Monthly Archives: December 2008

中国

さっきまでほうれん草とベーコンがはいったキッシュを熱心に食べていたCが、農夫らしい大きな手をあごの下で組んで、のんびりした、でもみなが耳を傾けざるを得ないような気持ちにさせられる低い声で、突然こう言い出しました。 「なあ、ガメ。やっぱり中国のやっていることはおかしいだろう」 わっしは、ちょっと座り直す感じになってCを見ます。 Cは、わっしの年長の友達であって、気持ちの良いひとです。 190センチのわっしよりも、もう20センチくらい上背がある。がっしりした肩に小さな日焼けした顔がのっている。 まるで生まれてからずっと農場主だったような風采ですが実はこの農場を買う金を油井技術者として働いてつくった。わっしが「良いニュージーランド人」を思い浮かべるときに真っ先に思い浮かべる顔のひとつである。 「家ではオリンピックの時にLやKやSと」と言って家族の顔を見渡します。 Cの家は気が強くて思ったことをまっすぐ言う奥さんのL、とふたりの聡明な娘KとSでなっている。年長のKが丁度15歳で、スイスの学校に留学中である。いまはクリスマスで帰ってきているところです。下のSは、14歳でちょうど寄宿制の学校の課題で中国のことを研究した、と言う。 「よく話したんだが。やってることが傍若無人ではないか。言うことも、聞いていると自分たちの都合ばかり。第一、あんなデタラメをわれわれが信じるとでも思っているのかな」 言葉に、おれは、もう我慢しないぞ、という気持ちがみなぎってます。 「チベット人を殺して、死体を埋めて口をぬぐっているのは、ひどいと思う」とKが言う。 奥さんのLが、言葉遣いをたしなめるようにKをちょっとにらみますが、そのLも 「いったい、中国はどうなってるの? なにもかも偽物で、なにもかもウソじゃないの」 と言う。 わっしは、この家の居間でこういう会話が行われること自体にショックを受けてしまった。だいたい、この家で話すことというと、Cとはクリケットの話、Kの学校の話やフランス語の話、Sの勉強の進捗や学校の友達の話というようなものであって、政治や他国の批判なんか出ることはない。 まして、どこかの他国民を批難するような会話、というのは、出るだけでびっくりするような、この家の居間にそぐわない話題である。 下の娘のSが自分の部屋に走って戻ると、課題研究に使ったノートをもって来ます。 「日本には、人体に有毒な黄砂が飛んでくる。日本海側は汚染された水で危険な状態にある」 ページを忙しくめくってます。 「ヤスクニ! これは日本の右翼に利用されている、というけど、なぜ中国政府に日本の政府が釈明しないといけないの? 南京虐殺、というけど、中国側の見解は江沢民のときに変わりすぎているでしょう? ガメ、日本のひとは、どう言っているの?」 わっしは、おもむろに、中国政府は「中国人の利益を第一に考える」という点で、政府として明らかに優れていること、この世界はやがて過剰な人口で破滅する、という明確なビジョンをもっていて、そのときに死ぬ人間が中国人であることを許さない、という判然とした公言されて、よく知られた方針をもっていること、背景には中国という国が3層からなっていて政府がよく考えてみると中国人の世界支配が結論となるしかない一連の長期政策を実現できなければ逆に中国分裂の危機に瀕することをよく自覚していること、などを説明します。 だから、ああいうやりかたしか選択枝がないんでしょう。 いちばん年下のSが、憤懣やるかたない、という調子で両方のこぶしで机をたたいて叫びます。「そんなの、ひどい! 他の国民は、どうなるの!」 西洋人一般の常として、といっていいのかも知れませんが、ニュージーランド人はなかなかいろいろなことに興味をもちません。政治的なことについては、特にそうだ。 まして他国のこととなると、ときどき、他人から話を聞きつけて「へーえ、そうなのか」と思う程度です。わっしもそうですが、身の回りに近い方から順々に考えていくので、物理的に距離が遠いことは考えの対象としても遠い。 そもそも自分の気持ちを覗いてみても、一般的な「世界情勢」というようなことに全然関心がない。 しかし、関心をもったとなると、ゆっくりですが、ちょっとづつちょっとづつ事実を調べて学習していきます。図書館に行き、本を読み、いまならサイトをめぐってマスメデイアを迂回して、なるべく真実と思われそうな事実を集めてゆく。 そこまでやる時間がないひとは、なにか一冊、信頼できそうな本を読みます。 それからまず家族と議論して、次には友人と議論する。 それがだんだん友人の輪を出て、いろいろな集まりで話しに出る頃には、みなそれぞれ、その事柄に対する自分なりの意見が固まっている。 議論も「わあわあ」言う感じが嫌いであって、少しづつ積み上げて話してゆきます。 ものすごく時間がかかるやりかたであって、アジア人のような機敏でタイミングの良い議論が出来ない国民性なのです。 良いところは、感情や情緒というようなものが議論にあまり介在しないことと、徹底的に議論されてゆくので事実でないことが議論される可能性が少ないことでしょう。 多分、オリンピックのせいで、今年は西洋人たちはどこの国でも中国のことや中国がずっと発言してきたこと、あるいはいま中国政府が行っていることについて随分考えた。 その結果、中国政府は自分たちが意図したのとはまったく異なる反応に直面して、とまどっているように見えます。 たとえば日本に関係があることで言うと、いままでは南京虐殺について中国政府が盛んに行う発言に対して、「へーえ、そうなのか。日本人はやっぱり野蛮だのい」と考えた。「中国人は気の毒であった」ひどい言い方をすると、ほんとうには興味がないことなので「聞き流して」いたのです。なんとなく、やっぱり中国人のほうに任せるのでないとアジアはうまくいかないような印象をもった。 今年も世界中のあちこちの都市で中国政府は自分たちがいかに日本によって不当に搾取さて過酷な支配のなかでいかに苦しみ、そこから立ち上がって日本の言語道断な侵略を跳ね返して現在の繁栄を導き出したか演劇をつくり映画をつくり旧正月の出し物をつくって西洋人に伝えるべく努力した。 しかし、今年は受け取る側の西洋人たちの反応が違いすぎるのです。 わっしが日本にいたことがあるのを知っているので、ニュージーランド人たちはわっしによく日本のことを訊く。いまも上海に住んでいるEとふたりで居合わせていると、中国と日本のことをあわせて訊こうとする。 Eとわっしは、よく冗談で「中国人は日本人を野蛮だと言ってののしり、日本人は中国人を嘘つきだと言って罵る、という関係だのい」とか言います。 … Continue reading

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コメント欄の「えくれあん」さんのコメントを読んでいて、日本のひとの「麺好き」をなつかしく思い出してしまった。日本人の「麺好き」はわっしから見るとほぼ熱狂的であって、その実態を知るに至ると、「日本食」というもののイメージが変わります。 実際、日本は世界でもいちばん麺がおいしい国である。 イタリアのひとは「アルデンテ」と言う。 イタリアに行くと「スペインなんかくだらん」というひとにいっぱい会いますが、わっしはイタリア人のそういう「スペイン人なんか、相手にできん」という気持ちには、スペインの麺についての深い軽蔑が関係している、と思う。 スペイン人は「アルデンテ」ということがわかりません。 高級イタリア料理店に行っても、パスタがふにゃふにゃである。 したがって当然ながら四角いのやまるいパスタはまだ食べられてもスパゲッティみたいなものは、全然おいしくない。ソースは素晴らしいのだが、麺がふにゃふにゃ。 食べながら、「ええい、もっとしっかりせんかい」と説教したくなるような根性のない麺です。 実は、この「アルデンテ」とか「コシ」とかいう感覚は、もともとイタリア人と日本人にしかない。他の国民が食べている麺は、だいたいコンジョナシのふにゃ麺であって、シンガポールのように麺をいっぱい食べる国でも、よく有名な麺料理屋で日本のひとが泣きそうな顔、あるいは憤怒の表情でボールに向かっているのを目撃します。 スペインでスパゲッティを食べているイタリア人そっくりの顔である。 ついでにいうと、イタリア人は「米」もアルデンテでないのと嫌なので、イタリア人がちゃんとリゾットをつくると、米に芯があって歯に当たる。日本のひとは、こっちは「ごっちんめし」(たしか、そういう表現だったと思う)と言っていやがるようです。 わっしは日本にいるとき、特に結婚する前は立ち食いそばによく行った。 チェーンでいうと箱根そば、などというのは結構好きでした。 あと、大船軒。常磐軒。六文そば。歌舞伎そばっちゅうのも、あったな。 JRが系列の「あじさい」とかなんとかいう食べ物への愛情が寸毫も感じられないくだらないそば店へどんどん駅構内のそば店を代えていってしまったので、抗議の手紙を書こうかと真剣に考えたこともあります。 「えくれあん」さんが書いている「富士そば」は、わしから見ると、わっはっは、と思うくらいまずいそば屋の代表であって、しかし、このふにゃ麺は国際的スタンダードにはあっている。 平均的ニュージーランド人やアメリカ人なら、こっちのほうをよろこぶかもしれません。 日本と並んで麺がうまい国の代表であるイタリアに行くと、スパゲティを含めた「パスタ」というものが実は価格が高い食べ物であることに気がつきます。 だいたいピザの一倍半から二倍くらいの値段である。 日本と丁度逆で、イタリア人が東京で店を開くときにピザに力をいれたがるのは、冗談ではなくて、そーゆー理由がありそうです。 たとえばフロレンスの地元人が昼食を食べに行くと、いちばん安いのはピザでフロレンスでいちばん人気のあるオステリアに行くと6ユーロくらい。この店に行こうか、でも今日はパスタが食べてえよな、と考えて行く同じ通りのパスタ店のスパゲッティは10ユーロ。ポークチョップも同じ10ユーロ。 手間がかかるパスタは高い食べ物なのである。 これはオーストラリア人やニュージーランド人には理解不能な値段の付け方であっても、日本のひとには判りやすいはずです。 ほら、そば屋の値付けと似ている。 東京のおいしいそば屋に行くと、そばが竹で出来た簀の子(?)の上にへろへろへろっと、やる気のない量で載っていて、それでいきなり2300円。 同じ程度のそばが長野県の上田市に行くと、今度は、どどーんと根性のある量で出てきますが、でもやっぱり2300円。 アメリカンなガイジンどものなかには、「えっ、バックウィートが20ドルもするのかよ。日本人って、ほんとにバカだな」と叫ぶにーちゃんがいますが、ちっ、ちっ、ちっ、バカなのは君のほうである。 一日にバケツいっぱいくらい調味料を食べているに違いないあんたらには、わかるわけがない。 考えてみるとイタリア人は日本人と麺に対する姿勢が思想的にも似てます。 麺好きなイタリア人がシリアスにおいしいスパゲティを食べるときには、ごたごたといろんあソースをかけたりせん。オリーブオイルでにんいくをいためて、唐辛子をいれる、ペペロンチーノやただトマトソースをかけただけのスパゲティを食べる。 特にトマトソースのほうが、徹底的にシンプルでしかも微妙に味が違うトマトソースをつくるのが神髄であって、むかしは、嫁いだ先のトマトソースの微妙さが継承できないと、嫁はんがいじめらたりしたそーだ。 長野のおばちゃんに訊くと、長野ではそば切りが出来ない嫁なんぞ、むかしはその辺にぶちすててもよかったのだそーなので、そういうことも似てます。 どんどんシンプルにしていって、そのシンプルさの極限で微妙さを味わう。 ニュージーランドには、「ワッティーの缶入りスパゲッティ」 http://www.shopnewzealand.co.nz/en/cp/Watties_Spaghetti_420g という世界最強の麺食品がある。完全にのびきっていてまだ麺の形状をなしているのが不思議で魔術的な雰囲気をたたえているスパゲッティがワッティの微妙にまずいトマトソース(ニュージーランドの英語で「トマトソース」というのはアメリカ語の「ケチャップ」のことです)にどっぷりつかっておる。これを、トーストの上に載せて食べる。 おいしいかって? 缶入りスパゲッティのケチャップ漬けがトーストに載っている状況を思い浮かべて、おいしいかもしれない、と思うとしたら、そりゃ、きみの頭がこわれとる。 スコットランドやニュージーランドのじーちゃんやばーちゃんは、いまだに「イタリア人の食い物など不気味なものは食いたくない」と思っている人もたくさんいます。 そーゆー来客があると、わっしは突然好青年化して、「今日は、わっしがご馳走をつくってさしあげます」と、さっと立ち上がって、スパゲティをつくる。 … Continue reading

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ノーマッズ

わっしは旅行中です。 旅行中、とはいうものの、ときどきどこまでが旅行でどこからが生活なのか、ようわからんくなることがある。うろうろしていて、気に入った町があるとそこに住み着いてしまったりするからです。むかしは結婚するまでなんだから、それでよかんべ、と思っていたのだが、結婚した相手も似たようなものだったので、また生活が急速に元に戻りつつある。 わっしらはノーマッド。 どこに行っても「よそもの」の、たったふたりのサーカス一座のようなものです。 公園に張ったテントの代わりに、わっしらはミーティング・ルームに入ってゆくでしょう。そこで、わっしは教科書を勉強しすぎたみなさんには思いもつかぬ空中ブランコの技を演じてみせる。拍手喝采のこともあれば、失敗のこともある。 本当のサーカスと異なるのは、ブランコからブランコに飛び移り損ねても、安全ネットなどないことでしょう。 でも、わっしは、その緊張がたまらなく好きなのだ。 オークランド空港に降りてみると夏の太陽が照りつけるクライストチャーチとは打って変わって、どしゃぶりの雨です。 つぎはぎを繰り返して出来たオークランド空港はデザインが根本から間違っているので、ずぶ濡れにならないで目の前の駐車場に行こうとすると、ぐるうーり、と大回りしなければならぬ。わっしは牧場で足を痛めたので、いっぱい歩くのがめんどくさい。 土砂降りの雨を突っ切って歩きます。 モニは、むかしから雨に濡れたり、噴水の水がかかってしまったりするのを面白がるほうなので、きゃあきゃあ言いながら結構楽しそうである。 ふたりでおんぼろカムリにたどり着く頃には、見事にびしょ濡れになりました。 このあいだ、このカムリをここに駐めたときにはレンチを忘れたのでバッテリーを外せなかったのでエンジンがかかるかどうか心配でしたが、おー、かかる。 さすが反社会的会社でありながら揺るぎない品質で売れ続けるトヨタのくるまである。 ひさしぶりにオークランドの高速を走ってみると、オークランドという街がいかにデタラメな都市計画で出来ているか判ります。マイクロソフトがつくった世にも間抜けな記述がいっぱい載っているので有名な百科事典には「人口30万人」とか、書いてあるが、それはお役所の紙に載っている「オークランド」のことであって、英語世界で普通に「オークランド」と言うときのオークランドは百万人をだいぶん超える人口の街ですが、いくつものカウンシルが勝手に計画を立てて、勝手にヘンな開発を繰り返したので、全体としてのオークランドはつながりがないヘンテコなデコボコな街になった。最近になって「オークランド省」をでっちあげて、なんとかすべ、ということになりましたが、もうほとんど手遅れである。 メルボルンのように周到に計画してつくった街にいると、経済規模がオークランドの3倍はある大都会であることが歩いていて判りません。 もっと親密な感じがする。 ニュージーランドで言えば、クライストチャーチは歴代の市長が比較的賢かったので、 うまく市の中心地域の数を増やして、何をするにもスムースにやれる街になっていますが、オークランドは、ひどい。 たとえば、コンピュータのパーツが買いたいと考えたとすると、クライストチャーチでは市内にいくつか分散してあるディック・スミスにいけばたいていは手に入る。 もっとオタクな電子部品が欲しい場合は、ムアハウスアベニュー沿いに行けばアンティギュアから旧駅に至る地域に店ではなくてウエアハウスだけで営業している会社がいくつかあって、そのどれかでたいてい間に合う。 それが、オークランドだと市内に完全にバラバラにいろいろなレベルの店が散在していて部品ひとつ買うのにクライストチャーチなら30分ですむものが半日はたっぷりかかります。 街のデザインがくだらん。 モニにオークランドという街がいかに出来が悪いか説明しながら、これもオークランド名物の「免許もっとるのか、あんたは」なドライバーのアホ運転をかわしながら、やっとアパートに着いた。 四日しかいないのにアパートでは、めんどっちいので、ホテルにすべえといったんは思ったのですが、年末と年始はマイネンのマンネリで酔っぱらいどもが集まってきてバ○のひとつおぼえのアメリカ人の物真似「カウントダウン」をやる。ホテルの周りは動物園の様相を呈するのが見えているので、考え直しました。 どうせ外国人のマネをするなら、ニュージーランド人も「除夜の鐘」を鳴らして、静粛な年末を過ごすほうが遙かによい、とわっしは思います。 (もっともニュージーンラド人の場合、煩悩の数が百八つくらいですむわけないので、元旦になってもまだ鐘が鳴り続けてカウントダウンよりも、もっとうるさい、という可能性はある) アパートの管理のひとがコーヒーを棚に入れておいてくれたので、コーヒーをいれた。 このアパートは下にレストランがあって、部屋までもてきてくれるので、 わっしはピザを食べた。モニはラム。 キッチンテーブルにカリフォルニアとヨーロッパの地図を広げて、とりあえず来年前半4ヶ月の計画を立てます。「計画」と言っても、とってもえーかげんで、だいたいこの頃は、このへんでうろうろする、というだけのことだが。 モニの注文はひとつだけで、いっぺんパリの家に戻りたい、というだけである。 わっしは、モニの家の近くにある「フランス式ホットドッグ」屋が好きなので、別に文句はない。スコットランドは天候次第。(先週、電話をかけて天気を訊いたときは、まるで土星にすんでいるひとと話しているようであった。街を散歩するのに宇宙服が必要そうな天気である) あー、腹減った。 12インチしかないピザだけじゃ足りん。 ベジマイトでパンでも食べるべ。

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明日から旅行

昨日わっしはアホしか飲まない量のピノ・ノアールを飲んだので、今朝はまだ半分死人であった。くるまにようよう這い上がってモニの度胸がよすぎる運転でクライストチャーチの南にある牧場まで行ってきました。 妹とかーちゃんは昨日の晩から行っていたので、モニとわっしはそこで合流したのだ。 二日酔いのほうはモニがときどき追い越しをかけて対向車線のクルマと合成速度240キロくらいで正面衝突しそうになるので、そのたびに気合いがはいってあっさり直りました。 わっしは牧場がでーえ好きである。 好奇心の固まりのような牛やあんまし賢くない羊たち、神経質な鹿や優しくて繊細な馬というような動物の仲間と育ってきた田舎者なので、わっしの牧場好きには理屈がありません。 動物と一緒にいるのは自分と一緒にいることの3倍くらい楽しい。 それに牧場の空はでかい。 でーっかい空が、どわあーと広がっていて、その下のこれもまたどわあーと広がっているパドックに立っていると、ただもう嬉しくなります。 かーちゃんと妹とモニとわっしは、4人で16万キロ走ってもまだ故障しないで走っている根性のあるフォードのピックアップででかい石がごろごろ転がる道を降りて川に近いパドックまでピクニックをしに行った。 妹とわっしは上流の白いミネラルを含んだ砂のせいでまっしろな色の水が流れるこの川で、むかしよく遊んだ。中州は泥濘になっていて、子供の足だと太腿までずぼっとはまります。わっしは、この「ずっぽり」が好きで、夏になると「ずっぽり、きゃあー」で遊んでおった。 無意味な行いに熱中して歓喜にひたるわっしの性分には長い歴史があるのがわかります。 ニュージーランドの牧場は、だんだん数が減ってます。 特に羊の牧場は経営がだんだん難しくなってきた。 羊毛では殆ど採算が取れません。赤字にならなければ、よいほうである。 ラムも1キロあたり4ドルにしかならない。 ゆいいつ採算があうのはベニスン(鹿肉)であって、これは1キロ10ドルになる。 ドイツのひとが最もよいお客さんです。 角は台湾人たちが漢方薬にするために買いに来る。 わっしは家畜の糞の匂いが好きで、パドックのゲートを開けるときに手に羊の糞がべったりついても、「おっ、きったねえ」ですませてしまいますが、この頃は、そーゆー牧場のダサイ暮らしが人気がない、という理由もある。 ヴィンヤードに牧場を仕立て直して、ピノの魂やリースニング、どうすれば繊細な味が出るかについて語り合いながらテレビ番組にも出たりするワイン農場のほうが人気がある。 わっしはそーゆーオジョーヒンな雰囲気があんまり好きでないので、逃げ出した羊を全速力で追いかけていってすっころんで牛の糞をおでこにくっつけたりしているほうが好きな方です。 今年の帰省は日にちが少ないので、牧場に来るのはちょっと無理かなあ、と思っていたのですが、無理して来てよかった。 要するにイナカモンなだけとも言えるが、牧場に戻ると、元気になります。 元気になる、というか、少しづつ硬くなってきていた心がほぐれて元の自分に再生されるような気がする。 いつもどおり、まことにいいかげんですが、昨日のお題は牧場でしあわせになっているうちに、どうでもよくなってしまった。 さっきテレビのニュースを観ていたらシーシェパードが「今年もわれわれは勝つのだ」とか言ってましたが、またオーストラリアやニュージーランドにいる日本のひとたちにとっては気まずい季節がやってきたわけです。 わっしは去年、みんながニュースを観ているわっしの知り合いの会社のラウンジから、そっと立ち去った日本人従業員の姿が忘れられない。 シドニーの前にオークランドに行かなければならなくなってしまったが、シドニーに着く頃は丁度また反捕鯨でオーストラリアのにーちゃんやねーちゃんが盛り上がっているころです。 波止場に行って、シーシェパードのみなさんのアホな顔でも見てこようかしら。 画像は、これからラインダンスを踊るために一列にならんだ牛のみなさん。 牛さんたち、というのは、ものすごい変わり者の集団なんです。

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安売りが破壊したもの

タワージャンクション、というのはクライストチャーチでもいちばん新しいモールです。 わっしがガキンチョの頃はモールと言えばリカトン、ノースランド、サウスシティのみっつであった。それも、いまのように華々しいデーハーなモールではなくて、むちゃくちゃしょぼいモールであって、わっしのようなガキンチョは、モールに行って錫のカップにいれてもらったミルクセーキ(この日本語を、わっしはいつか使いたかった。ミルクセーキ、いいなあ)を飲むのが楽しみでした。 いつ頃のことかって? コンピュータで言うと、わっしが大好きだったAppleのSE/30の頃、遠い遠いむかしのことです。わっしの果てしなきチビ時代、「あんなもの食べるとアホになります」とゆわれて、ずえったいに食べさせてもらえなかったマクドナルドとKFCを食べるのが人生唯一の夢であった黄金の日々のことである。 いまはシャーリーにもリンウッドにも新しいモールが出来て、ホーンビーというところと、このタワージャンクションという新しい駅に近いところにモールが出来た。 リカトンとノースランドは大々的に拡張されて、すげーでかいモールになった。 人口30万+の町にしては多い方です。 お客さんが泊まる部屋のテレビのDVDプレーヤを買ってこい、というご用命で、わっしはやってきたのです。ここにはハービーノーマンというオーストラリアやニュージーランドやシンガポールに店がある家電店チェーン(Y電機、のようなもんすな)の、そのまたアウトレットがある。天性けちであるわっしの入念な研究の結果、ここで売っている東芝のDVDプレーヤ(45ドル=約2300円)が最も適切である、という結論になったのだ。 ニュージーランド人は相変わらす経済に極端に疎いので、世の中が不景気だということを理解しておらぬ。すげー、人出です。 大安売りのブラビアを担いだおっさんやおばはんがうろうろしておる。 すごい力持ち。 他の店舗も延々長蛇の支払いの人の列で、じっと見ていると、ひょっとして経済音痴の誤解の迫力で消費が押し上げられて景気が悪くならないまま終わるのではないか、という気がしてきます(そんなアホなことがあるわけはないが)。 とにかく、もうクリスマス終わってるのに凄まじい人出である。 銀座よりひどい。 クライストチャーチって、こんなに人がいたのか、と素朴な感想を持つわっし。 目当てのDVDプレーヤは店の正面に山をなしておる。 わっしは店員をつかまえておもむろに交渉します。 「これを3台欲しいんすけど。まかりまへんか」 店員、45ドルからまだまけさせようとするわっしの裂帛の気迫にたじろいで微かに後じさりしておる。 「できまへん」 そーですか。 いや、訊いてみただけです。 3台くらはい。 店員さん、見るからにほっとしてます。 おどかして、すまん。 DVDプレーヤの箱みっつをくるまに運びながら、「こんなものが2300円で手に入るような世の中というのは滅亡が近いのではないか」と、さっきまで値切ろうとしていた癖に勝手なことを考えるわっし。 実際、今年のクリスマスセールの価格は「ヘン」であった。 うまくいえませんが、東芝のDVDプレーヤーが2300円で買えるのは、実は「よくない」ことなのではなかろうか。 モニとわっしが買ったiPhone16Gはハードウエアが一個5万円で、それとは別にシムカードを買った。結構安いじゃん、とわっしはニコニコしてましたが、しかし、それとこれとは別のような気がします。 何故、だろう? ….と、ここまで書いたら妹とモニがやってきてリトルトン(港がある)に遊びに行こう、と言う。かーちゃんも一緒だそーだ。 これからしばらくこーゆー書き方になります。 去年と同じで、来週のシドニーから始まって、ずるずると合衆国ヨーロッパ連合王国、それでもってやる気が残ってればもう一カ所どこか半年くらいは移動中になるので、そうなる。「去年と同じ」と書きましたが、去年は自分のアパートを巡っていたわけだが、今回はきっとクルマで小さい町を渡り歩くに違いなし。 だから、きっと、半日経って記事が書き足されたり、コメントの返信が長引いたり、いろいろヘンになると思う。 ぐずぐずベッドでコンピュータを使っていると妹に張り倒されるので、もう出かけなくては、昨日はめんどくさがって続きをブッチしてしまったが、今日はちゃんと書きます。 夜は近所のワイナリでモニと妹とかーちゃんのお友達たちと夕飯を食べに行くそーなので、その後になるかも知れぬが。 ほんじゃ、また、あとで。 帰ってきました。 今日はマーケットがある日で日本人の観光客がたくさん来ておった。 リトルトンはわっしがガキの頃は寂しくて冴えない港町であったが、この頃は妙に人気がるようです。 … Continue reading

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fring, iPhone

すぐそばに妹のやや眉をひそめたアップの顔がある。 すごい至近距離。 チェス盤の上に身を乗り出してきたからです。 じっと、わっしを見る。 「おにーちゃんって、つくづくアホよね」と言います。 「ちょっと待ちなさい」 「待ちません」 「いや、もう一回だけ」 「絶対、ぜったい、ぜえったい、いや。八回目じゃない」 「おまえにはクリスマス精神というものがないのか」 「おにーちゃんとチェスやると、あんましアホだからいらいらするんだもん。 だーめ! チェックメイト!」 あー、また負けてしもうた。 友よ、信じがたいことにこれで妹とのチェスは12勝879敗である。はっぴゃくななじゅうきゅう回も負けているのも問題だが、初めの12勝がすべて妹が5歳のときであるのも、やや問題、と思う。 そのうち一勝は妹がトイレにたったすきに駒を動かした勝ちだしな。 (それが最後の勝利であったことは言うを待たぬ) わっしは前にこれと同じことを書いてniggaさんと言う人に思い切り嘲笑されたことがあるが、全然懲りずに繰り返して書くと、わっしの妹はたいそう美人である(と思う)その上にカシコイ。妹が14歳くらいになってからは、妹につきあってくれと哀願する男ガキがいっぱいあらわれて誠に鬱陶しい日々であった。16歳くらいになるとアホ男が門前市をなす、というか、イナゴのように次から次にあらわれて、美人に生まれるというのはなかなか鬱陶しいものであるな、と感心したりしておった。 これら恋情に身をこがしておった男どもには、まったく判らなかったであろうが、わっしにとっては妹はもうひとつ大きな問題をもたらす存在であった。 妹はわが妹ながらなかなか迫力のある知性の持ち主であって、わっしは足下にも及ばぬ。であるから、ごく初期の頃から、わっしは「自分が賢くない」という現実と向き合わねばならなかったのです。 多分、わっしがオタク化した真因は、ここにあるのだな。 だって、わっしがおよそ40分くらいかかる問題であると妹は5分、でっせ。 やってらんねーよ。 ついでに言うとわっしはバック転がいまでも出来る。わっしが雄々しい巨体を空中に踊らせてセミクジラのようにダイナミックなフリップをかますとチビガキどもはきゃあきゃあゆって喜ぶ。しかし、こーゆーことももしかすると妹の能力的な優勢に対する補償行為だったりして。 まあ、いいや。そもそもわっしは何を書こうと思ってたんだっけ。 おー、そうだ。 わっしは遅ればせながらクライストチャーチでiPhoneを買いました。 iPodTouch16G->iPodTouch32G と買っておったのだがiPhoneはまだもっておらなかった。 で、今度、おとなしく自分にiPhoneが欲しい欲望があるのを認めて買った。 感想ですか? えがった。 とぉーても、えがった。 Windows MobileはOSがポンポコリンなせいで、普通のサイトのブラウジングなんて、とてもではないが出来ませんが、iPhoneはやれる。特に重力センサーが付いてからは、横向きにするとパッと変わるのでとっても見やすいっす。 「もー、どこにでも書いてあるから、いまさら、そんなもの書かんでえーよ」と言われそうですが、予想に反してすごく良いハードウエアだったので書いておく。 わっしのiPhoneには、こーゆーソフトがはいってます。 ・frnig (フリーソフトウエア) http://www.fring.com/ 有名なVoIPソフトだすな。これがないとiPhoneでスカイプがやれん。 … Continue reading

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A very Merry Christmas to you!

目が覚めるとモニがベッドの横に立ってます。わっしのために持ってきてくれたコーヒーとチョコレートを挟んだクロワッサンをもって立っておる。 「クリスマス、おめでとう、ガメ」と言う。 「メリー・クリスマス、モニ」 上半身を起こしてベッドに座り直したら、急に「むぎゅ」とされた。 踏みつぶされたわけではありません。 抱きしめられたのだ。 考えてみるとモニにとっては母国以外で過ごす初めてのクリスマスである。 ちょっと感傷的になっているのかもしれません。 台所に行ってみると、かーちゃんがこさえてくれた巨大なハムがベンチにのっておる。 わっしの大好物なので、クリスマスになると、いつもこれだけはかーちゃんが人任せにしないで自分でつくってくれるのす。どこまでもどこまでもでかくて、一面にクローブが挿してある。わっしは、これとロースト・ラムがないとクリスマスな気持ちになれん。 グレービーとクランベリーソースをかけて食べる。 うー、たまらん。 居間からは他のひとたちよりも早く着いたふた組の叔父叔母のスコットランド訛りの英語が響いてきます。延々と延々と「どこの墓場が散歩するのによいか」という話をしておる。わっしが「クリスマスおめでとうごぜーやす」と言いにゆくと、いっせいに振り返って「ガメは、どこの墓場が散歩に向いていると思うか」と訊く。 エディンバラの城の向かいの墓場はどーすか、とわっし。 ほらヒュームの墓がある、あれっす、というと、あそこは風が強いな、とか最近出来たモールが気に入らんとか好き勝手に述べたあとで、今度はヒュームの話から無神論について延々と話しだします。 ゲールに伝わる「黒い魔物」(これの通り道に家をつくると一族が死に絶える)の話や、生首でつくったガーゴイル。 この4人が到着しただけでも、まるでスコットランドが居間に引っ越してきたようです。 モニとふたりで庭のガゼボへ行った。 わっしはシャンペン、モニはコーヒーを手に持ってます。 皿の上には、これもわっしの大好物であるキュウリのサンドウイッチ。 来週はシドニーに行くんだったのう、とか、サンフランシスコからロスアンジェルスまではクルマで行くのがいいだんべ、とこれから先の移動の話をした。 人間が発明したいろいろなヘンテコなもののなかでも結婚ほどヘンなものはない。 ただの社会の側の都合で決まった制度にしか過ぎないのに、独身男の生活を根本から変えてしまう。目が覚めたときに初めに考えるのは相手のことであって、眠るときに最後に見つめているのは相手の顔です。 いつのまにか結婚するまでの生活はモニと一緒に暮らし始めるための「準備」であったような様相になってしまった。あれほど好きであった世界が、まるで「ほんとうでなかった」世界のように思えてくる。 モニのいない世界で、どうやって暮らしていたのだろう? 今年のクリスマスは寒い。 ガゼボにいるのが寒くなったので、わしらは庭を横切って小さいほうの居間にもどります。 急に静かになった。 モニが手をさしのべて、わっしの手のうえに乗せます。 瞳の緑色が強い濃い色に変わる。 モニのあまりの美しさに息をのむわっし。 一瞬、このひとにプロポーズしたい、と考えて、自分の奥さんにプロポーズしてもやっぱり重婚罪(未遂)になるのかしら、とアホなことを考える、わっし。 これから、ずっとモニと一緒なんだなあ、と思うとなんだか嬉しいようなこわいような気がします。 Hope you had a wonderful year. A … Continue reading

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