Monthly Archives: February 2009

東アジアの欧州人

中世の日本人は大声で哭(な)いた。 また折々に頻(よ)く泣くひとたちでもあった。 日本人が表情を殺せと言われるようになるのは江戸時代からであって、ひとつには徳川家がやってきた三河の風習がそうであったのと、もうひとつは中途半端な儒教の崇拝者であった徳川家康が、そうするのがかっこいいと思っていたからです。 一方で中世の日本人は自分の生命というものが蝋燭の炎のようなものであって僅かな煌めきが圧倒的な闇すなわち死に囲まれている、と感じているひとたちであった。 中世の彫刻が雄大な筋肉の表現をもっているのは明らかにそのせいです。 生命の儚さを知っているぶんだけ、生命力の表現に固執したようである。 わっしは日本の中世が好きです。 そこには、これから独自の文明を生みだしつつある人間の集団に必要なすべてが備わっている。 日本の中世は欧州のルネッサンスにとてもよく似ている。 鎌倉時代から戦国時代にかけてのように偉大な時代は世界中見渡しても、そんなにはない。 信長の死によって突然終止符が打たれるまで、類例のない日本というマイクロ文明の爆発は続いた。 やや気が優しいところはあるが信長の忠実な模倣者であった秀吉はともかく家康のような軍事的な才能以外にはほとんど本質的に優れた能力はなにもなかった政治家の手に結局は権力が渡っていくところが、(こちらは悪い方の意味で)とても日本的です。 家康というひとを調べてゆくと、その哲学的な事柄への理解力の浅さや安っぽい道徳観にうんざりします。 でも、天下をとったじゃないか、と考えた、そこのきみ。 そう勝ったものについていくのがいいのさ、と考えたきみ。 きみのような人間の数の多さが結局は家康が君臨するに至った理由である。 おおきな会社に勤めているひとは、まわりを見渡して「きみの気持ちもわかる。次は席を用意しておくから」という上役のことを考えてみればよい。 家康、というのは、その上役のようなクソジジイ(言葉が悪くてごめん)にしか過ぎなかった。 ひとが見ていなければ何をやってもいいのさ、自分の正体がばれなければどんな破廉恥なことでもやってのけてみせる、という日本人に対する悪いほうの定評は、そういうと怒るかも知れないがあながち根拠がないとは言えない。 かわいそうだと考えて黙って焦点をそらしてやったのに、そういうわっしの気持ちを悟らないで、いまだに「日本に残っている日本人はバカだ。それがわからないおまえもバカだ。偽善者白人死ね」と言い募って反省しない様子なので、もうちっとばらすとウイーン大学(Vienna University )のIPを使った時点であっさり正体がわかってしまうことになったネタニヤプー (193.170.104.5)のようなひとは、この徳川時代のしいたげられた百姓たちのメンタリティをそのまま直截に受け継いでいるのだと思います。 そしてそういう性癖は調べてみると長い徳川支配の時代に出来たもののようです。 (話のついでに、「ネタニヤプー」さんに書いておくことがある。(名前はいろいろに付けてくるがいつも同じ人ですな)「殺してやる」とかいつまでも、こんな無防備な状態で言い続けていると、そのうち日本語を読む人の誰かがいたずら程度の気持ちで大学にメールを送るだけで、まっすぐ刑務所行きになってしまうのがわからないのだろうか。わっしはIPを単純にWHOISの逆引きをするだけで大学といういちばん秘匿性がないところに行き着いてしまう http://torstatus.kgprog.com/whois.php?ip=193.170.104.5 ので心配してわざとわからないようにしてあげた。しかし、その後のあなたの反応を見ていると救いようがない。 まだ曖昧な言い方にしてあげると、仮にあなたがこの大学に在籍していなくても欧州の大学というのは、こういうことには厳格なのです。 言っておくが、わっしはあなたのように同国人を意味もなく蔑むようなくだらない人間が極端に嫌いなのでいままでも、あなたのような日本人を侮辱するのが趣味としかいいようがない日本人を我慢するのに苦労している。 好い加減にすることです。残念なことに、現実の問題としてはただでさえ西洋の大学では東アジア人の不品行が問題になっている。わっしは、あなたのようなひとに言いたいが、 もっと自分の人生を大事にしたほうがよい。それと、上のIPひとつとってもただのマヌケにしか過ぎないのにもうこれ以上海外にいることだけを根拠に得意がって日本に残っている日本人をバカにするのはやめたほうがよい。恥ずかしいことだと思わないのだろうか) 閑話休題。 バルセロナの街を歩いていると不思議なくらい日本のことが思い出されます。 カタロニアのひとと日本人はどこか本質的なところで似ているからではないでしょうか。 カタロニアはもともと生産性が極めて高い工業と貿易で栄えていた。 1930年代から70年代にかけてフランコはカタロニアを徹底的に弾圧します。 もっともバルセロナの友人たちと話すと、産業は逆に保護したそうなのですが、文化を弾圧されて産業だけを伸ばすほどカタロニア人は単純ではなかった、ということなのでしょう。 英語を話せないと恥ずかしい、と考えるのか、わっしのような見るからに英語人な人間を咄嗟に避けようとするところとか、わっしが文法的にデタラメなスペイン語で話しかけると、いっぺんに顔が綻んで花が咲くように微笑するところとか、そーゆーところももろに似ている。 恥じらい、というものが似ている。 もちろん違うところもいっぱいありますが、しかし中世の日本人がどんなふうであったかを思い出すと、もうほんとうにそっくりではないか、と思うことがあるのです。 … Continue reading

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バルセロナの午後

「再生する日本2」という日本を愛する気持ちにあふれたカッチョイイブログを書くはずであったのに、ピンチョスがおいしいタパスバーに行って良い気持ちでワインを飲んでいたらすっかり幸せになって、やる気がなくなってしもうた。 幸福な人間、というものはもともとがぶったるんでいるのであって、「社会」っちゅうようなことを論じるには向いておらない。 ピンチョス、というのは日曜日に男同士で集まって料理の腕を競うクラブがたくさんある、というくらい「おいしいもの」に人生を賭けて暮らしているバスク人が発明したバスク式鮨であって、鮨であれば台はショートグレインのご飯ですが、バスク人はパンを使う。上には酢漬けのハラペーニョがのっかっているカタクチイワシとかハモンとかバスクチーズとハモンとゆで卵とキャビア、とか、アーティチョークのオムレツ、とか塩漬けタラいりのオムレツとかが載っているのであって、とおってもおいしい食べ物です。 日本のお鮨屋さんと同じでカウンタの上に並んでなければ頼めば作ってもらえます。 マッシュルームのコロッケとかハモンのコロッケとか、揚げ物はとーぜん、並んでいないのを見て取ったときに注文した方がおいしいのにありつける。 スペインは揚げ物がものすごくおいしい国であって「天ぷら」の発祥の地の面目がいまでも保たれておる。 そんでもって、こーゆーおいしいものを食べるときにワインを飲まない人はいないので、きみはビノティント・デ・ラ・カサを頼む。 ビノはワイン、ティントは赤、デ・ラ・カサはハウスの、っちゅう意味なので、 このバーのハウスワインを頼んだことになる。 ウン・バソ(コップ一杯)で充分です。 こーゆーところで妙に気張って高いワインを頼むのは無粋というものであって、スペインではアメリカや日本のような国と違って、ハウスワインで十分においしいワインが出て来ます。欧州というところではワインの値段はおおむね「性格」で決まる。 おいしいのは、あたりまえ、なんです。 従順なワインはとても安い。 「性格」が奔馬のようである、とか、フランスのワインなんかでは、性格が一直線でなくて飲んでいるうちに口のなかできゅーんと若々しい味を主張して「ありゃ、若いのかな?」と思うと次の瞬間、まろやかになって老成した味に変わる、というような一筋縄でいかないワインに高い値札がつきます。 スペインの食べ物にはフランス料理ほどの繊細さはないが、食べていると楽しい気持ちになってなんだかうきうきしてくるところが良いところである、と思う。 カウンタのなかで切り盛りしているねーちゃんたちも日本の人が好きそうな「楚々」とした美少女マンガ風のねーちゃんが多いので、きっとwindwalker さんなどはバルセロナとかに住むと一瞬で日本に帰る気がなくなるに違いない。 わっしは東京にいるときには日本酒が好みであった。 日本のビールもワインも全然うまいと思わないが、日本酒は(あたりまえなのかも知れないが)ものすごくおいしい。 「景虎」を飲んで虎ちゃんになったりはしなかったが、四国の山廃を飲んでガメ廃になりかかったりはしたのである。 なかでも樽菊正宗はうまかったなあ。 うーむ。 また料亭Hのおっちゃん手製あるいは西洋シェフ某さん手製ブランデー風味のカラスミと樽菊正宗で一杯やりたい。 バルセロナでバスクチーズとヴァレガルシアで一杯やるのと同じ感じだが、こっちには「H」のおっちゃんの「へへえ、ガメちゃん今日はずいぶんご機嫌だねえ」の伝統日本的な笑顔がないところがちょと違います。 ワインで良い気持ちになったので知り合いのハモン屋の持ち主のおっちゃんの所に寄った。 カウンタの奥から顔見知りのおっちゃんが出て来たので去年撮った写真でさっきFnac(若い人向けにつくってある結構品揃えのよいコンピュータ屋なんかもはいっているので有名なモールです)で現像したのをあげると、大急ぎで手を洗って拭いて、一枚一枚しげしげと見ています。周り中のひとにデカイ声で「このふたりが去年来たときに撮ってくれた写真なんだよ」と触れ回っておる。とても嬉しそうです。 ふと気がついたように「この写真はおれのか?」と聞く。 もちろん、そーです、とわっし。 お金、払わなくていいのか? 払っていいわけないでしょ、とにらむわっし。 おっちゃんの眼がみるみるうちに潤んでゆきます。 おっちゃん、眼鏡を外して涙をぬぐっておる。 スペインのひとの喜び方は野球でいうとオーバースローの直球なので、わっしはいつでも大好きである。 こーゆーときのスペインのひとを見ていると連合王国人なんかは根っからのバカであるな、とシミジミ判ります。 おっちゃん、そのまま、また奥に駆け込んでゆく。 延々と続く列に並ぶひとたちはほうっぽらかしである。 どーしたんだ、おっちゃんは嬉しいと尿意をもよおすたちなのであるか、と思っていると革袋をもって戻ってきます。 カタロニアのひとは革袋から、ちゅーと絞り出して、噴水のように飛び出してくるワインを飲むのが得意である。 飲め、という。 あんな曲芸みたいなことができるわけねーじゃん。 … Continue reading

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Who is that on the other side of you?

Who is the third who walks always beside you? When I count, there are only you and I together But when I look ahead up the white road There is always another one walking beside you Gliding wrapt in a … Continue reading

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Who is that on the other side of you?

Who is the third who walks always beside you? When I count, there are only you and I together But when I look ahead up the white road There is always another one walking beside you Gliding wrapt in a … Continue reading

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カフェに腰掛けて、ぼんやりする

バルセロナの大通りのカフェに腰掛けて眺めているといろいろなひとがいます。 イタリア人のおばちゃんのふたり連れが座っているところにアフリカ人のデカイにーちゃんが突然座り込んで話しかけておる。 こーゆーひとは、フランスの地中海沿岸の町にもよくいるので何をしているのかはアホでもわかる。 おばちゃんたちをナンパしようとしているのだすな。 おばちゃんたちは50歳くらい、にーちゃんは、25歳くらいであろーか。 にーちゃんが座り込むと、おばちゃんたちはうるさがって手をひらひらさせておる。 しっしっ、あっち行けをしています。 それでも強引に微笑みながら話しかけるにーちゃん。 やがて、どーゆー風のふきまわしでか、いきなり話がまとまったらしく、おばちゃんのひとりが、にーちゃんと連れだって立ってゆく。 残ったおばちゃんは何事もなかったかのように、ひとりで反対の方向に歩いてゆく。 本屋の前には、背の高い、どっからどー見ても連合王国人のおっちゃんが、小さなひとが多いバルセロナ人たちを見下ろすようにして立っておる。 なーんとなくバルセロナ人たちをバカにしているようで感じわるい。 学校が休みなのでアメリカ人のガキどももいっぱいおる。 連合王国人のガキの数に至っては言うに及ばず。 連合王国人の平均的なガキは、たとえば小学生でも一年に二回は学校の用事で大陸欧州に行く。 たとえば冬はスキー合宿。夏はサマースクール。 わっしらのころは、まだ全部の学校、というわけではなかったが、いまは行かない学校のほうが珍しいでしょう。 そうやって出かけた先の国で、たとえば、フランス人ガキと公園でラグビーをやったり、 スキーでぶつかって知り合ったりして、だんだん言葉をおぼえてゆく。 わっしの学校では小学校で習う外国語の希望はフランス語がダントツで多かった(っちゅうか、みんなフランス語なので必修化しとった。ほんとうは学校本来の制度的にはドイツ語と交代でベンキョーせんといけないはずだが、わしの学年ではドイツ語ははなはだしく人気がなかったようである)が、クラスは死ぬほど退屈でも、来年フランスガキに会ったときには、おまえのスクラムの組み方だとわっしのパンツが脱げるではないかボケ、というようなことを正確に伝えなければならん、と考えるので、おもわずマジメに勉強してしまう。 その上に、夏には家族でスイスやイタリアの北の方や、もうちっとビンボーであるとスペインに出かけるであろう。国内でなくて大陸欧州に出かける人が多いのは理由は簡単で「そっちのほうが安いから」です。 どこの国でも事情は似たようなものなのでしょう。 欧州の街はどこへ行っても、ガキからじーちゃんばーちゃんまで、あちこちの国の人間が盛大な数でうろうろしておる。 ずっとむかし、わっしのこのブログについて「4カ国語話せる『妹』などいるわけがない」と書いたひとがいて、わっしはぶっくらこいてしまったことがあった。 いるわけがない、どころか、わっしの学校の同級生はそーとーなアホでも3カ国語くらいは話す。第一、そんくらいできねーとまともな学校いけねーじゃん。 多分このひとは先天的に外国語が不自由なひとの集まりである合衆国人と欧州人を混同しておる。 英語しか話せないような退屈な人間では欧州ではお嫁さんもこないと知るべし。 街を歩いているといろいろな言葉が聞こえてきます。 ロンドンはスラブ語が多いが、ここはフランス語と英語が多い。 中国の人がいっぱいいます。 中国人だけは、どこの街でも何年住んでいてもあからさまなチューゴクジンをしているのが可笑しい。ほんとに、へんなひとたちである。 日本のひともいっぱいいるが、これは観光客であるのがひとめでわかるひとが多い。 もっともゲージツカらしきひともだいぶんいて、わっしは、グラシアの奥にある広場で背の高い長いあごひげを生やしたほぼデースイしたオモロイ日本人画家のおじちゃんと話したことがある。 わしがひとりでテーブルの前に腰掛けてカバを飲んでいると、広場をへろへろへろと横切って、いきなりわっしのテーブルの椅子にどかんと腰掛けて、というか尻餅をついて、 ぽん、とポークパイハットをテーブルの上に置きます。 わっしは変なひとが全般に好きなので、こーゆーときには意外とニコニコしてます。 顔を見ればわかる。 おっちゃんは変なひとかもしれぬが知的なひとであるようだ。 「若い友人よ、きみは英国人かね?」という。 いーえ、ニュージーランド人ですが、と、わっし。 … Continue reading

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垂直な言葉で書かれた日記を読む

「ガメ、どうしてそんな汚い本、わざわざロンドンからもってきたんだ?」 モニがベッドで眼を開けてわっしをちらと見ながらわっしに訊きます。 うーん、別に、とかなんとかむにゃむにゃと答えながら、本を棚から抜き取る。 この分厚い本をわっしはロンドンからずっと持って歩いていた。 わっしはバルセロナのアパートのコートヤードに面したテラスにその本を持って出ます。 「本を持って歩く」というのは旅行者としては失格である。 重い。 おまけにだいたいの場合読まないで終わってしまいます。 しかし、わっしはこの本を持ってきたかった。 (コノリーの汚れてはいるが革のかっちょいいカバーが掛かっているので)モニは気付いておらぬが、この本はわっしが日本語の勉強を始めてしばらくして自分でつくった本である。 以前からブログを読んでいるひとは知っているが、わっしはなんでも自分でつくるのが好きです。ニュージーランドにいるときなら、そのへんのおしゃかになったクルマの残骸を集めてギアボックスとエンジンをくっつけて自動車をでっちあげるくらいは朝飯前である。 製本もわっしの自力更生路線の1ジャンルであって、自分で本をでちあげるのは大好きである。そりゃ栃折久美子先生のようにはいかないが、自分ででっちあげた本というのはなかなかよいものです。みなさんもやってみられると良い。 わっしはこれも自分で腕によりをかけてつくったカフェ・コン・レチェを寝室のモニに運ぶと、自分の分をテラスのテーブルに置く。 おもむろに本を開いて読み始めます。 この本には「勇者の記録」という題がついておる。 わっしがつけた。 「勇者の記録」とゆってもドラゴンクエストのゲーム日記ではない。 マジな勇者の記録であって、わっしが蒐集した太平洋戦争中の日本兵の手紙や日記から自分がカンドーした部分を抜き出して書き写して日本語の教材にしたものが載っておる。 とーぜん、上原良司の「所感」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E8%89%AF%E5%8F%B8 も、載っておる。 わっしはこの「所感」の作者の有名な秘密、「クロォチェ」の脇に打たれた傍点をつないだ暗号、 「きょうこちゃん、さやうなら。僕は きみが すきだつた しかし そのときすでに きみは こんやくの人であつた わたしは くるしんだ。 そして きみの こうフクを かんがえたとき あいのことばをささやくことを だンネンした しかし わたしは いつもきみを あいしている」 を読んで、(考えてみればあたりまえだが)日本の兵士といえども人間であったのであって、決して刷り込みだけに反応したロボットではないことを学習したのであった。 わっしはその頃、「所感」よりも、この暗号を何回も読み返しては上原良司というひとの人生の切なさを思って泣いた。 羽仁五郎のようなアジテーターは、死を前にして人生に残された時間をすべて費やして自分の著書を読んだ戦時中の若者の必死の願いに戦後ほんとうに真摯に応えたか、というようなことを考えた。 他のページには、インパールへの出撃を前にして、自分の娘にあてて「おかあさんの いうことを ちゃんと聞いていますか。宿題は、ちゃんとやっていますか」と綴る通信兵の手紙がある。 このひとは、牟田口廉也の昇進したい一心の思いつきで発動したインパールの文字通りの地獄の戦線で、顔をそぎとられた同僚の兵士をひきづって後退する途中で野たれ死にした。 戦線の遙か後方のメイヨウで連日芸者をあげて空輸させた日本酒を空にして遊びほうけていた牟田口たちのことが一行だけ出て来ます。 「自分たちはもう仕方がないが陛下は牟田口閣下の乱行をご存じなのだろうか」という。 もし書き付けたものを内務班に見つかれば半殺しの目にあうのはわかっていたはずだが、書かずにはいられなかったのでしょう。 1945年の浜松では若い航空技術者が高空を翼を煌めかせながら飛ぶB29を羨望の眼で眺めています。 空襲警報が鳴っておるのに、このひとはわざわざ建物から出て初めて見るB29を同僚と驚嘆して観察しておる。 「1万メートルかな? いや、もっと高いな。時速も600キロは出とるなあ。こげな、ものすごい飛行機はおいは初めてみもした」と言い合ってるうちに爆弾が当のB29から落ちてきて背中に破片をいっぱいくらった若い技師たちは入院して、入院先の病院で終戦を迎えます。 海戦の混乱のなかで若い士官は、艦橋の幕僚たちを観察しています。 米軍の急降下爆撃機が襲ってきている。 高級幕僚たちをこの士官は「競馬を眺めている英国紳士たちのようだ」と表現しています。双眼鏡を手に敵の急降下爆撃機たちの腕前を論評しているのです。 … Continue reading

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再生する日本

今日はバルセロナの街にたくさん日本のひとがいます。 円が高くなったからだろうか。 お祭りのせいもあるかも。 (といってもドマイナーなお祭りなので日本のひとが知っていて、そのためにやってきたとは思えないが) 日本のひと、特に若い人はお行儀がよいので有名である。 わっしのかーちゃんの頃までは、かーちゃんが乗っている飛行機の前のほうまでカーテンを開けて突進してきて座ってるかーちゃんの座席の前に立って「シェー」(赤塚不二夫のマンガのキャラクタが驚いたときにとるポーズであって、一時はゴジラの息子がマネをするくらいほど流行ったのだそーである)をしてスチュワーデスに「もう一度同じことをやったら飛行機ごと引き返して空港の警察に引き渡す」とマジで怒られているのに、「ジョーク、ジョーク」と言ってへらへらしているおっちゃんとか、よく考えてみると去年でも、クライストチャーチの道路で行き会った女の子に「写真を撮ってもよいか」と訊いて、いきなり抱きついて警察につかまったひととか、そういえば4年前にはオークランドの滑走路を自転車で疾走して飛行機を全部止めて、警察でなんでそんなことをしたのかと問われて「広かったから、嬉しかった」と答えてニュースになったひととか、そーゆーひとはいっぱいいるが、問題はだんだん改善されて、全般に若い人はお行儀が良くて「ちゃんとしている」という評判をつくった。 「いちばん敬遠したい観光客」の一位に燦然と輝いた連合王国人とは、えらい違いである。 もっとも「英国人の不行儀および態度の悪さ」というのは欧州ではむかしからスペイン人やフランス人とならんで有名なので、いまさら誰も驚かなんがな。 「英国は紳士の国である」という不思議な固定観念をもっているのは、わっしの知っている限りではアジアの国々のひとだけです。 第一「紳士」という新興階級がどういうものであったか知っておれば、「紳士である」という言葉は皮肉なのではないかと思うくらいだけどな。 ともかく、日本のひとは自分たちが思っているよりも「日本人」というアイデアとして世界に受け入れられているのは、わっしが保証します。 わっしが保証しても、ほんとうでなかった場合でも一円も出ないが、そのくらいはただのゲーム・ブログなのだから我慢してもらわねば困る。 振り返って考えてみると、マンガとアニメと、たとえばマンガ文化に立脚した文学スタイルをもっている吉本ばななのような人の存在が大きかった。 そこを皮切りに、文房具のデザイン(欧州の高級文房具屋には日本のデザインがたくさんあります)、クルマ、….要するに「工芸職人」のイメージがあって、それがひろがりつつある。日本のひとの一般的なイメージというのはいまは 「なんだかへんてこなひとたちだけど、よいデザインをする才能があって、おいしいスシを食べているひとたち」ではないだろうか。 ひとむかしまえの「無茶苦茶働いて、マネばかりしていて、なんでもかんでも日本を中心に考えないと気がすまない傲慢な人間の集まり」というイメージを思い出してみると、 100点満点で10点くらいの国から90点くらいまで駆け上った感じがします。 そのくらい最近の日本人は評判が良い。 日本について、わっしが「ダメじゃん」と思うものもいくつかある。 いちばん、ひでー、と思うのはマスメディアです。 問題外、だと思う。 こうやって書いているのに、わっしは実は日本の新聞記者やテレビのひとに何人も友達がいるのが不思議ですが(しかもそのひとたちはみなこのブログを読んでいるが)、日本のマスメディアは、「ひどい」とか「最低」とかいうほかには形容のしようがない。 まず第一に「真実を伝えよう」という誠実さがまったく感じられない。 「日本人」という集団を自分のマスターマインドの対象にして、玩具にして、面白がって遊んでいるだけです。 ウソだと思ったら、アサヒでもヨミウリでもよい、マイニチでも構わないから自分と同じ年齢の新聞記者と話してごらんなさい。もちろんなかにはまともなひともいるが、十中八九は、そのあまりのエリート意識と他人をバカにしきった態度と無責任に嘔き気がするから。 それでも納得がゆかないひとは「記者クラブ」や「番記者」というようなものの実態を調べてみればよい。 どーして日本のマスメディアが日本から一歩出ると「北朝鮮の報道機関みたいなもの」としてしか見られていないかわかると思う。 前にも書いたように日本のひとは言語環境のせいで「日本」という名前の洞窟に住まわせられている。洞窟の入り口にはトーダイやキョーダイを出た「世界が理解できているひとたち」が立っていて、外界で起こっていることをいちいち洞窟の中に伝えてくれます。 「あっ、いま中川財務大臣が世界のひとに無責任だと言われています」 「あっ、あっ、日本の大臣が酔っぱらってバチカンの警報機を鳴らしたと大問題になっておる」 ウソです、そんなの。全部、ウソじゃん。 競技が終わったあとの表彰台の中央に浅田真央がニコニコして手を振っています。 両脇に、負けたけど歯をくいしばって悔しさに耐えて微笑んでいる日本人ではない女の子がふたりで手をふっておる。 日本の新聞を読むと、このふたりの国籍と名前は永遠にわかりません。 まるで映画のエキストラのような扱いである。 日本以外の世界が記者の頭のなかには存在していないからです。 こんなバカな報道の仕方をするマスメディアは世界中どこを探しても日本以外にはないと思います。 インチキばかりでグロテスクな愛国主義に染まっているので有名な中国のニュースでも、こんなバカな伝え方はしない。 むかしむかし妹とかーちゃんとわっしの3人で泊まっていた東京のホテルで、わっしらは大リーグの試合を観ることにした。 ベースボールのルールを知っているのはわっしだけなので、今日登坂の野茂がいかに偉大な投手であるかを解説しようと待ち構えて緊張するわっし。 … Continue reading

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