Monthly Archives: November 2008

さようなら、ニッポン

Dynabook SS RX1(東芝が出している、990グラムのかっちょいいPCです)を全面改造するつもりだったのに、他のことをやって遊びふけっているあいだにやる気がなくなってしまった。 結局80GのHDDを120GのSSDに換えるだけでおしまい。 ワインを飲みながら、「なんか、やったらいっぱいネジついてんなあ」と呟きながら、16個のネジを三つのソーサーにポンポンポンと大きさ別に放り込みます。 電池を外してへっくりかえしてパカッと開けると、基盤とキーボードをつなぐフィルムをつけたままHDDを外せます。底部を支えながらHDDのインターフェースケーブルを外すには手が3本必要であって、わっしの手は二本しかないので、吾妻ひでお先生の「失踪日記」を底部とキーボード+スクリーンの間にかましておいてHDDとSSDを交換します。 HDDは取り出してみるとフィリピン製の東芝どした。中途半端な靴下みたいな、しかし、わっしが好きなデザインのiPodをいれるためにつくられた毛糸の袋にいれて引き出しに放り込みます。工作の基本として、ずえったいに大丈夫と思うまではネジを固くはしめないわけですが、そこでトロイわっしにもやたら数の多いネジの存在理由がわかりました。 このコンピュータの筐体ってネジが柱になって出来てるのす。カッコイイ。 アタマイイ。 全体の強度をネジでつくっているんです。 チップにつおいBuffaloのSHD-NSUM120GっちゅうSSDはコントローラがJMicronの「JMF602」、NANDはサムソンのMLC「K9HCG08U1M-PCB0」の標準的セットで、前にBuffaloが出した32GのUSBメモリのように他の標準的製品に較べて「どっひゃあー、おっそっいー」ということはねっす。OCZSSD2-1C128Gとかとおんなしくらい。 普通の2.5インチHDDの筐体に較べてちょっと大きい、という話だったので、ふんじゃ削るしかねーな、と考えていたのですが、大きさも問題なかった。 USBの端子がついているのでシステムをまるごとびゅいーんびゅいーんと移行して、上記のごとく交換して、無事終了しました。物理的交換自体は3分もかからん。 システムの移行にちょっと時間かかるけど、それはソフトの都合なのでやむを得ない。 性能バランス的にゆってあまりにDynbook SS RX1に向いたSSDなのできっと交換するひとが他にもいるだべと考えて、珍しく作業の過程を書いてますが、でーじょーぶ、ふつーにやってなにごともつつがなく、あっさり終了します。 うまくいったら、今度はシステム管理ツールで、HDDのパーティション比率に従って80分の120倍になって8G近くあるリカバリ領域を削除するとええと思います。 わっしは「この世の終わり」とか「恐竜OS」とか過去には「福田内閣OS」とかともゆわれた VISTAを使っている(高速化してXPと同じくらいのスピードで動くようにはしてあります。そのかし、見た目は殆どwindows98になってしまった)ので、メインの領域を拡張でびよよんと伸ばして、パーティションを広くしました。EISAは別にさわらんでもいいわい、と思って、ほっぽってある。 起動は速くなったが終了は遅くなったような気がします(^^;) しかし、わっしはよくコンピュータを落っことすので、これで安心して再び移動生活に移行できる。 まだ未発達なシリコンディスク市場のこの段階でSSDが店頭に在庫であるところが日本です。それも酔っぱらってふらふら歩いていたユーラクチョーで見つけたのであるから、こんな話、クニに戻って話してもみなホラだと思われて「百万のマルコ」みたいに「シリコンのガメ」とゆわれるだけである。初代ニューハーフおばちゃんカルーセル麻紀と区別がつかなくなってしまいます。 (あれは違うシリコンだが) 今回日本にやってきたときにスーツケースを一個壊してしまった(鍵が開かなくなったので馬鹿力を発揮して腕で引っ張ってこじ開けたら完全に筐体が断裂して壊れた)ので、くるまに乗ってスーツケースを買いに行きます。 日本にいて日本語でブログを書いていると、わっしは日本のひとになったようであって、おもしろい経験でした。新しい言葉もたくさんおぼえた。 ナナカマド、ヒグラシ、ツクツクホーシ。 長野の「山の家」に出かけて植物を採集し、空を飛ぶ鳥の写真を撮った。 「センセイ」と夜の材木座海岸を眺めながら話をして涙を流した。 港区某所のレストランを借り切ってイタリア人たちと大騒ぎをした。 フランス人の友人カップルとモニと4人で下町の静かな居酒屋でひそひそと酒を飲んだ。 まことによい滞在であって、わっしは幸福であった。 オタクグッズもこの滞在で一挙にしかも完全に一新されたしな。 これで増永眼鏡店の(「アラスカのぶっとびおばちゃん」ペイリンの眼鏡をつくったので有名な眼鏡屋さんです)のTeleglass T4-N http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20071005_teleglass/ を手に入れれば再移動準備は完璧である。 モニはどうせゴーグルなら、こっち http://www.amazon.co.jp/Bushnell-%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%AB-%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3-%E6%9A%97%E8%A6%96%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB-%E6%9A%97%E8%A6%96%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%97/dp/B000XYVD4U のほうが欲しいそうだが。(しかし、このブッシュネルの暗視眼鏡を買う人はアニマルマスクサラブレッド http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B3-%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF-%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88/dp/B0009PLED8/ref=pd_sim_dbs_sg_5/376-7992108-8142545 も買っています、ってアマゾンに書いてあるけど、これを両方買う人の集団って、どういうひとたちやねん。昼間は「アニマルマスクサラブレッド」をかぶって町を歩いていて、夜はブッシュネルの暗視眼鏡をかけて公園を徘徊しているのでしょうか.) … Continue reading

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死刑廃止

コメント欄にwindwalkerさんの「死刑廃止なんて妄論である」というコメントが載っていた(理由は不明)ので、 「死刑廃止」という複雑なことについて考え出してしまった。 早起きして、Dynabook SS RXを改造しようと思っていたのに、こうやってブログを書くことになってしまっている。 困ったことです。 全部、windwalkerさんが悪い。 死刑廃止、というのは、歴史的には国家による殺人が「社会契約」に含まれるか否かという論争の結果として起こった、とわっしらは教室で習います。 わっしは、こーゆー授業の時「コーコーセイになんちゅう難しい話しをすんねん」とつぶやきながら、下を向いてバンドの曲をつくることを習慣にしておったが、これはたまたまおぼえている。 そんなもの含まれるわけがねーだろ、というので、その頃からだんだん死刑を廃止する国が増えてきた。 歴史的経緯がそうなので、死刑を廃止しちった国は「国民主義国家」(「国家なんてのはな、国民であるおれさまのためにあんだよ、ばーろー」という(政府から見て)全然可愛くない国民がいっぱいいる国のことです)が殆どである。 これが国権主義国家になると、なにしろものごとの見方が体制社会の安定第一 なので、死刑になくなられると困る。したがって中国が死刑執行のチャンピオンです。 実際、傍で見ていると、中国政府は「不思議の国のアリス」に出てくる「ハートの女王」みたいである。 「収賄です」 「はい、死刑!」 「女の癖にゴーカンですぜ、この野郎」 「Off with her head!」 であって、しかも執行も迅速です。命を奪うこと、風のごとし。 わっしは「知的な商売」 というものがもともと嫌いなので、アルバイト、というとクラブのバーテンとかであった。その頃の仲の良い友だちのひとりに刑務所の看守のおっちゃんがおった。このおっちゃんは、ビールが1パイントくらいはいると職場の愚痴をこぼすのが常であって、「刑務所に来て、囚人のバカどもと話してごらんよ。どいつもこいつも無罪だ、冤罪だって言うから」とよくこぼしていた。 おっちゃんの夢は、「中国の刑務所で看守をやる」ことであって、そうなった暁には「チョップチョップチップって、あいつらみんな並べといて端からクビをみーんなちょん切ってやるんだ」と夢見るような瞳で遠くを見るのであった。 閑話休題。 歴史的来歴はどうでも、わっしが考えるときは、自分の身にそくして考えます。 すなわち、 一、自分がひとを殺しちった場合 二、自分の最愛のひとが殺された場合 ちょっと、いま自分で書きながら考えて意外な感じがしましたが、わっしの場合は、 一、のほうでは死刑になりたい。二、のほうでは死刑が無いほうが良いようです。 一、の場合は、特に意図的に殺しちった場合は、「仕方ないわい」 と考えそうです。 二、の場合は、国家の手ではすっきりしないので、是非自分の手で殺害したい、と思いそうである。この場合、さんざん相手をいたぶって殺してから自首して、一、にもどる、っちゅうことになりますが、しかし、二、の場合やなんかにそうそう安楽に死刑にされたりすると困るような気がします。 ま、いづれの場合でも「殺人者を報復殺人する」ということを感情的には肯定しているようである。「ブレーブ・ワン」、ですね。 しかし、しかし、しかあーし。 死刑存廃についての本をせっせと読んでいくと、現実の問題としては、「誤審」という大きな問題がそこにはあるのがわかります。 警察の立場に立って想像してみれば簡単にわかることですが、実は殺人事件ほど冤罪が多い事件はない。 だって、そりゃ、そーです。 自転車盗ったやつがつかまらなくたって出世や警察の評判には響きませんが、殺人事件は、そーわいかむ。 … Continue reading

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人間に「主体的意識」はあるか

人間の頭蓋骨に好き放題に穴を空けて大脳に自由に電極を刺して研究できたらどんなにかいいだろう! というのは、ある種類の科学者の永遠の夢です。 そういうことを言うとまともな人間でないのがばれてしまうので口に出して言わないだけである。 むかしはたとえば凶悪犯が被験者ならやってもよかった。 1945年までの日本帝国なら満州人や中国人の「不逞分子」相手ならやれた。 でもいまはそんなことを酔っぱらって口にしただけで来年の研究予算がつかないのは明らかなので、人間の脳の働きを探るのは大変なのです。 それでも、思いもかけぬチャンスが巡ってくることはあって、そういう機会が巡ってくるたびに研究者は実証実験をやってみたものでした。 実際にはこういう実験ではありませんが、この実験を知っている人は初めから実験自体もその意義も知っておられるでしょうから、すごおく意訳して書くと、たとえば、被験者に12色の色彩の中から赤なら赤を被験者が選ぶときに色を指し示す作動体である指と指に命令を下す立場の、赤を選ぶときの脳の領域との両方に電極を付けて実験をしてみると、作動体である指のほうが早く電流が流れるのです。 明らかにヘンです。 「意思を決定」しているのだから大脳の方に先に電流が流れないとヘンである。 それから指に電流が流れる、というふうであるべきである。 この実験結果については十分な数とは言えないが追試もあります。 承認的な追試である。 なんべんやっても、指の方が大脳よりも先に意思を決定している。 これが示唆するものはなにかというと、「意思」というものが実は、もっと無意識的に発火した神経細胞の決定を追認しているのに過ぎないのではないか、ということです。 でもって、「でもほんとうは自分が決定したんだもんね」と自己の意識を誤魔化しているということになる。 豚という動物が犬よりも知能が高いのに、こと食べ物に関することになると、まことにアホで「この食べ物は罠であって、これを食べに行くと死ぬ」と判っていても食べに行ってしまう、という有名な実験がありますが、こういうことを説明するにも、この「自然発火」 —->「追認」モデルのほうが、無理なく説明できる。 人間の大脳というのは実は一定の傾向をもった無意思的な反応を爆発的に行うだけの神経細胞の集団であって、人間が「自己」として意識している「我」なるものは、実はただ単にその反応の結果を傍観的錯覚的に「自己の意思」だと思っているだけなのではないでしょうか。 昨日の「意識と捕鯨」の続き、ということになりますが、わっしには、いまのところ、この仮定は大変に魅力がある。 この仮定が正しいとすると心をもった「悩めるロボット」である「鉄腕アトム」は、意外に早い時期に出来ることになります。 そのときこそ、人間が長い間その概念の鎖に繋がれてきた「人間だけが、この世界で特別な生き物である」という考えに終止符が打たれるに違い有りません。 人間の知性の、人間の寿命が有限である、ということのはかなさからくる切実さも、しかし、同時に消えてしまうに違いない。 人間が自分を規定している哲学が根底から覆るときがくるかも知れないのです。

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意識と捕鯨

オランウータンやチンパンジーの部屋に大きな鏡をいれてやるとごく初めのうちこそ鏡に映った自己を認識できずにたとえば威嚇しようとしますが、すぐに鏡に向かって毛繕いをしたりするようになります。 鏡に映っているのが「自分」だと判るからです。 「自分」という意識がある。自我が存在して「わたし」や「わっし」というものが意識を形成している。 ゴリラでは、こういうことは起こらなくて、いつまでも鏡のなかにいるのは「他者」であって「もう一頭のゴリラ」である。 「飛んで火に入る夏の虫」と言いますが、わっしは、日本でよく見る「誘蛾灯」が苦手です。バチバチバチっと、ものすごい音がしてタンパク質が焦げる臭いがする。なんだかすさまじく残酷な感じで、ぞっとしません。 しかし、あそこで地獄の業火に焼かれてあえない最期を遂げる蛾や他の昆虫は痛みにもだえ苦しんで死ぬわけではない。昆虫は、ごく簡単なフィードバック制御で出来ているので、記憶というものもフィードバック制御の範囲、言い換えると意識のない範囲でしか持たないので制御系に「痛み」というものをつくる意味がない。 だから痛みという感覚が存在しないだろう、と推論出来ます。 実際、昆虫とほぼ同じフィードバック制御で動く「昆虫型ロボット」がむかしにはロボット知能の可能性を切り開くものとしてもてはやされたことがありましたが、昆虫は要するにああいうモデルで行動を決定しているようです。 台北の街にある商店は長い間、オランウータンを鳥かごのような止まり木に短い鎖につないで飼っていました。そのフィルムを見ると、身動きするのも難しい小さな小さな椅子の上に、「絶望」をそのまま表情にしたような悲しげな表情のオランウータンたちが座り込んでいます。そういう打ちひしがれたオランウータンが、通りに並んだ商店のどの店にもいて、延々と続く。1990年代後半まで、これは西洋人のあいだでは有名な台湾人たちの商売繁盛を願った悪習であって、動物愛護団体の激しい抗議に驚いた台湾政府が慌てて禁止して、いまでは、もう「なかった」ことになっている。 オーストラリア人たちは、もともと狩猟に適した動物が少ないオーストラリア大陸で、アボリジニたちを狩猟の対象にしていました。アボリジニは「非常にずるがしこい」ので、狩猟の対象として面白みがあった。普通に考えられるのと違って、この狩猟を楽しんでいたひとたちは悪質な人種差別主義者などではありません。少なくとも主観的には異なる。 当時の人の日記を読むと、普通の善良なオーストラリア人も参加してます。 彼らは単純にアボリジニが「人間」であるはずはない、と思っていたのであって、なぜそういう悲惨な無知に陥っていたかというと、「意識」というものが倫理上の境界として考えられていなかったからです。 いろいろなことが判るようになってくると、科学的な理解力に欠けたひとはせせら笑うでしょうが、オランウータンなどは「人権」が認められるべきであるし、(もし手遅れにならなければ)実際に認められてゆくようになると思います。 チンパンジーにも認められてゆくようになる。 そんなバカな、と吹き出す人は、つい最近まで大半のヨーロッパ人にとっては「アジア人に人権を認める」ことが、いかに非現実的な考えであったかを思い出せばよいのです。 「アジア人にも人権を認めるべきだ」という意見が、いかに突飛な意見であって、それを主張するひとがいまで言えばグリーンピースやシーシェパード並のゴロツキと見なされていたか、思い出してみればよい。 さっき旅行の計画を立てていて気がついたのですが、考えて見ると今回も丁度調査捕鯨の妨害に向かうシーシェパードの船がキャンペーンを繰り広げる頃にシドニーにいることになりそうです。今回は仕事の用事で一週間くらいいるだけですが、またあれら英雄気取りのバカを目にするのかと思うとうんざりする。 「調査捕鯨」を強行することによって、今年も「不正直で理解不能な日本人」像がまた少し多くの人にすり込まれてゆくわけです。 わっしの捕鯨についての意見は、もう何回も繰り返したので繰り返しません、 http://moa2008.wordpress.com/ http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20071226/p1 が、論理的には賛成できても感情的には「気持ちわりい」と思う。その「気持ちわりい」のなかには、フィードバック制御以上の中枢システムをもつ生き物を食べる、ということの問題が含まれています。 これはとても面白い問題なので、また別のときに考えたいと思いますが、人間のデカルト的自我なんていうものは、いままで考えられていたほどたいしたものではなくて、ノイマン式のコンピュータくらいでももしかしたら持てる、というのは実は枚挙主義と本質的には何も変わらないんじゃないか、ということが判ってきました。 人間にとって神秘的な未知のものである、と考えられてきた「自己という意識」が、ほんとうは極端にいうとアイボの延長にある、と考えても不自然でないのがわかってきた。 当分見つからない、と考えられていた「意識」のモデルが実は、初めからわれわれがよく知っているモデルで説明できそうな感じになってきたのです。 そうすると、そこから派生する問題として、たとえば「人権」というようなものは、どこに境界があるのか、ジョーダンみたいですが「猫権」とか「犬権」と「人権」には本質的な違いがあるのか、という問題が起きてきます。 「猫ちゃん、かわいそ~」と言ってきゃぴきゃぴしているパー風な女の子を見て、ばっかじゃないの、と言っていたほうのおっさんが「バッカ」だったのであって、いかにもパーふうの「猫ちゃんかわいそ~」なねーちゃんのほうが本質的に正しい思想をもっていたことになる。 現にわっしの友達の研究者は、知能の研究を進めていく過程で豚肉も牛肉も食えなくなってしまった。食べるのを自分に禁じた、のではありません。「生理的」に食べられなくなった。 こういう文脈に照らして捕鯨の問題を考えると、実はそれとはまったく違う方角からやってきた単なる文化的差異への嫌悪(しかも、ちゃんと調べてみればわかりますがたかだか1960年代に出来た嫌悪である)にしか過ぎないアホタレグループの世にもケーハクで下品な主張が結果としては、誰の意見よりも正しかったことになりそうです。 もっとも、それをもって「ほーれ見ろ、正しかったのはわしらじゃ」と彼らがただでさえ気色の悪い正義漢面をますます醜く歪めて勝ち誇るには、少なくとも豚肉やベーコンやハムを食べるのをやめてもらわねば困りますが。 こっちの方面をベンキョーしていて、もっとも困るのは、ベンキョーが進むにつれて、どうやら、たとえばオランウータンと人間のあいだには本質的な差異が何もない、もっというと猫あたりでも人間とのあいだの差異は「本質的」ではない、程度の問題にしか過ぎない、ということがわかってきてしまうことで、そうやって湧いてきた確信がほんとうにほんとうであるとすると、わっしの手持ちの哲学はすべて書き直さなければならないことになります。有名なベンジャミン・リベットの実験が行われたとき哲学者たちがほぼ瞬間的に「絶対にその実験結果は間違っておる」といっせいに叫んだのは、それは、ここまでの人間の哲学を根本から否定するものであるからに他なりません。 わっしの他の方面のオベンキョーである「言葉」というものについての知見ともはなはだしく矛盾してしまう。 困ったなあ、と考えるのであります。

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Yes They Can

たまたま、ということなのかも知れないが、わっしはアフリカ人たちと相性が良い。 子供の時からずっとであって、逆にアフリカ人たちに嫌な思いをさせられたことは一度もない。前にも書いたがガキンチョのときにパリで、ひとりで地下鉄に乗る羽目になって途方に暮れているときも、わっしの下手なフランス語に耳を傾けて助けてくれたのはアフリカからの移民のひとたちだけであった。(パリの地下鉄は、その頃はまだ謎のような乗車方法だったのす) やっぱり子供の頃、夏のワシントンDCで、用事のあるかーちゃんが妹だけを連れて出かけた後、わっしはひとりでよくアパートの近くの定食屋に昼ご飯を食べに行った。 アフリカン・アメリカンのおばちゃんが、わっしの国の常識からしたらぶっくらこくような乱暴な言葉で、「いったい、何食うの? あーん?」と言う。 わっしは当時からチョー生意気なガキだったので、「そんなにすぐに決まらないよ。わしはなんでも、ゆっくりやるのが好きなんだから、二三分したら戻ってきてよ」と言う。 おばちゃん(と言っても、いま考えてみると20歳くらいのねーちゃんだったわけだが)は、「けっ、この気取りまくった発音のクソガキが、えらそーに」という感じで、冷笑を浮かべると、くるっとまわって去ってゆきます。 戻ってくると、わっしは止せばいいのに、「ステーキパイ」はねーのか、と訊かずもがななことを言う。「なによ、それ?」と顔を顰めて言うおばちゃんに得意になって説明するわっし。 おばちゃんは「イギリス人ってのは、言葉が変なだけかと思ったら、食べ物もくだらないものを食べるんだな」と言う。わっしは、そのまま引き下がるのは米英戦争でもう一回負けるような気がするので、「じゃ、ステーキサンドでいいからさ。飲み物はアイスコーヒーにしてね」と言います。ひっひっひ。知らないだろ、アイスコーヒー。 アメリカは田舎だからな。トーキョーじゃ、ふつーの飲み物なんだぞ。むふふ。 平静を装って去ってゆくおばちゃんのカッチョイイ歩き方を眺めながら、独りごちるわっし。 おばちゃん、ただでさえコーヒーフレバーのお湯みたいなコーヒーに氷を山ほどいれて戻ってきました。出す前にちょと飲んでみたらしく「イギリス人って、なんだって、こんな不味いものを飲むのかね」と言う。 「ロンドンのは、もっと濃くてうまいんだよ」と言うわっし。 イギリス(当時)には、こんなもの、ねーけどな。 その日から、わっしは「アイスコーヒーガキ」という名称をもらって毎日、その通りをずぅーとずぅーとずずぅーと歩いていったところにある、汚いがむちゃくちゃうまい定食屋で昼飯を食っておった。あんまり治安の良い通りではないので、かーちゃんには、内緒。 変なにーちゃんのふたり連れに絡まれたときは、おばちゃんが、ぶっとんでやってきて、 「この坊主は、わたしの弟なんだから。手を出したら、ただじゃおかないよ」と言ってくれるのでありました。 わっしが、アフリカ人をはっきり自分に近しいひとたちとして感じだしたのは、その定食屋のねーちゃんくらいからであるような気がする。 アフリカ人は情が細やかで、親切である。男の子たちは「友達」として誠実である。いったん「友人」である、となると肉親兄弟のようである。女の子たちは、なんちゅうか、「フェミニン」であって、とても女らしい優しい気持ちをあふれるほど持っている。 わっしは滅多に汗をかかないが、くそ暑い夏の日、アフリカ人の女の子と並んでニューヨークを歩いていたら、女の子がハンカチを差し出したので驚いた。 連合王国のわが同種族の女の子が、そんなことをするのは想像するのも難しいので、おおげさに言うと、わっしはのけぞったな。 それだけでなく、一緒にいるあいだじゅう、女の子がわっしのことだけに注意を集中していて、わっしのことだけを見ていて、わっし以外のことはまったく考えていないのが、手に取るようにわかるのです。 わっしは、そういう訳で、つい最近まで自分が結婚するとしたら、ふつーに行ってアフリカ人の女の子だよな、と思っておった。こういう言い方をすると人種で相手を考えているようで気持ち悪いが、そーではなくて、なんとなく「お嫁さん」というものの自然なイメージがアフリカ系の女の子だったのす。 うまく言えないが、わっしはそーゆー結婚前の習慣にひきづられて自分がまるでアフリカ人であるかのように、ものを見てしまうことがある。 有名なひとでは、たとえば合衆国の大統領になったトーマス・ジェファーソンが考え方やものの感じ方がまったくアフリカ人そのものだったそうですが、わっしの場合は、ひどいときには鏡を見てそこにアングロサクソン然、としたにーちゃんが映っているのを不思議な気持ちで考えることもあったのです。 だからオバマが大統領になったときも、単純に喜んだ。 このひとは「黒人大統領」というよりも、合衆国の典型的な選良としてのアイデンティティのほうが遙かに強い、ということが頭ではわかっていても、やっぱり見た目です。 肌が褐色の人間が大統領という「民主的な手続きで選ばれる独裁的指導者」に選ばれたことを自分の国のことのようにうれしいと思った。 あれが「首相」のようなものなら、また違うニュアンスがあるのですが、大統領というのは要するに合衆国という国の独裁的な権力者にして全軍の最高司令官なので、これはたとえば日本のニュースで紹介しているような感じとは話がちょっと違うのです。 わっしはオバマのスタッフの人選を見ていて「ま、失敗だのい」と考えてます。 国家としての新しいビジネスモデルを見いださねばならないと解決しないところに合衆国は来ているのに、それとは反対の「古いサーカス」の面々ばかり並べてしまっている。 あのメンバーで経済を立て直すのは、まず無理でしょう。初めの二年間は少なくとも大失敗に終わると思う。 それから、どのくらい考えを変えて臨めるのか、予想も出来ませんが、普通に考えて、出足の失敗は大きく響きそうです。 世界はまた合衆国の「ベスト・アンド・ブライテスト」のバカ頭につきあわされるわけだ。 外交的にも、いまのスタッフの顔ぶれから予想される外交方針から考えられるのは、古い国権主義国家の政治地図による均衡の維持であって、国権国家のバランスなんて、そんなものは、もうどこにもなくなりつつあるのに、なんだか古くさい教科書を読んで勉強した頭の固い秀才の答案のようなことになりそうです。日本の人にいちばん関係がある東アジア・太平洋政策に至っては簡単に言うとオーストラリアのラッドとオバマ政権の組み合わせで中国政府の覇権は確立されたも同然、と思う。 ついに中国は念願の世界にたどりついた。 日本が、政治的にこれほど追い詰められつつあるのは50年代以降、初めてです。 長期政策として日本に残された道はインドに採算を度外視して肩入れするしかないでしょうが、どーも、インド投資に付きものの「めんどくささ」が祟って、それどころか日本はインドから撤退気味です。いまは日本という国は中国に媚びを売って生き延びようとしている。なんとか中国に取り入って仲良くしようとして必死なところだと思います。そうしているうちに日本はロシアに期待する方向に追い込まれていくのかもしれませんが、そうなるとなんだか近衛首相がいつか歩いた道みたいである。 わっしは日本のひとの何にでも「親日」「反日」とレッテルを貼りたがる癖をばかばかしいと思っています。アホみたい。たとえば昭和天皇は「親英」か「反英」かと言ったら(といって、そんな偏執狂みたいなことを考えるアホが、(いくらアホの宝庫として高名であるとはいえ)連合王国にいるとは思えないが)親英君主だったに決まってます。でも、だからといって英国人が「昭和天皇は英国にとって良いひとであった」と思うのは難しい。設問自体にどこか下卑て見当外れなところがある。そういうレッテルを手にたくさん持っているひとが住んでいる国には、わっしなら、あんまり住みたくありません。 しかし、ヒラリー・クリントンというひとは、よく知られているように非常にはっきりして明確な「プロ中国」の政治家で、このひとが国務長官になって日本の「国益」が大幅に損なわれない、と考える人はこの世界に存在しないでしょう。 中国という国がアメリカの経済再建に協力することを条件に手に入れてゆくものの大きさは多分歴史上不可逆的なものにまでなるはずで、中国にとっては実はオバマ政権の成立こそが世界覇権確立のスタートになると思います。 … Continue reading

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運転

ずっとむかしこのブログに日本には「自動車教習所」という「自動車運転免許を取るための学校」があるのにびっくりして調べたことを書いたことがあります。 結局は高速道路公団と同じような利権構造だったので、ふきだしてしまった。 日本の役人はとてもカシコイ。 一方で役人のひとたちが言うように普通のひとは賢くないので、この教習所の話を書いたときも 「日本には日本のやりかたがあるのだから批判するな」というコメントだかメールだかが来たのもおぼえている。 批判したわけではなかったが、指摘されることがもうそれだけで嫌だったのでしょう。 このひとは役人なのではなくて、自分があたかも役人であるかのようなメンタリティを持っているだけなのであって、日本という国は、こういう「自分も体制の一部」と妄想するひとが多いことによって成り立っているのだとシミジミ考えました。 後で学習したところによると、こういう気持ちの持ちようというのは日本と韓国と中国のみっつの国に共通しているもののようです。 役人なんてくそくらえという態度の悪い国民ばっかりの連合王国やニュージーランドのような国に較べると政府にとってはまことに天国のような国である。 国民をバカと見なして食い物にしているひとたちにとってはパラダイスです。 その挙げ句、どういうことになるかいうと、失礼極まりない外国人たちは日本での見聞を母国に戻ってするときに「日本人は6ヶ月近くも学校に通わないとクルマの運転が出来ないほど運動神経がない」などと言って喜ぶ。 ジョーダンに過ぎませんが、こういう質の悪い笑い話のタネになるために何万円だかをわざわざ払わされる日本のひとが気の毒な感じもします。 一方で、このブログに遊びに来ていたひとのひとりは役人だった頃に出張赴任先のオーストラリアで免許をとって日本での免許はそれの書き換え(当時はオーストラリアの免許をみせるだけ)で取得したそうで、「教習所のようなアホな無駄金はつかわん」とコメントしてあったので笑ってしまいました。 なるほど、皮肉でなく、そのくらいの要領の良さがなければ日本のような競争社会でトーダイへ行き、お役人になるのは無理なのでしょう。 ニュージーランドでは「クライストチャーチ・ドライバー」と言う。 クライストチャーチのあるカンタベリ地方の人々(つまり、わっしら)の運転の仕方が余りにひどいので、こう言います。時速制限が百キロの国道(オープンロード、と言ってニュージーランドの道はほとんど時速制限が百キロです)を百二十キロで走る。 無理な追い越しをする。 駐車場では斜めに駐める。 (テキサスのひともよくやるが)高速道路から高速道路へ道路のあいだの芝地を突っ切って平然と道路の乗り換えをする。 やることがデタラメなので他の地方から来たひとは、みな呆れます。 だからニュージーランドにも運転がデタラメなドライバはたくさんいるわけですが、それでも、あちこちの国で運転していると、その国の「お国柄」のようなものがある。 運転していて、なかなか楽しいのはメキシコで、ここではたとえば連合王国の交通ルールのようなものは全然通用しません。「アイコンタクト」が最も大事であって、いくら交通規則に則って運転しても、ひとと目配せすることなしに運転すると大顰蹙になります。 信号、といえども単なる目安なので、赤信号だから相手の車が止まってくれる、というものでもないのです。逆に笑顔でアイコンタクトを絶やさなければ、なかなか安全な道路であって、なんでもかんでも「人間の感情の法則」に還元するメキシコのひとらしい習慣である。 ただし、隣のひととお喋りに夢中になっている運転者は要注意で、どうもメキシコのひとは「話しながら運転する」ということが苦手なように見えます。 わしは一度背の高い荷台のトラックに乗せてもらったことがあったが、この運転手さんは合衆国にいたことがある、とかで、ニューヨークをやたらなつがしがる。 盛大な勢いで横に座っているわしのほうを向いて話しかけます。 「そーか、セントラルパーク、まだあるのか。なつかしいなあ」と言う。 「前のゲート、高さ制限2メートルですよ」 「えっ? いや、それでそこのコロンビアのねーちゃんが美人で」 「2メートル」 「だけどコロンビアの」 ガアーン、グワラン、グワン。 ジョーダンのようですが、このひとのトラック、2メートル制限のゲートに体当たりして、ひっかかって動けなくなってしまった。 ニュージーランドや連合王国にもいますが後ろの席のひとに話すのに振り返って話すひとは合衆国に多い、と感じます。Lさんというアイルランド系アメリカ人のねーちゃんは、これの常習者なので、4人乗りとかで週末出かけるときは、すげー怖かった。 30分運転して、前をちゃんと見ているのが2、3分。 助手席の人間が、「わあー、曲がって曲がって!」とか「ぎゃあー、ブレーキ!!」とか言うたびに、ちらっと見て曲がったり止まったりしますが、それ以外の時は前を見ない。 日本の人は大雑把にいうと低速運転や駐車は他国のひとよりもずっと上手、と思います。 駐車などは神業である。行儀もだいたいにおいて悪くないっす。 さすがは「学校出」である。母親からテキトーに30分くらい動かしかたを教わって、メモを持った試験官に、はい右曲がってえー、左曲がってえー、バックしてみて、止めて、 よおーし、合格、っちゅうんで免許をもらったわしのようなひととは出来が違うもののようです。 … Continue reading

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秋葉原

神保町と秋葉原とは、東京のなかで、わしの好きなふたつの街です。 これに銀座を加えると、わしにとってはほぼ東京の全部であって、他にはどこも行かない、と言っても良い。わしのしょぼいアパートは広尾山というところにあって、ここからは六本木や渋谷が近いが、全然でかけない。理由は簡単で、 「街が嫌い」だからです。 渋谷や六本木の街は時代遅れで田舎じみている。 原宿もアメリカのひとたちが喜びそうな観光地であって、わっしのシブイ好みにあわん。 そういうのを面白がるひとはたくさんいるのは知っていても、わしは面白いと思わないので行きません。 谷中や千駄木にいたほうが、よっぽど楽しい、と思います。 子供の頃、ストップ・オーバーで東京に立ち寄っていた頃は神保町の一誠堂のような店によく行った。そこの二階には眼もさめるような美しい本がたくさん積まれていて、わしは東京に来るたびにあの二階へあがるのが楽しみであった。 ここで名前を挙げるわけにはいかない場所が他にも神保町には散在していて、こういう店の人たちはいまでは「あっ、ガメではないか。ひさしぶりだなあ、おでん食べに行こう、おでん」なんて言う。わしにとっては仮想的なご近所の役割も果たしているのです。 神保町は、ずっと寂れる一方でわしは心配した。 心配した、と言っても手前勝手な心配で、「遊び場が減ったら、つまらん」というだけのことですが、それでも毎年訪れるたびに街自体が退屈な通りに変わってゆくのを見るのが嫌でした。 わしはファーストフード店にうらみはないが、神保町のようなところに「マクドナルド」とか「ロッテリア」とかいう看板を見ると、ぞっとします。 パチンコ屋に至っては、その無神経さに、うんざりした気持ちになる。 多分、本自体が読まれなくなった結果の市場縮小の直截の結果でしょうから良いとばかりは言えないのでしょうが、この頃、神保町以外で開いていた古本屋さんが神保町に集まるようになった。 新しい店がたくさん有ります。 若い経営者がやっていることが多い、そういう店にはいってみると、「げっ、こんなもんに、こんな値段つけちゃうのか」というような妙に高い値札を雰囲気で誤魔化そうとする傾向や、本そのものについて知識がなさすぎる(日本の近代美術本を扱っているのに州之内徹を知らなかったり、日本現代詩を扱っているのに岩田宏がわからなかったり、ではやはり困る) ところがありますが、なんにしろ、新しい古書店が出来てくるのはよいことだと思います。 神保町は、そういうわけで、どうやらこうやら息を吹き返しつつあるようにも見える。 わしのガキンチョ時代、「アキハバラ」と言えば(少なくとも、わしにとっては)地上の楽園でした。北の果てにあるわしの出身国から南の果てにあるわしの家まで、この世の終わりのような長い飛行時間の途中にあって「アキハバラ」はながいあいだ、わしにとっての文字通りの「オアシス」であった。 なかでも末広町の交差点よりにあった一角は、わしにとっては「聖域」のような場所でした。わし自身は入る勇気がなかったが「六文そば」で立ったままうどんやそばをすすりこむおっちゃんたちの生活は、わしの夢であった。 アキハバラのなかでも抜群に面白い店(わしはタートルビーチの最上級カードをアメリカ以外のところで売っているのを見たのは後にも先にもここだけです)だったのに、やっていたひと(英語が真剣に上手な、というよりは母国語なみな、不思議なひとでした)がよほど飽きっぽいひとだったらしく、すぐに経営者が代わってしまった(その後は退屈な店になった)某コンピュータ店、およそアップルショップらしからぬ、なんだか八百屋さんみたいな店先だったH、 これももうなくなった「ラオックス コンピュータ館」の裏にあって汚い急な階段をあがった先にあった当時はもう合衆国でも手に入らなかったXTの生産終了部品が大量にあったT、こうやって思い出してみると、わしがガキンチョであった、ちょうどその頃が秋葉原が「コンピュータの部品なら、なんでもある街」から、ただの退屈な「安売りの街」に変貌する曲がり角にさしかかった頃、だったのでしょう。 コンピュータが好きなオタクのおっちゃんたちが経営していたこういう愉快な店の群のなかに、やがてコンピュータには何の興味もないが、コンピュータのことになると財布のひもがゆるくなる「バカなオタク」から金を巻き上げる方には、とても興味がある会社群が秋葉原に進出しだすと、旅行者に過ぎないわしの眼にも秋葉原の退廃は明らかになってきます。 興味をもって、こういう会社の歴史を調べてみるとSマップという会社などは、なんと「レンタルソフト」(!)の店が前身であって、わしは、ふうーん、と思う。 犯罪者を許容すると、それを許容した社会は必ず腐敗して衰退する、という有名な理論を思い出させます。 2000年頃、しばらく日本にも秋葉原にも飽きて6年ほどストップオーバーの経路を変えて日本に立ち寄らなかった大学生のわしが久しぶりに立ち寄った秋葉原は、技術的にはまったく面白くないくだらない製品を「オモシロイオモシロイ」「アヤシイ」と言って煽る数年前の日本のどうしようもないPC業界そのものでした。 わしは、その頃から愛三や秋月のような店以外の店にはあんまりいかなくなった。 それも、ただ早足で買い物をするだけです。 日本のひともよく出かけるらしいシンガポールのシムリムスクエア http://www.simlimsquare.com.sg/ は、もともとシンガポール政府が国策として秋葉原を模倣してつくったものです。 秋葉原の街の水平的な広がりを、そのまま垂直方向に翻訳した。 すなわち一階の入り口が秋葉原駅前にあたっていて、二階が中央通り駅側三階が中央通り湯島側四階五階が末広町近辺、というふうにつくった。 わしが子供の時は四階あたりで堂々とコピーソフトを売っていましたが、いまはなくなった。(と言っても表向きのことで、いまでも店員さんに話しをすると奥からもってくる。一度、ソフトを探しているときに「これじゃないほうなんだけど」と言ったら、勘違いした店員さんが奥に一目散に駈けていってコピーソフトをもってきてくれたことがありました。いや、そういう意味じゃないの、と言ったらパニクっておった) ここは、もとから値段が勝負、というところが物真似の悲しさ、というか、秋葉原という場所の本来の魅力を誤解しているところがもの悲しい感じがします。 秋葉原はこの数年、逆にこのシムリムスクエアに似てきた。 ひさしぶりに秋葉原に行って(いつもの電子部品でない)PCパーツの買い物をしました。 1TのHDDやDDR2・2GのSO-SIMM、7200回転の2.5HDD、9800のグラフィックボード、ブルーレイドライブ、SATA-USBアダプタ+SATA電源とか、そんなんです。 残りのノートPCや外付けポータブルHDD、30インチモニタ、ちびLOOX、ブルートゥース、MightyMouse、Wireless keyboard、は有楽町のビックカメラとか秋葉原のヨドバシカメラとか銀座のアップルセンターとか、そういう店で買うしかなかった。 … Continue reading

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