Monthly Archives: March 2009

バルセロナ、バイチャ!

遊んでばかりおっても、一応、自分の事務所にときどき電話します。 わし(零細会社の持ち主)が誰だか判らないひともいたりして、いかにえーかげんな仕事ぶりかは歴然たるものがあるが、このブログを読んでいるひとたちはみな知っていることなので言うを待たず。 リンリン、リンリン、と短く鳴る電話。 これが合衆国だとリーーーーン、リーーーーンと長く引っ張られた音だのい。 「げんきー?」と、わっし。 わっしのほうは相変わらずぶったるんでおるが、電話の向こうは気合いがはいってプロフェッショナルな感じのカッチョイイねーちゃんである。 といって自分で雇ったひとだから、賞めるのもヘンなもんだが。 「あっ、ちょうど良かった。いま電話しようと思ってところなんですが、バルセロナやめてください」 へっ? 「バルセロナだと、なにか緊急のときに対応が出来ない可能性がありますから」 へっ?へっ? なんでも4月はやっぱしヘンなんだそーな。 市場では、いろいろと不穏なことがあるよーだ。 そーか、フオンなのか、フオンって、日本語ではフォンみたいで音がおもしれーのを、このひとは知らないわけだ、とかアホなことを考えて喜ぶわし。 いやあ、人間明るく生きるのがいちばんだぜ。ダイジョブサイジョブ、なんにもないさ、ポジティブシンキングで行かなくっちゃ、とか言うわけにはいかないので、 これからいきなり支度をしてどこか仕事の準備がばっちし出来ているところに移動せんとならん。 あー、めんどくさ。 わっしが仕事を出来る環境が整っているところはこの世の中に6箇所ある。 どれにすんべかなあ。 でも、言い渡された日程を見ると、明日、発たなきゃだめじゃん。 そんな難しい切符やなんかの手配なんか、わっしの手には負えん。 モニを起こさねば。 と、ゆーわけで、唐突に出発である。 4月って、やっぱりやばいのか?

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バルセロナ、バイチャ!

遊んでばかりおっても、一応、自分の事務所にときどき電話します。 わし(零細会社の持ち主)が誰だか判らないひともいたりして、いかにえーかげんな仕事ぶりかは歴然たるものがあるが、このブログを読んでいるひとたちはみな知っていることなので言うを待たず。 リンリン、リンリン、と短く鳴る電話。 これが合衆国だとリーーーーン、リーーーーンと長く引っ張られた音だのい。 「げんきー?」と、わっし。 わっしのほうは相変わらずぶったるんでおるが、電話の向こうは気合いがはいってプロフェッショナルな感じのカッチョイイねーちゃんである。 といって自分で雇ったひとだから、賞めるのもヘンなもんだが。 「あっ、ちょうど良かった。いま電話しようと思ってところなんですが、バルセロナやめてください」 へっ? 「バルセロナだと、なにか緊急のときに対応が出来ない可能性がありますから」 へっ?へっ? なんでも4月はやっぱしヘンなんだそーな。 市場では、いろいろと不穏なことがあるよーだ。 そーか、フオンなのか、フオンって、日本語ではフォンみたいで音がおもしれーのを、このひとは知らないわけだ、とかアホなことを考えて喜ぶわし。 いやあ、人間明るく生きるのがいちばんだぜ。ダイジョブサイジョブ、なんにもないさ、ポジティブシンキングで行かなくっちゃ、とか言うわけにはいかないので、 これからいきなり支度をしてどこか仕事の準備がばっちし出来ているところに移動せんとならん。 あー、めんどくさ。 わっしが仕事を出来る環境が整っているところはこの世の中に6箇所ある。 どれにすんべかなあ。 でも、言い渡された日程を見ると、明日、発たなきゃだめじゃん。 そんな難しい切符やなんかの手配なんか、わっしの手には負えん。 モニを起こさねば。 と、ゆーわけで、唐突に出発である。 4月って、やっぱりやばいのか?

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太陽を見つめる人

「ev」さんのコメントを見て愕然としてしまった。 わし日本語、未熟じゃん。全然、伝わっておらん。 タハッ(水木しげるを読んだことがあるひと、あのうだつの上がらない鼻眼鏡おじさんを思い浮かべるよーに) 修行が足らんのお。 「日本語の練習」っちゅうようなものが、日本語という鉄棒をぶんぶん振り回して一日千回、とかという性質のものだと、わっし得意なんすけど。 実際の言語習得のようなものは頭を使うと必ず痛くなってくるので長い間大脳も疲労性筋肉痛を起こすのだと思っておったわしには向いておらぬのかもしれぬ。 さっきしみじみ考えてみたが、春に華やぐバルセロナのアパートの一室で自分の全日本語能力を動員して冴えない日本人おっちゃんになりきろうとしているガイジン、っちゅうのは、どーなんでしょう。 歴史上類例のない存在だ、とは言えるな。 日本語の本に限っても「キティちゃんとえんそく」から小熊英二の「〈民主〉と〈愛国〉まで、あるいはソート・キーを変えて並べると、「源氏物語」から吉本ばななの「キッチン」まで、ばっちし万巻の書を読んだわしと言えど、そーゆーヘンなガイジンは見たことがない。 史上類例を見ないほどアホなだけだとも言えるが。 いかん。 「大庭亀夫プロジェクト」が初回から挫折してしまった。 つまらんのう。 と、ここまで書いて夕飯を食べに行って戻ったらwindwalkerさんのコメントが届いておった。 そーじゃねーよ。 なんでわしがいまさら「小説」っちゅうよーな19世紀20世紀的な表現手段を目指さねばならんのかね。 大庭亀夫という日本人に仮託してわっしの日本文化と日本語への知識をひけらかそうとしただけやん。 くっそおー。 「大庭亀夫プロジェクト」不評やん。 ブログやめて日本語の練習だけ続けるのにはこれがいちばんいいと思ったのになあ。 つまらん。 しょぼしょぼとワインを飲みながら考えてみると、わっしの人生は根本から間違っておるのではないか。 科学の人であるのに、この頃は歴史の本とテツガクの本ばかり読んでおる。 職業には興味がないはずなのに零細資本家になりはてておる。 第一むかしは世界中うろうろするのは主にその土地のねーちゃんとお尻合いになって、もとい、お知り合いになって文化人類学的な造詣を深めるためであったのに、去年の冬の夜に血迷って結婚を申し込んでしまったものだから結婚してしもうた。 やることなすことに整合性がとれておらん。 いかんいかんいかんいかんいかん。 これでは、いかんではないか。 太陽の母上、 わっしはまた道に迷っておる わっしはこれほどあなたを恋慕っておるのに、眩しすぎて、あなたを直視できないのです。 太陽の母上、 わっしはどこへ行けばいいのか どうすれば少しでも「弱り切った者」を救いに行けるのか。 わっしは「不況」の向こうでいっせいに空を向く中国人兵たちの銃剣の音や 静かに餓死してゆくアフリカのガキ共の寝息を聴いておる 何が起こるか正確にわかっているのにそれをうまく言えない人間にはどんな言葉が残っているのだろう。 わしには何が出来るだろう。 神様。

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勇者大庭亀夫はかく語りき

またあのヘンなガイジンの夢を視た。 たしか、「ガメ・オベール」とかいうのだ。 なぜ俺がこの訳のわからんガイジンの夢を毎夜見続けるのか、2chに書き込んで俺が普段意見をコーカンしている賢人たちの意見を募ってみたがさっぱりわからぬ。 書き込んだのが(内緒だが)俺の好きな柚木ティナのスレッドだからだったかも知れぬ。 やっぱり初め考えたとおり「反日外人スレッド」にしておけばよかった。 このくそガイジンはふざけておる。 「ガメ・オベール」というヒトをおちょくった名前を使って間違いだらけの日本語で俺の愛する日本をけなしやがる。 ゆるせん、と思う。 頭に来たので八紘一宇と先端技術の幸福な結合(夫が八紘一宇先輩で先端技術のせんたんちゃんが妻、だった、と思う。多分)によって生まれた日本をバカにするとただではおかん、というコメントを書いて送りつけてやったのに、掲載承認さえ出さないで無視しやがった。 許せん。 子供の時、たしか「少年サンデー」の図解で毎日他人になって人生を送る夢を見続けた男の話を読んだことがあったが、あれは結局病気だったんだっけ? おぼえてねえ。 そろそろ医者に行って診てもらったほうが良いかもしれん。 このガメ・オベールとかいう若いガキは、どうやら英語国民らしい。 夢の中の光景でひとつ、鮮明に覚えている光景がある。 狭い広場に鉄で出来たアイスクリームコーンみたいな間抜けな彫刻が突っ立っておって、 その隣には大聖堂がそびえておる。 あれは確かニュージーランドのクライストチャーチとかいう町だ。 会社の近くのJTBの窓に貼ってあるポスターを見たことがあるから間違いない。 毎日出勤のときに横を通るからな。 海外旅行などというくだらんことには興味がないからまともにポスターを眺めたことがないが、庶務の早苗ちゃんに「勘違いすんなよな、このスケベジジイ」というひどい言い方でこっぴどくふられたとき、近くの焼鳥屋でホッピーと安焼酎の1対1割をしこたま飲んで駅に帰る途中JTBの窓におもいきり反吐をぶちまげた。 そのとき涙ににじんだ眼でじっくり文面を読んだからおぼえておる。 「ニュージーランドの夏!!」 そーか、南半球は夏なんだな、と思った途端、どーゆーわけかまた早苗ちゃんの顔を思い出して涙がどっと出て来た。 ほんとうに愛しておったのに。 たった26歳の年の差がなんだというのか。 クライストチャーチ。十日間40万円、って書いてあったな。 どこのバカがそんな大金払って、わざわざ腹の中では「この黄色い猿め」とせせら笑っているに違いない白人の国に出かけるんだろ。 バカの考えることは、わからん。 なんだっけ? おー、そうだった、「ガメ・オベール」の話であった。 こいつは訳がわからん奴で、自分が本人なのだからよくわかるが、普段頭のなかは英語で稼働しておる。 それなのに、いつも傍らにいる誰かにはフランス語で話しているよーなのだ。 なんでだ? もっと訳がわからんことには机に向かうと、日本語や欧州語で日記を書く。 ブログ、とかいう、あれのようである。 俺は外国人にも外国語にも全然興味がないから外国語なんか英語もわからんが、 ¿Por qué no … Continue reading

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中世という定型

鏡のなかには見知らぬ他人が映っておる。 なんだかしまりのない顔だのい。 全然見覚えがない、というわけではない。 なにしろわっし自身の顔だからな。 わっしはこのあいだまでヒゲがもしゃもしゃであった。 鼻の下のヒゲ(鼻ヒゲ、っちゅうのか?)に至っては、サルバトール・ダリのように宇宙に向かってピンと伸ばしてもいいかなあ、と思っておった。 ダリによると、そーすると銀河からやってきた霊感が受信されるもののようである。 でも飽きたな。 わっしの悪い癖である。 なんでも直ぐに飽きる。 自分自身にもとっくに飽きておるから、こうやって日本語でブログを書くとゆーよーな訳のわからんことをする。 いったい何を考えているか自分でもさっぱりわからん。 わっしはヒゲを剃った。 ひさしぶりにヒゲを剃ったので、途中でしくじって顎の左下を切ってしもうた。 ぎょえー、いてえー、と叫んでいたら、モニが浴室にやってきて、切ったところにチューをして綺麗にしてもろうた。 ははは。切ってよかった。 閑話休題。 わっしは「中世」というものが好きである。 日本に対する興味も主に日本の中世に対してのものであったことは前にも書いた。 わっしが「中世」という時代が好きなのは、その時代がどの国にあっても徹底的に「死」という概念によってひとびとが痛めつけられ何の希望ももたされない時代相だったからです。 いまのように地平線まで見通しが利いた世界とは違うのです。 人間は「神」や「一段高いもの」に従属する存在であって、人間であろうとすることは謂わば「本質的に生意気である」と見なされた。 だから運慶は囲繞する死に抗うかのような雄大な筋肉を造形し、紫式部の弟は(当時としては驚異的なことに)神を信じずに死んだ。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080412/p1 世界中で人間はくだらない理由で死んだ。 あるいは殺されたのです。 スペインの田舎で神々しい美貌をもって生まれた少女はただ美しいという理由で異端審問にかけられて拷問のあげく殺されたであろう。 鎌倉の浜辺では若い武士が「あやまりたくなかった」というだけの理由で殺される。 「神」が存在しうる世界では人間は常に異端だからです。 他には本質的な理由はなにもない。 中世の人間は人間が人間でしかないことをどの時代のひとよりもよく知っていた。 それは、わっしの日本語でどれだけうまく言えるかこころもとないが、中世の世界には 人間の思想に「定型」というものがあったからです。 規範があるから自由のダイナミズムがある。 あるいは建築学を専攻した人には判りやすいのではないでしょうか。 建築がエンジニアリングの一分野でなくて芸術の一分野であるのは、建築には様々な定型が厳としてあるからである。 玄関の眼の前に浴室を作るわけにはいかんからな。 「マイルの塔」は当時のリフト技術の制約から現実化しえなかった。 カタロニアには「中世」が色濃く残っていて、それに惹かれてわっしのようなヘンなひとがやってくる。 ここにはまだカソリックが圧制的に残っているのです。 … Continue reading

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カタロニアの田舎

カタロニアの田舎についてカタランか。 なんちて。 全然おかしくない、と思ったそこのひと、英語では「カタロニアの」とか「カタロニア人」とか「カタロニア語」とかのことを「カタラン」というのです。 えっ? それは知っているけどやっぱりおかしくないって? そーゆーひととは友達になれんのう。 実はわっしの日本人の友達からメールが来て、「日本のひとはガメが信じ込んでいるほどカタロニアという国について知らん、と思うぞ」とゆわれてしもうた。 ひとが知らないことを知っているという前提で書くなよな、というご趣旨です。 いつもなら「そーですか」とつぶやいて、何もしないところですが、 わっしはむかしこのブログを読んでくれていたことがあるJosikoさんもバルセロナにもう一回行くのだとゆっておったのを思い出した。 しこうして、モニは「わたしは眠いからもう寝る」とゆって寝室にいって寝てしまっておる。 いっぱい時間があるでねえけ。 たまには、ガイドブックもどきみたいなこともするなん、と思いて。 一週間の予定でバルセロナに行こうと思っておるきみ、そう、きみのことです。 あまあーい。 それではせいぜいガウディのサグラダファミリアを観て、やはりガウディのアパートX2も観て、ギュエルおやじの公園に行ってとかで終わってしまうではないか。 観光客御用達の店QuQuでタパスとかでも悪くはないがの、でも欧州では、ほんとうの楽しみはいつも内緒に隠してあるのです。 一ヶ月はとらないと、どうにもならないのではないか。 一ヶ月、いることにしようよ。 それでもってレンタカーを借りて行ってみんべ。 田舎。 中世がそのまんまで居座っている、カタロニアの田舎に行くのはおおげさに言うときみの欧州理解の第一歩になるかも知れぬ。 フランスもイタリアも同じだでな。 欧州というのはたいへんコワイところであって、その「怖さ」が文明というものの正体なのかも知れん。 まずカタロニア人用の地図の上で、地元人用の「トレッキング」マークを見つけて、 たとえば、VUPELLACというような町に運転して出かけよう。 半分くらいのカタロニア人は方向指示器なんちゅう面倒くさいものは使わん。 そのまた半分くらいのドライバは「車線」なんちゅう面倒くさい概念も持たないので、 往々にして高速道路では車線をまたいで走る。 そうすると、分岐に来たときにはどちらにも行けるからな。 ジローナ(バルセロナから50キロくらいっす)から折れて山の方にむかって60キロくらい行くと、こーゆー町が見えてくるであろう。 町の中は小迷宮であって、どこに行くとどうなっとるのかちょっともわからんので、適当にぐるぐる回っていると腹が減る。 そーすると、昼飯を食べるな。 カタロニアじゃもの。 まずい店なんかありもうさん。 だいたい、こーゆー感じの店である。 店がちっさいからとゆってバカにしてはいかむ。 この店はちっさいがスペイン・ポルトガル版ミシュランにも載っておる。 ミシュランに載っている載っていないは別にしても、アホみたいにうまい店です。 カタランのシェフには中世の魔法がかかっておって、まずいものは出せないことになっているのだ。 まず椅子に座ると、こーゆー「突き出し」が出ます。 … Continue reading

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Gala Evora

Gala Evora の歌声は暖かい日の乾燥してさらさらと肌の上を触れてゆく心地の良いそよ風のようです。 欧州人の自然を恋しいと思う気持ちは合衆国人の「自然に帰るのが正義なのだ」とでも言うようなガアガア声の「悪い声」の主張とは違う。 もっと自然な気持ちです。 理由は簡単、というか、普段集住している街が徹底的に石で出来ている人工の王国なのでときどき小さな子供が母親を恋しく思うようにして田舎に出かけて自然のなかにいたくなるのだと思う。 Gala Evoraは、そーゆー意味の欧州的な自然回帰の感じがとてもよく出ている、と思います。 Concha Buikaのようにこっちの観念のレベルをあげていって、魂のrevがあがったところで、えいやっと聴き始めるような歌手とは違う。 テラスにひななぼっこしながらcavaを飲んでいるときやなんかにモニが料理をしながらかけているGala Evoraが聞こえてくるっちゅうようなときにいちばん良い。 声の日ざしが音楽という水面(みずも)に浮かんで揺れているようです。 モニがつくってくれたカルソッツとポテタスブラバスの上に目玉焼きを砕いて載せてそれに小さく切ったハモンを散らしたお昼ご飯を食べながら、Arnaiz のリゼルバをいれた革袋をちゅぅーとしぼりだして飲みます。 練習を重ねてついにカタロニア人並にこのワイン飲み必殺技を使えるようになった。 遠くからカタロニア人たちがテラスで話す低い太い声が石の壁を伝わって響いてきます。 おおげさに「完璧な午後」と呼ぶのでもよい。 Gala Evoraは、そーゆーときに相応しい歌声であると思います。 画像はMontserratのベネディクト修道院、Santa Maria de Montserratの遙かな高みから下界を眺め下ろす少女の彫刻。 十五世紀のものであるのに表情が意外なほど現代的である。

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ミシュラン

ひさしぶりに日本語のサイトを見ていたら日本語版ミシュランが(わっしの予想に較べると)ずいぶん話題になっていたので、 へー、と思いました。 日本とミシュランとイメージがあわないので、面白いとおもった。 ミシュランの衆に日本の食文化がわかるのであろうか。 うまくいったのかな。 良い機会だからな、と思って日本語ネット上のいろいろなひとのミシュランに対する意見を拾って歩きました。 ミシュランというのが本来どーゆー使われかたをするものであるか、とゆーことを一応ねんのために説明しておくと、あの本はまず第一に「クルマを運転するひとのための本」である。 フランス人サラリーマンのきみが、仕事で頑張ったご褒美に「次のプロジェクト準備が始まるまでの一週間、奥さんと遊びに行ってきてもいいよ」とゆわれたとします。 あ、そんじゃ、スペインまで出張って遊んできちゃおうかな、と考えるきみ。 こないだ奮発して買ったシトロンのC5、サスペンションが、ぽよーん、ぽよおおーんとしてて気持ちいいもんな、サスペンションというより、いっそセックストイである。 あんなラジカルに官能的なものを自動車会社が売ってもよいものかどうか。 それはともかく、きみは計画を立てるな、トゥールーズまで行って、そこからは小さい町を伝って行くのがよかんべ。 カタロニアの田舎を巡ってみんべ。 あの辺は滅茶苦茶風景が綺麗であって、クルマから踏み出すと、ぶわっと中世の匂いがする。うーむ良い考えじゃ。この旅行のあとでは奥さんの機嫌もよくなって、夜ご飯のおかずも一品増えるに違いなし。 そーゆーときにミシュランを買いに行くのです。 わっしの経験から言って、ミシュランというガイドブックの最も偉大な点は「外れがない」ことである。 あたりめーじゃん、というなかれ、これはすごいことなんです。 たとえばシンガポールにはナンチャラスートラ(名前がちゃんと思い出せん)というシンガポール人が好むレストランガイドがあるが、これはあたりはずれの割合が7:3くらいである。 日本のレストランガイドはひどいと思う。 悪意があるのではないか。 わっしは日本にいるときに、いっぺんくらい日本語ガイドブックに載っているレストランに行ってみるべ、と思って、千代田区にあるイタリアレストランに行ってみたことがある。 ガイドブックでは5つ星がついておった。 まずソムリエのにーちゃんが「これは珍しいものなんです」とゆってピーチワインとかいうのを持ってきた。 飲みようによってはおいしいのかも知れないが、そんな色物で勝負して、どーする。 ソムリエ、というのはワインが好きなひとがなるのだと思っておったが、どーも日本ではそうでもないらしい。ワイントリビア愛好家がなる。 出て来たものは、「退屈な田舎秀才」みたいなイタリア料理であって、「出色である」と書いてあったサービスは、やたらへりくだりまくった後で、終いにはシェフからソムリエからみなが総出でリフトまでぞろぞろやってきて深々と頭を下げて、「おいでいただいて、誠にありがとーございましたー。この次もよろしくお願いしますー」というのでした。 わっしはお代官様になったような気がしたのい。 くるしゅうない、面を上げよ、なんちて。 サービス、というものを本質的に誤解しておる。 アホか、と考えてその「定評のある」レストランガイドは一瞬でぶち捨ててしまいました。 そこへゆくと悪評がいろいろあるのは知っておるが、体験に照らして(少なくとも欧州では)ミシュランはよく出来ておる。 三つ星とゆっても田舎にあるレストランは、日本のひとがイメージする「ミシュラン三つ星レストラン」とは、ちょと違うのです。 わっしの好きな三つ星レストランは、ウエイタがふたりしかいなくて、このふたりが「ローレルとハーディ」みたいな組み合わせである。 夕方に行くと、注意して見ていればわかる、ふたりともワインの飲み過ぎでぐでんぐでんに酔っぱらってます。 料理のふたを開けた途端にワインのバケットにぶつけて「ぐわらあああん」と鳴らしたりしておる。 発泡水を頼んでいるのに普通の水をもってきたりするのは年中です。 頼んだワインも年代を間違えてもってくる。 なにしろ酔っぱらってしまってるので、やることが滅茶苦茶です。 でもな。 このレストランのトリュフを使った料理は世界一であって、一口食べてから、いま自分が食べたものがこの世の食べ物だとは信じられなくて、クビを傾げて考え込んでしまう、というような食べ物なのである。 … Continue reading

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LLAFRANC

季節は春になったばかりだが、地中海の太陽というのは冬が終わるとさっさと夏の日射しに変わります。照りつける強い日射しである。 わっしはここに食事に来たのだが、レストランのおばちゃんと話しているうちに「とまっちゃおーかなー」と考え出した。 食事はすげーぎょえーなうまい食事であってカタロニア風タラの揚げかまぼこも完璧ならタマネギを水にさらしたのの酢漬けもばっちしで、眼の前の海で採れた海のものがどっちゃりはいったパエジャを食べる頃には、部屋が空いてたらとまっちまうべ、と決めておった。 「明日、ミーティングなのに、いいのか?」とモニは訊いたが、わが愛しいひとよ、 仕事なんて、どーでもいーじゃん。 太陽が降り注ぐ凪の地中海が眼の前にあって、(シーズンオフなので)ひとはまばらにしかいなくて、週末なのに部屋がひとつ空いておる。 隙を見てサボらざるは勇なきなり、とむかしの中国人もゆうておる。 愛しいひとよ、あなたは知らぬだろうが、わっしの会社のひとはわっしが行方不明になるのなれてますから。 「あー、いまちょっとガメは、そのへんの熱帯雨林で迷子になってますから」で、これまでもすませてきたのである。 いまさら、ミーティングすっぽかしたくらいでは驚かん。 そーゆーわけで、わっしはLLAFRANCの町に近い、むかしの邸宅を改造したカッチョイイホテルの特等スイートに泊まっちった。 地中海が、どおーんどどどおーんと遠くまで見える丘の上です。 モニの「クルマバッグ」には常に3っかぶんくらいの下着やシャツやなんかがはいっていて、女の子というのは、いったいどーしてこんなに用意周到なんじゃ、と思いますが、 わっしはそんな便利なバッグはもっておらぬ。 とゆーことはそのままだと三日間同じパンツ(^^;) くっさあー。 でもな、よく観察すると、この部屋のテラス、他のどこからも見えへん。 30平方メートルくらいあって、サンベッドがあって、頭上には夏の地中海の太陽がさんさんと輝いておる。 なはは。 そうであれば、やることは決まっておる。 テラスに立って、やおらシャツもジーンズも「パンツ」も脱ぎ出すわっしを顔をしかめて見つめる吾妻(あがつま)。 ガメ、そーゆー姿はインディーセントだとは思わないか、と英語でゆいます。 おもわないもん、と単純にして明快に応える、わっし。 だってチャンスでっせ。 チン○ンも、まるだしで、寝転がってよろこぶわっしを呆れ果ててモニが見つめておる。 こーゆー野蛮な旦那と結婚したのを儚んでおるのだな。 でもしばらく沈思黙考しておったが、「イエーイ」とゆって、自分も着ていたものをみな投げ出して、素裸でわっしと一緒に寝転がって喜んでおる。 (うつぶせだけどな) よおーし、それでこそ、我が妻である。 うー。 たまらん。 楽しい。 尻尾を振りたいが、極めて残念なことにわしには尻尾がないので、両足の親指を振って喜びます。 モニがそれを見ておかしいとゆって笑っておる。 下のレストランからテンプラニーニョのすげえカッコイイワインとハモンのクロケタスとアーティチョークをとって破廉恥にも裸のまま間食をするわっし。 うー。うー。 たまらん。 天国である。 それからシエスタ。 汗をかきながら懸命に眠りました。 … Continue reading

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悪魔の住む町

おひさしぶりでごんす。 モニとふたりでクルマに乗ってカタロニアの田舎をふらふらしていたら、バルセロナに帰る気がなくなって二晩行方不明になっておった。 ちょっとだけ田舎に昼ご飯を食べに行くつもりで出かけたので、コンピュータを持ってなかった。 電話もブートのなかだったので、何人かかけてくれたようでしたが気が付かなかった。 灯台のそばのホテルに泊まって、遊んでました。 そこから内陸に無数にある中世の町へクルマで出かけます。 カタロニアは春で花が咲き乱れておる。 緑は新緑で、濃い緑の匂いがする草原をてふてふが飛んでます。 尋常小学校の教科書のような春だの。 クルマを駐めて、古代や中世の旅人が歩いた道を伝って集落から集落へと歩いてゆくのはスペイン人やフランス人が好きな遊びである。 モニとわっしも人気(ひとけ)のない道を歩いて町から町へ歩く。 お腹がすくと15世紀からやっているとか12世紀に建った建物で開業しているとかいうレストランで食事をします。 時に紀元前(欧州では「ローマ以前」という言い方をよくします)の遺跡がある森の奥へ脇道を伝ってゆく。 ちょっと小高くなった道から見えないところへ堤をあがってみると突然宏壮な大邸宅があったりするところはフランスと同じである。 最近発掘された紀元前の「ネクロポリス」をしばらく歩き回ってから、モニとわっしはやはり紀元前の集落の遺跡を見つけるためにコルクの森にはいっていった。 わっしは、ものすごい方向音痴だが手にしっかりとGPSを握りしめているのでタイジョブだんび、と思っていたのです。 ところが方向が音痴なひとはGPSをもっていても目的地に着かないのです。 そのうちに頼みのトムトムもバッテリーが切れてしもうた。 モニはもう慣れているのでフランスの子供の歌を歌いながら欧州風トイトイの茎をふりまわして遊んでおる。 大きな花柄の夏服のスカートが夏の光に揺れていて素敵である。 でも、見とれているばやいではない。 わっしのほうは、こんな文明世界で行き倒れになったらカッコワルイので、どこでもいいから町に出ようとして必死です。 中世風の石垣を折れると、細い径があって、その先に集落があって、ほっとする、わっし。 小さな小さな集落であるけれどバールもあるようである、あー、えがった、と思った瞬間、わっしは妙なことに気がつきました。 笑うなかれ。 わっしはこの町を以前に見たことがあるのです。 わっしは大学生であった。 場所はカタロニアどころか、スペインですらない。 ルクセンブルグだったはずである。 釈然としない顔をして立っているわっしに追いついてきたモニが「ガメ、喉が渇いたから、ここで休んでゆこう」と言う。 ドアを開けて入ると、建物の外には誰の姿も見えなかったのに中はすごい混雑です。 誰もモニとわしのほうを見ないのがヘンである。 ちらと見てみないふりをしているのではなくて、まるでモニもわっしもいないかのような感じです。 モニはクロワッサンやペストリが載ったカウンタのほうへ歩いてゆきます。 モニは台の上のクロワッサンを見ていたので気が付かなかったが、わっしは横に立って見ていたのでもろに見てしまった。カウンタのなかのおんなのひとが一瞬モニを見たときの、到底言葉では表現できない激しい憎悪に満ちた表情。 すさまじい敵意に歪んだ顔。 わっしは、びっくりして戸口に立ちすくんでしまいました。 なるべくさりげない風を装ってモニに「きっと他にもバールがあるから、ここはやめるべ」というと、あれほど「喉が渇いた」とゆっておったモニがあっさり、こくんと肯いて外に出ます。 モニが外に出てからいうには、バールにはいってしばらくしてから、わっしに対する理由のない憎しみがわいてきて、「わたしはここに残るからあなただけで帰ればどうか」と言いたくてたまらなかったそうである。 実は、わっしもモニを怒鳴りつけたくてたまらない気がしたのでした。 … Continue reading

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住むのに良い国はどこだろう(続きだす)

帰ってきました。いつものことだが食べ過ぎで苦しいっす。 バルセロナのちょっとでも人気があるレストランは週末のピーク時である午後10時過ぎにはひとでごった返す。平均150くらいある席はもちろんひとでいっぱいです。 入り口にはひとの行列が出来る。 夜のバルセロナの幅の広い舗道をせいいっぱい着飾ったひとがそぞろ歩く。 みながその雰囲気を楽しんでいる。 たとえば、ここにずっと住むと考えると、しかし、まず多すぎるスクーターのせいで欧州の街のなかでも比較的ひどい大気汚染が困る。わっしは喉が弱いので三日も歩き回ると咳が止まらなくなります。 わっしは、どこかの社会にいても「よそもの」でいてヘーキなので、どーでもいーや、と思うに違いありませんが、東欧のひとや中国の人は何年暮らしても身内として扱ってもらえないので嫌なようである。 こんなことならアメリカに行った方がよかった、なんて言う。 「身内」であるためには、まずカタランが話せないとダメだしな。 スペイン語しか話せない人はマネージャーより上に行くのは難しく出来ているのです。 あとなんと言っても暑すぎる。住むとしたら、わっしならビラノバ(日本で言うと葉山みたいなところっす)だと思うが、それでも夏はあつそーだ。 わっしの持っているグラシアの岡のうえのアパートは市内ではいちばん涼しい区域にあるが、それでも日が出ると、どひゃっと思うくらい暑い。 いまいるこのアパートはまだ三週間しかいないが、複合輻射熱がある上に風が渡ってきそうもないので、ますますあつそー。 どこにでも歩いていけるのが便利だけどな。 良いところは、ブログにも書いた。 食べ物も飲み物も安くてうまい。 一年外食してまわっても大丈夫なくらい良いレストランの数があるので、モニとわっしの暮らしでも、ぶわっちし、である。 どこかに二年間ずーっといなさいね、と言われたら、わっしならどこを選ぶだろう。 大きい街なら 1 ロンドン 2 パリ 3 ニューヨーク 4 サンフランシスコ 5 東京 6 シドニー 7 メルボルン 8 シンガポール 9 オークランド どれかから選ぶことになるでしょう。 1と2は心理的に客観視できるほどの距離がないので考えるのが難しい。 東京にいるひとや大阪にいるひとはわかってくれそうな気がしますが、いまさら好きかどうかって訊かれても、ねえ、という感じがする。 サンフランシスコは人間に奥行きがないひとが多いのがやはり嫌な感じがする。 ロスアンジェルスのようにバカバカしいほどひどくはないが、普段、店にでかけていって話したりする相手が、あんなリレー式交換機みたいな頭しかないのでは退屈である。 だからバツだの。 よいところはシーズキャンディが至るところにある。 あとシリコンバレーまで行くとエスニック料理屋とPC屋の質が高い。 わしなら案外ミルピタスあたりでもニコニコして暮らせるかもしれません。 昼間はフライズに出かけてオタク商品を買い占めてきて、夜はほんの8ドルで滅茶苦茶おいしいベジタリアンインド料理が食べられるレストランで満腹して隣のインド菓子屋で甘いものを買って帰るであろう。 だからわしひとりならミルピタスあたりでしょぼしょぼと暮らしても良いが、モニさんが嫌がるに決まっておる。 シドニーのよいところはエスニック料理、特にベトナム料理がおいしいところです。 … Continue reading

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住むのに良い国はどこだろう

「あーのさあー、インドってこれから行くと、まずい?」とわっし。 相も変わらず、なにも考えていない無責任なひとの声をそのまま具象化したような、ええかげんな声です。 でもマジメでキリキリしているひとたちは、わしの声で和む、というな。 電話の向こうからなつかしいヒンズー訛のVの声が聞こえてきます。 「1月と2月以外は、ガメの人種がくると殺されるでえ。あかんあかん絶対来たらあかん」 えっ、インド人のコーカシアンに対する反感はとうとうそこまで来たのか、じゃ日本人も頑張ってネオ鬼畜米英を唱道せねばならん、「バスに乗り遅れるな」(三国同盟締結用プロモ、戦前日本政府がつくったキャッチです。キャッチとしての難点を言うと、ちょっとさもしいな。ジャイアンの後ろですごんでいるスネ夫みたいでちょっとかっこわるい。わっしが最近入手した辻村ジュサブロー人形劇ふうにいうと、さもしい浪人サモジローだの。光輝ある大日本帝国のキャッチコピーであるにしては、おこぼれちょうだい精神が露骨にですぎていて後世へ瑕瑾をのこしそうである。このさもしいキャンペーンの結果日本は、破竹のナチの分け前にありつけなくなったらたいへんだと思って焦って駆け込んだバスで国民ごと地獄にまっさかまに堕ちて大惨事になった)と思ったきみ、そーではない。 暑いから、わしのようなコンジョナシの異人種が来るとビョーキになって死ぬから止めとけ、とゆっているのです。 「5月になると40度くらいあるんすか?」と訊いたら「そんなに涼しくない」とゆわれた(^^) わっしはそれほどたくさんの国に行ったことがあるわけではない。 子供の時から、回遊魚のように地球の上をうろうろしているのに。 多分20カ国くらいしか行ってないに違いない。 そのかしだいたい一箇所に一ヶ月はいて、最低二回は行きます。 勢いで自称零細投資家になってからは気に入ったところには家を買ったりする。 いったん家を買うと3ヶ月くらいいてしまいます。 公式には「インターネットがあればどこでも仕事が出来るから」とゆうことになっておるが、インターネットがあってもなくても仕事なんかしていなくて実はプーなのはみなさんの知っている通りです。 バルセロナに8月までいちゃおうかなあ、と思っていたが、いまの時点で、もう暑い。 気温にするとたいしたことはないが昨日から日射しが夏の日射しに変わって、わっしは、ゆでだこのように真っ赤になってしもうた。 バルセロナでは茹で蛸は高い食べ物なので間違って食べられてしまうのではないか、と考えると大変不安である。 4月にはやっぱりどこかへ移動すべきだのい、と考えるようになりました。 ロンドンとパリはつまらん。パス。どうせ戻ってくるに決まっているところに旅行するアホはおらん。ニュージーランドとオーストラリアもパス。 これから惨めな天気の日が増えてくるときにのこのこ帰ってゆく奴なんかおらん。 丁度良さそうなのは北欧州の国々だが、今年の夏に行く用事があるので、いまから出かけると長逗留になりすぎるであろう。 第一、ひどいことをいうと欧州というのは北や東に行くに順って粗っぽいっちゅうか、うまく言えないなあ、三日くらい前のパンみたいな感じになるので、なんだか連合王国の辛い面を拡大鏡で見ているような気がしてきてしまうのです。 タイはどうだろうか、バンコクに行って、モニが寝静まった午後(モニは暑いところでは絶対昼寝するからな)、そおーとPHAさんのゲストハウスの近くの樹の下に立って遠くから姿を発見して「ああ、あのかたがPHAさんなんだわ。遠くから見ていることしか出来ないけど、身体を壊さないでがんばってね」とハンカチで涙をぬぐいながら、そっと切なく見守る、というのはどうでしょう。 それとも、これは戦前の悲恋物語の読み過ぎかの。 (と、ここまで書いたらモニがやってきて、ガメ、ごはん食べにゆこう、と言う。 はあーい。 行きます行きます。 ブログを読んでくれるひとたちは、これから時々こういうことがあると思いますが、どおか我慢してくだせえ。 ちょっと出かけてきますです)

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VILANOVA I LA GELTRU

(3月18日のPHAさんのコメント返信に書いてある「三島の亡霊」はジョーダンです。にっこり顔文字を入れ忘れておるではないか。「暁の寺」で三島由紀夫は探検服を着て有名な虚空をにらんでいる写真を撮ったが、行ってみるとわかる、ど観光地のまんなかで、マジメにあのかっこうをやっていたのであって、三島というひとの芝居がかり方の子供っぽさに笑ってしまう。おもろいひとだったんだよな、きっと。 でもユーレイ見に出かけて行ってもあえません。朝起きて見てみたら、ほんまにとるひともいるんちゃうか、と思えてきたので一応書いておきます) 四コマ漫画というジャンルの性質を根底から変えてしまった天才いしいひさいちの名作「バイトくん」に喫茶店で冷房を満喫していた貧乏学生の「バイトくん」が雑誌を取りに行こうと入り口脇のマガジンスタンドに歩いていった瞬間、「ありがとうございました」「ありがとうございました」「ありがとうございました」とウエイタやウエイトレスやカウンタのなかのおっちゃんに言われて、まだ出たくないのに気の弱さから思わず喫茶店から出てしまってドアの外で涙する、というのがあります。 あのですね。 わっしまだブログ止めてねーんすけど。 NASUさん、 >毎日楽しみにしていたので、残念です >モニさんを怒らせてしっまたのなら仕方ないですね。 PHAさんなんかだめ押しで、 >ガメさん、ありがとうございました。 だって(^^;) なんだか、どうでもこうでもやめなければいけないようなふうに書いてはいかむではないか。 まだやめないもん。 いままでの経験でゆっても毎日日本語書いてないと、二週間休むと復帰するのに二ヶ月かかる。で、このブログって練習するのにいちばん興味がもてるんす。 そのうえ、ほれ、PHAさんやNASUさんのような友達も出来るでしょう。 おもろいやん。 モニさんには全身マッサージ(2時間)で許してもらいました。 手が痺れた。 わしだってモニが午前4時までアラブ語でブログを書いていたらいやなので、あれはわしが悪いのです。怒られちった。 …..というわけで期待したひとびとには申し訳ないですが、このブログはまだ続くと思われる。といいながら明日急に終わるかもしれませんが、本人が自分の考えていることがよくわからないアホなひとのブログなので、要するに、どうなるかわからん。 VILANOVA I LA GELTRUへ行った。 VILANOVA I LA GELTRUはSITGESの西にある小さな港町です。 バルセロナからは50キロくらい西になる。 SITGES は観光地化が進んでしまったがVILANOVA I LA GELTRUでは少なくともわしは アホな連合王国人やなんかを見たことがない。 なかなか鄙びたよいところなんです。 バルセロナのひとは週末にはよく来るもののようだ。 この町の橋の欄干にもたれて漁師のおっちゃんが網を直しているところを眺めていたり、 砂浜を散歩するひとを眺めたりするのは楽しい。 ヨットハーバーに面して1ダースくらい立ち並んでいるレストランのなかには … Continue reading

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Ta eis heauton

昨日は「人種差別」の実際やいろいろなひとの考えを知ろうと考えて英語のフォーラムに続いて日本語の記事やサイトを読んでいるうちにぶちきれてしまった。 ひどい。 でも考えてみるとわしがどんなものを読んでぶちきれたかわからないひとにとっては、とーぜん、「なんだなんだどーしたんだ」です。わからんよな、そりゃ。 でもわっしは自分が読まなければ良かった、と思うものはリンクを貼ったりもしないことにしているので、やっぱり何を読んだか教えてあげない。「人種差別」とか、そーゆー言葉をキーワードにして読んでゆくといくらでも出てくるので、追体験をどうしてもしたいかたはそうやって一個ずつ読んでいくとほぼ同じ体験が出来ます。 下品、であった。 まあいいや。 日本人のお友達からはメールがいくつか来て「ガメはふだん恵まれた環境にいるのだから、あんまり世の中の暗黒に巣くっているひとが書いたものを急に読むと熱が出たりしてよくないのではないか」とかゆわれた。 わっしは、そんな虚弱じゃないわい。 windwalkerさんが書いた頭痛がしそうなコメントでもちゃんとニコニコして読めるんだから。 ひとつだけ忘れないうちに書いておくと、わっしは自分でも一度、あいつはマジで人種差別主義者だったのう、と思う例に出くわしたことがあるのを思い出しました。 ニュージーランドで医療従事者用の寮を買おうとおもっていたときのことである。 8棟家がくっついているような構造の感じのよい集合住宅が売りに出たので、わっしは勤務医用にこれを買うのは良い考えである、とおもった。 早速飛行機を乗り継いでえんやとっとと出かけていってみると、持ち主は合衆国に長い間住んでいるニュージーランド人の実業家であって、もう引退してニューヨークに住むことに決めたから、これを売ることにした、という。 ふむふむ、と考えるわっし。 綺麗だし、一戸が最小のものでも200平方メートル以上あるし、どの戸にも2台分のロックアップガラージュがついておる。 8戸が弧をなして並ぶ前には「道」と呼ぶにはやや広すぎるくらい広い道がつくってあってガキどもが公園として使ってます。 理想的である。 わっしは、ふと入り口の横を見ると、地所から2メートルくらい離れたところにあるなんかの保安用の鉄箱にグラフィティがあるのを発見した。 わっしがそれを眺めていると、地所の持ち主のおっちゃんが傍らにやってきて、 「アジア人の子供がこうやって落書きをしおる。カウンシルに何度言ってやって消させても、また夜中にこそこそ来て落書きをしていくんで、たまらんよ」という。 わっしは「アジア人の若い衆が逃げていくのを見たんすかね?」となにげなく訊くと、 いや、見たことはないが、アジア人だとみな言っておる。第一、きみT(わっしと一緒に仕事をしてくれることがある開発会社の社長さんです)から聞いたが日本に行ったことがある、というからわかるだろう? 日本語なんじゃないの、これ? 指さした先を見ると、出来損ないのギリシャ文字みたいな訳のわからん落書きがあるだけです。 いや、これ、日本語じゃない、と思いますよ、よくわからんが、とわっしがいうと、 ああ、じゃあ中国語かタイ語なのかな、ともかくアジア人のバカガキどもがクルマでこっそりやってきては落書きすることはあるが、治安はとても良いところだよ、ここは。 アジア人の姿は、この辺りでは、あんまり見かけん。 わっしは、ここに至って一見まともふうな、カッチョイイスェードジャケット(わしはたまたまこのジャケットを知っておるが、コノリーのやつで邦貨では、えーと、約60万円だのい)を着たおっさんの顔をまじまじと見つめてしもうた。 自動的になんの疑いもなく「アジア人の仕業」と思っているようだが、よく考えてみると根拠ゼロ、じゃん。 わっしはあのおっさんのことをだいたいにおいては忘れておるので、今回も失念していまいた。忘れないうちに書き留めておく。 閑話休題。 実はモニがそろそろ日本語はやめたらどうか、という。 自分にわからないものに時間を使われるのがいやなようで、無理のない注文とも言えるの。スペイン語のほうは、わからないなりに構わんらしい。 こっちはどういう理屈なのかわからないが。 だからそろそろ店じまいかも知れぬ。 初めは(多分)義理叔父や従兄弟のことが頭にあって、軽い気持ちで日本語をおぼえだしたのだが、鎌倉美術や能楽や透谷や鮎川信夫、岩田宏のような戦後詩人、西脇先生や瀧口修造のようなひとたちのせいで、だいぶん日本語と遊ぶ時間が長くなってしまった。 しかし、何事にも終わりがあるのでなくてはならない。 どうするべかなあ、と思います。 日本語でブログ書くの好きなんだけど、奥さん怖い。 自分のことを話すのなんてくだらんから、と言いながら他に書くことがないとときどきブログに書いてきた。妹の写真を(そうとは言わなかったが)出しちゃったこともあります。そーゆーと、あっ、やっぱりあれか、と思うひともいると思いますが、暗いレストランで横顔が映っているオレンジ色に近い写真がむかしあったでしょう? そう。暗くてよく見えないが、ユートーセイ風のラテン人みたいに見える顔のひとです。 … Continue reading

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洞窟のなかの日本人

日本のひとは「人種」の話が大好きである、と思う。 大事な話なのはわかっているが、どうも人種の話なんていつも考えているのはやだな、と思ってゲームの話でも読むべ、と思ってひさしぶりに2chのゲームスレッドを見たら、 わっしは「自覚のないレーシスト」なんだそうである。 そーですか。 ゲームスレッドでまで人種差別主義者捜しをしようなどというのは、日本の人ならではである。 起きてから寝るまで人種問題について考えているのでしょう。 なんという思慮深い国民だろう。 アニメの話をしても人種、ゲームのキャラクタの話でも人種、 人種人種人種。 いっそ日本人は黄色人種ではなくて白人種に超越した「日本人種」であるという学説を打ち立ててみればどうだろうか。 だからどこのパーティにも日本人は呼ばれない。 薄気味が悪いから、でしょう、 表情からは何を考えているかわからないので、いろいろ話しかけてみると、 「黄色人種に対する人種差別をどう思うか」と訊く。 しらねーよ、そんなこと。 そんなに「世界で一番の人種」になりたいのなら、いつでもアフリカ人や他のアジア人たちと協議して「日本人がいちばんの人種です」という認定書でも表彰状でもつくってあげるから、少しは人種の話を忘れて、もうちっと楽しい話が出来ないものか。 わっしはときどき素朴に思うが、自分のクラスになにかきっかけがあると 「ぼくのお父さんは子供の時260年間引きこもっていたけど会社でいちばんぶちょーになるのがはやかったんだよ」 「きみ、今度の通信簿、5はいくつあった? ぼくなんか「女性の人権」以外は全部5だったんだぜ」と言い募る友達がいるとして、 そんなクソガキを自分の昼食会に招待したいと思うかね。 日本のひとは、ときどき、このクソガキにとても似ていると思うことがある。 わっし個人の「人種」についての意見は簡単で、普段「人種の違いについて考えたことなんかない」のです。だって、わっしのむかしからの連合王国やニュージーランドでの「ダチ」は、アフリカ人やアジア人、アラブ人、ユダヤ人、スラブ人、北欧人、ヘンな奴ばかりだけど、「人種」という観点から見直してみると、いろいろな人間なのであって、 個人としての違いはたくさんあるが、「人種」による違いなんて全然ない。 だからわしが「人種」のことを考えるというときには「なぜ他の人間が人種ということを問題にするのか考える」ということでもあるのです。 わっしは日本が好きだと思うが今回のように「人種」についてのブログやサイトを読んでいると、日本のひとのこーゆーところはいやだなあ、と思う。 どーして、ここまで人種に拘るのだろう。 誰か日本のひとでうまく説明してくれるひとがいたら説明して欲しいっす。 このままでは、わっしの頭のなかでは日本人は「人種変態」集団として定着してしまいそうである。 日本のひとは観念の洞窟に住んでいる。 暗い洞窟に蹲って、「人種差別」や「反日運動」や「日本を貶めようとする勢力」について悪夢を見ては汗臭い寝床から跳ね起きる。 そんなもの、どこにもないのに。 洞窟から歩いて出て行ってみれば、そこにはきみを大好きな綺麗なねーちゃんや、 「きみに会うのは初めてだが もし会えなかったらどうしようかと そればかり考えていたよ」と言う友達が待っているのに、きみは「洞窟の外の世界は君を憎んでおる」という 声に怯えて洞窟のなかでまどろんでいる。 バカバカしい。 日本のひとは観念の洞窟の中で決して明けることのない夜を更新しているだけに見える。 洞窟の外には何回も朝が来ているのに。 具体的提案1:「日本のひと。なにもかも捨てて、どこへでもいい、一年間有効の航空券を買いなさい。目をつぶって、その土地で(観光ビザが切れる)最低三ヶ月過ごせばよい。何を考えるのでも、その後にしたほうがよい。 あなたは現実を知らなさすぎるのだ。 windwalkerさんは友達だが、でも「タイのようにはなりたくないからな」というところで、もう「幼さ」が出てしまう。 … Continue reading

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人種差別4_普通の人の観点(続き)

帰ってきました。考えてみたら今日は月曜日なのでエスニックレストランはみな休みである。日本風スペイン料理屋というかスペイン風日本料理屋というかも休みでした。 モニとわっしは近所のいつ行っても金持ちアメリカ人がやたらと多いレストランに行って夕飯を食べた。 何の話をしていたのであるか? おーそーか、ニュージーランド人の「考えたことは何を話しても良い」という伝統について話していたのであった。 この伝統がお互いに了解される同族間の習慣であった頃は、これはこれでよい習慣だったのだが、異文化の外国から移民が増えてくると、新移民のひとにとってはたいへんな侮辱と受け取られるようになった。 たとえば中国から移民して来た人は、他の国ではパーティとかで隣の人に、「あんたらはチベット人の人権を踏みにじってどーして平気なのか」とは訊かれません。 中国の人が感情を害するに決まっておるので、訊かない。 でもニュージーランドのひとは、ヘーキで訊きます。 特別に抗議しようとしているのではない。 ニュースで見て不思議だと思ったから訊くのです。 わっしの義理叔父もパーティで元大使夫人に「どうして日本人はああやって自分の国の自然を破壊してヘーキなのか」と訊かれて絶句した、とゆうておった。 実はこの「ブラント」な習慣はもともと連合王国人のものです。 しかし連合王国人は「仲間内」でしかやらん。 ニュージーランド人は子供みたいというか単純というかアホというか外国人相手にも同じ習慣を適用してしまう。 アジアの人がニュージーランドで人種差別的な発言にあって苦しむことが多いのは、ひとつには、そういう背景もあるのでしょう。 (ここから先はうまく言えるかどうかわからないが)アジア人がひとりもいないところではコーカシアンたちは当然全然違う態度で人種的な話をしますが、コーカシアンの立場から見て人種差別の度合いというものにあえて順位をつけると、 1位は合衆国(マンハッタンと東岸と西岸の大都市を除く) 2番目にひどいのはオーストラリアのクイーンズランド州 3位大陸欧州 っちゅう感じでしょうか。 それとは異なってわしがアジア人であったとして一番人種差別的な言辞に会いやすいのは 1位ニュージーランド・カンタベリー(あんまり言いたくはないが、ほんとなんだからしようがない。アジア人のひと、いつも怒ってるもんな) 2位オーストラリア・クイーンズランド州 3位欧州大陸 ですかの。 えっ、「欧州」が3位なの?と思う人もいるかも知れませんが、多分、気が付かなかったとしたら言葉がわからなかったせいではなかろうか。 あのひとたちのやりかたは、あんまり見た目の「様子」ではわからんもんな。 そのうち日本のひとが言いたがるような深刻な「人種差別」がマジで生き残っているのは合衆国の内陸だけです。 わしがアジア人なら、あーゆーところには住みたくない。 (ところが、こーゆーところが一番「人間性がよい」ところなのが面白いところだが) ニュージーランド人のアジア人差別などは根が浅い。 いざマジメに「人種」について話すということになるとコーカシアン同士で話しているときでもアジア人を交えて話しているときでもニュージーランド人の言うことは、あんまり変わらん。 合衆国人とは、そこがいちばん違う、と思います。 普通のひとの「人種」の意見についてもっと紹介しようと思っていたが、やっているうちに嫌気がさしてきてしまった。 つまらん。 わっしには「人種」とかについて考える習慣がもともとないのです。 そんなの、どーだっていいじゃん、とつい思ってしまう。 強いて言うとなんでもかんでも人種に結びつけて考えたがるひとや、人種のことを言い立てたがる人は、(わっしの感覚では)彼らこそが「人種差別主義者」なのであって、 たとえば英語世界では「世界最悪の人種差別主義者集団は日本人である」というのは残念なことに常識になっていると思いますが、それはなぜかというと、理由は簡単、 日本のひとが「人種」のことを言いたがりすぎるからです。 … Continue reading

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人種差別4_普通の人の観点

NとPのカップルは大学を卒業して結婚するなり連合王国からニュージーランドに移民してきた。 口に出して訊いたことはありませんが、同国人同士では問わず語らずにわかります。 階級社会が嫌で越してきたのでしょう。 ふたりとも会社員。旦那は通信系エンジニアで奥さんは事務職(経理)である。 1ミリオンダラーの大借金を起こしてタカプナというオークランドの対岸にある町にでっかいプール付きの家を買った。 「だいじょーぶでっか?」とわしが訊くと、 「だいじょぶ、だいじょぶ。タカプナは近隣も良いし値上がり間違いなしだから良い投資である」と旦那のNは自信満々であった。 ところで住宅市場ではタカプナの問題は「アジア人人口」だという。 こーゆーことはアジア人のひとがいる前では絶対に話されないが、ニュージーランドのパケハ(白人のことっす)はヘーキで話をする。 ここが難しいところですが、こういう話をするからと言って、このひとたちが「人種差別」を無意識にしているひとたちか、というと、そーではない。 アジア人の人口が増えると実際問題として、その辺りの不動産価値が低くなってしまうので、たとえばクライストチャーチの金持ちは、エイボンヘッドからアイラム、パパヌイの半分、ブランドワの半分、アッパーリカトンからリカトンあたりまでは絶対に買わない。 タカプナは韓国人の大きなコミュニティがあるので、タカプナに家を買う、というのはやや博打っぽいところがある。 ニュージーランドや連合王国以外の国について、この手のことを言うのはなんとなくその国のひとに悪いような気がするので言わないが、こういう事情は西洋の国ではみな同じです。 具体的には 「庭の手入れをしない」 「パジャマ姿でうろうろする」 「子供と一緒に意味もなく家の前でしゃがみこんでいる」 っちゅうようなことを良く言うな。 実際、かーちゃんの持ち家の近所にも中国の人が越してきて、パジャマ姿でメルセデスのSLに乗ってベーカリーに朝のパンを買いに行く、というので、「誰が文句を言いに行くか」というのでもめたことがあった。 あれは多分中国のひとは、そういう「普段着姿で、でもおれは金はあるんだぜ」というのが格好良い、という気持ちがあるのだろうか。 あるとき雑誌を広げるとNとPの家が「良いデザインの家」として特集されておる。 こういう特集に載ると家の価値は上がるので、わしはNとPの家に遊びに行った。 「おめでとう」というと、喜んでます。 昼食をご馳走になって、しばらくコーヒーを飲んで話していると、 奥さんのPが、ここに来るときにアジア人の女のひとが赤ん坊をもって立ってなかったか、と訊く。 いや、見なかったすけど、と言うと。 ちょっと、良かった、というような顔をします。 どうしたんすか、と訊いてみると、実は前の家にアジア人一家、多分日本人が越してきたのだが、そこの奥さんが赤ん坊を抱いて通りをいったりきたりするのだという。 どうも薄気味が悪い。 なんで、あの奥さんはあんなことをするのだろう。 そう話していると、2階にアルバムを取りに行っていたNが「ガメ、P、またあのアジア人の女が通りに出てるぞ。来てみろよ、ガメ」 わしが呼ばれて行ってみると、なるほど女のひとが赤ん坊を抱いて、通りを行ったり来たりしておる。 「日本人かな?」とN。 そーゆーことを言うのは、わっしが日本にいたことがあるのを知っているので、わっしなら判るだろうというつもりでしょう。 わかんねーけど、違うんじゃない、と応えるわし。 どうも様子が中国のひとっぽいな、と思うのと、ここで「日本人かもね」というと、 じゃ、おまえが談判しに行ってこい、とゆわれそうなのでとぼけておる、という面もあったな。 どうも赤ん坊をあやしているようだ。泣き癖があるのだな、あれはきっと、とわっしが窓から見ながらいうと、「そんなバカな」とNが苦り切った顔でいう。 なんのために外に出てくる必要がある。そうだとすると大変な近所迷惑ではないか。 いったいなんだと思ってるんだ。ここは香港の貧民窟じゃないぞ、とゆって怒ってます。 … Continue reading

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EL FARO

輝く太陽のせいですっかりひからびてしまった ぼくの言葉で どうして世界が語れようか この世界にはいろいろなひとがいる。 あるひとたちは、政治問題に興味があるであろう。 人種問題に興味があるひとたちもいれば、自分をどれだけえらく見せられるかということにいちばん興味があるひとたちもいるわけだ。 「よりよい職業につくために」勉強する、物事を根本から誤っておるひとたちもいる。 金と権力を混同して金に憧れる人までいる。 でも、そういうひとたちとは根本から異なった「部族」はいまでもいる。 この部族に属する人たちは、たとえば、少しでも「エレガントな」数学の問題の証明を考えて深酔いして場末のバーで眠る。 たった四小節でもよいから美しい音符を並べようとして悪魔に魂を売ることまで思い詰める。 たった一本の曲線が描けなくてアル中になった画学生をわしは知っておる。 セビリヤのタブラオでは一拍のそのまた半分のリズムを外して泣きくずれるフラメンコの踊り手がいるだろう。 パリの狭い狭いアパートの一室では若い女が水彩の自画像の最後の一色が気に入らなくて、自分の画架の絵に火を付けている。 バルセロナのギターバーでは、演奏の最後の一瞬少しだけ音を外してしまったギタリストが満場の拍手に振り返って、「豚どもめ!」と小さい声で言うだろう。 このひとたちは、みな、わっしと血を分けた同族である。 輝く太陽のせいですっかりひからびてしまった ぼくの言葉で どうして世界が語れようか だからわっしは夜の街を歩くのだ。 無慈悲な太陽が暴き出してしまった世界を、 夜は隠してくれる。 沈黙と暗闇で、人間の醜さはすべて見えなくなる。 大きな声では言えないが、わしには他の部族に興味をもつ理由などなにもない。 壁に飾られた絵の一本の線が気に入るかいらないか、 その他に人生に意味などあるわけはない。 四小節の音楽の美しさがわからないひとは、ついに世界が理解できないひとである。 だから。 輝く太陽のせいですっかりひからびてしまった ぼくの言葉で どうして世界が語れようか あなたの美しい手のひらの向こうに広がる青空を どうして言葉で表現できるだろう ぼくの頬に触れる あなたの唇の柔らかさを どうして言葉で表現できるだろう わっしとあなたは こんなにも長い間ふたりでこの本を読んできたが 読み終えるときがくるだろうか この世界にも語り終えられるときがあるのなら 終止符のある言語があるのなら また同族に会えることになるのだが。

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人種差別3

人種差別、とひとつの言葉を使うがわっしはこの言葉が意味しているものはもっとも大きく分けてふたつの違うものを指していると思う。 A その人種が属している本来の文化・習俗・立ち居振る舞い・あるいは感情の持ち方からなにからいっさいの存在とその属性を認めない人種差別。 アフリカ人に対する合衆国のコーカシアン、特にアングロサクソンからの差別がこれです。奴隷船に詰め込まれて北米大陸に強制連行されてきたアフリカ人たちは好きでやってきたのではないにも関わらず所有権移動の自由教育はおろか、コーカシアンと同じ場所に出入りすることも制限されておった。 アングロサクソンは長いあいだなんとかしてアフリカ人を文字通り抹殺しようとしてきたが、アフリカ人たちはたとえば初めのうち音楽で抵抗した。それは「自分たちの音楽を認めさせる」という極めて消極的な抵抗でしたが、これは意外と利いたな。 (当時の旦那衆にとって)嘆かわしいことには、若い衆が、そのアフリカの地面から直截やってきたリズムにいかれてしもうた。 日本のひとでも、渡辺貞夫、というひとが「アフリカの大草原に行くとひとの歩きかたから呼吸、風まで全部ジャズなので驚いた」とゆっておる。 エルビス・プレスリーというのは、そーゆー意味で大きな存在であったとわっしは振り返って思うのであります。 プレスリーがそれまでとまったく異質な音楽を携えて舞台や映画で熱狂を博していた頃は、ごく一部のひとを除いては誰もそれが音楽的に言ってアフリカ人の音楽のデッド・コピーだとは知らなかった。 それから連合王国からビートルズがやってきてローリングストーンズがやってくる。 両方ともアフリカ人のコピーであった。 もっともこれら連合王国人たちのほうは知っててやっていたんだけど。 特に後者は十分過ぎるほど自覚がある模倣者であって、軽く十年は古いアフリカ人のスラングを使ってみたりしてアフリカ人たちの失笑を買った。 いまに至るまでローリングストーンズの評価がアフリカンアメリカンたちのあいだで低いのは根本にはそういう理由があるでしょう。 その僅かに開いたドアの隙間をこじ開けてアフリカン・アメリカンたちが、どうやって 「アメリカ史上初めての黒人大統領」オバマをもつところまでやってきたかは、わっしがうまく話せることではない。オバマが大統領になったのを契機にして丁度いまは大量に、その戦いの歴史の本が出ているときである。 自分に向いてそうな一冊を択んで是非読んで見ることをお勧めします。 人種差別、ということではなくて、「人間」というものを考えるよい機会であると思う。 カシアス・クレイの英雄的な物語や「I Have A Dream」(これは「私には夢がある」という意味ではないので英語のままにしておきます)という英語世界では知らないひとがいない有名な演説を行ったマーチン・ルーサー・キング、ブラック・パンサーたちと、当時の名のあるアフリカ人たちとの葛藤、というようなものは物語としてもひとを感動させずにおかないものである。 以前からブログを読んでくださっているひとたちはみな知っているように、わっしはむかしからアフリカ人の友達が多い。アフリカンアメリカンもたくさんいるが、アフリカ国籍のアフリカ人も多い。わっしがブログで「わっしにはたくさんのフランス人の友人がいるが」というときの、その「フランス人」の半分はアフリカからフランスにやってきたフランス人たちです。 アフリカ人たちはアフリカ人の文化として一般化できそうなことだけを挙げても、一般に繊細な気持ちの優しいひとたちであって、いったん友人となると裏切ることの少ないひとたちでもある。共に何かに対して戦う、というときも、最も戦士としての姿勢をもっているのは、アフリカ人たちであって、同じ戦列に並んでいて、これほど頼もしいひとたちはいない。 アフリカ人の実質が明らかになってくると特に21世紀にはいってから合衆国や連合王国のような国ではアフリカ人に対する差別は急速になくなってきた、と思う。 きみがどこかの国へ行くとき、その国が人種的軋轢に苦しんでいる国であるかどうかを見分けるのに大都市の「ミクストカップル」(人種が違うひと同士のカップル)の数を見てもダメです。男同士女同士の友達の数を見ているのがいちばんよい。 人種差別がひどいかどうかの最もよい指標はそれであると思います。 夕暮れのロンドンを歩いてみるとわかる。 アフリカ人とインド人と中東人とコーカシアンたちが、みなでパブの小さなテーブルの周りに立って馬鹿話に打ち高じているのをきみは見るはずである。 いまのこの世界で最も人種偏見が少ないマンハッタンは言うまでもない。 わしは子供の頃からアフリカ人たちが大好きであったので、このことを無条件に良いことであると思う。 ついこのあいだまで起きているあいだじゅう「自分は黒人である」と意識して振る舞っていなければ生命の存在すら危なかったのに、いまは自分の肌の色を忘れてコーヒーを飲んでいても罰せられなくなった。 わっしは、むかし読んだボールドウィンが有楽町の帝国ホテルで書いた短い文章がいまでも忘れられない。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/09/26/wish-you-were-here/ 物事の悲観的な面ばかり夢中になっているひとたちは、「いやいやまだ人種差別はある。人間性というものは抜き差しならぬ。そうそう変わるものではないのだよ」としたり顔で言い募りますが、そう言っているそばから世界がどんどん(良い方へ)変わって行っているのは世界を旅行してあるけば明かではないか。 わっしはアフリカ人たちへの差別が死に絶えつつあるのを目撃していることだけでも、わっしの世代に生まれついたことを誇りに思う。わしらの世代は、いま30代の人間たちとはまったく異なる。新しい世界を築きつつある人間なのだと思う。 B  アジア人に対する差別。 こっちは端的に(表層的な)「自分と異なるものへの嫌悪」だと思う。 一方で、アジア人の文化を価値のないものだと考えたり、習俗を認めなかったりする、ということを伴わないのは、言い換えると、「人間として認めていない」ということではないのは、別に日本のひとを喜ばせるために言うのではないが、日本のひとのせいでしょう。わっしには、このブログにも二回登場したとんでもない差別主義者のテキサスのおっちゃんの友達がありますが、このひとはアジア人というとどうしても「未開」だという頭が抜けないのに軽戦闘機が好きなので、どうしてもゼロ戦が嫌いになれない(^^;) ゼロ戦をつくった日本人という人間の集団にも、感じたくないのに尊敬心をついもってしまう、という奇特なひとです。 もっと生活に近いほうでいうと、なんと言ってもホンダという会社の存在が大きかった。 … Continue reading

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人種差別2

「で、おにーちゃん、ほんとうに『人種差別は、もう存在しない』って書いたの?」という。モニと妹とわしはテラスで、冷凍庫でキンキンに冷やしておいたレモンチェロを飲みながらあれやこれやと話しておった。なんかの弾みでなにげなく例の日本語ブログ(これのことです)に「真の意味の人種差別なんてもうない」と書いた、と言った瞬間、モニと妹が一瞬沈黙してジッとわっしを見つめます。 その後、ふたりで、ぷーっと吹き出し笑いをする。 ふたりでしばらく思いっきり笑ったあとで、ああ苦しい、と言いながら妹が 「人種差別、まだあるに決まってるでしょ。ばかばかしい。おにーちゃん、アホなんじゃない?」 「いや、だからヤフーどもは別にして…」と言いかけているのに、みなまで聴いてもらえないで「人種差別に『真の』とか区別あるわけないじゃない。人種に関係したことを言われて言われた方が不愉快な気持ちになれば、それでもう立派な人種差別です。 差別かどうかは『する方』ではなくて『される方』が決めることよ。」 妹が言うにはアジア人の女友達とクライストチャーチの街角に立っていて、通りすがりのクルマから(横に妹が歴然とした友達として立っているにも関わらず)「てめーの家に帰れ!○○(○○は聞くにたえないアジア人への蔑称であるから省く)!」と言われた経験があるそーだ。たまたまクルマが信号で停まったので妹がクルマに近づいていって、 「あなたたちはこの国のゴミだわね、自分たちのほうこそゴミ箱に行きなさいよ」と、ゆったら「チンクスなんかと付き合うくそ女に言われたくねーよ、と捨て台詞を残して走り去ったそーである」 そーですか。 言われてみれば、そーゆーアホヤフーはわっしも何回か見たことがある。 ブログにも書いたことがあったな。 妹は自分の家に帰る前に、「もう一回ちゃんと考えなさいよ」といって、わっしにいくつかの人種差別についてのサイトのリンクをメールで送ってきておった。 どうも、わっしは日本語のブログやサイトの「わたしは、こーゆー人種差別にでくわした」という記事を読みすぎたようである。 たいていの場合は、「いや、それは本人が人種差別と思い込んでいるだけで、違うな」と簡単にわかるものであった。 それで、「日本のひとが必要以上に人種差別という考えを持つのは一種の思考停止をもたらしているのではないか」と考えたのでした。 でも妹が送ってきたサイトを見ると、たとえば最近ニュージーランドでテレビ番組で取り上げられて話題になったという、ある日本人の女のひとが書いた「クライストチャーチのレイシズム」という、無茶苦茶よく書けているフォーラムへの投書がある。 書いてある英語を見ると、母国語としての米語なので多分アメリカで教育を受けた日本人でしょう。このひとは日本人乃至アジア人としての気持ちも西洋人のロジックも両方普通にわかっていて、物事を正確に判断しておる。誤解が微塵もありません。 (アメリカで育ったひとふうの誤解はある。それはあとで述べる) そーだよね、と思うわっし。 考えてみれば、英語が普通に話せる日本人が日本語で人種差別について書くわけがない。 日本語で書いてもわかってもらえるとは思わないからでしょう。 この日本人の女のひとのように英語で英語世界に向かって語りかけてくるに決まってます。 日本語で読んだ方が人種差別の実態がわかるだろう、と思ったわしが浅はかでした。 いかん、もう一回考え直さねば、というのでわっしは怒濤のようにインド人や日本人、アメリカ人や連合王国人たちが集まって議論しているフォーラムを読んで歩いたが、 その結果、英語で読んだことを元に、もう一回日本語で書いてみる(考えてみる)ことにしました。 わっしはこれから昼めしを食べに出かける(いま午後零時十七分)が、帰ってきたら、といって食べ終わるのは午後4時頃だが、戻ってきて真剣に考えながら書くであろう。 気合いをいれて考えるど。

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