東アジアの欧州人

中世の日本人は大声で哭(な)いた。

また折々に頻(よ)く泣くひとたちでもあった。

日本人が表情を殺せと言われるようになるのは江戸時代からであって、ひとつには徳川家がやってきた三河の風習がそうであったのと、もうひとつは中途半端な儒教の崇拝者であった徳川家康が、そうするのがかっこいいと思っていたからです。

一方で中世の日本人は自分の生命というものが蝋燭の炎のようなものであって僅かな煌めきが圧倒的な闇すなわち死に囲まれている、と感じているひとたちであった。

中世の彫刻が雄大な筋肉の表現をもっているのは明らかにそのせいです。

生命の儚さを知っているぶんだけ、生命力の表現に固執したようである。

わっしは日本の中世が好きです。

そこには、これから独自の文明を生みだしつつある人間の集団に必要なすべてが備わっている。

日本の中世は欧州のルネッサンスにとてもよく似ている。

鎌倉時代から戦国時代にかけてのように偉大な時代は世界中見渡しても、そんなにはない。

信長の死によって突然終止符が打たれるまで、類例のない日本というマイクロ文明の爆発は続いた。

やや気が優しいところはあるが信長の忠実な模倣者であった秀吉はともかく家康のような軍事的な才能以外にはほとんど本質的に優れた能力はなにもなかった政治家の手に結局は権力が渡っていくところが、(こちらは悪い方の意味で)とても日本的です。

家康というひとを調べてゆくと、その哲学的な事柄への理解力の浅さや安っぽい道徳観にうんざりします。

でも、天下をとったじゃないか、と考えた、そこのきみ。

そう勝ったものについていくのがいいのさ、と考えたきみ。

きみのような人間の数の多さが結局は家康が君臨するに至った理由である。

おおきな会社に勤めているひとは、まわりを見渡して「きみの気持ちもわかる。次は席を用意しておくから」という上役のことを考えてみればよい。

家康、というのは、その上役のようなクソジジイ(言葉が悪くてごめん)にしか過ぎなかった。

ひとが見ていなければ何をやってもいいのさ、自分の正体がばれなければどんな破廉恥なことでもやってのけてみせる、という日本人に対する悪いほうの定評は、そういうと怒るかも知れないがあながち根拠がないとは言えない。

かわいそうだと考えて黙って焦点をそらしてやったのに、そういうわっしの気持ちを悟らないで、いまだに「日本に残っている日本人はバカだ。それがわからないおまえもバカだ。偽善者白人死ね」と言い募って反省しない様子なので、もうちっとばらすとウイーン大学(Vienna University )のIPを使った時点であっさり正体がわかってしまうことになったネタニヤプー (193.170.104.5)のようなひとは、この徳川時代のしいたげられた百姓たちのメンタリティをそのまま直截に受け継いでいるのだと思います。

そしてそういう性癖は調べてみると長い徳川支配の時代に出来たもののようです。

(話のついでに、「ネタニヤプー」さんに書いておくことがある。(名前はいろいろに付けてくるがいつも同じ人ですな)「殺してやる」とかいつまでも、こんな無防備な状態で言い続けていると、そのうち日本語を読む人の誰かがいたずら程度の気持ちで大学にメールを送るだけで、まっすぐ刑務所行きになってしまうのがわからないのだろうか。わっしはIPを単純にWHOISの逆引きをするだけで大学といういちばん秘匿性がないところに行き着いてしまう

http://torstatus.kgprog.com/whois.php?ip=193.170.104.5

ので心配してわざとわからないようにしてあげた。しかし、その後のあなたの反応を見ていると救いようがない。 まだ曖昧な言い方にしてあげると、仮にあなたがこの大学に在籍していなくても欧州の大学というのは、こういうことには厳格なのです。 言っておくが、わっしはあなたのように同国人を意味もなく蔑むようなくだらない人間が極端に嫌いなのでいままでも、あなたのような日本人を侮辱するのが趣味としかいいようがない日本人を我慢するのに苦労している。

好い加減にすることです。残念なことに、現実の問題としてはただでさえ西洋の大学では東アジア人の不品行が問題になっている。わっしは、あなたのようなひとに言いたいが、

もっと自分の人生を大事にしたほうがよい。それと、上のIPひとつとってもただのマヌケにしか過ぎないのにもうこれ以上海外にいることだけを根拠に得意がって日本に残っている日本人をバカにするのはやめたほうがよい。恥ずかしいことだと思わないのだろうか)

閑話休題。

バルセロナの街を歩いていると不思議なくらい日本のことが思い出されます。

カタロニアのひとと日本人はどこか本質的なところで似ているからではないでしょうか。

カタロニアはもともと生産性が極めて高い工業と貿易で栄えていた。

1930年代から70年代にかけてフランコはカタロニアを徹底的に弾圧します。

もっともバルセロナの友人たちと話すと、産業は逆に保護したそうなのですが、文化を弾圧されて産業だけを伸ばすほどカタロニア人は単純ではなかった、ということなのでしょう。

英語を話せないと恥ずかしい、と考えるのか、わっしのような見るからに英語人な人間を咄嗟に避けようとするところとか、わっしが文法的にデタラメなスペイン語で話しかけると、いっぺんに顔が綻んで花が咲くように微笑するところとか、そーゆーところももろに似ている。

恥じらい、というものが似ている。

もちろん違うところもいっぱいありますが、しかし中世の日本人がどんなふうであったかを思い出すと、もうほんとうにそっくりではないか、と思うことがあるのです。

欧州のある日本学者が「日本の最大の不幸は地中海沿岸の国であるべきであった国が東アジアの果てに存在していることである」と言っています。

名前、忘れちったけど。

な、なあーるほど、とカンドーしたので発言を憶えている。

欧州人はお互いにマネしまくってここまで来た。

誰かがオモロイことを考えて、隣にいるひとが「あっ、それおもれえな、でもここを、こんなふうにしたら、ほれ、もっといーじゃん」と改良するしか文明には進みようがない。

でも日本人はそれがさせてもらえなかった。

隣の国々があまりに異質だったからだと思います。

前にも書きましたが、「裸になれる文化」と「裸になれない文化」というのは過去の歴史においては見た目よりも本質的に異なるものだった。

中国や韓国のひとたちは「裸になるのを禁忌としていた」ひとたちなのです。

それは同時に自分の手を動かしてものを作ることを蔑みの対象にするひとたちでもあった。

ヴィスコンティ、というわっしの好きな万年筆の会社に行くと会社の正面に

「わっしら万年筆キチガイの一家、ヴィスコンティ」というデカイ、かっちょいいサインが飾ってある。

わっしを案内して連れていってくれたヴィスコンティのおっちゃんが、そのサインを指さして、「ガメ、おれたちは、『万年筆をつくるのが上手』とか『万年筆づくりが好き』とかじゃないんだぞ。おれたちは、万年筆ぐるいのキチガイの集まりなのさ」ガッハッハと笑っておった。

こーゆーひとは典型的な欧州人である、とわしは考えます。

欧州人は、ものを生み出していく人間しか尊敬しないし興味ももたないのです。

ほーら、誰かと似ているでしょう?

日本人とそっくりではないか。

日本のひと。

きっとあなた方は実際に西洋人が夢にまで見たジョン王の国の民なのだ。

まわりに同じような仲間がいないのは辛いだろうが、がんばりまひょう。

ガッツだ。

画像は

全身入れ墨だらけのバイオリニストのねーちゃん。(左足のストッキングみたいに見えるのも入れ墨だす)

うまく言えないが、その荒涼とした佇まいに、ぐっときてしもうた。

いっぱいお金をあげてモニに怒られました。

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