Daily Archives: September 24, 2008

烏合のプー

団結せよ 万国の真夜中の白痴ども と岩田宏が書いたのは多分いまから50年近く前の冬の夜更けでした。 日本の詩は素晴らしい。 わしはスペイン語やフランス語の詩(このあいだ、モニに「アルチュール・ランボー」はやっぱりええなあ、となにげなく言ったら、ぷうーと吹き出されて「古い、ガメの趣味は、とっても古い。ノートルダム寺院のガーゴイルよりも、もっと古い、と笑われてしもうた。結婚しているひとびとは知っていると思うが、「妻」というひとたちはまことに無慈悲である)を素晴らしいと思うが、日本語の詩も劣らないほど好きです。 鮎川信夫の「橋上の人」や西脇順三郎の「最終講義」には「日本」がいっぱいつまっている。 鮎川信夫の描く「いっせいに空に向かう銃剣」のような戦争と戦争に赴いた若い人をそのまま描写する言語をもてた日本のひとたちをわっしは幸福であると思います。 日本の現代詩はすごい。 だから、わっしは何事か日本語で書かれたものを読んで頭の中の日本語を健全な状態に保っておかないと、と考えたときにはだいたい現代詩を読みます。 瀧口修造や田村隆一を読む。「ドラムカン」の詩人たちを読む。 団結せよ 万国の真夜中の白痴ども という表現には、真夜中、日本中のそこここにちらばって、孤独のうちにむなしく時を過ごす「同胞」への共生感と、お互いに理解しあうことが出来なくて、ただ離ればなれの分子で終わってしまうことへの苛立ちがうまくあらわれている。 この岩田宏というひとから、わしは日本語の使い方をだいぶん教わった。 たとえば、このひとが トーキョーはすでにトーキョーじゃない いけすかないいけずのいけすです と言うとき、わしは、このひとの思いを精確に理解する。 そーか、日本語って、こうやって使うんだな、と学習します。 わっしは(内緒だが)こっそり日本に戻ってきて、東京某所のホテルのテラスから 東京の夜景を眺めています。 明日は広尾のアパートへ向かう。 東京は昼間は世界でもいちばん汚い街(ごめん)だが、夜は美しい。 むかし妹とふたりで「空港リムジン」の窓に顔を鼻がブタハナになって痛いほど押しつけて「これが東京なんだ!」「すげえー」 とうなったときの感動を思い出します。 あのときはわしは日本語は出来なかったので、日本人というものがただの風景であった。 だから関心をもったり、おもしろがっていればよかった。 理解出来ない言葉で出来ている人間がコンクリートのビル以上の問題として他国語しか理解しない人間の眼に映るわけはない。 ところが一方で、その国の言葉をほんとうに理解してゆくと(わしが日本語をそのくらい理解できる、と言っているわけではない)、その国のひとの血にはいってゆくことになる。 その国の人間の体温を感じ、吐く息を呼吸することになる。 それが外国語を身につけることのいちばんバカバカしい点であって、頼まれもしないのにわっしはあたかも日本人であるかのように日本のことについて考えないわけにはいかむ。 日本語がわかるようになってしまったからです。 こうやって夜のテラスに椅子を出して、わしがいま何を考えているかというと、(わし自身がプーなので)、この夜の闇のなかでヒソヒソと活動する400万人(なのだそうです) の烏合のプーのことを考える。 400万人のプー! ニュージーランドの人口と同じ数です。 このブログに暴言を吐きにわざわざやってくるひとがいます。 医学もしくは心理学の心得が少しでもあれば、初歩の初歩、の知識である。 彼等は要するに外国人であるわしであるのに、わしに助けを求めてきている。 あの薄汚い罵り言葉は、しかし、本人たちにとっては切ないSOSなのです。 わっしは親切心、というものに根本的に欠けているので、全然反応しないが、たとえばモニが日本語を理解出来たら、絶対に草の根を分けてでもこういうひとたちの素性を洗い出して、どんな方法でも助けようとするでしょう。 わし自身を含めてよい。 この夜の空の下の「烏合のプー」 たちは、明日はどうするであろう。 … Continue reading

Posted in 日本の社会 | Leave a comment