Daily Archives: September 19, 2008

ヒーロー

ハリウッドの映画を見ているとなんとなく落ち着かないのは、平凡と思えた自分が実は「ヒーロー」であった、というお話が多いことであって、アメリカ人と異なって「ど現実主義」の文化で育ったわしは、「そんなわけあるか、アホ」とすぐ考えてしまう。 そう、わしらは根性が悪いのです。 こーゆー映画ばかり観ていると終いには「自分と言えど必ず特別な何ものかである」と思い込んでしまうひとが続々と出来てしまうのではないか。 現実の世の中では「自分が特別ななにものかである」なんということは、保証しても良いが、まず起こらない。ただのヘーボンなひとです。 ずっとヘーボンなのであって、ヘーボンな赤ん坊として生まれてヘーボンなガキとして育ってヘーボンな若い衆になってヘーボンに死ぬのす。 ぼけっとしてヘーボンな人生を送れるわけではなくて、われわれはヘーボンに暮らして死ぬために必死で頑張る。 皆の衆、それがジンセイというものである。 なんちて。 わしは賢いガキであったので、そういう人間の一生における厳然たる事実を早くから学習しておった。 たとえばわしは6歳くらいの頃は主観的にはニンジャであって、かーちゃんが日本土産で買ったオリエンタルバザール(ハラジュクにある日本風ぱちもん屋さんの名前だす)だったかで買ってきてくれた「ニンジャセット」に身を固めて近所を闊歩しておったりした。横走りもしたな。 特別な存在になったので、用水をジャンプで飛び越えようとしたら、対岸に届かずにこけて、もう少しで溺れて死ぬところであった。 おまけに、その後、二週間ばかし「あのアホなかっこで歩いていた変な子」とゆわれた。あるいはあるときはマハラジャの魔法使いであって、主観的には念力で風を起こすことも出来た。煙に向かって念じると、右に曲がれと念じれば左、左と念じれば右、と正義のマハラジャの魔法使いに対抗する悪い魔法使いに支配された煙の悪意に翻弄されたりしたのである。 世界が自分の思うままにはならぬ、ということをここにおいて、わしは初めて学習した。 人間は特別な存在であったりしない。そんなことは、金輪際おこらない、というのはわしの文化圏の人間の必須教養の「その一」です。 その正念が人生を楽にするのす。 「自分がなにものかでなければならぬ」という人生観は辛い。 たとえば日本のひともよく「自分にあった仕事を探さねば」と言いますが、要するにそれも「自分が特別でなければならぬ」という強迫観念から来ているのだと思う。 仕事などというものはみなで山車を押しているようなもので、社会という山車を動かすためにひとがいなくて空いているところに駈けていって、肩をあて痛みに耐えて、ぐっと力をこめて皆と一緒に押すというだけのものである、とわしは思います。 「自分にあった仕事」 なんて、あるとは思えぬ。 ハリウッド映画を観て、「そうか自分もなんらかの意味でのヒーローにならねば」と考えることは、人間を不幸にしかしないようにわしは考えます。 いーじゃん、適当で。 十人並でいっこうに構わん。 なにものか、なんて、そんなビッグX http://jp.youtube.com/watch?v=-sn0dT7KfQ4 みたいなものになって、どーする。 というわけで、わっしは今日も平凡めざして労働するのだ。 と言っても例によって根性なしのわしの労働時間って、二時間だけだけど。

Posted in Uncategorized | 3 Comments