Monthly Archives: December 2008

中国

さっきまでほうれん草とベーコンがはいったキッシュを熱心に食べていたCが、農夫らしい大きな手をあごの下で組んで、のんびりした、でもみなが耳を傾けざるを得ないような気持ちにさせられる低い声で、突然こう言い出しました。 「なあ、ガメ。やっぱり中国のやっていることはおかしいだろう」 わっしは、ちょっと座り直す感じになってCを見ます。 Cは、わっしの年長の友達であって、気持ちの良いひとです。 190センチのわっしよりも、もう20センチくらい上背がある。がっしりした肩に小さな日焼けした顔がのっている。 まるで生まれてからずっと農場主だったような風采ですが実はこの農場を買う金を油井技術者として働いてつくった。わっしが「良いニュージーランド人」を思い浮かべるときに真っ先に思い浮かべる顔のひとつである。 「家ではオリンピックの時にLやKやSと」と言って家族の顔を見渡します。 Cの家は気が強くて思ったことをまっすぐ言う奥さんのL、とふたりの聡明な娘KとSでなっている。年長のKが丁度15歳で、スイスの学校に留学中である。いまはクリスマスで帰ってきているところです。下のSは、14歳でちょうど寄宿制の学校の課題で中国のことを研究した、と言う。 「よく話したんだが。やってることが傍若無人ではないか。言うことも、聞いていると自分たちの都合ばかり。第一、あんなデタラメをわれわれが信じるとでも思っているのかな」 言葉に、おれは、もう我慢しないぞ、という気持ちがみなぎってます。 「チベット人を殺して、死体を埋めて口をぬぐっているのは、ひどいと思う」とKが言う。 奥さんのLが、言葉遣いをたしなめるようにKをちょっとにらみますが、そのLも 「いったい、中国はどうなってるの? なにもかも偽物で、なにもかもウソじゃないの」 と言う。 わっしは、この家の居間でこういう会話が行われること自体にショックを受けてしまった。だいたい、この家で話すことというと、Cとはクリケットの話、Kの学校の話やフランス語の話、Sの勉強の進捗や学校の友達の話というようなものであって、政治や他国の批判なんか出ることはない。 まして、どこかの他国民を批難するような会話、というのは、出るだけでびっくりするような、この家の居間にそぐわない話題である。 下の娘のSが自分の部屋に走って戻ると、課題研究に使ったノートをもって来ます。 「日本には、人体に有毒な黄砂が飛んでくる。日本海側は汚染された水で危険な状態にある」 ページを忙しくめくってます。 「ヤスクニ! これは日本の右翼に利用されている、というけど、なぜ中国政府に日本の政府が釈明しないといけないの? 南京虐殺、というけど、中国側の見解は江沢民のときに変わりすぎているでしょう? ガメ、日本のひとは、どう言っているの?」 わっしは、おもむろに、中国政府は「中国人の利益を第一に考える」という点で、政府として明らかに優れていること、この世界はやがて過剰な人口で破滅する、という明確なビジョンをもっていて、そのときに死ぬ人間が中国人であることを許さない、という判然とした公言されて、よく知られた方針をもっていること、背景には中国という国が3層からなっていて政府がよく考えてみると中国人の世界支配が結論となるしかない一連の長期政策を実現できなければ逆に中国分裂の危機に瀕することをよく自覚していること、などを説明します。 だから、ああいうやりかたしか選択枝がないんでしょう。 いちばん年下のSが、憤懣やるかたない、という調子で両方のこぶしで机をたたいて叫びます。「そんなの、ひどい! 他の国民は、どうなるの!」 西洋人一般の常として、といっていいのかも知れませんが、ニュージーランド人はなかなかいろいろなことに興味をもちません。政治的なことについては、特にそうだ。 まして他国のこととなると、ときどき、他人から話を聞きつけて「へーえ、そうなのか」と思う程度です。わっしもそうですが、身の回りに近い方から順々に考えていくので、物理的に距離が遠いことは考えの対象としても遠い。 そもそも自分の気持ちを覗いてみても、一般的な「世界情勢」というようなことに全然関心がない。 しかし、関心をもったとなると、ゆっくりですが、ちょっとづつちょっとづつ事実を調べて学習していきます。図書館に行き、本を読み、いまならサイトをめぐってマスメデイアを迂回して、なるべく真実と思われそうな事実を集めてゆく。 そこまでやる時間がないひとは、なにか一冊、信頼できそうな本を読みます。 それからまず家族と議論して、次には友人と議論する。 それがだんだん友人の輪を出て、いろいろな集まりで話しに出る頃には、みなそれぞれ、その事柄に対する自分なりの意見が固まっている。 議論も「わあわあ」言う感じが嫌いであって、少しづつ積み上げて話してゆきます。 ものすごく時間がかかるやりかたであって、アジア人のような機敏でタイミングの良い議論が出来ない国民性なのです。 良いところは、感情や情緒というようなものが議論にあまり介在しないことと、徹底的に議論されてゆくので事実でないことが議論される可能性が少ないことでしょう。 多分、オリンピックのせいで、今年は西洋人たちはどこの国でも中国のことや中国がずっと発言してきたこと、あるいはいま中国政府が行っていることについて随分考えた。 その結果、中国政府は自分たちが意図したのとはまったく異なる反応に直面して、とまどっているように見えます。 たとえば日本に関係があることで言うと、いままでは南京虐殺について中国政府が盛んに行う発言に対して、「へーえ、そうなのか。日本人はやっぱり野蛮だのい」と考えた。「中国人は気の毒であった」ひどい言い方をすると、ほんとうには興味がないことなので「聞き流して」いたのです。なんとなく、やっぱり中国人のほうに任せるのでないとアジアはうまくいかないような印象をもった。 今年も世界中のあちこちの都市で中国政府は自分たちがいかに日本によって不当に搾取さて過酷な支配のなかでいかに苦しみ、そこから立ち上がって日本の言語道断な侵略を跳ね返して現在の繁栄を導き出したか演劇をつくり映画をつくり旧正月の出し物をつくって西洋人に伝えるべく努力した。 しかし、今年は受け取る側の西洋人たちの反応が違いすぎるのです。 わっしが日本にいたことがあるのを知っているので、ニュージーランド人たちはわっしによく日本のことを訊く。いまも上海に住んでいるEとふたりで居合わせていると、中国と日本のことをあわせて訊こうとする。 Eとわっしは、よく冗談で「中国人は日本人を野蛮だと言ってののしり、日本人は中国人を嘘つきだと言って罵る、という関係だのい」とか言います。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 1 Comment

コメント欄の「えくれあん」さんのコメントを読んでいて、日本のひとの「麺好き」をなつかしく思い出してしまった。日本人の「麺好き」はわっしから見るとほぼ熱狂的であって、その実態を知るに至ると、「日本食」というもののイメージが変わります。 実際、日本は世界でもいちばん麺がおいしい国である。 イタリアのひとは「アルデンテ」と言う。 イタリアに行くと「スペインなんかくだらん」というひとにいっぱい会いますが、わっしはイタリア人のそういう「スペイン人なんか、相手にできん」という気持ちには、スペインの麺についての深い軽蔑が関係している、と思う。 スペイン人は「アルデンテ」ということがわかりません。 高級イタリア料理店に行っても、パスタがふにゃふにゃである。 したがって当然ながら四角いのやまるいパスタはまだ食べられてもスパゲッティみたいなものは、全然おいしくない。ソースは素晴らしいのだが、麺がふにゃふにゃ。 食べながら、「ええい、もっとしっかりせんかい」と説教したくなるような根性のない麺です。 実は、この「アルデンテ」とか「コシ」とかいう感覚は、もともとイタリア人と日本人にしかない。他の国民が食べている麺は、だいたいコンジョナシのふにゃ麺であって、シンガポールのように麺をいっぱい食べる国でも、よく有名な麺料理屋で日本のひとが泣きそうな顔、あるいは憤怒の表情でボールに向かっているのを目撃します。 スペインでスパゲッティを食べているイタリア人そっくりの顔である。 ついでにいうと、イタリア人は「米」もアルデンテでないのと嫌なので、イタリア人がちゃんとリゾットをつくると、米に芯があって歯に当たる。日本のひとは、こっちは「ごっちんめし」(たしか、そういう表現だったと思う)と言っていやがるようです。 わっしは日本にいるとき、特に結婚する前は立ち食いそばによく行った。 チェーンでいうと箱根そば、などというのは結構好きでした。 あと、大船軒。常磐軒。六文そば。歌舞伎そばっちゅうのも、あったな。 JRが系列の「あじさい」とかなんとかいう食べ物への愛情が寸毫も感じられないくだらないそば店へどんどん駅構内のそば店を代えていってしまったので、抗議の手紙を書こうかと真剣に考えたこともあります。 「えくれあん」さんが書いている「富士そば」は、わしから見ると、わっはっは、と思うくらいまずいそば屋の代表であって、しかし、このふにゃ麺は国際的スタンダードにはあっている。 平均的ニュージーランド人やアメリカ人なら、こっちのほうをよろこぶかもしれません。 日本と並んで麺がうまい国の代表であるイタリアに行くと、スパゲティを含めた「パスタ」というものが実は価格が高い食べ物であることに気がつきます。 だいたいピザの一倍半から二倍くらいの値段である。 日本と丁度逆で、イタリア人が東京で店を開くときにピザに力をいれたがるのは、冗談ではなくて、そーゆー理由がありそうです。 たとえばフロレンスの地元人が昼食を食べに行くと、いちばん安いのはピザでフロレンスでいちばん人気のあるオステリアに行くと6ユーロくらい。この店に行こうか、でも今日はパスタが食べてえよな、と考えて行く同じ通りのパスタ店のスパゲッティは10ユーロ。ポークチョップも同じ10ユーロ。 手間がかかるパスタは高い食べ物なのである。 これはオーストラリア人やニュージーランド人には理解不能な値段の付け方であっても、日本のひとには判りやすいはずです。 ほら、そば屋の値付けと似ている。 東京のおいしいそば屋に行くと、そばが竹で出来た簀の子(?)の上にへろへろへろっと、やる気のない量で載っていて、それでいきなり2300円。 同じ程度のそばが長野県の上田市に行くと、今度は、どどーんと根性のある量で出てきますが、でもやっぱり2300円。 アメリカンなガイジンどものなかには、「えっ、バックウィートが20ドルもするのかよ。日本人って、ほんとにバカだな」と叫ぶにーちゃんがいますが、ちっ、ちっ、ちっ、バカなのは君のほうである。 一日にバケツいっぱいくらい調味料を食べているに違いないあんたらには、わかるわけがない。 考えてみるとイタリア人は日本人と麺に対する姿勢が思想的にも似てます。 麺好きなイタリア人がシリアスにおいしいスパゲティを食べるときには、ごたごたといろんあソースをかけたりせん。オリーブオイルでにんいくをいためて、唐辛子をいれる、ペペロンチーノやただトマトソースをかけただけのスパゲティを食べる。 特にトマトソースのほうが、徹底的にシンプルでしかも微妙に味が違うトマトソースをつくるのが神髄であって、むかしは、嫁いだ先のトマトソースの微妙さが継承できないと、嫁はんがいじめらたりしたそーだ。 長野のおばちゃんに訊くと、長野ではそば切りが出来ない嫁なんぞ、むかしはその辺にぶちすててもよかったのだそーなので、そういうことも似てます。 どんどんシンプルにしていって、そのシンプルさの極限で微妙さを味わう。 ニュージーランドには、「ワッティーの缶入りスパゲッティ」 http://www.shopnewzealand.co.nz/en/cp/Watties_Spaghetti_420g という世界最強の麺食品がある。完全にのびきっていてまだ麺の形状をなしているのが不思議で魔術的な雰囲気をたたえているスパゲッティがワッティの微妙にまずいトマトソース(ニュージーランドの英語で「トマトソース」というのはアメリカ語の「ケチャップ」のことです)にどっぷりつかっておる。これを、トーストの上に載せて食べる。 おいしいかって? 缶入りスパゲッティのケチャップ漬けがトーストに載っている状況を思い浮かべて、おいしいかもしれない、と思うとしたら、そりゃ、きみの頭がこわれとる。 スコットランドやニュージーランドのじーちゃんやばーちゃんは、いまだに「イタリア人の食い物など不気味なものは食いたくない」と思っている人もたくさんいます。 そーゆー来客があると、わっしは突然好青年化して、「今日は、わっしがご馳走をつくってさしあげます」と、さっと立ち上がって、スパゲティをつくる。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

ノーマッズ

わっしは旅行中です。 旅行中、とはいうものの、ときどきどこまでが旅行でどこからが生活なのか、ようわからんくなることがある。うろうろしていて、気に入った町があるとそこに住み着いてしまったりするからです。むかしは結婚するまでなんだから、それでよかんべ、と思っていたのだが、結婚した相手も似たようなものだったので、また生活が急速に元に戻りつつある。 わっしらはノーマッド。 どこに行っても「よそもの」の、たったふたりのサーカス一座のようなものです。 公園に張ったテントの代わりに、わっしらはミーティング・ルームに入ってゆくでしょう。そこで、わっしは教科書を勉強しすぎたみなさんには思いもつかぬ空中ブランコの技を演じてみせる。拍手喝采のこともあれば、失敗のこともある。 本当のサーカスと異なるのは、ブランコからブランコに飛び移り損ねても、安全ネットなどないことでしょう。 でも、わっしは、その緊張がたまらなく好きなのだ。 オークランド空港に降りてみると夏の太陽が照りつけるクライストチャーチとは打って変わって、どしゃぶりの雨です。 つぎはぎを繰り返して出来たオークランド空港はデザインが根本から間違っているので、ずぶ濡れにならないで目の前の駐車場に行こうとすると、ぐるうーり、と大回りしなければならぬ。わっしは牧場で足を痛めたので、いっぱい歩くのがめんどくさい。 土砂降りの雨を突っ切って歩きます。 モニは、むかしから雨に濡れたり、噴水の水がかかってしまったりするのを面白がるほうなので、きゃあきゃあ言いながら結構楽しそうである。 ふたりでおんぼろカムリにたどり着く頃には、見事にびしょ濡れになりました。 このあいだ、このカムリをここに駐めたときにはレンチを忘れたのでバッテリーを外せなかったのでエンジンがかかるかどうか心配でしたが、おー、かかる。 さすが反社会的会社でありながら揺るぎない品質で売れ続けるトヨタのくるまである。 ひさしぶりにオークランドの高速を走ってみると、オークランドという街がいかにデタラメな都市計画で出来ているか判ります。マイクロソフトがつくった世にも間抜けな記述がいっぱい載っているので有名な百科事典には「人口30万人」とか、書いてあるが、それはお役所の紙に載っている「オークランド」のことであって、英語世界で普通に「オークランド」と言うときのオークランドは百万人をだいぶん超える人口の街ですが、いくつものカウンシルが勝手に計画を立てて、勝手にヘンな開発を繰り返したので、全体としてのオークランドはつながりがないヘンテコなデコボコな街になった。最近になって「オークランド省」をでっちあげて、なんとかすべ、ということになりましたが、もうほとんど手遅れである。 メルボルンのように周到に計画してつくった街にいると、経済規模がオークランドの3倍はある大都会であることが歩いていて判りません。 もっと親密な感じがする。 ニュージーランドで言えば、クライストチャーチは歴代の市長が比較的賢かったので、 うまく市の中心地域の数を増やして、何をするにもスムースにやれる街になっていますが、オークランドは、ひどい。 たとえば、コンピュータのパーツが買いたいと考えたとすると、クライストチャーチでは市内にいくつか分散してあるディック・スミスにいけばたいていは手に入る。 もっとオタクな電子部品が欲しい場合は、ムアハウスアベニュー沿いに行けばアンティギュアから旧駅に至る地域に店ではなくてウエアハウスだけで営業している会社がいくつかあって、そのどれかでたいてい間に合う。 それが、オークランドだと市内に完全にバラバラにいろいろなレベルの店が散在していて部品ひとつ買うのにクライストチャーチなら30分ですむものが半日はたっぷりかかります。 街のデザインがくだらん。 モニにオークランドという街がいかに出来が悪いか説明しながら、これもオークランド名物の「免許もっとるのか、あんたは」なドライバーのアホ運転をかわしながら、やっとアパートに着いた。 四日しかいないのにアパートでは、めんどっちいので、ホテルにすべえといったんは思ったのですが、年末と年始はマイネンのマンネリで酔っぱらいどもが集まってきてバ○のひとつおぼえのアメリカ人の物真似「カウントダウン」をやる。ホテルの周りは動物園の様相を呈するのが見えているので、考え直しました。 どうせ外国人のマネをするなら、ニュージーランド人も「除夜の鐘」を鳴らして、静粛な年末を過ごすほうが遙かによい、とわっしは思います。 (もっともニュージーンラド人の場合、煩悩の数が百八つくらいですむわけないので、元旦になってもまだ鐘が鳴り続けてカウントダウンよりも、もっとうるさい、という可能性はある) アパートの管理のひとがコーヒーを棚に入れておいてくれたので、コーヒーをいれた。 このアパートは下にレストランがあって、部屋までもてきてくれるので、 わっしはピザを食べた。モニはラム。 キッチンテーブルにカリフォルニアとヨーロッパの地図を広げて、とりあえず来年前半4ヶ月の計画を立てます。「計画」と言っても、とってもえーかげんで、だいたいこの頃は、このへんでうろうろする、というだけのことだが。 モニの注文はひとつだけで、いっぺんパリの家に戻りたい、というだけである。 わっしは、モニの家の近くにある「フランス式ホットドッグ」屋が好きなので、別に文句はない。スコットランドは天候次第。(先週、電話をかけて天気を訊いたときは、まるで土星にすんでいるひとと話しているようであった。街を散歩するのに宇宙服が必要そうな天気である) あー、腹減った。 12インチしかないピザだけじゃ足りん。 ベジマイトでパンでも食べるべ。

Posted in Uncategorized | Leave a comment

明日から旅行

昨日わっしはアホしか飲まない量のピノ・ノアールを飲んだので、今朝はまだ半分死人であった。くるまにようよう這い上がってモニの度胸がよすぎる運転でクライストチャーチの南にある牧場まで行ってきました。 妹とかーちゃんは昨日の晩から行っていたので、モニとわっしはそこで合流したのだ。 二日酔いのほうはモニがときどき追い越しをかけて対向車線のクルマと合成速度240キロくらいで正面衝突しそうになるので、そのたびに気合いがはいってあっさり直りました。 わっしは牧場がでーえ好きである。 好奇心の固まりのような牛やあんまし賢くない羊たち、神経質な鹿や優しくて繊細な馬というような動物の仲間と育ってきた田舎者なので、わっしの牧場好きには理屈がありません。 動物と一緒にいるのは自分と一緒にいることの3倍くらい楽しい。 それに牧場の空はでかい。 でーっかい空が、どわあーと広がっていて、その下のこれもまたどわあーと広がっているパドックに立っていると、ただもう嬉しくなります。 かーちゃんと妹とモニとわっしは、4人で16万キロ走ってもまだ故障しないで走っている根性のあるフォードのピックアップででかい石がごろごろ転がる道を降りて川に近いパドックまでピクニックをしに行った。 妹とわっしは上流の白いミネラルを含んだ砂のせいでまっしろな色の水が流れるこの川で、むかしよく遊んだ。中州は泥濘になっていて、子供の足だと太腿までずぼっとはまります。わっしは、この「ずっぽり」が好きで、夏になると「ずっぽり、きゃあー」で遊んでおった。 無意味な行いに熱中して歓喜にひたるわっしの性分には長い歴史があるのがわかります。 ニュージーランドの牧場は、だんだん数が減ってます。 特に羊の牧場は経営がだんだん難しくなってきた。 羊毛では殆ど採算が取れません。赤字にならなければ、よいほうである。 ラムも1キロあたり4ドルにしかならない。 ゆいいつ採算があうのはベニスン(鹿肉)であって、これは1キロ10ドルになる。 ドイツのひとが最もよいお客さんです。 角は台湾人たちが漢方薬にするために買いに来る。 わっしは家畜の糞の匂いが好きで、パドックのゲートを開けるときに手に羊の糞がべったりついても、「おっ、きったねえ」ですませてしまいますが、この頃は、そーゆー牧場のダサイ暮らしが人気がない、という理由もある。 ヴィンヤードに牧場を仕立て直して、ピノの魂やリースニング、どうすれば繊細な味が出るかについて語り合いながらテレビ番組にも出たりするワイン農場のほうが人気がある。 わっしはそーゆーオジョーヒンな雰囲気があんまり好きでないので、逃げ出した羊を全速力で追いかけていってすっころんで牛の糞をおでこにくっつけたりしているほうが好きな方です。 今年の帰省は日にちが少ないので、牧場に来るのはちょっと無理かなあ、と思っていたのですが、無理して来てよかった。 要するにイナカモンなだけとも言えるが、牧場に戻ると、元気になります。 元気になる、というか、少しづつ硬くなってきていた心がほぐれて元の自分に再生されるような気がする。 いつもどおり、まことにいいかげんですが、昨日のお題は牧場でしあわせになっているうちに、どうでもよくなってしまった。 さっきテレビのニュースを観ていたらシーシェパードが「今年もわれわれは勝つのだ」とか言ってましたが、またオーストラリアやニュージーランドにいる日本のひとたちにとっては気まずい季節がやってきたわけです。 わっしは去年、みんながニュースを観ているわっしの知り合いの会社のラウンジから、そっと立ち去った日本人従業員の姿が忘れられない。 シドニーの前にオークランドに行かなければならなくなってしまったが、シドニーに着く頃は丁度また反捕鯨でオーストラリアのにーちゃんやねーちゃんが盛り上がっているころです。 波止場に行って、シーシェパードのみなさんのアホな顔でも見てこようかしら。 画像は、これからラインダンスを踊るために一列にならんだ牛のみなさん。 牛さんたち、というのは、ものすごい変わり者の集団なんです。

Posted in Uncategorized | Leave a comment

安売りが破壊したもの

タワージャンクション、というのはクライストチャーチでもいちばん新しいモールです。 わっしがガキンチョの頃はモールと言えばリカトン、ノースランド、サウスシティのみっつであった。それも、いまのように華々しいデーハーなモールではなくて、むちゃくちゃしょぼいモールであって、わっしのようなガキンチョは、モールに行って錫のカップにいれてもらったミルクセーキ(この日本語を、わっしはいつか使いたかった。ミルクセーキ、いいなあ)を飲むのが楽しみでした。 いつ頃のことかって? コンピュータで言うと、わっしが大好きだったAppleのSE/30の頃、遠い遠いむかしのことです。わっしの果てしなきチビ時代、「あんなもの食べるとアホになります」とゆわれて、ずえったいに食べさせてもらえなかったマクドナルドとKFCを食べるのが人生唯一の夢であった黄金の日々のことである。 いまはシャーリーにもリンウッドにも新しいモールが出来て、ホーンビーというところと、このタワージャンクションという新しい駅に近いところにモールが出来た。 リカトンとノースランドは大々的に拡張されて、すげーでかいモールになった。 人口30万+の町にしては多い方です。 お客さんが泊まる部屋のテレビのDVDプレーヤを買ってこい、というご用命で、わっしはやってきたのです。ここにはハービーノーマンというオーストラリアやニュージーランドやシンガポールに店がある家電店チェーン(Y電機、のようなもんすな)の、そのまたアウトレットがある。天性けちであるわっしの入念な研究の結果、ここで売っている東芝のDVDプレーヤ(45ドル=約2300円)が最も適切である、という結論になったのだ。 ニュージーランド人は相変わらす経済に極端に疎いので、世の中が不景気だということを理解しておらぬ。すげー、人出です。 大安売りのブラビアを担いだおっさんやおばはんがうろうろしておる。 すごい力持ち。 他の店舗も延々長蛇の支払いの人の列で、じっと見ていると、ひょっとして経済音痴の誤解の迫力で消費が押し上げられて景気が悪くならないまま終わるのではないか、という気がしてきます(そんなアホなことがあるわけはないが)。 とにかく、もうクリスマス終わってるのに凄まじい人出である。 銀座よりひどい。 クライストチャーチって、こんなに人がいたのか、と素朴な感想を持つわっし。 目当てのDVDプレーヤは店の正面に山をなしておる。 わっしは店員をつかまえておもむろに交渉します。 「これを3台欲しいんすけど。まかりまへんか」 店員、45ドルからまだまけさせようとするわっしの裂帛の気迫にたじろいで微かに後じさりしておる。 「できまへん」 そーですか。 いや、訊いてみただけです。 3台くらはい。 店員さん、見るからにほっとしてます。 おどかして、すまん。 DVDプレーヤの箱みっつをくるまに運びながら、「こんなものが2300円で手に入るような世の中というのは滅亡が近いのではないか」と、さっきまで値切ろうとしていた癖に勝手なことを考えるわっし。 実際、今年のクリスマスセールの価格は「ヘン」であった。 うまくいえませんが、東芝のDVDプレーヤーが2300円で買えるのは、実は「よくない」ことなのではなかろうか。 モニとわっしが買ったiPhone16Gはハードウエアが一個5万円で、それとは別にシムカードを買った。結構安いじゃん、とわっしはニコニコしてましたが、しかし、それとこれとは別のような気がします。 何故、だろう? ….と、ここまで書いたら妹とモニがやってきてリトルトン(港がある)に遊びに行こう、と言う。かーちゃんも一緒だそーだ。 これからしばらくこーゆー書き方になります。 去年と同じで、来週のシドニーから始まって、ずるずると合衆国ヨーロッパ連合王国、それでもってやる気が残ってればもう一カ所どこか半年くらいは移動中になるので、そうなる。「去年と同じ」と書きましたが、去年は自分のアパートを巡っていたわけだが、今回はきっとクルマで小さい町を渡り歩くに違いなし。 だから、きっと、半日経って記事が書き足されたり、コメントの返信が長引いたり、いろいろヘンになると思う。 ぐずぐずベッドでコンピュータを使っていると妹に張り倒されるので、もう出かけなくては、昨日はめんどくさがって続きをブッチしてしまったが、今日はちゃんと書きます。 夜は近所のワイナリでモニと妹とかーちゃんのお友達たちと夕飯を食べに行くそーなので、その後になるかも知れぬが。 ほんじゃ、また、あとで。 帰ってきました。 今日はマーケットがある日で日本人の観光客がたくさん来ておった。 リトルトンはわっしがガキの頃は寂しくて冴えない港町であったが、この頃は妙に人気がるようです。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

fring, iPhone

すぐそばに妹のやや眉をひそめたアップの顔がある。 すごい至近距離。 チェス盤の上に身を乗り出してきたからです。 じっと、わっしを見る。 「おにーちゃんって、つくづくアホよね」と言います。 「ちょっと待ちなさい」 「待ちません」 「いや、もう一回だけ」 「絶対、ぜったい、ぜえったい、いや。八回目じゃない」 「おまえにはクリスマス精神というものがないのか」 「おにーちゃんとチェスやると、あんましアホだからいらいらするんだもん。 だーめ! チェックメイト!」 あー、また負けてしもうた。 友よ、信じがたいことにこれで妹とのチェスは12勝879敗である。はっぴゃくななじゅうきゅう回も負けているのも問題だが、初めの12勝がすべて妹が5歳のときであるのも、やや問題、と思う。 そのうち一勝は妹がトイレにたったすきに駒を動かした勝ちだしな。 (それが最後の勝利であったことは言うを待たぬ) わっしは前にこれと同じことを書いてniggaさんと言う人に思い切り嘲笑されたことがあるが、全然懲りずに繰り返して書くと、わっしの妹はたいそう美人である(と思う)その上にカシコイ。妹が14歳くらいになってからは、妹につきあってくれと哀願する男ガキがいっぱいあらわれて誠に鬱陶しい日々であった。16歳くらいになるとアホ男が門前市をなす、というか、イナゴのように次から次にあらわれて、美人に生まれるというのはなかなか鬱陶しいものであるな、と感心したりしておった。 これら恋情に身をこがしておった男どもには、まったく判らなかったであろうが、わっしにとっては妹はもうひとつ大きな問題をもたらす存在であった。 妹はわが妹ながらなかなか迫力のある知性の持ち主であって、わっしは足下にも及ばぬ。であるから、ごく初期の頃から、わっしは「自分が賢くない」という現実と向き合わねばならなかったのです。 多分、わっしがオタク化した真因は、ここにあるのだな。 だって、わっしがおよそ40分くらいかかる問題であると妹は5分、でっせ。 やってらんねーよ。 ついでに言うとわっしはバック転がいまでも出来る。わっしが雄々しい巨体を空中に踊らせてセミクジラのようにダイナミックなフリップをかますとチビガキどもはきゃあきゃあゆって喜ぶ。しかし、こーゆーことももしかすると妹の能力的な優勢に対する補償行為だったりして。 まあ、いいや。そもそもわっしは何を書こうと思ってたんだっけ。 おー、そうだ。 わっしは遅ればせながらクライストチャーチでiPhoneを買いました。 iPodTouch16G->iPodTouch32G と買っておったのだがiPhoneはまだもっておらなかった。 で、今度、おとなしく自分にiPhoneが欲しい欲望があるのを認めて買った。 感想ですか? えがった。 とぉーても、えがった。 Windows MobileはOSがポンポコリンなせいで、普通のサイトのブラウジングなんて、とてもではないが出来ませんが、iPhoneはやれる。特に重力センサーが付いてからは、横向きにするとパッと変わるのでとっても見やすいっす。 「もー、どこにでも書いてあるから、いまさら、そんなもの書かんでえーよ」と言われそうですが、予想に反してすごく良いハードウエアだったので書いておく。 わっしのiPhoneには、こーゆーソフトがはいってます。 ・frnig (フリーソフトウエア) http://www.fring.com/ 有名なVoIPソフトだすな。これがないとiPhoneでスカイプがやれん。 … Continue reading

Posted in 科学とテクノロジー | Leave a comment

A very Merry Christmas to you!

目が覚めるとモニがベッドの横に立ってます。わっしのために持ってきてくれたコーヒーとチョコレートを挟んだクロワッサンをもって立っておる。 「クリスマス、おめでとう、ガメ」と言う。 「メリー・クリスマス、モニ」 上半身を起こしてベッドに座り直したら、急に「むぎゅ」とされた。 踏みつぶされたわけではありません。 抱きしめられたのだ。 考えてみるとモニにとっては母国以外で過ごす初めてのクリスマスである。 ちょっと感傷的になっているのかもしれません。 台所に行ってみると、かーちゃんがこさえてくれた巨大なハムがベンチにのっておる。 わっしの大好物なので、クリスマスになると、いつもこれだけはかーちゃんが人任せにしないで自分でつくってくれるのす。どこまでもどこまでもでかくて、一面にクローブが挿してある。わっしは、これとロースト・ラムがないとクリスマスな気持ちになれん。 グレービーとクランベリーソースをかけて食べる。 うー、たまらん。 居間からは他のひとたちよりも早く着いたふた組の叔父叔母のスコットランド訛りの英語が響いてきます。延々と延々と「どこの墓場が散歩するのによいか」という話をしておる。わっしが「クリスマスおめでとうごぜーやす」と言いにゆくと、いっせいに振り返って「ガメは、どこの墓場が散歩に向いていると思うか」と訊く。 エディンバラの城の向かいの墓場はどーすか、とわっし。 ほらヒュームの墓がある、あれっす、というと、あそこは風が強いな、とか最近出来たモールが気に入らんとか好き勝手に述べたあとで、今度はヒュームの話から無神論について延々と話しだします。 ゲールに伝わる「黒い魔物」(これの通り道に家をつくると一族が死に絶える)の話や、生首でつくったガーゴイル。 この4人が到着しただけでも、まるでスコットランドが居間に引っ越してきたようです。 モニとふたりで庭のガゼボへ行った。 わっしはシャンペン、モニはコーヒーを手に持ってます。 皿の上には、これもわっしの大好物であるキュウリのサンドウイッチ。 来週はシドニーに行くんだったのう、とか、サンフランシスコからロスアンジェルスまではクルマで行くのがいいだんべ、とこれから先の移動の話をした。 人間が発明したいろいろなヘンテコなもののなかでも結婚ほどヘンなものはない。 ただの社会の側の都合で決まった制度にしか過ぎないのに、独身男の生活を根本から変えてしまう。目が覚めたときに初めに考えるのは相手のことであって、眠るときに最後に見つめているのは相手の顔です。 いつのまにか結婚するまでの生活はモニと一緒に暮らし始めるための「準備」であったような様相になってしまった。あれほど好きであった世界が、まるで「ほんとうでなかった」世界のように思えてくる。 モニのいない世界で、どうやって暮らしていたのだろう? 今年のクリスマスは寒い。 ガゼボにいるのが寒くなったので、わしらは庭を横切って小さいほうの居間にもどります。 急に静かになった。 モニが手をさしのべて、わっしの手のうえに乗せます。 瞳の緑色が強い濃い色に変わる。 モニのあまりの美しさに息をのむわっし。 一瞬、このひとにプロポーズしたい、と考えて、自分の奥さんにプロポーズしてもやっぱり重婚罪(未遂)になるのかしら、とアホなことを考える、わっし。 これから、ずっとモニと一緒なんだなあ、と思うとなんだか嬉しいようなこわいような気がします。 Hope you had a wonderful year. A … Continue reading

Posted in Uncategorized | 1 Comment

須臾のなかの永遠

iPodを聴きながら陽射しの強いハグリーパークを歩いていたら、突然「L’ETERNITE」という曲が聞こえてきた。別に不思議ではありません。シャッフルになっているからだすな。 でも夕暮れが近づいて濃いオレンジ色、と言いたくなるようなカンタベリーの強烈な夕陽がどこまでも続く芝生を照らしつける広場を横切りながら不意討ちであらわれた「L’ETERNITE」を聴いていると、あの美しいチューンに乗ったフランス人の「言葉」の影響で、わっしのようなノーテンキなにーちゃんの眼にも涙がにじんできます。 もっとも妙にデカイ(そー言えば、わっしの身長はメートル法では187センチだとずっと思っていたら、妹に190センチだとゆわれた。1フットを30.48センチなどという半端な数に設定しているメートル法が悪い、とおもいます。わっしはずっと30センチだと思っておった)にーちゃんが眼を赤くして向こうから歩いてきたら、薄気味が悪いであろうから、一生懸命こらえてはいるが。 閑話休題。 「言葉」という人間がつくりだしたシンボルは、伝達のためにつくられたのに人間を孤独にした。言葉がなければ友人であったはずの動物や鳥、あるいは木や草をただ言葉を獲得したことによって裏切ったばかりではなく、人間は人間自体からも孤立することになった。 人間は言葉の獲得によって、言葉が介在しない世界を失ってしまった。 言葉を得たことによって他のいっさいを失ったと言っても良い。 二度とたとえば鷹が地表を見る目で世界を見ることが出来なくなった。 銛に射止められて海面を血に染めて死んでゆく鯨たちと同じ死を死ぬことは出来なくなった。投げやりな言い方をしてしまえば、言葉を覚えてしまってからというもの、 人間には、「ありのままの世界」などなくなってしまった。人間には虚構としての世界だけが残された。 人間は言葉の発明によって自分で自分を世界から追放してしまった。 だから人間の使うどんな言葉にも言葉には「寂しさ」がこもっている。 世界を荒涼とした土地としてしか感じさせない何かがある。 それでいて、どの言葉もその土地の訛り方で思想が「訛って」もいるのです。 本来の観念のベクトルがからみついた歴史や感情によって曇ってしまっている。 永遠とエターニティとL’ETERNITEは、どれも考えていることは同じなのに感じていることは、てんでんばらばらです。 そして、そこにこそ、人間が自分を回復する手がかりがあるのではないかとわっしは思います。 えらそーに言うと、わっしにあるのは、いつも「知らないものを理解しようと思う気持ち」です。いっこうに上手にならないのでいらいらしながら(実際、日本語はたとえばスペイン語習得の100倍くらい手間がかかるのではないか)日本語でこうやって文章を書いたりしているのも、別にクライストチャーチのお土産屋で職を得たいからではない。 日本人と日本語、というものが、自分にとってはもっとも理解しがたい文化と社会だからです。なにからなにまで訳がわからんので、考え甲斐がある。 (訳がわからん、と言っても、哲学上のことだけではないのです。もっと身近なことで、わからんことがいっぱいある。たとえば、日本の玄関のドアって外に向かって開くでしょう?あれはなぜであるか。玄関のドアというのは屋内に向かってひらくからこそ、椅子を積み上げて侵入者を止めることができるのであって、向こう側に開いちゃったら、誰でも入ってこられてしまうではないか。もっとも強盗がガイジンなら、闇雲に押しまくって「鍵を壊したのに、開かん。わけがわからん」と言って退散するかもしれないが。 実際、なぜ日本ではドアは相手の側に開くのだろう。もしかすると、日本のひとはドアというものが侵入者をとどめるためにあるのを知らないのではないか) 英語人と日本語人はお互いに激しく自分たちの言葉の屈曲の仕方で訛っているので、握手の時に差し出したお互いの手が確かに物理的に触れあえるのが不思議なほどです。 重なっているだけで、別の世界に住んでいるのかと思ったら、われわれは確かに同じ次元に住んでいるのだ。 びっくりしてしまう。 しかし、それでも日本語を練習してよかった、と思うことの方が時間の無駄であった、と思うことよりも多いのです。わっしは日本語習得にかかった時間の全体が結局ただ単に「鮎川信夫全集」を読むために過ぎなかった、ということになっても、それで良かった、と思っています。いや、岩田宏や岡田隆彦の一篇の詩のため、でもいいな。 空港にやってきて「元気でね。また、会えるといいね。楽しみにしています」と言う「キヨソネさん」の 笑顔を見られただけでもいいのかも知れません。 わっしは言葉を獲得してしまったので、もう「永遠」には触れられないが、その代わり一瞬のキヨソネさんの善意の燦めきやどんなひとでも一生に一度は見せる人間性というものの須臾の間の輝きを垣間見て自分の短い一生のあいだ記憶しておくことが出来る。 こうやって書き留めておくことも出来るわけです。 写真はクライストチャーチの羊。観光客のひとなどは「かわいい!」というひともいますが、 わっしの感想は「見るからにアホ」であります。 最近は国をあげてワイン作りに走っているので羊が少なくなった。 ちょっと寂しい感じもします。

Posted in 異文化異人種 | Leave a comment

「おかわいそうに」と裁判員制度

「おにーちゃん」 「…….」 「おにーちゃんってば。昼ご飯出来てるよ。モニさんが腕によりをかけてつくったんだから、起きてきなさいよ。おにーちゃん!」 「うー」 「なに唸ってるのよ。役立たず、ごくつぶし、グッドフォーナッシング!」 ガバと跳ね起きて、「なにを抜かす。この無情者めが」と叫びたいところであるが、そうはいかぬ。そんな雄々しい行動をとったら、おえっといってしまいそうです。もしかすると、力み方のベクトルの向きによっては、オムツが必要な事態にもなりかねぬ(汚くてごめん) クリケット仲間と新しく出来たステーキハウスに行ったところまでは良かったが、そこからが拙かった。ステーキハウスでワインをひとりで二本飲んでもう出来上がっていたのに、そこからついクラブにつきあってしもうた。 マティニが一杯、マティニが二杯、マルガリータが一杯マルガリータが二杯、ふんでもって、ソルティドッグが一杯ソルティドッグが二杯.。 微かにデブPとふたりでALIZEEの http://fr.youtube.com/watch?v=ceSxEjwXHcM をフリ付きで歌ったところくらいまでは憶えているが、その後の記憶がない。 妹よ。お兄様は昼飯を食べるどころではありません。 寝返りが出来るかどうか微妙である。わっしの長年の経験で鍛えた勘では放屁衝動でも起ころうものなら乾坤一擲の大決意でバスルームまで全力で疾走せねばならぬ。 妹の罵声がやんだので、そおっと毛布から顔を出したら、モニとかーちゃんと妹が並んで立っておって水鉄砲で水をぶっかけられた上に写真を撮られた。 三人できゃはは、と笑い転げておる。 西洋の女はまことに無慈悲です。 日本の女のひとはやさしい、と言う。 耳かき、というのは日本のひとの奇習だが、ものの本に依ると日本の夫たちは奥さんの膝枕で耳を掃除してもらうという。その話を妹にしたときの反応は「ぎょええ気持ち悪い。第一なんで女がそんな汚穢屋みたいなことしなくちゃなんないのよ」でした。 まっ、わっしもあの鈎付き棒みたいなのを耳に突っ込まれると思うと気味が悪くはあるが。 レストランにはいるときでも男を先に行かせて、男がえばってテーブルにつくと、そそくさと席について柳のような白い細い腕をのばして「おひとつ」とかゆってビールを注いでくれるという…..って、これは自分で書いていても60年代東宝映画の観察にしか過ぎないのがバレバレ(スペイン語ではOKOKっすな)である。 日本語には英語に出来ない言葉がたくさんある。 「反省しました」というが、英語では反省と言えない。リフレクト、じゃないの? 違います。ぜーんぜんリフレクト、違うわい。 言葉がない。ははあー、だから連合王国人は悪行の限りをつくしても反省しないのだな、と独り言を言った、そこのきみ、だからわっしは前から賢しら顔でものを言う人間はたいていバカである、と言っておる。そうではない。連合王国人が反省しないのは、そうではなくて悪事においてはあくまで前向きで過去を振り返るような女々しいことをしないからです。 反省、と言うような中途半端なことはやっても仕方がないのでしないのね。 いよいよ天罰が下ってにっちもさっちもいかなくなったときだけ、ぐぎゃあ、と思う。 これをリモース、と言います。考えてみれば、もう手遅れなんだから、これも無駄な感情だがな。 「悔しい」も言えない。英語国民はくやしがれないので、甚だしく不便である。 切りがないのでもう挙げないが、日本語でいう「おかわいそうに」という言葉がわっしは好きなのす。 相手の体そのもののなかに自分の感情がすっと入ってゆくようなところがあるからです。 相手が極悪人であろうが、嫌いな人間であろうが、もしかすると人間ですらなくても、むごいめにあっているものに向かい合った日本のひとが持てる偉大なシンパシイの言葉であると思う。うまく言えないが、なんだか罪や罰というような世界を越えてしまうような響きがある言葉です。 裁判員、というものが日本には出来たそうです。 成田のホテルでモニがシャワーを浴びている間にテレビを観ておったら、あれは「バラエティショー」っちゅうんでしょうか、まじめくさったおっちゃんたちとおばちゃん一名が一列に座って制度の是非を論じておった。 わっしは日本語でブログを書いたり日本語の偉大なダジャレをつくろうと志して日夜研鑽に励んでいたりする割には、日本の時事的話題に興味がない。 日経ネット、をよく読むが、「食べ物新日本奇行」ばかり熱心に読んでいるだけです。 ニュースに興味がわかん。 でも、この番組は面白かったな。 わっしは「裁判員」って、ジュリイ(沢田研二、じゃないんだお、日本語忘れちっただけ、審判員、っでなくて、えーと、陪審員、だっけ)みたいなんかと思ってたら、裁判官と同じ並びの席に並ぶというので、まずびっくり。 それではただでさえお白州じみた日本の裁判所で、お奉行さまが複数化するようものでわっしの感覚では「すごくヘン」である。なんだか「陪審員制度」と真っ向から対立する思想の裁判にプロ裁判官のかわりにアマチュア裁判官を起用するような感じで、なんだか無茶苦茶な判決(捕鯨に反対した罪で鯨食三ヶ月、とか)がくだされそうで、これから日本で悪いことをするのは絶対にやめよーと思いました。 (そういう効果があるのか) … Continue reading

Posted in 日本の社会 | Leave a comment

日本再訪_4_日本の食べ物

ディムサムを食べに行った。クライストチャーチも西洋の街のご多分に洩れず中国のひとがたくさん住んでいるので、ディムサム屋もたくさんあります。一皿が2ドルから3ドルくらいだから日本円なら100円から150円くらいである。 ディムサム屋はどこも同じ、そのくらいの値段です。 モニは中華料理屋一般がそもそも嫌いなので、どおりゃたまにはショーロンポーでも食べるかのい、と思ってもついてきてくれない。しょうがないので、まともな食事以外なら何でも食べるデブPを誘って食べに行きました。デブPはなにしろ日本の捕鯨船がニュージーランドの近海に現れた、というニュースを見ていて「自分も鯨肉を食べてみたい」と思うほどの豚の食欲の持ち主 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080314/p1 なので、ディムサム屋でも「ゲソ天」とか不気味なものから注文して、「う、うまい」と唸っておる。さすが、「犬のスープって、おいしいのか?」と訊いてデブの単純な好奇心を自国民に対する侮辱と曲解した韓国人のガールフレンドに逃げられた経験の持ち主だけのことはある。 (その後デブPは韓国に行って犬のスープを食ってきた。たいへんうまい食べ物だそうで、「フランス人たちがいっぱいいて舌鼓を打っていた」そうです。「なんで、あんな立派な食文化を恥ずかしがるのか、おれにはわからんね」と言っています) 中華風チリソースと醋と醤油(キッコーマン)をつけて食べるシュウマイや小籠包は結構うまい。このリカトンに新しく出来た200席くらいのディムサム屋がクライストチャーチではいちばんうまいかも知れません。去年来たときも広いレストランが満員であった。 でも、ありー、コーカシアンがあんまりいなくなったな、ここ、とデブPに訊いてみるとクックックと笑って、離れたテーブルを指さす。 そこにはなんだか深刻な話をしているらしき中国人のカップルがいます。 若い男のほうが、眉根を深刻気にしかめたまま何事かを女に告げながら鶏肉を口に放り込んでくちゃくちゃと食べたかと思うと骨を「ぷっ」と吐き出す。 女のほうが、ひとことふたこと静かに、でも毅然と答えると豚肉を口に放り込んでくちゃくちゃと食べて脂身(多分)を「ぷっ」と吐き出します。 ひそひそ、くちゃくちゃ、ぷ。 ひそひそ、くちゃくちゃ、ぷ。 「ぷ」と吐き出す先が正確に同じところなのが礼儀にかなっているもののようである。 隣のテーブルのパケハ(マオリ語で白人のことです)ビジネスマン3人組が恐怖に顔をひきつらせて、そのテーブルを見つめていたかと思ったら、ウエイタのおばちゃんを呼んで、「さっきの注文、みんなテイクアウエイに変えてください」と言ったので笑ってしまった。 「あれが理由なのか?」とデブPに訊くとデブはなおもクツクツと笑いながら必死に頷いておる。 なんでも中国のひとたちのあまりのマナーの悪さに気分が悪くなって店に抗議したヘンなばーちゃんまでいたそうで、そうやこうやでコーカシアンの客が減った。 ついでに中国の食べ物は安全に問題がある、という口コミが広がっていっそう客が激減したそうです。 そーゆーわけで、アジア人以外の客はほとんどいなくなった。 かつて全盛であった中華料理屋にとって代わったのはインド料理屋です。 「バターチキンカレー」が人気がある。 サモサやパコラも食べます。みるみるうちに増えていまでは50を越えるそーな。 わっしもよく出かけていってラムカレーやチキンマサラを食べます。 モニはサモサとタンドリ。 日本のひとが誇りにしているとおり、東京は食べ物がおいしい街です。 食べ物に対する考え方が繊細であって材料の切り方までいちいち理に適っている。 あと、これを忘れるわけにはいかむ、どんなものを出すのでもプレゼンテーションが素晴らしい、 ちょっとイカを出すくらいのことでもまるで芸術作品のような形をつくって出します。 とてもあのド醜悪なビルをつくって見渡す限りにぶちまげた(ごめん)のと同じ国民とは思われない。 「ロスアンジェルスのほうが寿司がおいしい」というひとによく日本で会いますが、それはなんにも判っておらぬ。 材料が良い場合でもロスアンジェルスあたりのスシシェフは銀座の職人さんに較べると、鮨種を「ぶったぎって」しまうので、鈍感なわっしでも舌触りが悪くて、おいしくない、と思う。400ドルも払って、そういう「技術」のような面ではくるくる寿司にも劣る寿司屋に行くと、もう行く気がなくなります。 カリフォルニア人はもともと「巻物」が好きで「なんとかロール」ばかり食べたがりますが、もしかすると、包丁の入れ方が悪いせいで舌触りが悪い普通の握り寿司をぼんやりと判っているのかも知れません。 わっしは醤油が好きでないという、日本で食生活を楽しむにはかなり致命的な欠点をもっていますが、(実際いまどき醤油があまり好きでない、というような「遅れた味覚の人間」はこの世界にわっしくらいしか生息していないのではないか)、それでも、東京にいて食べ物の面で暮らしにくい、と思ったことはない。 それどころかモニとわっしがいた広尾山の周りにはどっちがわに降りてもイタリア料理屋フランス料理屋アメリカ料理屋オーストラリア料理屋なんでもあって、毎晩新しい店をみつけては出かけるのは楽しいものでした。 後半モニが日本の街に出かけるのをいやがるようになってからも夜だけは、そういうわけで出かけて楽しむことが出来た。 モニとわっしは日本酒が好きなので、知らなかった日本の食べ物も今回はだいぶん学習した。カラスミは、知り合いのフランス料理屋の主人がブランディでつくったものを持ってきてくれたとき以来ふたりとも好物です。 豆腐も日本のお豆腐はやさしくてしっとりしていて世界でいちばん優美である。 京都の藤野の豆腐がわしらは好きであった。 名前をわすれちったが、山形県の特産だというチッコイつぶつぶの木の実もおいしい。 的矢や岩手の牡蠣、銀鱈の柚子焼きに若狭の笹鮨。 … Continue reading

Posted in 食べ物 | 1 Comment

人種差別の向こう側

モニとふたりでノースランドへ行った。ノースランド、というのは高校生くらいの人たちに人気があるモールです。 わっしがガキの頃は、ひどくぼろいモールであってクライストチャーチにいくつかあるモールのなかでもいちばんビンボくさいモールだった。いまの拡大されてかっちょよくなったノースランドにはEBゲームとディック・スミスというパーツも売っているPC屋があるので、わっしは里帰りしていてオタクなものが必要になると、ときどきここに出かけるのす。スイッチングハブを買って、500GのポータブルHDD(二万円であった。通貨レートのせいで東京並みの価格である)ついでに高校生のバカガキどもの生態を観察する。アジア人留学生たちの影響(高校の校長談)で店の前に車座になって床にぺったり腰をついて食べ物や飲み物をおいて話し込んでいるガキの見苦しい姿が目立つようになった。最近の特徴的な風俗です。東アジア人たちのような座り込み方が出来ないので、お尻が冷たくなりそうな座り方です。なかにはパンダのような座り方をしているのもいる。 人前でネッキングをしたりするのもアジア人留学生カップルの影響だそうである。 高校生たちの行動の劣悪化はなんでも「アジア人留学生のせい」ということになっているが、ほんとうなのかどうか。 そのうちには人前で性交を始めるのではないか。 そーゆーときは、アジアの犬の悪影響ということにするのではないでしょうか。 ノースランドの駐車場を出てパパヌイロードを右に曲がったところで、前にいたくるまの若い衆のうちのひとりが、歩道に向かって指を立てておる。 東アジア人の女の子たちが、びっくりしたようにくるまを見ています。 「なんじゃ、あいつ?」と、正確には前のクルマで起こったことを把握できないでいぶかるわっし。 モニが面白くもなさそうに、「前のくるまの男が、アジア人の女の子のふたりづれに向かって、指を立てた」という。「なんか大声で言ってたから、『自分の国に帰れ』とでも言ったのでしょう」 みるみるうちに機嫌が悪くなるわっしを見て、モニが笑ってます。 「ガメは、いくつになっても正義の味方のスーパーマンだねえ」 「そんなことはありません」 「悪い奴らは大嫌い」 「違います。そんな子供じみた正義感はありません」 すっと手がのびてきたと思ったら頭をごしゃごしゃにするようにして「イイコイイコ」されてしまった。 うー。 その後ほっぺたにキスもしてくれたから許すが。 こんど戻ってみるとクライストチャーチの友人たちはみな挨拶の代わりのように「アジア人が増えた」「洪水のようだ」「見渡す限りアジア人だ」と言う。 えっ、このひとまでそんなことを言うのか、と思うようなひとまで、「これ以上アジア人に来られると困る」と言います。 社会全体がそういう雰囲気なので、頭に半分くらいしか脳みそがはいってないにーちゃんたちは、街のあちこちでアジア人を襲い出します。 かわいそうにトランピングの途中で襲われて殺された韓国人の学生もおった。 その一年前には日本の大学生がエーボン川に浮いていた。 オーストラリアやニュージーランドの人種差別の現状は、欧州よりは全然マシだが、アメリカの大きな街と同じくらいにはひどくなったかなあ、という程度でしょう。 ときどき「東アジア人」に対する嫌悪というものが抜き差しならないものになってくるように思われてユーウツになります。 たとえばシドニーはちょっと前までなら日本のひとが自分の皮膚の色や国籍をまったく考えないで住める街でしたが、この頃(ここ一二年)は、そーでもない。 やはり捕鯨の影響もあるのでしょうか。 日本人の戦時中の残虐さの報道がまた少ししつこくなってきた。 当然のことながら日本のひとは自分たちに向けられた人種差別にたいへん敏感ですが、わっしは日本のひとは逆になんでもかんでも「人種差別」のせいにしてしまう傾向があると思う。このブログが日本語で書かれているからではなくて、わっしが傍で観察している限りでは日本のひとはもっともアジア人差別にあわないですんでいる民族グループだと思う。 多分、「アジア人は自分の国に帰れ!」と叫ぶアホなにーちゃんたちが日本のアニメを見て育ったからです。考えてみると、ノースランドのレーシストのにーちゃんたちもマツダに乗っておったしな。 わっしはむかし、どりゃどりゃ、人種差別にーちゃんや東アジア人にーちゃんの話も聞いてやるか、と思って、どーしてそんなにアジア人が嫌いなのか訊いてみたことがある。 「容貌が醜くてかっこわるい」と言う。そう言っている本人は西田敏行そっくりなので、まあ、西田敏行に似たひとがそんなに多いとは言えないアジア人が醜いと思うのかも知れぬ。 「自分勝手で社会のルールに従わない」 「犯罪を起こす」「頭が悪い癖に狡猾である」「自分たちの学校に行かず留学してきてわれわれの教育インフラを盗みとっておる」「職業や金を掠め取るだけでまったく社会に貢献していない」「マネしかしない」「創造力がない」 いくら訊いてみても、説得力のある返事が返ってこないところを見ると、どうやらアジア人に対する激しい憎悪は、自分たちのほうに理由があるようです。 わっしが入れ墨だらけのスキンヘッドな凶悪そうなのや一見インテリ風なのや何人かインタビューしてみた後で考えた感想は、実はこういう人種差別や民族差別をいいたてる人間というのはどうやら自分の心に問題を抱えているひとが多い、というものでした。 怒りをぶつける相手が「アジア人」であっても「資本家」であっても「政治家」であってもなんであっても、どうも言うことが変わらないようである。 言うことや論理のつくりかたが、このブログに「白人死ね」とか「おまえの言うことはくだらない、(そりゃ、まあ、くだらないんだけどね)、賢いおれさまのいうことを聞け」とかわざわざ書いてよこす人たちや、このブログを書き出して以来、3年間、ずぅーと、2chにわっしの悪口を書いたり、コピペをして煽ったりしているひと(こうやって書いて考えてみると、このひとはこのブログのものすごく熱心な読者なわけで、ヘンなひとです)と精神構造はまったく同じで、社会に対する適応障害の現れである。 問題なのは、通りを歩いているアジア人に指を突き立ててみせたりしないほうのひとたちで、このひとたちと話してみると、「結局アジア的価値観と西洋的価値観は決定的に相容れないのだ」と考えている。 あいだを省いて言うと、いまの世界の背骨をつくっている西洋的な「寛容論」に深刻な疑いをもってしまっているように見えます。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

訛り、アクセント

英語が母国語でよかったなあ、と思うことのひとつはいろいろな訛りの英語が聞けることで、こんなに楽しいことはない。 わっしがいちばん好きなのは、もちろんニュージーランド訛りの英語であって、それもオタゴ地方の訛りが好きです。どこがどう、と説明するのは難しいが、聞いているだけでオタゴの広大な牧場が目に浮かぶような言葉です。 わっしのニュージーランドの友達にはオタゴ出身のひとが多いのは言葉のせいが大きいのではないか、と思う。 逆に合衆国人、特に北東部のひとのアメリカ英語は苦手である。 Rの音が大きすぎて、脅迫的威圧的に聞こえます。 「ただの訛りなんだから」と頭でわかってはいても、どうしてもいやな感じがしてしまうのです。 アイルランド人たちの英語を聞いていると、なんとなく浮き浮きします。こーゆーことを言うとアイルランド人たちは怒るに決まっているが、まるでノームかなにかと話しているようだ。 わっし自身は、かーちゃんの言葉であるスコットランド訛りの上に子供のときから一年の半分を過ごしたニュージーランド訛り、それとは別にイングランド訛りがあって、いわば3系統の発音が頭の中に並列に記録されている。 これが混ざってしまうと奇怪な言葉になって英語国民は「どこのものだかよくわからない英語」を嫌う人が多い(と言う、わっし自身が「混ざった英語」はたまらんほうです)ので、気をつけて話している。 主に話す相手によって決まるようです。 クライストチャーチにいるときは、ニュージーランド訛りむきだし。 外国人の訛りでは、わっしはインドのひとの訛りがいちばん好きです。 聞いていると楽しくなる。良い意味で「アジア的」な感じがします。 精霊たちが話しているような暖かみのある英語だと思う。 中国の人の訛りは粗っぽくてコワイ。横で急に話し出されると「きゃっ」と飛び上がってしまうようなところがある。 その代わり、なんとも言えぬおかしみがあります。中国のひとたち自身のとぼけた味わいのある国民性とあいまって、独特の味がします。 まだ英語があまり上手でない日本のひとが訥弁で話す英語は好きです。 ひとことづつ噛みしめながら話すようなひとの日本人英語は特に良い。主にLとRの区別がまったくつかないことからくる会話上の混乱も、仲の良い友達同士では楽しい話題になるだけです。 I rub you! youtubeで女の子を酔っぱらわせて立てなくなっているのを面白がって撮影した日本人の「帰国子女」たちがアップロードした動画が話題になったことがあります。 わっしは不愉快そうなものは初めから見ないので自分では見ていないのですが、べろんべろんに酔った女の子の様子を「可笑しい」と感じる、その人間性のくだらなさに英語国民の普段は馬鹿まるだしの悪ガキどもが怒りくるったのはトーゼンですが、そのふたりだか三人だかの外国で長く生活していたらしき日本人たちの英語の「得たいの知れなさ」に非難が集中したのを、わっしは面白いと思って話を聞きました。 英語国民は英語が下手な外国人と話すことをいやだと思いません。 あたりまえでしょう。外国のひとなのがわかっているのに、自分たちと同じような英語を期待するわけがない。ものすごく判りにくい英語であっても、一生懸命耳を澄まして聞いて理解しようとする。相手が自分の言葉で話している以上、そこで理解を成立させるのは母国語の側の役割だからです。 しかし、日本人がヘンな英語を多少流暢であるからと言って、日本の、しかも妙なところで使われるのは困る。しかも同国人に対するねじまがった優越感をもって使われるのはもっと困る。もっと言ってしまうと、失礼だと思って口にしないだけのことで日本人でたとえば両親ともに日本人なのにインターナショナルスクールに入れられてしまった、というような場合は、悲惨だと思う。 「得体の知れない英語」を生活言語として話すことになるからです。 造花みたい、というか、聞いていて落ち着かない奇妙な言語を話すひとたちが出来上がってしまう。アイデンティティがどっかにぶっとんでしまう。 連合王国人は他人を虐めたり嫌がらせをするのが国民的な趣味なので、わっしの学校のなかでも韓国人の同級生がよく虐められておった。 富裕な両親が子供のためによかれと思ってわっしらの学校へ入れたのでしたが、気がついたときに同級生がかわるがわるこの韓国人に加勢していたものの、しつこくこの韓国人の些細な発音の違いや表現のおかしさをあげつらって虐めにかかるグループがいたのを憶えています。 それも「なんだか本当でないもの」の身近で暮らさなければならないことへのバカなりの反応といえないこともない。 日本では「方言」が流行らないのは、がっかりです。 もっと普通に「山形弁」や「茨城弁」が聞ければ、どんなにかよかっただろう、と思う。 「寒いなあ」よりも「凍みんのう」というほうが、ずっとカッコイイ。 おおげさに言うと「真実」がこもっているような気がします。 同じ一言でも、方言のほうが「歴史」や「ほんとうの感情」や、もっと簡単に言って 「ほんとうのもの」がいっぱい詰まっていそうな気がする。 てじゃめゆ おぬ うみ と言う言葉で表現される美しい海は、きっと沖縄の海だけなのに違いなくて、 「凍みる」のは信州地方のかつてはダイアモンドダストが見えた朝でないとならないのではないでしょうか。 … Continue reading

Posted in 言語と習慣 | 1 Comment

日本再訪_3_音、音楽

日本にいる「ガイジン」がみな口を揃えて言いたがることなので、日本のひとももうさぞかし聞き飽きたことだとは思うが、日本はやはり「うるさい国」です。 日本にいるときにわっしがよく出かける有楽町から銀座などは「騒音地獄」であって、あまりのもの凄さにモニは笑いだしてしまったりしておった。 駅の高架の上から聞こえてくる「まもなく電車が来ます。白線の内側までお下がりください」 到着の音楽。ビーク、ビクビク、ビックカメラ。 あのなあ、と思う。それとも日本のひとはわしらに聞こえる波長が聞こえていないのであって、あのビイークビックビックビックカメラ、みたいなものはサブリミナル広告のような効果を果たしているのでしょうか。 蝉は自然界の騒音王だが、あのすさまじい音であるのに違う種同士では聞こえていない。 そういうことかしら。 なぜか。 わっしは途方もなくオタクなガイジンなので、有楽町のビックカメラにもよく行きます。 しこうして、このオタクガイジンの行動を観察していると、妙なことに気づきます。 およそ30分くらいを限度として、ふらふらと建物から出てくる。 やや疲れた顔をして国際センターの周りをぐるっとまわって歩いておる。 そのまま丸の内方面に去るのかと思いきや、意外や、またビックカメラにはいってゆきます。それを繰り返しておる。 海女のひとたちと同じですね。 騒音に必死に耐えて買い物をする。 でも30分が限度なのです。 日本のひとほど根性がないのでそれ以上の時間は耐えられん。 あの店はすごい。 どこかの頭の壊れた作曲家がつくった歌をパチモンの幼児のような奇妙な声の歌手が歌っている「ビックカメラ」の名前を連呼するだけの不愉快を音声化したような歌がガンガン鳴り響いている上に、拡声器をもったにいちゃんやおっちゃんが品定めばかりで金を使わないガイジンを寄せ付けないために要所要所に立って、ほとんど何を言っているのかわからん言葉をがなっておる。 店員さんたちはたいへん優秀な上に親切な店であって、その点では世界一だとわっしは思いますが役員や社長はよほどの馬鹿なのでしょう。 あの程度の経営の知恵しかない会社が勝ち進んでしまうのも日本という国のおもしろいところです。 多分、日本の大規模店というのは売るほうよりも仕入れのほうに知恵が必要な何らかの事情があるのでしょう。そうでなければ説明がつかない。 わっしのように日本が好きなヘンな外国人でも東京にいると疲労が早いのは、人の数もあるが、どちらかというと「騒音」、取り分け「音楽」のせいであるようです。 わっしはこうやって悪態をつくくらいですが、モニは結局東京ではほとんど出かけなくなってしまった。拡声器から流れてくる音楽を装った騒音のせいで「気分が悪くなるから」 です。 あるスーパーマーケットに行ったときのこと、ふたりで売り場の棚を見て歩いていたら「おにーく、にっく、肉」という客に対する嫌がらせを目的につくった曲が安物のラジカセから大音響で流れておった。モニは、すっと歩いてゆくとパチと切ってしまいます。 呆気にとられてモニを見つめる店長風のおっちゃん、しかめつらをつくって耳に両手をあてて、いやいやをするモニ。 おっちゃんもつられて両耳に手をあてて、うんうんしておる。 笑ってしまいました。 あるいは軽井沢のいちばん大きなスーパーマーケットである「T」で背広の見回りに来たえらいひとらしき「T」の社員をつかまえて、客のおっちゃんが「きみ、なんだ。このくだらん売りだしの放送は。こんなうるさいだけのもの、恥ずかしいとおもわんのか。即刻、やめたまえ」と言ってます。 日本のひとにも、騒音が嫌いなひともいるのを発見して、わっしは驚いた。 正直にいって、わっしは、このひとを見かけるまで日本のひとはみんな極端に聴覚が鈍感なのだと思ってました。 騒音とは別に、わっしは今回は「日本の音楽」を採集しようと思う気持ちもあった。 たとえば日本にいて、タイの音楽をインターネットで収集しようと思うと判りますが、これは案外とその国にいかないとできないのです。 結果は、あんまし芳しいものでなかった。 こういうと笑われてしまいますが、宇多田ヒカル、くらい。 古い音楽のほうがよいものが多いようです。 高田渡はいいなあ、と思った。誰かがやる気になったら、どこの国にもっていってもきっと評判がよいと思います。まさかブリットニースピアーズを聴く人が聴きはしないが。 浅川マキ、というひとはパリのクラブで聴いたことがありましたが、CDを買って聴いてみてもやはり素晴らしい。 とこうやって書いていて、くだらないことを思い出してしまいました。 … Continue reading

Posted in 音楽 | 1 Comment

Paradise Overdose

調子が出てきてしまった。生まれてから今日までスランプであったのが嘘のようである。モニは妹と一緒に買い物に行ってしまったので、わっしは午後7時くらいまで独身です。事情があって、お婿さんにはなれないけどな。 歴史の浅いクライストチャーチにも神様がついに時間とともに生成されて祝福しにあらわれたのでしょう。人間といえど、このくらい調子がよくなると思わず空を飛べたりするに違いない。 わっしはわっしのオンボログルマに乗ってハグリーパークに行った。 モニと一緒のときにはそういうわけにはいかないが、わっしはもともと時々機嫌が悪くなって止まるくらいのほどのよいボロ車が好きなのです。夏の暑い日には水をいれた薬罐が必要なくらいでないとクルマはつまらん。出来の悪い人間が出来のよいくるまに乗っているくらいみっともないことはない、という。わっしなどは30年くらい前の箍が外れたくるまで丁度良いのです。 天気が良かったのでくるまのなかで靴を脱いで裸足でボタニーガーデンと芝生を散歩した。木立のなかの草むらに寝転がって枝が縁取った青空をみていると、この地球に他の生物たちと生まれ合わせるのはなんというよいことだろう、と思います。 考えてみると飽きっぽいわっしですら、生まれてから何度も見ている青空や雲や風に揺れる大きな樹を見ていてもいまだに飽きるということがないのは不思議なことです。 水にそっと手をつけてみるのも、草のにおいも土のにおいも、触れるたびに新鮮な感じがするのは人間の感覚の法則にあわない。 人間はもしかすると呪われた存在であるどころか逆に神様の祝福を過剰に浴び続けてすっかり甘やかされている存在なのかもしれません。 この宇宙のありとあらゆる良いものがこの地球に集められているので、人間は地球の外に広がる暗黒の世界に気づかないのかもしれない。 だからこれほどの自然の恩寵の洪水のなかにあって感謝もなく、あるいは祝福された存在であることすら忘れてしまったのかも知れません。 帰り道、Gというわっしの好きなコーヒー屋に立ち寄ると、この店の看板娘のメチャクチャハクイ生姜色の髪のねーちゃんが、「あなた、去年もいま頃きたわね」と言う。 「よく、おぼえておるのう」と、わっし。 来る客をひとりひとり顔を覚えているなんて、なんて記憶力のよいひとでしょう。 ねーちゃん、ハクイだけでなくて賢くもあるのだな。 「また来るかな?と思ったら、全然来ないで、いま、また来たから、きっと外国にいて、いまごろだけ帰ってくるのかと思ったのよ」 鋭いではないか、ねーちゃん。 「わたしのクリスマス・フェイス。縁起がいい顔だわ」 ふむ。 わっしは自分の顔を鏡で見た日はろくなことがないが。 ねーちゃんは、ほんとうは一個しかつかない板チョコをふたつ置いていってくれます。 わっしはアフガンとチョコをふたつ食べて、なんだかつま先までしびれてくるような不思議な幸福な気持ちに包まれます。まるで青空が体の中に満ちてくるようだ。 「故郷」というものが体中の隅々にまで染み渡ってゆくようです。 買ったばかりの、(この国ではシムにロックがかかっていない)iPhoneに予定をいれて見ると、ほぼ一日の空きもなく友達たちと昼飯や夕飯を食べに行くことになっておる。かーちゃんの家に電話がかかってくるたびに無反省にほいほいイエスイエスと言っておったら、そうなった。 なんだか忙しすぎてつまらない感じがしますが、クリスマスなどというものは、こんなものなのかも。 おー、モニと妹が帰ってきた。 これからインド料理のテイクアウェイを食べて、みんなでラウンジに行って モニが買ってきたLa faute a Fidel! (Blame It On Fidel!) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9C%E3%82%93%E3%81%B6%E3%80%81%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%9B%E3%81%84 を見るのだ。 来週はモニのかーちゃんがやってくるので、かーちゃんはその準備でバレンタインというデパートに手伝いのおばちゃんとランナーを買いに行っておる。 食堂に行くと妹が自分の好きなArno Eliasの「Paradise Overdose」をでかい音でかけながらテイクアウエイを皿に移し替えてます。モニはワインを開けて注いでいる。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

クライストチャーチ

WALL-E http://www.apple.com/trailers/disney/walle/ を観たり眠りこけたりベジマイトサンドウイッチを食べたりしているうちにクライストチャーチ(CHCH。チュチュと言います)に着いた。去年の「デザーターだな」と抜かした(冗談のつもりだったようだが)クソおやじの係官と違って今年は見るからにマジメで明るい典型風ニュージーランドねーちゃんが係官です。 スタンプを捺しながら滞在が「家族や友達と会うため」であって1月の初めまでなのを確認します。確認しながら、ちょっと寂しそうな顔をするのは、「他の国よりニュージーランドのほうがいいのに」という気持ちなのでしょう。検疫係官のおっちゃんたちの「ありがとう、元気かい、メイト」という言い方を聞いていると気持ちがどんどん無防備になってゆきます。ノーマドであっても、やっぱり故郷は故郷である。 ロビーに出ると妹が「モニ、ガメ御一行様」というサインをもって立っておった。 かーちゃんが遙か後方のベンチにいつものように背を伸ばして座っているのも見えます。 ひとりづつでも目立つモニと妹がふたりで抱き合っておると、目立ちすぎてたまらん。 モニの大荷物を載せたワゴンに手をついて控えめにニコニコしているわっしはいかにもマヌケなモニの用心棒兼従者風ですが、これはいつものことです。 人間というものはおのれの分を守るのが大事である、というな。 立ってきたかーちゃんが、「よく帰ってきましたね、わが息子よ」と言います。 日本語にするとおおげさでなんだかヘンだが、英語ではまあフツーの挨拶である。 シンプルなラウンドアバウトも空港を出るといきなり住宅地になる街も、クライストチャーチはいかにもクライストチャーチであって、わっしにとっては「故郷」というのはどうしてもここである。空港の駐車場でも、いろいろな訛の英語が聞こえてきます。 わっしが子供の頃の「アングロサクソンのクライストチャーチ」とは異なって、いまは肌の色さえ違う人がたくさんいます。でも、そんなことはどうでもよい。 初夏の今頃ともなればパリパリに乾いた空気や街の清潔な匂いがクライストチャーチである。 日本で過ごした後ではやたら広く見える(一車線道路がだいたい日本の片側3車線道路と同じ広さです)道路を走って、わっしらはかーちゃんの「丘の家」に向かう。 モニと妹とかーちゃんは英語になったりフランス語になったりする世間話に興じておる。 わっしは、「おっ、あのアメリカの開発会社に抗議してぶったてた目隠しの塀がまだ立っておる」「落書きがふえたのう」「Pの家だったところは8軒も家がたっておるではないか、だせえー」とかときどき声をあげて、話しかけますが、やや面倒くさそうにかーちゃんと妹が短く相手をしてくれるだけです。調子がなんだかあやすようで不愉快である。 わっしは五歳児か。 近所に越してきた香港の富豪が巨大なパラボラアンテナを据え付けたので近隣の家が「あれは中国のスパイなのではないか」と言って不安がっているというので、わっしは吹き出してしまった。相変わらずニュージーランド人はニュージーランド人であって、自分たちだってついこのあいだ連合王国からやってきたばかりなのに、「外国人」がコワイ。 かーちゃんがむかしは周りに家があまりなかった「丘の家」のまわりに出来た新しいサブディビジョンを寄り道して見せてくれます。ひとつ一億円とか二億円とか、このど不景気になぜそんなものを買う人がいるのか、わっしの哲学では説明がつかぬ。 妹が助手席から「おにーちゃん、ほら」と言って、わっしが好きなメーカーのリコリッシュ(リコリス)を肩越しに投げて寄越します。妹よ、でかした、と呟きながらリコリッシュを頬張るわっし。読売の発言小町に世界で一等まずいものの筆頭として挙がっていたが、こんなうまいもんをもったいなくも吐き出すなんて日本人のひとは舌バカなのではなかろーか(ジョーダンです)。ベジマイトも、まずい、とゆっておったような。 わっしにとっては、何物にも代え難い故郷の味なんすけど。 第一、おいしーやん。 モニとかーちゃんと妹は、新しい香水の話で盛り上がっておる。 わっしは突然眠くなったので、ときどき相槌をうつくらいで、外をぼんやり見てます。 丘の上へとあがるくるまからは、緑の広大な広がりが見えて、一年の半分だけでもいいから、わっしと妹をどうしてもこの町で育てなければと考えたかーちゃんの考えがいまでは判るような気がします。 わっしと妹がガキンチョだったころは、今とは全然違うこともあった。 横断歩道にガキが立っているのを見ればくるまは例外なく止まった。(いまでもたいていのひとは止まるが) ガキどもは、止まってくれたくるまの運転手に対して、これも例外なく歓声をあげるようにして「ありがとう!」と手を振ったものです。 ちょっと、かっこいいくるまが通ると「ナイス カー!」と言う。 するとおっちゃんやおばちゃんがクルマの中から手を振ります。 嫌な奴や冷淡な人間にあう機会が世界一少ない町であって、そこがロンドンやグラスゴウとは違ったのです。 妹とわっしは、この町で幸福だった。 近所のガキどもと住宅地のまんなかを流れている小川をボートで行き来して遊んだり(その頃のクライストチャーチのフェンダルトン、というわしらの「街の家」があった区域ではボート用の船着き場が裏庭にある家がまだ普通でした) トゥリーハウス、といって、どの家にも一本はある裏庭のでかい樹にかけたマジな大きさの家(なかみ八畳くらい)に住んで、妹はわっしは山賊のボスと副ボスになって暮らした。 アシュリーゴージの裏の滝壺で泳いだり、歩いて二三分のハグリーパークのラグビー・フィールドにたって夕日に息をのんだりした。 ハグリーパークの艇庫には妹とわっしのラジコンヨットが眠っていて日曜日にはレースに参加した。乗馬、テニス、クリケット、することはやまほどあって、妹とわっしはこの町にいるあいだじゅう忙しかったもんす。 この家にはわっしがガキガメであった頃に夜ごと毛布にくるまって世界征服計画や外宇宙支配の謀略をめぐらしたなつかしい我がベッド「スペースシップ ガメ号」(ベッドのなかは、どんなレーザー砲や波動砲攻撃にも耐えられる宇宙船司令室だ、ということになっておった)がおいてあるのですが、こうやってそのベッドに寝転んで日本語ブログを書いていると、子供の頃からいままでに起きたことがほんとうはみんな夢にしか過ぎなくて、わっしは実はクライストチャーチから一歩も出ないで暮らしてきただけなのではないかという不思議な気持ちがしてきます。 わっしのいる部屋からは離れたところにあるラウンジから、モニや妹やかーちゃんが笑っている声が聞こえる。 鳥の声や、遠くでガキどもが裏庭を走り回る声がします。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

恋をしたくて恋におちるひとなどいるわけはない、と思う。 よいことなどひとつもない。 苦しいだけです。 起きてから夜ベッドに行くまで考えることといえば相手のことだけであって、他のことはなにも考えられない。 歯を食いしばって相手のことを忘れようと思っても、それが出来ないのだ。 自分というものの愚かさが胸に迫ってきて何も言えなくなる。 腹立たしいが、現実を見つめてみれば、1秒の隙間もなく相手のことばかり考えている自分がいるのです。 モニは日本語が読めないので安心して書くと、 モニと会った初めの瞬間からわっしはモニが好きであった。 理屈などはなにもない。ただ好きだった。 フランス人らしくない黄金のような金色の髪もあたたかで輝かしい緑色の瞳も、透き通るような白い肌も、幼児を連想させる笑い顔も、ひどいフランス語なまりの英語の発音ですら好きであった。 モニとわっしのあいだにあった特別な事情を考えて、わっしはモニと結婚することが考えられなかった。だから忘れようとしたのです。 「わしは別れるのだ」と電話で宣言したその日から、わっしのゆくところにはどこにでもモニの手紙が届くようになった。 「ふたりのあいだにある障害は全部乗り越えられます」 「きっとわたしとあなたは一緒になる」 わっしは、いまでもモニの書いた稚拙な(モニ、ごめんね)英語を全部思い出せる。 返事をひとつも書かなかったが、わっしは、毎日届く手紙を読んでは自分のバカさを呪っておった。 いま考えてみればもっと「愚者の迫力」というものを信じればよかった。 人間は常に賢さによって滅びる、という普遍の真理をわかっているべきであった。 搭乗日を間違えた。 今日ではなくて明日ではないか。 アホちゃうか。 でもそのおかげで、モニとわっしは満月の成田でデートできた。 イオンモールに行って、コーヒーを飲んだ。 新開地を歩いて、歩きながら一緒にフランスの歌を歌った。 恥知らずにも公衆の面前でキスをした。 「愛している」と言った。 わたしも、あなたを愛している。 ジュテーム。 知っていますか? わっしは、この宇宙よりもあなたを愛しているのだ。 真実よりも善なるものよりも美よりも、あなたを愛しているのだ。 天国も地獄もわっしにはどうでもいい。 あなたが地獄に行けばわっしは地獄にはるばる出かけてゆくであろう。 あなたが天国にいてわっしが地獄にいて、天国の神々がわっしを受け入れられないというなら、わっしは持ち前の悪知恵を発揮して冥界の軍隊を組織して天国を攻め滅ぼすであろう。 神があなたを罰しようとするなら、わっしは神をも殺そうとするでしょう。 これが迷妄ならば、わっしは迷妄をこそ愛するでしょう。 これが愚かさであるなら、わっしの哲学は愚かさのためにこそある。 モニは、なんのためらいもなく、「わたしも」と言う。 あほなひとたちです。 絵に描いたようなバカップルだすな。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 1 Comment

日本再訪_2

いま考えてみると、あの係官は何かの理由でわっしの顔を憶えていたのでしょうか。 いつものように税関の「申告なし」の列に並んで、パスポートを返してもらって立ち去ろうとしたら「お帰りなさい」と言う。不意をつかれて、わっしは涙ぐんでしもうた。 なにしろ自分の国に戻ってもバカ係官に「デザーターだな」と言われるくらいなので、わっしのような「hoboさん」にとっては、こんなことを言ってもらえる国は日本の他には考えられません。 日本のひとには、そういう優しい気持ちがある。 詩人の岩田宏が鎌倉の駅前の横断歩道でよろめいたおばあちゃんを咄嗟に助けられなかったのは「良い人ぶりを発揮する」ことへの屈折したためらいのせいでした。 だから、さっと手を貸しておばあちゃんを助けた「さっそうとした青年」を岩田宏は激しく憎むのです。何度も何度も頭を下げて「さっそうとした青年」にお礼を言うおばあちゃんに岩田宏は「信じないで!」と心の中で叫びます。 日本のひとには、そういう優しすぎるひとの屈折がある。 モニがもらってきた日本に住む外国人の女のひとたちの会報誌を覗いてみると、日本人がいかに外国人から見て不親切であるかよくわかります。大きなお腹で朝の駅の階段で倒れて苦しみながら次から次に通り過ぎる知らん顔の日本人たちを見ていて日本人が根本から信用できなくなってしまったひと。このひとは日本人の旦那さんを置いてニューヨークに帰ってしまった。 あるフランスのひとは転倒した自転車の脇で動けなくなって倒れていたら日本人の青年がやってきたので「ああ、やっと助けてもらえる」と思ったら、助けるどころか、この青年は、倒れているこのひとを跨いでいったそうである。 小さな不愉快ならわっしにも無限に経験があります。 エレベータから降りるときに後ろから押しのけて出て行くサラリーマンのおっちゃん。 レストランで支払いをしている途中で割りこんで支払いをしていくひとたち。 (「ガイジンさん、忙しいんで、ごめんね、ははは」だって…わっしが日本語を理解できるのを知らんのか) 日本のひとには、そういう他人への想像力に根本的に欠けた愚かしさがある。 「日本人はまだまだマナーに欠ける」というひとがいますが、それはマナー、と言うような問題であるわけはなくて「人間のありよう」とか「人間というものが、どんなものであるか」というような、もっと根本的な問題でしょう。 野中広務の自伝を読むと、いまの首相である麻生太郎が「野中のような部落出身者が首相になったら日本もおしまいだ」と若い議員たちと一緒にせせら笑ったことに対して、単身出かけていって渾身の怒りをぶつけるところが出てきます。「人間」そのものが発しているかのような野中のすさまじい怒りに麻生太郎は終始下を向いて耳まで真っ赤にしたまま一言も言わず、他の議員たちも一言も言わなかった、とある。麻生太郎のような恵まれた家庭環境が生み出しただけの「つくりもの」の人間には野中のような「現実の人間」を前にしては何も言えなかったのでしょう。 わっしは野中広務という他人への想像力が人一倍大きく、他人の心を手に取るように読めた政治家には麻生太郎とほかのぼっちゃん議員たちが、その期に及んでもまったく反省などしておらず「しまった、うっかり口がすべった。拙いことになった」と思っている程度なのが判ってしまっていることを読み取って、野中というひとの出口のない悔しさを思いました。 「日本人」というふうにこの国に住む人たちを一般化して考えるとき、この繊細な感じのするやさしさと非現実的に思えるほどの他者への鈍感さの奇妙な混淆が日本の人というものの特徴に思えることがあります。列をつくって待つ、ということが出来なかったり、ひとを押しのけても先に行こうとするのは、日本文化という文化が、そういう文化なわけでガイジンが云々することではない。日本にいると失礼なひとの数の多さにびっくりしますが、友人の話では上海やムンバイも同じようなもんだ、と言います。しかし日本人の非人間性という部分については、どこの国のどんな国民にとっても考える価値がある。それが明治以降の日本帝国という国ごと軍隊組織に作りかえたかのような国家の強大な圧力によって形成された「個々人に映された国権国家の影」であるからです。 日本人が謂わば「日本人であることをいったん止める」決意をしたのは19世紀も後半になった頃でした。日本は鎖国体制下にありながら英国とフランスの中国収奪のすさまじさをよく知っていた。話し合いをしようにも、頭から東洋人をバカにしておって何を言っても「半人間がなにをいうか」と冷笑されるだけであり、ちょっと思い通りにいかなくなるといきなり銃と砲をぶっぱなして、あっというまに都市を破壊するという自分たちがこれまで見知っていた「文明」の範疇にはまったく存在しない、まるで「暴力」をそのまま具現化したような人間の集団が目と鼻の先に迫っているのを国民がみなよく承知していた。海峡が時間を稼いでいるうちになんとかしなければ日本は破壊される、という危機意識をかなり広範な層が共有していたのです。 初め日本人たちは丁度いまのアラブ人のアメリカ人たちの戦いに似た戦いを考えます。 個々の激しいテロによって外国人を排斥しようとする。 実際その頃のイギリス帝国議会の議事録を読むと、 「日本は資源も乏しく商品市場も貧弱な割に、日本刀をぶんまわす『サムライ』というヘンな奴らがいっぱいいて費用対効果が悪すぎるから、侵略をあきらめたらどーか」という政府答弁が載ってます。攘夷の浪人、というとやるだけ無駄なテロをやったひとたち、という印象がありますが、イギリス側の記録を見るとそうでもなかったのがわかる。 イギリス人は儲からないことはやらないので、だいぶん逡巡したのが見て取れます。 捕鯨のための中継基地に困った合衆国から派遣されたペリーという人気はあったがアル中の士官(ついでに余計なことを言うと、ペリーは提督になったことはありません。准将どまりでした) がやってきて大騒ぎになったことを遠因として、日本は世界でも珍しい革命を成功させます。 (共産主義者の定義では、 戊辰戦争・明治維新 は革命でなくてクーでしょうが、わっしは矢張り革命だと思う。歴史的階級闘争という概念がほぼ否定されたいまの世界では逆に革命というものが有効に行われるためのモデルとして真剣に検討されてもよいくらいに思います) 日本人は急がなければならなかった。 海の向こうから科学技術で武装した狂人たちの軍隊がいまにも襲ってくるかも知れないのです。 「和魂洋才」と言いますが、そんなものは西洋人に「まねっこ猿」と言われて後ろめたく思った日本人が後知恵でくっつけた理屈であって、現実の日本人の当事者はもっと賢かった。 「旧体制のよいところを守りながら新しいものを取り入れる」なんていうのは、ただの間抜けのお題目だと知っていた。 あれほど大事にしていた「日本人であること」をかなぐり捨てて、パチモンの西洋人に化けようとしたのです。 国をあげて西洋文明化というものに投企した。 西洋人たちは150センチに満たない身長の扁平な顔の日本人たちが自分たちそっくりの扮装をしてがに股で歩き回る夜会に招待されて腹を抱えて笑いころげましたが、いま振り返ると、そうやって笑いころげた側の西洋人のほうの醜さばかりが目に付きます。 わっしは、この頃の日本人というマイクロ文明集団を歴史上の諸民族のなかでも最大の尊敬をもって考えます。 猿、恥知らずな物真似だけの能無し、偽物の西洋人、と罵られながら、日本人たちは必死でした。 自分たちの家族、自分たちの息子や娘、自分たちの国山河をまもるために必死で西洋人のモノマネをした。 他に方法がなかったからです。 … Continue reading

Posted in 日本と日本人 | 1 Comment

Tu Trouveras_明神下で考えたこと

昭和40年代にテレビ化されて一世を風靡した「銭形平次」を書いた野村胡堂は「あらえびす」という筆名を使うことが多かった音楽評論家で岡本綺堂の「半七捕物帖」に倣って「銭形平次捕物帖」を書いた。胡堂の「胡」は「西に住むえびす」という意味です。胡姫、胡楽、という。ペルシャの女の人、ペルシャの音楽、という意味。銭形、という名前は事務所から見えた「銭高組」の建築シートからとったのだそうである。投げ銭は水滸伝の石つぶてを投げるのがうまい英雄(名前忘れちった)からとった。 ついでにいうと、「戦後体制」をつくった吉田茂が首相を辞めるに至ったのは、ほんとうはシェイクスピアを愛読していた吉田茂が「愛読書」を新聞記者に尋ねられて照れ隠しに 「わしは銭形平次しか読まないね」と答えたのを新聞が「一国の宰相が銭形平次しか読まないようでは世界に対して恥ずかしい」という大キャンペーンを張られて辞めたのだ、と息子の吉田健一の本に出てきます。 なんでこんなヘンなことを書いているかというと(といって、いつもヘンなことばかり書いているわけですが)わっしは、このあいだ平次の家があった(といっても平次は架空の人物ですが)神田明神下の交差点に立っていたからです。 神保町からずるずると坂を上がって駿河台の上、お茶の水駅まであがって梶井基次郎の「檸檬」で有名な聖橋を渡って、いつもくそまじめな顔をして立っている巨大な孔子じいちゃんの前に立って「おたのみもうしますー。わっしの頭をよくしてくだせえー。儒学アタマはやだけど」といつものように礼拝して昌平坂の上を明神様のほうに歩いてゆくと、その下が神田明神下、である。わっしの散歩コースのひとつです。神保町から秋葉原、そこから須田町を通って有楽町へゆく。このコースの欠点はモニが「町並みが汚いから嫌いだ」とゆってついてきてくれないので、モニがたとえば髪を切りに行っているとか、スーパーウーマンのYさんと買い物に行ってるとか、ベルギー人やフランス人の友達と会ってるとか、そーゆーときしか行かれない。この道をゆくときは、ひとりぼっちのオタクガイジン、なのであって、居直って「萌」Tシャツを着て歩こうか、と思うくらいうらぶれた気持ちになりやすい。 わっしは、このあいだもひとりで明神下の交差点に立っておった。 もうこれが見納めになりそうなので、秋葉原にもう一回行っておこうと考えたからです。 その帰り道、あまりに退屈な街に変わり果てた秋葉原のことを考えて、ぼんやり明神下の交差点に立っておったら、おばちゃんの自転車にぶつけられた。 「ダイジョーブデスカ?」と訊いたら睨みつけられたが、考えてみるとおばちゃんのほうが悪いんやん。 その晩、足が腫れ上がってびびりました。 また再開したようですが九十九電機が店を閉じなければならなくなるようでは、電気街としての秋葉原はもう長くなさそうです。 秋葉原はもとは上野で進駐軍放出の真空管を売っていた商人たちが追い出されていまの土地に集住した、とミナミ電気の社長が言ってます。新潟の古本屋で買ったぼろい雑誌に出ておった。この雑誌が出た当時ミナミの社長は秋葉原電気街全体のボスで、鎌倉の駅前に「ミナミ宝飾館」というダリの「宇宙象」やなんかを集めた美術館をぶち建てたところだった。だから機嫌良く話してます。まさか、この後、あっという間に秋葉原が「安売り電気街」に成り下がって街ごとおっちゃぶれるところまでいくとは思ってなかったでしょう。 秋葉原は歴史的には当時暴力団が扱っていたスペースインベーダのコピー品が売れに売れて半導体が逼迫したことで大きくなった。 それまでは丸善無線やなんかが八重洲の無線機(これは連合王国とかでも神話になるほど性能の良い無線機だった。マーロン・ブランドは生涯アマチュア無線が趣味であったというヘンな大スターでしたが、一説によるとマーロン・ブランドが毎晩のように変名で使っていた無線機は八重洲無線製だった、というな)を売ったり、他では買えない高級オーディオ機器が買えたり、という「趣味の街」だった。 むかし(1970年)の地図を見ると、旧ラオックスコンピュータ館からガード下にかけてはバーニヤダイアルやバリコン、真空管の問屋がたくさんあって、どういう性格の町であったか見当がつきます。 それが暴力団がらみの半導体マネーが流入して様変わりした。 半導体の需要、というのはバルセロナオリンピックまでは必ずオリンピックの年の前半に爆発的に伸びてオリンピックが終わると供給逼迫が終わる、という不思議な定型をもっていました。だからチップ屋さんたちは、オリンピックの年に向かって金を調達し、チップを確保(たとえばラインの不良品率をちょっとだけ上げてもらって横流ししてもらう)すれば、それぞれ何十億円という単位で儲かった。 いまは経営者がかわったらしきT-ZXXXなどはそうやって出来た会社です。 もっと大きな会社では当時は須田町にあった加○電子が有名です。 この会社は30人ほどいた営業マンが優秀なので半導体の大波がくるたびにDRAMサーフィンをしてボロ儲けしたのですが、会社の「成長したのでこれからは大卒のみ優遇する」というあからさまな学歴主義に反発して、ほとんどが会社をやめちった。その営業マンたちが秋葉原で自分で会社を興して○○無線、XX電子と名乗ったところが多いのです。このひとたちは持ち株会などで積んであった株を売り払って創業資金にした。表には部品を扱う店を出して、奥では相変わらず4年に一回の大勝負に臨んだ。 秋葉原の黄金時代の始まりです。 いまのIBM互換機街としての秋葉原は、もとはと言えばNECがその独自規格のPC、9801シリーズの解像度をEGAで固定していたことに始まります。もうひとつは386に対応するのが遅かった。 日本から一歩出れば安いVGAー386がごろごろしていたわけですが、日本ではカテナがコンパックを合衆国の4倍くらいの値段設定で扱っているだけでした。 NECの他の会社は何をしていたかというとAX協議会、というのをつくって、なんとかしてIBM互換機を高値で売りつけようとしていた。当時の「よいパソコンわるいパソコン」といういまでも古本屋の100円コーナーにあるところをみると当時はよっぽど売れたらしい本を見ると、386のデスクトップで100万円。 SONYなどは、個人ユーザなど相手にする気はない、と傲慢なことを嘯いていたのがわかります。 東芝だけは例外で当時から、そもそも日本の外で人気があったT3100シリーズ、日本ではJ3100シリーズという高級ラップトップを出していました。 これも100メガ、という破格の大容量のHDDを積んでいたGTなどは100万円でしたが、これは外国で買うよりは高くても、それほどぶったくりとは言えなかった。 もともと高級機なんです。 この頃は、VGAで日本語を画面に出力するのに、 AX方式 東芝方式(ただし日本語モードはCGA) IBM PS2方式 と、もうひとつ、当時のTーZXXX、亜○電子の社長が音頭をとって韓国の開発者につくらせていた「1バイトキャラクタ用のソフトで2バイトキャラクタを出力させるソフト」 の4方式があったわけです。 よく調べてみると、台湾の会社と組んで漢字ロムカードをつくっていたひともいる。 (完成時期が丁度IBMのDOS/Vの発表と重なって発売されずに終わった) その頃、IBMが突然、EMSドライバを使って窓を開けた640Kのコンベンショナルメモリ外のメモリ空間にフォントを読み込ませて日本語を出力させるDOS/Vという方式を発表します。 これは、たとえばサンフランシスコで買ったPCをそのまま日本にもってきても、このDOSをインストールすれば動いたので、あっというまに普及しました。 よく知られているとおり、これがいまの日本のPC市場の始まりになる。 このあいだ日本語PC雑誌の対談を見ていたら元マイクロソフトのFというひとが「われわれの努力がついにいまの互換機時代を生んだ」と言っていて笑ってしまいましたが、このひとはAX協議会の側に立って後で互換機を売ろうとする千○電機(いまのブ○スという会社の旧約聖書風の変わった名前の社長は、この会社で互換機部門を始めたひとです) … Continue reading

Posted in 科学とテクノロジー | Leave a comment

日本再訪_1

わっしの日本再訪は終わった。 なんだか次から次にひとに会うだけで終わってしまったような訪問になってしまった。 もっと、たとえば日本にはいくつもある山脈を歩いて縦断したりしたかったが、全然出来ないで終わってしまった。山と名のつくものは広尾山と鎌倉山しかいかなかった。 ときどき高岩山を眺めながら長野の「山の家」までクルマで出かけた。 そのモニとわっしが大好きな「山の家」からクルマでサクホやノベヤマに出かけた。 ベッショの中世の寺院に巡礼した。 道路脇の野菜の直売所で地元のひとと話す。わっしが日本語を話すと、すっかり喜んで山ほど野菜をクルマに押し込んでくれるおじちゃんやおばちゃんたち。 「うっひゃあ、すげー、美人だねえ。待ってて待ってて」と叫ぶなり軽トラックに飛び乗って消えたかと思ったら、デジカメを持って戻ってきてモニと写真をとるばあちゃん。 誰もいない小さな湖や池。美しい鳥たち。駆け抜ける雉子。 雪の道に伏せているハクビシン。 スガダイラからオブセに向かう道でモニとわっしは森のなかに立って遠くを見つめるカモシカの夫婦を見た。 銀座ではイトーヤに行かないわけにはいかぬ。 ワコーにも行く。 あの美しい藍ののれんが下がった静かな店で「景虎」を飲む。 「樽菊正宗」を飲む。 モニとふたり、sakeですっかり酔っぱらって、お堀端を歩く。 酔っぱらうと日本語はメンドクサイので、日本語を誰も話さないクラブへ行って遊ぶ。 そこには英語と仏語と独語と西語を話すクールカットのスーパーマン日本人青年がいて、かっこよくまんまるにしたでかい氷がはいった水とスコッチをもってくる。 「モニさんとガメさんは、もうお帰りですか?」 「帰ります」 「ぼくももうすぐここをやめて出かけるのです」 「どこへ行くのですか?」 「どこでもよいから、革命が起こせる国へ」 暗闇坂を下りて、麻布十番まで散歩するのだ。 この坂の上にはわっしの初めて出来た日本人の友達である女のひとが生まれた家があった。 「友達」と言っても、わっしより遙かに年が上であったが、このひとと話すのはいつも楽しかった。 トンブリッジウエルの森のなかを抜ける細い道を一緒にあるいたときのことが忘れられない。 「ガメちゃんは、将来はなにになるの?」 オヨメサン、と答えようかと思ったが、おもいのほかマジメな顔で訊いているのに気がついてアホな冗談はやめて真剣に答えようとした。 「シンジン」 「?」 「真の人。荘子、という中国人の本に出てくるんです」 笑われるかと思ったが、真剣に聴いてくれてます。 わっしは一所懸命「真人」について説明した。 真人がいかに知識にあふれているか、また、その知識に左右されないか。 真人がいかにたくさんの知友をもっているか、また、その知友に左右されないか。 夢を見ずに眠り、起きているときには憂いをもたず、生を愛しもしなければ死を憎むこともない。深く呼吸して、誰も真人がそこにいることに気付かないほど自然に同化している。 「ひとつ、難しいことがあるんです」 と、わっしが言うと、そのひとは促すように首を傾げる。 「えーっと、真人になるには職業についてはいけないんです」 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

「チャイメリカ」の落日

バラク・オバマの人選を見て落胆してしまった。なんじゃ、これは、というのがわっしの感想です。こうなったら、職業上は、しばらく下を向いてしょぼしょぼと暮らすしかない。 それともラスベガスに行ってブラックジャックの不滅の記録を残すべく頑張るべきか(目下の世界記録はひと晩46ミリオンダラー稼いだおっちゃんです)。 バラク・オバマが民主党指名レースを走っていた頃、わっしのアフリカン・アメリカンの友達が、「オバマに比べれば、ヒラリーの旦那のほうがずっと黒人だったな」と言っていたのを思い出してしまった。この友達も結局はバラク・オバマに投票したのですが、「バラク・オバマはアフリカン・アメリカンであるよりもアメリカの知的エリートとしての面のほうがずっと強い」というアフリカン・アメリカンたちの評は、やはり当たっていたようです。わっしもマケインというひとの高潔で強い人格が好きだったが、もしかすると、合衆国人は「アメリカン・ドリーム」に眼を奪われて、というか、「アメリカの歴史的瞬間」を実現したい一心でオオバカをこいてしまったのかもしれません。 まるで「トーダイ卒だから採用します」みたいな日本の時代遅れ中小企業みたいなことをやっていていーのか、と思いますが、わっしは所詮外国人なので、自分の仕事への影響を考えて、あちゃー、と呟くだけです。なさけないのう。 しかし布陣が決まってみると、合衆国がどっちの方角に進むのかは判ってきて、少し落ち着いて仕事を考えることが出来ます。 チャイメリカ路線の拡大、なわけだ。 中国が合衆国に金を貸して一方では大量に生産する製品を輸出しまくる。 合衆国人は全員で中村うさぎになって買いまくる、と、こーゆー図式だすな。 わっしはむかし中国人(香港人)のお友達から「ガメちゃん、どんなことがあっても中国人から金を借りてはだめだよ」とゆわれたことがある。 「なんで?」と訊くと、「中国人の社会ではね、金を貸したら、奥さんも貸すくらいのことは、当たり前なの」「どひゃ」 という会話でした。 中国のひとは見返りなしで、金は貸さん。 中国のひとと合衆国のひとがひそひそしていたと思ったら次の日にライス国務長官がいきなり北朝鮮を悪役リストから外して日本人全員がぶっくらこいてしまったことがありましたが、これからは、そーゆーことが、もっと頻々と起きることでしょう。 合衆国はしかも当然のことながらチャイメリカ路線を突っ走ることによって、自らをコーナーに追い詰めることにもなる。角番の中村うさぎですね。 もうクレジットの限界いっぱい毎月使いまくるしかない。 ドルも基軸通貨の威光を信じて、消費が低下するたびにバンバン利下げするしかない。 目下は産業が ねーんだから、やむをえない。 中国の方は、どうか。 中国の方は、合衆国の消費拡大がうまくいかねー場合、国内の三層構造(8000万人の先進国人口2億4千万の中進国人口残りの極端な低収入人口)の垣根を取っ払ってしまって、いちかばちか消費の拡大を狙う、という手が残っている。 「いちかばちか」というのは、この垣根を取っ払ってしまうと社会の大混乱は避けられないからです。上海を中心とする先進国部分にどっと地方からひとがなだれ込んで犯罪は増加する、公共投資はおっつかなくなる、インフラは不足が高じて停止状態になる、で、てーへんです。中国は歴史的に「内乱」の国なのを忘れてはいけません。 国が三国志になってしまうとコーエイは現代版三国志が売れてうれしいかもしれないが、国民をもれなく食わせることが至上命題(食わせないと暴れる、政府にとってはコワイ国民性だからです)の中国政府としてはコーエイの株価をあげるために新赤壁の戦いを戦うわけにはいかないのす。 もうひとつ、消費市場を国内に求めた場合、パートナーである合衆国と決定的に対立してゆくことになるわけで、中国はいずれは合衆国との対立は避けられないと覚悟していても、いまはまだ嫌である。 だから、チャイメリカ。 お話としては、すごくうまく行きそうではないですか。 同盟国の日本? そんなものかんけーねーよ。 背に腹は代えられん。 「日本の立場も考慮する」と言っておいてやれば満足する国ですから、あそこは。 尖閣諸島はメンツが立たなくなったらあげるから、沖縄はやめてね。 しばらく日本領のままでお願いします。 来年のチャイナウイークで南京虐殺ショーをやるときはラジオシティでやってもいいからね。 わっしは中国人中国人と日本のひとがぼろくそに言うので、ここのところ中国のひととだいぶん会ってみた。コーキシンです。そんなに嫌われるひととは、どんなひとなのか。 で、中国のひとたちと会ってみた感想は、まずおもろいひとたちである。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080818/1218997908 派手好きであって、信用できるひとが多い。 率直で行動的である。 だから、わっしにとっては中国人はどちらかというと好きな国民性のほうに入りそうです。 しかし政府は別である。 わっしは全体主義というものを認めない。 中国の人が日本のひとと同じ理屈の持ち主なら「他国の習慣に口を出すな」と言って怒るでしょうが、でも、全体主義、嫌いなんだもん。 わっしはカマゾッツがなぜ悪の帝国なのかもう知っているのだ。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment