アメリカ人たち

アメリカのおばちゃんが4人で座っておる。

ここはバルセロナでは高級ということになっているレストランの2階の席です。

バルセロナはどこでもそうだが2階や奥の席に行くのは基本的には「1階や入り口付近の客よりもいっぱいお金使うかんね」という意思表示でもある。

自然おなじレストランのなかでもオジョーヒンなひとが案内される。

わっしは見るからに上品なので黙っていても必ず奥に案内される。

なんちて。

ウソです。

モニのせいです。

わっしのほうはきっとお付きの人かなんかだと思っているのではないか。

ペットだと思ってたりして。

ともかく。

アメリカのおばちゃんが4人で座っておる。

モニとわっしが案内されたテーブルは離れてはいるがおばちゃんたちの隣のテーブルである。

ほらだんだん次に起きることが想像ついてきたでしょう。

ついてこないとしたら、きみは自国の外におけるアメリカ人というものを(幸運にも)知らんのだ。

モニは、わしのブログではいつも「英語ができないので」と書かれるが、英語で生活するには支障がない程度には英語を話します。

わっしはフランス人の知り合いは百人は軽く越えると思うが、そのなかでいちばん英語が上手なのはモニである、と思う。

でも母国語でないので、他のことに集中しているときには、くだらん英語が聞こえてはこない。

わっしは(不幸なことに)英語が母国語なので、おばちゃんたちの会話が聞きたくないのにもろにバッチシ聞こえてしまう。

おばちゃんたちは、ずうっといままでに会った男たちのセックスの善し悪しを話し続けておる。品定めをしておる。もちろん源氏物語の「雨夜の品定め」のようなものでは全然ありまひん。具体的な事物の大小から経過時間、男たちのベッドでの台詞のばかっぽさまでいちいちあげつらっては合間合間に「げはははは」と笑います。リアリティがないくらい下品である。

おまけに具体的な詳細を極めておって東京でアジア人と寝たら小さすぎて「ぷりっと」飛び出してちゃんとやれなくて困ったとかゆっておる。

うー、ほんまにたまらん。

おばちゃんたちは、40代の後半だが、なかなかオジョーヒンな美人の集まりであって、話を聞くともなしに聞いていると金持ちおっちゃんたちの妻たちである。ひとりは二回離婚を経て独身である。残りの3人は揃って二度目の結婚生活を送っておる。

わっしはモニが気がつくとよろしくないので、なるべく聞こえてくる内容に動揺しないように必死に努力します。つらいよう。

そのうちにおばちゃんのひとりが立ち上がって何かを探しているふうである。

ガハハ笑いをしているうちにピアスかなんかを落としたに違いない。

英語が話せるウエイタがとんできて「なにかなくされましたか?」と丁寧な言葉遣いで訊いておる。

おばちゃん「なにをなくしたかって? わたしのバージンに決まってるじゃないの」だそーであった。

わっしはここに至って、ぶっ、ぶわかやろー、と思いますが、必死に耐えておる。

こうなるとオブシーン、オブシーンって日本語ではなんだべ、下品、か?違うよな。

公然わいせつ、かな? ワインを飲んでいて面倒くさいのでそのまま書くとオブシーンも極まるでしょう。アホばばあめ。

その後も言い放題の狼藉しほうだいであって、日本語でうまく書けるかどうかわからないが、「この料理をどのように給仕すればよろしいでしょう」とウエイタが訊いているのに

「跪いて給仕するに決まってるでしょう。膝行してやってみせれば、今晩ひと晩相手をしてやってもいいわよ」とか、もう無茶苦茶である。

ウエイタのにーちゃんは曖昧に笑っておるだけであったが、にーちゃんの英語のレベルから考えて、まったく想像がつかなかったとはおもえぬ。

気の毒であった。

英語がまったくわからないほうのウエイタやウエイトレスたちですら、想像はつくのでしょう、壁際に固まってたたずんで冷笑を浮かべておる。

ようやっと怒りたいのを我慢して席を立つと、いつもよりはやくレストランを出た。

モニが気がつかなくてよかった、と思っていたら、モニに「ガメはこの頃我慢強くなったな」と言われました。

「なんのことでしょう」というと、にこっと笑って「ガメは自分の奥さんの英語能力を過小評価しているのではないかね」と言います。

なんだ、知ってたのか。

アメリカ人にだけは生まれたくない。

アメリカ人に生まれなくてよかった、というのはアメリカ人以外の全西洋人の正直な気持ちだと思う。

フロレンスの町のカフェに座っていると、アメリカ人のかっちょよく欧州人風に決めた金持ち娘の留学生がふたりで話しておる。ボーイフレンドとのセックス。そのボーイフレンドが同じ夜に自分に隠れて他の女の子とセックスをしていたことから始まって、セックスセックスセックス、拒食症の同級生の話、どうやったらダイエット出来るか、終いには寝床での技術についての情報交換までしておる。おまえのクソ頭にはセックス以外はいっとらんのか。

もてるためにはどうすればよいか。ハウトゥー、 ハウトゥー ハウトゥー ハウトゥー。

アホか。

アメリカは、どこで間違えたのだろうか。

理念から言えば、偉大な国になる可能性があった。

しかし現実は日本語でならどう表現すればよいか「さびしい」ひとたちの集まりである。

ただのクソ社会で終わってしまった。

人生に対する考えが信じがたいくらい浅薄で表面的である。

突然だが、わっしは日本人がアメリカのようなオバカな国の影響を払拭することを希望します。第一、アメリカ的な価値観なんて日本人にはむかねーじゃん。アメリカやオーストラリア的な考えくらい日本人に向かないものはない。

相性が悪い文化が流行った国というのはどうなるかというと文化的な荒野になるのだとわしは思う。

大多数の日本人がアメリカに親近感をもっていて、その強い影響を受けているというのは素朴なことをいって、どこかが間違っておる。

ハリウッドに洗脳されているのではないか。

それは敗戦の結果であって、日本はつまるところ、結局「戦争に負けた国」「戦争に負けて文化的にも敗北した国なのだ」と内緒の場ではアメリカ人はいつも言うが、それがほんとうなら、もう一回、限定的でもよいから合衆国と戦争をして勝つまでやったらどうだろうか。

サンタバーバラのエルウッド精油所を砲撃して帰ってきた伊号第17潜水艦に倣って、

「もちしお」かなんかに乗ってロスアンジェルスを砲撃して「勝った勝ったまた勝った、勝たんでもええのにまた勝った」と六甲おろしを合唱しながら帰ってくる、というのはどうでしょう。

日本のひとはくれぐれもアメリカ人なんかに染まらないように。

あなた方は同じ西洋ならずっと欧州人に似ておる。ニュージーランド人にも(^^)

くっそお、アメリカ人のバカめ。

あー、めしが不味かった。

もうわしの人生でアメリカ人のバカさ加減のせいでメシや酒がまずくなったのは何度目だろう。まったく不愉快。さすがにパリやロンドンでは小さくなっていて、そーゆー乱暴狼藉には及ばないが、油断すると、そのうちにゾーチョーしてバカを言い出しそうである。

今度同じことがあったらモニも気がつくのが判ったことであるし、ケツの穴から手え突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたるど(© 餡掛けの時次郎・てなもんや三度笠)。

まっ、帰ってから我慢したご褒美にモニにいちゃいちゃしてもらったから、いーけどな。

画像はバルセロナのオモチャ屋さん。

大人用(左側)と子供用の入り口(右側)がある。

クール。

バルセロナのガキどもはラッキーである。

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One Response to アメリカ人たち

  1. bubliki says:

    遠藤みちろうは元々フォークソングのひとでザ・スターリン解散後紆余曲折を経て今はまたアコースティックギターの弾き語りをやってるみたいです。なんか見るからにトーホグの朴訥な元文学青年のおっちゃんって感じで往年のイメージとのギャップに驚くんですが、まあえてしてそんなものなのかもしれません。

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