Monthly Archives: October 2008

HPS Simulations The Battle Of Tsushima (日本海海戦)

司馬遼太郎の「坂の上の雲」という有名な小説がある。 日本の士官学校出で日本語が読めた大韓民国大統領朴正煕 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95 が繰り返し愛読していたのでも有名な本です。 司馬遼太郎というひとは不思議な小説家で、日本では未だに巨大な影響力をもっている(どころか、日本人の歴史観はほとんど司馬遼太郎に依拠している、といってもよいくらいである)のに英訳されている本は、比較的マイナーなタイトルが(わしの知る限りでは)三冊(「空海」「徳川慶喜」「酔って候」)あるだけです。しかも現実にはマンハッタンの紀伊国屋書店のようなところでないと売っていない、と思う。 わしも、「坂の上の雲」第一巻を手に取ったときには、なんの期待もしていなかった。 わっしの司馬遼太郎についての知識は要するにいまのような姿の「忍者」というものを天才伝記作家山田風太郎と共に創造した歴史小説家というだけであった。 しかし読んでいるうちに、あんまり面白いので驚いてしまったのす。 それは喩えて言えば門から家に押し入ろうとする巨大な灰色熊をなんとかして押しとどめようとする成犬になったばかりの小さな犬の物語であって、 勇気を奮い起こして立ち向かい隙をみて足にかみつき襲ってくる腕に食いついて、傷つき困憊して最早どうにもならなくなった瞬間に灰色熊は諦めて去ってゆく。 思考から無駄を徹底的に省き、ひきしぼられた矢であるかのように国力のすべてを祖国防衛の一点に集中して、ついに当時の軍事的世界最強国の侵略に打ち勝った日本人の勇気の記録であって、ずっと後になって長い間日本の「北欧の友人」であったフィンランド人たちが酷寒のカレリア地峡で語り合って勇気を奮い起こしたという日露戦争の史実を日本人の側から描ききった傑作である。 そこには、したり顔の「ヒョーロンカ集団」である現代日本人とは違う相貌の、必死の形相で「日本人」という集団を世界史のなかで生き延びさせようとして戦った紛れもない「日本人」の群像が躍動しています。 当然、いくつもの印象に残る場面がありますが、そのひとつに海軍大臣の山本権兵衛が明治天皇に(その肩に文字通り国運がかかっている)連合艦隊長官に選んだ東郷平八郎とは、どんな男か、とご下問になるところがある。 史実として、この明治天皇のご下問の背景には、実は当時この人選が新聞などで激しく非難されていた、ということがあります。 東郷平八郎はすでに舞鶴鎮守府長官、とうに閑職に退かされた二流の老提督であったので、「不真面目である」「戦争を投げた」と言われた。 明治天皇は、その世論を聞き及んで憂慮していたのです。 山本権兵衛に限らず、当時の薩摩人たちは、「役所の論理では到底無理なことだが、もし出来ることなら平八郎が艦隊を率いるのがもっともよい」と普通に言い合っていたそうである。 このひとたちは、たとえば「加治屋町」という町内で一緒に育ったひとたちだったので、お互いの人となりを熟知していた。 そして、東郷平八郎の評判は「ここいちばんの博打なら滅法強い」だったと言う。 山本海軍大臣は明治天皇に「運のよい男ですから」と答えたと言いますが、明治天皇は本人が動乱を生き抜いたひとらしく、見るからに納得した様子であったと言います。 「最善」と信じた人事をすべての役所の論理とマスメディアの罵声に逆らって平然と行えたこの頃の日本人当事者たちは、後の太平洋戦争直前の日本人たち http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080908/1220860933 とは、まるで別の種族のようである。 津軽海峡に来るか、対馬に来るか、毎日つかみ合いをせんばかりの勢いで議論を続ける参謀たちをよそに、何も言わずに長官室に座っている東郷は、ついにたまりかねて詰めかけた参謀たちが「長官は、ロシア艦隊はどちらから来るとお考えですか?」 と聞くと「対馬」とだけ答える。理由を尋ねると「来るというから、対馬に来るさ」と言う。 イギリスの記者などは戦後、東郷平八郎は神なのではないか、と書きますが、 賭博に強い人ならわかる。 考えが鎮まったあとの一瞬の静寂が「対馬に来るさ」と囁いたからで、それ以上考えることに何の良いこともない、という、あの決断というものの玄妙さを知っていたのでしょう。 さて、ここからがHPSのような言葉の正しい意味でのシミュレーション・ゲームの醍醐味であって、いまどきゼロ・グラフィックのこの愛想もなんにもないゲームを遊ぶと、東郷平八郎の立たされた苦境というものがだいぶん判るような気になります。 東郷平八郎に課された任務は(補給線確保のために必要だったので)「一隻も戦艦を逃すな」つまりは、敵を完全に全滅せよ、という「無理」としか言いようのないものでした。 ゲームをやってみると、「一隻も残さず敵を沈める」 どころか、どう工夫しても、こちらの被害は甚大で、ことに三笠は必ず沈没していまいます。 痛み分け、がせいぜいである。 思い切って史実通りの「敵前回頭」をやると、今度はこちらが全滅する。 せいぜい乱戦に乱戦を繰り返して生き残った水雷部隊で敵を戦闘不能に持ち込むことくらいしかできません。 HPSの中でも相当に作戦目的達成が難しいほうだと思います。 John Tiller http://www.hist-sdc.com/webring.html がそんなに史実を外したゲームをつくるわけはないので、やはり「東郷平八郎と日本海軍」が成し遂げた事実の信じがたさと偉大さを思わないわけにはいきません。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 2 Comments

職人気質

シュペーア (Berthold Konrad Hermann Albert Speer)がナチスの軍需相に着任したとき先ず手を付けたのは兵器生産の効率化でした。 ある工場でメッサーシュミットBf109の生産効率が右下がりに下がっているのに不審をもったシュペーアが検分に出かけて発見したのは操縦席のないメッサーシュミットの山であった。 少しでも戦闘機パイロットの「乗り心地」を良くしようと考えた職人肌の工員たちは、なんと中に馬の毛をいれた革張りの操縦席をつくっていたと言います。 (この馬の毛入り革張り座席というのは、いまのように安っぽくなる前のベンツSクラスのシートと同じです) シュペーアが工程を簡素化しようとすると、そんなことは自分たちの「良心」が許さないとくってかかったそうである。 一方で大戦中の現実のドイツ兵たちはハリウッド映画が描く「絶対服従ロボット」とははなはだしく異なって、「戦闘職人集団」のようであった。 新任の将校が身体暴露が無理な状況で突撃を命じたりすると、ヘータイのほうは、全員で「きゃっはっは」と笑い転げて、「あんた、ひとりで行ってこいよ」「こんな局面で突撃なんて、いったい、どういう勉強してきたんだよ」と言ったりしていたのが擲弾兵の回顧録に出てくる。後半苦戦に陥ってからではなくて、無敵を誇っていた頃のフランス戦線での話であって別にモラルが低下していたのではなくて、その反対なのす。「シロートが何を言うか」と考えたのでしょう。逆に命令に絶対服従の様相を見せてくるのは、希望のない戦局になってからで、そういうところがドイツ人である、とわっしは思う。 戦闘団としてのこういう不思議な傾向はゲルマン時代からのものであるのがカエサルはじめ古代ローマ人が残してくれた記録によってわかっていて、その頑固な職人気質は本を読む人間を愉快な気持ちにさせます。 わしには(国籍で言えば)トルコ人の遊牧民の友だちがありますが、このひとによると、本物の「ペルシャ絨毯」や「トルコ絨毯」は、いまでは遊牧民しかつくっていないのだそうです。 「でもさ、イスタンブルとかで、ほら女のひとたちが機織機で実演してつくってみせて売っているところがあるでねーの」 と、わっしが言うと、「バカだな、ガメ。あれはつくってるものと売ってるものは別なんだよ。売ってるのは全部機械織りさ」と言います。 じゃ、たとえば持ってきてくれたあれ、と指さして、このひとがわしとモニとの結婚祝いにはるばるイランの国境地帯からもってきてくれた絨毯を指さして、「あーゆーのは、織るのにどのくらいかかるの?」 と訊くと、「一年」と答えた。 わしが絨毯を床に敷く計画を変更して壁にかけることにしたのは言うまでもなし。 あるいは腕輪などの工芸品でもっとも高級なものは普通インド製です。 巧緻な金銀の細工で出来ているこういう腕輪はロンドンではだいたい100万円くらいからある。上の方は、「どひゃ」の3乗くらいの下品な金額です。 こういう腕輪をつくる職人の仕事ぶりを見ていると蚕が繭を紡いでいるようである。 まるで細工を作っているひとの体の中から腕輪が生まれ出てくるかのような錯覚が起こります。 美しい、というような生半な表現では全然足りない体(てい)の美しさで、見つめていると気持ちがぼうっとしてくるような、生きていることを忘れてしまいそうになりそうな美の結晶である。 またあるいは、わしはメキシコで食うものを買う金もろくすぽないのにものを作らないではいられないメキシコ人たちを見てカンドーしたことをブログに書いた http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080119/p1 ことがあった。 「何かを自分の手でつくりたい」「何事か自分の手で生み出したい」というのは ある種類の文明圏ではビョーキのようなもので、たとえば同じメキシコの貧しい街区にあたる通りを歩くと、「お金がなくても、こんなに店を綺麗に出来るのか」と驚嘆させられるように美しく飾り立てられた店がいくつもある。 あれは絶対に商売とはなんの関係もない衝動に駆り立てられておる。 日本の人も同じです。 レクサスの工員は鋼板の上をさあーと手でなぞって「あっ、ここが20ミクロンくらい凹んでますね」と、オソロシイことをあっさり言う。 日本のひとも「ものつくりに狂う」系譜のひとびとであって、ドイツ人やトルコ人、インド人メキシコ人と「頑固、つむじまがり、屁理屈好きで不平屋」という気質を共有してます。あっ、そこのきみ、「うるせーバカヤロー、あほガイジン出て行け」とか慌てて コメントを書いてはいかむ。 そうではない。 だから、「良い」のです。わしはカシコゲなヒョーロンカがもっとも嫌いである。 バカでもセーカクが悪くてもキョーボーでも、なんでもよろしい、なんならサツジンキでもかまわん。下を向いて懸命になにかをつくっているひとがもっとも好きです。 こちらに後ろを向けて、背中をまるめて一心不乱にものをつくる日本の人の後ろ姿が、わしが何の役にも立たん日本語でブログを書いたりする、大きな理由のひとつである、と思う。 画像はメキシコのひとがタイヤの表面に彫刻した天使。 わしは、これを見ると何度見ても涙が出てきます。

Posted in Uncategorized | Leave a comment

踊るイラン人

アメリカのひとにイラン人の友だちの写真を見せると「フランス人、ですか?」というひとがいちばん多い。「イタリア人にしては金髪のひとが多いな。あっ、ロシア人のパーティに行ったんだね?」というひともいます。 「むっふっふ。これ、テヘランのパーティの写真なんすけど」というと、ぶっくらこいて眼を丸くしてます。 イラン人はブルカをかぶって浅黒い肌で厳しい顔でこっちを睨んでいるものだと思い込んでおる。FOXやなんかのニュースが、そういう人だけを必死に探してきて映像として流すからです。わざと、やっとる。 「ほーら、わしらと違うでしょう? 別の種類の人間でしょう? コワイですね。たまりませんね。みんな、殺しちゃいましょうね」 と言いたいのである。 ヒロシマに原爆を落とした頃から理屈がまったく進歩しておらない。 モニとわっしはあるときイラン人の友だちの家に遊びに行った。 精確に言うとその家の旦那さんはヨーロッパ人であって奥さんと奥さんの妹さんがイランのひとなのです。 ふたりのイランガキ(女児)もいる。 モニとわっしが遊びに行きたい、というと、「前の日から何も食べないでこい」という。「モニさんとガメのために腕によりをかけて料理して待ってるから」 後でイランガキの片割れに訊いたら、朝の5時に起きて、4人で夕方の6時まで料理したのだそーです。 サフランがかかったバスマティライス(イランのサフランは超高級品で値段もスペインのサフランの20倍くらいする)や新鮮なスパイスをいっぱい使った鶏の煮込み。ラムシチュー、オレンジの皮を煮込んだソースが載ったバスマティライス、次から次に出て、わっしは死ぬほど食べた。 イランの料理は食べたことがあるひとは知っていると思うが、トルコの料理と並んで無茶苦茶おいしい。わしの大好きなインド料理というものが実は中近東から派生した田舎料理なのではなかろうか、と疑われるほどおいしいのす。 おいしいものを食べさせておけば機嫌がよい単純なわしは、ふたりのイランガキを相手に「アホな歩き方省」(Ministry of Silly Walks) http://uk.youtube.com/watch?v=IqhlQfXUk7w を実演したりして喜ばせてやった。 イランガキがあまりに無防備に喜ぶので不憫に思ったわしはミックジャガーの「スタート・ミー・アップ」の振りまでやってしまった。 わしらは皆で奥さんの妹の結婚式のDVDを観た。 プジョーの405に乗って花嫁と花婿が一緒にやってくるところが変わっている。 わしらの習慣では、花嫁と花婿が結婚式の日に(式の前に)顔をあわせるのは不吉である。 結婚式でふたりとも座っているのも、あたりまえだが中近東式で西洋と違う。 豊壌の象徴として美しくカットされた野菜が甘いものがテーブルに並ぶ。 花嫁の縁者たちが寄ってきて花嫁に腕輪やなんかの宝飾品を与える。 花嫁と花婿は世界中のどこでも同じウエディングドレスとタキシードで、よく見るとカットが大陸ヨーロッパ風です。 そこから歓喜がバクハツする。 300人くらいもいる結婚式の参加者がみなで踊り狂うのであって、どのくらい踊り狂うかというと三日間、ほとんど眠らずに踊り狂うのす。 すげー。 1日目は朝3時まで踊り狂って、2日目は女のひとだけでまず集まって踊りまくり、午後には男たちも集まってきて踊る。3日目もまた踊り狂う。午前2時に帰ってきて、それから家でまた踊っていたそうで、聞いているだけで眼の下に隈が出来そうである。 見ていて面白いのは、踊り狂う夜が盛り上がってくると、みなが花婿と花嫁に踊りながら近づいていって紙幣をポケットにねじこむところで、モニと結婚するときにもイラン式を採用すべきであった、とわしはしみじみ考えた。モニの係累もかーちゃんの親族もみな金持ちなので、この方式でやればひと財産築けたのではないか。 奥さんの家系はほとんどみなブロンド碧眼のひとびとであって、旦那さんの家系はもともと北欧人であるのにも関わらず黒い髪のひとが多いので、よく旦那さんがイラン人なのだと間違われるそーである。 わっしは日本に住んでいるイラン人の女の人(旦那さんは日本人….このひと、結婚式のときに踊り方がわからないので阿波踊りでずっと踊っていたそうです)から、子供が通う日本の学校の教科書に出てくる「世界のひとたち」というページに「イラン人」がチャドルを着た姿で出ている、と聞いて大笑いしたことがある。そのひとは「ガメちゃん、あなたは可笑しそうに笑うけど、イラン人にとっては笑い事じゃない。大変な侮辱です」と言って怒られた。丁度「日本人」がちょんまげを結って刀を差し、カメラをくびからぶらさげて出っ歯を輝かせているのと同じ、である。 ま、そりゃ、怒ります。この絵ページをつくったひとが中国人に弁髪をさせなかったのが不思議である。 このひとが学校に抗議したら「これは日本政府が正式に認めた教科書なので学校としてはどうにも出来ません」と言われた。 あとでテレビでも雑誌でも「イラン人はチャドルを着ている」って出ているのに、とさんざん陰口を言われたそうです。 イランと国交が深い日本でこうなのだから、アメリカ人などは想像する必要もない。 わしの仕事上も個人としても付き合いがあるテキサス人は、イラン人が一歩でも自分の街にはいったら直ぐにも射殺する、と言うクビの赤いコワイおっちゃんだが、このひとはイランとタリバン政権下の頃のアフガニスタンの区別がついておらぬ。イランの女のひとは、ブルカをかぶって、道路上で鞭でぶたれている、と信じておる。 イラン人をさして「あのクズ野郎ども」というような表現を平然と使う。 … Continue reading

Posted in 異文化異人種 | Leave a comment