太陽が昇るとき  Wish You Were Here

ニューヨークでシャチョーがいちばんぶっくらこいてしまったのは、人種や民族による差別が、ほとんどなくなってしまいつつあることであった。

こーゆーと、「いや、それは表面だけで…」と言いたがるひとが、必ずそれこそ人種や民族を問わずに出てくるに決まっているが、 そーゆーひとは単に「他人に意見を開陳するときは否定的に構えた方がカシコゲに見える」という非生産的態度を取っているだけである。

この世界の良くなりつつあることが、まだ完全でないのをあげつらって、せせら笑ってみせるだけしか能のないひとである、と思う。

わしは「人種差別主義者がいなくなった」と言っているわけではない。

身長で差別する人間もいるし、デブは人間がくだらないからデブになるのだ、とマジメに思っている人もたくさんいる。生まれや学歴で人間が差別できる、と考えるサル並の人間ですら、この世には存在する。

東洋人は容貌が醜いから半分しか人間でない、と真剣な顔で主張する狂った白人たちもいる。

(多分、鏡がない家に住んでいるんでしょう)

人種差別主義者や民族差別主義者という彼等こそがゆいいつ被差別に値するバカ種族は、脳が半分しかないわりに生命力は強靱であって、なかなか絶滅しないのです。

しかし、いつのまにか、彼等のほうが「特殊なひとたち」になって道化師に近いものになった。

合衆国の小説家ジェームス・ボールドウィン

http://en.wikipedia.org/wiki/James_Baldwin

は、1964年、初めて訪れた日本の、帝国ホテルの一室で鏡に向かった瞬間、その日一日が人生で初めて自分が黒人である、と意識しないですんだ(当時の日本では十把一絡げのただのガイジン、だからです)日である、ということに気がついて顔を覆って泣き出してしまう。

自分の魂にとって「アメリカ社会のなかで黒人である」ということが如何に日常絶え間ない負担になっていたか、自分がどれほど絶えざる緊張のなかで生活していたかを発見して、ボールドウィンは絶望的な気持ちになる。

それから半世紀近く経って、人間はやっとシャチョーならシャチョーというひとを見るときに「黄色人種東アジア人日本国いなかもんシャチョー」というふうに見ないですむようになった。

シャチョーは、ただ個人としてシャチョーであって、無意味にへらへらしていて、ときどきクビが電動こけしのようにういーんういーんと動いてコワイが、善良でマジメな努力家で家族にとってはほぼ理想的な父親である「シャチョー」なのです。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20060210

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080110/p1

過去の人種差別や民族差別のバカバカシイ歴史を知っている人間にとっては、ユニオンスクエアで彫像のように動かないでいつまでもキスを交わしているアフリカン・アメリカンのにーちゃんとコーカシアンのねーちゃんのカップルを見ると心の底から「えがったなあー。 人間の社会も見捨てたもんでは、ねえな」と思う。

社会はこんなふうに、ときに不可逆的に良くなることがあるのす。

ニューヨークの中華街で、有名な「老山東鍋」の1ドル餃子を食べていたら、東アジア人のカップルが窓際の席でデートしている。おっ、日本語ではないか、と思わずニコニコするわし。

ところが、しばらくすると中国語になった。終わりのほうになると、もどかしくなったのか男の子は日本語で女の子は中国語で話し出す。

日本へ住みに行く相談をしているのす。

女の子が、思い詰めたように英語で「アイ ラブ ユー」と言った。

わしは、その日の午後のあいだじゅう、このふたりのことを考えていました。

考えていた、のではない。祈っていたのだ。

なにを祈っていたかは、日本人であるあなたは知っているはずである。

新潟県の小さな田舎の町のレストランで、ジンバブエから来たアフリカ人のおばちゃんとスリランカから来たタミル人のおばちゃんが、でかい声で楽しそうに笑ってます。

日本語で話している。

ふたりとも集団見合いで近在の農村にお嫁さんとしてやってきた。

息子さんや娘さんの話をしている。

「日本人オット」のぐーたらぶりを笑ってます。

でも、やさしいよね。そーだよねえ。

とても幸福そうである。

わしは相も変わらずアホなので、もうそこまで聞いているだけで鼻の奥がジーンとしてしまって、目の前のメシに手がつかん。

黒人でありゲイであることに苦しんだボールドウィンの写真を見ながら、わしは、「あなたがここにいれば良かったのに」と考えました。

あの時代のひとには信じられるわけがないが、2008年に暮らしているわしは、ふらりと入ったコーヒー屋で、コーヒーを運んでくれるひとの肌の色を見ていない。

中華街の料理屋で、注文を取りに来るひとの国籍を考えてはいない。

わしは天気の話をする。

近所で見かけたイベントの看板について訊く。

あんましうまくない冗談をぶっこいて一緒にきゃははと笑う。

ウェイターのひとがまだくすくす笑って肩をふるわせながら厨房へもどっていくのをみやりながら、わしは、ふと、この太陽が昇るまでの夜の長さを思い起こすのです。

丁度いいのがあったので動画を貼っておきます。

えっ、ピンク・フロイドじゃないの? というひともいるでしょうけど。

Bliss(Alexandra Hamnede, Salvador Embalo, Marc-George Andersen, Steffen Aaskoven)は欧州ではたいへん人気があるグループです。

ヨーロッパでは様々な文化が欧州文化の核に引き寄せられたあげく一種の文化の核融合が起きていて、そのすさまじい力は、きっとそのうちに世界を変えてしまうに違いない。


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