Daily Archives: September 6, 2008

zohanaさんへの手紙

zohanaさん、まず「滝山コミューン1974」という本を教えていただいたことにお礼を述べなければなりません。 実は、こうやってこれを書いているいま、わっしはまだこの本の半ばまでしか読めていません。まだ読み終わってない本について書く、というのはもちろん愚行と呼ばれるべき行動ですが、わっしはそれでもこの本を教えてくだすったzohanaさんに何事か書いてみたかった。 わっしは外国語で本を読むのはやいほうです。普段なら、このくらいの本は五時間もあれば読んでしまう。 この本をお終いまで読めなかったのにはだから、他に理由があるのです。 わっしは初めの60ページほどを読んだところで、衝撃を受けてしまった。それも生半な衝撃ではなくて、….どう言えばいいか….意思して悪夢を視ているというか、そういう具合の感情を味わいました。わっしはそこで描き出されている生活のあまりの冷血さと悲惨に途中で涙が出てきて、読めなくなってしまった。 わっしはこの本を夜中の台所で読み始めたのですが、途中で本を閉じて二階の書斎へあがるとカウチに座り込んで(モニが眠っているのをいいことに)ずっと泣いていました。 わっしは、(どうかこういう表現を許してください)これほど無慈悲で残酷な社会を見たことがなかったからです。わっしが知っているつもりになっていた「戦後日本の社会」は小津安二郎が描く穏やかな東京の山の手や、60年代の東宝映画、あるいは周防監督の映画が描く「現代人」たちに限られていたのですが、その「現代人」たちが、これほど徹底的に非人間的な強制力のなかで骨身を軋らせて成人したのだとは、思ってもみないことでした。 わっしの日本での友達はどうやらこの著者と背景が似ているひとが多いようです。 学校の名前でいうと、中学高校においては、この本に名前が出てくる筑波大学附属駒場、麻布、開成、この本に出てくるこうした名前に、この本には出てこない「灘」という名前を付け加えると、日本人の友達….20代から50代まで…の、多分7割くらいをカバーしてしまうのではないでしょうか。 年齢が近いこともあって日本で出来た友達のなかでは最も仲が良い大阪の公立高校から京都大学に進学した26歳の女の友達と40代早稲田大学卒業のシャチョーをのぞいては、あとは、みーんな東京大学に進んだ。 わっしは、この次に、こういう日本の友達とまた顔を合わせたときに、以前と同じような気楽な気持ちで彼等の顔を見られるかどうか自信がありません。それは極端な言い方をするとニューヨークのユニオンスクエアのベンチで隣り合ったユダヤ人の老人と話していて、ふと(話の内容からして)そのひとがナチユダヤ人キャンプの生き残りに違いないことに気付いたときの戦慄に似ています。 zohanaさんには笑われてしまうでしょうが、わっしは何の誇張もなくそう思います。 わっしが泣いたのは、このあまりに(ふたつともに)観念的な体制からの義務を押しつけられ一方では容赦のない競争にさらされなければならなかった子供たちへの「同情」からなどではありません。 こんな生活が現実に存在しえたのだという文字通りのショックと、それに、自分がもしそういう生活環境に生まれ合わせたら、という若干の「恐怖心」もあるのだと思います。 この「小林」というひとのおかあさんの家族の生活全体を競争力強化のための効率化でしぼりあげていった果てに辿り着いた「ふたりの息子の合格体験記」の歓喜の痛ましさを、わっしはどう表現すればよいかわかりません。「小林さん」は東京大学にはいり、「選良」としての人生を歩くに至ったようですが、いったいどうやってこのひとは気が狂わないですんだのか不思議に思います。 「四谷大塚」 というのは聞いたことがある。聞いたことはありますが、これでは「伊勢鶏卵」 のブロイラー飼育場と何も変わらない。わっしの日本の友人のうち「麻布学園」出身のひとたちは彼等の自由な校風を誇りますが、しかし、その学校に入学するためにこんな生活を送らなければならなかったのだとしたら、その後に彼等が競争に打ち勝つことによって手に入れた「自由」にはどんな意味があるのだろうか。 たとえば日本や韓国や中国の教育社会に見られる、教育における「競争」の真の問題点は こうした東アジア諸国について西洋社会でよく言われる「人口の99%を敗北者の集団と規定し自覚させる体制」であることより、勝者の側に「勝利」以外の何も与えないことのほうにある、とわっしは思っています。 すべてをコンピュータゲームに似た「定石を身につけることとその組み合わせ」で決定されるように見える(わっしは日本で東京大学や京都大学の「思考力を見る」ための数学の問題を二百問程度(理系の17年分)検討してみましたが、「思考力を見ている」というよりは「名古屋撃ち」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC が出来るかどうかチェックしているだけのように思えました)受験に特化された人間など、わっしから見るとただの「畸形人」であって、ひどいことを言うと世にも退屈なひとたちに思えます。 ここまで書いても、わっしにはわっしの受けた「衝撃」の内容がうまく表現できなくていらいらする。 以前zohanaさんのコメントのご返事に書いたのをおぼえていますが、MADELEIGN L’ENGLEの「A Wrinkle in Time」に出てくる「完全な国家」カマゾッツに日本という国はいよいよ重なって見えます。どうぞ気が向いてしかも時間があったら読んでみてください。英語圏のガキどもには、このひとの本で「なぜ効率的であることには重大な問題があるのか」「なぜ平和な国家は非人間的とみなされるのか」「なぜ啀みあうことは大事なのか」 という民主主義の「いろは」を学んだ人間が多いのです。 zoharaさん、ほんとうにありがとう。 さんきゅ。

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