Daily Archives: March 11, 2009

手を差し伸ばせば

朝起きるとクルマに乗ってカタロニアの田舎の町を巡り歩いておる。 (当たり前だが)カタロニアの田舎にはカッチョイイ町がたくさんあります。 フランス人向けにつくられたガイドブックを見てモニがゆくところを決める。 わっしはお抱え運転手なので微妙にカーブのデザインが間違っておる、でも運転するひとたちのマナーはなかなかよろしいカタロニアの高速道路を北へ東へ西へと運転します。 目的地の近くにつくと美しい景色の狭い曲がりくねった田舎道を行く。 ときどき木陰でサンドイッチとコーヒーで休みます。 16世紀に出来たレストランで、うさぎのステーキや鳩のローストを食べる。 中世の商人が歩いてきそうな狭い道でモニとふたり、立ち止まってチューをする。 ガメ、大好き、とゆわれて舞い上がるわっし。 こうやって過ごしていると、人間の暮らしはつくづく良いのう、と思います。 幸せである。 わしは自分の手で触れられるものがとても好きです。 「思想」や「観念」のようなものは触れるとすべすべして冷たかったりしないので、つまらん。「考えたこと」は良い匂いもしなければ、目がくらむような瞬間も与えてくれません。 つまらん。 わしは子供の時から運動するのも好きであった。 馬に乗るのがいちばん好きだが、テニスもクリケットもカヤックも自転車も好きです。 自分の身体が跳躍する瞬間や、思いの外精確に動くのが好きなのだ。 「身体」という素晴らしい幸福の受容器を使って自分が世界と会話できる、ということが 嬉しいのです。 わしは昨日の晩、死んだ年長の友人N http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/searchdiary?word=%ca%e8 の夢を見た。 何故だか随分年をとったN(実際のNは40代で死んでしまった。夢の中のNは、きっとNが死ぬ間際に夢見た「年をとった自分」であったのだと思います)がバルセロナのディアグナルの通りで、タクシーから降りてくる。面倒くさそうに肘でドアを閉めたりするところが生きているときのNと同じです。 降りて数歩歩いてNは小銭入れからコインを落とした。 2ユーロ貨は拾ったのに、もうひとつ道路に落ちている50セント貨を拾わずに行こうとする。夢の中ではNの友人でもなんでもない、ただの通りすがりのモニとわしは「もうひとつ落ちておる」と言ってNの腕にそっと触ります。 Nが極端に知的なひと特有のはにかんだような微笑を浮かべて「ありがとう」と言って去ってゆきます。 わっしとモニは何歩か歩きかけて振り返る。 そこにはもうタクシーもディアグナルもバルセロナの街すらなくなっていて、Nも大気のなかにかき消えておる。 わしは突然Nが死んだことを思い出して泣き出してしまった。 子供のように泣きじゃくってモニを困らせた。 Nがもう死んでしまって二度と会うことが出来ないのだ、と「ほんとうに」わかったからです。もう絶対に会えないのだ。 午前3時のベッドのなかで目をさますと、わっしは実際に泣いておった。 モニがいつのまにか目を覚まして心配そうに見ておる。 死んでしまったNは、また肉体というものがない世界へ帰っていった。 Nは知が勝った人間であったので、もしかすると自分の肉体が滅びてしまったことをそんなに重要なことだとは思っていないかも知れません。 モニが不思議な表情で「ガメ、Nの夢を見たのでしょう?」と言う。 なぜ判るのだろう。 モニはわしが一度目が覚めてしまうとなかなか眠れないのを知っているので低い声でフランスの子守歌を歌ってくれます。 モニの手のひらの長い、爪をかむ癖のせいで人差し指の爪だけが短い五本の指がわしの髪の毛を通り抜けてゆく。 頬に手のひらが触れる。 … Continue reading

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