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お人好しの日本人

ハムナー・スプリングス(Hanmerと書いて「ハムナー」と呼びます。なんで?と考えた人は英語世界に向いてねっす。アングロサクソン世界には、理屈などというしゃらくさいものは存在しないのどす) http://hanmersprings.co.nz/ は、ひとが増えすぎて情けない観光地になってしまいましたが、むかしはわっしの好きな遊び場であって、よく行ったものでした。いまはなくなった「郵便局レストラン」のニョッキが好きであった。誰も歩いてない森林を散歩したり山の中腹にある家からてっぺんにのぼって、すげーだだっぴろい地面の広がりを眺めながらステーキパイを食べたりするのが良かったのです。 以前はとんと見かけなかったが、この頃はアジア人の観光客が増えた。 きっとガイドブックに載っているのでしょう。 すごい人気である。 わっしなら箱根の温泉でひとがいないときをみはからって背泳ぎして「ちんぽこ潜水艦」をしてたほうが楽しいが。 マウンテンバイクに乗ってひょろひょろと丘陵を散策したり、テニスをぶっこいていたりすると疲れるので、コーヒー屋へ行きます。観光客がいっぱいいるコーヒー屋で今度は観光客を観察して遊ぶ。非常に特徴のある顔のスラブ系のひとがいます。ありゃドイツ人だな、とか、こっちはフランス人だべな、とか当て推量をして友達と遊ぶ。 日本のひとは「中国人韓国人と日本人は見れば違いがわかる」と言いますが、わっしは告白するが、ちょっともわからん。口をひらいてでっかい声で話してくれれば、いかなわっしでも区別がつくが、それも、このあいだはちょっとも判らない日本語で話している人たちがいるので、「うーむ。わからん」と考えました。それを見て取ったモニに「ガメの日本語って初心者だな」とゆわれて腐った。 しかし、もっと耳を澄ませて根性を出して聴いてみたら韓国語でした。 要するに、その程度であって、ほんとうのことを言うと中国も韓国も日本も、ひとつの国の三つの地方のような印象です。 ひとりの青年がわっしらからちょっと離れたテーブルについた。 ガイドブックは英語です。一眼レフカメラを持っておる。 わっしはなにしろ「日本および東アジア人オーソリチー」と見なされているので、「ガメ、あれはどこのひとだ?」と友人どもにいっせいに訊かれます。 「わかんね-」と、わし。 みなで、顔がすっきりしているところは中国の優秀学生風である、とか、ほお骨がやや高いところはタタール系韓国人風である、とか、みんなで好きなことを言います。 でーもさー、カメラ、高そうじゃん。日本人なんでない?と言うひと。 ばーか、この頃は中国人のほうが金持ちだって言うぞ、と反論するひとがいます。 えー、中国の人って、月給100円、とかでねーの? と思いっきり無知をさらけ出してアホ丸出しのバカ外人御一行様です。 すると青年がトイレに立った。 その瞬間、全員が「あっ、日本人だ!」と言って笑い転げる。 青年が「ここにぼくがいるよ」ということを示すために無茶苦茶高そうなニコンの一眼レフをテーブルの上に置いていってしまったからです。 そんなオソロシイことをするのはこの広い宇宙といえど日本人以外にあるわけがない。 「笑い転げた」と言いましたが、ケーベツしたり呆れたひとの笑いではないのです。 日本のひとは、そこをときどき誤解する。 それはなんとなく暖かい気持ちになるような、ほっとするような笑いであって、うらやみもこもっている笑いである。 わっしが子供の頃は、もうそういう訳にはいかなかったが、かーちゃんが初めてニュージーランドへやってきて南島の原生林にぶっとんでいたりした頃はまだ、クライストチャーチのひとは眠るときでも家に鍵をかけなかった、と言う。 実際にコートやなんかを自分がまだこの席に戻ってくる、ということを示すためにおいたままトイレに行ったりもしていたそうである。 おおげさに言うと、高価なカメラをテーブルに置いていってもよい、と考える、日本のひとの根底的な世界観にうっとりしてしまっているのです。 日本のひとにとっては、まだ人間が信ずるに足るものであって、その人間が運営している社会も、その社会を信頼していれば、それで普通にやっていけることになっているのがよくわかります。 わっしも、日本のひとのそういうところが好きでたまらない。 レストランに置き引きをするためにやってくる抜け目のない泥棒にとっては、日本人はただの「間抜けなお人好し」であるに決まってますが、わっしは世の中に「間抜けなお人好し」ほど素晴らしい種類の人間はいないと思います。 戦後日本社会の最大の栄光は、もしかしたら、持ち主のためにテーブルの上で頑張っている高価なカメラや現金がいっぱいはいった財布が体現しているのであって、それらが盗まれてしまうということには、いまの世界というものの誤ったありかたが象徴されているのだと思う。 戦後日本社会の最大の特徴は西洋型民主主義のお題目としての「真善美」を真っ正面から受け入れて疑いをもたないことでした。社会体制においても自分たちが育った合衆国を、その理想主義のために追い出されたややエクセントリックな社会民主主義的価値を信奉していたアメリカ人たちに建設を委ねた。 経済活動への強力な政府の統制や個人所得へのいまでは当の合衆国人が冗談と考えて大笑いするような、そして現実だと知ると、ぶっくらこいてしまう累進課税率などは、彼らの考え方に合致していた。 いまでは日本人自身に批判され葬られつつある「戦後民主主義」というものが、わっしは好きです。いまでは冗談の一種のように言われることが多い「日本国憲法前文」や「憲法第9条」を、わっしの妹などはひと頃はジョン王の国の大憲章のような気持ちで読んだ。 鎌倉の妙法寺でわっしの敬愛する「センセイ」に「でも、じゃあ、他国が問答無用で攻め込んできたらどうしますか?」と訊いたらセンセイが「みなで死ぬのさ。この寺にいっぱい埋まっているサムライたちの伝統に従って」「『諸国民の信義を信頼した結果滅亡せる国民ここに眠る』って、誰かがわれわれの墓碑銘を書いてくれるさ」と言った夜のことを懐かしく思い出します。 わっしが日本にいて調べていた歴史には徳川家康や大山巌は出てきません。 そういうひとは、わっしにとっては極端に言うと「どうでもいい」のです。 … Continue reading

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