霊的な世界

人間が育んできた科学の知識によれば器質的な脳がなければ意識は生じない。

だから「幽霊」というものは存在するはずがない。

その夜はものすごい霧であって、見えるものと言ったらセンターラインの部分とときどき真っ白な霧のなかにあらわれる黄色い標識だけであった。

そういう気象はカンタベリではよくあるのです。

幸いその「オープンロード」は定規で引いたようにまっすぐであって、夜中の対向車など来るわけがない時間帯でもあって、わっしはセンターラインを見ながらしばらく走った。

そうしているうちに霧も薄くなってきて、丁度町の入り口にさしかかる頃には、ようやく前が見えるようになってきた。

町にはいってしばらくしたところで、腰から下だけの足がすっとヘッドライトの光のなかを横切ります。高いヒールの赤い靴まではっきり見えた。

自動車のすぐ前を横切ったのですが、当然、車体に何かがぶつかったような衝撃は有りません。

全然、怖くはなかった。

わっしがこの幽霊を見た初めの反応は「困ったことになった」でした。

これから述べる理屈によって、いまでもわしは、この「足だけの幽霊」を幽霊であるとは認めていない。「幻覚」であると言っていますが、それを見た本人はそれが幻覚などでなかったことをよく知ってもいるのです。

実は、この前にも何度か不思議なものを見たことはあった

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080531/1212273134

が、いろいろに考えて「合理的に説明する」ことも出来なくはなかったのです。

今度は、本人がいちばんよく知っている、全然無理です。

初めに書いたように、人間が科学という方法を編み出して以来、学んだことによれば、器質的な脳が存在しなければ意識というものが生じようがない。

だから、最大に譲ってこの世界になんらかの「霊的」な存在がありえたとしても、それはいままで観察されたことのないエネルギー体であって、たとえば口を利いたりするはずはない。しかも、よく考えてみると、その理屈でも幽霊がぼんやり立っていることくらいは出来るが、わしが目撃したように「生きている人間のように歩く」ことは出来ないのです。

残像、といっても、無理である。

以前からこのブログを読んでくださっているひとは、よく知っておられるように、わしは人間が言葉という普遍性のなかで暮らしているのに、当の人間自体は結局死んでしまうしかない、ということの奇妙さに強い関心がある。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080803/1217722975

だから、モニとも、よくそういう話をします。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080324/p1

たいてい、長野県にあるモニとわしの「山の家」か広尾のアパートのテラスに出したテーブルで夕食を食べながらする、そういう会話の中で生まれた、この物理的な意識の発生と(それが存在していると仮定したときの)霊的存在の矛盾を説明しうる理屈は、要するにたったひとつの可能性しかなくて、それは、このわれわれが住んでいる世界が、「霊的な存在」がある世界の投影であって、いわば霊的な世界のコピーである、という理屈だけなようです。われわれが死ぬことに拠ってしか、あるいは、死んですらなお関知できない次元に「霊的な世界」が存在して、それをわれわれが見知っているこの世界で展開するための装置として器質的な脳があり、その脳が展開するためのとりかかりとして言語がある。

つまり、「世界」というものの実体がここにはない場合に限って、霊的なものに意識がありうることが仮定できるのです。

幽霊が仮に存在するとすると、それはそのまま、この世界のほうが霊的な世界の模倣にしかすぎないことを示している。そうでなければ、(やってみればわかるが)どうやっても論理が構成できません。

では、なぜこの世界において霊的世界を模倣しなければならないのか?

言い方を変えて言えば、この「物質的世界」という模倣世界が必要なのか? ということを考えると、そこには化学記号を勲章のように胸に付けてお行儀よく元素記号表に並んでいる「物質」が関連する何らかのいわば「実験」が霊的な世界のがわの成立に必要だからでしょう。

そうだとすると、「死後の世界」というのは実は存在しない。

実験に訪れたこの世界こそが「あの世」なので、器質的な脳髄から生じた便宜的な意識は、実際、「死亡」によっていったん失われなければ困る訳です。

人間があらゆる文化にわたって、これほど「象徴」にこだわるのは、いったん訪れる、死に際しての「意識の洗浄」をかいくぐっても、自分がこの世界で巡りあった「かけがいのないもの」を記憶しようとするからに違いありません。

そうやって考えてゆくと、この世界に立っている人間というものが、とても切ないものに思えます。

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