再生する日本

今日はバルセロナの街にたくさん日本のひとがいます。

円が高くなったからだろうか。

お祭りのせいもあるかも。

(といってもドマイナーなお祭りなので日本のひとが知っていて、そのためにやってきたとは思えないが)

日本のひと、特に若い人はお行儀がよいので有名である。

わっしのかーちゃんの頃までは、かーちゃんが乗っている飛行機の前のほうまでカーテンを開けて突進してきて座ってるかーちゃんの座席の前に立って「シェー」(赤塚不二夫のマンガのキャラクタが驚いたときにとるポーズであって、一時はゴジラの息子がマネをするくらいほど流行ったのだそーである)をしてスチュワーデスに「もう一度同じことをやったら飛行機ごと引き返して空港の警察に引き渡す」とマジで怒られているのに、「ジョーク、ジョーク」と言ってへらへらしているおっちゃんとか、よく考えてみると去年でも、クライストチャーチの道路で行き会った女の子に「写真を撮ってもよいか」と訊いて、いきなり抱きついて警察につかまったひととか、そういえば4年前にはオークランドの滑走路を自転車で疾走して飛行機を全部止めて、警察でなんでそんなことをしたのかと問われて「広かったから、嬉しかった」と答えてニュースになったひととか、そーゆーひとはいっぱいいるが、問題はだんだん改善されて、全般に若い人はお行儀が良くて「ちゃんとしている」という評判をつくった。

「いちばん敬遠したい観光客」の一位に燦然と輝いた連合王国人とは、えらい違いである。

もっとも「英国人の不行儀および態度の悪さ」というのは欧州ではむかしからスペイン人やフランス人とならんで有名なので、いまさら誰も驚かなんがな。

「英国は紳士の国である」という不思議な固定観念をもっているのは、わっしの知っている限りではアジアの国々のひとだけです。

第一「紳士」という新興階級がどういうものであったか知っておれば、「紳士である」という言葉は皮肉なのではないかと思うくらいだけどな。

ともかく、日本のひとは自分たちが思っているよりも「日本人」というアイデアとして世界に受け入れられているのは、わっしが保証します。

わっしが保証しても、ほんとうでなかった場合でも一円も出ないが、そのくらいはただのゲーム・ブログなのだから我慢してもらわねば困る。

振り返って考えてみると、マンガとアニメと、たとえばマンガ文化に立脚した文学スタイルをもっている吉本ばななのような人の存在が大きかった。

そこを皮切りに、文房具のデザイン(欧州の高級文房具屋には日本のデザインがたくさんあります)、クルマ、….要するに「工芸職人」のイメージがあって、それがひろがりつつある。日本のひとの一般的なイメージというのはいまは

「なんだかへんてこなひとたちだけど、よいデザインをする才能があって、おいしいスシを食べているひとたち」ではないだろうか。

ひとむかしまえの「無茶苦茶働いて、マネばかりしていて、なんでもかんでも日本を中心に考えないと気がすまない傲慢な人間の集まり」というイメージを思い出してみると、

100点満点で10点くらいの国から90点くらいまで駆け上った感じがします。

そのくらい最近の日本人は評判が良い。

日本について、わっしが「ダメじゃん」と思うものもいくつかある。

いちばん、ひでー、と思うのはマスメディアです。

問題外、だと思う。

こうやって書いているのに、わっしは実は日本の新聞記者やテレビのひとに何人も友達がいるのが不思議ですが(しかもそのひとたちはみなこのブログを読んでいるが)、日本のマスメディアは、「ひどい」とか「最低」とかいうほかには形容のしようがない。

まず第一に「真実を伝えよう」という誠実さがまったく感じられない。

「日本人」という集団を自分のマスターマインドの対象にして、玩具にして、面白がって遊んでいるだけです。

ウソだと思ったら、アサヒでもヨミウリでもよい、マイニチでも構わないから自分と同じ年齢の新聞記者と話してごらんなさい。もちろんなかにはまともなひともいるが、十中八九は、そのあまりのエリート意識と他人をバカにしきった態度と無責任に嘔き気がするから。

それでも納得がゆかないひとは「記者クラブ」や「番記者」というようなものの実態を調べてみればよい。

どーして日本のマスメディアが日本から一歩出ると「北朝鮮の報道機関みたいなもの」としてしか見られていないかわかると思う。

前にも書いたように日本のひとは言語環境のせいで「日本」という名前の洞窟に住まわせられている。洞窟の入り口にはトーダイやキョーダイを出た「世界が理解できているひとたち」が立っていて、外界で起こっていることをいちいち洞窟の中に伝えてくれます。

「あっ、いま中川財務大臣が世界のひとに無責任だと言われています」

「あっ、あっ、日本の大臣が酔っぱらってバチカンの警報機を鳴らしたと大問題になっておる」

ウソです、そんなの。全部、ウソじゃん。

競技が終わったあとの表彰台の中央に浅田真央がニコニコして手を振っています。

両脇に、負けたけど歯をくいしばって悔しさに耐えて微笑んでいる日本人ではない女の子がふたりで手をふっておる。

日本の新聞を読むと、このふたりの国籍と名前は永遠にわかりません。

まるで映画のエキストラのような扱いである。

日本以外の世界が記者の頭のなかには存在していないからです。

こんなバカな報道の仕方をするマスメディアは世界中どこを探しても日本以外にはないと思います。

インチキばかりでグロテスクな愛国主義に染まっているので有名な中国のニュースでも、こんなバカな伝え方はしない。

むかしむかし妹とかーちゃんとわっしの3人で泊まっていた東京のホテルで、わっしらは大リーグの試合を観ることにした。

ベースボールのルールを知っているのはわっしだけなので、今日登坂の野茂がいかに偉大な投手であるかを解説しようと待ち構えて緊張するわっし。

そしたら、この「録画大リーグ試合」は、野茂が投げているところだけを写したもので、打者はまったく出てこない、という信じがたいものであった。

日本人のアナウンサーと解説者がふたりで、「いまのフォークはいいですねえ」とか

「すごい直球です! こんなボールを打てるバッターは大リーグでも数が少ないでしょう」とかゆっておる。

わっしは、あまりのことにテレビを3分で切ってしもうた。

妹は、カウチで苦しがりながら笑っておった。

英語が読める人は面倒くさがらないで英語世界のサイトを毎日覗いたほうがよい。

日本の「思想統制」は冗談にならないところまできてしまっていると思います。

朝日新聞や読売新聞をとっているひとは即刻購読を止めた方がよい。

あんな新聞、気取りまくってエラソーにしているだけで、合衆国のタダ新聞、

「USA TODAY」の半分の信憑性もない。

ただの、取材を怠ける癖がついた傲慢な記者の下手な作文集にしかすぎない。

テレビなんか売ってしまったほうがよい。

せっかく政府がアナログ放送をやめてくれると言っているのだから、それをきっかけにテレビを観るくだらない習慣を止めてしまえばよいのです。

よいチャンスである。

禁煙、やなんかと同じです。

ただの時代遅れの悪い習慣なのだから早く捨ててしまったほうがよい。

その次にダメなものは巨大なオーバーヘッドと化した「お上」です。

日本の政府はむかしから「レギュレーション生産所」であって、ひとつのレギュレーションで4人の役人が食える、というので規則を増やした役人がえらい(役所の縄張りを拡大して獲得予算を増やした)、というのでここまでやってきた。

しかし、もう誰の目にも明らかなくらい社会にとってはこの旧式な政府自体が最大の負担になっている。

いまの官僚支配型の「日本政府」というのは要するに戦時中に国家社会主義者たちがつくった政府の構造に則っています。

産業界などの「民間」に対して強烈な指導力、というよりも支配力をもっていて、有無を言わせぬ力をもっている。

実際戦後直ぐには打つ手が次々にあたったので「お上の言うとおりにするのがええんじゃ」というのは日本の実業家たちの常識になった。

なかには本田宗一郎のようにお上が「田作みたいな会社の癖に、クルマなんかつくったらただじゃおかん」とゆわれているのに、「そんなことは政府が決めることではなくて、実業家である自分が決めることじゃ」と言ってお上の意向に逆らってクルマを作り続けて、政府の徹底的な嫌がらせにも関わらずマジな自動車会社をつくってしまったひともいますが、そんなのは飽くまでも例外です。

「お上の全能」が、おかしくなってきたのは、コンピュータ産業の頃からであった。

PCなどはオモチャにしかすぎない、というのは実際当時の常識だったので、日本の政府は産業全体をミニコンはおろか大型計算機へと導いていった。

義理叔父が当時の話をよく聞かせてくれますが、その話は役人というものがたとえ最優秀な人間であってもどれほど発想そのものに限界をもっているかがわかります。

保守的で権威的、なんです。

新しいものを受け入れようがない頭の構造である。

ビル・ゲイツがハーバード・ビジネススクールで行った講演を叔父はよく憶えていて、

まだ若かったビル・ゲイツは講演の冒頭で、

「きみらみたいなのはハーバードみたいな退屈な大学に名前につられて行ってみようか、と思うところ自体が、もうダメなんだよ。センスがなさすぎる」とゆったそうである。

叔父は、あれは受けた、と言って笑ってました。

その誤った「強力な指導」の結果なにが起こったかは日本のひとで多少でも日本のIT事情に関心があるひとはみなが知ってます。

PCのハードウエアは台湾人のものになった。

ソフトウエアにおける圧倒的な勝者はインドであって、いまそのチャンピオンに東欧勢が挑戦しようとしているところです。

両方の分野で中国本土人が追い上げているが、あのひとたちは「模倣」ということが諸刃の刃であることにまだ気がついていないので、多分無理だんべ、とわっしは思ってます。

それにしても日本は壊滅的な結果に終わった。

理由は調べてみればかなり簡単で構造的でもあります。

たとえば東京大学に80年代に入学した学生は信じがたいことに「情報科」というものに入れなかった。理由は簡明で「そんな科はなかった」からです。

どうしても情報が勉強したい学生は機械学科とかに入って計数とかの講義の組み合わせでなんとかイロハを学んだのだそーである。

「お上」の情報音痴ぶりの一端はこーゆーところにも顕れておる。

そーやこーやで大敗してしまった。

国営放送が現実を必死で糊塗するために「半導体立国日本」という番組をつくって

「勝ったあ、勝ったあ、また勝った、勝たんでもええのに、また勝った」という信じがたい欺瞞番組をつくったのは、事情としては第二次大本営発表番組「プロジェクトX」と同じです。

あー、ちかれた。

疲れたので、もう書かないが、日本は細胞自体は再生したのに頭脳が腐ったままの個体みたいなものであると思う。

前に書いたように、日本人はきっといつか来た道の「明治革命」や「1945年革命」のような日本に極めて特徴的な革命をまた起こすでしょう。

そのときのターゲットは白痴的で傲慢なマスメディアと旧式で機能しなくなった官僚制度でなければなりません。

製造業に寄与できる労働者が欲しい、というただそれだけのくだらない理由で「一千万人移民計画」というような日本という社会にとって極めて危険な無責任でおもいつきだけの移民計画が提出されるくらい日本の支配層がふつうの日本人を「なめた」状態に至ったのは、やはり普通の日本人ひとりひとりが温和しすぎたからだと思います。

日本という国はわっしから見ると限りなくバラック(兵営、という意味です)に近く見えます。社会ごと軍隊のように見える。

でも(わっしはあんまり好きでないが)マンガやアニメ文化には、そこから日本のひとが出て行くてがかりがあると思う。

「いやあーん」とか「胸キュン」とか「ご主人さまあ」とかゆってるやつに、マジな官僚主義は無効だからな。

わっしが日本はほんとうに大規模な再生運動に入りつつあるのではないか、と思っていることの大きな理由です。

「革命」という言葉が死語ではないのはこの世界で日本だけかもしれないのです。

画像はバルセロナの真ん中に現れた妖精(^^;)

今日は男も女も子供もオトナも仮装して出かける日です。

街中が海賊とお姫さまでいっぱいである。

モニとわっしも仮装して遊んじったが、どんなかっこだったかは内緒だもんね。

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