ギター・バー

マヨルカ島、というところがある。音楽が好きなひとは知っておるかも知れぬ。

ショパンがジョルジュ・サンドと一緒に遊びに行ったところです。

売りに出ると5億円、とか8億円、とかいう値段が付く別荘がごろごろある。

モニのかーちゃんは、ここに別荘をもっていて、もっているだけである。

それ日本語としてヘンでしょう、と思ったきみ、甘い。

ここに別荘をもっていて、もっているだけ、というのは、普通のひとはそんなくそ高い金を払っておいて二回くらいしかいかない、ということをしないからであって、そういうことをするひとが少ないからヘンに聞こえるのです。

日本語文法としては完全に合っておる。自信はないが。

わしがバルセロナのしょぼいアパートに滞在して、わしが内心で「ノイジー・ガイズ」と呼んでおるアルゼンチン人の写真家とファッションモデルのカップルの部屋めがけて跳び蹴りをしたりしているのに、考えてみればそれを見て「ガメ、運動神経があってかっこいいな」とか言ってくれておるひとのかーちゃんは、同じスペインでもマヨルカ島のような無茶苦茶金持ちがいっぱいいるところに別荘をもっていて、しかも使いもせん。

なぜ使わないかというと他のところにもっとカッチョイイ別荘があるからです。

モニとわしは、一日に一度(または二度)バルセロナのこーきゅーレストランへ行く、わしの「こーきゅー」の基準は単純でバルセロナならふたりでワイン一本を含めて150ユーロ以上支払うことになるところは全部「こーきゅー」なんです。

ははは、ゆってて恥ずかしくないの、と言う感じが自分でもするが、ケチなんだもん、わし。

だって、わっしが好きなタパス屋なんてワイン2本飲んでたらふく食べて飲んでも50ユーロくらいだからな。

モニは「こーきゅー」レストランから出ると、「ガメ、いい料理だったな。おいしかった。ちゅ」とゆって、(最後の、ちゅ、は言っているわけではないが)ほめてくれるが、よく考えてみると、モニの他の家の人間はバルセロナならばコスタ・ブラバのEl Bulli(目下世界一のレストランはここ、といわれる有名なレストランです)のような超こーきゅーなレストランに出かけるわけで、なんとなく全般に不甲斐ない感じがぬぐわれぬ。

夜、モニが眠ってしまったあと、ひとりでテラスに出ると、ワインを飲みながら、

どーしてわしだけこんなにビンボーなんじゃ、としくしく泣きながら暗闇を見つめて考える。なぜだろう、と思って考えると、それは多分働かないからです。

仕事をしておらないプーである。

労働をしておらなくて、暖かいから、とかいうたわけた理由でバルセロナのようなところでごろごろしている奴がビンボーでないわけはない。

あまつさえ、「雨が降らなくてお天気が続くことになったから」という世の中をなめきった理由でロンドンに戻るのをおよそ一ヶ月延期してしまっておる。

おにーちゃんと結婚したモニさんはかわいそうだ、というのが妹の口癖です。

どーして、きみはそーゆーことをいうの、とわしが口を尖らせると、

「じゃあ、モニさんがおにーちゃんと結婚して幸福だと思う理由を10個、挙げてみなさいよ」

と言う。

まず、わしは健康体である。

二、わしは料理が上手である

三、掃除が上手

四、皿洗いがはやい

五、…..歌が上手に歌えます

六、………….健康である、これはさっきもゆったか、

と言ってあと考えてるうちに、きっつい調子で「役立たず」とゆわれてしもうた。

うー。

そう言われてみればなあ、モニからすると黙ってるだけで、結婚前と結婚後では生活レベルが違いすぎるよなあ、やべーな、こりゃ。

でもなあ、そーそービジネスモデルなんて、「道を歩いていたら木枯らしにのってビジネスモデルがころころころころ、と眼の前に転がってきちゃってさあ。もうかっちゃって、うっしっし」なんちゅうふうに転がってるわけでもなし、耳と耳のあいだにかつては存在していたものはワインで溶けてなくなっとるし。

そー言えば、こねーだ妹とモニがふたりででかけているときにひとりでしょぼしょぼ歩いていたグレシアの、あの犬のおしっこの匂いがする小路に「繁栄を呼ぶ 悪魔の書! 

40% OFF」とかって書いてあったよなあ、あそこ行って見るか。

いや神様、そーではないのです。わしがあなたに逆らったりするものですか、読んだりしません、ちょっと興味があるだけですがな。

ほら、孫武老人も「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」とゆっておる。

敵方のことも知らなければ十分な瀆神家、(わ、間違えた、瀆神家と篤信家が同じ音であるなんて、日本語はなんちゅう茶目っ気のある言葉でしょう)もとい、篤信家にもなれないのではないか。

わしはぶつぶつと呟きながら、グレシアの訳のわからん迷路のような小路を歩いてゆきます。

なあんにも書いてない黒いドアが少しだけ開いておる。

そこから素晴らしいギターの音が聞こえてきます。

これはなんだ?と思うわっし。ちょっと中をのぞくと店中、壁にも天上にも様々なギターがたくさんかかっておる。

ウンバソなビノ・ティント・デ・ラ・カサを頼むと、わっしはカウンタに立って演奏を聴いた。一曲聴いて、わっしはモニがもう帰ってきているはずのアパートにほぼ走って帰ったな。わしだけが聴いてなるものか、一緒に経験しなければ、なにしろ結婚しとるのだからな。

余計なことに妹も一緒であったが、とにかく、ふたりとも急ぎたまえ、とゆって急かすわし。

今度は奥のギターを弾いているひとたちのすぐ前の席に座りました。

スペインにはギターバーがところどころにある。

カタロニアといえどスペインの一部なので、ギター・バーはあります。

ひとが適当にぶらっと立ち寄って、自由にセッションしながら二三人で、あるいはひとりでギターを弾く、他のひとが歌うこともあれば、歌をつけないで黙って聞いていることもある。

フラメンコのこともあれば、ブルースのこともあります。

このとき、わっしが必死こいてピソ(アパート)に戻ってふたりを連れてきたのは、

そのおっちゃんが、この世の人とおもえないほどギターがうまかったからであった。

わざと小さな音で、相手が演奏で話しかけてもつとめてパッシブに弾く、そのギターと来たら、繊細で奥深くて、一瞬のアイデアが煌めきでるような、すさまじい弾き手です。

わしはマジでギターの神様が身をやつしてギターバーに降臨したのかと思いました。

妹もモニもうっとりして聴いておる。

妹は煙草というものを毛嫌いしておるのに、もうもうと煙るバーの空気にひとことも文句を言いません。

そのひとは1時間くらいも演奏した。真ん中くらいの20分は他のギターを抱えたひとたちも店の主も、みな手を休めて床を見つめています。ジンを飲み過ぎて、「もっとテンポの良い曲をやれよ、乗らねーよ」と叫んで店のおっちゃんに「シー」と怖い顔をされていたビクトリア朝期のスコットランドヤードの刑事を思わせるような顔をしたおっちゃんも床を見つめておる。

それはスペインのバレンシアの静かな思い詰めたような旋律であって、店の中ぜんたいが、別の場所に変わってゆくようなすごい演奏でした。

わしが、そのひとがカウンタに立ったときに「あなたは、すごい」というと

「すごいでしょう」とうなづくと、「ありがとう」と静かに言う。

スペインのひとらしい反応です。

こーゆーことがあるから、サボるのはやめられん。

仕事なんてしてるヒマ、ないよなあ。

繁栄したいのはやまやまだが、悪魔の書は70%びきになるまで買わなくてもいいな、とわっしは考えました。

そーするとモニのかーちゃんの財産レベルに追いつくのはとーぶん無理だが、愛があればお金なんて。

なんちて。

でもお金はまたあとで稼げばいーんではなかろうか。

お金よりも、明日からまたギターの練習するべ。

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