「おかわいそうに」と裁判員制度

「おにーちゃん」

「…….」

「おにーちゃんってば。昼ご飯出来てるよ。モニさんが腕によりをかけてつくったんだから、起きてきなさいよ。おにーちゃん!」

「うー」

「なに唸ってるのよ。役立たず、ごくつぶし、グッドフォーナッシング!」

ガバと跳ね起きて、「なにを抜かす。この無情者めが」と叫びたいところであるが、そうはいかぬ。そんな雄々しい行動をとったら、おえっといってしまいそうです。もしかすると、力み方のベクトルの向きによっては、オムツが必要な事態にもなりかねぬ(汚くてごめん)

クリケット仲間と新しく出来たステーキハウスに行ったところまでは良かったが、そこからが拙かった。ステーキハウスでワインをひとりで二本飲んでもう出来上がっていたのに、そこからついクラブにつきあってしもうた。

マティニが一杯、マティニが二杯、マルガリータが一杯マルガリータが二杯、ふんでもって、ソルティドッグが一杯ソルティドッグが二杯.。

微かにデブPとふたりでALIZEEの

http://fr.youtube.com/watch?v=ceSxEjwXHcM

をフリ付きで歌ったところくらいまでは憶えているが、その後の記憶がない。

妹よ。お兄様は昼飯を食べるどころではありません。

寝返りが出来るかどうか微妙である。わっしの長年の経験で鍛えた勘では放屁衝動でも起ころうものなら乾坤一擲の大決意でバスルームまで全力で疾走せねばならぬ。

妹の罵声がやんだので、そおっと毛布から顔を出したら、モニとかーちゃんと妹が並んで立っておって水鉄砲で水をぶっかけられた上に写真を撮られた。

三人できゃはは、と笑い転げておる。

西洋の女はまことに無慈悲です。

日本の女のひとはやさしい、と言う。

耳かき、というのは日本のひとの奇習だが、ものの本に依ると日本の夫たちは奥さんの膝枕で耳を掃除してもらうという。その話を妹にしたときの反応は「ぎょええ気持ち悪い。第一なんで女がそんな汚穢屋みたいなことしなくちゃなんないのよ」でした。

まっ、わっしもあの鈎付き棒みたいなのを耳に突っ込まれると思うと気味が悪くはあるが。

レストランにはいるときでも男を先に行かせて、男がえばってテーブルにつくと、そそくさと席について柳のような白い細い腕をのばして「おひとつ」とかゆってビールを注いでくれるという…..って、これは自分で書いていても60年代東宝映画の観察にしか過ぎないのがバレバレ(スペイン語ではOKOKっすな)である。

日本語には英語に出来ない言葉がたくさんある。

「反省しました」というが、英語では反省と言えない。リフレクト、じゃないの?

違います。ぜーんぜんリフレクト、違うわい。

言葉がない。ははあー、だから連合王国人は悪行の限りをつくしても反省しないのだな、と独り言を言った、そこのきみ、だからわっしは前から賢しら顔でものを言う人間はたいていバカである、と言っておる。そうではない。連合王国人が反省しないのは、そうではなくて悪事においてはあくまで前向きで過去を振り返るような女々しいことをしないからです。

反省、と言うような中途半端なことはやっても仕方がないのでしないのね。

いよいよ天罰が下ってにっちもさっちもいかなくなったときだけ、ぐぎゃあ、と思う。

これをリモース、と言います。考えてみれば、もう手遅れなんだから、これも無駄な感情だがな。

「悔しい」も言えない。英語国民はくやしがれないので、甚だしく不便である。

切りがないのでもう挙げないが、日本語でいう「おかわいそうに」という言葉がわっしは好きなのす。

相手の体そのもののなかに自分の感情がすっと入ってゆくようなところがあるからです。

相手が極悪人であろうが、嫌いな人間であろうが、もしかすると人間ですらなくても、むごいめにあっているものに向かい合った日本のひとが持てる偉大なシンパシイの言葉であると思う。うまく言えないが、なんだか罪や罰というような世界を越えてしまうような響きがある言葉です。

裁判員、というものが日本には出来たそうです。

成田のホテルでモニがシャワーを浴びている間にテレビを観ておったら、あれは「バラエティショー」っちゅうんでしょうか、まじめくさったおっちゃんたちとおばちゃん一名が一列に座って制度の是非を論じておった。

わっしは日本語でブログを書いたり日本語の偉大なダジャレをつくろうと志して日夜研鑽に励んでいたりする割には、日本の時事的話題に興味がない。

日経ネット、をよく読むが、「食べ物新日本奇行」ばかり熱心に読んでいるだけです。

ニュースに興味がわかん。

でも、この番組は面白かったな。

わっしは「裁判員」って、ジュリイ(沢田研二、じゃないんだお、日本語忘れちっただけ、審判員、っでなくて、えーと、陪審員、だっけ)みたいなんかと思ってたら、裁判官と同じ並びの席に並ぶというので、まずびっくり。

それではただでさえお白州じみた日本の裁判所で、お奉行さまが複数化するようものでわっしの感覚では「すごくヘン」である。なんだか「陪審員制度」と真っ向から対立する思想の裁判にプロ裁判官のかわりにアマチュア裁判官を起用するような感じで、なんだか無茶苦茶な判決(捕鯨に反対した罪で鯨食三ヶ月、とか)がくだされそうで、これから日本で悪いことをするのは絶対にやめよーと思いました。

(そういう効果があるのか)

冗談はともかく。

わっしは「おかわいそうに」という言葉がある国で「陪審員制度」をつくることの難しさを思いました。「裁判員制度賛成」のひとが、「日本はいまは国民の意識が未熟だが、だからこそいま始めて国民として法意識を成熟させていかなければいけないんです」と言ってましたが、意識の未熟、以前に罪と罰についての文化っちゅうか、言語体系すなわち認識のありようが日本のひとと西洋人では全然違うのではないでしょうか。

エラソーだが、こうやって日本語の文章を書いていて、その他は西洋語の世界に戻ってくらしているわっしには理屈抜きに、そう感じられます。日本語で考えるひとが「陪審員」ということが出来そうな気がしない。

もうちょっと、うまく説明しろよな、と言われそうですが、これをうまく説明するのは、

さっきもらさずにバスルームに走り込んだのより難しい、と思う。

実は西洋人たちは折角日本の悪名高い裁判制度にお上のほうから改善してやろうという「裁判員」制度に国民のほうが反対している、というニュースを知って、きょとんとしてしまっているひとが多いのです。「なんで?」と思う。

そんなに奴隷根性がしみついとるのか、と呆れる人や、逆に「やっぱり」というのでしたり顔に解説するひとがいます。

日本語で書いているこのブログに英語国民に言いたいことを書いても無意味なので、ここには書きませんが、違うんだよなあ、と思う。

知らないでしょう。

その日本語で考える日本のひとたちの、他の国の言葉が決して届かない世界を。

おかわいそうに。

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