El Corazon

「おぎんとこぎんという姉妹がいた」

「おぎんが姉でこぎんが妹。継母はこの姉妹が嫌いでことあるごとに辛くあたった」

おぎん、こぎん、という名前がそもそもエキゾチックであって、モニは息もつかない感じで眼をまるくして聞いています。 な、なんて綺麗な瞳でしょう。

暖かい緑色で、それ自体生き物のようで、すいこまれてしまいそうである。

け、けっこんして、えがった。

オホン。

でも話を途中ではしょって肉体的欲望に負けて、いちゃいちゃするわけにはいかむ。

国際結婚というのは途方もなく離婚率が高いのだ。

お互いを熟知する努力を怠るわけにはいかないのです。

「おぎんがしくじったので継母はおぎんを橋桁にくくりつけて、そしてそのまま出かけてしまった。ところが大雨が降った。川の水かさが増えてきた」

こぎんが橋の欄干から身を乗り出して大きな声でおぎんに訊きます。

「ねえちゃん、だいじょぶ?水は、どのへんにきた?」

「腹まで」

「ねえちゃん、いま水どこまで来た?」

「乳まで」

「ねえちゃん、水、どこ?」

「アゴまで来た」

「ねえちゃん、いまは水、、どこ?」

「ねえちゃん? ねえちゃん!」

おぎんの返事は、もうなかった。

この物語は、ここで終わっておる。

モニは、怒ってます。それでは物語の体をなしておらぬ、という。

あまい。あまあーい。そーゆー考えは、連合王国人にとっては「銘菓ひよこ」の黄餡よりあまいのだ、妻よ。

麻布十番のなにわ屋の鯛焼きより甘い。

明治屋の缶詰宇治金時より、もっと甘い。

人生の現実はシブイのである。

ほんとうは全然天津産でない「天津甘栗」の渋皮よりもっとシブイ。

これは金沢版「おぎんこぎん」民話であって秋田のものとは甚だしく異なってます。

たいへんイギリス式な民話であって、わしはイギリス人のメンタリティを日本のひとに説明するときに愛用しておる。

連合王国人の先祖は金沢のひとなのではなかろうか。

わっしが生まれて初めて観た戦争映画は第二次大戦中の英国の空挺隊についてのものであった。バカなのに頭が良いとうぬぼれている参謀のせいでグライダで降下した部隊は強力な二枚のドイツ軍戦線の丁度中間に降りてしまう。

狼狽した参謀は「戻ってこい」と言い出します。

空挺部隊一大隊はなんとかして隠密裡に戻ろうとしますが、そううまくゆくわけがない。

ひとり死にふたり死にして、犬死に犬死を重ね、最後のひとりが「ダーン」撃たれて死ぬ。

はっはっは。驚くべし。この「娯楽大作」は、ここでお終い。

カタルシスがないことおびただしい。

でも現実とはかくのごときものである、友よ、というのがこの監督の立場なのすな。

連合王国人はすべからく初期設定が「おぎんこぎん」なのです。

わっしが他文化に興味をもつのは、そのせいなのではないか、と「偉大なサラディン」について一生懸命話してくれたアラブの友人を見送った後で考えました。

幻想というものが、人間には必要なのに、わっしが生まれついた文化は、それを与えてくれぬ。厳しすぎるかーちゃんみたいである。

いま、わしは、Arno Eliasの「El Corazon」


D

を聴きながらこれを書いているが、

歌詞を聴いていると、文化というのは所によって、かくも、はなはだしく異なる。

何度も述べたようにわしは「翻訳」というものが大嫌いである。ムダであって有害でよいことはなにもない。

でも、ワインを飲んで酔っぱらってきたので、たまには訳してみよっと。

訳してこうやって眺めてみると、スペインの歌って、藤圭子(宇多田ヒカルかーちゃん)の演歌と全然かわらん。

アングロサクソンには、かけらもない発想です。

スペイン語が出来るひとびとよ、間違ってたら教えてね。

まずスペイン語で、こんなふうに歌っているのだと思う。

Para que vas a olvidar

Tu tenido tanto temo

Para que vas a olvidar

Si solo quiero tu amor

Es el alma que me dice

Que me dice que te siga

Quiero dar,

Darte todo todo todo todo

tu perdon

Pero se de amar, corazon

Yo si se mi amar

Si se mi amor

Corazon, corazon

Quiero dar mi perdon

Se mi amor

Para que vas a salir

Entiendeme yo, Te amo

Y luchar por una vida que vale la pena

Eso es amor

Entiendelo mi amor

Y yo tengo perdon, yo te tengo perdon

Yo tengo mus que son

Yo te tengo amor…

Te quiero dar, todo que tu queras

Se mi amor, corason…

Se de amar

Eres mi, eres mi corason

Eres mi corazon

Yo te quiero dar amor

Etiendelo

Quiero dar mi perdon

Se mi amor…

Es el alma que me dice

Que me dice que te siga

Es el alma que me dice

Que me dice que te siga

以下は、ガメ訳である。

なぜ、わたしを忘れなければならないの?

あなたは、ただ恐れにひしがれているだけ

なぜ、わたしを忘れなければならないの?

わたしはただ愛して欲しいだけなのに

魂がわたしに告げる

あなたについてゆけ、と言う

わたしはあなたに何もかもあげたいのに

何もかも許したいのに

わたしは「愛」というものを知っている

ひとを愛する、ということがどういうことかをもう知っている

知っているのです 愛しいひとよ

わたしはあなたを初めから許している

わかっているの あなた

(それなのに)

どうして あなたは わたしから離れようとするの?

わたしを理解して欲しい

あなたを愛しています

この世に生きるに値するものがあるとすれば

それは愛以外にはないのに

わかって欲しい 愛しいひとよ

どんなことも わたしは許せるのだから どんなことでも

わたしは あらかじめ あなたを許しているのに

愛という言葉以上にあなたに惹かれる

あなたに惹きつけられる

あなたが望むものは なにもかもあなたにあげる

愛してください わたしの心のひと

わたしは愛を知っている

そして、あなたは わたしの心そのものなのです

あなたが わたしの心である

わたしの愛をうけとってください

わたしの愛をわかってください

なにもかも捧げるから

恋人になって

魂がわたしに告げる

あなたについてゆけ、という

魂がわたしに そう告げる

こうやって日本語に訳してみると、うーむ、つくづく身も蓋もない歌詞である。

ド演歌。

もしかして日本のド演歌ってスペインから来たのか?

言われてみれば「ぴんからトリオ」のおっちゃんたちのギターの持ち方ってフラメンコギターと似てるしなあ。

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