが死ぬほど嫌であった。

日本のガキんちょにいたっては、その上に世界に名を轟かせる「Juku School」にまで行くのである。「学校の後の学校」と普通英語では説明されるが、もともとベンキョーしないので有名なニュージーランド人は、みな「なんだ、それ?」と絶句してしまう。

なんで、そんなもの行くの?

それでどうやって、午後3時前に家に帰るのか?

わっしの初等教育についての意見は簡単で「ガキに余分な知的時間を作ってやる」ことが第一歩だと思います。 蟻の巣を観察したり望遠鏡で星を眺めたり自分で育てた野菜を収穫したりする時間がガキどもには必要である。

たとえば日本では小学校のときから「社会」 という科目があります。わっしは、あんなものがガキんちょに必要だとは思わん。余計なことです。学科として急いで教えなくても普通に後で身につくことばかりではないか。「理科」ですら必要かどうか疑問です。

算数と国語と議論だけで良いと思う。

この三つはいま着々と成長しつつあるガキどもにとってはおおげさに言うと「生死の分かれ目」であって、このみっつのどれが欠けても奴隷的な将来が待っている可能性が大である。

英語は本来は良しとすべきですが、わっしなどはお役人のやることに関しては極端に疑い深いので「まさか、いまと同じような英語教育を小学校からやろうっていうんじゃないよね」と思ってしまう。

日本の英語教育は、ひどい。

まるで「外国語嫌い」を量産するための装置のようです。

あれで英語ができるようになったら奇跡である。

もしかしたら外国に眼を向けさせないための巧妙に出来た政府の国民支配政策の一環なのではないか、とわっしはマジメに考えたことがあります。

英語がわからなければ日本のマスメディアなんて往年のタス通信みたいなものなので、空想上の「世界」をつくるのは簡単である。

実際にも日本のひとが見ているつもりの「世界」なんてどこにも存在しない、と言った方が現実に近いので、本当にそうなのかも知れませんが。

そもそも初めに英和辞典を使うところで、もう勝敗が決せられてます。

第一、先生が英語が出来ないひとが多い。クルマの運転が出来ないひとにクルマの運転を習うのは、わっしなら嫌です。

そーゆーひとに習うと「クルマの仕組み」ばかり6年間くらい教わって終わりになりそうである。それでは肝腎の運転が出来ないし、退屈で続かない。

クルマの仕組みに通暁しても実際の運転が出来なければハクイねーちゃんと夜のドライブに出かけられないではないか。

それでは、つまらんことおびただしい。

構文の権威みたいなおっちゃんに辛気くさい英語を習うくらいなら、わっしなら同じ歳の滅茶苦茶可愛い女の子が教室の前に立っていて、英語が出来るようになったら半年昼ご飯を一緒に食べてもらえる、ちゅうほうが圧倒的に早く英語で用が足せるようになります。あっ、いや、….これはわっしの特殊事情だが。

英語が金輪際出来なくなるための下地を小学校のときから着々とつくることになりそうな嫌な予感がします。

もう、ひとつ。

わっしは子供の頃、他人からプレゼントされる本、というものに興味が持てたことがなかった。後で読んで見ると面白い本ばかりで、「ちぇっ、こんなに面白いんだったらもっと早く読めばよかった」とよく考えたものでしたが、もらった当初は不思議なくらい「他人が選択した本」というものに興味がもてなかったのを憶えています。

日本の小学校の授業を参観していると、そのことを思い出します。

あれでは、わっしのようなヒネガキはきっと科学にすら興味がもてないで終わってしまったと思う。ガキどもは、わっしに限らず、「自分で発見する」ことに燃える生き物であることをわかっていないのではないか。

ヒマのないガキ時代なんて地獄である。

東アジアの国はどこもガキから時間を奪うことに熱心ですが、その結果を考えたことがある教育家を見たことがないのは怖いことであると思います。

ガキは一面タフな生き物であって、わっしが日本にいた頃、新御茶ノ水駅の、あのながーいながあーいエスカレータに一歩踏み込んだら、後ろからガキンチョがわっしの脇をさっとくぐり抜けて二三歩降りると、わっしの目の前でパッと段々に腰掛けて素早い仕草でDSを抜き出していきなりゲームを始めおった。ピコポコパコと遊んでおったがエスカレータが終わる寸前でシュタッと立ち上がると流れるような動作でDSを仕舞い何事もなかったかのようにすたすたすたと歩いていったのでした。

わっしはカンドーしてしまった。忍者みたい。

まるで都会の環境に適応して走ってくるクルマのタイヤでくるみを割ることを学習したコクマルガラスのような適応力です。

日本のガキどもは、ああいう技を身につけて生きのびておるのだ。

でもな、あのときの新御茶ノ水駅の偉大な忍者ガキよ、ほんとうはそんな適応しないほうがいいんだぜ、きっと。

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One Response to 初等教育

  1. kikuo says:

    私の中学の英語の先生はとてもエキセントリックな方で、教科書をまったく使わず、毎日授業時間いっぱい使って外国での体験談ばかり話してる人でした。英語は自分でやらないと身に付かない、というのは他の英語の先生も言っておられましたが、ここまで徹底していたのはこの人だけでした。で、雑談に興味のない後ろの方に座ってる生徒がコソコソとおしゃべりをしていると、その子を指名して、丁度そのときに話していた雑談の内容を黒板に書き、次の時間までに全部英訳してこい!とくるわけです。まだbe動詞の現在形しか知らない中学一年生にいきなり高校生レベルの長文を訳してこいというのです。できるわけありません。教科書に載ってるような標準語でなく、方言も混ざった話し言葉なのでさらにハードルが高くなります。私はその先生が大好きで、自分が指名されたわけでもないのに次の日までに必死になって英文を作ってました(まさに「作って」ました。「翻訳してる」という感じではなかった)。参考書や辞書などに載ってる例文から似たような文章を探し出して単語だけ入れ替えてそれっぽい英文らしきものを作る作業はとても楽しかった。いろんな発見がありました。あと無意識に話してた日本語についての発見もあって新鮮でしたね。教えることを全く放棄してるわけではなくて、個人的に質問に行くととても丁寧に教えてくれました。心の中で”普段からこうやって授業したらいいのに”と思ったのを覚えています。その先生は私が二年生のときに他校に行ってしまい、その次にやってきた「構文の権威」の典型みたいな先生のおかげであっという間に英語嫌いになりましたが、あの人に出会わなかったら、海外のサッカーに興味を持ち86年のマラドーナの伝説を夜更かしして目撃したり、スヌーカーに興味を持ちジミー・ホワイトのファンになったりすることはなかったでしょう。今でもとても感謝してます。私は頭が悪いのでこんな話しか書けません。申し訳ない。でも中にはこういう教育システムの中でなんとかしようと頑張ってる先生もいるのです。ところで、最近CS放送の視聴環境を整えてびっくりしたのですが、ジミー・ホワイトやスティーブ・デイビスは未だに現役なんですね。最初は何かの冗談かと思いました。

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